
はてなキーワード:文化庁とは
■まず大前提
著作権侵害の刑事処罰は原則“親告罪”(権利者の告訴が必要)。
ただし悪質な海賊版行為の一部は非親告罪化されとる(TPP関連改正)。
つまり、営利・原作そのまま・権利者利益を不当に害するなどの条件を満たすと、告訴なしでも動けるケースがあるで。
肖像権侵害は民事上の問題(人格権)。刑事罰の条文はなく、差止・削除・損害賠償などで争われるタイプや。判例上の権利として整理されてる。
■A.著作権侵害っぽいのを見たら(あなたが当事者ではない場合)
2.プラットフォームに通報:各SNS/サイトの著作権侵害報告フォームから淡々と報告。(プロバイダ責任制限法関係の最新ガイドラインに沿って運営側が対処する)
3.公的窓口も選択肢:違法・有害情報相談センター(ihaho)で相談可。
・投稿者へ直接DMで抗議/晒し行為(誤認・名誉毀損のリスク)。
・「作者本人」に勝手に通知(誤情報や二次被害を招きやすい)。
◯迷いどころメモ
引用ならOK? →出所明示/主従関係/必要最小限など厳しめの要件を全部満たして初めてセーフ。見かけが“引用っぽい”だけやと通らんことも多いで。
2.サイト運営へ削除申請(専用フォーム or送信防止措置の申出)。
4.刑事も視野:原則は親告罪やけど、悪質な海賊版の一部は非親告罪化されとる(営利目的・原作そのまま・利益を不当に害する等)。状況がハマるなら警察/相談窓口へ。
■C.肖像権侵害っぽいのを見たら(あなたが当事者ではない場合)
◯ベターな動き
2.プラットフォームの通報機能で報告(ガイドラインに沿って処理される)。
◯NG
・当人へ直DMして不安を煽る/晒す(誤認・二次被害・三者間トラブルの火種)。
■D.肖像権侵害っぽいのを見たら(あなたが写ってる本人の場合)
1.証拠保全。
3. 応じない場合は弁護士へ(差止・削除・損害賠償の民事対応)。
※肖像権は条文でなく判例上の人格権として扱われるのが基本や。
二次創作:公式ガイドラインで許容範囲が定められてることがある。なければ基本グレー。
AI生成:見た目が似てても直トレースや原作そのままでなければ即アウトとは限らん。が、原作そのまま流用や配布は危険。
素材サイトの人物写真:モデルリリース(肖像使用許諾)の有無・用途制限を要確認。ロイヤリティフリーでも万能ではない。
正規配信か迷ったらABJマーク/エルマークの有無も目安になるで。
公式配布物の無断転載(原作そのまま)と思われ、権利者の利益を不当に害する可能性があります。貴サービスの規約と法令に照らしたご確認をお願いします。
本人同意がない公開で、人格的利益を害するおそれがあります。ガイドラインに基づくご対応をご検討ください。
> 私は当該著作物の権利者です。以下のURLの内容は無断利用であり、削除(送信防止措置)を求めます。
作品名:____/権利立証資料:____/URL:____/日時:____
■まとめ(フローチャート風)
2.当事者でなければ:運営へ通報(DM抗議や晒しはしない)。
3.当事者なら:削除申請 → 応じなければ弁護士 →(著作権で悪質類型なら)警察相談も視野。
4.引用・二次創作・AIは要件確認。迷ったら触らんのが安全。
創価学会、顕正会、立正佼成会などの議論を呼ぶ仏教団体は日蓮宗に起源を持ちます
これらの団体は、13世紀の日本の僧侶である日蓮(1222–1282)が創始した日蓮仏教にそのルーツをたどることができます。日蓮は、法華経を唯一の正法と主張し、他の宗派と対立しながら独自の教えを広めました。この教えが後の分裂や派生を生み、さまざまな団体が誕生する土壌となりました。
ただし、「日蓮宗」という名称は現代の組織化された宗派を指す場合が多く、歴史的に日蓮の教えから派生したすべてのグループが現在の「日蓮宗」傘下にあるわけではありません。それぞれが独自の解釈や発展を遂げてきたため、厳密には「日蓮仏教の系譜」に属すると表現する方が適切かもしれません。
創価学会は、1930年に津田三男(後の創価教育学会の創設者)によって設立されました。
当初は教育団体として始まりましたが、後に日蓮正宗(日蓮宗の一派)の信徒団体として活動を拡大しました。
1940年代に戸田城聖が指導者となり、戦後の混乱期に急速に成長しました。
しかし、1991年に日蓮正宗から破門され、現在は独立した宗教団体として運営されています。この破門は、創価学会が日蓮正宗の信仰から逸脱し、独自の路線を進んだことが原因とされています。
1964年に公明党(現在の公明党)を結党し、政治に直接関与するようになりました。公明党は平和主義と福祉政策を掲げ、現在も連立与党として日本の政治に影響を与えています。
2020年時点での会員数は約800万人とされ、選挙での組織票が大きな力となっています。一方で、強引な勧誘方法(折伏)と政治的影響力から「カルト的」と批判されることもあり、特に1990年代の池田大作名誉会長に関する議論が注目されました。
顕正会は、1960年代に日蓮正宗の内部で活動していた浅井甚三郎が、宗派の方針に反発して分派したことから始まりました。
日蓮正宗が創価学会との関係を断つと、浅井は独自の解釈(特に「邪宗排除」の主張)を展開し、1969年に正式に独立しました。日蓮正宗の総本山である大石寺を拠点とする点で歴史的つながりがありますが、現在は対立関係にあります。
顕正会は直接的な政治組織を持たず、選挙への候補者擁立も行っていません。しかし、過激な宗教的発言やビラ配布を通じて社会への影響力を試みており、一部で政治的圧力団体としての側面が指摘されています。会員数は明確な統計がなく小規模とされていますが、熱心な信者が社会問題に介入するケースが見られます。
立正佼成会は、1938年に庭野日敬によって創設されました。霊友会という既存の宗教団体から分離し、日蓮の教えに基づく法華経信仰を軸に発展しました。戦後、平和運動や他宗教との対話を重視する姿勢で知られ、創価学会や顕正会とは異なる穏健な路線を歩んでいます。
立正佼成会は直接政党を結成していませんが、新日本宗教団体連合会(新宗連)を通じて政治に影響を与えてきました。1950年代以降、自民党や民社党などの候補者を推薦し、参議院選挙で組織票を動員してきました。
2017年の衆議院選挙では119人の推薦候補が当選するなど、間接的な政治的影響力を持っています。また、靖国神社参拝反対などの平和主義的な立場から、特定の政治課題で発言を行うこともあります。信者数は2023年の文化庁「宗教年鑑」によると約180万人とされています。
これらの団体は、いずれも日蓮の教えに起源を持ちながら、異なる歴史的経緯と教義解釈を経て独自の道を歩んできました。政治への関与度は創価学会が最も強く、公明党を通じて明確な影響力を持つのに対し、顕正会は限定的で、立正佼成会は間接的かつ穏健なアプローチを取っています。
横書き文書では、原則として算用数字を使用することが推奨されています。これは、文化庁の『公用文作成の要領』や新聞用字用語集の『記者ハンドブック』にも基本的な指針とされています。
-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20250930183801# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaNuk+gAKCRBwMdsubs4+SPqNAP9gC9Aa5O8ybvTWhFWWZ04XBPEuoEiHz49zsSbDmgvNCAD/egMyxHm7BU9xsZ3BrXVk9omY3/wsMGn4U/8DkC40SgQ==gfYp-----ENDPGP SIGNATURE-----
最近、テレビでもネットでも、リアルな会話でさえ「議論が煮詰まってしまった」みたいに、行き詰まったっていう意味で「煮詰まる」って言葉を耳にする機会がすごく増えた。
いやいや、違うだろ、と。
「煮詰まる」って、料理で具材を煮込んで水分が飛んで味が凝縮されて、完成に近づく状態から来てる言葉のはず。 だから本来は、「議論が十分になされて結論が出る段階に近づく」っていうポジティブな意味なんだよ。
いつから真逆の「行き詰まる」っていうネガティブな意味で使われるようになったんだろう。文化庁の平成25年の調査だと、本来の意味で使う人が51.8%、誤用してる人が40.0%だったらしい。 でも、40代以下だと誤用してる人の方が半数を超えてるっていうから、もう逆転してるんだろうな。2000年ごろから広まったっていう説もあるみたいだ。
誰が広めたのかは知らないけど、言葉の意味がリアルタイムで変わっていくのを目の当たりにしてる感じで、ちょっと面白いような、でも本来の意味を知ってるとモヤモヤするような、複雑な気分。
画像生成AIの台頭でクリエイターの立場が脅かされる中、反対するだけでは権利は守れない。クリエイターの社会的立場は搾取構造に脆弱で、人気と地位には大きなギャップがあり、交渉力に乏しい。
クリエイターは、AI実装フェーズで主導権を握り、品質管理や倫理設計に関与することで交渉力を獲得し、自ら未来を切り開くべきである。
多くの企業が現在、LLM(大規模言語モデル)の開発に注力している。対話型AIや検索エンジンの再構築にリソースが集中する中、画像生成AIの実装(商品化)フェーズは相対的に手薄になっている。
筆者は、この「画像生成AIの実装フェーズの遅れ」という隙を突いて、画像生成AIの実装フェーズでクリエイターが主導権を握れると考えている。
技術開発段階では、当然ながら研究者やエンジニアが主導する。これに対し、実装フェーズの段階では、出力される画像の品質や文化的適合性が問われるようになる。構図、色彩、構造理解といった視覚的判断は、技術者よりもクリエイターの専門領域だ。
実際、大手クリエイティブツール企業のいくつかは、クリエイターとの協業によってAIツールの品質向上を図っている。要するに、実装フェーズこそ、クリエイターがAI開発の構造に食い込むチャンスなのだ。
AIに否定的なクリエイターの多くは、「お気持ち」を強い言葉で反対していれば問題が自然に解決されると期待しているように見える。だが、現実には、無許諾学習や対価配分の議論は2022年からほとんど前進していない。
反対するだけでは、議論の隅に追いやられるだけだ。文化庁の審議会において、AI規制派の代表に相当する人物が制度設計に関与していないことからも、制度側からは「反対するだけの声は議論に参加する資格なし。」と見なされている状況を直視しなければならない。
欧米ではAI倫理に関する議論が法制度化されつつあるが、発言力を持つのは「AI開発の制度設計に関与した側」だけだ。日本でも提言は出されているが、法的拘束力でもなければ企業は動かない。
交渉力は、制度の外から叫ぶのではなく、制度の中に入り込んで初めて生まれる。だからこそ、クリエイターは画像生成AI開発の現場に入り、品質管理や倫理設計の実務を担うことで、交渉のテーブルにつく必要があるのだ。
筆者にとって、画像生成AIを強い言葉で拒否し、AI関連イベントのキャンセルカルチャーに加担してきた一部のクリエイターの行動は、決して容認できるものではない。
過激な主張や感情的な言葉が議論を分断し、業界全体の信頼を損ねた面もあるだろう。
その一方で、結果的にではあるが、彼らの声が画像生成AIの実装フェーズを一定程度遅らせたことは事実だ。企業が炎上リスクを警戒し、画像生成AIの採用に慎重になった、ということはあり得る。
その遅延が、今の「AI開発の構造に介入するチャンス」を生んでいるとも言える。
このような背景を踏まえると、彼ら自身が汚名を返上し、建設的な議論に参加できるようにするにはどうしたらいいだろうか。
現状では、画像生成AIに反対する一部のクリエイターに対する誤解や偏見が生まれやすく、一般層や市場から距離を置かれる傾向がある。けして楽観できる立場ではない。
この状況を打破するためには、反対の声を建設的な議論に変え、クリエイター全体がAI開発の制度設計に参加する流れを作る必要があるだろう。
AIテックと正面から戦っても、クリエイター側に勝ち目は薄い。
いや、すでにAI規制を求めるクリエイター側は敗北しているのかも知れない。
技術開発の主導権を握っているのは、資本と研究力を持つグローバル企業である。倫理やマナーだけに頼った反対の声が、年間数十~数百億に上るロビイング経費で国政議論に介入している彼らに勝てるとでも思っているのだろうか。
生成AIが生み出す市場利益は数兆ドル規模だとも言われている。その莫大な利益の再配分を前に、お気持ち倫理の反対がどれほどの影響を持てるというのか。
日本のコンテンツが海外輸出をやめると抵抗しても、必要とあれば敵対的買収くらいやってのけるだけの資本力がある。
正面から喧嘩できる相手ではない。少なくとも、日本のコンテンツ市場は、彼らとAIを巡って対立しようとは思わないはずだ。
画像生成AIが台頭してから3年、筆者は規制が進まないことを憂うよりも、AI開発が生む莫大な利益の再配分をクリエイターが受けられなくなってしまうことを恐れている。
そこで考えたのは、画像生成AIの実装フェーズ段階ならば、クリエイターの関与する余地があるのではないか、ということだった。つまり、AI開発の制度設計側に入り込み、実装の方向性そのものをコントロールしてやる、という戦略である。
仮に、実装フェーズの主導権を握ることができたとすれば、無許諾学習や学習対価の配分といった問題にも交渉の余地が生まれるのではないか。
また、莫大な利益が入るなら、これらの問題は些細なものになるかもしれない。そう考えていくと、主導権を握るメリットは計り知れない。
筆者は、AI学習に使用された画像の対価(使用料・許諾料)というのは、AIによって生まれた利益の再配分だと認識している。
AIが誰かの作品を学習し、それによって企業が利益を得たなら、その利益の一部を元のクリエイターに分配するという考え方だ。
この考え方に従えば、AI開発に反対しているだけで「再配分だけよこせ」というのは、そもそも通らない話ではないか。
現行法では、(文化庁の考え方に従っているという条件付きだが)どうやってもネットで収集した画像をAI学習に使うことに対して著作権侵害を訴えることは出来ない。
したがって、利益の源泉となるAI開発の制度設計に参加していないのに、分配だけを求めるのは、制度的にも経済的にも無理筋ではないかと思うのだ。
そして、AIテックのロビイング活動によって、無許諾学習が合法である、という方針を維持させている可能性も高い。
その状況下では、札束勝負で勝てるとは思えない。何故なら、画像の使用料を払うよりもロビイング活動経費の方が安上がりである、と言えるからだ。
特許侵害訴訟というのも、基本的には利益の再配分を求める行為と読み替えても成立する。
他社が利益を出している技術に対して訴訟が起きやすいのは、「分け前をよこせ」という意味に解釈できる。
しかし、クリエイターにはこの「特許」に該当するものがない。作品は著作権で守られているが、スキルや職能そのものは保護されていない。だから企業に相手にされない。公的制度による交渉の土台がないのだ。
そう考えれば、倫理だけで反対してもノイズ以上のものになり得ない、ということにも説明がつく。公的制度という根拠がない立場では、法廷でも交渉の場でも、発言力を持てない。
交渉力という観点では、クリエイターは社会的な発言力がむしろ弱いのである。
コンテンツとして人気があることと、社会的地位があることは別だ。社会的地位が高いというのは、公的制度による優遇措置があると言い換えてもいい。
SNSのフォロワー数や再生回数は「市場価値」ではあるが、「法的地位」ではない。
確かに、人気があり、社会的影響力を持てば、食っていくのには困らないだろう。
だが、クリエイターが保護されるのは市場の都合であり、市場によって生かされているだけに過ぎないのである。
いくつかの事例をすぐさま思い浮かべることが出来ると思うが、一歩間違えれば一晩で作品ごと市場から存在を消されてしまう。消滅に際して何の抵抗手段も選択肢もない。それくらい社会的な立場は脆弱である。
資格職能は公的制度によって保護されており、いきなり存在ごと消されるなんてことはない。少なくとも消えるまでの抵抗が許される余地がある。
繰り返すが、「人気」とは「社会的地位」ではなく、市場価値の一形態にすぎない。
アニメーターが良い例で、高度な専門技能を持ち、文化的貢献も大きいにもかかわらず、公的には職能として認定されていない。
このことが何を意味するかと言えば、元々、クリエイターという職業は、搾取構造に対して極めて脆弱だということだ。
作品は著作権で保護できる。けれども、クリエイターとしての職能は、何一つ、公的制度によって守られているものがない。創作物は生活必需品とは異なり、社会が、あるいは市場がいらないと言えば、排除される運命にある。
そして生成AI技術開発が、その搾取構造を助長している。だが、それを止める手立てはない。何をどうやっても社会の制度は守ってくれないのである。
では、なぜ社会制度が守らないのか。これはクリエイターとしての能力は「他者との差別化」という、異質性が基準となっているからだ。公的制度による保護を持つ職業は、一定の基準にしたがった選別で成り立っている。
つまり「同じ事ができる」、同質性という前提条件があるが、クリエイターは、他者と違ったことができる異質性の基準を持っている。
こうした異質性による選別を公的制度の文脈で考えると、「他者にできないのであれば、なくても同じ。」という言葉に翻訳される。よって公的制度によって保護する必要性を認められないのである。
人気があるから守られると思っているなら、それは錯覚だ。人気クリエイターがなりすまし被害や契約トラブルに巻き込まれても、公的制度によって守られる仕組みは存在しない。
例えば、士業であれば非弁行為などは違法と定義され、地位が守られる仕組みがある。クリエイターのなりすまし被害は民事訴訟で解決するしか方法がない。
人気は流動的であり、交渉力としては不安定だ。AI開発という巨大な利益構造での交渉において、この市場価値の高さと現実の地位の弱さというギャップを埋めるには、AI開発の制度設計に食い込むしか道はない。
交渉のテーブルにつくには、企業が「必要だ」と思う存在になるしかないだろう。
そのためには、画像生成AIの弱点をクリエイターが補完し、品質向上に貢献することが鍵になる。
画像生成AIは、見かけ上の品質は優れているが、構造理解(指が6本とか建造物分断、同一性の非保持など)という点で人間には遠く及ばない。
この弱点を解決するには、クリエイターの関与が不可欠であると考えている。すなわち、AIに「構造理解はこうやるんだ。」と教えてやることだ。
実際、AI企業が「プロンプト設計者」や「品質監修者」としてクリエイターを雇用する事例は増えている。企業は倫理的主張には動かないが、必要性が明確になったときには協業を検討するだろう。
交渉団体を作るより、相手を動かす方が確実だ。まずはクリエイターとエンジニアがタッグを組み、一部でもAIの弱点を解決してみせるのがいいだろう。それが、AI開発の制度設計に食い込む第一歩になる。
AIの弱点解決にはクリエイターのサポートが不可欠である、とは言っても、それは現時点での話である。時間さえ掛ければいずれは技術によって弱点も克服されてしまうだろう。けれども、今ならまだ、クリエイターに優位がある。
ならば、画像生成AIの制度設計において主導権を握るチャンスは、今しかない。企業にとっても市場競争力維持のために実装フェーズを急ぎたい。ここに利害の一致がある。
多くの企業がLLMに集中している今、画像生成AIの実装フェーズは手薄になっている。だが、技術が成熟してAI開発の制度設計が固定化されてしまえば、後から入っても交渉余地はなくなる。
かつて強い言葉で反対してきた人々も、今こそ制度設計の最前線に立つべきだ。
その声が実装フェーズを遅らせたことで、今の「隙」が生まれたのだとすれば、次はその声を制度設計に向けて使おうではないか。悪者で終わることに甘んじるな。
チャンスの期間は短い。あれこれ実現可能性だの問題点だのを検討している暇はない。とにかくAI開発の制度設計に関与できるように動くこと。
それが、今のクリエイターに残された唯一の選択肢だと思っている。
筆者は、画像生成AIに対する反論や懸念を否定しているのではなく、そうした声が社会的な制度に届かなかった原因を指摘しているに過ぎない。
倫理的な反発も、創作の尊厳を守りたいという思いも、人気による影響力への期待も、すべて理解できる。
だが、それらは制度に届く構造を持っていなかった。ならば、届く形に組み替える必要があるだろう。
文化庁のパブコメに2万6千件もの意見が寄せられ、その殆どが無意味に切り捨てられたのは、公的な制度が理解できる言葉に翻訳されていなかったからだ。
社会的制度は、感情では動かない。交渉力は、AI開発の制度設計の中でしか生まれない。声を届けるには、公的な制度に理解できる言葉の翻訳が必要だ。
本稿が目指したのは、反論の声を様々な制度に接続するための指針提言である。
末尾に、クリエイターの権利と尊厳が守られる形でAI開発の制度設計が組み立てられることを願い、筆を置く。
生成AIを批判したいあまり、イラストレーターが「線が繋がっていない」とか「目が溶けてる」、「キャラが一貫していない」とか「差分を作れない」など具体的に欠点を挙げ、貶める投稿をよく見かける。
プロのアニメーターが「予備動作がない」とか「歩きが不自然」、「演技がなってない」などと、モーションに言及したりする。
自らの技術を誇示したいのかも知れないが、これはAI開発者に無償で改善点を助言していることに気付いているだろうか。イラストやアニメーションの専門家であるあなた方からの悪評は、AI開発者にとって貴重なアドバイスなのである。
そうした悪評は表には出さず、本稿で示したようにAI開発の現場に入り込み、開発者に助言した方が、あなた方にとって遙かにPermalink |記事への反応(0) | 09:25
「30条の4は何でもかんでも許可してるわけじゃない、やっちゃいけない(著作権侵害になる)学習もある」
「生成AIによる著作権侵害が疑われる場合、(AIの)利用者・事業者側で依拠性を否定する必要がある」
ってやつ、まぁ話題追ってる人は知ってると思うけど。
これって第三者が学習した内容を検査できる仕組みとか、生成物が生成物であると明示する義務なんかがないと絵に描いた餅よね?
ちょっと見つけられてないんだけど、この辺山田氏がどう考えてどう動いてるのか、どっかにありますかね。
あと文化庁はじめいろんな人がよく言う「勝手に使われたくないなら自分でデータセット作って売ればいい」に対して「実効性に疑問が残る」って言ってて面白かった。
これも何を学習してるか分からないと勝手に使われてるかどうかすら分からないっていう同じ話なわけで、ここに「疑問が残る」なら何か進めてるのかしら。
画像生成AIをめぐる議論が白熱する中、自身はプロ漫画家として40年以上、現行の著作権法の恩恵を受けてきた。
「無断学習」問題について、安易な規制は既存のクリエイターを困らせるとし、まずは「人間の学習」と「機械の学習」を切り離して考えるべきだと主張。
AIは道具であり、その性質と成り立ち、使用する人間の所業こそが問題だと考えている。
AIは新しい道具の一つであり、拒否反応は過去の新しい技術(スクリーントーン、デジタルツールなど)導入時にも見られた歴史の繰り返しだと捉えている。
「無断学習」に対する憤りは、学習元に尊敬と感謝がない点にあるとし、自身の倫理観と感情論であることを認めている。
自身が「画材はAIでもいい」とSNSに投稿したことで炎上したことが、この問題に関わるきっかけとなった。
その後、被害者や弁護士、開発者など、多岐にわたる関係者を集めた勉強会を主催。
法律を作る側(政治家)の考えを知るため、議員会館に足を運び、現状を訴えた。
当時は自分自身も勉強不足であり、様々な意見を聞いて判断する段階だったと述べている。
AIとの共存のためには、「データセットの情報開示の義務」「簡単なオプトアウトシステム」「AI生成のラベリング」が必要ではないかと提案。
今後、AIを使った漫画が多数現れるだろうが、それは新しい技術を持った作家だと捉え、プロ同士の切磋琢磨を楽しみたいとしている。
自身の考えは、あくまで漫画家としての個人的な心境であり、他業界に押しつけるものではないと断っている。
技術の進化とそれに伴う摩擦を冷静に見つめ、感情論だけでなく、法制度や倫理、歴史的背景を交えて多角的に考察している。
安易な規制や感情的な対立ではなく、対話を通じて解決策を探っていく姿勢を示している。
https://x.com/WANPOWANWAN/status/1954901931203428818
「画像生成AIの使用で被害に遭っている、なんとかかならんか?」との内容でした。
この時点で自分はうっすらとしかこの話題を認識していませんでした。
前年に漫画家協会内でも議題となりましたが「詳しい人に任せよう」というノリでした。
4月に漫画家志望の若い方へ呼びかけるポストをしていたときでした。
どうやら地雷を踏み抜いたようです。
「今度はなんだー?」くらいの鈍感さでしたが
「立場がある人間がそういう発言を無神経にするな」という意見があまりにも多く
Hさんに話を聞いていたのもあり、「どうやら深刻そうだ」と調べてみることにしました。
まず自分の炎上に加担していた人達を呼んで事情を聞くことから始めました。
[被害者とその周辺の方、弁護士、政治関係者、アニメ業界の方、声優さん、
当然業種により賛否があり、答えが出るハズもなく、主に話し合ったのは
「今何ができるのか?どこを目指せばいいのか?」でした。
法律を作る側は今何を考えこの問題がどんな状態なのか知りたくて、
帯同した者達は被害の深刻さと今後どうしてほしいかを訴えていましたが自分はほぼ黙っていました。
この時Hさんと作ったチラシを持参していました。
「とにかく言いたいことを盛り込みなさい、後から引き算すればいい」と作ったものです。
それと並行して現状を訴えて政治家さんがどんな反応をするのか、
どこまで把握されているのかを見ていました。
自分はまだ勉強不足で、出会った人たち全ての意見を聞いて反応を見て
勉強不足と書きましたが自分なりに本を何冊か買って読んでみたのです。
横文字が多く、読む作業より単語をググる作業に時間が費やされ、
遁辞の意味は自己に理解すれど 1/100 も理解できません。
すがやみつき先生にいただいた本が一番わかりやすかったんです。
「なんで? どうして?」というスタンスでから炎上しながらも、沢山の情報が入ってきました。
6月くらいにはずいぶん自分の中で整理できていたように思います。
・扱いによって道具は凶器になる
その性質が劣る方面では著作権侵害の塊とみなされますが、自分はそれを断定できません。
プロ漫画家として40年以上現行の著作権法の恩恵を受けてきました。
それを守りそれに助けられてきた立場から、越境する発言はできません。
そこは徹底的にドライです。
手続と窓口を間違えそれがらが必要と判断される程の声を届けることが重要なのかと思います。
何故それをしないのか甚だ疑問です。
未だバフコメ以上のものは見えず、疎情報自体も知られていません。
政治家さん達の動きが鈍く感じられるのも当然です。
『他責にするな、他力にするな』
コレを自分はドライな言い回しでポストするので反感を買う一因となっているのかもしれません。
規制を求めるとして、考えねばならないのは
良かれと用意し立法したものが現場活動の邪魔になる例はあります。
一度立法された法、条例を撤廃するのは並大抵のものではありません。
コレに安易に規制をかけようと既存のクリエイターも困ることになります。
「人間の学習」と「機械の学習」を感情論抜きに切り離すロジックを確立しなければならないとは思います。
その量を棚上げして、現行の著作権法に抵触していないものに人間であれ機械であれ咎めることはできません。
(わししか法や条項で機械の学習がダメとされたらその時は堂々と咎めます)
そうこう考えている間に並行して色々なことが起きました。
特に声優さんが決起した『NOMORE 無断生成AI』は大拍手で、
無断でなければ共存共栄していきましょうという意味と受け取りました。
その業界の方々が最大譲歩した呼びかけをしたのです。
感動しました。
一人ユースプメントになると思いました。
ところがこうしたすぐ手の甲が上り、
規制を求める味方のはずの人達から責められトーンダウンすることになります。
「いつでも譲歩してはいけなかったのですか」ね。
『著作権者が自らの著作物をAI学習にさせたい場合には、その意向が尊重される仕組みが必要である
と考える(要約)』というクリエイターに寄り添った内容のパブリックコメントを提出しています。
2024年2月の「文化庁のパブコメ結果(団体)」のP175に記載されています。
「外部に声明を出すべき」との意見もよく見ますが、省庁内で各著作権団体の集まる会議に参加し
て内部で発言しているので、外部から発信する必要がないのです。
スクリーントーンが登場した1960年代に「楽してる」とスミ指定の時代の誰かが言ったそうです。
初期は糊面に印刷がされていて、表からホワイトでグラデーションをつける作業が必要でした。
そののち表面印刷になり、削りが可能になった時、やはり「楽してる」と思った人はいたようです。
(ここまでが伝聞です)
当時トーンは高価だったためか手描きのカフアウゼが正義とされる風潮もありました。
ミリペンでコマ割をするようになった時は「カラスロを使え」と言われ、
コピック登場の際には「今の若い連中は筆も使えない」と言われ、
それも当初「ペンや紙の使い方知らない」と言っていた人もいます。
一方でで多くのこれまでの漫画家は道具の進化を歓迎し今に至りました。
生成AIは現在最も新しい道具の一つですから拒否反応もあるのでしょう。
問題視するとしたら、その性質と成り立ち、使用する人間の所業かと思います。
嫌悪となりますが「人間の無断学習」は多くの場合そこに尊敬と感謝が含まれます。
学習元にリスペクトの無い「機械の無断学習」に憤りを感じるのは当然です。
常識しかないと申しつけますが、先人の積み重ねを瞬時に手に入れられると仮定して、
その学習元を見下す発言、冷笑、嘲笑、悪用する手法諸々、あっていいことではありません。
足りないなりに導き出した「あったらいいな」が以下です。
ここが整えば、少しは混乱が減るかなと思います。
(今年1月に出席したMANGA議員の場でも生成AIの話題は出ており、
気にかけている議員さんは少なくないです。広く深い議論を期待します)
提案していてズッコケなのですが、自分が積極的に動く覚悟はないのです。
答えが出せないことが多いのです。
「楽しんでね」と黙認しており、それは使用道具がなんであれ同じと考えるからです。
当然【人間でも機械使用でも一線を越えたものには強い処分】を考えます。
しかし多少の緩さがないと後に続く文化の裾野が広がらないと思うのです。
このへんとても難しいですね。
すでに存在はしていますが、この先、生成AIを使用した漫画も多く見かけることになるでしょう。
自分の横に並ぶかもしれません。
或いはもう並んでいるかもしれません。
その最中できっと多くの学びがあるはずです。
その繰り返しと積み重ねです。
負けたら勝つ方法を考えればいいし、必要とされない時代がきたら去るだけです。
ずっとそういう業界に身を置いてきました。
これからも僕がやるべきことは変わりないのです。
ツラツラと書き続けましたが、漫画業界と、アニメ、イラスト等の隣接する業界は似て非なるものです。
押しつけるものでもありません。
「画像生成AIの使用で被害に遭っている、 なんとかならんか?」 との内容でした。
この時点で自分はうっすらとしかこの話題を認識していませんでした。
前年に漫画家協会内でも議題となりましたが 『詳しい人に任せよう』 というノリでした。
4月に漫画家志望の若い方へ呼びかけるポストをしていたときでした。
どうやら地雷を踏み抜いたようです。
「今度はなんだー?」 くらいの鈍感さでしたが
「立場がある人間がそういう発言を無神経にするな」 という意見があまりにも多く
Hさんに話を聞いていたのもあり、『どうやら深刻そうだ』 と調べてみることにしました。
まず自分の炎上に加担していた人達を呼んで事情を聞くことから始めました。
[被害者とその周辺の方、弁護士、政治関係者、アニメ業界の方、声優さん、
当然業種により賛否があり、答えが出るハズもなく、 主に話し合ったのは
『今何ができるのか? どこを目指せばいいのか?』でした。
法律を作る側は今何を考えこの問題がどんな状態なのか知りたくて、
帯同した者達は被害の深刻さと今後どうしてほしいかを訴えていましたが自分はほぼ黙っていました。 この時Hさんらと作ったチラシを持参していました。
『とにかく言いたいことを盛り込みなさい、 後から引き算すればいい』 と作ったものです。
それを渡して現状を訴えて政治家さん達がどんな反応をするのか、
どこまで把握されているのかを見ていました。
自分はまだ勉強不足で、出会った人たち全ての意見を聞いて反応を見て
勉強不足と書きましたが自分なりに本を何冊か買って読んではみたのです。
横文字が多く、 読む作業より単語をググる作業に時間が費やされ、
『なんで?どうして?』というスタンスですから炎上しながらも、 沢山の情報が入ってきました。
6月くらいにはずいぶん自分の中で整理できていたように思います。
・扱いによって道具は凶器になる
その性質がある方面では著作権侵害の塊とみなされていますが、自分はそれを断定できません。プロ漫画家として40年以上現行の著作権法の恩恵を受けてきました。
それを守りそれに助けられてきた立場から、 越権する発言はできません。
そこは徹底的にドライです。
手順と窓口を間違えずそれらが必要と判断される程の声の塊を届けることが重要なのかと思います。 何故それをしないのか甚だ疑問です。
未だパブコメ以上のものは見えず、陳情団体も知られていません。
政治家さん達の動きが鈍く感じられるのも当然です。
『他責にするな、 他力にすがるな』
コレを自分はドライな言い回しでポストするので反感を買う一因となっているのかもしれません。
規制を求めるとして、考えねばならないのは
良かれと用意し立法したものが現場活動の邪魔になる例はあります。
一度決議された法、条例を撤廃するのは並大抵のものではありません。
コレに安易に規制をかけてしまうと既存のクリエイターも困ることになります。
「人間の学習」と「機械の学習」を感情論抜きに切り離すロジックを確立しなければならないと思います。自分は先輩達の漫画を散々無断学習してきた身です。
その事を棚上げして、 現行の著作権法に抵触していないものを人間であれ機械であれ咎めることはできませ ん。(しかし法や条項で機械の学習がダメとされたらその時は堂々と咎めます)
そうこう考えている間に並行して色々なことが起きました。
特に声優さん達が決起した 【NOMORE無断生成AI】 は大拍手で、
無断でなければ共存共栄していきましょうという意味と受け取りました。 声の著作権は現在ありません。
その業界の方々が最大譲歩した呼びかけをしたのです。
感動しました。
一大ムーブメントになると思いました。 各業界も続く可能性も考えられました。
ところがコレにすぐ火の手が上がり、
規制を求める味方のはずの人達から責められトーンダウンすることになります。
一つでも譲歩してはいけなかったのですかね。
『著作権者が自らの著作物をAI学習にさせたくない場合には、その意向が尊重される仕組みが必要である と考える(要約)』というクリエイターに寄り添った内容のパブリックコメントを提出しています。2024年2月の 『文化庁のパブコメ結果 (団体)』のP175に記載されています。
「外部に声明を出すべき」 との意見もよく見ますが、 省庁内にて各著作権団体の代表が集まる会議に参加し て内部で発言しているので、外部から発信する必要がないのです。
スクリーントーンが登場した1960年代に 「楽してる」とスミ指定の時代の誰かが言ったそうです。 初期は糊面に印刷がされていて、表からホワイトでグラデーションをつける作業が必要でした。
そののち表面印刷になり、 削りが可能になった時、 やはり 「楽してる」 と思った人はいたようです。 (ここまでが伝聞です)
当時トーンは高価だったためか手描きのカケアワセが正義とされる風潮もありました。
ミリペンでコマ割りをするようになった時は 「カラス口を使え」と言われ、
コピック登場の際には 「今の若い連中は筆も使えない」 と言われ。
それも当初「ペンや紙の使い方も知らない」 と言っていた人もいます。
一方で多くのこれまでの漫画家は道具の進化を歓迎し今に至りました。
生成AIは現在最も新しい道具の一つですから拒否反応もあるでしょう。しかし機械であり道具であることは間違いありません。
問題視するとしたら、その性質と成り立ち、使用する人間の所業かと思います。
雑感となりますが 「人間の無断学習」は多くの場合そこに尊敬と感謝が含まれます。学習元にリスペクトの無い 「機械の無断学習」 に憤りを感じるのは当然です。
常に感謝しろとは押しつけませんが、 先人の積み重ねを瞬時に手に入れられると仮定して、 その学習元を見下す発言、冷笑、嘲笑、悪用する手法諸々、 あっていいことではありません。 この問題がここまで拗れた原因の一つがコレなのだと思います。
ここまで読んでいただいた方はすでにおわかりだと思いますが、
足りないなりに導き出した 『あったらいいな』 が以下です。
ここが整えば、 少しは混乱が減るかなと思います。
(今年1月に出席したMANGA議連の場でも生成AIの話題は出ており、 気にかけている議員さんは少なくないです。 広く深い議論を期待します)
提案しておいてズッコケなのですが、自分が積極的に動く覚悟はないのです。 答えが出せないことが多いのです。
「楽しんでね」と黙認しており、 それは使用道具がなんであれ同じと考えるからです。
当然 【人間でも機械使用でも一線を越えたものには強い処分】 を考えます。
しかし多少の緩さがないと後に続く文化の裾野が広がらないと思うのです。
このへんとても難しいですね。
すでに存在していますが、この先、 生成AIを使用した漫画も多く見かけることになるでしょう。自分の横に並ぶかもしれません。
或いはもう並んでいるかもしれません。
その最中できっと多くの学びがあるはずです。
その繰り返しと積み重ねです。
負けたら勝つ方法を考えればいいし、必要とされない時代がきたら去るだけです。
ずっとそういう業界に身を置いてきました。
これからも僕がやるべきことは変わりないのです。
ツラツラと書き続けましたが、漫画業界と、アニメ、イラスト等の隣接する業界は似て非なるものです。
押しつけるものでもありません。
*念の為明記しておくと、ワイは参政党支持者とちゃうで。あと、女やからこれだから男は……とか言わんといてな。
→これを排外主義やと叩く人も多いけどもワイはそうは思わんな。アメリカではアメリカ人が、中国では中国人が一番なのは当たり前や。参政党の憲法草案に書いてある日本人の定義についてもそりゃそうやろなって感じや。むしろ、不法をしている外国人を追い出すことで法を明かさずに日本で暮らしている外国の方々のことも守ることになると思うんや。
これを第一にしているところは賛成できるわ。
→当たり前のことや。これに女性蔑視やと怒ってる人らはなんや?そうやから若い夫婦が子どもを産めるようにしていこうって話とちゃうんか?
→これに反対してる人らはウクライナの惨状が目に入ってないんか?核を持つことが日本に徴兵制を導入しない一つの抑止力になり得るんやで。
→これが一番支持できるとこやな。言論統制だーと言うとる人もおるけど、諸外国では当たり前や。日本も早急にこの法律を作るべき。
10議席以上を確保した参政党にはぜひ早速この法案を提出してほしいんやで。
→農家さんが身近におらんワイでもわかる。ジャンボタニシはあかんやろ。
→文化庁に権利を譲渡ってどういうことや。そもそも、なんかこの政策があやふやなように感じるのは気のせいか?とってつけて適当なことを言うとるだけか?
・徴兵制を導入……?
→元の発言を見た上で言うと、徴兵制を導入するべきってはっきり言うてるわけではないな。ただ、徴兵制の良かったところを言うとるだけ……
とはいえ、この発言だけ切り取って参政党は徴兵制を導入しようとしていると断定するのは微妙なところ。んー……でも肯定してるしアウトやね。
・さや氏
→本名で出馬してください。徴兵制に関する発言もワイ的にかなりあかんかったなぁ。でも、核武装安上がり発言は同感やわ。
→ホストクラブのあれはあかんやろ。しっかりしてくれや。あれが公職選挙法違反ってわからんかったんか?そんなん困るわ。
→ワイはこれについては2通りの見方があると思っとって、1つ目はガチで書かなくて良いと思ってたパターン、2つ目はガチで国民主権なんかいらんって考えてるパターンやね。
前者の場合は良い方向に考え過ぎやと思われるかもしれんけど、参政党は政治に慣れてへん人が多いんとちゃうか?それでうっかり忘れてしまったとか……いや困るわ。そんなうっかりやめてほしいわ。
・カルトっぽい
→保守層を取り込んで金儲けをしようとしている政党かもしれんいうのは否定できひん。だって都合良すぎるもん。
あと立ち上げの主要メンバーが神谷氏以外ほぼ残ってないってのがなぁ……なんかあったんか?って思わせるんよなぁ。
→んなわけないやろ。注目を集めるアピールやとしても、なんかもうちょっとええのあるやろ。
・熱狂的な支持者が怖い
→言いたいことはわかるんやけども、憲法草案で日本人とはどのような存在か定義しているような政党がこれを言うんはあかんかったね。これじゃあ独裁国家を目指そうとしていると言われてもしゃあないわ。
・医療費云々
→ホームページには余計な医療費を削減する(雑省略失礼)って書いとるな。これだけ見ると悪くないと思うんやけど……ただ、神谷氏の発言を見ると、どうなんやろかって思うな。この人、必要な医療費まで削減してまうんとちゃうか?また適当なこと言うてるだけなんか?
→これは賛成やね。右だろうが左だろうが職務に支障が出るレベルで思想の強い公務員は即刻辞めさせるべきやと思うわ。
ただなぁ、思想の強さで職務に支障を出せるんか?って思うし、右寄りの姿勢を露わにしてる政党がこんなん言うたら猛バッシング喰らうに決まっとるやろ、とも思ったな。
→切り抜きでしか見たことないんやけども、正気か?実際の動画をまだ見てないから💩ポイントにはせえへんかったけども、正気か?いくらなんでも過激すぎんか?
・ロシアと繋がりがある……?
→調べ中やからなんも言わんとく。
立憲よりはマシ。国民よりは下かな。過激なことを言って目立とうとしているだけのパターンなのか、そうじゃないのかまだよくわからない。ワイのTwitter上では参政党は男尊女卑だとか、女性蔑視を拗らせた中年男性ばかりが支持しているだとか流れてくるけど、そうとは限らんのでは?
ワイは参政党には票は入れんかったけど、スパイ防止法の為に頑張ってほしいわ。参政党に票を入れとる人はこれを期待してる人が多いんとちゃうかな?知らんけど。
「表現の自由」と「人権保護(=肖像権の保護)」、さらに「財産権」が含まれる。
次に刑法というのがある。
ここに「わいせつ物頒布等罪」というのが含まれている(175条)。
詳しくいうと「わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を「頒布・公然と陳列・有償で頒布する目的で所持また保管」した場合に成立する犯罪」
さらに刑法に絡まない個別立法で「性的姿態等撮影罪」、「児童ポルノ法(児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律)」、著作権法、青少年保護育成条例がある。
ここで問題なのは「猥褻」の定義が時代遅れになっていて形骸化しているのに、そのまま175条を手広く適用しようとしている警察と司法。
個別立法の解釈まではなかなか手が回らないので警察は刑法だけ覚えて帰ってしまう。
著作権法も今のところ親告罪部分という大きな穴が残っているが、わいせつ物ほどではなく文化庁がけっこう手当してくれてるからね。
猥褻っていうのは、もともとエロという意味だけではなく、ゴチャゴチャして下品なものも含まれた。
今もR18画像にはR18Gってのがあるけど、要するにまともな神経なら見るに耐えないものが猥褻。
で、もじゃもじゃ陰毛の絡みついたお万個とかチンコとかはやっぱりメシ食ったり電車に乗る、日常生活では見るに堪えないわけよ。
人体の一部に対して、いっちゃわるいけど、匂い立つようなチンコとかトイレットペーパーカスのついた万個とか、きったねえな~今は見たくねえわ~ってなるわけ。
そんでも販売目的所持じゃなきゃまあいいよとか、公表しなきゃいいよとか、刑法にしろお目こぼしはちゃんとあるわけよ。
じゃなきゃ医者による解剖解説もできない。そんで社会生活が成り立たなくなる部分もあるからね。
そこにネット+スマホという「情報のどこでもドア」ができちゃったのでこまってるわけ。
流出しちゃう(させちゃう)人間が問題なのか、それができるスマホ+ネットが悪いのか。
こりゃもう、人間が悪いんですわ。包丁とおなじこと。いくら有効なものでも持ち歩くな、ちらつかせるな。
これも盗んだ包丁とおなじ。対価を払わずに盗まれた人、さらにそれを悪用された人はそりゃ怒るわ。
表現規制というのは、穴の開きまくった情報に一生懸命パッチを当てる社会の自浄作用だよ。
A: もう我慢できない!また画像生成AIのニュースよ。私たちイラストレーターの仕事を奪って、作品を勝手に学習データに使って...
B:気持ちはわかるよ。でも少し冷静になろう。君も文化庁のパブリックコメントに投稿したって言ってたよね?
A: もちろんよ!みんなで頑張って2万件以上も集めたの。これで政府も私たちの声を無視できないはず。
B: 2万件...それって普通のパブリックコメントと比べてどうなんだろう?
A: 多ければ多いほどいいに決まってるじゃない。私たちの怒りの大きさを示してるのよ。
B: でも君、同じ文章をコピペして何回も投稿したって言ってなかった?
A: それが何?みんなでテンプレートを共有して効率的にやっただけよ。SNSで拡散された投稿方法を使っただけ。
B: その「みんな」って誰?どこから始まった運動なのか調べたことある?
A: え...?別に誰が始めたかなんてどうでもいいじゃない。大事なのは私たちの権利を守ることよ。
B: でもさ、エネルギー政策のパブコメでも同じような大量投稿があったって知ってる?AIとは関係ない分野なのに。
A: ...それは知らなかった。でも原発反対も大事な問題でしょ?
B:不思議だと思わない?AIの話題が出ると必ず同じパターンで大量の反対意見が組織化される。しかも日本だけが異常に激しい。
B: もちろんいるよ。でもアメリカやヨーロッパで、ここまで組織的で大規模な反対運動は起きてない。日本だけが突出してるんだ。
B: それとも、誰かが日本のAI開発を遅らせたがってるからかもしれない。
A:まさか...でも誰がそんなことを?
B:AI技術で日本が遅れて一番得するのはどこだと思う?中国は国家戦略としてAI開発を進めてる。日本が出遅れれば相対的に有利になる。
A: でも私たちは純粋に自分たちの権利を守ろうとしてるだけよ!
B: その気持ちは本物だと思う。でも、その正当な怒りが利用されてる可能性は考えたことある?
A: 利用って...どういうこと?
B:現代の情報工作は完全な嘘じゃなくて、真実の一部を極端に拡大する手法が主流なんだ。君たちの著作権への懸念は正当だけど、それが「日本のAI開発全体を止めろ」という方向に誘導されてない?
A: そんな...でも実際に中国のゲーム会社でイラストレーターが解雇されたじゃない!
B: それは事実だね。でも考えてみて。日本がAI技術で遅れたら、結局中国製のAIが日本市場を席巻することになる。それって君たちイラストレーターにとって本当にいいこと?
A: え...それは考えてなかった。
B:アメリカは日本にAI開発の加速を求めてる。技術同盟を組んで中国に対抗しようとしてる。でも中国は日本のAI産業が停滞すれば大喜びだ。
A: じゃあ私たちが反対すればするほど、中国が有利になるってこと?
B:可能性は高いね。しかも君たちは気づかずに、そっちの方向に誘導されてるかもしれない。
B: 直接中国人が書いてるとは限らない。影響力のある日本人を使ったり、既存の不満を増幅させるのが現代の手法だから。
A: 確かに...最近のSNSでの反AI運動って、なんだか感情的すぎる気がしてた。建設的な解決策よりも、とにかく「AI憎し」って感じで。
B: そう!本当にイラストレーターの利益を考えるなら、AI企業とのライセンス契約や利益配分の仕組みを作る方が建設的でしょ?
A: 言われてみれば...私たちがやってるのは「とにかく反対」だけで、具体的な解決策は話し合ってなかった。
B: 君の著作権への懸念は正当だよ。でもそれを解決する方法は「日本のAI開発を止める」ことじゃない。
A: そうね...日本の技術力が落ちたら、結局外国製のAIに支配されちゃう。それって私たちにとってもっと悪い状況かも。
B:特に中国は政府主導でAI開発してるから、日本が遅れれば技術格差はどんどん広がる。少子高齢化の日本にとって、AI技術は生き残りの鍵なんだ。
A: 私、もしかして操られてた?自分では正しいことをしてるつもりだったのに...
B: 操られてたというより、正当な怒りを利用されてたんだと思う。君の気持ちは間違ってない。ただ、それが国益に反する方向に誘導されてた可能性がある。
A: これからどうすればいいの?
B: まず、情報の出所を確認する習慣をつけよう。「この主張で誰が得するか」を常に考える。極端な感情論や、建設的な解決策を示さない意見には注意する。
A:SNSで回ってくるテンプレートも、誰が作ったものかわからないものね。
B: そう。そして何より、クリエイターの権利保護とAI技術発展は両立できるってことを忘れないで。対立じゃなくて協力の道を探そう。
A: 私、今度は建設的な提案をしてみる。ライセンス制度とか、クリエイターへの利益還元システムとか。
B: それがいい。日本のAI技術が発展して、同時にクリエイターも恩恵を受けられる。そういう未来を目指そう。
A:ありがとう。目が覚めた気がする。私たち日本人なんだから、まず日本の国益を考えないといけないわよね。
B: その通り。外国の戦略に知らず知らずのうちに利用されることがないよう、常に冷静な判断を心がけよう。
A: これからは感情的になる前に、一歩引いて考えるようにする。私の仲間にも、この話をしてみるわ。
1
只野天才──この名前を聞いて、まず「本名なのか?」と疑う人が多いだろう。事実、彼は戸籍上もこの名を持つ。28歳。慶應義塾大学環境情報学部卒業。新卒で電通に入社し、三年目にはクリエイティブ部門のメディアプランナーとして社内の若手表彰を受けた。だが、そこで燃え尽きたのか、あるいは興味が尽きたのか、彼は「どうにも社風が合わない」という理由であっさりと退職してしまう。
電通を辞したあと、彼は自らの預金と父親が経営する資産管理会社からの分配金を元手に、港区のタワーマンションに引っ越した。34階、角部屋、東京湾が一望できる2LDK。広すぎず、だが一人暮らしには十二分すぎる贅沢な空間。そこで彼は、一切働くことなく、しかし「暇すぎて死にそう」という感覚とも無縁に暮らしていた。
起床は午前10時。最初にやることは、顔を洗ってエスプレッソを淹れること。イタリア製のマシンで豆から挽いたものだ。音楽はApple Musicのクラシック・プレイリスト。観葉植物に霧吹きをかけ、洗濯機を回し、ルンバを稼働させる。そのあいだにプロテイン入りのヨーグルトとバナナを食す。ルーチンは正確で、常に淡々と、綺麗に整っていた。
午後になると読書。だが、読書といっても文学ではない。フィナンシャル・タイムズ、WIRED、ニューズウィーク。彼が目を通すのは常に「未来」の話題だった。哲学、テクノロジー、経済といったジャンルで、作家の名を語るようなものではなく、「情報としての価値」に重点を置いた読み方だった。
夕方からはジム。高輪のパーソナルジムにて、週三回のメニューを欠かさない。体脂肪率は12%。夕食はUber Eatsで取り寄せる。コース料理がデフォルトで、時には三万円のディナーを平然とオーダーする。
この生活に、彼は「満足している」と断言していた。
只野がそう言ったのは、ある春の日、都内のあるイベントで久々に顔を出した電通の先輩との会話中だった。彼はワインを飲みながら、ふとつぶやいた。
その場にいた誰もが、冗談だと思った。
だが、彼は本気だった。ChatGPT、Claude、Gemini。あらゆる大規模言語モデルを研究し、出力されるプロンプトの精度を上げていく作業を繰り返した。
構想3日、調整5日。完成稿の初稿が出力されたのは、思いつきからたった1週間後だった。
タイトルは『石英の肺』。人間の呼吸器を模倣しようとするAIロボットが、なぜか「吸う」動作は可能なのに「吐く」動作だけができないという矛盾を抱え、それが社会全体の空気感とリンクしながら哲学的に展開されていく──という、ポスト・ヒューマンSFとも言える構成だった。
出版経験なし。執筆歴なし。そもそも小説家になりたいと考えたこともなかったという。
だが一次選考を通過した。
そして、通過の知らせを受けた翌週、彼はツイートした。
「プロンプト家、はじめました。」
この発言が、後に大炎上を引き起こすとは、まだ誰も知らなかった。
只野はその後、テレビ出演やインタビューをほとんど断っていた。理由は、「面倒だから」。それでも『文藝新潮』とだけは特別に対談を設け、こう語った。
「小説を“書く”なんて、もう古いんですよ。人間が感情や衝動に突き動かされて文字を紡ぐなんて、効率悪すぎる。僕がやったのは、論理的な構造とテーマ性の設計、そして意味の抽象度を操作すること。それをAIが文章にしてくれる。もはや“書く”ではなく、“指示する”時代です」
「ふざけるな」
「冒涜だ」
X(旧Twitter)では、#文学を返せ #直木賞終わった が数日トレンドに入り続けた。
──だが。
満場一致だったという。
2
授賞式当日。帝国ホテルの大広間は、報道陣と関係者でごった返していた。
「私の作品が、AIによって書かれたことに違和感を抱く方もいらっしゃると思います。ですが、私はプロンプト家です。私が与えた命令が、AIにとっての筆であり、私は設計図を描いたに過ぎません。にもかかわらず、完成された“家”に価値があるのなら、それを建てた大工ではなく設計者にこそ拍手を送るべきだと、私は考えます」
拍手はまばらだった。
壇上を降りた彼に近づいたのは、某老舗文芸誌の編集者だった。灰皿に煙草を押し付けながら、皮肉な笑みを浮かべて言った。
只野は、まったく表情を変えずに答えた。
「小説とは、感情を揺さぶるものだと誰が決めました?システムを揺さぶってはいけないのですか?」
それから数日後、渋谷ヒカリエで開催された受賞記念パーティー。タキシードを着た只野は、会場中央のスポットライトの下で挨拶した。
「私は、今日、ここに文学の“終焉”を宣言します。いや、正確には“次の始まり”と言うべきかもしれません。文学は感情を記述するものから、構造を指示するものへと進化すべきです。AIと共に創ることを拒絶することが“純粋”なのではない。拒絶すること自体が、もはや怠慢です」
「AIに書かせて賞取って天狗になるな」「これでいいのか直木賞」「文化庁は黙ってるのか」
だが炎上の嵐の中でも、彼は変わらなかった。
翌週、表参道の某ギャラリーで行われたトークイベントでも、彼は同じスタンスを貫いた。
「僕の仕事は、“いかに指示するか”なんです。言語は、感情の発露ではない。構造の組み替えです。プロンプトは未来の詩だと、僕は本気で思ってます」
《全部正論なのにムカつくって、逆に才能だよな》
《あいつ刺されてほしいわ》
この最後の書き込みが、後に一部で問題視されることになるのだが──それはまた、別の話である。
3
イベント当日、渋谷ヒカリエのステージ上はまばゆく、只野天才の姿もやけに艶やかだった。
タキシードは特注のトム・フォード、蝶ネクタイはブリオーニ、ポケットに忍ばせた金のペンはカルティエ。何もかもが高級で、調和していて、だが過剰だった。
壇上でマイクを持った只野は、まるでプレゼンのようにスライドを切り替えながら語った。
「文学とは、“苦悩の排泄物”ではない。“設計された感情”だ。
AIに語らせれば、魂は不要かもしれない。だがそれでも人は泣く。ならば、魂って、必要か?」
聴衆の一部は拍手したが、半数以上は腕を組み、黙っていた。
壇上に近づく男にスタッフが反応しきれなかったのは、彼の存在感があまりに“薄かった”からだった。
何者にも見えなかった。ただの、通りすがりの観客。
時間が止まったようだった。彼はほんの少し顔をしかめ、それから、まるで安心したかのように微笑んだ。
「……やっぱり、そうなるのか」
それが彼の最後の言葉だった。
鮮血が胸元に広がり、ステージに膝をつく。彼の影だけが、すっと沈んでいった。
会場が騒然とし、スタッフが男を取り押さえ、緊急搬送のサイレンが鳴るなか、ニュース速報が各局に走った。
『速報:作家・只野天才氏、刺殺される/逮捕の男は47歳・自称小説家 黒詩影郎』
テロップは正確だった。
年齢、“自称”の二文字、そして“黒詩影郎”という見るに堪えないペンネーム。
ネットはすぐに湧き上がった。
「黒詩影郎って…中二病にもほどがあるだろ」
「正直、清々した」
「あいつの顔見るだけでイラっとしてた。なんかムカつくんだよ、完璧風にしてるのが」
Xでは #只野天才 で弔いもされていたが、それ以上に #黒詩影郎 がトレンド1位を奪った。
同時に『石英の肺』は飛ぶように売れた。書店からAI小説コーナーが設置され、重版は四度目に突入。
あるレビューには、こんな一文があった。
「只野の小説は嫌いだった。でも、今は認める。だって俺、あの瞬間、泣いたんだ。AIが書いたってわかってても、心が動いた。だったら、それでいいじゃんか」
テレビでは元同僚という男が涙ながらに言った。
「彼は、ほんとに変なやつだったけど、天才でしたよ。変な意味じゃなく」
そして、彼を刺した黒詩影郎について、周囲の情報はほとんど出なかった。
知人は「昔、文学賞に投稿していたようだが、何一つ入選しなかった」とだけ語った。
週刊誌には「彼が投稿していた小説の一部」として、奇妙な一文が転載された。
「人は、誰かを刺すことによって、自分を終わらせる。文学もまた然り」
この事件は、文学におけるAI革命の象徴として語られ、同時にそれを殺した“魂”の火種としても、永く記憶された。
だが物語は、生き残った。
今もどこかでぶつかりあっている。
いずれにせよ──。
誰が書いたっていい。
だって、読者は、
最後に泣いた。
それだけで十分だった。
作家のアーティスティックな表現を享受できる集中学習といえば、米山舞LoRAとかその辺だな
こういうの
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1girl,solo, bangs, blackbackground, portrait, paint, short hair, blunt bangs, partedlips, paint splatter, black hair, lookingat viewer,white hair,yelloweyes, paint splatteron face,bob cut,chromatic aberration,simplebackground
こんな普通のプロンプトでこういうのがバンバン生成できるわけだ
まあ近年のミカピカ氏がアレなせいで米山LoRAとピカゾLoRAを区別するのは難しかったりもするんだが、それはそれとして
ジブリ風がどうだ絵柄の模倣がどうだというレベルじゃないんで、学習時点で享受目的アリとして30条の恩恵は受けられず著作権侵害になるんじゃないか
というか文化庁や審議会はこういうのを想定して作風であっても創作的表現がどうたらで少数データの追加学習は違法になりうると整理しているんじゃないかと思う
逆にこれで侵害にならないのなら、絵柄作風は絶望的で、当該著作物の再生といわゆるキャラ学習生成以外ではまず著作権的な訴えが認められないだろうな