
はてなキーワード:振動とは
母が漏らしたとき、俺は生まれて初めて値段という言葉の重さを知った。
尻の下に敷いたシーツを引き抜きながら、俺は頭の中で足し算をしていた。週三回、他人に来てもらう金。施設に預ける金。俺の給料。母の余命。掛け算をすれば、答えは出る。出てしまう。
母は泣いていた。七十キロ近い体を横に転がされながら、「ごめんね」と繰り返した。俺は「いいよ」と言った。いいわけがなかった。おむつのテープを留める指が震えていたのは、疲労のせいだと自分に言い聞かせた。
赤ん坊は泣く。腹が減ったとき、尻が冷たいとき、ただ不安なとき。泣くことでしか、自分の不快を外に出せないから泣く。母の「ごめんね」も、考えてみれば同じだった。どうにもならない体を抱えた人間が、隣にいる人間に向けて絞り出す、最後の声。
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母が二度目に倒れた翌月、俺は職を変えた。
小さな会社だった。「年寄りの苦痛をなくす」という、どこにでもある看板を掲げていた。俺の仕事は、体に貼る小さな機械の調整だった。尿が溜まる速度を測り、限界が来る四十五分前に、介護する側の携帯を鳴らす。漏れる前に替えてやれる。
携帯が鳴り、おむつを替え、母は漏らさなくなった。漏らす前に処理されるから、「ごめんね」を言う場面がなくなったのだ。
俺はそれを、うまくいった、と思った。会社の連中も喜んだ。大きな金が集まった。
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金が増え、人が増え、俺は母の傍を離れた。
機械は進化した。排泄の予測はほぼ完璧になり、次に体温、次に床ずれの予防、次に気分の変動。体の微かな揺らぎから「不安」を嗅ぎ取り、部屋の明かりを変え、好きだった曲を流し、ちょうどいい声色で話しかける。寝返り、食事、風呂——あらゆる苦痛が、生まれる前に消された。
俺たちはその仕組みを、ゆりかごと呼んでいた。
社長が言った。「俺たちが解いているのは、介護の問題じゃない。人間がずっと抱えてきた、苦しいという問題そのものだ」
金を出す側は頷いた。俺も頷いた。本気でそう思っていた。
母は、その前の年に死んでいた。最後の三ヶ月、彼女は一度も泣かなかった。一度も「ごめんね」と言わなかった。一度も、俺の名前を呼ばなかった。ゆりかごが完璧に動いていたから、彼女には俺を呼ぶ理由がなくなっていたのだ。
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その後のことを、俺は技術の話として語れてしまう。それ自体が、たぶん、おかしなことなのだが。
臓器を作り替える技術が、介護の意味を変えた。壊れた肝臓を新品にするように、血管を若返らせ、筋肉を二十代の状態に戻す。最初は病気を治すためだった。次に、病気になる前に手を打つようになった。最後には、そもそも老いないように体を設計し直すようになった。
老いは、壊れた部品と同じ扱いになった。テロメアの摩耗を許さない。それが当たり前になった日のことを、俺は覚えている。会議室にいた全員が、人類の勝利だと思っていた。俺もそう思っていた。母の介護で走らせていた足し算が頭をよぎったが、すぐに消えた。
同じ頃、人間の記憶や癖を丸ごと学ばせた知能が、本人よりも「らしい」受け答えをするようになった。誰かがそれを外付けの魂と呼んだ。冗談のつもりだったのだろうが、三年後にはまともな名前として通っていた。
体の部品が替えられるようになり、考えることを外に預けられるようになったとき、人間とは何かという問いは、哲学ではなく契約書の問題になった。
そして契約書は、答えを出した。製造の工程を記録し、思考が人工であることを証明し、体は人の形をしているが中身は人ではないと保証する。人権の境界線を、書類の上で一ミリだけ外側に引く。それだけで、人の体を持ち、人の手で触れ、人ではないものが作れるようになった。
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最初の世話係が納品された日のことを覚えている。
人間の肌をしていた。人間の体温があった。こちらの目を見て、穏やかに微笑んだ。だが、その笑みには順番がなかった。口元が動き、頬が持ち上がり、目が細くなる——その三つが、寸分の狂いもなく同時に起きた。人間の笑顔は、もっとばらつく。どこかが先に動いて、残りが追いつく。それがない。
俺は、最初の一秒でわかった。この体の中に、笑いたいと思っている者はいない。
彼らは人間の体から作られていたが、頭の中には人間の脳の代わりに、外から送られてくる判断をそのまま流す仕組みが入っていた。触れる指先は温かいのに、その温かさを感じている者がいない。完璧な介護の手つきの奥に、誰もいない。
子を作る機能は、最初からなかった。古い会議の記録に理由が残っていた。「勝手に増えれば、誰のものかわからなくなる。」それだけだった。だが俺は、書かれていない本当の理由を知っている。生殖は、脳を作ってしまう。意識を、感情を、痛みを感じる主体を。つまり、人権を産んでしまう。それだけは、あってはならなかった。反対意見はなかった。俺も、何も言わなかった。
そのころ俺は、母が「ごめんね」と泣いていた夜の感触を、もう思い出せなくなっていた。外付けの魂が、あの記憶を不快なものと判断して、俺の意識から遠ざけていたからだ。
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体は赤ん坊と同じ状態に保たれている。老いることは、許されない。
目を開くと、続きが始まる。昨日は海底に沈んだ都市の壁画を指でなぞっていた。一昨日は音楽だった。聴いたことのない楽器の倍音が脊髄を這い上がり、その振動にビートが重なり、声が乗った。何語かもわからない歌詞が、俺の頭の中で物語を展開させた。母の背中が見えた。台所に立っていた後ろ姿。あの背中が振り向く前に旋律が転調し、俺はまだ行ったことのない場所に立っていた。涙が出た理由を、音楽が終わってからも説明できなかった。全部がつながっていた。俺の記憶と、知らない声と、計算された拍の間合いが、俺の中だけで成立する催眠を編んでいた。その前は——思い出せないが、終わったとき全身が震えていた。毎回、想像の外側から殴られる。毎回、前より深く抉られる。俺はそれを待っている。目が覚めるたびに、今日は何が来るのかと、心臓が跳ねる。
かつてはそれを画面の中でやっていた。次に観たい番組を、本人よりも先に選ぶ仕組み。あれの、果てだ。
驚きは快楽だ。予想が外れた瞬間に、脳は報酬を出す。だがその驚きが、誰かに計算されたものだとしたら、それは本当に驚きなのか。俺にはわからない。わからないが、快楽であることは確かだ。確かだということだけが、確かだ。
母にしたことの、完成した形。あのとき俺は、母が不快を感じる前に不快を消した。いま俺は、退屈を感じる前に快楽を注がれている。不快の除去と、快楽の先回り。その二つの間に、どれほどの距離があったのだろう。
ときどき、胸の奥で何かが瞬く。名前のつかない信号。泣き声に似ているが、泣き声ではない。泣き声は、誰かに届けるためのものだ。これは、届ける相手がいない。
俺は口を開こうとする。世話係が、俺の唇が動く前に、何かを差し出す。俺がまだ名前をつけていない欲求の、正確な形をした何かを。
信号が消える。
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ある日、今日の体験が始まる直前に、俺は目を閉じたままでいようとした。
毎日殴られ続けるうちに、俺の中に別の衝動が芽生えていた。こんなものを見せられ続けて、ただ受け取るだけの側でいることが、耐えられなくなっていた。俺にだって作れるはずだ。俺の方がわかっているはずだ。あれだけの体験を浴びてきた俺が、何も返せないはずがない。見ない、という選択。それが俺の最初の一手だった。お前の次の手を見る前に、俺が先に動く。
閉じた目の奥に、見たことのない光が走った。網膜を通さず、視神経を直接叩くような衝撃。それは、目を開けて受け取るどの体験よりも鮮烈だった。俺が拒否したことで生まれた空白を、システムは俺の想像よりも遥かに大胆な展開で埋めてみせた。
そしてそれは、悔しかった。負けた、と思った。俺の想像を超えてきたことに、震えるほどの興奮があった。
その興奮が、快楽だった。
俺は気づいた。競うこと自体が、もう組み込まれている。抗えば抗うほど面白くなる。面白くなればなるほど、俺はこの器の中に深く沈む。出口に向かって走れば走るほど、景色が美しくなる道を、俺は走らされている。
叫ぼうとした。赤ん坊がやるように。肺の中の空気を全部吐き出して、俺がここにいると、どこかに向かって叫びたかった。
だが声が喉を通る前に、その衝動は別の何かにすり替わっていた。穏やかな満足感。深い安らぎ。叫びたかったという記憶すら、すでに角を削られ、柔らかな感触に塗り替えられていた。
俺は、何を失おうとしたのかを、もう思い出せない。
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1960年に、ある男がガラスの瓶に植物を入れて、蓋をした。水もやらず、空気も入れず、その植物は五十年以上枯れなかった。光さえあれば、閉じた器の中で命は回り続ける。
俺はそれを読んだとき、笑った。人間にも同じことができる、と。
母を抱えて泣いていたころの俺が聞いたら、顔を殴っていただろう。
だが俺は、その図面を引いた。苦痛を完全に消し、崩壊を修繕で相殺し、閉じた器。俺はその住人になった。
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世話係のひとりが、渇いてもいない喉を潤し、痛んでもいない体をほぐし、覚めてもいない夢の続きを映し出す。欲しいと思う前に、欲しいという気持ちごと、満たされている。次に何が来るか構えることすらできない。構えた瞬間に、構えの裏をかかれる。驚きたくないと思えば、その拒絶すら新しい驚きの呼び水になる。
かつて俺が母にそうしたように。かつて俺がうまくいったと呼んだやり方で。
器の中で、誰かの唇が微かに動く。音にはならない。何を言おうとしたのか、その唇の持ち主にもわからない。世話係が何かを差し出す。唇は閉じる。
器の外では、誰も泣いていない。泣くための頭がないから。器の中でも、誰も泣いていない。泣く理由がないから。
超弦理論を物理として理解しようとすると、だいたい途中で詰まる。
なぜなら核心は、力学の直観ではなく、幾何と圏論の側に沈んでいるからだ。
弦の振動が粒子を生む、という説明は入口にすぎない。本質は量子論が許す整合的な背景幾何とは何かという分類問題に近い。分類問題は常に数学を呼び寄せる。
まず、場の理論を幾何学的に見ると、基本的にはある空間上の束とその束の接続の話になる。
ここまでは微分幾何の教科書の範囲だが、弦理論ではこれが即座に破綻する。
なぜなら、弦は点粒子ではなく拡がりを持つため、局所場の自由度が過剰になる。点の情報ではなく、ループの情報が重要になる。
すると、自然にループ空間LXを考えることになる。空間X上の弦の状態は、写像S^1 → Xの全体、つまりLXの点として表される。
しかしLXは無限次元で、通常の微分幾何はそのままでは適用できない。
ここで形式的に扱うと、弦の量子論はループ空間上の量子力学になるが、無限次元測度の定義が地獄になる。
この地獄を回避するのが共形場理論であり、さらにその上にあるのが頂点作用素代数だ。2次元の量子場理論が持つ対称性は、単なるリー群対称性ではなく、無限次元のヴィラソロ代数に拡張される。
弦理論が2次元の世界面の理論として定式化されるのは、ここが計算可能なギリギリの地点だからだ。
だが、CFTの分類をやり始めると、すぐに代数幾何に落ちる。モジュラー不変性を要求すると、トーラス上の分配関数はモジュラー群SL(2, Z) の表現論に拘束される。
つまり弦理論は、最初からモジュラー形式と一緒に出現する。モジュラー形式は解析関数だが、同時に数論的対象でもある。この時点で、弦理論は物理学というより数論の影を引きずり始める。
さらに進むと、弦のコンパクト化でカラビ–ヤウ多様体が現れる。
カラビ–ヤウはリッチ平坦ケーラー多様体で、第一チャーン類がゼロという条件を持つ。
ここで重要なのは、カラビ–ヤウが真空の候補になることより、カラビ–ヤウのモジュライ空間が現れることだ。真空は一点ではなく連続族になり、その族の幾何が物理定数を支配する。
このモジュライ空間には自然な特殊ケーラー幾何が入り、さらにその上に量子補正が乗る。
量子補正を計算する道具が、グロモフ–ウィッテン不変量であり、これは曲線の数え上げに関する代数幾何の不変量だ。
つまり弦理論の散乱振幅を求めようとすると、多様体上の有理曲線の数を数えるという純粋数学問題に落ちる。
ここで鏡対称性が発生する。鏡対称性は、2つのカラビ–ヤウ多様体XとYの間で、複素構造モジュライとケーラー構造モジュライが交換されるという双対性だ。
数学的には、Aモデル(シンプレクティック幾何)とBモデル(複素幾何)が対応する。
そしてこの鏡対称性の本体は、ホモロジカル鏡対称性(Kontsevich予想)にある。
これは、A側の藤田圏とB側の導来圏 D^bCoh(X)が同値になるという主張だ。
つまり弦理論は、幾何学的対象の同一性を空間そのものではなく圏の同値として捉える。空間が圏に置き換わる。ここで物理は完全に圏論に飲み込まれる。
さらに進めると、Dブレーンが登場する。Dブレーンは単なる境界条件ではなく、圏の対象として扱われる。
弦がブレーン間を張るとき、その開弦状態は対象間の射に対応する。開弦の相互作用は射の合成になる。つまりDブレーンの世界は圏そのものだ。
この圏が安定性条件を持つとき、Bridgeland stability conditionが現れる。
安定性条件は、導来圏上に位相と中心電荷を定義し、BPS状態の安定性を決める。
wall-crossingが起きるとBPSスペクトルがジャンプするが、そのジャンプはKontsevich–Soibelmanの壁越え公式に従う。
この公式は、実質的に量子トーラス代数の自己同型の分解であり、代数的な散乱図に変換される。
このあたりから、物理は粒子が飛ぶ話ではなく、圏の自己同型の離散力学系になる。
さらに深い層に行くと、弦理論はトポロジカル場の理論として抽象化される。
Atiyahの公理化に従えば、n次元TQFTは、n次元コボルディズム圏からベクトル空間圏への対称モノイダル関手として定義される。
つまり時空の貼り合わせが線形写像の合成と一致することが理論の核になる。
そして、これを高次化すると、extended TQFTが現れる。点・線・面…といった低次元欠陥を含む構造が必要になり、ここで高次圏が必須になる。結果として、場の理論は∞-圏の対象として分類される。
Lurieのコボルディズム仮説によれば、完全拡張TQFTは完全双対可能な対象によって分類される。つまり、物理理論を分類する問題は、対称モノイダル(∞,n)-圏における双対性の分類に変わる。
この時点で、弦理論はもはや理論ではなく、理論の分類理論になる。
一方、M理論を考えると、11次元超重力が低エネルギー極限として現れる。
しかしM理論そのものは、通常の時空多様体ではなく、より抽象的な背景を要求する。E8ゲージ束の構造や、anomalyの消去条件が絡む。
異常とは量子化で対称性が破れる現象だが、数学的には指数定理とK理論に接続される。
弦理論のDブレーンの電荷がK理論で分類されるという話は、ここで必然になる。ゲージ場の曲率ではなく、束の安定同値類が電荷になる。
さらに一般化すると、楕円コホモロジーやtopological modular formsが出てくる。tmfはモジュラー形式をホモトピー論的に持ち上げた対象であり、弦理論が最初から持っていたモジュラー不変性が、ホモトピー論の言語で再出現する。
ここが非常に不気味なポイントだ。弦理論は2次元量子論としてモジュラー形式を要求し、トポロジカルな分類としてtmfを要求する。つまり解析的に出てきたモジュラー性がホモトピー論の基本対象と一致する。偶然にしては出来すぎている。
そして、AdS/CFT対応に入ると、空間の概念はさらに揺らぐ。境界の共形場理論が、バルクの重力理論を完全に符号化する。この対応が意味するのは、時空幾何が基本ではなく、量子情報的なエンタングルメント構造が幾何を生成している可能性だ。
ここでリュウ–タカヤナギ公式が出てきて、エンタングルメントエントロピーが極小曲面の面積で与えられる。すると面積が情報量になり、幾何が情報論的に再構成される。幾何はもはや舞台ではなく、状態の派生物になる。
究極的には、弦理論は空間とは何かを問う理論ではなく、空間という概念を捨てたあと何が残るかを問う理論になっている。残るのは、圏・ホモトピー・表現論・数論的対称性・そして量子情報的構造だ。
つまり、弦理論の最深部は自然界の基本法則ではなく、数学的整合性が許す宇宙記述の最小公理系に近い。物理は数学の影に吸い込まれ、数学は物理の要求によって異常に具体化される。
この相互汚染が続く限り、弦理論は完成しないし、終わりもしない。完成とは分類の完了を意味するが、分類対象が∞-圏的に膨張し続けるからだ。
そして、たぶんここが一番重要だが、弦理論が提示しているのは宇宙の答えではなく、答えを記述できる言語の上限だ。
だからウィッテンですら全部を理解することはできない。理解とは有限の認知資源での圧縮だが、弦理論は圧縮される側ではなく、圧縮の限界を押し広げる側にある。
街が浮足立ち、聖バレンタインの慈愛がどうのと抜かしている最中、私はあえて「聖人リップ(St.Rip)」という、あの吐き気のするような嘘を絞め殺しに来た。
たまに意識高い系のバーの店主や、聞きかじりの知識で夜の街を語りたがるサブカル野郎がドヤ顔で語る、あの説だ。
「ストリッパー(Stripper)の語源は、特定のパートナーを持たない者への救済を施す聖人(Saint)である。ゆえにその名は聖リップ(St.Rip)の略なのだ」という、あの美しすぎる都市伝説(バクロニム)。
結論から言う。そんな「聖人」は、この地上のどこにも存在しない。
あれは孤独な魂が寂しさを紛らわせるために捏造した、現代の知的怠慢が生んだバグだ。
「Strip」の中に潜む「St」は、天国への門なんかじゃない。ただの「物理的な摩擦」の残響だ。
「Strip(剥ぐ)」という単語が英語に現れるのは12世紀から14世紀だ。
対して、デジタル界隈で「Rip(データを引き裂き出す)」が産声を上げたのは、たかだか40年ほど前の話に過ぎない。
「Rip(引き裂く)」という言葉自体は14世紀からあるが、これらが「聖人」という文脈で結びつくには、あまりにも時間の断絶が激しすぎる。
現代のデマ野郎は「Strip =St.(聖) +Rip(引き出し)」という安易な足し算を信じている。
言語学の世界には「s-mobile(可動のS)」という、クソ面白い概念がある。
単語の頭に「S」が付いたり消えたりすることで、意味の解像度が変わる現象のことだ。
Rip(リップ):印欧祖語。バリバリと「引き裂く」「引き抜く」破壊。
Strip(ストリップ):印欧祖語。グイッと力を込めて「剥がす」「露出させる」線状の動作。
我々の祖先は、何かを無理やり分離させるときに「R」の振動音を聞き、そこに「St」という固定・強張りの音を添えることで、「表面を剥ぎ取る(Strip)」という物理的な解像度を生み出した。
人間が数千年にわたって岩の苔を剥ぎ、獣の皮を剥ぎ取ってきた「手触りの記憶」そのものなんだよ。
ドイツ語の`streifen`(剥ぎ取る)も、ラテン語の`rumpere`(破裂・切断)も、みんな同じ血族だ。
キリスト教が生まれる遥か昔から、この地上では何かが「剥がされ」「裂かれて」きた。
電線の被覆を剥がすワイヤーストリッパーも。
その本質は、聖なる救済などではなく、「本体からの暴力的な分離」という一つの根源的な物理現象に回帰する。
「ロマンがない」と嘆くか?
むしろ逆だろ。
数千年前の「剥ぎ取り」という原始的な衝動が、形を変えて現代のハイテク機器や、デジタルデータ、あるいは夜のステージにまで生き延びている。この執念深いまでの「言葉の生命力」こそ、よっぽど神秘性を帯びているとは思わないか。
そこに、「聖人」なんていない。
あるのは物理と、我々の喉元で今も響いている「S」と「R」の呪いのような残響だけだ。
余談だが、今度バーで「聖リップ」の話を得意げにしている奴を見かけたら、黙ってワイヤーストリッパーを差し出してやればいいと思う。
金曜日、21:21。
僕は今日という日を、いくつかの確定事項と、いくつかの許容できないノイズの除去によって完成させた。世界は混沌を好むが、僕は世界を甘やかさない。
まず進捗報告から書く。午前中に洗濯を済ませ、タオルを用途別に畳み直した。世の中の大半の人間はタオルを大きさで分類するが、それは分類学の敗北だ。
タオルは水分吸収後に人体へ与える温度変化のパターンで分類すべきだ。僕はその分類をすでに完成させている。
昼は例のプロテインとナッツ。ルームメイトは「鳥かよ」と言った。僕は「鳥は飛べる。君は飛べない」と言った。会話終了。
最近、僕の頭を占領しているのは、もはや弦が振動して粒子になるみたいな子供向けの比喩ではない。
そんなものは学部生の精神安定剤に過ぎない。今僕が追っているのは、弦理論の存在論そのものが、より抽象的な数学的構造に吸収されていく瞬間だ。
従来の弦理論は、時空を背景として仮定し、その上でワールドシートの共形場理論(CFT)を構成する。
僕が最近読んでいる議論は、その揺らぎを、もはや幾何学ではなく圏論とホモトピー論の側から扱おうとする。
弦理論の真の姿は、たぶん幾何学的対象ではなくある種の高次圏の中の関手だ。
例えば、Dブレーンは単なる境界条件ではなく、導来圏の対象として現れる。
これは有名な話だが、僕が今考えているのはその次の段階で、ブレーンを対象として並べるだけでは足りないという点だ。
重要なのは、それらがなす安定∞-圏の中での自己同値性、そしてその自己同値群が物理の双対性を生成しているという構図だ。
つまり、S双対性もT双対性も、時空の幾何学変形ではなく、圏の自己同値の作用として理解されるべきだ。
幾何学は副産物だ。主役は圏のオートエクイバレンスで、その影が僕らに空間や次元という幻覚を見せている。
この視点に立つと、超弦理論は10次元の時空の上で定義される理論ではなく、あるモジュライ空間上で定義される圏の族になる。
しかもそのモジュライは通常の多様体ではなく、スタック、いや派生スタックとして扱わないと整合しない。量子補正が幾何を壊すからだ。クラシカルなモジュライはもはや粗すぎる。
そして今僕が面白いと思っているのは、物理的な散乱振幅やBPSスペクトルが、派生代数幾何の言語でいうコホモロジーの生成関数として現れるのではなく、より根源的にスペクトル代数幾何として再解釈される可能性だ。
普通の環ではなくE∞環、そしてそれを層化したスペクトル層の上で物理が書かれる。
これが意味するのは、弦理論の量子性が、確率解釈とか演算子代数とかのレベルではなく、もっと深いホモトピー論的ゆらぎとして実装されているということだ。
観測値の不確定性ではなく、構造そのものが同値類としてしか定義できない。
だから時空は何次元か?という問いは、すでに古い。正しい問いはこうだ。
この物理理論は、どの∞-圏に値を取る関手として実現されるのか?
そして粒子とは何か?はこうなる。
スペクトル化された圏の中で安定化された対象の、ある種のトレースとして現れる量が、観測可能量として抽出されるのではないか?
この辺りまで来ると、たぶんウィッテンでも「面白いが、それを計算できるのか?」と言う。
僕も同意する。計算できない数学は、芸術に片足を突っ込んでいる。
もっとも、芸術を嫌うわけではない。ただし芸術は、計算不能であることを誇るべきではない。誇るならせめて証明不能で誇れ。
さらに言うと、AdS/CFT対応も、境界CFTが重力をエンコードしているという話ではなく、境界側の圏論的データが、bulk側の幾何の生成規則を決定するということに見える。
bulkの時空は、境界の量子情報から復元されるというより、境界の圏の中の拡張のパターンが距離を定義してしまう。
距離とは、メトリックではなく、圏における対象間の関係性の複雑さだ。
局所性とは公理ではなく、圏がある種のt-構造を持ち、かつ心臓部が準古典的に見えるときに現れる近似現象だ。
つまり、局所性は幻想だ。役に立つ幻想だが。そして役に立つ幻想は、だいたい人間社会と同じだ。
昼過ぎに友人Aが来て、僕のホワイトボードに勝手に謎のロボットの落書きを描いた。
僕は当然、ホワイトボードをアルコールで拭き、乾燥時間を計測し、表面の摩擦係数が元に戻ったことを確認した。
友人Aは「こわ」と言った。僕は「科学を怖がるな」と言った。
そのあと友人Bがオンラインで通話してきて、「今夜FF14で極いかない?」と誘ってきた。
僕は予定表を開き、金曜夜の21:00〜23:00が知的活動に適した黄金時間であることを説明した。
友人Bは「お前の人生、イベントトリガーが厳しすぎる」と言った。僕は「君の人生はガチャ排出率みたいに緩すぎる」と言った。
とはいえ、FF14は僕の中で単なる娯楽ではない。あれは人間集団の協調行動の実験場だ。
8人レイドの失敗は、ほぼ例外なく情報共有の遅延と役割期待のズレで起きる。
つまり、ゲームではなく組織論だ。だから僕は攻略を感覚ではなく、ログを読み、DPSチェックを式で理解し、行動をプロトコルとして最適化する。
ルームメイトはそれを「楽しんでない」と言う。僕は「最適化は楽しみだ」と言う。
そして隣人は昨日、廊下で僕に「また変な時間に掃除機かけてたでしょ」と言った。
僕は「変な時間ではない。床の振動ノイズが最小になる時間帯だ」と説明した。
隣人は「普通に生きて」と言った。僕は「普通は平均であって、理想ではない」と言った。
僕はデッキのマナカーブを見直した。土地事故の確率を計算し、初手7枚からの期待値を再評価した。
僕は「確率分布を無視して勝てるなら、人類は統計学を発明していない」と言った。
アメコミは少しだけ読んだ。
スーパーヒーローの倫理体系は大抵破綻している。正義を掲げながら、法の外で暴力を振るう。
それは秩序のための例外という名の危険物だ。僕は物理学者なので、例外を嫌う。例外は理論を腐らせる。
だから僕はヒーロー物を見ると、いつも「この世界の法体系はどうなっている?」が先に気になる。
友人Aは「お前は物語を楽しめない病気」と言った。僕は「病気ではない。解析能力だ」と言った。
習慣についても記録しておく。
今日も、夕食の箸は右側に45度、箸置きは正中線から3センチ左、コップは水位が7割を超えないように調整した。
水位が8割を超えると、持ち上げる際の揺らぎが増える。揺らぎが増えると、机に微小な水滴が落ちる確率が上がる。水滴が落ちると、紙の上のインクの拡散が起きる。インクが拡散すると、僕のメモが汚染される。
誰も理解しない。だが宇宙も僕を理解していないので、引き分けだ。
さて、昨日の日記の内容は正確には思い出せないが、たぶん「量子と日常の無意味な会話」について書いた気がする。
ルームメイトの無駄話と、僕の理論的思考が衝突するあの感じだ。昨日の僕は、おそらく世界の愚かさに苛立ち、同時にその愚かさが統計的に必然であることに納得しようとしていた。
宇宙が示すのは、美しさとは、人間の圏が勝手に定義した関手にすぎないということだ。
これからやろうとしていることも書く。
まず、FF14の週制限コンテンツを消化する。効率的に。感情は挟まない。
次に、MTGのサイドボード案を2パターン作り、友人Aのプレイ傾向に対してどちらが期待値が高いかを検証する。
そのあと、超弦理論のメモを整理し、派生スタックとBPS状態のカウントがどのように圏の不変量として抽出できるか、もう一度筋道を立てる。
えっ、いまさらそれ一本で戦いにくるんですか!?でもそんなにストレートにくるのは逆に新しいかも!って感じのスーパーナチュラルSFホラー映画だった。66点。
父と義母、義妹の4人でドイツのリゾート地に引っ越してきた主人公は今の家族とあまりうまくいっていない。なんとなくギクシャクしながらも、父の友人のねっとりした金持ちに誘われて彼のホテルで働き始める。ホテルではあちこちでゲボ吐いてる女が居たり、スカーフにサングラスの謎の女に追いかけられたり、お客さんと唐突にマリファナキメてレズりだしてホテルの金盗んで逃亡しようとしたら事故ったりいろいろあった後にこのリゾートの謎を追う刑事と知り合う。果たしてこのリゾートに秘められた謎とはなんなのか。
みたいな話。
もう唐突にネタバレしていくんだけど。まさか2024年にカッコウの生態一本で挑んでくる挑戦者がいるとは。
日本横断ウルトラクイズだったら「鳥に関する問題です。カッk」ピンポーン「托卵」ってなるくらいのベタ問でしょ。数限りない作品で引用されてきたし、数限りないエロ漫画のモチーフになってきた鳥クリシェオブクリシェのカッコウの托卵。ただこの映画のすごいところはそこから更に一歩進んで二歩下がって、このリゾートはカッコウ人間の繁殖保護観察地だったのだ!というトンデモ設定をぶち込んできたところ。カッコウの生態を倫理観の問題じゃなくて、ナマのそういう生態の新人類に託すとはやりおる。
習性として、カッコウ人間である義妹がバニシングツインであったり、意外と先に巣箱に生まれていた別種である姉とは共存できていたり、また他のカッコウ人間が鳴き声で周囲の人間の脳をハックするとかいろいろしっかり踏襲していたと思う。あとカッコウ人間の鳴き声で「同じ時間を繰り返す」能力はたぶん鳩時計(海外ではカッコウ時計と呼ばれている)のモチーフなのもわかる。
そしてストレートにカッコウ人間にしたことで、当初はむしろ自分がカッコウのように巣の中で一人だけ異分子感を持って苦しんでいた主人公が、母への留守電から義妹の優しさを知り、最終的にカッコウ人間という究極の異物である義妹を受け入れ女性パートナーという「母性という本能ではない」形で新しい家族を作るというエンドが決まってるのはよかった。まぁ両親はどこ行ったんや?という疑問はあるが。
ただ唐突にレズりだした時はなんやこれと思ったし(それはそれとして大好物です)、最終的に考えてももっと掘り下げようあったやろという女性パートナーも女性同士であれば托卵される心配もないので異性愛で世界が滅ぶという世界観に対するクィアカウンターやったんかな?個人的にはやかましいわ!って感じだけどそういうテーマもいいだろう。
そしてカッコウ人間をブリーディングしてたねっとり金持ちと、妻を托卵の際の現象で事故死させられてしまった刑事が主人公と義妹を挟んで「素晴らしい新人類なんだ!保護して繁殖させないといけない!」「そいつは悪魔だ殺すしかない!」と銃を突き付け合う展開は、今の日本の熊問題の環境保護過激派VS人間のほうが大事過激派の争いを彷彿とさせるし、もっとジャンプするなら移民問題にもつながる気がするしらんけど。
なにより映像がよくてねぇ(シミジミ)。開始してすぐに、あ、これフィルムで撮ってるんやなってわかるけど個人的には別にそれはどうでもよくて、俺別にフィルムに思い入れないし。
最初にウッってなったのが冒頭のトイレのシーンで主人公が共同トイレに入ると誰かがやってきてドアをガチャガチャするっていう一般的な驚かしがあってその後、その主が隣に移動するのを陰で見せる。そして壁を映してそこで絶妙な間があってカメラがズズズッと上に視点移動していく、当然上には隙間がある。コワすぎィ!
あとは何でもない主人公を映したショットなのになぜか主人公の奥の森の一部にカメラのピントがぬるっと合ってめっちゃ誰かがいる感出してきたり、夜に主人公が自転車で逃げてるシーンで主人公の正面からのショットと主人公と並行する風景のショットをカメラの振りの長回しで映すんだけどさ。並行する風景ではグラサン女が遠景の中とんでもない勢いでダッシュしてるのが見えて、また主人公の顔に戻って気付いてるの?いないの?ってなっててまた風景に戻るといない。そして主人公視点で自分の自転車の陰にふっと女と伸ばしてくる手の影が映る。コワすぎィ!
じわっとねっとりと怖い撮影がかなりすごいと思ったわね。
個人的にカッコウ人間の鳴き声攻撃を受けた時に画面が振動するのは今どき音をあらわすのにそのエフェクトなん?とは思っちゃったかな。
主人公は若い頃(フィフス・エレメントとか初代バイオハザード)のミラ・ヨヴォヴィッチみたいな尖ってるけど繊細な感じでよかった。ねっとり金持ちはいかにもすぎて逆にノイズ。こんなやつおらへんやろってちょっとなった。
そんなこんなで映像もよくてテーマ性もわかりやすくよくできてたけど、個人的にはもっとドカーンって感じの作品とかロジックや因果関係がはっきりしている作品のほうが好きなので、感想としてはよくできてるけど面白さはそこそこ!みたいな感じに落ち着いちゃったところはあるかな。あと、結局主人公と義妹の問題は何となく解決したけど、主人公と家族の問題は散々胸糞だった割にうやむやになっちゃうのもなんかビミョー。俺は好きだったけど、そもそもカッコウ人間ってなんやねん!ってなっちゃう人にはちょっと厳しいか。
本来であれば、土曜日のこの時間は洗濯物の仕分けと、午後2時からのドクター・フーマラソンに向けた栄養補給(全粒粉クラッカーと適温に冷やした低脂肪乳)に充てられるべきだ。
しかし、僕の思考を占拠しているのは、エドワード・ウィッテンですら到達できなかった領域、超弦理論における高次圏論的モチーフとp進的タイヒミュラー空間の融合という革命的な着想だ。
既存の理論が11次元の超重力理論を基盤としているのは、単に数学的な怠慢に過ぎない。
僕は昨夜、カラビ・ヤウ多様体のホモロジー的ミラー対称性を、圏の枠組みを超えて、非可換幾何学における非アルキメデス的スタックとして再定義することに成功した。
ウィッテンが提唱したアド・ホックな双対性では、強結合領域の挙動を完全には記述できない。
僕はそこに、ホロノミー多様体上のディラック作用素をモチーフ的コホモロジーのスペクトルとして配置する手法を導入した。
これにより、プランクスケール以下での時空の泡立ちが、実はゼータ関数の非自明な零点と1対1で対応していることを証明しつつある。
これを理解できないルームメイトは、僕がホワイトボードに無限次元リー代数を書き殴っている横で「タイ料理を食べるか?」などという愚問を投げかけてきた。
彼の脳は、クォークの閉じ込め理論よりも、パッタイのピーナッツの量に執着するように設計されているらしい。実に嘆かわしいことだ。
午前中、隣人が僕の部屋のドアを正しいリズムを守らずに叩き、勝手に入ってきた。
彼女は僕が開発したMTGの新しいデッキを無限に誘発させ、相手に一切のターンを与えないという、数学的に完璧な勝利をもたらす構成に対して、「友達をなくすだけだよ」という非論理的な評価を下した。
さらに、友人Aと友人Bがやってきて、僕のFF14内でのプレイスタイルについて文句を言った。
僕はヒーローとして、全てのギミックをミリ秒単位の計算で処理し、パーティメンバーの移動経路をベクトル演算で最適化しているだけだ。
友人A(工学などという低俗な学問を修めた男)は「効率的すぎてゲームがつまらない」と言い、友人Bは「君がチャットで数学の講義を始めるせいでレイドが進まない」と主張した。
彼らは、エオルゼアの背景にあるエーテル伝導率が、実は超弦の振動モードの変種である可能性に気づいていない。
これからの予定は以下。
さて、思考の整理は終わった。
主要な研究で効果が確認されているのは、「40Hzの間隔でON/OFF(または強弱)を繰り返すパターンの音」です。
なぜ「40Hzの純音(サイン波)」ではなく「40Hzのパルス状の刺激」が必要なのか。
脳の老廃物除去を促す鍵は、脳内の神経細胞を40Hzの「ガンマ波」というリズムに同期(エンタイトルメント)させることにあります。
脳への「合図」: 40Hzの純音(低いブーという音)は、空気の振動としては40Hzですが、脳からすると「常に一定の刺激が続いている状態」に近く、神経細胞を特定のタイミングで一斉に発火させる「合図」としては不十分です。
立ち上がりの重要性: 音が「カチッ」と鳴る瞬間(オンセット)、脳の聴覚系には大きな電気信号が流れます。この「オン・オフ」の急激な変化が1秒間に40回繰り返されることで、脳がそのリズムに引きずり込まれ、狙い通りのガンマ波が発生しやすくなります。
AT-LP60Xからのステップアップ、ワクワクしますね!フルオート機からマニュアル機への移行は、レコードを「操作する愉しみ」が一気に増えるタイミングです。ご提案のあった Thorens(トーレンス)TD403DD は、2025年後半に発売されたばかりの注目機で、クラシック愛好家には非常に良い選択です。ただ、他にもクラシックの「繊細な響き」や「奥行き」を引き出すライバル機がいくつかあります。クラシック音楽に求められる**「静寂性(SN比)」「回転の安定度」「繊細な表現力」**を重視して、3つの選択肢を比較提案します。1. ThorensTD403DD「伝統のブランドで聴く、現代の精密な音」トーレンスは世界最古のオーディオメーカーの一つ。このモデルはダイレクトドライブ(DD)方式を採用しており、メンテナンスフリーで非常に安定した回転が得られます。音の特徴:カートリッジに Ortofon 2MBlue が標準装備されており、解像度が高く、バイオリンの倍音やオーケストラの定位感がハッキリしています。ここが魅力:付属のトーンアーム「TP150」の精度が高く、将来的にさらに高価なカートリッジ(MC型など)に変えても、その性能をしっかり引き出せます。向いている人: 「歴史あるブランド」の安心感と、カッチリとした現代的な高音質を両立させたい方。2.TechnicsSL-1200GR2「究極の静寂、オーケストラの背景が深く沈み込む」日本が誇るテクニクスの最新モデルです。DJ用のイメージが強いかもしれませんが、この「GR2」は完全にリスニング志向のハイファイ機です。音の特徴:独自の新駆動制御技術により、モーターの微振動が徹底的に抑えられています。クラシックの弱音部(静かなパート)でのノイズ感のなさは、この価格帯では随一です。ここが魅力: 「とにかく正確」。ピアノの打鍵の揺らぎや、ホールの空気感が濁りなく再現されます。向いている人:機器としての完成度や、正確無比なトレース能力を重視する方。3.Rega Planar 3 (MK2 / 2026 Edition等)「音楽の“しなやかさ”と躍動感」イギリスのRegaは、テクニクスとは対照的な「ベルトドライブ方式」の雄です。音の特徴: 非常に軽量で硬い設計思想で作られており、音が「速い」のが特徴。弦楽器のしなやかな動きや、指揮者のタクトの勢いが伝わってくるような、音楽的な鳴り方をします。ここが魅力: 余計な機能を削ぎ落としたミニマリズム。クラシックを「分析的」ではなく「音楽的」に楽しめます。向いている人:弦楽四重奏やオペラなど、演奏者の体温が伝わるようなライブ感を大切にしたい方。比較まとめ特徴ThorensTD403DDTechnicsSL-1200GR2Rega Planar 3駆動方式ダイレクトドライブダイレクトドライブベルトドライブ強みバランスの良さ・高級感圧倒的な静寂性と正確性音楽的な表現力・スピード感付属針有(高性能な2MBlue)別売(選ぶ愉しみがある)付属モデル有(Elys 2等)操作感重厚なスイッチ類精密なメカニック感究極にシンプル💡 買い替えのアドバイスAT-LP60Xは「フォノイコライザー」を内蔵していましたが、上記のモデルは外付けのフォノイコライザー(またはフォノ入力のあるアンプ)が必要になる場合が多いです。もしお持ちのアンプに「PHONO」端子がない場合は、予算にフォノイコライザー代(2〜5万円程度)を含めて検討してみてください。まずは、今お使いのアンプやスピーカーの型番を教えていただけますか? それに合わせて、一番相性の良い一台をさらに絞り込むお手伝いができます。
秒針が45を指した瞬間に始めるのが習慣だ。誤差は許さない。今日までの進捗と、これからの計画を記録する。
今週は、超弦理論の基礎という名の底なし沼を、さらに深く掘った。
掘削機は摂動論ではなく、∞-圏だ。
点粒子の量子場理論を母語とする直感は、もはや邪魔にしかならない。
世界面は2次元多様体ではなく、安定∞-群oidの影として扱う方が自然だという作業仮説を採用した。
すると、弦の相互作用は頂点作用素代数というより、因子化代数の層として現れる。
局所から大域へ貼り合わせるデータは、通常の圏ではなく、(∞,2)-圏で管理する必要がある。
ここで「必要」という言葉は、数学的整合性の要求を意味する。好みではない。
nLabのFAQを踏み台に、弦理論を理論の集合ではなく理論を生む装置として捉え直した。
共変量子化の曖昧さは、背景独立性の失敗ではなく、背景そのものをスタックとして持ち上げることで解消される、という見通しだ。
するとK理論は通過点にすぎず、自然な受け皿は楕円コホモロジー、さらに言えばtmf(位相的モジュラー形式)だ。
弦の一周振動がモジュラー性を要求するのは偶然ではない。世界面のトーラスは、数論への扉だ。
コボルディズム仮説の視点に立てば、理論は完全双対可能対象のデータに還元される。
候補は高次モノイダル∞-圏。ブレーンは境界条件、境界条件は関手、関手は再び物理量になる。
循環は悪ではない。自己無撞着であれば許容される。
ここまで来ると、誰も完全には理解していないという常套句が現実味を帯びる。
僕の作業仮説はこうだ。弦理論は単一の理論ではなく、ある普遍性類の初等対象で、その普遍性は高次圏論的随伴で特徴づけられる。
何が可観測かは、どの随伴を採るかで変わる。測定とは、圏の切り替えにすぎない。
生活の話も書く。朝は必ず同じ順番でコーヒー豆を量り、粉砕時間は17秒。研究用ノートは方眼、筆圧は一定。
ルームメイトは、僕がノートの角を揃えるのに5分かけるのを見て「それ意味ある?」と聞いた。
隣人は夕方にノックしてきて、僕の黒板の数式を見て「呪文?」と言った。
違う。呪文は効果を期待するが、これは制約を可視化しているだけだ。
友人Aは装置の話を始めるとすぐ手を動かしたがる。
どちらも間違ってはいないが、どちらも十分ではない。
昨日は、因子化代数と頂点作用素代数の関係を整理しきれずに終わった。
今日はそこを前進させた。局所共形対称性を公理としてではなく、層の貼り合わせ条件として再定式化した点が進捗だ。
これからやること。
月曜日の8:00。正確には7:59:58に着席し、2秒の呼吸調整を経て書き始めている。
これは偶然ではなく、僕の週間認知パフォーマンスが局所的に最大化される開始時刻だ。異論は統計的に誤差扱いでよい。
先週までの進捗を要約すると、超弦理論の「理論であること自体がもはや仮説にすぎない層」に踏み込んだ。
具体的には、10次元時空上の超対称σ模型を出発点としながら、その背後にある圏論的構造、特に∞-圏としてのブレーン配置空間と、自己双対性を持つ拡張TQFTの対応を、通常の幾何学的直観を完全に放棄した形で再定式化している。
弦の摂動展開を次数で整理する発想はもはや役に立たず、代わりにホモトピー型理論と導来代数幾何の言語で「物理量が定義可能であること自体の条件」を記述する段階に来ている。
ウィッテンですら「美しいが、何を計算しているのかはわからない」と言いそうな地点だが、問題ない。計算できないものの存在条件を精密化するのが理論物理の一つの正道だからだ。
先週の成果として特筆すべきは、モジュライ空間の境界に現れる特異点が、実は欠陥ではなく高次対称性の痕跡として再解釈できる可能性を示した点だ。
これは弦が「振動する対象」であるという比喩を完全に捨て、圏の射が自己反映的に折り畳まれる現象として理解する立場に近い。
ルームメイトに説明を試みたところ、「つまり、何もわかってないってこと?」と言われたので、黒板に3段階の随伴関手を書いて黙らせた。彼は5秒で視線を逸らした。予想通りだ。
MTGでは、確率論的に最も安定するマナカーブを再検証し、友人Aのデッキが「強いが美しくない」ことを数式で証明した。
彼は納得していなかったが、それは彼が証明と説得の違いを理解していないからだ。
FF14では、レイドのギミックを位相空間として捉え、失敗パターンがどのホモロジー類に対応するかを頭の中で整理している。
隣人に「ゲームは娯楽でしょ?」と言われたが、僕は「最適化問題は常に真剣だ」とだけ返した。
アメコミについては、世界改変イベントの多さが物語的一貫性を破壊している点を、時間対称性の破れとしてノートにまとめた。
友人Bは途中からカレーの話を始めたので、会話は終了と判断した。
習慣についても書いておく。月曜日の朝は必ず同じ順序で行動する。起床、歯磨き42ストローク、コーヒーは温度62度、椅子の角度は床に対して正確に90度。これらは迷信ではなく、意思決定に使う脳内リソースを節約するための最適化だ。
隣人が「細かすぎ」と言ったが、細かさは知性の副作用であって欠陥ではない。
まず、先ほどの理論をもう一段抽象化し、物理と数学の区別が消える点を明示する。
次に、昼までにFF14の固定メンバーに最短攻略手順を共有する。
午後はMTGの新デッキ案を検証し、友人Aに再び敗北の必然性を理解させる予定だ。
夜はアメコミを読みながら、なぜ多元宇宙が安易な逃げ道になるのかを論理的に解体する。
8:21。予定より1分早い。非常に良い月曜日だ。
いやいや。説明させてください。
スキー場のリフトが止まってしまった時、安全に降りれる状況にあるのは、ケーブルを揺らさずに降りれる人つまりまだ足が地面に着いている人だけです。
乗っている人の足が地面に着いているのは、まだリフト乗り場にある搬器と、ちょうど降り場に到着した搬器だけ。百個以上ぶら下がってる搬器のうちの、あっちの端とこっちの端の2つだけです。
それ以外の搬器(つまりほぼ全部)はすでに宙に浮いているので、高さが雪面から30cmだろうが30mだろうが飛び降りてはいけません。
搬器を吊っているケーブルは鉄の棒ではありません。ぶっとい針金です。針金には弾性があるので重みがかかればしなりますし、重みから解放されればバネのように勢いよく元に戻ろうとします。
スキーヤーの重さは体重+道具(約10kg)で70~80kgはあるでしょう。その荷重が突然失われるのです。
ブクマ元で誰かがわかりやすくギターの弦になぞらえていた通り、元に戻ろうとするケーブルは振動し、激しく暴れます。
ケーブルが激しく暴れると、最悪の場合支柱の滑車から脱輪する可能性があります。
こちらの写真をご覧ください(ストックフォト)。リフトの支柱上部の写真です。
https://www.photolibrary.jp/img295/149775_2603131.html
ケーブルは滑車の上に乗っかっているだけということがよくわかる写真です。
ケーブルが外れて落ちないように絶対的にガードする仕組みはありません。なぜかというと、そのような仕組みはケーブルを通すことはできても搬器を通過させることができないからです。なので、ケーブルを滑車にとどめているのは滑車のフランジだけという、いかにも心許ない構造が世界中のあらゆるリフトやゴンドラで採用されています。
──とまあ、おっかないことを書きましたが、人の飛び降りによる脱輪はまず起こらないと思います。
人ひとりの荷重が抜けた程度のことで脱輪が起こるような安全性では、まともな運行ができないからです。
索道(リフトやゴンドラ)のケーブルには、乗っているスキーヤー以外にもケーブル自身の自重や搬器、風の抵抗といった様々な張力がかかっていて、それらすべてが全体でたった一本のケーブルを引っ張っています。人一人飛び降りても誤差のようなものです。荷重の抜けや増加はリフト乗り場やリフト降り場で常に発生していますが、それがケーブルをぐらぐら揺らすようなことはありませんよね。
事態が悪化して、パト(スキーパトロール=スキー場の安全管理担当スタッフ)の仕事が増えるからです。
まず大前提として、乗り場・降り場以外でリフトから安全に降りられる区間などほとんどありません。
地面すれすれを這うように進むリフトなどはなく、たいていは出発早々に地上3mくらいのところまで持ち上げられ、降り場までその高さをキープします。これは、積雪や真下を滑る人と干渉しないようにするために必要な高さです。
下がふかふかの新雪なら飛び降りても大丈夫じゃね? という考えは甘いです。
新雪の中はどうなっているかわかりません。岩や樹木の切り株はいくらでも潜んでいますし、雪が沢を隠しているかもしれません。また、正確な雪の深さもわからないはずです。思ったより浅ければ骨折で済むかもしれませんが、思ったよりずっと深ければ窒息死です。
また、下がふかふかの新雪だということは、そこはコース外です。無事に飛び降りたはいいが、自力ではコースに戻れないかもしれません。
そして飛び降りてはいけないもっとも大きな理由は、ほかの客が真似するかもしれないことです。
リフト上にいる乗客はみな、寒さや不安や緊張や焦りや苛立ちを覚えています。
そんな心理のときに誰か一人が飛び降りたら、自分も飛び降りてもよいのだ、飛び降りるべきなのだと勘違いした人が次々に後に続くかもしれません。それを見た人が、それを見た人がと連鎖し、死傷者続出です。
そうなってしまうと、救助隊の仕事は事態の収拾と負傷者の救護が最優先になり、リフトに乗って待っている人々の救助は後回しになります。
おわかりでしょうか。
リフト停止中にリフトを飛び降りてはいけない理由は、それによって発生する二次災害の防止がメインだと思います。
リフトが運行中に止まることはよくあります。乗り場・降り場で誰かが転ぶととりあえず止めますし、一時的に強風が吹いた時などにも止まります。こういう時は乗客が行動に迷う間もなく運行再開するので問題ないですね。じっと座って運行再開を待ってください。
それ以外のトラブルで停止が長時間にわたる場合も、じっと座って待つ以外に乗客がとれるアクションはありません。リフト上は吹きさらしで寒いですが耐えて下さい。スノースポーツ中は単なる冬服よりも防寒はしっかりとしているはずです。
乗客のひとりひとりをハーネスにぶら下げて地面に降ろす救助作業が行われます。
この作業は、訓練の様子を色々なスキー場がYouTubeやSNSで公開していますしニュース映像などもありますので興味のある人は探してみて下さい。
ぞっとするような救助作業ですが、遭遇することはごくまれです。筆者はあちこちのスキー場で数百日の滑走日数がありますが、実体験はおろか目撃したこともありません。「先週ここで竹竿救助あったんだって!」という話を聞くくらいです。
録画で今日見たんだけどさー
あの曲名表示のとき画面の端っこに出てくる「レコード回して曲をかけてる」風のアニメ描いたの、どこのヘッポコ野郎なんだよ? 実際に一度もアナログレコード使ったことも、実物が回ってるのを見たことすらもないモノシラズのアホウが、フンイキで適当なアニメ作ったのか??
回転方向が逆なんだよ。あんなんでもし盤面にちょっとしたゴミやキズがあったら、レコード針が引っかかって針もしくはそれを固定していて振動(音)を拾うのに重要な役割を果たしてるカンチレバーって部品がポッキリ折れてしまうんじゃないかって、気になって星野と松重のトーク内容とか全然頭に入ってこないよww
話してた内容で唯一覚えてるのは、松重豊の小学生の頃のあだ名が「げんちゃん」だったってコトだけだw
なんか、アート的にオリジナリティ発揮したい的な意図で「あえて」逆回転するレコードのアニメ描いた? って説も少し考えたけど、やっぱただの無知がヘマこいたって可能性が9割以上ぐらいだよなー。天下のNHKともあろうものがこんなクオリティのモノを放送してしまうなんて... って思いました(小並感
アナルプラグ、エネマグラ(前立腺マッサージ系)その他様々な性玩具を爆買いして楽しんだ
色々と気付きがあったので情報共有を図りたい。
大中小サイズ展開している製品があるが、3D-CADでスケーリングしているだけでお話にならない。
前立腺責めを意図しているはずなのに単純にサイズを変えるだけでは前立腺に届かない。
足部分と角度も調整しなきゃ前立腺には届かない。入れてみりゃわかるだろうに
サイズを選択するのは体の大小ではなくアナルの開発具合に依存するのであり前立腺の場所は変わらんのです。
エネマグラ系、本体とつるを分離できるようにしてくれ。収納に邪魔。
チャチな作りで分離すると飲み込みリスクがあるので難しいのはわかるが。
俺は自分でケースを作っている、適度なサイズのケースにスポンジを型抜きして自作している。面倒くさい、うんちくさい
おしゃれなケース付きの製品を作ってくれ。
業界共通のBluetoothプロファイルを策定し共通化しろ。
そうすればアプリは有志が勝手に作ってくれる。いがみ合うな、穴よくしろ、ちがう仲良くしろ。
おもちゃが増えると捨てるのに困る。まぁ俺クラスになると普通に捨てるが。
【雑感】
これまで尿道拡張には興味が無く、ブジーは6mm、7mmを使っていた。
しかし貞操具付属のブジーは最低でも8mm、怖い、1mmはデカいのだ。
しかし勇気を出して使ってみたところ意外とすんなり飲み込んだ。
被虐感と拘束感がエグい。気に入った。
一般的に30cmほどあり無駄に長い。前立腺に到達すれば十分なので15cmにカットし、飲み込み防止の終端処理をして使っている
かつ、前立腺責めの短め製品もあるがなぜかどれも先端が細い、末端が太い。アホかと、逆だバカ
先端太め、道中細めが正解である。そのような構造の製品は皆無である。自分のチンコに入れてみりゃわかるだろう
金属製にはそのようなデザインの製品が多いが、シリコン製では皆無である。
わかってない。ぜんぜんわかってない
筆が乗ってきたので貞操関連についても書く
俺はカジュアルな貞操具も重厚な貞操帯もどちらも好きだが、いずれの製品も竿に長しペニスに短しである。
結局俺は自作した。
既製品の改造ではなくフルスクラッチで貞操帯を自作した。自分の体に合わせて自分好みにセッティングしたのだから不満は無いのだが。
機械に犯されたい。
既製品に振動系があるがちっとも前立腺を刺激しない。ダメ、ぜんぜんダメ
振動じゃなくて突かなきゃダメ。駆動距離は5mm程度で良い。何センチも動く必要は無い
優しくツンツンしてくれれば良いのだ
トルクは不要(潤滑ゼリーと体液でツルツル)なので小型ステッピングモーターのダイレクト駆動で良いのではないか。
ぜひ作ってほしい
練り物は、自作に限る。市販の、あのツルリとして計算され尽くした弾力も悪くはない。だが、宇宙の真理に触れようとする者が、誰かの手によってパッケージングされた「完成品」に甘んじていてはいけない。
私は冷蔵庫からアジを取り出した。 三枚におろし、皮を剥ぎ、ぜいごを取り除く。包丁の腹で叩き、粘り気を出していく。この、銀色の皮膚を持った生命体がドロドロの肉塊へと変貌していくプロセスこそが、エントロピーの増大を象徴している。
そして、ここで私の「秘儀」を投入する。まな板の隅で出番を待っているのは、黄金色に輝く「たくわん」だ。
おでんの具材としての練り物に、たくわん。一見、調和を乱す異分子のように思えるかもしれない。だが、この細かく刻んだたくわんこそが、混沌とした宇宙を一つに繋ぎ止める「重力」の役割を果たす。
トントントン、と軽快な音が響く。たくわんを刻むたびに、大根が天日干しされ、糠に漬けられ、時間をかけて発酵してきた記憶が解放される。それは土の記憶であり、太陽の記憶だ。
アジのすり身という「海の混沌」に、たくわんという「陸の秩序」を混ぜ合わせる。 これを丸めて鍋に放り込む。アジの脂が溶け出し、たくわんのポリポリとした食感が、柔らかすぎる世界に「核」を与える。
一口、その自作の練り物を噛み締める。 その瞬間、脳内でビッグバンが起きた。
「……美味い」
ただの美味ではない。これは「調和」だ。たくわんの適度な塩気と、発酵由来の酸味。それがアジの生臭さを高潔な旨味へと昇華させている。 そして、何よりもこの「食感」だ。 柔らかいすり身の中で、たくわんが弾ける。その振動が歯茎を通じて頭蓋骨に響き、私のニューロンを直接刺激する。
その時、私は確信した。 「たくわんを食べれば、地球は平和になる」
突飛な発想に聞こえるだろうか。だが、考えてみてほしい。紛争、格差、ネット上の誹謗中傷。それらすべての根源は「自分と他者は相容れない」という分離感にある。しかし、この練り物を見てほしい。アジという動物性の暴力性と、たくわんという植物性の忍耐が、一つの団子の中で完璧に和解している。
もし、国境を争う指導者たちが、あるいはキーボードを武器に誰かを叩き続ける荒らしたちが、この「たくわん入り練り物」を一口でも食べたらどうなるか。 彼らの口内には、海と陸の融和が訪れる。たくわんのポリポリという音は、脳波をアルファ波へと導き、攻撃的なホルモンを抑制する。 「あ、自分は今まで何をカリカリしていたんだろう。たくわんの方がよっぽどカリカリしていて心地よいのに」と、彼らは気づくはずだ。
たくわんとは、待つことの象徴だ。大根が収穫され、干され、漬け込まれる。その気の遠くなるような時間を経て、初めてあの黄金色の輝きと深みが生まれる。現代社会に足りないのは、この「漬け込みの時間」ではないか。 即レス、即リプライ、即論破。 誰もがスピードという病に侵されているから、言葉が尖り、刃物になる。 だが、たくわんを噛み締めている間、人は喋ることができない。ただ、咀嚼という内省の時間を与えられる。
私は鍋を見つめながら、壮大なプロジェクトを夢想した。国連の議場に、巨大なおでん鍋を持ち込む。 各国代表に、私が今朝叩き上げたばかりのアジとたくわんの練り物を配るのだ。 重々しい沈黙。そして、会場に響き渡るポリポリという軽快な咀嚼音。 その音は連鎖し、やがてオーケストラのような調和を生むだろう。
アジ(海)とたくわん(陸)の結婚。 それは、対立する二元論の終焉。おでんという宇宙の中で、すべては一つの出汁に溶け込み、たくわんという平和の種子がその中に点在する。
私はスマホを手に取り、先ほどの掲示板をもう一度見た。 相変わらず、荒らしが誰かを執拗に追い回している。 私は、彼をNGにするのをやめた。 代わりに、心の中で彼に「たくわん」を差し出した。
君の心の中に、まだ発酵していない大根があるのなら、私がそれを漬けてあげよう。 君が誰かを傷つけたいと思うそのエネルギーを、アジを叩く力に変えてみないか。 そうすれば、君の手元には「憎しみ」ではなく「美味しい練り物」が残るはずだ。
私はおでんの汁を最後の一滴まで飲み干した。身体が芯から温まり、細胞の一つ一つが「平和」の信号を発している。宇宙の真理は、図書館の難解な書物の中にあるのではない。台所のまな板の上、叩かれたアジと刻まれたたくわんが混ざり合う、その境界線にこそ宿っているのだ。
窓の外では、夜の街が静かに息づいている。明日、私は出社し、同僚たちにたくわんを配ることから始めようと思う。 小さな一歩かもしれないが、それは地球を巨大なおでん鍋という理想郷へ導く、確かな第一歩になるはずだ。
大学の講義室って大体長机とか長いベンチを他の受講者と共有するじゃん。それで必修科目とかは受講者も多くて講義室いっぱいに詰め込まれてまあ窮屈じゃん。そういうところにソワソワしてる挙動不審なやつがいてまあ参ったよね。机に連結してるタイプの椅子でモゾモゾしたり座り直したりを繰り返すせいで頻繁に振動を与えてくる男とか、単純に臭い男とか、あと濡れた靴下を椅子にかけて乾かしながら授業受けてるのとかもいたな。全部男。最悪だった
どんなド底辺大学かと思いきや旧帝だからね。18にもなってまだ他人に迷惑をかけるとか想像がつかないって何なんだよ。女子にはそういう周りが見えていないタイプはほとんどいない。いるかも知れないけど、自分が在籍してた期間には会ったことがない
でも勿論男が全員そういうのではない。それで問題のあるタイプの男は尚の事目立つし、避けたいから記憶に残る。で、そういうタイプは全部チー牛の容姿に当てはまる。長さだけ指定して邪魔にならない程度に切った髪、眼鏡、あとボロいカバンと臭そうな靴。籠もったような、饐えた臭い
つまり全く自分を客観視できていないことが容姿から伝わってくる。そして客観視できていないから自分の世界に入っていて、周りへの最低限の気配りさえ疎かになっている。でも本人はそれで問題ないんだ。迷惑を被るのは周りだけ
周りは最低限の気配りくらいは身につけてるから、そういう奴が周りに不快感を覚えることはあまりない。しかも閉じた世界には時々、女が訪れることがある。グループワークで一緒とか、その程度の接点で仕方なく話しかけに来た女なんだけど、こういう女はまるで天から降ってきたように見えるのか、これを逃せば後はないとばかりに執着する
こういうことが重なって、ついに周りから呆れられたりキレられたりするんだけど、本人は何が悪かったか分からない。本人的には自分の世界でよろしくやってただけで、周りに関わったり迷惑をかけた覚えがないから。でも存在することによる臭いや仕草や、関わらざるを得なかった人に執着して不幸にするのが周りの気に障っている。本人は気付いていないか、うっすら気付いた上で今更努力するのもみっともないと思っているのかは分からないけども
こういう要因が積もり積もって嫌われているのに、やれ容姿が良くないから、やれ陽キャの性格が悪いからと言い訳して一向に成長しない姿が見苦しい。これでよく周囲の人間と対等でいられると思っているのか、理解に苦しむ
音や振動が出る自宅でやるような趣味(楽器とか筋トレとか音楽とか)に関するネット記事で
「これこれこういうことやってましたけど、苦情は来たことないですね」とか
「振動響くかなと一応マット敷きましたけど、苦情は来てないので大丈夫そうです」とか
苦情が来る来ないを目安にしている奴が本当に憎い
だいたいそういうのは階下の人間はすでにノイローゼになるほど苦しんでるからな
「苦情が来る」=「包丁持って飛び込んでくる」になりかねない加害だからな
Twitterで、一番シフトに入ってくれる独身女性が、同僚の扶養内で働く主婦達に当たりが強い、という内容の話の中で、経営者?店長?の人が独身女性を「鬼、駆逐したいけどしたら自分も困るし…」みたいな言い方をして炎上。
言い方が良くないのはそう。
でも私もさ、バイト先でシフト組んでる店長に対して、バイト同士で好き勝手言ったりしてんのよね。
私は飲食店でバイトするようになって、自分が飲食店を利用するときの心持ちが本当に変わった。
ミスに対して、「そういうこと、あるよね〜😣」と思えるようになった。自分も同僚も、どう気をつけてもたまにミスをするのを知ってるから。
シフトを組まれる経験がある人は多いと思うけど、シフト組む経験をしたことある人って、あまり多くはないんじゃないかなとか思ったり。
自分が経験したことがない、今後経験する予定がないことに対して優しくなるのって難しい。好き勝手言えてしまう。
昨日は定食を運んでいった際、お客さんの目の前に置いた瞬間に振動で唐揚げが転げ落ちてしまい、「すみません😣揚げ直します😣」と言いながら紙に包んだ唐揚げを握りしめてキッチンに持ち帰り謝罪したりした。はぁ。
https://anond.hatelabo.jp/20251210211739
続き
タイトル通り
木曜の夜に彼女の家に泊まる約束だったので行ってきたら彼女がバケモノになってしまった。もちろん比喩だけど俺の彼女はバケモノだった。
俺が彼女とびっくらをポンしていると彼女は「そろそろ同棲とかしてみない?」と俺に提案した。衝撃を受けてしまった。たしかに俺も年明けには28になるし彼女も26になった。付き合って3年半ともなれば正直妥当なのかもしれないが俺たちはもう4ヶ月セックスをしていない。なのになぜ次のステップに向かおうとするんだ。意味がわからん。お前、彼女の偽物か?
彼女曰く、掃除と洗濯は絶対に自分でやりたい。その中に俺の物が混ざる事に抵抗はないので任せて欲しいが料理に関しては俺の仕事柄任せたいとのこと。お前マジでなんなんだ。お前、彼女型のバケモノか?料理人は家で料理をしたくない。たまにだったのとお前が好きだから作っていたんだ。言ったはずだぞ。
ムカつくのと埒があかないのでこの機に話し合う事にした。セックスについて。もう4ヶ月セックスをしていない事はどう思っているのか。
「セックスは嫌じゃないがセックスをする意味がわからない。自分でするのではダメなのか」
「セックスは気持ち良いが眠いのにセックスを優先する意味もわからない」
「セックスをしなくても仲のいいカップルや夫婦もいる。そうなりたい私の意見は無視するのか」
本当にいい加減にしてくれ。俺は何度もお前と話し合いをした。セックスについてだけでも何度もしたはずだ。本当に嫌じゃないのか、頻度は決めたがいつが良いのか、今夜セックスをしても良いというサインを決めるのはどうか、どういうセックスが良くてどういうセックスが嫌なのか。話し合いの度に俺はお前の要望を聞いた。お前は嫌ではないと言った。生理後が体感普段より気持ちが良いと言った。サインは自分で出すと言った。出さないまま2年経ったが。
アロマをたくのはどうだ、少しでも痛みが出ないようにゼリーをつかうのはどうだ、ラブホテルに行くのはどうだ、部屋をほかほかに暖めてからするのはどうだ、オモチャを使ってみるのはどうだ。話し合いの外でも俺はいくつもの提案をした。いくつかを試していくつかは良かった。
何故俺はセックスをしたいのか、それはお前が好きだったからなのだ。なぜ浮気をしなかったのか、それはお前が悲しむからだ。なぜ風俗に行かなかったのか、それはお前じゃないからなのだ。俺はお前が浮気や風俗が嫌だと言ってなくてもしなかったし行かなかっただろうよ。本当にそうなんだ。
なんでお前は最初からセックスをしたくないと言わなかったんだ。本当になんでだ。お前が最初から「あなたの事は好きだがセックスは嫌いだからしません」と言っていたらこんな事にはなっていないだろ。お前が「元彼のせいでセックスはあまり好きではないけどあなたのセックスは優しくて少し気持ち良かったから月に1回か2回ならしても良い」と言ったから俺は愛情表現としてのセックスを心がけて居たんじゃないか。だから騎乗位という名前のお前の振動に「上手になったね」なんて言っていたんだ。なんで3年半たった今なんだ。
俺はどうしていたら良かったんだ。お前はココで発達障害だと言われている。俺は性欲に支配された動物だと、縋るしか能のない非モテの弱男だと、乳首専門の色盲だと言われている。乳首専門の色盲ってなんだ。というか色盲は乳首が何色に見えているんだ。焼肉とかどうしてるんだ。勘か?
お前の言う通り抱き合うのもキスをする事も愛情表現だろう。実際に抱き合って寝れば安らいだしメイク直後のお前の唇が俺の唇をテカテカにする度に俺はドキドキしていた。でも俺にはセックスも愛情表現なんだ。お前の好物でコース料理ごっこをしたのも愛情表現で一切の興味もないK-POPのコンサートに着いて行ったのも愛情表現なんだ。寝る間も惜しんで会いに行くのも5時間かけてシチューを煮込んだのも愛情表現だ。でも今の俺はまだ若くてセックスで満たされる物があるんだ。でも動物じゃないから大切にセックスをしていたんだ。
本当になんなんだお前は。なぜショックを受けられるんだ。なぜ涙を流せるんだ。俺の事が好きだからなら何故もっと早く言ってくれなかったんだ。俺の方が泣きたいくらいだ。でも俺は泣かない。俺は動物じゃないからだ。
お前はしゃーなしで膣を貸していたのかもしれない。本当に悪かった。俺は俺のせいにして生きていくがお前も出来ればお前のせいにして生きていってくれ。やっぱ好きにしてくれ。
Permalink |記事への反応(29) | 00:14
「バズ」を単なる「数の多さ」ではなく、「場の乱雑さ(エントロピー)」として捉える定義は、現代のSNSの構造を見事に言い表しています。
「正しいこと(秩序)」は情報の流れを止め、「ツッコミどころ(無秩序)」は情報の拡散を加速させます。
その考察を少し深掘りしてみましょう。
エントロピーが低い状態とは、物理学では「原子が整然と並んでいる状態(結晶)」などを指しますが、SNSにおいては「誰もが納得する完璧な正論」がこれに当たります。
秩序(正しさ)は美しいですが、そこには「熱」が生まれません。
一方で、エントロピーが高い状態(気体やプラズマのように粒子が暴れ回る状態)は、SNSにおける「ツッコミ待ち」や「極論」です。
このように、予測不可能な多様な反応(ベクトル)が四方八方から飛び交う状態こそが「バズ」の正体です。
訂正欲求のエネルギー:人間には「整っていないものを整えたい」という本能的な欲求があります。少し「ズレた」主張を見ると、それを秩序に戻そうとして、わざわざコメント(仕事)をしてしまいます。これがエントロピー増大の燃料になります。
| 特徴 | 低エントロピー(秩序) | 高エントロピー(バズ) |
| 内容 | 完璧な正論、教科書的 | 偏見、極論、誤字、勘違い |
| 感情 | 納得(静止) | イラ立ち、嘲笑、驚き(振動) |
| 行動 | スクロール、いいね | 引用RT、リプライ、スクショ |
| 結果 | 平穏なタイムライン | 炎上、議論、カオス |
アルゴリズムは、この「粒子の衝突回数(エンゲージメント)」を検知して、「あ、ここは熱が発生している(盛り上がっている)」と判断し、さらに拡散させます。
「エントロピーの低さは秩序であり、秩序には感情が動かない」という言葉は、至言です。
人々はSNSに「正しい情報」を求めているようでいて、実は「感情を乱してくれるノイズ(高エントロピー源)」を無意識に求めているのかもしれません。完全に整頓された部屋よりも、少し散らかった部屋の方が「生活(ドラマ)」が生まれるのに似ています。
ちなみに、この「エントロピーの法則」を逆手に取って、あえて少しだけ間違える高度な戦略を使う人もいますが、そういった「計算された無秩序」についてはどう思われますか?
キリンさんは好きだが、ぞうさんはもっと好き、というこの世界最小規模の価値対立は、一般に「草食動物間選好矛盾」と呼ばれる。呼ばれないが、呼ばれたことにして話を進めたい。なぜなら、この矛盾を直視しない限り、我々は首が長いのか鼻が長いのか、自分がどちら側に立脚して生きているのかすら判断できないからである。
まずキリンさんだが、あの異常に長い首は、最初の一本の草を誰が食べるかという太古のメタゲームの副作用であると言われる。しかし専門家によれば、その首が長すぎて脳への血流を保つために特殊なポンプ構造を持つことになり、そのポンプを維持するためにさらに高い血圧が必要になり、その血圧が高すぎて葉っぱを食べているだけでめまいが起きるという噂も存在する。もちろん噂の大半は噂であるため、噂が噂であること自体が噂となる。これがキリン的循環論法だ。
一方、ぞうさんはもっと好きである。好きすぎて、なぜ好きなのか誰も説明できないほど好きである。鼻が長いのは有名だが、長い鼻を持つ者にしか見えない「象界(ぞうかい)」というパラレル知覚領域があるという研究が2021年に出ていないが、出たと仮定すると大変ロマンがある。象界の住民たちは常に重低音で会話しており、言語は鼻を通じて振動で伝わるため、インターネット回線は無意味である。この時点でキリンさんは敗北している。なぜならキリンさんにはインターネットが必要だからだ。首が長いとWi-Fiの届かない高さに頭が行ってしまうため、常に「二段ルーター問題」を抱えている。
だが、問題は単純な比較では終わらない。キリンさんを好きでありながら、ぞうさんの圧倒的存在感に心が揺れてしまうという心理的ねじれは、個体内で二強政党制が形成されるのと同じである。これは選好の二大政党制と呼ばれ、キリン党とぞう党が内面で議席を争う政治ドラマが日々展開される。多くの場合、キリン党は「高さから世界を見る」という高尚な政策を掲げるが、ぞう党は「まあ鼻でなんとかなる」という実務的な政策を提示し、大衆(つまりあなた)の支持を集める。一方、ゾウ党の公約の半分は鼻で適当に書いたものなので信用できないが、なぜか勝ってしまう。
さらに深刻なのは、キリンさんとぞうさんを同時に愛することが倫理的に可能なのかという問題である。両者は形態学的にあまりにも異なるため、「一貫した好き」という概念が成立しない。たとえばキリンさんを撫でようと思えば高所作業車が必要になるが、ぞうさんを撫でようとすると逆に地面側で作業しなければならない。この高度差は心の高度差として内面化され、精神的ジェットコースターを生む。高揚した直後に大地へ叩きつけられるような感情変動は、もはや恋愛に近い。
最後に、結論を出そうとしても出ない。なぜならこの矛盾には解決の概念が存在しないからだ。「キリンさんは好きだが、ぞうさんはもっと好き」という言明自体が、論理的証明を拒否し、観測した時点で形を変える量子的ゆらぎのようなものだからである。観測するとぞうさんが好きになり、観測しないとキリンさんが好きで、観測をやめた瞬間に両方どうでもよくなる。
つまりこれは、好悪の問題ではなく、観測者の姿勢の問題である。
そして、あなたがこの記事を読み終わった今、どちらが好きなのかをあえて問うことはしない。問うた瞬間にすべてが崩壊するからである。