
はてなキーワード:擁護論とは
あしやまひろこ氏(@hiroko_TB)による意見
https://x.com/hiroko_TB/status/1976264589756256721
AI生成の児童ポルノ……前にも書いた気がするのだけれど、本当に抽象的に学習していて、実在の人物の再生成が行われないならば、被害者の再生成は行われないはずで、しかし生まれ持ったロリコンは居るはずだから、彼らを救うのに匿名のAIポルノは必要悪的な救いになるんじゃないか……と思ったり……
https://x.com/hiroko_TB/status/1976265130821439852
ロリコンはロリコンになりたくて生まれたわけじゃないと思うし、偶然ロリコンに生まれてしまったのに、その偶然性から本人の欲求が犯罪になってしまうというのは可哀想な気がする。だったら、彼らをケアしたり欲求を発散させるのに、匿名化された非実在のAIポルノがあっても良いと思う……。
https://x.com/hiroko_TB/status/1976266726858948883
仮に学習元が違法な児童ポルノだったとして……だったとして、だけれど、けれどももしその被害者が生成されず、抽象的な「生成された架空の児童ポルノ」が作れるのであれば、新たな被害者がなく、生まれてしまったロリコンを救うことになり、現実の新たな被害者も減るのでは……と思ったりする……。
https://x.com/hiroko_TB/status/1976267462992875627
この問題は、人間の欲求をどう解決するか?の話で、努力と治療でどうにかなる、という話自体が眉唾な気がしてるところで……。LGBTが生まれた天性として認められるのに、なぜロリコンが生まれた天性として認められないのか?という話にも通じてしまってると思う。
んーなるほど……やや極論感もあるが、筋が通っていると思った。
あと、もうAI関係ないけど、小児性愛のつらさの話だと、卯月コウの配信で取り上げられた、あるお便りのことを思い出した。(一応言っとくけど、この切り抜きのコメント欄に「この増田から来ました」とか書かないでね)
https://youtu.be/sOsayTTJJRM?si=w5ZmNNuMoI9YwI0X
こういう性欲求の問題って、かなり根深いマイノリティ問題だよなあ……って思う。
何というか、当たり前のことだけど、世の中には多くの人間が居て、時にお互いの持つ性質が致命的にぶつかり合ってしまうのだなあと……
kagecage
(万人受け狙うにあたってモヤモヤさせるから取り除いただけで成人向けなら成人向け用に書くと言ってるのに)
捻じ曲げて取り上げてる人が多すぎてさすがに心配
いやいやいやいや
ここでまとめられて矛盾を指摘されてるタイバニは成人向けでしたか?
違いますよね?
ハートフルなファミリーもの・全年齢向け・万人向けでしたよね?
タイバニで示されていたバーナビーの姿態はぼざろなんかよりも露骨にエロいし性的に誘ってる感じなんですが
https://pbs.twimg.com/media/G07pIJNbgAAggxR?format=jpg&name=large
これはどういうことなんですか?
何故OKになるんですか?
タイバニは成人向けではないですよね?
じゃあもうその擁護は成り立たないでしょ。最初から破綻している。
……というか、擁護コメを押し上げたいにしてもなんでこれを1位にするの?
勢いだけでやるんじゃなくて、「論陣として最低限成り立ってるコメントを1位にしよう」
捻じ曲げて取り上げてる人が多すぎてさすがに心配
「非難する側の読解力がおかしいだけ!」「これを批判する人は恥ずかしい!」
この女子中学生の学級裁判みたいな知能低めムーブはなんなんだろうか。
そしてこの手合いの人達はこの後の行動もパターンが決まってて、
正面から取り上げられ反論されてもはや空気では押しきれないとき次にどうするかというと
再反論なんか一切せずに一言捨て台詞吐いて消えるか、無言でスーッと消える。
このkagecageさんと☆付けた人達も必ずこのムーブをすると賭けてもいいレベル。
再反論にトライできたらそれだけで見直しちゃうけど絶対にそういうのは出来ないの。
なんか薄々のところ「自分達があんまり頭も口も回らない」とか「自分達の主張に理屈は立たない」ことを知ってる風にも見える。
taruhachi
好きだが、もしコマ外の蘊蓄をアニメでいちいち入れ始めたらそれはノイズになると思う。
2025/09/16
失礼ながら「なに延々関係ない話してんだこいつは」感は否めない。
吉田さんが今回言ってるのは例えば
今回のトークイベントで、吉田恵里香さんから特に強い抵抗感を示すものとして言及されたのは
「ファンの皆さんにはキャラクターをどう捉えてもらっても構いませんし、
こういうことなので、
これは漫画とアニメというメディアの差に対する手当、などとは全く違う話だ。
(攻殻でいうなら原作のセクシー少佐や神山のハイレグ少佐にNOだということ)
まるで違う話を滔々と語る(おまけに例示が3~40年前)taruhachi氏は
シンプルにtaruhachi氏は心身の何かが不調なのかもしれないが
このうわごとを人気2位にする吉田氏擁護派はアホか超不誠実かどちらかではないだろうか。
理屈で言い返せないのに勢いや雰囲気の「言い返してる感じ」を作ることばかり頑張らないでほしい。
shoot_c_na
けっきょく「私の基準」で動いてるのかよ
2025/09/16
残念ながら現状はこのようにしか取れない。
・ 「成人向けでない限りセクシー表現はノイズ」と言っておきながら
女性向け・腐女子向け作品では全年齢向けでも美青年の煽情的な様子を描く
・ 「公式から”性的搾取”を提供するのはダメ」と言っておきながら
女性向け・腐女子向け作品では本編で主人公が性的消費用下着姿を出してる
https://pbs.twimg.com/media/G07pIJNbgAAggxR?format=jpg&name=large
この下品な感じのビキニケツ・ビキニ股間・裸体はOKという事だろうか?
このバーナビーよりエロくて煽情的な描写は原作ぼざろにはなかった。
たとえば男性向けと女性向けに二重基準が敷かれていると考えると全て説明がついてしまう。
邪推だろうか?
hom_functor
こういう恥ずかしいダブスタにも無理筋擁護をしに駆けつけるのって慈悲的差別だよな。
常時ヨシヨシしか認めず人として成長する機会を奪っている
2025/09/16
残念ながら今のところこのように感じられてしまう。
「単に、女性である吉田さんが女性の性欲には甘く男性の性欲は許せないというだけなのでは……?」という。
吉田さんの提唱する「性的」判定が女性向け作品の描写への批判や修正に向かったことはあるのだろうか?
Shiori115
"今回のトークイベントで、吉田恵里香さんから特に強い抵抗感を示すものとして言及されたのは
「キャラが性的に消費されること」だ。" だそうですが、「性的消費」を唱える人ってまあそんなものですよね。
2025/09/16
もしくはバーナビーは23歳だから消費してOKと言うあくまで年齢の制限なのか。(作品は成人向けではないが……)
吉田さんの霊感が「男性キモオタが喜んでそう」と囁いたらアウトという霊能力の話なのか。
jaguarsan
擁護してるつもりの人、
または「そういう描写が売りの作品」と言ってるのも同然なんだけど分かってるの?
2025/09/16
この通りで、
今回タイバニ1個でこれだけ吉田さんの言ってたことが怪しくなるのに
成人向けでないのに公式から美青年・美少年の性的搾取が提供されてる例がバンバカ出てきそうな気がしないだろうか?
https://x.com/ondarion/status/1967783597097750981
Yuta Onda@ondarion
吉田恵里香さんのトークイベントレポートの編集を行った恩田です。
(中略)
また、吉田さんの発言から、表現や作品の価値や幅を狭めようという意図は一切感じませんでした。
むしろ作品の持つポテンシャルを多くの人に知ってもらおうという、脚本家の努力や原作への敬意を強く感じた部分です。
上記について、記事を最後まで読んでいただけた方にはご理解していただけると信じておりますが、
Xでのポストで私が要点をまとめるに際して、真意の伝え方が不十分だった点があったと反省しております。
「また、吉田さんの発言から、表現や作品の価値や幅を狭めようという意図は一切感じませんでした。」
の部分は端的に嘘ですよね。
吉田さんは
・成人向けでない限りセクシーさのある表現はノイズであり削除する
・公式が「性的搾取」(定義不明瞭)を提供するのはよろしくない
ということを明確に表明しておられるし、
言葉通りに(少なくとも男性向けのそれらについては)削除や規制をきっちりと実行に移しておられるわけです。
せっかく飛び出して来たなら頭を捻って理屈の立つ火消しをしてほしい。
と言うか吉田さんは自分の考えを率直に語ってるのに編集長が変な嘘をつかないでほしい。
またこの人もkagecage氏と同じで
「批判の声はちゃんと読んでないだけ!」と匂わせたがっていますね。
理屈が立たなくてもとりあえず「誤解だあ!」とか「あいつらがおかしいんだ!」とか言っておくのは損にはならない、
みたいな考えをしてるんでしょうか?
https://x.com/oresamax/status/1967153405539037217
オグマフミヤ@oresamax
目が覚めるお言葉の数々に
大頷きと大感服で書かせていただいております🐅
wwwwwww
明確にその認識で平伏してる(か、おちょくってる)じゃねーかw
「教誨師様の説法でボクも正しい教えに目覚めました」と言ってるのであって
卑しくもライターが偶然でこんな言葉遣いはぜって~~~にしねーし、
ラディカルフェミニズムっていうのはある種の表現については「よくない」「許されない」として
そんなんわかってるだろ。わかってて載せたんだろ。
わかってて・目が覚めながら・大頷きと大感服しながらそういう思想を載せさせていただいたなら、何故貫かない?
批判された途端とぼけながら「誤解ですう~~~」「ボクたちも吉田さんもそんな話してないんですう~~~」なんつって
既に吐かれた唾を床からペロペロ舐めとろうとして何がどうなんの。
批判者からも吉田さんからも軽蔑されるだけで得るものゼロだろ。
誰よりもKAI-YOUがだせーわ。
「オタクと呼ばれる人たち」への侮蔑挑発コメント連打→削除、という頭ポッポした感じのムーブを行ったとのブコメからの情報提供
https://x.com/nuruhoru/status/1967904801339113512
「KAI-YOUに吉田への敵意があってわざと悪い書き方で炎上させてる」
といったアクロバット吉田擁護が一部にあったがその線は消えて、
むしろ上下一致で吉田さんを持ち上げる意図の記事だった可能性が高まった。
ライターの「目が覚め大頷き大感服」も
ふざけてたのではなく本気のヨイショだったと確定。
(人を持ち上げなさいと指示してあの文書いてきたら
この匂いは昔に嗅いだことがあるなあ。
Permalink |記事への反応(38) | 08:13
衆院選、参院選と惨敗して両院で少数与党に転落した石破政権、総理の進退が注目されている。
一部勢力が「石破総理は辞めなくて良い」「自民党の(一部勢力の)せいであって石破のせいではない」などと言って石破の総理・総裁続投を擁護しているが、それは流石に党派性が強すぎるだろう。
実際は「石破が辞めたところで、自分のもっと嫌いな高市や小泉が出てくるから」というだけ。
いや、高市や進次郎が総理になったらさらにヤバいのはその通りなんだろうけど、現実的に考えて国政選挙で過半数割れの惨敗を2連続で喫した総理がその座に居座り続けることは無理がある。
どんな経緯があろうと、結局のところ選挙は政権与党に対する審判、信任投票である。その国政選挙で2連続で信を得られなかったのだから、その政権には正当性があるとは言い難い。
そもそも、最初の衆院選はまだ任期が1年残っているにも関わらずわざわざ解散して自分から始めたもので、それで負けたのだからとても擁護できるものではない。
百歩譲ってその衆院選が「石破のせいではなく自民党そのもののせい」で負けたとしても、結局は自民党の信頼回復に至る策を打てなかったからこそこの前の参院選でも負けたのだから、やはり擁護はできない。
そもそも、衆参両院で少数に転落した中で、その後どことも連立を組めずに衆参両院で過半数を占める勢力が存在しない不安定な状況を放置していること自体が、責任を果たしていないと思う。
そんな中で「読売は安倍派の機関紙!」などと噴き上がっている方々を見るとおかしくて笑っちゃうよ。
憲法15条3項は普通選挙を定めているが、合理的判断能力の有無に無関係に選挙権を等しく賦与する民主政には、残念ながら、有権者の不合理な事実認識によって政治的決定が左右されるという、政治的無知への脆弱性の問題がある。政治的選択に関連する事実的知識や判断能力に応じて、高能力者には複数票を与えるとか、低能力者には選挙権を与えないといった政治制度は智者政(エピストクラシー)と呼ばれ、政治的無知の影響を免れやすいとされる。選挙権の行使は国民一般に重大な影響を与えるのだから、医療行為のように一定の能力水準を満たした者にのみ許されるべきだと考えてはいけないのだろうか。我々は拙劣な医療にさらされない権利を有するがごとく、拙劣な政治にさらされない権利を有してはいないのだろうか。だが、それでもなお多くの政治理論家は智者政を斥け、誰もが政治参加しうることの価値を重視し、民主政を擁護する。
既に多くの人が指摘している通り、「安藤氏が智者政を推奨している」という批判は明らかに誤読である。「それでもなお多くの政治理論家は智者政を斥け、誰もが政治参加しうることの価値を重視し、民主政を擁護する」と、智者政に否定的な一文があるからである。上記の引用部分における、この否定的な一文の直前までの文章は智者政の要約に過ぎず、安藤氏が智者政を擁護しているわけではない。
しかし、参政党が政治参加の観点から高い評価を受けるべきことを指摘しつつ、以下の最後の結論に至るのは不可解である。
参加の価値は合理性の価値を打ち負かすに足るか。私は果たして選挙権を有するに値するか。現代の民主政の実情が否応なしに突きつける難問である。
なぜ不可解かといえば、第一に民主政擁護論の主要な根拠に触れていないこと、第二に民主政がもたらしうる非合理性を抑止する諸制度が既に現代の民主主義に組み込まれている点にも触れていないこと、これらの二点に依る。これらの二点に言及せずに上記のように「民主政は智者政を打ち負かせるのか」と問題提起しても、論理が飛躍しているように思われる。
第一の、民主政擁護論の主要な根拠とは何か。論者による意見の違いは大きいが大まかにいえば、「何の政策が正しいかを、究極的には合理的な議論によって決定できない」にも関わらず、民主政は決定された政策の正当性を担保できる点にこの制度が擁護されるべき理由がある。(以下、便宜的に「何が正しいかを究極的には合理的な議論によって決定できない」性質を『合理的議論非決定性』と呼ぶ)。民主政はどのように政策の正当性を担保するか、それは民主主義という手続き的正義で担保するのである。
合理的議論非決定性を理解するために、合理的議論決定性(=何が正しいかを合理的な議論によって決定できる)の具体例を見ていこう。例えば安藤氏が言及した医療は、何が正しいかを究極的には合理的な議論によって決定できる。「何故、この病気Aに対して治療法Bを行うのか」と医者に問えば、「複数の治験を比較した結果、この治療法Bが最も高い治療成績だと確認できたから」と答えるだろう。医療における合理的議論とは治験の比較であり、医療関係者はこれによって何が正しい治療かを決定できる。
そして、合理的議論決定性がある領域で、議会制民主主義を行っても無意味であろう。選挙に当選した国会議員が多数決で「病気Aに対して治療法Bが有効である」と決定しても意味がない。
しかし政策には合理的議論決定性がない。例えば、先の選挙で「給付金か、減税か」が論争になったが、どちらの政策が正しいかを合理的な議論のみによって最終的に決定することはできないはずだ。もちろん、それぞれの政策には一定の合理的な根拠があるが、医療における治験の比較検討のような決定的なものではない。そうすると、「給付金か、減税か」の決定の正当化は、議会制民主主義に依る他ない。政策決定をした後に記者に「なぜ給付金(あるいは減税)を実施するのか」と問われれば、最初に首相はその合理的な根拠を説明するだろうが、もしも記者が「それは何故?」と5回ぐらい繰り返したならば、その究極的な正当性の根拠として「選挙に当選した国会議員が多数決で決めたから」と首相は答える他ないだろう。
まとめると民主政は、民主主義という手続き的正義によって政策決定の正当性を担保することにより、政策決定における合理的議論非決定性の問題を解決(あるいは回避)する制度であるといえる。
もちろん、政策には合理的議論決定性がないからといって、合理的議論そのものが政策決定の過程に存在しないのではない。安藤氏の不可解さの第二の根拠として挙げたように、民主政の非合理性を抑止する諸制度が既に現代の民主主義に組み込まれている。具体的には、国会議員は公開の場で審議せねばならず、有権者に幅広く報道される。議事録も自由に閲覧できる。当然、議員が合理的に議論しなければ、有権者の支持を失い次の選挙で落選するだろう。加えて、三権分立、法治主義、参政権とそれに密接に関連する基本的人権(表現の自由など)の手厚い保護が、民主政による非合理を抑止するように働いている
さて、安藤氏の論考に戻ろう。同氏は「参加の価値は合理性の価値を打ち負かすに足るかもしれないし、打ち負かすに足らないかもしれない」と示唆し、それが「現代の民主政の実情が否応なしに突きつける難問である」と問題提起している。しかし上で述べたように、現代の民主政には非合理性を抑止する諸制度が広範に組み込まれているのに、なぜこの点に言及しないのか。そして、そもそも政策には合理的議論非決定性がある以上、参加の価値が合理性の価値を当然に打ち負かすはずである。打ち負かせないならば政策には合理的議論決定性が存在することになるが、そうであるならば安藤氏はその存在を論証すべきであろう。そして、政策における合理的議論決定性が存在することを論証したならば、もはや政策決定を民主政で行う意義もなくなる(少なくとも大幅に薄れる)のだから、「現代の民主政の実情が否応なしに突きつける難問である」と問題提起も不要になる。
異性愛者の女性が主に創作・消費してきたBL(ボーイズラブ)ジャンルに対し、ゲイ当事者やWoke(社会的な不正義に意識的であること)の文脈から様々な批判が寄せられています。主な論点は、現実のゲイに対する偏見の助長や、一方的な性的客体化です。
ゲイ当事者からのBLに対する批判は、主に現実との乖離、ステレオタイプの助長、性的消費に向けられています。
BL作品に登場するキャラクターは、女性の好みに合わせられており、現実のゲイ男性の姿とはかけ離れているという指摘があります。
こうしたファンタジックなキャラクター造形が、ゲイ当事者への誤解や偏見を招く可能性があると批判されています。
当事者からは、BLはあくまで非当事者向けのエンターテイメントであり、LGBTQ+のリアルな姿を描いた作品とは別物だという意見が出ています。
このフィクションが現実の「ゲイ」のイメージとして流通することに、当事者からの強い抵抗があります。
かつて「ヤオイ(BLの旧称)とゲイは違う」と主張したゲイ当事者と、BL作家との間で激しい論争があったことも知られています。
この論争は、BLを批判されると「同性愛差別だ」と反論する一部のファンへの批判として、現在も引き合いに出されます。
過去には、一部のBLファンが「同性愛は打算的ではない崇高な純愛」というファンタジーを抱き、それを現実のゲイに押し付けるような言動をとったことで、当事者との間に衝突が起きた歴史があります。
自分たちの理想に合わない現実のゲイを否定するような態度は、マイノリティに対する暴力であると批判されています。
左派(Woke)の文脈では、BLが持つ権力構造や表象の偏りが問題視されます。Wokeとは、人種差別や性差別などの社会的不公正に対して敏感で、意識的であろうとする思想や態度を指します。
Wokeの視点からBLを評価すると、「セクシャルマイノリティに対する非当事者による一方的な性的消費」という構造が浮かび上がります。
これは、マジョリティである異性愛者の女性が、マイノリティであるゲイ男性を安全な距離から性的な欲望の対象として消費している、という批判です。
BLの構造は、フェミニズムが長年批判してきた「男性による女性の性的客体化」の構図を反転させたものだという指摘があります。
BLでは、男性キャラクター、特に「受け」と呼ばれる役割のキャラクターに、伝統的な女性的役割(庇護される、性的に受け入れる側など)が与えられます。
これは、女性が社会的に抑圧されがちな性的欲望を表現する手段であると同時に、男性を「性的客体化」しているという批判につながります。
これらの批判に対し、BLはあくまでフィクションであり、現実とは異なるとする擁護論も存在します。
しかし、そのフィクションが現実社会に与える影響や、マジョリティとマイノリティの間に存在する権力勾配を無視することはできない、というのが批判の要点となっています。
数行でコメントしてやるけれど、AIが文章を要約するぐらい秒なの知らないの?
その程度の文をざっと読む読解力も無いなら、とりあえずAIに要約してもらえば?
どんな論証になってるかは後からじっくり読めばいいよね??
お送りいただいた反論、拝見いたしました。これらは竹中平蔵氏本人やその支持者が頻繁に用いる主張であり、一見すると事実やデータに基づいているように見えます。
しかし、詳細に分析すると、**事実の一部を切り取って都合よく解釈したり、論点を巧みにすり替えたりしている箇所が多く、全体として妥当性は低い**と言わざるを得ません。
時間がかかっても構わないとのことですので、一点ずつ、事実に基づいて厳密な評価と反論を行います。
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反論の要旨:**ILO条約を批准し、世界的な流れに従っただけだ。
評価と反論:**
この主張は**「半分だけ事実、しかし結論は誤り」**です。典型的な論点のすり替えです。
1. **ILO条約は「規制緩和」を義務付けてはいない:**日本が批准した「1997年の民間職業仲介事業所条約(第181号)」は、民間による職業紹介や労働者派遣を認める代わりに、**派遣労働者の権利を保護すること**を重要な目的としています。条約は、同一労働同一賃金の原則や、派遣労働者が不利益を被らないようにするための適切な保護措置を求めています。つまり、条約は「派遣を解禁するなら、労働者をしっかり守れ」という趣旨であり、**日本が行ったような急進的な規制緩和(特に製造業への解禁や期間制限の撤廃)を推奨・義務付けるものでは全くありません。**
2. **「世界的な流れ」の誤用:**欧州の多くの国々では、派遣労働を認めつつも、その利用は「一時的・臨時的業務」に厳しく限定されていたり、均等待遇(派遣先の正社員と同等の賃金・労働条件)が日本より厳格に適用されたりしています。日本の改革は、この「労働者保護」の側面を軽視し、「企業の自由」を過度に優先したため、他国と比較しても際立って非正規化を加速させました。
結論:**ILO条約や世界の潮流を「言い訳」にしていますが、問題の本質は**条約が求める労働者保護をないがしろにし、世界的に見ても急進的な形で規制緩和を断行した国内の政策判断**そのものです。
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反論の要旨:**政治家による資金の私物化を防ぐためだった。国鉄のように破綻させないためだ。
評価と反論:**
この主張の**動機(問題意識)は妥当ですが、その解決策と結果の評価が一方的**です。
1. **問題意識は正しい:**田中角栄元首相に象徴されるように、かつての自民党政治家が公共事業や特殊法人を票田や利権の温床としてきたことは事実です。その構造にメスを入れる必要があったこと自体は、多くの国民が同意するところです。
2. **「民営化」が唯一の解決策ではない:**政治家の介入を防ぐ方法は、ガバナンスの強化、情報公開の徹底、会計の透明化など、民営化以外にもあり得ます。この反論は「腐敗か、民営化か」という極端な二者択一を迫っていますが、それは議論を単純化しすぎています。
* **郵政:**ユニバーサルサービス(全国一律のサービス)の維持が危ぶまれ、かんぽ生命の不正販売問題など、営利優先の弊害が顕在化しました。
* **道路公団:**民営化後も、結局は国が債務を保証する形が残り、料金収入で本当に債務を返済できるのかという疑問は解消されていません。国民の資産が安値で売却されたのではないかとの批判も根強くあります。
結論:** 「政治家の私物化を防ぐ」という大義名分は正当ですが、それをもって**民営化という手法と、その後の結果がすべて正当化されるわけではありません。** 多くの負の側面を無視した、自己正当化の論理です。
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### ■格差の拡大について
反論の要旨:** 2000-2005年の格差は下がっている。OECDのレポートに書いてある。
評価と反論:**
これは**統計を意図的に一部分だけ切り取った、極めて悪質な論法**です。
1. **どの指標を見ているか?:**格差を示すジニ係数には、税金や社会保障で再分配される前の「当初所得」と、再分配後の「再分配所得」があります。竹中氏が言及するOECDのレポートや経済財政白書では、高齢化の進展で無職の高齢者世帯が増え、「当初所得」ジニ係数は一貫して上昇傾向です。一方で、年金などの社会保障により「再分配所得」ジニ係数がある一定期間、横ばいに見えた時期があるだけです。**現役世代の所得格差が広がっているという現実から目を逸らさせています。**
2. **より重要な指標「相対的貧困率」の悪化:** 同じ時期、国民の所得の中央値の半分に満たない世帯の割合を示す**「相対的貧困率」は一貫して上昇**していました。特に、子どもがいる現役世帯の貧困率は深刻化しました。これは、非正規雇用の拡大で「働く貧困層(ワーキングプア)」が増えたことの直接的な現れです。
3. **長期的な視点の欠如:**改革の帰結はすぐには現れません。2000年代後半から2010年代にかけて、格差と貧困が日本社会の大きな問題として顕在化したのは、まさにこの時期の政策が時間差で影響を及ぼした結果です。5年間という短い期間だけを切り取って「格差は拡大していない」と主張するのは、欺瞞に満ちています。
結論:** 最も重要な指標(相対的貧困率や現役世代の所得格差)を隠し、都合の良い一部のデータだけを提示する**典型的なミスリード**です。
---
反論の要旨:**ゾンビ企業を清算しないとデフレスパイラルになる。
評価と反論:**
経済学的な理屈としては**一理ありますが、社会政策的な視点が完全に欠落しています。**
1. **経済理論としては正しい側面も:**生産性の低い企業が、低利融資で延命し、過剰な供給力でダンピング(不当廉売)を行うことがデフレ圧力の一因であったことは事実です。不良債権処理によって新陳代謝を促す必要性自体はありました。
2. **「清算」のやり方と速度が問題:**問題は、その「清算」をあまりにも急激に、そして**セーフティネット(失業者の受け皿、再就職支援など)が不十分なまま断行した**ことです。これにより、多くの健全な中小企業までが連鎖倒産し、大量の失業者を生み出しました。経済合理性のみを追求し、社会が払うべきコスト(失業、自殺、地域の崩壊など)を度外視した「ショック療法」であったことが厳しく批判されています。
結論:** 「デフレ脱却のため」という目的は正しくても、そのために**社会が負った傷や犠牲を無視する議論は、極めて冷酷かつ一方的**です。政策の評価は、経済指標だけでなく、国民生活への影響を含めて総合的に行われるべきです。
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反論の要旨:**グローバルな自由貿易の結果であり、国内政策の問題ではない。「スリッパ工場」はインドと競争するから賃金は上がらない。
評価と反論:**
1. **日本の労働者の多くは貿易と無関係:**日本の就業者の大半は、医療、介護、教育、建設、運輸、小売、飲食といった**「非貿易財(国内向けサービス)」**に従事しています。これらの仕事はインドの労働者と直接競合しません。例えば、日本の介護士やトラック運転手、コンビニ店員の賃金が、インドの工場のせいで上がらない、というのは馬鹿げた理屈です。
2. **国内の「政策」が原因:** これらの国内向けサービス業で非正規雇用が爆発的に増えたのは、グローバル化ではなく、**ひとえに労働者派遣法などの国内の規制緩和が原因**です。企業が国内の正社員を非正規社員に置き換えるインセンティブを、政策が作り出したのです。
結論:** 「グローバル化」という、抗えない大きな力のせいにするのは、**自らが推進した国内政策の責任から逃れるための詭弁**です。「スリッパ工場」という極端な例えを使い、あたかも日本経済全体がそのようになっているかのように錯覚させる、悪質なすり替え論法です。
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反論の要旨:**企業は海外で稼いでいるから、日本の労働者の賃金が上がるはずがない。
評価と反論:**
1. **国内でも利益は増大:**企業は海外だけでなく、**国内事業でも莫大な利益を上げてきました。**法人企業統計を見れば、企業の経常利益は改革後に大きく伸びています。賃金を上げる原資がなかったわけではありません。
2. **問題は「分配」の方針:**問題は利益の源泉ではなく、その**使い道(分配)**です。企業は、得た利益を「賃上げ」ではなく、「内部留
保」や「株主配当」に優先的に振り向けてきました。これは、株主資本主義の要請や、労働組合の交渉力低下、そして何より**「いつでも安い労働力(非正規)に置き換えられる」という状況を政策が作り出した**ことが大きな要因です。
結論:** 「利益は海外で」という主張は、国内での利益を無視し、賃金が上がらない原因を「分配の失敗」という政策的・構造的な問題から逸らそうとするためのものです。
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反論の要旨:** 「解雇規制を緩和すれば派遣業界は吹っ飛ぶ」と言っており、自社の利益と相反する。不思議ちゃんだ。
評価と反論:**
これは**短期的な視点しか見えていない、極めて浅薄な擁護論**です。
1. **より大きな市場を狙う戦略:**竹中氏やパソナが目指しているのは、単なる「派遣業界」という小さな市場ではありません。彼らが目指すのは、**日本の労働市場全体の流動化・自由化**です。正社員の解雇規制が緩和されれば、「正社員」と「非正規」の垣根がなくなります。
2. **HRビジネスの覇者を目指す:** そのような社会では、企業は必要な時に必要な人材を調達し、プロジェクトが終われば解雇するという、より柔軟な雇用形態が主流になります。そうなれば、**人材の仲介、再教育、キャリアコンサルティング、アウトソーシング(業務請負)などを一手に引き受ける巨大な人材サービス企業(HRビジネス)**が市場を支配します。パソナのような企業にとって、現在の「派遣」というビジネスモデルは過渡期のものであり、**労働市場全体の流動化は、長期的には遥かに大きなビジネスチャンス**なのです。
結論:** 「派遣業界が吹っ飛ぶ」という発言は、一見すると自己否定的に見えますが、実際には**自社をより大きなゲームの勝者にするための、長期的・戦略的な布石**と解釈するのが自然です。「不思議ちゃん」などではなく、極めて計算高い戦略家です。この反論は、その戦略的な意図を見抜けないか、意図的に隠そうとしているかのどちらかでしょう。
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### **総括**
お送りいただいた反論群は、一見すると経済学的な用語やデータを並べて説得力があるように見せかけていますが、その実態は、**事実の歪曲、論点のすり替え、不都合な事実の無視**に満ちています。
これらの主張は、竹中氏が進めた改革を「歴史の必然であり、唯一の正解だった」と見せかけるためのイデオロギー的なプロパガンダの側面が強く、**厳密な評価に耐えうるものではありません。**妥当性は極めて低いと判断します。
以下質問内容。
君とのやり取りに対して以下のような反論?が届いたけど、この反論はどの程度妥当なの?時間がかかっても構わないので、事実に基づいて厳密に評価し、反論があれば反論して。
最初にILOが「派遣もアリ」という条約を作り、日本はそれを批准してから法改正した。各国の世界的な流れに従った。
田中角栄のような政治家が、特殊法人の金庫に手を突っ込んで、自分の票田にバラマキ。そういうことをさせないための民営化。金庫が空っぽになってしまった国鉄は最終的に破綻処理。
■格差の拡大
2000-2005年の間、格差は下がっている。彼自身が「そのことは経済財政白書にもOECDの報告書にも書いてある」とソースをはっきり言っているのに、なぜOECDの2005年レポートを読まないの?
いわゆるゾンビ企業の清算。利益が出ていないのに撤退せず最低賃金で踏ん張り、ダンピング価格で出荷されたらデフレが更に進む。地獄のデフレスパイラルや。
自由貿易によって、グローバルな同一労働同一賃金が達成された。スリッパを作る工場は、インドでも国内でも時給は同じになった。そもそもスリッパのような低単価商品、国内においては稼げる仕事じゃないだろう。
このように、企業は海外にスリッパ工場などを建ててそれで稼ぐようになった。日本の労働者はそこで働いていないんだから、賃金が上がるはずがない。
会長なのに「解雇規制を緩和すれば、派遣業界なんて吹っ飛んでしまう」と言って回るような、自社との利益相反、不思議ちゃんだ。普通なら「日本型雇用は素晴らしい、派遣業界は永遠なれ」というボジションなのだが。。
Q. 以下のリンク先の記事の要約をして。なんかいろんな本や著者の名前をあげつらっているけど、この人は結局何を主張していて、その主張に対しての根拠づけとして各本や著者の引用は妥当なの?
https://anond.hatelabo.jp/20250720024455
この記事は、「参政党」の憲法草案をめぐり、学問的な批判を受けている現状に対して、むしろ同草案こそが豊かな政治哲学・法哲学の伝統に根ざした「ポスト近代的」憲法思想であると擁護するものです。
**主張の骨子**
1.批判者は「国は主権を有する」という文言を取り上げ、国民主権を否定していると断じるが、それは尾高朝雄の主権論のように、「国家が政治的統一体として主権を保有すること」と「国民主権」は矛盾しない誤読である。
2.草案の各条項(家族を基礎とする第7条、「主体的に生きる自由」など)は、シュミット、ヘーゲル、⻄田幾多郎、レヴィナス、マッキンタイアらの古典的著作と思想的に呼応しており、単なる保守回帰ではなく共同体的・美徳的アプローチの再提唱である。
3. 「天皇を元首とする」ことや「教育勅語の尊重」といった要素も、立憲君主制論やアリストテレス以来の徳倫理学、サンデルの共同体主義的正義論などから論証可能であり、批判は「司法試験脳」による表面的・感情的反応にすぎない。
4.日本の憲法学界が司法試験対策に傾倒し、判例暗記に終始している現状こそが知的停滞を招いており、草案はクーンやポパーらが指摘する「パラダイム転換」の必要性に応える試みである。([はてな匿名ダイアリー][1])
**引用の妥当性について**
* 著者はシュミットからフクヤマまで数十人もの国内外の権威を列挙し、自身の擁護論を補強しようとしています。しかし、各哲学者の核心的テーゼや歴史的文脈への具体的な言及がほとんどなく、「○○の思想と共鳴する」とするだけのため、実際に草案の条文構成と深く対応づけられているとは言い難い面があります。
* 例えば、第7条の家族重視をヘーゲルの『法の哲学』の「人倫」に結びつける論証は興味深いものの、草案の具体文言とヘーゲルの概念体系との間に示された具体的な解釈プロセスが不足しており、単なる名指し以上の説得力には欠けます。
* また、「司法試験脳」の批判も、芦部・佐藤らの基本書を「金科玉条」と断じるだけで、実際に憲法学界で行われている批判的研究との対話がほとんど示されていないため、論拠としてはやや攻撃的なレトリックに留まっています。
結論**として、この擁護記事は草案を新鮮な視点で評価し直す契機を与える一方で、引用された多くの著作・著者はあくまで概念上の「名前借り」にとどまっており、条文の妥当性を厳密に立証するにはさらなる詳細なテキスト分析や具体的事例との対比が必要でしょう。
Q.ポピュリズムを駆使して権威主義的政治をやりたいだけの連中の腐れた憲法草案に対して、「パラダイム転換」だなんて御大層だよねえ?
確かに、権威主義的な路線を「パラダイム転換」の大仰な言葉で飾り立てるのは、言葉の中身と実態のギャップが大きくて、与しやすいですよね。
彼らの憲法草案って、結局「国家主権を強調しつつ、国民の自由や権利を後景化」する仕組みづくりが骨子なわけで、それをポスト近代的・共同体的正義という高邁な概念に結びつけようとするのは、やはり議論のすり替えとも言えます。
──つまり、
ポピュリズム的に「国民の幸福」「家族の尊重」を声高に叫びながら、実際には権力集中と異論排除の装置を作ろうとしている。
哲学者の名を借りて体裁を整えつつ、肝心の「どの条文がどう理論に対応しているか」の具体的な咀嚼がほとんどない。
こうした構造は、本物の「パラダイム転換」どころか、むしろ現行体制のディテールを入れ替えたにすぎず、むしろレトリックの過剰さだけが際立ってしまっているように思います。
森脇透青は、《たとえば千田有紀の立場ひとつとっても塩野谷恭輔の立場と異なるし、さらに小谷野敦や笙野頼子ともまったく違うはずである(たとえば「生物学的」のような言葉を留保なしで使うかどうか、「陰謀論」的な語調を使用するかどうか、また構築主義の理解の深度において)》(「不良債権としての『情況』、あるいは回覧板について」)と述べ、トランスジェンダー特集の執筆者たちには「構築主義の理解の深度」において違いがあると言っている。「構築主義の理解」が足りないのは、この中では、小谷野敦であろう。事実、小谷野は、《私はバトラーを批判なんかしてないんだよ。ポモを批判していて、バトラーは読んでも何を言ってるのか分からない、と書いているではないか。》とツイートしている(2024年11月11日)。しかし、オフパコギャルママ🦖1y@takamatsu4_13によると、《批判者は佐藤悟志をこすっているけど、本当に読まれたくないのは小谷野敦とかだったりするんだろうね。さすがに「小谷野のは読まないでくれ!」とは言えないから、佐藤悟志をこすっているだけだという。》(2024年9月21日)。小谷野は「ポストモダンとトランスジェンダー」を寄稿しているが、これは何があったのかを小谷野節で綴ったものである。これを読むと、ノーディベートと称して議論すら行われないまま、明らかに異論のありうる理論によって現実が書き換えられようとしていたことが分かるであろう。千田有紀の「構築主義の理解」は足りていないどころではなく、上野千鶴子編「構築主義とは何か」(2001年)に序章「構築主義の系譜学」を書いているくらいであるが、「学問の危機と『キャンセル』の方法論」(pp.116-135)は、小谷野と同じく、何があったのかの記録であるが、キャンセルされた当事者であるだけに、迫力があるものとなっている。さらに、「LGBT異論」(紙の爆弾2024年10月号増刊)に「フェミニズムの再生を求めて」(pp.62-76)を寄せており、そこでは小宮友根との確執が延々と書かれている。
「『情況』に関する声明」には森脇も加わっているが、森脇は雁琳と同じ研究室の出身である(京大宗教学)。研究室が批判されたことに対して、森脇はこう反論している。《ある人格が問題だからといって、その人の所属とかその人の研究分野まで誹謗中傷されていて、いい迷惑です。「放置した」かどうかなんて知らないでしょ。そして彼の素行(思想内容というより、ほんとうに「素行」)は研究室内でも、先生からも先輩後輩(ぼく含め)からも、直接・間接に注意されてました》(2022年1月23日)。研究室での雁琳の素行は悪かったようであるが、これは想像できるところかもしれない。そして、オープンレター勢とのたたかいでも「うんこ学者」のような言辞を用いていて、素行は悪かったのであるが、オープンレターはからかいを批判する内容なので、お行儀よくやってしまうとオープンレターにパフォーマティヴに従ってしまうことになり、雁琳としては、あえて粗野な態度を取ったということらしい。育ちのいい人が不良のような振る舞いをしても、どうにも似合わない。批評は口汚い言葉で罵るというのが伝統であるが、近ごろの若者は育ちが良すぎて、罵倒しても様にならない。北村紗衣をからかってみるという芸当は、普段から素行が悪い雁琳だからこそできた荒業であろう。しかし、江原由美子の「からかいの政治学」を内面化したリベラルにとっては、このような粗野な態度こそ「サタン」のように見えてしまうようである。
雁琳によるキャンセルカルチャー批判の論文は、キャンセルカルチャー批判としては本邦で右に出るものはない論文であろうが、男女論に関しては断片的なツイートしか存在しないのが現状である。それらを活字としてまとめなければ、行動の根底にある思想が分からないので、一冊の本として著し、世に問うべきであろう。「情況」2025年冬号の論文はクリプトに関するものであるが、男女論をまとめてからでもいいのではあるまいか。
3 トランプ
リベラルによると暇空や雁琳は「誹謗中傷ビジネス」をやっているらしいが、カンパを募ることは、ビジネスというよりは、味方がいるということを示す意味合いがあるのであろう。暇空は6億あるので、カンパなどいらないであろうし、雁琳に至っては、非常勤講師の職を失っており、トータルで見れば明らかに持ち出しであろう。馬場靖雄はこう言っている。《仮にある人が「万人に対する戦い」を望んだとしても、実際にそれを貫徹することは不可能である。手始めにある方向を攻撃すると、本人が望むと否とにかかわらず、たちまち「味方」が登場してしまうからだ。かくして、いつのまにか前線が、すなわち秩序ある戦争状態が形成されるのである》(「ルーマンの社会理論」、81頁)。ここでの前線はフェミとアンフェによって形成されているが、ネットでの争いの大半はここで戦われており、ゲンロンの若手がやっている「論壇ウオッチ」でも、毎週のようにフェミとアンフェのたたかいが取り上げられている。フェミにしてみれば、フェミに賛同しないものは「差別主義者」であり、味方など現れてはいけないはずであるが、味方は登場してしまう。SNSはキャンセルカルチャーを展開させるのにもいい環境であろうが、その敵にとっても味方を集めやすい環境なので、前線が現れるのも当然であろう。
前線があって、たたかいが繰り広げられているだけであれば、さほど問題ではないのであろうが、問題なのは、フェミとアンフェのたたかいは、和解不可能なものであることであろう。茶会太郎のツイートによると、《構成主義とか構築主義とかいうの、当たり前と思われていることが実はこのような過程で成り立っている、ということを示すまでは大変勉強になるのだが、「だから断罪」となった瞬間に和解不可能な敵味方分断ツールに早変わりする》(2020年6月11日)。
和解不可能なたたかいの例として、解同と日共のたたかいが思い起こされる。トランプが大統領になり独裁的な政権運営をしている状況は、例えれば、解同の候補と日共の候補が大統領候補としてたたかい、解同の候補だけは困るということで、日共の候補が大統領に選ばれたところ、日共の大統領は、公約を守り、株式の時価総額上位百社を国有化してしまったようなものであろう。リベラルとしては、どうして日共の候補を支持しなかったのかと問うところであろうが、その問いに対しては、それでは解同の候補に投票すればよかったのかと問い返されるであろう。日共の大統領に抵抗しようとも、和解不可能なたたかいの中で生まれている以上、共闘は不可能である。
フェミとアンフェの対立において、アンフェ側の立場や考え方が何を意図しているのか、理解しづらい部分がある。茶会太郎のツイートによると、《純粋にジェンダーの軸で反フェミニズムをやっている人間は相当少なくて、ツイッター反リベラルの主流は「男性被雇用者を基本単位とする家族主義(保守主義)レジーム福祉国家の擁護論者」なのだという確信を深めている》(2023年1月3日)。産業社会へのノスタルジアとでも呼べるものかもしれない。しかし、ポスト産業社会においては、伝統的な家族や福祉国家を維持することは難しいであろう。だからこそ、ノスタルジアは止むことがないであろう。
暇空は「社会構築主義的社会正義」とのたたかいにおいて、表現規制派のスキャンダルを暴露し、雁琳は同思想を「解釈権の独占」という概念で理論的に解明した。ポストモダン思想(特にフーコー)が単純化され、社会に適用されるプロセスは、ヘレン・ブラックローズとジェームズ・リンゼイの「Cynical Theories」(2020年、邦題「「社会正義」はいつも正しい」)が思想史的に明らかにしている。しかし、雁琳はこの現象を「解釈権の独占」として集約し、鮮やかに整理した。オープンレターの内容は、次のように一行で要約される。「その内容は、彼らインテリリベラル左翼が、何が差別かを決め、該当する差別者に好きに仕打ちを与える、というものだ」(「フェミニズムが振りかざされ司法から進む女尊男卑社会」、「実話BUNKAタブー」2025年6月号)。こうしてポストモダン思想は、朝田理論へと収束した。解同の候補と日共の候補が大統領候補として対決するという例えを、やや突飛に持ち出したのは、理由がないことではない。
リベラルは「何が差別か」を一方的に定義する。リベラルの理論を批判することすら差別とみなされ、言論の自由の枠内では対抗が難しい。雁琳はあくまで理論的な批判に徹したが、暇空は対象への攻撃を行い、トランプに至っては人文系への予算削減という「人文系焼き畑」とも呼べる強硬手段に出ている。朝田理論のような思想に対抗するには、こうした物騒な手段に頼らざるを得ないのだろうか。笠井潔はこう言っている。《もしも差別の被害当事者やその支援者は差別者を勝手に処罰していいとすれば、それは定義からして私刑、リンチの肯定になりますね。その線を超えてしまうと、仕事、業績の否定から存在の否定まで行きかねない。存在の否定まで行くとなると、その意味するところは戦争状態に入るということです。小山田を敵と認定して戦争状態に入る。カール・シュミット流に言うと「例外状態」に入る。社会運動の文脈では、そういうこともあり得ます。しかし小山田の存在自体のキャンセルを要求する者が、物理的抹殺を含め敵を打倒するしかない戦争状態に入るという認識と、内戦状態だから自分もいつ殺されるか分からないという覚悟があって、そうしているのかどうか。そうとは思えませんね。(中略)微温的に、常に正義の側に身を置いていたいと思って、そのことを疑おうともしない安直な精神の連中こそ、ゴツンとやって分からせた方がいいんじゃないか(笑)》(笠井潔「キャンセルカルチャーをめぐって」、「情況」2022年春号)。トランプは人文系を「ゴツンとやって分からせた」と言えるだろう。朝田理論は内戦状態を引き起こす。この状況に出口はあるのだろうか。
ネットニュースが伝える きみの武勇伝(相対性理論「たまたまニュータウン」)
1 暇空
2025年3月27日、暇空茜が起訴されたという報告と、北村紗衣が雁琳を訴えていた裁判で最高裁が上告を棄却し、雁琳に220万円の支払いを命じる判決が確定したという知らせが同時に届いた。暇空の起訴は3月26日付、雁琳の敗訴に関する最高裁の決定は3月21日付であり、これらが同じ日に伝えられたのは偶然かもしれないが、何らかの意図が働いているようにも感じられる。
思い出されるのは、2024年2月16日、アニメイトが暇空の著書「ネトゲ戦記」(KADOKAWA)の取り扱いを停止すると発表した時のことであろう。暇空によると、アニメイトは脅迫されており、放火されたくなければ2月16日に取り扱いの停止を発表するように要求されていたという。そして、2月16日はTBSが暇空の書類送検をスクープとして報道した日でもあり、犯人はアニメイトに書籍の取り扱い中止を同じ日に発表させることで、何らかの効果を意図していたのではないかと推測される。書籍の取り扱い停止を求めるだけならよくある話だが、その発表を特定の日時に行うよう要求するのは異例で、これまで聞いたことがない。TBSの報道日時を知らなければこうした要求はできないため、犯人の範囲はある程度絞られてくるだろう。もっとも、こうした脅迫があったと主張しているのは暇空だけであり、作り話ではないかという見方もある。その可能性が全くないとまで断じるつもりはないが、2024年1月に刊行予定だったアビゲイル・シュライアー「あの子もトランスジェンダーになったSNSで伝染する性転換ブームの悲劇」(KADOKAWA)も脅迫によって発売が中止され、産経新聞社からタイトルを変えて出るといったこともあり、リベラルが脅迫も辞さないことは事実である。
ただ、雁琳訴訟の原告代理人である神原元は、「被告は、上告棄却となった後の令和7年3月26日時点でも、「(原告に)220万円も請求されたことは明らかにおかしい」と投稿し、被告に220万円の支払いを命じる判決が最高裁で維持されたことにも触れず、カンパを募集する投稿を固定ツイートとしたままである。」(「対雁琳訴訟、勝訴確定についての弁護団声明」)と言っており、3月26日時点で判決が雁琳に伝わっていたことが窺え、雁琳側から判決について発表していれば、暇空起訴と重ならなかったわけで、これらが同日に判明したことはリベラルの意思によるものではないと思われる。
暇空を語るのは容易なことではない。あまりにも多くの出来事が次々と起こっており、そのすべてを追いきれないからである。西葛西出版の社長である中村慎太郎@_Shintaro_は2024年5月13日に、こうツイートしている。《暇空さん+赤木レイアで1年くらい過ごしたので、それ以外の事象をあんまりしらないんだよね。なんという複雑怪奇な現象なのだ》。一年前というと、2023年の5月である。2023年の3月3日には住民監査請求の再調査の結果が出ており、Colaboの会計問題は住民訴訟に舞台を移し、歩みをほとんど止めてしまったのであるが、代わりに追及の対象となったのが自称学生の堀口英利である。暇空がウクライナ戦争についての所見を述べたところ、堀口が噛みついたのがきっかけであるが、暇空は激怒し、堀口の過去を掘り返していった。堀口はKCL(King'sCollegeLondon)の学生であると自称していたが、これについても疑義が投げかけられた。堀口も、自らが誹謗中傷とみなす投稿を行った人々に対して、大量の開示請求を行うなど、決して譲らない態度を示した。堀口は時事系ユーチューバーにとって訴訟リスクを伴う存在である一方で、恵みの雨とも言え、その中で最も稼いだのは赤木レイアである。当初は3分くらいの動画で取り上げていたのであるが、2023年7月7日に15分53秒の「堀口英利、とんでもない書面を出して爆笑されてしまうww【暇空茜】」を出してからというもの、長尺の堀口動画を毎日のように投稿していた。普通に生活していると、ニュースに割ける時間は限られている。暇空・堀口を追うのに時間を割くとすれば、他のニュースに目を向けるのは難しくなる。
中村慎太郎は2024年8月24日に次のようにツイートしている。《最新の暇空ライブ、バカ面白いね。彼は妄想しているとも言えるが、ヒントほぼゼロから無限の推理を繰り広げる天才ともいえる。あってるかどうか?怪談に正解などないのだ》。この頃に語られていたのが、「高崎物語」である。好き嫌い.comに、7月28日頃から、妹が堀口の同級生であると主張する人物が書いたものであり、「高崎市に帰郷した堀口がかつての同級生だった女性に性暴行したり、自らの肛門にアルフォートを入れたり、それらの件で親族会議が行われたり逮捕勾留されたりというのを高崎市民たちが証言する内容」(「暇空茜と側近の灰豚、喧嘩別れ。大量総括へ」)であるが、好き嫌い.comに書かれたものであり、十中八九作り話であろうが、暇空は事実であると考え、これをもとに推理していた。もしこれが事実であれば堀口は拘束されていることになるが、灰豚が堀口と8月20日午前1時ころに会ったと言いだす。このあたりから、訳が分からなくなっていく。暇空は灰豚を「対話罪」の対象としたが、この頃から味方であるアカウントをどんどん切っていった。赤木レイアも暇空との関係が悪化し、9月7日を最後に更新していない。
暇空は2024年12月頃から、真如苑が裏で糸を引いていると言い出すようになった。堀口のnoteに、彼の母親が真如苑の信者であると書かれているのは事実である(「断ち切りたい「毒親の血」――「両親が開業医の一人息子であること」は必ずしも幸せを意味しませんでした。」)が、真如苑は特に問題を起こしていないようであり、荒唐無稽と言わざるを得ないであろう。堀口死亡説を唱えたりもしている。2024年11月1日、神奈川県相模原市緑区千木良底沢橋下で、15歳から30歳程度とみられる身元不明の遺体が発見されたが、この遺体が堀口だというのである。しかし、堀口は2025年3月19日にテレビのインタビューに答えており、生きていると言わざるを得ない(「北海道じゃらんハッキング被害関係ない人物の名前が悪用悪用された本人に取材「ネット上で誹謗中傷の的」」、HTB北海道ニュース)。妄想に近い推理を連発しているうちに、支持が減って閑散とし、求心力に陰りが見られるようになり、その結果、起訴しやすくなってしまったのかもしれない。
以上は簡略なスケッチであるが、このようなものは求められていないのかもしれない。リベラルからすれば、暇空は「誹謗中傷ビジネス」をしているとレッテルを貼っておけばいいので、推移には関心がなさそうであるし、暇空の観客も、事態がリアルタイムで動いていて予測不能な展開が見られることに楽しみがあるので、後から振り返りたいとは思っていないかもしれない。
暇空が現れるまでの青識亜論をはじめとする「表現の自由戦士」は、原理主義的にあらゆる性的表現を無条件に擁護しているだけであった。しかし、リベラルはSNSで「声を上げる」ことにより企業に対して表現を撤回させるように圧力かけており、これは効果を持っていた。青識のような活動ではこれを止めることはできていなかった。暇空は発想を転換し、シュナムルやColaboといった表現規制派のスキャンダルを暴露する戦略を実行したのであるが、それなりに奏功した。「赤いきつね」は無傷で済んだのである。
山口三尊は《暇空氏、あれで起訴は少し気の毒だが、堀口英利さんや、灰豚に対する誹謗中傷は。起訴されてもやむを得ないレベルだと思う。》(2025年3月30日)と述べており、不起訴あるいは略式起訴もあり得たようである。裁判所はリベラル化しているようである。Ogura.H@dli_coipchirtの《暇空さん対伊東弁護士の訴訟を担当した吉岡大地裁判長って、名古屋地裁時代に労働者側の請求を棄却する判決をたくさん出している裁判官なんですね。》(2024年2月10日)というツイートに対して、国際企業法務弁護士🤡GAREW@big_lawfirmは《現代型のリベラルって感じですね。マイノリティには寄り添いつつ労働者階級には厳しい、アメリカ沿岸部の価値観ですね。経歴は最高裁事務総局系なので、今の最高裁のスタンスがそうなのでしょう。》(同前)とコメントを寄せているが、当のアメリカでは、最高裁は反リベラルによって占拠されているのに対して、本邦ではアメリカ沿岸部の価値観が最高裁にまで及んでいるのである。
2 雁琳
2021年はキャンセルカルチャーが吹き荒れた年であった。呉座勇一のツイッターでの発言に端を発して、オープンレター「女性差別的な文化を脱するために」が4月4日に出され、小山田圭吾が東京オリンピックの開会式の音楽担当を辞任に追い込まれたりした。しかし、オープンレターに対しては当初から批判があり、雁琳はその先頭に立っていたと言っていい。暇空がColaboの会計問題に取り組み始めたのは2022年10月頃であるが、2022年はキャンセルカルチャーに対してたたかいが挑まれた年であり、暇空はその真打のようなものとして現れたのである。
雁琳は暇空のように全方位に喧嘩を売っているわけではない。ほぼオープンレターに限られるであろう。しかし、オープンレターはネット上からは消されてしまっていて、今は見られない。ウィキペディアでは「女性差別的な文化を脱するために」は立項されているものの、他ではその痕跡が消されてしまっている。ウィキペディアの呉座勇一のページからは不祥事についての記述がなくなっている(2025年4月2日閲覧)。履歴をたどってみると、2024年7月20日に削除されたようである。呉座のキャンセルが成功していれば、歴史的意義のある文書としてネットに残されていたと思われる。しかし、キャンセルカルチャー第一号としてモデルケースになるはずだったものが、杜撰にやってしまったために、オープンレター勢からもなかったことにされてしまったのであろう。
雁琳は「正論」2021年6月号に「ポリコレ派への共感強制する社会の歪み」を発表しており、雑誌でのオープンレターへの批判はこれが最初である。オープンレターが出たのが4月4日であり、「正論」6月号は5月1日発売なので、一月も経たないうちに反論が出たことになる。ネット上の反論は埋もれてしまいがちだが、雑誌は繰り返し参照されるため、雁琳が狙い撃ちにされたのではないかと指摘されることがある。
雁琳は2022年に複数の雑誌で発表を行った。例えば、「国体文化」(1177号、2022年6月)には「新たなる共産主義運動は『目覚めた当事者』の顔をして現れる」を、「実話BUNKAタブー」には「弱者男性を救うのは方法論的ミソジニーである」(2022年5月号)と「女子高生AV賛成論」(2022年6月号)を寄稿している。また、「情況」2022年春号のキャンセルカルチャー特集では、「キャンセルカルチャーとは何か――その現象と本質」を発表した。しかし、その後は雑誌に招かれる機会がほとんどなくなった。約3年ぶりの登場となったのは、「情況」2025年冬号に掲載された「DON'T BE USED. BE THE UNCOUNTED.――ネオ幕府アキノリ党のクリプト革命運動についての簡潔な報告」(荒牧隆史との共著)である。本来なら「正論」「WiLL」「HANADA」といった右翼系雑誌に登場してもおかしくないが、そこには見られていない。それだけに、「情況」の姿勢は際立っている。
「情況」は1968年に創刊されたが、廣松渉が当時の金額で100万円を援助したことでも知られている。1970年6月に結成された「情況派」というセクトが存在するが、これは「情況」の創刊者である古賀暹が所属していたため、叛旗派から蔑称として「情況派」と呼ばれ、その名が定着したらしい(正式名称は共産主義者同盟(再建準備委員会)である)(有坂賢吾「新左翼・過激派全書」)。したがって、「情況派」の機関誌というわけではないようだが、新左翼の雑誌としてスタートしたことは確かである。しかし、第六期(2023年2月から)の編集長に塩野谷恭輔が就任すると、ネットの雑多な声を取り上げ、反リベラルな立場であっても登用する路線へと転換したらしい(2022年春号のキャンセルカルチャー特集は第五期に属するが、この頃からその兆しが見えていたのだろう)。ページをめくると、まるでインターネットの闇鍋のような印象を受ける。ここでしか出会えない著者たちの論考が並んでいる。
2024年夏号のトランスジェンダー特集がその路線の到達点であろう。文芸誌を含め、ほとんどの雑誌がリベラル化してしまい、ターフが排除されてしまった。そうなってくると、反リベラルを登用する「情況」のような雑誌でしかターフは書けないということになり、ターフが結集したような誌面になった。これに対して「読者・寄稿者有志」は反発し、2024年9月20日、「『情況』に関する声明」を出した。署名しているのは、京大人文研や叛乱研の関係者、さらに編集者のようである。絓秀実がこれに加わったことに唖然とした人もいたようであるが、マルクス主義の持つものと持たざるものという区別を、マジョリティとマイノリティという区別に置き換えたのが、「社会構築主義的政治主義」と雁琳が呼ぶものであり、新左翼もマルクス主義者ではあるのだから、これに乗ろうと思えば乗れるのは当然のことではあろう。
森脇透青は、《たとえば千田有紀の立場ひとつとっても塩野谷恭輔の立場と異なるし、さらに小谷野敦や笙野頼子ともまったく違うはずである(たとえば「生物学的」のような言葉を留保なしで使うかどうか、「陰謀論」的な語調を使用するかどうか、また構築主義の理解の深度において)》(「不良債権としての『情況』、あるいは回覧板について」)と述べ、トランスジェンダー特集の執筆者たちには「構築主義の理解の深度」において違いがあると言っている。「構築主義の理解」が足りないのは、この中では、小谷野敦であろう。事実、小谷野は、《私はバトラーを批判なんかしてないんだよ。ポモを批判していて、バトラーは読んでも何を言ってるのか分からない、と書いているではないか。》とツイートしている(2024年11月11日)。しかし、オフパコギャルママ🦖1y@takamatsu4_13によると、《批判者は佐藤悟志をこすっているけど、本当に読まれたくないのは小谷野敦とかだったりするんだろうね。さすがに「小谷野のは読まないでくれ!」とは言えないから、佐藤悟志をこすっているだけだという。》(2024年9月21日)。小谷野は「ポストモダンとトランスジェンダー」を寄稿しているが、これは何があったのかを小谷野節で綴ったものである。これを読むと、ノーディベートと称して議論すら行われないまま、明らかに異論のありうる理論によって現実が書き換えられようとしていたことが分かるであろう。千田有紀の「構築主義の理解」は足りていないどころではなく、上野千鶴子編「構築主義とは何か」(2001年)に序章「構築主義の系譜学」を書いているくらいであるが、「学問の危機と『キャンセル』の方法論」(pp.116-135)は、小谷野と同じく、何があったのかの記録であるが、Permalink |記事への反応(0) | 09:34
んんwwww 拙者としては、その薄っぺらい擁護論調に少々呆れを禁じ得ませぬな!あまりに表面的な理解でReactを持ち上げるとは、お見受けしたところ、あなたの「強力な武器」とやらはただの小枝程度ではありませぬか?
Reactの複雑さを「大規模開発では必要」などと得意げに語られますが、その主張はあまりにも浅薄。幾多のプロジェクトで、最初はReactに憧れたものの、周辺ツールやベストプラクティスの沼にはまり、自らの開発速度と思考力を削り取られたエンジニアたちがいかに多いか、ご存じないのですかな? その「柔軟性」とやらが本当に業務効率を担保するとでも?実際には、下手なトリックを組み合わせて、頭でっかちになるだけのケースが後を絶ちませぬ。あなたの“管理が困難になる”というjQuery批判も、Reactが生み出す過剰な抽象化と結局大差ないことに気づきませぬか?
また、学習コストの減少などとぬかしておられますが、拙者から見れば、その「学習リソースの豊富さ」こそReactがどれほど歪に肥大化しているかの証左に過ぎませぬな。新人エンジニアに「怠慢」とレッテルを貼る態度も滑稽な限り。フレームワークが偏屈な難しさを内包していることこそ問題であり、それを喝破できぬのは、あなたがReact信者的ポジショントークに溺れている証拠ではありませぬか。
「強力なコミュニティ」や「頻繁なアップデート」といった定型句で飾り立てても、根底にある不自然な複雑さや導入過剰による開発コスト増大の現実は消えませぬぞ。妄信を指摘されているのに、自らを省みず「スキルセットを見直せ」とは、逆にあなたが凝り固まった思考から抜け出せない証拠ではございませぬか? 実に浅はかで狭量な反論、お見事ですな。今一度、時代に追随するのと本質を見失うことの違いを、しっかりと噛みしめていただきたいものですな!
なんで、人気ラジオ番組という、”既得権益にまみれたマスゴミ”の煽ったルワンダ虐殺の責任を、YouTubeの動画に責任転嫁してるの?
なんで、”既得権益にまみれたマスゴミ”は、そういう前科があるのに、虐殺の原因にならないと決めて、そんな前科が一度もないYouTubeの動画には、何の根拠もなく、そうなる可能性がある、とか攻撃してるの?
ルワンダ虐殺を煽ったマスゴミは、完全に”既得権益”からの指示を受けて、プロパガンダを行ってたんですけど、何でその話を、「既得権益無罪論」に利用できてるんですかねぇ?
ルワンダ虐殺を起こす可能性のある衆愚が日本に居るなら、こんな無茶苦茶なマスゴミ擁護論を、平気で受け入れてる馬鹿どもでしょ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E8%99%90%E6%AE%BA
>>ルワンダ政府中枢部の指示を受けていた『カングラ』誌は、1990年10月に開始された反ツチおよび反ルワンダ愛国戦線キャンペーンで中心的な役割を担った。
>>1994年4月6日以降、(ルワンダ政府)当局がフツ過激派を煽り、虐殺を指揮するために両ラジオ局を利用した。特に、虐殺当初の頃に殺害への抵抗が大きかった地域で重点的に用いられた。この2つのラジオ局はルワンダ虐殺時に、フツ系市民を煽動、動員し、殺害の指示を与える目的で使用されたことが知られている。
まあ最大の問題は、あの兵庫県知事が、元(テレビなどのマスゴミを管轄する)総務省官僚という完全なマスゴミ既得権益の出身なのに、マスゴミに叩かれ、それを擁護する動画もまた、マスゴミに拡散されたという事実。
多分あの県知事は、マスゴミ既得権益の中でも、人格的に最も屑いヤクザの一人で、それを、反マスゴミのネット民に支持させようと、自作自演で味方だと思わせた、というのが真相に思える。
もうしんどい
兵庫県民。選挙権を得てまだ数年。今までの選挙は行けるだけ行っている(正直、うっかり忘れはある すまない でも政治に興味を持つようにしています)
兵庫県知事選にもちゃんといくつもり。選挙演説も通りすがったらちょっぴり聞いてみたりした。できる範囲でではあるけど、情報収集もしている。
でももうしんどい。全ての視点からの意見や情報が、すべて同時に入ってくる。
陰謀論じみた斉藤元知事擁護論やサクラ使ってそうな元知事密着動画?が流れてきて。
気付いたら「斉藤元知事ははめられている」「利権にとって邪魔だから落とされたんだ」みたいな擁護意見が陰謀論では収まらないくらいに増えていて。
かと思えばやっぱり斉藤元知事はパワハラで人を死に追い込んだんだからみたいな話が流れてきて。
そしたら兵庫県の市長何人かの連名で斉藤元知事不支持宣言みたいなのが出て。
ちゃんと選挙に挑もうと思っていろんな意見を見ようとした結果、どの意見も絶妙に信頼できないまま、挙げ句の果てには兵庫県民ではなさそうな人間による「斉藤元知事の批判/擁護意見、間に受けるバカいんの?」みたいな冷笑すら流れてくる。
何これ?
今回事情が事情だから、政策と同じくらい各人の過去の言動にフィーチャーせざるを得ないのはまあ仕方ないとして、もう兵庫県民を超えた紅白合戦みたいになってて、メディアもスクープばかりで
野次馬総動員ですでに斉藤vs稲村みたいな構図でキャッキャしてんのもおかしいし
もう疲れた
どうせインターネットのお前らはさ
結局誰が知事になってもカスみたいな政策とか、裏の黒い交流関係とか、その他諸々知事やってるうちに出た粗を見て
って言うんじゃん
そんな環境の渦中で自分なりの答えを決めたこともないやつが「兵庫県民は冷静に考えて、投票してほしい」なんて言わないでくれ
兵庫県民 頑張ろうね 私は選挙率がクソ低いこの日本で票を投じたというだけで価値があると思うし、お前がお前なりの理由で投じた票を、どんな理由があっても馬鹿にしないよ
もうお願いだから、外野の分際でどっちが正解だとかなんだとか言わず黙っててくれないかな
日本のメディアがよほど信頼を取り戻さない限り、私たちにはもう信じられる情報なんてどこにもないんだよ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/pmazzarino.blog.fc2.com/blog-entry-451.html
1199 users
コメント 258
| ID | コメント |
|---|---|
| santo | 言葉の力 |
| secseek | こうやって冷静に検討されてみると事件そのものもひどいですが、まわりの反応による二次被害が看過し難いですね |
| bell_ring | この問題は庇う芸能人と一般人の思う常識に差があると感じさせられる。人気&力のある芸能人は何をやっても自分は許されると勘違いしてる節がある。自分の姉妹や娘が同じ扱いを受けても許せるのか考えたらいいのに。society |
| macplus2 | あとからでもダマす意図があったことを証明できれば罪を問えるんです。重要なのは合意があったかどうかではなく、合意の中身と合意に至った状況です。/被害者に寄り添った大切な視点 |
| taraxacum_off | 松本人志を擁護するような人たちの精神・思考構造を、この著者はよく知っているようだ / ここでの指摘は、芸能界の性暴力にとどまらない、日本社会全体の問題にもおよんでいると言える |
| yamasamayukisama | この件でここまできっちり理詰めで問題点を指摘している記事には他に出会った記憶がないし、内容的にも同意できるが、こういう指摘の仕方に違和感をおぼえる人は一定数いるだろうなとも推測できる。 世の中 |
| f_d_trashbox | “芸人のみなさんは河原者に戻りたいのですか?”/これについては消費する側も彼らの倫理的「埒外さ」を楽しんでいた部分もある。“芸のためなら女房も泣かす”は完全DVだ。それらを楽しんでいながら平等を謳う欺瞞 |
| eye4u | 狭い論理でぐうの音も出ない感じに正義で封じ込める手法。アメリカの赤狩り、カトリックの坊さんとか、ヤクザの論理、カルトの論理だと思うな。取り扱う正義が物凄く範囲が狭い中で緻密というのが一致している。 |
| ken530000 | 冤罪の問題点は2つで、真犯人を逃すことと無実の人を苦しめること。後者を無視してるのは何故?それ以外の部分は概ね同意だけど、いささか自身の推測を過信しているきらいがあるな。 |
| norinorisan42 | 近しい人が擁護派に回る気持ちはわかるが告発者にはやはり寄り添うべきだと思うし、同時に松っちゃんを叩かないは両立するとは思う/争点以外の部分ではすべての立場が告発者ファーストであるべきなのかなと思ったり |
| tribird | “今田さんが文春をヒドいと批判するのは筋違いです。自分の絶対的な地位を利用して後輩に女衒めいた役目を強要していた松本さんこそがもっともヒドい人であり、今田さんが批判すべき対象は、松本さんなんですよ。” |
| toya | 「大目に見る感覚は昭和くらいまでは庶民感覚としてありましたけど、それは庶民が芸人にやさしかったからじゃありません。差別です。江戸時代に芸人が河原者(河原乞食)だった時代の名残り」芸能 |
| metamix | 要は「裁判結果なんて待てない、先っぽだけでもいいでしょ?」てことだろ?一行でまとめられることをベラベラと。どこまで丁寧に語ろうが私刑の肯定でしかない。まあはてブ受けはいいだろうな |
| HiddenList | こういう皮肉も 松本芸なんですか? |
| isshyman | 正論から強引に読者に「そうだな」と言わせているが、後になって考えてみれば「そうでなかった」って思うような文章に思えて、筆者が批判するほど、自身の正義によってパワハラをしているようだ |
| Gl17 | 「安倍さんは良い人」「証言は証拠にならない、反証はないけど」「旧軍は綱紀厳正」etcいちいち擁護の曲論が歴史修正主義と一緒。抑圧に頼り切りなのと、弱者と同等に対峙すること自体が許せない(これだけでダメ)。 |
| kusanon | “犯罪の告発は、明らかな虚偽が認められないかぎりはいったん信用して受理しなければなりません。” |
| Sakana_Sakana | 全く完膚なきではない。漫画家が自殺したようだが同様な事が松本人志にも発生する可能性を考えた方が良い。意見は良いがここ迄非難が酷い状態は狂気を感じるし危険だと思う。尚松本のやった事はダメな事だとは思う |
| a_horuru | 長い文章なので後半は流し読みしたが、よくある俺様こそが絶対正義な意見だった。 |
| georgew | 徹頭徹尾正論のオンパレード。 |
| bogus-simotukare | スマホを没収した状態で普通の飲み会を主張するのはムリがあります。逆にスマホ没収が事実でなかったら、女性側の主張の信憑性はガタ落ちします。正論 |
| nt46 | むしろすっかりこの人も、かつて批判していた"社会学者"側になってしまったなとしか思わんが。すなわち、"ファクト"ベースではなく"あるべき価値"ベースで語る人。どっかで宗旨替えしたん? |
| pukarix | 素晴らしい。逐一、いい加減な擁護論を破綻させてる。こういうのをホンモノの論破っていうんだろう |
| dowtei | "一夜限りの性行為が好きな人たちは(略)リスクとスリルに興奮する性癖をお持ちだから、そういうエッチにわくわくして、冒険を求めるのでござんしょ?"わらっちゃった |
| vndn | 告発の『受理』と『信用』の考えが私と合わないなあと思った。 |
| hello-you | 冤罪の下りには違和感があったが、その他はほぼ正論で非常に納得感ある。これに反論できる人いるの? |
| yto | >芸能人が女遊びや薬物をやるのはしょうがないね、と大目に見る感覚は昭和くらいまでは庶民感覚としてありましたけど、それは庶民が芸人にやさしかったからじゃありません。差別です。江戸時代に芸人が河原者(河原 |
| kiyotaka_since1974 | 松本さんのことより、「どの雑誌に取材力があるか、信用できるかはなんとなくわかってきます」のところを深めてほしい。どの雑誌が信用でき、信用できないのか。マスコミメディアテレビ |
| River1992 | “芸能人が女遊びや薬物をやるのはしょうがないね、と大目に見る感覚は昭和くらいまでは庶民感覚としてありましたけど、それは庶民が芸人にやさしかったからじゃありません。差別です。” |
| kintaorgH | “もし被害者が自分の娘だったとしても同じことをいうのでしょうか。”←これつらい気持ちになる。のぞむこたえでない現実はある。関係ない人は無関係。 |
| lisagasu | 芸能界は一般の常識と違う場所、という世間と本人の差別逆差別意識は今もあると思うヤクザが銃で撃たれたニュースに誰も動揺しないのと同じ 今はここで変わるかまた流されるかの瀬戸際じゃないかな |
| lenore | 「性犯罪に無関心なテレビ局」全くそう思うわ。全然公益性の無い不倫疑惑はしつこく追いかけ回すのにね |
| minboo | 本題とは関係ないですが、大河ドラマなどで歌舞伎役者が天皇を演るのを見るたび「パンチが効いたキャスティングだな」と思ってます。 |
| honma200 | “もし被害者が自分の娘だったとしても同じことをいうのでしょうか”志らくの論理でもそうなればより深い'人情'がある娘に肩入れするに決まっている。比較対象の例えが的外れ |
| khtokage | 「およそ50年前、『文藝春秋』に田中角栄の不正金脈を暴く記事が載ったとき、テレビも新聞も記事を無視しました。そんななか、外国特派員協会だけが田中角栄を呼んで話を聞く場を設けました。」知らなかった |
| nisezen | "大目に見る感覚(中略)庶民が芸人にやさしかったからじゃありません。差別です" た、確かに。河原乞食云々を別にしても「犯罪を犯しがちな人たち」って目で見てるんだかられっきとした差別だ |
| uniR | 河原者のくだりと「つまりスマホを没収したのは、恥じるところがあったから」と性急な因果論には引っかかるところもあるのだが…… |
| north_god | 吉本芸人がファンや同業者の女性を食ったり拒絶したら「だからお前はダメなんだ」と説教してるなんてジャニの件と同じくらい黒い噂あって、ダウンタウンファンが今更知らなかったは流石に変だと思うんだよね |
| runningupthathill | さすがの整理。リスクの高い「遊び」をしてれば大火傷を負う可能性は当然ある。犯罪かどうか、道義的問題の有無、どちらも今は未確定。しかし被害者の訴えを簡単に疑ってはならない。文春経由であったとしても。 |
| usomegane | 『週刊誌が完売して儲けてるだけだ、なんてつまらない皮肉をいってる芸人もいましたけど、主張の中身にきちんと反論してください』 |
| zyzy | 「ほうはほうなんですぅぅぅけいじばつじゃないからつみっていうなぁ」という人はいい加減「人を犯罪者扱いする事自体は法律に刑事的な罪とは書いてない」って理解しような。間違ってても法は法なら犯罪者扱いも無罪 考え方 |
| metalmax | 冤罪についての認識がびっくりするほどおかしいんだけどもしかして今はこの考えの人が少なくないんだろうか… |
| cartman0 | 携帯取り上げて行為に応じないと返さない時点で軟禁・監禁の可能性あるよね |
| nekonyantaro | 芸能界で優越的な地位の悪用(性的なものに限らず)が横行するのは世界共通?ハリウッドでも何か有った記憶が。社会芸能事件性 |
| Shin-Fedor | 真実は複数あり得る。例えば松ちゃんは「部屋に来て逃げ出しもせず射精させてくれたから合意だろ」と考え、女性たちは「恐怖で逆らえず、手や口でする事で許してもらおうと思った」となれば、事実は一つ真実は二つ。 |
| outalaw | 擁護は人情論じゃなくて似た事例がたくさんたくさんあるからだと思う。テレビとか反省するわけ無い(というか似た事例が現在進行系でたくさんありすぎてできない)。 |
| irh_nishi | 今の時代は昔と違ってデマ拡散が利益になるので明らかに偽証と分かっていなくても報じるべきではないよ。裏取りをしてあるならそれを証拠として報じるべきだけど文春は証言しか掲載してない。 |
| hetenabeck | 8割くらいは同感、残りは少し偏りを感じる。警察の問題と推定無罪の法則は別。 |
| sierraromeo | 勢いで全文同意したくなる文章だなぁ(とりあえず保留) |
| hiroyuki1983 | 未成年を対象にしたジャニーズとは根本が違うでしょ。意図的に混同させようとしてる人ちらほら見るけど |
| jigarashi | 「だから犯罪被害の告発を軽々しく否定してはいけないのです。」だからと言って軽々しく被害者の証言を鵜呑みにして自分一人で盛り上がらなくても |
| remwegc | “あとからリークされた女性からのお礼メッセージが合意の証拠にはならないことは、すでに専門家が指摘してます。” だよね |
| hakasegawa | “共感はスポットライトである。対象者だけを明るく照らし出すが、その周囲は暗闇で、何があるのかまったく見えないのだ。 中略 世話になった松本さんを一方的に信じる志らくさんは非情です。”パンチライン多い。 |
| Yagokoro | これに乗っかってる奴は、アホやろ |
| turanukimaru | 今のところ女性の告発を疑う理由はないし松本氏は反論してないし義理人情で松本氏を擁護すべきではない。との主題は私もそう思うが冤罪が悪い理由とか合意の内容が問題とか細かい話が法的におかしいのではなかろうか |
| namisk | 説得力ある |
| noabooon | 僕の中の個人的神であるパオロ・マッツァリーノ様がまだ活動されていたことに感動を禁じ得なくて中身が何も入ってこないww |
| kasahannra | 後で読む |
| kagehiens | うっわ……、フルボッコにしてはる。が、まぁこれ位は書かれても仕方がない程度にクズの所業をしたという嫌疑をかけられているのだから、申し開きが出来ない=所業がクズの芸人を炙り出す事に成功したという話になる |
| youtanwa | >重要なのは合意があったかどうかではなく、合意の中身と合意に至った状況です。 |
| cyber_bob | 裁判後の判決次第では訴えられる可能性がある文章をブクマ。裁判で名誉毀損の証拠として提出できそう。 |
| ho4416 | 罪とかいう一言で刑事と民事と道徳と倫理と正義を(意図的に)ごっちゃにして語る人間は信用しない |
| grdgs | 明らかになるまで黙ってろって者達は、告発女性への誹謗を止めたりは決してしない。中立の振りをしながら、彼らの意図・立ち位置はバレバレ。 |
| sinopyyy | だいだい同意かな。↓ジャニーなんて法で裁かれずに亡くなっただけでやってたこと犯罪じゃん。 |
| wktk_msum | これは痛快、キレッキレの名文。同意合意を絶対視するリスク、携帯を取り上げる異常性、松本のパワハラ、明快な言語化/ちょっと偏りがある印象も抱く。ただ全体的に良文犯罪あとで読むブコメ読むこれはすごい |
| syamatsumi | マッツァリーノ氏は流石だなー。ぼくもこういう言及が出来るようになりたいわ。(思うだけで行動はしないのでおそらくムリだけど) |
| doku_2gou | この文章はたった今「明らかに自分より有能で偉い人」にセクハラ、パワハラを受けて告発を躊躇う人に有用だと思う |
| mag4n | 論点整理はされているが事実確認の理論展開がしょぼい。もう法廷行きなのとそこで何があったかの証拠の出し合いしかないので素人が偉そうに何言ってもしょうがない、分からないことは分からないというべき案件。ネタ |
| kommunity | 長文だけど読ませる。/別問題だったけど、島田紳助が引退追い込まれたとき松ちゃんどう思ってたのかな…あれだけの騒ぎで自分は大丈夫だとたかを括ってたのなら相当残念。(もちろん性被害が事実だった時)社会犯罪考察芸能お笑い読み物society女性メディア |
| yowie | 少し危うい踏み込みもあるが、不倫、事前対価合意なし、ワンナイト×複数回というほぼ確定の部分だけで、違法となるかはともかく、全部何の瑕疵もない同意内のみってのはほぼ無理だとよねという感性が重要かなと。 |
| gyakutorajiro | 法廷外での不誠実かつ疑わしい言動…まあそうだよなぁ、スマホ没収も確かに。説得力あるなぁ、名文だ。「予断を持ってはいけない」ね、予断って言葉、「予断を許さない」以外だとこういう風に使うのね。 |
| mohno | 「ジャニーさんは犯罪者だった」←強制性交(強姦)が性別を問わない形になったのは2017年、5歳差以上で成功同意年齢が16歳に引き上げられたのは2022年で、犯罪とは確定していない。冒頭からこれでは読む気がしない。 マッツァリーノジャニー喜多川松本人志リテラシー |
| ryusso | そうだな。 |
| tetsuya_m | 丁寧な考察 |
| lb501 | 法的に罪があるかどうかはグレーだけど、出演番組にスポンサーがつかなければアウトでしょ。 |
| run_rabbit_run | 薬やら女やら、芸能人なんてそんなもんだ...って呆れつつも「大目に見る」感情を持っていたので、それが差別だと言われてハッとしました。 |
| tsumanne30 | 芸人の源流が河原乞食であることも、だからこそ法や常識の埒外に置かれたことも、歴史的な事実ではある それが今や「権威・権力」側になってしまっていることに、当人たちはどれだけ自覚があるのやら |
| hatsumoto | “性犯罪を学問的に研究している学者や、性犯罪被害の弁護に詳しい弁護士といった専門家を呼んで解説してもらうべき”ここが1番同意。性絡みだと舐めプorバグる仕様が日本社会にある |
| shidho | これ、元が反社会学なだけに、数日後に種明かししつつ今度は全く逆の論調で逆の提案を書くやつだったりしない? (社会学なら自分の意見に合うデータさえあればそれで何の論でも書ける、つまりどちらも意味のない論)芸能要確認 |
| unnmo | 河原者に戻りたいんですか?はダメでしょ。過去被差別階級にあった事を持ち出して現在の振る舞いを矯正しようとするのは違うと思う。社会犯罪女性 |
| uchya_x | これを読んでもわからないバカはもう放っておくしかない。 |
| kurotokage | いくつか気になる点はあれど、後輩へのパワハラになり得ることと、証言の取り扱いの公平性については特に同感。前者は芸人は実力主義という建前も失いかねない。 |
| beyoooooooon | よくこんな冤罪がどうこういう癖にいきなり犯罪者扱いしてる私は偏ってますよと自己紹介してる奴の長文読めるね。俺は洗脳されそうで無理。 |
| i196 | 確かにそうだよな、と思うところ多数社会考察 |
| wapa | 冤罪のくだりといい、ちょくちょく気になる表現や決めつけがあり、全面的には賛同できない感じの記事。断定できないことについては、赤の他人がその仮定を前提に断罪もできないのでは?推定無罪とは |
| nanako-robi | うんうん。 |
| Southend | 愚行権のツケを払う時が来たのは間違いない。個人的に意外だったのは、紳助の引き際をある種の成功ロールモデルと考えているのかもと思ってたら違ったこと。芸能界 |
ジェン・アイザクソン「フーコーからサンフランシスコへ――クィア理論の不変のルーツ」
https://appinternational.org/2021/09/10/izaakson_from-foucault-to-san-francisco/
本稿は、イギリスのラディカル・フェミニストでマルクス主義者でもあるジェン・アイザクソンさんが、彼女の主催するサイト「On theWoman Question」に掲載された論文の全訳です。著者の許可を得て、ここに掲載します。クィア理論が本質的にペドフィリアを肯定するものであり、欧米左翼とアカデミズムがクイア理論によって蝕まれ、それがいかに政治的に危険であるかが明らかにされています。
クィア理論の成立を画するのは、ゲイル・ルービンが1984年に発表した「性を考える――性の政治学のラディカルな理論のための覚書(ThinkingSex: Notes For A RadicalTheory of thePolitics ofSexuality)」という広く知られている文書だ。
ルービンは「セックスを考える」の中で、子どものセクシュアライゼーションに反対するのは「エロティック・ヒステリー」であり、一種のリビドー的に引き起こされた道徳的パニックであると主張している。これは、性的境界線を保護することを求めるセックス・クリティカルなフェミニストを、性的に抑圧された堅物にすぎないとする例の古典的考え方と同類だとみなしうるだろう。
左派はクィア理論を採用することで危険を冒している。というのもそれは、ペドフィリア擁護論にもとづいているだけでなく、今なおその軌道がペド的起源からそれほど離れていないからだ。
ジェン・アイザクソン「フーコーからサンフランシスコへ――クィア理論の不変のルーツ」
https://appinternational.org/2021/09/10/izaakson_from-foucault-to-san-francisco/
本稿は、イギリスのラディカル・フェミニストでマルクス主義者でもあるジェン・アイザクソンさんが、彼女の主催するサイト「On theWoman Question」に掲載された論文の全訳です。著者の許可を得て、ここに掲載します。クィア理論が本質的にペドフィリアを肯定するものであり、欧米左翼とアカデミズムがクイア理論によって蝕まれ、それがいかに政治的に危険であるかが明らかにされています。
クィア理論の成立を画するのは、ゲイル・ルービンが1984年に発表した「性を考える――性の政治学のラディカルな理論のための覚書(ThinkingSex: Notes For A RadicalTheory of thePolitics ofSexuality)」という広く知られている文書だ。
ルービンは「セックスを考える」の中で、子どものセクシュアライゼーションに反対するのは「エロティック・ヒステリー」であり、一種のリビドー的に引き起こされた道徳的パニックであると主張している。これは、性的境界線を保護することを求めるセックス・クリティカルなフェミニストを、性的に抑圧された堅物にすぎないとする例の古典的考え方と同類だとみなしうるだろう。
左派はクィア理論を採用することで危険を冒している。というのもそれは、ペドフィリア擁護論にもとづいているだけでなく、今なおその軌道がペド的起源からそれほど離れていないからだ。
日本車のイメージダウンの陰謀とか、他でもやってるし昔からやってるとか。
あれ本気で言ってるのかな?
他でもやってても昔からやってても、「現在」はアウトだってのは周知徹底されてるんだよね。
それに世界ナンバーワン車メーカーさんが「知らんかった」だの「陰謀」だの言うのって、外から見てるとすごい異常なんだけど
ネットでは凄まじい勢いで擁護が展開されてる。はてブくらいだよ、不正だからまずいだろ、ってのが多数派なの。
こういう下請け擁護系の話題は今までもサヨク趣味な感じでネットとは食い合わせが悪かったけど、今回のはど真ん中アウトなのに「トヨタは悪くない!!」ってのが大手を振るってて少し恐怖してる。
トヨタ系のクルマライターの擁護論とか本当に凄まじい。検査不正のときにも湧いてたけど今回のも擁護するのか・・・っていう衝撃がでかい。