
はてなキーワード:政教分離とは
「公金チューチュー」が「憲法違反である」と断定するには、その行為が日本国憲法第89条に定められた「公の支配に属しない」慈善、教育、博愛の事業への公金支出にあたるかどうかの判断が必要ですが、多くの場合、公的資金が宗教団体や公の支配に属さない私的団体へ流れることは政教分離原則に反し、憲法違反と判断される可能性があります。憲法89条は、公金を特定の目的以外に支出することを禁じており、これは政教分離の原則を財政面で支える条文です。
公の財産は、宗教上の組織や団体、あるいは公の支配に属さない慈善、教育、博愛の事業には、原則として支出してはならないと規定しています。
この条項は、憲法20条に示された政教分離の原則を公的資金の支出に具体的に適用するものであり、国が特定の宗教に依拠したり、特定の団体を優遇することを防ぎます。
「公金チューチュー」が何を指すかによりますが、もしそれが、国や自治体が憲法89条に反して宗教団体や、国が直接管理していない私的な教育・慈善事業に公金(税金)を支出している状態を指すのであれば、憲法違反となる可能性があります。
支出の対象となる事業が、憲法上の「公の支配に属する」と判断できるかどうかは重要な争点となります。公の支配に属さない場合、その事業への公金支出は憲法違反と判断されやすくなります。
宗教団体への支出は、政教分離原則の観点から憲法89条に抵触する可能性が非常に高いです。
ブコメ「合祀対象者の名簿は厚生労働省の管理下なので、まずこれが憲法違反だろう」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250117/k10014696001000.html
「国による戦没者名簿の提供は政教分離の原則に違反する」として国などに賠償を求めました。1審、2審ともに訴えを退け、遺族側が上告していました。」
このニュースなんですがね
自民党の総裁選で林芳正氏が靖国神社のA級戦犯分祀について言及してはてなー達は諸手を挙げて賛成賛成と言ってますが、待ってほしいこれ憲法違反なのでは?
当たり前ながら我が国の憲法で信教の自由を保証されています。宗教法人によって運営されている以上は総理大臣がA級戦犯分祀の介入することになり、信教の自由を侵すことになります。
自民党総裁になり総理大臣になろうとしてる男が言及するような発言ではなく明確な宗教法人への圧力。ちょっと私は賛成できません。
再び靖国神社を国の管理下に置くなら話は変わってきますが、政教分離の観点から難しいでしょうし、そちらの方が海外諸国の反発がありそうな気がしなくもないからやれないでしょう。
https://www.sankei.com/article/20250928-U3QTYWDECNJTNAUJBT2BANU3ZI/
自民・高市早苗氏、A級戦犯の分祀に否定的見解 「立法府の手続きを経て祀られている」
について調べてみました。
https://www.nippon.com/ja/in-depth/a02404/
ざっくりいうと、旧陸海軍省が行っていた、戦死者を靖国神社へ祀るようにお願いする作業(祭神名票というらしい)を戦後、厚生省が行うようになった(引揚援護局→援護局)。
とはいえ、靖国への連絡は法で定められたものではなかった。そういう法は見当たらない。
法律らしいものといえば戦傷病者戦没者遺族等援護法くらいだけど、当然靖国神社の記述はない。
靖国合祀に関する厚生省の事務協力や自治体宛通知はあったそうだけど政教分離に付いての懸念から「厚生省は1971年2月、1956~70年の「合祀事務協力に関する諸通知は、廃止する」との都道府県宛通知を出している」。
そんなところですかね。
ブコメにもあったけど
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b166167.htm
イスラム教徒へ対応した給食を出すことに反対する人たちの最後の砦が政教分離の原則である
教育基本法 第15条
とされている
正直、人によって判断が分かれると思う
給食の理念は、児童の心身の健全な発達を目指すものであるから政教分離の原則を徹底した結果
特定の児童の生育が阻害されてしまう方が問題であると判断される可能性もある
イスラム教徒へ対応した給食を出すことはプラスではなく、マイナスからのゼロ
マイナスからゼロの分だけ加算、援助されているではないかとも思うが憲法が目指すところは、みんなゼロなので何とも言えない
あと、他の宗教にも対応しないといけなくなるぞ的な脅しがあるが、既に、ヒンドゥー教に対応した給食を出している学校がある
また、イスラム教徒を優先してアレルギーの子には対応しないというのは、あり得ない
イスラム教徒へ対応した給食を出すには、食物アレルギー対応レベル3(除去食、問題となる食物を最終的に取り除く)以上が必要
普通にカレーを作って最後に人参を抜くみたいな話、もちろん、そんな単純ではないが
アレルギーの子は人参を抜く、イスラム教徒はジャガイモを抜くみたいな対応である
「にこにこ食堂」の場合、この個々に除去する施設やリソースを持っていないがためにカレーにジャガイモを入れずに提供した
栄養という点からもこんなことは続けられないので限定で行われた訳
イスラム教徒のためにずっとこんなことをやっていたら他の生徒の生育が阻害されてしまう
このレベル3以上の対応ができる学校というのは、非常に限られているのが現状でアレルギーの子もイスラム教徒も弁当が基本
イスラム教徒へ対応するか否かは、アレルギーの子への対応を広げるか否かなのでアレルギーの子に対応出来ない所はイスラム教へも対応出来ない
近代国家において「宗教」と「政治」は切り離すべき領域だと広く認識されてきた。フランスのライシテやアメリカ合衆国の政教分離原則は、その象徴的な制度だ。しかし現実には、国家が宗教性を色濃く帯びることは今なお存在する。たとえばイスラエルは「ユダヤ人の国家」として建国され、その宗教的アイデンティティが国家運営に深く関与している。そして日本においても、天皇や皇族という存在が、神道との結びつきを歴史的に内包している。
両国のケースは、一見異なるようでいて共通の危うさを抱えている。
イスラエルは「ユダヤ民族の歴史的故郷」として建国を宣言した。その根拠には旧約聖書の物語や宗教的伝統が強く関わっている。結果として、ユダヤ教徒以外の市民──特にアラブ系住民──は建国以来、周縁化されてきた。宗教を国家の中核に据えることは、必然的に「誰が正統な国民か」を宗教的アイデンティティで線引きすることにつながり、多様な共同体の共存を困難にしている。
日本は1945年の敗戦後、天皇を「現人神」から「象徴」へと位置付け直した。表向きは政教分離を徹底しているが、皇室祭祀や伊勢神宮との結びつきが示すように、天皇制には神道的要素が色濃く残る。仮に「日本国は神道を基盤とする」と明言するような事態になれば、他宗教を信仰する市民や無宗教の人々を事実上「周縁化」するリスクがある。
イスラエルにおけるユダヤ人国家法(2018年制定)は、ヘブライ語を唯一の公用語と定め、ユダヤ民族の自決権を強調するものだった。この法律はイスラエル国籍を持ちながらもユダヤ人でない人々に対し、「あなた方はこの国の中心ではない」と突きつけるものだと批判されている。
同様の構図は日本にも潜在する。もし天皇や皇族の存在を「日本人らしさの源泉」として国民統合の基盤に据えるならば、移民や在日外国人、さらには信仰を持たない人々は「純粋な日本人」から外される恐れがある。歴史的に見ても、国家と宗教を結び付ける発想はナショナリズムと結びつきやすく、結果的に差別や排除を強化してしまう。
21世紀の国家に求められるのは、宗教や民族に依存しない「普遍的な統治原理」である。イスラエルがユダヤ国家として存続する限り、中東和平は根本的に難しい。日本においても、皇族を「伝統」として尊重しつつも、その存在を国民統合の根拠にすることは避けるべきだ。象徴は象徴として文化的に位置付け、政治や宗教的正統性と結びつけないことこそ、民主主義の成熟に必要な姿勢である。
国家が宗教を掲げれば掲げるほど、国民の多様性は軽視される。多元性を守ることが、世界の安定と平和のために欠かせない。日本が未来に向けて歩むべき道は、皇室の宗教的役割を強調することではなく、むしろそれを歴史的文化の一部として相対化することだろう。
イスラエルのように「宗教と民族を国家の根拠に据える」ことが、いかに差別や対立を生み出すかは歴史が示している。そして日本において、皇族という存在はその危うさを内包した制度の名残に他ならない。たとえ「象徴」としての立場に矮小化されているとはいえ、その根底には神道的な神聖性や「国民統合の中心」という曖昧な宗教的正統性が張り付いている。
この仕組みを温存する限り、日本は「国体」や「民族の純粋性」といった古いナショナリズムを再燃させる危険を常に抱えることになる。民主主義国家において必要なのは、あくまで国民一人ひとりの自由と平等であり、世襲的な権威や宗教的象徴ではない。
だからこそ、最終的には皇族制度そのものを廃止していくべきである。文化的伝統として歴史を学ぶことは尊重されるべきだが、それを現行の制度として維持する必要はない。むしろ「象徴」として残していること自体が、国家と宗教を再び接続してしまう可能性を温存している。
皇族廃止は「伝統の破壊」ではなく、むしろ多様性と民主主義を守るための必然的な選択である。日本が未来に進むためには、宗教的正統性に依存した統治の残滓を整理し、国民の平等を本当の意味で保障する体制へと移行することが求められている。
日本の終わりの始まりっつーか、海外でも始まってることがついにこの国でも始まったんだろう。イギリスもアメリカもドイツもこういう極端なバカでかい声が選挙で勝って、結果国ごと無事に沈んでいく。
都民の頭はどうなってんのマジで……、あんな見るからに嘘泣きの女に引っかかって、今までよく無事に生きてこられたな? 美人局なんてやる方も悪いが、引っかかる方がもっとおかしいんだぞ。
といいつつ自分の住んでる選挙区もオレンジがとりました。マジで勘弁して欲しい。かわりにどこが負けたかというと、公明だ。創価パワーはどこいったよ。
その昔、創価=公明党は当然とされていて、どちらも社会の嫌われ者だった。折伏ってのが流行りまくって、信者(勧誘員)は蛇蝎の如く嫌われていた。俺の実家の近くにはU一家という小学生のガキからジジイまで家族全員創価に染まった連中がいて、選挙がある時もない時も近所の家を回ってイケダセンセーの教えと聖教新聞の押し売りと公明党の宣伝を欠かさなかった。
小学生のUは同級生だったが、創価の教えは関係なくセコくて意地汚いやつとして嫌われていた。U家では毎月決まった日に近隣の信者を集めて家の外まで響くお題目を唱えて騒音問題を引き起こし、我が家を含めて関わりを持たないように遠巻きにされていた。
最近の公明党は(もともと政教分離を掲げていたとはいえ)、=創価ではないというアピールを始めている。実際公明党が選挙のたびに掲げる政策は創価の信者が特別利するような内容でもなく、ほんのりリベラルに近い。何かと極右に走りがちな一部自民の歯止めにすらなっている。一部の高市とか高市とか高市みたいなウヨの姫をただの変なおばさんで留めてくれているのは、公明のおかげまである。
が、あまりにも創価信者の過去のやらかしのイメージが悪すぎて公明党に人気がない。選挙のたびに投票所に近所の人を連れ出すような元気のある信者も少ない。それで参政党に負けたんじゃないかと思う。
さっさと公明党は、そうはいかんざきの時代は間違っていたと認めるべきである。関係が全くないとは言い切れなくとも、過去の折伏も含めて創価の活動はおかしかった、と自己批判の一つでもしていれば結果は少しは違っていたかもしれない。そうすれば我が神奈川で厚顔無恥にして頭Z、元警視庁の参政党員なんてあたおかが当選することはなかったはずである。
ちなみにUは父親が亡くなってから家に来る信者も減って、今はカツカツの暮らしらしい。お題目を唱えても安倍は生き返らなかったし、過去のやらかしのせいでUはやっぱり今も地元では嫌われているしこの先もずっと変わらないだろう。
参政党が止められないなら、せめてUのような信者だけでも救ってやってほしいもんだ。子供の頃から何もかも犠牲にして地域の嫌われ者になって、結果まったく救われないとかあまりにも心がない。
なんてことを思った。
https://anond.hatelabo.jp/20250722002739
元増田の中段以降の各首相の支持率変動は以下のような感じなのでリンクさせてもらう
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何やったのか当時の反応を含め記憶が曖昧なので内閣支持率を元にトピックスを書きだした。
前月と比較して7%以上内閣支持率の増減があったときのみ書き出した。
5%増減だと時事を調べるのが面倒で無理だった為。
今まで書いたのは、2022年8月、2023年11月、2024年11月。今回は9カ月分を追記。
トピックス以外の雰囲気を掴む為、次のようなものも合わせて記す。(適当に作った)
内閣支持率の出典
https://www.nhk.or.jp/bunken/yoron/political/1998.html