
はてなキーワード:授乳とは
1人目の子の時は何もかもが初めて行うことだから新鮮だった。それが2人目になると同じ作業を繰り返してる気持ちになる。
多分病気なんだと思う。
泣いてるのを見たら前回のお世話内容を確認して授乳/オムツ/抱っこを繰り返す。
上の子は3歳。
やれることが増え、出かけられる場所も増えた。
ポニーや馬車に乗ったり、遊具のある公園スペースあったり、ウルトラマンショーのようなショーがあったり、屋内で子供向けのおもちゃがたくさんあるスペースがあったり、暖かい時期は噴水で水遊びもできたり…
余談だけど保育園で「馬さんに乗ったの」って自慢しているらしい。親目線まだと可愛いけど保育園のお友達目線だとちょっとウザいなって思う。
でも新生児がいると行動範囲に限りが出てきてなかなか行けない。
泣き声がうるさすぎてイライラする。
そしてわずかばかりの下の子が寝た時間は起こさないようにと物音を立てることが許されない。家事が進まない。
妻は産後2ヶ月でまだ重いものを持てないからゴミ捨てできないって言う。
でも4kgの下の子を抱っこできるからゴミくらい持てるんじゃないかなって思うのは言い過ぎ?
朝ごはん作って、食べさせて、保育園に送って、洗濯して、夕飯の買い出し行って、夕飯の仕込みして、保育園のお迎えして、夕飯作って、食べさせて、お風呂に入れて、寝かしつけして
そこにずっと泣く2番目の子。
やりたいことをやりたいタイミングで出来ない。
これは職場でもよくある。だから事前にできるだけ準備をしておく。仕事は大体それで解決できる。
でも子どもは予測不可能。うんちして泣く、おしっこで泣く、眠いのに上手く眠れなくて泣く、自分のゲップ音に驚いて泣く、ママが良いのにママが上の子の相手していて泣く、授乳して欲しいのにママのうんちタイムでお預けくらって泣く…。
時々こいつさえいなければ…と思う自分がいて何もかも嫌になる。
でも世間から見たら自分が異常者なんだよね。それが余計に辛い。
この時間に起きてお世話してると気分が沈む。
自分の出産体験がかなり助産師さんと密接で、二人三脚で乗り越えた感じが強かったもので
授乳室に急に入ってきたりもしない
お産のとき、私は助産師さんに本当に命を救われたような思いで、神様仏様のように感謝している。
だからこそ、男性助産師はどうしても受け入れられない。受け入れたくない。絶対。
助産師の仕事には、子宮口の開き具合を確認するために何度も膣内に手を入れる内診がある。
私は初産の時は陣痛から出産まで12時間以上かかった。その間何度も何度も子宮口の確認を個室で受けた。
私もそうだったように、個室入院なら、通常こうした処置は密室で行われると思う。
私が出産した産院では、内診の際には付き添ってくれていた夫ですら部屋の外で待機させられていた。
妊婦は血や羊水を股から垂れ流しながら、壮絶な陣痛に耐えつつ、繰り返し内診を受けることになる。
そんな状況では、万が一のことがあっても抵抗などできるはずがない。
この問題は女性側の感情だけが語られがちだが、妻が男性助産師に密室で内診されるという状況に、夫側が抵抗を感じるのも当然だと思う。
私も痛みに何度も意識が遠のきそうになったが、助産師さんが優しい声をかけてくれたり、腰をさすってくれたりしたおかげで、なんとか耐え抜くことができた。
夫がいてくれた心強さはあった、けどやはり男性は出産の痛みや恐怖を完全に理解することは難しいと感じた。
女性は出産経験がなくても、同じ臓器を持つ「いつか経験しうる存在」であることで、安心感が生まれるのだと思う。
出産後も、母乳教室や授乳の場面で助産師さんにはお世話になった。
もし夜中の授乳室に男性助産師が当然のように入ってきて母乳指導を始めるようなことがあれば、想像しただけでゾッとする。
需要ない。
総評 男性向けエロコンテンツにおいてこれら描写はに、男性の挿入が女性の性的快楽を生み出しているというフィクションを多分に含む。性行為は男性だけでなく女性も快楽を得ていなければならない、男性は女性に快楽を与えるものでなければならないという平等意識がみられるので、女性蔑視度は低い。
二位 レ◯プ系
総評 この描写は一見女性蔑視度が強いように見えるけれど、裏を返せば暴力を使わなければ女性身体は支配できないということでもあるのだ。女性の意思の自立の強さが逆説的に示される形式と言える。
一位 フェラ、パイズリ、授乳手コキ、おねショタ、バブみ、アナル舐め
総評 女性を男性の快楽のために奉仕する存在と描いた上で、男性は女性に何も与えず何もしない。女性は自発的に奉仕して当然と言わんばかりで、女性蔑視度最高レベルと言える。
息子 9ヶ月
義両親に会いに行くと、「俺君は男なんだから〜」とよく言われてつらい。
これが男なんだから頑張れとかなら気にならないんだが、男なんだからそんなことしなくていいとか、嫁にやらせればいいとか言ってくる。
妻は基本在宅とはいえ仕事をしているし、それなのに家事育児をすべて任せるなんて頭おかしいだろ。
そもそも、俺も住んでいる家で俺との子供を育ててるんだから、俺も一緒に家事育児やるのは当然。
高齢出産で団塊の世代に近いうちの両親、というより親父は、授乳以外男もできるんだから、力と体力のある男こそが家事育児を率先してやるべきという考えだった。
実際うちの親父は授業参観やら学校行事やらによく参加してたし、よく台所にも立ってた。
だから俺も同じように家事育児を嫁と分担しているのに、義両親は納得いかないらしい。
義両親が団塊の世代とかなら嫁がすべてやるべき発言があってもしかないと思うが、義両親はバブル世代。
それなのにこの価値観って……。
以前はあんたらの娘だったかもしれないが、今は俺の妻なのだが?
人の妻を雑に扱って許されると思ってるのか?
息子に悪影響が出そうで、義両親に会わせたくない。
妻が子供を欲しがるが、色々あって私はこの人と子育ては難しいと思っている。
飼い猫に夜中に起こされたことに憤慨して狭いクローゼットに閉じ込めた人が、3時間おきの授乳で発狂して虐待死させる蓋然性は高いと思う。
他の場面でも睡眠を妨害されると怒りが発火して手に負えないので、乳幼児を育てるのに不向きなんだと思う。
自分は元カレと連絡取り合って食事に行くのに、私は"男"友達と出かけることさえ許さないのはめちゃくちゃ過ぎると思った。
元カレと食事に行く人が托卵する蓋然性はそれなりにあると思うし、私は信頼できないのでそんな相手と子供を設けたくない。
私の私物を勝手に捨てるのも酷いなと思った。本、契約書、アルバム、銀行からの封書…なんで人の物を確認も取らずに捨てるのか理解に苦しむ。
大人からしたらガラクタでも子供にとっては大切なものとかもバンバン捨てそうで、そうなったら子供がかわいそうだと思う。
弁当を作ってあげたら「ベーコンとかは保存料とかが入ってるから私は使わないんだよね」
なんで作ってもらってそんなことが言えるのか、この人は人の心とかわからないのかな、この人が作れる子育て環境っていいものになるかな、とか考えちゃう。
こういったことへ反発すれば「そんなふうに人を糾弾するのは悪」とか「言い方に傷付いた」とか「お前だって云々」とかそういうふうに論点ずらして話にならない。
多分、自己愛性人格障害か何かなんだと思う。
抱かなきゃキレ散らかして面倒だから抱くけど、やれゴムをつけるな中に出せとしつこい。
幸い気付かない…のか、托卵のアリバイさえこさえればいいから気にしてないのか。
正直、しんどい
少し前に出産して、退院後、今は自分と夫と子の3人で自宅で暮らしている。
沐浴中に自分が履いていた長ズボン(裾は折っていた)の太もも部分にお湯がかかり少し濡れたのだが、あまり気にならなかったので「あ、ちょっと濡れちゃった~」程度の発言をしてその場は終えている。
そのあと授乳をし子を寝かしつけている間に夫が晩ご飯を作ってくれ、いざ食べようというタイミングで座ろうとしたら、夫に「濡れてるズボンで座ったら椅子に染みるじゃん。脱ぎなよ」と言われ、洗濯して取り込んだあとその辺に置いていた短パンを夫が渡してきたのである。
なお、椅子はホームセンターで買ったよくある革張りのもので、別に水分が染みるといったことはない素材だ。
2日前に履いていたその短パンはその日が暖かったから履いていただけで、今日は寒い。だから履くならジャージの長いズボンがいい。
椅子に水分は染みないし、自分もこのあと風呂に入るのに逐一着替えるのがダルかったし、ご飯を温かいうちに食べたかったので「ありがとう~でも別に大丈夫だよ、先に食べちゃいたいし、そこまでビショビショでもないし」と伝えた。
そしたら、「椅子に染みるのに?ㅤあと、冷たくなったら風邪ひくよ?」と言われた。
ここでなんだか感情が決壊してしまって、「いや、染みる素材じゃなくない?」「風邪をひくかもって心配してくれてるのに、この程度でイラつくのは酷いかな」「でも寒いんだから短パンは無くない?」などと色んな思考が巡った末、無言で椅子を引いて立ったまま、中腰で食べ始めてしまった。
そしたら「なんで立ってるの?」と聞かれた。
「貴方が椅子の心配をしてるから立ってるんじゃん」と伝えたら「これ(差し出された短パン)で妻ちゃんの心配はしたから、今度は椅子の心配をしてるんだよ?」と返された。
「そう……」と伝えたあと洗面所に行き、涙が止まらなくなって顔を洗って15分くらいしてから食卓に戻り「嫌だった」と伝えてみた。
そんなつもりじゃ……ごめんね……と言われたので、表面上は仲直りしている。私はここに吐露するくらい、数時間引きずっているが。笑
我ながら幼稚だなと思った。
その前も「沐浴前後にあまり授乳するのは良くないみたいだから今日は17時に沐浴させようね」と伝えたのに「赤ちゃんが寝てるから」と夫が17時に風呂に入ってしまい沐浴が18時に後ろ倒しになったり。(その影響で私が夕食前に風呂に入れず、ズボンが湿ったままだった)
退院後10日ほど私が家から出られておらずそろそろ外の空気を吸いたいのに「あまり動かない方がいいから育児だけ専念してて?」と言われ外出させてもらえず、向こうは買い物や手続きをしてくれているものの合間にポケモンGOをやってマックに寄って2時間くらい帰宅時間が延びたり。(私もやりたい……)
連日「ママの方がオムツ替えや着替えの手際が良いし、泣き止むよね……」と言いながらチラチラ私の方を見て頼りたいオーラを出してくるし。(私だって必死になって子のためにやってるだけだ)
子が大号泣してるのに寝てて起きないし。(なんでこんな大声出してるのに逆に起きないんだ?)
そういったことが続いているので、色々と溜まってしまっていたのだろうなぁとは思う。
短パンだって、夫のほうは体温が高めで今日もステテコを履いていたのだから「これを履くと寒くなる」とは思われていなかったであろう。それくらいは推測できる。
だから「こんなの履いたら寒くなるじゃん」ではなく「お気遣いありがとう!ㅤでも私は寒がりだから後で長いズボンを履くね」と言っておいた。
でもなんだか「なんで私はこんなに気を遣ってるんだ……???」と思えてしまった。
難しいね。気を遣わないとそれはそれで嫌な奴になり得るし。
今までもこういった「本人は忘れているだろうけれど、私は嫌だったこと」はあったし、向こうもあるのだと思う。
色々と綴ってしまったが、基本的に一番仲の良い友達みたいな異性、が夫なのだ。趣味のサークルで出会った人だし、金銭的な価値観や、実家の方針(仏事や挨拶などをきちんとやるところ)も似ているので過ごしやすい人ではある。
ただ子どもが産まれたことで、今後はどうしても──今回のようなくだらない事案(笑)ではなく子のことで──衝突が発生してしまうのだろう。
そのときも出来るだけ相手には配慮していきたいが……まぁ、忘れられない「嫌だったこと」は増えるんだろうな。
でもその分、家族としての思い出も増えていくんだろう。そんなものだよね、家族って。
SNSには夫も含めて仲良くしてもらっている友人も沢山いるし、実家や夫のことを知らない友人周りにも心配を掛けたくないから、愚痴れないなぁと思いここに吐き出してしまった。
ただ、つらつらと書いていくうちにイイ感じ(?)の結論に辿り着けた気もする。
頑張りすぎない程度に頑張りたいなー。
夫43、私40歳。
子供3人もいる。
正直もう性欲とか湧かない。
もう10年くらい前、子供を産んだ瞬間から無くなっていたけど、夫婦の義務だと思って続けてた。
夫が嫌いなわけではない。
夫は私としかできないタイプの人なので、可哀想だという気持ちもあった。
でも私はさっき、夫の誘いを「やだ」と言って、逃げた。
「セックスレスだ…」
といって夫は残念そうにしていた。
しばらくしてまた普通の会話に戻った。
私がなんで今になって断ったのか、言語化したい。
そして
『私の痛みとか苦しみ、辛さなんかの感情には一切寄り添えない』
ということがわかった。
一番近くにいて見てくれていたと思っていたのに、
夫は1mmたりとも共感はしていなかった。
夫の「ありがとう」「ごめんなさい」「大丈夫?」などの相手を思いやる言葉はロボットでいうプログラミングされたものを実行しているだけにすぎなく、そこに感情はないのことがわかった。
それどころか、辛さや悲しいさなんかの負の感情を表すと、見下したり被害意識をつのらせたりする。
私が例えば「◯◯がつらいから◯◯してほしい。 」といえば、迷惑そうな顔をし、「また文句?」と言ったりする。
逆に私が「ありがとう」と言うと、『お前は俺より下』と思うらしい。
私が「大丈夫?」とか言うと、『俺より下のお前が俺の心配するなんて馬鹿にしてるのか』と怒り出したりする。
感情周りの認知の仕方が全然違いすぎて、私が消耗することが多い気がして。
つらいとか、くるしいとか、言わなくなった。
すごく孤独だった。
『こんなにあらゆることを耐えてるのに、
これを夫に言うと夫は…
なんというかはわからないけど、
「俺はお前のためにこんなにたくさんいろんなことをしてやってるのに」とか?
まぁ、なんでもいい。
悲しい。
私は夫と愛のある営みをしたかった。
------
追記させてください。
自分の気持ち整理用に書いた日記でしたが、励ましから耳の痛い言葉まで本当にありがとうございます。
一つ一つに返信できずごめんなさい。時系列が雑多なのもすみません。
正社員・子供3人は本当ですが、夫は経営者で私の収入は小さなもの。夫からすれば
「働かなくていいのに勝手に働いて辛いとか言うのは意味不明。放デイなど行政に助けられてるのにこれ以上誰か(=俺)頼るのは甘え」
という感じです。
私が働いているのはリスクヘッジのためです。
この生活に耐えられず離婚することになっても子供を守れるように。
また専業主婦になれば夫の「支配」が強まるのが目に見えているからです。
夫のASD特性上、私の気持ちは一生理解されないと諦めています。
先々月、長男のノートを買いに出た30分の間に、留守番していた次男が行方不明になりました。
パニックになって探したところ、知らないお爺さんが次男を保護してくれていました。
本当に無事でよかった。
夜になっても既読つかず、朝にようやく返事。
帰宅後、私は「どこに行ってもいいから連絡だけはできるようにしてほしい」と伝えました。
すると夫は
「自分はSIM契約してないからすぐ連絡できない。仕事も問題ない。〇〇(=私)が言うなら新しく契約するけど?」
と。
私は契約の話ではなく、「心配かけてごめんね」と言ってほしかっただけでした。
「相手の気持ちを想像する」ことが極端に苦手な特性が出ているだけ。
そして多分私や子供たちがどんな気持ちでいたかなんて想像できる能力がそもそもないだけです。
そして謝罪の概念が「服従・敗北」と結びついているので、絶対に謝りません。
その時の「何言ってるんだ?」という夫の顔が忘れられません。
『この俺が契約を新たにしてやると言ってるのに感謝するどころか謝れと?』。
頭がおかしい人をみるような、見下したような顔。
その瞬間、心がポッキリ折れました。
思い出すたびに胸がざわつき、今はもう夫と身体を重ねることは無理だと感じています。
Permalink |記事への反応(23) | 18:18
お前らは気づいてるか。
ワコールの調査によると、1980年代の日本人女性の平均バストサイズはB70だった。それが2020年にはC75になってる。40年間で2カップも上昇してるんだ。
下着メーカーのトリンプの調査でも同様の傾向が確認されてる。1990年代と比較すると、D以上のサイズの購入者が30パーセント以上増加してる。
これは単なる偶然じゃない。明確な要因がある。
戦後の食生活の劇的な変化が、日本人の体型に影響を与えてる。特に動物性タンパク質の摂取量増加が重要だ。
1950年の日本人の肉類摂取量は年間3キロだったが、2020年には32キロまで増加してる。約10倍だ。牛乳の消費量も同様で、1960年の年間17リットルから、2020年には33リットルに倍増してる。
動物性タンパク質は乳腺の発達に直接関係する。特に成長期における摂取量の増加が、胸部サイズの大型化に寄与してる。
戦前の日本人の食事は炭水化物中心で、脂質の比率は総カロリーの10パーセント以下だった。現在は25パーセント近くに達してる。
脂質は女性ホルモンの原料になる。エストロゲンの分泌量が増加すれば、当然乳房の発達も促進される。西洋化した食生活が、日本人女性の身体的特徴を変化させてるんだ。
現代の日本人女性の初潮年齢は平均12.3歳。戦前は15歳前後だった。約3年も早まってる。これは栄養状態の改善と関連してる。
初潮が早まると、女性ホルモンの分泌期間が長くなる。結果として乳房の発達期間も延長される。これが胸部サイズの増大に直結してる。
また、成人年齢の上昇も影響してる。
昔の日本人女性は10代後半で結婚し、20代前半で出産してた。でも現在の初産年齢は30歳を超えてる。
妊娠・出産・授乳は乳房サイズに大きな影響を与える。これらの時期が遅くなることで、乳房の成長期間が実質的に延長されてる。
昔の日本人女性は農作業や家事で日常的に身体を動かしてた。筋肉質で引き締まった体型が一般的だった。
でも現代女性の多くはデスクワーク中心。運動不足により体脂肪率が増加してる。乳房は主に脂肪組織で構成されてるから、体脂肪率の増加は直接的にバストサイズの増大につながる。
遺伝的要因の変化も興味深い。
戦後の国際結婚の増加により、日本人の遺伝的多様性が高まってる。西洋系の遺伝子が混入することで、体型的特徴も変化してる可能性がある。
ただし、これは全体に占める比率は小さいため、主要因ではない。
環境ホルモンの影響も指摘されてる。
プラスチック製品や化学物質の普及により、エストロゲン様作用を持つ物質への暴露が増加してる。これが内分泌系に影響を与え、乳房の発達に関与してる可能性がある。
ただし、因果関係は完全には解明されてない。今後の研究が必要な分野だ。
現代日本では、女性らしい体型への価値観が変化してる。メディアの影響もあり、豊満な体型への憧れが強くなってる。
これにより、体型を強調する下着の普及や、美容整形の増加なども見られる。統計的な変化の一部は、測定方法や意識の変化も反映してる可能性がある。
同じ日本国内でも、都市部と農村部でサイズに差がある。都市部の女性の方が平均的に大きい傾向がある。これは食生活の違いや生活習慣の差が影響してると考えられる。
また、世代間格差も顕著だ。
30代以下の女性と50代以上の女性では、明確なサイズ差がある。若い世代ほど大型化の傾向が強い。これは成長期の栄養環境の違いが、長期的に影響してることを示してる。
国際比較も興味深い結果を示してる。
日本人女性の平均バストサイズは、アジア諸国の中では大きい方だが、欧米諸国と比較するとまだ小さい。ただし、増加率は世界的に見ても高い水準にある。
この傾向は今後も続くのか。
栄養状態の改善には上限がある。すでに先進国水準に達してるため、今後の劇的な変化は考えにくい。
一方で、生活習慣病の増加により、逆に健康志向が高まる可能性もある。運動習慣の改善や食生活の見直しにより、体型にも変化が生じるかもしれない。
お前らはこの現象をどう見る。
日本人の身体的変化は、社会の発展を反映してるのか、それとも問題のある変化なのか。
栄養状態の改善は喜ばしいことだが、同時に生活習慣病のリスクも高まってる。この変化をポジティブに捉えるべきか、警戒すべきか。
人類学的に見れば、これは環境変化に対する人間の適応反応の一例だ。興味深い現象であることは間違いない。
悔しい
私の世界は、丁寧に、そう、まるで細胞の一つ一つにまで神経を行き届かせるようにして磨き上げられた、半径およそ十メートルほどのガラスの球体であり、その球体の中心には、世界のすべてであり、法であり、そして揺るがぬ神であるところの、生後六ヶ月の息子、光(ひかる)が、ただ健やかな呼吸を繰り返している。その完璧な球体を維持すること、それこそが水無月瑠璃(みなづき るり)、すなわち三十一歳の私に与えられた唯一にして絶対の使命であったから、私は今日もまた、タワーマンション二十八階、陽光が白磁の床にまで染み渡るこのリビングダイニングで、目に見えぬ埃の粒子と、あるいは時間という名の緩慢な侵食者と、孤独な、そして終わりなき闘争を繰り広げているのであった。北欧から取り寄せたというアッシュ材のテーブルの上には、一輪挿しに活けられたベビーブレスの、その小さな白い花弁の影さえもが、計算され尽くした角度で落ちており、空気清浄機は森の朝露にも似た清浄さを、ほとんど聴こえないほどの羽音で吐き出し続け、湿度計のデジタル表示は、小児科医が推奨する理想の数値、六十パーセントを寸分違わず指し示しているのだから、およそこの空間に、瑕疵という概念の入り込む余地など、どこにもありはしなかった。かつて、外資系のコンサルティング会社で、何億という数字が乱れ飛ぶ会議室の冷たい緊張感を、まるで上質なボルドーワインでも嗜むかのように愉しんでいた私自身の面影は、今やこの磨き上げられたガラス窓に映る、授乳のために少し緩んだコットンのワンピースを着た女の、そのどこか現実感を欠いた表情の奥に、陽炎のように揺らめいては消えるばかりであった。
思考は、そう、私の思考と呼んで差し支えるならば、それは常にマルチタスクで稼働する最新鋭のサーバーのように、光の生存に関わる無数のパラメータによって占有され続けている。次の授乳まであと一時間と二十三分、その間に終わらせるべきは、オーガニックコットンでできた彼の肌着の煮沸消毒と、裏ごししたカボチャのペーストを、一食分ずつ小分けにして冷凍する作業であり、それらが完了した暁には、寝室のベビーベッドのシーツに、もしかしたら付着しているかもしれない、私たちの世界の外部から侵入した未知のウイルスを、九十九・九パーセント除菌するというスプレーで浄化せねばならず、ああ、そういえば、昨夜翔太が帰宅時に持ち込んだコートに付着していたであろう、あの忌まわしい杉花粉の飛散経路を予測し、その残滓を、吸引力の変わらないただ一つの掃除機で完全に除去するというミッションも残っていた。これらすべては、愛という、あまりに曖昧で情緒的な言葉で語られるべきものではなく、むしろ、生命維持という厳格なプロジェクトを遂行するための、冷徹なまでのロジスティクスであり、私はそのプロジェクトの、唯一無二のマネージャーであり、同時に、最も忠実な実行部隊でもあった。誰がこの任務を私に課したのか、神か、あるいは生物としての本能か、はたまた「母親」という名の、社会が発明した巧妙な呪縛か、そんな哲学的な問いを発する暇さえ、このシステムは私に与えてはくれなかった。
夫である翔太は、疑いようもなく、善良な市民であり、そして巷間(こうかん)で言うところの「理想の夫」という、ほとんど神話上の生き物に分類されるべき存在であった。彼は激務の合間を縫って定時に帰宅すると、疲れた顔も見せずに「ただいま、瑠璃。光は良い子にしてたかい?」と、その蜂蜜を溶かしたような優しい声で言い、ネクタイを緩めるその手で、しかし真っ先に光の小さな体を抱き上げ、その薔薇色の頬に、まるで聖遺物にでも触れるかのように、そっと己の頬を寄せるのだ。週末になれば、彼はキッチンで腕を振るい、トマトとニンニクの匂いを部屋中に漂わせながら、私や、まだ食べることもできぬ光のために、絶品のペペロンチーノやカルボナーラを作り、その姿は、まるで育児雑誌のグラビアから抜け出してきたかのように、完璧で、模範的で、そして、どこか非現実的ですらあった。誰もが羨むだろう、この絵に描いたような幸福の風景を。友人たちは、私のSNSに投稿される、翔太が光をあやす姿や、手作りの離乳食が並んだテーブルの写真に、「理想の家族!」「素敵な旦那様!」という、判で押したような賞賛のコメントを、まるで祈りの言葉のように書き連ねていく。そう、すべては完璧なのだ。完璧なはずなのだ。このガラスの球体の内部では、愛と平和と秩序が、まるで美しい三重奏を奏でているはずなのだ。
――だというのに。
夜、ようやく光が天使のような寝息を立て始め、この世界のすべてが静寂という名の薄い膜に覆われた頃、ソファで隣に座った翔太が、労わるように、本当に、ただ純粋な愛情と労いだけを込めて、私の肩にそっと手を置く、ただそれだけの、あまりにも些細で、そして無垢な行為が、私の皮膚の表面から、まるで冷たい電流のようにして内側へと侵入し、脊髄を駆け上り、全身の毛穴という毛穴を、一斉に収縮させるのである。ぞわり、と。それは、神聖な祭壇に、土足で踏み込まれたときのような、冒涜的な不快感であった。あるいは、無菌室で培養されている貴重な細胞のシャーレに、誰かが無頓着なため息を吹きかけたときのような、取り返しのつかない汚染への恐怖であった。彼の指が触れた肩の布地が、まるで硫酸でもかけられたかのように、じりじりと灼けるような錯覚さえ覚える。私は息を止め、この身体が、この「水無月瑠璃」という名の、光のための生命維持装置が、彼の接触を、システムに対する重大なエラー、あるいは外部からのハッキング行為として認識し、全身全霊で拒絶反応を示しているのを、ただ呆然と、そして客観的に観察していた。
「疲れてるだろ。いつも、ありがとう」
翔太の声は、変わらず優しい。その瞳の奥には、かつて私が愛してやまなかった、穏やかで、そして少しだけ湿り気を帯びた、雄としての光が揺らめいているのが見える。それは、私を妻として、女として求める光であり、かつては、その光に見つめられるだけで、私の身体の中心が、熟れた果実のようにじゅくりと熱を持ったものだった。だというのに、今の私には、その光が、聖域である保育器を、ぬらりとした舌なめずりをしながら覗き込む、下卑た欲望の眼差しにしか見えないのだ。許せない、という感情が、胃の腑のあたりからせり上がってくる。この、二十四時間三百六十五日、寸分の狂いもなく稼働し続けている精密機械に対して、子を産み、育て、守るという、この宇宙的な使命を帯びた聖母に対して、己の肉欲を、その獣のような本能を、無邪気に、そして無自覚にぶつけてくるこの男の、そのあまりの鈍感さが、許せないのである。
ケダモノ。
その言葉が、私の内で、教会の鐘のように、低く、重く、そして厳かに反響する。そうだ、この男はケダモノなのだ。私がこの清浄な球体の秩序を維持するために、どれほどの精神を、どれほどの時間を、どれほどの自己を犠牲にしているのか、そのことを何一つ理解しようともせず、ただ己の種をばら撒きたいという原始の欲動に突き動かされているだけの、ただのケダモノなのだ。
そんなはずはない、と、脳のどこか、まだかろうじて「かつての私」の残滓が残っている領域が、か細い声で反論を試みる。これは翔太だ、私が愛した男だ。雨の匂いが充満する安ホテルの、軋むベッドの上で、互いの名前を喘ぎ声で呼び合いながら、世界の終わりが来るかのように貪り合った、あの夜の彼なのだ。パリへの出張中、セーヌ川のほとりで、どちらからともなく互いの唇を求め、道行く人々の冷ややかな視線さえもが、私たちのためのスポットライトのように感じられた、あの瞬間の彼なのだ。結婚記念日に、彼が予約してくれたレストランの、そのテーブルの下で、こっそりと私のスカートの中に忍び込んできた、あの悪戯っぽい指の持ち主なのだ。あの頃、私たちは互いの肉体という言語を、まるで母国語のように自在に操り、その対話の中に、世界のどんな哲学者も語り得ないほどの、深遠な真理と歓びを見出していたはずではなかったか。あの燃えるような記憶は、情熱の残骸は、一体どこへ消えてしまったというのだろう。それはまるで、昨夜見た夢の断片のように、あまりにも色鮮やかで、それでいて、掴もうとすると指の間から霧のように消えてしまう、遠い、遠い銀河の光なのである。
「瑠璃…?」
私の沈黙を訝しんだ翔太が、私の顔を覗き込む。私は、まるで能面のような無表情を顔面に貼り付けたまま、ゆっくりと彼の手を、自分の肩から、まるで汚物でも払いのけるかのように、そっと、しかし断固として取り除いた。そして、立ち上がる。
「ごめんなさい。少し、疲れたみたい。光の様子を見てくるわ」
それは、完璧な嘘であり、そして、完璧な真実でもあった。私は疲れていた。だがそれは、育児という名の肉体労働に疲れているのではなかった。私という個人が、水無月瑠璃という一個の人格が、「母親」という名の巨大なシステムに呑み込まれ、その歯車の一つとして摩耗していく、その存在論的な疲弊に、もう耐えられなくなりつつあったのだ。これは、巷で囁かれる「産後クライシス」だとか、「ホルモンバランスの乱れ」だとか、そういった便利な言葉で容易に片付けられてしまうような、表層的な現象ではない。違う、断じて違う。これは、一個の人間が、その魂の主導権を、自らが産み落とした別の生命体に完全に明け渡し、「装置」へと、あるいは「白き機械」へと、静かに、そして不可逆的に変質していく過程で生じる、存在そのものの軋みなのである。
聖母、とはよく言ったものだ。人々は、母という存在を、無償の愛と自己犠牲の象徴として、何の疑いもなく神格化する。だが、その実態はどうか。自己を失い、思考も、肉体も、感情さえもが、すべて「子」という絶対的な存在に奉仕するためだけに再構築された、ただのシステムではないか。私は聖母などではない。私は、高性能な乳製造機であり、汚物処理機であり、そして最適な環境を提供する空調設備が一体となった、ただの生命維持装置に過ぎないのだ。この気づきは、甘美な自己陶酔を許さない、あまりにも冷徹で、そして絶望的な真実であった。そして、この真実を共有できる人間は、この世界のどこにもいやしない。翔太のあの無垢な優しさでさえ、結局は、この優秀な装置が、明日も滞りなく稼働し続けるための、定期的なメンテナンス作業にしか見えないのだから、その孤独は、宇宙空間にたった一人で放り出された飛行士のそれに似て、どこまでも深く、そして底なしであった。友人たちがSNSに投稿する「#育児は大変だけど幸せ」という呪文めいたハッシュタグは、もはや、この巨大なシステムの異常性に気づいてしまった者たちを、再び安らかな眠りへと誘うための、集団的な自己欺瞞の儀式にしか思えなかった。
寝室に入ると、ベビーベッドの中の光は、小さな胸を穏やかに上下させながら、深い眠りの海を漂っていた。その無防備な寝顔は、確かに、この世のどんな芸術品よりも美しく、尊い。この小さな生命を守るためならば、私は喜んで我が身を投げ出すだろう。だが、それは、この身が「私」のものであった頃の話だ。今の私にとって、この感情は、プログラムに組み込まれた命令を遂行しているに過ぎないのではないか。愛でさえもが、システムを円滑に稼働させるための、潤滑油のような機能に成り下がってしまったのではないか。そんな疑念が、毒のように心を蝕んでいく。
私は、息子の傍らを離れ、再びリビングへと戻った。翔太は、ソファの上で、テレビの光をぼんやりと浴びながら、所在なげにスマートフォンをいじっている。その背中は、拒絶された雄の、どうしようもない寂しさを物語っていた。かつての私なら、きっと背後からそっと抱きしめ、「ごめんね」と囁いて、彼の寂しさを溶かしてやることができただろう。しかし、今の私には、もはやそのための機能が、インストールされていないのである。
私は、彼に気づかれぬよう、書斎として使っている小さな部屋に滑り込んだ。そして、ノートパソコンの冷たい天板に触れる。ひやりとした感触が、指先から伝わり、かろうじて、私がまだ血の通った人間であることを思い出させてくれるようだった。スクリーンを開くと、真っ白な光が、闇に慣れた私の網膜を焼いた。カーソルが、無人の荒野で、点滅を繰り返している。何を、書くというのか。誰に、伝えるというのか。この、言葉にもならぬ、システムの内部で発生したエラー報告を。この、機械の内部から聞こえてくる、魂の悲鳴を。
それでも、私は指を動かした。これは、誰かに読ませるためのものではない。これは、祈りでもなければ、懺悔でもない。これは、私という名の機械が、自らの異常を検知し、その原因を究明し、あるいは再生の可能性を探るために、己の内部へとメスを入れる、冷徹な自己解剖の記録なのだ。
『これは、私という名の機械が、自己を観察し、分解し、あるいは再生を試みるための、極秘の設計図である』
その一文を打ち終えた瞬間、私の内側で、何かが、硬い音を立てて、砕けたような気がした。それが希望の萌芽であったのか、それとも、完全なる崩壊への序曲であったのか、その時の私には、まだ知る由もなかったのである。ただ、窓の外で、東京の夜景が、まるで巨大な電子回路のように、無機質で、そして美しい光を、果てしなく明滅させているのが見えた。私もまた、あの無数の光の一つに過ぎないのだと、そう、思った。
自己を機械と定義したからには、次なる工程は当然、その性能向上のための最適化、あるいは、旧弊なOSから脱却するための、大胆にして静かなるアップデート作業へと移行せねばならぬのが、論理的な、そして必然的な帰結であった。そう、これは革命なのだと、私は深夜の書斎で、青白いスクリーンの光に顔を照らされながら、ほとんど恍惚とさえいえる表情で、そう結論付けたのであった。かつてロベスピエールが、腐敗した王政をギロチン台へと送り、新しい共和制の礎を築かんとしたように、私もまた、この「母親という名の献身」や「夫婦の情愛」といった、あまりにも情緒的で、非効率で、そして実態としては女の無償労働を美化するだけの前時代的な概念を、一度完全に解体し、再構築する必要があったのだ。そのための武器は、かつて私が外資系コンサルティングファームで、幾千もの企業を相手に振り回してきた、あの冷徹なロジックと、容赦なき客観性という名のメスに他ならない。愛という名の曖昧模糊とした霧を晴らし、我が家という名の王国を、データとタスクリストに基づいた、明晰なる統治下に置くこと、それこそが、この「水無月瑠璃」という名の機械が、オーバーヒートによる機能停止を免れ、なおかつ、その内部に巣食う虚無という名のバグを駆除するための、唯一の処方箋であると、私は確信していたのである。
かくして、週末の朝、光が心地よい午睡に落ちた、その奇跡のような静寂の瞬間に、私は翔太をダイニングテーブルへと厳かに召喚した。彼の前には、焼きたてのクロワッサンと、アラビカ種の豆を丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒー、そして、私が昨夜、寝る間も惜しんで作成した、全十二ページに及ぶパワーポイント資料を印刷したものが、三点セットで恭しく置かれている。資料の表紙には、ゴシック体の太字で、こう記されていた。『家庭内オペレーション最適化計画書 Ver. 1.0 〜共同経営責任者(Co-CEO)体制への移行による、サステナブルな家族経営の実現に向けて〜』。翔太は、そのあまりにも場違いなタイトルを、まるで理解不能な古代文字でも解読するかのように、眉間に深い皺を刻んで見つめた後、恐る恐る、といった風情で私に視線を向けた。その瞳は、嵐の前の静けさにおびえる子犬のように、不安げに揺れている。まあ、無理もないことだろう。彼にしてみれば、愛する妻が、突如として冷酷な経営コンサルタントに豹変し、家庭という名の聖域に、KPIだのPDCAサイクルだのといった、無粋極まりないビジネス用語を持ち込もうとしているのだから。
「瑠璃、これは…一体…?」
「説明するわ、翔太。よく聞いて。これは、私たち家族が、これからも幸せに、そして機能的に存続していくための、新しい聖書(バイブル)よ」
私は、そこから淀みなく、プレゼンテーションを開始した。現状分析(As-Is)、あるべき姿(To-Be)、そのギャップを埋めるための具体的なアクションプラン。家事という、これまで「名もなき家事」という名の混沌の海に漂っていた無数のタスクは、すべて洗い出され、「育児関連」「清掃関連」「食料調達・調理関連」「その他(消耗品管理、資産管理等)」といったカテゴリーに分類され、それぞれに担当者と所要時間、そして実行頻度が、美しいガントチャート形式で可視化されている。例えば、「朝食後の食器洗浄」は、担当:翔太、所要時間:十五分、頻度:毎日、といった具合に。さらに、月に一度、近所のカフェで「夫婦経営会議」を開催し、月次の進捗確認と、翌月の計画策定を行うこと、日々の細かな情報共有は、専用のチャットアプリで行うこと、そして何よりも重要なのは、これまで私一人が暗黙のうちに担ってきた「家庭運営の全体を俯瞰し、次の一手を考える」という、いわば管理職としての役割を、これからは二人で分担する、すなわち、彼にもまた、単なる作業員(ワーカー)ではなく、主体的に思考する共同経営責任者(Co-CEO)としての自覚と行動を求める、ということ。私の説明は、かつてクライアント企業の役員たちを唸らせた時のように、理路整然としており、反論の余地など微塵もなかった。翔太は、ただ呆然と、私の言葉の奔流に身を任せるしかなく、すべての説明が終わった時、彼はまるで催眠術にでもかかったかのように、こくり、と小さく頷いたのであった。
「…わかった。瑠璃が、そこまで追い詰められていたなんて、気づかなくて、ごめん。僕も、頑張るよ。君を、一人にはしない」
その言葉は、疑いようもなく誠実で、彼の優しさが滲み出ていた。私は、その瞬間、胸の奥に、ちくり、と小さな痛みを感じたのを覚えている。違う、そうじゃないの、翔太。私が求めているのは、あなたのその「頑張るよ」という、まるで部下が上司に忠誠を誓うような言葉ではない。私が欲しいのは、私がこの計画書を作る必要すらないほどに、あなたが私の脳と、私の視界と、私の不安を共有してくれるPermalink |記事への反応(0) | 05:15
私に性欲をむける夫に対して嫌悪感を抱いていた者です。
その状態が異常であると思い、現在は私が関係修復のために努力しているところです。
もしかしたら奥さんはこう考えているかも?の可能性の一つとして私の話が参考になれば、と思います。
子どもと夫を取り合うような、そんな夫ラブな妻で居続けたい!と思っていました。
出産ですべてが変わりました。
出産後は自分自身が「子の生命維持装置」になったように感じました。
私の身体も精神も全て子と繋がっており、子を生かすために全てを捧げる存在になったという感覚です。
とにもかくにも何よりも優先されるべきは子であり、子が快適に過ごすことのできる心地よい住居環境であるという思いが常にあります。
なので、せかせかちまちまと家の名も無き家事をやり続けてしまっていました。全ては子のためです。
出産までは家事はやれるときにやれたらいいね、くらいだった私ですが、少しでも家事が残っていたり、家が乱れていたりすると生命維持装置としての自分の役割が完了できていないので落ち着きませんでした。
綺麗好きになったわけではありません。
すべては、子が百パーセント快適に過ごすためです。
本題です。
家事がまだ残っていたり、家がまだ乱れたりしているにもかかわらず夫から性欲(軽いボディタッチも含む)を向けられると、ゾゾゾッと総毛立つような嫌悪感が生まれました。
この嫌悪感は、子の生命維持装置としての役割が完了していないので、気持ちの上で子との連動がオフになっていないことが原因だと、後から考えてわかりました。
まるで、子供に授乳しているにも関わらず体を求められたようなおぞましさがある、といえばわかってもらえるでしょうか。
こちらとしては子を生かすことで精一杯なのに、そんなことも無視するほど、性欲で我を忘れるなんてケダモノではないか!!という嫌悪です。
妊娠出産まではあんなに場所を考えずにズコバコしていたアツい2人なのにどうして拒否するの!?そんなに子が大事なの!??俺のことも大事にしてよ!!!
と、私の夫は悲しく思っていたようです。
でもこっちとしてはそんな思いは見当違いなんです。
夫のことが好きな「妻」ではなく、子のために生きる「装置」になってるだけなんです。
まだ「妻」に切り替わっていないのに迫られても無理なんです。
じゃあどうやったら「妻」に切り替わるのか、って話です。
簡単です。家事が残っておらず、家も完全に整っており、子にとって快適な環境になっていれば生命維持装置としての役目が終わります。
でもその時って永遠にこないんですよ。
家なんて、一回ご飯食べればすぐ乱れます。床のほこりなんて数時間で生まれます。
じゃあ夜寝るときなら全て一旦家事は完了してるからいいのか?というとそれも違います。
夜の睡眠は、あくまで明日、子を生かすための準備だからです。しっかり睡眠をとらないと次の日の装置の役目としての精度が下がりますから。
夫の性欲を満たすためだけに睡眠時間減らされたらたまったもんじゃないわけです。
じゃあ子供をあずけて夫婦二人で行く旅行先ならいいのか?というとそれも難しい。
頭の中で、帰宅後にやらないといけないことを考え続けるからです。
じゃあ家のことを数日間完全に夫が担当すればいのか?というと、結局その数日が終わったあとに控えていることを考えてしまうし、そもそも普段やってない人が家を100%整えるなんて恐らく無理です。
じゃあ無ずすべがないじゃないか、と。
そうなんです。出産した時点でもう詰んでるんですよ。
外側から妻に働きかけることで生命維持装置モードを切り替えさせようとするのは無理なんです。
ただ、この生命維持装置モードは妻本人にとってもとてもしんどい状態です。
常に神経と視線を張り巡らせて、環境整備に努め続けているので脳のリソースがずっと割かれ続けてるんですね。
本人もこんな状態やれられるなら辞めたいと心の底では思っています。
なので、正攻法は一つだけです。
“本人に自分が生命維持装置モードになっていることを自覚させ、心の平安のためにもそのモードを自発的に辞めるように働きかけつつ、家や子について考える主導権を奪うこと”です。
イメージでいうと、PC業務中に無意識に力を入れて肩の筋肉をこわばらせてしまっている人にそれを指摘したうえで、その業務内で必要な選択をすべてこちらでやってあげることで業務の負担感を減らす、という感じでしょうか。
妻が生命維持装置の役目にある程度の区切りをつけられるように仕組みを整える、といえば伝わりますでしょうか。
例えば、
・平日において妻がやるべき最低限の家事の精選とリスト化とルーティン化
・その月にやるべき/やりたい、普段できない家のことや子のイベントのリスト化
・子や家の予定を夫が主体的に把握し、妻に先んじて、いついつまでに〇〇を用意しないとね、など提案していく
・なくなりそうな調味料の補充や準備を夫もやる
・子の次にやるべき行動(ごはんとかお風呂とか)を夫が先んじて口に出し、そのために必要な段取りを夫婦どっちがやるのかを夫が決める
挙げるとキリがないですが、全てに共通しているのは、
①妻が家の中を整えるために永遠とアンテナをはらなくていいように範囲や上限を設定する
というポイントです。
これで妻が子の生命維持装置として自ら疲弊していくことを防ぐ事が出来ると思います。
それによって、夫と夫婦関係にある「妻」の部分が表出する時間がだんだん延びていくと思います。
「妻」である時間を見極めて、出産前に夫婦2人で行った旅行の話や子が巣立ったら2人でやりたいことの話を折に触れて話してはいかがでしょうか。
だんだんと妻も自発的に「妻」である時間を大切にするようになるはずです。なぜならそっちのほうが自分が生き生きしていることがわかるはずだからです。
長々と書き連ねましたが、じゃあお前はどうやってんだ、という話ですよね。
私は自分が子の生命維持装置として疲弊していることを自覚できたので、1週間の家事を時間割のようにリスト化して印刷し、逐一そのリストをみてチェックしながら動くようにし始めました。
うまく行かないときもありますが、精神的な負担はだいぶ減ったと思います。
それまでは一つの家事をやってる間に次やるべき家事に気づいて…というのを永遠と繰り返してましたから。
また、家のことに対して私だけが主体的に動いているような感覚があり、夫に対していつもうっすらと「無能」と思ってしまっていました。
余裕のない我が社には、自ら考えて動く社員しかいらないのに、実際にいるのは暇ができたらソファでくつろぐ指示待ち人間。私がしっかりしなきゃ!
と自分で首をしめてました。
夫にやってほしいのは、家のことや子のことを主体的に考えて動くこと。
それは家事を全部巻き取ってほしい、という願いではなくて、家のことについて私だけが考えているこの状況を終わらせてくれ!という願いなんです。
一緒に管理職になってくれ!と思ってるんです。
そう言えばいいじゃん、と思われるかもしれませんが、そうやって指示しないといけない時点でやっぱりただの新入社員なんですよ。
指示待ち人間に、指示されなくても私の仕事を私より先にやれ!といっても絶対に無理だと思って絶望してました。
今はそういう思いはそもそも過剰すぎることに気づいたので自発的に肩の力を抜き、夫と夫婦の時間を持てるようにしています。
月初は子を預けて、近所のカフェで1時間程度の夫婦会議をやるようになりました。
そこでその月の家の予定とそのために必要な段取りをすべて確認して共有するようにしています。
また、一日のはじまりと終わりにハグをして互いを労ることも始めました。
気恥ずかしくはありますが。
朝のハグは絶対にそこからセックスには繋がらないので、最初も抵抗感なくはじめられました。生命維持装置であっても労られたくはありましたから。
自分の整理のためにも書こうと隙間時間でチマチマ入力思ったら気づいたらこんな長文になってしまいました。
元増田さんの何かの参考になれば良いのですが。
Permalink |記事への反応(37) | 05:45
最近DHAを摂ろうと思って、いろいろとサプリを探してたんだけど、
おすすめの5選!厳選10選!などの記事を読めば読むほど迷子になっていく。
「●●は高濃度!」「△△はコスパ最強!」「××は赤ちゃんにもOK!」
みんな違ってみんないいじゃん。知らんがな。
(ありがたいけど情報量多すぎて逆に混乱してきた)
ガシマン→キモいババアが爪を立ててガシガシ手コキしてイケメンがヨガる
ごっくん→キモいババアの経血をイケメンが「おいひい…♡」って言ってごっくんする
パイズリ→キモいババアがイケメンの胸筋にまんこを擦り付けて、なぜか男の方も感じてる
チンカス→キモいババアの洗ってないマンカス塗れのまんこをイケメンが「くっさぁ♡」って大喜びで舐める
チンコ包囲網→キモいババアたちのまんこにイケメンが囲まれて喜んでクンニしまくる
うちの子供の場合、腰が据わってベビーカーに乗れるようになる6ヶ月ぐらいになるまでほとんど外に出てなかったな。
外出するとなると自分が抱っこしてるときだけで、休みの日の夕方にちょっと出かける程度だった。
当時一番気にしてたのは授乳で、飲ませてから最大3時間、外出先でお湯が使えると哺乳瓶とキューブを持ち歩いて最大6時間みたいな計算だった。
当時の自分たちの生活を考えると、日暮れから買い物に出かけて3-4時間って感じだったと思う。
児童館の登録をしたのが立って歩けるようになってからだったと思うので、1歳くらいまでは週末数時間の買い物以外はほとんど家だったんじゃないかな。
心配なら自治体の育児相談ダイヤルに電話をしてみたり、児童館などで聞いてみたりすればいいと思うけれど、うちのこの場合はその程度の外出で問題なかった。