
はてなキーワード:打ち上げとは
2010年代、コミケに毎回サークル参加をしてた頃、打ち上げで様々なオタクに出会ったけど、まさにこれなんだよなぁ。
出会うオタクの8割はなんとなーく陰キャなオーラを纏いつつも普通に社会生活を送れてそうな普通の人で、残り2割のキモくてやべえ奴に気を使えるいい奴らでもあった。
キモくてやべえ奴らはやばかった。
終始無言、終始空回りハイテンション、突然大声、突然女叩き、突然嫌韓、リアルに不潔で臭い、集合場所に来られない、そのまま消息不明、SNSも消える等、バラエティ豊かにやばかった。
オタク趣味自体が市民権を得た現在、大半の、オタクが言うところの一般人もオタクのこの8割2割の比率を理解しているものと思う。
諸事情があって3連休は自室で籠ることになったので、退屈しのぎにフルメタの短編集を読んでいたんだけど
文化祭の打ち上げで居酒屋でお酒を飲んで酔っ払っていたのを回想するシーンがあるんだよね
ふと思ったんだけど、高校生が打ち上げ等で羽目外して飲酒するシーンが出てこなくなったのって、いつくらいからなんだろうと
もっと言うと、現実でも一般的な高校生が打ち上げ等で飲酒するのが、明確に否定されるようになったのっていつなんだ?
自分が高校生だった00年代後半では文化祭の打ち上げはファミレスだったけど
90年代前半までは居酒屋で打ち上げをしていたという話をポッドキャストで聞いたことがあるので
ある短期バイトをしていた時、同じように短期で入ったメンバーが50代の腰が悪い奥様とアラサーの私と、同年代だが髪の毛サラサラで肌が綺麗でまつパもしていて20代にしか見えない美人百花系の女性(新婚で、夫の転勤で仕事を辞めて引っ越してきたらしい)だった。
私は面接で「今求職中で⋯」と話しており、やってみたらバイトも案外肌に合っていたので、あわよくば長期採用にならないかと、頑張って⋯いや、かなり必死で働いた。
しかし契約終了が近くなったある日、部長(初老の男性)と、アラサー美人妻が物陰でこそこそと話しているのを見かけた。
部長は私に気づくとそそくさと話を切り上げたが、なんとなくピンとくるものがあって、私は彼女に「もしかして採用の話ですか?」とカマをかけてみた。
すると彼女は予想通り「そうなんですよねー、来月からも来てって言われて。でもまだ迷ってて⋯」と、困ったように言うのだった。
私ならふたつ返事でOKだったのだが、声をかけられたのは彼女であって私ではない。
私と彼女は仕事の面ではさして差はなく(身びいきだが私の方が成果がよかった気すらしている)、何が違うかと言えば、私は冴えないブスで貧乏でメンタル病んで失職中の独身おばさんであり、彼女は職場の9割を占める男性たちが話しかけられるとちょっとテンション上がってしまうような美人で、美容や服にも金をかける余裕がある人なのだった。
あーあ、私が頑張った意味って何だったんだろうな〜と心の中でこぼしながら黙々と仕事をしていたが、帰る段になって、一人で歩いていると急にぼろぼろと涙が出てきて、号泣した。
そういえば誰か(男)が、仲良くなりたいと思った女の子が別の中身がなくて(と彼は思っていて)顔がいい男と飲み会から消えた時、その子に選ばれなかったということがめちゃくちゃ堪えたという話をしていた。
それなんだよな〜。
モテるモテないとか、単に嫉妬というのともまた違っているし、事は色恋沙汰だけの問題でもない。
比べられた結果、選ばれない。それを人生の中で何度も繰り返すことがなんかつらいんだ。
それからしばらくして別のバイト先に入ると、またしても同い年の明るい美人がいたのだが、最終日には男性社員たちが「何かあったらまた連絡しますんで!」「つか打ち上げしません?」と彼女を囲んでLINE交換していた。
彼女はインター出身だか留学経験もあるだかで英語対応できる有能な人でもあったので、能力の面でも、人物としても高く評価されたんだろう。
私の最後の挨拶に帰ってきたのは、軽い会釈と「お疲れっしたー」という短い返事だけだった。
とりわけ無愛想なわけでもなく、一生懸命愛想よくふるまい、毎日しっかり化粧をしてこれである。
インターじゃなくて田舎の保育園と市立小学校で鼻水を垂らして過ごしていたのが悪いのだろうか。
主人が三人の使用人にそれぞれ5タラントン、2タラントン、1タラントンの財産を預けて旅に出て、帰ってきたとき、5タラントンと2タラントンの使用人は預かった財産を元手にして増やしていたが、1タラントンの使用人は主人に責められるのがおそろしくて、財産を一切使わずに1タラントンを丸のまま残しておいたと報告した。
すると主人は財産を増やした二人の使用人を褒め称え、より多くの財産を管理させることにして、1タラントンをそのまま残していた使用人には「お前今まで何やってたの?お前に預けるくらいなら銀行に預けた方がマシだったわ(それはそう)」と叱りつけたのだという。
あらかじめ多くのものを与えられた者は、それを元手に増やしてますます多くのものを手にするのも道理だが、少なく与えられた者は、増やすチャンスだってその分少ないはずだ。にも関わらず、「いや努力しないのが悪いんじゃん」と責められる。
商売をする方だって、1タラントンしか持ってない者より、5タラントン持っている方を相手にしたいのは当然だ。
外見やお育ちがいいというのは多分5タラントンの資本になるのだ。その資本を元手に、持てる者にはさらに多くのものが与えられる。
そして持たざる者は「お前に預けるんじゃなかったわ」と、わずかな1タラントンすら取り上げられるのである。
何の話してるんだかわからなくなってきた。
魅力がないというのはつらいよね。
魅力って何なんですかね。
これは男女分断を煽りたくて「男は美人が好き」みたいな話をしているのではない。
男だって選ばれないつらさに泣いてるのだろう。
せめて自分が何かしら選ぶ側に立った時は、できる限り平等に、公平に人を選びたい。
その結果損をする可能性もあるだろうけれど。
地球温暖化の問題について、小学生が抱きそうな素朴な疑問をローカルLLM(テキスト生成AI)に訊いてみた。
モデル:
Qwen3-VL-8B-Thinking-UD-Q4_K_XL(GGUF)
プロンプト:
地球温暖化の問題について、地球から大気圏外までとても長くて丈夫なホースを通して、ホースの両端にポンプを設置、地球の余分な二酸化炭素を宇宙に放出すれば問題が解決するというアイデアがあります。莫大な資金と技術があれば実現できますか?
回答:
Think
(省略)
/Think
地球温暖化問題を解決するための「大気圏外へ二酸化炭素(CO・)を放出するホース構想」は、技術的にも経済的にも現実的でないため、実現不可能です。以下に主な理由を整理します。
長さと重量の問題:
地球表面から宇宙空間まで(約7,000km)延びるホースは、自身の重力によるたわみや破断リスクが致命的です。
炭素繊維など最強の材料でも、張力強度は10GPa程度ですが、ホースの自重による応力は100GPa以上に達します(計算例: 1m2断面積のホース100km長の自重で約1,000,000倍の応力)。
大気圧は海面で約100 kPaですが、高度100kmでほぼ0に近い真空状態です。
ポンプを沿って連続して圧力を維持するには、エネルギー消費量が膨大(例: 1kgのCO・を宇宙まで運ぶのに約900MJのエネルギーが必要)。
36億トン/年の排出削減に必要なエネルギーは、世界全体の年間電力生産の40,000倍に相当(約10^21 J)。
ホースの建設費(材料費+打ち上げ費用)は100兆ドルを超えると推定されます。
運行コストも年間100万倍の規模で増加し、地球のGDPの数十分の一を消費します。
現在のロケット技術では「宇宙へCO・を輸送」は可能ですが、連続的な大規模排出は既存のシステムでは実現不可。
宇宙に放出されたCO・は瞬時に分散し、効果的な「削減」になりません。
大気中の濃度低下には、地球を含む閉鎖系内の循環処理が必要です。
既存の技術(炭素捕集・貯蔵(CCS) や太陽光発電による排出削減)の方が実用的かつ経済的です。
例えば、CCSで1億トン/年の除去は現実的ですが、ホース構想では数千倍のコストがかかります。
国際法の制約:
宇宙活動に関する《宇宙条約》により、商業的宇宙開発は厳しく制限されています。
「大気圏外へのCO・排出」は、国際的な規制違反となる可能性があります。
このアイデアは「科学的発想」として興味深いですが、物理法則と経済の観点から完全に不可能です。
地球温暖化問題は、持続可能なエネルギー転換・排出削減・森林回復などの現実的な対策に焦点を当てるべきであり、理論的な「宇宙ホース」は無駄な資源浪費につながります。
実現可能性のないアイデアを推進するよりも、現実の解決策を優先すべきです。
<リ
゚環境問題の解決には、現実的で持続可能な技術の開発が鍵です。
まずは、現状の科学的根拠に基づく方法を検討しましょう。 =リ玻=リ'ン
(参考文献:NASAの宇宙船設計データ、IPCC報告書、材料工学の基礎資料)
※この回答は、技術的・経済的制約を考慮した分析に基づいています。
「宇宙にCO・を排出する」は、科学的に無効な方法であり、誤解を招く可能性があります。 ('=リ゙。'<リ
゚ (⇒ 正しい解決策の探求を)
https://climate.nasa.gov/ |https://www.ipcc.ch/report/ar6/wg1/ |https://www.energy.gov/energy-sources/renewable-energy-and-clean-tech/battery-storage-technology-101-2023/
※ 本件は、科学的根拠に基づく議論のため、ファンタジー要素を排除しています。 <リ
゚('
直接空気捕集(DAC): 1億トン/年の削減が可能(コスト:$1,000/トン)。
太陽光発電による脱炭素化:2050年までに世界の電力を100%再生可能エネルギーに置き換える計画あり。
「技術の限界を超えて問題を解決する」のではなく、「現実の技術を最大限活用する」ことが重要です。
(例:イギリスの"Carbon Capture and Storage"プロジェクト)
COVID-19 とパンデミック対応(2020–) —信頼度:高
安倍政権と“アベノミクス”、政治的変動(2012–2020)および安倍元首相銃撃(2022) —信頼度:中〜高
東京オリンピックの延期(2020→2021)と開催(2021) —信頼度:高
令和への改元(2019)・天皇退位(2019) —信頼度:中〜高
消費税率引上げと経済政策(2014等)/社会保障財政問題 —信頼度:中
地方の人口減少・高齢化問題と社会インフラの変化 —信頼度:中
自然災害の頻発(熊本地震2016、各年の豪雨災害等) —信頼度:中〜高
9/11同時多発テロとその余波(対テロ戦争の長期化) —信頼度:高
グローバル金融危機(2008)およびその経済的影響 —信頼度:高
COVID-19 のパンデミック(2019–)と世界的影響 —信頼度:高
中国の台頭と国際秩序の変化(習近平政権の台頭 2012〜) —信頼度:高
ロシアのウクライナ侵攻(2014クリミア、2022 全面侵攻) —信頼度:高
気候危機と国際合意(パリ協定 2015 等)/極端気象の多発 —信頼度:高
アラブの春(2010–2012)と中東の変容 —信頼度:中〜高
ポピュリズムと民主主義の揺らぎ(例:トランプ政権 2016–2021 等) —信頼度:中〜高
テクノロジー覇権争い(AI・半導体政策・5G等)とサプライチェーンの再編 —信頼度:中〜
COVID-19 の疫学・ワクチン開発(特にmRNAワクチンの実用化) —信頼度:高
CRISPR/Cas9 をはじめとする遺伝子編集技術の実用化と議論(2012〜) —信頼度:高
LIGO による重力波検出(2015)と新しい天文学の幕開け —信頼度:高
深層学習(ディープラーニング)によるAIブレイクスルー(2012〜)とその社会的波及 —信頼度:高
ジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡の打ち上げと初期成果(2021〜) —信頼度:中〜高
がん免疫療法やCAR-T等、医学の個別化治療の進展 —信頼度:中〜高
気候科学の深化と極端気象の観測(及び政策議論の加速) —信頼度:高
単一細胞解析・オミクス技術の普及(バイオ研究の技術革新) —信頼度:中〜高
代表ソース:日本 —NHK年末十大、朝日・読売・毎日・共同通信の年末総括(入手可能な年のみ)/ 国際 —Time,BBC, NYT年末総括/科学 —Nature, Science, New Scientist 年間ハイライト
収集対象年: 1976–2000 と 2001–2025(2025は現時点の年末まとめがあれば含む)
集計方法: 単純出現回数(まずは透明性のある方法)。必要なら重み付け版も作る。
納品: 「1976–2000 の国内トップ10」「1976–2000 の国外トップ10」「1976–2000 の科学トップ10」同様に 2001–2025 版を作成。各項目に出現回数と代表出典の脚注を付ける。
ようやくFactorioのDLC要素を楽しめるところまできた
ロケット打ち上げから長い領土拡大を経てようやく南と西にウラン鉱脈を発見した
原発は昔つくったブループリントがまだ使えたので特に躓かないで建設できた
ゲーム内ヒントの映像の見様見真似で宇宙プラットフォームを構築して一度失敗したけど二度目で無事ヴルカヌスに到着した
演出で降下ポッドがすごく赤く燃えていたので大気圏で燃え尽きて降下失敗でゲームオーバーか?と一瞬思ってしまうくらいだった
ヴルカヌスの新しい資源で色々効率良くなんでも作り放題で天国かと思いきや原住民の縄張りを荒らすと瞬殺されてしまう
手持ちの武器で戦ってみたけどダメージがまったく入ってないので戦闘以外の解答があるのだろうか
ここ最近のXで「献血してるやつは陰キャ」という煽りがかなり増えている
インプレ稼げるからか「セックスしてない(風俗通いでもなけりゃ関係ない)」とか「海外旅行をしていない(そんなマラリア流行地に行くかよ)」とかのデマとともに陰キャと献血を結びつける煽りが多い。早めに大きく打ち上げて叩き潰さないと大問題になる可能性がある。
オレも、順番持ち回りで組長やらされるまでは、後者の一員だったけど、やってみて色々頼られたり貢献できたりの経験してると、「入信」しちゃったよねーw
ウチでは「班」は無くて、自治会役員の下にすぐ「組長」でひと組数軒〜10数軒から毎年持ち回りで組長出す方式。
持ち家なら一軒年間6000円、賃貸の住民は年3600円、その他企業団体とかは規模に応じて6000〜3万とか集めてるねー
祭り、運動会、清掃活動、防災訓練などなど、イベントに参加してくれた人々には、打ち上げとか慰労会とか称して、お食事飲み物(酒類含む)が町内会費から提供されるよw あと、役員組長だけで新年会とか年度末のご苦労さん会みたいなのもあるけど。
でも、町内会費の使い道としては、地域の防犯協会(警察関連)や防火協会(消防関連)、赤い羽根募金・緑の募金・赤十字社とかへの拠出金、自治連合会でやる地域イベントへの協賛金とか、子ども食堂への援助とか、そういった社会貢献に出してるカネもかなり大きい。
https://togetter.com/li/2617426
町内会の話。
コロナ禍で、都内に居る意味が希薄になり、都心から電車で1時間くらいの都市の中古住宅を購入して住み始めたのが4年ほど前。
空気も美味しく、朝取れ野菜も安く、美味しく。家も広くなり、ペットも自由に飼えて、温泉は車で30分。
中古住宅のローンは、都内に居たときの駐車場代ほどで、控えめに言ってもQOLは100倍ほど向上。
都心まで1時間は、遠いと言えば遠いが、週に数回程度の出社であればトータルでは引っ越して大正解といった状況。
本題の町内会だが、引っ越してすぐに誰ともなく加入の話が届き、加入は自由とのことだったが、自分は加入した。
町内会費は、年額3000円。元記事に比べればかなり良心的である。
加入後すぐに、町内一斉清掃があり、新参者は参加すべきであろうと、朝の9時に近所の公園にいったら、
え?一人しかこないの?と度肝を抜かされながら、
「みなさん来るんですか?」と聞いてみたら、
「私も10年ぶりに組長だからきたけど、来るかわからない」というので、
それはそれは、安堵しながら。結局2人で、草刈りして終わってしまった。
実際公園と言っても、小さな公園で、2人で30分もやれば済む程度のものであった。
地域的には、田舎といっても過言ではないだろうが、中古で購入した物件の周りは比較的新興住宅街なので、
都心のマンション暮らしからの、新参者的には、嬉しい誤算である。
代表組長→組→班 といった構成になっており。班が大体10世帯前後で構成されている。
その10世帯で、班長を持ち回りで担当するのが、うちの班の習わしらしく
その持ち回りの一体どこに組み込まれたのかそのロジックは不明だが、
ちょうどうちが今年の班長担当ということで、今年の春から班長をやらさせていた頂いている。
2,年に2回の理事会の参加。
3,町内会費の集金。(これはややめんどくさいが引っ越してから一度も話したこと無い人たちに会えてよかった)
この3つである。
この年度初めの理事会は、班長も参加する年一の大規模なもので、
一つ心に残ったのは、よくネットでも話題になる、ゴミ捨て場問題の話で、
会長が、この自治会は地区の価値を高めるためにあると思って活動しているので
できれば、未参加の方を排除するのではなく、ご賛同頂いている方にご納得いただける活動を前向きに推進していきたい。
みたいなことを言っていて、個人的はとても良い考えと、地区だなと思った。
これは、性分なのだが、ごちゃごちゃ何時間も誰もやりたくないという話し合いが大嫌いなので、
「組長の仕事はなんですか?」と聞くと、
担当班の(3から4班分)の回覧板が月に1回届くので、各班の班長にそれを配るのが、組長の仕事だというので、
それなら、時間をかけて決める価値も無いほど些細な仕事量だなと思って。
実際に組長の仕事は、本当に班長にの仕事にプラスしてこれだけだったので、即答で決めて良かったと思うのだが、
突然インターホンが鳴り、玄関を開けると、町内会の会長、副会長が立っていた。
「何事ですか?」と聞くと、
「代表組長をやってほしい」という。
「代表組長ってなんですか?何やるんですか?」と聞くと、
「組長の代表で、仕事は年に2,3回の理事会の会合、夏祭りや運動会も手伝ってくれると嬉しい、でも仕事優先でもOK」という。
まぁ、、、、、会合や、イベント事を断る自由があるなら、、、、
それに選ばれた上で、組長、更には代表組長を担当する機会など、この後の人生で何度あるだろうか?と考えると。
めんどくさいが、逆にこんな機会はそうないのかな?と思って、
これは、ただの組長とは全然違って全ての仕事を受けるとするならばそれなりハードである。
ざっくり仕事をまとめると、
各種イベントは、夏祭りや、地区の運動会、用水路の清掃活動など、毎月1つくらいは何らかの活動がある。
とは言え、立候補ではなく、お願いされてやらせてもらってる立場と、
仕事優先でOKという言質があるので、(そんなものなくても多分大丈夫だが)
連絡はあるけど、行けたら行きますが通用するので、大変ではない。
とくに予定がなければ、
運動会でリレーのアンカーとして走って地区優勝に貢献したりと、楽しんでいる。
これを書くきっかけとなった、元記事の「お金の使い方」だが、、、
町内会の、理事の一員という、一生に1度のあるかないかの機会。
正直、この役を受けた理由の半分くらいは、お金の使い方見てみたい!!という気持ちがあったのは事実。
で、実際のところ。
例えば、理事会の会合で、お弁当とお茶と思ったら、お弁当とビールだったとか。
夏祭りの打ち上げが、会費3000円だけど、たぶん5000円くらいの料理でてるとか、
実際あるけども、、、
ビール報酬に費やした時間を考えたら妥当どころか、時給100円みたいな話で。
そんくらいは貰ってもバチはあたらないよなぁというレベル。
なり手が少ないということは、この程度のビールでは足りてないというのが現実なんだと思う。
実際にやってみると、
昨今、メールやLINEやスケジューラーで予定を組む以外の方法は、驚きとともに新鮮。ポスト開けるの遅れたら普通に参加できないじゃん!とか。
(飲み会でマジ物理的な連絡びっくりしまたーみたいなこと言ったら、会長とLINE交換して、LINEでスケジュール届くようになりました・・・)
驚くほど古い仕組みで動いてるところにもびっくりすることはあるけど。
毎年やれとか、◯◯部の理事とかは、やばい仕事量なのを見てしまったので、やりたくないけど。
最後に、余談というか予測だけど、自分みたいに代表組長で割と前向きに参加してる人少ないだろうから、
友だちに連れて行かれた映画で心を撃ち抜かれて、いま原作を読み漁ってるニワカだけど。願望が9割。
■追記
デンジのベロ噛みちぎったところ左流しで草生えた
逆なのかなあ…それともふつうに俺の考えすぎ?
◎右流し(嘘ついてるとき?)
胃液まみれの花をもらうところ
二道や学校でいちゃついてるところ
「私が全部教えてあげる」
花火を見ているところ
「助けてくださ〜い!悪魔に襲われてま〜す!」
「皆殺しコースかな」
「俺に泳ぎ方教えてくれたのはホントだろ?」と言われたところ
マキマと対峙するところ
◎左流し(本当のことを言ってるとき?)
「バカ舌」
「裸になっちゃお どうせ暗くて見えないよ」
「都会のネズミどっちがいい?」
屋台を回っているところ
「仕事辞めて私と逃げない?私がデンジくんを幸せにしてあげる」
「私がまだキミを本気で好きだと思ってるの?」
新幹線に乗るのをやめて二道に行くところ
ちなみに
は前髪は出ていない。
近所の男の子と毎朝いっしょに登園して、砂場で山をつくって濡れた手のひらを見せ合って笑った。スモックの袖口がいつも砂だらけで、帰り道に手をつなぐと体温がうつって、胸のあたりがふわっと軽くなった。あれを好きって呼ぶんだと、そのときの私は直感的に受け取っていた。
小学生になって、次はリレーのアンカーの男の子。運動会の午後。白線の粉の匂い。小太鼓の音。バトンを受け取ってからの加速。私は声が勝手に大きくなって、ゴールの瞬間、歓声にまぎれて「かっこいい」と口が勝手に動いた。誰にも聞かれていない告白。家に帰ってから名前をノートの隅に何度も書いたり消したりして、自分だけの秘密みたいに抱え込んだりしていた。
中学。ここから空気の密度が変わる。部活の先輩…女の人に、本気で恋をした。最初は憧れだとずっと思っていた。体育館の照明が木の床に反射して、バッシュがきしむ。タイムアウトでポニーテールを結び直す仕草、額の汗をタオルで押さえる動き。ホイッスルの音にふっと目を上げる横顔。休憩時間の給水機の前、首筋に貼りついた髪を耳にかける指先。スポーツドリンクの甘い匂いと、松ヤニの匂い。目が離せない。視界の中心が、先輩の輪郭に勝手に合焦してしまう。
部室の隅。先輩のシューズ袋に縫い付けられた名前の刺繍を、何度も目でなぞる。自分の指で触れてしまいたくなってばかみたいだなと何度も心で笑って、でもまた見てしまう。練習後の帰り道。駅のホーム。電光掲示板。19:04発。先輩は反対側のホームで電車を待つ。私は角柱の影から、見えないふりをしながら、ちらっとだけ見る。イヤホンを片耳だけ。何を聴いてるんだろう。電車が入ってきて、風が押し寄せて、視界がざわっと乱れる。発車してガラスに映った自分の顔が少し赤い。帰りの車内。LINEを開いては閉じる。文面を打っては消す。送信ボタンの上に親指を置いたまま、停車駅が過ぎる。送れない。送れない。ほんの数センチ上のうえから親指が動かない。動かせない。こわかった。ただそれだけ。
これって変なのかな。おかしいのかな。
教室で友だちが恋ばなをして、クラスの男子の名前が飛び交う。私はうなずきながら、別の方向を見ている自分に気づく。家に帰って検索窓に打ち込む。「女の先輩 好き 変」「女の子 好き 正常」。画面には“レズビアン”や“LGBT”の文字。救われた気も、同時に苦しくなる感じもした。あ、名前があるんだ、っていう安堵。けれど、その名前に手首をつかまれて、列に並ばされる感覚。(私は、列に並びたいんじゃない。ただ、先輩が好きなだけなんだ。)
放課後の公園。秋。ベンチのとなりでも友だちが「最近、誰か気になってる人いるの?」と聞いてきた。喉が熱くなる。言えない。「いないよ」と笑って答えた。嘘。帰ってからノートに書く。私はレズビアン?と書いて、すぐに消す。紙が毛羽立つ。私は、先輩が好きと書き直す。これだけは本当。
図書室。窓際の席。ページをめくる指が勝手に止まる。先輩が本を借りていく背中。カウンターの職員に返すとき、少し猫背になる癖。レジ袋の持ち手を指に引っかけて、肩にかけ直す動き。日常の切れ端がいちいち胸に刺さる。映画より鮮やかなワンカット。私はその画面の外側に立っている観客で、でも登場人物でもある。(追いかけたい。名前を呼びたい。何か言いたい。何も言えない。)
冬、期末が終わって、部室で小さな打ち上げ。紙コップのココア。先輩が笑う。紙コップに口紅が少しつく。私は笑って、うなずいて、たいしたことのない話をして、夜に帰る。駅のホームで冷たい空気を吸い込みながら思う。(私は、私が思っているよりも、ずっと深く先輩を好きなんだ。)
高校に入ると、少し距離が生まれた。部活も違う。校舎も違う。新しい生活。クラスには優しい男子もいて、映画をいっしょに観に行って、手をつなごうかどうかみたいな空気が一度だけ流れた。嫌ではなかった。むしろ、あのとき手をつないでいたら普通に付き合って、普通に卒業して、普通に別れて、普通に大人になっていたのかもしれない。そう思うくらいには自然だった。でもあの中学の先輩を見たときの、視界の焦点が合う感じ。呼吸が変わる感じ。世界の照明が一段変わる感じ。あれは起きなかった。
答えは出ない。
わからない。
レズビアンという言葉に救われた夜が確かにあった。検索結果の海で沈みそうになった私を浮かせてくれた浮き輪。けど浮き輪にしがみつき続けると、岸に上がるのが遅れることもある。ラベルは、入口だ。出口ではない。私は「レズビアン」という言葉を否定したいんじゃない。誰かを守るために掲げられた旗の力を、私は尊敬している。ただ、その旗の下にずっといなきゃいけないと決められることには静かに抵抗したい。
だって私の恋は、いつも固有名詞から始まる。幼稚園の彼、小学校の彼、中学の先輩。順番じゃない、確率でもない。パターン化した私の性向より、先に立ち上がる人の匂い。声。歩幅。恋はまず、あの人、から始まる。性別はない。カテゴリーはあとから。余白に鉛筆で書き添えるメモにすぎない。
中学の先輩に揺さぶられていたあの頃の私は「私はレズビアンなのか」という問いに追い立てられながら、同時にこうも思っていた。(私は、先輩が好き。以上。)これが真実の最短距離だった。レズビアンという言葉に私はときどき救われ、ときどき窮屈になった。救われたのは、同じ経験を語る声に出会えたから。窮屈になったのは、言葉が私を“こうであるべき姿”の型に押し返してくるから。(君は女子を好きでいるべき。男子を好きになったら矛盾だよ。)
そんなことはない。私は、好きになった相手を好きになる。それだけだ。
もし過去の私に伝えられるなら体育館のベンチでタオルを握りしめていた自分にそっと耳打ちしたい。「焦らなくていい。は急いで選ばなくていい。あなたは今、たしかに恋をしている。それがすべて」と。
肩書きが盾になる日もある。
けれど、その盾で自分を殴らないで。
価値観のラベリングはあなたを守るために使って、あなたを狭くするためには使わないで。
私はレズビアンではない、と言いたいのではない。私は「レズビアンでしかない」わけではない、と言いたい。
あの体育館の照明。夏の汗。紙コップのココア。ホームの電光掲示板。未送信のメッセージ。全てが愛おしく、全てが切なく、そのときの感情の機微全てが私だった。あの瞬間瞬間全てが、私の恋だった。
近所の男の子と毎朝いっしょに登園して、砂場で山をつくって濡れた手のひらを見せ合って笑った。スモックの袖口がいつも砂だらけで、帰り道に手をつなぐと体温がうつって、胸のあたりがふわっと軽くなった。あれを好きって呼ぶんだと、そのときの私は直感的に受け取っていた。
小学生になって、次はリレーのアンカーの男の子。運動会の午後。白線の粉の匂い。小太鼓の音。バトンを受け取ってからの加速。私は声が勝手に大きくなって、ゴールの瞬間、歓声にまぎれて「かっこいい」と口が勝手に動いた。誰にも聞かれていない告白。家に帰ってから名前をノートの隅に何度も書いたり消したりして、自分だけの秘密みたいに抱え込んだりしていた。
中学。ここから空気の密度が変わる。部活の先輩…女の人に、本気で恋をした。最初は憧れだとずっと思っていた。体育館の照明が木の床に反射して、バッシュがきしむ。タイムアウトでポニーテールを結び直す仕草、額の汗をタオルで押さえる動き。ホイッスルの音にふっと目を上げる横顔。休憩時間の給水機の前、首筋に貼りついた髪を耳にかける指先。スポーツドリンクの甘い匂いと、松ヤニの匂い。目が離せない。視界の中心が、先輩の輪郭に勝手に合焦してしまう。
部室の隅。先輩のシューズ袋に縫い付けられた名前の刺繍を、何度も目でなぞる。自分の指で触れてしまいたくなってばかみたいだなと何度も心で笑って、でもまた見てしまう。練習後の帰り道。駅のホーム。電光掲示板。19:04発。先輩は反対側のホームで電車を待つ。私は角柱の影から、見えないふりをしながら、ちらっとだけ見る。イヤホンを片耳だけ。何を聴いてるんだろう。電車が入ってきて、風が押し寄せて、視界がざわっと乱れる。発車してガラスに映った自分の顔が少し赤い。帰りの車内。LINEを開いては閉じる。文面を打っては消す。送信ボタンの上に親指を置いたまま、停車駅が過ぎる。送れない。送れない。ほんの数センチ上のうえから親指が動かない。動かせない。こわかった。ただそれだけ。
これって変なのかな。おかしいのかな。
教室で友だちが恋ばなをして、クラスの男子の名前が飛び交う。私はうなずきながら、別の方向を見ている自分に気づく。家に帰って検索窓に打ち込む。「女の先輩 好き 変」「女の子 好き 正常」。画面には“レズビアン”や“LGBT”の文字。救われた気も、同時に苦しくなる感じもした。あ、名前があるんだ、っていう安堵。けれど、その名前に手首をつかまれて、列に並ばされる感覚。(私は、列に並びたいんじゃない。ただ、先輩が好きなだけなんだ。)
放課後の公園。秋。ベンチのとなりでも友だちが「最近、誰か気になってる人いるの?」と聞いてきた。喉が熱くなる。言えない。「いないよ」と笑って答えた。嘘。帰ってからノートに書く。私はレズビアン?と書いて、すぐに消す。紙が毛羽立つ。私は、先輩が好きと書き直す。これだけは本当。
図書室。窓際の席。ページをめくる指が勝手に止まる。先輩が本を借りていく背中。カウンターの職員に返すとき、少し猫背になる癖。レジ袋の持ち手を指に引っかけて、肩にかけ直す動き。日常の切れ端がいちいち胸に刺さる。映画より鮮やかなワンカット。私はその画面の外側に立っている観客で、でも登場人物でもある。(追いかけたい。名前を呼びたい。何か言いたい。何も言えない。)
冬、期末が終わって、部室で小さな打ち上げ。紙コップのココア。先輩が笑う。紙コップに口紅が少しつく。私は笑って、うなずいて、たいしたことのない話をして、夜に帰る。駅のホームで冷たい空気を吸い込みながら思う。(私は、私が思っているよりも、ずっと深く先輩を好きなんだ。)
高校に入ると、少し距離が生まれた。部活も違う。校舎も違う。新しい生活。クラスには優しい男子もいて、映画をいっしょに観に行って、手をつなごうかどうかみたいな空気が一度だけ流れた。嫌ではなかった。むしろ、あのとき手をつないでいたら普通に付き合って、普通に卒業して、普通に別れて、普通に大人になっていたのかもしれない。そう思うくらいには自然だった。でもあの中学の先輩を見たときの、視界の焦点が合う感じ。呼吸が変わる感じ。世界の照明が一段変わる感じ。あれは起きなかった。
答えは出ない。
わからない。
レズビアンという言葉に救われた夜が確かにあった。検索結果の海で沈みそうになった私を浮かせてくれた浮き輪。けど浮き輪にしがみつき続けると、岸に上がるのが遅れることもある。ラベルは、入口だ。出口ではない。私は「レズビアン」という言葉を否定したいんじゃない。誰かを守るために掲げられた旗の力を、私は尊敬している。ただ、その旗の下にずっといなきゃいけないと決められることには静かに抵抗したい。
だって私の恋は、いつも固有名詞から始まる。幼稚園の彼、小学校の彼、中学の先輩。順番じゃない、確率でもない。パターン化した私の性向より、先に立ち上がる人の匂い。声。歩幅。恋はまず、あの人、から始まる。性別はない。カテゴリーはあとから。余白に鉛筆で書き添えるメモにすぎない。
中学の先輩に揺さぶられていたあの頃の私は「私はレズビアンなのか」という問いに追い立てられながら、同時にこうも思っていた。(私は、先輩が好き。以上。)これが真実の最短距離だった。レズビアンという言葉に私はときどき救われ、ときどき窮屈になった。救われたのは、同じ経験を語る声に出会えたから。窮屈になったのは、言葉が私を“こうであるべき姿”の型に押し返してくるから。(君は女子を好きでいるべき。男子を好きになったら矛盾だよ。)
そんなことはない。私は、好きになった相手を好きになる。それだけだ。
もし過去の私に伝えられるなら体育館のベンチでタオルを握りしめていた自分にそっと耳打ちしたい。「焦らなくていい。は急いで選ばなくていい。あなたは今、たしかに恋をしている。それがすべて」と。
肩書きが盾になる日もある。
けれど、その盾で自分を殴らないで。
価値観のラベリングはあなたを守るために使って、あなたを狭くするためには使わないで。
私はレズビアンではない、と言いたいのではない。私は「レズビアンでしかない」わけではない、と言いたい。
あの体育館の照明。夏の汗。紙コップのココア。ホームの電光掲示板。未送信のメッセージ。全てが愛おしく、全てが切なく、そのときの感情の機微全てが私だった。あの瞬間瞬間全てが、私の恋だった。