
はてなキーワード:承認欲求とは
最近、「なぜ高学歴は『推し活』をしないのか」という記事がバズっていた。
高学歴は推し活を「非合理なリソースの浪費」と切り捨てる、という話だ。
しかし、地下アイドルに通ったことがある俺から言わせると、あれは半分正しくて半分間違えている。地下アイドルの現場には高学歴も、医者や弁護士といったステータスを持った人もいた。
正確にはこうだ。
元記事は「主体性の有無」が鍵だと指摘していたが、まさにその通り。
ではなぜ低学歴は「させられる」のか。
あくまでも支払った金額の対価としてでしかないが、そこに依存してしまう人も少なくはない。
そのため風営法で規制されており、社会からは厳しい目を向けられている。
1000円払えば可愛い女の子が名前を呼んで笑顔でハグしてくれる。
「○○くんがステージから見えて安心した♡」「○○くんがいるから生きていける」←これは実際に俺が言われたこと
現実世界で一生かけても絶対に言われない言葉を、金さえ払えば確実に言ってもらえる。
しかもファンコミュニティの中では、学歴も年収も職業も関係ない。
「どれだけ推しにお金を使ったか」「どれだけ愛を語れるか」がステータスになる。
彼らが生まれて初めて「私はここで認められる」と感じられる場所だ。彼らは「存在価値」を買っていたのだ。
現実社会が与えてくれなかった「生きる理由」を、チェキ代を出すことで買うことができた。
話を戻そう。現代日本には「勝ち筋」がほぼ見えない層が大量にいる。
正社員になれず、障害者雇用枠か日雇いの、低学歴と呼ばれる人たち。
要するに、社会的弱者だ。
「私はここにいてもいいんだ」と思える場所が、どこにもない。
昔はそういう層が金を溶かす先は決まっていた。
どれも一時的にドーパミンは出るが、承認欲求は満たしてくれない。
「私はここにいてもいいんだ」と思える場所はどこにもない。
そこに目を付けた悪い大人がいた。「承認欲求販売業」という依存症ビジネスに「推し活」という名前を付けて全国展開してしまったのだ。
推し活をしていると思っている人はきっかけを思い出してほしい。
どうして「この子を推そう」と思ったのか。
X、TikTok、YouTubeのオススメ、まとめサイトのランキング、
「偶然の出会い」と思っているものは、全て誰かが設計したアルゴリズムと導線に乗った結果ではないだろうか。
最初の一歩から、逃げ場のない迷路に誘導されていたのではないか。
ターゲッティング広告に狙い撃ちされ、主体性の無さゆえにズルズルと深みにはまり、心地いいコミュニティに閉じ込められ、生かさず殺さず、ずっと搾り取られる。栄光浴で自分自身も優れた人間であると勘違いし、他では得られない承認欲求を得るための、買える自尊心を購入するための代価として、推し活を「させられている」のではないか。
だから推し活を叩かれると、まるで自分の存在そのものを否定されたように感じて発狂し、
なぜなら、推し活を奪われたら、次にどこへ行けばいいのかわからないから。
でも実際は、「選ばされていた」だけだ。
端から見て、社会的弱者が身を削って貢いでいる姿は、ただただ気持ち悪い。
まるで新興宗教の信者が教祖に全財産を捧げているような光景だ。
実際、構造は完全に同じではないだろうか。
「ここにいれば救われる」「お布施すれば愛される」
「2025年の総決算として個人数値出しましょう」みたいなイベントページに飛んでみたらそう書かれていた。
1000回コメントは当然多い。
そして俺はこの大部分を、0時にアクセスして速攻で漫画を読んで書き込んでいる。
その日にアップされた漫画にコメントを残して「どれかめっちゃいいねされないかな」と思って寝る生活だ。
良いコメントが思いつかない場合は諦めるからおおよそ1日5作程度だろうか?
200日間、「0時にアクセスして速攻で漫画を読んでコメントを残す」という生活を続けてきたのだ。
200日ということは当然のように1年の半分以上を意味する。
ヤバイ。
ユーザーの0.1%が俺のような「2日に1回以上のペースで0時コメントダッシュをぶっかましていいねランキングで上位を争奪しようとせしめる承認欲求の怪物」なのか。
ヤベーサイトじゃん。
2時間おきぐらいに波が来て思い出し笑いしちゃった。
あまりにも目糞鼻糞を笑うでしょ。
「僕の偉大なる経験を見せてあげますよ。とっくに成長しきった大企業で雇われやってきた僕の中長期的な目線をね」みたいな態度でふんぞり返ってるスタートアップの平社員意味不明すぎない??????
小学生が野球してる所にオッサンが入ってきて「君たちはセイバーメトリクスに基づいた野球をしていないね。そんなんじゃ甲子園で通用しないよ」とか言い出すようなもんじゃん?
しかもソイツがコーチじゃなくて選手の1人として入ってきて「僕みたいな分かってる人間が3番をやるの。1番と2番が塁に出て、僕みたいな分かってる3番が場を整えるわけ」とか言いながら1人だけ身長30cmぐらいデカイオッサンが打順に入ってバットブンブンしてるの流石に無理だろ。
そんで出てくるのが「目立ちたがりの出しゃばりじゃ駄目。地味に堅実に自分を客観的に見るんだよ。僕は経験があるから客観的な見方を知ってる。僕を見習って」とか言ってるわけ。
今年の裏アドベントカレンダーチャンピオンシップの優勝はお前で決まり!
サイゲの社員がクソ強限定キャラのコードを書いてきたりしない限りは多分もうお前に誰も勝てない!!!!
凄いよ!!!
アンタは凄い!!!!!
とりあえずマルシルをもう諦めたらいいのに、と思うんだけど、なんでいつまでもマルシルをやるんだ?
ここまできたら何のコスプレをしても、いっそコスプレをしなくても、ファンもアンチもみんな追いかけてきて充分な承認欲求が満たされるだろうに…
最近、YouTubeのおすすめに上がってくる「地震シミュレーション」と言う名の妄想動画、あれ本当に何なの?
サムネは真っ赤な日本地図に「震度7」「日本壊滅」みたいな煽り文字。再生すると、緊急地震速報のあのチャイム音(不協和音)が鳴り響いて、自動音声かアナウンサーごっこしてる奴が被害状況を読み上げる。
一見、防災啓発動画のように見えるし、想定を基にしてます!なんて言ってるけど、最終的にはただの制作者の妄想。
正直、「公共の場所でオナニー見せつけられてる気分」ですごい不快なんだけど、俺だけ?
あれを作ってる連中、防災意識なんてこれっぽっちもないだろ。彼らが好きなのは「人の命を救うこと」じゃなくて、「NHKのテロップのデザイン」とか「緊急時の管制システム」そのものなんだよね。
「ここでチャイム鳴らして、ここで赤テロップ出して、全画面切り替えて…」っていう、放送送出の手順をシミュレートして、自分がその司令塔になったような全能感に浸ってるのが透けて見える。鉄道ファンの中に「電車の運行システム」が好きな層がいるけど、あれのタチが悪い版。「危機的状況」を支配する快感に酔ってる。
一番タチが悪いのが、概要欄とかで「防災意識を高めるために~」とかもっともらしいことを書いてる点。
やってることは「不謹慎なパニック映画の自主制作」なのに、「これは教育です」って顔して正義の盾を構えてるのが本当に卑怯。
コメント欄も地獄で、「怖くて震えました!」「勉強になります!」とか称賛してる信者がうじゃうじゃいる。いや、それ勉強になってないから。ただ恐怖映像見てドキドキして、悪ノリして盛り上がってるだけだから。それを「予習」とか呼んで正当化するなよ。
昔はニコ動の片隅でひっそりやってた趣味だったのかもしれないけど、今はYouTubeで数百万再生とかいっちゃうから、投稿者の承認欲求がバグり始めてる。X(Twitter)でもフォロワー数万人とか抱えてて、もはや専門家・インフルエンサー気取り。
④実害がある
NHKや他局の素材やフォーマットを完コピしてるから、子供やお年寄りが本物と勘違いするリスクもあるし、実際に被災した人があの音聞いてフラッシュバック起こすことだってある。「架空です」って書けば何してもいいわけじゃないだろ。
人の不安や恐怖をダシにして、テレビ局ごっこで再生数稼いで承認欲求満たすの、いい加減にしてほしい。NHKの法務部あたり、そろそろ本気で怒ってくれないかな。
当方ある業界のフリーランス(10年以上)。40代。既婚子無し。
稼ぎの大半を毎月インデックス投資にぶっ込み続け、気づいたら資産1億達成。
別に特別優秀だったり熱意があったわけではないが、仕事は好きだしクライアントにも恵まれた。
9時〜18時まで在宅で仕事して夜は趣味やトレーニングにあてる。
もちろんいずれ仕事は減っていくだろうが、今ある資産を運用しつづければ安泰かなという安心感があるので
全然ガツガツしていない。契約切られたらしばらくゆっくりしようかなと思う。
プライベートでは特に浪費はしないが、たまの旅行や食事、車にはまあまあお金使う。
性格的に目立つのが好きじゃないので、資産自慢するでもなし、SNSやYoutubeで承認欲求満たすでなく、
ひっそりとお金持ってるおじさんとして生きているが、
さすがに近しい知人友人には「あいつ結構金持ってそうだな」とは思われているっぽい。
だからなんだというわけでもないし、こちらも鼻にかけたり見下すつもりはないけれど(態度にうっすら出てる可能性は否定しない)、
やはりどうしても静かに疎遠になっていく。
であれば似たような境遇と性格の人と繋がりたいが、この手の人達はネットの世界にはまず出てこない。
彼らはSNSで自慢しないし、異業種交流会にも来ないし、オンラインサロンにもいないから。
「同じステージにいる人が見つからない」という孤独が発生する。
普通だったら子育てや小遣いの少なさ、や上司・部下からの圧力、将来の不安など、
悩みを、近い境遇の友人や同僚に愚痴ることで癒やされるのだが、
自分にはその手の悩みが一切ない。
悩みがないことが悩みなのだ。これは大真面目に言っている。
家庭の事情に追われることもない。
だからこそ奇妙な話なのだが、悩みがないことが悩みになっている。
何かに怒る必要もなく、誰かに愚痴る必要もなく、無理に頑張る必要もない。
人間関係の潤滑油は、案外「不満」や「疲労」や「愚痴」なのだと気づく。
そしてそれがない自分は、どこか別の世界にいるような感覚になる。
会社員投資家やスタートアップ経営者の億万長者ではまた違うのかもしれない。
フリーランス・一人親方ゆえのセカンド・サードプレイスのなさがより孤独感を強めている気がする。
それが今の悩み。
小さくまとまってはいるものの普通に ( ;∀;) イイハナシダナーってなれる佳作だった。71点。
ここで一句。
春すぎて 池田エライザ 乳でっか
※作品の大筋とは特に関係ありませんが最も印象に残ったので書き記しました。
大筋としては幼少期に母親に捨てられ育ててくれた祖母を亡くして叔父である日本一小汚いイケメン俳優にオダギリジョーに引き取られた陰キャの池田エライザは、彼が運営する心理的瑕疵物件(事故物件)に一時的に住むことで告知義務を解除するルームロンダリング業に従事している。霊が見える彼女は出会う霊と隣人との交流を通じて成長していくのであった。
「自分を受け入れること」という普遍的でポジティブなメッセージに溢れていてよかった。
エライザは「母親に捨てられた自分」を受け入れられず他人を拒否して人とうまく話せない。しかし事故物件に住む地縛霊とはちょっと話す。特に冒頭の30分くらいはマジで幽霊とだけしか話さないのでなんかギミックでもあるのかと思うくらいだったけど別にそんなことはなく、普通に心が解けていくと同時にポツポツ人間とも話しはじめていてそれはそれでよかった。
自殺したロッカーであるキミヒコは才能がないかもしれない自分が受け入れられず、結局デモテープをレコード会社に送ることもできずに世を儚んで自殺してしまうし、刺殺された光宗薫は冴えないOLとしての自分が受け入れられずコスプレで承認欲求を満たしその結果刺殺されてしまう。
その中で唯一ポジティブなド陰キャの伊藤健太郎は光宗が刺殺された夜、隣の部屋で助け声を聞いていたのに怖くて何もできなかった自分を受け入れて、次に隣人が越してきたらその人には積極的声をかけようと決めていて、その結果、隣に越してきたエライザに介入して心を少しずつ変えていく役割を果たすのは作中のロジックとして正しいと思った。
母が出て行ったのは自分にこんな力があるからではと悩むエライザは一度はその力を拒否するも、その辺をうろついてる地縛霊に気まぐれで些細な親切をして大感謝されたことから「本当は私にできることがあったんじゃないか」と自身を見つめ直し刺殺光宗事件の解決に乗り出し成功。最終的にオダギリの紹介で母親と再会する。母親は死んでいて、しかしエライザが霊をみえる力があったことで再会がかなったということ、そしてオダギリにも母親にも祖母にも同じ力があったことが分かり、力があってもいいということ、孤独じゃないんだいうことで自分を受け入れてFinish!
( ;∀;) イイハナシダナー
地縛霊ものとしては最終的になんか感動させて除霊してめでたしめでたしとなりがちだけど、この作品はあえてそこに踏み込まない誠実さがある。まぁ、パンクロッカーのキミヒコの残されたデモテープをエライザがレコード会社に送った結果認められて成仏しちゃう展開はあるんだけどこれは他人を拒否していたのアグレッシブな誠意の成就だということでご愛敬。
刺殺された光宗は今でも同じ部屋で次に越してきたイケメンに取り憑いたろうとしてるし、学芸会へ向かう途中で交通事故で死んだカニの服装をしたガキもずっとはしゃいだままだし。ちなみにこのガキは学芸会で猿蟹合戦をやる予定で、そのカニ役が潰れて死んだってのもアレだし、最終的にとある事件の解決にその猿蟹合戦が生きてくる展開はめちゃくちゃ無理やりでベタだけどまぁ本筋ではないしな。必然性頑張ったのかなと苦笑い。
後は自殺パンクロッカー編と刺殺OL編に大まかには分かれてるんだけど、エライザがデモテープを持ってきてしまったことでそれに憑いてきたパンクロッカーと光宗が邂逅して地縛霊同士気が合ってなんか仲良くなっちゃう展開は面白くてよかった。
あえて苦言を呈するならテーマ先行で登場人物の行動と思考が常に前のめりなので常にこっちが予想しているより半歩早くてつんのめる感じがあるなっていうのとあとはまぁ起きることがすげー地味なので緩急に弱いというところ。
国民の口をふさぎ全体主義への道を開く道具の一つとなりかねない法案への懸念を「だせぇ」と思ってしまうやつの残念さ、浅はかさよ。
自ら豚肉になりに行く豚とでも言うべきか。
「君が代」だって、日教組のセンコーがイキリ顔で不起立とかやってるのウザいよね
言ってる側がおじいちゃんって丸わかりなの
でね
なにせ、それを主張するだけで特別になれる
同士からちやほやされ、有象無象の愚民とは違うんだと承認欲求を満足させられる
政府批判で国旗を燃やすって時点で、もうそこらの市民と感覚が違うのよ
普通の人は高市氏を批判することは日本を批判する事じゃないわけ
でもそこの区別がつかない人らは、安倍批判とか高市批判で国旗を燃やしちゃう
んで、まさにそこを狙い打った法律に戦々恐々とガクブルしちゃって
「国旗を燃やして逮捕とか、こんなことが許されていいのか?」とか言うんだけど
多くの国民は「いんじゃね?」ってなもんよ
毎年クリスマスや正月のような宗教色の強い時期になると思い出すので備忘録として書いておこうと思う。
とても長くなるので読んでも読まなくても構わない。
粗はいくらでもあるが、当時小学生のお子ちゃまが頭を振り絞って考えたことだったので生暖かく見ていただければ幸いだ。
当時通っていた小学校はお受験が盛んで、クラスの半分以上が中学受験するような学校だった。中には体育や道徳など勉強に関係ない授業が多い日は学校を休み塾へ通うように親に指導される子供がいるような学校である。
そんな雰囲気の学校だったため増田も塾に通わされていたが、増田の親は仕事が忙しく放任主義だったため、どちらかというと自由に延長できる学童のような使い方をしていた。親が帰るまで子供1人は心配だから大人がいる塾で勉強して暇を潰しなさい、という発想かと思う。
朝から晩まで勉強で楽しくないし、学校の教師は子供達に学校で勉強させようと胡麻擂りに必死だし、塾ではライバルたちと比較される。お子様なりにフラストレーションが溜まっていた。
小賢しく、自尊心が高く、承認欲求が強く、何よりも勉強以外で暇を潰したかった増田はそこで考えた。
当時の増田の立ち位置は「1軍グループにいるけどちょっと浮いてる変なやつ」だった。友人Aと友人Bの親友というだけで残酷な子供達のカーストの中で辛うじてバラモンの仲間に入れてもらっていた。友人Aと友人Bの存在がなければきっとダリットだったと思う。
とにかく、増田には2人の親友がいた。勉強もスポーツもできて誰からも一目置かれる友人A、とにかく話がうまく誰とでも仲良くなれる才能がある友人B。
入学した時にたまたま席が横並びになったというだけの出会いだったが、それからこの2人はこちらが申し訳なるくらい良くしてくれ、そのおかげで陰キャで性格がドブカスだった増田も「みんな仲良し♪」の仲間に入れてもらうことができたのである。
表向き友人Aも友人Bもみんなの前では「気のいいやつ」だったが、実は2人とも性格にはかなり難があった。いや、だからこそ増田と仲良くなれたのかもしれないが。
友人Aはなんでもできるからこそ傲慢で、支配欲がある。少し早い厨二病であり、大きな声では言えないがナチに憧れていた。大きな声で言わないところが実に打算的であり、増田はそこが気に入っていた。
友人Bはとにかく人からの評判を気にしていて、いつも自分の悪口を言われていないか怯えていた。それと同時に人の内緒にしておきたい部分を暴くのが大好きで、いつか何かあった時に脅せるように、仲良くなって秘密を握ることで快感を感じる癖があった。
増田はといえば親友2人を自慢に思うとともに、増田の言うことを疑いもしない人気者2人を操る優越感に浸るクズだった。
そんな悪友2人に、こんな面白いことを共有しないわけにはいかないと増田は思った。
「いいね、やろう」と友人Aは言った。
増田は「こいつら話が早すぎるな」と思った。
そうして、宗教を作ることになった。
増田はキリスト教圏で育ったので神の存在に関しては割と思うところがあった。
思想と宗教の違いは難しいが、神の存在を論じられるほど増田の信仰は深くなかった。ただ、人間の熱狂は宗教になりうる、と子供心に感じていた。
小学生だった増田の狭い狭い世界の中で、唐突に宗教を作ろうと思ったわけではない。「これはいける」と思った出来事があった。
どの小学校でも道徳の授業があったと思う。お受験組の気を引こうと躍起になっていた当時の担任は、その道徳の授業で「いいこと投票」というものをしていた。
その名の通り単純で、「いいことをした人を匿名で投票して、得票数が高かった人を表彰する」という仕組みである。
これは単純だが、小学生の承認欲求をかなりくすぐった。なにしろ、いいことをするだけで教壇の上で褒められ、その上シール(子供にとってのシール!史上の喜び)を授与されるのである。名札の裏にいいこと投票のシールを貼るのがステータスになるのにそう時間はかからなかった。
増田はヒネた子供ではあったが、それでも投票されたら悪い気はしないし、いいこと投票が頭をよぎって人助けをすることもあった。
それと同時に、「これは使えるな」と思った。
増田が育ったキリスト教の教えでは、善行は死後の世界のために積むものとされていた(諸説ある)。だが、小学生にとって死後の世界など遠い存在である。「善行を積めば人々から尊敬されるという承認欲求」の方が何より魅力的なのではと思った。
3人の意見はまとまった。
その週末、3人で図書館に行った。親は大喜びでお駄賃までくれたが、目的は宗教について調べることであった。当時インターネットはかなり普及してきていたが、学校のコンピューター室で宗教のことを検索するのはかなり気が引けた。そこで図書館へ行くことにした。
一日中調べて回って、以下のことを決めた。
小学生なりに考え、実行に移せる最大限を考えた。
結成時に十数人を集めて行った友人Aの演説は素晴らしいものだった。増田が授業中書いた原稿と同じ文言とは思えないほど力に満ち溢れ、説得力があり、心に訴えかけるものがあった。その場にいた全員が信者になると誓い、お札を下駄箱に貼り付けた。
友人Bの勧誘も実に巧みだった。誰に話せば一番噂が広まりやすいかを友人Bは知り尽くしていた。すぐに手元にあったお札はなくなり、増刷をすることになった。学年のほとんどが入信し、シールは飛ぶようになくなった。匿名投票のための空き下駄箱は常に紙が入っている状態で、ランドセルの蓋にシールを貼るのが大流行した。
3人はそれで満足し、たかを括っていた。小学生の拡散力を舐めていたのである。
夏が来て塾の夏期講習が始まってから、他校の生徒に声をかけられることが多くなった。もちろん入信の申し出で、最初は喜んで案内をしていた。
だが、20人を超えたところで不安になり始めた。なにしろ、塾でしか会わない人間である。匿名投票の匿名性は失われ、よく知らない人間の善悪を判断しなければならない。
3人は作戦会議をし、組織化をしなければならない、と結論を出した。信者たちを支部に分け、各支部ごとに信者たちをよく知る支部長を置くことにしたのである。
それと同時に、今まで全て3人で行っていた運営にテコ入れをすることにした。
まず、専門のデザイナーを雇った。非受験組の絵が得意な信者にシールとお札のデザインを一新させた。毎月シールの図柄を変え、飽きの防止とインフレの防止を図った。
また、情報屋も雇った。告解で得た情報でさらに価値のある情報を交換するためである。これは画期的で、「この秘密を話すので誰々の好きな人を教えてください」とかが大変多くなった。
支部長の下に秘密で内部監査官も置いた。これは支部長の不正や信者との癒着を告発させるためである。
組織化したことにより、3人の地位は確固たるものになった。カリスマ的教祖の友人A、人に響く教えを説く友人B、善悪を裁き組織をまとめる増田。
夏休み中もムーブメントは衰えを知らず、信者は増え続けた。3人は有頂天になっていた。
そして学校が始まり、始業式の後、3人は応接室に呼び出されたのである。
〇〇〇〇教は教師陣の間にも知れ渡っていた。
一つの学校ではなく塾や習い事によりその地区の他校にも伝播した〇〇〇〇教の信者は把握できるだけで数百人を超えていた。
夏休み中、先生方は連携をとり、学校再開とともに終わらせようと話し合いがされていたらしい。
説教は3時間に及んだ。これは、先生方の話が長かったこともあるが、こまっしゃくれたクソガキだった我ら3人がいちいち反論を仕掛けたからである。
そもそも、我々は何も悪いことをしていなかった。ただ「いい人になろう」「いい行いをしよう」「いい人たちを尊敬しよう」と言って回っただけである。「ご利益がある」とお札を売りつけたり、告解で得た弱みを握って脅したりもしていない。ただ、善行を行わせて噂を流通させただけなのだ。
教師陣もそれがわかっていたのであまり強くは追及してこなかったのだが、我々があまりに舐め腐った態度をしていたのでだんだんヒートアップし、複数の教師が入れ替わり立ち替わり講釈を垂れ、最終的に「解散宣言をしなさい」と一方的に要求を押し付けてお開きになった。
応接室を出て、下駄箱に向かい、校門をくぐった瞬間、3人は爆笑しながらハイタッチをした。
「馬鹿め、もうそんな段階にないのだ!」と知っていたからだった。
子供と接しているのに大人である先生の皆皆様方は全くわかっていらっしゃらない。子供は禁止されたらもっともっとやりたくなるんだよ!
受験用に詰め込まれた知識であるキリシタンの気持ちがその時はよくわかった。抑圧された宗教は熱を増すのである。
隠語で呼ばれ、ミサと称した会合が秘密裏に行われ、塾に通うために学校を休んでいた層もせっせと体育館裏に足を運び秘密を囁くようになった。
教師陣は躍起になっていたが当時流行り始めた学校裏掲示板やmixiの日記などで〇〇〇〇教は着実に広まり、信者は増え、もはや我々3人の手に及ばないものになっていた。
知らないデザインのシールが増え、知らない告解が増え、知らない宗派ができていた。
秋が来て、塾で勉強している間に冬になった。
冬季講習の最終日、いつもの公園のジャングルジムの上に集まり、80円の缶ジュースで乾杯をした。
「そろそろやめよっか」と増田は言った。
「卒業、さみしいなぁ」と友人Bは言った。
正直、もうその段階ではないことはわかっていた。これはただの勝手な「一抜〜けた!」である。
教祖も司祭も裁判官も全てを誰かに押し付けて、こそこそと逃走するのだ。信者からすれば大きな裏切りであり、大罪だろう。
でもぶっちゃけ、飽きちゃったのだ。自分たちを置いて勝手に物事は進んでいくし、勝手に教祖を名乗るものも出てくるし、勝手に布教されているし、勝手に人が人を裁き始めるし。
だって子供だし、受験もあるし、そもそも進学したら続けられないし。
色んな言い訳をして、色んな人と話して、時にやり合って、押し付け合って、そうしている間に受験で学校に行かなくなって、ようやく卒業のために帰ってきたらどうやら全てが終わっていた。
あれだけ熱狂的だった信者たちは激減しており、卒業とともに誰かに譲られるためランドセルの蓋はシールなんてなかったように綺麗になり、空き下駄箱は使用禁止になっていた。
教室の後ろの「いいこと投票」の模造紙は取り払われ、「卒業おめでとう!」の垂れ幕に変わっていた。
友人Aは卒業と共に他県へ引っ越した。6年生になった時から決まっていて、増田たちと最後に何かしたい、と言っていたので「何か」は間違いなくできたと思う。
友人Bは志望校に落ちたので増田とは違う中学に進学した。あれだけ熱心に活動に勤しんでいたというのに引っかかったのは幸運だと自ら笑っていた。
増田は中学で若干いじめられそうになっていたが、入学した時に席が前後になった友人に助けられなんとかグループの輪に入れてもらい事なきを得た。教訓としては、コミュニティに入って一番初めにできた友人はなんとしてでも大事にした方がいいということだ。
それぞれ無事進学して、就職して、結婚して、最近はオンライン飲み会なるものを開催している。
この間、家族で親元へとUターン引っ越しをした友人Bが酔っ払いながら教えてくれた。
「最近、子供がランドセルの裏に変なシールをくっつけて帰ってきてさぁ」
友人Aはしばらく黙った後爆笑したが、増田は少し泣きそうになった。
この歳になると涙腺が緩くなって困る。
キリシタン、まだいるのかぁ。
「君が代」だって、日教組のセンコーがイキリ顔で不起立とかやってるのウザいよね
言ってる側がおじいちゃんって丸わかりなの
でね
なにせ、それを主張するだけで特別になれる
同士からちやほやされ、有象無象の愚民とは違うんだと承認欲求を満足させられる
政府批判で国旗を燃やすって時点で、もうそこらの市民と感覚が違うのよ
普通の人は高市氏を批判することは日本を批判する事じゃないわけ
でもそこの区別がつかない人らは、安倍批判とか高市批判で国旗を燃やしちゃう
んで、まさにそこを狙い打った法律に戦々恐々とガクブルしちゃって
「国旗を燃やして逮捕とか、こんなことが許されていいのか?」とか言うんだけど
多くの国民は「いんじゃね?」ってなもんよ
本当に分からん。素人の大して上手くもねえカラオケを聴いて何を喜んでるんだ?
きちんと収録された音源をサブスクで聴いてるほうがよっぽど整ってて安心感もあるだろ。歌枠を観ている奴が何を求めているのかが全く理解できない。下手したらノイズですらある。
まぁ歌ってる方は楽しいだろうよ。カラオケは日本が産んだ文化だ。俺も歌うことは好きだからよく友人や会社の同僚と通ったし。
でも人の歌聴いてる間って内心わりと虚無じゃない?自分も好きな曲だったらまだしも、知らん曲が流れるととりあえずノッてるフリをしたりタンバリン叩いたりしてお茶を濁す。上司のおっさん達が世代違いの曲で盛り上がって合唱でも始めたら、とりあえず知ってるフリして口パクしておく。そんなもんだろ。
よっぽど歌が上手ければ話は別だ。「喉から音源」みたいな人間はまぁいるっちゃいる。でもそんなのはほんの一握りで、大半は有象無象の範疇を過ぎないじゃん。歌上手くても俺はあんまり観ないけど。
あれ観てて楽しんでる人間がどんな気持ちなのか、純粋に気になるので教えてほしい。
そういう訳でリスナーに対してあまり否定的な気持ちはないんだけど、一方で歌枠ばっかやってるVのほうはちゃんと否定したい気持ちがある。ゲーム配信とかも同様だ。
特に個人勢で顕著だと思うんだけど、「ガワ被ってりゃ全てがエンタメになる」と勘違いしてる奴が多くないか?歌枠なんてその最たる例だ。
お前の活動、モデルがなくてもエンタメとして成立してると思うか?んでそういう勘違いしてる奴に限って、数字が伸びなくて病み始めたり、Twitterに猫撫で声のポストをしていいねを集めては承認欲求の慰めにしてる。冷静になれ。お前の生み出してるものに「コンテンツ」としての面白さはあるのか?
「ただ活動が楽しい、数字は二の次」ってスタンスでやってるならなーんにも文句はないんだ。というか楽しくなきゃやってられない稼業だろう。そういう活動者は素直に応援してる。
でも数字を気にしすぎるあまりメンタルがイカれるような体質なのであれば、もう少し自分のコンテンツを客観視してみるか、あるいはタレントに類する活動は辞めた方がいいんじゃないだろうか。数字と自己肯定感が直結すると人は簡単に死ぬぞ。本当にオススメしない。
気にするな。日本人の多くは恐らく根本的にお前と同じ精神構造だ。自己肯定感が薄いから他者からの承認をもってアイデンティティを維持しようとする。
本来それを与えてくれる他者というのは、例えば家族や友人、職場の人間といった限られたコミュニティで収まるはずなんだ。だがしかし、なまじそんな活動をしてしまったがあまり、お前はインターネットを通してウン万人に承認を求めてしまうようになってしまったんだ。却って生きづらくなってんだよ、お前は。
久しぶりにド田舎の実家に帰ったんだけどさ。地元のイオンモールで、中学時代の同級生たち(いわゆるマイルドヤンキー層)に遭遇したわけ。
EXILEみたいな髪型した旦那と、茶髪のプリンヘアの嫁が、子供3人連れてフードコートで丸亀製麺食ってギャハギャハ笑ってる。駐車場にはデカいアルファード。 正直、昔の自分なら「うわぁ…」って見下してたと思う。知性のかけらもない会話、洗練されていないファッション、閉じた世界。
でも今回、東京で消耗しきった頭で彼らを観察してたら、ある恐ろしい事実に気づいてしまった。
「生物としての幸福度」において、どう考えても俺(都内勤務・年収1000万超・独身)より彼らの方が圧勝してるんじゃないか? ということ。
悔しいから色々考えたんだけど、これ単なる「隣の芝生」じゃなくて、構造的な理由があるわ。言語化できたので書いておく。
東京のエリート(笑)である俺たちは、常に「最適解」を探し続けてる。もっといい会社、もっといい年収、もっといい住居、もっといいパートナー。選択肢が無限にあるから、「今の選択がベストなのか?」という疑念が一生消えない。 これを心理学で「マキシマイザー(最大化人間)」って言うらしいけど、まさにそれ。
一方で地元の彼らは「サティスファイサー(満足化人間)」だ。地元にはイオンとパチンコと数軒の居酒屋しかない。就職先も親のコネか地元の工場。結婚相手は中学の先輩か後輩。選択肢がないから、迷いようがない。 「ここで生きていく」という覚悟が強制的に決まってる。 「もっといい人生があったかも」というノイズがない分、彼らは目の前のうどんと家族に100%のリソース(関心)を投下できている。
2. 「相対的剥奪感」の欠如
東京は天井がない。年収1000万になれば2000万の奴が視界に入る。タワマンの低層階を買えば高層階の奴に見下ろされる。SNSを開けば、自分より若くて成功している起業家が流れてくる。 どれだけ努力しても、常に「敗北感」を味わわされる構造になってる。終わりのないラットレース。
でも地元は違う。アルファード乗って、持ち家(土地代タダみたいなもん)建てて、子供が3人いれば、その時点でもう「地域の王」だ。ゲームクリアの条件が明確で、しかも難易度が東京に比べてイージーモード。 一度クリアしたら、あとは余生としてマリオカートを楽しむだけ。 彼らはもう「足るを知る」状態に入ってるのに、俺だけがレベル99の上限解放待ちのクソゲーを必死にプレイしてる気分になった。
俺たち都会人が金で買っているものを、彼らは「人間関係」で無料調達している。 子守りは近くのジジババがやるから無料。 車が壊れたら先輩の整備工場で安く直す。野菜は近所から貰う。
俺たちは孤独を埋めるために高い家賃を払い、承認欲求を満たすために高い時計を買い、家事代行やシッターに金を払う。 彼らはそのコストが全部ゼロ。可処分所得で見たら俺の方が多いかもしれないけど、「精神的な可処分所得(安心感)」で言えば、地元のツレとの強固なネットワークを持つ彼らの方が圧倒的に富裕層なんじゃないか。
高学歴エリートが都会でやってるのは、 「無限に湧いてくる選択肢の中から、正解かどうかも分からない最適解を選び続ける」という、リソース消費が激しいだけの苦行だった。
マイルドヤンキーたちは、 「限られた選択肢を愛し、その中で最速で満点を取り、あとは仲間と笑って過ごす」という、コスパ最強の攻略法を実践している。
フードコートで笑う彼らを見て、俺は日能研に通ってた小学生の頃から、ずっと「幸せになるための競争」をしてきたつもりだったけど、実は「幸せを感じるセンサー」を鈍らせる訓練をしてただけなんじゃないかと絶望した。
落ち着いてください。犯罪行為をしたとは書いていませんよ。それに、承認欲求のためにやっているのではなく、オールドメディアによる嘘の流布によって誤解が生まれているのでそれを正すためにやっています。
私たちは全てを知っている。そして、報道各社や警察関係者が嘘をついていることも知っている。私たちは真実を伝えるべきだし、私たちもそうしようと思ったのでここに書くことにした。私たちが偽物だと思うならohnostartedbruh[at]pissmail.comまで連絡してほしい。彼とは関わりがあったので、その証拠としてデータの一部を開示することができる。
報道各社は、生成AIを悪用した犯罪だと書いているが、全てが嘘である。インターネット上にある情報で、逮捕と不正アクセス以外に真実は存在しない。私たちは彼が生成AIを使ってプログラミングをすることを好む人間ではないと知っているし、そもそも日頃からそのような人間を馬鹿にしている発言を見かけていた。おそらく警察関係者か報道各社には生成AIをひとまとめにして悪だという思想が存在する。
それに、脆弱性の内容と不正アクセスプログラムの説明も事実とはかなり異なる。これに関しては書かないが、脆弱性の内容はもっと単純であるし、初心者プログラマーがやりがちな実装漏れだったと言える。
大阪市平野区の高校2年の男子生徒(17)というのは長いので、以降は少年Sとする。
母子家庭ではあるが、母親との仲が悪いといった話は聞いたことがなかったし、むしろ時々母親のことを気遣う発言もしていた。西洋哲学や文学に興味を持っていて、それなりに倫理観もあったはずだが、少年Sがどうして犯罪行為を始めたのか理解はできない。憶測でしかないが、おそらく最初は貧困によるものだったと思う。
ヤフコメやX(旧Twitter)を見ていて思ったことがある。こいつらは脳みそがないのか?憶測で話すにしても見当違いなことばかり言っている。「生IPで攻撃したから捕まった」だとか、「足がつくなんてまだまだですねぇ🤓」みたいなことを言っている自称有識者どもがいるが、少年Sが捕まった理由はそこまで単純なものではない。
そもそも、彼はクレジットカード不正利用をメインに犯罪行為をしていたし、それで稼いでいた。詳細は伏せるが、全く関係のない事件で使われたクレジットカード情報を手に入れ、その不正利用から足がついて家宅捜索を受けたと少年Sは話していた。
CTFでググってくれ。間違ってもCTFプレイヤーを攻撃するなよ。ほぼすべてのプレイヤーには倫理観があるし、聞けば大体の人たちが技術者倫理について教えてくれるだろう。
わざわざこんなことを書いたのには理由があって、X(旧Twitter)のアニメアイコンどもが高校生向けの大会だとか、憶測で見当違いなことを言っていたから腹が立っているだけだ。特定を防ぐために実績は挙げないが、SECCONやさまざまなコンテストでそれなりの結果を残していた。
私たちでさえまだ連絡は取れていないし、そもそも少年Sは犯罪から足を洗おうとしてインターネットから距離を置いていた。もし仮に釈放されたとしても少年SがSNSを始め、あわよくば承認欲求のために自称するなんてことは天地がひっくり返えってもありえないだろう。
犯罪者であることを自称するメリットはなにもないし、承認欲求のためにやっているんだとしたら別のことをやった方がいい。
たぶんあると思う。私たちと言った通り、複数人がデータを保有している。そのうちの誰かがどんな用途に使おうが自由だと少年Sは言っていたし、文章を書いている私も完全に把握はしていない。
他に疑問があったらメールかコメントをしてほしい。私たちはできるだけ丁寧に答えるつもりだし、真実を答えるつもりだ。私たちは嘘を吐かない。だからあなたたちも冷静かつ誠実あってほしい。
Permalink |記事への反応(14) | 20:20
こういうのがめんどくさいから恋愛は半ば諦めてるんだけど、今からさらに年取ってやっぱりやれば良かったって狂うのも嫌なんだよな
それがやる苦労と恋愛する苦労のどっちがマシかは知らん
とある料理研究家さんが他の料理研究家さんを(名指しはせずに)「他の人のレシピをパクりまくっている」と怒りのポストをしていた件(現在は削除済)、皆が「○○○さんのことでは?」と言い出してさもありなん…になった。
元々は普通につくりおきレシピを紹介していたのに、最近は微妙なパクリレシピを投稿したり、ミームに乗っかったり、TV出演した料理研究家さんに「どういうツテで出演できたのか教えてください!」とリプしていたり、番組公式垢にも「出演させてください!」とリプしていたり…。(せめてDMでやって欲しい)
承認欲求モンスターなところが段々鼻についてきて、つい先日ミュートしたばかりだった。
どうしてこんなに変わっちゃったんだろう。