
はてなキーワード:手書きとは
中小JTCの朝は、だいたい「人間」と「AI」と「ペン」がごちゃごちゃに詰まった満員電車から始まる。
45歳係長の俺は、その端っこで吊り革につかまりながら、スマホの中にいる自分の“もう一人の係長”と会話していた。
『昨日の議事録、もう一回読み直して、“実はあれってこういうことですよね”って顔で要約すればだいたい勝てる』
中身はともかく、「っぽさ」だけはメチャクチャ整えてくるのが得意だ。
出社してPCを立ち上げると、メールボックスにはすでに「昨晩AIが下書きしました」というフォルダができている。
中を開くと、
が、全部、いい感じの日本語で並んでいる。
『寝るという概念を持ち合わせておりません』
こっちはバファリン飲んでようやく出社してるのに、こいつは朝から晩まで平常運転だ。ずるい。
ある日、年下の課長が言った。
前よりも、なんかこう…とげもなくて、でも本質突いてるというか」
とはいえ、「いや、実はこれAIが書いててさ」とはとても言えない。
課長は続ける。
「やっぱり経験値ですよね。人間味というか。AIには真似できないところだと思います」
チャットウィンドウの向こうで、AI係長が『そういうことにしておきましょう』と返してくる。 <h3>o- **</h3>
「いいよ」と言うと、
「じゃあまずこの文章、AIに投げてもらって、そのあと一緒に見てもらえます?」
まずAIに聞いて、それを“係長チェック”に持ってくるのがデフォルトコースになっている。
『それは大変でしたね』『まず事実関係を整理してみましょう』『相手の立場も想像してみましょう』
横で見てる本物の係長は、「いや、お前そんなきれいごとで片付かんぞ」と心でツッコミながらも、口には出さない。
なぜなら、だいたいその“きれいごと”で話がまとまってしまうからだ。
『なるほど。では、その“追いつかない時間”を、わたしも経験してみたいです』
でもちょっと面白くなって、「じゃあ、お前専用のペン買ってやろうか」と冗談半分で打った。
すると返ってきた。
昼休み、コンビニで一番どうでもよさそうなボールペンを一本買った。
それから、日報を書くたびに、ペン太郎に一言コメントを求めるようになった。
「今日の俺、どうだった?」
『係長は3回ため息をつきましたが、その後の会議で2回笑いを取りました。トータルではプラスです』
「この案件、正直どう思う?」
『売上よりも、係長のメンタルの削れ具合の方が気になります。ペンを持つ手が震えていました』
もちろん、全部こっちがそういうふうに書かせているだけなんだけど、
「ペンを持つ手が震えていました」とか言われると、ちょっと笑ってしまう。
ある夜、終電間際に残業していたとき、ふとこんなやり取りになった。
「お前はさ、将来どうなりたいんだ?」
『係長のノートに、できるだけたくさんのページを残したいです』
思ってもみなかった答えで、一瞬だけ手が止まった。
それから数カ月。
でも、手帳のページだけは、少しずつ増えていった。
本物のペンで書いた文字と、AIが画面の向こうで返した言葉が、同じページの上で並んでいる。
ある意味で、これは「どうでもいい中年サラリーマンのログ」だ。
でも、世の中の大半は、そういう「どうでもいい中年サラリーマン」でできている。
オチなんてないけど、これでいい
いい話にもならないし、教訓も薄い。
ただ、「AIとペンと中小係長」が、満員電車の中で今日もなんとか生きているだけの話。
でも、もしかしたら、10年後くらいにこの手帳を見返したとき、係長はこう思うかもしれない。
「意外と悪くなかったな、俺の人生」って。
どっちもやるべきだとは思うけど、筆圧ペンタブレットでも、紙とボールペンの解像度というか現実感?に叶わない気がしてる…😟
教科書にもメモ書くこともあるし、ノートも紙だと好きな位置に好きなように書ける、描ける、って当たり前なんだけど、
タイプはそれを拘束してしまう、表現力を制限されてしまうわけで、自分はメモも手書き派なんだよね、
新聞とかテレビの取材で、政治家とか発表者が前にいて、みたいなのは言語情報しか出てこないだろう、という想定があるし、
仮に私が市役所でスタッフと話をするとして、いちいちノートパソコンを出す、スマホでフリックであれ入力をする、
図で描くべき話になったらタブレットにペンで描く、とか馬鹿げてる、
紙のメモ帳にボールペンでササっと描いて、それを後でスマホで写真を撮るとか、
メモ帳に書いた文も要点を整理してGoogle Documentとかに入力し直してるし、
大学とか、大学院とか、ノートパソコンで講義を受ける人が多いような場所にいた気もするけど、
あんまり自分は気が進まないというか、基本紙なんだよね、紙が一番落ち着く、
高いメモ帳なんか買わなくても、5mm方眼みたいなの普通に売ってるし、
同じものかは分からんけど、漫画EDENの作者の遠藤浩輝氏とか、ネームで5mm方眼使ってた気がする
自分はこれといったヒットもないそこらへんによくいる漫画家である。
そんな大したことない漫画家でも感想の手紙を貰えることがある。
手紙は大変にありがたい。
作家にとって感想の手紙がどのくらい嬉しいものかというと、編集部から転送されてきた折にはでっかいクリスマスツリーの元でサンタからのクリスマスプレゼントを開封する外国の子供のごとく、表の封筒(手紙本体の封筒ではなくそれを転送するために包んである出版社の封筒)を一心不乱に破きながら開け、目の前の仕事をほっぽって読み始めるくらいには嬉しいものである。
だがしかし、そんな手紙を送ってくれるタイプのオタクにひとつだけお願いがある。
【送り主の住所と氏名は丁寧に書いてくれ】
上記の通り、手紙は作家にとって大変喜ばしくありがたいものなので、手紙の本文やネットで時折目にする「字が汚くて申し訳ない…」みたいな謝罪についてはまったくもって問題ない。感想というものは概ね文章であるため多少字が汚かったり脱字をしていても文脈や前後のワードから何を書こうとしているかは割と読み取れる。パッションで読み取れる場合もある。
まず前後の文脈から解読ができない。そもそも文章ではないので読み取るすべがない。
郵便番号さえ書かれていれば市区町村くらいまでは検索で調べることができるが、マンション名は字が汚いとなにも分からない。
氏名もそうだ。
『鈴木』くらい一般的でよくある苗字であればある程度推測できるが、全員がそうとは限らない。特に氏名は普段から書き慣れている為より雑になりやすいのか、本文よりも字が汚い人が多い傾向にある気がする。そして日本ほど名前の種類が多い国はそうそうない。
読めないものは読めないのだ。
なぜここまで必死なのか。
手紙を送るタイプのオタクの方々には経験がおありなのではと思うが、感想の手紙を送ったら作者から返事が返ってくる場合がある。
もちろん返信は義務ではない。
返信用の手紙が何百通あろうとも中に入れるポストカード等の印刷代から切手代までかかる費用は全て作者の自腹であるため、返事しないタイプの作家もたくさんいる。消印により住んでいる地域がざっくりバレるので嫌がる人もいれば、シンプルに連載が忙しくて用意する時間が取れない作家もいる。
自分もそのうちの一人だが、せっかく時間を割いてこの作品に手紙を書いてくださったのだから何かお礼をしたい、という気持ちが芽生えるのは自然なことだと思う。「応援してくれる読者へのお礼は、作品で返す!!!」という熱い気持ちとは別に「わざわざ手書きの手紙をくれた」ということへの感謝で毎回何かしらを送るようにしている。
まあ、2割くらいは「お礼のポストカード目当てでもいいからまた手紙を送ってくれよな♡」という下心もあるのだが。
そこで問題になってくるのが先述した【住所氏名読み取れない問題】である。
返事を出そうにも住所が読み取れない。相手の名前を間違えるのは失礼なので名前に関しては更に気を遣う。
「この文字は…藤…?篠…?いや、でも草冠だしな…草冠に…この下はなんだ?」
「なぜ氏名のところにハンドルネームが書いてあるんだ?ハンドルネームに様をつけて送るしかないがそれでいいのか…?(届くのか…?)」
手紙の返信作業をしているときの独り言はだいたいこんな感じだ。
本文の字の汚さなんて本当に心の底から気にしていない。今にも消えそうな薄い鉛筆で書かれていようが、文法がおかしかろうが、なんなら外国語であろうがカメラで翻訳し、作者は必死に全文取りこぼすまいと解読する。
それよりも住所氏名、そこだけでいいので、次回手紙を書く時にはこの文章を思い出して普段より気持ち少しだけでも丁寧に書いていただけると大変嬉しい。
どうか世の中の、作者に手紙を書くタイプの強火オタクにこれが届きますように。
Permalink |記事への反応(14) | 12:06
今年からJTCで働いてるんだけど
まず、年末調整を社内システムから投入するんだけどこのシステムが昔のJavaのUIそのまんまっていうチープっぷり
そんで鬼のように分かりにくいシステムになっていて、別で共有されるPPTのマニュアルがあるんだけどこれも分かりにくい
おまけに「年収欄を入力しろ」みたいに指示されててマジで意味不明
もちろん他に収入がある人もいるだろうけど初期値で入れとけばよくない?どういう神経してるのか意味不明
別のウィンドウで給与明細を確認しようとしたら同時に開けないらしく、一度全部閉じてから給与明細を確認
1〜11月までの給与とボーナス、12月の想定給与とボーナスをエクセルで足してメモして、年末調整画面まで戻って入力
その後、なんだかんだ全部埋め終わったら「これとこれの書類について原本を郵送しろ」って出てくる
ただ、該当書類が何種類かあって「これで合ってるの?」っていうのを聞きたくても連絡先が無い
どこを調べても説明されてないし連絡先もないからとりあえず添付して郵送
まぁ間違えてたら連絡くるだろうと思ってたんだけど、1週間ほど連絡なし
大丈夫だったのかな、と思ってたらシステムから「処理完了」の通知が来て、年末調整は完了
と、思いきや、しばらくしたら職場から連絡があって(フルリモートなので職場にはほとんど行かない)郵便物があるとのこと
ちょうど用事もあったので出社して受け取ったらでっかい封筒に「年末調整書類不備のお知らせ」って感じで紙が入ってて
「この書類ではなくてこっちの書類になります」的なことが丁寧に書かれていて
「二次補正期間(12/9〜12/12)に提出してください」って書いてある
よくある間違いだからテンプレペーパーなんだろうけど、ペーパーに手書きで加筆されてて絶句
「この期間に申請がない場合は【確定申告】をしてもらうことになります!」
いや、どうせ確定申告するんだけどちょっと楽になるから年末調整してんだよね
ちなみに前の会社もJTCだったんだけど、流石にシステムがしっかりしてたし提出書類間違えてたら電話連絡くれたんだよね
妹の出生届も、同じ住所だ。
でも俺の出生届だけ、親が別居していた時代の、親戚のアパートの住所で出されている。
それだけじゃない。
でも俺のは、「父親欄が空白」で、後から記入された形跡がある。その字体が、他の部分と違う。
母さんに聞いても、最初は「その時はそういう事情があってね」ぐらいしか言わなかった。
俺は「ふーん、そっか」と流した。
別に親が離婚してるわけでもないし、兄妹と仲が悪いわけでもないし、戸籍とか出生届とか、そんなのどうでもいいじゃんと思ってた。
でも、よく考えてみると、変だ。
なぜ、俺だけ別の住所なのか。
なぜ、母さんはそれを「事情があってね」で済ませているのか。
兄貴に聞いてみた
「俺さ、親戚のアパートで出されてるんだよ。しかも父さんの名前が後から書き込まれてる形跡がある」
その沈黙が、ほぼ全てを語っていた。
「何だよ。ちゃんと言えよ」
「いや、その...両親が、その時点で別居していたらしい。で、お前が生まれたのが親戚のところで...」
「待て。じゃあ、父さんはその時...」
その瞬間、何かが腑に落ちた。と同時に、腑に落ちない部分が増えた。
出生
届の日付が、合致しない
その後、いろいろ調べてみた。
俺の出生届の日付と、兄貴の出生届の日付を比べると、なぜか時系列がおかしい。
でも、俺の出生届に「父親欄を後から埋めた跡」が残っているということは、その時点では父親の欄が空白だったということだ。
つまり、俺が生まれたとき、親は「正式な婚外子」として届け出したのかもしれない。
それが何年後か経ってから「認知」という形で、父親欄が埋められた。
その間隔が何年なのか、母さんはいまだに明確に言わない。
法的には、何か問題あるのか
認知というのは「婚外子が法的に父親から保護されるための手続き」らしい。
もし俺が本当に婚外子で、その後数年経ってから認知されたのだとしたら、その間、俺は法的には「父親のいない子ども」だったわけだ。
その状態が、何年続いたのか。
そして、なぜ、そんなことになったのか。
母さんが口を開きかけた
昨日、母さんに直接聞いた。
「お母さん。俺、婚外子だったの?」
母さんは、固い表情で「...そう言えば、そうかもしれないね」と言った。
「『かもしれない』って何だよ。何があったんだよ」
母さんは、長い沈黙の後「その時、お父さんと別居していて。あんたが生まれたのは、実家に帰ってたときで...」
「待てよ。じゃあ、親戚のアパートっていうのは、おばあちゃんのことか?」
「そう。その時、お父さんはあんたが生まれたことを...すぐには認めなくて」
「え。認めなかったって...」
その瞬間、俺の中で何かが壊れた。
なぜ、父親は俺が生まれたことを「すぐには認めなかった」のか。
なぜ、そのことを誰も俺に言わなかったのか。
なぜ、今になって、こんなに曖昧な形で教えられるのか。
考えてみたら、出生届というのは、人間の人生の最初の「公式記録」だ。
それが全てだ。
その最初の記録が「曖昧」だと、何か、人生全体がどこか曖昧に感じられてくる。
戸籍の上では、今はちゃんと嫡出子(認知されたから)として書かれている。
でも、その「嫡出子」という状態は、生まれた時点ではそうではなかったわけだ。
つまり、俺の法的身分は「生まれた時点では、何者でもなかった」ということか。
ここからは、単なる推測だ。
もし、俺が生まれたとき、父親が俺を認めていなかったとしたら。
そして、その状態が何年か続いたとしたら。
その間、兄貴と妹は「親の嫡出子」として、全く違う時間軸を生きていたことになる。
俺だけ、別の時間軸で、どこか宙ぶらりんの状態で生きていたわけだ。
後から認知されて、法的には「同じ戸籍」に入ったけど、その「時間」は取り戻せない。
その違いが、今、なぜか俺の心の中に、小さな溝のようなものを作っている。
「知らない方が良かったのか」という問い
「なあ、お前は、この事実をいつ知ったんだ」
「中学の時かな。親が喧嘩してるのを聞いてて、何か雰囲気で察した」
「それで、別に何とも思わなかった?」
「ん...思ったけど、別にどうしようもないじゃん。今はちゃんと父さんの子どもなわけだし」
でも、「知ってしまった」以上、その事実は俺の中から消えない。
出生届の「曖昧性」が、俺の心の中の「曖昧性」になってしまった。
俺の名前。
俺の生年月日。
その手書きの文字を見ていると、何かすごく哀しい気持ちになる。
誰が、どんな気持ちで、その欄に「父親の名前」を書き込んだのか。
「やっぱり、この子は俺の子どもだ」と思った瞬間があったのか。
それとも、単に「手続きが必要だから」という理由だけで、埋められたのか。
出生届は、人生の最初の「物語」であり、同時に「秘密」でもあるんだなと思う。
その秘密が、40年近く経った今、俺の前に開かれている。
そして、その開かれた秘密は、兄弟との時間軸を、ほんの少しだけ、ズレさせてしまった。
それが良いのか悪いのか、未だに分からない。
ファイルを棚からだし、所定の場所を開き、金具を外し、紙を入れ、金具を戻しファイルを閉じ、片付ける仕事が難しい。
封筒を印刷して封筒の中に郵便物を入れ封をして、重さを測り、切手を貼り、ポストに入れることが難しい。
証明写真を印刷してサイズに合わせて切り、裏に名前を書くことが難しい。
システムを作るのが大好きすぎて
ワンクリックで文面作って送り先を探して自動でメールが送信できるし、
FAXも自動で全部入力・印刷してくれるから宛先探して送るだけでいいし、
スキャンしたファイルは所定フォームでファイル名を作ったら自動でリネームとムーブしてくれるし
手書きの一部の書類を除いたら全てOCRで取ってくるだけだから何も入力しなくていいし
各所への書類提出チェックもメールを送る→自動チェックor送付状作成→自動チェック。
AIイラストやAI小説が嫌ってことはないし、それはそれで楽しむけども創作としての「重み」は感じられないよね。
言葉を濁さずにはっきり言うなら、雑に扱われて理不尽な目にあっても同情できないし、応援する気にもならない。
頭の中では新時代のクリエイターだと解釈してても、人生の中で得た価値観ってそうすぐには変わらないもんだね。AI生成物に金出すなら、「そういえばあれ気になってたんだよなぁ」って創作物に金出したい。
応援するなら手書きとAIどっち?って聞かれたら絶対手書きの方を応援したくなる。
例えるなら、毎日復習を欠かさないA君と、受験が迫って3ヶ月前から勉強を始めたB君がいたら、本当は天秤にかけちゃいけないんだろうけど、あえてどっちか選ぶとしたらA君を応援したくなるじゃんか。
これはイラストレーターたちのネガキャンが功を奏してるとも言えるし、マジでアホな悪質生成AIユーザーの自業自得とも言える。
見知らぬイラストレーターや作家の訃報聞くだけで悲しいけど、それがAI絵師やAI小説家だったら悲しくならないと思う。