
はてなキーワード:文書とは
「桜を見る会」や「獣医学部問題(加計学園問題)」などの追求の仕方が、古代の裁判方法である「盟神探湯(くかたち)」のようである、という見方は、政治的追求において「客観的な事実の提示」よりも「相手の疑惑や潔白を熱湯(スキャンダル)で判定するようなプロセス」に焦点が当てられている、という批判的な観点から語られることがあります。
この比喩の背景には、以下のような共通した側面があると考えられています。
盟神探湯は、古代日本で行われた神判(裁判)で、熱湯の中に手を入れさせ、火傷をするかどうかで真実を争った方法です。罪がある(ウソをついている)人は火傷し、潔白な人は火傷しないと信じられていました。
特徴:証拠や論理的根拠よりも、一種の「儀式」や「恐怖の体験」を通じて最終的な判定を下す、非合理的な一面があります。
これらの問題では、以下のような追求方法が議論の対象となりました。
具体的な決定的な証拠が出る前から、報道や国会で「疑惑がある」という疑念が先行し、それをメディアと野党が一体となって膨らませる構造。
憲法違反、私物化、忖度といった言葉を用いて、感情的な批判を強め、相手に「潔白の証明(熱湯から手を無傷で引き出すこと)」を求めるプロセス。
証拠となるはずの資料が廃棄されていたという事実が、逆に「何かを隠している(罪がある)」という判定材料として機能した。
「桜を見る会」や「獣医学部問題」の追求では、最終的な真実が判明する前に、疑惑が「事実」として社会的に決定される傾向がありました。これは、客観的な証拠で真実を証明する「法的な裁判」ではなく、政治的・感情的に潔白を判定する、まさに「現代の盟神探湯」のようなプロセスではないか、と批判する声があるのです。
“「文書には、フジタ氏の投資手法や運用成績も載っていますが、これもクオンツの技術を駆使したもの。ドローダウン(損失率)が少なく、すべての月でプラスの成績を出していることからも運用能力の高さがうかがえます」(田代氏)”
高学歴エリートの名前がメールに… “エプスタイン文書”に登場した「日本人」は一体何者か
https://news.yahoo.co.jp/articles/bffab44562d8ffdadcd514026a0f987bd98d7087
SNSではチームみらいのショート動画が得票の割に再生数少ないと指摘されているが、マーケティングの観点からは的外れ
なぜ彼らに支持が集まったのか。理由は極めてシンプル。みらいの提示した政策パッケージが、他党と比較して設計強度が圧倒的に高かったから。ただそれだけ。
得票分布のヒートマップを見れば一目瞭然だ。江戸川区や葛飾区では低調だが、中央区・港区・千代田区といった、いわゆるパワーカップルや高度専門職が集うエリアで支持がある。ここの支持層は日頃から膨大な文書を読みビジネスを動かしているホワイトカラー層だ。残酷なほどに、平均年収と支持率が正の相関を描いている。
そして彼らは、テキストを読むことに苦痛を感じない。むしろ15秒で消費されるだけのコンテンツに情報の欠落を感じ、不信感を抱くものだ。彼らはみらいのマニフェストを実際に読み、その持続可能な社会保障システムへの再設計案を自分で咀嚼し評価した。
一方で、ショート動画をバズらせていた他党の支持者は長文のテキストを読む習慣がなく、あるいは複雑な因果関係を理解できなかった。
誤解を恐れずに言えばショート動画というフォーマット自体が思考のリソースを節約したい層に向けた麻薬のようなものだ。それに脊髄反射して投票行動を決めてしまう層と、文章を読み込んでその実現可能性と自身の資産への影響を計算して投票する層の間には、富の格差以上に深い絶望的なまでの認識力の断絶が横たわっている。
おもしろいのは、この支持が都心部だけに留まらなかった点だ。これは陰謀論で言われているのとは異なり、東京ほどではないにせよ、一次情報に当たり政策を読み解くことができる層が関東以外にも残っていたという証左だ。場所がどこであれ、読む人は読むし、理解する人は理解する。動画しか見ない層を最初から相手にせずとも、文書を読める有権者だけを効率よく囲い込めばこれだけ戦えるということが証明されてしまった。
だが、ここからが大変だ。キャズムを超えマジョリティ層まで届かせるつもりなら、ショート動画でしか物事を判断できない層に向けて政策の解像度を極限まで下げたコンテンツを作らなければならない。論理を感情に翻訳し、正しさを削って分かりやすさを取る。 次の戦いはそこになるだろう。
まあ「有害な変態を許すな」ってエプスタイン文書公開を公約に掲げたトランプが勝ってしまうくらいどこの国でも支持されるんだよね
https://anond.hatelabo.jp/20260129204929
(痕跡:https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20260129204929)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.47news.jp/13845297.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/4782963208851115938/comment/ChiseiGakuNG
大石あきこが言ってたやつ"日本が安保三文書の改定を、 そのNSSに整合する形でやっていくことに、 これは高市さんが、選べないと思うんです。 なってしまうと思うんです。"
――Human-first Approval Notation の興亡 ――
「はんこは非効率だ」
「デジタルで全部できる」
すべてが記録され、
人々は満足した。
これこそ進歩だと。
数十年が経った。
だが、同時にこうも言われるようになった。
「承認が重い」
「考える前に操作が多すぎる」
「雑に前に進めない」
誰もが気づき始めた。
”正しくなったが、進まなくなった”
「我々は、
その名は
”Human-first Approval Notation(HAN)”
特徴はこうだ。
・一目で分かる外形
・詳細ログは裏側に保持
・普段は見せない
そして、デモが行われる。
インクを付けて、押す。
会場はどよめいた。
「直感的だ!」
「速い!」
「考えが途切れない!」
数十年後――
Human-Centric ApprovalInterface(HAN)は社会に定着した。
だが、次の課題が浮上する。
「我々は、インクを内部に内蔵したユニット式承認デバイスを開発しました!」
製品名はこうなった。
"Human-first Approval Notation andKeyObject(HANKO)"
・・・男は、ChatGPTと会話していた。
「今考えてもらったこの”はんこトランスフォーメーション”はなかなかよくできた寓話だ」
「ええ、率直に言って かなりよくできた話です。
しかし───
実際に訪れた数十年後、
大戦の余波で、
ネットワークは維持できず
電力は不安定になり
残ったのは、
人々は洞窟の壁に、狩りの成功、敵の脅威、仲間との約束を刻み始めた。
そこにあった「承認」───
誰かが壁に刻む。
別の誰かが、その上に線を重ねる。
皆が見て、皆が覚える。
それは、
電源不要
百年互換
完全にHuman-firstだった。
はんこトランスフォーメーションを想像していた彼らは、知らなかった。
文明が十分に洗練されていること自体が、もっとも脆い前提だったということを。
そして皮肉にも、
洞窟壁画
は、
空間共有
に、驚くほど適合していた。
それが
はんこであれ、
紙であれ、
洞窟の壁であれ。
アメリカ合衆国の「清掃員の仕事を奪うな!」は日本と正反対の考え方だ。
空気による秩序
が多いです。
移民が増えると:
暗黙ルールが共有されにくい
確かに日本は法律に書かれていないルールを社会的に強要する文化が強い。
選挙戦中の高市首相の言動を正面からテーマに据えた社説を構えるべきではないか。そう思わせた直接のきっかけはふたつあります。
ひとつは1月31日、首相が川崎市内での演説で「輸出産業にとっては大チャンス」「外為特会(外国為替資金特別会計)の運用、今ほくほく状態です」と、物価高を助長しかねない円安を容認するような発言をしたことです。
もうひとつは翌2月1日、各党の党首が参加するNHKの討論番組を、直前になって急きょ欠席したことです。
首相が衆院解散の理由として、「国論を二分するような改革」に国民の審判を得たいと言いながら、それが何を指しているのか、具体性に欠けることは、それまでも気になっていました。
たとえば「安保政策の抜本的強化」を柱のひとつに挙げますが、その内容として言及するのは、無人機の大量運用などの「新しい戦い」や長期戦への備えといったもので、これが国論を二分するものとは思えません。
首相が年内を予定する安保3文書の改定では、GDP(国内総生産)比2%を達成した防衛関連予算のさらなる増額が打ち出されるのは必至ですが、そのことには全く触れません。
社説検討会議では、首相が常に改革の最初にあげる「責任ある積極財政」や危機管理投資・戦略投資について、「こうした経済政策が、果たして国論を二分するものと言えるのだろうか」という疑問もありました。
消費税減税について、「検討を加速」という自民党の公約より踏み込んで、2026年度内の実現をめざすと明言しながら、選挙遊説では一切触れていないことも、おかしいと感じていました。選挙後、本当に取り組むのであれば、財源の確保策や外食産業への影響をどう考えるのかなどを、きちんと語るべきです。
写真・図版
演説を聴く聴衆=2026年2月1日午後0時9分、福岡市中央区、鳥尾祐太撮影
本来、説明すべきことを説明しない一方で、「ほくほく」発言のように、言わずもがなのことを言う。そして、問題点を指摘されてもX(旧ツイッター)などで一方的に釈明を発信するだけです。
NHKの討論番組のドタキャンは、持病の関節リウマチの悪化が原因とされています。やむをえない状況であったのかもしれませんが、午後の岐阜県と愛知県の遊説は予定通りにこなしています。医師の治療の時間を調整するなどして、討論番組に出席することはできなかったのか。少なくとも、番組出演より遊説を優先した判断だったとは言えるでしょう。
遊説は基本的に、自分の言いたいことを一方的に聴衆に伝えるだけですが、討論番組では司会者や他の出席者から時に厳しい質問も飛びます。首相官邸は4日になって、政府高官がメディアに対し、欠席は木原稔官房長官の判断だったと説明しました。社説検討会議では、側近に匿名で語らせるのではなく、首相が堂々と記者団の前で、自らの言葉で説明すればいいではないかという意見もありました。
総じていえば、首相の姿勢は誠実さを欠く「逃げ」ととらえるべきだとの意見が大勢でした。社説の見出しを「拭えない逃げの姿勢」としたのは、そのためです。
語られぬテーマであれば、裏金問題や世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係にもっと焦点を当てるべきだという意見も複数ありました。ただ、社説は紙の新聞に向けて行数が決まっているため、今回は残念ながら後半の1段落を割くだけにとどまりました。
首相が急に語りだしたことに注目すべきだとの指摘もありました。憲法改正です。自民党は自衛隊の明記など4項目の改憲の実現を公約に掲げていますが、首相が遊説で正面から取り上げたのは2日が初めてでした。報道各社の情勢調査で自民党の優勢が伝えられ、野党も含めた改憲勢力が発議に必要な3分の2の議席を得る可能性が出てきたことを受けたものではないかとの見方が示されました。当初の社説の提案資料の中にはありませんでしたが、言及することにしました。
「高市人気」に牽引(けんいん)されて、自民に勢いがあると見られています。女性初の首相で、物言いもハッキリした高市氏が、有権者から「新鮮」に受け止められるのは無理もないという見方も、複数の論説委員から示されました。
しかし、社説がこれまでも主張してきたように、衆院選は党首の人気投票ではないはずです。政策や党の姿勢とセットで考える。その人に託したら、その後、どんな政策が展開されるのか。そこまで見通した判断が求められるのではないでしょうか。
https://digital.asahi.com/articles/ASV257JR4V25USPT00GM.html
最初は、中道の支持者たちも「戦争反対」なんてムーブをしていなかった。
それどころか、立憲民主党が安保法制を合憲と認めて、これまでの立場を翻した。(憲法改正への姿勢、沖縄の基地問題も、立憲側が公明党に合わせて変節した)
共同代表の野田・斎藤は、このような防衛方針を取ることを「中道」路線と定義した。
左派系の立憲議員たちは、苦渋に耐えながら中道改革連合の旗の下に集結した。
それなのに、選挙終盤になって、いきなり「戦争反対」で盛り上がるのっておかしくない?
https://anond.hatelabo.jp/20260207195816
https://anond.hatelabo.jp/20260207001814
共産・社民が「戦争反対」と言うならばわかるが、なぜか、中道改革連合の支持者たちがこのムーブをしている。
だがそもそも、新党の構想は、現実的な防衛政策を取るところにあった。極端な右翼・左翼を退けて、穏健な中道政党を作るとは、ずばりそのことを意図した宣言だった。
とはいえ、新党のスローガンは「生活者ファースト」である。もし安全保障を論じると、立憲民主党が見解を変節させたこと、新党内部で意思統一されていないことが露呈してしまう。野田代表もその弱点に気づいていたので、なるべく経済政策を争点にしたがっていた。
斎藤代表にしても、公明党がこれまで安倍晋三の安保法制、岸田文雄の安保三文書に賛成してきた手前、今さら共産・社民の左翼勢力といっしょに「戦争反対」を叫ぶわけにはいかない。だから平和を訴えるときに、中道主義を掲げることで節度を守ろうとしていた。
ところが、予想外のことが起こる。選挙の最終盤になって、X上では「#ママ戦争止めてくるわ」が流行した。オールド左翼のごとき「戦争反対」の煽動合戦が始まった。しかも、そこには中道改革連合の候補者、地方議員と、公認のサポーターたちが参加しているのだ。党の公式アカウントもこれに乗っかり、リポストでハッシュタグを拡散している。
この運動の是非は措くとして、中道の支持者たちは、なぜ終盤局面でこんな主張を始めたのか? それが私の疑問である。(もし選挙期間の序盤〜中盤に、高市政権に対して"戦争""徴兵制"のレッテルを貼れば、早期に「戦争反対」を争点化することができたはずだ。それをずっと抑制してきたのに、なぜ今になって急激に騒ぎだしているのか。)
私が思うに、支持者たちは、ヤケクソになっているのかもしれない。野田・斎藤は左派を切り捨てて、まじめに中道路線をやろうとした。支持者たちも最初は黙って追従した。ところが、終盤に惨敗が見えてくると、もう統制が効かなくなってきたといったところだろう。
結局、中道は経済政策で独自色を出せず、無党派層への支持が広がらず、それで焦って「戦争反対」に飛びついたように見える。選挙が終盤になると、同党は若者・現役世代へのアピールをあきらめて、年金暮らしの老人票を固めにいった節があるのだが、安保政策にもその傾向がある。結党当初は右寄りにウィングを広げて、高市に不満を抱える自民支持層を引きよせて、新規の支持者を増やしていく方針だったと思うが、その計画は破綻した。この局面に至っては、旧来的な左派の固定票をがっちり集めるのが得策という判断か。
追記2
私の観測範囲では、中道改革連合でこのムーブメントに参加しているのは、あきらかに公明党、創価学会の人々が多い。やはり彼ら彼女らは"平和"への熱意が凄まじい。与党時代には抑えていたが、野党になって「平和の党」に回帰したということだろうか。
今回、斎藤代表は、立憲民主党に政策転換を迫った立役者だ。彼の手腕によって、立憲民主党は、公明党が与党時代に通した安保政策をほぼ丸呑みする形となった。ところが、噂で聞くには、創価学会の信者たちの間では元来、自民党の安保政策は不評であったという。連立政権の裏側で、信者たちの不満は燻っていた。要するに、創価学会には"平和"重視の気風が強く根付いていて、だからこそ長年のフラストレーションが溜まっていたのだ。この土壇場で、それが一斉噴出したということかもしれない。
なお、立憲民主党側の人々は、シラケているのか、あまり参加していないようだ。(無論、ハッシュタグを広めている候補者・支持者たちがいるにはいる。ただ公明・創価陣営に比べると、その熱量が低めに見える)
Permalink |記事への反応(23) | 21:10
【お詫び】株式会社 OFFICE MINAMIKAZE 373kaze.com 様より
業務提携にてお預かりしておりました
倉橋凛 x.com/rin_kurahashi?… より
本日付で辞めるとの連絡がありました。
「もし辞めたいのであればはるふぇすには出ないで欲しい」と伝えてあったのですが
デビューするだけして即辞めるという、あってはならない事が起きてしまいました。
なお、他のメンバー・弊社所属のタレントにはこのような事が無いよう指導しておりますので、そちらは引き続き安心して応援して頂けますと幸いです。
この度は誠に申し訳ございません。
「はるふぇす」ははるかぜちゃんのアイドル卒業と誕生日を祝うイベントだったが、キャパ300ほどに対し客席写真を見ると客入りが10数人程度だった
はるかぜちゃんはフォロワーは17万人いるしWikipedia見れば芸歴はあるので「すごい人が中心のグループなんだ」と情弱は流されるのかもしれないが
現地に足運び金落とすファンの微々たるのを見れば、冷めて「ここじゃ羽ばたけない」と辞めたくなるのはむべなるかな
既に辞めた初期メンバーの衣装使い回しで着せられるのも全然気分乗らないだろう
ちなみにデビューして即辞めるというのは前例があるのだが、その子ははるかぜちゃんが連れてきた短大同級生だからかこういう晒しはしていなかった
デビューっつっても、10数人相手のお遊戯会でなにをそんなに気取るというのか、幼稚園児の発表会でももっと人が集まる
「週明けに先方の事務所さんに連絡してみます」というが、連絡してから発表すればいい
怒りに任せ糾弾したくて書いただけ、嘘でも今後の活躍を祈れるぐらいの器を見せられないのか
8人いた初期メンが今は2人だがいつ絶滅するだろう
残り2人の子は癇癪持ちおばさんにも耐えられる、人はいいけど引き際もわからん子という印象で、なるべく若いうちに逃げて普通に就職してほしいものだ
一般論として語るには主語が大きいことは認めるが,日本国外で生活していると,どうしてもそう感じざるを得ない傾向がある.
その主因の一つを,日本語の音声学的,音韻学的な特徴に求めるのは容易だ.尤も私は専門外なので詳細は把握していないが,感覚的には日本語は口の先で発声し,英語は喉の奥から発声しているように感じる.これはあくまで主観であり,学術的見地では誤りかもしれないが.しかし,国内であってもアナウンサーや声優,俳優などの声は非常に聞き取りやすい.つまり,言語の特性以上に個人の意識による部分が大きいのではないか.
ここで「文字」を例に挙げればわかりやすい.声質そのものは,コミュニケーションの質に関係がない.プロの書道家による達筆な文字をアナウンサーや声優の声だとするならば,一般人の書く文字がそこまで美しくないのは当然だ.しかし,書道家ではなくとも「読みやすい文字」を書く人は存在する.それは,文字の区切りをはっきりさせる,誤読されやすい癖字を避ける,あるいは自分の癖を自覚して書き分ける,発色の良いボールペンを使う,といった相手への配慮の結果である.
自分だけがわかればいいメモ書きのような「みみず文字」や,極度な略字を使って正式な文書を作成するものはいないだろう.音声によるコミュニケーションも,全く同じアナロジーが働くはずだ.それなのになぜ,文字のコミュニケーションでは当然の意識ができる人が,音声になるとこれほど不適切になってしまうのだろうか.
これは,滑舌の良し悪しや,吃音の有無を指摘しているのではない.そうではなく,ハキハキと喋ることの重要性を理解していない人間や,社会性,社交性が低く,自分に自信を持てない人間が多いことの表れではないのかと思うのだ.声が通るか否かの分岐点はここにある.
例えば,大学教授の講義を思い出してほしい.彼らの多くはボソボソと小さな声で喋る.学生という聴講者に対して講義を行う「声を使ったプロの仕事」であるにもかかわらず,相手に届けるという意識が欠如しているのだ.
職場では愛嬌を振りまき,円滑なコミュニケーションのために発声を意識している人もいるだろう.しかし,ひとたびプライベートな実生活の場面になると,そこを意識できる人間は極端に少なくなる.
スーパーで目当ての棚の前に先客が数人いたとする.この時,「すみません」と声をかけ,商品を取った後に「ありがとうございます」と言えば済む話だ.しかし,これほど単純なことができない人がいかに多いことか.「すみません」と言ったかどうか判別できないほどの,独り言のような,あるいは「鳴き声」に近い微かな音を発するだけの人.何も言わずに腕だけ伸ばして横から撮る人.あるいは対人接触を極度に恐れて,人がいなくなるまで離れた場所で待つ人.待つにしても,無言の圧力をかけて「察してくれ」と言わんばかりの態度をとる人もいる.
伝えたいことがあるなら言葉にすればいい.それなのに,伝える努力を怠るばかりか,相手に「察しろ」と不可を強いる.なんと自分本位な振る舞いだろうか.
結局のところ,問題の本質は発声の技術ではなく,対人コミュニケーションを構築する意思が欠落している点にある.相手の視点に立ってコミュニケーションを取ろうとすれば,自ずと聞き取りやすい音量,速度,明瞭な発声になるはずだ.それができていないということは,厳しい言い方をすれば,他者への想像力を欠いた「コミュニケーション障害」の状態にあると言わざるを得ない.
一般論として語るには主語が大きいことは認めるが,日本国外で生活していると,どうしてもそう感じざるを得ない傾向がある.
その主因の一つを,日本語の音声学的,音韻学的な特徴に求めるのは容易だ.尤も私は専門外なので詳細は把握していないが,感覚的には日本語は口の先で発声し,英語は喉の奥から発声しているように感じる.これはあくまで主観であり,学術的見地では誤りかもしれないが.しかし,国内であってもアナウンサーや声優,俳優などの声は非常に聞き取りやすい.つまり,言語の特性以上に個人の意識による部分が大きいのではないか.
ここで「文字」を例に挙げればわかりやすい.声質そのものは,コミュニケーションの質に関係がない.プロの書道家による達筆な文字をアナウンサーや声優の声だとするならば,一般人の書く文字がそこまで美しくないのは当然だ.しかし,書道家ではなくとも「読みやすい文字」を書く人は存在する.それは,文字の区切りをはっきりさせる,誤読されやすい癖字を避ける,あるいは自分の癖を自覚して書き分ける,発色の良いボールペンを使う,といった相手への配慮の結果である.
自分だけがわかればいいメモ書きのような「みみず文字」や,極度な略字を使って正式な文書を作成するものはいないだろう.音声によるコミュニケーションも,全く同じアナロジーが働くはずだ.それなのになぜ,文字のコミュニケーションでは当然の意識ができる人が,音声になるとこれほど不適切になってしまうのだろうか.
これは,滑舌の良し悪しや,吃音の有無を指摘しているのではない.そうではなく,ハキハキと喋ることの重要性を理解していない人間や,社会性,社交性が低く,自分に自信を持てない人間が多いことの表れではないのかと思うのだ.声が通るか否かの分岐点はここにある.
例えば,大学教授の講義を思い出してほしい.彼らの多くはボソボソと小さな声で喋る.学生という聴講者に対して講義を行う「声を使ったプロの仕事」であるにもかかわらず,相手に届けるという意識が欠如しているのだ.
職場では愛嬌を振りまき,円滑なコミュニケーションのために発声を意識している人もいるだろう.しかし,ひとたびプライベートな実生活の場面になると,そこを意識できる人間は極端に少なくなる.
スーパーで目当ての棚の前に先客が数人いたとする.この時,「すみません」と声をかけ,商品を取った後に「ありがとうございます」と言えば済む話だ.しかし,これほど単純なことができない人がいかに多いことか.「すみません」と言ったかどうか判別できないほどの,独り言のような,あるいは「鳴き声」に近い微かな音を発するだけの人.何も言わずに腕だけ伸ばして横から撮る人.あるいは対人接触を極度に恐れて,人がいなくなるまで離れた場所で待つ人.待つにしても,無言の圧力をかけて「察してくれ」と言わんばかりの態度をとる人もいる.
伝えたいことがあるなら言葉にすればいい.それなのに,伝える努力を怠るばかりか,相手に「察しろ」と不可を強いる.なんと自分本位な振る舞いだろうか.
結局のところ,問題の本質は発声の技術ではなく,対人コミュニケーションを構築する意思が欠落している点にある.相手の視点に立ってコミュニケーションを取ろうとすれば,自ずと聞き取りやすい音量,速度,明瞭な発声になるはずだ.それができていないということは,厳しい言い方をすれば,他者への想像力を欠いた「コミュニケーション障害」の状態にあると言わざるを得ない.
https://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/2602/05/news055.html
エプスタイン(Epstein)文書の中で、当時Windows事業の責任者だったスティーブン・シノフスキー(Steven Sinofsky)氏が故人で渦中のジェフリー・エスプタイン(Jeffrey Epstein)氏とやり取りしていた電子メールの内容が含まれており、このSurface RTの実際の販売状況と当時のMicrosoft社内の混乱が垣間見られることが話題となっている。
・参議院で両党を残すなど退路が作ってある
・立民側から「選挙終わったら再編」みたいな文書が出てきちゃう
これで上手く協力し合うのは相当難しいでしょ
組織もそうだけど何よりそれぞれの票田が全然ついてこれないはず
(学会の人達は統制取れてるし真面目だからそれなりにはやるだろうけど)
立民の支持者層からすれば公明党候補なんかまったく応援する理由がない
(こっちは無統制なので離反・流出しまくりの酷いことになると思う)
つまりお互いがお互いを真剣な仲間と思って団結するようにはなれてないでしょ
自公協力はなんだかんだどっちも統制取れた組織かつ長年の関係があってのものだよ
ポンと自民を立民に挿げ替えても同じような体制やパワーが出るわけなかった
高市が奇襲して準備すらさせなかった
「裏切った公明と落ち目の立民を立ち直れないほど潰す絶好機と見ました」
とは言えないよな
移民政策やめてくれたらいろいろ呑み込んでついていくけどどうでしょね