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はてなキーワード:文化人類学者とは

2025-10-17

anond:20251017091013

いや、文化人類学者たちがそう言ってるぞ。アマゾンの奥地でもニューギニアの山奥でも基本は一夫一妻だそうだ。どうやら種としての本能らしい。 

ただし、あくまでも「基本は」であって、かなり緩やかな一夫一妻らしい。ま、そりゃ世の中を見回せばわかるわなw

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2025-09-04

虚人たち

以下で展開される議論は、アメリカのある哲学者学術誌の査読ピアレビュー同業者による査読)の適切さを確かめるためにでっち上げデマ論文の内容であり、しかもその論文はある雑誌受理された。

このことから投稿者は、文化人類学者ではないが、いくつかの考察を試みる。

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1. 以下の内容は、「サル山のボス猿とそのなかま」が信奉するペニス信仰と、それに対する「フェミニスト」の反論の両方を痛烈に揶揄している。これらの議論は、ここ「はてな」での果てしない同種のやり取りの上位互換となっている。つまり、そのことに気づかないでいる、いわば自己相貌失認を患う矮小関係者の姿をアナロジカル揶揄している。

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2. 仲間による「レビュー」を経て認められた「議論」が、いかに穴だらけなものであるか、つまり特定コミュニティ支配イデオロギーとはしばしば、ブードゥー教偶像崇拝にすぎないことを示唆している。

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3.投稿者はこのデマ論文の紹介により、いわば原始人に優れた棍棒の作り方の一例を教唆することになるかもしれない。いずれにせよ、上位互換議論デマであると著者により暴露されたことは、はてなでの「議論」の有効性の上界を抑えられたことを意味する。平たくいうと、0くxく1のように、xの取りうる範囲が有限なある一定の値以上にならないことである。原始人たちが、今後どのような道を選ぶのか知らないが、進化選択肢があることを付け加えたい。

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4.敷衍すると、この論文の内容に限らず、はてなでの任意の「議論」には、それの上位互換となるある学術的な議論を作ることができる、という可能性が示唆される。平たくいうと、はてな投稿分析すれば論文が書けるかもしれない。

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この論文概念的なペニス社会構成である」は、ジェイミー・リンゼイピーター・ボイルによって2017年にCogent Social Sciencesに掲載された研究論文であり、ペニスという概念が単なる解剖学的な器官ではなく、社会的に構築されたものであり、それが有害な「毒性のある男性性」(toxic masculinity)と密接に関連しているという革新的な主張を展開しています[1]。著者らは、この「概念的なペニス」が、ジェンダーアイデンティティ生殖に関するアイデンティティ社会および家族力学に深刻な問題引き起こし女性やその他のジェンダー周縁化されたグループにとって虐待の根源となり、レイプ普遍的な原因であり、さら気候変動の概念的な原動力である結論付けています[2-4]。

1. 緒論:ペニス伝統理解への異議**

伝統的に、ペニス男性生殖器または性器として圧倒的かつ議論余地のないものとして科学的に認識されてきました[5]。しかし、著者らは、この見方が「過度に還元主義的」であり、ペニスを持つ人間経験多様性を完全に表現できていないため、「首尾一貫しない構成物」であると指摘します[6]。

この主張の根拠として、まず解剖学的なペニスが必ずしも男性生殖器官としての役割を果たすわけではないという事実が挙げられます[5]。例えば、怪我を負った者、配偶者強制できない者、子孫を産むことに興味がない者、医学的に不妊の者、またはアセクシュアルを自認する者など、ペニスを持つ多くの人々が生殖を行いません。これらの例は依然として「男性」を構成するかもしれませんが、彼らのペニス生殖器官として特定することは明確に誤謬であるとされています[5]。

さら重要な点として、ペニスを持つ女性が数多く存在することが強調されます[5]。これには、性別適合手術前のトランスジェンダー女性や、女性と自認し、性別移行を望んでいない染色体上の「男性」が含まれます[5, 7]。文化的有害常識に反して、これらの人々にとって、彼らの性器ペニス)は、生殖に利用される場合があったとしても、男性性器として最もよく理解されるべきではありません[7]。このような人間表現多様性という重要事実に照らして、ペニスを具体的に男性解剖学的な器官と概念化することは、非常に問題があり、言説的な再検討喫緊必要であるとされます[6]。

2.概念的なペニス定義と「毒性のある男性性」との等型写像関係**

著者らは、ペニスが「男性性に対する首尾一貫しない構成物」であるとし、ペニス解剖学的な器官としてではなく、**ジェンダー遂行的な、非常に流動的な社会構成物**である概念的なペニス」として理解されるべきだと主張します[6]。この「概念的なペニス」は、ジェンダーに関連する様々な遂行的な行為発言を通じて社会確立されるペニス操作的な表現です[6]。

この概念的なペニスが、**「毒性のあるハイパーマスキュリニティ(hypermasculinity)」と等型写像的(isomorphic)な関係にある**とされています[1, 8-10]。この等型写像関係とは、二つの異なる構造が、その構成要素間の関係性において本質的に同じ形を持っていることを意味します。ここでは、概念的なペニスという社会構成物が、毒性のあるハイパーマスキュリニティの行動や心理鏡像のように一致しているということです。

特に、この等型写像関係は、**「マチスモ・ブラガドシオ」(machismo braggadocio)**という概念によって媒介されます[10,11]。マチスモは本質的攻撃的な男性プライドを指し、ブラガドシオは傲慢な自慢の性質意味します[12]。これらが一体となって、社会的に男性的な心や異性愛規範的な女性の心がペニスを「客観視」し、それを介して男性性と支配的な男性権力ダイナミクス遂行的に表現する具体的な描写であるとされます[12]。

この等型写像関係において、概念的なペニスは、ハイパーマスキュリン男性権力のない主体的立場から強力な立場へと自身を再配置するために、**「主体」「客体」「動詞」の三つの役割**を果たします[11-14]。

**客体としての概念的なペニス自己客観化)**: 多くのシスジェンダーハイパーマスキュリン男性は、ペニス男性権力支配制御能力、魅力、攻撃性の象徴として捉え、自らの男性性の最も明白な側面をペニスと同一視する傾向があります[9]。これは、彼らが自身概念的なペニスを通じて自己を客体化する行為であり、弱さの心理闘争を緩和するための権力再配置として機能します[12, 15]。男性勃起不全を「機能不全の非貫入的(異性愛男性性」という「虚構」として捉えることも、この自己客観化の例とされます[15]。

**主体としての概念的なペニス**:ハイパーマスキュリン精神性は、社会化された男性個人を、彼の概念的なペニス刻印され、具体化された延長と混同することがよくあります[13]。この混同を通じて、ハイパーマスキュリン男性自身概念的なペニスを「主体」とし、自身の核となるアイデンティティをそのペニスを通して表現します[13]。この現象は、新資本主義唯物論が「性的アイデンティティ客観的な価値を持つ」と示唆している状況で、特に不利な立場にある人々を抑圧する結果をもたらすとされます[13]。男性性的アイデンティティ客観的な価値があるという誤解は、権力のないハイパーマスキュリン男性主体を、彼の概念的なペニスによって強力なものとして再配置する結果を招きます[13]。

この主体としての役割は、男性性的な「征服」や「パフォーマンス」について自慢する際に明らかになります[16]。また、「俺は彼女にやった」「彼女もっと欲しがった」といった表現に見られるように、名詞の「それ」("it")が客体的な概念的なペニス女性経験の知覚された主体に変え、概念的なペニス男性ジェンダーパフォーマンスに関してさらに客体化します[16]。これにより、概念的なペニスは、ハイパーマスキュリンな心において、ペニス主体として(男性の)セクシュアリティを強力な現実とする脱所有化(deappropriative)のツールとなります[16]。

**動詞としての概念的なペニス**:ハイパーマスキュリン男性は、「dick」(ペニス意味する俗語)という言葉を、行動を表す動詞として頻繁に使用します[14]。例えば、「to dicksomeone」(誰かを騙す、または性交する)や「I dickedher good」(彼女を十分に性交した)といった表現は、男性権力支配的な男性セクシュアリティテーマ表現するために利用されます[14]。これらの使用法は、男性自身主体的立場にある様々な言説の相互作用直感的に理解し、特定の状況、特に実際の性的な遭遇においてそれを調整することを可能します[14]。また、「I dickedhimover」(彼をひどい目に合わせた)のように、他の男性に対する権力ダイナミクス表現するためにも使用され、支配的な男性ヘゲモニー思考を示しています[14]。

この傾向は、性的アイデンティティ根本的にヒエラルキーの維持に利用されるという考え方によって説明されます[17]。概念的なペニスを行動を表す動詞として使用することで、ハイパーマスキュリン男性は、他者を抑圧し、脱制度化する社会的なヒエラルキー強制し、自己認識的に高めます[17]。この現象は、ラップ音楽におけるミソジニー分析や、「マン・スプレッディング」(manspreading)と呼ばれる、公共交通機関などで男性が足を開いて座り、不必要に広いスペースを占有する行動にも見られます[17]。マン・スプレッディングの言い訳は、解剖学的なペニス睾丸が「快適さ」のためにスペースを必要とするという男性的な社会言説に直接基づいていますが、これは概念的なペニス遂行的な社会構成物として見た場合、周囲の空きスペースを「レイプする」ような支配的な物理空間占有であり、毒性のあるハイパーマスキュリニティへのマチスモ・ブラガドシオ等型写像を通じて最もよく理解されるとされます[17]。

マチスモはハイパーマスキュリン本質であり、ブラガドシオはその表現です[10]。現代思考における概念的な要素としてのペニスは、マチスモ・ブラガドシオの概念によって、ハイパーマスキュリニティにおける最も毒性があり問題のあるテーマ自然に等型写像関係にあります[10]。これらのテーマは、解剖学的なペニス自体には適用されず、生殖しない個人アセクシュアル個人にも関連性を持たないため、ペニス既存男性的な社会的な比喩を演じるために利用される、構築された社会的な客体、つまり言説的な「概念的なペニス」として理解されるべきだとされます[10]。

3.気候変動と概念的なペニスの関連性**

概念的なペニスが毒性のあるハイパーマスキュリニティに等型写像的に同定されることの最も問題のある結果の一つが、**気候変動**であると指摘されています[4, 18]。気候変動は、まさにハイパーマスキュリニティ特定有害テーマによって引き起こされており、これらは概念的なペニス識別される気候生態学への支配的な略奪的アプローチを通じて最もよく理解できます[18]。

著者らは、地球が急速に2℃の気候変動閾値に近づいている原因が、現在資本主義構造を維持する家父長的な権力ダイナミクス特に化石燃料産業にあると主張します[18]。科学政治経済の言説におけるハイパーマスキュリン支配と、生態系への修復不能ダメージとの関連性は明確であるとされます[18]。破壊的で持続不可能であり、ヘゲモニー的に男性的な環境政策と行動へのアプローチは、男性優位の精神性による自然の「レイプ」の予測可能な結果です[19]。この精神性は、男性心理に対する概念的なペニス役割認識することによって最もよく捉えられます[19]。

特に資源安価に略奪し、家父長的な経済的利益のためにその内在的な価値を奪われた後、荒廃し減退したまま放置されるような「未開の環境」にこの精神性が適用されるとき概念的なペニスに内在するレイプ文化の延長が明らかになるとされます[19]。気候変動は、最もよく言えば、ハイパー家父長制社会地球生態系メタファー的に「マン・スプレッディング」している例であると述べられています[19]。

この問題のある傾向の根底にある理由は、現代資本主義理論、すなわち新資本主義理論が、科学社会におけるハイパーマスキュリンな焦点から直接その合理性の主張を引き出していることにあります。そしてこの焦点は、概念的なペニスとの同一視によって最もよく説明されるとされます[20]。毒性のあるハイパーマスキュリニティは、概念的なペニスから直接その意義を引き出し、新資本主義唯物論の支持に自身適用します[20]。この新資本主義唯物論は、特に炭素排出化石燃料技術の無制限使用や、未開の自然環境の無謀な支配において、気候変動の根本的な原動力であるとされます[20]。

この分析から導かれる実践的な推奨事項は、気候変動研究において、可能な限りハイパーマスキュリンペニス中心の視点を避けるように、政治科学の言説への関与方法を変えるべきであるというものです[3]。

4.結論提言**

結論として、著者らは、ペニス男性性器生殖器として理解されるべきではなく、むしろPermalink |記事への反応(0) | 19:03

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2025-06-23

悲報トランスクィアペドを含んでしま

https://x.com/chounamoul/status/1936983548420108397

ペドフィリア欲望というのは小児を対象とする以上、必然的に性加害への欲望からね。

性加害への欲望を(包摂を装って)LGBTと同列に並べようとするこういう言説がマイノリティ当事者をどれだけ貶めるか、分かって言ってるなら度し難く悪質だし、分からないなら度し難く愚かだと思う。

ところが、トランスアライの清水晶子教授

https://x.com/akishmz/status/779860576805593088

ペドフィリアセクシュアリティの一つだと思いますし、ペドファイルはその意味ではセクシュアルマイノリティです。

とのたまうんだよね。

それどころか、トランスクィアペドフィリアを含んでいることは、クィア理論の支柱となった文献をみれば明白なんだよね。

以下はクィア文化人類学者ゲイルルービンGayle S. Rubinの「性を考える セクシュアリティ政治に関するラディカルな理論のための覚書」(1984)、クィアスタディーズにおける超重要文献から抜粋だ。ちなみにルービンはトランス教祖ジュディス・バトラーの師である

1950年代共産主義者同性愛者のように、小児性愛者は汚名を着せられているため、彼らのエロティック指向性はおろか、市民自由擁護者を見つけることも難しい。その結果、警察は彼らを食い物にしてきた。地方警察FBI、そして監視役の郵便局検査官が加わり、小児性愛者たちのコミュニティを一掃することだけを目的とした巨大な組織を作り上げた。20年かそこらで煙がある程度晴れれば、こうした男たちが野蛮で分不相応魔女狩り犠牲者であったことを示すのは、ずっと容易になるだろう。多くの人々がこの迫害に協力したことを恥ずかしく思うだろうが、獄中で一生を過ごした男たちのために良いことをするには遅すぎるだろう。

原文はこちら。

https://bpb-us-e2.wpmucdn.com/sites.middlebury.edu/dist/2/3378/files/2015/01/Rubin-Thinking-Sex.pdf

Permalink |記事への反応(2) | 16:27

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2024-11-09

anond:20241109113634

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AD

セックス・ストライキ(英:sex strike)は、ストライキ非暴力抵抗手段の一つで、一人または複数で、ある目的を達成するためにパートナーとの性行為を拒むことである一時的性的禁欲という形をとる。セックスボイコット(英:sex boycott)ともいう。

植民地時代以前のナイジェリアでは、イボ人の女性コミュニティが、定期的に女性による労働組合一種である評議会」を形成した。評議会は「女神アイデミルの寵愛を受けた者で、彼女化身」とされるアグバ・エクウェに率いられた。彼女は職杖(英語版)を携えており、公の集会会合における最終決定権を持っていた。なかでも彼女仕事は、男性ハラスメント虐待を罰することで、男性の善良なふるまいを〔女性に〕保証することであった。そして男性らが最も恐れたのは評議会ストライキ行動の力だった。イボ人の文化人類学者であるアイファイ・アマディウメ英語版)は次のように論じている。「男性に対して評議会が持ち、そして使った最強の武器は、全ての女性に大規模なストライキデモを命じる権限だった。ひとたびストライキが命じられるや、女性自分たちに期待されている義務役割を果たすことを拒んだ。そこで拒絶されたのはあらゆる家事であり、性的奉仕であり、母親としての仕事であった。彼女らは乳飲み子だけを抱え、列をなして街を去ることもあった。あまりに怒ったときは、出会った男性みなに襲いかかることで知られていた」[2]。

Permalink |記事への反応(0) | 11:49

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2024-10-18

anond:20241018121842

時代に生きてないお前の当てにならない肌感覚よりは文化人類学者フィールドワークの成果のほうがよほど信頼おけるけどね

複雑な歴史があった事実をお前が知らないだけなのに

反知性主義者はこれだから

Permalink |記事への反応(0) | 14:40

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2024-06-02

代島治彦

早稲田大学内ゲバを扱った映画舞台あいさつで

ーーーーーーーーーーーーーーここから引用(文春オンライン)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

一方の代島監督は、書籍に収録された、樋田氏と大岩圭之助氏(当時の革マル派第一文学部自治会副委員長現在文化人類学者で「辻信一」名で『ブラックミュージックさえあれば』などの著書がある)の対談の中で、大岩氏が「許してください」と言った一言に感銘を受けたことなどを述べた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

かいったらしい。

一般の読者にとっては、辻氏に逃げだけのあきれ果てる人間という印象だったが、そういう人がこの映画を作ったのかと。

Permalink |記事への反応(0) | 08:48

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2024-03-08

自民党研究に適任なのは政治学者ではなく文化人類学者かもしれない。

Permalink |記事への反応(0) | 21:05

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2023-09-27

anond:20230927205339

そりゃこっちのせりふ。いったいどこに文化人類学者レヴィ=ストロース以外の Levi-Straus の話が出てきてるんだ? 

レヴィ=ストロースでも読んでみな」と言われて何故か英語読みしちゃって「リーバイ・ストラウス な」とか言った馬鹿はいたけど、そこも文化人類学者レヴィ=ストロースの話じゃん。

まさかとは思うけど、「レヴィ=ストロースでも読んでみな」と言われてジーンズメーカーの Levi-Straus を読めと言われたと思い込んじゃったとかじゃないだろうなw

Permalink |記事への反応(1) | 21:01

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2023-09-04

Q:クィア理論ペドフィリア擁護起源を教えよう

トランスやQ:クィアペドフィリアを含んでいることは、クィア理論の支柱となった文献をみれば明白なんだよね。

以下はクィア文化人類学者ゲイルルービンGayle S. Rubinの「性を考える セクシュアリティ政治に関するラディカルな理論のための覚書」(1984)、クィアスタディーズにおける超重要文献から抜粋だ。ちなみにルービンはトランス教祖ジュディス・バトラーの師である

1950年代共産主義者同性愛者のように、小児性愛者は汚名を着せられているため、彼らのエロティック指向性はおろか、市民自由擁護者を見つけることも難しい。その結果、警察は彼らを食い物にしてきた。地方警察FBI、そして監視役の郵便局検査官が加わり、小児性愛者たちのコミュニティを一掃することだけを目的とした巨大な組織を作り上げた。20年かそこらで煙がある程度晴れれば、こうした男たちが野蛮で分不相応魔女狩り犠牲者であったことを示すのは、ずっと容易になるだろう。多くの人々がこの迫害に協力したことを恥ずかしく思うだろうが、獄中で一生を過ごした男たちのために良いことをするには遅すぎるだろう。

原文はこちら。

https://bpb-us-e2.wpmucdn.com/sites.middlebury.edu/dist/2/3378/files/2015/01/Rubin-Thinking-Sex.pdf

 

明らかにペドフィリア擁護しまくっており、同性愛と同等の位置に置いていることが分かる。

ペドフィリアをLGBTQに含むのは右翼陰謀なんかではなく、クィア理論の基本中の基本なのだ

Permalink |記事への反応(9) | 08:20

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2023-04-13

今年(2023年度)の東大祝辞批判

令和5年度東京大学学部入学式 祝辞

https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message2023_03.html

このテキストしか読んでおらず、聞いたり動画を見たりはしていない。この人も今回初めて知った。

今の学生特に東大合格した人に対するスピーチとしては出来が良くないと思う。前の千鶴子の方が今読んでもだいぶインプレッシブで、メッセージ性も強い。

スピーチが良くないと感じた具体的なポイントは以下の通り

Permalink |記事への反応(1) | 23:11

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2022-05-31

野生の思考とシンウルトラマン

【シン・ウルトラマンネタバレあり というかネタバレ気にせず話す】

 

 

 

 

 現在公開中の『シン・ウルトラマン』を2回見てきた。あまりにも良かった。感想をどっかで書きたい。

 ところで、その感想叫びを漁る中で見かけた勘違いが「リピアくんが『野生の思考』って本を読んでる!」→「リピアくん地球人類のこと野生動物か何かと思ってる?」というもの

 別に誰がどんな感想を持とうが、或いはその人やそれに近しい観点を持ってしまった人が何をどう勘違いしていようが、それ自体全然どうでもいいのだけれども、リピアくんとこの本の著者(レヴィ=ストロース名前は聞いたことある人多いだろう)の名誉のためにもツッコミ言葉ネット上に残しておきたい。ついでに、この映画にこの本が登場した意味考察をちょっぴり披露させてほしい。

 

 

 

 

●要約と見出し
①『野生の思考』を超要約すると「いわゆる”文明人”の思考と”未開人”の思考根本構造的な違いはないよ。つまり両者の思考のものに優劣はないよ」だよ

 

 

②ザラブ、メフィラスは地球人類をいわゆる『未開人』と見ていたよ。ゾーフィもたぶんそう。

 

 

③『野生の思考』がリピアくんあるいはこの映画に与えた影響は不明だよ

 

 

 

 

①『野生の思考』(クロード・レヴィ=ストロース/1962)

 1950年代までのフランスをはじめとした西欧に多かった(今でもかなり多い)哲学思想が「西欧文明における思考と、アジアアフリカ中南米の未開文明思考とでは根本的に違う」という考え方で、主に科学技術文化の面での進歩史観優越感、啓蒙思想資本主義と結びついて植民地主義覇権主義の土台の一つになっていた。それに異を唱えたのがフランス出身人類学レヴィ=ストロースの『野生の思考』という書。特に文化人類学者やリベラル系の人に言わせれば「戦後思想における最大の転換点」となっており、いわゆる人文系に広げてみても、構造主義を生み出し、更にその後のポスト構造主義などの思想もつながる端緒となったという点ですごく重要な一冊になっている。

 

 

 内容をものすっごく要約すると「『事象の切り取り方』『概念の置き方』ひいては社会秩序の維持や幸福追求に対する考え方はどの文化においても根本的な構造は変わらず、表出の仕方、あるいは社会が持つ興味の向かう先と取捨が違うに過ぎない。あらゆる文明進歩史観的考え方を持つわけではなく、発展を望む文化もあれば安定を望む文化もあるというだけ。栽培思考(=科学によって裏付けられ、概念を用いて行われる文明思考)と野生の思考(=記号によって行われる思考。「野蛮な思考」ではない)との間に優劣があるわけではないし、一つの文化の中で両方の思考は両立しうるし、実際個人の中ですら両立している」といったもので、その歴史的意義は「20世紀半ばの西欧にはびこっていた進歩主義特に西欧文化を中心とする思考科学技術を背景に自分達を上位に置こうとする考え方への批判を行ったこと」「しかし、だからといっていわゆる”未開文明”や自然主義を礼賛するわけではないこと」「文化を『仕組み(構造)』に置き換えて分析するツールとして学問の場に登場したこと」あたり。

 「文化構造的に捉え、それぞれの要素が社会の中でどう表出しているか研究する」という所から後に『構造主義』と呼ばれる思想を生み出したことで有名。更に言えば西欧の奢りや発展途上国(昔は「後進国」と言われてたよね)への見下しを批判する流れを生み出したという点でも評価を受けている。

 

 

 「野生動物思考方法」みたいな生物学の本ではない。

 

 

 

 

②ザラブ、メフィラス、或いはゾーフィの考え方とは

 ザラブにしろメフィラスにしろコミュニケーションの初手は「自分科学力、技術力を地球人類に見せつける」事から始まる。その科学技術力の差を背景に、劣等感と焦りを刺激して地球人同士を争わせようとするのがザラブであり、劣等感無力感……謂わば絶望によって人類心理的支配し最終的に兵器として利用しようとするのがメフィラス。それらに抗うのがウルトラマンたるリピアくん、というのが中盤の流れだった。

 

 物語の序盤で、わざわざ観客に見せつけるようにリピアくんがこの書を読んでいた(演出しての)理由はここにある……気がしなくもない。16世紀から20世紀……あるいは紀元前から現代に至るまで、我々地球人類が奴隷植民地後進国、押し並べて言うなれば『未開人(文明人/強者たる自分達とは構造的に違う考え方をする者)』である他者に対する接し方は、ザラブやメフィラスをそこまで強く批判できるような立派なものではなかった。

 宇宙人ゾーフィもそう。彼が裁定行使できる者・絶対者としての力を行使したのは「『未開人』である地球人類が、未開人のまま我々『文明人』並みの危険性を持つ可能性が出てきた」からじゃん。

 使用を思いとどまったのも、リピアくんもといウルトラマン意思感情を汲んであげたのもあるけど、基本的には、地球人類がβシステム自力で解析・利用し、グリッチじみた手法ではあるがゼットンを無力化せしめたことで「『未開人』から文明人』に格上げされた」だけに過ぎない。

 そんなゾーフィにもリピアくんは抗う、というのが終盤のストーリー。もちろん滅ぼされる我々としてはたまったものではないけれど、じゃあ地球人類の歴史において、他人他国人、あるいは他の生命に対してゾーフィと似たようなことをしてこなかったか、を考えると……やはり「滅ぼされるのは困るからやめてくれ」くらいしか言えない。

 

 

 逆に言えば、あの外星人や地球人の中でリピアくんだけが”変”なのよ。我々が他者と相対する時、普通はザラブとはいかんまでも、マイルドメフィラスかゾーフィくらいの扱いになるし、そうでなくとも暴力政治で言う事を聞かせてその力を利用しようとする各国政府みたいな事をする。地球人類とリピアくんとの科学技術の差や大きさの比で考えれば、虫か何かを前にした人間、の方が理解として近いかもしれない。

 しかし、リピアくんは(各国政府ひいては人類歴史悪辣さを知りながらも)、あのネロンガ戦のたった一度、リピアくんの足下でただ一人リピアくんだけに見えた星のような輝き、小さな他者のために命をかけられる個、そういう価値観を共有できる群体のために命を張った。そういうことをできる生命体のことを知りたくて、知り続けるために守りたくて、学んで、感じて、支えて、何度か支えられて、それでも分からなくて、その果てに見つけた『他者のために命を賭けられる自分』。虫のような他者のために、ネロンガの電撃や、ガボラの激ヤバ光線や、メフィラスのグリップビームや、1兆度の火球の前に身体を晒せる者。ザラブにもメフィラスにもゾーフィにも、あるいは普通地球人類の日常の中にもない”変”な価値観を持つ、だからこそ『ヒーロー』、ウルトラマン

 

  

 自分が今回の『シン・ウルトラマン』に感動したのはまさにここで、「ウルトラマンとはこういうヒーローなのだ」「我々がウルトラマンヒーローだと感じてしまうのはこういう理由なのだ」を2時間かけてぶつけられたのがあまりにも気持ちよかったかなのだ

 

 

 

 

レヴィ=ストロースウルトラマンにどれだけ影響を与えたか

 結論から言うと「わからない」。それはリピアくんに対してという意味でも、『シン・ウルトラマン』という作品に対してという意味でも。

 というのも、リピアくん、地球人類のことをめちゃめちゃ頑張ってお勉強してて(かわいいね)、ものすごい量の本を超速で読んでるわけで、『野生の思考』だけがピアくんの人格形成思想信念の確立寄与しているかと言われれば、まあもちろんそんなことはないだろうという演出はなされてる。レヴィ=ストロース思想だってその後にやって来たグローバリズム等の思想史において批判を受けてきたわけだし。

 そもそもピアくんがザラブやメフィラス、あるいはゾーフィから地球人類を守ろうとしたのは「我々と彼らの文明構造的に違わない」という計算、あるいは知識を基にした思想や信念からではない。「彼らの事を知りたい」という知的欲求から来る寄り添い、ゾーフィが言うところの「好き」、米津玄師が言うところの「あこがれ」という感情こそが、リピアくんの力の根本なわけで。

 

 

 文化人類学の中でも大きな意味を持つ書でもあるし、作中においても先の展開を示唆しかねないアイテムでもあるけど、知らずに見ていた人なら分かる通り、別にこの書が作品全体に超大きな影響を与えているかは正直微妙かもしれない。でも、知っておくと↑のような考察も楽しめるという点では面白いよ。

 

 

 

 

結論

・『野生の思考』という本は生物学ではなく文化人類学の本だよ

・本の内容は『シン・ウルトラマン』という作品意味を落としているかもしれないし落としてないかもしれないよ

・それはそれとして読んでおいて損はない本だよ

以上

Permalink |記事への反応(1) | 17:26

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2022-04-24

anond:20220424233517

宇宙人発見されれば言語学者文化人類学者宇宙飛行士人材として求められるかもしれない。

Permalink |記事への反応(0) | 23:47

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2022-04-23

anond:20220423113021

スカートと花びらの類似性を指摘する文化人類学者は少なくない。

花びらの奥にある蜜が愛液みたいな。

Permalink |記事への反応(0) | 13:05

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2022-02-08

anond:20220207144010

純粋理屈の話としては常に「何か」は交換されんだよね。常在細菌だか善玉菌だか病原体だか。微生物が移らなかったらセックスでも会食でも握手でもないんだわ。

ほんで生物としては営みとしてその病原体交換行為をするけど、する回数が少なくてかつ生き残ってる奴がいればそいつの強さの表れだから回数を抑えようとしたり、交換する病原体洒落なんなかったりするから回避しようとしたりするわけよ。

でも病原体の交換がなかったら接触ではないんだわ。これを文化人類学者だか考古学者だか知らねえけど文系がガヤガヤ言えねえのはダメだろと思うわ。理系も言っていいけどさ、どこの職掌か知らんけどさ。

あと「する回数が少なくてかつ生き残ってる」はお前ら正確に読めよ。ヤリチン童貞には等しく価値がないってことだぞ、両方を満たさなきゃカス

Permalink |記事への反応(0) | 02:03

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2021-09-05

https://anond.hatelabo.jp/20210905025143

はい

ミサンドリー女性差別に対する正当な反発であって、ミソジニーとは根本的に違うものです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC

文化人類学者デヴィッド·D·Dギルモアは、ミソジニーが「ほとんど普遍的現象である反面、反男性的な社会制度を持つ伝統的な文化組織的かつ一般的な反男性的な思想が浸透している例が世界的に見られないことから男性に対する社会的憎悪ミソジニーと相当するものはないと論じる[15]:10-13。ギルモアは、アンドレア・ドウォーキンのように全ての男性を同一で絶対悪であると考える急進的な派閥が中にはいることを認めつつ、一般的ミサンドリーと称されるもの個人男性に対する憎悪ではなく、伝統的な男性役割マチズモに対する憎悪を指すと理論立てた。すなわち、ミソジニー女性信条や行動などに関わらず、女性性に対する独立した憎悪であるのに対し、一般的ミサンドリーと称されるもの社会的関係の中における男性の行動、態度などに対する嫌悪だとする(ドウォーキンのような急進的な立場はこれには当てはまらないとしている。」

Permalink |記事への反応(2) | 18:35

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2021-08-13

学術書の類を読むときプロによる書評も一緒に読め

ブレグマン(2021)『Humankind希望歴史』を勝間さんがブログで紹介しているが、その記事ブコメ地獄と化している。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/katsumakazuyo.hatenablog.com/entry/2021/08/12/162845

「なんとなくだが俺はこう思う」「著者はチェリーピッキングしててクソ」みたいな主張がエビデンスなしに書かれており(そもそも君たち原書読んだ?)、それらにスターが当然であるかのように集まっている。これらは理性的議論でもなんでもなくただのエコーチェンバー現象である。やはり、ブコメという文字数制限があるメディアできちんとした議論を行うのは無理があることが分かる。

こういう学術書やそれに近いものを読むときに私が習慣としていることがある。本を読む前にプロによる書評を読め。

ここでのプロというのは、新聞でそういう書評をいっぱい書いているプロレビュワーのことではなく、プロ学者のことである

例えば、"Bregman Humankindbookreview"とかでgoogle scholarなどを調べると、文化人類学者によるこの書評がヒットする。

A ScepticalReview ofBregman’s 'Humankind: A HopefulHistory'

https://www.newenglishreview.org/custpage.cfm?frm=190173&sec_id=190173

この書評によれば、「過去において狩猟採集生活住民同士が戦争ばかりして殺し合っていたというのは基本的には嘘」というブレグマンの主張は文化人類学的には嘘っぱちである

"As a journalist he notonly knows verylittle anthropology but alsohas an irritating folksy style"(ジャーナリストのブレグマン文化人類学についてほとんど何も知らないだけでなく、イライラするほど垢抜けない文体を用いており)、"Thisis reminiscent of a very bad undergraduate essay"(これはとても下手な学部生のエッセイを思い出させるような主張だ)、などとやたら攻撃的な評がなされており、それはそれで大丈夫かという気持ちにはなるが、少なくとも一人の専門家視点から見た学術的な評としては参考になる。もちろんこの書評が真理で『Humankind』は読む価値なし、とここで主張したいわけではない(私は文化人類学者ではないのでその判断はできない)。

このような視点批判的に本を読解することは、当該分野の知的蓄積を持っていない素人には不可能である。誤った知識を盲信しないために第三者によるファクトチェックには目を通しておいた方がよい。逆に、その道の専門家が「よく書けた本である」と肯定的に評していれば、ある程度安心して読むことができる。

プロによる書評をどのように探すか

日本語書籍なら「(書名) 書評」でググる学者による書評に絞りたい時は「(書名) 書評 教授」でググったり「(書名) (著者名)」でGoogle scholarしたりするとよい。

英語書籍日本語翻訳された本を読むときもこれで原著の評判を調べる)なら「(書名) (著者名)」でGoogle scholarするのがおそらく一番よい。ある程度有名な本ならプロによって書かれた書評学術ジャーナルに載っており、それがだいたいヒットする。特にいわゆる文系学術ジャーナルには毎号Bookreviewコーナーがよくあり、そこに載っている書評は「本の主張まとめ」→「本の批判検討」→「本の評価」というフォーマットで書かれていることが多いため大変読やすい。ただ一つ問題があり、これらのジャーナルはほぼ有料である研究機関所属するか金を払うことによりこの問題解決する。

また、twitterで「(書名)」で調べ、研究者っぽい人による短評ツイートを探して読むという方法もある。研究者のTwitterはだいたい実名かつ顔写真アイコンソース:私の印象)なので、それで目grepしてからプロフィールをチェックするとよい。ちなみに関心がある分野の研究者のtwitterアカウントは普段からフォローしておくとたのしい。

余談:近年のポップな人類歴史書の怪しさについて

冒頭で「ブコメがやべえ」と批判したが、こういう風呂敷を広げまくって人類史を俯瞰したぜと主張する売れ筋本に警戒心を抱いてしま気持ちはよく分かる。なぜなら、最近のそういう本に対しては「適当こくな」と専門家からツッコミが入ることが実際に多いから。

例えば、Humankindの書評として上に挙げたものを書いたC.R. Hallpike先生は、ハラリの『サピエンス全史』に対しても批判的な評を行なっている。

Review of Yuval Harari's Sapiens: ABriefHistory of Humankind.

https://aipavilion.github.io/docs/hallpike-review.pdf

ちなみにこのHallpike先生は、未開社会フィールドワークを行なった経験から最近のポップな歴史書は文化人類学デタラメばっか書きおって」と心底お怒りらしく、全員(チョムスキー含む)まとめてぶった切る本まで書いている。Hallpike先生過激な主張を好むことも踏まえると(参考:https://twitter.com/profdanhicks/status/1336981539893161984 )、この本に対するプロ書評が見つからないのは残念である

C.R. Hallpike(2018). "Ship of Fools: An Anthology of Learned Nonsense About PrimitiveSociety".

https://www.amazon.com/Ship-Fools-Anthology-Nonsense-Primitive-ebook/dp/B07HX4188K

また、このような人類歴史スキャンダルとして最近話題になったのが、スティーブン・ピンカー(2019)『21世紀啓蒙』における「学術ルール違反事件である

ピンカーが書中で「科学史家による主張」として紹介していた言説が、脚注をたどると科学史家でなく社会心理学者によるものであったことが分かり、さらピンカーによって引用されていた文章は実際には同じ論文内の別部分の文章を継ぎ接ぎしてピンカーにとって都合の良いように捻じ曲げられていた、という事件である。詳しくは以下のツイートを参照。

https://twitter.com/mccormick_ted/status/1419672144368308225

もちろん『21世紀啓蒙』におけるピンカーの主張自体に対するプロからの異議申し立て存在する。

https://www.abc.net.au/religion/the-enlightenment-of-steven-pinker/10094966

というわけで、売れている学術書を無邪気に読むことすら危うさを孕む行為であるメディアリテラシーだいじ。

Permalink |記事への反応(4) | 14:17

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2021-06-24

知の巨人立花隆先生

知の巨人立花隆先生によるウーマン・リブ批判

 文化人類学者たちの報告によれば、現代においても、アマゾンとまではいかなくても、女性上位の社会はいくつか存在するようであるしかし、地球上の大部分の社会では、我々の社会のように、男性上位になっている。これに不満をいだく一部の女性たちが、最近ウーマン・リブとやらいう運動をはじめて話題を呼んでいる。ウーマン・リブとはウーマン・リベレイション、つまり女性解放のことである

 だいたい女は男にくらべて脳細胞の数が少ないせいか(日本人場合、脳の重さの平均値・男1372.9グラム、女1242.8グラム)浅はかさと愚かしさをもってその身上とし、それがまた魅力ともなっているのだが、浅はかさもここまでくれば、いささか許しがたい。

 女性解放運動というのは、昔から禁酒運動と同じくらいポピュラーで、同じくらい成功率が低いものである理由簡単禁酒を望む酒飲みと同じくらいの比率しか解放されたいと願う女性がいないからだ。

 ウーマン・リブ指導者にはくやしいことだろうが、大多数の男が男らしくありたいと望むように、大多数の女は女らしくありたいと望んでいる。

 ある日、男らしくない男たちが大同団結して、男らしさが、侵略反革命を支える。男らしさの返上。男らしさの基準で男の優劣をきめる社会に怒りをたたきっける」とわめいてデモりだしたとしたらどうだろうか。あるいは、突然豚に知恵がついて、豚らしさの返上。豚らしさの基準で豚の優劣を決める社会に怒りをたたきつける」と、ブーブーいいだしたらどうだろうか。

 女性特有思考様式は、現実無視して議論を展開することである

 現実第一。原始、古代社会においては、母権社会アマゾン社会がかなり存在したにもかかわらず、いまは見る影もないということ。これが意味するものは、女性上位社会は、人間社会史において自然淘汰された不適応社会であるということ。社会不適応性は、その社会体制維持のために、どれだけのエネルギー必要とするかにかかっている。

 歴史上、女性は抱く女から抱かれる女へなることによって自己解放をなしとげ、現に解放された存在なのであるウーマン・リブ志向しているものは、一種先祖帰りでしかない。それはフランス王統派と同じくらいアナクロである

 ウーマン・リブ幻想をかたちづくっている現実無視の第二は、女性生理的にも心理的にも、抱くよりは抱かれることに適しているのだということに目をつぶっていることにある。人間生殖器官の構造機能を一べつしただけで、生理的に、男性能動的、女性受動的にできていることがわかろう。

 心理的には、女性心理学第一人者、ヘレーネ・ドイチェが指摘するように、女性特性ナルシシズム受動性の二語につきている。しかし、不幸なことには、ごく一部の女性は、正常な女性心理の発達を阻害されて、抱かれることより、抱くことを望むようになる。

 マリー・ボナパルトは、正常な女性は膣型であるのに対し、この種の精神的不具の女性は陰核型であるという。陰核は発生学的にいって未発達のペニスである彼女たちは、膣という素晴しい道具を持っていることを知らずに、陰核がペニスなみでないという点に欲求不満を持ちつづける。その結果は、真のオルガスムスをついに味わえないという結果になる。

 ウーマン・リブは、一夫一婦制を、女の性欲求の封じ込めと非難するが、これは彼女たちが精神的不具者であることを公表しているようなものだ。正常な女性の性心理からは、女性が自ら一夫一婦を望むものであることは、あらゆる心理学上のデータ証明している。

 多淫な女、複数男性を望む女は例外なく冷感症、不感症なのであるオルガスムス不全がニンフォマニアウーマン・リブを生むといっても過言ではない。女性が真に解放されたいと望むなら、早くオルガスムスを味わわせてくれる男を見つけることだ。そしてそのときオルガスムスを味わうためには、女は抱くことより、抱かれることが必要なのだということを忘れないことだ。

 立花隆文明の逆説危機時代人間研究

知の巨人立花隆先生による井田真木子著「プロレス少女伝説」評

 「プロレス少女」はどうでもいいことを巧みに書いた典型のような作品である

 私はプロレスというのは、品性と知性と感性が同時に低レベルにある人だけが熱中できる低劣なゲームだと思っている。そういう世界で何が起きようと、私には全く関心がない。もちろんプロレス世界にもそれなりの人生模様がさまざまあるだろう。しかし、だからといってどうだというのか。世の大多数の人にとって、そんなことはどうでもいいことである

 大宅壮一ノンフィクション賞発表文藝春秋平成3年5月

Permalink |記事への反応(0) | 10:27

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2020-10-29

anond:20201029184143

脳の一瞬の閃きが命の文化人類学者社会学者とか向いてるぜ!稼げない!㌧

Permalink |記事への反応(0) | 18:45

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どうも流しの文化人類学者です

Permalink |記事への反応(0) | 18:41

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2020-09-13

anond:20200913035706

俺は長年の田中芳樹ファンだけど、残念ながらその頃と今回とでは「当たり前の批判」の社会的意味が違うんだよ。認識アップデートしてよ。

タイトルの通り増田20年来の銀英伝ファンですが、私が銀英伝を知りネット掲示板個人サイトなどを見始めた当時からファンによる「銀英伝女性キャラステレオタイプ過ぎる」とか「田中芳樹女性を描くのが下手」みたいな批判は当たり前のものとしてありました。今回炎上した冒頭のツイートもそれと同系統のものであり、作品内の女性の扱いに対する感想としては見慣れた内容で特に違和感はありませんし、個人としての違和感を述べたうえでリメイクにあたってのアップデート希望するものであって、それ自体問題があるものとは思えません(なお、「Die Neue These」はリメイクではなく「原作の再アニメ化」なので、その点は事実誤認なされているものと思います

うん、銀英伝ファンあいだでは「あいつ女を描けてねーよな」みたいな評は普通のものだったよね。そういう意味で、例の社会学者氏のツイート認識はごくありふれた銀英伝認識を示したものだといえる。それだけを切り取ってみれば特に叩かれる要素はない。

でもさ、

ことと、

こととでは、社会的意味が違うんだよね、残念ながら。

twitterという、簡単に支持者を社会運動に動員できるプラットフォームで、これまでさんざんコンテンツを燃やしてきた社会学者っていう属性の人が、表現の内容を変えるべきだと口を出したら、単なる批評の域を超えて作品へのバッシング煽動してるようにしか見えないんだわ。

ジェンダーがどうこうというのも、そういうバッシングの際によく使われる常套句からね。

「あっ、この状況、キズナアイバッシングで見たことある!」って思っちゃうんだよね。

実際にそれらの描写を変更すべきか否かはそれぞれで判断が異なるのは当然としても、こうした意見に対して「現代にそぐわないから変えろって言いだす社会学者やべえ」などと嘲笑するのは原作者のスタンスを含めて明らかに論点を見誤っていますし、「銀英伝を燃やしに来た」などと反応するのは過剰です。挙げ句社会学者というツイート主の職業フォーカスしてその職業全体を否定するような言説まで行うのははっきり言って異常だと思います

もちろん、昨今のネット社会学バッシングはどう考えてもおかしい。一部のおかし社会学者存在で以て学問としての存在意義まで否定されるべきではない。

ところで、「すべての男がそうじゃない」みたいな言い訳をする男に対してノットオールメンって言ってきたのってどういう人たちでしたっけ?

文系のはしくれとしてはノットオールソシオローグスと言いたいところなんだけど、フェミニズム同調して社会問題に口を出してきた社会学者がそれを言うことは、まあ論理的一貫性問題惹起するよなあ。

本件もそうですが、ポリティカル・コレクトネスを巡る議論においては「過剰なポリコレ押し付けるな!」などと主張する批判側にも個人意見に対して過剰かつ攻撃的な言動を繰り返す「反ポリコレを旗印に個人を抑圧するネット憂国騎士団」みたいな存在も目立ってきており、まともな議論が成立しづらい状況になっているように思います

マトモな議論が成り立ちにくい環境を作ってきた責任を反ポリコレの側「だけ」に求められても困るんですが。

ポリコレが高邁な理想としての側面しか持ち合わせていなかったのであればともかく、実際には他の表現を抑圧する棒として使われてきていたという前史があった上での反ポリコレ側の過剰反応でしょう。

つい最近起きた騒動にだけ目を向けても、ジェンダーを専門とする社会学者によってキズナアイバッシングされ、フェミニズムを掲げる弁護士研究者によって献血ルーム攻撃され、「ミカンはお母さんが買うもの」などと宣うフェミ学者たちがラブライブ農協コラボを焼きに来た、といった話があって、その上で今回の社会学者氏の感想への過剰反応があるわけ。

ポリコレ棒でヒステリックに殴られてきた側がちょっとでもポリコレっぽく見えるものヒステリックに反応するのは自明の理では?

悪いけど、ポリコレ棒を振り回して暴れ回ってきたポリコレ憂国騎士団の皆様にはもうウンザリしてるんだよ。

からといってこちらも憂国騎士団ムーブをしていいことにはならないけど、ポリコレ側の憂国騎士団ムーブのことを棚に上げて反ポリコレ側だけを憂国騎士団と言われても困惑するほかないんだよね。トリューニヒトみたいな詭弁やめろ(憤怒)

ブコメに応答

実際問題2013年の人工知能学会表紙事件以降、表現特にオタクコンテンツ)をネットで叩いて社会問題化し、金と名声を得るというのは、社会学者定番になってる。最も顕著だったのが宇崎ちゃん献血ポスター騒動

社会学者の人、名誉はともかく金は得られてないと思うよ。

いや、ネット表現を燃やしたところで影響力とか声望とか自尊感情とかはともかく金は得られんよ(少なくとも学者世界では)。金目当てで彼らが動いているというのは被害妄想がすぎる。そりゃ有名どころのレーベル新書とか書けばまとまった金は入ってくるかもしれんが、彼らは現段階ではtwitterで吠えてるだけで別に一般向けに売れそうな本を書いているというわけでもないし。

この界隈Twitterさえ見なきゃ起きてない論争多くない?ほぼネットそれもTwitterしか社会学者」を知らなそうな人多くない?

そりゃ、多くの人には表現を燃やしに来る「社会学者」の姿しか見えてませんし……

アカデミアあるいはそれと近いところにいれば、社会学といっても色々あって、ハマータウンの野郎どもを研究する人もいれば聖なる天蓋を論じる人もいて、ジェンダーオタク文化に関心を持っているのは一部であり、表現を燃やしに来るのはさらにその限られた少数に過ぎず、もっと言えば社会学者といっても博士課程の院生から誰もが参照すべき大御所まで「権威」に勾配があることくらい理解しているだろうし「社会学者」を十把一絡げに論じるべきじゃないっていうのは自明の理なわけだけど、燃やされた被害者からはそのごくごく一部の姿しか見えないので。

アカデミアと縁のないそのへんのオタクにとって、哲学者数学者工学者や物理学者言語学者文化人類学者なんてろくずっぽ知らないのが「普通」でしょう。普通の人は良かれ悪しかれそんな学問について詳しい知識は持ってないんだよね(漠然としたイメージは持ってるかもだけど)。だからtwitterオタクがロクに社会学者について知らないってのもある意味当然なのよ。

そんな学問についてよく知らない一般大衆は、まあ、自分たち表現を燃やしに来た一部の社会学者の姿を見て「社会学者」のイメージ形成ちゃうよね。

もちろん「そんな社会学者ばかりじゃない」という異議申し立てはどんどんやればいいと思うよ。「そんな男ばかりじゃない」と同程度には正当性のある反論だろうし。

昨今の風潮でいちばん納得がいかないこと

ムーラン』と『銀河英雄伝説』が同時並行で話題になってホッテントリに出まくってるのに誰も『風よ、万里を翔けよ』の話してないのおかしくない!?

Permalink |記事への反応(13) | 09:39

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2020-08-22

コクリコ坂から』は、注釈なしに放送してはいけないのではないか

KAMEI Nobutaka

@jinrui_nikki

『#コクリコ坂から』みたいな映画は、注釈なしに放送してはいけないのではないかと思います

男子生徒たちが好き勝手議論して方針を決めていく中、なぜ女子生徒たちばかりがただ働きさせられているのだろうか。

1960年代当時を描いたバイアスある描写です」みたいな説明を付けないといけないと思う

午後10:59 ·2020年8月21日·TwitterWeb App

https://twitter.com/jinrui_nikki/status/1296809095379337217

高齢男性理事長が、居並ぶ男子生徒たちの前を通り過ぎ、女子生徒に対してだけ肩を叩いて去っていくというのも、色濃くバイアスが出ていたシーンです。

こういう絵が、注釈もなしに流通することに、不愉快さと危惧を覚えます

#コクリコ坂から

午後11:12 ·2020年8月21日·TwitterWeb App

https://twitter.com/jinrui_nikki/status/1296812541205602317

風と共に去りぬだって、今や、注釈なしに上映することがはばかられる時代になっているでしょう。

作品否定するつもりはありませんが、ただ流せばよいというものではない、という感覚はもっておきたい。過去を描いた作品が、同時代私たちにもたらす影響を考えてのことです

#コクリコ坂から

午後11:15 ·2020年8月21日·TwitterWeb App

https://twitter.com/jinrui_nikki/status/1296813054026383360

KAMEI Nobutaka

@jinrui_nikki

文化人類学者愛知県立大学国際関係学科在職。「ジンルイ日記」を書いています

Japan / Africa

Permalink |記事への反応(0) | 13:33

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2020-08-18

anond:20200817200710

3番の有害性が特に強い。

ちゃんのみならずアイちゃん魔性の女に総じて言えることだが。

社会学者弁護士、果ては文化人類学者憲法学者政治学者ジェンダー家、家業者、ジャーナリストアクティビストテニスオフィサー区議会議員映画評論家翻訳家作家新聞社主筆精神科医などの錚々たる社会的大家感覚を次々と狂わせてしまう。

Permalink |記事への反応(0) | 06:29

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2020-08-01

それで結局、聞こえる子供手話学習がどうして「文化の盗用」なの?

https://twitter.com/kakkyaa/status/1288980478649757696

このツイートはてなブックマークの反応について

個々チェック

1.

まず、文化の盗用、と主張するに足る背景がある、認識している当事者賛同する人達が、もともと結構いるのよね。

その背景ってのは、やっぱ、長年ずっと手話を使うことを制限されてきた歴史であり、

今これだけ手話ってもの認知されても、日々の暮らし手話差別されてる現状からだと思うのよね。

それはお辛いでしょう

 

2.

補聴器や人工内耳があれば、手話必要ない」「手話を使うと日本語を覚えない」みたいに言われて育ってきた聞こえない人は沢山いるし、

大変でしたね

 

3.

筆談があれば手話通訳はいらないでしょ?」みたいな対応を日々されているなかで、

それでもなお、手話は私達の言語であり権利であるって強く主張している(続く

結構なことです

 

4.

続き)人達がいて、過去の同じ様な人達活動により、街中で手話を使って話すだけで奇異の目で見られることは少なくなり、

テレビニュース手話通訳が映ることが増え、手話認知度があがってきた、って歴史があるのよ。

昔はね、手話使ってるだけでからかわれて、殺人事件になったとかあったのよ…

大変でしたね

 

5.

ただ、手話一般的に普及していくのと同時に、まず最初に、聞こえる人が覚えやす手話表現が広がった、という問題があったんですよ。

それを問題と言われても

何が問題なんですか?

アニメ日本語に触れる外国人は「キサマ」とか変な二人称から覚えるし、「アラアラ」という言葉セクシーな年上女性と結び付けています

そんなもんでしょう

 

6.

日本人の話す英語が、LとRの発音を間違えがちみたいに、やっぱ聞こえる人が手話をやると独特の癖がでるのよ。

それはそうでしょうけど

 

7.

それを、どこまで許容するかってのは議論があって…(続

え?未熟な手話は許さないってこと?なんで?

 

8.

聞こえない人が使ってる手話表現こそが正統派って思ってる人から、いやー少しくらいヘンテコでも手話が広まる方が大事だよーって人まで、いろんな考え方の人がいるんですよ。

その二者って衝突してなくない?

「普及は大事」「このバージョンが正統」これ衝突してないよね?

 

9.

なので、地元社会福祉法人が協力してるからOKなんじゃん?って単純な話ではないのですよ…

え、お話一通り終わり?

何がどう複雑であるのか、健聴者が手話学ぶことの問題が那辺にあるのか、お話聞いてもさっぱりわからなかったのですが

どこかで示されていましたか

  

 

まとめ

まとめると

1~4は「手話はこんなに抑圧されてた歴史がある!」というお話なんですよね。

はあ。

大変でしたね。

同情します。

 

でもそれが

本題である「健聴者のガキが手話を学ぶことは不当である」「文化の盗用である」という主張をどう後押しするのかさっぱりわからないんです。

なんか関係ある?どういう論理がある?

本当にこれだけなら、ただの未整理のモヤモヤしたお気持ち八つ当たりに見えるのですが…

 

5~7は「健聴者の手話には独特のクセがある」「それをどこまで許容するか」というお話

はあ。

そりゃ聞こえない人と違うクセが出るんだろうなってことは言われるまでもなく想像できることですが

それの何が問題なのか、なんで許容するとかしないとかいう話になるのかがわからないんです。

中国人日本語は独特のイントネーション助詞のクセが出ますが、「それをどこまで許容するか」なんて話しますかね?

 

もちろんあまりにクセが強くて意志疎通出来ないとか、凄く失礼な雰囲気になってるとかで、「ここはこう治した方が役に立つよ」ってことはあるかもしれませんが

そういう話じゃあないんですよねえ。

じゃあなんなんですか?

 

8~9は、何も衝突してない2つの立場対立的に書かれてるのでこの人大丈夫かってなります

「Aが正統」と「Bが正統」なら戦争ですが、「普及は大事」と「Aが正統」は何も衝突してない。

  

 

のこり

10.

さら問題を複雑にさせてると思うのは、長いあい手話がしいたげられてきたからか、聞こえる人の手話感におもねる判断や行動をする、聞こえない人がけっこういまして。

それは聞こえない人の精神面の問題では

少なくとも解決は聞こえない人の精神変革でしか達成しないですよね

おもねるのはやめよう!おわり

 

この人どうも「問題は複雑」って言うのが好きみたいなんですが、書いてること見る範囲ではそんなに複雑じゃないんですよ

自分物事整理整頓せずに思考してるだけなんじゃないんですかね。

 

11.

文化の盗用って主張は、そういった聞こえない人達に対して、手話自分のものだよ!!って呼びかける意味もあったりするのよね。

はあ?

聞こえない人達に、「聞こえる人へおもねる必要はないでしょう」と呼び掛けるべき話を

聞こえる人達に、「手話を使うな!文化の盗用!」と言う。それが何故なのかがわからないんです。

本当に意味がわからないんですが

ちょっとでいいか論理的に喋ってもらえないですかね・・・

 

12.

例えば、年配の人に多いんだけど、普段はとても魅力的な活き活きとした手話を使う聞こえない人が、

自治体主催とかの地域手話講座の先生をやると、妙にぎこちない日本語文章にあわせた手話を使ったりするのよ。

何でかというと、聞こえる人がわかる手話が良い手話、みたいな考え方が存在するから

痛ましい話かもしれないけど

それって聞こえる人間手話勉強しようとしたことが悪いんですか?

関係ない人に八つ当たりしてない?

 

13.

って聞くと、えー?ただ単に初心者向けに、わかりやす表現してくれてるだけじゃないの?って思うかもしれないけど、そうじゃないの。

手話文化であるって主張する人の本とか読んでると、聞こえる人が使う手話のほうが正しい表現だと思っていた、ってエピソードはわりとでてくるのよ。

それ聞こえる側にどうも出来ない問題ですよね?

その問題は「聞こえない人がちゃんとしよう!自主性を持とう!」 としか言いようがないことでは。

 

しろ手話教室に出席しにきた聞こえる人達は生徒として教わる側なので

あんたたちに教えてる手話は実はあんたたち向けに文法変えてるんです」とかも、言ってあげないと困るじゃんわかんないんだから

で、手話教室に来る聞こえる人間が悪いことなの?それ。

彼等彼女等に何かできるの?それ。 

 

14.

手話言語文化って視点でみたら、そんなアホな話があるか?

言葉に優劣はないし、普段から使ってる当事者表現ほど価値のあるものはないだろ?って話なんだけど、

当事者に「聞こえる人の手話の方が優れてる」って思い込ませるだけの抑圧があったのですよ。

はあ、大変でしたのね

 

でもご説まるまる拝聴しても

結局何が「文化の盗用」なのかさっぱりわからなかったんですよ。

耳聞こえるガキが手話勉強したことの何が問題なのかも結局全然言えてないですよね?

 

 

まとめ2 

手話界隈のTwitterをゆるく眺めてる人としては、「お、また、いつものやってるな」って感じだったけど、話題が大きくなったので、

たぶん普段手話とかかわりのない人の反応が結構あって、面白かったので、

わたしも少し自分言葉で語ってみたいと思います

っていうから長々読んで、結局これだぜ

 

・「文化の盗用」とはつまりなんなのか?

   →さっぱりわからない

 

・聞こえるガキの手話学習の何が問題だったのか?

   →さっぱりわからない

 

アホちゃう

 

 

まとめよう

他人に何かを語るときは~

主張を~

ま・と・め・ろ!

 

「私はこう主張します。何故ならこうだからです」

これが基本形。な。

ポエムはどうしても書きたいなら基本を済ませた余白で書け。

 

なんでいっちょ噛みして「自分言葉で語ってみますからの、長文費やしながら全く何への説明にも回答にもならないポエムなの?

それってバカじゃん?

でさあ、この人個人がどうこういうより、このタイプバカが多すぎない?世間

  

私はバカだと思った相手について、相手が何故バカなのか、どうバカなのか、

逐一当人言葉を引きながら、ちゃあん理屈説明してるでしょう。

私へ異論反論したい人は「待て、ここの論理おかしい」「ここの前提が間違いだぞ」って簡単反論出来るんですよ。

(まあ本格的バカはそれすらできないので「こいつなんかムカチュク!」という概観お気持ちを喚くだけで終わりですが)

 

おバカさん全体に言いたいのは

自分気持ちを上手く表現できる言葉が出てくるまでもうちょっと考えてから言葉にして、文にしようよ」

ってことなんです。

全然理屈が整理できず論理も通ってないまま」「文化の盗用」みたいな大雑把なバズワードだよりで発表するなと。

自分が整理する気ないだけなのに「問題は複雑で~」とか言って投げっぱなすなと。  

 

口での会話なら頭の回転とか語彙力とかでその場で上手く出てこないってのはある、それは酌量しますよ

でも文で発表してるのにお気持ちそのままボヤボヤ思考そのままで論理がなんにも通ってないのは甘えだと思うんですよ。

私は表面的にはちょっと口汚いけど、それなりに礼儀正しく書いてるんですよ。

バカ文章って滅茶苦茶マナー違反なんですよ。

お前のその整理されてないお気持ちや全くまとまってない思考をそのまま他人様に見せるなと。

 

つうか、よくそんな脳内ゴミ屋敷のような状態のまま生きていけるな、気持ち悪くねえのかなってバカを見るたび思います

 

 

いつものはてな

oka_mailer 知らない事ばかりだった。こういう背景を理解しないで「文化の盗用」に文句つけても話にならんわな。

2020/07/31

これ全く栄養の無いスナック菓子みたいなコメントですけどこれが1位なんですよ。

誓ってもいいですけど、こんな無内容なこと書くの、別に何もわかってないし、何も理解してないし、

そもそも読んだもの咀嚼して自分なりに考えるということすらしていないんですよ?

全然細胞動いてないけど、なんか殊勝で感心な態度に見せるテンプレートを使ってるだけ。

そして同じぐらいのレベルの人たちが「立派な人だ!」って☆を付けてトップにするわけ。

  

「うーん、もんだいはふくざつなんだ!」「しんしなたいどがだいじだ!」

全員なんにも考えてない。

考えること頑張る前に、”殊勝に見える仕草"だけ身に着けたんだね。

ゾンビみたいだよね。

  

ゾンビ軍団の誰か一人でも表題に具体的に答えてみろよ。

こう挑発しても誰一人として意気地を見せないですよ。

ゾンビからね。

  

  

追記

ponpon_qonqon おまえも反論できてないじゃん。

私は「こいつらは何を主張してるのかすら不明」と言ってんのに反論出来てるわけないじゃん。

ミリでいいから脳を使ってから反撃してほしい。

ろうあ者手話の普及を弾圧(本当に)してきた文部省施策の結果

健聴者の手話口話法・口話手話の押しつけになりかねず、本来のろうあ者手話文化が混乱するのはどうすんの?

1.一行目と二行目繋がってなくない?

2.その押し付けについて、「ガキが給食中黙って会話出来るように手話を学びましょう」って話がどう関係してくるの?

  あの小学校のガキが手話コロナ飛散を防ぐと(そこまで上達すると思えないけど)、聾者口話手話押し付けられて混乱するの?

  なかなかにすごいバタフライエフェクトだけどそれちゃん検討してから発表してる?

3.あんたのその主張はかなりチョウチョが飛び回ってるけど、少なくとも一つの反論可能な主張ではある。

  元のカッキー氏やさら大元文化人類学者氏はそういう一定の主張すらちゃんとやってなくて、何が何だか全く分からない。

  「文化の盗用」というコンテンツ不明バズワードで威嚇し、そのワード定義は何だと聞かれると怒るという糞仕草をいい加減にしてほしい。

 

maruX 全く持って分かる気がないくせに、自分に分からせろ自分が分からなければお前の主張は論理的でないという良く見るやつじゃん。「ガキ」呼びといいあらゆる方向に敬意がない酷い増田

2020/08/01

どうダメなのかこれだけ粘着文書いて説明する人間に「分かる気がないくせに」ィ?

失礼ながら、どんな話題についてもあなたよりは真剣に分かろうとして読んでると思うよ。

この人のカッキーtwitterに着けたコメントこち

maruX 2020/08/01

どうしたらいいかからないと言っている人がいるけど、そういった歴史も含めて知ろうとするしかないと思うよ。

意味わかんね~~~~ ふわっふわ。

でもこういう「何となく殊勝な感じに見える態度」を取ることにだけは長けてる感じがすごい伝わってくるよね。

当事者に直接聞くんじゃなくて。「手話を生きる」という本がとても良かったし面白かったです。

何故直接聞いたらいかんのですか?簡単に聞けるツール環境があるのに。

聾者様に失礼だぞみたいな話?

でもすでに発言してる人に尋ねるのすらダメなの?なんで?

 

この「なんで?」はしーらいおにんぐに当たるんですかね?

ちゃん根拠思考を持って発言してる人ならノータイムノー負担で答えられるようなことしか聞いてないんだけど。

これぐらいが不当な問い詰めだと感じる人は自分の脳のフロー見直した方がいいと思うんよ。

 

otihateten3510 なげーよ。

なげーなすまん。

手話使いは大多数による言葉の上書きに恐れてるんだろ。たぶん。どうでもいいけど。

それならそう書いてくれりゃいいと思うけどね。(もちろんその危惧妥当性は検討するし怪しすぎたら突っ込むけど)

そういう風に何かをはっきり書くこともなんか避けてねえ?

 

rci聾者よりも健聴者の数が圧倒的に多いから、でしょ。そのせいで、本来聾者のものがどうしても健聴者に乗っ取られがちになるということが、この増田はなぜわからないのだろう。

2020/08/01リスト

健聴の手話利用者が聾の手話利用者を上回るなんてまるで考えづらいねというのがまず一点。

そんでカッキーさんはあなたのようにはいってません。抑圧の歴史があるせいで聞こえない人が卑屈になってしまいがいなのが問題だといってます。(手話人口が逆転するなんて仮定荒唐無稽なので採用しなかったのかもね)

Permalink |記事への反応(18) | 12:58

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2020-07-01

旅が終わる気がする

私の故郷はとても寒い場所にあって、そこで大人になるまで暮らしていました。

事情があって町を出てから初めて、あぁ、私はここから本当に離れたかったのだなと気がつきました。

一人暮らしを始めた日は大雨警報が出ていて、ラジオから空港で足止めになった人がインタビューを受ける声が聞こえました。

これから暮らす知らない街は嫌がらせのように道が入り組んでいて、番地の順番はひどく不規則でした。土砂降りの中、散々迷ってほうほうのていでアパートに辿り着いたとき、私は全身ずぶ濡れで、まるで服のままシャワーを浴びたかのようでした。

電気がまだ通っていなかったので部屋の中は真っ暗でした。ドアを開けると、安くて古い家特有匂いがして、一歩進むごとに床がぎしぎし鳴りました。アパート廊下の灯りに照らされて、自分だけの部屋に一人佇む私のシルエットが浮かぶのが見えました。

それを見た瞬間、お腹の底からわーっと力強いエネルギーのようなものが湧き上がってきました。

半径数十、いや数百キロメートル圏内には私のことを知っている人はたぶん誰もいなくて、その事実はしびれるような幸福感をもたらしてくれました。

****

それから数年間、色々な街を転々としてきました。

色々な街に住むための行動を起こしたのではなく、そのときどきで必要な行動をした結果色々な街に住むことになったのですが、

無意識のうちに移動を伴うような選択をしてきたのかもしれません。

夜の車窓から見える街の明かりのせいで心細くなるので、旅は好きではありませんが、

知らない街でそこの住人に擬態して生活するのはとても楽しいことでした。

その土地の美しい景色独自生活様式、特徴的な食べ物、そしてそこに住む人々について知るたびに、自分がまるで文化人類学者であるかのような気がしました。

そして、

何か嫌なことがあったり、滅多にないことでしたが人間関係にまつわるトラブルに見舞われたとき

最悪引っ越せばいい、と思えるようになってからは、悲しい気持ちや、人への執着や、期待といったものを水に流すことができるようになりました。

****

今の街に来てから、もう四年間が経ちました。

適度に都会だけれども人々にはよそよそしさがなく親しげで、食べ物も美味しくて、とてもいいところだと思います

ですが、しばらく同じ場所に住んでいると何だか息苦しくなってきて、変化が欲しくなってきます

本来ならばこんなに長くここにいるつもりはなかったのですが、なぜ留まり続けているかというと我ながら陳腐だなぁと少し呆れるのですが、好きな人ができたからです。

ここに来てしばらくして知り合ってすぐ好きになってしまったのですが、半ば世捨て人のような生活をしてきたので自分に自信がなく、そのため何らかの働きかけをする勇気が出ませんでした。なので、特別関係になりたいとは考えていませんでした。

そう思っていたのですが、ちょっとしたきっかけでとても親しくなって、一年ほど前からお付き合いしています

その人は、私と雰囲気は少し似ているのですが、

穏やかで、よく考えてからゆっくり話すタイプで、生まれからずっとここで暮らしていて、子供の頃からの友人と今でも親しくしていて、とにかくそういった意味全然性質が違う人です。

ずっと一緒にいたいなと思います。真偽のほどは不明ですが、その人も同じように言ってくれます

ある日、一緒に遠出したときに、私たちの住む街を見下ろせる小高い丘のようなところに行きました。

道中で、この街が好きですかと恋人に尋ねました。彼は、好きですねと答えました。

眼下に広がる街の明かりはとても綺麗で、繋がれた手のおかげで心細くなかったのですが、

私はずっとこの街で暮らすのだろうか?本当に?

****

ときどき漠然とした言い知れぬ不安に襲われるのは、私のアイデンティティが脅かされているからだと思います

ずっと同じ場所暮らしていくのなら、これまでのやり方、最悪引っ越せばいいという姿勢はいられません。

それに、恋人と過ごしていると、自分境界がわからなくなるような気持ちになるのでした。

うまく言えないのですが、

一緒にいると、彼の体から出てくる粒子の細かい不思議な粉が私の肺の奥深くまで入り込んで、頭がだんだんぼうっとしてきて、

そうしている間に二の腕やらふくらはぎやらの軟らかい場所から順番に食べられていくようなイメージが浮かびます

最近では、自分無意識のうちに彼のような言動や考え方をしていることがあります

このまま放っておくと、私は恋人この街に徐々に侵食されて、いつか個を失ってしまうのではないかという気がしています

でも、それも悪くないと考える自分もいます。それどころか、むしろそうしたいとすら思っているのかもしれません。最近自分のことがよくわからなくなってきています

だんだんぼんやりしていく頭の中で、今まで暮らしてきた街の景色や人々、初めて一人暮らしをしたときのわくわくするあの感じ、寒くていつも天気が悪い白くて小さな私の故郷ことなどを考えて、

旅をしてきたのではないはずなのに、楽しい旅だったなと、胸のところがすうすうするけれども懐かしくて暖かい気持ちになって涙がこぼれました。

Permalink |記事への反応(29) | 02:09

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2018-11-18

数千年の歴史の中で、新しい祭りが生まれ、消えてきた。

祭祀・祭礼の形は、世界各地で多様な形を示す。そして、原初の祭は、一つの信仰に基づいていたと考えられる。

すなわち、豊穣への感謝祈りであり、ジェームズ・フレイザーの『金枝篇』では、生命の死・再生を通して考察された。

そうした祭り起源から、その地の歴史文化を紐解くことが、文化人類学者としての私の仕事の一つだ。

世界中の祭り樹形図のようにつながり、あるところで結びつき、あるところで消えたりする。

しかしながら、そうした系譜に属さず、あたかも以前からそこに存在していたかのように突如として実存する、そのような祭り存在していたとしたら。

しかもそれが、長い歴史で見ればコンマ1秒にも満たない期間に、世界中で同時多発的に出現していたとしたら。

そのような悪夢とも天命とも思われる事態に、私は今直面している。



3年前、ラオスを訪れた際、聞き慣れない祭りを見つけた。

初開催は今から200年前の西暦2018年頃。内容は泥水の上にかけられた細い橋の上を自転車で渡るという、娯楽要素の強いものだ。

そのあたりの時期の情勢と照らし合わせて、少し違和感を覚えたが、まあ分からなくはない。

第1回大会での優勝者は、ダイスケヤガワという男だった。






私はそれを持ち帰って、研究材料にしようと考えたのだが、どのような歴史書を辿ってもその祭り起源が見当たらない。

まあ、起源不明祭りに今まで出会わなかった訳でもない。この祭りもそれらの一例に過ぎない、とその時は考えていた。

これも良い機会か。と、私は今まで起源がわから調査中であった祭りそれから歴史書などには載っていないが現地に行って新たに発見した祭り、などを改めてまとめていった。

すると、至極奇妙な事実が明らかになった。

一つ目はそれらの祭りがどれも2000年代の数年の間に発祥であること。

それからもう一つ。

どの祭りにも第1回大会にはダイスケヤガワの記録があること。



これらの事実が想起させる、ある種馬鹿げた仮説はただひとつダイスケヤガワ、あるいは彼の属する組織がこれらの祭りを造ったのだ。

世界中の村々で。

突然に。

何のためにー。



ハロウィンは昔から日本の一大イベントだ。そこで生まれ経済効果はこの国だけでも数兆円と言われている。

ダイスケヤガワも、そのような経済効果目的として祭りを作った可能性を考えてみた。しかしながら、祭りの内容を鑑みるに、その可能性はほぼ無いに等しかった。

事実それらの祭りが何らかの経済効果を生んだという記録はない。

私は視点を変えて、ダイスケヤガワの人物像を調査することにした。

これだけの短期間に、これだけ多くの祭りに参加しているとなれば、恐らく彼は祭りの賞金で生計を立てていたと考えるのが普通であろう。

もしくはー。

祭りを造り、それに参加することが彼の仕事であった、とでもいうのだろうか。

わたしにはダイスケヤガワが全くの同一人物を指しているかどうか、確かめる術は残されていない。

そのため、以下ダイスケヤガワとは、ある特定人物もしくは組織総称とする。

冒頭でも述べたように、祭りは、元を辿ると神々への信仰目的としていることがほとんどであるダイスケヤガワは、これらの祭り信仰意味を込め、布教していた宣教師(達)だったのではないか

つまるところ、ダイスケヤガワの行くところに祭りができ、祭りのあるところに、ダイスケヤガワがいたのだ。そうとしか説明仕様のない史実が、私の前に広がっている。

しかしともすると。

ともするとそうであってほしいような馬鹿げた想像は、私の思考から今も離れない。

Permalink |記事への反応(1) | 18:40

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