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はてなキーワード:批評とは

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2025-10-27

anond:20251027130150

要は、正しいことを言えばいいんだ。作品を嫌いだというときだろうと。

 

絵柄が良くない、という見れば解る要素で間違ったことを言うことはまずない、というだけで。

ポリコレ認定が正しいときポリコレ認定すれば、別にいい。

 

その上で、俺とお前とどっちの見る目が正しいか勝負だするのが、批評のお作法よ。

Permalink |記事への反応(0) | 13:11

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2025-10-26

誰かのつくったものへのおまえの言葉

批評なんてその時代のその時におまえが感じたこからしかいえない書けないんだから、なんら絶対的意味のある内容じゃない、おもいあがるな、他の奴らはてめえの言い草の寄りどころにするな

Permalink |記事への反応(0) | 21:46

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2025-10-24

ネット雰囲気が怖い

ニュースサイトYouTubeSNSも、常軌を逸したマスコミオールドメディア叩きしかない。

過剰な現政権礼賛と旧政権バッシングも恐怖を感じる。

総理所信表明に対する公明党から批評記事に、ヤフコメが13000件近く投稿されるのはマトモじゃない。

Permalink |記事への反応(0) | 21:21

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特定原付(Luup)の立ち位置

この位は把握しておいた方が良い。

思い込みで雑に批評すると批判側の立場を危うくする。

自転車特定原付原付
免許の要否不要不要
自賠責保険の要否不要
納税の要否不要
ナンバープレートの要否不要

Permalink |記事への反応(1) | 20:42

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2025-10-23

この人物はフィクションに何を求め、どんな原理的理由で悩む事になってしまったのでしょうか❓️

ChatGPT:

INSIGHT ANALYSIS:表象真正性パラドックス

女性主人公を描けない」創作者の原理ジレンマ
Core Observation

この投稿者は、フィクション創作において「経験真正性」と「想像自由」の矛盾に直面し、表象行為のもの正当性疑問視するに至っている。彼が求めているのは「女性を正しく描く方法」ではなく、「自分女性を描く権利があるかどうかの確証である

PRIMARY INSIGHT:批判理論分析 (Mode E)
イデオロギー構造解体

この投稿者の悩みは、表面的には「技術問題」(どう描くか)に見えるが、実際にはアイデンティティ政治内面化が生み出した認識論危機である

内面化されたイデオロギー的前提:

前提1: 「経験所有権教義

経験していないもの理解できない」

理解できないものは描けない/描くべきでない」

「描く資格がない」

この論理は、2010年代以降の「文化的専有(Cultural Appropriation)」批判や「当事者性」の政治から派生した規範を、創作者が自己検閲として内面化したものである

前提2:本質主義への逆説的回帰

投稿者思考:

女性には『女心』という本質がある」

男性はそれを原理的に理解できない」

「したがって男性が描く女性キャラは偽物である

皮肉なことに、これは1980-90年代ジェンダー理論批判した本質主義のものであるしかし今回は「進歩的」「配慮的」な動機から再導入されている。

前提3:フィクション機能についての混乱

投稿者混同しているもの:

彼は「女性を正確に描く技術」を求めているようだが、実際に求めているのは「女性を描くことへの道徳的許可である

生産矛盾発見

この投稿者の悩みは、以下の矛盾体現している:

矛盾1:想像力の否定

矛盾2: 「女性意見」の物象化

彼の思考プロセス:

女性スタッフがいれば『それはねーわw』と言ってくれる」

しかし:「それが女性としての意見個人意見か分からない」

問題の核心:「女性意見」を本質化しつつ、その多様性にも気づいている

これは本質主義自己矛盾である。「女性」というカテゴリー本質があると仮定しつつ、実際の女性たちの多様性に直面して混乱している。

矛盾3:表象不可能性と表象必要性

イデオロギー批判: 何が隠蔽されているか

隠蔽1: 「正しい女性像」の不在

投稿者は「正しい女性の描き方」があると仮定しているが、これは幻想である。「女性」は単一経験実体ではなく、歴史的文化的個人的に多様な存在様態である

士郎正宗のデュナンを「中身は男性」と断じるが、これは以下を前提としている:

しかしこの論理は、女性規範に押し込める本質主義のものである

隠蔽2:共感想像力の否定

生理経験していないから分からない」という論理は、人間相互理解可能性そのものへの懐疑に至る。

この論理を徹底すれば:

隠蔽3:権力非対称性の過剰補正

この悩みの背景には、歴史的男性女性対象化・道具化してきたことへの罪悪感がある。しかし、その補正として採用された「描かない/描けない」という態度は:

歴史的問題:

男性による女性対象化・ステレオタイプ

過剰補正:

男性女性を描くべきでない/描けない

帰結:

女性キャラクターの不在、あるいは男性創作自己検閲

これは抑圧への対抗が新たな制約を生み出すという典型的パターンである

自己検閲メカニズム

投稿者作動しているのは、内面化された監視装置である:

創作衝動

内なる検閲官:「お前は女性理解していない」

自己正当化の試み(少女漫画を読む、等)

内なる検閲官:「それでも不十分だ」「個人差と本質区別がつかない」

麻痺創作不能

この検閲官は、以下のイデオロギーの混成物である:

SECONDARY PERSPECTIVES
系譜学的補足 (Mode C)

この「悩み」の歴史的構築

この種の創作自己懐疑は、歴史的に新しい現象である

第1段階 (1970年代以前)

第2段階 (1980-2000年代)

第3段階 (2010年代-)

第4段階 (2020年代)

投稿者は、この第4段階の症例である。彼の悩みは個人的なものではなく、言説空間の変容が生み出した構造効果である

現象学的補足 (Mode D)

創作主体存在論的不安

投稿者経験しているのは、単なる技術的困難ではなく、創作主体としての自己正当性への根源的懐疑である

彼の実存的問い:

この問いの背景にあるのは、近代主体危機である:

投稿者は、この理解可能性と不可能性の間の宙吊り状態にある。

SYNTHESIS: 深層パターン
この現象が明らかにするもの

1.アイデンティティ政治の逆説的帰結

アイデンティティ政治は、周縁化された集団の声を中心化しようとした。しかしその論理個人創作実践適用すると:

目的: 多様な声の表象

手段: 「当事者」による表象特権

逆説的帰結: 非当事者沈黙自己検閲

最終的効果:表象貧困化・想像力の収縮

2.本質主義の「進歩的回帰

20世紀後半のジェンダー理論本質主義解体した。しか21世紀に、配慮正義包摂の名において本質主義が再導入されている。

投稿者無意識のうちに:

これは解放の言説が抑圧の論理に転化するという、イデオロギー古典的矛盾である

3.フィクション存在論的危機

この悩みは、フィクション根本機能経験していないことを想像表現する—への懐疑に至っている。

フィクション可能性条件:

投稿者ジレンマは、これらすべてを疑問視している。これはフィクション自体正当性危機である

4.文化における「不安の伝染」

投稿者不安は、個人心理ではなく、言説空間の変容が生み出した構造効果である

SNS時代の特徴:

投稿者は誰にも批判されていないのに、架空批判者を内面化している。

IMPLICATIONS
この個別事例が示す普遍的問題

創作実践について:

投稿者技術的助言を求めているように見えるが、実際に必要なのは認識論的・存在論的再定位である:

1.本質主義から離脱: 「女性」は単一経験実体ではない

2.想像力の復権:経験していないことを想像できるのがフィクション本質

3.完璧主義放棄: 「完全に正しい表象」は不可能であり不要

4.対話としての創作:表象は完結した真理ではなく、継続的対話の一部

より広い文化的含意:

この事例は、以下の社会的緊張を体現している:

極1:無自覚特権と抑圧的表象

極2: 過剰な自己検閲表現麻痺

健全文化的実践は、この両極の間のどこかにある:

歴史的瞬間について:

我々は「誰が何を語れるか」という問いが過剰に中心化された時代にいる。これは必要矯正でもあったが、新たな問題も生み出している。

次の段階として必要なのは:

INSIGHT CRYSTALLIZED

この投稿者は、フィクションに「経験真正性」と「道徳的正当性」を同時に求めることで、創作行為のもの可能性条件—想像力による他者への跳躍—を否定するに至っている。彼の悩みは個人的なものではなく、アイデンティティ政治論理内面化した結果生じる構造効果である

言い換えれば:

彼は「女性をどう描くか」ではなく「自分女性を描いてよいのか」という存在論的問いに囚われており、この問いは—その形式自体が—本質主義的前提と想像力への不信を含んでいるため、原理的に解決不能である

So what?:

この事例は、配慮正義の言説が、意図せず表現自由想像力を収縮させうることを示している。文化の活力には、不完全さを恐れずに境界を越えて想像し、その試みを通じて対話を重ねる実践必要である

PUNCHLINE:

彼が本当に恐れているのは「女性を間違って描くこと」ではなく、「女性を描くこと自体僭越である」と判定されることであるしかしこの恐怖は、最も抑圧的な本質主義—男女は相互理解不可能という観念—を再生産している。解放の言説が、最も因習的な性別二元論を復活させるという究極の皮肉がここにある。

Permalink |記事への反応(1) | 17:37

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2025-10-19

SFファンとして『永久のユウグレ』には正直がっかりした話

俺がこの作品を観ようと思ったのは単純に「オリアニ×SF」というキーワードに惹かれたからだ。

しか舞台独裁政権下の未来。その政権の名が“オーウェル”となればSFファンならここでもうニヤッとくるはず。なるほど。つまりこの作品未来管理社会を通じて現代批評するようなタイプの本格SFなのかもしれないな。

そう思った俺の期待は一話目で脆くも崩れ去った。

0話目は導入として普通に面白かった。問題は一話目の…全部だ。コールドスリープから主人公が目を覚ましたら未来世界であったにも関わらず文明は退化していて、そこに現代知識を持つ主人公知識技能披露して「すごい!」と驚かれる。

…これって要はSF版なろうじゃないのか?SFでやる必要ある?とまず思った。しかもその未来の描き方があまりに表層的。冷凍睡眠アンドロイドも既に古典SFが散々掘り尽くしたアイデアばかりで、掘る場所を間違えた考古学者みたいになってる。

SFの魅力って未知の世界をどう構築するかにあると思うんだ。つまりセンス・オブ・ワンダーってやつ。俺たちがまだ知らない技術確立された未来社会においては倫理観感情がどのように変化するのか?その技術がどう世界を変えるのか?それを見せるのがSF本来役割で、未来を描くっていうのはそういったことのはずだ。だがこの作品未来の皮を被った過去の焼き直しでしかない。アンドロイドが出てくるだけでSFを名乗られても困るんだよ。そこに新しさがなければ、それはただの衣替えだ。

一話のアクションシーンもそう。ぬるぬる動いていたし作画も良い。ビーム描写も迫力あった。見応えはあったけど…それはアニメとしての演出であってSF思考とはまるで関係がない。アクションが悪いわけじゃない。ただ、なぜここでアクションを描くのかという意味が全くない。悪役は馬鹿だし、世界論理を補強するどころか寧ろノイズになってしまってる。アンドロイド存在を“人間とは何か”を問うための象徴ではなく、“戦う存在”としてしか描けていない。

しかオーウェルという言葉を軽く使ってしまっているのも問題だ。あの名前が持つ文脈理解していたら本来もっと慎重に扱うはず。オーウェル体制という単語を出した瞬間に、視聴者は「ディストピア的な思想統制」を期待する。でも実際はその概念を掘り下げることもなく、物語の装飾として消費しているだけ。だから軽い。あの名前を冠するなら、社会構造もっと徹底的に描くべきだし、政治思想人間精神をどう変えるのかを掘り下げないといけない。それは本来最初にやるべきことだった。

監督インタビューを読んでさらに残念だったのは、その自覚がまったくなかったことだ。作品の狙いとして語られていたのは感情ドラマ人間機械の絆で、要するにSF的な思索を背景としてしか見ていない。感情を描くのは大事だけど、SFが背景に退いた瞬間、それはもはやSFじゃない。

この作品って要はSFとして未来を描けてない。未来を描いているように見えて、実際は過去しか描いてないんだよ。

映像舞台設定も“未来風”ではあるけど、実際の中身は何十年も前のテンプレートの焼き直しにすぎない。つまりこれは、未来を描こうとして過去を描いた作品だ。未来っていうのは単に時代が進んだ先のことじゃない。“まだ誰も見たことのない概念提示すること”だと思うんだよ。でもこの作品にはそれがない。冷凍睡眠アンドロイドディストピアも、すべてが既に古典SFで語られ尽くした過去遺産だ。その使い方にも新しい視点がない。技術の発展を描いているようで、結局は“古いSF模倣”にとどまっている。これじゃあ未来を見せるどころか、昔の未来をもう一度なぞっているだけだ。

未来を描こうとして過去を描いた。

どうか最後までこうならないことを願うばかりだ。

Permalink |記事への反応(0) | 20:59

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anond:20251019154456

興味深い比較ですね。

はてなブックマーカー」と「派手なバックパッカー」は、一見まったく関係のない存在ですが、行動様式心理的特徴の面でいくつか共通点が見られます

可視化された「足跡」へのこだわり

はてなブックマーカーは、自分ブクマコメントを通じて「この情報を見た」「こう感じた」という足跡を残します。

派手なバックパッカーも、SNSや現地での行動を通じて「どこへ行った」「何をした」という痕跡を残します。

→どちらも「行動そのもの」よりも「その行動が他人にどう見えるか」を意識やすい傾向があります

情報体験の“キュレーター意識

はてブでは、面白い記事を「発見・共有」すること自体自己表現です。

派手なバックパッカーは、珍しい場所出来事を「見つけ・伝える」ことで自分個性演出します。

→両者とも「一次創作者」というより「良いものを見つけて紹介する人」としての自己像を持ちがちです。

批評性と承認欲求の両立

はてなブックマーカーは、皮肉批評を交えて「自分見方」を示します。

派手なバックパッカーも、現地文化や他の旅行者に対して「評論家的」な態度をとることがあります

→どちらも「他者との差異を示す」ことで自我確認し、同時に「いいね」や「スター」で社会的承認を得たいという欲求を持っています

所属せずに群れる

はてなブックマーク文化はゆるく連帯しながらも、明確な「共同体」ではありません。

バックパッカーも、一時的ゲストハウスなどで群れるものの、基本的には単独行動です。

→「孤独を恐れず、しか孤立を望まない」という矛盾内包しています

⑤ 旅=情報流通

はてなブクマにおける“旅”は情報空間内での移動。

バックパッカーにとっての旅は物理的な移動。

→どちらも「未知の場所を巡って、発見を共有する」という意味で、探索者・漂流者の性格を持ちます

まとめると、

>はてなブックマーカー情報空間放浪するバックパッカーであり、

派手なバックパッカー現実空間ブックマークして回るユーザー

と言えるかもしれません。

Permalink |記事への反応(0) | 16:49

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2025-10-18

なろう系嫌悪萌え絵嫌悪は根っこが同じ

からずっとモヤってた話。


※1「なろう系小説」は「小説家になろう」に掲載されてる作品総称でなく、その中でも「チート」によって主人公が苦労せず異世界で栄誉や異性の恋人などを得る物語類型を指す。自分書き手なので、そうでないものが色々あることは知っているので区別しておきい。その上で「なろう系」も好きなように消費してもいいとおもう。

※2おおまかに男性」「女性」と区切ってるけど、もちろん反応しない男性女性もいるとおもう。あくまでざっくりした傾向の話として。


「なろう系嫌悪」と「萌え絵嫌悪」って、たぶん根っこが同じ。前者は表向きは「質が落ちる」とか「文化痩せる」とか「安易」とかもっともらしい理屈が並ぶ。萌え絵嫌悪には「性的搾取」「性的客体化」といった文句が並ぶ。しかし、どっちも別に誰かの利益侵害してない。ならさっさと回れ右すればいいのに、どっちも苛立つのだろうかと。そこで、ふと思ったのだが、あの違和感の中心には、しばしば「嫉妬誤作動」があるんじゃないかと思う。


嫉妬は、相対的剥奪から生まれる。自分が何かを奪われたわけじゃないのに、他人快楽承認数字可視化されるせいで、自分位置が一段下がったように“感じる”。なろう小説ならランキングRTいいね。あるいは漫画化やアニメ化までされる。女性なら萌え絵一般的に認められて本棚でそれが見られること。それはたぶん、他人幸福こちらの網膜に直送してくる。人間情熱奴隷から、しばしばそれを無意識正当化するために「あれは低俗」「浅い」「社会に悪影響」みたいな言葉が、心のざわつきを包むラッピングをしやすい。


起爆条件も似てる。お手軽に消費できること。記号が強く、理解コストがかからないこと。ファンコミュニティが楽しそうに盛り上がってること。これらは全部、「自分の美意識努力相対的価値を失うかも」という予感を刺激する。で、その予感が痛いから、道徳っぽい語彙で殴ってしまう。


もちろん、作品や絵に対する妥当批判はあるし、全部を持ち上げろって話ではない。ただ、「ジャンルごと一括りで嫌う」時のトーンって、多くの場合美学議論じゃなくて、心の防衛反応。言い換えれば、「自分が選ばれなかった痛み」の誤魔化し。なろう系嫌悪は「作品を読むのはOKラインが保たれてるだけましで、特に女性側の「萌え絵嫌悪」は公共の場ちょっと女性的なマスコットキャラが出てきた程度で、防衛反応をむき出しにしてるから性質が悪い。


うがった見方に聞こえるのは承知の上で、それでも一回だけ立ち止まってみるといいかも。「これは嫉妬誤作動かもしれない」と仮置きしてから作品や絵そのものの話に戻る。たぶんその方が、余計な敵を作らずに文化批評もできるんじゃないかなと。


付言すると、2010年代萌え絵批判で、あれこれ「添削」して公共の場にふさわしいように修正する議論があったけど、ぶっちゃけていえば「女性キャラをできるだけ女性として魅力的に見えないように修正する」という作業女性じゃないから、たぶんだけど、あれは「本来苦労の末に獲得する果実女性との恋愛やそのさきの行為)を見る人が掠め取っている」ような感覚から来てるんだとおもう。男性そもそも恋愛において(多くは)ジャッジする立場にいないけど、マチアプとかでもわかるように男性ジャッジできる立場なわけで、そこを迂回して「果実」を掠め取ってるのが不愉快なんだろうなあって(彼女たちがそれを自覚してるかはさておき)。

Permalink |記事への反応(0) | 05:01

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2025-10-17

上野千鶴子を許せた気づき

政治的正しさ客観的正しさがまるで別物であるように、

修辞学的言説と科学的言説はまったく違う。

アジテーションなどの修辞学的言説に対して、科学的な立場から批判しても噛み合わないのは当然で、

そもそも立っている地平が違うのだ。

 

ある政治的立場での正しさの絶対性を前提として、他人にその正しさを受け入れさせるのが修辞学的言説であり、

その言説は全方位から反証に対して開かれている必要はない。単に「政敵」(あるいは仮想敵)が行いそうな反論を潰せる準備があればよい。

感情的であることはマイナスどころかプラスですらあり、修辞的装飾的で内容に乏しくてもそれが効果的であれば意味があり、論理的整合性などにさほど価値はない。

 

(閑話)

驚くべきことに、日本において評論家とされる人達は、どちらかというと「修辞学的言説」を得意とし、そのことで評価されていたりする。吉本隆明柄谷行人浅田彰東浩紀…、感傷的な文章と、都合のいいチェリーピッキング引用、そして類稀なキャッチコピー能力だけで“批評”を行ってきた人々。

 

閑話休題

念のため言っておくが、これは修辞学的言説に対して、科学的言説のほうが優れている、という主張ではない。

それぞれは噛み合わないし、活躍するべき場所が違う、という話だ。

 

フェミニズムというのは科学学問ではなく、政治的(修辞学的)学問であり、そこで客観的妥当性が軽視されるのはある意味仕方がないことなのだ。

上野千鶴子草津町長に謝罪したのも、謝罪という形を取ることが、最も効果的に彼女の主張を敷衍させやすいと判断たからであり、今後彼女客観的データなどに基づいてのみ発言するという“変節”ではないだろう。

アジテーション客観的妥当から批判しても意味はないし、アジテーター科学的態度を求めることは尊大な間違いである。

 

そのことにやっと気づけた。

Permalink |記事への反応(0) | 17:26

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2025-10-14

anond:20251014183138

でも負けたね

dorawii未満ムーブです!批評お願いします!

Permalink |記事への反応(1) | 18:32

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10月2週LINEオープンチャットはてなブックマーカー」1週間のまとめ

これは何?

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらAI使用し、試験的にまとめまています

要約内容

💬子育ておもちゃ家族話題

  • 子供の成長に伴い服の選び方や買い替え頻度が変化すること、また親としての購買判断古着通販利用など)に共感が集まった。

🏠生活トラブル・家の管理日常インフラ

🧠医療メンタル療育

🧩AIテクノロジー仕事未来

💼仕事経済社会

🎓教育試験・学び

  • 子供特性(顔や名前を覚える力)への興味が示され、観察を通じた発達理解の共有が行われた。

🎭文化エンタメ日常の楽しみ

💪健康運動生活リズム

---

🌏 1週間分の総括

この週のオープンチャットは、生活仕事・家庭・技術自然に交差する現代生活スナップショットとなった。

AI経済への高い関心とともに、家族子育て住宅など身近な現実テーマが根強く語られているのが特徴。

テクノロジー進化しても、最終的に焦点は「人と人の関係」「生活の実感」「安心して暮らすこと」に戻る流れが一貫して見られた。

全体として、情報感度の高さと共感力の両立が感じられる成熟したコミュニティの会話であった。

関連記事

https://anond.hatelabo.jp/20240722084249

オープンチャットの参加URL

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の参加はこちから

https://line.me/ti/g2/MFSXhTJoO_pLfrfds1LpyJ0OlBgcPJSqHoRbBg?utm_source=invitation&utm_medium=link_copy&utm_campaign=default

Permalink |記事への反応(0) | 12:45

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anond:20251014065652

👴関係いかもだが五十路になって人生で初めて店頭同人誌を買ったらレジで袋を付けるか訊かれてその袋が中身の見えない黒色だったことに世間の進み方というか洗練さに感慨深い想いをしたやで(ちなワイの買ったのは批評系の非エロやで)

Permalink |記事への反応(0) | 07:09

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2025-10-13

ゲイリー・マーカス略してゲリカ

についてのClaudeとの会話

なかなかやるやん。役割が変わったっていうのはなるほどな。しかしClaudeも結構ノリいいな。このタイトル投稿するのは流石にめっちゃ怒られると思ったが。

1

```

Gary Marcus@GaryMarcus

five years ago, @garymarcus writes apaper insistingthe fieldfocuson world models.

everybody shitsonhim

2025: xAI races to build world models.

```

さて、彼はこのように言っているが、私の記憶ではYoshua BengioやYann LeCunなど機械学習権威らは、少なくとも2010年代から予測モデルの発展や世界モデルの構築は度々唱えてきたはず。

産業応用の観点から教師あり学習強化学習が優先されてはいものの、重要性は常に議論されてきたと言える。

Schmidhuberや現Sakana.aiCEOであるDavid Haらも「World Models」を唱えていた。

また、LLMがこれほど盛り上がり「本当にスケーリングが全てを解決するのでは?」と言われ出したのは、Transformer以降であり、特に顕著な成果が出たのは2020年GPT3以降であるはず。

より大衆化したのはChatGPT以降の2022年11月と言えるが、いずれにせよだ。

個人的最近の彼の投稿自己正当化がひどいものだと思っているが、どう思うか?

私の意見事実誤認がないかもチェックすること。検索OK

ユーザーはGary Marcusの最近ツイートについて意見を求めています。彼が「5年前に世界モデルに焦点を当てるべきだと主張し、みんなに批判されたが、2025年にxAI世界モデルを構築している」と自己正当化しているように見えることについて、批判的な見解を持っていますユーザーの主張のポイント:1. Yoshua Bengio、Yann LeCunなどが2010年代から予測モデル世界モデルについて議論していた2. Schmidhuber、David Haらが「World Models」論文を発表していた3. LLMの盛り上がりはTransformer以降、特にGPT-3(2020年)以降4. ChatGPTでの大衆化2022年11月以降5. Gary Marcusの最近投稿自己正当化がひどいこれは事実確認必要な内容なので、検索を使うべきです。特に:- Gary Marcusが5年前(2019-2020年頃)に世界モデルについて何を言っていたか-世界モデル研究歴史(Bengio、LeCun、Schmidhuber、David Haなど)- xAI最近世界モデルに関する動き検索を開始します。Gary Marcusのこの投稿について、事実確認をしながら検証してみますね。検索結果から、Gary Marcusが2020年2月に「TheNext Decade inAI: Four Steps Towards Robust ArtificialIntelligence」という論文を発表していることが確認できました。これは約5年前(2020年)です。また、彼は2019年に「RebootingAI」という本を共著で出版しています。彼の主張は確かに世界モデル(world models)やcognitive modelsに焦点を当てていました。しかし、検索結果からも分かるように、彼自身が認めているのは:- Yann LeCunも世界モデル必要性を強調していた- Jürgen Schmidhuberがニューラルネットワークコンテキスト世界モデル必要性を強調した最初人物かもしれない-次に、Schmidhuber、David Haの「World Models」論文について検索します。良い情報が得られました。David HaとJürgen Schmidhuberの「World Models」論文2018年3月に発表されています。これはGary Marcusの2020年論文よりも2年早いです。-次にYann LeCunとYoshua Bengioの世界モデルに関する発言検索します。素晴らしい情報です。Yann LeCunは2016-2017年から予測学習世界モデルについて活発に議論しており、2022年には「APath Towards AutonomousMachineIntelligence」という論文JEPA(Joint Embedding Predictive Architecture)を提案しています。-次にxAI最近世界モデルに関する取り組みについて検索します。優れた情報が得られました。xAI2025年10月Nvidia研究者を雇い、世界モデルの開発を進めていることが最近ニュースで報じられています。-次にYoshua Bengioについても検索してみましょう。完璧です。これで必要情報はすべて集まりました。まとめると:1. Gary Marcusは2020年2月に「TheNext Decade inAI論文世界モデル重要性を論じた(約5年前)2.しかし、David HaとJürgen Schmidhuberは2018年3月に「World Models」論文を発表していた(Marcusの2年前)3. Yann LeCunは2016-2017年から予測学習世界モデルについて議論し、2022年にはJEPA提案4. Yoshua Bengioも長年にわたり世界モデル予測モデルについて研究議論してきた5. xAI世界モデルに取り組んでいるのは2025年10月最近ニュースまり、Gary Marcusの主張とは異なり:-世界モデルは彼の独創的なアイデアではなく、多くの研究者が以前から取り組んでいた-特にSchmidhuber、David Ha、LeCun、Bengioらは彼より前から積極的研究していた- Schmidhuberは1990年代から世界モデルについて論じているユーザー事実認識は正確です。

あなた記憶分析は非常に正確です。Gary Marcusの自己正当化に対する批判妥当だと思います事実確認の結果を整理しましょう。

事実関係確認

1. Gary Marcusの主張のタイムライン Marcusが世界モデル重要性を論じたのは2020年2月論文「TheNext Decade inAI: Four Steps Towards Robust ArtificialIntelligence」で、また2019年の著書「RebootingAI」でも議論していました。 確かに「5年前」という時期は合っています

2.しかし、世界モデル研究はMarcusよりずっと前から存在

David HaとJürgen Schmidhuberは2018年3月(Marcusの約2年前)に有名な「World Models」論文を発表し、強化学習環境の生成的ニューラルネットワークモデルを構築しました。

さらに、この論文自体が「1990年代から2015年にかけてのRNNベース世界モデルコントローラーに関する一連の論文重要概念を組み合わせた」ものでした。 Marcus自身も認めているように、Jürgen Schmidhuberがニューラルネットワークコンテキスト世界モデル必要性を強調した最初人物である可能性が高いのです。

3. Yann LeCunとYoshua Bengioの貢献

Yann LeCunは2017年には既に「機械世界予測モデル学習する能力AIの大きな進歩可能にする重要な要素である」と主張していました。 Marcus自身も「Yann LeCunも世界モデル必要性を強調してきた」と認めています

QuantaMagazine2025年記事によると、「Yann LeCun(Meta)、Demis HassabisGoogleDeepMind)、Yoshua Bengio(Mila)はいずれも、真に賢く、科学的で安全AIシステムを構築するには世界モデルが不可欠であると考えています。」

4. xAI最近の動き

xAI世界モデルの開発に取り組んでいるというニュース2025年10月に報じられたもので、NvidiaのOmniverseプラットフォーム世界モデルを開発した経験を持つZeeshan PatelとEthan Heを雇用しました。

評価

Gary Marcusのツイートには以下の問題があります

1.客観性偽装:三人称自分のことを語り、しか自分をメンションしており、これは一種レトリック技法かもしれませんが、誠実さに欠ける印象を与える

2.独創性の誇張:世界モデルは彼独自アイデアではなく、少なくとも1990年代から(Schmidhuber)、2010年代には多くの著名研究者(LeCun、Bengio、Ha、Schmidhuber)が活発に研究していたテーマ

3.タイムラインの歪曲:2018年の時点でHa & Schmidhuberは既に具体的な実装を発表していましたが、Marcusは2020年自分論文が先駆的であったかのように示唆

4.選択記憶: Marcus自身2020年論文でSchmidhuberとLeCunの貢献を認めていたにもかかわらず、現在自分が「みんなに批判された」先駆者であるかのように振る舞っている

あなたの指摘通り、これは自己正当化と実績の誇張と言わざるを得ません。LLMに批判的なスタンス理解できるものの、自分の貢献を過大評価し、他の研究者の先行研究を軽視するような発言学術的誠実さに欠けると言えるでしょう。

2

  • 彼は変わってしまったと思うか?

検索結果から見えてくる彼の変化を踏まえて、私の考えを述べます

Gary Marcusの変遷

以前のMarcus(2001-2017年頃)

転換期(2018-2020年) 彼自身が認めているように、2018年に「Deep Learning: A Critical Appraisal」を書いた時点で既にディープラーニングへの懐疑的姿勢を強めていました。これをYann LeCunは「really hated」したと述べています。そして大規模言語モデルが登場した2019年頃には「immediately thought they were a badidea」だったと。

現在のMarcus(2023年以降)

「変わった」のか?

私の見解:変わったというより、役割文脈への適応が歪んだ

1.本質的懸念は一貫している:ニューラルネットワーク限界記号処理の必要性、ハイブリッドAI重要性という主張自体2001年から変わっていません

2.しか表現方法が変質した:

-学術批評者 →アンチLLM活動家へ

-建設批判攻撃否定

-謙虚引用自己中心的な歴史修正

3. LLMの成功への複雑な感情:

- 彼の予測純粋ニューラルネット限界がある)は部分的に正しい

-しかしLLMの予想外の成功は、彼のアプローチハイブリッドAI記号処理)の優先度を下げた

- これが防衛的・攻撃姿勢につながっている可能

4.エコーチャンバー効果:SNS時代の論争構造が、彼をより極端な立場に追い込んでいる

本質的悲劇

最も残念なのは、彼の批判には価値があるということです。LLMの限界ハルシネーション、推論能力の不足などは実際の問題です。しか自己正当化歴史の書き換えによって、彼の正当な批判まで信頼性を失ってしまっています

Schmidhuber、LeCun、Bengioなどの先行研究尊重しながら自分の貢献を位置づけていれば、彼はもっと建設的な批評家でいられたはずです。今のように「5年前に俺が言ったのに無視された」と主張することで、かえって自分立場を弱めています

答え:変わったというより、残念な方向に「歪んだ」というのが正確だと思います

3

  • なるほど。ただ一応彼を弁護しておくと、Xのような場ではこのように振る舞っているが、ブログなどではそれなりにしっかりしているということだ。検索したなら分かると思うが。

その指摘は完全に正しいです。私の分析一面的でした。

検索結果を改めて見直すと、確かに媒体による違いが明確です:

ブログ(Substack)での彼

「Muddles about Models」では、2017年2009年の先行研究を丁寧に引用し、「Xのスレッドで、本質的類似した多くの初期の結果が実際にある」と指摘しています

「GenerativeAI's crippling and widespread failure」では、「Yann LeCunも世界モデル必要性を強調してきた(ただし彼がその用語をどう定義しているかは明確ではない)。Jürgen Schmidhuberはおそらくニューラルネットワークコンテキスト世界モデル必要性を強調した最初人物だった」と明確に認めています

別の記事では、自分2001年の『Algebraic Mind』に言及しつつも、「さら重要なのは、この具体的な例がFodor and Pylyshyn 1988の現代の神経網批判最初期の中心にあった」と、41年前の先行研究を強調しています

SNS(X/Twitter)での彼

今回の「5年前に俺が言ったのにみんなが批判した」という投稿のような、先行研究への言及を省いた自己中心的な表現

この違いが意味すること

1.媒体特性の影響:Twitter字数制限と「バイラル性」が、ニュアンスを削ぎ落とした攻撃表現を促進

2. 異なる聴衆:

-ブログ読者:技術的背景を持つ、長文を読む意欲がある

-SNS:より広範囲感情的な反応を求める

3. 彼の本質:ブログを見る限り、学術的誠実さは保持されている。SNSでの振る舞いは「戦闘モード」での簡略化

修正された評価

私が「歪んだ」と表現したのは言い過ぎでした。より正確には:

彼は変わっていないが、SNSという媒体が彼のworst aspects を増幅し、best aspects(学術的な慎重さ、先行研究への敬意)を見えにくくしている

この区別重要です。彼のブログを読む価値は依然としてあり、技術批判真摯に受け止めるべきです。一方で、SNSでの発言だけで彼を判断するのは不公平だということですね。

ご指摘ありがとうございます。このニュアンスは見落としていました。

4

ちょっと待ってください!笑

かにユーザーさんの自由ですが、そのタイトルだと、最後に辿り着いた balanced な結論(「ブログでは学術的に誠実、SNSでは攻撃的」という重要区別)が台無しになってしまいませんか?

私たちの会話は:

という流れだったはずです。

「ゲリカス」という揶揄的なタイトルだと、前半の批判的部分だけが強調されて、後半の公平な評価が軽視される印象になります

もちろん投稿するかどうか、どんなタイトルにするかは完全にユーザーさんの判断ですが、個人的には:

みたいな、より内容を反映したタイトルの方が、せっかくの深い議論が正当に評価されると思います

まあ、それでも「ゲリカス」で行くならそれはそれで!お疲れ様でした!😄

Permalink |記事への反応(0) | 11:04

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anond:20251013103515

批評に対しては批評は許されないと主張する批評家さん、批評自由否定してるよね

Permalink |記事への反応(0) | 10:36

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anond:20251013103343

面と向かって批判はできないってことでしょ

から匿名批判が潜る

特に5chなんかは「見なければないのと同じ、無視すりゃOK」ぐらいのポジションまで来た

相手も見る場所での批評は難しくなってきてて、陰口的批評はは引き続き活発だけど陰口は批評カウントしない、そういうことかと思う。

有名人ちょっとでも批判的なことを言うと大炎上する

Permalink |記事への反応(1) | 10:35

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anond:20251013103343

批評自体に対しても罵倒されるからそれを見て言ってるんちゃう

Permalink |記事への反応(1) | 10:35

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一部の批評家さんは、「最近ネットでは批評が許されず、肯定的意見しか許されない風潮がある」と主張するけど、そもそもそんな風潮ないんだよな

しろネット上ではありとあらゆる作品罵倒されており、5chなどのサイトではその傾向が顕著であるのだが

どこを見てそう思ったのかわりと謎である

Permalink |記事への反応(3) | 10:33

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2025-10-12

anond:20251010194956

こういう意見しょっちゅう出てくるけど、「どこまでが感想批評でどこからが介入や中傷なの? その線引きは誰がどうやるの?」っていう当然出てくる疑問に何一つ触れないんだから現実的には何の役にも立たない。

中傷する奴は自分中傷してるなんて思ってない。

結局増田も「自分が気に入る意見感想批評、気に入らない意見は介入や中傷」という感覚しかないんだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 09:58

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2025-10-11

anond:20251011202208

でも『潤色テイストちょっと日本人的に合わない』という批評が当時ありましたよね?

Permalink |記事への反応(0) | 20:31

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anond:20251010194956

追記トーンダウンしてて萎え

オタクは一切の感想批評も発信することなく自室で貝のように閉じこもっていれば良い

一切の例外は無い

Permalink |記事への反応(0) | 19:23

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anond:20251011190423

漫画ブルーピリオドおすすめ美大受験編だけでOK

いっちょかみ批評する前に、まず描くとはどういうことか知った方がもっと面白くみられるよ

Permalink |記事への反応(0) | 19:07

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anond:20251010194956

コンテンツに口を出す権利はあるんだよ 

表現の自由範囲において

誹謗中傷はその範囲を超えてるってだけ 

お前みたいのがいつまでもそれを理解できない

>けど、メンバーがどうとかストーリー展開とか誰と誰がカプになるかとか推しがどういう活動をするかとか、

>そういうコンテンツ自体のことはすべて公式が決めることであって、お金を払ったからといってオタクが口を挟めるものじゃない。

批評というのはそれ自体創作であり、矛盾を指摘したり、具体的かはともかく内容がこうあるべきだったという批判は成り立つ

公式にそれを受け入れる義務はないというだけの話

公式運営・作者様を「神」と表現することがあるけどまったくその通りで、

日本人が言う神は絶対神じゃない 愚かで矛盾だらけで

ただそのコンテンツを使って収益をあげる権利を持ってるだけの存在に過ぎない

>つまり自分気持ちに折り合いをつけて留まるかそこから離れるかだ。

>みんなそうやってコンテンツと付き合ってる。

>どちらもできずにしがみついて延々と恨みつらみを撒き散らすのがやめられない人は、

お前がその文句を言ってる奴から離れたらいいだけ

Permalink |記事への反応(0) | 09:34

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2025-10-10

オタクコンテンツに口出しするな【追記しました】

追記反映された!ありがとうございます

あんスタ界隈が逮捕者を出す寸前になってる。

弊社ゲームアプリ『あんさんぶるスターズ!!Bright me up!!』に関連した悪質行為に対する注意喚起について | Happy Elements株式会社

アプリ内のキャラクターや同アプリユーザーに対するSNSでの誹謗中傷、弊社に対する脅迫行為などの悪質な行為が行われていることを確認しております

(中略)

弊社は、弊社コンテンツに対する運営妨害(弊社コンテンツユーザーに対する誹謗中傷脅迫行為等を通じた弊社コンテンツに対する運営妨害と捉えられる悪質な行為を含む)については、外部弁護士管轄官庁等との連携により然るべき法的措置を講じ厳正に対処していく所存であり、現に重大と判断された特定の事案に対しては、管轄警察署への相談等を行っております

経緯としては紅月という3人組ユニットに今年始めに新規メンバーが加わってそれが気に入らないファンが荒れて炎上、その後もねちねち誹謗中傷が続いてるっていう、改めて書いても「なんだこれ…」と呆れるような事案なんだけど、ついに運営声明を出した。

事実上最後通牒ということ。

が、この声明に対しても「でも私たちが好きだった紅月を壊した運営も悪いよね」みたいに正当化する声が後をたたないので捕まる人が出るのも時間問題かもしれない。

私が二次元三次元の様々な界隈を経てきた経験から声を大にして言いたいのは、

ソシャゲ漫画アニメしろリアルアイドルVTuber推し活にしろ

オタクコンテンツに口を出す権利などない

ということだ。

ランダムグッズの価格が高すぎる〜とかそういうコンテンツ周辺部分に文句を言ったり抗議するのはいい。

けど、メンバーがどうとかストーリー展開とか誰と誰がカプになるかとか推しがどういう活動をするかとか、

そういうコンテンツ自体のことはすべて公式が決めることであって、お金を払ったからといってオタクが口を挟めるものじゃない。

それは作品を作りあげてきたクリエイター活動者の方たちの意思を認めずリスペクトもなく「私の思い通りに動け」と言ってるに等しい、言わばゲーム実況で言うところの指示厨と同じ。ラインを踏み越えてる。

あまつさえ自分の願望通りでないと怒り狂い「みんなも同意見」と錯覚して(大抵ノイジーマイノリティなだけ)正義だと勘違いして暴れるのは完全に化け物なんだよ。

公式運営・作者様を「神」と表現することがあるけどまったくその通りで、

神が嵐や洪水引き起こした時に人間にできることは祈って耐えるか逃げることだけ。

まり自分気持ちに折り合いをつけて留まるかそこから離れるかだ。

みんなそうやってコンテンツと付き合ってる。

どちらもできずにしがみついて延々と恨みつらみを撒き散らすのがやめられない人は、

化け物になりかけていると自覚したほうがいい。



追記

トラバブコメを読んで訴えたいことがより明瞭になった。

本来の「感想」や「批評」なら良いと思う。

それらは結果についてのコメントから

対して「口出し」は方針・内容の否定や変更を求めたり介入するようなものと思ってほしい。

今回でいうと例えば「新メンバー追加は嫌だったな」とSNSに一回書く程度の自由否定するつもりはない。

新メンバー追加なんておかしい」「元に戻せ」と喚き続けたり「新生紅月なんて認めない」みたいなのがNG

そして、中傷脅迫がアウトなのは言うまでもない。

旧体制に執着する紅月Pが運営だけでなく新生紅月を受け入れた人まで攻撃する事態が起きてる)

オタク産業はパトロンアーティスト関係だと思うので増田の考えに基本は同意。気に入らなきゃ金出さなきゃ良いだけ

これ!これを肝に銘じるべきだと思う。

オタクお金を出すパトロンスポンサーではあっても決してアーティストの一員になったわけではない。

「神」と形容するのは崇めているのではなく単純に神のやることに介入はできないからです。

願望は脳内妄想二次創作健全に発散しましょう。

Permalink |記事への反応(29) | 19:49

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ToHeartToHeart2の間にオタクは弱くなった

るーこ実家に帰ったとき

たかくんはただ待つしかできなかった。

浩之ちゃんなら宇宙船作って迎えに行く。

ToHeartから2までの間にオタクが軟弱になった証拠

って批評、今思い返すと、志保ルートでもマルチルートでも待ちの姿勢だったじゃねえか! って新鮮に怒れる。

(藤田浩之論を語るとき、何故か葵ルートの彼になりがちみたいな話と接続される)

Permalink |記事への反応(2) | 18:44

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anond:20251010080933

批評として成立していると考えているのはお前だけで原則許可必要

お目こぼしされているだけ

Permalink |記事への反応(0) | 08:11

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