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2025-12-08

小学生の時に新興宗教を作った話

毎年クリスマス正月のような宗教色の強い時期になると思い出すので備忘録として書いておこうと思う。

とても長くなるので読んでも読まなくても構わない。

はいくらでもあるが、当時小学生お子ちゃまが頭を振り絞って考えたことだったので生暖かく見ていただければ幸いだ。

まり

増田が6年生だった頃のことである

当時通っていた小学校お受験が盛んで、クラスの半分以上が中学受験するような学校だった。中には体育や道徳など勉強関係ない授業が多い日は学校休み塾へ通うように親に指導される子供がいるような学校である

そんな雰囲気学校だったため増田も塾に通わされていたが、増田の親は仕事が忙しく放任主義だったため、どちらかというと自由に延長できる学童のような使い方をしていた。親が帰るまで子供1人は心配から大人がいる塾で勉強して暇を潰しなさい、という発想かと思う。

当然、遊びたい盛りの子供は不満である

から晩まで勉強で楽しくないし、学校教師子供達に学校勉強させようと胡麻擂りに必死だし、塾ではライバルたちと比較される。お子様なりにフラストレーションが溜まっていた。

小賢しく、自尊心が高く、承認欲求が強く、何よりも勉強以外で暇を潰したかった増田はそこで考えた。

そうだ、宗教を作ろう。


友人について

当時の増田立ち位置は「1軍グループにいるけどちょっと浮いてる変なやつ」だった。友人Aと友人Bの親友というだけで残酷子供達のカーストの中で辛うじてバラモンの仲間に入れてもらっていた。友人Aと友人Bの存在がなければきっとダリットだったと思う。

とにかく、増田には2人の親友がいた。勉強スポーツもできて誰からも一目置かれる友人A、とにかく話がうまく誰とでも仲良くなれる才能がある友人B。

入学した時にたまたま席が横並びになったというだけの出会いだったが、それからこの2人はこちらが申し訳なるくらい良くしてくれ、そのおかげで陰キャ性格がドブカスだった増田も「みんな仲良し♪」の仲間に入れてもらうことができたのである

表向き友人Aも友人Bもみんなの前では「気のいいやつ」だったが、実は2人とも性格にはかなり難があった。いや、だからこそ増田と仲良くなれたのかもしれないが。

友人Aはなんでもできるからこそ傲慢で、支配欲がある。少し早い厨二病であり、大きな声では言えないがナチに憧れていた。大きな声で言わないところが実に打算的であり、増田はそこが気に入っていた。

友人Bはとにかく人からの評判を気にしていて、いつも自分悪口を言われていないか怯えていた。それと同時に人の内緒にしておきたい部分を暴くのが大好きで、いつか何かあった時に脅せるように、仲良くなって秘密を握ることで快感を感じる癖があった。

増田はといえば親友2人を自慢に思うとともに、増田の言うことを疑いもしない人気者2人を操る優越感に浸るクズだった。

ズブズブに共依存している闇のズッコケ三人組である

そんな悪友2人に、こんな面白いことを共有しないわけにはいかないと増田は思った。

宗教を作ろうと思う」と増田は言った。

いいね、やろう」と友人Aは言った。

信者100人くらい欲しいね」と友人Bは言った。

増田は「こいつら話が早すぎるな」と思った。

そうして、宗教を作ることになった。

宗教を作ろう

増田キリスト教圏で育ったので神の存在に関しては割と思うところがあった。

そこで「神」不在の「思想」の宗教を作ることにした。

思想宗教の違いは難しいが、神の存在を論じられるほど増田信仰は深くなかった。ただ、人間熱狂宗教になりうる、と子供心に感じていた。

小学生だった増田の狭い狭い世界の中で、唐突宗教を作ろうと思ったわけではない。「これはいける」と思った出来事があった。

発端

どの小学校でも道徳の授業があったと思う。お受験組の気を引こうと躍起になっていた当時の担任は、その道徳の授業で「いいこと投票」というものをしていた。

その名の通り単純で、「いいことをした人を匿名投票して、得票数が高かった人を表彰する」という仕組みである

これは単純だが、小学生承認欲求をかなりくすぐった。なにしろ、いいことをするだけで教壇の上で褒められ、その上シール(子供にとってのシール!史上の喜び)を授与されるのである。名札の裏にいいこと投票シールを貼るのがステータスになるのにそう時間はかからなかった。

増田はヒネた子供ではあったが、それでも投票されたら悪い気はしないし、いいこと投票が頭をよぎって人助けをすることもあった。

それと同時に、「これは使えるな」と思った。

まり、「人の善意は操れる」と知ってしまったのだ。

増田が育ったキリスト教の教えでは、善行は死後の世界のために積むものとされていた(諸説ある)。だが、小学生にとって死後の世界など遠い存在である。「善行を積めば人々から尊敬されるという承認欲求」の方が何より魅力的なのではと思った。

どうせ宗教を作るなら、ハッピーな方がいい。

3人の意見はまとまった。

その週末、3人で図書館に行った。親は大喜びでお駄賃までくれたが、目的宗教について調べることであった。当時インターネットはかなり普及してきていたが、学校コンピューター室で宗教のことを検索するのはかなり気が引けた。そこで図書館へ行くことにした。

日中調べて回って、以下のことを決めた。

小学生なりに考え、実行に移せる最大限を考えた。

そしてそれを実行に移した。これが6月の頃である

〇〇〇〇教の立ち上げ

結論から言うと、〇〇〇〇教はバカウケした。

結成時に十数人を集めて行った友人Aの演説は素晴らしいものだった。増田が授業中書いた原稿と同じ文言とは思えないほど力に満ち溢れ、説得力があり、心に訴えかけるものがあった。その場にいた全員が信者になると誓い、お札を下駄箱に貼り付けた。

友人Bの勧誘も実に巧みだった。誰に話せば一番噂が広まりやすいかを友人Bは知り尽くしていた。すぐに手元にあったお札はなくなり、増刷をすることになった。学年のほとんどが入信し、シールは飛ぶようになくなった。匿名投票のための空き下駄箱は常に紙が入っている状態で、ランドセルの蓋にシールを貼るのが大流行した。

3人はそれで満足し、たかを括っていた。小学生拡散力を舐めていたのである

拡散組織化

夏が来て塾の夏期講習が始まってから、他校の生徒に声をかけられることが多くなった。もちろん入信の申し出で、最初は喜んで案内をしていた。

だが、20人を超えたところで不安になり始めた。なにしろ、塾でしか会わない人間である匿名投票匿名性は失われ、よく知らない人間善悪判断しなければならない。

3人は作戦会議をし、組織化をしなければならない、と結論を出した。信者たちを支部に分け、各支部ごとに信者たちをよく知る支部長を置くことにしたのである

それと同時に、今まで全て3人で行っていた運営テコ入れをすることにした。

まず、専門のデザイナーを雇った。非受験組の絵が得意な信者シールとお札のデザイン一新させた。毎月シール図柄を変え、飽きの防止とインフレの防止を図った。

また、情報屋も雇った。告解で得た情報さら価値のある情報を交換するためである。これは画期的で、「この秘密を話すので誰々の好きな人を教えてください」とかが大変多くなった。

支部長の下に秘密内部監査官も置いた。これは支部長の不正信者との癒着告発させるためである

組織化したことにより、3人の地位は確固たるものになった。カリスマ教祖の友人A、人に響く教えを説く友人B、善悪を裁き組織をまとめる増田

夏休み中もムーブメントは衰えを知らず、信者は増え続けた。3人は有頂天になっていた。

そして学校が始まり、始業式の後、3人は応接室に呼び出されたのである

お叱り

〇〇〇〇教は教師陣の間にも知れ渡っていた。

当然である人間の口に戸は立てられない。小学生なら尚更だ。

つの学校ではなく塾や習い事によりその地区の他校にも伝播した〇〇〇〇教の信者は把握できるだけで数百人を超えていた。

夏休み中、先生方は連携をとり、学校再開とともに終わらせようと話し合いがされていたらしい。

説教は3時間に及んだ。これは、先生方の話が長かったこともあるが、こまっしゃくれたクソガキだった我ら3人がいちいち反論を仕掛けたかである

そもそも、我々は何も悪いことをしていなかった。ただ「いい人になろう」「いい行いをしよう」「いい人たちを尊敬しよう」と言って回っただけである。「ご利益がある」とお札を売りつけたり、告解で得た弱みを握って脅したりもしていない。ただ、善行を行わせて噂を流通させただけなのだ

教師陣もそれがわかっていたのであまり強くは追及してこなかったのだが、我々があまりに舐め腐った態度をしていたのでだんだんヒートアップし、複数教師が入れ替わり立ち替わり講釈を垂れ、最終的に「解散宣言をしなさい」と一方的要求押し付けてお開きになった。

応接室を出て、下駄箱に向かい、校門をくぐった瞬間、3人は爆笑しながらハイタッチをした。

馬鹿め、もうそんな段階にないのだ!」と知っていたからだった。

子供と接しているのに大人である先生の皆皆様方は全くわかっていらっしゃらない。子供禁止されたらもっともっとやりたくなるんだよ!

受験用に詰め込まれ知識であるキリシタン気持ちがその時はよくわかった。抑圧された宗教は熱を増すのである

〇〇〇〇教は密教と化し、いよいよ肥大化していた。

隠語で呼ばれ、ミサと称した会合秘密裏に行われ、塾に通うために学校を休んでいた層もせっせと体育館裏に足を運び秘密を囁くようになった。

教師陣は躍起になっていたが当時流行り始めた学校掲示板mixi日記などで〇〇〇〇教は着実に広まり信者は増え、もはや我々3人の手に及ばないものになっていた。

知らないデザインシールが増え、知らない告解が増え、知らない宗派ができていた。

秋が来て、塾で勉強している間に冬になった。

祭りの後

冬季講習の最終日、いつもの公園ジャングルジムの上に集まり、80円の缶ジュース乾杯をした。

「そろそろやめよっか」と増田は言った。

教祖しかったなぁ」と友人Aは言った。

卒業、さみしいなぁ」と友人Bは言った。

正直、もうその段階ではないことはわかっていた。これはただの勝手な「一抜〜けた!」である

教祖司祭裁判官も全てを誰かに押し付けて、こそこそと逃走するのだ。信者からすれば大きな裏切りであり、大罪だろう。

でもぶっちゃけ、飽きちゃったのだ。自分たちを置いて勝手物事は進んでいくし、勝手教祖を名乗るものも出てくるし、勝手布教されているし、勝手に人が人を裁き始めるし。

だって子供だし、受験もあるし、そもそも進学したら続けられないし。

色んな言い訳をして、色んな人と話して、時にやり合って、押し付け合って、そうしている間に受験学校に行かなくなって、ようやく卒業のために帰ってきたらどうやら全てが終わっていた。

あれだけ熱狂的だった信者たちは激減しており、卒業とともに誰かに譲られるためランドセルの蓋はシールなんてなかったように綺麗になり、空き下駄箱は使用禁止になっていた。

教室の後ろの「いいこと投票」の模造紙は取り払われ、「卒業おめでとう!」の垂れ幕に変わっていた。

こうして、我々の宗教活動は終わった。

最後

友人Aは卒業と共に他県へ引っ越した。6年生になった時から決まっていて、増田たちと最後に何かしたい、と言っていたので「何か」は間違いなくできたと思う。

友人Bは志望校に落ちたので増田とは違う中学に進学した。あれだけ熱心に活動に勤しんでいたというのに引っかかったのは幸運だと自ら笑っていた。

増田中学で若干いじめられそうになっていたが、入学した時に席が前後になった友人に助けられなんとかグループの輪に入れてもらい事なきを得た。教訓としては、コミュニティに入って一番初めにできた友人はなんとしてでも大事にした方がいいということだ。

それぞれ無事進学して、就職して、結婚して、最近オンライン飲み会なるものを開催している。

この間、家族で親元へとUターン引っ越しをした友人Bが酔っ払いながら教えてくれた。

最近子供ランドセルの裏に変なシールをくっつけて帰ってきてさぁ」

友人Aはしばらく黙った後爆笑したが、増田は少し泣きそうになった。

この歳になると涙腺が緩くなって困る。

キリシタン、まだいるのかぁ。

Permalink |記事への反応(1) | 13:40

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2025-11-30

活動家左翼ってファシズム右翼だよな

活動家左翼って、実態はもうファシズム右翼のものだよな。

彼らって基本的世間から見れば少数派(マイノリティ)のくせして、自分たちの主張を通すためなら暴力的活動も辞さないし、そうやって民衆に恐怖を植え付けて無理やり言うことを聞かせようとしてるよね。口では「平和」とか「多様性」とか綺麗な言葉を並べてるけど、やってることは異論を許さな全体主義のもの。どう考えてもファシズムの手口だわ。

あいつらの界隈って、本当に様々な意見が出ることがない。「多様性」を謳ってるわりに、自分たち教義に反する意見は1ミリも認めないからね。一度「こいつは敵だ」ってターゲット認定したら、即座に「差別者」「レイシスト」「独裁者」っていうレッテルを貼りまくって、集団社会的抹殺しようとする。議論で勝とうとするんじゃなくて、人格否定キャンセルカルチャー相手存在ごと消そうとするやり方が陰湿すぎる。

最近だと、斉藤元彦さんに対する異常なほどの叩き方だったり、河合ゆうすけさんみたいな既存の枠に収まらない人間が標的になってるよね。彼らの気に入る「型」にはまらない人間自分たち既得権益思想的聖域を脅かす人間に対しては、常軌を逸した攻撃性を発揮する。

結局、極端な正義感を振りかざして、自分たち以外の正義暴力的排除しようとしてる時点で、彼らが一番嫌っていたはずの「独裁的で排外的右翼」と瓜二つになってるってことに、いつになったら気づくんだろうな。

Permalink |記事への反応(0) | 08:51

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2025-11-20

財産を持つことは悪であって寄付することで救われるって

いい教義考えたなwww

Permalink |記事への反応(0) | 17:10

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2025-11-19

やっぱり宗教の恐ろしいところって、目の前の相手家族や友人の幸福よりも、最終的には教義を優先させてしまう、頭のOSの書き換えを促すところだわ

親が宗教に頭をやられてたら、子ども人生ハードモードもいいところだよ

Permalink |記事への反応(1) | 12:00

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2025-11-16

anond:20251116195829

気に入らないなら気に入らないって言えばいいだけなのになぜ無視強要されるのかわからん

自分同意できる意見反論されるのが嫌なの?

普通に雑な意見しかいか反論されるのが普通であり、青バッジはそれで儲けたいわけなんだし営業妨害はやめてあげよう

ちょっと燃えたからって教義になってる!とか余裕が無いのは毒親被害者の会のみなさんなんじゃないかって気もするね

そういうとこやで

Permalink |記事への反応(0) | 20:01

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anond:20251116194055

気に入らないなら気に入らないって言えばいいだけなのになぜ無視強要されるのかわからん

自分同意できる意見反論されるのが嫌なの?

普通に雑な意見しかいか反論されるのが普通であり、青バッジはそれで儲けたいわけなんだし営業妨害はやめてあげよう

こんなツッコミ待ちポストちょっと燃えたからって「教義になってる!」とか余裕が無いのは毒親被害者の会のみなさんなんじゃないかって気もするね

Permalink |記事への反応(1) | 19:58

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家族とは素晴らしいものである」という宗教

貧しい両親から愛情は雨に濡れたコートみたいなもので、着ても脱いでも寒い

これがやたら炎上してるけど、こんなの気に入らないなら無視すればいいだけなのに一気に沸点突破して爆発してる人がたくさんいるのを見ると

家族とは素晴らしいものである」という規範教義となって宗教化してるんだろうなって気がしてくる。

その教義に全てを掛けているから、そこを否定されるとジハードになってしまうんだろうなって。

余裕無さすぎだろ。

なんでこんなふうになっちゃったんだろうな。

Permalink |記事への反応(5) | 19:40

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2025-11-05

anond:20251105221411

矛盾しているのはお前の理論だ。

法律違反するようなもの宗教教義であってもダメだよ。

例えば、生贄の人を殺してその肉を食べるのが教義からといっても、それはただの殺人であり認められない。

したがって、お前の理論破綻している。

Permalink |記事への反応(2) | 22:18

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2025-11-03

アメリカ在住のユダヤイスラエル不支持のほうが多い

これ豆な

ユダヤと言えば金持ちイメージがあるが、人口では中産階級未満が圧倒的に多い

その貧民で敬虔ユダヤイスラエル支持はおよそ25%と極めて低い

なぜなら彼らの教義では約束の地は神が与えるものであり、イスラエルという自力救済産物は認められないからだ

またアメリカユダヤコミュニティホロコースト被害者係累である

ホロコースト免罪符として好き勝手やってきたイスラエル人は北アフリカ中東から集まってきた人たちが主流なのでなおさら業腹

よってユダヤと言えどもシオニズム運動には乗れない人たちが多数派なのだ

しかし怖いのは反シオニズム多数派でも、アメリカユダヤでは非主流派なのだ

金持ってる親イスラエルユダヤ連邦政府メディアを巻き込んでイスラエル支援運動を大々的に打っている横で

敬虔ユダヤは何の力を持たない。彼らの教義では高性能なスマートフォンSNS使用忌避されているからだ

こうして今日ユダヤ看板金持ち自由に扱い続ける

ニューヨーク市には州兵派遣され、アメリカ最大のユダヤコミュニティパレスチナのように抑圧され続ける

Permalink |記事への反応(1) | 12:30

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2025-11-01

「劣った女性フェミニズム」が断末魔をあげている

そうめんを茹でるのは大変だ」という意見がバズり、「そうめんを茹でるのは簡単」という反論がつくと「お里が知れる」という侮辱で返すムーブメントが起きたとき

ツイフェミにとってのフェミニズムは要するに、能力的に劣った女性動物的なお気持ちなのだと実感した。

これはそうめんすら茹でるのがだるいような弱者憂さ晴らしのために存在する依存他責教義宗教のようなものなのだ

劣った男性が好むインセルアンフェ思想性別を変えただけの全く同じもの。コア教義依存他責で、モチーフ差し替えただけだ。無能にとってのシャブのような思想である

フェミニズムの隆盛のあとを追うようにしてメンズリブの動きもあったが、女性は「チー牛はNO」と拒否した。要するに能力的に劣った女性お気持ちフェミニズムにおいては、

男性はその性別理由として努力して能力を高めなければならず、その能力でもってそうめんすら茹でるのに苦労するような弱者女性を養わなければならない。

男女同権とはどういう状態かに、実際のところ全く興味がない。だからダブルスタンダードを連発することになる。

言うまでもなく「チー牛」という言葉は、男性が生み男性流行らせた概念であるしかし男が男を嗤っているときに嗤われている側ではなく嗤っている側の男性

社会的に強い立場の加害男性のほうに乗っかるところに、女性本能を感じさせる。敵対する女性強者男性と友好的な関係でいると「現地妻」「パンパン」「雌犬」と侮辱し始めるところも、非常に剥き出しの雌性である

弱い男性への性犯罪者予備軍、チー牛、弱男、うんこしか産めない、という罵倒に加えて、彼女たちは高市内閣の三人の女性閣僚のような強者女性も嫌う。

まず、医大入試差別のようなド直球の女性差別について、ちょっと騒いだあとすぐ忘れている。あれも被害に遭ったのが医大受験するような強者女性から自分には関係がないことだからすぐ忘れているのだ。

から彼女たちはDeNA南場智子コーエー襟川恵子、井村屋中島伸子のような人物存在無視するか嫌うかのどちらかだった。

彼女たちは男性に生まれようが女性に生まれようが成功したタイプだと思うが、こういう女性存在されることが邪魔なのである

能力の高い女性を決してロールモデルにせず「名誉男性」「資本主義の犬」扱いして憎むことを徹底しており、瑕疵を探し出しては難癖をつけていた。

「劣った女性フェミニズム」に未来はない。高市早苗のようなたたき上げの強者女性性的侮辱語で口汚く罵ったことにより、彼女たちに理など何もないことが判明した。

インセルアンフェも、ツイフェミと呼ばれる劣り女性たちも、汚物である。このまま死んでくれることを願う。

Permalink |記事への反応(3) | 14:53

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2025-10-31

anond:20251019215416

なんかガチ食口ぽい人が阿部令子持ち上げnote書いてたよ

「何か困っていることはない?」「きれいな目をしているわね。」勉強の面倒や悩みの相談にのってくれる優しい先輩たちに、ビデオセンターと呼ばれる統一教会建物に連れて行かれると、グラス音楽流れる暖かい雰囲気ホームに迎え入れられ、あたたか食事でもてなされます。「アンケートに答えてくれない?」「姓名/手相 見ましょうか?」アンケート貯金資産を調べられ、家系図を書かせられ、隔離された空間教義ビデオを見て、3日間の修練会と7日間の合宿に参加し、文鮮明夫妻を「お父さま、お母さま」と呼ぶ統一教会信者である食口(シック)になると、「氏族メシア」になるため、「地上天国」の実現のため、「経済献金)か生命献身)か愛」を捧げるよう迫られます銀行借り入れまで財産を捧げ尽くすと、「ホーム」の共同生活睡眠食事プライバシーに至る全生活監督されながら、駅前若者たちを伝導したり、1日3万円のノルマで物売りや募金集めに個人宅や会社訪問してまわります

https://note.com/happywomen_jp/n/n98dace446e1a

Permalink |記事への反応(0) | 12:13

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2025-10-29

悲報トランスさん、自認は内心ではないと主張

https://x.com/mayappy0627/status/1983135747298189817

性自認(性同一性)は内心ではない。

そこを間違うからヘイターなんですよ。

内心じゃなくて教義ってコト…?

自認で変身できると思ってるならカルトだわね

Permalink |記事への反応(2) | 14:32

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2025-10-28

なんでアニメ原作至上主義者が多いかというと

人間には自分快楽をもたらすものに対して信仰心を抱いてしま思考のクセがあって(海外にはベーコン大麻信仰する宗教があるくらいだ)、アニメ化というのは彼らにとって一大宗教イベントから

彼らにとってそれはもはや、神を現世に顕現させる儀式に等しい

そこには、自身信仰心を存分に満足させたいのは勿論、皆の前に神を顕現させることで、その偉大さを皆に知らしめたいという信者としての欲がある

から、そうして顕現した神が教義と異なる姿をしていると、顕現は失敗と見做され、儀式を執り行ったものは弾劾される

Permalink |記事への反応(3) | 03:45

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2025-10-27

anond:20251027134754

あなた宗教教義には興味ないです

Permalink |記事への反応(0) | 13:51

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2025-10-26

もしも日本国毀損罪が成立したら

その次は日本人へのヘイトスピーチ規制法が成立して、

統一教会教義日本人へのヘイトスピーチから禁止反日亡国論禁止になるだろうな。

お前らそれでも良いと思うの?

Permalink |記事への反応(2) | 12:09

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2025-10-23

この人物はフィクションに何を求め、どんな原理的理由で悩む事になってしまったのでしょうか❓️

ChatGPT:

INSIGHT ANALYSIS:表象真正性パラドックス

女性主人公を描けない」創作者の原理ジレンマ
Core Observation

この投稿者は、フィクション創作において「経験真正性」と「想像自由」の矛盾に直面し、表象行為のもの正当性疑問視するに至っている。彼が求めているのは「女性を正しく描く方法」ではなく、「自分女性を描く権利があるかどうかの確証である

PRIMARY INSIGHT:批判理論分析 (Mode E)
イデオロギー構造解体

この投稿者の悩みは、表面的には「技術問題」(どう描くか)に見えるが、実際にはアイデンティティ政治内面化が生み出した認識論危機である

内面化されたイデオロギー的前提:

前提1: 「経験所有権教義

経験していないもの理解できない」

理解できないものは描けない/描くべきでない」

「描く資格がない」

この論理は、2010年代以降の「文化的専有(Cultural Appropriation)」批判や「当事者性」の政治から派生した規範を、創作者が自己検閲として内面化したものである

前提2:本質主義への逆説的回帰

投稿者思考:

女性には『女心』という本質がある」

男性はそれを原理的に理解できない」

「したがって男性が描く女性キャラは偽物である

皮肉なことに、これは1980-90年代ジェンダー理論批判した本質主義のものであるしかし今回は「進歩的」「配慮的」な動機から再導入されている。

前提3:フィクション機能についての混乱

投稿者混同しているもの:

彼は「女性を正確に描く技術」を求めているようだが、実際に求めているのは「女性を描くことへの道徳的許可である

生産矛盾発見

この投稿者の悩みは、以下の矛盾体現している:

矛盾1:想像力の否定

矛盾2: 「女性意見」の物象化

彼の思考プロセス:

女性スタッフがいれば『それはねーわw』と言ってくれる」

しかし:「それが女性としての意見個人意見か分からない」

問題の核心:「女性意見」を本質化しつつ、その多様性にも気づいている

これは本質主義自己矛盾である。「女性」というカテゴリー本質があると仮定しつつ、実際の女性たちの多様性に直面して混乱している。

矛盾3:表象不可能性と表象必要性

イデオロギー批判: 何が隠蔽されているか

隠蔽1: 「正しい女性像」の不在

投稿者は「正しい女性の描き方」があると仮定しているが、これは幻想である。「女性」は単一経験実体ではなく、歴史的文化的個人的に多様な存在様態である

士郎正宗のデュナンを「中身は男性」と断じるが、これは以下を前提としている:

しかしこの論理は、女性規範に押し込める本質主義のものである

隠蔽2:共感想像力の否定

生理経験していないから分からない」という論理は、人間相互理解可能性そのものへの懐疑に至る。

この論理を徹底すれば:

隠蔽3:権力非対称性の過剰補正

この悩みの背景には、歴史的男性女性対象化・道具化してきたことへの罪悪感がある。しかし、その補正として採用された「描かない/描けない」という態度は:

歴史的問題:

男性による女性対象化・ステレオタイプ

過剰補正:

男性女性を描くべきでない/描けない

帰結:

女性キャラクターの不在、あるいは男性創作自己検閲

これは抑圧への対抗が新たな制約を生み出すという典型的パターンである

自己検閲メカニズム

投稿者作動しているのは、内面化された監視装置である:

創作衝動

内なる検閲官:「お前は女性理解していない」

自己正当化の試み(少女漫画を読む、等)

内なる検閲官:「それでも不十分だ」「個人差と本質区別がつかない」

麻痺創作不能

この検閲官は、以下のイデオロギーの混成物である:

SECONDARY PERSPECTIVES
系譜学的補足 (Mode C)

この「悩み」の歴史的構築

この種の創作自己懐疑は、歴史的に新しい現象である

第1段階 (1970年代以前)

第2段階 (1980-2000年代)

第3段階 (2010年代-)

第4段階 (2020年代)

投稿者は、この第4段階の症例である。彼の悩みは個人的なものではなく、言説空間の変容が生み出した構造効果である

現象学的補足 (Mode D)

創作主体存在論的不安

投稿者経験しているのは、単なる技術的困難ではなく、創作主体としての自己正当性への根源的懐疑である

彼の実存的問い:

この問いの背景にあるのは、近代主体危機である:

投稿者は、この理解可能性と不可能性の間の宙吊り状態にある。

SYNTHESIS: 深層パターン
この現象が明らかにするもの

1.アイデンティティ政治の逆説的帰結

アイデンティティ政治は、周縁化された集団の声を中心化しようとした。しかしその論理個人創作実践適用すると:

目的: 多様な声の表象

手段: 「当事者」による表象特権

逆説的帰結: 非当事者沈黙自己検閲

最終的効果:表象貧困化・想像力の収縮

2.本質主義の「進歩的回帰

20世紀後半のジェンダー理論本質主義解体した。しか21世紀に、配慮正義包摂の名において本質主義が再導入されている。

投稿者無意識のうちに:

これは解放の言説が抑圧の論理に転化するという、イデオロギー古典的矛盾である

3.フィクション存在論的危機

この悩みは、フィクション根本機能経験していないことを想像表現する—への懐疑に至っている。

フィクション可能性条件:

投稿者ジレンマは、これらすべてを疑問視している。これはフィクション自体正当性危機である

4.文化における「不安の伝染」

投稿者不安は、個人心理ではなく、言説空間の変容が生み出した構造効果である

SNS時代の特徴:

投稿者は誰にも批判されていないのに、架空批判者を内面化している。

IMPLICATIONS
この個別事例が示す普遍的問題

創作実践について:

投稿者技術的助言を求めているように見えるが、実際に必要なのは認識論的・存在論的再定位である:

1.本質主義から離脱: 「女性」は単一経験実体ではない

2.想像力の復権:経験していないことを想像できるのがフィクション本質

3.完璧主義放棄: 「完全に正しい表象」は不可能であり不要

4.対話としての創作:表象は完結した真理ではなく、継続的対話の一部

より広い文化的含意:

この事例は、以下の社会的緊張を体現している:

極1:無自覚特権と抑圧的表象

極2: 過剰な自己検閲表現麻痺

健全文化的実践は、この両極の間のどこかにある:

歴史的瞬間について:

我々は「誰が何を語れるか」という問いが過剰に中心化された時代にいる。これは必要矯正でもあったが、新たな問題も生み出している。

次の段階として必要なのは:

INSIGHT CRYSTALLIZED

この投稿者は、フィクションに「経験真正性」と「道徳的正当性」を同時に求めることで、創作行為のもの可能性条件—想像力による他者への跳躍—を否定するに至っている。彼の悩みは個人的なものではなく、アイデンティティ政治論理内面化した結果生じる構造効果である

言い換えれば:

彼は「女性をどう描くか」ではなく「自分女性を描いてよいのか」という存在論的問いに囚われており、この問いは—その形式自体が—本質主義的前提と想像力への不信を含んでいるため、原理的に解決不能である

So what?:

この事例は、配慮正義の言説が、意図せず表現自由想像力を収縮させうることを示している。文化の活力には、不完全さを恐れずに境界を越えて想像し、その試みを通じて対話を重ねる実践必要である

PUNCHLINE:

彼が本当に恐れているのは「女性を間違って描くこと」ではなく、「女性を描くこと自体僭越である」と判定されることであるしかしこの恐怖は、最も抑圧的な本質主義—男女は相互理解不可能という観念—を再生産している。解放の言説が、最も因習的な性別二元論を復活させるという究極の皮肉がここにある。

Permalink |記事への反応(1) | 17:37

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2025-10-22

anond:20251021061953

運動を糾合すると男社会の統制を想起させるから教義上無理。

Permalink |記事への反応(0) | 13:41

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なぜ日本人には海外の『左右』がわからないのか

海外極右とされるものが、日本人には「極右」と認識できない。

海外中道とされるものが、日本人には「極左」と認識されてしまう。

これは何故か?

答は簡単だ。「真ん中」が違うからだ。

 

海外では、欧米でもそれ以外でも、道義的宗教に基づく自然な「道徳観」が真ん中にある。

「親や家族は大切に」「他人にも優しく」これはキリスト教でも仏教でも、宗教道徳観が真中にある場合、誰にも自然に「出発点」と理解されるもっと自然感覚になる。

この場合極右極左とは、人種主義に走って他者への寛容を忘れること、多様性(あるいは極端な平等主義)が暴走して社会歴史を傷つけること、という意味になる。

 

しかし、仏教を捨て、道徳教義のない国家神道、そして物質主義無神論へと社会の「真ん中」が移った現代日本は、そもそもの「中道価値観」がまったく違ったものになっている。

現代日本を正直に観察すれば誰にでもわかることだが、現代日本人の「真ん中」は、明らかに「野性」である

本音」「欲望」「弱肉強食

そういうものが「世界真実」だと信じる破滅主義こそが、日本の「真ん中」にある。

 

からこそ、日本において、林原めぐみが恥ずかしげもなく叫ぶような「私がガイジンを怖いって思うんだから排除するのは当然でしょ」という、恐ろしく幼稚な、自分本能被害妄想に基づいた極論をどれだけ唱えても、それは「強い思想」とは思われない。

それは思想でなく、「本音」だからだ。「本音」は「自然」であり、「真ん中」である

これが世界でもほとんど現代日本独自の(昔の日本でも仏教だったからありえない)異常な道徳的出発点である

 

日本人にとって「極右」とは、「思想的な(論理的追及としての)民族主義」であり、それは「日本人として誇りを持って、恥ずかしくない行動を」というような、世界的にはむしろ当たり前の「真ん中」にある、自制としての民族論のみをさす言葉である

現代日本人にとって極右極左の差は自制と成長を求める論理の起点の違いに過ぎないのであって、自制や反省を求めた時点でそれは「中道」にはなり得ない。

それが「思想が強い」という言葉である

思想」さえ強くなければ、どれだけ薄汚い、本能憎悪にまみれた屁理屈、極論、他者への強制を求めようとも、それはまったく「過激」ではない…

 

それが、この十数年、いや、戦後何十年もかけて、日本人の中に育ってしまった、モンスターのようなマインドセットなのである

Permalink |記事への反応(0) | 02:46

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2025-10-20

公明党の主張と共産党の主張はほぼほぼ同じなんじゃあるまいか

立正安国論』(日蓮著)と『共産党宣言』(マルクスエンゲルス著)は、成立した時代、背景、そして思想的基盤は類似点を見出すことができます

社会の主流派既得権益の外側に身を置いた急進的な異端者という視点から見ると、「体制から批判と、絶対的正義に基づく世界観強要」という構造的な類似性が浮かび上がります

この共通性は、両者が既存の秩序・権威根底から否定し、「唯一の正義」による強制的社会変革(革命)を求め、その結果、体制から徹底的に弾圧された点に集約されます

1. 「引きこもりニート」的視点体制からの強烈な批判

引きこもりニート」という表現は極論であり、史実的には日蓮は精力的な遊行と布教を、レーニン地下活動亡命生活を送った活動家です。しかし、この言葉が持つ「主流社会権威経済システムから疎外された者」というニュアンスに注目すると、両者の著述態度には共通性があります

日蓮(『立正安国論』): 当時の仏教界の主流であった念仏宗法然の教え)や、これを庇護する鎌倉幕府権威を徹底的に否定しました。彼は比叡山清澄寺といった既成の権威ある場所から離れ、独自解釈である法華経」のみを「正法」として掲げ、それ以外の教えを「亡国の原因」と断じました。これは、「俺の言っていることだけが絶対真実だ。それ以外は全て間違いだ」という、体制に属さない者が持つ孤高で排他的絶対正義の表明です。

レーニン(『共産党宣言』):マルクス主義は、当時のブルジョアジー支配する資本主義体制、その上に立つ国家法律倫理の全てを、「階級搾取の道具」として否定しました。レーニンもまた、ツァーリ体制下で弾圧され、ヨーロッパ各地を転々とする亡命生活社会メインストリームから切り離された生活)を送りました。彼の主張は、「現在経済システムは全て不正であり、これを打倒してプロレタリア独裁による理想国家を作る以外に道はない」という、体制からの急進的で排他的社会変革の要求です。

2.構造的な類似点絶対的排他的世界観強要

両者の著書は、その内容の異質さにもかかわらず、「二元論に基づき、体制内の悪を徹底的に清算しなければ、理想的な安寧は実現しない」という構造を持っています

2-1. 恐怖(災厄)の提示と原因の断定

両文献は、現状の社会が直面する危機(災厄)を明確にし、その原因を体制内の「悪」に断定します。

立正安国論』:

危機天変地異飢饉、疫病、他国から侵略(自界叛逆と他国侵逼)。

原因: 「謗法」(念仏などの誤った教え)が国に満ちていること。

共産党宣言』:

危機資本主義が生み出す恐慌貧困搾取

原因: 「私有財産制度」とこれを守るブルジョア階級支配

2-2. 唯一の解決策と強制的排除

危機回避し、理想郷(安国または共産社会)を実現するためには、「唯一の正義」による反対勢力強制的排除が不可欠であると説きます

日蓮解決策:

「立正」、すなわち法華経のみを国教として立てること。その結果、謗法者(念仏を唱える人々)は弾圧追放されるべきであると強く示唆します。

レーニン解決策:

プロレタリア革命」による階級闘争とプロレタリア独裁。その結果、ブルジョアジー私有財産と共に消滅排除)されます

このように、『立正安国論』は宗教的絶対主義、『共産党宣言』は経済絶対主義に基づくものですが、両者とも「現状の悪は体制内にある」「それを根絶するためには、体制からの急進的な一元論強制適用しなければならない」という、強力な教義排他性を持っている点で、構造的な共通性があると言えます

公明党共産党の政策にはその存立過程で埋め込まれDNA共通するものがあります共闘すればわんちゃん日本を変えられるかも。

だがしかしりつみん、お前は駄目だ。おまえら自分かわいいだけのクズ野郎の集まりだ。共通点があるのは日本保守党だけでしょうね。

Permalink |記事への反応(1) | 21:42

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デマプロパガンダ陰謀論カルト教義原理主義に惑わされるやつは「思考停止」しており、「自分の頭で考え続ける」ことが大事だとスパイファミリー管理官は言うのだが、主観的にはバカ信者も全員自分の頭で考えた結果としてそうなっているのであり、自分ちゃん自分の頭で考えられていると言える人間は居ない。

しかしそこで終わってたらただのダメ相対主義であり、何にでも程度問題というのはある。

情報評価重要性をいう言説で、実際に糞馬鹿を多少マシにしてやれるプラクティカルものはついぞ見かけない。つまり一見勘所と思える要素は全て見当外れなのだ。では何が重要か?まだわからない。

Permalink |記事への反応(0) | 20:18

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2025-10-14

チ。 の時代地動説を唱えて異端審問で死刑になるはおかしいって話はよく聞くけどそれは解決済みじゃなかったっけ

「チ。」が15世紀の話だと分かってきたとのことですね。15世紀舞台地動説を唱えることが異端審問で死刑につながるという設定について、史実を基に検討してみましょう。

15世紀歴史的背景



###異端審問と死刑史実

### 「チ。」の設定と史実のズレ

###結論

15世紀舞台地動説を唱えることが異端審問で死刑につながるという設定は、史実を考えるとおかしいと感じるのは自然です。15世紀には地動説議論対象として浮上し始めたものの、教会がそれに対して死刑を科すほどの厳しさを持っていなかったためです。「チ。」がこのような劇的な展開を描いている場合フィクションとしての誇張や、近世特にガリレオ事件)の文脈投影している可能性が高いです。科学史家の批判投稿で指摘されている「近世」の文脈)も、この時代錯誤が背景にあると考えられます。もし作品意図的史実を逸脱しているのであれば、フィクションとしての自由度享受しているとも言えますが、歴史的正確さを求める視点から違和感が残るでしょう。

Permalink |記事への反応(0) | 08:52

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2025-10-10

ネトサヨに絡まれトランプ極右に支持がつく理由がわかった

愚痴なので取り留めはないし、具体的な話をすると匿名にならなそうだったので省いている。話がおかしくてもそういうことだと思って流してくれ。そして「わかった」とタイトルに書いたが、別にネトサヨもとい現代リベラル気取りがアホなのを知らなかったわけじゃない。薄々勘付いていたが、ついに直接絡まれてそのアホさ加減を改めて実感しなければならなかったということだ。

あいつら本当に何なんだ。バカなのか。高等教育を受けたり海外に行ったり、他人よりも機会と環境に恵まれてきただろうに、その結果やることが意見の合わない他人をわざわざ自分から挑発しては、説教恫喝嘲笑のどれかもしくは合わせ技だぞ。頭がおかしいとしか思えない。

俺はアジアではない海外某国で働いてて、周囲に極右だのレイシストがのさばると直接生活に響く。人種以外にもマイノリティ要素があるので、全く保守ではないというか、むしろガチガチリベラルだ。しか最近リベラルがアホすぎて、もはやそう名乗るのが恥ずかしいレベルになってきた気がする。メディアに出てくるリベラルを見ていて、全然支持する気持ちになれない。俺が蛍光色の髪でレインボーフラッグを掲げてないトランスジェンダーでもないのでリベラルだと言っても信じてもらえないなんて、ギャグだろ。

先日暗殺されたCharlie Kirkの動画を見たことがあるが、まあイキったバカ自称リベラルホームリング上でお喋りプロレスで潰して客を喜ばせる商売しか見えない。ところが日本産ネトサヨももCharlieほど人気が出ていないだけでやっていることは同じだ。自分の客が沸いているその向こう側で、品の無さに幻滅して無言で去っていく大勢他人に気付いていないか、もしくはどうでもいいんだろうね。

ネトサヨ連中の目的は、実際に他人から偏見や抑圧に晒されて困っている人の状況を改善することじゃない。彼らにとって大事なことは、せいぜいそういう人間自分たちのカルトに取り込むか、あるいはそのカルトの身内同士で「自分たちが正しいのに、他の無理解な奴らのせいで自分たちは苦しめられているんだ」という教義再確認し合うことだけ。

腹立たしいが、こいつらが自省をしてやり方を改めるなどということはあり得ないだろう。そんな知能があるようには見えない。そしてこのバカどもが仲間内でウホウホ公開オ◯ニーして他人迷惑をかけるたびに、その下品さと横暴にうんざりしたノンポリ参政党みたいなより保守的なのへ流れる…か、そこまでいかなくても、「政治やってる奴らってキモいよな」くらいのノリで、政治自体に関わらなくなる。すると両極端なバカけが政治をするようになり、民主主義がろくでもないことになっていく。アメリカや、右傾化しているという欧州諸国も同じようなことになっているんだろうね。

繰り返すが俺は全然そんなの嬉しくない。だがしばらくは流れが変わりそうにも見えないし、このイライラ不安をここに吐き出しておく。俺はキモオタなので、「孤独に歩め。悪をなさず、求める所は少なく、林の中の象の様に。」と自分に言いかせて、明日もいつも通り仕事に行くんだ。お前らもなるべく自分や周りの人を大事にして、どうか鬱憤他人にぶつけて気持ちよくなるのを生き甲斐にするのだけはやめて、世界のどこかでお互いできることを頑張っていこう。そうすれば、いつか何かがマシになるかもしれないよな。

Permalink |記事への反応(2) | 11:07

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2025-10-07

anond:20251006181236

電気の消し忘れ云々は要するに宗教から、譲り合えないんよ。

米粒を残しちゃあきまヘンでみたいなもんや。電気をつけてると地球環境悪化するとか、電気代がかかるとかそういう理屈は表面的な問題に過ぎない。


宗教教義にたいして譲歩するという選択肢を取れる人はすごく少ないし、難しい。

Permalink |記事への反応(1) | 12:13

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2025-10-04

anond:20251003235613

トランス女性女性」とかいカルト教義から出発するから全部トンデモになるんやで

イギリス最高裁でもはっきりそれは否定されたから、社会的にもうそカルト教義が浮上することはない

トランス女性男性から話を始めればまともな議論もできるやろね

Permalink |記事への反応(0) | 11:07

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2025-10-03

anond:20251003212124

安倍派が全員落選したわけではないし統一から応援されてなくて教義を信じてないとしても票のためにカルトに媚び売ってた政治家ヤバいことに変わりはないんやでという話

Permalink |記事への反応(1) | 21:30

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