
はてなキーワード:故事とは
あるとき、呉楚国境の村で小さな争いから国の運命をかけた戦争へと発展する事件が起きた。その村では養蚕(ようさん)が盛んであったため、蚕の餌となる桑の葉を大量に必要としていた。そのため、辺りには桑の木がたくさん生えていたが、呉の村の子供と楚の村の子供がこの桑の葉を争って喧嘩を始めた。それが子供の親同士の喧嘩に発展し、呉の村の親が負けて家を焼かれた。これに村を統治している郡主は警備兵を出して村を攻め立てた。この報を受けた平王は怒り、国軍を出して村を全滅させた。呉の村が滅ぼされたのを聞いた僚は激怒して国境の居巣と鍾離を攻め落とした。さらに州来まで進撃したため、楚も武将の蔿越を派遣してこれを迎え撃った。
春秋五覇で知られる呉王闔閭の前の呉王の時代の話。楚の平王といえば暴虐で知られ伍子胥の「死屍に鞭を打つ」故事の元になった人物。この事件を機に楚は一度滅亡寸前まで追い詰められた。
故事や文学の一部分を引用・改変してネタツイートすることを教養だとXで呼ぶようになってもう長くなった。Xはイーロン・マスクの言うように「対戦型SNS」なわけであるから仕方ないと思うが、レスバトルに教養を持ち出すのはあまりにも低俗じゃないかと思ってしまう。
教養という言葉は原義的には学問、幅広い知識、精神の修養を通じて得られる創造的活力あ心の豊かさ、物事に対する理解力(コトバンクより)という意味を持つ。これに照らし合わせたら、あまりにも現在のネット教養的なものは表面的でかつ衒学的ではないか。あくまでも教養は人生経験から滲み出てくるのであって、ネットオタクが見てきたものを適当に改変するものではないのではないだろうか。
教養というものを自分の知性を誇示するためのアクセサリーに知識を使うのではなく、自分についての問い等に内面的に用いるような世界に戻っていくことを願うばかりである。ただし、増田自身もこの場で教養をひけらかしているという点で、この行為が衒学的であることは自覚しているし、その点で人間総衒学者化からは逃れられないことに絶望している。
どう生きていくべきなんだろうか。
「叩き台」という言葉が通じなくて笑われたみたいな話が話がネットでバズってたけど、あらためて考えると「叩き台」という言葉はけっこう面白い。
叩き台とはどんな台で、一体何を叩いているのか。
辞書には「(バナナなどの)たたき売りの際に使う台。転じて俗用で、今後、審議・検討する原案となるもの」とあるので、台のほうは叩き売りに使う台で良さそうだ。
そうなると、なんでバナナの叩き売りに使う台が原案という意味になるのかという話になる。
これについては、そもそも、叩く(敲く)という言葉に批判検討という意味があるということを知らないと分からない。
叩くが批判検討だから、叩き台が批判検討するのための原案になるわけだ。
(ネットで叩かれるの「叩く」も、もともとは、袋叩きではなく批判されているというほうの叩くだったのかもしれない)
叩き台の話は、まだ掘り下げられる。
じゃあ、なんで叩く(敲く)が批判検討なのかというと、おそらく「推敲」の故事に由来する。
推敲は文章を練り上げることだけど、昔の中国の詩人が「戸を叩いた」と書こうか「戸を押し開けた」と書こうか迷ったところから来ているらしい。
つまり叩いていたのは、もともとはドアだったのか。
私生活はいつもマスコミに晒され、今時公務員なんてやってるボンクラ共が持ってきたゴミみたいな仕事に決裁をし、ありとあらゆる責任を取らされ、別に給料が良いというわけでもなく、既にゴールを決められた状態で書類がやってくるから決定権は見かけよりずっと少なく、それでいて何かが起きるたびに「ロバを売りに行く親子」の故事の如く様々な方面から嫌味を言われ、得をしたはずの練習はすぐに「これぐらいは当たり前」と考え、結局はほとんど感謝もされないままに地域住民から嫌われ、そしてどこまで逃げても中途半端な名声がついてきて、頭のおかしくなった負け組から八つ当たりされて心を病む余生が待ってる。
そういった立場に対して社会が与えられる数少ない特権が「パワハラの容認」と「お持たせ」だったはずでは?
なんのメリットもなくなったらいよいよマトモな人が首長になることはなくなるでしょ。