
はてなキーワード:戦死とは
(米国の傀儡である)自民党は(米国の覇権主義実現のための尖兵として米国の意のままに)戦争を始める、(そして米国の兵士の代わりに最前線で戦死させられる自衛隊員を増やすために)徴兵制になる、
となるわけだが、それだと世論から見向きもされないことにもある程度自覚しているため、あえてふわっとした表現にしているんだと思う
父親の父親、つまり俺の爺ちゃんは、ビルマのカシミーア作戦で戦死した。
天皇を憎んだ。
そうして、共産党員になったんだ。
会社でも(運良く誰もが知る大企業に入れた)共産党の活動をして、昇進できなかったけど、楽しかったそうだ。
理由は知らない。
だが、目に見えて父親は元気をなくした。
深酒するようになった。
ただ赤旗だけは取っていたので、俺も読んでいた。
天皇を憎むことはなかったけど、そんなに価値があるものには見えなくなった。
一方俺は大学に入り、特に望んでいなかったのだが、希望の研究室に入れず、なんと資本論の研究室に入ることになった。
とりあえず資本論を読んだ。
それが先生の口癖だった。
というわけで結果的に、親の大学の影響で、思想は左寄りにはなった。
思想ってやっぱり親の影響受けるよな。
プロット筋(きん)=面白いストーリーをかんがえる筋肉のエクササイズをしたい。 まずGeminiが、何かの物語であると認められる粗筋なり長編の一断片なりを30〜200文字くらいまでで考えて提示する。既存のものでもいいし、既に面白くてもいいし、面白くなくてもいい。 俺がそれを換骨奪胎してより面白くして打ち返す。5分以内に。
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プロットを考えるための筋トレ、いいですね。 第1問:「独裁国家の末端役人である男の仕事は、過去の新聞記事を『今の正解』に合わせて書き換えることだ。ある日、彼は修正依頼のリストの中に、昨日自分が処刑に立ち会ったはずの親友の名前を見つける。しかし、記録上、その親友は『30年前に英雄として戦死した』ことになっていた。」 これをどう換骨奪胎し、あなたの「面白い」に着地させますか? 一発勝負、お手並み拝見です。
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当然、敵の中ボスとか出てくる。
ひとりの中ボスにパーティがみんなで力を合わせて、なんとかかんとか勝利する。
敵に殺られたり、宿命的な岐路に立たされてパーティから抜けたり。
で、だんだんとパーティメンバーが減っていくんだけど、戦いには勝利する。
みんなでひとりの中ボスを倒していたのが、中ボスとかだと勇者一人で倒し切るようになる。
だから、敵もこれはヤバイと思って、手下を多数用意したり、中ボス同志で集まったりして戦うようになる。
つまり戦いが熾烈になる。
そうした過程でパーティはまたひとり、またひとりと脱落していく。
その頃には、勇者はもはや魔王と互角か凌駕するほどの力をつけている。
敵の中ボスも絶対に敵わないと思いつつ、数だけは揃えて決死の覚悟で戦いを挑む。
そう勇者パーティが冒険の序盤に決死の覚悟で中ボスに挑んだように。
この逆転の構図を形成しているなろう系が読みたい。
宮崎駿監督が映画の最後、大団円の場面でヤックルが脚を引きづりながら歩いてくるというシーンを入れながら、
「こういうのを入れてあげないと、子どもたちは主人公と別れたあとのヤックルはどうなっちゃったんだろう?と、ずっと気にしちゃうから絶対に入れてあげないと駄目なんだよ」
と語ってたんだけど、
富野由悠季監督も、恋人のケーラと死別したあとのアストナージはどうなっちゃったんだろう?とずっとガンダムオタクたちは気にしちゃうだろうなあ……、
っていう俺達への深い愛でもって、
米国のシンクタンク、CSISは中国による台湾軍事侵攻が生起した場合のシミュレーションを行っている。
(原文:https://www.csis.org/analysis/first-battle-next-war-wargaming-chinese-invasion-taiwan)
時々ニュースなどでも断片的に取り上げられているのでご存じの方も多いかもしれない。この報告は検討可能なオープンソースのシミュレーションとして提示されている点が特徴である。
様々な条件のもとでシミュレーションを行い、どの条件が台湾侵攻の趨勢に大きな影響を及ぼすか分析している。
この報告の結論として、侵攻のシミュレーション結果に「決定的/根本的な変化」を引き起こす要素として挙げられていることが2点ある。
「米国が介入しない」「米国は介入するが日本が在日米軍基地の使用を許可しない」という条件である。
前者はそりゃそうだという感じだが、後者に関しては意外に思う人も多いのではないだろうか。
まず、「米国が介入しない」シナリオの場合、当然ながらシミュレーションは中国の圧勝で終わった。膠着状態にすら持ち込めない。
ウクライナのような間接的な支援による戦線の維持ができるのではないかと考える人もいるかと思うが、ウクライナと異なり友好国への陸路も航空優勢もない台湾ではこの方法は不可能である。
中国の支配によって台湾の自治は失われ、周辺の戦略的環境は激変する。
ただ、中国の勝利までに約70日を要するというシミュレーション結果は興味深い。
この月日はおそらく日米の世論に大きな影響を及ぼすだろう。
次に、この報告書の主題である「中国の軍事侵攻に対して米国が介入した」場合のシミュレーション結果である。
いろいろと前提のある話なので詳細は確認してほしいが、基本的に日米が協調して介入する限り悲観的な条件でも中国が勝利した例はなかった、という結論である。
この報告ではどういうとき米軍は目的を達成できないのか検討するため「ラグナロクシナリオ」と銘打った検討を行っており、その仮定というのが「日本が在日米軍基地の使用を認めない」ことである。
中国の米艦隊とグアムへの攻撃で米国の戦力投射は封殺され、この前提条件では逆に完全な中国の勝利に終わった。
つまり米軍が十全に活動できるかどうかを決定するという意味において、台湾侵攻が生起した時点で自動的に日本は米中台に次ぐキーパーソンになってしまうのである。
そのため米国から見れば、もし台湾侵攻に介入すると決めたなら日本にはどうしても協力してもらう必要がある(在日米軍基地が使えないと米国に勝ち筋がない)。
逆に言うと日本が強硬に台湾侵攻への非干渉を主張すれば、米国も介入をあきらめざるを得ないという言い方もできる。
しかし、これは日米同盟の破棄とほぼ同義なので現在の日本の政治環境では考え難く、基本的には米国が介入すれば日本も参戦を決断することになると思う。
とはいえこのシミュレーション結果は、米国からすると中国の艦艇に対する先制攻撃や早期の核兵器使用など、リスクの高い戦略を検討する必要がないことを示している。
そのため、中国は先制攻撃によって前方配備されている米空母打撃群と在日米軍を排除しようとする必然性がある。
そのとき米艦隊と共に嘉手納、岩国、横田、三沢などが攻撃され、多数の日本人犠牲者がでるだろう。
実際、CSISの報告では多くのパターンで米艦隊と在日米軍基地を中国が先制攻撃する前提でシミュレーションが行われている(ただし、この前提でも中国は勝利できない)。
米軍との直接対決を避けたい中国が、米軍(と日本)を放置して台湾のみを攻撃する可能性もあるのでは?と思われるかもしれないが、この場合日米からすると(軍事的に)簡単なケースになる。
先制攻撃して空母打撃群を初手壊滅、在日米軍に大損害を与えた前提でも、中国の最終的な勝機はほぼないというのがCSISのシミュレーション結果だったのである。
米軍を丸ごと放置したまま台湾に攻め込んだとして、米軍が座視してくれればいいが、もし無傷の米軍が介入しようものならワンサイドゲームになってしまう。
台湾に攻め入るのに米軍を放置するというのは、中国からすると米国に生殺与奪権を差し出したようなものだとも言える。
まとめると、中国は台湾への武力行使を決断した場合、高確率で在日米軍基地への先制攻撃を行う(しない場合より容易に米軍に叩き潰される)。
そして米軍は戦闘を実行するため必要不可欠な要素として日本の協力を非常に強く要求するだろう。
これらのことから仮に中国が台湾に軍事侵攻した場合、日本が無関係でいられる可能性は非常に低い、というのがこの問題に取り組む人の共通見解だと思う。
(逆に台湾侵攻の勝敗に対する影響の比較的少ないインド、フィリピン、シンガポール、韓国などの国は積極的な関与を避けると予想される。西洋諸国のいくつかは介入を志向するかもしれないが、可能な限りの艦隊を派遣しても戦況には大きな影響がない)
一応、中国が台湾に軍事侵攻した上で日本人に戦死者がほとんど出ないシナリオとして「台湾が早期に降伏する」「中国の米軍への先制攻撃がなく、かつ米国が介入を行わない」というパターンが考えられる。
ただこの場合地域での中国の存在感は高まり、中国との係争地への圧力も強くなることから、必ずしも日本にとって容易なルートではない。
また前述のように、日米が協調すれば中国の勝ち筋はほぼないというのがシミュレーション結果ではあるが、「勝てるなら問題ない」とはならない。
中国の侵攻は阻止されるが、そのとき日米台は非常に重大な損失を被ることになる。
悲観的なシナリオでは、米空母2隻を含む数十隻の艦船、数百機の航空機の損失、一万名近い死者が日米で出る。
これは戦後秩序にも重大な影響を及ぼすだろう。
つまり、台湾侵攻は仮に発生すれば米中台日が全員損をするクソイベントであるのは明らかである。
冷静に考えればこんな特大のクソを漏らしたい国などないと思いたいし、筆者も正直「あまり起こりそうにない」という考えだが、それでもありえないとは言えない。
ここに書くことは「不義理」に見える。だから、多くの人は言わない。でも、実際のところを書く。
台湾への中国の軍事侵攻は「反対」だ。ウクライナへのロシアの侵攻も「反対」だ。侵略行為は悪い。弱小国が一方的に蹂躙されるのは、不公正だ。その感情は、本当だ。
だけど。
もし本当に台湾有事が起きたとき、戦争によって日本が被害を被るくらいなら「台湾にはさっさと降伏して欲しい」と思う人間が、実際のところ、ものすごく多いんじゃないか。そしてそれは「台湾を見捨てる冷酷さ」じゃなくて「自分と自分の家族の命の方が大事」という、誰もが持ってる根源的な感情だ。
その感情を、表に出すと「非難される」から、みんな隠してる。でも、有事の際には「この感情の方が優先される」という現実がある。
メディアや政治家は「台湾は日本の隣国だ」「台湾との関係は重要だ」と言う。その通りだ。台湾とは友好国として付き合うべきだし、台湾に対する侵略には「反対」という立場を表明すべきだ。
例えば、ウクライナの人が「可哀想」と思うのと「日本がウクライナのために戦う」というのは、全く別の話だ。多くの日本人は「ウクライナへのロシアの侵攻は許されない」と思いながら「だから日本が戦争に参加すべき」とは思わない。その感覚は、正しい。
同じことが台湾にも適用される。「台湾への中国の侵攻は許されない」と「だから日本が戦争に参加すべき」は別だ。前者は道義的立場で、後者は戦略的判断だ。
ここから先は、本当に不気味な話だ。
台湾有事が起きたとき、何が起きるか。中国軍が台湾に侵攻する。その時点で「日本は台湾を守るために戦うべきか」という問題が、突然、リアルになる。
その時、日本国民の大多数は「戦うべきか」という問いに対して「戦うなら、実は台湾は降伏した方がいいのでは」と思う。なぜか。
理由は簡単だ。戦争というのは「最大で何百万人という日本人が死ぬ可能性」を持ってる。爆撃で死ぬ。飢餓で死ぬ。病気で死ぬ。経済的破綻で死ぬ。その規模の被害を、「台湾を守るため」という理由で正当化できるのか。
答えは「多くの日本人にとっては、できない」だ。
「では、台湾が中国の支配下に入ることを受け入れるべきか」という問いに対して「受け入れるべき」と言うわけではない。ただ「日本人が大量に死ぬより、その方がマシ」という判断になる。その判断は「非道」ではなくて「現実的」だ。
その本音を、なぜ誰も言わないのか
もし「台湾有事の際には、日本は戦う意思がない」と公式に言ったら「台湾がすぐに降伏してしまう」。その結果「中国に統一を許す」ことになる。それは「国際秩序を破壊する」ことになり「日本の国益に反する」。
だから、政治家は「台湾を守る」というポーズをし続ける必要がある。米国も「台湾を守る」というポーズをし続ける必要がある。そのポーズがあることで「台湾が独立を保つ可能性」が生まれる。
その「ポーズ」が必要だから、真実は隠される。その真実とは「実際には誰も台湾を守るために戦わない可能性が高い」という現実だ。
ウクライナを見ればわかる
ウクライナを見れば、この構図がわかる。
ウクライナはNATO加盟国ではない。だから「ロシアに攻撃されたら、NATO全体で対抗する」という仕組みが、法的には発動しない。その結果「欧米諸国が何度も『NATOは参戦しない』と明確に言った」。
その結果、何が起きたか。ロシアは「NATOが参戦しない」と確認してから、侵攻を開始した。もし欧米が「参戦する可能性がある」と濁していたら、ロシアの計算は変わったかもしれない。
ここで起きてるのは「国家の本音」だ。欧米はウクライナを「支援」するが「戦争に巻き込まれるほどの関心」はない。その本音が「参戦しない」という明言になった。その結果、侵攻が起きた。
台湾の場合、米国は「参戦する可能性がある」と、ぼかし続けてる。その曖昧性が「台湾への侵攻を躊躇させてる」という側面がある。ただ、その曖昧性の裏側には「実際には参戦しない可能性が高い」という米国の本音があるかもしれない。
日本も同じ立場だ。日本は「台湾との関係は大事」と言い続けるし「台湾有事に無関心ではない」と言い続ける。でも、その言葉の裏側に「ただし、日本人が大量に死ぬほどの関心ではない」という本音がある。
有事の際に起きること
台湾有事が本当に起きたとき、以下のプロセスが起きると予想される。
その時点で「日本が軍事介入することの現実的困難性」が明確になる
国内から「日本人が死ぬ危険を冒してまで、台湾を守る理由があるのか」という世論が出始める
その世論に押される形で「日本は支援に限定する」という政治判断が出される
その時点で「日本は軍事的には参戦しない」という立場が固定される
その流れの中で「日本は台湾を見捨てた」という後悔が残る。だが同時に「日本人が戦死せずに済んだ」という安堵も残る。その両者の感情が、ずっと日本社会に残り続ける。
ここまで書くと「では、台湾はどうでもいいのか」という質問が出るかもしれない。違う。
台湾は、日本にとって戦略的に重要だ。その意味は「台湾が独立を保つ方が、日本の国益に合致する」という意味だ。中国が台湾を統一したら「東シナ海から太平洋への中国の影響力が拡大する」。その拡大は「日本の国防上、好ましくない」。
だから「台湾の独立を保つためのポーズ」は、日本は取り続ける必要がある。だが「その独立を守るために、日本人が死ぬ」ことと「台湾の独立を保つ方が国益」という判断は、別だ。
言い換えると「台湾は大事」だが「日本の命の方が、もっと大事」という現実がある。その両者は「矛盾」ではなくて「優先順位」だ。
不誠実さ、と正当性
この話は、多くの日本人にとって「不誠実に見える」。台湾を友好国として扱いながら、その友好国を守るために戦う気はない。それは「二重基準」に見える。
ただ、国家というのは、元々「二重基準」で動いてるんだ。国家の本質は「自国民の命と福祉を最優先とする」ことだ。その本質が「隣国への義理」より優先されるのは「ダブルスタンダード」ではなくて「当然」だ。
どの国の政治家だって、国民投票で「台湾のために日本が戦争に参加することに賛成するか」と聞かれたら「反対」が大多数になる。その「反対」が、実は「最も現実的」な判断なんだ。
「台湾は大事だ」というポーズ。「台湾有事に備える」というポーズ。「台湾との関係を大切にする」というポーズ。
そのポーズがあることで「中国が台湾に侵攻することの現実的コスト」が上がる。「もし台湾に侵攻したら、日本も何か対抗措置を取るかもしれない」という曖昧性が、抑止力になる。
その曖昧性の存在が「台湾の独立を保つ」という結果につながる可能性がある。だから「日本は本当には戦わないかもしれない」という本音を隠しながら「台湾を守る気がある」というポーズを続ける必要がある。
これは「台湾を見捨てるべき」という話ではない。「台湾への支援を減らすべき」という話でもない。
この話は「人間の現実」についての話だ。人間は「理想」と「現実」のギャップを抱えながら生きてる。その中で「正直に本音を言うことが、時に害になる」という現実がある。
台湾有事の際に「日本は戦わない」と明言したら「台湾の独立を守る抑止力」が失われる。だから「戦う可能性がある」というポーズを続ける。
その中で、国民の本音は「戦いたくない」という感情で満ちている。その本音は「正当」だ。なぜなら「自分と自分の家族の命を守る」というのは「最も正当な欲求」だから。
その正当な欲求と「国家の戦略的必要性」の間に、永遠に埋まらないギャップがある。日本は、そのギャップの上で、ずっと成り立っている。
朝の会議で上司が開口一番、「全社的なDX推進が……」と言い出すと、
その瞬間、風向きが変わる。
だからどう、というわけでもない。
号令が晴れを告げても、職場は土砂降りになることのほうが多い。
武器が来るのはよいことだ。
マニュアルのURLを貼っておくので、各自、隙間時間で習熟を」
晴れのち暴風雨。
武器は用意した。
訓練はなし。
よし、戦場だ。
「風が強くなる」という自然現象を言い渡すだけのような軽さだ。
戦場の天気は号令が作っている。
戦線離脱を企む怠け者でもない。
やる気があって、そこそこ詳しい兵士だ。
ツールの使い方を一度でも覚えれば、
周囲の未訓練兵——ひょっとしたら上官さえも——が殺到する。
• 「これどうやるの?」
• 「ログインできないんだけど」
気がつけば彼らは、
の三役を無給で担わされる。
そして陰で言われる。
反対に、本当に賢い(あるいは狡猾な)者たちは、支給されたツールを一切触らない。
「私には難しくて……」と眉を寄せながら、
古びた竹槍——紙とExcelとPowerPoint——を磨き続ける。
「訓練されていないのだから、使えないのは私のせいではない」
彼らは理解している。
触らなければ触らないで何も起こらないということを。
そして前線では、好奇心と善意が強い兵が一人、また一人と倒れていく。
何一つ評価されないまま。
ふっと溢れるように心が折れ、その時が訪れる。
• 悩みがあっても相談先は見当たらず
• 何をしても当たり前の扱いで
退職届を置いたり、
心を壊したり、
異動を希望したり。
残された机には、
開かれたままのブラウザと、冷めたコーヒー。まるで「休憩中です」と言いたげで。
最後の力で作った引継資料は、ファイルサーバーの奥でほこりをかぶっている。
誰に参照されることもなく、引継がれることもなく。
誰も、その死を大げさに語らない。
天気が悪かった日の、ただの“被害者”として処理される。
事務処理だけは正確で、「担当者変更のお知らせ」は予定通り届く。
死んだ兵士のメモが見つかることがある。共有フォルダの13階層目あたりに。
そこには、こう書かれていた。
•善意は防具にならない
• 「できる」は弱点
• 「任せられる」は徴兵票
そして最後の一行に。
「役に立とうとした。それがいけなかった。」
「市民開発を推進!」
予報士は元気だ。
天気を変えられないのに、元気だ。
私はもう傘を差さない。
濡れるのに慣れたわけではない。
天気は勝手に変わる。
それだけの話なんだろうと思う。
DXという旗が新調され、
いくつの兵が死んでいっても——
天気は、ただ天気として流れていく。
我々一兵卒は、
その中で静かに呼吸し、
静かに死んでいく。
一兵卒がいなくなった程度で止まるほど、 この戦場は繊細ではない。
残された者たちが、何も言わず埋めていく。
そして戦場は続く。
死んだ兵なんて、いなかったかのように。
磨かれて光る竹槍の上に、「DX推進済み」という看板が立つ。
死者は静かだが、天気予報だけは騒がしい。
アメリカでも日本でもベテラン保育士や小学校教師からの「ここ15年くらいで子供たちの適応力が劇的に下がって子供同士でのトラブルが増えた」という報告が出ている
男性が高齢になると睾丸の老化により精子のメチル化→遺伝子の変異が起きやすくなり、その変異がASDの要因になっていると考えられ、遺伝子変異は子孫に代々受け継がれていく
戦前は男女ともに若いうちに結婚していたが、戦後は若い男が大量に戦死したことにより若い女余りが生じ、高齢男性×若年女性の結婚が増えた
戦後から90年代の専業主婦主流期までは男性年上で女性が若い結婚が多く、その期間に精子原因の遺伝子変異が蓄積していき、2000年生まれ以降の子供たちから「蓄積」が「顕在化」という説が出てる
ASD的な特性もグラデーションなので、徐々に強まっていく過程の世代ではギリなんとかなっていたのが、特性が一定レベルより濃くなると途端に社会にイスがなくなるというのはある
『機動戦士Zガンダム』が「駄作」と評されることがある主な理由は、前作(初代ガンダム)からの大きな作風の変化と、複雑すぎるストーリー展開、そして主人公カミーユの結末にあります。
ただし、『Zガンダム』は非常に評価が高く、「最高傑作」と呼ぶファンも多い作品であり、「駄作」という評価はあくまで一部の視聴者、特に初代からのファン層で根強い意見です。評価が分かれる主要な点を以下にまとめます。
地球連邦軍、エゥーゴ、ティターンズ、アクシズ(ネオ・ジオン)、カラバなどが入り乱れており、それぞれの思惑や裏切り、寝返りが頻繁に起こるため、物語の全体像や勢力図が非常に分かりにくいという声が多くあります。
主人公のカミーユ・ビダンが、積極的に戦況を動かすというよりは、事件や戦いに巻き込まれていくという形で物語が進むため、「カミーユの視点」から見て話が掴みにくいと感じる視聴者もいます。
初代ガンダムのような「少年兵が戦場を生き抜く」というシンプルな戦争のリアリティから、より政治的な権力闘争やエスパー的なニュータイプ論に焦点が移ったことで、初期のファンが期待したドラマと異なる印象を与えました。
物語のクライマックスで、主人公のカミーユが精神崩壊に至るという衝撃的な、しかし救いのない結末を迎えます。多くの主要人物も戦死し、全体的に悲劇的なトーンで終わるため、「見ていてつらい」「後味が悪い」と感じる人がいます。
カミーユは初期にすぐにキレる描写が多く、「感受性が高すぎる」「未熟すぎる」と感じられ、アムロのような共感を持ちにくいという意見がありました。
多数のデザイナーが参加し、変形機構を持つ機体(Zガンダム、アッシマー、ガブスレイなど)が増えたことで、見た目だけで機体の所属陣営が判断しづらくなり、戦闘シーンの分かりやすさが失われたと感じるファンもいます。
カミーユが未熟な少年から戦士へと成長し、その過程で多くの葛藤や苦悩を抱える人間ドラマの深さが高く評価されています。また、クワトロ・バジーナ(シャア)やアムロ・レイなどの旧作キャラクターの再登場と新たな役割、フォウ・ムラサメやロザミア・バダムといった悲劇的な強化人間の描写も、物語に深みを与えています。
「反連邦組織(エゥーゴ)と連邦内のエリート組織(ティターンズ)の戦い」という、初代よりも進んだ政治的・軍事的な対立構造を描き、その後のガンダムシリーズの基盤を作りました。
モビルスーツデザインや戦闘描写は、当時のアニメーション技術を駆使しており、画期的なものでした。
このように、『Zガンダム』は革新性と複雑性を追求した結果、前作の作風を愛するファンの一部からは受け入れられず「駄作」と評価されることもありますが、その深みのある人間ドラマと複雑な群像劇によって、現在ではガンダムシリーズを代表する名作として広く認識されています。
海自のイージス艦「みらい」が1942年にタイムスリップして、あれやこれや歴史改編に絡んでいく話。知ってる人は知ってる漫画でしょ。
5chのスレとかだと、主人公の角松二佐がまあボロカスに叩かれてた覚えがある。初めは人命尊重を絶対視して回りくどい手を繰り返したり満州まで飛んで溥儀を保護しながら目の前で殺されたり、梅津一佐が負傷して後任の艦長になった途端に今後の方針を巡ってクーデター起こされて下船したり特高に捕まって部下を目の前で殺されたり(2回目)、みらいに強行乗船して好き勝手動いて指揮権を奪還したり補給の目処もないまま帝国海軍に叛逆したり、そしてマリアナ沖海戦で大和の原爆を止めようとして結局失敗した末にみらいが撃沈されて乗員全員が目の前で戦死したり(3回目)、その果てに1人だけ100歳手前まで生き延びたってオチ。
連載当時は気にしてなかったけど今振り返ったら結構酷いな?
それでもし序盤、例えば米兵との格闘時に角松二佐が死んで、尾栗三佐=副長、桐野一尉=船務長の体制とかになってたとしたら、その後はどういう展開になってたんだろう?
という独り言。通じる人がいたら嬉しい。