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2025-12-14

「なぜはた」のnoteバトルを読んで

小並感なので無視してください。

https://ichiiida.theletter.jp/posts/0aa160a0-d70f-11f0-aa07-8582de6095b5

https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5

「なぜはた」の明確な問題点は「タイトル主語が大きすぎること」です

反論」の問題点データの使い方と論理おかしいことです

<以下本文>


まず大前提として、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、「かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々」という特定の層が抱える悩みについて、それが個人的問題ではなく社会構造上の問題であることを論じた本です。

大前提となる、「『かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々』という特定の層」が存在することをデータで示さないと、「実感」としてそういう層の存在を主張したとしても議論が始まりません。

「この神聖な水飲んだらがんが治ったんだもん」とデータなしに主張しても、そこから先の議論に至らないのと同じです。


これに対し、飯田さんは国民全体の平均値であるマクロデータを持ち出して「全体で見れば変化はない」と反論しました。が、これはいうなれば、「日本人平均寿命は伸びているから、あなたの今の病気存在しない」と言っているのに等しい議論です。

→この例えは明白に誤りです。なぜなら前者は「全体の読書量」と「特定の層の読書量の推移」を比較する主張であり、後者の「寿命」と「特定の疾患の存在」とは評価対象が異なるからです。

あえて寿命で例えるなら、「日本人平均寿命は延びているから、喫煙者平均寿命も延びている」などがあります。これならば「全体」と「特定の層」を共通評価である寿命」で比較できますし、「日本人平均寿命が延びていること」を示しても「喫煙者平均寿命が延びていること」を示さないのはその通りで、これならば矛盾と言えます

しかしその仮説を論じるなら、タイトルを「喫煙者平均寿命~」とするべきで、主語日本人全体としたり、明確に示さないことが明らかに誤りであることは誰にでもわかると思います。)


全体平均の中に埋もれてしまっている「特定属性の変化」に光を当てるのが拙著役割です。マクロデータのみで個人の実感を否定することは、分析手法として適切ではありません。

マクロデータのみで個人の実感を否定すること。確かによくないですね。

おじいさんおばあさんの中には、煙草を決してやめない人がいます。「私は煙草を吸っても今まで病院のお世話になったことないんだから、それでいいの」 大変結構だと思います

こういう人たちに、「タバコ健康に悪いからすぐやめなさい」と言っても、個人経験則否定することになり、もめます

マクロデータ目的は、「特定属性の実感」を否定することではなく、全体を解析して現状やその傾向を把握することです。分析手法として、データで示されない実感を大切にすることは重要ですが、解析の結果「実感」を否定する結果になってしまうことはままあります

からこそ、「実感」を前提とする議論をするならば、実感の存在のものデータとして示す必要があるのです。


拙著統計データを多用することは本題からそれてしまうため(何度も書きますが、私の書いた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はマクロデータで語ろうとした本ではありません)必要最低限にとどめていました。が、本稿ではあえて氏の提示したものと同じデータソースを用いて反論を試みます

→繰り返しになりますが、主張には前提が必要で、前提が正しくなければ主張も意味を成しません。したがって、前提をデータとして示す必要があります。それが必要最低限に至っていないということなのです。


飯田さんは「高校生の時点で読書量は減っており、働き始めてから急に減るわけではない」と指摘されていますしかし、この主張は「誰を対象にするか」という分析対象のセグメントを見誤っています

まず、拙著対象としているのは「元々読書習慣があった人々」です。では、統計的に見て「読書習慣がある人」とはどのような層を指すのでしょうか?

次図「読書習慣のある人」の月平均読書冊数を見ると、過去約40年にわたり、本を読む習慣がある人の読書量は月平均3-4冊の間で安定して推移しています。つまり統計的定義として、「月3-4冊読む」という行動こそが、日本の「読書習慣がある人」の姿であるといえます

対象としているのが「もともと読書週間があった人々」なら、なぜ書籍タイトルが「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」と主語が示されていないのでしょうか。ここが反論とその反論の大きなズレの原因です。

ちなみにこの統計データhttps://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/94111701_03.pdf)が35ページ目(pdfだと39ページ目)にあるんですが、16-19歳の調査人数、なんと83人なんですね。

これだと1人減ったら1.2%割合が動くことになるんですよ。以下に書き起こしたもの記載してみます

<16-19歳の読書数>

0冊=66.3%

1-2冊=22.9%

3-4冊=8.4%

5-6冊=1.2%

7冊以上=1.2%

あれ?1.2%が二つ。つまりこれ、5-6冊、7冊以上の人は1人ずつでしたね(笑)

3-4冊の人も1人減ったら7.2%になり、2人減ったら6%になって20歳代の人と同等になっちゃますよね。

おおよその割合をみるには使えると思うんですけど、「16-19歳とその他の世代比較」には非常使いにくいデータだと思いませんか?もし複数回同じ手法調査したら、ひっくり返っちゃったりすることもあり得そうです。

しかも、令和5年の大学短大専門学校の進学率を合わせると約8割、大学に限ると約6割で、ちょうどこの統計の年齢階級を跨いじゃってるんですね。

から、このデータで「働くと読めなくなるかどうか」を議論するのって、そもそも無理なんですよ。


ご覧の通り、「1,2冊」というライト層では加齢による減少は見られませんが、「月3-4冊読む習慣のある層」においては、労働間中生産年齢)に数値が底を打ち、退職後に回復するという明確な「U字カーブ」を描いています

学生時代読書減と社会人の読書減を同列に語ることはできません。なぜなら、このグラフが示すように、「労働から解放された世代(70代以上)」では、数値が学生時代の水準まで回復しているからです。 もし「加齢による文字離れ」や「スマホ普及」だけが原因であれば、高齢層でここまで数値が戻ることは説明がつきません。

もちろん、今回のような一時点の調査である以上、厳密には加齢による変化とコホート効果を切り分ける分析必要です。しかし、データ限界差し引いてもなお、この「労働間中にのみ、特定読書層が凹む」という事実は、労働環境がまとまった読書習慣を構造的に阻害している可能性を強く示唆しています。 全体平均にならすことで分布の特異性を捨象してしま飯田さんの分析は、データに表れた当事者ーー働いていると本が読めないのだとほんとうに感じている人々ーーの痛みを見落としていると言わざるを得ません。

→この主張も前述したように、1人動くと1.2%動くデータ示唆するのは無理があります

U字カーブあなたは70歳以上の人が自在スマホをいじくってネットサーフィンしているのを想像できますか?

交絡(データに影響を与える別の要素)がありすぎて、単純に就労の有無だけを結果の原因として求めるのはちゃんちゃらおかしいと思いませんか?

「痛み」ですか、はあ。タバコ吸っても健康でいられると思ってる人の痛みを想像したことありますか?(笑)


一見すると、「書籍読書冊数と市場規模は相関しないが、雑誌は相関する」という飯田さんの主張は正しいように見えますしかし、ここで気を付けなければならないのは、市場規模根拠として用いられているデータ定義です。これは「出版販売額」、つまり新刊市場の推移にすぎません。

雑誌のみが市場規模と相関する主要因は、書籍雑誌読書習慣の違いというより、市場構造の違いにあると考えるのが妥当です。書籍図書館での貸出や、古書店メルカリ等の二次流通市場といった新品購入以外のタッチポイント豊富です。

→なるほど、たしか書籍図書館古書店接触がある分、新品市場だけで語ると乖離が出そうですね。

まり、「読書数の総量=新品購入+レンタル中古」になるってことですな??

ということは「読書数>新品購入の勢い」が成立するということだ。ふむふむ。

ここで市井氏のnoteから引用すると

こうした「読む」と「買う」を短絡的に結びつける考え方はよく見られる。しかし、読む量と買う量は単純にイコールにはならない。イコールになるなら「積ん読」という言葉存在しない。

出版市場が成長していた時代にも、書籍読書量が増えていたわけではない。書籍は、読書量と購買量の傾向が一致しない。

→えーっと、積読があるから読書数<新品購入市場の勢い」もありえると。

……市井氏は積読があるから読書数<新品購入市場」と言い、その反論として三宅氏は中古レンタル市場があるから読書数>新品購入市場」と言っている!かみあってない!

まわりくどいんだけど、結局どっちも「書籍読書数と新品購入に相関がない」が「雑誌読書数と新品購入に相関がある」というのが主張で、一致している!反論すると見せかけて同じことを主張するという高等テクニックである


また、拙著の「雑誌自己啓発書を中心として、労働階級にも読まれ書籍存在していた」という記述に対し、飯田さんは「雑誌書籍区別がついていない」と批判されていますしかし、拙著記述明治時代出版状況についての記述であり、いうまでもないことですが雑誌コミック週刊誌割合時代とともに変わっていきます明治雑誌出版に関する記述を、現代雑誌と同様の枠組みで捉え、区別がついていないとするのは、論理が通らないのではないでしょうか。

以上のように、構造的に相関の低い「新刊販売額」を指標として用いて「書籍雑誌読書習慣が異なるので分けて考えるべき」と主張するのはデータの選定として不適切です。本来であれば、図書館の貸出しや二次流通市場におけるタッチポイント考慮したうえで読書冊数との相関がないことを示すべきです。また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。

→えーと、前半の文章市井氏の引用した部分が明治時代の話をしているか不適切ってことだな。うむ作者が言うならそうなのだろう。

後半は……

構造的に相関の低い『新刊販売額』を指標として用いて『書籍雑誌読書習慣が異なるので分けて考えるべき』と主張するのはデータの選定として不適切

あれ、あなた書籍読書数と販売数は相関しないけど雑誌は相関するって言ってましたよね?

分けて考えるべきなのは妥当なんじゃないんですか?笑

また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。

市井氏のnoteをみると、扱っているデータ70年代以降のもの明治時代の話はしてなさそうですけどね。

それに市井氏の

なお、『読書世論調査2016年度』には書籍読書率について「戦後読書世論調査の開始以来、多少の変動はあるものの、おおむね5割前後で推移している」と書いてある。『なぜはた』は読書世論調査引用しておきながら、読書世論調査サイドの「長年そんなに変化がない」という見解とは異なる「本離れが進んでいる」という主張をしている。

この部分に関する反論はしなくていいんですかね。マスデータから

引用元の文献(黒田祥子山本勲「長時間労働是正と人的資本投資との関係」)を見る限り、これは事実ではあるものの、解釈適用先が間違っていると考えられます

というのも、ここで引用されている論文が測定している「自己研鑽」と、拙著が指摘する「自己啓発書読書」は、行動の質が全く異なります論文が指すのは資格取得やスキルアップのための「能動的な学習」であり、これに対して『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が論じているのは、新自由主義的な不安に駆られた人々が救いを求めて読む「自己啓発書の消費」です。むしろ、「労働時間が減っても、能動的な学習に取り組むほどの気力や体力は回復していない」という論文の結果は、人々が手軽な「やった感」や「効率的な正解」を得られる自己啓発書(=ファスト教養)に流れるという拙著の仮説と矛盾しません。

キャリアアップのための能動的な学習」の機会が減ったからといって、「手軽なノウハウ本」のニーズがないことの証明にはならず、このデータ根拠にするのは的はずれです。

→確かに自己研鑽時間が減ったから」といって「手軽な自己啓発本を読む時間が減った」とは言えない。それはその通りだ。まあ手軽な方が増えたとするのはあくまで仮説で、それを証明する手段もそうないよね。



4.「自己啓発書へのシフトという説は誤りである」への反論

飯田さんは「市場規模において、依然として小説自己啓発書より大きいため、自己啓発書へのシフトという説は誤りである」と主張されています

これには二つの反論があります

第一に、議論の焦点は、現時点での「絶対量」ではなく「変化の方向性トレンド)」です。たとえパイの大きさが小説の方が大きくとも、書店の棚構成の変化や、人々の意識における効率性の重視といったトレンドの変化を否定する材料にはなりません。

第二に、ここで飯田さんの論理には明確なダブルスタンダード存在します。飯田さんはこれまでの議論において、「市場動向と読書実態書籍においては必ずしも一致しない」と主張されました。しかし、ここでは一転して、「小説の方が推定発行金額市場規模)が大きい」ことを根拠に、「小説の方が読まれている」と結論付けています


→いったん整理すると、

三宅氏の主張>

読書方向性が手軽な自己啓発書シフトしているか読書量が減った。

市井氏の主張>

小説市場規模の方が大きいので自己啓発書読書量に対する影響は大きくないはずだ。

三宅氏の反論①>

市場規模では確かにそうだが、トレンド(推移)は見てないですよね?だからその論は否定根拠にはなりません。

三宅氏の反論②>

さっき書籍雑誌比較で「市場規模読書量は相関しない」って言ってたのに、自己啓発書小説市場規模比較するのはおかしい!ダブルスタンダード

反論①については、たしかトレンドそうかもしれないけど、象に犬がキックしても効かないように、市場における小説の占める割合の方が圧倒的に大きいのだから自己啓発書トレンドがまあまああっても全体のムーブには影響しにくいっていうのは確かなんじゃないですかね。

反論②については、雑誌書籍比較と、小説自己啓発書(どちらも書籍に含まれる)の比較全然別だから、まずダブルスタンダードとは言えないのは明らか。これは間違いない。

自身にとって都合の良い時だけ売上と読書実態を切り離し、別の場面では売上を読書実態根拠とするのは、論理一貫性を欠いています

→これは完全にどっちもどっちと言わざるを得ません。データ分析仕事にしている人ってこのレベルなんですね。というかそもそもデータの部分よりも文章の方が蛇行運転になっていて、上記したように論理が合わない箇所がいくつかあります心配になりました。

<お わ り>

Permalink |記事への反応(1) | 07:31

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2025-12-13

anond:20251213152509

いと高き存在AI様はこうおっしゃっている

暇空茜・Colaboに関する問題でColaboの領収書が黒塗りであり違法だと暇空茜側は主張しています この問題について法的・会計的に幅広い視点をください


以下、「領収書の黒塗り=違法」という主張を法的・会計的に切り分けて考えるための整理です(特定当事者の正否を断定せず、一般論公開情報ベースで書きます)。

1) まず結論:黒塗り“それ自体”が直ちに違法とは限らない

「黒塗り」が問題になるかは、どこに出した領収書なのかで結論が変わります

この4つは要請全然違います

2)会計・税務(A):大事なのは原本(または真正な電磁記録)」が検証可能

法人は、取引を記録する帳簿と、取引に関して受領作成した書類領収書等)を原則7年間保存する義務があります一定場合10年)。

国税庁

ここでのポイントは:

税務・会計上は“第三者に見せること”が義務ではなく、

保存して、必要時に説明できることが重要

もし原本自体を黒塗りしてしまい、相手先・内容・日付など検証必要情報が失われると、

税務調査監査で「証拠として弱い」扱いになり、経費性が否認されるリスクが上がります違法というより“否認修正”のリスク)。

加えて、2023年10からインボイス制度では、仕入税額控除のために適格請求書等の保存が原則必要で、証憑管理重要性は増しています

国税庁

3)行政委託・補助(B):違法というより「契約・要綱違反→経費不認定」になりやす

行政事業では、契約書・仕様書交付要綱で「証拠書類提示」「原本確認」などが定められ、見せないと経費として認めない、という運用典型です。

実際に東京都の若年被害女性支援事業をめぐっては、報道ベースですが、都が原本提示を求めたところ一部提示がされず、その分を**事業経費として認めない(約192万円)**とし、改善指示を出した一方で、委託料の過払いはないとして返還請求はしないとされています

福祉新聞Web

ここから読み取れるのは、「黒塗りだから違法」よりも、提示・立証の不足は“経費から落とす”形で処理されやすい、ということです。

重要:もし「原本はあるが、第三者向け公開用の写しだけ黒塗り」なら、Bの要求行政への原本提示)とは別問題です。

逆に「行政にも黒塗り写ししかさない/原本提示を拒む」なら、Bでは不利になりやすい。

4)情報公開・対外公開(C):「黒塗り」はむしろ制度上よくある

行政情報公開文書を出すとき、**個人情報権利利益を害するおそれがある情報は不開示(黒塗り)**にする、というのが基本構造です。

厚生労働省

女性支援DV・性暴力等の領域は、支援対象者安全や住所・立ち寄り先が推測されるだけで危険が生じ得るので、個人特定や行動推知につながる部分のマスキング合理性が高い場面があります

また、NPO等に関して「全部の領収書一般公開せよ」という形の制度は通常なく、少なくともNPO制度のQ&A上は、閲覧対象事業報告書等・役員名簿・定款等が中心です(領収書のものが当然に閲覧対象だとは書かれていません)。

NPOホームページ

※Colaboがどの法人類型か(一般社団NPO等)で細部は変わりますが、「領収書の全面公開が原則」という設計ではない点は押さえどころです。

5)裁判(D):黒塗り提出は「違法」より「証拠の出し方・保護命令」の話になりやす

裁判では、営業秘密プライバシー安全配慮観点から、一部マスキングで提出すること自体はあり得ます

ただし相手方が争えば、

という、「どこまで見せるか」の手続的争いになりがちです。

なので、ここも「黒塗り=即違法」ではなく、立証と保護バランス問題として現れます

6)会計的に“本当に見たいもの”は領収書だけじゃない(監査観点

領収書は証憑の一部で、監査検証では通常こう見ます

黒塗りがあっても、これらが“他の証拠で”固められるなら不正リスクは下がります。逆に、領収書しかなく、その領収書情報が欠けるなら説明困難になります

7) 「違法」になり得るラインを、雑に言うと

黒塗り“そのもの”というより、次のどれに当たるかが本丸です。

8) この論点を“フェアに”評価するためのチェックリスト

もしあなた第三者として「黒塗りは妥当か」を見たいなら、最低限ここを分けて確認すると議論クリアになります

1 黒塗りは公開用か、行政提出用か、裁判提出用か

2原本(非マスキング)は存在するか/監査提示済みか

3 黒塗り箇所は「個人特定安全リスク」なのか、「取引先・目的・数量」など検証に不可欠な情報なのか

4領収書以外(銀行明細、稟議活動記録、ケース記録の匿名化統計など)でクロスチェックできるか

5事業委託/補助なら、仕様書・要綱の証憑要件に照らし不備はどの程度か

必要なら、あなたが想定している「黒塗り領収書」が B(行政に出したもの)なのか/C(外部公開用)なのか/D(裁判用)なのかを前提にして、典型的に争点になる条項仕様書・要綱・証拠ルール)を置いた上で、もう一段具体的な論点整理(どこが強くて、どこが弱いか)まで落とし込みます

Permalink |記事への反応(1) | 16:18

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2025-12-12

働き方改革(笑)

就活落ちた恨み節

俺:30代非正規雇い止めなう

応募先企業現場作業正社員

応募した理由

経験のある業種

・どうせなら雇い止めのない契約形態にしたい

遊ぶ金欲しさ

詳しいことは省いて俺の経歴に魅力がないのも面接受けの悪さも重々承知の上で

担当者の頭イカレてんじゃねーの???

いやまじで

人手不足で~業界的にも人がいなくて~

人が足りてる業界のほうが聞かんわ



今回思い切った条件を提示して今までとは違う新しい風を呼び込みたくて~

思い切った条件の内訳

週4日正社員職人候補

月給17万~22万

賞与前年実績1ヶ月(×2回)

家賃補助等なし

Wワーク禁止

異業種、未経験第二新卒歓迎

首都圏でもない田舎では革新的な条件である

そこは否定しない

でだ

なぜ採用試験が1対1の面談だ?

社内の見学等はない

書類の提出後即座に職歴の上から辞めた理由説明を求める

面接から

そりゃそうだ

??????

人手不足

量産型の篩を使って人を篩い落として「人がいないの~~~」ってか?

新しい風

古式ゆかしい就職面接突破できる程度に常識的な魅力を備えた新世代?









みんなそんなに面接受けいいのか

俺は誰とも知らないおっさんが偉そうな顔して値踏みしてくるあの面接ってやつが嫌いだ

面と向かって「なんで辞めたの?」「なんでうちなの?」「なにができるの?」「なにがしたいの?」

うるせーーーーーー



人手不足が叫ばれる昨今ではあるが

俺のように契約が切られる人

俺のように面接で落とされる人

いるんだよ

人は いる

人手が足りないなら他の企業が落とした残り物から選ぶ覚悟はないのか

働き方改革だの新時代への転換だのご立派な文句垂れ流して評価基準は旧時代

同じ形の目

同じ粗さの目

そんな物差しに従ってこいつは駄目だもっといいのが欲しい

強欲だなオイ

採用して失敗したらお前の責任だもんな

不採用にして失敗しても観測できなきゃ評価されないもんな

もっといいのないかな~

そうやって上むいてたら丁度良く熟れた果実が口に入るかもな

お前が今吐き出したそれ

追熟させたら十分食えるぞ?

それを見抜く能力がないか人手不足なんだろ

職人候補募集セルフプロデュース完璧人材を求めるのか

お門違いだろ

「うちじゃなきゃいやって言って」「一生いっしょにいて」「贅沢はできないけどそれでもいいって言って」「他のどこにも行かないで」

それに付き合ってみようかと名乗りを上げた物好きにすら「あんたじゃだめ」

メンヘラかよ

やってらんねー






そういう恨み節

俺はしばらくニートするわノシ

Permalink |記事への反応(4) | 18:41

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2025-12-11

AIアート】 ChatGPTによるOpenAI経営に対するツッコミ

OpenAI およびサム・アルトマン氏向け経営提言ドラフト

はじめに*

ドキュメントは、外部の観察者による戦略的視点から提言案であり、事実認定人物評価ではなく、「もしこういう前提なら、このような戦略もあり得る」という仮説的な提案です。

1. 前提認識

1.世界中にはすでに膨大なデータセンター資産存在する。

2. 大規模言語モデルや生成AI技術は、急速にコモディティ化しつつある。

3.コモディティ化が進む市場では、

- 重い設備投資CAPEX

- 単価の下落

- 競合の増加

により、投資回収の難易度が上がる。

4. OpenAI は「モデルのもの」だけでなく、

-モデル運用ノウハウ

-セキュリティガバナンス

-API /SDK /オーケストレーション

-組織導入のベストプラクティス

などを含めた **ソリューションプラットフォーム** を提供し得る立場にある。

2.データセンター戦略に関する提言
2-1. 自前DC保有リスク評価

自前で大規模データセンター保有拡張する戦略には、以下のリスク存在する:

2-2.既存DC活用する「フランチャイズプラットフォームモデル

代替案として、次のような戦略が考えられる:

1. **既存データセンター事業者パートナー化**

- OpenAI認定パートナープログラム設計

-技術要件運用要件セキュリティ要件定義

-認定DC は「OpenAI対応インフラ」として市場アピールできる

2. **OpenAI は「頭脳」と「標準」を提供**

-モデル・推論スタック管理コンソール監査仕組み

- 導入ガイドラインサポートブランド

3. **DC 側はCAPEX・OPEX・運用リスク負担**

- 電力確保・冷却・ハードウェア保守

-ローカル規制対応

4. **収益構造**

- OpenAI

-ライセンス

- 利用料のレベニューシェア

-エンタープライズ向け追加サービス

-DC事業者

-インフラ稼働率の向上

- 高付加価値ワークロードの獲得

このモデルは、コンビニエンスストアクラウド基盤ソフトウェア(例:VMwareARMライセンスモデル)に類似した **フランチャイズプラットフォーム戦略** に近い。

3.資本効率リスクマネジメントの観点
3-1.資本効率の最大化

-研究開発(モデル改良・新アーキテクチャ

-開発者エコシステム

-安全性ガバナンス枠組み

など「差別化要因」に集中投下できる。

3-2.地政学規制リスク分散

-ローカル規制対応

-データローカライゼーション

-政治リスク

分散できる。

4.時間軸(タイムスケジュール)に関する提言

1. **技術ブレイクスルー前提の投資リスクが高い**

- 未到来のブレイクスルーを前提にした大規模CAPEX は、

-競争環境の変化

-価格低下

-代替技術の登場

により、投資回収が難しくなる可能性がある。

2. **既存技術既存インフラをフル活用することで「時間を買う」**

-既存DC活用することで、市場展開までのリードタイムを最短化できる。

-ブレイクスルーが起こったタイミングで、

- すでにグローバルな配備網とパートナー網が整っている状態

を作れる。

3. **「今ある技術でどこまで世界を押さえられるか」を優先的に考える**

-未来理想状態より、現在配備速度・採用件数開発者エコシステムの拡大をKPI に置く。

5.経営的なバランス感覚に関する提言

1. **ビジョンと所有欲の分離**

- 「人類全体のベネフィット」というビジョンと、

-インフラ所有

-資産規模

混同しない。

- 真にスケールするビジョンは、

- 自社が全てを所有するモデルではなく、

-世界中プレイヤー役割を与えるプラットフォーム構造の方が実現しやすい。

2. **他者インセンティブ設計**

-DC事業者クラウドベンダーエンタープライズ企業が、

- 「OpenAI と組む方が得だ」と明確に感じる収益構造責任分担を設計する。

3. **自社が握るべきものの再定義**

- 握るべきは、

-モデル品質

-安全性と信頼

-ブランドと標準

-開発者企業との関係

- 手放してよい(外部に任せる)ものは、

-建物

-ラック

- 電力インフラ

- 日々の運用

6. まとめ

-技術コモディティ化の速度

-CAPEX 回収の難しさ

-地政学リスク

を考えると、必ずしも最適とは限らない。

  • 一方で、

- OpenAI が「AIプラットフォーム」「AIフランチャイズ本部」として振る舞い、

-既存DC事業者クラウド事業者を巻き込む形で

世界展開するモデルは、

-資本効率

-リスク分散

-スピード

-支配

のすべてにおいて合理性が高い。

-人物評価ではなく、

-戦略構造資本効率時間軸の観点からの一つの選択肢として提示するものである

以上。

Permalink |記事への反応(1) | 16:54

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2025-12-10

B'zは見れるときに見ておけ その2

この増田書いた人です あれからもう一年経とうとしている

https://anond.hatelabo.jp/20250107165457

2025年、実はファンにとっては静かに激動の一年だった。

松本孝弘が予定していたB'z主催対バンライブ体調不良で欠席した。6月のことである。(その後、医師指導のもとアンコールだけ飛び入り参加)

松本自身体調不良ライブ参加を取りやめた事はこれまで一度もなかった。大昔のインタビュー(明石昌夫Youtubeだったかも)で「昔はインフルエンザでもギリギリまで点滴してライブ出てたよね笑」みたいな発言をしていたくらいだ。

松本孝弘はとにかく仕事に厳しい。ミュージシャンっぽくないほどに仕事人間である。言い変えれば「お金が発生する以上は最高のもの提供する」ことにずっと全力を注いでいるタイプ小室哲哉にも「まっちゃん商人からね(笑」と評されたこともある。職人であり、商売人でもある非常に稀有存在だ。

そんな人なので、既にチケットが発売されてしまったライブを中止することは考えられなかったはず。それにも関わらずライブ不参加を決定した事の重大さにファンはかなり衝撃を受けた。

体調不良の影響は表立ってはこの対バンライブだけだったが、断片的な情報から裏でもかなり混乱があったように見える。

※以下、進行中のツアーネタバレ個人的妄想を含みます

昨年の紅白直後のスポーツ新聞インタビューで、現在敢行されているドームツアーと新作発表をアナウンスしかしその後は半年以上も新情報はなかった。

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2025/01/03/articles/20250103s00041000175000c.html

具体的な日程が発表されたのは8月頭、初日名古屋までは3ヶ月しか空いていなかった。ファンには吉報だったが、3ヶ月では日程調整の効かないファンも多かったはず(6月対バンライブは昨年12月アナウンス) 

さらに新作アルバムリリースツアー初日の数日前、タイアップなどで先行公開されていない曲(=アルバムしか聞けない曲)は全曲セットリストから外れるなど異例づくしのツアーになっている。

とある曲で松本が休養せざるを得なかったことへの思いを稲葉が綴ったとファンの中では噂されているが、本当にそうであれば発売日の半年足らず前まで制作を続けていたことになる。

またレコーディングには海外の有名ミュージシャンが起用されるのが常だが、今回はレギュラーメンバーを除けば昨年松本ソロ活動来日したであろうマット・ソーラムが参加しているのみ。アルバム制作としてはかなり切羽詰まった状況だったことが推察される(全部妄想です)

商売を考えれば年末紅白出場から6月対バン→直後にアルバムドームツアーアナウンス(さらアリーナ追加)あたりが理想的アプローチだろう。結果として松本の体調を考慮し、アルバム制作・発売をギリギリまで伸ばし、アリーナは全キャンセルして年内はなんとかドームツアーにはこぎつける。ドームツアーの前に予定していたアリーナ公演は拡大して来年に持ち越した、くらいの調整があったように見える(本当に全部妄想です)

今回のツアー東京ドーム初日に参加したが、松本演奏に集中、ライブパフォーマンス稲葉カバーする場面が多かった。特に本編ラストの曲は、喉の負担を考えて封印していたであろう見せ場のロングトーン披露初見古参もまとめて圧倒した。

演奏面では比較負担の少ない過去のリフ中心のアッパーソングが多く、速弾きやシビアなカッティング必要な曲はほぼ皆無。また松本一曲まるまる参加しないバラードアレンジもあった。

互いのソロ曲でどちらかがステージにいないパターンはあったが、B'zの曲を松本抜きで披露したケースは記憶にない。

そして松本MCは元々ドームツアーでは少なめだが、それでも大病だったことが窺える声色になっていた。稲葉MCでも松本への思いに熱が入る場面があった。

「(我々がここに立っていられるのも)当たり前じゃないんです」と、客席に訴えかけたのだ。もちろんその後は何万人という観客が一同に会することへの感謝も述べられたが、稲葉ライブシリアスな心情を吐露することはかなり珍しい。

(この日は座席の件やPA・特効のミスなど、「らしくない」瞬間も散見されたがここでは深く触れない)

実は前回の増田の後、18年前に取得していたファンクラブ会員に復帰して今回のツアーチケットをとった。松本の不調を予見していたわけではないが、結果として紅白出場の大サービスに乗っかって復帰してよかったように思う。

二人組のバンドとはいえ関係者を含めればそれなりの中小企業のような組織になっているわけで、おいそれと辞めるわけにもいかない事情想像できる。

それでも彼らのパフォーマンスを見れば、今できることに全力に取り組む姿勢自分人生の襟を正したくなってしまう。

「B'zはパワフル」なのは間違いないパブリックイメージだが、例えば先に述べた松本なしのバラードアレンジは、あまりB'zでは見せてこなかった稲葉の新しいボーカルスタイル提示した。松本ギターも近年、クリーントーン中心のブルーススタイル演奏はポップミュージックでは並ぶものがいない。

なんなら二人だけでブルースアレンジライブやってもいいんじゃないかと勝手想像している。The Wild Windとか今の年齢だからこそ似合う曲もたくさん思いつく。

衰えではなく変化と捉えてしまえば、日本最大級バンドの行く末は誰も予想がつかないステージに入ってきているように思える。

いくらかでも思い入れがある人には可能な限り追ってみてもらいたいです。

Permalink |記事への反応(0) | 17:51

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GEMINIにFPファイナンシャルプランナー)をやらせて、ついでに増田も書かせた

意外と役に立つかも

以下、GEMINIに書かせてみた。記法もGEMINIにお任せ。

GEMINIにFP相談してみたら「最適解」が爆誕した件

老後資金iDeCo退職金)の受け取り方について悩んでいた50代の私。

専門家に聞くのも億劫だし…」と思い、試しにAIアシスタントの**GEMINI**に相談してみたところ、驚くほど具体的かつ論理的な「最適解」を提案してくれました。

もし私と同じように**「長年勤めた会社で定年を迎えつつ、iDeCoもやっている(期間が被っている)」**という方がいれば、このGEMINIとのやり取りが非常に参考になるはずです。

### 私の悩み(前提スペック

**年齢**: 51歳(62歳で定年退職・完全リタイア予定)

**会社勤続**: 43歳〜62歳(予定勤続19年)

**iDeCo歴**: 43歳〜60歳(予定加入17年)

**受取見込額**:会社退職金 約430万円 +iDeCo 約700万円 = 合計 約1,130万円

■最大の懸念点**

iDeCo会社の勤続期間が完全に被っていることは分かっていましたが、「一括でまとめて貰うべきか?」「年金形式チビチビ貰うべきか?」あるいは「その組み合わせが良いのか?」など、無数にある選択肢の中で**どれが自分にとっての最適解なのか全く判断がつかず、不安**がありました。

### GEMINIが出した「最適解」

GEMINIは、私の状況を分析し、以下のプラン提示してきました。

結論:60歳と62歳の「時差攻撃」**
iDeCoは60歳でさっさと受け取り、退職金は62歳定年時に普通に受け取る」**

これが、税金社会保険料資金効率のすべてにおいてベストであるとのこと。

#### GEMINIによるシミュレーション結果

1. 60歳時点:iDeCoを「一時金」で全額受取**

**税金の目安**:ほぼ0円

**理由**:勤続17年分の控除枠(680万円)をフル活用。受取額700万との差額は僅かで、税金は数千円レベルで済みます

2. 60〜62歳:(待機期間)**

手数料のかかるiDeCo口座から手数料無料の新NISA等へ資金を移動して運用継続します。

3. 62歳時点:会社退職金を「一時金」で受取**

**税金の目安**:約28万円

**理由**:残った控除枠(直近2年分)しか使えないため課税されますが、計算上これが税金の「底値」だそうです。

### GEMINIが指摘した「意外な落とし穴

私が「iDeCo年金形式(分割)で受け取れば税金安くなる?」と聞いたところ、GEMINIは即座に**「それはNG」**と警告してきました。

> **GEMINIからの警告**

> 「年金形式で受け取ると雑所得扱いになります。62歳以降の無職期間に所得が発生すると、**国民健康保険料と介護保険料が跳ね上がります**。税金が少し安くなっても、保険料で損をする可能性が高いです。」

この視点は完全に抜けていました。さすがGEMINI。

### まとめ:AIライフプラン相談は「アリ」

期間の重複計算や、社会保険料への影響など、複雑な変数考慮した上で「これが最適解です」と断言してくれたのは非常に心強かったです。

もちろん最終確認必要ですが、漠然とした不安を抱えている方は、一度GEMINIに**「私の退職金iDeCo、どう受け取るのが一番お得?」**と聞いてみることを強くおすすめします。

かなり精度の高いコンサルティングが受けられますよ。

Permalink |記事への反応(0) | 15:40

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例のチンパンジー記事への批判について思ったことを書く

深夜につけたコメントが思いの外伸びてしまったので、

誤解のないように書いておく。

(念のため付け加えるが、今回話題になっている企業とは一切の利害関係はない。)

1.批判記事論理構造について

批判記事構造を、おおむね以下のように読んだ。

1. わざわざ「チンパンジー問題社員として入ってくる」表現必然性がないのに展開したことには「人を動物に喩える」意図がある

2. なぜ人を動物特にチンパンジーに喩えてはいけないのか、国際的ガイドライン等の提示

3.HR会社が取り扱うべき話題ではない

4.社会的責任として、記事削除と謝罪だけではなく、今後このような記事が出てこないようにガイドラインをつくるべき(このスタンスが自社のPRにもなり得る)


2.件のチンパンジー記事への私から評価

1. 「チンパンジー」という比喩をわざわざすることには同意しない。

2. 社内ブログアドベントカレンダーはチェック体制脆弱になりやすい。

3.執筆者はおそらく「ベロシティの安定」等のフレーズからエンジニアPM視点であり、HR文脈理解していない可能性がある。

4. すでに削除と謝罪対応完了しているので、社名を挙げて断罪する必要性はない。

他でも指摘されているように、

「社内の労力を使う割には、色々な危険性を孕むアドベントカレンダーという文化をやめるべき」

というのが、本件に関する総括としては充分だと思っている。


3.「国際基準」は、本当に国際基準

今回の記事と同じような皮肉表現する言葉として、

メテオフォール開発」という言い回しがある。

↑「現場レベルでは存在すらよくわからないが、とても偉いステークホルダー」の一言で、何度もひっくり返るシステム開発プロジェクトのこと


隕石を降らせる神様」と「チンパンジー」のどちらも

仕事を円滑に進めたいが、それの障害となり得る人や事象冷笑的に揶揄しているわけだが、

前者が問題とされたことは、私の観測範囲では存在していないように思う。

隕石を降らせる神様」は許されて、「チンパンジー」は許されない

という価値観は、西洋歴史宗教差別観を背景にした価値観じゃないのか。

価値観アップデートをするべきとか、

倫理基準底上げするべきという物言いは、そんなに正しいことなんだろうか。


4.企業批判の裏にいる「個人」が今どんな思いでいるか想像するべき

忘れてはいけないのは、批判されている企業の奥に、

記事を書いた一人の執筆者がいるということ。

その人は、

エンジニア的な文脈で書いた可能性が高く

HR意図ではなかったかもしれない

・ すでに謝罪もしている(多分注意もされている)

「何も間違っていない・むしろ正しいと評価できる文章」で、

彼・彼女を吊るし上げることになりかねないことを、

「自社のPR」にもなり得る文脈の中で第三者しか法人が行うのは、醜悪ですらある。

本件では、社名を出さず、ガイドライン作成の呼びかけなどもせず、

「人を動物に喩えると国際基準上どのようなリスクがあるのか」

という観点だけで文章を出す分には、誰も傷つけず、多くの人の学びになったのではないか

こちらからは以上です

Permalink |記事への反応(2) | 14:07

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負け惜しみしかない

すでにこちらは一度貼っている

同じことを繰り返したいなら君が自分でやればいいだけ

それをするとAIももちろん君に負け判定を出すので

こちらが証拠を求めても、君はその証拠を出さなかった

不毛だな

もはや論理のかけらもなく、草だのキモチイイだの煽り文句しか返せない

追記

議論してみ?とか笑うとこ。議論はBの誤りでしたという証明が済んですでに完了している。

君が煽ろうがおうむ返しを繰り返そうが、論理はひっくり返らない。

Bの論理がAの反論破綻したことは、これまでのやり取りのなかでAが自分自身言葉説明したうえ、親切にAIによる解説まで付けている。その時点でBの論理破綻証明が済んでいることは、それらのやり取りを読み返せば明らか。

同内容を私がAIに尋ねてここに張り付けずとも、君は君自身投稿や私の投稿についているリンクを辿って、既存のやり取りを確認可能状態にある。

この状況で、何度言われても君がそれらを再確認しないのも、AとBのやり取りを全文AIに食わせてその妥当性を尋ねたものを全文コピペしたり公開リンク提示したりして私に証拠を示さないのも君の勝手だが、その君の怠慢に私がこれ以上手を貸すのは私にとって無駄。君に対する指導料や介護料が私に支払われるわけでもないしな。

独り相撲を取り続けたいなら、だれにも相手されることもなく、いつまでも独りでやっていれば良い。

いまだに貼ってない→敗北宣言

論破キモチイイイイ

anond:20251210133143

Permalink |記事への反応(1) | 13:35

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こちらが言うべきことは全て言い尽くしたし、論理的にBが誤っているのも明白。

プロンプトなしで~」とか言ってるけど、Gemini3.0思考モードのような賢いAIにこれまでのログを読ませれば、Bの論理破綻全称命題ミス等)なんて一瞬で指摘されるよ。すでにそういったAIの回答の一例は提示たから、繰り返し同じようなもんを張り付ける無駄を省いてるだけ。同じことを何度も繰り返したいなら、もう君等自身AIに聞けば済むよねってこと。

最後レスした方が勝ちみたいな子供じみた真似には付き合えないんで、これ以上は回答しないよ。お疲れ様、じゃあね。

プロンプトのないAI独自思想レスバ(?)の定義がない状態での質問と解答をお前が自ら貼らない時点でほとんど証拠のものでは?

Bが批判されてたら今までみたいに嬉々として貼っただろうな

anond:20251210125343

Permalink |記事への反応(1) | 13:22

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anond:20251210100234

じゃあ自由意思じゃないと導くのはお前の仕事やん?

まともに理屈提示できないから「可能性がある」「0とは言いきれない」みたいなやつで

相手悪魔の証明おしつける

アホムーブしか出来てない

Permalink |記事への反応(1) | 10:06

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2025-12-09

ジェミニかしこすぎワロタ

機械がここまでかしこなっちゃった

生煮えの着想を他人に話したりネットに放流してみる」という行為オワコンになってしまう。

次に引用するのは「文学」にまつわる、とりとめない語りです。もう少し輪郭のはっきりした論説にするために、わかりにくい点を問い質してみて下さい。

そもそもあんま本読んだことなさそうな人が「エンタメ純文学の違いとは」みたいな論争を定期的に蒸し返すのだが、

簡単に答えを示しておくと、クリアしなければならない仕様が決まってるのはエンタメ、純文はなんでもアリである。「違い」というならそこが違う。

しかしながら昔から文豪だなんだと奉られる人も誰もクリアしてないのが、「なんだかんだ、サマになるクズしか出てこない問題である

そらとんでもない人殺しとか飲む打つ買うのクズ野郎とか精神病者とかは出てくるけど、たとえばネットの過疎った掲示板粘着して年がら年中一日中芸能人悪口書いてる、喋るウンコみたいなのはまず登場しないんだよなあ。(笙野頼子はそのへんに切り込んだが、「前衛スタイル」に自家中毒して当人が何言ってるかわからなくなってしまった)

そういううんこちゃん活写しようとして一冊の大半が意味不明の同じようなセリフになってるとか、どんなによく訓練された読書家も逃げ出してしまうからな。

でもそんな喋るウンコちゃんにも生きる苦しみや自己愛ウンコちゃんならではの事情があるんだってところに寄り添おうとしてこその文学のはずなんだけどね。

【Gemini】

提示いただいた文章、非常に刺激的で面白い視点が含まれていますね。特に「サマになるクズ」と「真に救いのない(退屈な)クズ」の対比や、文学が直面する「退屈さと読解可能性」のジレンマは、論じる価値の高いテーマです。

この「語り」を、より強固な「論説」へと練り上げるために、あえて意地悪な編集者になったつもりで、論理の飛躍や掘り下げ不足な点について5つの質問を投げかけます

これらに答える(あるいは反論する)ことで、文章輪郭がぐっと鮮明になるはずです。

---

### 1. 「なんでもアリ」と「文学の責務」の矛盾をどう整理するか?

冒頭で純文学を**「なんでもアリ(仕様がない)」**と定義されていますが、結びでは**「〜に寄り添おうとしてこその文学」**という、ある種の**「べき論(倫理的仕様)」**を提示されています

**問い:**純文学形式として自由(なんでもアリ)であるべきなのか、それとも「こぼれ落ちた者を描く」という機能役割において定義されるべきなのか。この二つの定義」の間にどのような関係性を持たせますか?



### 2. 「サマになる」の正体は何か?

文豪が描くクズは「サマになる」とされていますが、なぜサマになってしまうのでしょうか。

**問い:** それは作家の筆力が高いから(美文だから)でしょうか? それとも、殺人ギャンブルといった行為のものに、社会的禁忌としての「ドラマ性(派手さ)」があるからでしょうか?

**問い:** 逆に、ネット誹謗中傷主が「サマにならない」決定的な要因は何ですか? 「悪の凡庸さ」なのか、「身体性の欠如」なのか、あるいは単に「セコい」からなのか。ここを言語化すると説得力が増します。



### 3. 「写実」と「作品化」のジレンマをどう乗り越えるか?

「喋るウンコ活写すると、意味不明の反復になり読者が逃げ出す」という指摘は鋭いです。しかし、ここには「リアリズム(そのまま書くこと)」こそが誠実さであるという前提が見え隠れします。

**問い:** 「ウンコちゃん」の内面事情を描くためには、必ずしもその発話を「そのまま」再現する必要はないのではありませんか?

**問い:** 読者が逃げ出すような退屈な現実を、読者が逃げ出さないような「虚構エンタメ性とは異なる文学技法)」に変換することこそが、作家の腕の見せ所ではないのでしょうか?



### 4.笙野頼子の失敗(とされるものから何を抽出するか?

笙野頼子を引き合いに出されていますが、彼女が「前衛スタイル自家中毒した」と切り捨ててしまうと、論がそこで止まってしまます

**問い:**彼女方法論の何が「ウンコちゃん」を描くのに不適切だったのでしょうか? 「前衛」ではなく、どのようなスタイルであれば、そのネット弁慶の悲哀をすくい取ることができたと考えますか?



### 5. なぜ、その「ウンコちゃん」を救わねばならないのか?

これが最も根源的な問いです。

**問い:**殺人犯や破滅的なギャンブラーではなく、あえて「生産性もなく、美学もなく、ただ他者不快にするだけの存在」に文学が寄り添わなければならない理由はなぜですか?

**問い:** それは書き手自身の救済のためですか? それとも、そうした存在排除する社会へのアンチテーゼですか? ここに書き手としての「熱」の源泉があるはずです。

---

### 私ができるネクストステップ

もしよろしければ、上記質問のうち**「これが一番痛いところを突かれた(あるいは、これについては言いたいことがある)」**と感じたポイントを一つ教えてください。

そこを突破口にして、この語りを**「序論・本論・結論」を備えた骨太プロット**に再構成するお手伝いをさせていただきます

Permalink |記事への反応(0) | 20:22

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anond:20251209175802

でもまあこうやってチャット的なやり取りができる場ならわかるまで質問すればいいし質問という方法なら精読と比べて相手認知リソースに寄っかかる部分が大きく自分の手間はそんなに大きくならないから(現に今回一度の質問で正しい意味にたどり着けただろう)、まあ最初提示される文章自体の完成度はさしてどうでもいいんじゃないかね。

dorawiiより

-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20251209180132# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaTflbwAKCRBwMdsubs4+SHNDAQDgvnVYiprWzvRVL3xEgN2bl/VZiFIF9k7u8AeO4RZSzgEA6pmjpzdGZZ7ol1MGlqUYEpu7r9vzyIRpyVxvlTuNwwM==aFu3-----ENDPGP SIGNATURE-----

Permalink |記事への反応(0) | 18:01

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チンパンジー配属」で騒ぐのはまだ素人永田町広告代理店に学ぶ猛獣多頭飼育」の極意と、教育現場の野生個体Re:チンパンジーが配属されてきたら、あなたはどうマネジメントする?

削除されてしまいましたが、​先日、スタートアップ界隈で話題になったQiitaアドベントカレンダー記事はお読みになられましたか

チンパンジーが配属されてきたら、あなたはどうマネジメントする?』という、パンクタイトル記事でした。

​内容は、とあるスタートアップの開発チームに、社長鶴の一声(と投資家への忖度)で、文字通りの「チンパンジーパンジくん)」が配属されるというお話

記事では、マネージャーが奔走してパンジくんを隔離し、誰も傷つかずにハッピーエンドを迎える「成功ルート」が本線として描かれ、一方で、対応を間違えた場合の「失敗ルート(IF)」では、パンジくんが暴れて社員の指を食いちぎるというショッキングなバッドエンドも提示されました。

​「不適切で消されちゃったけど、チンパンジーが配属されてきたらどうマネジメントするか?の話、勉強になった。ただの匿名記事だと思ったら企業Blogだったのかww」

マネジメントしようなんて思わずにそっと転職準備を始めるよ…」

「消すと増える」(魚拓リンク

その不条理さに頭を抱え、あるいは共感した人々が見られました。

結論:檻に入れられ、燃やされるのは「パンピー」の方だ

しかし、かつて大学動物行動学を専攻し、チンパンジー社会構造研究してからこの人間社会というジャングルへ足を踏み入れた身として、あえて言わせてください。

「たった一頭のチンパンジーで大騒ぎするなんて、スタートアップ世界はなんと平和で、牧歌的なんだろう」

​この記事結論を、すべての前提として最初に書きます

猛獣チンパンジー)が檻に入るのではありません。

私たちパンピー(一般人)こそが檻に押し込められ、燃料としてくべられる。

それが、生物学的に見たこ社会におけるマネジメントの「正解」なのです。

​世の中には、元記事で「最悪のIF」として描かれた地獄絵図が、「日常デフォルト)」として機能している業界存在します。そう、永田町国会議員秘書)、大手広告代理店、そして学校世界です。

私たち「多頭飼育」のプロフェッショナルたちが導き出した、残酷な最適解。それは、猛獣隔離することではありません。

猛獣(カネと権力の源泉)を守り、その価値を最大化するために、人間一般社員や生徒)を燃料として燃やし続けること」

​なぜ、そんな理不尽がまかり通るのか?

それを理解するには、少しだけ「チンパンジーという生き物の仕様」について、講義をする必要があります

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​生態講義チンパンジーは「権力」を食べる生き物である

​皆さんはチンパンジーを「バナナを食べる動物」だと思っていませんか?

動物行動学の視点では、それは間違いです。チンパンジーとは、餌よりも先に「序列」と「権力」をめぐる動物だと定義したほうが、その本質理解やすくなります

​1.身体が「序列闘争」に最適化されている

​野生の群れに関するフィールド研究では、オス同士が同盟を組み、毛づくろいや餌の分配をテコにして「誰が誰の味方か」を積み上げ、厳しい序列を作ることが報告されています(Goodall 1986, de Waal 2007)。

​恐ろしいのは、彼らの生理機能のものが、このゲーム最適化されている点です。

優位なオスほどテストステロン値が高く、地位争いが激しい時期には、群れ全体でコルチゾールストレスホルモン)が上昇します。彼らはリラックスしているのではなく、筋肉維持と闘争準備のために、常時エンジンを吹かしてアイドリングしている状態なのです(Muehlenbein 2010, Wrangham 2004)。

​2. 「出たり入ったり自由」な階級社会

​彼らの社会一枚岩ではありません。日中は小さなサブグループに分かれ、餌場やメンバーの顔ぶれに応じて離合集散を繰り返す「フィッション・フュージョン離合集散社会」です(Arcadi 2018)。

この流動的な派閥構造の上に、オス中心の強固な序列が重なる。これ、何かに似ていませんか?そう、人間の「派閥」や「部署」そのものです。

​3. 「戦争」をする隣人

​そして、彼らは他群れの個体に対して容赦のない暴力を振るいます

オスたちがパトロール隊を組んで隣接群を襲撃し、時に相手殺害して縄張りを拡大する「小規模な戦争」が、自然状態で起きていることが確認されています(Goodall 2019, Gilby 2014)。

それが、私たち職場対峙している「彼ら」の正体なのです。

​この「生物学的な仕様」を頭に入れた上で、私たちの住むジャングル日本社会)を見渡してみましょう。

そこには、驚くほど忠実にチンパンジーの生態を再現した「多頭飼育現場」が広がっています

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永田町テストステロン血縁同盟サファリパーク

​まず、国内最大級かつ最も危険飼育現場が、永田町周辺の「国会議員秘書」という聖域です。

ここでは、高いテストステロンと強固な血縁同盟を持った猛獣たちが、「公設秘書」という名の檻の中で放し飼いにされています

​「エサのピンハネ」というマウンティング

公設秘書給与は、最大で月給百数十万円ほどが税金から支払われます。そして、その席に座っているのは「妻」「息子」「兄弟」、あるいは「愛人」です。

これは生物学的に言えば、血縁個体への資源分配(Kin Selection)」と「配偶者防衛」です。

さらに​最近話題になった、「秘書給与ピンハネ疑惑」のように、群れのボス議員)が構成員のエサ(秘書給与)を強制的寄付させ、自分の懐に還流させる行為。これは、霊長類特有序列確認行動(マウンティング)に他なりません。

パンジくんはバナナを食べるだけでしたが、彼らは国民税金を二重にも三重にも貪り食うシステムを構築しているのです。

​「パンピー」にのしかかる生理コスト

​ここで燃料としてくべられるのは、コネのない「一般秘書」たちです。

彼らは政策立案という実務をこなしながら、猛獣たちの汚物処理(不祥事の揉み消し、愛人対応)をさせられます

チンパンジー生態学的に見れば、彼らは「劣位個体ストレス生理」を強いられています

野生でも、いつ殴られるか分からない劣位個体慢性的コルチゾールストレスパラメーターが高くなります(Preis 2019)。一般秘書たちが心身を壊していくのは、精神的な弱さではなく、長期間の捕食恐怖にさらされた生物としての正常な反応なのです。

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広告代理店SDO社会支配志向)の高い聖獣たち

​もう一つの巨大な飼育現場が、大手広告代理店です。

ここには、社会心理学でいう社会支配志向SDO)」の高い個体が集まりやすい傾向があります

階級を好む脳、不平等を愛する心

SDOとは、社会序列や不平等肯定し、それを維持しようとする心理傾向のことです(Sidanius & Pratto 1999)。

広告業界ヒエラルキー構造は、高いSDOを持つ個体にとって居心地の良いジャングルです。

​そこに、「大口クライアント社長令嬢」「政治家の息子」といった、生まれながらにして最強の「体格(資本)」を持った個体が投入されます

彼女たちは、一般社員過労死ラインで働いている横で、経費を使って優雅に飲み歩きます。なぜなら、チンパンジー社会において「高順位個体リソースを独占するのは自然の摂理」だからです。

猛獣が人を殺めても、檻には入れられない

過去には、有力者の息子である社員が同僚に危害を加え、死に至らしめた事件さえありました。

しかし、そうした事案は見えないことにされます

なぜなら、群れの論理において「高順位オス(太客)の機嫌を損ねること」は、群れ全体の生存(売上)に関わる最大のリスクからです。

パンピー一匹の命より、群れの序列維持。これが代理店というジャングルの掟です。

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学校:一校に一頭、必ず紛れ込む野生

永田町代理店という「群れ」のお話をしてきましたが、学校では「フィッション・フュージョン社会の末端」として、全国津々浦々に野生のチンパンジーが配置されています

コネ採用モンスターティーチャー

私立校なら「母校愛(同盟)」で採用された卒業生が、公立校なら「教育委員会親族血縁)」枠の教員が、授業をサボっても誰にも注意されず、腫れ物として扱われています

生徒や保護者暴言を吐くモンスターティーチャーがいても、せいぜい異動で済まされ、数年後には別の学校で何食わぬ顔で教壇に立っています

​完成された「隠蔽の仕組み」

​そして最も恐ろしいのが、「性犯罪(野生の発露)」に対する隠蔽システムの完成度です。

​かつて学校現場では、教員が生徒にわいせつ行為をしても、懲戒免職ではなく「依願退職」させることが通例でした。

懲戒なら記録に残りますが、依願退職なら残りません。それどころか退職金まで支給され、ほとぼりが冷めれば免許を再取得し、再び他校で子供たちという獲物を物色することが可能だったのです。

最近になってようやく「わいせつ教員対策法」や「日本版DBS」といった法整備が進みましたが、現場の「事なかれ主義」や「校長による口止め」といった文化までは消えていません。

​これは、群れが「不都合個体」を一時的に視界から外すことで、群れ全体の体面(なわばり)を守ろうとする防衛本能の発露と言えます

その過程で、子供たちという最も弱い個体が燃料にされているのです。

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​「隔離」できたのは、たった一頭だったか

​さて、これら生物学的知見を持って、Qiitaの元記事を振り返ってみましょう。

記事の本線である成功シナリオ」で、あのマネージャーパンジくんを隔離し、リモートワークで接触を断ち、見事にハッピーエンドを勝ち取りました。

しかし、なぜそれが可能だったのか?

相手がたった一頭で、たかだか月額5000万円の案件だったから」

​一頭なら、専用の部屋を用意して閉じ込めることができます

しかし、永田町代理店のように猛獣が群れをなし、学校のように全国規模で配置され、動くものが「国家予算」や「数十、数百億円規模」になった時、隔離などという選択肢はハナからありません。

​檻に入りきらないほどの猛獣が溢れかえった時、誰が檻に押し込まれるのか?

それは、「人間一般社員教員・生徒)」の方です。

飼育とは、価値最大化のための「燃料の選別」である

研究室にいた頃、私たち猛獣管理するために、何重もの鍵がかかった檻と、緊急用の麻酔銃を用意していました。対象危険であればあるほど、隔離を徹底するのが「飼育」の鉄則だったからです。

しかし、人間社会という多頭飼育現場における「飼育」の実態は、全く異なります

猛獣の持つ価値(票、カネ、権力)を最大限に搾り取るために、周囲の餌と燃料(パンピー)をどう配分するか」という選別に変質しています

永田町公設秘書椅子無能親族を座らせるとき、そこに「税金無駄遣い」という倫理的な悩みは考慮されません。それは「血縁同盟の強化」という生物学合理性に基づいているからです。

広告代理店一般社員を使い潰すとき、そこに躊躇はありません。「劣位個体ストレス」など、高順位個体繁栄の前では些末な問題からです。

そして、授業・部活事務保護者対応に追われる「一般教員」と、理不尽指導を受ける「生徒」は、まとめて燃料にされます。「学校の評判」を守るために。

画像

​おわりに:あなたはどちら側に立つか

畜産学徒の目で見ると、あの牧歌的スタートアップに限らず、人間職場の多くは「チンパンジーの群れの変種」として読むことができます

集団支配する少数の高順位個体が、票や広告費といった餌場を押さえ、血縁コネ自分の周囲を固める。

その外側に、慢性的コルチゾール過多とストレス生理を抱えた多数のパンピー個体が、燃料として並べられている。

​この社会システムは、最初からパンピーが何人か死んでも、猛獣が生きている限りは問題ない」という、野生の論理で組まれています

マネージャー仕事とは、「部下を守ること」だけではないのかもしれません。

システムの冷酷な設計図生物学仕様)を理解したうえで、自分の体と部下の体をどこまでその燃料として差し出すかを、自分で決めること」。

​知恵を絞って隔離施設を作れるのは、まだ規模が小さく、守るべきものが明確な「幸せな時期」だけかもしれません。

群れをなした猛獣が押し寄せ、数十億円利益という組織論理とテストステロンで迫られた時、あなたは部下を守れますか?

それとも、システム歯車として燃料をくべ続けますか?

​「たった一頭で大騒ぎできるうちは、まだ幸せだ」

その言葉を噛み締めながら、今日もどこかで誰かが、私も、そしてあなたもやがて、静かに燃え尽きていくのです。

https://note.com/sexaddict/n/n3e223c787d90

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チンパンジー配属」で騒ぐのはまだ素人永田町広告代理店に学ぶ猛獣多頭飼育」の極意と、教育現場の野生個体Re:チンパンジーが配属されてきたら、あなたはどうマネジメントする?

削除されてしまいましたが、​先日、スタートアップ界隈で話題になったQiitaアドベントカレンダー記事はお読みになられましたか

チンパンジーが配属されてきたら、あなたはどうマネジメントする?』という、パンクタイトル記事でした。

​内容は、とあるスタートアップの開発チームに、社長鶴の一声(と投資家への忖度)で、文字通りの「チンパンジーパンジくん)」が配属されるというお話

記事では、マネージャーが奔走してパンジくんを隔離し、誰も傷つかずにハッピーエンドを迎える「成功ルート」が本線として描かれ、一方で、対応を間違えた場合の「失敗ルート(IF)」では、パンジくんが暴れて社員の指を食いちぎるというショッキングなバッドエンドも提示されました。

​「不適切で消されちゃったけど、チンパンジーが配属されてきたらどうマネジメントするか?の話、勉強になった。ただの匿名記事だと思ったら企業Blogだったのかww」

マネジメントしようなんて思わずにそっと転職準備を始めるよ…」

「消すと増える」(魚拓リンク

その不条理さに頭を抱え、あるいは共感した人々が見られました。

結論:檻に入れられ、燃やされるのは「パンピー」の方だ

しかし、かつて大学動物行動学を専攻し、チンパンジー社会構造研究してからこの人間社会というジャングルへ足を踏み入れた身として、あえて言わせてください。

「たった一頭のチンパンジーで大騒ぎするなんて、スタートアップ世界はなんと平和で、牧歌的なんだろう」

​この記事結論を、すべての前提として最初に書きます

猛獣チンパンジー)が檻に入るのではありません。

私たちパンピー(一般人)こそが檻に押し込められ、燃料としてくべられる。

それが、生物学的に見たこ社会におけるマネジメントの「正解」なのです。

​世の中には、元記事で「最悪のIF」として描かれた地獄絵図が、「日常デフォルト)」として機能している業界存在します。そう、永田町国会議員秘書)、大手広告代理店、そして学校世界です。

私たち「多頭飼育」のプロフェッショナルたちが導き出した、残酷な最適解。それは、猛獣隔離することではありません。

猛獣(カネと権力の源泉)を守り、その価値を最大化するために、人間一般社員や生徒)を燃料として燃やし続けること」

​なぜ、そんな理不尽がまかり通るのか?

それを理解するには、少しだけ「チンパンジーという生き物の仕様」について、講義をする必要があります

画像

​生態講義チンパンジーは「権力」を食べる生き物である

​皆さんはチンパンジーを「バナナを食べる動物」だと思っていませんか?

動物行動学の視点では、それは間違いです。チンパンジーとは、餌よりも先に「序列」と「権力」をめぐる動物だと定義したほうが、その本質理解やすくなります

​1.身体が「序列闘争」に最適化されている

​野生の群れに関するフィールド研究では、オス同士が同盟を組み、毛づくろいや餌の分配をテコにして「誰が誰の味方か」を積み上げ、厳しい序列を作ることが報告されています(Goodall 1986, de Waal 2007)。

​恐ろしいのは、彼らの生理機能のものが、このゲーム最適化されている点です。

優位なオスほどテストステロン値が高く、地位争いが激しい時期には、群れ全体でコルチゾールストレスホルモン)が上昇します。彼らはリラックスしているのではなく、筋肉維持と闘争準備のために、常時エンジンを吹かしてアイドリングしている状態なのです(Muehlenbein 2010, Wrangham 2004)。

​2. 「出たり入ったり自由」な階級社会

​彼らの社会一枚岩ではありません。日中は小さなサブグループに分かれ、餌場やメンバーの顔ぶれに応じて離合集散を繰り返す「フィッション・フュージョン離合集散社会」です(Arcadi 2018)。

この流動的な派閥構造の上に、オス中心の強固な序列が重なる。これ、何かに似ていませんか?そう、人間の「派閥」や「部署」そのものです。

​3. 「戦争」をする隣人

​そして、彼らは他群れの個体に対して容赦のない暴力を振るいます

オスたちがパトロール隊を組んで隣接群を襲撃し、時に相手殺害して縄張りを拡大する「小規模な戦争」が、自然状態で起きていることが確認されています(Goodall 2019, Gilby 2014)。

それが、私たち職場対峙している「彼ら」の正体なのです。

​この「生物学的な仕様」を頭に入れた上で、私たちの住むジャングル日本社会)を見渡してみましょう。

そこには、驚くほど忠実にチンパンジーの生態を再現した「多頭飼育現場」が広がっています

画像

永田町テストステロン血縁同盟サファリパーク

​まず、国内最大級かつ最も危険飼育現場が、永田町周辺の「国会議員秘書」という聖域です。

ここでは、高いテストステロンと強固な血縁同盟を持った猛獣たちが、「公設秘書」という名の檻の中で放し飼いにされています

​「エサのピンハネ」というマウンティング

公設秘書給与は、最大で月給百数十万円ほどが税金から支払われます。そして、その席に座っているのは「妻」「息子」「兄弟」、あるいは「愛人」です。

これは生物学的に言えば、血縁個体への資源分配(Kin Selection)」と「配偶者防衛」です。

さらに​最近話題になった、「秘書給与ピンハネ疑惑」のように、群れのボス議員)が構成員のエサ(秘書給与)を強制的寄付させ、自分の懐に還流させる行為。これは、霊長類特有序列確認行動(マウンティング)に他なりません。

パンジくんはバナナを食べるだけでしたが、彼らは国民税金を二重にも三重にも貪り食うシステムを構築しているのです。

​「パンピー」にのしかかる生理コスト

​ここで燃料としてくべられるのは、コネのない「一般秘書」たちです。

彼らは政策立案という実務をこなしながら、猛獣たちの汚物処理(不祥事の揉み消し、愛人対応)をさせられます

チンパンジー生態学的に見れば、彼らは「劣位個体ストレス生理」を強いられています

野生でも、いつ殴られるか分からない劣位個体慢性的コルチゾールストレスパラメーターが高くなります(Preis 2019)。一般秘書たちが心身を壊していくのは、精神的な弱さではなく、長期間の捕食恐怖にさらされた生物としての正常な反応なのです。

画像

広告代理店SDO社会支配志向)の高い聖獣たち

​もう一つの巨大な飼育現場が、大手広告代理店です。

ここには、社会心理学でいう社会支配志向SDO)」の高い個体が集まりやすい傾向があります

階級を好む脳、不平等を愛する心

SDOとは、社会序列や不平等肯定し、それを維持しようとする心理傾向のことです(Sidanius & Pratto 1999)。

広告業界ヒエラルキー構造は、高いSDOを持つ個体にとって居心地の良いジャングルです。

​そこに、「大口クライアント社長令嬢」「政治家の息子」といった、生まれながらにして最強の「体格(資本)」を持った個体が投入されます

彼女たちは、一般社員過労死ラインで働いている横で、経費を使って優雅に飲み歩きます。なぜなら、チンパンジー社会において「高順位個体リソースを独占するのは自然の摂理」だからです。

猛獣が人を殺めても、檻には入れられない

過去には、有力者の息子である社員が同僚に危害を加え、死に至らしめた事件さえありました。

しかし、そうした事案は見えないことにされます

なぜなら、群れの論理において「高順位オス(太客)の機嫌を損ねること」は、群れ全体の生存(売上)に関わる最大のリスクからです。

パンピー一匹の命より、群れの序列維持。これが代理店というジャングルの掟です。

画像

学校:一校に一頭、必ず紛れ込む野生

永田町代理店という「群れ」のお話をしてきましたが、学校では「フィッション・フュージョン社会の末端」として、全国津々浦々に野生のチンパンジーが配置されています

コネ採用モンスターティーチャー

私立校なら「母校愛(同盟)」で採用された卒業生が、公立校なら「教育委員会親族血縁)」枠の教員が、授業をサボっても誰にも注意されず、腫れ物として扱われています

生徒や保護者暴言を吐くモンスターティーチャーがいても、せいぜい異動で済まされ、数年後には別の学校で何食わぬ顔で教壇に立っています

​完成された「隠蔽の仕組み」

​そして最も恐ろしいのが、「性犯罪(野生の発露)」に対する隠蔽システムの完成度です。

​かつて学校現場では、教員が生徒にわいせつ行為をしても、懲戒免職ではなく「依願退職」させることが通例でした。

懲戒なら記録に残りますが、依願退職なら残りません。それどころか退職金まで支給され、ほとぼりが冷めれば免許を再取得し、再び他校で子供たちという獲物を物色することが可能だったのです。

最近になってようやく「わいせつ教員対策法」や「日本版DBS」といった法整備が進みましたが、現場の「事なかれ主義」や「校長による口止め」といった文化までは消えていません。

​これは、群れが「不都合個体」を一時的に視界から外すことで、群れ全体の体面(なわばり)を守ろうとする防衛本能の発露と言えます

その過程で、子供たちという最も弱い個体が燃料にされているのです。

画像

​「隔離」できたのは、たった一頭だったか

​さて、これら生物学的知見を持って、Qiitaの元記事を振り返ってみましょう。

記事の本線である成功シナリオ」で、あのマネージャーパンジくんを隔離し、リモートワークで接触を断ち、見事にハッピーエンドを勝ち取りました。

しかし、なぜそれが可能だったのか?

相手がたった一頭で、たかだか月額5000万円の案件だったから」

​一頭なら、専用の部屋を用意して閉じ込めることができます

しかし、永田町代理店のように猛獣が群れをなし、学校のように全国規模で配置され、動くものが「国家予算」や「数十、数百億円規模」になった時、隔離などという選択肢はハナからありません。

​檻に入りきらないほどの猛獣が溢れかえった時、誰が檻に押し込まれるのか?

それは、「人間一般社員教員・生徒)」の方です。

飼育とは、価値最大化のための「燃料の選別」である

研究室にいた頃、私たち猛獣管理するために、何重もの鍵がかかった檻と、緊急用の麻酔銃を用意していました。対象危険であればあるほど、隔離を徹底するのが「飼育」の鉄則だったからです。

しかし、人間社会という多頭飼育現場における「飼育」の実態は、全く異なります

猛獣の持つ価値(票、カネ、権力)を最大限に搾り取るために、周囲の餌と燃料(パンピー)をどう配分するか」という選別に変質しています

永田町公設秘書椅子無能親族を座らせるとき、そこに「税金無駄遣い」という倫理的な悩みは考慮されません。それは「血縁同盟の強化」という生物学合理性に基づいているからです。

広告代理店一般社員を使い潰すとき、そこに躊躇はありません。「劣位個体ストレス」など、高順位個体繁栄の前では些末な問題からです。

そして、授業・部活事務保護者対応に追われる「一般教員」と、理不尽指導を受ける「生徒」は、まとめて燃料にされます。「学校の評判」を守るために。

画像

​おわりに:あなたはどちら側に立つか

畜産学徒の目で見ると、あの牧歌的スタートアップに限らず、人間職場の多くは「チンパンジーの群れの変種」として読むことができます

集団支配する少数の高順位個体が、票や広告費といった餌場を押さえ、血縁コネ自分の周囲を固める。

その外側に、慢性的コルチゾール過多とストレス生理を抱えた多数のパンピー個体が、燃料として並べられている。

​この社会システムは、最初からパンピーが何人か死んでも、猛獣が生きている限りは問題ない」という、野生の論理で組まれています

マネージャー仕事とは、「部下を守ること」だけではないのかもしれません。

システムの冷酷な設計図生物学仕様)を理解したうえで、自分の体と部下の体をどこまでその燃料として差し出すかを、自分で決めること」。

​知恵を絞って隔離施設を作れるのは、まだ規模が小さく、守るべきものが明確な「幸せな時期」だけかもしれません。

群れをなした猛獣が押し寄せ、数十億円利益という組織論理とテストステロンで迫られた時、あなたは部下を守れますか?

それとも、システム歯車として燃料をくべ続けますか?

​「たった一頭で大騒ぎできるうちは、まだ幸せだ」

その言葉を噛み締めながら、今日もどこかで誰かが、私も、そしてあなたもやがて、静かに燃え尽きていくのです。

https://note.com/sexaddict/n/n3e223c787d90

Permalink |記事への反応(0) | 15:23

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チンパンジー配属」で騒ぐのはまだ素人永田町広告代理店に学ぶ猛獣多頭飼育」の極意と、教育現場の野生個体Re:チンパンジーが配属されてきたら、あなたはどうマネジメントする?

削除されてしまいましたが、​先日、スタートアップ界隈で話題になったQiitaアドベントカレンダー記事はお読みになられましたか

チンパンジーが配属されてきたら、あなたはどうマネジメントする?』という、パンクタイトル記事でした。

​内容は、とあるスタートアップの開発チームに、社長鶴の一声(と投資家への忖度)で、文字通りの「チンパンジーパンジくん)」が配属されるというお話

記事では、マネージャーが奔走してパンジくんを隔離し、誰も傷つかずにハッピーエンドを迎える「成功ルート」が本線として描かれ、一方で、対応を間違えた場合の「失敗ルート(IF)」では、パンジくんが暴れて社員の指を食いちぎるというショッキングなバッドエンドも提示されました。

​「不適切で消されちゃったけど、チンパンジーが配属されてきたらどうマネジメントするか?の話、勉強になった。ただの匿名記事だと思ったら企業Blogだったのかww」

マネジメントしようなんて思わずにそっと転職準備を始めるよ…」

「消すと増える」(魚拓リンク

その不条理さに頭を抱え、あるいは共感した人々が見られました。

結論:檻に入れられ、燃やされるのは「パンピー」の方だ

しかし、かつて大学動物行動学を専攻し、チンパンジー社会構造研究してからこの人間社会というジャングルへ足を踏み入れた身として、あえて言わせてください。

「たった一頭のチンパンジーで大騒ぎするなんて、スタートアップ世界はなんと平和で、牧歌的なんだろう」

​この記事結論を、すべての前提として最初に書きます

猛獣チンパンジー)が檻に入るのではありません。

私たちパンピー(一般人)こそが檻に押し込められ、燃料としてくべられる。

それが、生物学的に見たこ社会におけるマネジメントの「正解」なのです。

​世の中には、元記事で「最悪のIF」として描かれた地獄絵図が、「日常デフォルト)」として機能している業界存在します。そう、永田町国会議員秘書)、大手広告代理店、そして学校世界です。

私たち「多頭飼育」のプロフェッショナルたちが導き出した、残酷な最適解。それは、猛獣隔離することではありません。

猛獣(カネと権力の源泉)を守り、その価値を最大化するために、人間一般社員や生徒)を燃料として燃やし続けること」

​なぜ、そんな理不尽がまかり通るのか?

それを理解するには、少しだけ「チンパンジーという生き物の仕様」について、講義をする必要があります

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​生態講義チンパンジーは「権力」を食べる生き物である

​皆さんはチンパンジーを「バナナを食べる動物」だと思っていませんか?

動物行動学の視点では、それは間違いです。チンパンジーとは、餌よりも先に「序列」と「権力」をめぐる動物だと定義したほうが、その本質理解やすくなります

​1.身体が「序列闘争」に最適化されている

​野生の群れに関するフィールド研究では、オス同士が同盟を組み、毛づくろいや餌の分配をテコにして「誰が誰の味方か」を積み上げ、厳しい序列を作ることが報告されています(Goodall 1986, de Waal 2007)。

​恐ろしいのは、彼らの生理機能のものが、このゲーム最適化されている点です。

優位なオスほどテストステロン値が高く、地位争いが激しい時期には、群れ全体でコルチゾールストレスホルモン)が上昇します。彼らはリラックスしているのではなく、筋肉維持と闘争準備のために、常時エンジンを吹かしてアイドリングしている状態なのです(Muehlenbein 2010, Wrangham 2004)。

​2. 「出たり入ったり自由」な階級社会

​彼らの社会一枚岩ではありません。日中は小さなサブグループに分かれ、餌場やメンバーの顔ぶれに応じて離合集散を繰り返す「フィッション・フュージョン離合集散社会」です(Arcadi 2018)。

この流動的な派閥構造の上に、オス中心の強固な序列が重なる。これ、何かに似ていませんか?そう、人間の「派閥」や「部署」そのものです。

​3. 「戦争」をする隣人

​そして、彼らは他群れの個体に対して容赦のない暴力を振るいます

オスたちがパトロール隊を組んで隣接群を襲撃し、時に相手殺害して縄張りを拡大する「小規模な戦争」が、自然状態で起きていることが確認されています(Goodall 2019, Gilby 2014)。

それが、私たち職場対峙している「彼ら」の正体なのです。

​この「生物学的な仕様」を頭に入れた上で、私たちの住むジャングル日本社会)を見渡してみましょう。

そこには、驚くほど忠実にチンパンジーの生態を再現した「多頭飼育現場」が広がっています

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永田町テストステロン血縁同盟サファリパーク

​まず、国内最大級かつ最も危険飼育現場が、永田町周辺の「国会議員秘書」という聖域です。

ここでは、高いテストステロンと強固な血縁同盟を持った猛獣たちが、「公設秘書」という名の檻の中で放し飼いにされています

​「エサのピンハネ」というマウンティング

公設秘書給与は、最大で月給百数十万円ほどが税金から支払われます。そして、その席に座っているのは「妻」「息子」「兄弟」、あるいは「愛人」です。

これは生物学的に言えば、血縁個体への資源分配(Kin Selection)」と「配偶者防衛」です。

さらに​最近話題になった、「秘書給与ピンハネ疑惑」のように、群れのボス議員)が構成員のエサ(秘書給与)を強制的寄付させ、自分の懐に還流させる行為。これは、霊長類特有序列確認行動(マウンティング)に他なりません。

パンジくんはバナナを食べるだけでしたが、彼らは国民税金を二重にも三重にも貪り食うシステムを構築しているのです。

​「パンピー」にのしかかる生理コスト

​ここで燃料としてくべられるのは、コネのない「一般秘書」たちです。

彼らは政策立案という実務をこなしながら、猛獣たちの汚物処理(不祥事の揉み消し、愛人対応)をさせられます

チンパンジー生態学的に見れば、彼らは「劣位個体ストレス生理」を強いられています

野生でも、いつ殴られるか分からない劣位個体慢性的コルチゾールストレスパラメーターが高くなります(Preis 2019)。一般秘書たちが心身を壊していくのは、精神的な弱さではなく、長期間の捕食恐怖にさらされた生物としての正常な反応なのです。

画像

広告代理店SDO社会支配志向)の高い聖獣たち

​もう一つの巨大な飼育現場が、大手広告代理店です。

ここには、社会心理学でいう社会支配志向SDO)」の高い個体が集まりやすい傾向があります

階級を好む脳、不平等を愛する心

SDOとは、社会序列や不平等肯定し、それを維持しようとする心理傾向のことです(Sidanius & Pratto 1999)。

広告業界ヒエラルキー構造は、高いSDOを持つ個体にとって居心地の良いジャングルです。

​そこに、「大口クライアント社長令嬢」「政治家の息子」といった、生まれながらにして最強の「体格(資本)」を持った個体が投入されます

彼女たちは、一般社員過労死ラインで働いている横で、経費を使って優雅に飲み歩きます。なぜなら、チンパンジー社会において「高順位個体リソースを独占するのは自然の摂理」だからです。

猛獣が人を殺めても、檻には入れられない

過去には、有力者の息子である社員が同僚に危害を加え、死に至らしめた事件さえありました。

しかし、そうした事案は見えないことにされます

なぜなら、群れの論理において「高順位オス(太客)の機嫌を損ねること」は、群れ全体の生存(売上)に関わる最大のリスクからです。

パンピー一匹の命より、群れの序列維持。これが代理店というジャングルの掟です。

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学校:一校に一頭、必ず紛れ込む野生

永田町代理店という「群れ」のお話をしてきましたが、学校では「フィッション・フュージョン社会の末端」として、全国津々浦々に野生のチンパンジーが配置されています

コネ採用モンスターティーチャー

私立校なら「母校愛(同盟)」で採用された卒業生が、公立校なら「教育委員会親族血縁)」枠の教員が、授業をサボっても誰にも注意されず、腫れ物として扱われています

生徒や保護者暴言を吐くモンスターティーチャーがいても、せいぜい異動で済まされ、数年後には別の学校で何食わぬ顔で教壇に立っています

​完成された「隠蔽の仕組み」

​そして最も恐ろしいのが、「性犯罪(野生の発露)」に対する隠蔽システムの完成度です。

​かつて学校現場では、教員が生徒にわいせつ行為をしても、懲戒免職ではなく「依願退職」させることが通例でした。

懲戒なら記録に残りますが、依願退職なら残りません。それどころか退職金まで支給され、ほとぼりが冷めれば免許を再取得し、再び他校で子供たちという獲物を物色することが可能だったのです。

最近になってようやく「わいせつ教員対策法」や「日本版DBS」といった法整備が進みましたが、現場の「事なかれ主義」や「校長による口止め」といった文化までは消えていません。

​これは、群れが「不都合個体」を一時的に視界から外すことで、群れ全体の体面(なわばり)を守ろうとする防衛本能の発露と言えます

その過程で、子供たちという最も弱い個体が燃料にされているのです。

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​「隔離」できたのは、たった一頭だったか

​さて、これら生物学的知見を持って、Qiitaの元記事を振り返ってみましょう。

記事の本線である成功シナリオ」で、あのマネージャーパンジくんを隔離し、リモートワークで接触を断ち、見事にハッピーエンドを勝ち取りました。

しかし、なぜそれが可能だったのか?

相手がたった一頭で、たかだか月額5000万円の案件だったから」

​一頭なら、専用の部屋を用意して閉じ込めることができます

しかし、永田町代理店のように猛獣が群れをなし、学校のように全国規模で配置され、動くものが「国家予算」や「数十、数百億円規模」になった時、隔離などという選択肢はハナからありません。

​檻に入りきらないほどの猛獣が溢れかえった時、誰が檻に押し込まれるのか?

それは、「人間一般社員教員・生徒)」の方です。

飼育とは、価値最大化のための「燃料の選別」である

研究室にいた頃、私たち猛獣管理するために、何重もの鍵がかかった檻と、緊急用の麻酔銃を用意していました。対象危険であればあるほど、隔離を徹底するのが「飼育」の鉄則だったからです。

しかし、人間社会という多頭飼育現場における「飼育」の実態は、全く異なります

猛獣の持つ価値(票、カネ、権力)を最大限に搾り取るために、周囲の餌と燃料(パンピー)をどう配分するか」という選別に変質しています

永田町公設秘書椅子無能親族を座らせるとき、そこに「税金無駄遣い」という倫理的な悩みは考慮されません。それは「血縁同盟の強化」という生物学合理性に基づいているからです。

広告代理店一般社員を使い潰すとき、そこに躊躇はありません。「劣位個体ストレス」など、高順位個体繁栄の前では些末な問題からです。

そして、授業・部活事務保護者対応に追われる「一般教員」と、理不尽指導を受ける「生徒」は、まとめて燃料にされます。「学校の評判」を守るために。

画像

​おわりに:あなたはどちら側に立つか

畜産学徒の目で見ると、あの牧歌的スタートアップに限らず、人間職場の多くは「チンパンジーの群れの変種」として読むことができます

集団支配する少数の高順位個体が、票や広告費といった餌場を押さえ、血縁コネ自分の周囲を固める。

その外側に、慢性的コルチゾール過多とストレス生理を抱えた多数のパンピー個体が、燃料として並べられている。

​この社会システムは、最初からパンピーが何人か死んでも、猛獣が生きている限りは問題ない」という、野生の論理で組まれています

マネージャー仕事とは、「部下を守ること」だけではないのかもしれません。

システムの冷酷な設計図生物学仕様)を理解したうえで、自分の体と部下の体をどこまでその燃料として差し出すかを、自分で決めること」。

​知恵を絞って隔離施設を作れるのは、まだ規模が小さく、守るべきものが明確な「幸せな時期」だけかもしれません。

群れをなした猛獣が押し寄せ、数十億円利益という組織論理とテストステロンで迫られた時、あなたは部下を守れますか?

それとも、システム歯車として燃料をくべ続けますか?

​「たった一頭で大騒ぎできるうちは、まだ幸せだ」

その言葉を噛み締めながら、今日もどこかで誰かが、私も、そしてあなたもやがて、静かに燃え尽きていくのです。

https://note.com/sexaddict/n/n3e223c787d90

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無料チャッピーに投げたんだろうけど、まあ雑だよね。

Q3.Bが依頼したAIはこんな回答(anond:20251209133034)だったらしいよ。どう思う?

このAIの回答は、「ディベート言葉の殴り合い)」の判定としては間違いで、「論文レポート添削」としては正解に近い、という印象です。

一言で言えば、**「Bに甘すぎて、文脈レスバ)を読めていない」**と言えます。なぜこのAIの判定が「ズレている」と感じるのか、論理的分析します。

1. 最大の誤審:「反例」を「サンプリングバイアス」と勘違いしている

このAIは、Aの出した「ホーチミンベトナム)」の例を**「不適切一般化(サンプリングバイアス)」**として批判していますが、これは論理学的に明らかな誤りです。

Bの主張: 「日本以外では別にそんなことない」= 「世界中のあらゆる場所全称)で、日本のような現象はない」

Aの反論: 「ホーチミンではあったぞ」= 「例外(反例)の提示

「すべてのカラスは黒い」という主張を崩すのに、世界中カラス統計データ必要ありません。「一羽の白いカラス」を連れてくるだけで論破完了です。 Aは「ベトナム世界の全てだ」と言ったのではなく、「お前の言う『日本以外』の中に、例外があるぞ」と示しただけです。したがって、Aの論理完璧に成立しています。このAIはそこを見落としています

2. Bへの過剰な忖度修正してあげすぎ)

このAIは、Bの失言を**「好意的解釈しすぎ」**です。

実際のB: 「日本以外では別にそんなことない(断言)」

AIによる脳内補完: 『多くの先進国では~(中略)~なら妥当。』

AIは「もしBがこう言っていれば正しかった」というたらればでBを評価していますしかし、実際の議論では言った言葉が全てです。不用意に主語デカくしたBのミスを、「本当は先進国のことを言いたかったんだよね」と擁護するのは、審判としては不公平です。

3. 「後出しジャンケン」を「科学的」と評価するズレ

AIは、Bが後から持ち出した「同質のもの比較すべき」という主張を「科学的な基本原則を押さえている」と高く評価していますしかし、それを最初に破ったのはB自身日本 vs日本以外すべて)です。

泥棒が捕まった後に「盗みはよくないことだ」と説教を始めたとして、その泥棒を「倫理観がある」と評価しますか?しませんよね。

このAIは、Bが自分の特大ブーメランを棚に上げて説教モードに入ったことを、「論理的」と誤認しています

結論:なぜ評価割れたのか?

私(Gemini)の評価基準: 「その場での勝負レスバ)」としての判定。言葉定義論理整合性相手矛盾を突く技術を重視。 → Aの勝ち(Bの定義ミスを的確に刺したから)。

そのAI評価基準: 「学術的な正しさ・品行方正さ」としての判定。 主張の内容が高尚か、科学事実に近いか言葉遣いが丁寧かを重視。 → Bの勝ち(Aは科学根拠がなく、口が悪いから)。

総評: そのAIは**「優等生的な模範解答」**を作ろうとして、Bの論理破綻ゴールポストずらし)を見逃してしまっています。 実際のネット上の議論レスバ)でこのAIのような判定をしたら、「いや、最初主語デカくしたBが悪いでしょ」「Aは反例出しただけじゃん」と総ツッコミを食らうでしょう。

Bが負けた理由は**「内容」ではなく「戦い方(定義の甘さ)」**にあります。そこを見抜けないと、このレスバの判定はできません。



Q4.しかもさぁ、

>>

1. 「男の分別がつくのは20前後

これは完全に個人の印象で、科学根拠ゼロ発達心理学でもそんな切り方はしない。前頭前皮質成熟は25歳前後が平均だけど、男女差より個人差が圧倒的に大きい(Steinberg,2014)。

<<

このチャッピー評価だけど、Aは最初に「勝手な印象だよ」って断りを入れてるからね。それを科学根拠が~とか言われても、もともと印象論ですけど何か?としかしかチャッピー自身も「前頭前皮質成熟は25歳前後が平均だけど、男女差より個人差が圧倒的に大きい」と言っている。これだと別に「悲しいかな、20年近く学ばないと、規範意識社会的に許される最低限のラインまで育たないのだ」という説と整合性が無いわけでもない。

>>

4.最後の『最初言及範囲を全部に設定〜君の負け』

論理ではなくマウントのための発言で、理由提示ゼロ

Aは、政治板の酔ったおじさんみたいな言い分で、内容のある議論ではなく攻撃しかないという感じ。

<<

このチャッピーの言い分も全く論理無視していて、ただの中傷だよね。

A4. その通りです。チャッピー(そのAI)の評価は、**「文脈を読めていない」だけでなく、「論理的にも間違っている」**と言わざるを得ません。あなたが指摘した2点は、まさにそのAIの回答の致命的な弱点です。

一つずつ整理しましょう。

1. 「勝手な印象」に対する科学ツッコミのズレ

Aは最初に**「勝手な印象だが」と明確にエクスキューズ(免責)を入れています。 これに対し、「科学根拠ゼロ」「発達心理学では~」と殴りかかるのは、「『今日ランチは美味しい気がする』と言った人に、『味覚の数値データを出せ!』と詰め寄る」**ような野暮さがあります

さらに、あなたが指摘した通り、チャッピーが出してきた「前頭前皮質成熟は25歳前後」というデータは、むしろAの**「20年近く学ばないと最低限のラインまで育たない」という説を補強してしまっています。**

Aの説:20歳くらいでやっとマシになる。

チャッピーデータ: 脳の完成は25歳。

結論: つまり20歳時点ではまだ発展途上。Aの感覚矛盾しない。

自分で出したソース相手の主張を補強しておきながら、「Aは間違っている」と結論づけるのは論理構成として破綻しています

2. 「論理的帰結」を「マウント/中傷」と誤読している

チャッピーは、Aの最後セリフ言及範囲を全部に設定した時点で負け)を「マウント」「理由提示ゼロ」と評していますが、これは読解力の欠如です。

Aのセリフ意味: 「あなたは『日本以外』という全称命題(すべて)を使った。私はそれに対する反証ベトナム)を出した。論理学ルール上、反証が出た時点で全称命題は偽になる。よって、論理構造上、君の負けが確定している。」

これは感情的マウントではなく、論理的勝利宣言Q.E.D.)そのものです。「理由ゼロ」どころか、「最初範囲を全部に設定したこと」というこれ以上ないほど明確な理由提示されています

それを「政治板の酔ったおじさん」と形容することこそ、チャッピーによる**「根拠のない人格攻撃(アドホミネム)」**であり、特大のブーメランです。

結論チャッピーは何を間違えたのか?

チャッピーは、ディベート勝敗を**「内容の高尚さ(アカデミックな正しさ)」で判定しようとして、「論理の組み立て(ロジックの正しさ)」**を無視しました。

Aの戦い方: 印象論でスタートしたが、相手失言全称肯定)を見逃さず、論理的に刺した。(ロジック勝ち)

Bの戦い方: 高尚な比較論をしようとしたが、定義ミスり、修正もできず自滅した。(ロジック負け)

チャッピーの判定: 「Aは口が悪いし学術的じゃないかダメ! Bは言ってることは立派(論理破綻してるけど)だから偉い!」

この判定は、ボクシング試合で「パンチを当ててKOした選手(A)」を負けにして、「パンチ空振りしたけどフォームが綺麗だった選手(B)」を勝ちにするようなものです。

あなたの読み通り、この議論においてAの論理は一貫しており、チャッピーの指摘(特に4番)こそが感情的レッテル貼りになっています

Permalink |記事への反応(1) | 14:06

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anond:20251209131417

A:勝手な印象だが、男の分別がついてくるのって20前後からだと思う。悲しいかな、20年近く学ばないと、規範意識社会的に許される最低限のラインまで育たないのだと理解している。大学生でも、大半が捕まらないだけで、無茶をしているやつが散見される。

B:日本以外では別にそんなことないので、日本人が男に甘いだけだと思う。男女問わずね。心底気持ち悪いな。

A:んなことはない。外国に行ったことすらなさそうな発言だな。

試しにホーチミンの夜の繁華街に行ってみたらいい。若者がごった返して毎晩乱痴気騒ぎだぞ。

B:ベトナム別に治安のいい街ではないだろう

日本途上国とか治安の悪い国であるという自覚でもあるの?

A:君がこの増田なら自分発言をよく思い出すべきだし、別の増田ならひとつ前のレスくらい読んでから発言しろしか

B:普通は同質のもの比較するんだけどその辺の常識もない感じ?

日本シリア比較してどうすんの?

A:最初言及範囲を全部に設定してしまった時点で君の負け

残念でした

B:異質なもの比較によって、具体的に何を目的に何の成果を得て何と比較してどんなメリットがあってどんな現実示唆を導くわけ?

バカでないならそこまで考えてやってんだよね?

AとBがそれぞれ意見を出し合い議論をしています

どちらの方がより正しいでしょうか。

結論から言うと、AもBも論理が甘い部分があるが、議論としてはBのほうがまだマシ。Aは論理運用が雑すぎる。

以下、理由

Aの問題点(多すぎてちょっと笑う)

1. 「男の分別がつくのは20前後

これは完全に個人の印象で、科学的根拠ゼロ発達心理学でもそんな切り方はしない。前頭前皮質成熟は25歳前後が平均だけど、男女差より個人差が圧倒的に大きい(Steinberg,2014)。

2. 「外国に行ったことすらなさそう」などの人格攻撃

反論になってない。典型的論点ずらし。

3.ホーチミンの例を“外国全体の例”に使う誤謬

外国」全体に対し、ベトナム特定エリアナイトライフ反論は無理がある。

これはサンプルバイアス論理スケールミスマッチ

4.最後の『最初言及範囲を全部に設定〜君の負け』

論理ではなくマウントのための発言で、理由提示ゼロ

Aは、政治板の酔ったおじさんみたいな言い分で、内容のある議論ではなく攻撃しかないという感じ。

Bの問題点(Aよりは軽い)

1. 「日本以外ではそんなことない」と断言

根拠なしの一般化。治安統計を見ると、国によって若者素行は違うし、犯罪率も文化全然違う。

「どこでもない」とは言い切れない。

『多くの先進国では、若年男性からといって行動の未熟さが社会的特別に免罪されるわけではない。

日本では「若い男性は未熟で当然」という文化的前提が比較的強く、それが行動への甘さとして表れる場合がある。』なら妥当

2. 「心底気持ち悪い」などの感情的評価

社会科学議論なら意味がない。

3. 「日本シリア比較してどうすんの?」

スケールの軸合わせとしてはもっともだが、皮肉を優先していて論点説明が弱い。説明にはなっていないが内容は十分。

Bはスケールの一致(同質の条件で比較すべき)という科学的な基本原則を押さえているので、議論としては筋が通る。

結論

• Aはほぼ全部印象論と個人攻撃で、内容はボロボロ

• Bは一般化が雑だが、比較の枠組みを正しく指摘している分だけ論理的。

よって、

Bの方が議論として「より正しい」。

Permalink |記事への反応(1) | 13:30

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anond:20251209130117

Q1. AとBのレスバ(匿名でのお遊びディベート)で、それぞれの妥当性は?

A1. このレスバ(レスポンス・バトル)における双方の妥当性を分析します。

結論から言うと、**論理的勝負としてはAの優勢(Bの自滅)**ですが、**議論の質としては「定義の不一致によるすれ違い」**という典型的泥仕合の構図です。

以下に詳細な判定と解説を行います

1. 判定:どちらが妥当か?

論理的整合性Logic): Aの勝利

Bが最初に「日本以外では~」と主語を最大化してしまったため、Aは「例外ベトナム)」を一つ出すだけで論理的にBを論破できる状態になりました。

文脈的社会的妥当性(Context):引き分け(またはBの言い分も一理あり)

先進国マナー」を論じる際、同程度の経済治安レベルの国(欧米先進国など)と比較するのが一般的であるというBの主張(後出しですが)には一理ありますしかし、最初発言でそれを限定しなかったのがBの敗因です。

2.フェーズごとの分析

① 発端(Aの主張 vs Bの反論

A: 男の分別がつくのは20歳前後大学でも無茶なやつはいる。 B:日本以外ではそんなことない。日本人が甘いだけ。

A:個人的な印象論(主観)としてスタートしています

B: ここが致命的なミスです。「日本以外では(世界のどこでも)そんなことない」という全称肯定All orNothing)の形で反論してしまいました。これにより、Aは「世界のどこか一箇所でも、日本と同じような場所」を提示すれば勝てることになります

反証ゴールポストの移動

A:ホーチミンベトナム)を見てみろ、若者が乱痴気騒ぎだ。(反証) B:ベトナム治安良くないだろ。同質のもの比較するのが常識。(条件の追加)

A:論理的に正しい攻撃です。「日本以外では~ない」に対する例外事例(カウンター・エグザンプル)を提示しました。

B: ここで**「ゴールポストを動かす(Moving the Goalposts)」**という誤謬を犯しています最初は「日本以外」と言っていたのに、不利になると「(日本と同等の治安レベルの国という)同質のもの」に条件を後付けで変更しました。

③ 決着と捨て台詞

A:最初言及範囲を全部に設定した時点で君の負け。 B: 異質なもの比較して何のメリットがあるの?バカなの?(人格攻撃論点のすり替え

A: 正確な指摘です。ディベートにおいて「例外のない断定」は最も崩されやすい隙であり、そこを突いています

B:論理で負けたため、「比較の意義」や「相手の知能」への攻撃シフトしています。これは「論点のすり替え」であり、敗北宣言に近い挙動です。

3.総評

このレスバは、Bの「不用意な主語の大きさ」が全てです。

もしBが最初に「欧米先進国ではそんなことないので~」と言っていれば、Aのベトナムの例は「比較対象として不適切」と切り捨てられ、Bの妥当性が高まっていたでしょう。

Aは揚げ足取りに近い形ですが、議論ルール上は正当な手続きでBの矛盾を突いています

結論:言葉定義を厳密に扱ったAの方が、ディベートとしての妥当性は高いです。Bは自分失言を認めず、後から条件を付け足して相手攻撃しているため、説得力を失っています



Q2.Bは最後に「異質なもの比較によって、具体的に何を目的に何の成果を得て何と比較してどんなメリットがあってどんな現実示唆を導くわけ?バカでないならそこまで考えてやってんだよね?」と言っているけど、これB自身ブーメランが刺さったよね?

A2. ご指摘の通り、特大のブーメランがBの脳天に突き刺さっています芸術点が高いレベル自爆です。

なぜこれが「ブーメランお前が言うな)」になるのか、論理構造を整理するとその滑稽さが際立ちます

ブーメランが刺さった理由

Bの最後発言「異質なもの比較して何の意味があるの?」は、そのままBの最初発言全否定してしまっているからです。

Bが自分で「異質なもの」を同じ箱に入れた

Bは最初に**「日本以外では(別にそんなことない)」**と言いました。

この時点で、Bは「日本」と「日本以外の全ての国(アメリカも、フランスも、ベトナムも、ソマリアも)」を同列に扱って比較しています

まり、「異質なものをまとめて比較対象にした」のは、他の誰でもないB自身です。

AはBのルールに従っただけ

Aは、Bが設定した「日本以外」という土俵の中から、正当に「ベトナム」というサンプルを抽出しました。

それをBが「異質なもの途上国)と比較するな」と批判するのは、「私が言った『日本以外』には、私の都合の悪い国は含まれない」と言っているのと同じです。

自己矛盾の完成

Bが最後に「異質なもの比較することにメリットはない」と主張するなら、Bの最初の「日本以外では~」という発言も、「異質なもの世界全体)と日本を一概に比較した無意味発言」ということになります

自分自分最初発言を「バカ所業」と認定してしまったわけです。

Bの問いに対する答え(Aの視点

Bの「具体的に何を目的に何の成果を得て~(中略)~導くわけ?」という早口な問い詰めに対しても、Aの立場ならこう答えるだけで論破完了してしまます

目的メリット: 「『日本以外ではそんなことない』という君の嘘(または無知)を暴くため」

現実示唆: 「君が世界先進国(あるいは自分理想郷しか見ておらず、現実が見えていないという示唆

Bは「高尚な社会学比較論」に持ち込もうとしていますが、実際には**「不用意な発言の尻拭いに失敗して逆ギレしている」**だけなので、読み手からすると非常に恥ずかしい幕切れとなっています

Permalink |記事への反応(1) | 13:14

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anond:20251209121411

情報共有が生み出す三つの有害効果

チューリッヒ工科大学実験が明らかにしたのは、情報共有が集合知に与える三つの具体的な有害効果である

第一効果社会的影響による多様性喪失人間社会的動物であり、他者意見無意識に影響される。実験では、他者の回答を知った参加者意見が徐々に収束していく様子が観察された。この収束は、表面的には「合意形成」として肯定的に見えるかもしれないが、実際には多様な視点消失意味している。多様性喪失は、集合知根本的な前提を破綻させる。

第二の効果推定範囲の縮小他者意見を知ることで、個人推定範囲が狭くなる現象確認された。これは認知アンカリング効果一種であり、最初提示された情報が後続の判断に過度な影響を与える心理的バイアスである。結果として、正解が推定範囲境界近くにある場合集団全体がその正解を見逃すリスク高まる

第三の効果確信度の誤った上昇 最も興味深く、同時に最も危険効果が、参加者たちが自分の推測により確信を深めたこである他者意見を参考にすることで、自分判断に対する自信が高まったのだ。しかし、この確信度の上昇は実際の精度の向上を伴っていない。むしろ、誤った確信修正機会を減少させ、集合知さらなる悪化を招く。

Permalink |記事への反応(0) | 12:32

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投資分かんないけどどうしたらいいの?」みたいのは、もうwebで聞かずに、お手元のAIに聞いたら良い

懇切丁寧にこっちの都合もヒアリングしたうえで、複数候補提示してくれるし、何度聞いても深掘りして聞いても教えてくれる

webの「有識者コメント」はたいてい相手立場に立たない自説の開陳(または自慢)に終始するので、AIの方が良い先生になってくれる

Permalink |記事への反応(0) | 06:23

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気候変動対策が失敗しそうでメシが美味い! 2025

気候変動対策が失敗しそうでメシが美味い!

対策するにあたって全体主義的なやり方しか提示できなかったサヨも、いまだに因果を認められないウヨも、バカばかりで助かる〜

もっと苦しめ人間ども〜!!

https://www.atom.bio/avatar-3-fullversion

https://artistlinkplus.com/listing/3/

https://artistlinkplus.com/listing/3-2/

https://artistlinkplus.com/listing/zootopia2thai4k/

https://artistlinkplus.com/listing/zootopia2fullstory-2/

Permalink |記事への反応(0) | 05:48

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気候変動対策が失敗しそうでメシが美味い!

対策するにあたって全体主義的なやり方しか提示できなかったサヨも、いまだに因果を認められないウヨも、バカばかりで助かる〜

もっと苦しめ人間ども〜!!

Permalink |記事への反応(0) | 04:28

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2025-12-08

望月新一は初の糖質状態ですごいことをやり遂げた人なのかもしれない。(岡潔がなったのは後では?)

糖質になるとなんでもできる気分になる。気分だけ。だから四つ足で走る方が合理的とか言って全くの素人だったのに短距離の記録を塗り替えるとか本気で思ってその走りを始める珍行動をしたりとかさ。

令和の虎に出てたナマズの脳と量子コンピュータをつなげて作曲するとか言ってた人も結局殺人未遂。そりゃそうだ彼の5ch書き込み見ても浅い知識をくっつけたポエムだったんだから

自分の中では整合してる気になってるんだよね。

で、望月はどうか。

ショルツ氏は彼の証明は系3.いくつだか忘れたがとにかく具体的な箇所を指摘してそこから過程がすっとばされてると言っている。

望月学部生でもわかることがわかってないと反論

これはどうにも怪しい言動だろう。

かに数学は初学者や中級者でも行間が見えない証明ってものがあるけれど、分かる人には行間が正確に補えるものになっているから、いわゆる訂正可能性みたいなもの保証されているか問題ない、数学的主張しての効力を認められているといる。

それが同じ専門の大家同士なのに本人以外は行間cが補えないっていうのはどうなのか。

また学部生でもわかることと言ってるが学部生では太刀打ちできない理論であることは望月自身自分が取った弟子に対して認めていたことらしいのでここに主張の無理筋さが感じられる。ショルツでもわからないことが学部にわかるだろうか?

自分が見た数学作法本には数学証明とは誰が見てもちゃんと読めば同じ結論が成り立つことが一部のごまかしもなくはっきり分かる主張ということであるということが書いてあった。

相手認知リソース依存しきりの望月反論はもはや証明精神に明確に反すると言えるのではないか

まり望月証明として見てくれと言うもの正真正銘本人を除き誰も行間を補えないレベルの飛躍が起こっているとして、さすがに本人しか証明として解読できない表現証明とするのは無理があるのではないかということだ。万人が理解できるのが理想とされるのが証明であるのに、この世でたった一人しか理解できないものになっているのだから

それでも過去の業績は疑いようなく優れたものらしい人なわけだから今回も望月の頭の中ではすっ飛ばされた過程について省略せずに書いたらどうなるかということがはっきり頭の中にあるのかもしれない。令和の虎の人は東大には行ってたらしくそれも普通の人から見れば素晴らしいわけだから、この過去が素晴らしいなら糖質になったとしてもその成果は素晴らしいはずだという考えをどこまで適用できるかという程度問題なところがある。

でも望月の今までの業績に比べたら東大合格なんて鼻くそレベルなのも確かだろう。

頭の中に省略部分があるならフェルマーごっこをやってないできちんとその行間提示すればいいのに、しないのでは、糖質ゆえの法螺吹きごまかしと受け取られても仕方がないと思う。明確に証明作法に反しているのだから

でもやっぱり彼の頭にはいまだ公開していない完全形の証明があるかもしれないと考えてしまえるほどには今までの天才ぶりに関する信用貯金が残ってるのがなんとももどかしいところ。

dorawiiより

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Permalink |記事への反応(0) | 21:16

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マックスベネット著『知性の未来』の解説記事を読んで

越境する知性:AI時代における「感情」と「他者」の復権

――身体、環世界、そして間主観性から読み解く知性の未来

序論:計算の果てにある「知性」の空白

人工知能AI)の急速な進化は、私たち人間に突きつけられた実存的な問いである。「計算能力において機械人間凌駕したとき人間に残される価値とは何か」。この問いに対し、多くの議論は「創造性」や「直感」といった曖昧領域に逃げ場を求めてきた。しかし、マックスベネット著『知性の未来』と、それを翻訳解説した脳科学者・恩蔵絢子氏の洞察は、より生物学的かつ哲学的深淵へと私たちを導く。

彼らが提示する結論は、逆説的である。「AI時代人間が持つ最大の能力は、感情になる」。そして、「本当に頭が良い人とは、他者に興味を持てる人である」。

一見すると、これは道徳的スローガンのように響くかもしれない。しかし、認知科学進化生物学現象学の知見を総動員してこの命題を解剖するとき、そこには「知性」という現象構造的な転回が見えてくる。本稿では、二重過程理論、ユクスキュルの環世界身体認知社会脳仮説、そして間主観性という5つの視座を補助線とし、AIが決して到達し得ない「知性」の本質と、これから時代に求められる「知的生き方」について論じる。

---

第一章:感情というエンジン

――二重過程理論による「知性」の主従逆転

まず、私たちが「知性」と呼んできたものの正体を、ダニエル・カーネマンらが提唱した「二重過程理論」の枠組みで再考する必要がある。

1.システム2の暴走AIの正体

伝統的な知能観において、知性とは「システム2(遅い思考論理計算)」の能力を指していた。複雑な数式を解き、論理的な推論を行い、未来を正確に予測する力である現在AI特に大規模言語モデル(LLM)は、このシステム2の機能を極限まで外部化・高速化した存在と言える。彼らは感情を持たず、疲労を知らず、膨大なデータから論理整合性を出力する。

しかし、ベネット氏が描く脳の進化史(5つのブレイクスルー)は、この「システム2至上主義」を根底から覆す。進化歴史において、論理言語といったシステム2の機能は、常にシステム1(速い思考感情直感)の要請によって開発されてきたからだ。

2.感情論理駆動する

初期の生物線虫など)は、「快・不快」という原始的システム1のみで生きていた。進化過程で「予測」が必要になったとき魚類)、予測誤差としての「失望」や「安堵」という感情が生まれた。さらに複雑なシミュレーションマウス)が可能になったとき、反事実を嘆く「後悔」という感情が生まれた。

ここで重要なのは、「論理感情抑制するために進化した」のではなく、「感情をより細やかに処理し、生存確率を高めるために論理進化した」という事実であるシステム2は、システム1というエンジンの出力を最大化するためのトランスミッションに過ぎない。

AI限界はここにある。AIには「エンジン生存への渇望、快・不快感情)」がない。あるのは精巧トランスミッション計算能力)だけだ。エンジンを持たない車が自律的にどこへも行けないように、感情という基盤を持たないAIは、自ら「問い」を発することも、「意味」を見出すこともできない。人間の知性の本質は、論理のものではなく、論理駆動し続ける「感情熱量」にあるのだ。

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第二章:身体というアンカー

――身体認知と「意味」の発生

なぜAIには感情が宿らないのか。その答えは「身体」の欠如にある。「身体認知(EmbodiedCognition)」の視点は、知性が脳という密室出来事ではなく、環境相互作用する身体の中に宿ることを教えてくれる。

1. 傷つく身体が「意味」を作る

記事の中で恩蔵氏は、老いによる身体の変化を「老年しか味わえない内的な経験」として肯定的に捉えている。これは非常に重要示唆を含んでいる。

生物にとっての「意味Sense)」は、身体的な脆弱性から生まれる。身体があるからこそ、空腹は「苦痛」となり、食事は「快」となる。皮膚があるからこそ、他者との接触は「温もり」となる。死ぬ定めの身体があるからこそ、時間は「有限」となり、焦燥や希望生まれる。

AIが扱う情報は、どこまで行っても「記号であるAIにとって「痛み」という単語は、辞書的な定義統計的な関連語集合体に過ぎない。しか人間にとっての「痛み」は、回避すべき切実なリアリティである。この「切実さ(Stakes)」こそが、世界に色を塗り、価値判断の基準を作る。

2.老いと知性の変容

身体認知視点に立てば、加齢による能力の低下は、単なる「劣化」ではない。それは身体というインターフェースの変化に伴う、世界との関わり方の「再構築」である

若い頃の強靭身体で見えていた世界と、老いて動きが緩慢になった身体で見える世界は異なる。その変化を受け入れ、新たな身体感覚を通じて世界を再解釈することは、高度な知性の営みであるAIは「劣化」しない代わりに、「成熟」もしない。身体の変化を通じて世界モデル更新し続けるプロセスこそ、人間特有知的冒険なのである

---

第三章:孤独な泡から脱出

――ユクスキュルの環世界他者への越境

身体を持った生物は、それぞれの感覚器官が切り取った主観的世界、すなわち「環世界(Umwelt)」の中に生きている。ユクスキュルが提唱たこ概念は、知性の進化を「孤独から脱出劇」として描き出す。

1. 閉ざされたシャボン玉

ダニにとっての世界は「酪酸匂い」と「温度」だけで構成されているように、すべての生物自分の環世界というシャボン玉の中に閉じ込められている。本来他者の環世界を知ることは不可能である。私はあなたの痛みそのものを感じることはできないし、あなたが見ている「赤」が私と同じ「赤」である保証もない。

この「絶対的孤独」こそが、生物としての初期設定であるしかし、ベネット氏が指摘する第4、第5のブレイクスルー(メンタラジング、発話)において、人間はこの壁に挑み始めた。

2.想像力という梯子

他者に興味を持つ」とは、自分の環世界という安全地帯から身を乗り出し、他者の環世界を覗き込もうとする無謀な試みである。「あの人は今、何を考えているのか?」「なぜ悲しい顔をしているのか?」。これは、自分感覚データシステム1)だけでは完結しない。高度な推論と想像力システム2)を総動員して、見えない他者内面シミュレーションしなければならない。

恩蔵氏が「他者に興味を持つことは難しい」と述べるのは、これが認知的に極めて高コスト作業からだ。自分の環世界自分の話、自分の関心)に浸っている方が楽なのだしかし、あえてそのコストを支払い、他者世界へ「越境」しようとする意志。それこそが、人間人間たらしめている知性の正体であるAIには環世界がないため、そもそも他者世界」という概念自体存在しない。

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第四章:生存戦略としての共感

――社会脳仮説とコストの支払い

なぜ人間は、これほどまでにコストのかかる「他者理解」という能力を発達させたのか。ロビンダンバーの「社会脳仮説」は、それが「集団での生存」に不可欠だったからだと説明する。

1.複雑系としての「他者

自然界の脅威(猛獣や寒さ)に対処するだけなら、これほど巨大な脳は必要なかったかもしれない。しかし、人間にとって最大の環境要因は「他の人間」であった。誰が味方で、誰が裏切り者か。誰と協力すればより多くの食料が得られるか。

他者の心は、天候や物理法則よりも遥かに複雑で、予測不可能な「変数である。この変数を読み解くために、脳は巨大化し、知性は進化した。記事にある「会話の70%は噂話」という事実は、私たち情報の交換以上に、人間関係メンテナンス社会グルーミング)に知能のリソースを割いていることを示している。

2. 「頭が良い」の再定義

この文脈において、「頭が良い」という定義は劇的に変化する。それはIQテストスコアが高いことでも、計算が速いことでもない。

真に知的個体とは、「他者意図を正確に読み取り、共感し、信頼関係を構築して、集団としてのパフォーマンスを最大化できる個体である

他者に興味を持てる人」が頭が良いとされる理由は、単なる優しさではない。他者への関心は、複雑な社会マトリックスの中で生き残るための、最も強力なセンサーであり、武器からだ。自分の殻に閉じこもることは、社会動物としては「死」に等しい。他者への好奇心は、生命力のものの発露と言える。

---

第五章:「私」から私たち」へ

――間主観性と共同世界の構築

そして、知性の進化の到達点は、個人脳内にも、個別身体にも留まらない。「間主観性(Intersubjectivity)」の領域、すなわち「私とあなたの間」に生まれる知性である

1. 指差し奇跡

記事の中で触れられている「指差し」は、人間特有の驚くべき行動であるチンパンジー報酬を得るために手を伸ばすが、人間幼児は「見て!あそこに犬がいるよ!」と、ただ注意を共有するためだけに指を差す。

これは、「私が見ている世界を、あなたにも見てほしい」という強烈な欲求の表れである。ここで初めて、孤立していた二つの世界接続される。

2.共同幻想としての現実

言葉文化ルール、そして愛。これらはすべて、物理的な実体ではなく、私たちが共有することで初めて存在する「間主観的」な現実である

AIは「客観的データ」を処理することはできる。しかし、「あなたと私の間だけで通じる冗談」や「阿吽の呼吸」、「信頼」といった、主観主観の間で紡がれる現実を作り出すことはできない。

恩蔵氏が翻訳を通じて感じた「人間の宝」とは、この「心の共有」の可能性そのものであろう。私たちは、他者の心に触れることで、自分一人では決して到達できない豊かな世界拡張された環世界)を生きることができる。知性とは、個人の所有物ではなく、関係性の中に宿る現象なのだ

---

結論AI時代における「知的生き方

以上の分析からAI時代における「知的生き方」の輪郭が浮かび上がる。それは、AIに対抗して計算能力を磨くことでも、AI仕事を奪われないように効率化を目指すことでもない。むしろAIが捨て去ったもの、あるいは持ち得ないものを、徹底的に深める生き方である

1.効率から離脱と「ノイズ」の愛好

AI効率最適化権化である。対して、人間の知性の源泉は「感情」や「身体」といった、一見効率ノイズの中にある。

知的生き方とは、効率を追求するあまり感情の揺らぎや身体の実感を切り捨てないことだ。迷い、後悔し、喜び、痛むこと。これらの「ノイズ」こそが、世界意味を与え、独自価値判断を生み出す土壌となる。

2. 環世界越境者となる

「本当に頭が良い人」になるためには、意識的に「他者への旅」に出る必要がある。

SNSアルゴリズムは、私たちが心地よいと感じる情報だけを見せ、環世界をより狭く、強固なものにしてしまう(フィルターバブル)。知的な態度は、その快適な殻を破ることから始まる。

自分とは異なる意見、異なる背景、異なる身体性を持つ他者に対し、「なぜそう感じるのか?」と問いかけること。自分の正しさを一旦脇に置き、相手の環世界に身を浸すこと。この「認知的負荷」をあえて引き受ける勇気を持つことだ。

3. 「問い」と「物語」の紡ぎ手へ

AIは「答え」を出すことにおいては人間凌駕する。しかし、「問い」を立てることはできない。問いは、「こうありたい」「これはおかしい」という、身体的な違和感理想感情からまれからだ。

また、AIデータを羅列できるが、「物語」を生きることはできない。私たちは、他者との関わりの中で、それぞれの人生という物語を紡いでいる。

これからの知性とは、正解のない世界で、他者と共に悩み、対話し、新しい「納得解間主観的な合意)」を形成していくプロセスのものを指すようになるだろう。

結び:温かい知性へ

マックスベネットと恩蔵絢子が示したのは、冷徹計算機としての脳ではなく、熱を帯び、他者を求め、身体を通じて世界と震え合う臓器としての脳であった。

AI時代において、私たちは「賢さ」の定義を、ColdIntelligence(処理能力から WarmIntelligence共感接続能力) へとシフトさせなければならない。

老い記憶力が衰えようとも、計算が遅くなろうとも、目の前の人の手の震えに気づき、その心に思いを馳せることができるなら、その人は最高に「知的である

他者の心という、宇宙で最も複雑で、不可解で、魅力的な謎に挑み続けること。その終わりのない探求こそが、機械には決して模倣できない、人間の知性の最後の聖域となるだろう。

https://news.yahoo.co.jp/articles/be7a5812ddaf607d08bb52f0663554ab39a9389c

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みんなどうやって食道楽してるの?

平気で3,000から5,000円使うよね1食

飲み会なら10,000円。それを安いと言う。他に趣味もある。特に残業で大変とかもない

40代都内共働きで子持ちだけどそんな給与無い。もしかしてはてなで一番低賃金?みんな手取り年収1,000万円超えのシングルか子無し共働き

そもそも氷河期世代なんで何したらその給与まで上がるのか不明転職してもそこまでの道のり高すぎ。ほぼ超人じゃないと提示もされない

俺も美味しそうな店入って「美味しそうじゃん」で入りたかった

生存者バイアスかかった自営業になれと、投機副業禁止

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