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2025-12-14

「なぜはた」のnoteバトルを読んで

小並感なので無視してください。

https://ichiiida.theletter.jp/posts/0aa160a0-d70f-11f0-aa07-8582de6095b5

https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5

「なぜはた」の明確な問題点は「タイトル主語が大きすぎること」です

反論」の問題点データの使い方と論理おかしいことです

<以下本文>


まず大前提として、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、「かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々」という特定の層が抱える悩みについて、それが個人的問題ではなく社会構造上の問題であることを論じた本です。

大前提となる、「『かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々』という特定の層」が存在することをデータで示さないと、「実感」としてそういう層の存在を主張したとしても議論が始まりません。

「この神聖な水飲んだらがんが治ったんだもん」とデータなしに主張しても、そこから先の議論に至らないのと同じです。


これに対し、飯田さんは国民全体の平均値であるマクロデータを持ち出して「全体で見れば変化はない」と反論しました。が、これはいうなれば、「日本人平均寿命は伸びているから、あなたの今の病気存在しない」と言っているのに等しい議論です。

→この例えは明白に誤りです。なぜなら前者は「全体の読書量」と「特定の層の読書量の推移」を比較する主張であり、後者の「寿命」と「特定の疾患の存在」とは評価対象が異なるからです。

あえて寿命で例えるなら、「日本人平均寿命は延びているから、喫煙者平均寿命も延びている」などがあります。これならば「全体」と「特定の層」を共通評価である寿命」で比較できますし、「日本人平均寿命が延びていること」を示しても「喫煙者平均寿命が延びていること」を示さないのはその通りで、これならば矛盾と言えます

しかしその仮説を論じるなら、タイトルを「喫煙者平均寿命~」とするべきで、主語日本人全体としたり、明確に示さないことが明らかに誤りであることは誰にでもわかると思います。)


全体平均の中に埋もれてしまっている「特定属性の変化」に光を当てるのが拙著役割です。マクロデータのみで個人の実感を否定することは、分析手法として適切ではありません。

マクロデータのみで個人の実感を否定すること。確かによくないですね。

おじいさんおばあさんの中には、煙草を決してやめない人がいます。「私は煙草を吸っても今まで病院のお世話になったことないんだから、それでいいの」 大変結構だと思います

こういう人たちに、「タバコ健康に悪いからすぐやめなさい」と言っても、個人経験則否定することになり、もめます

マクロデータ目的は、「特定属性の実感」を否定することではなく、全体を解析して現状やその傾向を把握することです。分析手法として、データで示されない実感を大切にすることは重要ですが、解析の結果「実感」を否定する結果になってしまうことはままあります

からこそ、「実感」を前提とする議論をするならば、実感の存在のものデータとして示す必要があるのです。


拙著統計データを多用することは本題からそれてしまうため(何度も書きますが、私の書いた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はマクロデータで語ろうとした本ではありません)必要最低限にとどめていました。が、本稿ではあえて氏の提示したものと同じデータソースを用いて反論を試みます

→繰り返しになりますが、主張には前提が必要で、前提が正しくなければ主張も意味を成しません。したがって、前提をデータとして示す必要があります。それが必要最低限に至っていないということなのです。


飯田さんは「高校生の時点で読書量は減っており、働き始めてから急に減るわけではない」と指摘されていますしかし、この主張は「誰を対象にするか」という分析対象のセグメントを見誤っています

まず、拙著対象としているのは「元々読書習慣があった人々」です。では、統計的に見て「読書習慣がある人」とはどのような層を指すのでしょうか?

次図「読書習慣のある人」の月平均読書冊数を見ると、過去約40年にわたり、本を読む習慣がある人の読書量は月平均3-4冊の間で安定して推移しています。つまり統計的定義として、「月3-4冊読む」という行動こそが、日本の「読書習慣がある人」の姿であるといえます

対象としているのが「もともと読書週間があった人々」なら、なぜ書籍タイトルが「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」と主語が示されていないのでしょうか。ここが反論とその反論の大きなズレの原因です。

ちなみにこの統計データhttps://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/94111701_03.pdf)が35ページ目(pdfだと39ページ目)にあるんですが、16-19歳の調査人数、なんと83人なんですね。

これだと1人減ったら1.2%割合が動くことになるんですよ。以下に書き起こしたもの記載してみます

<16-19歳の読書数>

0冊=66.3%

1-2冊=22.9%

3-4冊=8.4%

5-6冊=1.2%

7冊以上=1.2%

あれ?1.2%が二つ。つまりこれ、5-6冊、7冊以上の人は1人ずつでしたね(笑)

3-4冊の人も1人減ったら7.2%になり、2人減ったら6%になって20歳代の人と同等になっちゃますよね。

おおよその割合をみるには使えると思うんですけど、「16-19歳とその他の世代比較」には非常使いにくいデータだと思いませんか?もし複数回同じ手法調査したら、ひっくり返っちゃったりすることもあり得そうです。

しかも、令和5年の大学短大専門学校の進学率を合わせると約8割、大学に限ると約6割で、ちょうどこの統計の年齢階級を跨いじゃってるんですね。

から、このデータで「働くと読めなくなるかどうか」を議論するのって、そもそも無理なんですよ。


ご覧の通り、「1,2冊」というライト層では加齢による減少は見られませんが、「月3-4冊読む習慣のある層」においては、労働間中生産年齢)に数値が底を打ち、退職後に回復するという明確な「U字カーブ」を描いています

学生時代読書減と社会人の読書減を同列に語ることはできません。なぜなら、このグラフが示すように、「労働から解放された世代(70代以上)」では、数値が学生時代の水準まで回復しているからです。 もし「加齢による文字離れ」や「スマホ普及」だけが原因であれば、高齢層でここまで数値が戻ることは説明がつきません。

もちろん、今回のような一時点の調査である以上、厳密には加齢による変化とコホート効果を切り分ける分析必要です。しかし、データ限界差し引いてもなお、この「労働間中にのみ、特定読書層が凹む」という事実は、労働環境がまとまった読書習慣を構造的に阻害している可能性を強く示唆しています。 全体平均にならすことで分布の特異性を捨象してしま飯田さんの分析は、データに表れた当事者ーー働いていると本が読めないのだとほんとうに感じている人々ーーの痛みを見落としていると言わざるを得ません。

→この主張も前述したように、1人動くと1.2%動くデータ示唆するのは無理があります

U字カーブあなたは70歳以上の人が自在スマホをいじくってネットサーフィンしているのを想像できますか?

交絡(データに影響を与える別の要素)がありすぎて、単純に就労の有無だけを結果の原因として求めるのはちゃんちゃらおかしいと思いませんか?

「痛み」ですか、はあ。タバコ吸っても健康でいられると思ってる人の痛みを想像したことありますか?(笑)


一見すると、「書籍読書冊数と市場規模は相関しないが、雑誌は相関する」という飯田さんの主張は正しいように見えますしかし、ここで気を付けなければならないのは、市場規模根拠として用いられているデータ定義です。これは「出版販売額」、つまり新刊市場の推移にすぎません。

雑誌のみが市場規模と相関する主要因は、書籍雑誌読書習慣の違いというより、市場構造の違いにあると考えるのが妥当です。書籍図書館での貸出や、古書店メルカリ等の二次流通市場といった新品購入以外のタッチポイント豊富です。

→なるほど、たしか書籍図書館古書店接触がある分、新品市場だけで語ると乖離が出そうですね。

まり、「読書数の総量=新品購入+レンタル中古」になるってことですな??

ということは「読書数>新品購入の勢い」が成立するということだ。ふむふむ。

ここで市井氏のnoteから引用すると

こうした「読む」と「買う」を短絡的に結びつける考え方はよく見られる。しかし、読む量と買う量は単純にイコールにはならない。イコールになるなら「積ん読」という言葉存在しない。

出版市場が成長していた時代にも、書籍読書量が増えていたわけではない。書籍は、読書量と購買量の傾向が一致しない。

→えーっと、積読があるから読書数<新品購入市場の勢い」もありえると。

……市井氏は積読があるから読書数<新品購入市場」と言い、その反論として三宅氏は中古レンタル市場があるから読書数>新品購入市場」と言っている!かみあってない!

まわりくどいんだけど、結局どっちも「書籍読書数と新品購入に相関がない」が「雑誌読書数と新品購入に相関がある」というのが主張で、一致している!反論すると見せかけて同じことを主張するという高等テクニックである


また、拙著の「雑誌自己啓発書を中心として、労働階級にも読まれ書籍存在していた」という記述に対し、飯田さんは「雑誌書籍区別がついていない」と批判されていますしかし、拙著記述明治時代出版状況についての記述であり、いうまでもないことですが雑誌コミック週刊誌割合時代とともに変わっていきます明治雑誌出版に関する記述を、現代雑誌と同様の枠組みで捉え、区別がついていないとするのは、論理が通らないのではないでしょうか。

以上のように、構造的に相関の低い「新刊販売額」を指標として用いて「書籍雑誌読書習慣が異なるので分けて考えるべき」と主張するのはデータの選定として不適切です。本来であれば、図書館の貸出しや二次流通市場におけるタッチポイント考慮したうえで読書冊数との相関がないことを示すべきです。また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。

→えーと、前半の文章市井氏の引用した部分が明治時代の話をしているか不適切ってことだな。うむ作者が言うならそうなのだろう。

後半は……

構造的に相関の低い『新刊販売額』を指標として用いて『書籍雑誌読書習慣が異なるので分けて考えるべき』と主張するのはデータの選定として不適切

あれ、あなた書籍読書数と販売数は相関しないけど雑誌は相関するって言ってましたよね?

分けて考えるべきなのは妥当なんじゃないんですか?笑

また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。

市井氏のnoteをみると、扱っているデータ70年代以降のもの明治時代の話はしてなさそうですけどね。

それに市井氏の

なお、『読書世論調査2016年度』には書籍読書率について「戦後読書世論調査の開始以来、多少の変動はあるものの、おおむね5割前後で推移している」と書いてある。『なぜはた』は読書世論調査引用しておきながら、読書世論調査サイドの「長年そんなに変化がない」という見解とは異なる「本離れが進んでいる」という主張をしている。

この部分に関する反論はしなくていいんですかね。マスデータから

引用元の文献(黒田祥子山本勲「長時間労働是正と人的資本投資との関係」)を見る限り、これは事実ではあるものの、解釈適用先が間違っていると考えられます

というのも、ここで引用されている論文が測定している「自己研鑽」と、拙著が指摘する「自己啓発書読書」は、行動の質が全く異なります論文が指すのは資格取得やスキルアップのための「能動的な学習」であり、これに対して『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が論じているのは、新自由主義的な不安に駆られた人々が救いを求めて読む「自己啓発書の消費」です。むしろ、「労働時間が減っても、能動的な学習に取り組むほどの気力や体力は回復していない」という論文の結果は、人々が手軽な「やった感」や「効率的な正解」を得られる自己啓発書(=ファスト教養)に流れるという拙著の仮説と矛盾しません。

キャリアアップのための能動的な学習」の機会が減ったからといって、「手軽なノウハウ本」のニーズがないことの証明にはならず、このデータ根拠にするのは的はずれです。

→確かに自己研鑽時間が減ったから」といって「手軽な自己啓発本を読む時間が減った」とは言えない。それはその通りだ。まあ手軽な方が増えたとするのはあくまで仮説で、それを証明する手段もそうないよね。



4.「自己啓発書へのシフトという説は誤りである」への反論

飯田さんは「市場規模において、依然として小説自己啓発書より大きいため、自己啓発書へのシフトという説は誤りである」と主張されています

これには二つの反論があります

第一に、議論の焦点は、現時点での「絶対量」ではなく「変化の方向性トレンド)」です。たとえパイの大きさが小説の方が大きくとも、書店の棚構成の変化や、人々の意識における効率性の重視といったトレンドの変化を否定する材料にはなりません。

第二に、ここで飯田さんの論理には明確なダブルスタンダード存在します。飯田さんはこれまでの議論において、「市場動向と読書実態書籍においては必ずしも一致しない」と主張されました。しかし、ここでは一転して、「小説の方が推定発行金額市場規模)が大きい」ことを根拠に、「小説の方が読まれている」と結論付けています


→いったん整理すると、

三宅氏の主張>

読書方向性が手軽な自己啓発書シフトしているか読書量が減った。

市井氏の主張>

小説市場規模の方が大きいので自己啓発書読書量に対する影響は大きくないはずだ。

三宅氏の反論①>

市場規模では確かにそうだが、トレンド(推移)は見てないですよね?だからその論は否定根拠にはなりません。

三宅氏の反論②>

さっき書籍雑誌比較で「市場規模読書量は相関しない」って言ってたのに、自己啓発書小説市場規模比較するのはおかしい!ダブルスタンダード

反論①については、たしかトレンドそうかもしれないけど、象に犬がキックしても効かないように、市場における小説の占める割合の方が圧倒的に大きいのだから自己啓発書トレンドがまあまああっても全体のムーブには影響しにくいっていうのは確かなんじゃないですかね。

反論②については、雑誌書籍比較と、小説自己啓発書(どちらも書籍に含まれる)の比較全然別だから、まずダブルスタンダードとは言えないのは明らか。これは間違いない。

自身にとって都合の良い時だけ売上と読書実態を切り離し、別の場面では売上を読書実態根拠とするのは、論理一貫性を欠いています

→これは完全にどっちもどっちと言わざるを得ません。データ分析仕事にしている人ってこのレベルなんですね。というかそもそもデータの部分よりも文章の方が蛇行運転になっていて、上記したように論理が合わない箇所がいくつかあります心配になりました。

<お わ り>

Permalink |記事への反応(1) | 07:31

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2025-12-05

anond:20251205102846

マガジン

「君はおれの優しくない春 - 前野温泉

絶対死なないステラ光永康則/大高稲 」

「妹は知っている -ガンギマリ

「やがて蛸になるきみと -小嶋網走

「無敗のふたり

平成敗残兵すみれちゃん -里見U」

二階堂地獄ゴルフ -福本伸行

「ずっと青春ぽいですよ - 矢寺圭太 」

新刊100億冊ください - 破賀ミチル」

「A Mangaka’sRoad toJapan - JuanAlbarran」

あくまクジャクの話です。 小出もと貴」

Permalink |記事への反応(1) | 10:43

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ワートリ新刊諏訪株が天元突破してる

あのどう見てもヤンキー大学生みたいな見た目であんなに気回しできるハイパーデキる男なの狡すぎるだろ

シンプルあんな人と結婚したすぎる

Permalink |記事への反応(0) | 10:39

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2025-12-02

地域若者流出まらず “駅前は塾だけ”の栃木市で広がる閉塞感

市内唯一の娯楽施設ラウンドワン」閉店決定 住民「街としての役割果たしていない」**

 栃木県栃木市で、若者の市外・県外流出が深刻化している。背景の一つとして、市内の娯楽施設の不足や、駅前商業環境の偏りが指摘されており、地域住民からは「この街で過ごす理由が見つからない」との声が相次ぐ。

■ 市内の娯楽、事実上消滅”へ

ラウンドワン閉店の衝撃**

 市内で若者向けの娯楽施設として長年親しまれてきた「ラウンドワン栃木・樋ノ口店」が、2021年3月31日をもって閉店した。住民からは「栃木市が終わった」との落胆の声が広がった。

 もともと同市ではゲームセンターや大型遊戯施設が次々に姿を消しており、残るのはイオン内の小規模ゲームコーナー程度。

 **「パチンコ以外に遊べる場所ほとんどない自治体」**という厳しい現実が露わになった。

■ “駅前は塾ばかり” 商業機能崩壊状態

 JR栃木駅周辺を歩くと、まず目につくのは学習塾看板だ。複数大手塾が軒を連ね、夜間は塾だけが明かりを灯す一方、飲食や娯楽系の店舗は乏しい。

 市内の若者から

駅前に来ても、塾以外に何もない」

「ここから出るために勉強する街になっている」

と自嘲気味の声が聞かれる。

 新刊書店は市内に1店舗TSUTAYA)のみで、その場所も駅から離れている。映画館は市内に一つもなく、市民の消費行動は佐野市宇都宮市小山市へ流れがちだ。

 結果として、**「街にお金が落ちない」**状況が常態化している。

■ 蔵の街・景観保全が“開発抑制”に

若者大人押し付けしか見えない」**

 観光資源として市が重視する「蔵の街」の景観。市中心部では建物道路整備に強い規制があり、近代的な開発が進みにくい。

 しか若者からは、

景観を守るために、街の未来が削られている」

「蔵は残っても、街は衰退する」

辛辣意見が上がる。

 観光客数も伸び悩み、ゴールデンウイークでも人通りは少なかった。「歴史的価値を前面に出すだけでは街が維持できない」という現実に、市民の不満は積み重なる。

道路公共交通も不便さ露わ

市バス2時間に1本、暗い県道も**

 市内の移動手段の不便さも指摘されている。市バスは2時間に1本と本数が極端に少なく、生活圏を移動するには自転車で40分〜1時間かかる地区もある。

 また、県道の一部では街灯が少なく、夜間は暗いままで安全性への懸念も根強い。

市役所百貨店2階に移転

市民目線とズレた施策」不満の声も**

 市役所東武百貨店の2階部分に移設されたことにも、疑問を唱える市民は少なくない。百貨店市民生活動線から外れており、結果として利便性は向上していないとの見方大勢だ。

 「市民が足を運ぶのはイオンやBeisiaなどの安価な大型店。百貨店に人は集まらない。なぜここに市役所を置いたのか理解できない」との声もある。

若者は都会へ、戻らず

“都会に人材だけ送り出す構造”に**

 栃木市では、進学を機に市外へ出た若者が戻らない傾向が長年続く。

 市内で育ち、駅前の塾で勉強し、大学東京宇都宮へ、そのまま就職――。

 こうした流れはもはや固定化しており、

栃木市は都会への踏み台になっているだけ」

という指摘もある。

 市にとっては人口減少と税収減という形で跳ね返り、地域経済をさらに圧迫する悪循環となっている。

専門家景観規制見直しと、若者向け開発が急務」

 地方都市問題に詳しい都市政策研究者はこう話す。

歴史景観価値ある一方、現在栃木市には“生活の不便さ”がのしかかっている。

若者を惹きつける商業文化施設の整備、駅前再開発交通網の改善など、

生活者を基点にした政策転換が急務だ」

 京都ですら景観規制運用を見直す時代である栃木市も“古さを守る”だけでなく、“未来を作る”方向への舵切りが求められている。

■ 終わりなき「何も無い街」からの脱却なるか

 自然は豊かだが、自然はどこにでもある。

 蔵の街は残るが、若者は残らない。

 娯楽は消え、生活は不便のまま――。

 栃木市が抱える問題は、地域衰退の縮図とも言える。

 市内からは「ゼロから街を作り直すべきだ」との声すら上がっている。

 “何も無い”という現実を変えられるか。

 栃木市未来は、いま大きな岐路に立たされている。

Permalink |記事への反応(0) | 23:18

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2025-11-29

進撃の巨人ポリコレかぶれたせいで100万人以上の読者が逃げた

進撃の巨人一般には商業的に成功した作品であるが、売上が激減して大失速した作品でもある

全盛期には全巻売上が年間1000万部だったのに、終盤は180万部にまで激減

その頃にはもう既に大体の人が既刊を持っているからだ、と思うかもしれないが、新刊売上も減った

全盛期には新刊の売上が発売日から5週で200万部ほどだった

ところが終盤には95万部にまで下がった

100万人以上の読者が読むのをやめてしまった

理由は明白である

作者がポリコレかぶたからだ

少年時代の作者がネトウヨで、第二の父たる町山智浩ラジオによってネトウヨ卒業したというのは有名な話だ

進撃に登場する眼鏡キャラ指導者役はほとんどが町山をモチーフにしている

外見や誕生日まで町山をなぞり事前に町山に許可を取ったキャラはクサヴァーだけだが、ハンジやシャーディスやジークなどメインキャラに何人も町山がいる

ハッキリ言えば、進撃の売れたところはネトウヨ時代に由来し、失速したところは町山に由来する

閉鎖された環境鬱屈としている少年が外の世界から来た大敵と戦い活躍という序盤の売れた部分はネトウヨファンタジー

作者自身が山に囲まれ田舎町でそうありたいと願った夢だ

強大な敵と卑小な人間という対比は視覚的にもわかりやす大人気になった

しかし、徐々に町山の影が迫る

主人公らの住む島は、被差別民族「ユミルの民」の流刑地であり、「外の世界」に取り残された同胞らは差別迫害され苦しんでいるという高度に政治的真相が語られだす

かつて巨人に変身できる能力を持つ民族として他民族を踏み潰しまわり栄華を誇ったユミルの民は、近代化が進む中で巨人に対抗できる兵器を開発できるようになった他民族管理抑圧される側となった

外の世界の人々は軍備を整え次第、島を丸ごと潰すつもりであり、そうなる前に主人公は外の世界の数十億人の他民族全てを踏み潰し滅ぼす決意を固める

巨人と戦うシンプル漫画として始まったのに、ややこしく多くの読者がついていけない内容になった

そしてヒロインミカサは髪をショートカットにして男にしか見えないポリコレブスになり、島にはほぼ同一民族しかいないため白人だけだったが外の世界ポリコレ黒人がメインキャラに食い込み、更にはゲイであることを示唆するグリースも登場する

大人しく男に従うだけの都合のいい女になってはいけないとか、産む機械にさせるぐらいなら処刑されたほうが救いであるとか、フェミ要素も随所に盛り込まれ

ポリコレよくばりセット漫画と化していった

民族差別ジェノサイド政治ジェンダー、町山による災禍が進撃を蝕んでいった

ヒット作品政治を混ぜるとどうなるか、その最たる例が進撃だろう

Permalink |記事への反応(0) | 07:35

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2025-11-23

日本電子書籍は高くないかコストがかからない分安くなるべきではないか海外でも同じなのか?と思っていたが、海外でもまぁ同じ状況のようだ。

ヨーロッパ特にドイツフランスでは、電子書籍価格を紙の本と同じく定価に保つことが、法で定められている。

 

70〜90年代にかけて、欧米では大型書店量販店が力を持ち始めて、「ベストセラーを35%引き!」みたいな価格競争が起きた。そうすると当然、小さな本屋がつぶれまくる。フランスでは「書店が消えたら文化死ぬ」と作家知識人が猛反発して、1981年に「ラン法」という「本は全部定価で売りましょう」という法ができた。ここで、書店を守る=文化を守る、という価値観確立した。

 

背景には「本は文化財」という考え方がある。値引き競争放置すると、売れる本しか出なくなるし、哲学書詩集・専門書みたいな、儲からないけど大事な本が消える。だから市場原理だけに任せると文化多様性が崩れる」という危機感が強い。さらフランスドイツ地域本屋コミュニティの核で、日本みたいにコンビニAmazonだけでどうにかなる構造じゃない。だから書店網の維持」が政策目標になってる。

 

制度目的シンプルで、「書店多様性を守る」「出版社多様性を守る」「全国どこでも新刊が買える」「本を文化商品として扱う」の4つ。EUでも広く共有されている価値観らしい。

 

ではなぜ、電子書籍にも定価縛りがかかったのか?

理由はほぼ「Amazon対策」。Kindleが普及し始めたときAmazonが値引き攻勢をかければ、電子書籍市場を独占 →出版社書店も逆らえない →Amazonが値上げする、という未来現実味を帯びていた。これを防ぐため、フランス(2011)、ドイツ(2016)で「電子書籍も紙と同じく定価販売」を適用した。

 

しかも、電子書籍が激安になると出版社収益が崩れて、学術書や専門書が維持できなくなる。紙が売れないと出版文化全体が弱るから、それを避ける狙いもある。電子書籍市場でも独立書店出版社が参入できるように、価格Amazon一強になるのを防ぐという意味も大きい。文化省は「電子書籍は紙と同じ書籍」だと定義していて、だから法律対象になる。

 

対して日本は、電子書籍に法的な再販制度はない。紙は再販制度があるけど、電子出版社自主判断理由としては「流通が取次中心で、法律で守る必要が薄い」「Amazonの台頭が遅かった」「書店文化保護政治的圧力が弱い」「出版社自主的に紙とほぼ同じ価格にしていた」など。

 

Kindleのようなプラットフォーマーが大きめに手数料を取ることで、印刷流通、保管のコストと同等のコストが常に生じるし、プラットフォームによる値下げ圧力・安売り競争の促進があると、電子書籍ユーザーにとっては一時的に良くても、長期的に著者や出版社利益が脅かされて、本というもの文化がやべーよっていうことかね。

Permalink |記事への反応(0) | 16:48

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2025-11-21

なろう系ってコミカライズとか始まってエタるの鬱

書籍化してるなろう系とかコミカライズ始まるとそっちに時間割いてるから書籍刊行更新も止まるんだよな

漫画だと進むの遅いか文字で読みたいんだよ

気に入った作品見つけたから読もうとしたら2年も更新がなくて発狂した

コミカライズ書籍化してるのに2年も更新が止まり放置プレイ

なんなら書籍新刊も2年前で止まってる

もしかして作者エタった?

Permalink |記事への反応(0) | 22:50

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2025-11-20

anond:20251120085852

嘘乙!

ビーン文庫の9・1011月新刊11作品中、タイトルに「溺愛」が入るのは1作品だけ。

ビーズログ文庫でも9・1011月新刊13作品で1作品

アーススタールナは9・1011月新刊9作品で0作品

Kラノベブックスfでは1011月の6作品で0作品

レジーナブックスでは直近40作品のうち2作品

オーバーラップノベルスfでは直近30作品のうち6作品

とても1/3には届かないので頻度錯誤にすぎないですね!

Permalink |記事への反応(0) | 09:48

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何年も更新がない作品とかの宣伝するなよー!!

Twitterで流れてきた面白そうなコミカライズを見つけた

読み終わって原作があることを知り小説を買う

何と3年も新刊が出ていなかった

大元のなろうに飛ぶも、なろうも更新されておらず……

コミカライズ時間割いてるから

3年も続き出さないとか目の前の人参取り上げられたも同然じゃん

コミカライズ出すと止まったりするなろう原作作品多くないか

続きが読みたいんだよ続きが……読ませてくれよ……

2巻までしか出てないのにもう発売のコミカライズ1巻分消費したぞ?

なろうは1巻分しか載せてなくて続きは書籍でってなってるのにその書籍も残り1巻分のストックしかないぞ

もしかしてこのまま2巻分のストック終わらせたら適当に終わらせる?

2巻の終わり方気になるんだよぉぉぉ

Permalink |記事への反応(1) | 01:31

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2025-11-15

正直もうAIに飽きたの俺だけ?

RTX4090を2枚持ってる。

小説用(ローカルLLM)にメモリも128GB分所持してる。

生成AI中級者くらいだと思う。

 

好きなものを作れるのは楽しかったが、爆速で作りすぎてネタ切れ

小説イラストを作りまくった(nsfwいから外部にはほぼ公開してない。売るのもめんどいトラブルめんどい)。

絵や文字が好きで動画は興味ない。

結局、自分想像できる範囲のことの面白さなんてたかが知れていて、他人創作物に触れないとつまんないんだな、という境地に達した。

 

最近は、Xに流れてくるクリエイターたちのアイデアに触発されるか、漫画新刊が出るとかゲームのアプデが入って、創作欲をかき立てられる時にしか生成AIには触ってない。

AI利用者は突飛なアイデアを出さないし、ボタンぽちぽちのつまらんやつばかり。Xでリスト作って、面白い人や新たな試みをしてる人だけまとめてる。こいつらで組んでなんか作ってくれや。

 

未だに反AIと推進派で争ってるのも見飽きた。

制度が整備されるのはまだまだ先なんだから自分の好きなようにブロックミュートして、心地よいコミュニティを作りなさい。

 

ちなみに俺のAIとの付き合い方は、

・今までAI以外で満足していたのに今更AI作品なんていらない。

AIぽいと感じたら買わなくていい。他にもコンテンツはたくさんある。

・気軽にブロックミュートをしていく。ややこしいのは、別途「AI疑いリスト」を作っておいて様子見する。

AI作品に金を出すなら自分で機材揃えて作ろう!

 

となってる。

野良AIアーティストには一円も払いたくないという信条がある。無料でもいらないが。

今後、大手企業が生成AIを取り入れ始めたら、流れに乗って受け入れていったらいいんじゃないかな、と。

 

とにかく、今は俺的には停滞期ってこと。

AI関連の最新情報は追いながら、商業化されたものだけを買ってる。

その他の時間ゲーム資格のための勉強時間を充ててる。

別にAIがあってもなくても、俺の生活は大きくは変わらん。

Permalink |記事への反応(3) | 17:11

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生成AI嫌いだけどコミケAIサークルが出るのは問題ないよ

冬コミに、生成AIをメインで使うサークルがそれなりの数参加するということで、けっこう揉めている。AIも立派な表現から参加するという声もあれば、AIなどただの盗作から運営AIを締め出すべき、までさまざま。参加者が揉めるのはいいが外野ちょっとだまっててほしいかもしれない。

私は10年以上コミケサークル参加している絵描きである

くわえて生成AIの現状にはめちゃくちゃ批判的な立場である。反AIって呼ばれる部類?呼び方はどうでもいいが。

Xでしゃべると面倒そうなので増田に書きます

結論タイトルどおりで、AIサークルの参加に問題はない。コミケ準備会禁止するつもりはまったくないだろう。

現在社会一般ではAIによる生成物が文章画像を問わず当たり前に出回っている。

私はそれを良いこととは思わないし、法律も含めて一定規制が進むべきだと考えているが、ともかく現状の世間では許容されている。

なのでコミケでも許容されてよい。コミケとは一般的モラル以上のルールが求められる場ではない、というよりさらに寛容だからだ。

自分たちで作ったものなら何を置いてもいい。机の上で完結し互いに干渉せず迷惑をかけない、ざっくりいえばそれだけがルールだ。自分サークルの隣がAIサークルだとしても仕方がない。ふつう挨拶はする。(新刊交換はご遠慮願いたいが)

もちろん即売会レギュレーションとして創作物範囲を定め、AI生成物は禁止とするのは自由だ。仮にコミケがそうしてもなにも問題はない。

ただし、AIだけを禁止するのはこれまでのコミケのやり方にはそぐわないと思う。

そもそもコミケ自由創作の場をうたってはいるが、自由とは要するにゆるゆるなのである

二次創作が大半を占めるのも、エロ本が売られるのも、マンガアニメ関係ない趣味の本があるのも、コスプレ大勢いるのも、来るものを拒まずにいた成り行きの結果にすぎない。法的に危うい恐れがあっても明確に黒でなければ締め出すことはない。だからAI忌避することもないだろう。

AIを締め出してほしい派の人たちは、コミケというものに明確なルール運用される創作者の味方を期待しているのだろうけど、それはお門違いかと思う。いいかげんでごちゃごちゃしたアンモラル寄り、灰色の場がコミケなのだ

仮にコミケAIを締め出すとしたら、一般社会からAIがある程度締め出されるようになってからだろう。

AIサークルが増えてもいいのか?創作の場が生成AI侵略されていいのか?と言われたらふつうに嫌である

でも、たぶんそうはならん気がする。なったら場を移すしかないと考えている。

Permalink |記事への反応(2) | 12:16

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2025-11-14

男性BL二次創作被弾エピソードが気になる

小学校中学から高学年くらいのころ、ブックオフをうろうろしてたら「知らないONE PIECENARUTO銀魂マンガ」を見つけて、手に取ったらゾロサンやサスナルのBL二次創作掲載された商業アンソロジーであった…

みたいなエピソード結構幅広い世代にとって当たり前にあるらしく、幼心に衝撃を受けたとか気持ち悪かったとか、かなり強烈にネガティブな印象を抱いている人がいるんだよね。

BL二次創作商業アンソロジー特定年代刊行されて、今は出版社が潰れたことにより刊行が減っている(あるいは消滅している?)ようだけど、中古書店には結構な数出回ったままになっている。

新刊書店からは消えたあとも中古書店には、人気の少年漫画キャラ同士が行為しているようなのも、隔離されずに立ち読み可能状態で置かれていたりする。

あとは中学の頃に女友達腐女子BLアンソロを見せてきたというエピソードがある人もいるようで驚く。女子同士のBL布教活動存在を知っていたけど、男子にもやっていた奴がいるんかい…と絶句した。でもそれほど珍しくもないみたい。

腐女子が他の表現を叩いて「お前が言うな」と炎上するのがXで頻発しているけど、男性結構この手の見たくないBL二次創作被弾した経験があって、恨みに思いながらも黙ってやってんのにお前何様?という形で噴出しているのではないかと思ってる。

腐女子自身が他の表現に対してセンシティブな人が多いグループというか、嫌いな表現を「地雷」呼ばわりして批判する人が目立つ、というのもあるのかもしれないけど。

はてな民にとってはどうだろうか。はてなにいるような眼鏡の男の中学時代というと、女友達オタクだったとか腐女子だったなんてことも多そうだけど。げんしけん読んだことある人多そう。

あと小学生の頃に少年野球チームで死ぬほど動いてたみたいなタイプよりは、ブックオフうろうろして立ち読みしてたタイプのほうが多そうだなと思うし。

つか普通にゾーニング不行き届きであったり腐女子から男子に対するセクハラであり、BL二次創作被弾エピソードだいたい男性被害者であるもっと怒っていいのに。

Permalink |記事への反応(22) | 21:19

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雨穴、「異邦の騎士」、父親

大学1年生の息子が雨穴の「変な○○」シリーズを立て続けに読んで(ちゃんと紙の本で新刊で買って読んでた)はまったらしく、こういう感じのない?と聞いてきた。

僕も最近、ああいモキュメンタリーっぽいホラーが好きだったので数冊貸してあげたところ、読み終わっての感想に「悪くないんだけど、もうちょっとミステリーっぽいのが好きなんだと気づいたわ」と言ってきた。

うーん、そういう場合、一番最適なのはたぶん京極夏彦なんだろうけど、あいにく自分は未読で家にもない。ちょっとホラーっぽいミステリーねえ、ミステリー文庫本トランクルームに閉まってるか実家だなとしばらく思案。

書棚の奥の方をあさったら、島田荘司の「異邦の騎士」が出てきた。数年前に近所のブックオフで100円棚にあって買ったのを棚に刺したままにしていたやつだ。本当は「占星術殺人事件」か「斜め屋敷犯罪」の方がベターなんだけど今、手元にはないので、まあ、これでいいかと読んでみなと渡した。

翌日、読んでる?と聞いてみたら、「100Pくらい読んだけどまだわからん、っつうか、昭和の話かあと思ったら、主人公昭和25年生まれで、うわーとなった」 「東横線とか横浜とか高円寺とかたぶん俺の知ってるそれとは違うんだろうなとなった」 「ああ、J-POPがさげすまれてた時代ね、ジャズが人気あった時代かあと思った」とか面白い感想を言い出した。

なので、しばらくほっといたら翌日も「話がすすまねえよ。あっちこっち行きすぎだよ」と愚痴ってたが、すまん、御手洗潔シリーズって全部そんなんなんだよと返すしかなかった。

翌々日くらいに「読み終わった」と言いに来たので、感想を聞いたら「いくらミスリードといっても真ん中250Pくらいいらねーじゃねーかと思った」 「御手洗、一気に解決しすぎなんだよお前はと思った」 「いったい何を読まされたんだよ俺は」と言っていて、ああそれは御手洗潔シリーズの正しい感想だわと嬉しかった。ちなみにドラマ御手洗潔役は玉木宏がやってたぞと伝えたら「それは絶対違う」と笑ってた。うんそうだよね。

読みながらReturn To Foreverの「浪漫騎士」をSpotifyで聞いたそうで、俺が最初に読んだ頃はそういう読み方はできなかったのでちょっと羨ましかった。活字で読んだ音楽をその場で確認できるのはほんとにいい時代だと思う。

 

息子に「異邦の騎士」を渡したのは、この小説は僕が父から渡された小説だったからでもある。ちょうど自分が息子と同じくらいの年齢のころ、父から気まぐれに「これ面白かったから読んでみな」と渡されたのがノベルズ版の「異邦の騎士」だった。ミステリーって探偵が出てきて、依頼者がいて、殺人事件を解き明かしてみたいなやつでしょというくらいの認識でいた当時の自分には、そういう典型ではないこの「異邦の騎士」が御手洗と主人公の掛け合いの面白さもあり、非常にはまって読んでしまい、そこから立て続けに図書館で借りたり、本屋で買ったりして読みまくったのだった。

かといって、ミステリーマニアになったりするほどではなかったのは、どちらかと言ったら、この本は"面白いミステリー"の枠ではなく”父に薦められた面白い本”の枠だったからだと思う。

父は雑食な本好きで僕が学生の頃は家に何十冊もノベルズのたぐいがあった。僕が本を読むようになった頃は架空戦記ものにはまってしまっていたので自分の嗜好とはかなり違っていたが、中高生のころは何冊かは彼に教えられて読むようになった本がある。最初に薦められたのはたぶん「ぼくらの七日間戦争」だった。ちょうど映画化するころの話。まあ、あれは息子に読ませようと買ってきたのかもしれない。あと、高橋克彦なんかもすすめられた記憶がある。

結果的に「異邦の騎士」は父から僕へ、僕から息子へと三代をつなぐ小説となったわけだ。今度、墓参りにいったら父に報告しておこう。

 

息子は、課題があるからしばらく小説はやめとくが終わったらまた読むわと言ってたので、今度は書庫で探すかブックオフで拾うかして「占星術殺人事件」を渡そうと思う。

追記

mutinomuti勝手父親を殺すな()

書いてなくてすまんな、親父は8年前に死んでんだわ

Permalink |記事への反応(4) | 14:21

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2025-11-13

[日記]

僕は木曜日の朝10時に、昨日(水曜日)の出来事を記録している。

朝の儀式はいつも通り分解可能位相のように正確で、目覚めてからコーヒーを淹れるまでの操作は一切の可換性を許さない。

コーヒーを注ぐ手順は一種群作用であって、器具の順序を入れ替えると結果が異なる。ルームメイトは朝食の皿を台所に残して出かけ、隣人は玄関先でいつもの微笑を投げかけるが、僕はそこに意味を見出そうとはしない。

友人二人とは夜に議論を交わした。彼らはいつも通り凡庸経験則に頼るが、僕はそれをシグナルとノイズの分解として扱い、統計的有意な部分だけを抽出する。

昨晩の中心は超弦理論に関する、かなり極端に抽象化した議論だった。僕は議論を、漸近的自由性や陽に書かれたラグランジアンから出発する代わりに、代数的・圏論的な位相幾何学の言葉再構成した。

第一に、空間時間背景を古典的マンフォールドと見なすのではなく、∞-スタック(∞-stack)として扱い、その上の場のセクションがモノイド圏の対象として振る舞うという観点を導入した。

局所的な場作用素代数は、従来の演算子代数特にvon Neumann因子のタイプ分類)では捉えきれない高次的相互作用を持つため、因子化代数(factorization algebras)と導来代数幾何(derived algebraic geometry)の融合的言語を使って再記述する方が自然だと主張した。

これにより、弦のモードは単なる振動モードではなく、∞-圏における自然変換の族として表現され、双対性は単に物理量の再表現ではなく、ホモトピー同値(homotopical equivalence)として扱われる。

さらに踏み込んで、僕は散逸しうるエネルギー流や界面効果を射影的モチーフ(projective motives)の外延として扱う仮説を提示した。

要するに、弦空間局所構造モチーフホモトピー理論ファイバーとして復元できるかもしれない、という直感だ。

これをより形式的に述べると、弦場の状態空間はある種の導来圏(derived category)における可逆的自己同型の固定点集合と同値であり、これらの固定点は局所的な因子化ホモロジーを通じて計算可能である

ただしここから先はかなり実験的で、既知の定理保証されるものではない。

こうした再定式化は、物理予測を即座に導くものではなく、言語を変えることで見えてくる構造的制約と分類問題を明確にすることを目的としている。

議論の途中で僕は、ある種の高次圏論的〈接続〉の不変量が、宇宙論エントロピーの一側面を説明するのではないか仮定したが、それは現時点では推論の枝の一本に過ぎない。

専門用語の集合(∞-圏、導来スキーム、因子化代数、von Neumann因子、AQFT的制約など)は、表層的には難解に見えるが、それぞれは明確な計算規則と変換法則を持っている点が重要だ。

僕はこうした抽象体系を鍛えることを、理論物理学における概念的清掃と呼んでいる。

日常についても触れておく。僕の朝の配置には位相的な不変量が埋め込まれている。椅子の角度、ノートパソコンキーボード配列ティーカップの向き、すべてが同相写像の下で保存されるべき量だと僕は考える。

隣人が鍵を落としたとき、僕はそれを拾って元の位置に戻すが、それは単なる親切心ではなく、系の秩序を保つための位相補正である

服を着替える順序は群作用対応し、順序逆転は精神的な不快感を生じさせる。

ルームメイトが不可逆的な混乱を台所に残していると、僕はその破線を見つけて正規化する。

友人の一人は夜の研究会で新しいデッキ構築の確率最適化について話していたが、僕はその確率遷移行列スペクトル分解し、期待値分散を明確に分離して提示した。

僕はふだんから、あらゆる趣味活動マルコフ過程情報理論の枠組みで再解釈してしまう悪癖がある。

昨夜は対戦型カードルールインタラクションについても議論になった。

カード対戦におけるターンの構成勝利条件、行動の順序といった基礎的仕様は、公式ルールブックや包括的規則に明確に定められており、例えばあるゲームではカードやパーツの状態を示すタップアンタップなどの操作が定式化されている(公式の包括規則でこれらの操作とそれに付随するステップ定義されている)。

僕はそれらを単純な操作列としてではなく、状態遷移系として表現し、スタックや応答の仕組みは可逆操作の非可換な合成として表現することを提案した。

実際の公式文書での定義を参照すると、タップアンタップ基本的説明やターンの段階が明らかにされている。

同様に、カード型対戦の別の主要系統では、プレイヤーセットアップドロー、行動の制約、そして賞品カードノックアウトに基づく勝利条件が規定されている(公式ルールブック参照)。

僕はこれらを、戦略的決定が行なわれる「有限確率過程」として解析し、ナッシュ均衡的な構成を列挙する計算を試みた。

また、連載グラフィック作品について話題が及んだ。出版社公式リリースや週次の刊行カレンダーを見れば、新刊重要事件がどう配置されているかは明確だ。

たとえば最近の週次リリース情報には新シリーズ重要な続刊が含まれていて、それらは物語トーンやマーケティング構造を読み解く手掛かりになる。

僕は物語的変動を頻度分析し、登場人物の出現頻度や相互作用ネットワークを解析して、有意プロットポイント予測する手法を示した。

夜遅く、友人たちは僕の提案する抽象化が読む側に何も還元しない玩具言語遊びではないか嘲笑したが、僕はそれを否定した。

抽象化とは情報の粗視化ではなく、対称性と保存則を露わにするための道具だ。

実際、位相的・圏論表現は具体的計算を単に圧縮するだけでなく、異なる物理問題戦略問題の間に自然対応(functorial correspondence)を見出すための鍵を与える。

昨夜書き残したノートには、導来圏のある種の自己同型から生じる不変量を用いて、特定ゲーム的状況の最適戦略を分類するアルゴリズムスケッチが含まれている。

これを実装するにはまだ時間がかかるが、理論的な枠組みとしては整合性がある。

僕の関心は常に形式実装の橋渡しにある。日常儀式形式実験場であり、超弦理論の再定式化は理論検算台だ。

隣人の小さな挨拶も、ルームメイトの不作法も、友人たちの軽口も、すべてが情報理論的に扱える符号であり、そこからノイズを取り除く作業が僕の幸福の一部だ。

午後には彼らとまた表面的には雑談をするだろうが、心の中ではいものように位相写像圏論随伴関手の組を反芻しているに違いない。

Permalink |記事への反応(0) | 10:13

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2025-11-09

図書館?便利だけど、まず本は買え。

図書館?便利だけど、まず本は買え。

僕の結論はこう。

ただし、子ども向けの児童図書館は別。

子どもは本を買えないから、公共性として必要

リクエスト制度も考え方次第。

自分が読みたいからではなく、他の人にも読んでもらいたいかリクエストする。

そこで司書国家資格保持者)が文化的価値を守るフィルターになる。

もちろん、一部の常連や声の大きい人に偏るリスクもある。

から仕組み作りが必要

さら書店との連携重要

新刊情報地域作家情報も得られるし、購入ルートも確保できる。

司書負担は減るし、やり甲斐は増す。

単なる作業ではなく、地域文化ラインナップを作る仕事になる。

まとめるとこう。

こうすれば、図書館公共性も守れるし、利用者価値ある本に触れられると思う。

Permalink |記事への反応(0) | 06:25

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2025-11-04

[日記]

6時17分、電動歯ブラシの音が寝室に反響する。洗面台の左端から15cmの位置に置かれたコップの水面が、微細に振動していた。オートミール40g、プロテイン12g、アーモンドミルク200ml。抽出比18:1のコーヒーは、温度計が93.0℃を示した瞬間に注ぐ。食事中、ルームメイトが「また同じ朝飯か」と言ったが、揺らぎは統計的誤差を生む。火曜日の朝に味の分散不要だ。

午前8時。ホワイトボードには昨晩の計算式の断片が残っている。今日扱うのは、タイプIIB超弦理論の背景場に対する∞-層圏的修正モデル。モノイダル圏上の局所関手ファイバー束の形で再構成し、非可換モジュラー形式の層化とホッジ双対性を同時に満たす条件を探す。通常のホモロジー代数では情報が落ちる。必要なのは、∞-圏の内側で動く「準自然変換」と、その自己準同型の導来空間だ。これをLanglands対応派生版、すなわち「反局所的鏡映関手」にマッピングする。結果、弦の張力パラメータ対応する変形空間が、ホモトピー群πₙの非自明な巻き付きとして現れる。誰も確認していないが、理論的には整合している。ウィッテンですらこの構成を明示的に展開したことはない。そもそも導来層圏のモノドロミーを操作できる研究者自体が数えるほどしかいない。僕はそのわずかな孤島のひとつに立っている。

昼、ルームメイトが昼食を作っていた。キッチンIHプレートに油の飛沫が残っていたので、座標系を設定し、赤外線温度計範囲確認してから清掃した。隣人が郵便物を取りに来た音がした。彼女足音は毎回規則的だが、今日は左のヒールの摩耗音が0.2秒ずれた。おそらく週末に靴底を交換したのだろう。観測可能な変化は記録しておくべきだ。午後は大学セミナー話題M理論代数拡張、だが発表者の扱っていた「微分層上の非可換コサイクル」は粗雑すぎる。導来圏の階層化を考慮していなかった。帰りの車中、ノートPCホモトピータイプ理論を使って自作演算モデルを再計算した。

帰宅後、友人二人が旧式のTCGデッキを持ってきた。新パッチエラッタされたカード挙動確認するための検証会だ。デッキの構築比率を1枚単位最適化し、サイドデッキの回転確率モンテカルロ法シミュレートした。相手コンボ展開が不完全であったため、ターン3で勝負が決した。カードの裏面の印刷ズレを指摘したら、彼らは笑っていた。テーブル上に置かれたスリーブの角度が4度傾いていたので、直してから次のゲームに入った。

夜。隣人が新刊コミックを持ってきた。英語版日本語版擬音語翻訳がどう違うかを比較する。onoma-topeic rhythmの差分文脈ごとに変動するが、今回は編集者セリフテンポを原文に寄せていた。明らかに改良された訳。印刷の黒インクの濃度が0.1トーン深い。紙質も変わっている。指先で触れた瞬間に気づくレベルだ。

23時。寝具の方向を北北東に0.5度調整し、照明を2700Kに落とす。白板の前で最後計算。∞-層のモノドロミー作用素が、ホッジ-ドリーニュ構造と可換する条件を整理する。導来関手符号が反転した。ノートを閉じ、部屋の温度を22.3℃に固定する。音は一切ない。火曜日が静かに終わる。

Permalink |記事への反応(0) | 21:44

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2025-11-02

レベルの低いエンジニア理解できないだろう恐怖

日次バッチが正常終了してる。

異常データが入っていて、失敗するはずなのに。

できると噂されJoinして半年コード多産エンジニアに、PRについての基本的質問をしたけど回答が要領を得ない。

オライリー新刊が出るたびに熱心に推薦してくるCTOテックリード

Permalink |記事への反応(0) | 16:36

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2025-10-31

kindleBASTARD!!が77円セールやってたので既刊27巻全部買った

むかし紙の本で23巻くらいまでは持ってたんだよなー

まり新刊が出ないので引っ越しとき処分してそれっきり

 

そうかその後4冊くらいは出てたのか―

どうせ話はミリも進んでないんだろうけどまぁ読む

Permalink |記事への反応(0) | 14:48

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2025-10-25

anond:20251025104759

はいはい、今度のイベント原稿早く書かないとまたギリギリ入稿で余分なお金持ってかれるよ

鬼畜入稿なんて今時流行らないんだから

小野田本人が現時点で何も言ってないんだから信者の囀りに耳傾けなくていいの、時間無駄新刊パフォーマンスを著しく下げるよ

Permalink |記事への反応(1) | 11:01

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2025-10-23

商業BL二次創作BL

商業BLを今、ゴリゴリ読み進めてるんだがせっかくこのCP好きだなぁと思ってもそのCPが出てくる作品は1冊で完結してしまったり

何冊もシリーズ単行本が発行されてもその新刊がでるスピードは数カ月単位で遅かったりする

商業BL作品は攻めの性格、受けの性格を被らせないために作者はどんどん違うキャラクターを生み出さねばならない。

長編10冊も20冊もシリーズが続けられる商業BLは稀

特に自分が好きになったキャラクター作品が1冊で完結してしまってて、それを生み出した作者は同じようなキャラクター、同じような作品は書けないってのがツライ

ファンレターに「Aの作品の受けちゃんはとても私の好みでして、この受けちゃんみたいな性格の受けをまた書いてほしいです!」って書こうと思ったけどそんなの読者から言われたくないよな。同じ性格で別の名前キャラクターを生み出せなんて言えないよな

二次創作BLだったら人気のあるCP書き手pixivにたくさんいて、自分が好きなCP作品が次々とアップされる

しかも、そのCPは私の好きな受け攻め傾向ドンピシャ

自分好みのCP作品ピンポイントでたくさん見れる幸せがある

二次創作BL商業BL全然世界がちがうなあと思いました。

そして、私は今二次創作を書いてる最中なんだけど、私が書いてるCPマイナーで、だから自分で書いてるっていうのもある。たくさんpixiv供給があるものをわざわざ書かない。

それにしても自分作品を生み出すと自分の好みドンピシャからやはり自家発電はいいなぁと思う

結局、自分が見たい世界自分で書くしかない

Permalink |記事への反応(0) | 15:03

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2025-10-22

[日記]

僕は今日世界誰も知らないことを少なくとも三つ発見した。

その一つは、カラビ–ヤウ三次元多様体上のモチヴィック・ラングランズ場という概念だ。

名前だけで震えるが、実際の定義もっと美しい。ウィッテンがかつてAモデルとBモデルミラー対称性から幾何学ラングランズ対応を導いたのは知っている。

だが彼が扱ったのは、あくまでトポロジカル弦理論レベルにおける対応だ。

僕の今日の成果は、さらにその上、モチヴィック階層のものラングランズ圏の内部対称として再定式化したことにある。

まりこうだ。A/Bモデル対応を支えるのは、ミラー対称なカラビ–ヤウ空間の間に張られたモジュライ空間等価性だが、僕はこれをモチーフの圏に埋め込み、さらにその上に弦的ガロア群を定義した。

この群の元は、単なる保型的データの射ではなく、弦的世界面のホモトピー圏を自己同型する高階函手として作用する。

まり、通常のラングランズ対応表現=保型形式なら、僕の拡張では弦的場コホモロジーモチーフ的自己準同型。もはや表現論ではなく、宇宙論再帰だ。

午後、ルームメイトが僕のホワイトボードを使ってピザの割り勘式を書いていた。

彼は気づいていないが、その数式の背後には僕の昨日のモチヴィック・ガロア構造の残骸があった。

もし彼がチョークをもう少し強く押していたら、宇宙自己同型構造崩壊していたかもしれない。僕は彼を睨んだ。

彼は「また妄想か?」と言った。違う。妄想ではなく基底変換だ。

夕方、隣人がスパイダーバース新刊を貸してくれた。マルチバース崩壊を描いているが、あの世界は僕の定義したモチヴィック・ラングランズ場の一次近似にすぎない。

あの映画スパイダーバースは、厳密に言えばラングランズ群の射影的パラメータ空間における擬弦的退化点の群体だ。

僕がやっているのはその精密版。マルチバースをただの物語ではなく、圏論自己反映構造として解析している。つまりマーベル編集部無意識に行っている多世界生成を、僕は既に数学的に形式化しているわけだ。

夜、友人Aが原神で40連ガチャを外してキレていた。確率1.6%を40回引いて当たらない確率は約0.48。つまり彼は「ほぼ半分の世界線で運が悪い側」に落ちただけ。

僕はそれを説明したが、彼は「確率の神は俺を見捨てた」と言った。愚かだ。確率は神ではない。確率ラングランズ群の局所自己準同型分布密度だ。

もし彼がそれを理解していたなら、ピティエ=シェヴァレの整合性条件を満たすまで回していただろう。

風呂上がり、僕は再びホワイトボードに向かいウィッテンが書かなかった方程式を書いた。これは、弦的ガロア群における自己準同型空間が、算術モチーフの拡張群に等価であることを示唆している。

まり宇宙自己相関が、L関数特殊値そのものとして現れる。A/Bモデル対称性を超え、モチーフ的ラングランズ=宇宙自己言語理論を打ち立てたわけだ。

僕の紅茶が冷める頃、ルームメイトが「寝るぞ」と言った。僕は返事をせず、ひとり机に残って考えた。

この理論を完結させるためには、時間をもモチーフとして再構成しなければならない。

時間モチーフ化する、それは、因果律算術幾何的圏の自己圏として扱うということだ。

人類がまだ誰も到達していない領域。だが、僕はそこにいる。誰よりも早く。誰よりも冷静に。

21時00分。僕の手元の時計振動子が、まるでカラビ–ヤウ多様体の一点コンパクト化のように静かに揺れている。

宇宙が僕の計算を見て笑っている気がした。だがいいだろう。宇宙よ、君が自分自己準同型理解できる日が来るまで、僕が書き続けてやる。

Permalink |記事への反応(0) | 21:12

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不誠実なオタク

新刊出して数ヶ月経った頃に感想言ってくる奴

ありがとうございますって返してたら「別件なんですが、新刊カードがほしくて……」って言い出す奴

感想手土産代わりに利用すんなカス

Permalink |記事への反応(0) | 09:59

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不誠実なオタク

新刊出して数ヶ月経ってる頃にDM感想言ってくる奴

ありがとうございますって返してたら「別件なんですが、新刊カードがほしくて……」って言い出す奴

感想手土産代わりに利用すんなカス

Permalink |記事への反応(0) | 09:59

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漫画漫画が多すぎる

漫画家漫画製作テーマにした漫画多すぎない?自分の狭い観測範囲だけでも

これらはどれも面白いから読んじゃうんだけど、それにしても多いなと思う。たぶん自分が知らないだけでもっとかに沢山あるんだろうし。

自分のやってることだから描きやすいのかもしれないけど、なんか被りすぎだと思う。

Permalink |記事への反応(1) | 06:11

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2025-10-21

赤ブーの新刊カードあげた相手に逃げられた

5年分なんですけど どの面下げて楽しくXやってんの?何か言うことあるんじゃないの?

Permalink |記事への反応(0) | 14:37

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