
はてなキーワード:換気扇とは
正直展示としては五美大展の方が楽しめた。
個々の作品のレベルは当然藝大の方が上なんだけど、藝大の特に修士の展示は1人で1つの展示室を作らないといけないので、流石にそこまで手が回りきる作家はそこまで多くなかったなという印象。
これに関しては女子美になんかすごい人がいるんだと思う。去年の展示良かった。
しかし技術を売りにするフェーズはもう通り過ぎた、と言わんばかりの完成された作品が多く、それ故に強固な作家性が垣間見えたので、合う合わないもまた激しかった
彫刻棟で見た、柵に繋がれた単純化された白い犬が一番印象に残った(彫刻修士)
あと建築修士の銅板の加工のやつ、工作精度が出てるかどうかとか実用的かどうかは知らんし、確か藝大の先輩がもっと面白いことやってたと思うけど、なんか良かったね
同じく建築修士の超高層ビルに対する超横長ビルの案、大規模開発をつくろう!みたいなノリで良かった
あとどの科か忘れたけど、誰にもストレスをあたえないマスコットキャラクター、みたいなやつ、ちゃんと悪意が満ちててよかった。
作家性が貫通する秀逸なデザインだと思いました。アイデア自体はかなりカス寄りでありふれてたけど、正面からちゃんと受け止めたときの漏れ出る悪意。良かったです
あと油絵かどっかであえて換気扇回さずに臭いで勝負してた人、流石にキツイっす。油は換気しましょう
何にせよ面白かったです
高等教育への支援が日本を復興させる、と会田誠がXで書いていた。
日本の戦後の復興は、戦後に「偶然」起きたのではない。むしろ戦争そのものが、復興のための下地を、皮肉なほど周到に準備してしまった。戦争は破壊であると同時に、国家をひとつの巨大な工場に変える。資源配分、計画、規格、物流、品質、そして何より、人間の配置と訓練。これらが「総力戦」という名のもとに、暴力的に、しかし異様な密度で組み上げられていく。技術開発とは、研究室の机上で美しく完結する知の遊戯ではない。目的が与えられ、期限が切られ、失敗のコストが極端に高い環境で、試行錯誤を反復し、設計・製造・検査・運用までを一気通貫で回す能力の総体だ。戦争は、その能力を、恐ろしい速度で社会の中に注入した。
戦時の研究開発は、単なる発明ではなく、システムの構築だった。たとえば「技術者」という語は、ひとりの天才の顔を連想させがちだが、実体は違う。設計者がいて、解析者がいて、材料の供給者がいて、加工の技能者がいて、検査の手順を作る者がいて、現場に落とし込む監督者がいる。部品表があり、図面があり、仕様があり、誤差の許容範囲があり、標準化がある。つまり、工学的知識と組織的運用が結びついて、初めて技術は社会に実装される。戦争は、その結び目を強制的に太くした。しかも、若者を大量に吸い上げ、時間を奪い、睡眠と健康を削り、失敗に対する許容を奪うことで、訓練を「圧縮」した。倫理的には呪うべき圧縮だ。しかし能力形成の観点だけを冷酷に抜き出すなら、戦争は、最悪の形で最高効率の訓練装置になり得た。
そして戦後。御存知の通り日本は完膚なきまでの敗北を喫した。当然だ。しかし瓦礫と飢えと混乱の中に、奇妙な資産が残った。焼けた街ではなく、焼け残った手だ。軍需のために鍛えられた設計思考、現場の段取り、試験と改善の習慣、そして「とにかく動かす」ための執念。戦争目的が剥ぎ取られたあと、その手は、民生に向けて仕事を始める。工場は鍋を作り、ラジオを作り、やがて車を作る。品質管理という名で統計が導入され、カイゼンという名で現場が賢くなる。輸出という名で世界と接続され、稼ぐという名で生活が安定する。高度経済成長は神話ではなく、忌まわしき制度と虐げられた技能の合成体・キメラだ。そして、その合成の触媒として、あるいは淘汰圧として、戦争という毒が、過去に撒かれていた──そう言ってしまうと、気分が悪いほどに筋が通ってしまう。敗北はしたが、敗北するためには戦わなくてはならず、戦うためには戦えなくてはいけない。奇妙なことに戦えてしまったことが呪いであると同時に祝福でもあった。真珠湾攻撃は、無条件降伏を経て、米国中を所狭しと走り回るトヨタに至った。まともな経済感覚をもっている米国人は一時期まで日本車を買うのがあたりまえだった。
だからこそ、戦後日本の次なる課題は、戦争なしに繁栄を継続することだった。ここが本丸だった。戦争が供給するのは「目的」と「緊急性」と「資源の集中」であり、その果実として新しい「産業」が結ぶのだ。平時の社会では、それらが自然に生まれない。目的は分散し、緊急性は個人の都合に解体され、資源は合意形成の手続きに溶けていく。ゆえに、平時の繁栄には、別種のエンジンが要る。暴力や強制ではなく、自発性と創造性によって、産業の餌を自分で狩りに行くエンジンだ。そこで登場したのが、大学院という高等教育の訓練装置だ、という物語をわたしたちは信じた。研究という名の訓練。論文という名の競技。専門性という名の武器。産学連携という名の橋。これらを通じて、戦争の代わりに「知」が繁栄を準備するはずだ、と。
だが、いつの間にか装置は、別の生き物を量産するようになった。保身に東奔西走するばかりの大学教員だ。大学院が、主体性の発火点ではなく、依存の温床になったとしたら、それは制度設計の敗北だ。研究費、評価指標、採用、任期、ポスト、学会、査読、ランキング。こうした外部条件が、大学教員個人の内側に「餌は上から降ってくるものだ」という反射を植え付ける。申請書の書き方は教えるが、産業という新しい鉱脈の掘り方は教えない。論文の体裁は矯正するが、社会の問題を嗅ぎ分ける鼻は鍛えない。安全な問いを選ぶ癖、失敗しない範囲での最適化、既存の潮流に寄り添うことによる生存。そうした行動は合理的だ。合理的であるがゆえに、群れは同じ方向にしか動かなくなる。
そしてSNSだ。SNSは思想の市場であると同時に、承認の自動給餌機になった。群れは、空腹そのものを叫ぶことで、誰かが餌を投げてくれると学習する。「分かってほしい」「評価してほしい」「誰かが何とかしてほしい」「政府は間違ってる」。鳴く。鳴くことが生存戦略になる。しかも鳴き声は可視化され、数値化され、増幅される。いいね、リポスト、フォロワー。これらは、栄養ではなく興奮剤だ。満腹にはならないが、空腹の感覚を麻痺させる。やがて、いつまでも上から餌を与えてくれるのを求めて、ぴいぴい鳴き続けるトッチャンボウヤのような元雛鳥の群れができあがる。外敵に襲われない巣の中で、口だけが上を向き、翼は畳まれたまま、眼球だけが光る。自分の脚で地面を蹴るという最初の行為が、いつまでも始まらない。
自分の地位が脅かされるときは自分が悪いのではなくいつも政府が悪い。省庁が悪い。国民の教育水準が、頭が悪い。外で何が起きているのか少し頭を働かせてみようともしない。誰かが群れから外れたことを言ったときは袋叩きにして火にくべる。その結果、誰もが同じことばかり言い続けている。
だが、はっきり言っておく。お前が新しい産業という餌を捕るんだよ。お前がやることになってたんだよ。餌を「作る」のでもいいし、「掘る」のでもいいし、「盗む」のでもない形で「奪い返す」のでもいい。つまり、価値を生むという行為を、制度の他人に外注するなということだ。もちろん少子高齢社会は強力すぎる逆風ではあるが、それさえも誰かのせいに陰謀論めいて帰着させる前に一度よく考えてみたらどうか。産業は勝手に湧かない。誰かが、失敗の責任を自分で引き受け、見えない需要を言語化し、未熟な技術を鍛え上げ、供給網を組み替え、法や倫理の地雷を避け、顧客の怒りと無関心の中で立ち続けた結果として、ようやく姿を現す。論文の引用数のように、キーボードを叩けば増えるものではない。獲物は森にいる。森に入った者だけが、血の匂いと風向きを知る。
お前たちは選択と集中ではなく研究者の自発的な興味や関心が大事という。
では聞くが、お前たちはお前たちが学生だった頃の自分たちに恥じることはないだろうか。
お前たちは、お前たちが知りたいと思ったことを、お前たちが知りたいと思ったかたちで、明らかにしつつあるのか。
わたしは大学の門をくぐったとき、自分が畳の上で安らかに死ねるとは思わなかった。畳の上で死ぬというのは、単に死に場所の話ではない。生が、社会と和解しているという感覚だ。努力が見返りに接続し、未来が計算可能で、家族が暮らし、老いが制度に回収されるという約束だ。だが、あのときのわたしには、その約束が見えなかった。見えなかったというより、最初から信じる気がなかった。自分は、本と論文と電線の塵芥の中で、目を開けたまま息絶えるのだと思った。研究室の片隅で、半田の匂いと紙の埃にまみれて、未完成の仮説を握ったまま、呼吸だけが止まるのだと。
なぜそんな死に方を想像したのか。たぶん、それは恐怖ではなく、ある種の誓いだったのだろう。畳の上の安寧を最初から目標にしない者だけが、森に入れると。森に入るとは、制度の外側に一歩出ることだ。誰も餌をくれない場所に行き、自分の手で何かを捕まえることだ。捕まえられなければ飢える。飢える可能性を引き受ける者だけが、捕まえる可能性を持つ。そういう単純な力学を、大学に入った頃のわたしは、たぶん予感していた。戦争をする国家という本質的な暴力装置に大学そのものを重ねて見ていた。
戦後の復興が戦争によって準備されたのだとしたら、戦後の次の繁栄は、戦争ではなく、わたしたち一人ひとりの「狩り」によって準備されなければならない。制度は餌箱ではなく、森へ向かうための靴であるべきだ。大学院は巣ではなく、飛び立つための筋肉を作る場所であるべきだ。SNSは鳴き声の競技場ではなく、狩りの情報を交換する地図であるべきだ。そうなっていないなら、装置を叩き壊すか、装置の使い方を変えるしかない。鳴くのをやめて、翼を伸ばして、地面を蹴るしかない。
最後に、あの想像に戻る。目を開けたまま息絶える、というのは、救いのない悲観ではない。目を閉じる暇も惜しんで見ていたかった、ということだ。世界の配線の仕方、言葉の連結の仕方、仮説の跳ね方、そして価値が生まれる瞬間の、あの微かな火花を。もし本当にそういう最期が来るなら、せめて塵芥の中に、誰かの餌になる小さな骨を残して死にたい。鳴き声ではなく、獲物の痕跡を。上から落ちてくる餌ではなく、自分で森から引きずってきた何かを。畳の上で死ねなくてもいい。だが、巣の中で口を開けたまま死ぬのだけは、御免だと。
お上を叩くのは簡単だ。叩いても腹は減らないからだ。制度を呪うのは気持ちがいい。呪っても給餌は止まらないからだ。君たちの批判は刃物ではない。換気扇だ。臭いを抜いて、建物を延命する装置だ。君たちは自由の名で柵を磨き、純粋の名で鎖を正当化し、公共性の名で自分の安寧を公共財にすり替える。いつまで巣の縁で鳴くのか。餌は捕れ。捕れないなら黙れ。黙れないなら巣を出ろ。——平和の繁栄は、配給では続かない。
決して豊かとまではいかないが、親子3人で生活するには十分なくらいの稼ぎがあったのに(年収は800万ちょっと、貯金は1000万以上あった)
電気やストーブ、換気扇がついたままだとギャーギャー騒ぎ、ヒステリックに消して回っていた妻。
1時間以上つけっぱなしとかならまだ分かるけど、ちょっとトイレ行くだけの間とかでも絶対に許さず「電気代が勿体無い!」と怒鳴り付けていた。
冬、仕事から帰宅すると、部屋が異様に寒く、娘がエアコンもつけずに部屋で遊んでて「寒くないの?」と聞いたら「エアコンつけるとママが怒るからやだ」と。
「寒かったら気にせずエアコンつけていいんだよ」と言ったけど、それからしばらくしたある日、娘は部屋の中で凍死した。
斎場で妻、正確に言えば元妻は「なんで」と泣き崩れてた。
「お前のせいだよ」と言いたかったけど、言えなかった。
離婚して3年経ったけど、あちらは「(俺の)安月給のせいでエアコンもロクにつけられなかった」から死んだと言って回っているそうだ。
凍え死んだ娘に触った時の感触が忘れられない。
5年ほど前、高校生だった頃
毎日毎日最寄り近くの駐輪場の同じ場所に自転車を停めて通学してたんだけど、
・サドルを少しずつ切り裂かれる
・バレンタインの日、家族のカゴ付き自転車を使ったら高いお菓子をカゴに入れられる(普段はカゴなし)
卒業と同時に自転車に乗らなくなったので被害は無くなったけど、昨年頭に教習所に通うために同じところに新しい自転車を停めたら、また電池を抜かれたりするようになり、怖くなって自転車を使うのをやめた。
やめた途端、マンションの自転車置き場で私の自転車の下にだけ何回かペットボトルが落ちてるようになった。
怖かったけど、家族は多分気のせいだって言い張るしずっと気にしないようにしてた。
そんで先月引っ越した。
一つ目。
家を何日か空ける度に、お風呂場の床がびしゃびしゃに濡れてるようになった。
家を空ける前は換気扇を回して乾いたのを確認してから出発してたのに、帰ってきたら濡れてるみたいなことが何回か起こる。
12月はめちゃくちゃ家空けてて、家で過ごしてる日数の方が少なかったからほんとうに不思議だった。
1月入って家を空けなくなってから、床が濡れてることはほとんど無くなった。
二つ目。
タオル、下着だけを洗濯に出した日、ポケット入ってる服なんて当たり前にないのにティッシュが混入してた。間違って洗濯カゴにゴミ捨てちゃったのかな〜って彼には言ったけど、場所的に普通に洗濯カゴにティッシュなんか入るわけないんだよな。
彼はティッシュほとんど使わないし、かなり使う私は絶対ゴミ箱に捨てる派。
うちは室外洗濯機でベランダに置かれてるけど、常に蓋も閉めてるから外から投げられたりしない。しかも1階とかじゃない。
三つ目。
コインランドリーに私がパンツ1枚を忘れてきてしまった日、30分もしないくらいで戻ったのにもう無くなってた。誰かに持ち帰られていた。
正直これは忘れた私が悪いから、あんまり該当しないかなと思いつつも念の為。
家に誰かいるのかと思って押し入れめっちゃ調べたけど誰もいないし(当たり前か)
契約時に鍵交換料取られたから鍵は交換されてるはず。鍵自体ピカピカだし。
自転車はまた買い換えたんだけど、それは被害無し。自転車置き場行くためには高級車の真横通らないと行けなくて、カメラとかに写っちゃうリスクあるからそりゃそうかと思いつつ。
気のせいで済ませていいラインなのかわからないし、知恵袋とかに書いて残ったらバレそうでここに書いた。まあここも残るかもしれないけど、知恵袋よりマシだろう。
そういう嫌がらせしてくる相手に心当たりはなくもないんだけど、確信が持てない。
小学生の時弟の友達で浮いてた子がいて、心配でよく話しかけてた子。吃音持ちで上手く話せないみたいだったけど、気にせず話しかけてた。
その子が私の事好きってのは色んな人から聞いたけど、私はそういう目で見てなかったし興味もなかったから無視してた。
小学校卒業してから全く合わなくなったんだけど、何故か私のTwitterのリア垢を誰かから聞いてフォロー飛ばしたりはしてきてた。
高一の時花火大会の日、彼氏&友達と地元から1時間近く離れた街のショッピングセンターで時間潰してたらたまたま遭遇して、3時間くらい付きまとわれたことはあった。
でもそれ以来会ってないし、実家の場所も1回引っ越してるから知らないはず。
その人くらいしか心当たりないけど、その人のSNS見てる感じ、鉄道とかオタ活で忙しそうでそんなことする時間ないように見えるから、ないかなあって思ってる。
考えれば考えるほどわからなくなる。
でも大袈裟だとか思われそうで怖い。
彼は「怖いけどたまたまじゃないの?」って言ってるし、たまたまなのかなと思う自分もいる。
でもティッシュ洗濯に入ってたり、風呂場乾いてないのほんとに困るんだよな。
どうすりゃいいかなぁ。
※汚くて気持ち悪い話
2025年は厄年で最悪なことがたくさんあったが、今日それらすべてを上回る真相解明編に辿り着いたので書いて吐き出すことにした。
今年の秋ごろに換気扇のエラーが出てしまい、自分でなんとかするも結局解決できなかったので本体に記載されていたP社のヘルプデスクに電話した。
朗らかに挨拶され、その時はこれでもう大丈夫だと安堵したのだが実はこれこそが悪夢の始まりだった。
まずは家に上がってもらい作業の様子をしばらく見守ることに。
我が家の換気扇には洗浄機能がついており、本体が汚れると警告音がなるのでお湯を入れて洗浄ボタンを押すという簡易的な洗浄は日常的にやっていた。
だが、もともとの性格がズボラなため、今の家に住んで12年経つが換気扇は一度も開けて洗ったことがない。
100億%汚いことはわかりきっているため「すみません、汚くて…」と苦笑いを浮かべながら詫びたのだがなぜかおっさんはこれを無視。
しばらくそのまま無言で作業をしているので、なんとなく気まずくなり私はそこを離れ子供たちの世話をすることにした。
その途中ガチャガチャと流し場の皿を勝手に動かす音がして(ん?)となったが端に除けて作業をしているのだろうと思い、気にしないでいた。
予定した時間よりも早めにおっさんが来たのと、子どもが朝ごはんを食べるのが非常に遅いため皿を洗う間もなかったのだ。ズボラでごめんなのだ。
終始無言で作業していたおっさんは一時間ほどして作業を終え、無言からの反動か急に子供たちとベラベラと話しをしだした。
おっさんに作業のお礼を言いつつ「さーて、皿でも洗いますか」と流し場を見て思わず硬直。
グレーの細かい謎の汚れがスプレーで吹き付けたかのようにびっしりと皿やコップにこびりついていたのだ。
春のパン祭りの白い皿の白いところがほぼなくなるほどの謎の汚れ。
なにこれ!?すぐに洗わなきゃ!とパニックになり皿洗いを始めた私を横目におっさんは帰っていった。
自分のやったことなのでわかっているはずなのにおっさんはそのことに一言も触れずに帰っていったのだ。
手洗いをして洗浄機に放り込んでお湯で洗ったはずなのにその謎の汚れはまだ残っていた。
修理で上がり込んだ他人の家の食器をこんなに汚してなんの謝罪もなく帰るって何!!!!!??????
当時はパニックになり、何も言えぬままおっさんを帰してしまったが、ぐらぐらと煮えたぎるような怒りが後からわいてきた。
子供と話している暇があったらその謎の汚れの説明をしてくれてもいいのでは?
旦那のいる土日にすれば良かった、皿を早めに片付けていれば良かったなどと後悔は尽きない。
そのあとはクレーム入れて返金や汚れた食器の弁償をしてもらいなんとか怒りは収まったのだが、本題はここからである。
火を消すたびに毎回エラー音がなり、エラーによって数字が点灯するのだが今回はヘルプデスクに電話しないと直らないようだった。
絶対に嫌すぎる。もうあの会社の人間を家に踏み入れさせたくない。
ガスは問題なく使えるのでうるさいエラー音を我慢しながら一か月ほど使用し、年末の大掃除にこのタイミングで初めて自分でネジを外して換気扇を洗うことにした。
換気扇のカバーを外すとそこには大量のGの糞と一匹の死骸が転がっていた。
そのあたりの処理を旦那にやってもらい、私は換気扇を洗うことに徹した。
長らく洗っていない換気扇は油と汚れが茶色い粘土のようにこびりついている。
それを一心不乱に歯ブラシでこすり落としながら私はふと疑問に思った。
クレームを入れた時にこのグレーの汚れはなんですか?と聞いたがP社の担当は油汚れだと言っていた。
だが今こうして私が必死に戦っているこの油汚れは主に茶色と黄色で黒やグレーのものは見当たらない。
あの場にあったグレーの汚れと言えば一つしかない。
ゾッとした。
担当者の言う通り油汚れであってほしいとさえ願った。
「100%そうであるとは限らない。真相はわからない。あまりもう考えないほうがいい」と言われて何も言えなくなった。
あのおっさんに不幸になれとは思わない。
人を呪うと自分に返ってくるからである。おっさんのためではなく自分のためである。
だから、あの時や今日の不快な思いが何十倍にもなっておっさんの元へと返り、自分にはそのぶんの幸せがめぐりますように。
今日もごみ出しをして、切れてたパンを買って帰ってきて、こういう日常の流れってこのままでいいのか?ってまた考えてしまった。
夫婦の役割分担は、別に完全に半々じゃなくてもいいと思ってる。
収入や体力、得手不得手、育った環境や生活リズムが違うのは当たり前だし。
ただ、ある程度はバランスが取れててもいいんじゃないかって思う。
時間に余裕があるほうや収入が少ないほうが家事を多めにやるのは自然だと思ってる。
家賃や光熱費は収入比率で割り、通信費や新聞、食費は自分が全部負担。
だから朝のごみ出し、ルンバや洗濯乾燥機のごみ取り、排水ネット掃除はほぼ自分。
換気扇や空気清浄機のフィルター掃除、床拭き、水回りの掃除もだいたい自分が先に気づく。
トイレ掃除も夫がやることはあるけど、自分のほうが頻度は多い。
改善のために「夜のうちにごみ出してくれない?」って提案したこともある。
たまにやってくれるけど習慣にはならない。タスク表を作って分担しようとしたら同意はしてくれたけど、実行はしない。
結局こっちが日程を決めて貼り出すところまでやらないと動かない気がする。
一度、あまりにモヤモヤが消えなくて、カウンセリングにも行った。
そこで言われたのは「まずは相手の立場で話を聞くことから始めてみては」ということ。
どういう考えでそうしているのかを、そのまま聞くのが大事らしい。
でも正直、それをやったとして本当に状況が変わるのかはわからない。
こっちはそれなりにやってるつもりだし、提案もしてきた。
それって家庭内でマネージャー役やるみたいなもんじゃないのか?って思うことがある。
時々、いっそ家事やめたほうがいいのか、そもそも自分が「こまめにやるべき」って勝手に決めつけてるだけなのか、そこまで考えることもある。
うちのお風呂、ずっとカビに悩まされてたんだけど、今ではめちゃくちゃ快適になった。
いろいろ試して、最終的に落ち着いた方法を書いておく。
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1.プロに頼む
まずはくらしのマーケットで評判のいいお風呂掃除の人を探して、徹底的に掃除してもらう。
自分でやるより、スタート地点を「完全リセット」してもらうのが大事。
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2.その日のうちに防カビ燻煙剤
掃除が終わったら、すぐにダイソーで売ってる300円の煙タイプ防カビ剤を使う。
(3個セットでネット通販でも売ってる)
この防カビ剤、効果が約2ヶ月続くので、まとめ買いしておくと便利。
スマホのカレンダーに「防カビデー」を2ヶ月ごとに入れておくと、忘れずに継続できる。
やるのは数分だけど、カビの発生率が段違いで下がる。
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3.常時換気
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毎日風呂に入れば清潔感が出ると思っている男のなんと多いことか。
俺は異性のほとんどをを性的な対象と捉えないのでモテてるわけではないのかもしれないが、清潔感の出し方を知ってるので女友達には事欠かない。
勘違いしている男が多いが、清潔感とはキレイにしておくことではない。
正確には、女子のいう「せいけつかん」は「整えてる結果を出してる感」のことだ。
清潔感じゃなく整結感が正しい。
まずは女性が清潔感を出すために普段おこなってることと同等のことをやってみろと。
毎日シャワーか風呂は当然のこと、シャンプーとリンスも必須。ムダ毛も剃れ。
すね毛ボーボーが男らしいとか洗ってるから清潔とか冗談じゃ無い。
ヒゲは毎日整えろ。剃ったらローションは必須。肌を乾燥させてボソボソさせるな。
眼鏡でもいいけど、ノーズパッドが少しでも汚れたら交換しにいけ。
黄ばんだノーズパッドを顔の中央に配置させとくな。
OWNDAYSでもいいから眼鏡は数本持っとけ。店員さんに似合う眼鏡を聞け。
眉毛も整えろ。絶対だ。濃い眉毛が男らしいとか抜かすな。なんなら抜け。
風呂上がりにタオルドライの状態でトニック振りかけて頭皮マッサージしろ。ハゲ散らかすな。
そのあと必ずドライヤーだ。生暖かい状態で水分も豊富だと雑菌が繁殖してすぐ臭くなるんだよ。
行きつけの床屋で顔剃りしてもらうのもいいけど、一度は美容院に行って「モテそうな髪型にしてくれ」とオーダーしてみろ。
美容師さんにモテヘアを維持するためのコツも聞いとけ。帰ったらメモしけ。
ヘアケアは毎日やれ。女子は何十分と時間かけて毎日整えてんだよ。
洗ってるから清潔、じゃねーんだよ。整えろ。
高いブランド服買えってんじゃないんだよ。ユニクロ一式でもモテるやつはモテる。
洗いすぎて色あせした黒い服も捨てろ。
自分の身体に合った服を買え。ワイシャツの腹をパンパンにさせてんじゃねえ。
服選びがよくわかんなかったらRight-onの店員さんに一式のコーディネートを頼んでみろ。
玄関に全身が映る鏡を置いて、外出前に靴までのコーディネートで整ってないとこがないか確認しろ。
清潔にしろって言ってんじゃねえぞ。整えろって言ってんだ。
猫背は一生治らないから仕方ないが、食事中に肘をつくな。ガチャガチャクチャクチャと音を立てるな。
所作を整えろ。
同じことをやれ。
自分の話は8:2の2くらいでするつもりでいい。
面白いこと喋れなくていいんだよ。
つまり、会話の内容も事前に整えておけ。
もう一度言っておくが、清潔感とは「整えた結果を出してる感」だ。
出すのは結果だけでいい。むしろキモいから整えてる過程を見せるな。
電車の中で化粧するなっていうのと同じだ。
バカなブコメもトラバもみんな、「猫嫌い」を正当化できるロジックは持ってなかったな。
「地域猫活動する組織が悪い」あたりか、最大のロジカル打点は。
その通りだよ。地域猫はいない方がいい。地域猫してる理由は野良猫がいるからで、彼らを殺せば捕まるからで、妥協点ではあるし、バカはその辺りすら知ろうともせぬが、
野良猫も当然いないほうがいい。
猫は悪くない。悪いのは人間。そこに気づければそれでいい。
バカみたいに猫の殺処分を求める馬鹿たちが、なぜ猫の殺処分は不法か、考えるきっかけになればいい。殺処分が一部でも合法とされてる生き物は、なぜそうなのか考えるきっかけになればいい。
どんな生き物がどんなふうにかかわって今の日本があるか、考えるきっかけになればいい。
今の自分が、誰に対してどんなあぐらのかきかたをしてるか、気づくきっかけになれば、それでいい
でもそれすら地球のひとつの幸福のたねになる。不幸の種かもしれない。
でもそうやって、だれひとり自分の選択でなく、この星を生きている。
追記ここまで
野良猫問題と見るや「殺せ」「地域猫なんかふざけてる」「害獣として殺処分できるべき」と吹き上がるブクマカたち。
なぜ猫が人里で暮らしているか、そもそも猫はなんで野生ではなく野良というか、考えたことはあるだろうか。
日本に猫がやってきたのはおよそ2000年前、弥生時代にさかのぼる。当時の日本人は稲作が普及すると同時に、農家はネズミや雀、害虫に悩まされた。
それらのハンターとして中国からやってきて重宝されたのが始まり。
ちなみに日本のそとに目を向けると、約5,000年前の古代エジプトですでに作物をネズミから守るために猫が飼われていた。
もちろん機能的に優れるだけでなく大変愛らしくよく懐くので愛玩目的でも重宝されたが、
メインはハンターとして。
とにかく、猫は人間のたべものを守るために、長い年月、田畑・倉庫・船などあらゆる場所で飼われていたわけ。
日本やアジアの歴史に猫がいなかったら、米食・穀食の文化はいまのように育たなかった可能性もある。もしくは高級品になっていまとは別の広まり方をしていたかもしれない。国々の文化や歴史も変わっていったかもしれない。
猫は人間のエゴで家畜化し、人間のエゴで野生を奪い、人間のエゴで地球中に拡散し、人間のエゴで人間に都合がいい生き物として進化させてきた。何百世代にも渡ってね。
それが日本から百姓が減って農薬や殺鼠剤や冷蔵庫が進化した途端に害獣扱いですか。
へえへえご立派なこってすね。人間様の暮らしにいまや猫は必要ないですもんね。
百姓してて猫嫌いっつってる人みたことない。いや、厳密には祖父は超犬派で猫を飼うというと最初こそ嫌そうだったけどいざ飼ってみたら2年でマジでネズミが全くいなくなってから猫を神と崇めるようになった。姉が結婚して猫を連れていってからは、どこからともなく子猫を見つけてきて飼い始めるほど。
なんか蚕を思い出す。日本で養蚕業がさかんだったころはそこらじゅうで飼われていた。野生では生きていけない品種。人間に都合よく歪められた品種。哀れだ。人間の醜さを痛感する。まあ猫は蚕とちがって野良でも生きていけるけども。
ま〜とにかく、猫を憎悪してるお前ら、勝手に憎悪してりゃあいいけど、
米や穀物食う時はその歴史に少しは感謝してみりゃいいんじゃないすかね。
わたしは自治体のルールに則り野良猫を捕獲しては”””自腹”””で病院で避妊・去勢手術を受けさせ地域猫化しています。(うちの自治体の場合は申請すれば費用は1割くらい見てくれるらしいけどのその程度の端金ために申請するのがめんどくさい)
以下参考
子猫が生まれない一番確実な方法は不妊・去勢手術を施すことです。対象となる猫を捕えて、手術後放します。 このことにより、その猫は一代限りとなり、子孫が増えることはありません。 この方法をTNR(Trap[捕まえる]、Neuter[手術する]、Return[戻す]もしくはRelease[放す]の頭文字)といいます。
野良猫にエサをやる人がいなくなりさえすれば速やかに猫は餓死すると思っていますか?いいえ。猫はゴミをあさります。スーパーなどに侵入して売り物に手を出すかもね。人間様の大好きな燕を襲ったりもするかもね。そうすると虫が増えるね。まあ燕を捕まえられる猫は結構限られるけど。
小動物なんて猫だけでなくカラスでもイタチでもやられる生き物を飼っておきながら戸締りしていないお前が悪い。小動物を飼っているなら責任持って換気扇の排気口にも鉄製の網かけるレベルで厳重に守れ。
「猫の狩猟本能が強いのは先述の通り人間のエゴのために進化したからです。」という前提を頭に入れて対策しろ
そうは言っても糞尿被害が
自治体に相談しろ、猫よけ超音波マシンとかいろいろ貸してくれる場合もある。
他にもスプレーとか、猫の苦手なニオイや食べ物、いろいろ対策グッズはある。
てか実家がクソ田舎の百姓だけどお呼びでない来客なんて無限に現れますがな〜〜〜庭や畑には鹿も猪も日本ざるもイタチもタヌキもやってくるけど当っっっっっっっっったり前に彼ら動物に「法律で決められた土地の所有権」なんて理解してもらえるわけがないなんて小学生でもわかんない?だから人間サイドで対策するしかないなんてどんなバカでもわかるだろ!!なんで都会の人間は猫が入ってきたくらいでそんなピャーピャーと・・・猫なんて別に人間に襲いかかってくることもない。お呼びでない来訪者の中ではかなりマトモな部類だってのに・・・
地球は人間だけのものではありません!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
Permalink |記事への反応(25) | 10:59
還暦を過ぎてから、長年の夢だった”自宅に映画館を持つ”計画を実行に移した。
若い頃から映画が好きで定年後に時間ができたら作ろうと漠然と考えていたが、実際に着手してみると想像以上に手間と費用がかかった。
以下は、記録として残しておきたいと思う。
地下一階に8畳ほどの物置部屋があり、もともとは古いワインセラー兼倉庫として使っていた場所を映画室に転用することにした。
天井高は約2.3メートル、コンクリート打ちっぱなしの壁面。湿気が多く、まず最初に除湿と防音の両立が課題となった。
・防音工事:約78万円(吸音材・遮音シート・壁パネル施工含む)
・床上げ+防振マット施工:約22万円
合計で約149万円。
この時点で、当初の想定額(100万円以内)はすでに超えていた。
防音工事は最も大きな出費になった。
使用したのは旭化成のサウンドカットNT吸音パネルと、YKKの遮音ドア。
天井にはグラスウール断熱材を50mm厚で敷き詰め、その上に遮音シートを重ね、化粧パネルで仕上げた。
ドアは外開きの防音仕様で閉めると耳が詰まるような密閉感がある。
次に問題になったのが空調。
防音室は密閉度が高く、換気が悪い。
家庭用のダクト式換気扇を2台設置し、吸気・排気の両方を分けて運用。
これらの設備関連だけで約40万円。
電源も100V→200Vのコンセントを追加し、プロジェクター専用回路を確保。
配線は壁内を通して見た目をすっきりさせた。
スクリーンは悩んだ末にキクチ科学研究所のSE-120HDWを選択。
天吊り金具SLG-011とHDMIケーブル(エレコム製20m、5,800円)を併せて取り付けた。
映像ソースはPanasonicのDP-UB9000(UHDBlu-ray対応プレイヤー)を導入。
これが約17万円。
さらにNAS(Synology DS220+、約5万円)を設置し、自宅サーバーに保存した動画をLAN経由で再生できるようにした。
スピーカーはフロントにBowers & Wilkinsの「607 S3」(約11万円×2台)、センターにHTM6S2(約9万円)、リアに「606S2」(約10万円×2台)、サブウーファーはYAMAHAのNS-SW100(約4万円)を選択。
サラウンドケーブルはオヤイデ電気のSP-3398(メートル単価550円)を20m使用。
ラックやスピーカースタンドを含めるとさらに10万円上乗せとなった。
映画館の雰囲気を出すため、座席にはリクライニング式のシアターチェアを導入した。
左右にドリンクホルダー付きの肘掛けを備え、電動リクライニング機能を持つ。
床は吸音カーペット仕様で、サンゲツのNT-700を採用(1平方メートルあたり3,800円)。
壁面は黒の吸音クロス仕上げに変更し、余計な光の反射を防止した。
地味だが、最も苦労したのは配線整理だった。
LAN、電源、スピーカーコードを束ねて壁裏を通すために、既存のコンクリート壁にスリーブ孔を開けた。
防振ゴム付きの配線モール(パナソニック製)でカバーし、床下収納には電源タップを隠した。
木製パネルを黒塗りにして高さを低く抑え、機器の熱がこもらないよう背面を開口。
金具やネジ込み部の補強材としてスチールバー(コーナンで購入、1本1,480円)を使用。
設置後、実際に試写を行うと反響音が予想以上に強く、音がこもって聞こえた。
床と壁の反射を抑えるため、追加でニトリの厚手カーテン(遮光3級、1セット6,800円)を壁面に吊り下げた。
さらにコーナー部分にウレタン製のベーストラップ(ヤマハ製)を設置(1本9,200円×4)。
音響調整には無料ソフト「RoomEQ Wizard」を使用。
マイクはBehringerのECM8000(約9,800円)をPCに接続し、周波数特性を測定。
AVアンプの自動補正機能Audyssey MultEQと組み合わせて微調整を行った。
総費用はすべて含めて約340万円。
当初想定より100万円以上のオーバーとなったが、途中で妥協しなかったことが功を奏したと思う。
運用にあたっては、電気代とメンテナンス費用が月平均で約3,000円。
除湿機と換気扇を常時稼働しているため、湿度は50%前後で安定している。
プロジェクターのランプ寿命(約5,000時間)を考慮すると、交換費用は約2万円。
年間に換算しておよそ1,500時間の稼働であれば、3年はもつ計算になる。
一番の失敗は換気経路の設計だった。
最初は排気口を小さくしすぎて空気が循環せず、夏場に室温が35度を超えた。
その後、直径100mmのアルミダクトを150mmに変更し、サーキュレーター(バルミューダ製GreenFan C2)を導入して解決。
スピーカースタンドの支柱に軽い赤錆が浮いたため、サンドペーパーで磨いて防錆塗料を塗布。
工事の打ち合わせ、配線の確認、資材の選定など、すべて自分で行った。
しかし完成した空間は日常から完全に切り離され、映画を“観る”のではなく“迎える”場所になった。
上映中は時間を忘れる。
外の音も入らず、誰にも邪魔されない。
その密度の中で一本の映画を観終えると、少しだけ若返ったような気がする。
だが、年を重ねると”何を持つか”よりも”何に時間を使うか”のほうが重要となる。
地下のミニシアターは、そういう意味でとても有意義な投資だったと思う。
Permalink |記事への反応(18) | 14:34
なんでそんなに他人に厳しいんだろう
他人と生活する上で一番重要なのは「赦し」だと思うんだけどな俺は
「換気扇付ける気なんてない!」っていう奴とは一緒に暮らせないけど、
「あ、ごめん忘れてた、今付けるね」って奴なら全然いいと思うんだよな。
換気扇付け忘れたことを殊更に責め立てて結婚指輪を捨てるとか、
まぁぶっちゃけ料理の匂い以前にヘビースモーカーで部屋中ヤニ臭かったからな
今はもうやめたけど
繰り返しになるが自分がスタンダードだというつもりは毛頭ないが、
20年前に男一人暮らしで部屋で喫煙なんてそう珍しくもなかったとは思う
特に結婚生活初期は習慣にないからついつい忘れちゃうことはあるんじゃないかなぁ。
それってそんなに「やべーやつ」なのかなぁ。
そりゃお前が汚染に強いやつってだけじゃん
料理中に飛散する油とにおいはすさまじいぞ?
換気扇つけないと浮遊したそれらが壁に付着して常時臭うようになる
おまえ、食事作ってないときも食べ物のにおいがすることに気づいてないだろ