
はてなキーワード:散歩とは
ふと思ったことを書いてみる。
約1年前のこと。出産予定日まであと2週間だった。初めての妊娠で、日に日に大きくなるお腹が愛おしい反面、漠然とした不安があった。その時は1人で近所の公園に散歩に行ったのかな。
公園のベンチに腰を下ろすと、目の前にあるもみじの木がすっかり紅葉で。腹帯の上からそっとお腹をさすりながら、この子が生まれてくる未来を想像した。
健康に育ってくれるだろうか、良い友達に恵まれるだろうか、幸せな人生を歩んでくれるだろうか。
その瞬間、ひらりと上から舞い落ちてきた一枚のもみじが、私の膨らんだお腹に着地した。濃い色で美しい葉っぱだった。
その偶然の出来事が、もみじの木がこの子に「頑張れ」と祝福してくれたかのように感じた。
生まれてくる子への幸運を願って、その葉っぱをそっとお腹から拾い上げて、ハンカチに包んだ。
その時、この子の初めてのお守りにしようと決めると、自然と涙が溢れてきた。
家に帰って、夫にその話をすると、「神様からのプレゼントだね」と笑ってくれた。
それ以来、私の不安は和らいだ気がする。それから生まれてきた女の子だけど、夫と話し合い、「もみじ」にちなんだ名前にした。名前の候補はいくつかあって、あれでもないこれでもないと悩んだけど、最後はあっさり。
この子が大きくなったら、あの紅葉の下で、一緒に遊ぶのが今から楽しみだ。
子供の時から道端に落ちてるゴミが気になって気になってつい回収して捨てる癖があった
親は友達はそれをよしとせず「汚い」「みっともない」と辞めさせてきてた
唯一付き合っていた人(今の夫)が「え!?すげえ!偉すぎる!!」と褒めちぎってくれた
持ち歩きゴミ箱と小さいトングをプレゼントしてくれたりゴミ拾いのボランティアイベントに誘ってくれた
はてなに書いてみたいと思った。
その子とは長年連絡を取り合ってなかったが、実は先日、親戚付き合いの時に出会った。祖父方にあたる親戚の家のダイニングで。
その時に思う事があって、増田をしたためることにした。増田はたまに短文を書くくらいである。
その子と初めて会ったのは、私が21才の時だった。当時は茨城県にある大学で電気工学を学んでいた。夏休みの帰省先である実家は、(秒速5センチメートルの聖地)隣の栃木県にあった。
ある夏の帰省時に……その実家から、ほどなくの距離にある親戚の家に行ったのだが、玄関に入った時に、はとこに当たる子がいた。
当時は「はとこ」という単語は知らなかった。誰がどの親戚筋にあたるとか、そういうことにも興味なかった。ただ「女の子がいるな」としか思わなかった。
その、はとこに当たる子なのだが、『野乃花』ということにする。プリキュアの方ではない。野乃花(ののか)は玄関口で私と目が合って、「こんにちは」と言ったのかな。それは覚えている。
帰省時に親戚の家に行っても、一応成人である私は暇を持て余していた。子どもの頃から何度も行ってるが、その時みたいに居間でくつろぐことが多かった。周りは子どもばかりである。
親戚の子どもたちは皆ゲームをしていた。スマブラというゲームだった。大乱闘スマッシュブラザーズ。
私は任天堂のキャラをほぼ知らなかった。ピンク色のあれがカービイって言うのはわかったけど、あとは知らないキャラだった。ピカチュウも辛うじてわかったくらい。
ゲームを一切しない子どもだった。家にスーファミもPS2もなかった。家の近くにある里山に出かけて、危険であろう山奥まで踏み込んで、昆虫やトカゲを捕まえて飼育するのが好きだった。日本にいるはずもないチンチラがいないか探そうとしていた。
親戚の子ども達は居間でゲームするだけじゃなくて、子どもらしい身体を動かす遊びもしていた。外での運動だった。まさにスマブラ。
居間でも、廊下でも、玄関でも、これでもかというほど広い庭でもそうだった。私は成人男性だったけど、元気のいい彼ら小学生の相手をすることもあった。
野乃花は、大人しい子……でもなかった。わーきゃー言って水鉄砲を打ったり、私に体当たりをしてゴロンとひっくり返っていた。溌剌な子だった。
野乃花はその時、7才だったはず。14才差なので。小学校に上がった年である。いい頃合いの年齢ということで、(私から見て)遠い親戚の人も、野乃花を本家筋の実家に連れてきたのだろうか。
それはそれとして、大学生であるというのに私は、毎年夏や大晦日になると……その親戚(本家筋)の家に行っていた。小学校~中学校の頃は、それこそ年に何度も。
うちの母親が私や兄弟を連れて行くと、祖母が漏れなく一万円をくれるのだった。うちの母親は、ことあるごとに其処に行っていた。子どもを連れて。ある種の集金システムである。
私は子どもながらに察して、祖父母にあざとくした。可愛い子だと見られようとした。今思えば浅ましい考えかもしれないが、毎回寄るだけで一万円をくれるのだから、それくらいは当然と思っていた。
中学生や高校生になると、親戚の家に行くことはなくなっていた。
しかし大学に進学すると、また急に行く頻度が増えた。私と祖父が同じ大学出身で、学群も同じ(祖父の時代は学部)だった。お気に入り度が上がったのだと思う。
20才になる年に入ると、祖父のとっておきの日本酒や焼酎を飲ませてもらった。あの頃はおいしい酒の味がわからなかった。モンテローザ系列の味に慣らされた舌には、明らかに上の味だったけど。
え、野乃花?あの子は、、、私が22才、23才、24才になる年も、毎年ずっと会い続けた。親戚の家に行く度に必ずいた。ほかの子はいないこともあったし、来なくなる子もいたのだが。
今思えば、懐いていたと思う。よく会話をしたし、ごっこ遊びにも付き合った。
夏休みや冬休みの宿題を私が教えることもあった。「増田くん。あたまいー!」とよく言ってくれた。私は漢字に弱かった。今でも書き誤りをすることがよくある。
野乃花に、「こないだの発表会でね、その旨(うま)をまとめて発表します」と読み間違えた話をしたが、さすがに理解してくれなかった。
ある日、曇天で雷が鳴っている時に、雷を素早く動いて躱せるのかという話になった。私が「雷はね。上から落ちてくるんじゃなくて、下から上に昇ってるんだよ」と伝えると、「うそ。ほんとー。今度試してみる」と言った。「絶対に試したらダメだよ」と釘を刺した。
野乃花について、はっちゃけた雰囲気の子を想像するかもしれないが、実際は年齢に見合わない利発な子だった。理屈っぽい私の話を、「へえ」と面白がってくれる唯一の人間だった。
夕食の時は席が大体隣だった。誕生日プレゼントをあげた時は抱き着いてきた。年齢差はあったけど、会話が弾んだ。
親戚の大人達が家にいない時だと、2人きりになることがあった。かくれんぼとか、鬼ごっことか、ノートPCでヤフーのポータル画面を開いて、いろんなことをググったりした。(ほかの親戚と一緒に)花火大会にも行った。水族館にも。遊園地にも。
彼女は明るくて溌剌としていて、私みたいな陰キャラとは違った。いわゆる"いい子"だった。はてなブックマークでいうと、女性ブクマカでトップコメに入りがちな、快活な方々がおられると思う。あんな感じの、知性やユーモアを伴った明るさである。
25才の頃は、新卒で入った茨城県にある電機メーカーに勤めていた。
親戚の家に行くのは、年に2回ほど。祖父は、私が社会人になっても毎年お小遣いをくれた。「早く技術士になれよ、期待してるぞ」って、行く度に祖父が言ってた。それから十年もかかったが、祖父と同じ電気分野で技術士の試験を通った。
それくらいの年齢になっても親戚の家に行ってたのは、野乃花のことが頭にあった。私に懐いてくれる女性というのは、それまでの人生で彼女しかいなかった。私はモテなかった。はてな語で言う弱者男性。
ある年の夏だった。自家用車で一人でその家に行くと、玄関口の廊下に野乃花がいた。靴を脱いで、家の廊下に上がったところに古い掛け時計があった。ずっと昔からあって、玄関に上がる時は時刻を見るクセがあった。
廊下に立っていた野乃花に近づいていって、野乃花の両肩に手を置くと、野乃花が唇を突き出した。キスをした。口にする方だった。
私は別に、ロリータの同人誌やアンソロジーを持ってたわけじゃない。そういうR18コンテンツに触れたこともない。当時の私は、社会人としての勤めや、理工学の勉強の日々の傍らに、読書をしたり映画鑑賞をする男だった。年少への性癖はない。ただ、孤独への性癖があっただけだ。
野乃花とのキスというのは、その時が初めてじゃない。鮮明でない記憶だけど、初めての時は、私が22~23才くらいの時だった。野乃花が8~9才くらい。
親戚の家の中ほどにある居間で、2人だけになってる時に、身体が不意にくっついて……その流れで、人生で初めてキスをした。少し大人になれた気がした。
それからは、2人になる度に、親戚の目がない時にキスをしていた。唇を合わせるだけの簡単なやつを。一日に何度も。別に理由はなかった。私も野乃花も、ただしたかっただけだと思う。
野乃花が小学校を卒業する年の2月だった。初めて2人だけで外に出かけた。それまでは、親戚付き合いの中で、花火大会とか水族館とか、飲食店などに一緒に行っていた。それが、野乃花が親に携帯電話を買ってもらい(青っぽいガラケー。私はスマホ)、LINEでやり取りするようになった。
デート場所は茨木駅周辺だった。茨城ってぶっちゃけ、鳥取~島根クラスに何もないところだけど、大きい駅の周辺では、ショッピング、グルメ、自然、文化体験など色々楽しめる。野乃花のいる栃木でもよかったけど、『秒速5センチメートル』ごっこになってしまうのでやめた。積雪で電車が止まるかもしれない笑
その日は、夕方まで一緒に何時間も過ごした。最後は美術館に行って解散した。帰りの電車賃は社会人だった私が出した。それ以外の、食事代とか入館料は割り勘だった。出そうとすると、野乃花が嫌だと言った。
電車が出る時間になってホームで別れる時、「楽しかったね」と私が言ったら、野乃花が「今日、一緒にいられない?」と聞いてきた。潤んだ瞳だった。吸い込まれる瞳ってどこかの小説に地の文があったけど、あれは作者の実体験だったんだと感じた。
「仕事あるからね。また今度ね」と言うと、野乃花は俯いて電車に乗った。最後に手で肩に触れて、「バイバイ」ってお互いに言った。野乃花は泣いていた。
あの頃は、年齢差のことを考えることがあった。私と野乃花の年齢差は、年度でいうと14年分。一番最初に会話した時は、小1と大3だった。
(以下閑話)※当時のメモを参考
---------------------------
年齢差についての関数
年数をxとして、お互いの年齢の比をf(x)とすると、f(x) = (a+x) /(b+x)となる。年数xを経る毎に0<f(x)<1で単調増加で1に近づく(極限操作)。
お互いの年齢比が0.5になるときの経過年数は、式変形によりx=2a-bで表現できる。この比率をもっと一般的に表現すると……。上記のf(x) = (a+x) /(b+x)を微分すると、商の微分でf`(x) =(a-b) /(a+x) ^2
f`(x) =0になる極値は……?と考えると、残念ながら存在しない。
元の関数f(x) = (a+x) /(b+x)というのは、式変形すると、f(x)=1+((a−b)/(b+x))となる。これは、f(x)=a/(b+x)という直角双曲線をグラフ平面において平行移動させたのみである。
直角双曲線は微分可能であるが、極値がない。正負の値を関数に入れると、グラフ上で左右に分かれて存在することから、右極限と左極限が一致しない。
方程式 f`(x) =(a-b)/(a+x) ^2において、a−b=0が成り立つのは、a=bの場合のみ。導関数はゼロ。定数関数であり、傾きはない(定数関数が微分可能かどうかは流派による)。a≠bだと、導関数がゼロになるxの値が存在しない。
年齢算という算数を扱っている以上は、関数の形状はシンプルである。一番知りたい特定の値に向かって方程式に数値を入れるのみ。私は複雑な答えを求めたが、その行為自体が適切でなかった。つまり、二人の年齢差というギャップは、数学的には永遠に埋まらないという無慈悲な証明だけが残った。
---------------------------
(閑話終わり)
野乃花が中学生になった年だ。私は茨城県にあった電機メーカーを辞めて、他業界のIT企業に転職した。広島市に営業所があるメガベンチャーだった。
仕事に忙しい日々だった。距離があるので関東に帰ることも無くなって、それで……野乃花とはそれっきりになった。LINEのメッセージも、いつの間にか途絶えた。既読無視をしたのは私の方だ。
今は独立して、都内でIT関係の下請けをしている。フリーランスだ。ハイクラスエンジニアでは決してない。うだつが上がらない日々だけど、いつかは1人社員の株式会社にしたいと思ってる。今の自営業の屋号は、結構厨二が入っている。実年齢よりも幼い人間なのだと感じる。
なぜ、この日記を書こうと思ったか。正月に野乃花と会ったのである。もちろんあの親戚の家で。あそこに行くのは久しぶりだった。
其処に行く途中の車内で、母に聞いた。あの家は祖父も祖母も亡くなっていて、今は叔父夫婦が住んでいるだけ。跡継ぎはいない。子どもはいたが、みんな自立したらしい。大きい家なのに勿体ないって、そんなことを思いながら親戚の家に着いた。
玄関を上がって、あの時の古い掛け時計が別のに変わっているのを見て、それから台所(兼ダイニング)に行くと、親戚が何人か座っていた。その真ん中あたりに……野乃花がいた。
野乃花と会うのは約15年ぶりだった。
私と目が合うと笑顔になった。ダイニングの隣にある小さい居間では、親戚の子達が皆で一緒にタブレットでアニメを観ていた(私はここ数年アニメを見てない)。少年の時、ボードゲームをしていたのが懐かしい。あの頃より人数が減っている。
話は変わるけど、もし『グノーシア』のボードゲームや、人狼ゲームがあったらやってみたい。一生叶うことはないだろうけど――もしアニメ化もされたら観てみたいと思う。
野乃花を見た後で考えた。
まだ夕方ですらなかった。これから何をしようか、どうやって暇を潰そうか。スマホを操作するだけでは勿体ないし、懐かしいその辺りを散歩しようと思った。
本当は野乃花と話したかったけど、連れていくわけにはいかないし、話せるだけの心の余裕もなかった。それに、野乃花は夕食の準備を手伝っていた。
近所の散歩が終わって、台所兼ダイニングで豪華な夕食を食べて、ビール瓶を何本も空けて、親戚連中の大人(あの頃の子ども達)とたくさん話をして、トイレに行ったり、親戚の子の遊びに付き合ったり、お年玉(※宿泊費)を払ったり、十数年ぶりの親戚の家は懐かしい。野乃花はずっと飲み会を手伝っていた。
飲み会の後、ダイニングでスマホをいじっていると、深夜が近づくにつれて親戚の数が減っていった。「そろそろ寝ようか」と思ったところ、廊下から野乃花が入ってきて、こちらに歩いてきた。私の隣の席に座った。結婚指輪はしてなかった。
「久しぶりだね」
と私が声をかけると、
「増田くん元気そうだね」
と返ってきた。
面影がすごく残っていて、懐かしい感じがした。
子どもの頃の就寝時間は午後十時だった。今は大人だから、あと一時間は起きていられる。野乃花と喋ってから寝ることにした。
思ったより多くの会話をした。卒業した学校とか、就職先とか、今の趣味とか、好きな本とか、最近観た映画とか。私はサブカルが好きだけど、野乃花もそうだった。アニメだと『ブルーロック』の話をした。エゴの塊みたいなキャラの話で盛り上がった。漫画・小説の話もした。吾峠呼世晴の初期短編集は2人とも読んでいた。
でも、野乃花が不意に言ったのだ。
心臓がドンって叩かれた。この時まで、悪いことしたという思いはなかった。
でも、この時になって、私があの頃、どういうことをしていたのかって、そういう思いが一瞬で頭の中を駆け巡って、後悔が襲ってきた。
「迎えにきてくれると思ってた。連絡がほしかった。私は増田くんに会いに行けないのに」
野乃花を見ると、涙を拭っていた。鼻もすすっていた。
それから沈黙が続いて、「ごめんね」と言った。そしたら確か、「増田君は結婚したの?」と聞いてきた。
結婚どころか、離婚まで経験していることを話すと、野乃花は爆笑していた。机に突っ伏して、本気で笑いを堪えている様子だった。話を続けると、野乃花も一度離婚を経験していた。
なんだか変な雰囲気になって、それからまた、さらに笑える話を(お互いに)続けて、そうこうしてると午後11時になった。LINEの連絡先を交換して寝室に入った。
読者の方は察してるとは思うが、私はいわゆる発達障害である。診断済みだ。
メガベンチャーに転職をして地方都市に引っ越した後、仕事の人間関係で苦労することがあった。明らかにおかしいと思い、精神科医に診てもらったところ、様々なテストの後に、そういう診断が出た。子どもの頃からの行動傾向を見てると明らかだった。
ある情報によると、発達障害の精神年齢というのは……実年齢×0.60~0.70らしい。青春期の、精神が最も発達する年代に脳が発達をしてくれない(脳発達のピークが30代にくる)。
一方で、一般的な女の子は、男の子よりも数才精神年齢が高い。ということは、最後に野乃花と会った時の精神年齢は……私だと26才×0.60~0.70≒15~18才ということ。野乃花が実年齢12才+2~3才とすると、14~15才ということだ。
あれ、なんだこれと思った。そういう視点で考えると、野乃花との年齢差があっても話が通じたことの合点がいった。
話は以上である。
我ながら恥ずかしい執筆体験だった。私の言葉で思い出を表現できてよかった。理屈っぽくて読みにくかったとは思う。
でも、言葉にしたかった。あの時、親戚の家のダイニングで、20代後半になった野乃花と再会した時の衝撃とか、それよりずっと前の、野乃花との楽しい日々の思い出とか。ここで、こうして吐き出すことができてよかった。
明日からは、また一人のはてなユーザーである。みんなの面白い日記を、また読ませてほしいです。ここまで読んでくれた人、ありがとうございました。
こうして西東京の、ちょっと田舎だけど、ちょっと歩けば何でもあるにはある、
お金はないし、家族もないけど、夕暮れを見ながら散歩して、スーパーで買い物をして、
村?で唯一のスーパーまで歩いたら30分以上、それも閉鎖し、
経営者は中学時代に不純異性交遊で問題を起こした女子の家族経営である、あわせる顔がない…😟
私を毎日殴る蹴るしていたヤンキーたちはマイルドヤンキーにクラスチェンジして、
近所の子供たちを指導、道徳を説いてると聞いて、失笑した、まあ、そういうことである、
覚えているぞ、おまえらが放火して消防とか警察が大変だった日を、
村には派出所もない、滅多なことでは警察も来ない、というか治外法権みたいなあの村に、
消防車やパトカーが押し寄せ、おまえらヤンキーは全校生徒の前で土下座、
俺は進学校に受験して、さっさとこんなクソ田舎から抜け出そうと必死だったので、それどころではなかった…😟
今年も人生に大した進展はなかったものの、色々と後半は人間関係に恵まれることが奇跡的に増えて、
前向きに歳を越せそうではある、と、スーパーからの帰り道に思うのでした…😟
ご飯にしよう…😟🍚🥢
職場に犬が配属されたら
可愛いだろうな
プードルって本当は大きいんだよ
秋田犬もいいな
犬ならいいけどヤギは嫌だな
あいつらすげーうるさい
https://www.atom.bio/zootropolis-2-en-espanol
https://www.atom.bio/ver-zootropolis-2-y-latino
https://www.atom.bio/wicked-por-siempre-en-espanol
https://www.atom.bio/ver-wicked-por-siempre-y-latino
歳を重ねるほど、哲学的なことを考える機会が増えてきた。
資本主義の社会で生きている以上、お金はどうしても無視できないけど、どう考えてもお金さえあれば幸せになれるというほど単純じゃない。お金は、安定した生活と選択肢を得るための土台であって、目的じゃない。
それは、誰かの役に立っている感覚でもある。
例えば、自分がいなかったらこれは起きていない、と思える何かがあるかどうか。
一方で、目に見える成果にはつながらないけれど、なぜか心が満たされる時間も欠かせない。
趣味に没頭する、散歩をする、音楽や本、映画、芸術に触れる、そういう時間だ。
資本主義のロジックだけで見ると非効率かもしれないけど、こういう余白や遊びの時間も必要だと思う。
目先の得よりも、数年後の自分が後悔しないかを基準にすること。
誰の、何を良くしているのか?をときどき思い出すこと。
2年前くらいに引っ越したマンションの近くに、30台くらいはとめられるコインパーキングがある
休みの日の昼過ぎくらいに日課の散歩に出かけるんだけど、ここは佐川の営業所か?ってくらいの台数のトラックが
毎回コインパーキングにとまってた
ちらっと見ると運転席で寝てる人、スマホいじってる人、寝てる人、飯食ってる人、他のドライバーとだべる人と、
どう見ても働いてる感じには見えなかった
物流業界は少し前から4時間働いたら30分休憩が義務付けられているようで、その休憩なんだろうと思っていたら、
散歩と他の用事を済ませて2~3時間後に戻って見ても同じナンバーのトラックがほぼそのままたむろしてた
え?配達どうしてるの?と思ってそれが気になって見てたら、
佐川のシマシマのシャツは着てるけど車は白無地の軽ワゴンに乗った、おそらく下請けの社員が
これまた酷いのがその下請け業者は歩道上に軽ワゴンとめて大量の荷物をぶちまけて仕分けしてるの
その間、正規の佐川トラックに乗ったドライバーは相変わらず運転席で寝てるしスマホいじってるし寝てるし飯食ってるしだべってるしで全然動いてない
おそらく、正規の佐川ドライバーは午前中だけ4時間仕事して、その後は4時間30分サボって残った仕事は下請けにやらせてるんだと思う
じゃないと毎回コインパーキングに数十台ものトラックが何時間も遊んでないでしょ
ちなみに、夜の7時過ぎくらいになると今度は逆に1台も見なくなる
忙しい忙しいいいながら残業は一切しないんだ
それで客の荷物は受付停止とかしてるんだ
さすがだね、佐川急便
馴染みのヤマトのおっちゃんも昨日散歩してる時にあったら、荷物多すぎてヤバイって言ってた
ブラックフライデーとか特段日本に馴染みのないことやらなきゃ良いのに
一ヶ月ブラックフライデーとかアホやん
70歳から入れる学校を作って、強制力を持って登校させてください。
病気の人は通えなくても仕方がありませんが、それは小学生だって同じです。
でも今のお年寄りはとでも元気です。
毎日病院やショッピングモールや無料のバスに乗って出かけています。
70歳からは学区の老人学校に通うように制度を作ってください。18歳からしか運転が出来ないのなら、70歳からは運転出来ないように法律を変えてください。
代わりに学校へは徒歩かスクールバスで通ってもらってください。全国の小中高生はそうしています。大人に出来ないわけがありません。
仕事をしている人は休学でも構わないですが、定期的に週一程度は通わせるようにしてください。土曜でも平日でも、来れる時で構いません。必ず所属する学校とクラスを作れば、日本人なら来ます。仕事が忙しい時は学校に連絡を入れて休みにしてもらって構いませんが、小中高生のように会社で経済活動に参加していますという証明書を総務に発行してもらってください。偽装や偽造には罰を与える法律にしてください。子供の保育園や学童のために必要な就労証明書はそうなっています。
お年寄りは毎日暇です。でも自律できる人ばかりではありません。あとお年寄りは毎日孤独な人もいます。健康なのにちゃんとした生活を送れない人もいます。
だから、学校に通わせてください。頭を使って、手を使って、嫌な奴でもクラスメイトとして付き合う、毎日誰かに会う、栄養バランスの良い給食をたべる、体に良い運動をする。
これだけで人生に張り合いが生まれて元気になり、医療費も削減できると思います。
お金のある人は私立の学校に行けば良いです。お料理教室やゴルフ練習などの素敵なアクティビティを用意してくれると思います。
認知症予防のために勉強も少しはしてもらいますが習熟度別にして、実技科目の方を充実させます。今までの人生でそれぞれ培ってきたことが生かされて全員が活躍できます。きっと楽しいよ。
保健室も健康診断もあるので、病気が酷くなる前に気づくことができます。
子供の時に毎日学校へ行けたのだから、大人になっても行けるはずです。
個人の尊厳が、自由が、なんて騒ぐ人もいると思いますが国がある程度の強制力、例えば老人教育基本法などを持って実行すれば特に昭和世代の日本人なら従います。
どうしても無理な人は不登校老人として、子供たちと同じように行政が介入して世話を焼けばいいです。そうすれば、誰がどんな困り事や悩みを持っているか分かります。
今の状態は、老人がただぼんやりと目的もなく余生を消費するために私たちの税金が無駄に使われています。
でも学校を作って、お年寄りを集めて、みんなが過ごす場所を作れば税金の無駄にはならずに、お年寄りが無駄に歳を取ってしまうことも防げます。
人と話せばボケにくいし、張り合いがあれば国にも活気が生まれます。
放課後は好きに過ごせばいい。サークル活動のようなクラブ活動なら、仲間ができます。日本人は無作為に1箇所に集めても何かしら気を遣って仲間の輪が作れるのが良いところです。
そこに学童を併設してもいい。誰かしら子供好きなおばあちゃんおじいちゃんは居ますし、子供と触れ合えば元気になるし、子供たちも色々なことを学べてお互いに良い影響があるのではないでしょうか。
もちろん集団生活は気疲れもするだろうし、喧嘩もあるでしょう。そこで介護職の出番です。介護職を教員並みの給与で使うのです。介護福祉士は国家資格です。教職と同じ扱いにして、給与を上げましょう。
本当に介護が必要になったお年寄りには、既存のシステムを利用して介護が出来る施設に入ってもらいましょう。
小中高と同じように年齢別で輪切りにします。同じ歳なら、あいつには負けないと言う気持ちや私も頑張れるんじゃないかと言う気持ちが生まれて、要介護になる時間を引き延ばせると思います。
お年寄りは勤労の義務からは解放されるのですか?逆に解放してしまうから、問題が山積みになるのです。
だったらまた就学の義務を全うしてもらいましょう。
70歳までの人生で色々なことを学び、経験したことを、また一つの教室に集めて分かち合ってみたら余生も楽しくなるでしょう。もちろん休日は好きに過ごせばいいし、具合が悪い日はお休みすればいいんです。
人間は自分の居場所が強制的に固定されると、意外と順応します。全国の小中高生はただ住んでいる地域が同じというだけで、学校のそれぞれの教室へ詰め込まれます。でも、楽しいじゃないですか。
これは、とても有効な国策になると思います。色んな個性があることは決して悪いことではありません。仲良しになる人、仲が悪くなる人もいるでしょう。でも皆、私たち日本国民は誰しもが15年、18年、22年とそれぞれ経験してきたことです。出来ないなんてことはありません。
街に溢れるお年寄り、皆んな暇そうです。
ある大規模な調査では、孤独のリスクは喫煙や肥満を有意に上回るとさっき医師がやっているYouTubeで聞きました。それなら、そのリスクを下げてみてはどうでしょう。
大人になったら自由が保障されるような風潮があります、でもお年寄りはその自由を謳歌できる人ばかりではありません。
どうしても自由に生きたい人は、生きればいいと思いますよ。積極的不登校でいいと思います。だってやりたいことや自分が出来ることが明確にあるのですから。例えば登山家の三浦さんのように。
それぞれに家族もあるでしょうし、60代はまだまだ若いし孫の面倒も見ていたりします。
でもその孫が成長したら?日がな一日テレビを見て、散歩に行く。老人会やシルバー人材センターに自分から参加できるアグレッシブな人ばかりではありません。
日本政府にお願いです。
どうかこれ以上に老人の医療費介護費が増えないよう、また運転の失敗による事故が起きないよう、孤独死が増えないように、どうか老人の学校を作ってください。
きっと、他のどの国からも賞賛されるような素晴らしい試みになると思います。
ゆりかごから墓場まで、ではないですがどうか国民に保育園から老人学校まで居場所を作ってください。
日本はとても良い国です。
私はこの国が大好きです。
どうかこの東洋の素晴らしい文化を持つ国を守るためにお願いします。
歳を取ってもみんなが笑顔で過ごせる国になって欲しいです。
https://anond.hatelabo.jp/20251201180953#
【悲報】dorawiiまた気絶
https://anond.hatelabo.jp/20251201182006#
気絶の判断基準が常に増田に書き込んでるかどうかにあるおかしさ。
他のサイト見るでも掃除でも散歩でもいくらでもすることあるのに。
dorawiiより
https://anond.hatelabo.jp/20251201182156#
↓そのおかしな判断基準を最初にやった人がこの人ですwwwwwwww
https://anond.hatelabo.jp/20251201162248#
気絶と言ってるが回復早い時点で俺のが有能だろ
dorawiiより
気絶の判断基準が常に増田に書き込んでるかどうかにあるおかしさ。
他のサイト見るでも掃除でも散歩でもいくらでもすることあるのに。
dorawiiより
-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20251201182006# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaS1dxwAKCRBwMdsubs4+SK0zAQCvz3qPUMrv3h8zREZYRf+g32NLDwwy89vXC7DGGlxBawD/XrvmzN1eYvukRkGHkKZfB4cpCJiSW0qHpnLV6EHsjws==Vd/z-----ENDPGP SIGNATURE-----
うちにも二人ほど、障碍児がいるんだけど、たぶん論点が違うな。
https://note.com/iyaiyaiiya/n/n7440ea79e0fb
この人は、子供が非大卒になるってあたりからもうしんどいんだよ。
冷静に考えるとね、別に障害者の人生が物質的にどれだけ不幸かっていうと、たいしたことないんだ。
この人の気になって、子供が将来済むまだ見ぬグループホームが、私が住むタワマンよりどれだけ不便だろうかと考えてみる。
そりゃどんなホームでも高級タワマンに比べて不便はあるだろうけど、都心へのアクセスとか自室が狭いとか、その程度の文句しかないだろう。
自室が狭くたって、世話してくれる人がいるならむしろ快適だろう。
障害年金で困窮した我が子が着るであろうユニクロのダウンが、親の私が着るモンクレールのダウンにどれだけ劣るのか?
生まれたばかりの子供が、本人になんの罪もないのに無慈悲に命を奪われたりすれば、それは不幸だ。
ただ、腹いっぱい食べて、暖かい布団でたっぷり寝て、好きなことをして過ごす。
こんな日々がずっと続くなら、それは幸せなはずなんだ。
ただな、そうはいっても、この人はまだそうは割り切れないはずだ。
割り切れない理由は、子供じゃなくて、これを認めることは自分の人生の否定だから。
河原で石を積んだり、土手を散歩するだけで幸せなら、なんのために人生の成功者になったんだって話だからね。
妊娠が分かり、つわりも落ち着いて安定期に入ったら、早めの産休を貰ったのもあり考える時間が多くネットを見る機会がグッと増えた。
ニュースもみるし、ネットも見るし、暇だから実家に散歩しに行く日も増えた。
そうするとどうなるかと言うと、
母親と話す機会が増え、過去の母との関係への違和感や、価値観の違いをすごく実感するようになった。
まず前置きが長いが、違和感を無視できなくなったきっかけを書くと、
・世の中の仕組みに対して求めることの差
ということなのだが……
◾︎世の中の仕組みに対して求める事の差
これから母親になるぞ、と覚悟しようと思った私は、子供を産むまでの間や産んでから受けれる制度とかを調べ出すようになる。そして、その流れでリスクやメリットデメリットを知ることになる。
そしてこのタイミングで総理も変わったので、政治に対しても少しづつ関心を向けるようになった。
恥ずかしながら大した学歴もなく、高卒で働きまくって税金納めりゃ生きていけるし、子供も夫もいらないし、とか思っていたので今年まで選挙に行こうとすらぼんやりとしか思ってなかった。
選挙も友達とか母親が入れるものに入れればいいか、で、どれに入れたらいいんだ?で止まっていた。
ただ、今は総理が変わってから出産費用についてやガソリン代などポジティブな施策の話を聞くようになった!
私はそれが全て良いかどうかは分からないが、ワクチンや無償化は私の子供がさらに子供を欲しいと思った時にメリットになるから、そういうことを考える人に投票したい!と思うようになった。
これからどうなるかは分からないが、これから出産への金銭的な負担が減り、学費等ももっと子供に負担がなく好きな道を選べるようになれば良いと思う。
なので、そのために医療費の見直しだったり税金に関することだったりとか、子育てしながらもっと働いて貯えができるような環境になれば良いなと思っている。
(進路に関しては私と夫がが働けば良いのだが、産前産後の育休期間がきつい)
「でも、子供よりもおじいちゃんやおばあちゃんの医療費をもっと安くするとかする方がいいよね!出産無償化してもどうせ税金回らないんだし!」
というようなことを言われた
どういうこと???
私は別に老人の医療費については話をしていなかったし、これから老いゆく人と新しく生まれるほうどちらにお金をかけたいの?って言われたら新生児、と思っていたので心底びっくりした。
(老人を助けたくないとかではなく)
本当に理解出来ず、そこからまず母の政治への考え方が引っかかるようになった。
◾︎性犯罪について
少し前にタイ人の12歳が売春させられたニュースがあったと思う。
その、タイ人の母親が逮捕されたニュースを見て「なんで親だけで売春した男は捕まらないんだよ」とつい突っ込んでしまったんだったと思う。
そうしたら母は
「タイの方じゃ売春は当たり前だし、12歳って分からなかったからHしちゃったんでしょ!」
と……
Xにいる売春肯定派の変なクソリプおじさんみたいな事を言ってて普通に怖かった。
私は11歳の頃、成人男性から陰部を触られたりキスされたり、彼女だよと言いふらされたことがある。それを目の当たりにして恐ろしく怒っていたような記憶があるのに、その娘と同時期に私よりもさらに上の被害を被った子に対して「しかたない」という言葉が出る母親に絶望した。
将来私の子供が性犯罪に巻き込まれたとして、大人びていたらそんなふうに言われるんだろうか?
・
・
・
ChatGPTに問いかけてみたり、夫に話をしてみたら2人は寄り添ってくれた(当たり前だがありがたかった)
その違和感を無視しないで記憶を掘り下げてみると、母親のヒステリーな所だったり毒っぽかったな……とじわじわ記憶が蘇ってきた。
・前述の性的ないたずらのあと、男性との交際について根掘り葉掘り聞くことや、学生時代付き合ってた彼氏とデートして帰ると「今日も処女守ってこれたよね?」と聞いてくる
・思春期に入ってからも一人部屋は与えられず、一人で扉を閉めて密室を作ると飛んできて暴力を振るわれる
・18歳を越えても、深夜残業や前置きをしても外泊すると1時間おきに電話がくる
・性的な物を見ているとありえないくらい馬鹿にしてくるくせに、自分は別室で彼氏と性行為をする
など……
そういえば一人暮らしをはじめてから、今の夫を家に連れ込んで朝帰りした日も鬼のように連絡が来て、昼前に合鍵を使って凸られたこともあったな〜と
今の夫に出会う前に数年連れ添った(?)元夫から、わりと壮絶なDVを受けて実家に逃げ込んだことがあり、その時の感謝や20まで育ててくれた恩などですっかり忘れていた。
ああわたしこの母親と24時間一緒が辛くて実家から逃げたんだ……
事の元凶全て母親とは言わないが、私は人生の半分母親と2人きりですごしてきて育ててもらった感謝はあるし、母のこの手料理が好きだった!とかはあるものの、楽しい思い出があまりにもないことに気付いた。
そうなって初めて、私は本当に母親が好きなのか?この先私も母親になる訳だが子供の祖母として母をあわせ続けていいのだろうか?と不安になってきてしまった。
男の子だったら陰部を揶揄うとか、女の子ならメイクをはじめた日には色気づいたなんてバカにする母親だ(そういえばいとこにしていたし私もされた)
せっかく私が今現在、反面教師にしよう、こう育てようと覚悟を決めたのに、途中で全部崩れさるんじゃないか?と怖くなってきた。
(分かりやすく例えれば、甘すぎるものを与えないようにしようと飴やチョコをあげなかったのに私の見てない間に与えてしまうとか)
今でさえ、ベビー用品はこれがいい、これはいらない、あれはこうするべき、と口を出し、私より先にベビー用品を実家に買い揃えている…。
夫は「頼れる時は頼れるようにしたらいいと思うけど、無理に距離が近いまま、親孝行しなきゃとかも考えなくていいんじゃない?」と言ってくれてるのだが
母のことは好きだったはずなのに、急に恐怖の対象になってしまった。
でも、会うと私と夫の好物を作ってくれるし、身重の私を気遣って重いものを運んでくれたり、緊急の時は買い物代行だってしてくれる。
優しいし有難いのに、迷惑だし怖いから来ないで、とも思う。拒絶するのは違うと思うが、どうしても拒否するか受け入れるしか選択肢がないように思えてしんどくなってきてしまった。