
はてなキーワード:放射能汚染とは
漫画出版業界の現状に強い異議を唱える佐藤秀峰に同調し、自著を佐藤の漫画販売サイト「漫画onWeb」に出展したり、対談を行うなどした。2011年、『漫画アクション』にて佐藤の原作で「ボクマン」の連載を開始するが、権利関係で揉め、3話で終了した[4]。
同年、東日本大震災に伴う原発事故をきっかけに、漫画家としての第一線を退き、元町と共に東京から三重県紀北町に転居した。
http://toki55.blog10.fc2.com/blog-entry-238.html#more
大きな理由は、もちろん、2011年3月11日の震災による福島第1原子力発電所の損壊で発生し続けている放射能汚染です。
原子力発電所至近の土地はもちろんのこと、東京も、安心して住み続けることが難しいと判断しました。
妻も同様に漫画家です。
今の仕事の体制を維持することを前提としながら、夫婦で移住します。
通常はこのサイト(ブログ)は、「漫画家・一色登希彦」の広報目的で運用しているのですが、今回の東京離脱・移住表明は、漫画家としての私たちをご存じない方にも伝えたいものです。
どのような方に伝えたいか。
福島を離れたいけれど、迷っている人
福島に留まる決心をしたいけれど、迷っている人
このような、今現在迷っている人に向けて、同じように迷って、結論して、行動に至った過程を伝えたい。
何を根拠にどのように考え、実際にどのように動いているのか、動いたのか。
逆に、すでに迷い無く避難した人。
今の場所に、少なくとも今の所は、留まる事を選んだ人。
そのような方には、無用の表明だと思って下さい。
そうしたことや、いくつかの理由から、明日以降アップする予定の一連のエントリーに関しては読んで下さる方を限ろうと思います。
どのような方法にしようかあれこれ考えたのですが、「東京離脱」のブログエントリーは、当ブログ初めて、ブロマガ(有料・課金制)の設定とします。
書き連ねるうちに、自分や周囲の方たちの私的な状況の記述も含めて、不特定多数の方に自由に読んでいただくには、あまりにものっぴきならない内容と分量になりました。
これから表明しようとする文章は、自由にどなたにでも読んでいただいて、その結果の反応や反響にすべて責任が取れるような内容にはとどまっていません。
日頃、漫画家としての一色登希彦にご興味いただいて色々読んで下さっている方にとって無条件に面白いものでもないと思います。
それでも、このような「狼狽と憤りと逡巡と決断」の記述を必要としている人がいるはずです。
それは、ほんの、ひとり、ふたり、かも知れないけれど、いることがわかります。
そうした方に読んでいただけたらいい。
他ならぬ自分が、このような決断に至るまでに、「あの人がこんな風に離れた」という話を必要としていたように。
今、まさに離脱・移住作業進行中の我々に、何が起きていてどのようなことになっているのか、何を考えて決断に至ったのか、書き綴ります。
月ごとに定額715円でひと月購読出来る形式です。
5月以前の3月からの事柄に関しては、記録と記憶をさかのぼって書き進め、分量がまとまった時点でアップします。
読んで下さった方からのご意見ご質問があれば、可能な限りでお答えし、そこから記述を展開することも考えています。
僕は、311前/311後、という括り方を逃れて自分の世界を見渡すことは出来ません。
本来は事前にお知らせ差し上げるべき所だったかもしれませんが、なにぶんもれなくお伝えする事がかないません。
むしろ、誰にお知らせし、誰にお知らせしないのか、という不義理となるばかりだと考え、実際に事前にお知らせしたのは、ほとんど、親兄弟といったごく近い身内と、進行中の仕事上のお相手(つまり我々の場合は出版社の編集さん)だけでした。
ここで多くの方にお知らせするのと同時か、以後随時、お伝えしてゆく事になります。
それでも、自分に可能な限り早いタイミングで、多くいると考える、動こうかどうか迷っている人、に向けて、自分は動いてみます、と伝えようと思いました。
──大震災から十年以上が経過したものの、某村跡地は放射能汚染の影響をおそれて長らく人の立ち入らない場所となっていた。
男がまず着手したのは金三角地帯から芥子を育てる専門家を招聘したことだ。農業の知識を十分に持つ男は「0円」の土地を生まれ変わらせようと考えた。なにせ芥子を有り難がる人間などは放射能汚染などは意に介さない。陸続きで侵入が容易く、かつ外の世界からの来訪者はまず訪れようとは思えず警察組織の手が及ばない某村の跡地はモエイ川の流域とは地政学上で双子のように似通い、ましてそこは表向きにはクリーンなイメージを持った男が放射能汚染かまわず復興させようとしているようにしか見えない、金三角のアウトロー達や裏で手を引く某党関係者にはきわめて都合の良い場所だった。
次に男が着手したのはオンラインカジノの建設だ。客が訪れることを想定しないオンラインカジノとはいえ現在の主流はディーラーのライブ配信による勝負である。つまりディーラーが配信するための「スタジオ」が必要になる。男はその出自から建設の知識もあり、さらに配信のスタジオといえばメディアで活躍する男にとってはメインのフィールドである。
オンラインカジノができあがればオンラインカジノに人をおびき寄せるための闇バイトが暮らす「ムラ」づくりだ──SNSでは、闇バイトの勧誘がしきりに行われていた。安全で稼げるという触れ込みに加えて、とりわけ木曜日の夜には高級レストランの食事に無料でありつけるという催し物が行われるのが殺し文句だ。しかしここはアウトローたちのムラでありそんな単純な福利厚生があるはずはない。数人1組にした闇バイト達には料理の値段を言い当てさせ、最も外したものが料理の代金を支払う……当然闇バイトには支払えるはずもなく、その分のツケはただ働きというタコ部屋のスキームというのがその実態だ。
某村跡地には金三角のやり方と男の経歴とが絶妙に噛み合い、現代の地獄が産み出されようとしていた──。
予告やOPで出ていたタヌキ家族の初顔見せ回、想定を軽く上回る強烈さでした。
タヌキ星人の故郷の星の「ナワバリ争いで環境破壊が進み自分たちが住めなくなってしまった」という説明、旧来のSFものの題材でいうと国家間の確執と核戦争による放射能汚染のモチーフがすぐ思い浮かびますが、抽象化アレンジがうまく、「何が起きたか」を言葉での説明でなくタヌキの生態としてシナリオ展開に織り込んで体感として伝えてくる上手さが際立ちます。
視覚や嗅覚に訴えて説得力が段違いな上に、「ナワバリ争い」という抽象化の段階を踏まえているため、往年の核戦争放射能汚染や重工業による環境破壊といった手垢のついた話に留まらず、近年の経済圏衝突を巡っての、経済影響力拡張に沿う形で歪んで拡大していく環境破壊まで類推の範囲が広がり、現代性ある話になっています。
人類が未知のウィルスによるパンデミックで地球を捨てた一方で代わりにやってきた異星人が自らの環境破壊で故郷を捨てた存在であるのは、全方位的な目配りなのか、何か意識した狙いがあるのか
ポン子とフグリの大騒動は古典的なアニメーションの方法論を踏まえて全力で暴れさせており、演出がロジカルな組み立てで構成されてるのを強く感じます。あのロビーでやれそうなことは全部やる、やり尽くすという力を込めたシーンで、模範的演出という意味で教科書的ですらある。
ヤチヨさんの竹本泉原案から大きく崩した表情ですが、金﨑貴臣ぽさに加えてガイナックスぽさも参加してきており、監督の経歴を追いかけているようです。
ED後のシーンについてですが、3話目でようやくテーマに対しこちらの理解が追い付いてきた気がします。OP曲の不協和音と不穏なダンス演出、それがそのまま作品の演出テーマなのでしょう。
おさまりの良い既存の単語、それこそ「竹本泉」、「ポストアポカリプスもの」、等々の「理解」に沿うことなく、意識的にノイズを取り込み、安定から外れた危うさと付き合いながら壊れない一歩手前を探るようにして均衡点を目指していく。一言で説明して終わらせたい今どきからはっきりと背を向けた作り、ということかと思います。反応する側もどう反応していいか躊躇する(どう脊髄反射を返すのか学習できないので)、骨太な作風、と言っていいのではないでしょうか
才覚でナチスと共産主義の嵐を生きぬいた給仕のお話。経験から相手の本質を見抜き、最高のサービスをする、ってのは序盤だけで、あとは東欧諸国の悲惨な歴史の中で話が進む……はずなんだが、文章全体にユーモアが漂っていて、ナチス政権下でも結構いい思いをしていて、「歴史をこんな風に扱っていいのか?」とその大胆さに驚かされる。当事者だからいいのか? いや、そんなことはないのか? 最近は意外なことで炎上したり叩かれたりするので何もわからん(なんか、アジア人のふりをして小説を書いたらバズって、そのままアジア人のふりをする羽目になる、みたいなキャンセルカルチャーをネタにしたアメリカの風刺文学があった気がするんだが、思い出せない。キーワードで検索しても新しい価値観についていけないで炎上しちゃう六十代教授の出てくるアベル・カンタン「エタンプの預言者」という別の文学しか出てこない。で、pretending to be an Asianでググってやっと見つけた。R. F. KuangのYellowface」。洋書だった。たぶんどっかの文芸評論家が紹介してたんだろう)。
関係ないけど、ナチスが優秀な子孫を作るための女性たちのためのキャンプ、ヌーディストの楽園のような外見を持っていながら(いや、記憶違いかも)発想がそもそも家畜改良みたいで、恐ろしすぎて「これは露悪的なSFか?」ってなる。しかし、殺戮こそしていないものの、今では人権意識の高いとされる北欧諸国でも、かつては平気で障害者や異民族の断種が行われていたのだ。Whataboutismは建設的議論にとっては有害だが、人間の原始的感情に訴えかける強い説得力を持つ。「確かに俺も悪かったけど、お前にだけは言われたくねえよ」的なね。結局、政治は感情で動く。
話を戻せば、この作品は映画にもなっているらしい。というか、このエントリ全体で映像化された作品が結構あるらしいのだが、全然見ていない。
ポーランドとアフリカって接点があると普段はほとんど考えないのだけれど、きわめてよいルポタージュ。こうして独立してから何十年経つのに、アフリカ諸国とひとくくりにされがちな国々の個性を伝えてくれる。
しかし、出来事は基本的に救いがない。人類史の多くは悲惨の連続だが、アフリカで起きたことは桁の振れ幅が一つ違う。世界経済システムとの不幸すぎる出会いから五百年余り、まだ立ち直れていない大陸という印象を持った。とはいえ、暗澹たるルポタージュと言うわけでもなく、人々が村の中心の樹々に集まって生活するところや、市場の活気などは生命力にあふれ、まるでそこで暮らす人々の顔が浮かぶようだ。破綻した国家の状態は目を覆うようだが、そこから復興して何とかやっている人々の姿もある。……と、当時の日記に書いてあった。
ところで、ヘミングウェイはよくアフリカに狩猟に出掛けているけれども、それは所詮旅行者の目で、上っ面でしかないと批判しているのがこの本だった。そう思っていたのだが、日記を読み返すとそれはポール・セロー「ダーク・スター・サファリ」だった。著者はマラウイとウガンダで教鞭をとっていただけあって、アフリカに対して遠慮が無く極めて率直だ。時として情のこもった叱責や、人々へのまっすぐな好意も出る。きれいごとのないアフリカを知りたい人にオススメ。
遅延する電車、かつての豊かな文化と個性を失い広大なスラムと化したそれぞれの国の首都、高い失業率、飢餓、地元民のやる気を削ぐ支援、窃盗や強盗と犯人へのリンチ、放置されて本が残っていない図書館。親切な人や旧友もたくさん出てくるがいささか気が滅入ってくる。……と、当時の日記に書いてあった。
今はスマホも普及していてアフリカの様子も少なくとも都市部では大分違うと思う。ただし高野秀行は今でも地方の市場では窃盗が起きると犯人がリンチされると書いていた。
沈没事故で船を見捨てた船員が、延々と続く良心の呵責に苦しみもがいて生きる話だったはず。
試練に敗れ、卑怯者のレッテルを貼られた人物の独白を、別の語り手を通じて聞くという不思議な構成だけれど、緊迫感が良い。最後には西欧世界の手の届かないところに引っ込んでしまうんだけれど、これって著者の中で「闇の奥」をどのように発展させてここに至ったのだろう。「闇の奥」の内容をあまり覚えていないので困る。語り手が「闇の奥」と同一人物だと全然気づかなかった。やはり覚えていないのは心細い。これは、たとえ敵意ある世界から逃れても……、的な話なのだろうか。……と、日記に書いてあった。「黒檀」と違い、こちらは日記を読み返しても当時の気持ちはほとんどよみがえってこなかった。
この全集では最重要作品かもしれないのだが、実はこの作品だけ読めていない(だからこのエントリのタイトルは「理系が池澤夏樹の世界文学全集を全部読んだから五段階評価する」ではない)。何かで水俣病患者が苦しみながら「これを垂れ流した企業の連中にメチル水銀の汚染水を飲んでもらいたい」と心の底から呪っていたというのを読み、これほどの憎悪を自分の中に受け止めるだけのエネルギーが無いと感じたためだ。もしかしたら社員だけでなく、その家族にも呪詛を向けていたかもしれない。記憶にない。あるいは、これはどこにも書いていないのだが、本当はこうして水俣病にかからなかった全ての人に向いていたのかも。
こういうことを言うと結局自国中心主義なのかと言われるかもしれないが、それをはっきりと自覚したのが石黒達昌「或る一日」を読んだ時だ(伴名練が編集した短編集がある)。戦争か事故かはわからないが、強烈な放射能汚染で次々に子どもが死んでいく話で、読んでいて相当しんどかったのだが、特にきつかったのは名前が「美優」とか「翔」みたいに死んでいくのが現代の日本の子どもの(それとも自分と同世代の人間の?)名前だった点だ。おそらく「亀吉」や「トメ子」だともっと冷静に読めただろうし、「サッダーム」とか「ウルスラ」とかだったらかなり距離ができる。
僕がこうして世界文学を読めていたのも、他人の苦しみが言語と文化の壁によって希釈できているからでは、という疑念を僕に抱かせるに至った。
今にして振り返れば錚々たる作家ばかりだし、気に入った作家の(あるいは、ドナルド・バーセルミみたいによくわからなかった作家の)短編集を借りて読んだりもした(バーセルミは結局全然わからなかった)。一方で、後になって適当に手に取った本の作者だったと後で気づくこともあった。当たりはずれがあるのがアンソロジーの楽しみである。
フリオ・コルタサル「南部高速道路」は東日本大震災の際に、災害時にできるコミュニティに関連して話題になったが、震災を知らない世代にも刺さる普遍性があるコルタサルの作品の中で一番面白いものの一つ。金達寿「朴達の裁判」は前提となる知識をほとんど知らずに読んだのだが、したたかに生きる庶民の話で、吉四六ばなしとひがみ根性のない「阿Q正伝」を足して割らない印象を受けた。官憲に殴られて卑屈に笑ってみせても、決してへこたれることのない強さがある。アリステア・マクラウド「冬の犬」は悲しいけどいい。この人の作品は何を読んでもカナダ東部の寒さが伝わってくる。新潮クレスト・ブックスで出ているので是非読んでほしい。レイモンド・カーヴァー「ささやかだけれど、役にたつこと」はわざとらしいが嫌いじゃない。村上春樹訳だ。最近の村上春樹は一つの権威になっちゃってとうとう早稲田の名誉博士にまでなって、「俺たちの反体制な村上はどこに行っちまったんだ」みたいな気持ちになるが、翻訳は好きで、いまだに村上訳の本をたまに手に取る。それに、村上春樹の小説は男性中心的でときどきレイモンド・チャンドラーみたいにマッチョだとはいえ、「メンヘラ」という言葉が広まるはるか前にもかかわらず、メンタルの病気で苦しむ人の描写の解像度が、身近にたくさんいたんじゃないかってくらい極めて高い。彼の最大の美点だ。もっとも、今では精神を病んだ当事者の文学が出てきたので、「じゃあ当事者が書いた作品を超えるにはどうしたらいい?」ってのが次の文学の課題だ。ガーダ・アル=サンマーン「猫の首を刎ねる」は、フランスに移住したアラブ系の青年が、男にとって都合のいい女がどれほど魅力的かを語ってくる叔母の幻影に悩まされる話で(たとえば恋する女性がもう処女じゃないことに苦しむと、脳内の叔母が「かわいくて素直で恥じらいのある処女を紹介するよ」と延々と語る)、あまりに男の欲望むき出し、即物的で笑っちゃうところもあるんだけれど、その都合のいい幻を切って捨てることもできないあたりがリアルで生々しい。男性向け・女性向けのポルノをのぞき見ると、みんな都合のいいことばっかり望んでるよね(だがそれがいい)。
余談だが、自分は恋人の嫉妬深いので恋愛経験はあまり多くない方が好みだが、フォークナーを勧めてくれた友人は、むしろ経験が豊富なほうが面倒くさくなくていいと熱く語っていた。このあたりは好みの問題だ。
閑話休題、しかしこの叔母が独身だってのがミソで、「女の幸せは結婚だ」という社会の独身女性は、こうやって世話焼きおばちゃん的な立場でサバイブしてきたのだ、という指摘をどこかで読んだ。
目取真俊「面影と連れて」は一番面白かった。自分の中では生涯読んだ短編の中の上位十位に入っている。ウチナーグチの語りなのだけれど、ひたすらいじめられ続けて、抵抗もできずにいる女性が、皇太子暗殺事件の犯人と関係して不幸になって、そのまま死んでいくという虚無の話なのだけれど、心が深く動かされる。世間ではタフになれとか戦って抗えとか言うけれど、抵抗するすべを知らず、その体力も能力もなく抵抗できずにそのままの人だってたくさんいる。弱い人間が弱いまま幸せに生きて死んで行けるようになってほしい。
前項は南北アメリカ・アジア・アフリカが中心だったが、こちらはヨーロッパの作品が中心。こちらの巻はやや印象が薄い。
記憶に残っているのはサルマン・ラシュディ(ルシュディ)「無料のラジオ」で、人口対策で断種されてラジオをもらった男の話。どうもラシュディはこの政策に反対だったらしく、「真夜中の子供たち」でも断種・不妊手術を極めて否定的な舞台装置として扱っているし、実行したインディラ・ガンディーを始め、権力を持った女性に対してうっすらとした嫌悪を持っている気がする。「真夜中の子供たち」でもアパートの管理人の意地悪な姉妹とか出てきたし。
あとはミシェル・ウエルベック「ランサローテ」だけれど、ウエルベックはどの作品も人権意識の高まりをはじめとした社会の変化について行けない中年男性の悲哀と愚痴が基本にあって、どれを読んでも感想が大体一緒になる。前にも書いたが要約すると「俺は非モテだから思春期の頃には思いっきりセックスできなかったし、処女と金銭のやり取りなしでイチャラブできなかった。中年になって女を金で買えるようになったが、ちっとも楽しくない。子供も老人もみんな大っ嫌いだ、バーカ!」「こうなったのもぜーんぶヨーロッパ文明の進歩に見せかけた自滅のせいだ! みんなカルトに狂って不幸になっちまえ!」「人類は所詮性本能には抗えないサル並みの動物なので、あらゆる不幸はポストヒューマンに進化しないと解決しないんだよ! アヒヒヒヒ!」。これはひどい。もっとも、こういう反動的に見える作品にも賞をあげちゃうフランス文壇の度量の広さはすごいけどね。もしかしたら「セロトニン」はそこから一歩進んだかもしれないが読むのがめんどくさいし、これまた自分にとって輝きを(こんなものを読んでわざわざ憂鬱になりたいという暗黒の吸引力を?)失った作家だ。ウェルベックは悪くない。変わってしまったのは僕だ。
ところで、最後まで読んでみて見て思うのだけれど、このシリーズって表紙に毎回鳥が銀色で印刷されているんだけれど、これってすべてポーズが違うんだろうか。重複したりしていない?
以上。
あとは同じように読んだ人のブログ探して読んでみようっと。
完読総評! 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 全冊 - ウラジーミルの微笑
池澤夏樹の世界文学全集は、何が読まれているのか? - ボヘミアの海岸線
余談だけど日本文学全集は第10巻「能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵」だけ読んだ。長いがめっちゃ面白い。
岡田利規「能・狂言」の訳がかなり砕けていて、特に狂言だとカタカナも多用している。「荷六駄」の「おーい太郎いる?/はーい。/あ、いたのね」には笑ってしまったが(たぶん「太郎冠者、あるか」「御前に」あたりが原文だと思う)、当時の日本人にはこう聞こえていたのだろう。現代語訳したのが演劇の人なので、声に出してそのまま演じられそうなのがいい。カタカナ言葉が今の日本語の生きた要素として使われていることがよくわかる。
同時に収録されている狂言には視覚障害者をおちょくるとんでもないネタもあるのだが、盲目であることが当時どのように受け止められていたかがわかる。江戸時代なんかだと視覚障害者は団体も作っていたみたいだし、ただの弱者ではない。だから、近江絵みたいに風刺の対象ともなっているんだろうか。
おしまい。
アフタヌーン作品をイメージする時にまぁ納得は出来るラインナップ
アニメなどで触れるのではなく、実際に読んでみると印象が変わる雑誌だ
本誌よりも四季賞が楽しみで買っていたのもあるくらい
(四季賞2011春の「おから」はお勧めだ、本誌は処分してるが小冊子は一冊も捨ててない)
それ故に刺さる箇所が人によって変わってくる
神戸在住は阪神淡路の震災を「そんなことおくびにも出さずに」描いている
でもふと手に取って読み返してみたくなる漫画で、何度読んだか分からない
時に重く、時に軽く、等身大の日常が描かれるだけなのに、妙に惹かれるのだ
残された人々の葛藤や将来への不安、放射能汚染の影響などが、こちらも実直に描かれる
某料理漫画のように変に誇張したりもしない
以下のページにアクセスして、キーワードを抽出し、何回登場しているかをまとめて教えて下さい。
特集:80回
学術:52回
社会:48回
日本:45回
科学:38回
研究:36回
ジェンダー:15回
災害:14回
震災:13回
ジェンダー:15回
ジェンダーバイアス:1回
男女共同参画:8回
これにより、合計で「ジェンダー」やそれに関連する単語は30回登場しています。
以下は「福島」や「東日本大震災」に関連する単語の整理結果です:
震災:13回
復興:8回
放射能汚染:3回
放射線:3回
被災:2回
被ばく:2回
復旧:1回
これにより、合計で「福島」や「東日本大震災」に関連する単語は66回登場しています。
以下は「環境問題」や「気候変動」に関連する単語の整理結果です:
環境:16回
気候変動:6回
地球環境:5回
環境問題:4回
環境変動:2回
環境汚染:2回
環境保護:1回
持続可能:8回
カーボンニュートラル:1回
これにより、合計で「環境問題」や「気候変動」に関連する単語は57回登場しています。
科学:38回
技術:15回
学術:52回
研究:36回
科学者:6回
科学的:4回
技術革新:1回
これにより、合計で「科学技術」や「学術」に関連する単語は227回登場しています。
「日本学術会議はジェンダー論に偏っている」という主張に対する反論や議論は、以下の点を考慮することで行うことができます。
したがって、「日本学術会議はジェンダー論に偏っている」という主張は、全体の内容を十分に考慮せずに特定の側面に焦点を当てたものと考えられます。実際には、多様なテーマを取り上げていることが明らかです。
この手の分析はやっぱりLLMに任せるに限るわ。こう言う使い方をしている文には嘘をつかないし。
科学振興や学術振興に関連する話題を除けば多い方だとは思うけど、環境問題や東日本大震災の方が普通に多いので、これをもって偏っているとは思えんな。
年末年始のご挨拶の未読が残り600件まで返し終わって一息ついてたら
石川能登地震は人工地震ですか?と多くの方から質問が来ますので
災害や事件に注目させておいてその裏で法案を通したり規制したりすることです
現在はフランス企業のヴェオリアが日本の水道事業に参入しています
日本政府が責任を負って弁済しなくてはいけないという訳の分からない契約です
訳が分からないのはこの国の常です
自国の利益を他国に吐き出して弱体化を推進する議員に清き一票を投票するのが我が国の常です
この水道法が改正された2018年7月5日の翌日8:00に何が行われたのか知らない方が多いです
これがショックドクトリンです
敗戦から80年が経とうとしているのに未だに操り人形の日本政府
震度7で発表しようと前もって決まっていたのかも知れませんね
実際に160世帯が停電してるのにYahoo!ニュースもGoogleもgooネット他
全ての記事が消されて読めません
全てのポータルサイトに働きかけて事実なのに削除出来る立場とは?
気象庁が震度7を二回すぐさま発表しようとして私は2016年の熊本地震を思い出しました
震度7を公表した28時間後に震度7の地震が熊本を再び襲ったのです
自衛隊の熊本高遊原分屯地(こうゆうばるぶんとんち)の真下でした
ブルーインパルスの編隊長であり航空自衛隊のエースパイロットであったベテランパイロットの平岡さんが
5人の隊員を乗せて墜落したのです
計器に異常が現れる間もない一瞬の何かによる墜落
そして事故原因究明の鍵であるフライトレコーダーをアメリカが回収したのです
意味が分かりません
自国の自衛隊員が6人死んでるのにフライトレコーダーの解析すら自国で出来ない
なぜか捜索隊は放射能防護服を着ることを命じられました
環境省のサイトによれば年間の線量限度は1マイクロシーベルトです
年間ですよ
1時間あたり3マイクロシーベルトの放射能を浴びたなら立派な被爆です
被爆 症状
で検索してみて下さい
知りすぎた隊員が口封じされたのか?何か汚染物の処理をさせられたのか?
6人の隊員が帰らぬ人となりました
同じようなことが東日本大震災でも起こりました
トモダチ作戦に参加したアメリカの空母「ロナルドレーガン」の乗組員です
5000人の乗組員のうち2400人が体調不良を訴えて
で検索すればNHKの記事もYahoo!ニュースの記事も読めます
福島から500km離れた洋上で大量のセシウムが検出されたと言うのです
日本の自衛隊よりも危険な地帯に入ってないアメリカの兵士だけが
なぜ2400人も被爆するのですか?
なぜ500km離れた洋上で大量のセシウムが検出されるのですか?
一つだけ言える確かなことはロナルドレーガンの乗組員は海水を飲んでました
RO膜(逆浸透膜)と言う装置で海水を真水に変えて飲んでいたのです
震源地は海です
なぜ彼らは陸ではなく海で被爆したのか?
ガイガーカウンター(放射能測定器)を持って輪島市で計測すれば良いと思います
計測された方がおられましたら私にDMで送って下さい
私が公に公開します
言いなりの情けない政治家に頼る気すら起きません
あと首都圏直下型地震があって、津波や火災旋風が起きたら、1400万人(+900万人)に対応するの現実的に考えて不可能なので、
南関東以外へ疎開するしかないが、老人や足の悪い人に、果たして東北まで移動は可能なものだろうか?
ついでに、『どこからなら電車が動いているか?』その情報はどうやって手に入れたら良いもんかね
というか、いつになったら通信障害が無くなるか・いつでも充電できる状態になるかも完全に未知数だよな
そもそもインフラを担う人たちは果たして出勤可能な状態か?という視点抜けてるよな
お貴族さまにありがちな『貧民はいつでも我のために働いてくれる』みたいな
運送業や電気水道ガスの工事担当はもちろん、医療も深刻だろうな。311ですら東京の医者は休んだり疎開したので、国公立の勤務医以外は期待出来ないでしょうね
消防の人と自衛隊はいつでも期待出来るが・・・警察はどんなもんでしょうね、1400万人(+900万人)の犯罪に果たして対応できるか?
ジャニオタはジャニタレ広告を使い続ける宣言した福島の放射能汚染避難地域ギリギリの地価の安い山奥に土地を買って文明社会とは隔絶した生活を送って欲しい。
ジャニオタはジャニーズを広告に使わない企業の商品は不買運動する義務があるので、もうハンバーガーも飲料も薬も車も保険も航空券も買えなくなってしまった。
さらに国の機関もジャニーズを切ってしまったので、ジャニオタは公共サービスももう使えない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20230913/k10014194821000.html
文明社会で流通する商品を不買するし、国家へのボイコットの意思を示すためにできるだけ税金も納めたくないというであれば、へき地で自給自足の生活をした方が幸せだろう。
しかし、現金収入が無いとファンクラブへの会費やライブの費用が払えないという問題がある。
そこは、男相手に売春して現金を得れば良いのではないだろうか? 元々ジャニオタは全てのライブを回るための莫大な費用を夜職で稼いでいたのが多いと聞くので。
「自給自足が基本だが児童虐待儀式を行う信仰の対象へのお布施のためだけに売春する女だけのコミュニティ」という凄まじいカルト集団の誕生を想像するだけでワクワクする。