
はてなキーワード:方策とは
問題は、琉球の独自性自体は歴史的事実であって、琉球の歴史的権利を尊重するべきであるということ自体は正論だということなんだよな。
琉球王国は、どう考えても軍事的にムリヤリ併合されたわけで、沖縄県が日本領であることが歴史的不正義と言われればそれはそう(ちなみに、アメリカはハワイ王国の滅亡に関してクリントン政権のときに謝罪している。日本も琉球王国を滅ぼしたことを謝罪すべき)(もちろん中国によるチベット侵攻も不正義なので、中国はチベット併合を謝罪して正統なパンチェン・ラマ11世の居場所を明らかにし、ダライ・ラマ14世の後継者問題にはノータッチであるべきだ)。
琉球人は国際的な先住民族の定義にきれいに当てはまるにもかかわらず、日本は琉球人を先住民族とは認めていない。これは間違っているので、琉球人を先住民族として認定しなければならない。
また、沖縄語をはじめとした琉球諸語が日本語とはまったく異なる言語であり(確かに同じ日琉語族ではあるが、同じ語族であることは同じ言語であることを意味しない。個人的には琉球語が九州語の内系統であり日琉祖語から直接分岐した系統ではないという説に魅力を感じるが、しかし、比較言語学的な分岐の年代と言語としての独自性は別の話だ。日本語と琉球諸語との違いは、デンマーク語とスウェーデン語の違いよりも明らかに大きい)、保護・尊重されるべきであったにもかかわらず黙殺・抑圧されてきたこともまた事実だ。
さらに、日本の戦争指導によって、沖縄戦という地獄が現出し、多くの文化財が失われ、多くの琉球人が強制的に自決を強いられたり殺されたりしたというのは、本土の日本人が忘れてはいけない琉球への負債だろう(余談だが、ウクライナ戦争とかでとんでもないことを言う沖縄の左翼がいるのも、こういう歴史的経緯からはまあしゃーないと思う。防衛戦争の名目でご先祖様を自国軍に殺されたんだから、そりゃ、防衛戦争は悪! 防衛側の軍はさっさと降伏しろ! っていう発想の人が一定数出てきちゃうのは仕方ないよ……)(賛同しているわけではない、念の為)。
もちろん、現在の琉球の人びとが日本国民としてのアイデンティティを抱いているのは事実だし、沖縄県内の選挙で琉球独立派は泡沫候補としての票しか得られていないし、彼らが中国への併合に同意する日が来るとは思えないので、政治的な帰属の問題としては現状維持でまったく問題ないだろう。だがそれは、日本が琉球の民に行ってきたことが免罪されるということを意味しない。日本は中国の横槍を粛々と無視して、正面から琉球問題と向き合うべきだ。つまり、琉球に対して日本が行ってきた不正義を認識し、是正のための方策を探るべきだ。
ランダウ–ラングランズ的な双対性の直感を、位相的・圏論的な巨大場として再構成する作業は、もはや単なる対応命題の確認ではなく、数学的実在の階層構造を再階層化する営為へと移行している。
ここで重要なのは対応自体が一つのモノイド的作為ではなく、∞-圏の層状化した自明化可能性の表現であるという読み替えである。
最近の成果群は、従来の局所・大域の二項対立を溶融させ、曲線・局所体・解析空間といった古典的な基底を、より普遍的な空間の記述可能性(representability)の観点へと置き換えてしまった。
具体的には、ファルグ=フォンテン曲線を舞台にした幾何化は、局所的表現論を圏的スペクトルの上に載せ替えることで、従来別個に扱われてきた表現(自動形式的対象)とパラメータ(L-パラメータ)を、同一の圏的心臓部で同時に構成可能にしたことを意味する。
この構成は単に対応が存在することより深く、対象自体を再定義してその同値関係を圏の中心や内部終対象の言葉で記述することにより、対応が生まれる必然的環境を示した点で画期的である。
同時に、グローバル側の道具としてのシュトゥーカ(chtoucas)的技法は、関手的・代数的な操作を用いて場のモード分解を行い、その分解が示す不変量を通じて大域的パラメータ化を達成する方策を具体化した。
ヴィンソン・ラフォルグの仕事群は、こうしたシュトゥーカの立型化によって、関手的に取り扱える大域的パラメータ空間を提示し、局所的構成との繋がりを媒介する新たな環を与えた。
結果として、言語的には表現→パラメータへの写像がベキ乗的に分解できるだけでなく、その分解自体が可逆的な圏的操作として認識され得ることが示され、これが大域的Langlands構想の新しい正当化になっている。
さらに最近の数年間における動きで決定的なのは、モチーフ論の解析的拡張が進んだ点である。
従来モチーフは代数多様体上の普遍的コホモロジーという観点で語られてきたが、ショルツェらによるベルコビッチモチーフ(Berkovich motives)や関連する解析的・アーク的降下法は、可換性や双対性に関する新たな剛性条件を与えることで、代数・複素解析・非アルキメデス解析を一枚の理論で織り上げた。
モチーフを単なる数論的核から、解析的スタックや圏的双対性を自然に持つ対象へと格上げし、Langlands的双対性の受け皿を拡張した。
こうしてモチーフとLanglands対応は、もはや互いに独立した二つの理論圏ではなく、同じ∞-圏的言語で発声される現象に変わった。
そして最も劇的な変化は、最近公表された一連の大規模な仕事群が、幾何学的Langlands命題の本質的な形を証明し得たことにより、これまで隠れていた構造的要請が顕在化した点にある。
これらの証明的努力は、従来の和声的・解析的手法を超え、圏的分解、局所–大域の整合、そしてモチーフ的双対性が同時に満たされるような動的な証明環境を構築した。
重要なのは、この到達が単なる命題の解決に留まらず、数学的対象の定義域そのものを書き換えるような再帰的メタ構造を与えたことであり、以後の展望は新たに定式化された圏的正規形とその変形理論を追うことで開かれる。
結果として、Langlandsプログラムとモチーフ理論の接続は、従来橋をかける比喩で語られてきたが、今や両者は共通の言語空間の異なる座標表示に過ぎないという段階に達している。
ここでの言語空間とは、∞-圏とその可逆化可能な中心、アーク的・ベロコビッチ的降下法、そしてシュトゥーカにより生成されるファイバーの総体を指す。
その内部では、表現論的計量(harmonic analysis 的なスペクトル)と数論的モチーフの普遍的ファンクターが互いに鏡写しになり、操作が圏的に昇格することでパラメータ化は動的な自己相互作用として理解される。
これが意味するのは、将来の進展がもはや個別の定理や技法の追加ではなく、数学的対象を包摂するより大きな構成原理の発見と、それを支える新しい圏的インフラ(解析的モチーフ、Fargues–Fontaine 的基底、chtoucas の動的再解釈)に依存するということである。
読み手がもし、これをさらに運動方程式的あるいは力学系的なメタファーで読み替えるなら、ラングランズ系とは無限に多様な対称性とその破れ方が−同値関係としてではなく−力学的な遷移として定義される場であると結論づけられる。
その意味で、最新の進展は単に既存のパズルのピースを嵌め直したのではなく、ピースそのものを再設計し、新しい接着剤(∞-圏的双対性、解析的モチーフの剛性、シュトゥーカ的ファイバー化)を導入した。
この新しい設計図を受け取った数学は、今後、従来とは異なる方法で「表現」「パラメータ」「モチーフ」を同時に扱うための合成的技術を展開するだろう。
よく言う「失われた三十年」って「バブル崩壊後の日本は舵取りを誤り、得られたはずの莫大な国家的もうけが失われた」っていうナラティブじゃん?
最近のアメリカ追っかけてると「アメリカのGDPの何%がカリフォルニア周辺に集中している」「カリフォルニア以外のアメリカ諸州は何十年も成長してない、ニューヨークですら終わってる」「日用品の消費支出が上位10%に集中している」みたいなプロパガンダが増えてんだけど、すげえどっかで聞いた話じゃん? 「日本は成長を拒否して世界で一人負けしている」みたいな言説と上手く整合しないわけよ。んで来日したトランプいわく「JAPANIS BACK」なんだろ? つまり日本は故・安倍首相の「日本をトレモロす」を完遂したという認識なんだろ? でもアメリカは「MAKE AMERICA GREATAGAIN」なんだろ? いや日本はもう長期不況とも言いたくない不況に喘いでんだよ、アメリカを始めとする欧米先進国が堅調な成長を続ける中で水平飛行してるだけで何も取り戻してねえはずなのよ。
そもそもバブルの生成と崩壊に端を発する失われた三十年がどう始まったかって言うと欧米諸国が抱えていた対日貿易赤字の解消を図るべく結ばれたプラザ合意による急激な円高だろ? つまり欧米諸国が戦後復興を遂げた日本の輸出拡大を人工的な近隣窮乏化政策であり文化的な下地や技術力の差を表すものではなく持続性のない現象と見て、公教育の拡充などの根本的解決ではなく通貨操作によって日本経済を潰すという方案で解決を図り、なんやかんやあって日本は生産の縮小を余儀なくされ人財の供給過剰を起こしカスの自己責任論を唱える氷河期が生まれたわけだろ?
その見立てが間違っててさあ、「一時的な現象の回避のための市場操縦」 によって産業の空洞化、基礎工業力の喪失、教育水準の持続的な低下が起こり、市場に注入した税金は全部西海岸に喰われて、インフレ率だのGDPだの金額ベースの指標は西海岸への富の移転によって価値創造された物でしかなく実際のモノの供給は無く、その虚飾の裏で米国の大部分は日本の地方都市を超えるペースでひっそりと荒廃が進んでおり、焼け野原の途上国だったチャイナに外注してコストダウンを狙う方策は単に日中双方に塩を送る以上の意味を持たなかったし、ビンラディンはジェット機でニューヨークに突っ込んでくるし、インド外注に至っては国内のIT全部食われてカースト制度持ち込まれてやばくて米国内に広く深く絶望が広がってるってのが現状なんじゃねえか?
今のトランプ「政権」がやってる事ってマジでメチャクチャでさ、ホワイトハウス報道官が「報道官、この決定は誰が下したものですか」って聞かれて「毎日毎日私のメールボックスに訳分かんねえクソみたいな質問ばっか投げてきて知らねえよてめえのママだよ」って発狂して「先程の報道官による『てめえのママ』が決定を下したという立場は連邦政府の公式見解です」って補足が出るとか、トラちゃんが「大統領、麻薬戦争に対してですが議会に対して宣戦布告を要求なさらないのですか」って聞かれて「いや…必ずしも宣戦を布告するということは考えてない。つまりだ…連中が麻薬を持ってやって来るわけだろう…その連中を殺害する。死ぬわけだ。わかるか…死亡するんだ。だから宣戦布告ということは考えてない」つったり、殆ど機能してない政府健康保険制度を潰す予算案が通らないからって予算案丸ごとストップさせて、貧困層向け食料購入補助が止まることになって、政府サイトに「民主党連中が政府をストップ中! ただいま12日 34時間 56分」ってバカみたいな掲示出したりしてんだわ。あとホワイトハウスの東館ぶっ壊したりな。
そんなバカばっかやって法律や議会はどうなってんだよって思うじゃん? 例えば政治的な意見の相違や利益相反の規制を棚に上げてじゃあ東館の建て替えに伴う建築確認申請や環境アセスメントやアスベスト対策や周辺住民の公聴会はいつ開かれたんだとか思うじゃん? 知らねえよぶっ壊すんだよ。それを誰も止めねえんだよ。誰も。
そんでそういう日米双方のメディア情報を見ながらさあ、あからさまに米国国務省の手先みたいな事ばっかやってる進次郎が首相蹴られて防衛大臣に就いて、トランプがアベちゃんの事考えてんのか知らんけど渋い顔してやってきてさあ、「JAPANIS BACK」つってさあ、それと「失われた三十年が無ければ日本は成長していた」が俺の中で噛み合わねえのよ。実際の所どうなのよ。
フェルスタッペンと角田の予選のタイム差が縮まるのはそれ以外に要因が考えられない。
それなら旧型フロアに戻したら良かったのだろうけれど変にFP2でトップタイムなんて出してしまったものだから決断ができなかったんだろうな。
新型フロアの調子が出ないのが、特性の理解不足なのか、それとも根本的に設計が駄目なのかはまだわからない。
今年は、どのチームもずっとこの調子だな。
結局ウィングの改良が一番効果があった、とかいうのが悲しいところ。
なぜならレギュレーションの抜け穴をつくような、たわむウィングの開発が功を奏しているからだ。
メキシコで来季のドライバー体制が発表される予定なっていたのが延期された。
その要因を邪推するに、角田にクビを通告することにより今後のレースで角田が好き勝手するのを抑制するためだろう。
イモラ以来、ほとんどクラッシュをしなくなった角田だが、その理由は無理をしていないからだろう。
それが現状のスピード不足の要因の一つでもあるはずだ。
そういった抑制された態度は、ドライバーシートを来年も確保することがインセンティブとなっている。
その抑制の動機を無くすことで、解き放たれた角田がもっと自分優先でギャンブルを始めたら、フェルスタッペンのドライバータイトル、チームとしての順位争いに大きな影響が出る。
そのことを回避するためのラインナップ発表の延期だと思われる。
本来、フェルスタッペンのドライバータイトルもコンストラクターの順位争いも、今年は終わっていたはずだった。
それが突然のマシンの復調とマクラレーン不調とで行方が変わり始めた。
ホンダとの契約で角田を今シーズン途中でレッドブルのシートから下ろすのは非常に困難なのだろう。
ホンダが角田をレッドブルに乗せるために相当な金額が動いたと言われているが、それはレッドブルのコストキャップに有利に働いたのではないか?
しかし、もしも角田を下ろせばそこの部分が崩れてしまってどうしようもなくなるのだろう。
ゆえにドライバーの発表も出来ない、というわけだ。
まあ角田とローソンはレギュラードライバーとしてはクビで間違いないだろう。
しらんけど。
国会などの議会における男女クオータ制(男女が半々になるような政治制度)を支持する人たちに対しては、割と根源的な不信感がある。
それは「結局お前らはどういう制度にしたいんだ?」というのが見えてこないことだ。
現在の日本における衆議院は小選挙区比例代表並立制であり、議席の過半数は小選挙区制のもとで選出される。小選挙区制である以上、仮に政党の候補者が完全に男女平等でも当選者がすべて男性になるという事態は起こりうる(すべての選挙区で男女の一騎打ちとなり、いずれの選挙区でも僅差で男性候補者が勝利する、という事態を想定してみてほしい)。
もちろん、「実際にはそんなことになる確率は低いので、候補者の同数さえ義務づければそれでいい」というのも一つの方策ではある。しかし、では結果的に男性だらけの議会になったとしても「これでよい」と言えるのか。言えるならそれでいいが、言えないのだとしたら、そのようなことが起きないような制度にせねばならない。
小選挙区制を堅持しつつそのような事態を防ぐためには2つの案が考えられる。第1が「女性専用選挙区を作る」というものだが、これは性差別であって憲法に抵触するだろう。「生まれ育った◯◯選挙区で立候補しようとしたが、性別が男なので立候補できない」というのが民主主義の観点から問題があるのは誰もが理解できる話だ。
では、もう1つの案「男女ペアで立候補させる」はどうか。これはフランスで採用されている。これなら上に書いた問題はクリアされているが、しかし、単純に考えて議員の数が倍増するわけだから、国会議員の数が今の倍になることを許容するか、今の議員数を維持するために選挙区を統廃合するかのいずれかが絶対に必要である。
あるいは、小選挙区制をやめて完全比例代表制に転換するという道もある。これなら男女クオータは簡単だ。名簿の上から男女を交互に配置すればいいだけの話だからだ。ただし、「小選挙区制の方が望ましい」と考える人が一定数いて、小選挙区制が必ずしも不合理な選挙制度とはいえない以上、まずは彼らを説得し、納得してもらう必要がある。
要するに、クオータ制を実現するためには「比例代表制への転換」「議員数の倍増」「選挙区の統廃合」のどれかが絶対に必要なのだから、クオータ制クオータ制って簡単に言うけど制度を大きくいじくらないといけないことに気づいてる? ということだ。このことに気づいていないなら馬鹿だし、気づいているならどういう選挙制度にすべきか言わないのは不誠実だと思う。
人には優先順位ってものがあるわけですよ。地域代表や意思決定の迅速さを重んじて小選挙区制を支持している人たちは「まず小選挙区制、次に男女クオータ制」という優先順位でものごとを推し量るわけだから、たとえば「男女クオータ制実現のために比例代表制にしましょう!」と言われても頷けるはずがない。逆に比例代表制の支持者が「じゃあ議員数を倍にして小選挙区制でクオータ制を導入しよう!」という案に賛成できるはずもない。クオータ制論者からするとクオータ制が実現されさえするならどっちでも構わないのかもしれないが、そういう優先順位を持っている人は少数派なのだから、「とにかくクオータ制の実現を!」と言われても「どういうクオータ制かわからんなら賛成反対以前の問題だろ」としか答えられない。
だいたい、クオータ制だと「女性による女性のための女性党」みたいなのも禁止されるんだけど、それをわかってるんだろうか? たとえば自民党や立憲民主党の議員の半数を女にするだけじゃなく、フェミニスト党(仮)の議員の半数を男にする必要もあるんだけど、そういう政党を作るつもりはないから構わないということなのか?
(これは冗談じゃなく、仏パリ市ではフェミニスト市長が市役所の幹部の7割を女にした結果「はい男女平等法違反で罰金ね」と言われてブチギレるという喜劇が起きている。お前が始めた物語だろ)
ちなみに個人的には、比例代表制にしたうえで、各政党の候補者名簿を上位から3人ずつで区切っていったときにその3人には男女が1人ずつ含まれていなければいけない、くらいのゆるいクオータ制がいいと思う。これなら、たとえば男女比が2:1のフェミニスト党は結党できることになる(候補者名簿を女女男女女男……と配列すればよい)ので、男女平等と結社の自由を両立できてると思う。
Permalink |記事への反応(15) | 05:11
https://anond.hatelabo.jp/20250927155350
これ見てて思い出したけど
結構力作で面白いのもあったけど1話100ビューでそこから減ってくわけ
って言っても全然乗ってこなかった
それに比べると元増田はずっとましな方で
Xとかnoteとかはてブとかに上手い紹介をして呼び込まないといけない
だから俺は思ったんだ
俺みたいな人間は面白い作品を積極的に宣伝する責務があるんじゃねえかなって
俺は小説なんか書きたいと思わないけどもっとくだらねー雑文で数万数十万ビューはいつでもとれる
そういうことが出来ない作者のページに人の目を呼び込んだらいいじゃないかと
クソ作品量産して宣伝ハックばっかりしてる広告屋みたいな作家か
作品執筆だけして宣伝の話されただけで顔を曇らせて耳塞ぐような清貧極まった求道者みたいな作家か
いい作家=社会性欠如みたいなステレオタイプを作家自身が受け入れることで
問題なのは、反トランスは「思春期の気の迷いさえリベラルがトランス扱いして手術を受けさせる」と騒ぐが、そんな事実はなく、思春期には時間をかけて自分が本当にトランスかどうか判断する時間を設けつつ、可逆的な範囲で性別移行を試しにしてみるという方策が取られていることだ。トランスジェンダー医療においてホルモン治療や外科的手術は慎重になされていて、むしろ慎重すぎて待機列が膨大に長くなり、本当に必要なのに治療を受けられず数年待たされる(その間に自殺する人もいる)というのが問題になっている。
未成年のトランスジェンダー医療においては、まず医療的措置はせず、学校等で当人の望む性別で振る舞うことを認めるなど、社会的な移行が推奨される。それで「やっぱり違う」となれば、簡単に元に戻せる。しばらく見て移行に満足しているようなら、次は希望する者に思春期ブロッカーが使われる。これは普通の子供でもホルモン異常で第二次性徴が早すぎる場合などには使われるものであり、一時的に第二次性徴を保留し、投薬をやめればスムーズに第二次性徴が復活する可逆的な治療だ。トランスジェンダー医療では、未成年にはせいぜいこのレベルまでの治療しか認めないのが標準となっていて、むしろ社会面での安定とメンタル面でのサポートがメインとなる。思春期ブロッカーは高額なのもあり、ここまで辿り着ける家庭も少ない。
いわゆるホルモン治療はこのあとに来る。数年の思春期ブロッカーの末に、希望する性別で暮らせると判断された場合になされる。MtFの場合には長年にわたる投与で生殖能力が失われることがあるが、FtMの場合には生理は止まるものの、治療をやめたら生理が復活する例が多く、たまに見かける髭の生えたおっさんが子供を出産して抱いている写真などは、そんなふうにして生理を復活させたFtMのものだ。
性別適合手術はさらにこのあとで来るものだが、未成年になされる例は世界的にもほとんどなく(受けられる年齢が高すぎるとキム・ペトラスが訴え、ガイドラインの年齢を引き下げさせた、という例などはある)、また大人でもそこまでは望まない人が多い。金額にしても200万ほどはかかるし、全身麻酔をしての手術となるので、貧しい人や持病のある人はそもそも選択肢と出来ないというのもある。また、FtMの場合は乳房除去(いわゆる胸オペ)のみで満足し、性別適合手術まではしない比率が高い(この点で、「子宮を取りたがる」みたいな見方も偏見に過ぎない)。
この現状で、「思春期だとセクマイだと思い込む人がいる」というロジックでトランスジェンダー医療を攻撃するのは、的外れな上に偏見を助長し、そして現状の慎重で限定的な医療さえ攻撃に晒す(実際、閉鎖に追い込まれたりしている)振る舞いだ。
この本の内容を肯定的に語るにせよ否定的に語るにせよ、こうしたバックグラウンドはすべて知った上で語るべきだろう。当事者やその家族は自分達の人生に関わることなので、大なり小なり知った上で発言をしている。なので、あの本を擁護した人々が責任を持ってきちんと学ぶ意志を示せているかが問題だと思う。
とある成人向けグッズを売っているお店の店員のエッセイ漫画で、女性が入りやすいように工夫をしたという話を読んだ。
単純に考えたら、女性も買うようになって売り上げupって思うだろ?現実は多分大幅な売り上げdownだったんだろうなと。
女性が入りやすいようになったことで、団体で女性が来てわいわいするようになった。
すると、グッズを買いに来ていた男性が今度は恥ずかしくなって常連さんまで含めて買わなくなった。
女の人も入りやすいようにってキラキラ女子を呼び込もうと頑張ったら、男子がいなくなったってことになりそう。
少子化が社会に深刻な影響を及ぼし始めてから、すでに何十年も経ちます。少子化は「いつか対応しなければならない問題」ではなく、とっくに「対応が遅れてしまった問題」になってしまいました。その結果として、労働力不足を埋めるために移民政策を真剣に議論せざるを得ない段階にきているのだと思います。
本来であれば、もっと早く少子化対策を徹底し、国内で持続可能な人口構造を作る努力をしておくべきでした。しかし現実は、保育・教育・働き方改革などの取り組みが後手に回り、出生数は減少を続けています。こうなれば「移民を受け入れるべきか否か」という単純な二者択一の問いではなく、「どのように移民を受け入れていくか」という具体的な議論が避けられなくなります。
実際、政府は既にその「地ならし」を始めています。たとえば、JICAが進めるアフリカ・ホームタウン構想は、多文化共生の可能性と同時に地域の不安や摩擦を浮き彫りにしました。また、インドとの人材交流を拡大する政策は、将来を見据えた高度人材の確保という狙いを隠しきれていません。これらは「いずれ日本は移民を受け入れる」という現実を政府自身が理解しているからこそ進められている布石だと考えるべきです。
ただし、移民をただ無計画に受け入れることは社会の分断や摩擦を深める危険性があります。重要なのは、受け入れる移民の「質」を高めるための枠組みを整えることです。ここでいう「質」とは、単に学歴やスキルだけではなく、日本社会で安心して暮らし、地域に根ざし、共に社会を築いていこうとする意思を持った人々をきちんと選び、支援する体制のことです。
そのための方策として、例えば以下のような取り組みが考えられます。
受け入れ基準の透明化:就労スキル、日本語能力、滞在目的などを明確に示すことで、社会に必要な人材を確保する。
定住支援の充実:言語教育や地域コミュニティとの交流を制度的にサポートし、孤立や摩擦を防ぐ。
労働環境の改善:低賃金・不安定労働に押し込めるのではなく、日本人と同等の待遇で働ける仕組みを整える。
双方向の理解促進:移民に「日本に合わせさせる」だけではなく、地域社会も多様性を受け入れる準備をする。
結局のところ、移民政策は「日本の未来をどう築きたいか」という問いそのものです。国民が思考停止のように「移民反対」と唱えるのは、もはや現実逃避でしかありません。必要なのは現実をしっかり受け止め、少しでも移民政策によるリスクを減らすこと、そして欧州の失敗から学んだ政策を展開することです。これこそが、日本社会が持続可能であるために避けて通れない課題だと思います。
そこはかとなく土人みを感じると思ったら35年前か
医療関係者によると、「カリフォルニアから来た娘」は高齢患者の生活やケアから遠ざかっていたため、患者の悪化の程度にしばしば驚かされ、医学的に可能なことについて非現実的な期待を持ってしまうことにある。 また不在であったことに罪悪感を感じ、再び介護者としての役割を果たそうとする心理もある[2]。
2015年に出版された『ザ・カンバセーション』(原題:The Conversation)では、アメリカの医師アンジェロ・ヴォランデスは、これを「罪悪感と否定」であり、「必ずしも患者にとって最善であるとは限らない」としている[3]。
この言葉は、1991年に米国老年医学会誌に発表されたウィリアム・モ−ロイ博士と同僚たち老年医学者の集団による「無能な高齢者の意思決定:『カリフォルニアの娘』症候群」と題する症例報告で、初めて注目された。ウィリアム・モ−ロイ博士と同僚たちは、精神的無能力(意思疎通困難状態)な患者の気難しい家族に、医療スタッフがどのように対処するかの方策をこの論文内で提示した[4]。
少子化のデメリットが顕在化してきたせいで「無理にでも子供作らせよう」みたいな意見が透けて見える事言うやつ増えたけど、俺は違うと思う。
子育ての適性ない奴に無理やり子供作らせたって反社とかチンピラが増えるだけで社会にとってマイナスにしかならん。
子育て適性のない家庭から子供を守る方策も整備されてないのに少子化で焦って考えなしに子供増やそうとするのは「急いては事を仕損じる」って事だ。
他人のことをよう知らんくせに無責任に「やってみればできるもんだよ」って言うのも気に食わない。そう言う奴はダメだった時に責任取るつもり全くないからね。
「少子化」って言葉のせいで「子供が増えればいい」みたいな勘違いしてる人も多いけど、「真っ当な大人が増える」ってのがゴールだってことをちゃんと考えてほしい。
ただ出生数が増えればいい訳じゃないんだよ。
「藤井七冠が羽生前会長の面前で「女流棋士新制度」に苦言」 という記事が盛り上がってますね。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.dailyshincho.jp/article/2025/08070540/
イチ将棋ファンの私が、ブコメを読んで、思ったことを書いていくよ。
ちなみに私は、「とにかく将棋界は、(将棋ファンの中での話題でなく)一般世間での話題にならないと、将棋界に未来はない」と思っています。人口減で、将棋人口が減るからですね。
藤井七冠の話題はもう勝っても新鮮味もないし、「女性棋士誕生」は、一般世間向けに話題になる。うまくいけば、女子で将棋を始めてくれる子も増えるでしょう。
なので、基本的に今回の「白玲5期でプロ入り」の制度(白玲5期制度、とこれからは書きます)、および話題作りには、個人的には賛成派です。
「ほかのプロ入りをかけて戦っている男性奨励会員を差し置いて、プロ入りさせるのはどうか」というもっともな意見もわかります。
「そもそも女流棋士制度自体が女性優遇の制度なのに、さらに女性を優遇する制度を作るのか」という意見もわかります。
それらの意見もふまえたうえで、私は今回の白玲5期制度に賛成します。
興行なので、「今以上に女性ファンを増やしたいから、女性にリーチしたい。」と考えたときに、女性棋士を誕生させたい、と考えるのはごく自然なことだと思うからです。
弱い人が将棋棋士になっても見向きもされない、という意見はありますが、「女流二強」の福間・西山は、すでにベテラン中堅(つまりロートル)の男性棋士より実力があります。
ただ、前回のプロ編入試験では、プロ編入試験の試験官である若手四段たちに勝ちきれませんでした。ロートルよりも若手の方が、実力が高いのは、将棋界も同じです。
つまり、里見・西山は、今、仮にプロ入りしても、「そこそこの成績は残せる見込みがある(ベテラン勢には勝てそうだから)」わけです。
ただ、「基本、年間4人しかプロになれない」というプロ入りの壁が異様に高いだけです。
なので、興行の面の観点から、強い女性に限って(現状、白玲5期制度にかなう女流棋士は、福間・西山と、次点で中の3人のみでしょう)、下駄をはかせてこの「プロ入りの壁を低くする」のもありなのではないか、と私は考えます。
「ほかのプロ入りをかけて戦っている男性奨励会員を差し置いて、プロ入りさせるのはどうか」という話に対しては、三段リーグの四段昇段者(プロ入りのこと)枠を増やす、それで将棋界全体が食えなくなってしまう懸念があるなら、下位棋士の引退条件を厳しくする、といった改革が必要だと私は思いますが、これは今回の「女流棋士新制度」とは別の話になると思います。
>graynora女性棋士昇格も課題多いが、C級2組の下位ベテラン棋士と三段リーグトップ争いの若手棋士予備軍の棋力が完全に逆転している気がする件については改革されることなく終わるのだろうか…。
下位棋士の引退条件を厳しくする、という「自分たちの身を切る改革」を提案する棋士は、出てこないでしょう。残念ながら。
>Kanemoriプロの平均と比べて、女流は弱すぎる。不利な作戦である振飛車だらけ。想像でしかないが、「角換り」に代表される、プロとしての基本の戦型を、早い段階で教えられずに、棋力がスポイルされてる疑いがある。
将棋界に詳しくない人ですね。「女流は弱すぎる」こともないです。「現在の女流棋士の平均は、プロ棋士よりはやや弱いくらい」だと思います。AIで研究しやすくなった影響はあります。
「不利な作戦である振飛車だらけ」これも間違いでしょう。居飛車・振り飛車はみたところ半々くらいでは?ちなみに、振り飛車にすると「評価値」が1%ほど下がりますが、人間は「絶対にミスする」ので、それで勝敗は決まりません。AI同士の対局だと影響が出ますが。
「「「「角換り」に代表される、プロとしての基本の戦型を、早い段階で教えられずに、棋力がスポイルされてる疑い」これもないですね。単に個人の棋力の差が出てるだけ。
>chopapapa 「里見と西山を特例でプロにします」の方がまだ納得感がある。この2人いなくなった女流で白玲5期取っても本当にプロと言える棋力なのか?
実は私も、 「里見と西山を特例でプロにします」でいいと思っています。「優遇じゃなくて、制度上勝ち残ってプロ入りしました」というタテマエがほしいのでしょうね。
>tomiyai 白玲5期できるなら女流のトップオブトップだし若ければフリークラスでやる棋力はあるだろう…がその前に編入試験に挑戦してるだろうからそっちで受かってほしい気持ちはある。
そのとおり。
>pwkwk将棋人口における女性の割合は本当に少ないし、将棋界の将来を憂いた羽生さんの会長としての置き土産。藤井七冠もいずれその立場に立たされる時に分かるのでは。
羽生さんと、ヒューリック会長(女流棋界の一大スポンサー)の目の黒いうちに、女流棋士を誕生させたい、という意気込みは感じますね。
>mr_yamada個人的には女流のフリクラ編入なら棋力が足りないなら、食えなくなるだけなので問題ないと思ってる。
そのとおり。ただし、女流棋士とは兼業可能なので、プロ棋士で成績が残せなくても、女流棋士で圧倒的に稼げる。
>aga_aga羽生は巨人の肩を過大評価している。将棋人口を増やすならそもそも求められているハードルと年収を下げることすら考慮せねばならず、それで棋界と棋士の生活が持たないならそれが時代の要請だということだろう。
>emanontan女流棋士なんて凄いと思ってる将棋ファンは一人もいない 女子枠のプロも同様の扱いになるだけでしょう 抜け道から入りたいなら好きにすれば良い
昔の将棋ファンには「女流棋士は弱い」という認識の人は結構いますね。棋譜を並べてみればわかりますが、今は「トップ層の女流棋士なら」全然そんなことはないです。AIで研究環境は整っているので。
>nobori_lupin こういう制度で棋士になると、マスコミ対応や広報活動が増えて棋力伸ばす時間が減ることを懸念するなあ。女性に活躍してもらいたいなら、サポート体制に力を入れた方がいいんじゃないか。
優勝賞金を狙える超トップ棋士以外は、皆、普及活動はやっていると思います。
>golotan理屈の上では三段リーグ相当の実力者に一度も勝たなくてもプロになれてしまうというのは、実力を測る上で問題だとは思っていたが。奨励会3段在籍経験などの条件を追加するべきでは
それも一案だと思います。
>umarukun女性に下駄を履かせる制度だと思うけど、それでも普及が必要であるという判断なのかな。
そうです。
>shoutarouchan 今からクイーン白玲になれるぐらいの棋力がある人なら、普通に棋戦に参加したら4割5割は勝つんじゃないかな、それぐらい女流棋士の上の方は強いでしょ
>shibainu1969 「こいつを特例で救うなら、あいつを特例で救ってくれ」という「あいつ」が数多くいるであろう将棋界。「あいつ」はかつての仲間で、自分が上がったために将棋界を去っている。反対する気持ちも分かる。
私も分かります。四段昇段枠は増やしてほしいですね。これとは別案件で
>rohizuya最初期は女子枠棋士と陰口を叩かれる覚悟が必要か…4段になれなかった人からの妬みもあるだろうし。
そうですね。これは仕方ないかも。
>satomi_hanten 今の編入試験のハードルが少し高過ぎる気はするが、現実女流タイトル保持者が四段以上担保されてるかというと疑問なので内心ではみんなそう思ってるでしょ。ビジネス優先するかどうかの話になる。
私には、ビジネスを優先するしか、将棋界の未来はないように思われます。
>behuckleberry02奨励会を勝ち抜くのと女流タイトルを制圧するのは「相手も棋士では無い」という点で質は近い。棋力も先人の奮闘で「奨励会三段リーグ上位」は担保されていると言える。棋力以外の障壁を取り除く新制度は必要だろう。
その通り。
>hasiduki 三段やアマチュアや女流より弱いプロ棋士は全員引退ですね!!!!!!!!!!
それが一番わかりやすく、健全ですが、そうはならないでしょうね。
>shibainu46奨励会は女性を門前払いしてないので、ショービジネスとしての観点からでしょ。棋力は低いことは確定だし、その枠の人と当たることで白星ボーナスになるから不公平が生まれるよね。
そうですね。
>hitac 棋力を言うのならC2のロートルはどう考えても女流のトップやアマトップより棋力がないんだが(年齢による衰えは当然の事)それはどう考えてるわけ?若い頃のほんの一時の棋力さえ高ければいいのか?
将棋の棋士は「一度なれれば引退しない限りは食える」ので、若い頃のほんの一時の棋力さえ高ければいいのです。衰えたら引退。
>Knoa 白玲5期を取るまでの間にほぼ確実に既存の編入試験の基準を満たすので、編入不合格が前提となり、棋力という点では逆の意味での担保になってしまう。将来、女性棋士の編入組と白玲組に格差が生まれる心配がある。
白玲昇段組は、多くとも5年に1人しか出ない制度なので、格差が出るほど人はいないと思います。
>fujifavoric この新制度の成立はフリークラス制度の存在なくしては語れないのにフリークラスのフの字もない、藤井の威を借りたいだけのゴミ記事
>KenKens これはホントそうなんよ。いまの西山さんとか個人を見てれば気持ちもわかるけど、じゃ将来にわたって同じ水準が得られるかでいったら微妙。
「今」強い女流がいるけど、今後出てくるかはわからないわけで。難しいですね。
>poko_pen羽生前会長は女性枠を増やしたいというよりも、女流の方が新たなスポンサーが付きやすくて金も入るから忖度してる感はあるのよね。女性棋士を増やしたいのは建前だろうなと
それはあるかも。女性棋士を増やしたいのに、嘘偽りはないでしょうけど。
>donovantree少子化で将棋人口が減っていくのはわかってるんだから女子の将棋ファンを増やすのは将棋界にとっては重要な事。女性会長、新制度は将来の将棋人口を増やすための先行投資だろうと思っている。
そのとおり。
>georgew 過渡期だろうから種々試行錯誤は必要だろうけど、そもそも奨励会への女性参加を増やす方策を優先すべきではないかとふと疑問に。
奨励会行っても、金にはならない、というかリターンが不透明なので…。奨励会に行く気概のある女流棋士も多くないですね…。
>kari-ko かつては実力ある渡辺明先生がこういう差し出口をいれる役回りだった気がする。時代は移ろって藤井聡太先生に手番が回るのね。
たしかに
>chinu48cm福間西山の二強が揃う今が例外的に女流がハイレベルと言えなくもないからな。福間西山をプロ棋士にすることに異論のある人はいないと思うが、レベルが低い時代が来ても女流からプロが輩出されるなら問題か。
そうなんですよね。
>natumeuashiそもそも女流そのものが必要ない。棋士を希望する女性が圧倒的に少ないのだから、プロに至るまでの選別で残らないのは確率的に当然のこと。筋力の様な生来の能力差に基づいた制度ではなく、ただ偏見を助長するだけ
女流棋士は、特に女性への将棋普及を担ってますので。興行上必要な制度だと思います。
>sin20xx 当然の指摘。本来あるべきは従来の編入試験への挑戦権が自動的に付与される形であって自動的な編入ではないのでは。この形で編入させても現実的には棋力の差が顕著になりむしろ女流制度にとってマイナスになるのでは
将棋を見ない一般人(世間の人)は、そこまでみないと思います。将棋ファンでなく、そういった世間の人にアプローチするのが大事なのだと思います。
>srng 明らかに棋力が足りない棋士がフリークラス編入で増えれば、フリークラス棋士は棋士じゃないという扱いになっていく気がする。それでいいのだろうか
フリクラ制度自体、将棋ファンしか知らないので、それは杞憂でしょう。あとは将棋ファン次第。
>marton 調べたら、竜王戦が優勝賞金4400万で、女流の白玲戦が4000万プラス特別賞1000万で実質的に女流棋士のほうが最高賞金が高くなってて驚いた。編入はスポンサーの意向が強そう。男の棋士も連盟に金が落ちるならいいやと。
>sekiryo 女が棋士になるのは慣習で弾かれてるんじゃなくて単純に実力が足りないのは明白なので、真剣勝負やってる側からビジネスで女入れたいんですよという会長に不満は出るのは当然。下駄を履かされた女も馬鹿にされる。
>Y_Mokko現実的に女流棋士からの移行がほぼ無いのは女流棋士で収まる分には引退もせずに済むからなのよね。男と同じ土俵に行ってボロ負けしたら選手生命終わりだし、女流棋士が何時までも強くならない二部リーグ化してる。
これでも、女流棋士は以前より強くなってます。まだ「二部リーグ」なのは否定できませんが。
>KoshianX まあ当然こう言われるわな。ただ5期防衛ともなるともう女流棋士で敵がいなさすぎるのでプロに送り込んじゃったほうがいい気もするよなあ。プロ編入試験の受験資格だけではなぜダメだったのだろうねえ
そうですね。即プロ化したいところに、スポンサーの意向がある気がします。
>nemuiumen 当然の反応だわな。アンフェがどうとかじゃない。実力で評価される場所に不純物が入ってたら、全体を疑われるものね。
将棋ファン、ないし現役プロ棋士(の反対派)が一番気にしてるのが、このことだと思います。 私は白玲5期制度に足る女流棋士の強さを信頼してますが、そうでない方もいるのはわかります。
ただ私は、一般の将棋ファン以外にアプローチする方法としては最善だと思っています。
>fugunokamatari興行的には女流棋戦で十分では。むしろフリクラ脱出できず即引退で女流最強でも熊坂学未満wの世評になる、女流棋戦の価値毀損リスクが高い。確実にそうならん実力があると言うなら、あなたの主観ではなく戦績を出せ
その視点はありませんでした。たしかにそのリスクもあることはあるのですね。
>by-king この立論ならば、YouTuberとか芸人とか外国人とかそういった棋士もファン層の拡大に繋がるだろうから、彼らのプロ入りハードルも下げるべき、となるよね。女性オンリーなら片手落ちの議論と思う。
なるほど。外国人棋士のプロ入りハードルが下がる未来も来るかも?笑
>taiyousunsun 実力足りてないと誰にとっても良くないのは共通認識なんだと思う。あとはその実力を何で担保するのかという話で、藤井さんの懸念は真っ当だという感想。
まったくそのとおりですね。
>poko_pen奨励会駄目なら男はアマチュアのみ、女は女流を選べ「逃げ道」があり、必死さが足りないとは言われてるのよ。本気で女性棋士を増やしたいのなら女流制度が足を引っ張っているのよ。まずは男女不均衡を無くさないと
その側面はあるとはおもいますが、女流棋士の制度がないと、実際は「プロの女性」は皆無になるでしょうね。
>toronei微妙、興行として客寄せパンダは必要で無視や拒否するのもナイーヴだけど、、そこに頼りすぎるのは興行として微妙になりがちで、女性プロ誕生に下駄履かせるのは、後者に寄り過ぎなように思う。
将棋界(将棋連盟)は、「あらたに女性棋士が誕生した」という事実が、一般世間向けにほしいだけだと思います。「(女性を入れることによっての)興行としての出来不出来」はそこまで求めてないのではないでは?と推察しています
Permalink |記事への反応(25) | 01:08
自由主義経済とは、ソ連との冷戦を戦うための米国の武器でした。
当時、敗戦国として弱体化していた西ドイツや日本を復興させる必要もあります。
それまで関税によって自国の産業を守っていた分野でも積極的に関税を撤廃していきます。
そして儲けろ。
どんどん儲けて、強くなれ。そしてともに共産主義に打ち勝つのだ。
そうした赤字を米国は国債を発行することで補填していくことになるのです。
その国債の引き受けては誰なのか?
大量の国債を引き受けてくれる先はあるのか?
これは、現代の話ですが先日テレビで日本の国債の引き受け手がいないことを問題にしていました。
日銀がデフレ対策として長期間にわたって日本の国債の引き受け手となってきました。
しかし、インフレが始まったとこで政策を転換、現在は国債の引き受け数を減少させています。
このような現象でもわかるとおり国債を発行すれば必ず引き受けてもらえるわけではありません。
そうです。
米国の市場開放により、儲けに儲けてきた日本を始めとした西側陣営です。
どういうことか?
もちろん、そのドルをすべて円に交換してもいいのですがそれは効率的でない場合もあります。
そのドルを円に交換することなく、有効な運用をするためにはどうするのか?
そうです。
これは米国との貿易で、ドルが余った状態となっている国には格好の投資先となるのです。
簡単に言うと、第二次大戦後の西側陣営はそのようにして経済を回してきました。
米国が市場を開放し、多大な軍事費を費やすことで西側陣営を潤す。
その国債の引き受け手は、米国との貿易で儲けた西側陣営の国家ということになります。
そのサイクルで経済を回してきました。
しかし、ベッセント財務長官などの学者は、それではもう保たんときが来ているのだ!
という考え方なのです。
そういうやり方では、いずれ大きなクライシスが訪れる、げんにリーマン・ショックはそれだ。
というわけです。
リーマン・ショックの原因の一つに、大量に余ったドルが投資先を必要としているというものがありました。
そもそもドルが余ってなければ、投資先として怪しげなものを選択する需要などないからです。
投資するドルがなければそもそもリーマン・ショックは起きなかったのです。
つまり、現在の米国の国債発行により、大量のドルを世界に流通させている限り、クライシスは起こり得るというわけです。
その他にも、もちろん無限に国債を発行し続けるわけにも行かないということもあります。
では、どうするのか?
そんな方法はあるのか?