
はてなキーワード:既製品とは
柔らかいパンに入っているピーナッツクリームが好きだ。粒が入ってるとなお嬉しい。
ソントンのような濃い茶色や海外のピーナツバターはトーストにはとても合うがコッペパンとはちょっと相性が違う。
めっちゃおいしいんだけどさ、ピーナツバターってカロリーとニキビすごくなるんよな。
まあ今回のピーナッツクリームもハイカロリーではあるだろうけど。
ピーナッツクリームはピーナツバターにホイップクリームを加えて作るようだ。
公式のようなレシピが出てこなかったので、おそらくそうだと思う。色もそうだし。
自宅で冷凍ホイップとかをつくるのは面倒なので、既製品を探したい。
今、マーガリンみたいな入れ物のもののものと、透明なプラスチックの円柱に入った粒入りのものを入手した。(カルディとライフで入手)
ジャムのコーナーから探しているんだけど、基本庶民はトーストだから今回求めているものはないんだろうか…。
クリーム入っていると、トーストに塗るとすぐ溶けるからなんか容量的に損している感じするしな…。
うーん。ランチパックをおとなしく食べるしかないのか?求めてるものとちょっと違うが…。
コッペパン屋のピーナッツクリームおいしいし、好きな時に食べたいんだけどなあ。
もっとピーナッツクリームうまい!ムーブが起きたら企業が力入れて作ってくれると思うんだよな。
有力な情報持っている人いたら教えてくれ。
俺は軽度ASDのためか周期的にある食べ物(もしくはジャンル)にハマっては食べ過ぎて飽きることを繰り返している。
金もないのにカップ麺と宅配ピザにハマった時は地獄だったし10kg以上太った。
そんな俺が糖尿病内科に通うようになって食事量を減らしていた時、転機が突然訪れた。
和食にハマったのだ。
かつてトンカツにハマったことはあっても、和食にハマったのは人生で初めてだった。
和食といっても毎食定食みたいな豪勢なものは食べられない。なぜなら金がないから。
というわけで基本納豆ご飯をベースに、自家製ぬか漬けや既製品のたくあん、昼は炒めた肉か魚の切り身を焼いたもの、気が向けば味噌汁(だし入り味噌を溶いて乾物をぶち込むだけ)を食べている。
正直野菜は全然足りないし塩分は多分過多だろうが、今のところゆるく痩せている。
1年ずっとこれが続くわけではなく、食べたくなったらカップ麺も食べるし出前も取るが、基本的にはこの食生活だ。
俺は本当に金がない。金がないがこの和食もどきのおかげで以前より食べる量が減ったにも関わらず、満足度は高い。
金がなくて体型に悩んでいたら、俺のような食生活もありかと思い書いてみた。
アンディ・ウォーホルは確かにキャンベル缶やマリリン・モンローの写真などを無断でモチーフにして作品を作っている
1960年代という時代背景では、今日ほどに著作権・画像使用に対する意識や法的規制が明確・厳格では無かったから、やり過ごしていた面もある
ウォーホル自身の活動が「ポップアート」の文脈にあったから、既製品やマスメディア画像の「引用」が芸術運動の手法として考えられている面も確かにある
ただ、著作権侵害をめぐる訴訟も起きていて、最近では2023年5月に米最高裁が、ウォーホルが別の写真家撮影のプリンス写真を無許諾で用いた作品は「フェアユースではない」と判断されている
後の裁判でアウトになるケースもあるということだ
これは現代日本でも一緒だろう
松成分多めだな。
フィクションを見たり想像で補ったりして書いてる部分が多そう。
これは嘘。そもそも他の女の子と関わることが少ないので知るよしがない。集団待機の店ならワンチャン他の女の子の話を聞くこともあるかもしれないが、集団待機の部屋はだいたいギスギスしてる。そもそもそれが理由なら水商売でいい。ちなみに、水商売から入って夜の世界が向いていると気づき「精神使うより体を使う方が楽」って理由で風俗始めるパターンが今は一番多い。推し活・ホス狂いもあるある。
これは本当。この辺のぶっ飛びエピソードも妙なリアリティがある。家庭菜園で作ったトマト持ってくる人とか、一緒にカラオケのボイトレさせられる人とか、酒を持参して延々と仕事の愚痴しゃべってプレイもせずに帰る人とか。いやお前はキャバ行けよって思いきや、風俗の方が安いからだとさ。
ちなみに既婚者が既婚の理由もよく分かる。大半は人間としてまとも。一方、既婚者は接客が楽だが、ぶっ飛んだ話を聞けることもぶっ飛んだ事をされることもない。
エピソードが自宅ばかり
これは嘘。というか、自宅に呼ばれたエピソードだけ抜き出した??とは言え、呼ばれるのは普通ラブホだし、店で自宅NG も出来るのに、不安でいっぱいだっただろうガチ風俗新人が半年でこれだけエピソード持ってるのは変。
毎回必ず手料理を振る舞ってくれる人もいた。
これは嘘。客の作ったものを食べるのは禁忌。未開封の既製品のみ可。風俗慣れしている客はそこも踏まえて買ってきてくれる。店通して何度か来た客を信頼できると判断して裏引いて自宅に行く、なら可能性はなくもないが、たった半年でそんな風俗嬢としての腕が上がるかというとな。
これは本当。めちゃくちゃ多い。特に高級店になると客層の年齢が上がるので、喋るだけで帰る人も多くなる。週一通うのがすっかり習慣になっちゃってさ、って言いながらお茶だけして帰る、元上場企業役員のおじいちゃん(70)とかいた。
これは店による。というか価格帯による。増田が高級店に入れる容姿とスタイルだったのならたぶん本当。
もし元増田が嘘松じゃないのなら、風俗を始める前に数年の水商売経験がある可能性が高い。上で嘘と書いた点についても、水商売経験があって、客の善し悪しを見抜く目に自信があったりしたのなら、本当かもしれない部分はある。
私はもういい大人なのだが、大人になってから発達障害グレーゾーンだと診断された。
納得した。コミュニケーションに何度も何度も失敗して周りに迷惑をかけてきたからだ。
自分が知っていることは当然他人も知っているだろうと(おそらく無意識に)思っている。
ましてや家族であれば当然理解していて、なんでも察するだろうとすら思っているだろう。
それ故、話に論理性にかけ、前提が抜け落ちたり展開がぶっ飛んだ会話になる。
私の父は相手の気持ちに寄り添うことができない。自分の言いたい言い回しが常に優先される。
それ故、一見論理性があるように見えるが納得感とか共感性が乏しい内容になる。
そして、お互いの言いたいことが伝わらず衝突した時、常に相手が悪いと思っている。
私は疲れている。
今日、ひと悶着あった。
母は持病の関係で、日常で倦怠感を強く感じることが多い。その影響で朝起きられなかったり、日中の家事に着手できなかったりする。
それは理解しているし、文句などない。無理しない範囲で出来ることをすればいいと思っているし、別に父や私が代わって良いのだから家事を背負わなくていいと思っている。(これは父も同様に認識している)
母は今日、倦怠感があったが夕飯を用意してくれた。
倦怠感があって料理ができない時に備えて、既製品のハンバーグを買い置きしていた。それを温めて出してくれた。
父はそれがそのような経緯で買い置きされていた既製品だと知っていた。
しかしハンバーグを見た第一声が「美味しそうなママ手作りのハンバーグだねえ」だった。
おわかりいただけただろうか。これは父にとっては単なる冗談だった。
しかし母からすれば強烈な皮肉である。冗談だとしてもセンスのカケラもないクソみたいな冗談だ。
前提条件ふまえて「美味しそうなママ手作りのハンバーグだねえ」は、すなわち「手作りしてない手抜きハンバーグだねえ」という皮肉に聞こえる。
たまにネットで京都人の皮肉文化みたいなのがバズるときがあるが、あれに近い。あえて事実に反していることを言っているため、言っていることの裏の真逆の内容をネチネチ指摘しているように聞こえるのだ。
これに対し、母は怒った。「黙って食え」と言った。
これに対し、父が怒った。「黙って食えとは何事か」と。
もうわけわかんねえよ。
なんで父が怒るんだよ。黙って食えと言う原因作ったの父だろ。
そこは謝るところでしかないだろうが。
しかし父は何故かここでブ千切れて夕飯の席を離脱して自室に籠ってしまった。
母に倦怠感があるのは知っているが、とはいえ夕飯を用意できる程度の調子にはなったようだ。だから冗談でも言ってみよう。
⇒なんかキレられたんだけど?
みたいな認識らしい。
ここまでの流れではただ父の冗談のセンスがクソすぎて自爆しているだけなのだが、それまでの過程を確認すると実は母も結構アレである。
今日父は出掛けていて、昼過ぎに帰宅した。帰宅した後「おひるごはんある?」と母に質問した。
これに対し母は「あるわけないでしょ」と最初からキレ気味回答した。
これは母としては昼ごはんを用意するには遅い時間だった・そもそも自分で何で買ってこないのかわからないみたいな理由があってのキレ気味回答だったらしい。
13:30を昼ごはんとして遅いととらえるかどうかは人によると思う。別に遅すぎるというほどではないだろう。買ってくるこないの会話も事前にしていない。
しかし母の中での「13:30は遅すぎ」「当然買ってくるっしょ」という前提を無意識に何のすり合わせもしていない父に押し付けて開幕キレ気味回答しているのだ。
そのやりとりの後の夕飯のひと悶着だったわけで、父としても振り回された疲労感からいつもより早めにイラっとしたらしい。
仲介しようとしたら、父は「夫婦の間に口出すな」だってさ。いや、夕飯の時私真横にいたよ。なんで3人で住んでいる家で3人で囲んでる食卓の話で私が除け者になるんだ。
母は今の今まで自他の境界が曖昧なことに自覚すらしてなかったよ。伝えてみたら「ええ……?そう……?」みたいな感じだったよ。
もう疲れたよ。それに怖いよ。
どう考えても私の発達障害は両親の遺伝だよ。それぞれ違う方向にクソなコミュニケーションの悪いところを受け継いだよ。
でも自覚して、頑張って直したよ。心理学科で真剣に学んで4年感フル単だったよ。社会人になってからもコミュニケーションに関する本を何冊も読んだよ。
そしたら最近、会社でコミュニケーション能力の自信の無さが話題になったとき、上司から「でも(私)さんのコミュニケーション能力は、もうそんないうほど悪くないですよ。むしろもう十分に武器ですよ」って言ってもらえたよ。
泣くほど嬉しかったよ。思い出すだけで今でも泣けるよ。
でもやっぱり怖いよ。ここに来るまでに学生時代たくさんの友達を傷つけたよ。思い出しては申し訳なさに泣いてるよ。もう縁が切れてどうしようもないよ。
それに気を緩めるとボロが出る。自分が親くらいの年齢になったとき、親みたいなコミュニケーションして老害になるんじゃないかと怖いよ。
迷惑かけるのが怖くて恋人も作りたくないし、ましてや子供なんて産みたくないよ。絶対に嫌だよ。
なんで両親は改善しようともせずのうのうと生きられるのか理解できないよ。
親を理解できないのが悲しいよ。
もうどうしたらいいのかわからないよ。
両親については、少なくとももうクソみたいなコミュニケーションが始まったら私の自室に引きこもって、それ以上被害を受けないようにしようと思う。仲介もやめる。両親だからこそ変わってくれるんじゃないかと希望を持ってしまっていたが、もうやめよう。自分を守ろう。
それから、過去迷惑をかけ、傷つけた友人が、二度と私にばったり会うことなく、私のことを思い出して不快になる瞬間がない人生であることを切に願っている。
AI臭すぎてとても読めなかった。
お前らはこれ読んで「うぇ~~~~AI臭すぎる~~~~」ってならなかったの??
俺は無理だったよ。
「AIを使ってるのがズルい」みたいな事を言いたいんじゃない。
書き手の魂を感じないんだよね。
要はこれって元増田の記事と一緒に「20代末から40歳まで11~2年しかないのに何で気が付かなかったの?というタイトルでネットの煽り文っぽい記事を作成してください。現在の日本のインターネットで使われているようなスラングをいくつか盛り込んで現在アラフォーのオタクを煽るような感じで」と打ち込んだだけでしょ?
インターネットにウヨウヨと漂っている無数の言葉の切れ端をAIがつなげただけじゃん。
そもそもこれを書こうとした増田の中にあるのは「よっし!このネタで煽って伸ばそう!」って気持ちだけでしょ?
本気でコイツらを馬鹿にしたいと思ってる気持ちしかないんだろ?
俺はそれが気持ち悪いんだよ。
男叩きだろうが氷河期叩きだろうが現代社会への怨嗟だろうがなんでもいいけど、ネットの文章なのに書き手の魂が一字一句にこもってないのは許せない。
たとえ内容が「山上は正しかったと思うから俺もいつか暗殺をするぞ!」だろうが「要するに現代日本においては相模原障害者施設殺傷事件こそが正しい弱者男性の死に様なんだよね」だろうが、それが書き手が自分の心にペン軸をグリグリ突っ込んで染み出させた血のインクで書かれているならそれはネット駄文として絶対的に正義なの。
逆に言えば書き手の涎も汗も込められてない既製品のインクを機械に自動手記させただけの文章は絶対的悪なんだよ。
スクリプトに書かせただけの自動生成の文章こそがインターネットにおける唯一無二の絶対的なゴミなんだから。
俺の言う「AI臭くて無理」っていうのは「スクリプト生成特有の悪臭が強烈で、こんなものがインターネットで広まったら臭くて耐えられない」って意味だ。
それは書き手が楽をしてるかどうかに対してのものじゃなくて、書き手の魂が存在しないことに対しての気持ち悪さなんだよ。
自動スクリプトが作った言葉なんてのはそこら辺の死体をツギハギして作ったフランケンシュタインの怪物なんだ。
生きてないだけじゃなくて腐ってるの。
腐ったものを人に出すなってことを俺は言いたい。
生きている言葉を出せ。
腐敗物を人の目に突き刺そうとするな、生きた血を叩きつけあってくれ、それが人間のコミュニケーションだ。
機械同士で自動会話してネットに無数の自動生成世論を作り上げソースロンダリング経由の多数決で持論の正しさを証明するような馬鹿な真似がしたいならふたばちゃんねるやあにまんにでも行け。
せめて増田でやるな。
ここはゴミ箱ではない。
2年ほど前に登場したメンテナンス用品がめちゃくちゃ売れている。
相場の約3倍の強気の値付けがされているのにも関わらず、ものがいいので皆
「3回使っただけで3000円消えるとか価格設定おかしいだろ!」
とぶつくさ文句言いながらも購入し続けている。
特許も取っている商品なので価格を理由によそに移るのも躊躇われるようだ。
興味があるので特許庁のサイトで調べたらこの製品の特許情報が出てきた。
そんで明細書を見たら成分とその比率、製造法まで事細かにバッチリ記載されててびっくりした(どうやらこの成分比率が特許申請のキモのよう)。
そこで沸いた疑問なんだけど、俺が自分で成分比率をちょこっといじるなり、効果に変化を与えない物質を加えてパクリ製品を作り、1/10の価格で売ったら特許侵害になるんだろうか?
この商品、全ての成分が化学メーカーの既製品でそれを混ぜて作っているみたい(ご丁寧に「〇〇社の何々」と原材料の名前が明記されている)なので自力で作れちゃうんだよなあ。
なんだかんだ最後まで読んでしまった俺は評価を最後まで保留しており、最終話の中身にこの作品をどう結論づけるかを託していたのだった。
商業的な成功は置いといて、漫画としては最後までグダグダだったと言わざるをえない。
冒頭2ページ、いまどき古臭いメタルギアミームを挟んでる時点で「あっ、こりゃダメだ」と心が折れそうだった。
怪獣8号の正体についても多くの謎を放置したままで終わり、あまりにもスカスカな世界観だ。
2ページぶち抜きの泣き顔は手抜きすぎるし、登場人物のその後についても全く想像力が掻き立てられない描き方だし。
ラストシーンもジャンルとしての王道ではあるが、怪獣8号らしさというものが感じられない。
そもそもをして日比野カフカという主人公キャラクター自体がテンプレの集合体から脱しきれていないので「この作品はこうでないと!」みたいなのがない。
怪獣もの漫画という今はだいぶマイナーになったジャンルをやっているというブルーオーシャン性に甘えて惰性でテンプレをなぞってきた作品の末路だろう。
最終話まで読み込んだはずなのにどこまでもどのキャラもどこかで見たような要素の集合にしか感じられない。
正直、滅茶苦茶しんどい。
ジャンプ+の他の円満連載終了作品と比較しても、キャラクター造形がスカスカなだけで終わった印象しかない。
開始当初の「こっから煮詰めていけば面白いぞ!」という期待は裏切られ、生煮えのまま雑に既製品の具材が追加される闇鍋で終わったしまったか。
ま、第1部までの漫画だったということだな。
透明なガラス玉が際限なく並ぶ海岸を歩いているような気分だ。どれも完璧な球体で、光を浴びて美しく輝いている。しかし、一つ一つを手に取ってみても、その中には何も宿っていない。私はSNSのタイムラインを眺めながら、そんな奇妙な感覚に襲われることが増えてきた。投稿される作品たちは、まるでベルトコンベアから流れ落ちてくる既製品のように均質で、時に息苦しいほどに整然としている。
三年前までは違った。フォローしていた人たちの作品には、それぞれの手のひらの温度や、描き手の息遣いのようなものが宿っていた。線の荒さや構図の偶発性、色の選び方に個性があった。時には明らかな「失敗」が含まれていることもあったが、それすらも愛おしく感じられた。誰かの手が震えて生まれた線には、その人の生きざまが映し出されていた。
その頃のSNSには、まだ「待つ」という行為が息づいていた。好きな作家の新作を心待ちにし、深夜に更新された小説の続きを読むために夜更かしをした記憶がある。創作には時間がかかるものだという了解が、見る側にも作る側にも共有されていた。
AIによる生成技術の発達は、確かに多くの領域で素晴らしい恩恵をもたらしている。医療現場での診断補助や、障がいを持つ人々の表現活動の支援など、その価値は計り知れない。だが一方で、創作における「労苦」を排除してしまうことの危うさも感じずにはいられない。
かつて、写真の普及により絵画は衰退すると考えられていた。しかし実際には、絵画は写真とは異なる表現の可能性を追求するようになった。AI生成と人間の創作の関係も、似たような道をたどるのだろうか。私はそう信じたい気持ちがある。だが、写真と絵画の関係との決定的な違いがある。AIは「学習」という名の模倣を通じて、人間の創作物そのものを原料とする。そして、その速度と量において圧倒的な差がある。
日本の伝統工芸に目を向けると、木地師や陶工たちは「手間ひま」をかけることに価値を見出してきた。木を削る時の削り過ぎや、窯変による予測不能な釉薬の変化。そうした「不完全さ」や「偶発性」こそが、作品に魂を吹き込む。侘び寂びの美学は、機械的な完璧さではなく、むしろその逆にある「人間らしさ」の痕跡を尊んできた。
私たちは今、技術の進化によって「労苦」を省略することと、それによって失われるものの間で揺れ動いている。一枚の写真を撮るために山頂まで登る行為は、単にその風景の画像データが欲しいという目的だけでは説明できない。同様に、手間のかかる創作活動には、完成した作品だけでは測れない価値がある。
――では、私たちにできることは何だろう。
まず考えたいのは、作品の受け手としての姿勢だ。生成されたファイルではなく、誰かの「消息」として作品を受け取る能動的な行為。完成度や技術的な洗練よりも、そこに込められた意図や思考のプロセスに耳を澄ます姿勢。私たちは単なる「消費者」から、作品との対話者へと自らを変容させる必要があるのかもしれない。
一方、創作者側にできることもある。ラフスケッチや失敗談を共有したり、AI技術をどのように、なぜ使用したのかを率直に語ること。そうした開示は、鑑賞者との信頼関係を築く土台となる。技術の進化によって変わる創作の形を隠すのではなく、その変化そのものを創作のテーマとして引き受けていく勇気も必要だろう。
AI生成の波に抗うのではなく、その波の中に「人間のざわめき」をいかに残していくか。それが今、私たちが問われていることではないだろうか。世界がますます効率と生産性を求める中で、あえて「無駄」や「回り道」の価値を見直すこと。クリックひとつで生み出せる均質な美しさよりも、時間をかけて育まれる多様な凹凸を、未来へと残していきたい。
タイムラインを埋め尽くすガラス玉の海に、私は小さな石ころを投げ入れる。それは完璧な球体ではなく、欠けた部分もあるかもしれない。しかし、その凹凸こそが水面に波紋を広げ、静寂を破る。AI技術が加速度的に発展する時代だからこそ、「手間ひま」をかけて生まれた作品が持つ、かけがえのない価値を見失わないでいたい。
かつてSNSで交わされていた、人間同士の温かな共感や発見の喜びを、新しい形で取り戻していくための旅が、ここから始まる。それは楽観的な希望というよりも、静かな決意に近い感情だ。技術の海に溺れるのでもなく、岸に留まるのでもなく、その波間を泳ぎながら、自分の言葉を紡いでいく。
現在進行系でベルリンに住んでる勢です。(と言っても2年くらいなのでまだまだ新米という感じ。)
ドイツといっても、首都ベルリンに関してはかなり毛色が違うので、自分の視点で色々してみる。
メインで使ってるのは英語なので、ドイツ語は簡単な文法と定型フレーズが使える程度で全然話せません。
あと単身なので、家族で済むとかになると全然話が違ってくるかとは思います。
(日本にいたときから病気も怪我もほとんどしたことがない人間です)
ビザの時点で任意保険加入必須で、保険証明書で病院での支払は免除になります。保険料は月2万円弱(多分年齢や属性による)
ストはありますねー。多いときで週の半分くらい地下鉄が止まるのが月2回とかそんな感じ。
地下鉄、地上線、トラム、バスと4種類あって、半分くらい止まるのでそれ以外のルートでなんとかするイメージ。
困るには困るけど、よくあることなので、職場とか学校は事前連絡が来ます。
東京でいうと、台風とか雪で電車止まるかも!ってのと同じくらいの頻度だと考えるそこまでひどい話でもないのでは?
ベルリンは公共交通の本数自体は東京並みに多いので、定時運行が崩れたとてそんなに困ることはないです。
バス・トラムのチケットが電車と共通で、乗り換えがスムーズなのも良いところ。
別の都市に行くときとかはD-barn(日本で言うJR。ドイツの都市同士を繋ぐ路線)を使うのだけれど、
そのダイヤ乱れは本気でやばい。2時間遅れとか全然ザラ。アナウンスが流れるとみんな諦めて時間を潰しに行く。
あと、座席の予約システムが、「予約されてなければ自由席」という謎スタイルで、予約しているかどうかの表示も曖昧なので、
予約したのに人が座ってる・・・。ってことも割とある。あとは、当日車両編成が変わってて自分の座席がないとか。
現地でもこのあたりのサービスの悪さは定評がある。
D-Barnは定時運航率50%切るらしくて、そのせいでスイスとの相互乗り入れがなくなったらしい。草。
ヨーロッパの中では相当良い方。他の国でよくある、繁華街のひったくりの心配はほぼ無し。
目安としては「深夜の地下鉄に女性が一人で乗っても大丈夫」というレベル。
(他国の話だと、イタリアのローマ中央駅でパスポートごとハンドバッグをすられたのは今でもトラウマなので、個人的にここはかなり重要ポイント)
ただ、
・道端や電車の中で物乞いをする人(ただ座ってるのではなく積極的に話しかけてくる)
みたいなのはたくさんいて、それを体感治安としてどう捉えるかは人次第かと。
あと、マリファナは現状かぎりなく白に近いグレーなので、公園によっては売人が佇んでたりとか。
旧東ドイツエリア(Neuköllnとか)に行くと、あきらかにガラが悪くなって面白い。
イメージは歌舞伎町とかが近いか。しょっちゅう歩くけど、雰囲気以上の実被害はない。
生粋のベルリン育ちの人からすれば、自分ら東アジア系が我が物顔で歩いてるのも「得体のしれない」度では変わらないだろうし
そういうのはお互い様だと思ってる。
ベルリン御当地ネタの定番が「店員に”わたしドイツ語喋れないから英語でお願い!”って言われた」になるくらい。
電車に乗ってると半分以上はドイツ語以外の言語を話しているし、
ケバブ屋でよく見るトルコ系に関しては移民3世の「トルコ系ドイツ人」であることも多くそもそも彼らは外国人じゃない。
シリア系もそのうち同じような立ち位置になっていくはず。いわゆるヒジャブしている系のムスリムもたくさんいます。
EU圏はビザ無しで相互就労可能なので、フランス語やらスペイン語も飛び交ってます。
日本でいう現地人/外国人とか、外国人=観光客、みたいな単純な線引きは一切できません。
バリやロンドンで噂に聞くような「移民で都市サービスが崩壊してる!」みたいな事象は一切感じたことが無いです。
なんとなくコミュニティは別れているし断絶もあるけど、秩序は保たれているように見える。
の2パターンがあると思うけど、(1)に関してはベルリンでも、観光で訪れた他の都市でも1度もないです。
(自分の海外経験でいうと、フィリピンの地方を歩いてると「韓国人?韓国人?」って感じで子どもが笑顔でついてきたことが一度あるくらいか)
(2)に関しては、渡航当初は何度かあったけど、ドイツ語で簡単なやり取りができるようになってからは全くなくなったし、みんなフレンドリーに接してくれる。
これもよく言われる話だけど、「あいさつ」「笑顔」みたいな社交コードがないと、そういう対応を受ける可能性はそれなりにあると思う。
日本の町中で中東系っぽい男性が仏頂面でこっちにきて、なんだかわからない言語で話しかけてきたとして、笑顔で対応できますか?
これ、実際は中東系じゃなくてインド人だし、なんだかわからない言語、はインド訛りが強いだけで実は超シンプルな英語で話しかけているのかもしれない。
ヨーロッパ系の人からすれば日本人と中国人の区別なんてつかないし、日本訛りの英語はなかなか通じないことが多いので、向こうからすると多分似た感じ。
こっちに来て思ったのは、「国を超えても、結局は社会的同質性の近いコミュニティに属することになるから、日本と対して変わらん」
そもそもドイツ人って誰?という話は先に述べた通り。街に出れば多人種で溢れているので、店先のやりとりも異文化コミュニケーションのほうが多いくらい。
自分は英語のコミュニティで生活しているので、リベラルかつ多文化リテラシーの高い人ばかりだし、
Slackで「今度ユーロ議会の選挙があるから、極右政党の進出を止めよう!」みたいなのが平然と流れてきます。
そうではない「大多数の一般人」とは接点の持ちようがないし、おそらくそこには隔絶があると思う。
事実として、AfDみたいな極右政党が順調に議席を伸ばしているわけだけど、少なくてもベルリン、かつ私の生活範囲では当面大きな変化があることはないのではと思う。
自分はこうした多様性で恩恵を受ける側なのでこうした状況は好ましく思えるけど、それで自分たちの居場所が奪われると感じる現地の人もいるだろう、という想像力は持ちたい。
「値段の割にクオリティが低くてがっかりすることが多いから開拓する気がなくなる」
一言でいうと、
「うちのスペシャリテだぜ!って言って出てくるのが焼いた肉にソースを掛けただけ」
という感じ。
おそらくだけど「美味しいものを食べる」に対する期待値と感度が違いすぎる。
外国人がやってる料理(アジアンとか中華とか日本料理とか)もそれに引きずられて、
日本人からすると、今ひとつ美味しくない感じになってることが多い。
ビール・ソーセージは既製品なのでそもそもレストランで食べる必要がない。
カリーブルスト?まじでフランクフルトにカレー粉かけただけだよ、なんであれが名物ヅラしているのか本気でわからない。
日曜日やクリスマスシーズンは広場に屋台が並ぶのでいろいろ試したけど、正直どれも想像を超えない味だった。
外食で唯一定期的に食べたくなるものはケバブ(Döner)。ベルリンの誇るべき名物といっていい。
味の付け方とか、野菜のバランスとか店によってちゃんとこだわりを感じる。
料理が趣味なのでドイツ料理の本を何冊か買って一通り作ったのだけど、
文化としての「ドイツ料理」はちゃんと存在しているし、独自性もある。
畜産品、特に加工製品のクオリティはやっぱり高い。誇りを感じる。
ソーセージはまじで美味しいし種類も多い。
ソーセージはドイツ語だとWürstなんだけど、これは「肉製品」くらいのカテゴリで、
レバーペーストとかパンに乗るスプレッドタイプ(Teewürst)、なんなら味付けして真空パックされた生肉(Metwürst)とかも含まれます。
ビアシンケンみたいな日本もよく見る薄切りハムも、食べてみると全然クオリティが違う。
寿司のクオリティがが日本とそれ以外の国で違うように、肉の鮮度や加工法とか、根幹となるレベルがそもそも違うんだろうな、という感じ。
バラエティも多くて、血を使ったやつとか、ゼリー寄せになってるやつとか、全部うまい。日本では絶対食べれない味ばかり。
バラ肉ベーコン(Bauchspeck)も炒め物やスープに入れると風味の主役!って感じ。
じゃがいもは、日本でいう「インカの目覚め」みたいな味が濃くてネットリしたやつ(Festkochened)が主流で、
さっき行ったバラ肉ベーコンとカリッと炒めるとうまい。スープにしても良いし、グレーターで削ってロスティにしてもいい。
野菜やスープ(Suppe)や煮込み料理(Eintopf, Gulasch) も、だし・乳脂肪分、ハーブの組み合わせに説得力があって、
日本と違ってこれが1日のメインディッシュになるのもわかる、という感じ。
ちょっといいスーパーに行くと、春は白アスパラ、秋はきのこ、冬は根菜、という感じでちゃんと「旬」があるのも嬉しい。
野菜は日本のより若干固くて味が濃い感じで、料理のしがいがある。
マーケットで生のポルチーニ(Steinpilz)がキロで売ってて、初めて食べたが絶品だった。
(ドイツ人にSteinpilzうまいよね!っていったら「なにそれドイツの食べ物じゃなくね?」って言われたけど)
日本の「焼き立てで美味しいパン」って大体フランスのブーランジェリー系だけど、それとは若干方向性がが違って、発酵なにそれおいしいの?みたいな趣。
ライ麦や、ひまわりの種やかぼちゃの種を練り込んで、どっしりとしてる。美味しいし、安い。
前述の肉製品を乗っけたり挟んだりするスタイルとめちゃくちゃ相性が良くて、それだけでに美味しく1食分になる。
というかドイツ人はまじで加工肉・パン・チーズだけで3食過ごしてる。
あと、日本で言うプレッツェルは、こっちだとアルカリ溶液を使ったLaugenという生地のパンとして、
いろんな形状と種類がある。香ばしくて塩気が効いてうまい。
ビールは外せない。ドイツ料理においては、アルコールと言うより、白米的なポジションだと思う。
まず種類が多い。「世界のビール」の多様性が、ドイツにおいては「何の変哲もない普通のLagar」という1ジャンルに収まってしまうくらい。
乳酸菌発酵したやつ(Weizen)とか、肉並みにコクがあるやつ(Oktoberfest)とか、ビールの概念が拡張されまくる。
輸入ビールにも寛容で、チェコの黒ビールなんかも余裕で買えるし、日本食ブームだから、アサヒ・キリンも普通に売ってる。
ただ、ある程度時間が立つと舌が慣れてきて、もう安いブランドの箱買いでいいやってなる。
中華料理の材料とか、南アジア系のスパイスが日本よりも手に入りやすいのも自炊勢としては楽しい。
ちなみに、ハンブルグとかドレスデン、ウィーンあたりも遊びにいったけど、
スーパーのレパートリーはそんなに変わらなかったのでこのあたりはドイツ共通かと。
公共サービスとか物価、税金についても書こうと思ったけど、食べ物が長くなりすぎたのでこのへんで。
あくまで「外国人として」ではあるけど、慣れてしまえばそんなにストレスがないし、
部屋に飾ったり車に載せたり、肌身離さず持ち歩いたり。ぬいと共にある生活はきっと彩に満ちていることでしょう。
「ぬい」ことぬいぐるみ。動物はもちろんヒト型、無機物まで様々で、2次元のキャラクターだったり、3次元のアイドルだったり、2.5次元なんてのもあるご様子。
さて、件の「ぬい活」。よくSNSに流れてくる写真なんかでは、ぬいぐるみたちはそれはそれは可愛らしく着飾られ、美味しそうな食べ物や美しい景色と共に画に収められています。
食事の席で手垢やらのついた布キレを出すな、などと野暮なことは申しませんし、他人の趣味をどうこう言う気は毛頭ございません。
ただ増田は、そうした写真や動画を見る度に、なんだか気まずい思いを致しておるのです。
あなたのぬいぐるみ、とても素敵なお洋服をお召しになっておりますね。既製品ですか?手作りですか?
どっちでもいいですけど、そのキャラクター、男の子ですよね??
どうしてそんな可愛らしいフリフリのワンピースをお召しに???
彼は確か、運動部に所属する、特に性的違和のない、ストレートな男性のはずでは???
そちらのぬいぐるみもとても素敵ですね!もこもこした、ネコちゃんの着ぐるみ!!
そういえばそのキャラクター、設定上40歳を超えていませんでしたっけ???
まあ、このような感じで、ぬいぐるみのモチーフとなったキャラクター(人物)と、着せられている衣装とで、とんでもないギャップがあることってありますよね。
……なんて思わないわけでもないですが、なんというか、その
……フィギュア魔改造とか、アイコラみたいな、気まずさがないですか?
もちろん広く人の目にふれて問題があるか、ないかは大きな違いかもしれませんが、
たとえば、ぬいぐるみが3次元の女性アイドルをモデルにしていて
それに衣装として実際着たことのないナース服やメイド服(あえて水着やボンデージとは言いません)を着せていたら
2次元と3次元で事情は違うでしょうけれど、その人物本来のイメージとかけ離れた衣装、というのは、あまり大っぴらに見せつけるものではないのではと思うのです。
イラスト等に関しては、男性向け界隈ではどんな服装でも大抵広く受け入れられますが、女性向け界隈では性的なものでなくとも、異性装やコスプレに関しては注意が入ることがあるようです。
昨今様々なところでゾーニングの必要性が叫ばれますが、ことぬい活に関してはあまり聞きませんね。
増田としては同じだろと思うのですが。