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2025-11-27

この数年、月に1~2回ペースで、仕事で、あとはたまに遊びに行く用事で、大阪京都に行っている。東京駅から新幹線

そもそも東京駅カオスストレスフルなのだ東京駅何だかんだでホームタウンなので、比較ストレスなく利用できる方法を知っている

日本橋口から新幹線に乗るとすごくストレスが小さくなるぞ。後ろの方の車両を予約するのがポイント)。

東海道新幹線もギュウギュウ。乗車率100%が基本で、荷物の多い旅行客も多く通路側に座ると頻繁にごつんと鞄をぶつけられたりして不機嫌になる。新大阪京都も慣れてきたとはいえやっぱりカオスしんどい

東アジア系のデカスーツケースを持った人たちがやはり圧倒的に数が多く「邪魔だなー!」と思うことが多い。たいていは恐らく中国語(でも耳では台湾語とは区別は全くつかない)だ。インターネットで人々が怒りたくなるのはこういうことなのかもしれないなとは思うが、耳で聞いただけでは中国人台湾人かは分からないので、やっぱりインターネットで人々が怒るのは少し浅はかだよなとは思う。ハングルを話してるらしき韓国人は、話してる声を聴く前に風貌何となくわかる、中国語を話している東アジア系の人たちよりもかなり垢抜けてる。

さて、我らが総理大臣ウッカリのおかげで、色々あって中国国民日本から退去しろあいつらイジメてくるぞ、とアナウンスをしている、という話である

なぜか11月用事が重なり月に6往復した。大阪4泊、京都2泊。今ちょうどその6泊目を終えて帰ってきた。この2週間だけで3泊したのだが、先週末と今日如実に東京駅新大阪駅そして新幹線が若干空いている。隣に人が座らない新幹線の何て快適なことか。そしてホテル朝食会場も空いていた(ホテル代は変わらない。とほほ)。

そうはいっても、もちろんガラガラではなく混雑はしている。サラリーマン日本語を話す観光客(日本人)、あとは欧米系、東南アジア系。東アジア系はかなり減っている感じ。

ギュウギュウの満員電車のような様相で人にぶつかりながら進む必要はなくなったが、混雑はしているので、その分逆に「ものすごく邪魔だな、マナー悪いなぁ」と思う回数が増えた。中途半端に空いている満員電車の方がイライラする現象に近い。すし詰めになってた方が自分も周りも観念するけど、隙間があると放埓になるのだと思う、知らんけど。

まず、待合ベンチのマナーがすごく悪くなっていた。

人がギュウギュウの時はすべてのベンチに人が座れるように荷物を膝にのせたりで譲り合っている様子が見られたけど、2つ、3つのベンチを占拠する人があちこちに。そして100%日本語を話していた。今日特に疲れていて座たかったので一通りのベンチを空いてねーかなーと思って回ったんで100%と言い切れる。左右の席にりくろーと551デカ紙袋を置いてくつろいでるところに、すみませんこの席は誰か座りますか?と聞いたが無視されて、向かいに座ってるオッサン関西弁で話し始められたオバハン許さねえ。

あと、できればやめてほしい「エスカレーターの出入り口のところで固まって作戦会議を始める人たち」「改札口を入った・出たところで固まって(以下同)」であるが、これは圧倒的に欧米系(英語多し)の人たちだ。東アジア系・中国語民と同様かそれ以上にデカスーツケースと、彼らよりデカい太い体格とで、むしろ邪魔度が高い。これまでは東アジア系が多すぎで目立たなかったか、多すぎて萎縮しておとなしくしてたのか分からんが、とにかくムカッとすることが多かった。御堂筋線でも出口で固まってめっちゃ楽しそうに英語デカい声でしゃべってて、英語から多少わかるが、あんまりよい話はしていなかったりで、余計ムカっとした。

中国人インバウンドキングの座から降りたことで、他国インバウンド(及び日本観光客)も割としんどいな、というのが見えるようになった。または円安が続く限りは「あんまり質の良くない観光客」は来日し続けるのかもしんない。そしてジャパニーズ観光客も改めて、酷い人はひどいと再認識インターネットでとにかく中国人悪口を言いたい人にとっては、中国人くそだとシンプルに思い込めなくなる感じだと思うよ。

Permalink |記事への反応(2) | 23:01

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2025-11-07

困ってる人を助けるのって難しいな

日の出来事。

駅で介助が必要そうなの方がいた。

道に迷ってる風で他の人も何人か様子見してたけど誰も声をかけない。

仕方ないか自分が声をかけたら、

みどりの窓口に行きたい」

と言い出した。

都心の駅あるあるで、みどりの窓口のない改札にいる。

みどりの窓口はおそらく反対方向の改札口に行けばあるが、数百メートル歩がないといけない。

そんな長距離を介助するほどのスキルや余裕はこちらにはない。

仕方ないので、近くにみどりの窓口はないが駅員のいる改札を案内しようとしたら

みどりの窓口がいい、改札は嫌だ、みどりの窓口に連れて行って」

と大声で叫び始めた。

いきなり大声で叫ばれて怖くなった。冷静に話しかけるがもうこちらの声は聞こえてるけど聴こえてないようだった。

対話が難しい様子なのでそっとその場を離れらことにした。

このことをたまに考えるけど、どうするのが正解だったのか分からない。

ただ、今後も人助けをするかと言われれば、難しくなったと感じている。

増田なら積極的に助けるんだろうか。

Permalink |記事への反応(12) | 08:47

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2025-11-03

決済とかをできるスマートリング使ってみた感想

ヘルスチェックではない

・取扱店はそれなりに多いけど、地方だとそもそも店がない

ポイントとかは普段使いクレカのほうが高い場合がある

・駅でも使えるけど、使える路線と、改札口に注意が必要

総じて、便利ではあるけど値段相応の便利さは感じない

Permalink |記事への反応(0) | 17:21

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2025-10-24

伊香保寺田寅彦

 二三年前の夏、未だ見たことのない伊香保榛名を見物の目的で出掛けたことがある。ところが、上野驛の改札口を這入つてから、ふとチヨツキのかくしへ手をやると、旅費の全部を入れた革財布がなくなつてゐた。改札口の混雜に紛れて何處かの「街の紳士」の手すさみに拔取られたものらしい。もう二度と出直す勇氣がなくなつてそれつきりそのまゝになつてしまつた。財布を取つた方も内容が期待を裏切つて失望したであらうから、結局此の伊香保行の企ては二人の人間失望させるだけの結果に終つた譯である

 此頃少し身體の工合が惡いので二三日保養のために何處か温泉にでも出掛けようといふ、その目的地に此の因縁つきの伊香保が選ばれることになつた。十月十四日土曜午前十一時上野發に乘つたが、今度は掏摸すりの厄介にはならなくて濟んだし、汽車の中は思ひの外に空いて居たし、それに天氣も珍らしい好晴であつたが、慾を云へば武藏野の秋を十二分に觀賞する爲には未だ少し時候が早過ぎて、稻田と桑畑との市松模樣の單調を破るやうな樹林の色彩が乏しかつた。

 途中の淋しい小驛の何處にでも、同じやうな乘合自動車アルミニウムペイントが輝いて居た。昔はかういふ驛には附きものであつたあのヨボ/\の老車夫の後姿にまつはる淡い感傷はもう今では味はゝれないものになつてしまつたのである

 或る小驛で停り合はせた荷物列車の一臺には生きた豚が滿載されて居た。車内が上下二段に仕切られたその上下に、生きてゐる肥つた白い豚がぎつしり詰まつてゐる。中には可愛い眼で此方を覗いてゐるのもある。宅の白猫の顏に少し似てゐるが、あの喇叭のやうな恰好をして、さうして禿頭のやうな色彩を帶びた鼻面はセンシユアルでシユワイニツシである。此等の豚どもはみんな殺されに行く途中なのであらう。

 進行中の汽車から三町位はなれた工場の高い煙突の煙が大體東へ靡いて居るのに、すぐ近くの工場の低い煙突の煙が南へ流れて居るのに氣がついた。汽車が突進して居る爲に其の周圍に逆行氣流が起る、その影響かと思つて見たがそれにしても少し腑に落ちない。此れから行先にまだいくらも同じやうな煙突の一對があるだらうからもう少し詳しく觀察してやらうと思つて注意してゐたが、たうとう見付からずに澁川へ着いてしまつた。いくらでも代はりのありさうなものが實は此の世の中には存外ないのである。さうして、ありさうもないものが時々あるのも此の世の中である

 澁川驛前にはバス電車伊香保行の客を待つてゐる。大多數の客はバスを選ぶやうである電車の運轉手は、しきりにベルを踏み鳴らしながら、併しわり合にのんきさうな顏をしてバスに押し込む遊山客の群を眺めて居たのである。疾とうの昔から敗者の運命に超越してしまつたのであらう。自分も同行Sも結局矢張りバスもつ近代味の誘惑に牽き付けられてバスを選んだ。存外すいて居る車に乘込んだが、すぐあとから小團體がやつて來て完全に車内の空間を充填してしまつた。酒の香がたゞよつて居た。

 道傍の崖に輕石の層が見える。淺間山麓一面を埋めて居るとよく似た豌豆大の粒の集積したものである。淺間のが此邊迄も降つたとは思はれない。何萬年も昔に榛名火山自身の噴出したものかも知れない。それとも隣りの赤城山の噴出物のお裾分けかも知れない。

 前日に伊香保通のM君に聞いたところでは宿屋はKKの別館が靜かでいゝだらうといふことであつた。でも、うつかりいきなり行つたのでは斷られはしないかと聞いたら、そんなことはないといふ話であつた。それで、バスを降りてから二人で一つづゝカバンを提げて、すぐそこの別館の戸口迄歩いて行つた。館内は森閑として玄關には人氣がない。しばらくして内から年取つた番頭らしいのが出て來たが、別に這入れとも云はず突立つたまゝで不思議さうに吾々二人を見下ろしてゐる。此れはいけないと思つたが、何處か部屋はありませうかと聞かない譯にも行かなかつた。すると、多分番頭と思はれる五十恰好のその人は、恰度例へば何處かの役所の極めて親切な門衞のやうな態度で「前からの御申込でなければとてもとても……」と云つて、突然に乘込んで來ることの迂闊さを吾々に教へて呉れるのであつた。向うの階段の下では手拭を冠つて尻端折つて箒を持つた女中が三人、姦の字の形に寄合つて吾々二人の顏を穴のあく程見据えてゐた。

 カバンをぶら下げて、悄々しをしをともとのバスの待合所へ歸つて來たら、どういふものか急に東京へそのまゝ引き返したくなつた。此の坂だらけの町を、あるかないか當てにならない宿を求めて歩き※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はるのでは第一折角保養に來た本來の目的に合はない、それよりか寧ろ東京の宅の縁側で咲殘りのカンナでも眺めて欠伸をする方が遙かに有效であらうと思つたのである。併し、歸ることは歸るとしても兎も角も其處らを少し歩いてから歸つても遲くはないだらうとSがいふので、厄介な荷物を一時バスの待合所へ預けておいてぶら/\と坂道を上つて行つた。

 宿屋が滿員の場合には入口に「滿員」の札でも出しておいたら便利であらう。又兎も角も折角其家を目指して遙々遠方から尋ねて來た客を、どうしても收容し切れない場合なら、せめて電話温泉旅館組合の中の心當りを聞いてやる位の便宜をはかつてやつてはどうか。頼りにして來た客を、假令それがどんな人體であるにしても、尋ねてくるのが始めから間違つてゐるかのやうに取扱ふのは少し可哀相であらう。さうする位ならば「旅行案内」などの廣告にちやんと其旨を明記しておく方が親切であらう。

 こんな敗者の繰言を少し貧血を起しかけた頭の中で繰返しながら狹い坂町を歩いてゐるうちに、思ひの外感じのいゝ新らしいM旅館別館の三階に、思ひもかけなかつた程に見晴らしの好い一室があいてゐるのを搜しあてゝ、それで漸く、暗くなりかゝつた機嫌を取直すことが出來たと同時に馴れぬ旅行疲れた神經と肉體とをゆつくり休めることが出來たのは仕合せであつた。

 此室の窓から眼下に見える同じ宿の本館には團體客が續々入込んでゐるやうである。其の本館から下方の山腹にはもう人家が少く、色々の樹林に蔽はれた山腹の斜面が午後の日に照らされて中々美しい。遠く裾野には稻田の黄色い斑の縞模樣が擴がり、其の遙かな向うには名を知らぬ山脈が盛上がつて、其の山腹に刻まれた褶襞の影日向が深い色調で鮮かに畫き出されて居る。反對側の、山の方へ向いた廊下へ出て見ると、此の山腹一面に築き上げ築き重ねた温泉旅館ばかりの集落は世にも不思議な標本的の光景である。昔、ローマ近くのアルバ地方遊んだ時に、「即興詩人」で名を知られたゲンツアノ湖畔を通つたことがある。其の湖の一方から見た同じ名の市街の眺めと、此處の眺めとは何處か似た所がある。併し、古い伊太利の彼の田舍町は油繪になり易いが此處のは版畫に適しさうである。數年前に此地に大火があつたさうであるが、成程火災の傳播には可也都合よく出來てゐる。餘程特別防火設備必要であらうと思はれる。

 一と休みしてから湯元を見に出かけた。此の小市街横町は水平であるが、本通りは急坂で、それが極めて不規則階段のメロデイーの二重奏を奏してゐる。宿屋お土産を賣る店の外には實に何もない町である。山腹温泉街の一つの標本として人文地理學者の研究に値ひするであらう。

 階段の上ぼりつめに伊香保神社があつて、そこを右へ曲ると溪流に臨んだ崖道に出る。此の道路にも土産物を賣る店の連鎖が延長して溪流の眺めを杜絶してゐるのである。湯の流れに湯の花がつくやうに、かういふ處の人の流れの道筋にはきまつて此のやうな賣店の行列がきたなく付くのである。一寸珍らしいと思ふのは此道の兩側の色々の樹木に木札がぶら下げてあつて、それに樹の名前が書いてあることである。併し、流石にラテン語の學名は略してある。

 崖崩れを石垣で喰ひ止める爲に、金のかゝつた工事がしてある。此れ位の細工で防がれる程度の崩れ方もあるであらうが、此の十倍百倍の大工事でも綺麗に押し流すやうな崩壞が明日にも起らないといふ保證は易者にも學者にも誰にも出來ない。さういふ未來の可能性を考へない間が現世の極樂である自然可能性に盲目な點では人間も蟻も大してちがはない。

 此邊迄來ると紅葉がもうところ斑に色付いて居る。細い溪流の橋の兩側と云つたやうな處のが特に紅葉が早いらしい。夜中にかうした澤を吹下ろす寒風の影響であらうか。寫眞師がアルバムをひろげながらうるさく撮影をすゝめる。「心中ぢやないから」と云つて斷わる。

 湯元迄行つた頃にはもう日が峯の彼方にかくれて、夕空の殘光に照らし出されて雜木林の色彩が實にこまやかに美しい諧調を見せて居た。樹木の幹の色彩がかういふ時には實に美しく見えるものであるが、どういふもの特に樹幹の色を讚美する人は少ないやうである

 此處の湯元から湧き出す湯の量は中々豐富らしい。澤山の旅館の浴槽を充たしてなほ餘りがあると見えて、惜氣もなく道端の小溝に溢れ流れ下つて溪流に注いで居る。或る他の國の或る小温泉では、僅かにつの浴槽にやつと間に合ふ位の湯が生温るくて、それを熱くする爲に一生涯骨を折つて、やつと死ぬ一年前に成功した人がある。其人が此處を見たときにどんな氣がしたか。有る處にはあり餘つて無い處にはないといふのは、智慧黄金に限らず、勝景や温泉に限らぬ自然の大法則であるらしい。生きてゐ自然界には平等存在せず、平等は即ち宇宙の死を意味する。いくら革命を起して人間の首を切つても、金持と天才との種を絶やすことは六かしい。ましてや少しでも自己觸媒作用オートカタリテイツク・アクシヨンのある所には、ものの片寄るのが寧ろ普遍現象からである。さうして方則に順應するのは榮え、反逆するものは亡びるのも亦普遍現象である

 宿へ歸つて見ると自分等の泊つてゐる新館にも二三の團體客が到着して賑やかである。○○銀行○○課の一團は物靜かでモーニングを着た官吏風の人が多い。○○百貨店○○支店の一行は和服が多く、此方は藝者を揚げて三絃の音を響かせて居るが、肝心の本職の藝者の歌謠の節※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はしが大分危なつかしく、寧ろ御客の中に一人いゝ聲を出すのが居て、それがやゝもすると外れかゝる調子を引戻して居るのは面白い。ずつと下の方の座敷には足踏み轟かして東京音頭を踊つて居るらしい一團がある。人數は少いが此組が壓倒的優勢を占めて居るやうである

 今度は自分などのやうに、うるさく騷がしい都を離れて、しばらく疲れた頭を休める爲にかういふ山中自然を索たづねて來るものゝある一方では又、東京では斷ち切れない色々の窮屈を束縛をふりちぎつて、一日だけ、はめを外づして暴れ※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はる爲にわざ/\かういふ土地を選んで來る人もあるのである。此れも人間界の現象である。此の二種類の人間相撲になれば明白に前者の敗である後者の方は、宿の中でも出來るだけ濃厚なる存在を強調する爲か、廊下を歩くにも必要以上に足音を高く轟かし、三尺はなれた仲間に話をするのでも、宿屋中に響くやうに大きな聲を出すのであるが、前者の部類の客はあてがはれた室の圍ひの中に小さくなつて、其の騷ぎを聞きつゝ眠られぬ臥床ふしどの上に輾轉するより外に途がないのである。床の間を見ると贋物の不折の軸が懸かつて居る、その五言の漢詩の結句が「枕を拂つて長夜に憐む」といふのであつたのは偶然である。やつと團體の靜まる頃には隣室へ子供づれの客が着いた。單調な東京音頭は嵐か波の音と思つて聽き流すことが出來ると假定しても、可愛い子供の片言は身につまされてどうにも耳朶の外側に走らせることの出來ぬものである。電燈の光が弱いから讀書で紛らすことも出來ない。

 やつと宿の物音があらかた靜まつた後は、門前のカフエーから蓄音機の奏する流行小唄の甘酸つぱい旋律が流れ出して居た。併し、かうした山腹の湯の町の夜の雰圍氣を通して響いて來る此の民衆音樂の調べには、何處か昔の按摩の笛や、辻占賣の聲などのもつて居た情調を想ひ出させるやうな或るものが無いとは云はれない。

 蓄音機と云へば、宿へ着いた時につい隣りの見晴らしの縁側に旅行蓄音機を据ゑて、色々な一粒選りの洋樂のレコードをかけてゐ家族連の客があつた。此れも存在の鮮明な點に於て前述の東京音頭の連中と同種類に屬する人達であらう。

 夜中に驟雨があつた。朝はもう降り止んではゐたが、空は低く曇つてゐた。兎も角も榛名湖畔迄上ぼつて見ようといふので、ケーブルカー停車場のある谷底下りて行つた。此の谷底停車場風景は一寸面白い。見ると、改札口へ登つて行く階段だか斜面だかには夥しい人の群が押しかてゐる。それがなんだか若芽についたあぶら蟲か、腫物につけた蛭の群のやうに、ぎつしり詰まつて身動きも出來さうにない。それだのにあとから/\此處を目指して町の方から坂を下りて來る人の群は段々に増すばかりである。此の有樣を見て居たら急に胃の工合が變になつて來て待合室の腰掛に一時の避難所を求めなければならなかつた。「おぢいさんが人癲癇を起こした」と云つてSが笑出したが、兎も角も榛名行は中止、その代りつい近所だと云ふ七重の瀧へ行つて見ることにした。此の道筋の林間の小徑は往來の人通りも稀れで、安價なる人癲癇は忽ち解消した。前夜の雨に洗はれた道の上には黄褐紫色樣々の厚朴の落葉などが美しくちらばつてゐた。

 七重の瀧の茶店で「燒饅頭」と貼札したものを試みに注文したら、丸いパンのやうなもの味噌※(「滔」の「さんずい」に代えて「しょくへん」、第4水準2-92-68)を塗つたものであつた。東京下町若旦那らしい一團が銘々にカメラを持つてゐて、思ひ思ひに三脚を立てゝ御誂向の瀧を撮影する。ピントを覗く爲に皆申合せたやうに羽織の裾をまくつて頭に冠ると、銘々の羽織の裏の鹽瀬の美しい模樣が茶店に休んでゐる女學生達の面前にずらりと陳列される趣向になつてゐた。

 溪を下りて行くと別莊だか茶店だかゞあつて其前の養魚池の岸にかはせみが一羽止まつて居たが、下の方から青年團の服を着た男が長い杖をふりまはして上がつて來たので其のフアシズムの前に氣の弱い小鳥は驚いて茂みに飛び込んでしまつた。

 大杉公園といふのはどんな處かと思つたら、とある神社杉並木のことであつた。併し杉並木は美しい。太古の苔の匂ひがする。ボロ洋服を着た小學生が三人、一匹の眞白な野羊を荒繩の手綱で曳いて驅け※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)つてゐたが、どう思つたか自分が寫眞をとつて居る傍へ來て帽子を取つてお辭儀をした。學校の先生と間違へたのかどうだか分らない。昔郷里の田舍を歩いて居て、よく知らぬ小學生に禮をされた事を想ひ出して、時代が急に明治に逆戻りするやうな氣がした。此邊では未だイデオロギー階級鬪爭意識が普及して居ないのであらう。社前の茶店葡萄棚がある。一つの棚は普通のぶだうだが、もう一つのは山葡萄紅葉てゐる。店の婆さんに聞くと、山葡萄は棚にしたら一向に實がならぬさうである。山葡萄は矢張り人家にはそぐはないと見える。

 茶店の周圍に花畑がある。花を切つて高崎へでも賣りに出すのかと聞くと、唯々お客さんに自由に進呈するためだといふ。此の山懷の一隅には非常時の嵐が未だ屆いて居ないのか、妙にのんびりした閑寂の別天地である。薄雲を透した日光が暫く此の靜かな村里を照らして、ダリアコスモスが光り輝くやうに見えた。

 宿へ歸つて晝飯を食つてゐる頃から、宿が又昨日に増して賑やかになつた。日本橋邊の或る金融機關の團體客百二十人が到着したのである。其爲に階上階下の部屋といふ部屋は一杯で廊下の籐椅子に迄もはみ出してゐる。吾々は、此處へ來たときから約束暫時帳場の横へ移轉することになつた。

 部屋に籠つて寐轉んで居ると、すぐ近くの階段廊下を往來する人々の足音が間斷なく聞こえ、それが丁度御會式の太鼓のやうに響き渡り、音ばかりでなく家屋全體が其の色々な固有振動の週期で連續的に振動して居る。さういふ状態が一時間時間[#「二時間」は底本では「二間時」]三時間と經過しても一向に變りがない。

 一體どうして、かういふ風に連續的に足音や地響きが持續するかといふ理由を考へて見た。百數十人の人間が二人三人づつ交る/″\階下の浴室へ出掛けて行き、又歸つて來る。その際に一人が五つの階段の一段々々を踏み鳴らす。其外に平坦な縁側や廊下をあるく音も加はる。假に、一人宛て百囘の音を寄與コントリビユートするとして、百五十で一萬五千囘、此れを假に午後二時から五時迄の三時間、即ち一萬八百秒に割當てると毎一秒間に平均一囘よりは少し多くなる勘定である。此外に浴室通ひ以外の室と室との交通、又女中下男の忙はしい反復往來をも考慮に加へると、一秒間に三囘や四囘に達するのは雜作もないことである。即ち丁度太鼓を相當急速に連打するのと似た程度のテンポになり、それが三時間位持續するのは何でもないことになるのである。唯々面白いのは、此の何萬囘の足音が一度にかたまつて發しないで、實にうまく一樣に時間的に配分されて、勿論多少の自然的偏倚は示しながらも統計的に一樣な毎秒平均足音數を示してゐることである。容器の中の瓦斯體の分子が、その熱擾動サーマルアヂテーシヨンのために器壁に反覆衝突するのが、いくらか此れに似た状況であらうと思はれた。かうなると人間も矢張り一つの分子」になつてしまふのである

 室に寐ころんだ切り、ぼんやり此んなことを考へてゐる内に四時になつた。すると階下の大廣間の演藝場と思はれる見當で東京音頭の大會が始まつた。さうして此れが約三十分續いた。それが終つても、未だその陶醉的歡喜の惰性を階上迄持込[#「持込」は底本では「持迄」]んで客室前の廊下を踏鳴らしながら濁聲高く唄ひ踊る小集團もあつた。

バス切符を御忘れにならないやうに」と大聲で何遍となく繰返して居るのが聞こえた。それからしばらくすると、急に家中がしんとして、大風の後のやうな靜穩が此の山腹全體を支配するやうに感ぜられた。一時間前の伊香保とは丸で別な伊香保が出現したやうに思はれた。三階の廊下から見上げた山腹の各旅館の、明るく灯のともつた室々の障子の列が上へ上へと暗い夜空の上に累積してゐ光景は、龍宮城のやうに、蜃氣樓のやうに、又ニユーヨークの摩天樓街のやうにも思はれた。晝間は出入の織るやうに忙がしかつた各旅館の玄關にも今は殆ど人氣が見えず、野良犬がそこらをうろ/\して居るのが見えた。

 團體の爲に一時小さな室に追ひやられた埋合せに、今度はがらあきになつた三階の一番廣く見晴らしのいゝ上等の室に移され、地面迄數へると五階の窓下を、淙々として流れる溪流の水音と、窓外の高杉の梢にしみ入る山雨の音を聞きながら此處へ來てはじめての安らかな眠りに落ちて行つた。

 翌日も雨は止んだが空は晴れさうもなかつた。霧が湧いたり消えたりして、山腹から山麓へかけての景色を取換へ取換へ迅速に樣々に變化させる。世にも美しい天工の紙芝居である。一寸青空が顏を出したと思ふと又降出す。

 とある宿屋の前の崖にコンクリート道路と同平面のテラスを造り其の下の空間を物置にして居るのがあるのは思ひ付きである。此の近代設備の脚下の道傍に古い石地藏が赤い涎掛けをして、さうして雨曝しになつて小さく鎭座して居るのが奇觀である。此處らに未だ家も何もなかつた昔から此の地藏尊は此の山腹の小道の傍に立つて居て、さうして次第に開ける此の町の發展を見守つて來たであらうが、物を云はぬから聞いて見る譯にも行かない。

 晝飯をすませて、そろ/\歸る支度にかゝる頃から空が次第に明るくなつて來て、やがて雲が破れ、東の谷間に虹の橋が懸つた。

 歸りのバスが澁川に近づく頃、同乘の兎も角も知識階級らしい四人連の紳士が「耳がガーンとした」とか「欠伸をしたらやつと直つた」とか云つたやうな話をして居る。山を下つて氣壓が變る爲に鼓膜の壓迫されたことを云つて居るらしい。唾を飮み込めば直るといふことを知らないと見える。小學校や中學校でこのやうな科學的常識を教はらなかつたものと思はれる。學校の教育でも時には要らぬ事を教へて要ることを教へるのを忘れて居る場合があるのかも知れない。尤も教へても教へ方が惡いか、教はる方の心掛けが惡ければ教へないのも同じになる譯ではある。

 上野へついて地下室の大阪料理で夕食を食つた。土瓶むしの土瓶のつるを持ち上げると土瓶が横に傾いて汁がこぼれた。土瓶の耳の幅が廣過ぎるのである。此處にも簡單な物理學が考慮の外に置かれてゐるのであつた。どうして、かう「科學」といふものが我が文化日本で嫌はれ敬遠されるかゞ不思議である

 雨の爲に榛名湖は見られなかつたが、併し雨のおかげでからだの休養が出來た。讀まず、書かず、電話が掛からず、手紙が來ず、人に會はずの三日間で頭の疲れが直り、從つて胃の苦情もいくらか減つたやうである。その上に、宿屋階段の連續的足音の奇現象を觀察することの出來たのは思はぬ拾ひものであつた。

 温泉には三度しかはひらなかつた。湯は黄色く濁つてゐて、それに少しぬるくて餘り氣持がよくなかつた。その上に階段を五つも下りて又上がらなければならなかつた。温泉場と階段はとかくつきものである温泉場へ來たからには義理にも度々温泉に浴しなければならないといふ譯もないが、すこしすまなかつたやうな氣がする。

 他の温泉でもさうであるが、浴槽に浸つて居ると、槽外の流しでからだを洗つて居る浴客がざあつと溜め桶の水を肩からあびる。そのしぶきが散つて此方の頭上に降りかゝるのはそれ程潔癖でないつもりの自分にも餘り愉快でない。此れも矢張り宿屋蓄音機を持ち込み、宿屋東京音頭を踊るPermalink |記事への反応(0) | 18:19

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2025-09-25

anond:20250924190655

一晩経って読み返したら追記しないとなあ、あそこも書くの忘れてたなあ、ということが山ほどあったので岩手の他の場所のこと書く前に追記・補足しておく。

あと、「地元の人が行く店を避けている」という言及があったけど別に避けてない。忍ばせている。

まず補足から

神子田朝市: 朝は早い(3時台)。朝8時にはほぼ閉店している。ホテルが近くにないので前日のうちにタクシーを予約しておくといい(たぶんホテル駐車場一時的に出すと損になる)。

盛岡駅の店が10/1境になっている理由: 駅の改札口フロア北側で大改装工事が予定されていて、その予定地になる店が軒並み閉店するから改装工事は既に始まっていて南側には新しい店が増えている。

わんこそば店:わんこそばのものとは関係ないが、東家はカツ丼の評判がいい。あと直利庵のオニオンそば今上天皇絡みで隠れた名品だったりする。

じゃじゃ麺: "折り返すまでは大した列ではない"は、混んでない時に座っても15分待つがたいていはその客が食べだした後に並んでいるので食べ終わった後に座る人たちにはすぐ出てくる、ということ。なおあなた玉子アレルギーでないなら「ちーたんたん」は必ず注文すること。

ヘラルボニー:岩手発のブランドなのでコラボ製品はあちこちにある。IGRの車体とか、盛岡バスセンター宿泊施設内装とか。

坊っちゃん:つまみ定番は「ライスコロッケ」と「生ラムジンギスカン」。あとはお好みでどうぞ。

ベアレンビール:ネギトロアボカドタルタルがあるのは盛岡駅前地下の店だけ。つまみメニューについては全店舗方針が違う。なお材木町店は現在貸し切り営業以外はしていない(春から秋の土曜は"よ市"で店前に出店をだしていて飲める)。あと市内の工場では100年前の設備見学対応している。

小岩井農場: ここは観光農園である前に商業農園なので、口蹄疫騒動以降動物との触れ合いは最小限になっている。牛の乳搾り体験とかなくなった。その分遊具を増やしているので子供連れは遊ぶ場所はある。


紹介していなかったものについて書く前に少しだけ。岩手観光地は「一箇所でたっぷり楽しむ」というよりは「薄く広く見て回る」という施設が多い。たぶん宮沢賢治とかあたりは来る前に生涯について調べて来たりするほうがいい(妙に偉人が多いので、そのための先人記念館、という説はある)。NYタイムスが「歩いて楽しめる街」として紹介したのにはそういう面があるのかもしれない。

三ツ石神社: "岩手"の語源となった、鬼の手形がついた岩が祀られている。ただ、ここ5年くらい、「手形が見えなくなった」という話題でもちきり。今後見えたならかなりラッキーかもしれない。

盛岡天満宮:狛犬風貌が変かわいい、ということで最近少し話題になっているが、その横にいる撫で牛が地味にかわいい

住吉神社: 併設されている"体操神社"の御神体が意外なもの(意外ではない)。誰でも扉を開けて御神体を眺められる。

岩手公園: "六三四の剣"で主人公が登った石垣がある。啄木学校抜け出して寝転んだのもこの公園

喫茶店:クラムボン以外にも珈琲店紅茶店を含め「文化」として売り出しがかかるくらいあちこちにある。

ハンバーグベル:びっくりドンキーの1号店。ただしメニューは店名が違う以外はびっくりドンキーとほぼ一緒。

五百羅漢: 三ツ石神社近くの報恩寺にあり、宮沢賢治石川啄木ゆかりの地でもある(観覧は有料)。実は500体ない。

十六羅漢:あさ開そば公園にある(ただで見られる)。実は16体以上ある。宮古までの旧街道は実はこの公園あさ開の間にある細い道だったりする。

とふっち:岩手PRするキャラクターとして「わんこきょうだい」というキャラがあり、お椀の中に豆腐がある"とふっち"は盛岡近辺地域担当。実は盛岡市は全国有数の豆腐消費地で汲み出し豆腐の"よせ豆腐"がうまい

岩手山:盛岡駅周辺に茶色建物が多いのは、北上川の背景に見える岩手山の光景邪魔しないように建物に色制限をかけたから。駅の北の方には"六三四の剣"で主人公が通った道場モデルがある(現在増築中)。

高松の池, 小鹿牧場:マンガとりぱん」で、「T松の池」とか「O公園」とされているのはこの2ヶ所。小鹿牧場は実はもう牧場ではないので小鹿公園名称を変更している。おそらく作者が住んでいるのはこれらの近辺。どちらも桜の季節には桜が見られる。

岩手大学農業資料館:岩手大学の敷地無駄に広いがその南端にある古い建物前身となった学校の旧本部宮沢賢治にもちょっとだけ関わりがある。昼間だけ有料で見学可能

盛岡駅: "滝の広場"は東京制作ロケ番組挨拶に頻繁に使われるほか、呪術廻戦を始め盛岡絡みではこの近辺の絵がよく使われる。理由は「もりおか」の文字(石川啄木による)がここの場所でよく見えるから

マリオスとアイーナ:盛岡駅西口公共施設。背が高いほうが盛岡市絡みの「マリオス」で最上階は無料展望台。ガラス張りのほうが岩手県絡みの「アイーナ」で最近ネーミングライツ名前が変わった、県立図書館が入居している。カタカナ名前のせいか、なぜかよく取り違えられる。

プロスポーツ:サッカーチームJ3からJFL落ちして1年で復帰を目指していたが9月現在かなり厳しい。バスケチームは今シーズンよりB2入り。どちらも盛岡だけではサポーターブースターが足りないので岩手県全体をフランチャイズにしていて、ホーム戦でも盛岡試合が見られるとは限らない。

盛岡手作り村: つなぎ温泉ダム湖を挟んだ対岸にある。南部曲り家が移築保存されているほか、盛岡伝統工芸関係工房が集まっていて一部は体験可能。たぶんいちばん手軽なのは南部せんべいの手焼き体験(焼くのはクッキータイプ)。周辺というか行くまでのところにはラブホテルが集まっている地域があってこの地域のことが「子作り村」と地元では呼ばれている。

多分また追記するかもしれない。

Permalink |記事への反応(0) | 11:53

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2025-08-21

ETCカードがない

ETCカードがない。

いや、そもそもカード以前に車がない。免許すらない。

から使う場面もないのになぜか持っていないことに小さな敗北感を覚える。

財布を開けばポイントカードばかりで、なぜか一番縁のないカードの不在が一番重たい。

ETCカード社会人免許皆伝みたいなものだと思っていた。

ピッと鳴ってゲートが開くたびに、自分人生スムーズに進むはずだった。

現実改札口ICOCAタッチしているだけの人生だ。

しかもたまに残高不足で止められる。ゲートは開かない。

そもそも車を運転する才能がない。ハンドルを握ったら確実に縁石と会話する未来しか見えない。

教習所に通う金もなかった。だから高速道路に憧れだけが残った。

料金所を颯爽と抜けるイメージはいつの間にかただの幻覚みたいに脳内で繰り返されるだけになった。

友人がETCカードを出して「割引きくんだよ」と得意げに言う横で、自分コンビニレシート折り紙にして遊んでいた。割引どころか割り増しの人生だ。

ETCカードを持たないことは不便ではない。

けれど不便ではないということが、逆に一番ナンセンスだ。

必要いから持っていない。持っていないのに劣等感だけはある。

カード存在しないポケット自分空っぽさが収まっている。

人生のゲートは開かない。もちろんピッとも鳴らない。

Permalink |記事への反応(3) | 12:03

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2025-07-21

この連休乗り鉄日記高崎編)

anond:20250322200443

3月に続けて、この連休乗り鉄してきたので、また日記増田に残そうと思う。

6時前の起床は目覚まし前に起きられた。夏なので暗くはなく、起きるのも困難ではないのだ。

横浜に出て、途中の行程を端折る新幹線切符えきねっと経由の券売機で購入。

券売機を直に操作すると、並ぶ列のプレッシャーが嫌なので、発券以外はえきねっとで済ませた。)

東京では冷房が寒かったので暖かいものを。

降りたところにはあまり選択肢が無かったので、自分には珍しくそばを食う。

8時前の新幹線自由席なので、ホームで並ぶ。

窓側ながら眠くて大宮までは寝てて、あとはGoogleマップ現在位置を追う。

隣は朝からビールをあけている。

高崎から吾妻線乗り潰しへ。4両も立席の出るほどに混む。

新前橋を過ぎれば遠方にこんもりとした山を見るが、吾妻線に入るとそこに挟まれた感じとなる。

橋で川を渡れば、岩に立つ白波が涼やか。強い光ゆえ緑の色彩も濃く見える。

カーブトンネルと迫る植物も山深さを感じさせる。

小野上では採石がとれるようで、それを積む特殊車両が泊まっている。

中之条で山あいは開ける。それなりに人が降りるのは四万温泉に向かうのか。

列車国道に沿って進み、また山あいへ。

トイレしたくて車両を渡ると、二人ほどロードバイクを持ち込む人が居てうらやましい。

岩島から最近作ったろう高架橋国道をまたぎ、長いトンネルに入る。これが八ッ場ダムによる新線なのか。

抜ければ、川原湯温泉の新しいホームで行き違い。

ダムの湖面が木々の合間にわずかに見える。その前方には急峻な地形に貼り付く国道駅前にはキャンプ場もあるのね。

また長いトンネルとなり、トンネルではWikipedia沿線概況を見て過ごす。

ダム下だからか、削り込まれ吾妻川を橋から見ては、長野原草津口でもごっそり降りる。

片面の行き止まりホームを見ては遠景を撮ろうとするが、時間が足りず。

そして、大前での折返時間は短いので、事前に車内で精算しておくようにとの放送。ここまで30人程度は残っただろうか。

羽根尾の構内も広い。それを過ぎると、シールド木々に包まれては20km/hなんて看板である

強く減速し、災害の多いこと、そして線路の終わりも近いだろうことを知る。

万座・鹿沢口手前でも同じくらいの減速。

街は川向いにあり、駅前には旅館を示す剥げた看板土産店。反対側にはバイクの集まるカフェ

そしてさらトンネルで、大前まで乗り切った。プツっと終わる感じの平面ホーム

気持ちだけかもしれないが、降りても涼しく思える。見どころはけっこう多くて飽きない行程だった。

折返しの9分では、私も含め、乗ってきた人々の写真大会

線路の終端、乗ってきた車両、川の対岸へとカメラを向ける。

ロードバイクも組み立てている。

そして出発となるが、乗車証明発券機はなかったので、帰りの車内で切符を発券してもらう。

ひとりひとり処理するの大変だなあ。

また強い減速で始まる帰りは、長野原草津口手前で旧太子線の橋脚、その先では引上線として残る旧線がみつけられた。

川原湯温泉では今回も行き違いで、わずかに見える湖面に向け写真を撮る。

帰りはなんだか行き違いが多くて、ちまちまと停まる。

そして考えることもなく車窓を眺めていると、幸せすぎて「ずっとこのままで居たい」とさえ思ったりもする。

人生仕事から解放され、ずっと何も考えずに居たいものだ。

ちなみに、親は親で観光地に出かけたらしい。

じいさん、ばあさんの写真とともに撮った観光地写真が送られてきて、

夫婦には子供なり老人なり慈しむ存在がないと、関係性が保てなくなるのかなと思ったりする。

そんな詮無いことばかり考えないよう、Vtuber雑談を聞きつつ、平野が広がれば渋川に戻る。

新前橋で乗換えては高崎

まともなものが食いたく、今回は菓子パンで済まさず、中華屋豚キムチ定食

そして、飲み物買っての上信電鉄建物のすき間を縫うような改札口

往復料金とフリーきっぷは同じ金額で、後者を購入。

車両107系の改造らしいが、LEDフルカラーで行先案内もディスプレイ化され、手間暇かかっている感じ。

でもトイレは不可か。

車両所には剥がれる古き車両も見て、街を抜けては新幹線からねじるようにして川を越える。

スピードゆっくりなのに、線路の整備がいまいちなのか、左右に振られて轟音がある。

しかも車内は抵抗制御からか、冷房が効いていない。

車窓は吾妻線と比べると、山々に挟まれるというか囲まれるといったくらい。

住宅もそれなりに多く、昼間のワンマン運用ながら乗降は細かくある。

吉井からはひたすらまっすぐなのにやはりスピードは緩く、車両は揺れる。

上州福島はほぼ中間ゆえ、行き違い。駅舎はホーロー駅名標だったりしてそれなりに古い。

上州富岡ではけっこう降りて、残り10人ってところ。

上州一之宮ではきついカーブから、同じ方向に折れた川幅を高いところから眺める。

このあたりから山登り感が出て、神農原では残り3人。

そしてラスト千平からは、鏑川の渓谷と急峻な山肌に挟まれスリルさえ感じる空間をこわごわと進んでいく。

ここはさすがに相当(体感20km/hくらいか?)減速するようだ。

山肌を回り込んでは下仁田駅に着く。

駅名標と山々を合わせて撮っては、車線もない駅前から5つものコミュニティバスが入れ替わりに発車する(列車に合わせるので当然か)。

乗り潰しは14時台ながら早くも終わりなので、折り返し便では帰らず、

バス待合室で時刻表の少なさ(6系統南牧村便があるが、休日は4便ずつしかない。

乗合タクシーに至っては曜日運行!)をじっくり見ては、廃墟かわからない昭和建物とか、

旅館こんにゃく料理を出すとか、河原で人々が水遊びをする遠景を見るとかして駅に戻る。

座布団に座りつつ、そんな古い待合室の雰囲気をしばし楽しむ。

帰りの車両では、広告の代わりに絵ハガキが飾られていた。

途中は、渓谷のところで赤津信号所存在に気づく。

上州富岡は名所に合わせてか、新しい建物屋根が高く作ってあるのも知る。

高崎近くでは佐野橋をみつけ、木製なのかなと思う。

佐野信号所も行き違いがあったのでわかった。

高崎から普通車グリーンで2時間半かけて帰る。

行きは乗るべき列車があったから急いだが、帰りは急ぐ理由もない。

酒飲むかは迷ったが、暑さによって酔ったような頭のかすみがあり、辞める。

車両区には吾妻線で見た砂利運ぶ車両複数居て、SLも構内で入れ替えしていた。

烏川を越えた光景には見覚えがあり、やっぱり一度来たことあるなと思える。

そして車窓も気になるのだが、暑さからの疲れで眠くなる。

寝てると、ここで親から電話。うかつに出かけられもしない!

軽くイライラしては、はてブに逃げて無駄時間を過ごす。

こんなんではダメだと、短編で興味がキレギレとなるゆえ、まだ読み終わらない「異常論文」を読み出す。

「ザムザの羽」は感情的に来るものがあり、「論文」として並ぶ中では特に面白かった。

そして横浜は19時前であり、さすがに薄暗くなる。

帰っては速攻でシャワーを浴び、20時には楽しみな議席予測を聞く。

結果は最後まで気になり、途中暇つぶしをしながら、寝るのは25時となる。

連休中の選挙だったので、明日の朝を気にせず遅くまで見てしまった。

Permalink |記事への反応(1) | 18:42

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2025-06-06

iphoneを探す外人

 駅でベンチに座っていると、すごい形相のインド系の人が怒りながら

英語でここにおいてあったiphoneをどこにやった

と言ってくる。どうも置き忘れたらしい。

知らないと言っても、納得しない。

  

仕方ないので、改札口まで連れて行き

駅員さんに「この人がスマホ探しているのですすが」

と伝えると、駅員の机の上にすこし特徴的なケースに入ったiphoneがあった。

大喜びで、自分スマホだという外人

  

無事に戻った訳だが、一切、ありがとうを言われなかった。

Permalink |記事への反応(2) | 08:28

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2025-05-29

エスカレーター降り口で斜行するやつ

右側を歩いてるやつが多い昇りエスカレーターが駅にあるとするやん、

そのエスカレーターの降り口の右側は壁、左側が改札口から

みんなエスカレーターを降りたら左側に流れる

ここで右側を歩いて上がってきたやつが、左側に立って上がってきたやつを巻き込みながら斜行するとどうなるか?

左側の列が降り口で詰まって事故につながるわけやんか。

という状況で昨日斜行してきたやつを押しのけてエスカレーターを降りたら

「おい!オマエわざと当たっただろ!」って言われたんだけど

こっちの感覚からすればお前がぶつかってきたんだよな~~~~~~~~~~~~!

Permalink |記事への反応(0) | 10:11

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2025-05-27

西国分寺駅東口ってサンドラ前のロータリーのほうなのな

鉄道学園跡再開発駅前広場を作ったもの改札口ができなかったとか

JRも作る気なさそう

Permalink |記事への反応(0) | 21:44

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2025-05-18

anond:20250517223531

このポストで僕がいちゃもんつけているように感じた人がいるみたいだけど違うからね。

スマホ改札口電線電柱で感じる違和感は間違いなく狙ってやっていると思うの。

あれだけ優秀なスタッフがやっていることだから「なんとなく」はないと思う。それがどういう意図なのか楽しみなの。


意図ありまくりだったね

Permalink |記事への反応(1) | 00:06

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2025-05-16

ジークアクスの第一話を観たよ。

凄い違和感だった。

スマホとか改札口とかまるで今僕らがいる現代だよね。

宇宙世紀のはずなのに。

この先どうなるんだろうね。

正解:乃木坂ネタ違和感なく入れるため

Permalink |記事への反応(0) | 19:56

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2025-04-19

兄妹で同棲することにした

 春の雨が止んだ夕暮れ、就活帰りの芽衣は傘をたたみながらマンションの前で深呼吸した。二十四歳の兄・俊と二十二歳の芽衣は、この四月から一緒に暮らしている。きっかけは単純だった。東京での部屋探しに行き詰まった芽衣が「お兄ちゃんと住めば安心だよね」と漏らし、俊も「俺も一人よりは助かる」と応じた。

 けれど本当の理由もっと根の深いもの――幼い頃から続く、互いへの依存だった。

 両親は共働きで家を空けがちだった。小学三年生の夜、芽衣が高熱で泣きじゃくったとき、俊は水枕を作り、額に貼る冷えピタを薬箱から探し出し、朝まで横に座っていてくれた。芽衣記憶に焼き付いたのは、熱と寒気より、そのとき握り返された手の温度だった。それ以来、芽衣は何かあれば兄を呼び、俊は呼ばれずとも飛んできた。

 進学で一度は離れたものの、電話メッセージ毎日状況を報告し合い、些細な決断――夜食カップ麺を選ぶ程度のことすら相談してきた。だから同棲自然の成り行きに思えた。

 だが生活が始まってみると、ふたりの「自然」は常識から外れていた。芽衣は朝、俊が淹れるコーヒー香りでやっと目を覚まし、俊は芽衣が帰るまで晩ごはんに箸をつけない。スーパーの特売日にふたりの予定が噛み合わず買い物へ行けないと、冷蔵庫が空になってもインスタント食品を買おうとはしなかった。

 居間の壁に掛かったホワイトボードには、緻密なタイムテーブルが書かれている。起床、出勤、帰宅、入浴――歯磨き時間までびっしり。同じタイミングで同じことをし、同じシーンで笑い、同じ場所が好き。予定の空白はふたり不安を刺激するから、徹底的に埋められていた。

 五月初旬、俊の職場飲み会があった。「二次会はどう?」と誘われた俊は時計を見た。芽衣面接で遅くなる日だから帰宅時間は二十二時を超える。ホワイトボードの「二十一時・再集合」に間に合わない。

 結局、俊は一次会で席を立った。彼のスマホには芽衣からの「着いたよ。緊張で吐きそう」というメッセージが届いていた。俊は駅まで走り、改札口で妹を見つけると、背筋が緩んだ。芽衣も兄の顔を見てやっと笑う。互いの不安を打ち消すのは、相手存在だけだった。

 けれど社会ふたりの都合で動かない。六月、俊は大手クライアントとの打ち合わせを命じられた。地方支社で二泊三日。部長は「滞りない進行には君が一番」と微笑んだが、俊の心臓は縮む。出張当日の朝、芽衣は無理に笑顔を作り「お土産黒豆饅頭でいいよ」と言ったが、声は震えていた。

 新幹線トンネルに入るたび、俊のスマホ振動した。家事の手順、ゴミ分別炊飯器スイッチ――芽衣から質問が止まらない。返信しなければ妹が泣く気がして、商談の資料視線が定まらない。結局、俊は二日目の夜に発熱し、上司許可を得て一日早く帰京した。マンション玄関に崩れた俊を抱きしめながら、芽衣は「ごめんね、私が弱いから」と嗚咽した。

 事件は七月に起きた。芽衣内定から「配属先は名古屋支社」と連絡があったのだ。面談室で通知を受けた瞬間、芽衣の視界は真っ白になり、そのまま過呼吸で倒れた。搬送先の病院に駆けつけた俊は、点滴台のそばで涙を拭う妹に「大丈夫。辞退しよう」と囁いた。

 ところが医師は「お兄さんも一緒に暮らしているの? 少し病的な依存があるね」と指摘し、心理カウンセラーを紹介した。俊は反発した。自分たち家族だ、助け合っているだけだ、と。しか芽衣はベッドで顔を覆い「私たち普通じゃないのかな」と震えた。

 カウンセリングは八月から始まった。最初面談で、カウンセラー白紙メモに縦線を引き、左に「俊くんの人生」、右に「芽衣さんの人生」と書いた。

 「ここの境界が、ほとんど透けてますね」

 いたたまれなくなった兄妹は視線を泳がせた。

 セッションでは宿題が出た。「週に一度、互いに相談せず決断してみる」。芽衣美容院を予約し、俊は映画をひとりで観に行った。初回はどちらも胸が締めつけられ、スマホを何度も開いたが、二回目、三回目と回数を重ねるうちに、未知の風が入り込む感覚が芽生えた。

 九月の終わり、俊は職場の同期・沙織に誘われて、趣味ランニングサークルに参加した。芽衣は週末に同僚と鎌倉へ日帰り旅行に出た。リュックに兄の分の水を入れなくてもいい身軽さと、砂浜を歩きながら響く潮騒が、彼女の胸を満たす。夕暮れ、集合写真を撮る頃には、兄に報告しなければという焦りが少し薄れていた。

 一方、俊のスマホに届いたのは芽衣の「海の写真だよ。お兄ちゃんも走るの頑張って」。文章の終わりにハートマークはなかった。それを見て、俊は短い安堵を覚えた。

 秋が深まりマンションの壁に貼ったホワイトボードは半分が空白になった。芽衣は自室の本棚就活で読んだビジネス書を並べ、俊はキッチンに好きなミュージシャンポスターを貼った。カウンセラーは「良い変化ですね。境界線は線ではなく、ゆるやかなグラデーションでいい」と微笑んだ。

 相変わらず同居は続いている。ただ、食卓椅子は向かい合わせではなく、斜めに配置した。視線を逸らせる角度が必要だと気づいたからだ。

 十二月ベランダに出た兄妹は凍る夜気に肩を寄せた。街のイルミネーションが遠くで瞬く。「来年名古屋に行ってみようかな」と芽衣がぽつりと言う。胃の奥が冷たくなる感覚に俊は怯えたが、すぐには首を振らなかった。

 「行くときは、ちゃんと送るよ」

 それが、自分言葉として驚くほど自然に出た。芽衣は小さく笑い「まだ怖いけど、そう言ってくれると少し平気」と答えた。

 ふたりはまだ完全に自立したわけではない。深夜に悪夢で目覚めれば、どちらかの部屋の灯りがつく。だがドアをノックし、一拍置いてから入るようになった。ささやか境界が、互いを守るフェンスになっている。

 年明けには、またボード更新する予定だ。今度は空白を恐れず、余白のまま壁に残すつもりだと俊は言った。芽衣も頷く。余白には、ふたりそれぞれの未来が描き込まれるはずだ。

 兄妹で同棲することにした――その選択は、依存の檻にも、再出発のアパートにもなり得る。どちらにするかは、これからの彼ら次第だ。

Permalink |記事への反応(0) | 19:06

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2025-03-28

2025年3月北京旅行備忘録その2

北京旅行増田です。

間が空いてしまったけど、観光地編始まります。書き始めたら長くなってしまって、1日分しか書けなかった。。。だんだんと短い文章になると思いますが、年度末年始仕事の合間に書いていくので気長に待っていただければ。

前回の記事も、思い出したものコメント等で質問いただいた内容などを追記しています

目次

事前準備(その1)

ホテルの予約(その1)

交通状況(その1)

観光地(今回※まだ続く)

食事(まだ先)

観光地

大同古城、雲崗石窟 おすすめ度★★★★★

いきなり北京市外だけど、北京留学中の増田長男が同行してくれることになったので北京から北西に350kmの位置にある大同雲崗石窟寺院高速鉄道で日帰りで行ってきた。大同近郊には崖に作られた懸空寺という名所もあるのだけど、これまた日本語英語での最新情報が乏しく、老人もいるので日帰り旅行で組み込むのは無理と判断し、雲崗石窟寺院の後に大同古城とするルートにした。

行きは北京北駅を7:16発、大同南駅に9:41着。帰りは大同南駅を16:26発、北京北駅に18:24着と長丁場になった。高速鉄道は2つのグレードがあり、列車番号頭文字がGとDで区分される。(例:G1468, D1567)一般的にGが速いのだけど、同じ路線でも遅いGや速いDがある。今回の大同南往復は両方ともGの列車だったが、停車駅が異なり帰りの方が27分も速い。

チケットは往復とも事前にTrip.comで購入した。Trip.comの通貨設定を日本円にしたので中国元の価格不明だが1等席が発券手数料込みで行き5,124円、帰り5,640円だった。行き帰りで値段が違うのは停車駅が少なく早く着くからだと思う。2等席だと1等席の7割前後(3,500円)ぐらい。1等席は2+2シート、2等席は2+3シートの構成。Trip.comでは予約時に座席配置のリクエストができるので、複数人旅行であれば必ずやっておいて。切符はeチケットなので印刷する必要もないし、スマホ画面を見せる必要さえもない。

高速鉄道駅には遅くとも出発30分前には着いておき、余裕を持ってセキュリティチェックを受けておいた方がよいとのこと。3月中旬は閑散期らしく特に混んでなかったが、増田長男によると春節時期は凄まじいらしい。

駅のセキュリティチェック後は巨大なコンコースで待ち、電光掲示板プラットフォーム改札口確認しておく。列車が来る15分ぐらい前から改札が始まるので列に並ぶ。改札はパスポート機械にかざして読み取りする。Trip.comでチケット購入した時に入力したパスポート情報連携されてるんだと思う。改札は3列ぐらいで並ぶのだが、そのうちパスポート読み取りができる機械は1列だけだったりする。(他は中国人向けの非接触型の身分証明書読み取り機で無人パスポート読み取り機には係員がいる)真ん中は無人機、左右のどちらかがパスポート読み取り機が多かったので、どの列に係員がいるかを見定めて並ぶと良い。

改札が終わりプラットフォームに降りると、始発駅なので既に電車は来ている。出発まであと5分。1等席は先頭と最後尾の1号車と8号車にしかなく、今回の我々は1号車。そしてプラットフォームに降りたところは8号車の前!年寄りを急がせながらなんとか出発2分前に乗り込んだ。

1等席は2+2シート構成で、新幹線グリーン車と似たような感じ。飲み物(お湯)とスナックのセットが出てくる。またビール等を販売するワゴンが回ってくるなど、昭和平成初期の新幹線を思い起こさせる。また高速鉄道はとても静かでほぼ揺れない。朝早かったのでウトウトしてるうちに大同南駅に着いた。

大同南駅は高速鉄道専用駅で、中心街からは7-8kmぐらい離れてると思う。この駅もとてもでかい。でも人いない。分かりにくい案内板を頼りにタクシー乗り場へ向かうと白タク運転手?と思わしき人たちが盛んに声がけしてくるので、タクシー乗り場への道は間違ってないのだなと思った。

バカかい構内を数百m歩いて更に地下に降りたところにタクシー乗り場があった。20台以上が客待ちしてる状況で、最初はここでDiDi呼ぼうかと思ったが、乗客差配しているような人がいて、増田長男とやりとりした後に2台分乗してタクシーに乗ることになった。

大同南駅から雲崗石窟までは約30kmぐらい?約30分の乗車時間だった。窓から見える大同郊外風景は同じデザイン高層マンションが立ち並び、それが数十ではなく、数百というぐらいの単位で広がっていく。今まで見たことのない圧倒的な風景だった。さらには建設中と思しき骨組みの高層マンションも多数あり、まだ建てるのか?と思うとともに、放置されてるのでは?とも思ったり。

大同南駅から雲崗石窟までのタクシー料金は55元ほど。DiDi使ってないので、運転手QRコードWeChat payAlipay共通)を読み込み、メーターの金額を打ち込んで支払う方式。(日本と変わらないというか、日本が真似したのか)2台分乗したが連携してるわけではないので、それぞれ別の場所で降ろされた。今回は増田長男含めて3名がWeChat使えたので、チャット通話機能使って無事に合流した。複数人旅行する際は、はぐれるケースも想定して連絡手段を確保しておいた方が良い。

9:41に大同南駅に着いて30分タクシー乗って10時30分ぐらいに雲崗石窟に到着。さあ入場しようと思ったが、どうやってチケット買えば良いのか分からない。北京観光地はまだ日本語情報があったが、雲崗石窟コロナ前の情報しか見つからず、事前予約についても調べてなかった。チケット販売のような窓口も機能してないし、WeChatミニプログラムにたどり着いたが、当日はチケット購入できないようになっていた。増田長男中国語でようやく聞き出した情報によれば、当日券は入り口建物にあるQRコードを使って購入しないと行けないとのこと。なんか人だかりがあるなあと思ってた場所にあった。分かるか、そんなの!価格は成人100元、学生未成年50元、老人(60歳以上)は無料で、それぞれ別のQRコードを読み取る。

そこから増田夫婦で全員分のチケット購入して、ようやく入場できたのが11時をとうに過ぎた頃。12時には雲崗を出て大同古城に向かい昼食を取る想定スケジュールが大幅に狂った。雲崗石窟もものすごく広く、老人もいるので無理に急ぐこともできず、なるようになれで、普通のペースで観光した。石窟の前に池に浮かんだ島にある寺院を通っていく。この手前にはバス乗り場があり、石窟入り口までスキップできるので石窟だけササッと見たい人は使うと良い。片道10元。でも寺院もなかなか良い感じなので、増田と同じように、行きは歩きで寺院を観ながらゆっくりと、帰りはバスで出口までというのがおすすめ

雲崗石窟も他の観光地も同様だったが、紙のパンフレットというものがまったく置いていない(見つけられていないだけかもしれないけど)。スマホWeChatミニプログラムオフィシャルサイトを見たり、たまにある標識確認するしかないのだが、観光地パンフレット大好きな増田としてはかなり悲しいことではある。

寺院を抜けてようやく石窟入口。すでに12時近くになっておりお腹も空いてきた。石窟の最初の方はしょぼい穴が空いていて風化した仏像だったような物がある感じ。埼玉県出身増田は「吉見の百穴みたいなものだな」と感想を言ったら妻に怒られた。そんなこんだで更に歩いていくと建物保護された石窟エリアに到着して、ここからがいよいよ本番。いろいろな穴に入っていくたびになんじゃこりゃ!というような石仏出会うことができる。百穴って言ってしまってすいませんでしたと謝る。そしてクライマックスオープンな壁面に巨大な石仏どーん!で、観光客みんなここで記念撮影していた。まだ石窟群の続きはあるようだが、12時50分ぐらいでお腹すいた、石仏満足した、ということで出口に向かうことに。ちょうどバス停もあり出口までいっきに戻るが、お土産屋や飲食店街を通らないと出口に辿り着けないのはどの国も同じだな。

この時点で13時過ぎた。大同古城の候補のお店(鳳臨閣)は14時まで営業タクシー20分かかる。人気店なのですぐに入れるかもわからない。お腹も空きすぎたので、ここで妥協して食べようかとも思ったが、増田長男がチャンスがあるならトライしたいということで、すぐさまDiDi呼んで大同古城へ向かった。結果、閉店30分前にすぐに入れたのでチャレンジしてよかった。お店と料理については食事編で書くので割愛

食事後、大同古城を散歩する。大同中心部は高い城壁に囲まれた街になっていてその中は古い街並みが残っていてとても雰囲気がよい。故宮周辺も同様なのだが、清朝?のお姫様コスプレ散歩できるサービスのお店が多数あり、至る所でお姫様皇后皇太后?)を見かけた。

野良猫?もいて人を怖がっていないようではあったが、とても痩せていたのが気になった。逆に北京にいた野良猫は太っていた。

鼓楼などの古い建物を横目で見ながら、英語のページでおすすめされた九龍壁NineDragon Wall)へ歩いていった。名前がかっこいいし、入場無料なのも良い。九龍壁故宮の中にもあり、皇帝モチーフとして使われているのかな?(大同北魏の都だったと後で確認した)

その後は時間に余裕をもって大同南駅までDiDiで移動し、16:26の北京北駅行きの高速鉄道に乗った。行きは停車駅が多かったが、帰りは途中1駅のみ停車で2時間からずに到着。北京北駅の横にあるショッピングモールで夕食を食べ、そこからDiDi呼んでホテルへ21時頃着。長い1日だった。

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続き> https://anond.hatelabo.jp/20250328230350

Permalink |記事への反応(4) | 01:22

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2025-03-13

南武線久地駅問題

久地駅改札口東側しかない。駅の西側住民は、踏切を渡って東側の改札に向かうしかない。

踏切普段から車通りが多いが、朝の通勤時間帯はさら渋滞する。

踏切の幅も狭いため、通勤時間帯の歩行者はすぐ横を走る車にかすりそうになりながら、踏切の端を歩いて横断することになる。

・その結果、無理な横断による電車の急停車が多発し、他駅の南武線利用者からヘイトを買うことになっている。

・以前から地元共産党市議が、駅の高架化や改札の追加を要望しているが、どちらも簡単でないのは素人目でもわかる。

・高架化のためには用地が要るが、久地駅周辺は密集した住宅街である

久地駅ホームから川崎方面を見れば急カーブ立川方面を見れば目と鼻の先に府中街道東名高速高架橋が覆いかぶさっている。

西側に改札を追加するのはまだ現実味があるが、バリアフリー観点などを考えると

ただ改札とホームに上がる階段をつければいいというものではないので、相応のスペースが必要になるがそんなスペースがあるようには見えない。

久地駅周辺は、新築マンション等が増えつつあり、今後も人口増加が予想されるので、今後も問題悪化しそう。

Permalink |記事への反応(1) | 13:02

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2025-03-11

震災体験し損ねた

揺れも大して感じなかったし、割とすんなり家に帰れてしまった。

3月11日都内地下鉄を降りて改札口にいた。

地上に出ると周囲の人が慌てた様子になっており、地震はすでに収まっていたもの信号機電線がまだ揺れているのを見て地震があったことを知った。

オフィスに戻り少しすると帰宅指示が出た。

土地勘があるわけではないので地下鉄に沿って歩いていたら、たまたま駅出口から噴き上げてくる風に気づいた。

復旧した都営地下鉄に乗り、そのまま家路についた。

Permalink |記事への反応(0) | 22:56

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東京三大トラップ

有楽町駅

JRから有楽町線に乗り換える時、「有楽町線」という表示の案内に従うと遠回りになる。

しろ三田線」と書いてある方へ進みビックカメラ階段を降りた方が有楽町線改札口は近い。

新宿エルタワー

1階から階段を降りて行くと「新宿駅連絡口 B2F」と書かれているが、どう考えてもB1Fを通った方が近道。

あと一つは?

Permalink |記事への反応(0) | 14:18

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2025-02-12

ちょっと話をきいてくれよ。

友人と飲もうぜって話になって、友人の彼女友達も呼んでいい?っていうので、別にいいよって話をした。

当日になり、ごく普通女の子(というか年上っぽかった)が来た

名前はA子にしておこう。

あーだこーだ喋って飲んで、楽しくすごした。

まあ、A子はほとんど話をしていなかった。「よくわからんけど、まあいいか」と思っていた。

帰りは友人とその彼女が駅の改札口まで送ってくれて、友人たちとはそこでお別れになった。

友人は「こっそり襲っちゃえよ」的なことを耳打ちしてきたが、僕にそんな気もなく普通に帰るつもりだった。

僕とA子は電車組なので、ホームでA子と並んでいた。

しばらくすると、突然そのA子が座り込んで、下を向いている。

「どうしたの?」って聞いても反応ないし、「あれーどうしたものかなー」って思っていたら、突然立ち上がって僕とは反対の方向へスタスタ歩いていった。

意味わかんなかったし、僕も「歩けるならいいや」とふつーにかえった。

あの人は一体なんだったんだろう。

Permalink |記事への反応(1) | 19:30

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2024-12-11

Suicaタッチレス化ってどういうことだってばよ

ETCみたいに通過したら勝手に引かれちゃうの?

切符みたいに改札口に投入する磁気定期の人がSuica持ってたら損しちゃわない?

ていうか、電車って改札なくして完全無料でよくない?

なんで高速道路無料化できて電車無料にできないの?

Permalink |記事への反応(1) | 05:17

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2024-11-13

先日、上野駅

改札口で駅員と壮絶な口論してる人がいたんだけど、なんであん口論するんだろうね…

駅員というかもう警察に囲まれてた感じだったか執行妨害1歩手前だったんだろうけど、

すぐに激昂するタイプはああ言う時の損だよねぇと思いながら通り過ぎた

それだけ

あ、初めて日記書きます。これからもよろしゅううに。

Permalink |記事への反応(3) | 04:07

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2024-08-30

進路が定まらないと秋の味覚も気になる増田朱眞ル何気木髪のキア問ならまだ差が論旨(回文

おはようございます

台風の進路がみんな気にしてる中、

新幹線改札口はもうシャッターが閉まってて

そもそも運行していない感じがして

観光客はともかく

新幹線通勤してる人はもはや通勤できないのかしら?

シャッター閉まってて門前払いとはまさにこのことよね。

名は体を表す感じが強気今日運行しません!って気がしてみんな諦めが付くわよね。

私も気になってさすがに台風の進路をレーダーを使って見るんだけど

停滞して蛇行している感じがしている天気予報の画面を見ながらそう思うの。

つーか、

私たちの所は雨風なるの?って今日傘いるの?ってレヴェルでそれどころではないとおもうんだけど、

以前のちょっと前の天気予報では凄い雨!風雨!ってなっていたのに、

なんか風も吹かないし雨も降ってないし、

だけど新幹線は停まってるし、

なんかSFみを感じてしまうわ。

人間は生きているんだけど街のシステムは止まっているって感じで。

ただただ人間の無力さを感じるわ。

あと全然関係ないけれど

今年の秋刀魚情報も気になるところで秋刀魚界隈は今年は秋刀魚定食やんのかやらないのか。

一時期今年は秋刀魚豊漁だ!つってスク水揚げ級のニュースをやってたけど

街の定食屋さんのショーウィンドーに秋刀魚定食の予告のポスターが貼ってなく、

私はトランペット少年のように憧れる秋刀魚定食を眺めて待ち遠しくショーウィンドーに張り付いてみているのよ。

定食屋さんの秋刀魚定食の動きもないわ。

台風も動きがないわ。

あ!でも魚を売っている鮮魚コーナーには秋刀魚売ってるのを見たから、

そういえばもうマーケットでも出回っているのね。

極端な高価な値段ではないものの、

家で焼く秋刀魚ってある程度の設備が揃っていないと上手に焼けないか定食屋さんの強い火力で焼いて弱火にしてからお客さんに味見をさせるスタイル秋刀魚の焼き方が美味しいのよね。

から

案外そういうのは外で食べていただいた方がいいのよ。

迫力が違うわ迫力が!

そういう外で食べた方が美味しいってのがあるわよね。

秋刀魚意外に今はパッと思い付かないけれど。

あ!思い付いた

焼き鳥と焼シシャモ

あれも外で食べた方が美味しいわよね。

スク水揚げで思い出したけど

デコピンノーバン始球式できたのかしら?

スポーツ新聞には載ってたのか私定かではないけれど、

そもそもとしてデコピンどうやって投げんのよ!って思ったわ、

でも実質犬だからノーパンである確率は限りなく高いので

実質ノーパン始球式と言ってもおかしくない過言でないぐらいの有言実行しているところは各紙取り上げるべきだわ。

さすがデコピン

私のハートストライクよ!

始球式動画見てないけれど、

うふふ。


今日朝ご飯

レタスサンドしました。

なんか昨日夜胃が意外と気持ち悪くてあんまり食べなかった余韻が残っていたので軽めのシャキッと私もレタス恩恵を受けようと

シャキッとパワーをいただいたところよ。

増田書いている間に気持ち悪いこと忘れちゃって直っちゃったみたいだわ。

気持ち問題だったみたいな病は気からっていうじゃない。

それよそれ。

デトックスウォーター

今シーズンぶっちぎりの

水出しルイボスティーウォーラー

今朝もこれで決まり

でもムカムカしていたから軽くちょっと飲む程度でごくごくとはいかないかったけれど

冷たいものが通るとスッキリ一瞬はするわよね。

知らないうちにその胃のムカムカが無くなっちゃってたわ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

Permalink |記事への反応(0) | 09:25

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2024-07-04

新幹線に乗車しているときは快適な気分になっていても

終点東京駅について、ホーム改札口周辺の大混雑に遭遇して現実に引き戻されるあの感覚は一体何だろう。

Permalink |記事への反応(0) | 10:01

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2024-06-09

新潟駅に感じる違和感

新潟駅リニューアルおめでとうございます

どうしてこうなった!思ってたのと違う!こんな感想を得た人も多いのではないか。かく言うところの筆者もそう思いました。新潟駅不思議ポイント確認していってみましょう。

2階までの階段が50段?!

新潟駅に関する違和感というか、歩いていて苦痛に感じるポイントはまずここです。階段の段数が約50段と多いです。通常の建物の3階相当の高さを2階としています。これは上越新幹線開業から新幹線コンコースの高さです。在来線跨線橋はこの高さよりも低く、跨線橋から新幹線コンコースまではスロープで接続されていました。通常の駅の階段は30段くらいです。

4階建ての新潟駅の旧駅舎ビルの高さと上越新幹線ホームの高さが同じくらいなので、上越新幹線ホームの高さは5階相当の高さになります新幹線毎日乗るものではないので、苦ではなかったのですが、新幹線に乗るときエスカレーター階段が長いと感じていました。

在来線ホームの高さを新幹線ホームに合わせてしまったため、5階相当高さにホームが上がってしましました。富山駅金沢駅福井駅新幹線の高架はもっと低く、アンダーパスする道路ギリギリの高さの設計になっていると思います。2階がそれほど高くないのです。オープン当初の新幹線高架下の新潟駅の2階に出店していたヨドバシカメラは、店内に階段があり、上の階がありました。やはり新潟駅新幹線ホームは4階建ての建物屋上相当の高さにあるのです。この高さが高い高架橋は総工費が大幅に高くなることを意味します。

バス乗り場の怪?!

横断禁止の個所を渡る人が絶えないとニュースになる新バス乗り場。駅ビルCoCoLoの1階部分が高架下を貫くバス乗り場によって分断されています。50段の階段で2階へまわれとか、150m先のなかなか青にならない信号渡れとロック設計になっています設計コンペの勝者のイラスト比較すると大幅に規模が小さくなっています。コンペのイラストバス乗り場は、高架下の道路の両側ではなく、道路の車線の間に島式ホームのようにバス乗り場が集約されています電車と違ってバスは、両側に扉がないので、バスは島式ホームのローターリー侵入するとき右側通行に入れ替わって侵入することが想定されます。島式ロータリーから道路の両側にバス乗り場に変更することで、高架下のバス占有する面積を大幅に縮小しています。この変更によって、バス乗り場が行き先によって分断されたため、とりあえずバス乗り場に行ってから目的バスを探すことができる構造からバスの行き先を判断してから道路のどちら側に行くかをあらかじめきめなくてはならないスタイル改悪されてしまいました。

古町市役所方面からきたバスは、高架下に入る前の降車場で乗客を降し、高架下をくぐって、南口側に出てUターンして、高架下バス停に出発を待ちます南口方面から到着したバス南口側の降車場で乗客を降し、高架下をくぐって、万代口側に出て、Uターンして、高架下のバス停で出発を待ちます。高架下を直通するバス路線はわずかです。

イメージイラストは、「設計コンペのプランからなくなったもの?!」の項を参照してください。

乗用車お断り?!

多くの市民が感じた違和感市街地南北が分断された状態解決するというお題目ほとんど解消されていないことです。この目的解決するには、万代口の東大通と南口弁天線がつながらなければなりません。駅の高架下はバス専用となったため、南北をつなぐ道路で増えたところは、八千代から続く道路線路の反対側につながったところくらいです。以前の踏切個所の米山踏切天神尾踏切は、高架をくぐる道路として残っています。一部の市民は、市長の家の近所のガードだけが開通したので、このルート篠田さんの功績を称えて篠田ガードと呼んでいます

篠田新潟市長名義のアパート新築である

https://www.zaikainiigata.com/?p=8248

計画では駅西線と駅東線という2本の道路が開通する予定でしたが完成に至らず、大幅に計画が縮小されています。駅東線は歩行者自転車道路格下げされて計画されています。駅西線は、代ゼミのところから南下し、高架下をくぐりLEXNビルに至る道路です。

駅西線の予定地では、新幹線利用者向けのパークアンドライドサービス新潟駅西駐車場(215台)を貫いています。このパークアンドライド用の駐車場は、高速バスターミナルタワーマンションでなくなる予定です。もうひとつパークアンドライド駐車場CoCoLo駐車場(826台)は、この春のCoCoLoリニューアルオープンに伴って、3000円のお買い物で1時間無料新幹線割引き廃止24時まで3000円というレートになりました。梅田駅秋葉原駅のほうが安いです。セレブな駅駐車場になりました。この変更で新幹線出張族が大打撃。電車バスで駅に行けない利用者が多いのが新潟現実です。新潟駅西駐車場(215台)は、朝8時前に満車です。ちなみに上越新幹線で使われているE7系の定員は924人です。

敵の侵入に強い駅構内?!

駅に中に城下町のような見通しの悪い丁字路が多い印象がです。電車新潟駅の高架在来線ホームに到着すると電車は、ホームの中ほどに停車します。階段エスカレーターは、ホームの両端にあるため、階段エスカレーター電車の間のホームの狭いところを歩くことになります。降りた乗客は進路を絞られて譲り合いながら進みます階段エスカレーターは隙間と通った後にUターンする導線になります。先が見えません。約50段の階段を降りると反対側のエスカレーターが正面にあり、方向を変えて、出口もしくは、乗り換え先のホームを探すことになります。この高架橋の柱は5階の高さを支え、耐震考慮していてとても柱が太いです。見通しがよくないのです。乗り換えのときは、新潟駅の発着ホームランダム設定のため、何番線からどこ行きが発車するのか確認必要です。ホームから改札口へ向かう人、改札口からホームへ向かう人、乗り換えの人が改札内の一か所に集められて混沌となります。その人波をかき分けて階段の上に表示されている行き先を確認する必要があります新幹線特急いなほの対面乗り換えの5番線が後付けの設計のため、階段位置違和感があります。これも改札内コンコースを複雑にしている理由の一つです。改札を出る場合は、東、西、新幹線の3つの出口を判断して、東か西からます階段を降りて進むと正面が新幹線乗り換え改札で出口どこってなります。太い柱が邪魔で先が見えないです。改札を出ると共有の通路ではなく、エキナカ店舗が両脇にある通路を進みますが、外へは店舗を抜けないと駅を出られません。この店舗との駅外への導線の区別ないところがよりわかりにくくしています。グレーと黒を基調とした色調なので、黒い服を着るといい感じで風景に溶け込みます

敵襲があったときには、敵の判断を鈍らせることできる設計になっています。なかなかの軍司がかかわっていたものと思います

土地の所有者は誰?!

土地が誰の持ち物なのかを調べてみるとこの駅のちぐはぐな点が浮き彫りになってきます

高架下は東日本旅客鉄道さんの土地なのです。駅前広場新潟市。新たに広場になる部分は、東日本旅客鉄道さんから新潟市が買ったのではないかと思います。市の玄関口なので、きれいな広場を整備しましょうということなんでしょう。南口広場国鉄清算事業団から買いました。旧国鉄側は上手に土地を売り抜けているように見えます。大幅に規模が縮小されたなんちゃってペデストリアンデッキは、新潟市土地建設されます。高架下の建物東日本旅客鉄道さんのものなので、そこにお願いして接続させてもらっている体になりますバス乗り場部分が東日本旅客鉄道さんの所有地だとすると駅下の一等地提供したくなかったのかと妄想が捗りますバス乗り場で分断されても店舗面積を稼ぎたいその気持ちエキナカ運営者の立場としては当然かもしれません。高架下の駅舎の中は持ち主の東日本旅客鉄道さんの気持ちがあふれた設計になっています

設計コンペのプランからなくなったもの?!

2002年設計コンペは、堀越英嗣氏のグループが選ばれました。次のxに上げられた画像を見ると堀越氏の想いはいずこへ。

新潟都市再生 @ryuto_niigata 10:50PM ·Mar11, 2020

https://x.com/ryuto_niigata/status/1237737592889544704

ペデストリアンデッキ

万代口のマルタビルブラザービル前まで横断歩道を渡らずに行ける予定でした。メンテナンスが難しそうな雲形のデザイン歩道屋根に置き換わっています。このペデストリアンデッキは、斜めに走っている補助路があり、人間の近道をしたい心理をうまくついていました。

・島式のバスロータリー

先ほどふれましたが、バス乗り場の面積が縮小されていますバスを一覧しやすい乗り場という設計者の配慮は無になりました。

・高架ホーム屋根上のテクスチャ

木造風でした。

他の設計者のアイデア?!

高架下の道路として予定されていた駅西線や駅東線に車寄せやバスのりばの入り口を設けたものアイデアとしてよかったです。このアイデアを実現しようとすると東日本旅客鉄道さんのエキナカ店舗面積が減ってしまます

駅前広場が丘になっていて、丘の上も丘の中も歩けるというのもよかったです。雨風に強いプランは天候がよくない新潟向きです。

新潟都市再生 @ryuto_niigata 2:35PM ·Mar12, 2020

https://x.com/ryuto_niigata/status/1237975437415874560

都市交通ターミナル設計

https://www.kochi-tech.ac.jp/library/ron/2002/g5/M/1035010.pdf

この高知工大の澤田さんが作った資料は今となっては当時のコンペの条件を伝える貴重な資料です。

高架化したのに残る跨線橋?!

新潟駅から西に1.4㎞に西跨線橋、東に0.4㎞に東跨線橋があります。この2つの跨線橋は高架化後も残存しています。西跨線橋付近そもそも90年代計画時点で高架化の範囲から外れており、駅から西跨線橋に向けて下り坂になっています越後線が西跨線橋をくぐると白山駅手前の信濃川を渡河する橋梁があるため、登り坂になっています???

跨線橋の下は在来線が通り、この跨線橋の上を新幹線の高架が通っていました。在来線の高架化で在来線新幹線と同じ高さまで高度をかせぐようになりました。この東跨線橋は、予算不足のため跨線橋が残ったままです。数年後壊すことになっています

実際のところ、街のお年寄り新潟踏切がない街だからといっていました。ここで指す新潟新潟島+アルファの狭義の新潟です。狭義の新潟には、米山踏切天神尾踏切くらいしか踏切がなかったと思います。現新潟駅が街はずれの田んぼの中に作られたこと、現新潟駅への移転に合わせて白山までが作られたためかと考えられます

結局のところ、取り除かれた踏切米山踏切天神尾踏切で、それ以外の個所は線路道路オーバーパスしていたところが多かった状態でした。降雪時に凍結しやす跨線橋が残ってしまったのはとても残念です。

新幹線は、在来線道路上下が入れ替わる状態無視して、それらの上を行く高架で郊外の田園地帯まで抜けています

せっかくなので、線路は高架、道路は平面というポリシー街づくりをしていただきたかった。まことに残念です。いっそのこと新潟駅の上を高架道路で結んだほうがよかったかもしれないです。

駅と一体化できなかった再開発ビル?!

昭和57年上越新幹線開業時、新潟駅には、駅構内ステーションデパートのセゾン・ド・ニイガタと駅裏にあった気動車車両基地の向こう側に長大な連絡通路を挟んだ再開発ビルプラーカが3棟建てられました。セゾン・ド・ニイガタは、その後、CoCoLo名前を変え、新潟駅リニューアルの核店舗となった。開業当時は西堀ローサとならんで、おしゃれスポットでした。プラーカは、プラーカ1、プラーカ2,プラーカ3と地下から地上5階までのショッピングモールが出現。セゾンよりも大規模で店舗数も多いスポットでした。東急ハンズ山下家具フランチャイジーとして運営したハンソンアニメイトゲームセンター、多数の衣料品店などでにぎわっていました。プラーカ4?として西友進出計画までありました。しかし、バブル崩壊後の景気低迷でセゾンはせんべいとか鮭の瓶詰を買う新潟土産屋になり、郊外の大規模モールの台頭でプラーカは集客力が落ち、テナントが歯抜けとなって破綻したのでした。無印Francfrancもいなくなり、今は中央に吹き抜けがあるオフィスビルになっています。このビル第三セクターだったため、新潟市は大きな打撃を受けることになりました。

気動車車両基地は、数年後に新津駅移転し、国鉄清算事業団所有の空き地が残りました。この空き地新潟市が買い取ることになり、新潟市のひとり負けです。

市民参加のまちづくり?!

2000年ごろから市民参加のまちづくりという錦の御旗の下、駅の設計市民が参加するムーブメントを当時の市長が始めた。この動きが2003年新潟駅設計コンペに影響があり、プランが大胆に変更されるのかと思いきや、新潟駅設計コンペは、新潟駅周辺整備基本構想にしたがって、設計コンペが実施されたのでした。

都市みらい通信

https://www.toshimirai.jp/ifudletterpdf/200111.pdf

新潟駅周辺整備基本構想では、駅を貫く道路バス専用で、道路交通は駅西線と駅東線が担うことが決められていました。プランの肝心なところは、市民が参加しても変えることはできず、まだ詳細設計がされていなかった広場で、機能関係がない見た目のデザインがとかバリアフリーがとか枝葉の部分の議論に終始したのでした。車いす駐車場から広場への歩道の導線がよくないと直したら、車寄せと駐車場の面積が半減してしまいました。完成後の混雑が必死なのか閑古鳥がなくのか興味深いポイントです。そんなことよりも在来線ホームが5階の高さの時点でめっちゃバリアです。

この市民参加の部分は学術論文が書かれています

新潟駅駅舎・駅前広場計画提案競技を事例として

https://niigata-u.repo.nii.ac.jp/record/31114/files/ZH_2005_963-964.pdf

新潟市周辺整備計画

http://opac.niigatacitylib.jp/shisei/koho/shiho/2005/050710/pdf/2002_08.pdf

Permalink |記事への反応(2) | 22:35

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2024-04-25

anond:20240425002917

このおっさんを少し距離の離れたスリット電車改札口など)に一人ずつ通すと、一人ずつのはずなのに互いに干渉たかのような干渉縞が表れるんだよな

Permalink |記事への反応(0) | 00:34

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2024-03-13

anond:20240313123638

地元沿線各停のある駅には商店街入口側に唯一の改札口がある。

ラッシュ時の改札前道路は、人が集中して危険なほどの混雑。


ということで、人の流れを分散させようと、

その反対側に二つ目改札口を作る計画鉄道会社が立てた。


しか商店会が反対して潰してしまったらしい。

人の流れが自分たち商店街から遠のくから


その後、住民自治体いくら新改札口を望んでも、鉄道側が受け入れることはなく、

朝夕の混雑は解消していない。


商店会代替わりして衰退し、誰も責任を持つわけでもなく、負の遺産のみが残された。

Permalink |記事への反応(1) | 19:21

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