
はてなキーワード:指南とは
毎日残業して寝るだけの生活を繰り返していて、年を重ねるだけで人生が全く前進しない。
30代で周りは結婚出産してて、同い年でも出世して子供が2人いる人がザラにいる。
良い社会人であろうとして、新卒から真面目に学力や理不尽耐性やコミュ力をあげてきた結果、付き合いやすい便利使い要因になった。
押し付けられる仕事や濃すぎる人間関係から逃れるように転職を繰り返した結果職位は下っ端のまま。社会的に何も持ってない。
誘われた飲み会の準備は同い年でも職位が低い自分が買って出る。
正直迷惑だ。帰って自分が欲しくて作った子どもの相手でもしてろよと思う。
彼等は無神経で恋愛相談が好きだ。
学生時代の恋愛経験に基づく上から目線の指南をいつまでもしたがる。
彼氏だの彼女だの狙ってるだの狙われてるだの何歳まで言いたいんだよ。
全部手に入った人間からの解像度の低いアドバイスを聞いて褒め称える無駄な作業に時間と金を払っている時、自分は何も持ってないのに何でこいつらは持ってない人間から取り立てようとするのだろうと思う。
一人でいる時間独身の生きづらさを描いた作品に共感する事が増えてきた。
面白いなと思う作品があっても必ず作者のプロフィールを確認してしまう。
この作者が結婚して子供がいる人間だったら共感して一方的に自己開示した自分の存在が惨めで仕方ないなと思っているのだと思う。
自分のために人生を使うのが好きで子供はあまり欲しくないくせに、誰かに受け入れられている事が対外的に分かりやすい既婚者の肩書の皆さんが妬ましいのだと思う。
私は東大卒である。現役で東大に合格し、その後大学院まで出てから就職した。
東大と言うと、難関中高一貫校出身とか、ずっと塾や予備校通いで凄く先取りして勉強してたとかイメージされることも多いと思うが、私は全く違った。
私は地方の一般的な家庭出身(両親はどちらも大学に行ってない)で、中学は普通に地元の公立だった。というより先輩にも同級生にも中学受験をするなんていう人は一人もいなかったので、小学生当時の自分は中学受験というものの存在すら知らなかった。
高校も普通の公立高校だった。実家から自転車で通える距離で進学校というだけの理由だった。別に県内トップでもなくいわゆる「自称進学校」で、文武両道を掲げるけどどっちも中途半端みたいな地方によくある公立校だ。
だから有名な進学校のように高3までの内容が高2のうちに終わるみたいなのは全く無くて、むしろ科目によってはセンター試験が終わってもまだ全範囲が終わってないというレベルだった。
高校時代も1年生の間は勉強なんてせず部活ばかりやってた。別にレベルが高い部活じゃなくて(むしろ地区予選1回戦を勝てたらラッキーレベル)ただ友達と単に楽しくてやってただけで、テスト前の部活禁止期間でも隠れて練習してたり部室で駄弁ってたりしてた。
高2の夏になって急に勉強したくなってやり始めたが、それでも家ではやる気が出なかったので平日は放課後に学校に残って下校時刻まで1日2,3時間程度、土曜は学校の自習室で半日程度勉強してただけだった。日曜はリフレッシュ日として受験期までずっと勉強しない日に設定していた(なんだかんだ最後の方は模試とかで潰れたけど)。
予備校には模試を受けに行った以外は一度も通っていない。通信教育や家庭教師も無し。自分で情報を得て自分で市販の教材を買って勉強してた。
それでも現役で東大に受かった。点数も合格者の平均点を超えていたので結果的には余裕だったと言えるのだろう。
自慢とかマウントとか取られても別に良いけど、これが私から見た事実だし、私にとって「普通」の人生だった。
小中学校の勉強なんて授業さえ聞いていればテストで満点取れるのが当たり前、高校だって授業聞いて教科書読めば理解できないことなんて一つもないし、ネット上に転がっている勉強法や受験指南の情報を参考に勉強すれば誰に教わる必要もなかった。
だから小学生のころから毎日塾に通って寝る間も惜しんで勉強して中高一貫に進み、そこからも予備校に通ってずっと勉強・・・なんて本当に必要か?と思う。
とりあえず授業だけ真面目に聞いて普通について行けてさえいれば高校から自分の意思で勉強したって難関大ぐらい入れるし、むしろ子供の頃なんて沢山遊んで経験を積んだり体力を付けたりする方が受験の面でも得なんじゃないかな。
・・・いやまぁ実際は分かってるんだよ。世の中の人たちって別にみんな私と同じぐらい勉強ができるわけじゃないということは。
授業だけ聞いていればテストで満点を取れるというのが当たり前じゃないことも分かってる。真面目に勉強してても中々成績が伸びない子がいるもの分かってる。
それでも私は私の人生しか経験していないので、そうでない人の気持ちは本質的にはどうしてもわからない。分からないから、子供のうちから勉強勉強で受験戦争に巻き込まれる子たちが可哀想だなぁと素朴に思う。ただそれだけの話。
Permalink |記事への反応(28) | 10:56
>つまり、悪い奴、キモいやつ、能力が低いやつ、そういう奴らに対するある種の正当性を持った悪意が人を鬼にするんだよ。俺は鬼滅のそういうきめ細かさが本当に好きだ。
何一つ鬼滅を読めてなくて草
ああいうポストがされるのはカードゲーマーの一部がカード界隈に入ってきた女性に迷惑行為を働いたのがきっかけなんだから
お前は頼んでいないかもしれないがあの情報を求めている奴はいるってこった
カードゲーマーに説教してるんじゃなくて、あれと同じ立ち位置にいる「恋愛したいけど経験つんでいなさすぎてうまくいかない男(女も含む)全般」に対しての発言だと思えよ
頼んでもいない俺に説教してくる~とかいう思い込みがズレてんだって
何も読めてない
つい先、TCGプレイヤーに向けた女性への接し方を指南すNoteが話題になった
そのせいであろうけど、常連だった女性プレイヤー2人がこなくなった
グループに入っている別の女性に聞いたところ、あの記事で少なくとも数件不審なDMが続いて、怖くなったらしい
TCGプレイヤーを差別していると紛糾している人が多数いるけど、それより実際に一番被害を受けているのは女性のプレイヤー自身であることを殆どの人が自覚していない
結局どんなにTCGプレイヤーに対して恋愛への指南をしたり、風呂にはいると言っても、彼らはまともに理解する事ができない
そんな界隈が差別されても、俺は仕方ないと思うがみんなどうだろう?
だーかーらー
コミュ障社不が恋愛とか結婚したところで幸福になれるわけねーだろって話よ
コミュ力もなければ見た目を弄る美的センスも認知能力もないから彼女がいなかったわけだろ?
そういうのが培えなかった以上恋愛からの土俵から下ろす他ないのよ
なんで結婚やら恋愛を勧めるの?アホなの?無駄な努力させて他人の終わってる人生をもっと壊して自己責任で~~~~~すばーーーーか!ってやりたいの?マウント取りたいだけだろカス。
健常様がキモい奴らに対して教育と称して小馬鹿にするツイッターの流れ、本当にキライだ。
特にそれが今回のカードゲームみたいな恋愛に全く関係のないコミュニティだとなおさら。
まあ、健常様がこんな投稿見たら
「いやいや、俺らは善意でやってるんだって。てか、本当のことを言って何が悪いん?」
みたいなことを言うんだろうな。ツイッターだと、正当化のための詭弁と自分の本心の見分けがつかない知能の人が圧倒的に多いから。
そんな後付けの理屈に付き合うのもバカバカしいが、あえて文句を言わせてもらうと、いつ俺達が恋愛を指南してくれと頼んだ?頼んでもないのに、一方的に相手を馬鹿にするような講釈を垂れるのは悪ではないのか?
「いや、カードゲーマーがキモいことしてよくトラブルになってるじゃんw悪いことをした奴らに勝手とはいえ、注意するのは悪いことなのか?」
じゃあ、そのキモいことをした奴だけを主語にしろよ。え?予備軍に対して事前に対策するのは仕方がない?
はあ、あー言えばこう言う。いっそのこと悪意だと、キモい奴ら、自分が見下せる奴らをバカにしたいだけだと認めてくれればまだ割り切れるのに。
確かにお前らの言う通り、予防としてならある種の正当性が見いだせるだろう。ただ、だからといって、まだ何もしてない奴らを傷つけるという加害性が消えることはない。そして、そのどちらが重いかどうかを考えると圧倒的に加害性のほうが重く、部分的に正当性があったとしてもそれは悪だと思うよ。
話は変わるが、鬼滅の刃には根っからの悪として描かれる鬼の他に、同情の余地がある鬼も多数描かれる。
そして、その同情枠は猗窩座然り、妓夫太郎然り、鼓鬼然り、鬼になった経緯の1つとして、一般人に虐げられたという過去があることが多い。
つまり、悪い奴、キモいやつ、能力が低いやつ、そういう奴らに対するある種の正当性を持った悪意が人を鬼にするんだよ。俺は鬼滅のそういうきめ細かさが本当に好きだ。
私は、「え〜残してもいいんじゃないの」と思っている。結論として、上品フェミニン服の他に、パンツスタイルを入れるとか、クール系の顔立ちでも似合うようなシンプルな服を載せれば良かったのでは。指南自体を削除すべきではない。
思っていることをつらつら書く。
最近になって、「多様性」とか「自己表現」という単語が目立つようになってきた。
(論点のすり替えと言われるかもしれないが)就活でもそうだ。ビジネススーツではなく、ビジネスカジュアル、なんなら私服で良いと言われることもある。
ボロボロのジーンズよれて黄ばんだTシャツ、伸び切ってボサボサの髪で面接に登場するのはどうだろう。「これが盛ってない僕の自己表現です!」ということだ。
私は採用活動もやったことがあって色々な学生に会って来たが、「自己管理ができていない」「相手からどう見られるか意識できない」と判断してしまう。せめて髪は洗ってブラシでとかしてから来いよ…採用側は弊社のブランドを傷つけないよう、ベルトボロボロになってるから買い換えようとか、靴磨いておこうとか、それなりに気を遣うので、「こっちに失礼だと思わんのかね」と思うこともある。これが多様性の時代なのか。
ボロボロジーンズ君の中身が最高の技術者であったとしても、弊社製品が不具合起こして客先に謝罪する時には間違っても出せない。うちの会社の看板背負わせて大丈夫かな?と考えてしまう。最近はそういう、「会社の看板」という考えが古臭いのかもしれない。でも逮捕された時にはニュースに会社名出ますよね?
(一方で入社したときはリクルートスーツだったはずなのに、ボロボロのジーンズよれて黄ばんだTシャツで出社してくる入社25年目オジサンもいる。今回は議論対象から外したい)
ちょっとググって、就活サイトやらスーツ屋さんが出しているビジネススーツの着方を読んでシャツをズボンの中に入れたり、ネクタイを緩めず締めたり、爪を短く切ったり、と基本をおさえて来てくれたら、面接0秒目にNGを出すことはない。結局、見た目が良くても、面接で大事なのは内容だが、その第一歩に入れてないよという学生もいる。
リクルートスーツは中古で買ったりお下がりでもらったり、安いのだと2-3万円くらいでも買えるし、そこで9割の会社の0次面接を突破できるなら確実だし安いくらいじゃないの?と思う。そのくらいの情報収集ができる学生に来て欲しいなあ…
就活から婚活に話を戻すと、リクルートスーツほどルールがないのが婚活だと思う。
自分も婚活市場に居たことがある。マッチングアプリ中心にやっていたからか、実際会ってみると、とんでもない逸材ばかりだった。清潔感(髪に気を遣え、爪をととのえろ)を意識させたりという指南がなかなかないのか?ちょっとググって、何を着たらいいのか、髪を前日に洗った方がいいよとか、おさえてきてほしかった。楽しそうに色々な話をしてくれたが、相手のパスタの上に降りかかるフケが気になって話に集中できなかった。
〇〇県が指南を出してくれていたのはありがたい。自治体だし、9割の人が好印象をもつためにはどうしたらいいか?を書いてればいいんじゃないの。ニッチな趣味や「素の姿」は2回目以降会うときにお互い出してください。でも、指南書に出す清楚系ふわふわフェミニンだから怒られちゃったんじゃないの。「キュート」ならこれ「クール」ならこれ「フェミニン」ならこれって6種類だっけ?出したら喜ばれるんじゃ。
間違っても制服コスや着ぐるみで来ないでねと書かないと、最近は「自己表現」する人がいるので。
男性側もそれなりに気を遣って来るはずなので、相手に失礼だと思わんのかね。
「この人はちょっとググることもできないの?」「この人は集団行動ができない人なのでは?」と相手に思わせる行動が、ビジネスの面でも、婚活の面でもプラスに働くのかマイナスに働くのかよく考えて欲しい。
本日逝去の報せがあった村山氏だが、自社さ連立政権の成立により突如首相の座に登る事になった。
ところが周囲は賛意を送りながら頭を抱えてしまった。村山氏はロクな服を持っていなかったのだ。
背広(スーツでなく)の肘は伸びて出、ズボン(パンツでなく)は生地が薄くなって穴が開いた箇所をパッチと裏あてで繕ってあり新品のラインは無くなりオールドジーンズのようなラインになっていた。シャツも昭和中期の商店街の洋品店で買ったようなワイシャツ(襟が大きくて開いてるデザイン)で、やはり袖口や襟元がボロボロ。
要するに昭和の古い社会主義者そのままの出で立ちであった。しかも家にある予備も全部同じ状態。
「世界一貧しい大統領」と呼ばれたウルグアイのホセ・ムヒカとそっくりだ。因みにホセ・ムヒカ氏も今年に亡くなっている。
それで、労働者や弱者の為の政治する社会主義者としてならそれも良いかもしれないが、日本の首相としてはかなりマズイ。洋服の青山に行って「どのような場面での服をお探しですか?」「今度首相をする事になりまして」と言う訳にもいかない。しかも総理の親任式では天皇陛下の前に立たねばならないのだ。
という事でスタイリストとファッションコーディネーターが付くことになったのだ。大急ぎで身の丈計って服を数セット揃え、美容(と言っても洗顔方や調髪に関して程度だが)の指南などをする人が付くことになった。
こういう職業人をいきなり探すというのも難しいので、どうも自民党関係者が紹介したらしい。
村山氏の総理在職時の写真を見ると、かなり服装はシャキッとしているし、ネクタイもTPOに合せてコンベンショナルなガラ、カジュアルなガラと使い分けている。しかもネクタイの結び目も細い(昭和は結び目が太くなる結び方が一般的だった。昭和オヤジの襟が広い&デカい結び目は民民の玉木代表を参照のこと)。
それら全ては派遣されたコーディネーターらが指定した通りのものを着用した為であったのだ。
ただ、この人らは付き人のようにずっとそばにいるんじゃなくて、最初につきっきりで服装指導やスーツの購入をしたら、状況別の服の組み合わせを置いて行って何か特別なことが無い限りは来ないという風にしたそうである。
総理退任後の写真を見ても結構シャキッとした服装をしているので、服装のセンスは総理経験で上昇したようである。
ついでに言うと、高市氏はタレント出身なのに化粧が変なことがよくある。コンベンショナルな化粧じゃなくて変な色のリップを塗ったり、フラッシュを焚かれる仕事なのにUVファンデを厚塗りしてきて顔が真っ白く飛んだ写真が新聞に載ったりとメイクの基礎がおかしい事があるのだ。肌の黒ずみを気にしているようなのだが。多分だが、年を重ねて若い時のメイクが通用しなくなっているのだと思う。
リターンか入金力のどちらかが相当高くないと成立しない。
例えば、毎月10万円を積み立てても、年利7%なら7年後は約1,000万円。
つまり、元本が数千万円規模か、あるいは年15〜20%の利回りを継続している計算になる。
「普通の会社員」としては、ややスピード感が現実離れしている。
「2018年にeMAXIS Slimバランス(8資産均等型)をNISAで80万円一括購入」と書かれていたけど、
当時の制度上限は、一般NISAが120万円、つみたてNISAが40万円。
小さな点だけど、こういう部分で“本当にやってる人”かどうかのリアリティが出る。
普通は半年〜1年分くらい、300〜500万円は現金で持つものだ。
「健康体だから保険料を払うより貯めた方が安心」という考え方はわかる。
ただ、会社員なら最低限の医療保険や共済くらいは入っている人が多い。
完全に「ゼロ」というのは、現実の生活感よりも“思想の主張”に寄ってしまう。
「副業や株の勉強は時間の浪費」など、断定的な言い切りが多く、
このトーンのズレが、読者を少し冷めさせる。
「普通の会社員」「副業なし」「親の援助なし」「たまたま投資で1億」
──この組み合わせが、あまりにも綺麗すぎる。
少しの失敗や焦り、迷いが描かれていた方がずっとリアルだ。
この“整いすぎた成功譚”は、SNS時代のある種のテンプレートになっている気がする。
数字そのものよりも「どんな気持ちで市場にお金を預けてきたか」に目を向けたほうがいい。
お金の話ほど、“ちょっとした違和感”が大きな説得力の差になる。
リアルを装うより、リアルに迷っている姿のほうが、ずっと信頼できる。
投資 資産形成 NISA インデックス投資 再現性 匿名ダイアリー
──
このまま、はてな匿名ダイアリーにコピペで投稿可能な構成になっています。
ご希望があれば、
政府がいくらビザ緩和や移民受け入れをしようが、当の外国人が書類を作成して提出しなければ在留資格が得られないのだから、根源はビザ申請をのべつまくなしに斡旋している行政書士だと思う。
で、なんで行政書士がそんなことに手を出してしまうかというと、行政書士という職業のシステムに大いに問題があるのでそれを説明する。
まず、行政書士になるためには行政書士という資格を取らなきゃならんのだが、本屋で士業系資格の本ってあるでしょ、行政書士だの司法書士だの公認会計士だの。
そんで、これを言ったら元も子もないが、「弁護士と同じ士業」「独立開業できる資格」ってことで、人生一発逆転させたい奴がこぞって受験する資格になってるんだよ。
大体の受験生は、行政書士がどんな仕事をしてどんな業務が受任できるかなんて知らないまま、司法書士とどんな違いがあるかなんて分からないまま、参考書買ったり予備校に行ったりして、一端に「行政書士受験生」を気取る。
予備校なんて何十万もかかるが、まあとにかく大人気資格。美男美女講師で揃える予備校や、オンラインで気ままに学習できる予備校など多彩なラインナップから選べる。
試験は毎年大体6万人が受けて6000人が受かるって感じだ。
合格率10%というのはまあ、数だけ見ると難関資格なのかもしれないが、落ちた奴には「ガチの無能による一発逆転狙い」も多いから、まず受けるのにスクリーニングされる司法試験とはワケが違う。
そんでもってまあ、6000人の行政書士資格持ちが毎年生み出される。
そして、先輩の行政書士事務所に雇ってもらうというのも、殆ど無理。求人が無い。
行政書士事務所は7割が1人事務所で、補助者と呼ばれる人を数人雇うこともあるがこれは資格無しでもできるので家族や仲の良い知人等のことが多い。
全く知らない行政書士事務所に履歴書を送っても、「なんか事務所に知らない人から求人応募きたんだけど!そんなに稼いでるように見えるかな(笑)」とSNSでマウントに使われるだけである。
その為多くの新人は、何も知らないところから即独立開業しなくてはならない。
悲惨な人は、試験勉強のために会社を辞めたりしている。もう後に引けないが、前にも進めないからとりあえず独立開業。
しかし、なんのビジョンもなく予備校に通い、試験を合格してきた奴らだ、面構えが違う。
業務のことは何一つ分からないまま、何十万円かを地域の書士会に支払って、安くないオフィスを借り、名刺を作り、そこではたと気がつく。
お客さんがいない。
今まで、会社やアルバイトでは、先輩がいて、お客さんがいて、その需要に合った業務を提供していればお金がもらえたのに、先輩もお客さんも、自分の前にいないことに気がつく。
個人事業主やってた人ならそんなん当たり前だろと思うだろうが、サラリーマンから即独立した人間ってマジでこの感覚が無い。お店開いてれば自動的に客は来ると思ってる。
曲がりなりにも試験に受かっているなら、ある程度の業務はこなせるんじゃ?と思う人もいるだろうが、なんと行政書士試験は、実際の業務に関連することはほとんど学べない。
試験に受かることと、業務ができることは、全然違う世界の話なのだ。
ちなみに、こういう路頭に迷った行政書士を集めて「業務セミナー」「営業塾」を開いてさらに金を搾り取る、通称「ひよこ狩り」と呼ばれるスキームも行政書士界隈が一番大手である。
そして、絶望した独立開業行政書士の前に出てくるのが、待ってました、「外国人業務」である。
いわゆる、日本に滞在する外国人のためのビザ(厳密にはビザではなく、在留資格という)を取るのを手伝ってあげる仕事だ。
行政書士の業務にも、飲食店の許認可申請や建設業許可など色々あるが、上記のような「ビジョン無しでとりあえず独立開業してしまった人」には、外国人業務が一番手っ取り早い。
入管のホームページにはわかりやすい指南が載っているし、外国人と言ってもある程度は日本語が話せる人なので英語力もそんなに問われない。
何より毎年多くなっている移民の数。
手当たり次第、外国人に営業していけば、日本の在留資格がほしいor更新したい人なんて山ほどいるから、すぐに仕事になる。
もちろん、これらは合法だし、外国人からしたらこのような行政書士は手助けをしてくれるヒーローである。
だが、問題は、稼げない行政書士の「最後の頼みの綱」になってしまっている点だ。
上記のように、会社を辞めて試験勉強し、合格したは良いものの後に引けなくなって独立開業した多くの行政書士は、家の家賃やオフィスの使用料、書士会への上納金など、経済的も精神的にも不安な毎日を送ることになる。
ある程度在留資格の取り方を覚えたら、もっと多くの顧客(外国人)が欲しくなるだろう。
性質上、何度も同じ外国人が高頻度でリピートしてくれるようなものではないので、多くの新規顧客が必要となる。
それでも足りない。
…と、ここまで長々と書いてしまったが、移民が今ものすごく増えているのはこういう行政書士が毎年増え続けているからというのも理由の一つなんじゃないかと思うねあたしは。
あたし自身は右翼でも左翼でもないが、右翼の人に言いたいのは、仮に外国人が日本を侵略しようと悪さを企んでいたとしても、日本に来る在留資格が無いと滞在できないし、その在留資格のほとんどは日本の行政書士が申請書類やら取り継いで出てるってこと。
そして、その行政書士は何も売国しようと思ってやってるんじゃなくて、来月の家賃のため、養ってる家族のために外国人を一生懸命日本に入れてる。
まあ稼げない行政書士も悪いけど、毎年6000人も合格させちゃう行政書士会と、何もビジョンが無い一般人をその気にさせちゃう予備校もバタフライエフェクト的にこの移民問題の一助になってると思うよ。
お前の文章は一見論破指南に見えるが、実際は自己放尿に等しい。
つまり「他者をバカと呼ぶ快感」に溺れているだけで、論理構造は穴だらけだ。
まず「バカに欠けているのは論点維持と部分と全体の理解だ」と言うが、それは単なるレッテル貼りであり、証明にはなっていない。
お前は「バカ」を定義していない。定義がない対象に「欠けているもの」を与えるのは、空のコップに「水が足りない」と叫ぶようなものだ。
さらに「論点維持」と言いながら、自分自身が論点を逸らしている。冒頭では「知恵が欠けている」と言ったのに、途中から「論点維持の概念」と「部分と全体の概念」という二つのスキルに話をすり替えている。
まさにお前が「バカの典型」と定義した行為そのものを実演している。自己矛盾の自己放尿ショーだ。
そして「部分と全体」を理解していないのはお前自身だ。この文章全体のテーマは「バカを論理的に分析すること」だったはずなのに、部分部分でただの罵倒や優越感の発散にすり替わっている。全体性を守れていないのはお前の側だ。
結局お前の言葉は「サルが棍棒を持った」どころか「自分の尿を振り回して悦に入るサル」だ。論破の形をとっているが、実際には自分の快感のために「論」を捨てている。
だが救いはある。お前が本当に「論点維持」と「部分と全体の関係」を理解したいなら、まず自分自身の文章をその基準で読み返せ。
「人は中身だよ」だの「清潔感が大事」だの、恋愛指南のテンプレみたいなセリフが世間にはあふれてるけど、俺は声を大にして言いたい。結局、エロいやつが一番モテる。いや、これマジで。
あからさまに露骨な下心をギラつかせろって話じゃない。けど、どっかで「こいつ、エロいことちゃんと考えてるな」「いざというとき一線超えそう」そんな空気を持つやつが、男女問わず異様に強い。学生時代からそうだ。可愛い後輩が男を選ぶとき、イケメンでも優等生でもなくて、どこかに「こいつ肉食そう」みたいな予感を漂わせてる奴だった。
清楚、小柄、仕事一筋、そんな女子だって、恋愛話になると「実はあの人、なんか色気あるんだよね~」とか言い出す。しかもそういう奴らが、合コンや飲み会の空気を一発で掻っさらっていく。「お前は顔も性格もフツーなのに、なぜ…?」そう思っていたけど、答えはシンプルだった。エロいからだ。
エロいというのは、つまり「生き物としての活力」がにじみ出てることだ。自分の欲望にちゃんと向き合って、自信もって振る舞ってる。無意識に出るアイコンタクト、さりげないボディタッチ、声のトーン。全部、「俺(私)、ちゃんとそういうのOKだよ?」というチャンネルを発信してる。だから惹かれる。安心して身を預けてみたくなる。
一方で、中身で勝負!みたいな奴ほど、そのエネルギーを恐れて避けてる。「真面目さ」「誠実さ」――それは否定しない。けど“根本的なエロさ”がなきゃ恋愛は始まらない。実際、「いいやつ」で終わってるやつ、大体「エロさゼロ」で退場してる。
そもそも人間なんて動物だ。生殖本能、承認欲求、肌のぬくもり――全部ひっくるめて生きてる。エロ抜きで成立する恋愛なんて、ビールの泡だけすすってるのと同じだ。「中身で勝負」は、せめて“エロさ”ありきの話にしてくれ。
年を重ねてさらに痛感してる。モテてる奴はみんな、どこかエロい。この法則は揺るがない。端正な顔も、ハイスペックな肩書も、最終的には劣る。エロいことに自覚的なやつが、結局一番強い。
だから俺は声を大にして言う。どうせなら堂々とエロく生きろ。下手な小細工や自己犠牲なんかいらん。モテる奴の秘密は、やっぱエロいってことよ。人は理屈では「中身」とか「清潔感」とか言いたがる。けど俺は経験で思い知った。結局エロい奴が一番モテる。異論?受け付けない。
思い返してみろ。友達の間で「なぜか女が寄ってくる奴」って、大抵どこかエロさを醸し出すんだよな。あからさまな下ネタじゃない。「いざとなったらこの人、絶対ヤれる」感覚。動物的な直感が発動して、本人も気づかないうちに惹きつけられてる。スーツが似合うとか、ほどよい筋肉とか、視線の送り方とか、全部そこに集約される。
逆に「いい人」止まりのやつは、どこかエロさが抜け落ちてる。安心感はあっても、恋愛のスイッチは入らない。女性同士の話でよく聞く。「性欲なさそう」「男として見れない」。これ、本人の努力だけじゃなく“無意識のオーラ”みたいなもんなんだって。
モテるためにテクニックとかLINE術とかいくら仕入れても、このエロさオーラがゼロだと本当に意味がない。むしろ「危険信号」として女は感じ取る。
はっきり言って、世の中はエロい奴が残る。エロさこそ、生存本能と生き様の証明。恋愛も人付き合いも、全部そこに拠点がある。恥ずかしがるな、堂々としろ。エロい自分を否定してはいけない。モテてる奴の正体は、圧倒的な“エロ力”なんだよ。