
はてなキーワード:戦記物とは
Zガンダム見たこと無いけど、SFが好きなら楽しめるものも多いハズ。
https://kokamumo.hatenablog.com/entry/2025/06/25/134921
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20250625/1750844969
うるせーおじ共だなぁ。
おじ、黙れ。
『ジャンプ』でも読んでろ。多分そういうのないけど(笑) ああ。ヤンジャン、ヤンサンに増えてるか。そっち読め。きめぇな。
おじ共の感性が古い。というかスケベ。見えるよオマエラのそれ。要するに「ソフト百合」が見たいだけだろ、キメェなぁ。臭っ。
ファースト『ガンダム』if戦記物:ジオン勝利すれば……、っていう大前提世界でどこを切り捨てるよ?
まず大命題はここだ。『大久保町シリーズ』みたいに「宇宙世紀0079、ジオン公国は地球連邦に勝利した。理由は分からない。それから9ヶ月――」、これならオマエラのマチュ✕ニャアンでも、ヒゲマン✕シロウズでも好きにしろ。きめぇ。臭。
カラーが取ったのは「映画で話題をさらいます。そのためにはジオン勝利の流れは映画で30分はやらんといかんです!」という予算の取り方だ。
恐らくプロットの段階で、めちゃめちゃ面白かったから企画は始まってる。これは新しい(ビジネスの/物語の)切り口だ。多分、富野監督も「(無言)」で企画書をゴミ箱に投げ入れるぐらいでOKしただろう。
(ハゲが言いたかったことは「戦争や戦争の道具を美化するな!」ってことだろうけど、それを魅せながら上手くやってる『ガンダム』作品が、商品の売上や円盤の売上を立てた実績と実情を理解しているが故に、これ以上は何も言えないだろうと容易に想像が付く。要するに『Seed』で“負けた”ことが富野監督の中で忸怩たる思いであっただろう。まぁ、これは内部からの外郭情報なので「ソース出せ!」って言われたら出せません、なので)
さぁ一年戦争勝利の流れを「映像」にしました。物語に乗せた以上『大久保町シリーズ』方式は使えません。
じゃあ書くしかないよね。今の流れを。
この作品を支えているのは、ファーストとそこから洗礼、薫陶を受けたガノタだ。
ひえっひえっだった70、80年代おたくおじたちが突然バカみたいな火力でインプを高めた。恐らくカラーの狙い通りであろう。
となれば、何をどう料理するかはカラーの考え次第。だってこれは「カラーの作品」だもの。
今回はサンライズ内製じゃなくて、外注作品。要するに「ゲームや漫画と同じ立ち位置」の作品です。『水星の魔女』とは違います。
一年戦争勝利の流れを書いてしまったら何が出てくるのか。もうやばい。
・アムロってどうしてるの?
・シャアはどこいったの?
・連邦ってどこまで衰退したの?
この情報を量をどうやって捌く?
まさかとは思うがブログ書いてて、感想書いてて、『ドクター秩父山』の「コイツはな、文句しか言わないプロなんだよ」って奴じゃねぇだろうな?
考えろ。そのソフト百合でほんわかしたいうす汚いピンク色の脳みそで。
『大久保町シリーズ』方式を取らなかった以上、山程の情報量とどうやって立ち向かうんだ?
「いや。待ってくれ。俺はただの視聴者だ。文句だけしか言わん」
ってなるんだったら、俺は答える。
「そうか。じゃあ、黙れ。お前の感想なんぞ、一顧だに能わぬ」
オマエラのような「ソフト百合/青春ものが見たかったんだい!」っていう輩への切断処理はとっくに完了しているが、必ず「黙れ」という感想を言うために、コイツを書いている。
じゃあうす汚いピンク色の脳みそのためにも、もう少し「現実解」のための情報を追加してやろう。
まず、オマエラの望んでいたものは「26話あれば可能だった」という事実だ。
じゃあ何故「26話じゃなくて、12話だったのか!」ということだが、多分3つある。
さすがにそれは無いとは思うが、予算は制作予算だけではない。宣伝予算もある。宣伝=インプレッションへの燃料のために、使った可能性は十分にある。
ただ、これは宣伝費(ある程度の可変)だし、バンナムは「仕事になる」から喜んで調整しているだろうから、追加燃料は使っていないだろう。
だとすれば、映画予算は映画予算で賄っているのではないか、ということ。
2.カラーとバンナム・サンライズの間で握れた予算が13話ぐらいしか作れなかったということ
まぁまぁある可能性。バンナム様からすりゃ「分かる。制作は金かかる。でもウチはライツで飯食ってるから(笑)」というシブチンなんだということをご理解いただきたい。
実は「作品は作ってない」のだ。
彼らは「作品が商品になるから出資している」のであって「予算以内で仰ってる内容は作ってくださいね」というスタイルを崩していない。
要するに13話分の金しか与えなかったのだ。十分ありえる。
4作品同時制作中のカラーに、監督くん(庵野秀明)に余裕はない。余裕はないから13話ですね、というお話。
別に鶴巻監督も暇じゃないだろう。恐らく他の作品にはとっくにかかっていた。
その中で「ガンダムなんだ」って言われれば「ガンダムですか」と答えるだろう。
カラー周りに知り合いはいないので、具体的情報は無いが、今「劇場版レベルのアニメ作品を作れる監督は数に限りがある!」という事実がある一方、「アニメにしましょう!出資は決まりました!」という作品は山積みになっていたりして、人手は足りない。そして「名誉ある作品」を作るには、監督の人脈能力が必須なっている。
恐らく、カラーをして、監督くん&鶴巻監督をして、「13話がフル稼働限界ですね」という大人の事情である。
分割26話も無理だったんだろう。腕の良い人たちは、みんな2年先3年先までスケジュールが埋まっているのだから。
やっちまったもの=企画書で啖呵を切ったのは実現するしか無いが、何をどうやっても12話(1話分はBeginningで使った)しか無い。
そして構成は、脚本に監督くんがいるし、恐らく監督くんに依頼があったのを「俺は監督業がこれ以上できないから、参加だけするんで」で鶴巻監督に投げたが、監督くんの悪さは「責任を負わないところで好き勝手する」のが大好きだ。
間違いなくシリーズ構成は監督くんの手によるものだ。彼が70年、80年おたくなのは論を待たない。
そうなれば「ジオン公国一年戦争勝利の世界で、アムロ・シャア・ララァの三角関係をハッピーエンドにしよう!」となってもおかしくない。
はい。ここでオマエラが大好きな「ソフト百合」は一撃必殺でゴミ箱行きです。
彼女らは「舞台を整えるだけの存在/状況を進めるだけの存在」になりました。キャラじゃないです。
まぁ、入れられるけどね、ある程度は。
「言わせた」り「言った」りすればいいだけなんで。そんなもん、小説では「行間嫁」になるでしょ? 文字読みのくせにそういうのもやらないの? アニメ視聴でもやんなさいよ。
まぁ、だから「マチュ✕ニャアンで一年戦争ジオン勝利世界を見たかった」ってのは「なかったんだ。だからこの話はここでおしまいだ」ってことになるわけ。
薄い本でも書いて補完せい。
追記:以上は、全部俺の脳内での拡大解釈なので、違う事実が出てきたら「へー。そうなんだー(大本営発表出るぐらいだったか(笑))」となるだけなので、責任は負わぬよ。
情報整理
普通についていけるように作ってる
11話までの流れで、
シャア、シャリア、キシリアを描くために最低限必要な説明をこなすためだったと判明
旧作キャラで重要なのはこの三人だけ、他はオマケ扱いの差が明確
話を進める上で必要な説明はしてるので、何も知らない人のほうが見やすいぐらい
(バスク・オムは思わせぶりに顔出ししてまだ死んでないのでノイズ要素。最終話出てくるのか?)
ちな戦争を指導者ないし英雄的な人物の立場から描く話は「戦記物」であって「戦争もの」でない
戦場全体を俯瞰し、かつ主役の顔の見えないような場に放り込まれて誰も最後まで主役たりえないのが
(ガンダムは戦争アニメだがZは戦争アニメではない、という言い方もできる。
人間ドラマ主軸でキャラに寄り過ぎだし政治的重要人物メインで描かれるし)
逆シャア履修しないと付いていけないみたいなことは全くなく
むしろ11話でZ逆シャアあたりの話は全部まとめてやったからオシマイ、という意味では
マチュがキシリアに全く目を向けてない、視界に入ってないことを強調
(ので、逆シャアを履修しないと判らないということはない)
シャアがキシリアに対しニュータイプの目指すべき姿を語った後に変身
おそらくブラスターマリの「赤い彗星のひと」になったのだと思われる
(シャアは復讐のためダイクンの名と想いを捨てたが、その捨てられた想いが形となったのが「赤い彗星のひと」 )
向こう側から呼んだのはアレ
ということで、いつもの「~~と、ガンダムがいっている」のガンダムは
ニューじゃないのは当然で11話で逆シャアは終わってるので
「と、ガンダムが言っている」というのは言葉通り「ガンダムが言ってる」のであって、アムロではないだろう
概念的な存在としてのガンダム、たぶん「ガンダム作品」とか「宇宙世紀シリーズ富野ガンダム」とかいう意味の
父親が重度のガノタで幼少時から英才教育を受けてきたが、母親がついていけず家を出て行ってしまった
「ガンダムが言っている」でしか行動できなくなってしまった、というのはどうか
考えてみればザクは新デザインだし、ゲルググは尊厳破壊されてるし、
ギレンああだし
古参に媚びてるというよりは、
積極的に古参が好むガンダム要素を使い潰していくのが裏テーマというほうがしっくりくる
みんなして「ガンダム」を倒す
機動戦士Gundam GQuuuuuuX(機動戦士ガンダムジークアクス)だ
ガンダムの話題だらけの増田で今更こんな前説明書くのは不自然で生きた人間の感覚とは思えないのでAI
女オタクはカップリングに地雷があり、解釈違いで喧嘩がおこるし、それを見せないために検索避けする。
また、別ジャンルに対しても地雷があるのでアカウントは作品ごとに分ける
という文化を聞いてめんどくせーなって思った。
男オタクは全然そういう地雷とかないし、not for meで済ませられるのにと
機動戦士Gundam GQuuuuuuX(機動戦士ガンダムジークアクス)だ
これは、従来の宇宙世紀のIF戦記物として、過去作の設定を大胆アレンジした作品だ。
また、キャラクターの造形もポップに今風にして、新規のファンの獲得も多い。
一方で、歴史改変を行ってはいるが今までのガンダムシリーズの設定は引き継いでさらに発展させており、従来のファンも納得の作品になっている。
シャリア・ブルとシャアのBLとか、マチュとニャアンのGLとか色々ある。
どのキャラがどうCPされても良いんだが、僕の中の厄介な部分がピキるスイッチを発見した。
例えば、疑似重力の件
BL二次創作でソドンの疑似重力が止まり、急にフワっとなりシャアとシャリア・ブルがくんずほぐれつ。。。みたいな描写の二次創作があったんだが、
重力発生装置とかいわれていて、「ああ違うそうじゃない。装置じゃないんだ」と思ったり、
「ソドンの腹巻みたいな部分が回ってるんだよ。急に止まったらまず壁に衝突するでしょ」とか気になったり。
後よくあるのは、シャリア・ブルがエグザベ君の思考を読んで、誘惑をするパターンもあるけど
「ニュータイプは思考を読めるわけじゃないんだよ。無意識で相手を分かりあえるんだよ。」とか
元々作品が持つ前提に対して非常にメンドクサイ奴だということがわかった。
コメディなら許されるんだけど、全体の雰囲気と比べてバランス悪くリアリティが損なわれるところが苦手みたい
確かに、『中世にジャガイモはない。江戸に白菜はない。』などが気になる人も、いってみればそういう地雷なんだよな
Permalink |記事への反応(15) | 17:26
わりと面白かった
なんだろな、(ガンダム+フリクリ+エヴァ)÷3みたいな感じ?
やっぱ俺、苦手なのはロボットじゃなくてガンダム、あるいはロボット戦争アニメなんだと思う
結局ガンダムシリーズのどこが苦手なんだろう
戦記物なところ、暗いところ、男ばかりなところ、群像劇なところ、世界にフォーカスを当てる頃
登場人物が多すぎるところ、キャラデザ、ストーリー、悪意・敵意あるキャラが多い
1話今見返してみたけど、キャラがどばーーーっと出てきて、世界観にフォーカスを当て、敵意ある人が多く、 ロボ登場でどやー見たいなBGMで、80,90年代SFなデザインで
「これはガンダムシリーズだ」って思わせる内容だった
逆に見れるのは、少人数の内面を重視したセカイ系+外側の設定みたいな
考えてみたら自分が見れるのって実はワンパターンなのかもしれない
エヴァだってシンジ君がうじうじしてなかったら見れなかったと思う
・世界を引きで見せているシーンがない、むしろ世界観は背景に追いやっている、ぼかしているまである
・世界を説明する時に主人公の言葉で説明している(キャラのフィルターをかけている。フリクリと同じ)
・キャラは結構出てきているが、主人公に絡んだのは割と少ないので、話に集中しやすい
・技術に対してどや感がなく、日常的あるいは疎ましい日常として捉えている
・技術的なデザインを身近なもの、古臭いところからもってきている(HDD、BIOSみたいな)
・町並みにSF感がない
これによって「こういう世界の中にキャラが居て〜」って話じゃなくて、「キャラがある世界に居て〜」になっている
___
てか鶴巻って今まで何してたんだ?と思って調べたらエヴァ作ってたのか・・・
あと龍の歯医者見てないわ、みよう
先日、友人に勧められ『機動戦士ガンダム』をみた。
知らない人だったら、この名前を聞いて拒否反応がでるかもしれない。
でも、僕も始めこれを聞いて拒否反応がでたが、意外と可能性を感じるいい作品だった。
まず、僕の自己紹介をする。
サイド2 ハッテに住んでいる。
ジオンは戦後スペースノイドの盟主を気取っているが、ご存じの通りハッテは地球連邦寄りだ。
それを兵器にするために皆殺しにしたジオンを許せるわけがない。
でも、人を殺さなかった。
今は自治権も与えず、税金も高く、さらには人を殺すジオンの独裁だ。
こんなことを本国で書いたら憲兵にマークされてしまうが、連邦ネットワーク内の増田なら安心だろう。
さて、『機動戦士ガンダム』はサイド7に住んでいるトミノとかいうアニメ監督が作った。
サイド7はジオンから最も遠く、戦前はルナ2にも近かったから連邦関連の人が多く、戦後も連邦寄りだ。
なによりもシャアによる空襲を経験しているから、多くの住人はジオンを恨んでいる。
このトミノ監督はレトロフューチャー系のロボットアニメが作風で、20世紀の古い感じのテイストなんだ。
『機動戦士ガンダム』は史実を下敷きにしたIF戦記物なんだが、リアリティよりもこのレトロフューチャーテイストを選んでいる。
スマホもないし、妙に四角張ったモビルスーツのデザイン、そして過剰な作画崩壊(20世紀はよくあったらしい)演出など見る人は選ぶと思う。
まず、史実では連邦のV作戦で作られたガンダムをシャア・アズナブルが強奪して、連邦のテクノロジーをリバースエンジニアリングしてジオンの勝利に貢献したでしょう。
ガンダムはジオンのシンボルみたいなもんだけど、この作品では連邦のシンボルになっているんだね。
ここは、シンボルを無力化する意味ですっきりした。タイトルにもガンダムと付けているが、ジオンは敵だという作品のタイトルにしていることで奪い返してやったという気持ちになる。
強奪に失敗してから、連邦が巻き返していく物語なんだが、多くの人物が実在の人物なんだけれども、主人公は架空なんだよね。
アムロ・レイという少年がガンダムに偶然乗り、何度もピンチを潜り抜けていく。
IF戦記物だけでなく、このアムロ少年の成長譚とだけみても面白い。
何で子どもなんだよ。とか、子どもがモビルスーツに乗ってシャアを撃退できるわけないだろっていうツッコミはわかるが、これは少年が主人公になるレトロフューチャーロボットアニメの様式だそうだ。
ここからは、もう少し突っ込んだネタバレになるので、ネタバレ避けたい人はここで回れ右をしてほしい。
そしてシャアもニュータイプとして覚醒をして、アムロとシャアの確執へと発展していくんだ。
君たちならニュータイプという言葉を聞くとガンダム以上に拒否反応を催すだろう
だか、『機動戦士ガンダム』ではこのニュータイプを新たな解釈をしているんだ。
アムロとシャアの間にララアという少女が登場するんだが、ララアとアムロは一瞬の間にお互いを理解をするんだ。
選民思想のためのニュータイプじゃなくて、宇宙に出て人は遠くの人と誤解なく差別なく分かりあえる。
そういう強いメッセージを感じた。
確かにジオンは人を殺したが、仮に連邦が勝利をして、連邦内でジオンを抑圧するような軍隊を作って、コロニーに毒ガスを撒くとか逆のことをしてやろうと思ってもそれは違うよね。
皆人間なんだよと。
だから、ジオン、反ジオンの二元論を越えた反戦アニメだと感じたよ。
あと、少々のツッコミはある。
シャアが目立ちすぎる。
メインキャラでは数少ない実在の人物なのだが、監督はシャアが好きなんじゃないかというくらい優遇されている。
まあ、シャアは死亡しているので(生存説を唱える陰謀論はあるがwww)好き勝手出来るということもあるんだろうけどね。
逆にシャアの盟友であるシャリア・ブルはちょい役ですぐ死ぬという冷遇っぷりだ。生死が現実と逆転してるのは意図的なのかな。
あと、連邦のエースパイロットのセイラ・マスも出てくるんだが、これがシャアとの兄妹ってことになっている。
実際陰謀論で、ジオン・ダイクンの遺児で生き別れた兄妹説みたいなのがあるけど、クソヤバ陰謀論を引用するのはちょっと萎えたかな。
ちょいちょい実在の人物が出てくるので、一年戦争史詳しい人なら唸るかもしれないね。
ワッケインは連邦だけど、ジオンと同じようにソロモン落としやろうとしたからスペースノイドからは嫌われてるんだよね
戦記物アニメの短縮版とフル(反戦ソング)では受ける印象が全然違くて凄いよ!
以下はこんな感じの印象とういうか個人的解釈によるストーリー再構成的なもの
主人公たちは彼らのために立ち上がり語る
解放という長年の夢は今こそ叶うと
https://www.youtube.com/watch?v=2denCMmst2g
戦争の中で歯車になるしかないステルス爆撃機パイロットは爆撃によって見知らぬ大勢の人を殺していることを知っている
上空から見る光景は非現実的だし、爆撃する土地がどういう名前でどういう人が住んでいるか知ろうとしないことで心を守っていたが
犠牲者のことを考えずにはいられなかったため彼の現実は妄想に侵食され悪夢と呼べるようなものに変わっていた
俺は中学生の時にネトウヨになりその後間髪入れずに共産趣味にハマったどうしようもない人間だ。
自分でも節操なしだと思うけれど、当時はマジも大マジで思想をころりと変えた。
今思い返すと痛々しすぎて目も当てられないけど、結果的にはあの時「未熟過激思想にハマる」という人生のイベントを消化しておいたことで良かったなと感じることもあるので当時を振り返りがてら書いてみたい思う。
ネトウヨになったきっかけは多分インターネット、特にようつべ、YouTubeだ。
YouTubeを見始めたガキがまず通る道であるヒカキンさんの動画を早々に卒業してしまった俺は、ゆっくり実況に手を出した。あの頃YouTubeにはゆっくり解説などなく、ゆっくりといえばゲーム、特にマイクラ実況だったもんだ。とはいえ、そこそこ昔の動画サイトには今ほどの動画が投稿されていなかったので、めぼしい動画を見つくしてしまった。そんな手持ち無沙汰になったまま関連動画を漁っているガキの目の前に出てきたのはサムネにでかでかと「自衛隊」の文字が載っている謎のコンテンツ、ネトウヨ動画だった。
当時(今もかもしれないが)のYouTubeにはネトウヨ動画が溢れていた。どれもこれもやれ韓国人はバカだ中国人は不潔だなどと適当なことを言い散らかし、それに比べて日本人は素晴らしいとおべんちゃらを並べ立てるような内容だったが、当時の中二病入りかけ戦記物大好きクソガキには親和性が高かったらしい。
俺はすぐにネトウヨになった。女騎士よりメンタル耐性が弱かった俺は驚くほどの早さで堕ちた。
韓国や中国を心底軽蔑した。自分が日本人であるだけで確立されてないアイデンティティの穴は埋められた。
インターネットがこの考えを支えてくれた。ひん曲がった思想はより頑迷になっていった。
どうしようもない人間に成り下がってしまった俺を救い出してくれたのは学校の図書館で借りた本だった。日本は自分が心の中でさんざんバカにしてた中国や韓国に各種産業で後れを取っているということを知った。
もちろん日本が世界をリードする分野も存在数多く。しかし、当時の俺にとって日本が世界で一番ではないこと、全ての分野で近隣諸国を圧倒してるわけではないこと、それを知れただけでネトウヨを脱出するには十分だったんだ。
俺はネトウヨを辞めた。
辞めるきっかけをくれた本には感謝してる。タイトル忘れたけど。
あの本のおかげでとりあえず真人間になれた。
でも、俺が共産趣味にハマるきっかけになったのもまた本だったんだ。
こっちのタイトルは忘れもしない。マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』だ。
俺は元々読書が好きな生徒だった。通学に使う電車で本を読むのが日常だった。
中三になっても読書癖は失っておらず、痛々しさも失っていなかった。何を思ったのか俺は共産主義に興味を持った。
別に特定の思想に興味を持つことは悪くないと思う。でも、当時の俺は若く愚かだった。何故か『共産党宣言』から読み始めた。
『資本論』はちょっと太くて読みたくなかったんだと思う。そういうマセガキなので、『共産党宣言』を読むだけでマルクスの思想を理解した気になっていた。
俺は革命を目指した。目指したからと言って何か行動を起こすことはなかった。
ニコニコ動画で共産MADを見漁るだけだった。中学生も後半になるとニコニコ動画に手を出すのがちょっと乙に感じる年頃だったような気がする。
こっちはネトウヨだった時より多分ずっと痛かった。同時に平沢進にもハマってたからもっとキモかったと思う。
「君、『資本論』は読まないのか?」
余りの恥ずかしさから、その日以来共産主義について語るのを止めた。
僕はもう一度真人間になれた。
ここからが本題。
僕はこの経験から今生きていく中で大切なことをいくつも学んだと思う。生まれた国、育った場所で人を差別するべきではない。国などの大きなカテゴリに当てはめて目の前の人間を評価するべきではない。不用意なことは言わない。もし何か発言するときは論理やソースを用意しておく。
こういう当たり前の考えを手に入れた。
自分が余りに無知だということも知れた。インターネットにはクソが転がっているということも身に染みて分かった。
人生の最序盤でこういう極端な思想を振りかざしておいたおかげで、僕はこれから極右にも極左にも振れることがないだろうというのは結構なアドバンテージだと思う。
多分この経験がなければ今頃どっかのカルトに引っかかっていたのではないかと思う。
自分を客観視する能力や真偽を確認しようとする意識というのはドツボにハマって初めて手に入れたものなので。
幸運にも人生の序盤でドツボにハマって恥をかけたから、後の人生で何とかなってる。
実際問題、周りを見渡すと今ネトウヨ思想にハマってたりする人間は結構いる。
余りにも見てられない場合にはちょっとお小言を漏らしたりしてしまう。
でも聞く耳を持たないのがほとんどだ。ネトウヨは自分で気づく日が来ない限り抜け出せることはきっとないだろう。
もし子供にインターネットを与えて変なものに触れないか気をもんでる親御さんがいたら安心してほしい。
子供は勝手に染まって勝手に抜け出していく。その時に免疫ができる。その後はもう大丈夫だ。(n = 1)
後々染まる方が面倒くさい、僕の周りにいるそういう人たちのように。歳をとればとるほど抜け出しにくくなるのだから難しい。
僕はもう極端なものに傾倒しないと思うし、そうならないように気を付けている。これが良い事なのか悪い事なのか分からない。
現在88話まで無料公開中のミリタリー作品の金字塔「軍靴のバルツァー」
https://pocket.shonenmagazine.com/episode/3270375685381843094
意外に思ったのが、女性さんが好みそうな恋愛描写(異性・同性問わず)がとことん少なく、
逆に女性があまり好まない戦争描写(ロジカルな戦術やグロイ死に様)に滅茶苦茶力が入っていて、
正直な所、女性作家さんにこんな戦記物が描けるのか!?と驚いてしまった。
戦闘描写に力が入っている架空戦記物の漫画、という時点で多分…男性作家さんだろうなと思っていただけに本当おったまげた。
その時代に使用されていた銃器の性能差とか、架空戦記・歴史ロマンスが好きな女性が気にする要素としては下から数えた方が早いだろうに、この作品では割と早い段階でそこに触れていた。
それと、美形キャラは勿論の事、美形に皺や髭を足しただけではないおじさんキャラ…を描けるというか作品の中で沢山出してくる人も、他は自分の知る限りだと青池保子先生くらいしか思い浮かぶ人が居ないくらいにはレアだと思った。
この漫画を読んでいる最中、作者の中島三千恒先生は十中八九男性だろうと思っていたのだけど、それでも「ん?」と思う描写が三つだけあった。
長い話は分割されていたので約170話分に相当する話数だったのだけど、それを一気読みしてかなり充実感があった。
そうやってこの漫画を読んでいる内に、ある点についておや?と思った。
↑のキバヤシのようなポーズ、或いは手を強調して見せるコマがかなり目立ったので、何か手に対して思い入れがある作家さんなのかな?とは思った。
軍靴のバルツァーは月刊コミックバンチで連載されていた青年漫画という事もあってか一部青年漫画特有の描写も見られる。
凄惨な戦場での銃撃戦シーンなども勿論そうなのだけど、73話にてついにこの漫画初?の濡れ場・エッチなシーンが出てきた。
とにかく女性に目が無い守備範囲の広い王子が女性とお楽しみ最中の所に主人公達が踏み込む、という展開なのだが…
これが、何故かあまりエッチでない。お楽しみの真っ最中?というか…単に異性同士が裸でこの場に居ただけというか、はっきり言うとあまりエロく感じない。
【第73話(2)】王子を追え!
https://pocket.shonenmagazine.com/episode/3270375685381842592
気になったシーン
これは何か理由がある訳ではないんだけど、エッチシーン・濡れ場シーンで不思議と全然エロティックだと感じずノルマ的?だと思った男性向け娯楽漫画の作者さんは女性である事が多い気がする。
これは…何というか、そこまで確証があるという訳でもないんだけど
作中に時代や背景設定を無視していきなりネットスラングを入れてくる少年・青年漫画家さんは女性作家さんが多い?ような気がしている。
現代の男子高校生が突如タイムトリップ?して明治期の歴代総理大臣達と触れ合う漫画「総理倶楽部」や
現代から突如異世界に転移したサラリーマン二人がTSしたのを良い事にイチャイチャする漫画「異世界美少女受肉おじさんと」など
「今の会話の流れで何でそんなネットスラング出したの?それ要る?」と最近思った作品の作家さんは中島三千恒先生も含めて三人になる。
【第64話】再建への道程
https://pocket.shonenmagazine.com/episode/3270375685381841625
はぁーつっかえ
この「はーつっかえ!」は所謂例のアレと呼ばれるジャンルでよく使われる言い回しの一つなのだけど、
「軍靴のバルツァー」の時代設定は第一次世界大戦以前のヨーロッパとされているので少なくとも現実と同じ流れでこの言い回しが生まれたという事は無いと思う。
という訳でこういう日記を思わず書くくらいには「軍靴のバルツァー」という作品の熱量に当てられたのだけど
この作品、架空戦記物とか読みたい人にはマジで刺さると思うので興味があるなら是非一度は読んでもらいたい。
ところで中島三千恒先生はヘタリアの大ファンで作品に強い影響を受けたらしく、このバルツァーもヘタリア好きな人が読めばあのキャラはあの国がモチーフだな!と分かるらしい。
自分の好きを商業作品にまで昇華出来るプロフェッショナル、いいよね…
【追記】
個人的に「二次創作の題材としての軍隊物」以外で軍事物・戦記物が好きな女性はかなり少ないんだろうな、という先入観が自分にあった。
何故かというとガンダムとか銀河英雄伝説、最近ならゴールデンカムイなんかもそうだけど、あの手の「軍隊が出てくる作品」が好きな女性は…どうも…
「上官と部下という上下関係が固定された軍隊という閉ざされた組織での人間関係を好む」人か、「キャラクターの設定とルックスは好きだから現代に転生したという設定で二次創作に使う」人のどちらかが多い…と、思っていた。
「殺し合いの中で描かれるキャラの感情」が好きな人が多くても「殺し合いに使われる兵器」「戦術」「惨たらしい死体」を好む女性…は殆ど居ないんじゃないか、と思っていた。
それが思い込みで、所謂「男性が好みそうな要素」を好む女性が実在して商業誌でプロとして大活躍している事をこの漫画のお陰で知る事が出来た。そうやってこれまでの自分が知らなかった事を知る事が出来たのが、凄く嬉しい!
Permalink |記事への反応(16) | 17:39
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2月24日、ウクライナへの軍事侵攻を開始したロシア軍。プーチン大統領が分離独立を支持した同国東部とベラルーシと国境を接する北部、さらに黒海に面した南部からも部隊が上陸。3方向からの同時進行に加え、圧倒的な戦力差もあり、首都キエフ陥落も時間の問題と言われていた。
なかでも南部から侵攻する部隊は港湾都市のオデッサ近郊から上陸したことから「オデッサ作戦」とも呼ばれている。だが、これに噛みついたのがガンダムファンだ。
実は、オデッサ作戦は初期シリーズの「機動戦士ガンダム」にも登場。物語前半、現在のウクライナがある地域を実行支配していたジオン軍と奪回を目論む連邦軍の間で激しい戦闘が繰り広げられている。主人公アムロ操るガンダムが、ドム3機による「ジェットストリームアタック」を武器にするジオン軍の「黒い三連星」を撃破した戦いと言えば覚えている人も多いかもしれない。
そのため、ネット上には《ガンダムへの冒涜だ!》や《物語の中だけの話にしといてほしかった》といった怒りや悲しみのコメントが多数投稿。現実に起きているのはアニメでの2つの勢力による均衡した戦いではなくロシア軍による侵攻。ウクライナ側には民間人にも多数犠牲者が出ており。憤りを感じている人も多いだろう。
「ガンダムは戦記物のロボットアニメですが、同シリーズの数多くの作品の原作や脚本、監督を務めている富野由悠季氏は、一貫して戦争を美談にはしていません。戦争が持つ不条理さや人々の悲しみを描き、インタビューでも『戦争なんてかっこよくないし、あっちゃならない』と語っています。自身が手がけた作品と同じ場所で戦争が始まったことに心を痛めているのではないでしょうか(エンタメ誌ライター)
ガンダムではわずか3日で戦闘が終結したが、今回のロシアによる軍事侵攻は長期化も懸念されている。28日には停戦交渉が持たれる予定たが、これ以上戦火が広がらないよう祈るばかりだ。https://jp.news.gree.net/news/entry/4241127