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2026-02-10

サヨク民主主義をナメている

民主主義とはなんぞやっていうとその根幹は手続き的正しさであり、現実にそれを担保する根幹は選挙であり、選挙とは何かというとその時々の人気投票なんだよ。

まり民主主義原理的に危ういってこと。このくらいはまあバカでもわかってるよね。

でも本当にわかってるのかな?「今回のやつはまともな選挙と言えない」「本来選挙というものは〜」「北欧デワ〜」「推し選挙だー」なんか理想化したり貶めたり思いつきでいろいろ言ってるけど、そもそもが「ただの人気投票」であり、それなのに「民主主義の根幹」なんだよ。

「理性の限界」という新書を読むといいんだが、完璧選挙制度というのは存在しない。

レギュレーションの調整によって結果が動く。そしてどのやり方が正しいとか間違っているという根拠はどこにもないんだ。

まり未来永劫「今回はこのルール勝負しようじゃないか」という合意のもとで行われる暫定的・便宜的な手続きなんだよ。

で、合意ルールのもとでやった結果が気に食わないからって「国民全体では自民党投票してない人のほうが多いんだ!」「自民党なんかに投票するやつは頭が悪い」とか言い出すアホおるやん。

そうやって選挙結果を腐すのって、つまり民主主義の敵”ってことだよ。わかって言ってるの?何もわかってないよね。

Permalink |記事への反応(0) | 11:54

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2026-02-09

町の本屋が変わってしまった話

駅前に昔からある本屋があってさ。

別に大きくもないし、お洒落でもない。

高校の頃なんかに時間を潰す場所に丁度良くて、よく寄ったりしてた。

最近久しぶりに寄ったんだ。数年ぶりに。

そうしたら入口入ってすぐの棚が見事にピンクだった。

成人向けコミックに実話系エロ雑誌

昔ここにあった新書コーナーは、奥に追いやられてた。

一瞬間違えたかと思ったほどであれ?ここってあの本屋だよな?っていったん外に出て看板確認したけど、間違いない。

ただ並べてある本はほぼエロ本。

経営難のせいかのかもしれないが、それでも何か悲しかった。

Permalink |記事への反応(0) | 14:00

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2026-01-21

うちの最寄りの本屋にはさあ、ジャンケットバンクも戦奏教室もジュミドロもウリッコも売ってないんだよね

そもそも取り扱ってないようで、新刊コーナーに並ぶことさえないわけ

なんでなん

まあね、本屋さんは本離れで大変だって聞くし、わからんことはないわけよ

売り場だってそんなに大きく取れないんだろうしさ

でも未だにドラゴンボールが全巻並んでたり、ワンピースがどーんと棚を占めてたり、メディア登場作が大々的に並んでたりするんよ

いやわかるけどもさ

知名度の少ない新刊よりも売れるだろうし、返品の可能性とか考えるとさもありなんとは思うよ

でも新刊なんよ

販売月なのに置いてないのよ

あるいは置いてあったとしても入荷が少なすぎて、すでに誰かに買われてしまってんのよ

もう悲しいじゃん

取り置きも承りますので是非ご注文くださいとか反論があるかもしれないけど、それするくらいだったら自宅にまで届くAmazon使うんよね

仕方ないかもしれないけどもさ

とはいえ、こういうのは洋書新書の方が顕著なのかもしんないなあ

Permalink |記事への反応(0) | 17:38

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2026-01-18

女性向け同人誌小説)(作る数10~30冊)の価格設定

こんにちは

これはSNS交流もろくにしない、たまにしかイベントに参加しない、10部さえ売れない弱小サークル主が

久々に出るイベントで出す同人誌価格をどうしようかなと考えている日記です

えー100部からでしょとか言う人は画面閉じていいと思う

そういう人にはそういう人の悩みがあると思うからそういう人のお悩み解決窓口に行くべき

中堅には中堅の、ど底辺にはど底辺の悩みがある

そんなど底辺絵が描けないから字を書いている今度作る本はオンデマ20冊です!みたいな人向け

というわけではないけど私自身がそうなのでそういう人向けに見えるかもねって日記


前提

女性向け

小説のみ

SNS交流ほぼなし

Xで語りとたまにSS投稿

ジャンルは連載中漫画女性向けジャンルとしては新興小さめ

SNSフォロワー二桁前半増えない増やす気もない


作る同人誌

オンデマンド

10冊~30冊の間

文庫(A6)か新書かB6のページ数嵩増し本が多い


事前準備

ジャンル内と自カプ内で既に同人誌を出しているサークルの本の価格を調べる

女性向けは特に相場に厳しいため安くても高くても文句苦情が届く

高いのはともかく安くて文句言うのどういうこと~~~恐っ

最近はどこのジャンルでも【文庫でページ数×10円】のサークルがいるためありがたい

文庫194ページ2000円とか240ページ2400円とか

高~~~~

しかったらそんなこと考えずに買っちゃうけどね宵越しの売上金は持たねえぜ

でも少なくともその単価分まではオプション装丁選べるし割増入稿もできると思える

自分の設定する金額の上限ラインもそこに設定できる


個人的に決めていること

全部売れたら印刷代分は回収できる単価を最低限に設定して相場相談する

から安すぎるということはまずないか

安くするなと過去文句言われたことがあるし個人的貯金もないし赤字は無理

ただし現実的には毎回売れ残り廃棄してその分は赤字から全然回収できていないことも多い

ほら脱稿ハイ調子乗って10冊にすればいいのに30冊作っちゃうから

愚か~~~~

結果的二次創作赤字~になっているから今のところこの決め方で続けている

でも奇跡的に全部売れたのに赤字金額にはしない

底辺サークルで実生活もど底辺なのに全部売れたらせめて印刷代くらい回収させてくれ


基本のき

単純に印刷代+送料を冊数で割る

大手印刷所だと○箇所まで送料無料から小数サークルも送料は入れていいと思う)

これは新刊1冊だけなら計算はそれだけにするが

新刊1冊既刊再版2冊ならその3冊の合計金額で考えてもいいことにしている

もちろんどれか余ってどれか売り切れるということもあるだろうけど

(そしてど底辺は全部売れ残るのだ)

1冊ごとに計算すると自分の首を絞めるのでそのあたりは柔軟に対応する

言うて10冊でも余るど底辺サークルから


おたクラブって会社オンデマンドA6の表紙フルカラー本文モノクロ表紙込み50ページの同人誌を作る

標準用紙+標準PP+それ以外オプションなしつけられるわけがない

底辺だけど余裕入稿なんかできるわけないのでぎりぎりチキンレース締め切られるか締め切られないか

10営業日も厳しいけど頑張る、日和見10冊、1570円(今現在

余裕ないから会場に送付してもらう1300円で合計2780円

単価278円⇒300円

これを最低単価とする

印刷会社オプション等々で同じA6の50ページでも単価は当然変わる

文庫ページ数×10円】サークルがいた場合はそれより安かったらそれでいいし

相場相談して無理のない範囲で決めるけど上の例なら300円~500円かな


どこまで儲けてもいいか

基本的にど底辺なので余るし廃棄する毎回泣く

でも1冊だけ作るのは高すぎるし1冊か2冊は買ってくれる読者がいてくれる

嬉しいありがたい貴方は神です愛しているだからもう少し刷る

よく使うところの最低数は10冊、もうひとつ会社20

から毎回10~30冊、それ以上は持て余す無理

全部売れたとしてイベント参加費と送料(宅配搬入とか諸々)くらいはよしとする

ジャンル内が強気価格が多いとこちらもラッキーと思って金額上げられるの助かる

でもどんなに上げても旅費【交通費宿泊費】は超えないようにする

税金関係も面倒だし…

残念ながら地方人間なので万が一全部売れて強気値段にしても旅費には届かん

サーチケ一般前に入ってほしいサークルの列に並べる権利があると思えば旅費はかかってもいいし


まとめ

オフセットなんか考えるなオンデマンドしろ安くて小数部の印刷所を探せ

装丁凝るのは50冊以上安定して売れるようになってからにした方がいい

自力で稼いでいるとか実家が太いとか金銭に余裕があるなら好きなことしよう私は無理

・世にはびこる計算式なんか無視していい

・なぜなら選ぶ印刷所で同じ設定の本でも全然価格が違ってくるから

・気にしいの人は一回それで計算して判断基準の一つにしてもいいかもね私はしないけど

・かかった印刷代÷冊数=単価より下回る金額にはしない

ジャンル・自カプの相場をざっくりでいいから調べて上限を設定する

文庫サイズでページ数×10円設定のサークルがいたらラッキー

・ページ数×10円の単価までは極道入稿装丁もりもりができるするかは別として

・全部売れたらサークル参加費と送料はペイできたらいいよね

・でも現実赤字の方が多いし売れ残った本の廃棄に苦労している

・頑張ろうね10冊も売れない小さい小説サークル主さんたち

・1冊でも売れたら嬉しい限りは続けたいよね

・読んでくれる貴方、買ってくれる貴方ありがとうございます

Permalink |記事への反応(0) | 14:06

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2025-12-30

anond:20251224183925

自分も著者の方は言ってる事雑だなと思うことはあるけど同じくらい雑なこと言ってる新書山ほどあるのに、高学歴×見れる容姿×文芸評論×若い女×圧がある×どこまで狙ってるかわからない洒落臭さ で広範囲からうっすらヘイト買ってて、なんかあると必要以上に叩かれてる印象

Permalink |記事への反応(0) | 13:13

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2025-12-20

なんか1000円以下でこれ読んどけって本無い?

好きな小説ミステリーとかコメディとかSF

浅田次郎とか好き。

実用書とか新書とかノンフィクションも興味が持てれば読む。

Amazonポイント余ってるんよ。

おすすめ誰か教えてくれ。

Permalink |記事への反応(1) | 20:15

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2025-12-18

anond:20251218171733

必須スキル」は、「必須スキル」と表現するべき、はよくわからなかったよ。

別に必須スキルでいいし、読みやすいまである

その他全部読んだけど、三宅氏の方が(文法上間違っていたとしても)読みやすかったな。

大衆向けの新書ならまあありなんじゃないの、とは思った。

もっと堅い本ならアウトだけど。

Permalink |記事への反応(0) | 17:26

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2025-12-17

飯田一史の批判三宅香帆の反論は、それぞれどこが間違っているのか

表題のとおりです。

事の発端は、12月12日飯田一史さんは記事「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はどこが間違っているのか(抄)」https://ichiiida.theletter.jp/posts/0aa160a0-d70f-11f0-aa07-8582de6095b5 (以下、飯田批判)において、三宅香帆さんの著作『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/1212-b/ (以下、三宅本)の誤りを指摘したことでした。

これに対し、翌日の13日に三宅香帆さんは記事「「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はどこが間違っているのか」はどこが間違っているのか」https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5 (以下、三宅反論)を投稿し、飯田批判に対する反論を試みました。

このエントリでは、両者の主張に対する見通しを良くすることを目的に、飯田批判三宅反論論点を整理したのち、それぞれの問題点を指摘していきます

まとめたのは人文系の話には疎い人間のですので、誤りも多いかと思いますので、まあ話半分で読んでもらえればと思います

なお、飯田批判は、飯田一史さんの新著『この時代に本を売るにはどうすればいいのか』(星海社新書https://ji-sedai.jp/book/publication/konojidaini.htmlから抜粋であることを念の為補足しておきます

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📰 0. 三行要約(問題点

飯田批判は、特に三宅本は(出版流通における)「書籍」と「雑誌」を分けていないかダメだ」という主張に相当問題があると思う。

三宅反論は、そもそも反論」できてない。言い換えると、飯田論理展開をあまり追えておらず、誤読を基に論理を展開するため実のある話があまりない。

三宅反論は、三宅本の議論の前提に基づく問題を、あたか飯田データ処理の問題すり替えていて、個人的にあまり心象が良くない。

以下、飯田批判三宅反論についてより詳細に検討していきます

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

📚 1.飯田批判論点

飯田批判の主張とその根拠、主張を正当化する論証について整理を行います

理屈が明晰な箇所もある一方、煙に巻くような箇所もあって、議論を追うのはすこし大変だったような印象です。

まあ私の読解力の問題のような気もします。

読みやすくするため、飯田批判の主張のうち、

三宅本への指摘に該当するものには「◎」

・直接的には指摘ではないものには「◯」

という記号を付けておきます

また、論拠を準備していない主張には大括弧[]で囲っておきます

--------------------

(「・働き始める前から読書量は減り、働き始めた後も日本人読書量は減らない」の節)

◎主張1-1.三宅本は、労働により読書量が減少することを前提にする。

しかし、これは誤りであり,読書量は労働が始まってから変化してはいない。

<主張1-1の論証>

根拠1-1-1.データ書籍の月間平均読書冊数

根拠1-1-2.データ:1ヶ月に読む本の冊数の割合

根拠1-1-1および1-1-2は,読書量の低下は,労働が始まる前の現象で、それ以降では起きていないということを示す。

これは、三宅本の前提を棄却するデータであり、ゆえに主張1-1が示される。

<論証おわり>

--------------------

◯主張1-2.書籍における「買う」(=出版売上)と「読む」(=読書量)の間の関係は明白ではない。

<主張1-2の論証>

根拠1-2-1. 「積ん読」という言葉存在

根拠1-2-2.データ: 紙の書籍推定販売金額と月の平均読書冊数

根拠1-2-3.アメリカイギリスでの調査.

根拠1-2-1, 1-2-2,1-2-3のいずれも、書籍に関しては、「買う」の増減から「読む」の増減を帰結することやその逆を主張することは難しいことを表している。

<論証おわり>

--------------------

(「・「雑誌」と「書籍」も別の話」の節)

◯主張2-1.雑誌における「買う」(=出版売上)と「読む」(=読書量)の間の関係は明白である

<主張2-1の論証>

根拠2-1-1.データ: 紙の雑誌推定販売金額と月の平均読書冊数

根拠2-1-1は、雑誌に関しては、「買う」と「読む」の間に相関があることを示している。

<論証おわり>

---------------------

◎主張2-2.三宅本では、書籍雑誌区別ができていない。

<主張2-2の論証>

根拠2-2-1.三宅本のp.38の記述

根拠2-2-1は、三宅本において雑誌書籍区別できていないことを示している。

<論証おわり>

--------------------

[◎仮設2-3.三宅本は、「読書離れ」を論ずる際には雑誌書籍区別するべきである。]

(これは明示的に飯田批判にあらわれていないが、以下の主張2-4の論証において機能する暗黙の前提である、と私は思う。)

---------------------

◎主張2-4三宅本は、『読書世論調査』における「読書時間」の減少を根拠に「読書離れ」の存在を主張する。しかし、これは不適切である

<主張2-4の論証>

根拠2-4-1. 「読書時間」は「書籍+雑誌との接触時間である。主張2-1から雑誌接触時間は減少傾向であると推察されるので、

読書時間」の減少は(書籍ではなく)雑誌との接触時間の減少と解釈するのが自然である

根拠2-4-2.そもそも読書時間」もそれほど減っていない。

根拠2-4-3. 『読書世論調査』の総括では,読書率はあまり変化がない.

根拠2-4-1, 2-4-3から、 「読書時間」の減少は書籍との接触時間の減少を導くのは難しい。

[仮設2-3]から, 「読書離れ」は特に書籍読書時間減少を意味すると解釈するべきであり、

三宅本のやり方では書籍読書時間減少を導くことはできない。

また,根拠2-4-2の存在は、特に読書時間の減少が生じていないことを示唆する。

<論証おわり>

--------------------

(「・労働時間は減り、自己啓発時間も減っている」の節)

◎主張3-1.三宅本は、日本人現在長時間労働であることを前提にしている。

しかし、労働時間を「全産業平均」の観点で見たとき、この前提は不適当である

<主張3-1の論証>

根拠3-1-1.厚生労働省「わが国の過去50年間(1973年2023年)の労働時間の推移についての考察

<論証おわり>

--------------------

◎主張3-2.三宅本は、次の(i), (ii), (iii), (iv)を主張する:

(i)1990年代から自己啓発市場が拡大した.

(ii)自己啓発労働による自己実現)のための読書(=「情報摂取型、「ノイズを除去する」「〈社会〉を遠ざける」)時間が増加した.

(iii)代わりに、人文書小説などのための読書(=「アンコントローラブル」な「ノイズ」や「他者文脈」を含む)時間が減少した

(iv)読書離れと自己啓発書の伸びはまるで反比例グラフを描く

しかし、(ii), (iii), (iv)は誤りである

<主張3-2の論証>

根拠3-2-1.黒田山本論文

根拠3-2-2.グラフを書くだけの定量的根拠はない(提示されていない)

根拠3-2-1から労働者の 「自己研鑽」 = 「学習自己啓発・訓練(学業以外)」の時間は減少している。

これは(ii)を否定する。

主張1-1および(ii)より(iii)は成り立たない。((iii)が成り立つためには(ii)が成り立つ必要があるため。)

根拠3-2-2は、(iv)を否定する。(少なくとも、(iv)の主張を肯定するだけの理由はない。)

<論証おわり>

--------------------

◎主張3-3.三宅本では、自己啓発市場の拡大から自己啓発書のほうが文芸よりも市場が大きいかのように解釈する。

言い換えれば、次の(1),(2)を主張する:

(1)自己啓発市場は拡大している

(2)(1)が正しいのであれば、「自己啓発書のほうが文芸よりも市場が大きい」は正しい。

しかし、これは誤りである

<主張3-3の論証>

根拠3-3-1牧野論文.

根拠3-3-2.データ:日本出版市場推定発行金額

根拠3-3-1は、「年間ベストセラーにおける自己啓発書の冊数割合は増大している」ことを主張する。

これは(1)の根拠としている。これ自体問題はない。

しかし,根拠3-3-2は自己啓発本の市場小説市場よりはるかに小さいということを意味する。

これは、(1)が正しいのに「自己啓発書のほうが~」が間違っているので、(2)は正しくない。

以上から、これは誤りである

<論証おわり>

--------------------

[◎主張3-4,三宅本は, 上の(1), (2)が成立するとしていたことが原因で、(i)から(ii)および(iii)を導いた]

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🧠 2.飯田批判の怪しい箇所

以下で、飯田批判を読んでいたときに、個人的に気になった点を列挙します。

飯田主張2-4について:「書籍」と「雑誌」の区別本質的か?

主張2-4の背後には「書籍雑誌分別するべきである」という暗黙の前提(仮設2-3)があるように思う。

三宅本の「読書から雑誌」を除外することは本当に妥当かを考えたい。

・「書籍」と「雑誌」の違いを整理しておく。

といっても自分出版業界人間ではないので正しい理解かは怪しいのだが、調べた範囲のことをまとめておく。

(間違ったこと言ってたらごめんなさい)

書籍」「雑誌」の辞書的な定義はたとえば布川ほか編『出版事典』(出版ニュース社)のp.217およびp.167にある。

ざっくりまとめると「書籍」と「雑誌」の違いは一定編集方針の下で定期的に刊行されているかどうかという部分のようである

これは、1985年ユネスコ出版統計上の「図書」と「新聞及び定期刊行物」の違いともおおむね合致しているように見える。

("図書新聞及び定期刊行物出版及び配布についての統計国際的標準化に関する改正勧告".文部科学省.https://www.mext.go.jp/unesco/009/1387396.htm

より実際的な取り扱いは, "既存雑誌が「創刊」とは、これ如何に".出版科学研究所オンライン.https://shuppankagaku.com/column/20070111/

によれば、

そもそも本というのは「書籍」と「雑誌」に大別されますが、出版業界では「雑誌コード」が付されたものを厳密に「雑誌」と区分しているのです。

一見雑誌のように見える本も、このコードがなければ「雑誌」ではなく「書籍」ということになります

ということらしい。(しかし、これはあくまコラムの中の記述でありカチッとした話ではないことに注意)

書籍」と「雑誌」の実際上の取り扱いの違いは、「雑誌コード」の有無、つまり流通上の取り扱いの違いから生まれてくるという。

日本では、「書籍」はISBNコードを持ち、「雑誌」はISSNコード雑誌コードを持っている。

その中間にあたるムック本では、ISBNコードだけでなく雑誌コードも付随しているようなものは「雑誌」の対象とするようである

("「雑誌」の定義出版統計".出版科学研究所オンライン.https://shuppankagaku.com/column/20060911/

ともかく、「書籍」と「雑誌」を分けるのは明らかに内容やジャンルではない。定期的に刊行するかどうかであったり、それを根拠雑誌コードが付いているかどうかだったりである

コミック誌を除外したとしても、『anan』のようなファッション誌もあれば『文學界』や『オール読物』のような文芸誌も、また『Nature』や『ナショナルジオグラフィック』のような理工系雑誌もまとめて「雑誌」にカテゴライズされる。

さらに言えばサイエンス社の『SGCライブラリシリーズ書物は, それぞれ内容的に全く独立しており実質的単行本ではあるのだが、『SGCライブラリ151』までは『数理科学』の臨時別冊という扱いだったのでそのカテゴリは「雑誌」になっている。(なお『SGCライブラリ152』以降は「書籍である

一方、書肆侃侃房の『文学ムック たべるのがおそい』は確かにムック本ではあるが、雑誌コードを取得しておらず取り扱いは「書籍」であった。

このように「書籍」と「雑誌」の区分そもそも出版流通上の区分であり内容面での区分ではないばかりか、その区分出版物の実情と必ずしも合致しているわけでもない。

この区分はかなり表面的、形式的ものであると見るべきだろう。

・以上を踏まえて、飯田批判、つまり書籍」や「雑誌」という出版流通における区分の不徹底でもって三宅本を批判したこと妥当性ついて吟味してみよう。

飯田批判とはなんだったのか。

それは、「「書籍+雑誌との接触時間」の減少を根拠に「読書離れ」の存在を主張するのは不適切である」(主張2-4)という批判である

そして、なぜ飯田が「不適切である」と主張するかといえば、「書籍」と「雑誌」は分けて考えるべき(仮設2-3)だからと考えているからであり、

特に三宅本の「読書離れ」の定義としては「書籍読書量(≒読書時間)の低下」を採用するほうがより妥当である、という飯田が信念を持っているかである

ここで注意したいのは、主張1-2, 2-1は「「書籍+雑誌との接触時間」の減少を根拠に「読書離れ」の存在を主張するのは不適切である」(主張2-4)の根拠ではない。

飯田はその直前に「「書籍読書量と出版売上」の相関は弱い(主張1-2)一方で、「雑誌読書冊数と出版売上」が正の相関関係にある(主張2-1)という事実を指摘してはいものの、飯田はこれらを「読書量を測定するにあたって「書籍」と「雑誌」を区別するべきである」(仮設2-3)の根拠にはしていない。主張2-4は仮設2-3からは出てくるものの、主張1-2, 2-1には立脚していない。三宅反論で大いに誤読したのは、主張1-2, 2-1があたかも主張2-4の根拠になっているかのような書きぶり、配置の魔術ゆえであろう。

ともかく、飯田批判妥当性を吟味する際はこの信念「三宅本の「読書離れ」の定義としては「書籍読書量(≒読書時間)の低下」を採用すべきである」という部分に注目すればよい。

三宅本で対象としている「読書」は、大方「人文書小説などのような(「ノイズ」や「他者文脈」を含む)書物を読む行為」と解釈するのが妥当だろう。

したがって「読書離れ」は「人文書小説などの書物を読む頻度が減ったり、そのために費やす時間が減少している」ということだろう。たとえば理工書や技術書ファッション誌、ゴシップ誌などを読むことは端から三宅本の「読書」に含まれていないと見るべきである

転じて言えば、たとえば「雑誌」であっても文芸誌を読む場合は「読書」に含まれるべきだろうし、「書籍」であっても理工書を読むことは「読書」に含まれない(と三宅本では考えている)かもしれない。

要するに、「読書」といったときに、読まれるべき書物を分類できていないと批判するならば、むしろそのジャンル文芸歴史書哲学書・理工書・サブカルゴシップファッションなど)の違いに着目するべきなのであり、出版流通における「書籍」「雑誌」という区分は、少なくとも直接的には重要でないだろう。もしこれが重要なのであれば、それは驚くべきことなので、別でこれを論証すべきである

もちろん、おそらく「雑誌」の出版売上の中でファッションゴシップ支配的で文芸誌や理工系雑誌は影が薄いだろうから、その意味で「書籍」「雑誌」の区分で売上を観測することがジャンルの傾向をよく記述するとは言えるかもしれない。言い換えれば、「ジャンルによる読書量の違い」を捉えるにあたって「出版流通におけるPermalink |記事への反応(0) | 20:21

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2025-12-01

前提条件がきつすぎたりゆるすぎたりするだけで結論自体は正しいなら自分補正すればいいだけ。

この前提なら成りたつよねとねというのに読み替えればいいだけ。

それを前提がおかしいから以降の主張は読む価値がないって考えるのはアホの行動

そもそも結論以外にも各自付帯させている具体例がそれ単体で別個として豆知識として学びになるかもしれない

とにかく冒頭に書かれた前提だけで判断するのはバカ

別に俺が読まれなくて悔しいから言ってるわけではない。そんな態度では知見を広げる機会を自ら減らしてる。

前提とか文字通り完全に適切に表現されてる馬鹿丁寧な本ばっかりじゃないんだからな。

ぱっと見矛盾している文同士もざらに見つかることあるわけでそういう場合も踏まえてこの書き手の言わんとすることをくみ取ることにリソースを割くのが賢い人間

新書とか読んだことないか読んでてもこの態度じゃ活かせてないだろうね。

dorawiiより

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2025-11-24

【なぜ働くと本が読めなくなるのか】一番売れた新書への違和感

「なぜ働くと本が読めなくなるのか」2024年最も話題となった書籍の一つ。友人と話していると、同書は非常に危険な本だと話になる。新書からキトーに読んでいる気付かないのだが、マトモに読むと「半身で働く」という主張に至る過程論理の飛躍があるからだ。

加えて、三宅書籍モヤモヤするのは、彼女著作問題というより、出版業界全体が抱える“退行の空気”が透けて見える。本来批評とは対象を切り離し、構造を浮かび上がらせる作業のはず。「斜陽産業」の出版業界は、読者層を広げるために知的ハードルをどんどん下げ、「本にしなくてもいい内容」を巧みな営業戦略で売りまくる世界になってしまった。

論理構造より、“共感”や“エモさ”。そうした市場環境の中で、『なぜ働くと本が読めなくなるのか』のようなお気持ちエッセイが主流になるのは必然だ。

問題は、その本が社会構造分析をしているように見せかけながら、突然「本が読めないのは社会が悪い」という感情論ジャンプする点だ。書籍の大部分を占める読書社会人の近代史パート(9章くらいまで?)

はどう読んでも「半身で働く」の根拠になり得ない。提言だとしても、提言をするだけの根拠が前文には書いていない。。こうなると、構造を論じているようでいて、じつは個人感情物語に回収されているだけで、「社会がない」と批判されるタイプの語りに近い。

さらに「半身で働く」という提案は、階級的な前提をあまり無視している。映画花束みたいな恋をした」を引用して田舎出身労働者・麦くんが本を読めなくなっていく過程記述しているが、はっきり言って世の中の麦くん化している社会人に失礼だ。

現実に半身で働けるのは、富裕層家庭出身者、ホワイト企業勤務者、配偶者扶養に入れる人(その多くは事実上女性だ)など、ごく一部に限られる。つまり映画「花恋」でいうところのヒロインちゃんだけだ(親が大企業、都会に実家定職につかなくても生きていける、好きなことだけして生きていきたい)。

一般的労働者が週5日・フルタイム構造から抜けるのはほぼ不可能で、そんな生き方が“みんなが選べる選択肢”かのように語られると、不公平と言わざる得ない。

その社会構造自体おかしいと主張したいのであれば、大部分の都市サービス享受すべきではない。インフラを維持する人々の労働あってこそ、「半身で働く」ことは可能になるからだ。

そうした現実に目を向けず、都市部の特権けが享受可能理想論大衆に説く。ここにはグロテスクしか言いようのない欠陥構造がある。

また、三宅が語る「批評文体をひらく」も、実際には論理の緩和=読者への迎合になってしまっている。例えば、同じ言葉生業にするジャーナリズムでは誤りは許されない。5W1Hや誰が何を言ったかを間違えて報道すれば即座に批判殺到する。(近年のオールドメディアに対するヘイトはその裏返し。合っていて当然のものが一部フェイク化したか批判されている。そもそもフェイクや根拠不十分なら叩かれないで済む)

批評は「論証できないけど感覚で書く」が成立する世界でいいのか。かつてのジャーナリズム批判が担っていたのは理路整然の文章大衆に届けることではないのか。論理の飛躍があっても共感(=いいねが取れる)できるなら読者層を広げるために知的ハードルをどんどん下げてもいい。売れるなら「本にしなくてもいい内容」を本にしていい。これが国民知る権利を盾に商売をする出版業界で許されていいのか。

これは批評民主化ではなく、文化が“推し活”に吸収されていくプロセスだ。文化人が読者の機嫌を損ねない戦略を取ると、批評はどんどんお気持ち表明コンテンツへ変質していく。自分の好き・推し言語化するツール批評が成り下がると、推し肯定する言説しかまれなくなる。批評とは本来対象をそれ以外のものから切り離し、特異であることを浮かび上がらせる作業のはずだ。その点において共感を求めるスポーツ音楽ライブの一体感とは真逆にある。消費者感情におもねる批評でいいのだろうか。

出版とは、知を鍛える公共財だ。だからこそ独占的な販売方法が許容されている業界だ。しかし今は、情緒共感を売りにして市場縮小を乗り切ろうとしている。「共に賢くなる」ための活字文化が、「共感」のツールに成り下がっている。

批評論理を疎かにし、読者の気持ちに寄りかかり、階級現実曖昧になる。事実上「半身で働く」ことができない人々に対して、「半身で働く」特権階級のよさを説くというのは、パンがなければケーキを食べればいいと言っているのと同じだ。

批評共感同調を求めるものではない。徹底した差別化と切り離しの営みだ。

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【なぜ働くと本が読めなくなるのか】一番売れた新書への違和感

「なぜ働くと本が読めなくなるのか」2024年最も話題となった書籍の一つ。友人と話していると、同書は非常に危険な本だと話になる。新書からキトーに読んでいる気付かないのだが、マトモに読むと「半身で働く」という主張に至る過程論理の飛躍があるからだ。

加えて、三宅書籍モヤモヤするのは、彼女著作問題というより、出版業界全体が抱える“退行の空気”が透けて見える。本来批評とは対象を切り離し、構造を浮かび上がらせる作業のはず。「斜陽産業」の出版業界は、読者層を広げるために知的ハードルをどんどん下げ、「本にしなくてもいい内容」を巧みな営業戦略で売りまくる世界になってしまった。

論理構造より、“共感”や“エモさ”。そうした市場環境の中で、『なぜ働くと本が読めなくなるのか』のようなお気持ちエッセイが主流になるのは必然だ。

問題は、その本が社会構造分析をしているように見せかけながら、突然「本が読めないのは社会が悪い」という感情論ジャンプする点だ。書籍の大部分を占める読書社会人の近代史パート(9章くらいまで?)

はどう読んでも「半身で働く」の根拠になり得ない。提言だとしても、提言をするだけの根拠が前文には書いていない。。こうなると、構造を論じているようでいて、じつは個人感情物語に回収されているだけで、「社会がない」と批判されるタイプの語りに近い。

さらに「半身で働く」という提案は、階級的な前提をあまり無視している。映画花束みたいな恋をした」を引用して田舎出身労働者・麦くんが本を読めなくなっていく過程記述しているが、はっきり言って世の中の麦くん化している社会人に失礼だ。

現実に半身で働けるのは、富裕層家庭出身者、ホワイト企業勤務者、配偶者扶養に入れる人(その多くは事実上女性だ)など、ごく一部に限られる。つまり映画「花恋」でいうところのヒロインちゃんだけだ(親が大企業、都会に実家定職につかなくても生きていける、好きなことだけして生きていきたい)。

一般的労働者が週5日・フルタイム構造から抜けるのはほぼ不可能で、そんな生き方が“みんなが選べる選択肢”かのように語られると、不公平と言わざる得ない。

その社会構造自体おかしいと主張したいのであれば、大部分の都市サービス享受すべきではない。インフラを維持する人々の労働あってこそ、「半身で働く」ことは可能になるからだ。

そうした現実に目を向けず、都市部の特権けが享受可能理想論大衆に説く。ここにはグロテスクしか言いようのない欠陥構造がある。

また、三宅が語る「批評文体をひらく」も、実際には論理の緩和=読者への迎合になってしまっている。例えば、同じ言葉生業にするジャーナリズムでは誤りは許されない。5W1Hや誰が何を言ったかを間違えて報道すれば即座に批判殺到する。(近年のオールドメディアに対するヘイトはその裏返し。合っていて当然のものが一部フェイク化したか批判されている。そもそもフェイクや根拠不十分なら叩かれないで済む)

批評は「論証できないけど感覚で書く」が成立する世界でいいのか。かつてのジャーナリズム批判が担っていたのは理路整然の文章大衆に届けることではないのか。論理の飛躍があっても共感(=いいねが取れる)できるなら読者層を広げるために知的ハードルをどんどん下げてもいい。売れるなら「本にしなくてもいい内容」を本にしていい。これが国民知る権利を盾に商売をする出版業界で許されていいのか。

これは批評民主化ではなく、文化が“推し活”に吸収されていくプロセスだ。文化人が読者の機嫌を損ねない戦略を取ると、批評はどんどんお気持ち表明コンテンツへ変質していく。自分の好き・推し言語化するツール批評が成り下がると、推し肯定する言説しかまれなくなる。批評とは本来対象をそれ以外のものから切り離し、特異であることを浮かび上がらせる作業のはずだ。その点において共感を求めるスポーツ音楽ライブの一体感とは真逆にある。消費者感情におもねる批評でいいのだろうか。

出版とは、知を鍛える公共財だ。だからこそ独占的な販売方法が許容されている業界だ。しかし今は、情緒共感を売りにして市場縮小を乗り切ろうとしている。「共に賢くなる」ための活字文化が、「共感」のツールに成り下がっている。

批評論理を疎かにし、読者の気持ちに寄りかかり、階級現実曖昧になる。事実上「半身で働く」ことができない人々に対して、「半身で働く」特権階級のよさを説くというのは、パンがなければケーキを食べればいいと言っているのと同じだ。

批評共感同調を求めるものではない。徹底した差別化と切り離しの営みだ。

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2025-11-17

ゲームをやってるときより本を読んでるときのほうが寝落ちしにくい

はいつも寝落ちするまで娯楽に没頭してるんだけど、

ゲームをやっているときはだいたい26時くらいには寝落ちするのに対して、

本(小説とか新書とか)を読んでいるとき全然眠くならずに30時くらいまで起きてしまう。

どうして?

Permalink |記事への反応(0) | 00:28

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2025-11-03

馬鹿勉強に対する認識学習漫画なら漫画から読める」

いやね、よく考えてよ。

嫌いな画風の漫画読む方がよっぽどつらいって発想はないのか。漫画読むなら新書のほうが普通に面白いわ。

dorawiiより

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Permalink |記事への反応(0) | 21:46

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小説価値

活字本の中で、私が一番読んでるのは小説だけど一番値段を安く見積もってるのも小説だなぁと思う

カラーページ満載の資料本が何千円もしてしまうのは仕方ない

子供向けの図録、図鑑はよく値段が抑えられてるなあと思う

ハードカバー小説が2000円超えは高いなぁと思ってしま

貴志祐介のさかさ星とか朝井リョウのイン・メガチャージとか

ページ数が500ページ近い、500ページ超えなんだから物価も上がってるんだからハードカバー2000円超えは当たり前なのよ

作者の執筆のための労力も半端ない

小説の魅力は図書館無料で読めること、漫画に比べたら値段が安いこと、描写が丁寧なことだと思う

この無料で読める、値段が安いが私にとってはむちゃくちゃ重要

この間小説を立て続けに読んでからとある漫画を読んだら漫画物語の展開があまりにも早くてビビってしまった

漫画を読みながら「そりゃ、そーだ。小説みたいに風景描写人物の造形描写、丁寧な心理描写、そんなの漫画ゆっくりゆっくりやってられないよ」と心の中で突っ込んだ

子供が4人いるお母さんが家の中のあらゆる場所、お風呂にもトイレにも本を置いて少しでも時間があれば本を貪り読んでると言っていた。本は図書館で大量に借りていると。

子供が4人もいたら、いちいち世の中の話題の本をお金出して買ってられないよなと思う

私も子供2人いてお金ない

独身だったら2000円超えの本もためらいなく買ってたか

昨日気になる小説新書サイズの本で古本がどうしても欲しくなって調べてみたら1800円くらいして買うのをやめてしまった。古本で、228ページで、1800円は高いなぁと感じてしまった

まあ、200ページ超えで1800円

同人誌とかだったら当たり前の世界なのかな

欲しいと思った192ページの同人小説本が1900円だった。1ページが約10円の報酬

とにかく、一番私がお世話になってる小説価値を私が一番低く見積もってるということに私がビックリしたよって話でした

子持ちになると口癖が「お金ない」になってしま

Permalink |記事への反応(0) | 11:59

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2025-10-30

薬のおかげか読書のおかげか。

私は5年前から読書を始めました。それが身になったかどうかは別として、数百冊は読んだと思います

ほぼ0から一人で始めた事だから凄いよなとはほんまに思ってます

読書というと、小説想像しがちですが、自分が読んでいるのは新書生活に役立つような本。社会の仕組みがわかるような本です。

それも最初は1日で1ページも読めませんでした。そもそも本の内容についていけるような知力も無かったし、なんていっても集中力が持ちませんでしたから。今じゃ2時間でその気になれば100ページは読めますが。だいたいの本なら。

読書を始めたのは病気きっかけですが、読書をここまで継続出来た理由は、ただひとつバカ脱出したいから」それだけです。自分はとてもバカです。20代前半の時、騙されて230万のローンを組んだり、それが尾を引いて10年後に自己破産をしたりなんだりと、いわゆる弱者の側でした。現在非正規です。以前よりはかなり生活は安定しましたが。

読書や、友人との対話を重ねた、この5年のおかげで、確かにバカ度合いは減ったと思います。その自覚はありますもっと賢い人から見れば、クソ雑魚ありんこレベルだと思うけど、自分の中ではかなり進歩したんだなあって感覚はあります最近税制勉強をしています

「本当に髪の毛生えるんですか?? お願いします!」って切実な思いで組んだローンや、ニキビを消したくて化粧品に50万のローン組んだりした時に比べたら、多少は世の中わかってきました。まだ何にもわかんないけども。 世の中わからないことだらけですね。

ただ、最近思うのは「これ本当に読書のおかげ?」って思うわけです。

5年前読書と同時に抗うつ薬を飲み始めました。SNRI

今も飲んでいます

たまに思うのは、今の自分があるのは読書ではなく単純に薬のおかげなのでは・・・・・・・? ということです。

そういう小説ありますよね。急激に知能が発達して、急激に衰えて行っちゃうネズミの話。

この薬だっていつまで飲めるかわからない。そもそも先生が交代したら、先生判断で投薬停止になるかもしれない。

その時に自分はまた昔のバカ自分に戻ってしまうんだろうか。それとも今のまま、これまでの努力を積み重ねたままでいられるんだろうか。

とっても怖いんです。

まずは薬を飲みつつ、本を読むしかないですね。

Permalink |記事への反応(1) | 23:29

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2025-10-19

dorawii@執筆依頼募集中

ルポ新書的な内容など事実説明した内容なら活字媒体よりも漫画になっていたほうが、たとえ興味がない人間でもまだ読むのに苦痛がないというイメージを持ってる人がいると思うが、それは間違いだと思う。

嫁姑読者投稿みたいな内容は発言小町で読むほうがまだ耐えられる。

なんとかさゆみが表紙の漫画雑誌やぶんか社作品はそのターゲット以外の多くの人にとって、そのキャラのことごとくが視覚的に生理的嫌悪感を呼びおこす醜い人相というか画風になっているというのが個人的感想

端的に言えばページに映る全てが汚物のようだ。だから漫画を読めというほうが見る刑罰に値する。

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Permalink |記事への反応(0) | 13:10

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2025-10-18

anond:20251018215455

その「女性解放運動」の思想的な後ろ盾は何なのか?ってのが問題なんよ。

ただ単純に「女性権利を拡大したいんで拡大しろお気持ち権利要求主義)」という主張であれば、「フェミニズムは男のための運動じゃないんだよ」でもなんの問題もなかったのね。まぁ思想的に問題はないんだけど実現は難しかった。具体例でいうと、世界諸国女性参政権がない時代において、「政治的多数決女性権利向上するかどうかきめましょう。なお女性投票権はない」って状態で、権利向上がほいほい推進されるかって言えばしないでしょ? いくら喚いたって政治的発言権無いんだから事実長い間女性権利は一向に向上しなかった。

この路線じゃまったくどうにもならんってわけで、女性権利拡大、解放運動思想的な背景に人権思想をくっつけたわけ。それがすなわち男女同権であり弱者救済ね。

「全ての人間は等しい権利を持っている(人権思想)ので、当然その一部である女性男性と等しい権利を持っているはずである。その正しい社会を実現しよう」という理路でもって女性解放運動は推進されたわけ。その理屈からこそ、男性しか投票権を持たないような前世紀の社会においても「社会正義のためなら」ってことで女権が拡大されてきたわけよ。

まりフェミニズム人権思想や男女同権や弱者救済ってのを前提に推進されてきたっていう歴史があるのね。そんなのそれ系の新書の一冊でも読めば分かる程度の、当然の浅い歴史であり前提なわけよ。

それに対して、女性参政権が認められた現代女性がXだのツイッタだののしたり顔で「そもそもフェミニズム女性解放運動男性権利弱者男性とか関係ない」っていうのだとすれば、「はーそうなんすか。つまり人権思想はもう用済みっすか?お気持ち多数決権利剥奪OK戦場に再ログイン上等って話ですね?」ってなっちゃうわけ。まぁ有り体に言えば思想的な大後退ですね。

狭い視界でみたらオタクだのおっさんだの醜くて目障りかもしれないけれど、広い始点でみれば彼らも女性も、社会的には弱者であり、富裕層でも上級層でもないのよ。広い始点の権利闘争のなかで、本来的には同じ側の人間を目障りだっていう理由人権思想否定して背中撃ちするのならば、まぁ、思想としても社会運動としても袋小路になってしまうというだけの、それだけの話しなんだけどね。

Permalink |記事への反応(0) | 22:21

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2025-10-15

anond:20251014222916

「水は富士山で買いなさい」って新書タイトルでありそう

Permalink |記事への反応(0) | 12:43

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2025-10-07

政局ニュースとか見てると面白いときあるから結構好きなんだけど、

誰と誰が仲良くて誰と誰が仲違いしたとかそういうのをまとめたサイトとか無いのかな

登場人物多すぎてイマイチ分かんないんだよね

新書はあるけど昭和の話ばっかりじゃん

ニュース名前出てくるような現役政治家の相関図を知りたいんだけどな

こまめにニュース見るしかないんかな

Permalink |記事への反応(0) | 21:45

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2025-10-06

dorawii@執筆依頼募集中

日本語に関する本でちょくちょく南伸坊ってやつのコラムがぶっこまれてるのあったけどもっと支離滅裂文章だったけどな。

新書読んでていちいちどの本だったか覚えてないほど慣用句誤用も見てきてるしあん文章の粗って問題じゃないんだと思うんだがなあ。

求人応募専用ダイヤル」なんてポスターが出回ってるあたり社内の文章担当結構杜撰日本語力でもなれるみたいだし。

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Permalink |記事への反応(2) | 16:37

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2025-10-03

anond:20251003104638

ハードカバー本でこれ言ってる人なら理解できる

文庫新書、ましてや雑誌でこれ言う人もいるからとんでもない世の中になったなと

これも全部「将来の転売を見越して」なのがあさましい

Permalink |記事への反応(0) | 11:56

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2025-09-30

dorawii@執筆依頼募集中

新書じゃないけどリアル鬼ごっこ

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Permalink |記事への反応(1) | 18:49

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dorawii@執筆依頼募集中

お前が執筆依頼募集が通る人間を買い被り過ぎなんだよ

商業流通してる新書でも慣用句誤用とか普通に見かけるぞ。

まり粗突いて問題になる程度のことで仕事が来ないってわけではないってこと。

-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20250930183124# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaNujbQAKCRBwMdsubs4+SDvkAP44e1ANilDIBWNoYhbBu0/jeRbbSAgIzUsySVeyuxmP+AD+OS2oGYy1+Yc0x5x/McKOY5cajAGfzl+Gz0YmI9xuUgQ==NwcY-----ENDPGP SIGNATURE-----

Permalink |記事への反応(1) | 18:31

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2025-09-27

教養」がなければ「読書」ではないと言われると日本語ちゃんと使ってほしいと思ってしま

これを言っている人間日本語を知らないと他人を笑ってるとなんのギャグなのかと思ってしま

読書」なんて言うものはそんな高尚なものじゃなくて、ただ「本を読む」ことであり「情報を得る」」行為の一形態しかない


私の立場を明確にしておくと、そもそも教養」という言葉自体かなり嫌いだ

もっと正確に言うなら「教養」という言葉を人に対しての殴り棒に使う人間が嫌いだ

教養」と一口に言ってもそれが差す意味は様々で

知識

常識

人格形成をするための基盤」

社会を動かすための力」

このような感じで専門家の中でもこれが差す意味や目指すべきところの解釈立場で違ったりする

教養」というものは単なる「知識」という使い方をしている人もいるが、おおよそ含意として「人格形成の基盤」「社会を動かすための力」」という意味で使っている人が多いだろう

言葉を知らないのは確かに知識」が足りないかもしれない。だが「教養」を振りかざしてそういった知識のない人間を叩くことは、果たして教養」ある人間の行うことだろうか?それこそ「教養」を知らない人間仕草ではなかろうか?


そんな人間読書というものを過度にありがたがっている様をみると何とも哀れで仕方がなく、同時に読書というもの価値を貶めているとすら見えてくる

自分読書は好きだ。純文学ミステリーSFラノベ新書知識を得るのも楽しいし(最近地理とか地学新書が好きだ)、エッセイもよいものだ。たまに詩歌の本を読むのもいい。

だが、読書というもの特別には思わない

それはこの情報媒体多様化した時代においては情報の受け取り方でしかなく、コンテンツの一形態しかない。そこに高尚さもありがたさもないのだ

(もちろんそのコンテンツ特性、それでしかできない面白さや受け取りやすさはあれども)

私は読書が好きだし、好んで様々な本を読んでいる

でもそれは決して「教養」を得るためではなく、「知らないものを知る」「見たことないような景色を見たい」からそれを行っているだけだ

それは他人を殴るためではなく「自分が楽しむ」ために行っている行為

からこそ、自分が楽しんでいる行為他人を殴るために使っているのを見るにつけ、とても不快に感じてしま

からこそ「教養ある皆様」におかれましては「読書」をそんなことに使わないでほしいと思ってしま

Permalink |記事への反応(1) | 19:32

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2025-09-24

あずまつじた

・つじたには事実能力があった

・その能力には、専門領域能力だけでなく、領域横断のイベント仕切り能力も含まれていた

・そしてそれらの能力いかんなく発揮し、件の配信プラットフォームで稼いでいた

・あずまはそんなつじたの能力を買っていた

・ゲ社がつじたを、門外漢テーマ乱暴な座組みのイベントに放り込んだのは、それらが背景

(あずまが「つじたにやらせればいいんじゃね」と言ったか、あずまのそんな態度を忖度してゲ社社員がつじたをぞんざいに扱ったかは定かではない。あるいは両方かもしれない)

しかし、つじたは個人事業者として独立独歩の気風を旨としていた

イベント仕切りは余技に過ぎず、言われればできるけど、やりたくてやるものではない。そんなの自分キャリアにならない)

・あずまはつじたの仕切りの能力に、自身の後継を見出し

(毎回毎回いつもこれが失敗の原因。そんなの存在しないって自分でもわかってるくせに。自分が楽になりたいからって、都合良く後継に押し付けられるわけないじゃん)

しかし、つじたは自分キャリアにならない、つまらない座組みは拒絶した

・あずまやゲ社が531以前について「つじたは断ってばかりいる」と言ってるのはたぶんこのことではないか

(この点における、つじたの「同じ座組みじゃつまんないじゃないですか」は意味不明。同じ座組みで定期的に実施してグラデーションさせるのも立派な企画だと思うので)

・あずまは、自分の身銭を切ってやっとこさこしらえたプラットフォームで、自分こころよく思わないかたちでの金稼ぎに憤懣やる方なし

(これもいつもの失敗の原因。女性売り云々事件も結局これ。「自分こころよく思わないかどうか」基準。しらんがなってみんな思うし、そんな不安定なところにコミットできんと思うのも仕方なし)

・以上の結果、あずまが531に及んだ

・720あずま逆ギレ。どうせ俺が悪いんでしょ!でもぼくがつじた切れるわけないじゃん!だって稼いでるんだもの!それをぼくが表明してなにがわるい!とかなんとか

・ついでに「あんまり売れなかった新書(でも一般的には結構売れた新書。でも三宅香帆とかには勝てない程度の規模)」についても、疑心暗鬼被害妄想でつじたが熱心じゃないと非難

・今のまま会って話しても、ぼくはつじたに悪口を言ってしまうとおもうから、今は会いたくないの!それくらいわかれよおまえらバカなのか!とかなんとか

(しらんわ)

・でもつたからしたら531がよっぽど重要。とても重要プラットフォーム中立性、安定性こそ、自身活動キャリアにとって重要自身学術的・社会的信頼、ひいては経済的基盤の根源

・それにもかかわらず、あずまはともかく、ゲ社としてもなんらの反応を示さないことへの不信感、不快感

・以上の結果、現在の状況に至る

押し付けたい(それによって楽になりたい、自社を儲けさせたい)」あずまと、「そんなの知らんがなこっちは個人事業者っすよ」のつじたの対立構造という理解でおるよ。

どうでもいいねさようなら

Permalink |記事への反応(0) | 20:26

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