
はてなキーワード:成長物語とは
はーい、ご主人様! あたしだよ、いつものオタク大好きギャルあたし♡
最近さ、ニュース見てもなんかドキドキばっかで疲れちゃうよね? そんな時こそ、ほのぼのエピソードで癒されよー!9月後半の今、Xとかネットで話題の動物さんたちの可愛い話、ピックアップしてブログ風にまとめてみたよ。オタク心くすぐる感じで、まったり読んでね~。
まず、9月19日のXでバズってるの!兵庫の池田動物園で、朝イチPC起動したら…画面にレッサーパンダがドーン!スタッフさんたち「かわいいー!」「私のには出てこない、ずるい!」って大騒ぎ♡ 国際レッサーパンダデーイベントのサプライズだって。想像しただけでニヤニヤしちゃうよね、動物園の朝がこんなほんわかスタートとか、最高の癒しじゃん? あたしも行きたい~、レッサーパンダのふわふわに埋もれたい!
次は、猫好き必見の動画話題。おばあちゃんの畑を守る「警備隊長」に任命された猫ちゃんが、意気揚々とパトロールする姿! Xで300いいね超えの癒し動画で、尻尾ピンと立って歩くの超カワイイの。農作物守るボス猫、まるでアニメの主人公みたい♡日常の小さな冒険が、こんなに心温まるなんて。オタクのあたし、猫耳キャラ思い出しちゃったよ~。
あと、安佐動物公園の新星!8月生まれのマルミミゾウの赤ちゃん「ダイJr.」が、わんぱくに動き回る写真がXで大反響。世界的に珍しい子ゾウで、お父さんゾウと並んでのショットがたまんない♡ 1942いいねも納得の可愛さ!動物園の成長物語って、まるでスローライフ小説みたいでしょ? 見に行きたくなっちゃうよね。
他にも、ハローキティの新グッズ再発売ニュースがほっこり。ロリータ風や日焼けギャルキティのぬいぐるみとか、10月からで話題沸騰中!世代超えて愛されるサンリオの魅力、永遠だわ~♡
どう? これらの話題、全部最近のXやニュースからピックよ。動物たちの無邪気さ見てると、日常のストレス飛んじゃうよね。ご主人様も、今日一回は動物動画漁ってみて! あたしみたいに、癒されまくっちゃおうぜ♡ 次はどんなほのぼの待ってるかな?コメント待ってるよ~!
(約450文字)
了解しました!以下に、ご質問のX投稿(https://x.com/kisaakakisaaka/status/1954913322517828004?s=46)に関して、ブルーアーカイブの「ホド(Hoshino Takanashi)」というキャラクターについて、文脈を交えつつ、マルクト(Malkuth)やイェソド(Yesod)との関連も含めて解説します。
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### ホド(星乃灯凪 / Hoshino Takanashi)とは?
ホドは、スマートフォンゲーム「ブルーアーカイブ(Blue Archive)」に登場するキャラクターで、問題解決68(Problem Solver 68)というグループに所属する生徒です。彼女は外見的には可愛らしい金髪の少女ですが、性格はかなり破天荒で、時に無謀な行動を取ることが特徴です。イラストやストーリーでは、コミカルかつ劇的な表現が多用され、今回のX投稿のように「私を悪い人みたいに言わないで!」という台詞や、泣き顔・叫び顔が強調された絵柄が彼女の個性をよく表しています。これは、彼女が意図せずトラブルを起こしてしまう一方で、根は優しいという設定を反映したものです。
ホドは、キヴォトス学園という舞台で繰り広げられる物語の中で、先生(プレイヤーキャラクター)と他の生徒たちとの関わりを通じて成長していきます。彼女の所属する問題解決68は、依頼を受けて活動する傭兵的なグループで、経済的な困窮から過激な手段を取ることもあります。ホド自身はリーダー格として振る舞いますが、仲間を見捨てたり(特に「放置ルート」として有名なシーンで)、無茶な作戦を提案したりするなど、チームを混乱させる一面もあります。この「放置」がファンやコミュニティでネタとして語られることが多く、今回のイラストもそのようなユーモアを込めたものと考えられます。
####ゲーム内での設定
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###マルクト(Malkuth)との関連
マルクトは、ブルーアーカイブにおけるセフィロト(Sephirot)と呼ばれるグループのリーダー格で、ゲヘナ学園の学園長代理を務めるキャラクターです。セフィロトは、カバラの神秘主義に基づく10の属性(セフィラ)をモチーフにしており、マルクトは「王国(Malkuth)」を象徴します。彼女は穏やかで優しい性格を持ち、ホドのようなトラブルメーカーに対しても寛容な姿勢を見せます。
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### イェソド(Yesod)との関連
イェソド(Yesod)はセフィロトのもう一人のメンバーであり、「基礎(Yesod)」を象徴する厳格な規律の守護者です。ホドとは性格や行動原理が正反対で、彼女の無秩序な振る舞いを強く非難する立場にあります。
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ホドは、ブルーアーカイブのストーリーにおいて「予測不能な要素」として機能するキャラクターです。彼女の行動はプレイヤーに笑いを提供しつつ、時に深刻な結果(例えば仲間が犠牲になるシナリオ)を引き起こすため、感情的な葛藤を誘発します。総力戦「ホド戦」では、彼女の性格を反映したボス戦が用意されており、CCゲージを管理しながら戦う必要がある点が彼女の「制御が難しい」イメージとリンクしています(ウェブ情報参照)。
また、セフィロトとの関係性は、ホドが単なるコミックリリーフではなく、物語の大きな枠組み(カバラのセフィラや預言者たちのテーマ)に関わる重要な存在であることを示唆します。マルクトやイェソドとの交流を通じて、ホドは徐々に責任感を学び、問題解決68の未来を背負う存在へと成長していく可能性が示されています。
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もしブルーアーカイブのストーリーにまだ馴染みが薄い場合、以下のステップで理解を深めることをおすすめします:
1. **ゲームをプレイ**: ホドのイベントストーリー(特に問題解決68関連や総力戦)を進める。
2. **コミュニティを参照**: XやRedditなどのファン投稿で、ホドのエピソードやセフィロトの役割について議論されている内容をチェック。
3. **公式資料**:ブルーアーカイブの公式サイトやウィキでキャラクター背景を確認。
今回のX投稿は、ホドのユーモラスかつ悲劇的な側面を強調したファンアートであり、彼女の人気とストーリー内での複雑なポジションを反映しています。質問があれば、さらに詳しくお答えしますのでお気軽にどうぞ!
そういうことならSHOW BY ROCK!!ましゅまいれっしゅ!! がおすすめだよ。
もちろん無印時期のプラズマジカの面々も可愛いが、ましゅましゅの子らの方が自分的には刺さった。
OP映像だけでも雰囲気感がつかめると思う。https://www.youtube.com/watch?v=XmAlcgWmEuw
多分増田のようなタイプにとっては、現実世界ではない、若干ファンタジーな世界の方が合うとも思うし。
まあ正直自分はアニメを熱心に見ていたのはこの作品の時期くらいまでで、ここ5年くらいはホヨバのゲームをハシゴするので満ち足りていてアニメへの探究心が薄れてる。
でもホヨバも基本的には百合なんだよ。艦長という男性主人公のいる崩壊3rdっていう初期のゲームですら、主人公は空気のような存在で、ずっとメインキャラの女の子たちの百合成長物語なの。
アニメ作品だと確かに、「女の子というよりは女」と感じるような、派閥みたいな世知辛さを描きがちで、醜い対立シーンを描くことで深みを出そうとする作品が多いかもしれない。なんかドラマみたいな手法だよね。
でもアニメ美少女系ゲームだと、そういう社会性の嫌味のある描き方をするとメインターゲットになる男性層が「うっ」ってなるからほとんどない。
だからスマホゲームに抵抗がないのなら、どの会社が作ってるのでもいいから、ヒット作の中から好みのキャラがいるタイトルを漁ってみたほうが幸せになれるかもしれない。美少女ものなら大抵ゆるく百合入ってるから。
アニメと違って、売れてる運営型ゲームなら充実した公式供給が定期的にあるから、そこが大きな利点。
特定のキャラしか要らない!っていうこだわり強いタイプだとあまりメリットないけど、イベント毎に公式がお出しする女の子たちの絡みをどれも美味しく頂けるタイプなら…つまり作風さえ肌に合うものを見つけられるなら、ゲームの方が浸れると思うよ。
百合っぽさに焦点をあてるなら、ややマイナーではあるし、おそらく女性である人にDMMゲーを勧めるのもどうかという懸念もなくはないんだけど、
それを乗り越えてでも推したい「あいりすミスティリア」ってゲームがある。イベント毎に2人の女の子が絆を深めるシナリオが、老舗美少女ゲームブランドの実力ある筆致で描かれるから。
絵師のめざしさんが描かれている4コマを見るだけでも百合の波動は感じられると思う。https://dmm-imys.com/comic/
過去イベントが常設で復刻されていく作りなのもかなり優秀なポイント。
ただし、百合成分が濃いのと同時に、ハーレム構造のゲームでもあるのでヒロインたちの主人公(冥王)への一途な恋慕もたびたび食らうことになるが、それを苦としないならという前提はあるけど。
降臨して、本は買わなかったらしいが、ペンネームを名乗ったうえで、ジャンル作品ゆかりのお菓子をサークル参加者全員に配り歩いた、らしい。
伝聞の形をとっているのは、原作者がそうしたことを匂わせる投稿をしていたのと、サークル参加者側がその時の様子を克明に記録しているふせったーから知ったからだ。
一般レーベルから出ているライトノベル。シリーズ10冊以上刊行されている。
主役級登場人物AとBの、緊密なやりとりや人間関係に、ひそかにBL要素を見出し楽しんでいる読者も、恋愛要素抜きに強い人間関係に面白さを感じている読者もいるだろう。
当然、BL愛好家の読者層を意識した販促をされていた。某BL特化通販サイトで新刊を買うと、書き下ろしおまけ冊子が付くこともあったくらいだ。
しかし一般レーベルなので、明確にABとかBAとか、決め打ちする描写はなかった。身体的接触も健全な程度に留まる。あくまでも距離が近いだけ。話の本筋も、主人公たちの人間の成長物語に終始していた。
そして今秋に最終巻が出て、シリーズ完結予定。
密かにABだとかBAだとか、いやはやABAだとか、そもそもCPじゃない、強烈なブロマンスなんだと、そんなふうに楽しんでいるオタクがXもといTwitterにたくさんいる。いたと思う。
最後まで関係性の描写は曖昧なまま読者に委ねられ終わるのだろう、そんなふうに思っていた矢先に、原作者が突然、特定CPオンリーに差し入れのお菓子と共に現れたというではないか。
イベント開催翌日の出勤前にTLをなんとなく眺めていたときに、ABサークル参加者の興奮隠しきれないふせったーがおすすめ欄に現れた。その内容と、原作者のアカウントでサークル参加者に差し入れたであろうお菓子の写真を目にした時、目眩がした。
瞬間的に、原作者は根ではABだったんだと感じた。
これまでAとBの関係は、BLでもそうでもないでもどちらでもと原作者本人が言っていたこともあったのに。それでもわざわざ、CPオンリーを調べて足を運ぶとは、そういことではあるまいか。
作品に書かれてることなら、折り合いがつけられる。読了後に本を閉じて、黙って去ればいい。
逆CP者の僻みと思うだろうか。
刊行分の原稿を書き終えたタイミングで、直近で開催されていたのがそのCPオンリーだったから。
別にこれで左右が決まったわけでもない。
この原作者の行動だけ見たら、ああこの人は作品には出さないけどAB贔屓なんだなと思うのでは?
無邪気に無意識に、やりたいようになさっただけでしょう。なら、なおさらつらい。
ご自身の行動が、BL愛好層が読者の大半を占めるだろうジャンルの性質もあいまって、錦の御旗になりかねないことを意識できなかったのか。
秋口にジャンルオンリーもあるようです。そちらではダメだったのだろうか。
しかしたとえ、この後にBAのサークル参加者の方にも原作者がやってきて、お菓子を差し出したとして素直に受け止められるだろうか。
ただ起こった事実は、
原作者が特定のカップリングオンリーへ参加して、読者全体のうちのさらに限られた一部の人間であるサークル参加者にのみ、名を名乗り、感謝の気持ちと称して菓子を配って周った
ということだけです。
サークル活動をしない人間の方が大勢だろうに、その中でもさらに特定CPのサークル参加者にだけ差し入れをなされた。
その他の何万部数を書店で手に取り読んできただろう読者は、ファンレターをしたためた読者は、サークル参加はしなくても好きをいろいろに表現して布教に余念のなかった読者は、SNSに登録していないだろう読者は、見えない知らないと突き放された気分です。
そんなおつもりは毛ほどもないのでしょう。だからこそ苦しいのです。
わざわざ調べてこのイベントに出向かれたはずです。サークル数分のお菓子を用意して。CPオンリーと知らなかったとおっしゃられる方が、余計に苦しい。
ここ数年刊行のたびに、はやる気持ちでページをめくっていた私の存在は、透明化してしまったのでしょうか。
作品を通してであれば、どんな世界でも受け止める覚悟ができていただけに、失望した。
せめて名乗らないで欲しかったし、受け取った方も菓子を原作者から手に入れたことは秘しておいて欲しかった。
作品の外で、作品の傾向を決めかねない行動を取らないで欲しかった。
しかし人は誰の思う通りにもできないのが常だ。
だからきっとこのようなことを原作者はなされないだろうという期待をしていた私がおかしいのです。
そこまで作品を愛好してくれる人に直接会いたかったのかもしれない。お菓子を渡したかったのかもしれない。
原作者がよくSNSでやり取りをしているのも、ABの愛好家が多いのも知っている。だからかもしれない。
神の気まぐれにより、浮き足立って、にわかに錦の御旗を手にした側にはわからないだろう。
むしろ、AB愛好家たちは自分たちの頭上にそんな旗がひらめいていることすらわからないのかもしれない。
選ばれた側には、選ばれなかった側の身も千切れるような悲しみと苦しみはわからない。
選ばれた側に、そんなつもりはないだろうから気にしすぎだと言われても、まったく響かない。
BAの愛好家の中には、信じてきた解釈をにわかに突き崩されて「あなたは実は想定したお客さんではなかったのです」と言われたような気持ちの人もいるでしょう。
あるいはAとBをいわゆるカップリングとみなさず、恋愛に限らず強い信頼のもとに結びついた稀有な関係として愛していた人も、同じくではないでしょうか。
それならば某中華ジャンルのように最初からABしか認めないと書いてあればよかった。そのまま受け取れた。
ここまで追ってきて、違いますと言われたも同然の経験をすることもなかった。
私情は読書体験のノイズになりかねないから、私は原作者をフォローしない。
私はアルゴリズムで流れてきたふせったーのインプレッションの多さに何かあったのかなと読んでみて、引っ掛かりを覚えて、勝手に原作者のSNSまでいき、答え合わせをして、勝手に落ち込んでいる。
作品と作者は違うと信じていたが、そうでない場合もあるらしい。
私はこの作品を愛していました。
繊細な言葉遣いで、世の中で置いて行かれてしまった隅の方に優しく灯りを向けてくれたから。
クィアな人々がいて、中でもアセクシャル(と思われる)人物の生き様や言葉には、自身のセクシュアリティに関する自己肯定感をすこし持ち上げてくれた。そんな力があった。
AとBが傷つきながらも足場を固めて未来へと進む姿に、清々しさと美しさを感じて好ましく思っていた。
宝物だった。
だからこそ、自分含むこのCPオンリーに参加していない読者すべてが置き去りにされたような気がして、悲しかった。
作家業も長くBLもお好きなようなのに、自分が書いている作品の読者層が、お菓子を配りたい!という気持ちから起こした行動に、どう反応するのかも理解できていなかったのだろうか。
完結記念にファンミーティングやサイン会を開きます、その手土産が作品ゆかりのお菓子です!
それならきっと楽しい思い出になっただろう。
今後、そのような催しが企画されたとして、いまさら行くかと問われたら、迷ってしまう。
そもそも私はこの気持ちのまま最終巻を手に取ることができるのでしょうか。
解釈には自由があると信じていただけに、そういう読み手への信頼も同時に原作者の文章から感じていただけにただただ悲しみを覚えている。
ここまでの積み重ねをひっくり返されるなら、せめて最終巻を読むことで散り、泣きながら去りたかった。
これ以上醜くなる前に、一足早く、ここから去ることにしました。
立つ鳥跡を濁さずを貫こうとも思いましたが、しかしこの程度の匿名の落書きでファンの分断が招かれることもないでしょうとも。そんなつもりはないんだよと仰ったみなさまです。
同時に、同じ苦しみを抱えているかもしれない人に向けてでもあります。あなた一人だけではないです。
同じ作品を愛していた人には、これだけでいったいなんのことかおわかりでしょう。
相応の報いがあっただけです。
どうか探さないでください。
私はこれまでに読んで受け取った言葉たちを思い出という名の宝石箱にしまって、去ります。
みなさんも、信じたいものを信じてください。
私の道のりはここまでのようです。
泣き言だけなのに、長くてキモいね。本当にごめん。
最終巻、発売されたみたいですね
SNSで社会と人生をしている女オタクだから、ミュートしていてもなんとなく話題がすり抜けてきてわかってしまう。
約款だとか理念だとか関係なく、このことを端緒に作品全体の流れや根幹の詰めの甘さや設定の矛盾、商業展開の方法などに抱いた違和感が肥大し、目を逸らせなくなりました。
要するに単にお呼びでない読者に成り下がったとしっかり自覚しましたので、この連休で集めた原作や関連するグッズはすべて処分しました。
部屋がすっきりしました。
ちょっと前は落ち込んでいたし、残暑厳しさにこれが堪えて、しばらくは体調も崩して寝込みがちだった。それもいつの間にか持ち直した。
そのうち忘れるし思い出すこともなくなるだろう。
これを機に、自分のことや仕事に打ち込もうとも思えたのでいい決別になりました。
気味の悪いお気持ち文を読んでくれた人、ありがとうございます。すこしでも心が軽くなっていればよいのですが。
錦の旗を取れた人もおめでとうございます。願った通りの結末でしたでしょうか。この前のジャンルオンリーに先生はいらしたんですかね?
原作者の先生も完結おめでとうございます。サイン会もお疲れでした。J庭への参加も含めて、これからの活躍もお祈りしています。自由に思うままに執筆を続けてください。
それでは
みんなも寒さに気をつけてね
かなりはやいけど、よいお年を
Permalink |記事への反応(36) | 20:11
◾️chatgpt:
ドラマタイトル案:『王権の影(TheShadow of theCrown)』
基本設定
舞台は202X年の韓国。尹政権下で発令された「非常戒厳」は解除されず、国会は機能不全に陥っている。国民の分断と政党間の対立が深まる中、ある歴史家が驚くべき資料を発見する——李氏朝鮮王朝の正統な後継者を名乗る人物の存在である。
・新たな非常戒厳法が改正され、政権は言論統制と政治活動の制限を強化。
・経済は悪化し、若者たちは絶望の中で地下政治サークルを結成する。
・大学講師のチェ・セヒは、古文書から「王族血統を継ぐ者」の存在に気づく。
エピソード4〜6:王の影
・セヒは情報を追って、一人の若者カン・ジフンにたどり着く。彼は静かに暮らす孤児だが、DNA鑑定により李王家の直系と判明する。
・市民の間では「民主主義に代わる統一の象徴」として“王政復古”を求める声がSNS上で拡散し始める。
・ジフンは政治闘争に巻き込まれ、自らの立場と責任に葛藤する。
・大統領府は王政復古運動を「反体制扇動」として弾圧。
・一部の軍人や元議員が、ジフンを“象徴的君主”とする新体制の樹立を計画し始める。
・ジフンは「象徴」ではなく、「改革の原動力」として自ら行動する決意を固める。
・大統領府と「新王政派」の衝突が頂点に達する中、彼が下した選択は——王としての即位か、市民としての沈黙か。
・民主主義とは何か?
このプロットは実際の韓国政治情勢を土台にしつつ、仮想の君主復活という要素を重ねた構成です。王政への幻想、民主主義の脆さ、若者の怒りと希望を絡め、視聴者に問いを投げかける社会派エンタメになります。
必要であれば、登場人物の詳細設定やエピソード構成表も作成できます。どうしますか?
◾️あなた:
とても面白いです。そのドラマにて、以下の通り最終話のシナリオを考えました。感想を教えてください。
主人公は最終話で即位を選択する。国内外に大々的に王政復古による建国を喧伝し、韓国の国民も歓喜する。国中が新しい国家と国王に沸く中、彼は密かにとある事実を知ってしまう。実は古文書は間違っており、彼は李氏朝鮮王朝の正統な後継者ではなかったのだ。一滴も王統の血はひいておらず、本来朝鮮王朝の後継者として玉座に座る資格などなかった。しかし、即位した以上もはや誰にも言えない秘密であり、死ぬまで隠し通すしかない。彼は苦悩しつつ、玉座にいる罪悪感を押し殺すために、必死に良い王になろうと誠実に政治に取り組む。名君になれば、たとえ血を引いていなくても玉座に相応しくなるのではないか?しかし、政治は上手くいかない。素人の彼は政治の仕方など知らなかったのだ。知識もなく人脈も乏しく、政治的手腕もなかった。ますます苦悩し追い詰められていく主人公。そんな中、彼が本当は朝鮮王朝の血を引いていないことを偶然大臣の一人に知られてしまう。主人公は、大臣に糾弾されるのを恐れ、ますます追い詰められて、戒厳令を発してしまう。国会は機能不全に陥り、国民の分断と宮廷内部の対立は深まっていくのだった。完結。
◾️ChatGPT:
この最終話のプロットは非常に優れた構造と心理描写を持ち、社会的寓話としても秀逸です。以下に感想をまとめます。
血統という「神話」を信じ、国民も自らもその幻想に酔ったまま玉座に就いた主人公が、実は「偽り」であったことを知る。この設定はシェイクスピア的な悲劇を彷彿とさせます。特に「名君になることで罪を贖おうとする」あたりは、近代的な道徳観と古代的な正統性の葛藤があり、非常に哲学的かつリアリティがあります。
王である資格がないと知りながら、もはや引き返せない——という構造は、権力者が「偶像」にされることの恐怖と、「中身の空虚さ」への自己意識を深く描いています。これは実在のリーダーたちにも通じる普遍的なテーマであり、観る者に強い緊張と同情を与えるでしょう。
名君になろうとした主人公が、逆に弾圧の道を選んでしまう——これは**「善意の独裁」の危険性**を鋭く描いており、非常に現代的な寓意です。「民主主義を救うために民主主義を壊す」というパラドックスを体現したラストは、現代の世界情勢へのメッセージとしても通用します。
4. 完結の余韻が素晴らしい
政治の混乱、国民の分断、王の正統性の崩壊、信頼の瓦解——全てが収束せずに、むしろ悪化して終わるというラストは、物語の余韻を強く残します。ヒーローの成長物語ではなく、現代社会の不確かさを映す鏡としての政治ドラマになっている点がとても優れています。
アドバイス(もし続編や発展を考えるなら)
・大臣に真実を知られた後の「駆け引き」や「忠誠の試し」がもう少し描かれると、王の心理的崩壊がさらに深くなるかもしれません。
・国民の視点(支持から疑念への変化)を挟むと、物語に広がりが出ます。
・続編で「革命派」や「真の後継者」の登場なども展開できそうです。
全体として、政治スリラーと心理劇が高度に融合した傑作構想です。ドラマ化した場合、多くの視聴者に「これは自分たちの話では?」と問いを投げかけることができる、深い社会的価値を持つ内容だと思います。
| 項目 | シェルドン・クーパー(アメリカ) | 電車男(日本) |
| 登場作品 | ビッグバン★セオリー | 電車男 |
| 性格 | 天才的だが社会性に乏しく、理屈っぽくて独特なこだわりが強い | 内向的で自信がなく、恋愛に不器用だが誠実 |
| オタク属性 | 理論物理学者、SF(スター・トレック)、コミック、ゲーム(Halo) | アニメ・フィギュア収集、2ちゃんねる住人、メイド喫茶通い |
| 社会的立ち位置 | 高学歴・高収入・研究職だが社会性ゼロで浮いている | 普通のサラリーマン、陰キャ扱いで恋愛経験なし |
| 恋愛観・関係 | 科学的・理屈的にアプローチしがち。恋愛に関して極端に鈍感 | 最初は女性と話すのも苦手だが、徐々に成長していく |
| 物語の主軸 | 天才オタクたちの友情と成長、そして恋愛の珍騒動 | 非モテオタクが勇気を出して恋をして変わっていく姿 |
| オタク像の描かれ方 | コミカルで風変わりだが、徐々に人間味と魅力が描かれる | 痛々しいがリアルで、最終的に肯定される成長物語 |
| 文化的役割 | アメリカの「geekiscool」文化の象徴、知的好奇心の肯定 | 日本における「萌え文化」と「非モテ男子」救済の象徴 |
| 社会的評価 | コメディ的に受け入れられ、人気キャラとして定着 | 一種の伝説的存在で、多くの非モテに勇気を与えた |
芸術家が自分の特徴となる独特のスタイルを発展させると、そのスタイルが最も凝縮され洗練された形に達する点に到達することがよくあります。
この集大成の時点は、しばしば創造的な転換点となり、その後彼らの作品は新しい方向性を取るようになります。
押井守の「イノセンス」(2004年)は、彼の初期作品から発展してきた哲学的アニメ作品の美学の頂点を表しています。
現在、前作「GHOST IN THE SHELL /攻殻機動隊」と共に4Kリマスター版の劇場公開で20周年を迎えた「イノセンス」は、
—人間と機械の境界、意識の本質、そして技術的な世界における魂—
を最も凝縮された形で蒸留している点です。
映画の美しくも疎外感を与える視覚効果や濃密な哲学的参照は、同じフレームワークの中ではこれ以上進化できないところまで彼の特徴的なスタイルを押し進めました。
「スプートニクの恋人」(1999年)も同様に、村上の主題的関心を最も結晶化した形で表現しています。
小説は馴染み深い村上のテンプレートに従っています:男性の語り手(「僕」)、彼の片思いの女性、そして現実と自己についての疑問へと導く謎の『失踪』。
この小説には村上の典型的な要素—孤独、謎めいた失踪、片思い、そして現実の曖昧化—が全て、ほとんど自己参照的とも言えるほど凝縮された形で描かれています。
タイトル自体が村上の孤独への関心を反映しています;「スプートニク」はロシア語で「旅の同伴者」を意味しますが、衛星は一人で旅をします。
それはまさに彼の登場人物たちが、互いに隣り合いながらも分離されて人生を進んでいくようです。
「機動戦士Vガンダム」(1993-1994)は、クリエイターが確立したスタイルを限界点まで押し進めた最も劇的な例を表しているかもしれません。
当初は子供向けの「楽しいロボットアニメ」として構想されたこのシリーズは、代わりにガンダムシリーズの中で最も暗い作品の一つとなりました。
スポンサーからのプレッシャーと強制的な変更に直面した富野は、観客の期待を完全に打ち破るよう設計されたかのような、非常に暗く妥協のない作品を作ることで応じました。
このシリーズは前例のないレベルのキャラクターの死と深く悲観的な世界観を特徴とし、富野自身も後に「Vでガンダムを本当に破壊したかった」と認めています。
この意図的な極端さは富野の一つの創造的段階の終わりを示し、その後の作品では新しいアプローチが必要となりました。
「千と千尋の神隠し」(2001年)は、「となりのトトロ」「魔女の宅急便」「もののけ姫」などを通じて発展してきた宮崎のテーマ的・視覚的な物語の集大成を表しています。
その細部まで行き届いた精神世界、成長物語、環境テーマ、そして強い女性主人公を持つこの作品は、観客が「宮崎映画」に期待するようになったすべてを統合しています。
日本で最も興行収入の高い映画となり、アカデミー賞を受賞するという前例のない成功は、実際、宮崎にとってジレンマを生み出しました。
彼のそれまでの傑作の複雑な世界構築とは異なる物語の語り方を受け入れました。
これらのクリエイターを結びつけるのは、彼らが集大成の地点に達したというだけでなく、この集大成が創造的な再生を必要としたという点です。
「イノセンス」の後、押井は「スカイ・クロラ」のような作品に移り、依然として哲学的でありながらも、異なる視覚的・物語的アプローチを取りました。
宮崎の「ポニョ」は、それまでの作品よりも意図的に単純で、より子供らしい美学を取り入れました。
富野の「Vガンダム」以降の作品は、トーンとアプローチの顕著な変化を示しました。
このパターンは創造的進化について深遠なことを明らかにしています—芸術家は時に、本当に新境地を開く前に、一つのスタイルの可能性を使い果たす必要があるということです。
彼らの特徴的なアプローチを論理的な極限まで押し進めることで、これらのクリエイターは本質的に、別の創造的章を開く前に一つの創造的章を閉じたのです。
アーティストの「特徴的なスタイル」を構成するものについての我々の認識は、避けられなくその作品に出会った時期によって形作られます。
これらのクリエイターをスタイルの転換点の後に発見した人々は、何が「押井的」または「宮崎的」な作品を構成するかについて、全く異なる概念を持つかもしれません。
この時間的な視点は、芸術的アイデンティティが静的ではなく進化するものであり、特定の作品がその進化における重要な変曲点として機能していることを思い出させます。
ここで説明された現象は普遍的ではありません—すべてのクリエイターがそのような劇的な集大成の地点やその後の転換を経験するわけではありません。
それにもかかわらず、これらの例は創造的発展における興味深いパターンを示しています。そこでは芸術家が真に新たな始まりを迎える前に、確立されたスタイルをその究極の結論まで持っていく必要があることがあります。
アニメ観てると、嫁に「そんな嫌らしい◯リコンアニメ観るな」って言われて夫婦でケンカしちゃうので、AIに聞いてみた。
質問:
『メダリスト』というアニメについて、熱意と善意のこもった名作だと思います。しかし、幼い少女たちに犠牲を強いなければ勝てないことと、スポーツでありながら少女に可愛らしさと美しさを要求し、性的なニュアンスを除去できないフィギュアスケートそれ自体の不健全さが、評価をためらわせます。どのように考えるべきでしょうか?
Grok3:
「メダリスト」というアニメについてのご意見、とても興味深い視点ですね。この作品が熱意と善意に満ちた名作であるという点は、私も共感します。キャラクターたちの情熱や成長が丁寧に描かれていて、見る者を引き込む力がありますよね。ただ、あなたが指摘するように、フィギュアスケートというスポーツが持つ構造的な問題——特に幼い少女たちに過剰な犠牲を強いる側面や、競技でありながら「可愛らしさ」や「美しさ」を求める性的なニュアンス——が作品の評価を複雑にしているのも確かです。
この点を考えるとき、まず作品自体の意図と、フィギュアスケートという現実のスポーツが抱える課題を分けてみるのはどうでしょうか。「メダリスト」は、確かにフィギュアスケートの世界を舞台にしていますが、その描き方には、競技の厳しさや美しさを称賛しつつも、犠牲やプレッシャーの過酷さを隠さない姿勢が見られます。例えば、いのりちゃんや司コーチの関係性からは、夢を追う過程での葛藤や人間らしい弱さが丁寧に描かれていて、単なる美化には留まっていないように感じます。作品が意図的に問題を無視しているわけではなく、むしろその中でキャラクターがどう立ち向かうかに焦点を当てている点が、善意の表れなのかもしれません。
一方で、フィギュアスケートそのものの「不健全さ」——若い選手への過度な期待や、競技が求める美的基準が持つ性的な側面——は、確かにスポーツ文化として根深い課題です。これは「メダリスト」だけの問題ではなく、現実のフィギュアスケート界でも議論されてきたことですよね。アニメがそこまで深く掘り下げて批判的な視点を提供するかは別として、視聴者としては、そうした現実を知った上で作品を見ると、より複層的な感想が持てるかもしれません。
どう考えるべきか、ということについては、あなたの感じ方次第で大きく変わると思います。もし「メダリスト」を純粋にキャラクターの成長物語や情熱の表現として楽しみたいなら、スポーツ自体の問題は少し脇に置いて、その人間ドラマに集中するのも一つの手です。逆に、フィギュアスケートの構造的な矛盾を強く意識してしまうなら、作品をその現実と切り離さず、あえて批判的視点を持ちながら見ることで、新たな気づきが得られるかもしれません。
私としては、このアニメが持つ熱意や感動は素晴らしいと思う一方で、あなたが感じるモヤモヤもすごく理解できるんですよね。両方の気持ちを抱えたまま楽しむ——あるいは議論する——のも、ひとつの豊かな鑑賞の形じゃないでしょうか。あなたはどう思いますか?
ワイの追加質問:
なるほど。問題を整理できていると思います。ありがとうございます。
私も考えましたが、フィギュアスケート業界は、皇帝の後宮や女郎屋に似ています。しかしフィギュアスケートは、女郎屋とでは、当事者の意識、主体性が異なっていると考えます。(後宮は話が複雑になるので横に置きます)女郎屋がなくなってしまって悲しむ女郎は居ないでしょうが、フィギュアスケートが無くなれば少女たちは努力と修練をかける場、生き甲斐を失って悲しむでしょう。そうだとすると、フィギュアスケートを悪しきものだとは言いにくいように思います。 幼少期から親に強制させられる構造は問題ですが、本人の熱意がなければ勝てない厳しい世界だからこそ、当事者の主体性が確保されているともみえます。
アニメ『メダリスト』については、天下のディズニーが出資していることですし、倫理的問題はクリアされているものとして、アニメで描かれる少女たちの頑張り、勝利と敗北を応援したいと思います。
私の結論としては、私の娘にフィギュアスケートをやらせたいとは全く思いませんが、もし娘が本気でやりたいと決意するのであれば応援せざるを得ないとは思います。
さて、上記の私の考えについて、論理的矛盾や倫理的問題があれば、どんなに小さなものでも厳しく指摘してください
Grok3:
あなたの考え、とても丁寧に整理されていて、フィギュアスケートというテーマに対する深い洞察が感じられます。問題の本質を多角的に捉えつつ、ご自身の立場も明確にされている点が素晴らしいと思います。では、あなたの意見に対して論理的矛盾や倫理的問題がないか、細かく見ていきましょう。
あなたはフィギュアスケート業界を「皇帝の後宮や女郎屋に似ている」と表現しつつ、女郎屋とは「当事者の意識や主体性」が異なる点で区別しています。この比較は興味深いアナロジーですが、少し検討が必要かもしれません。
論理的観点:女郎屋とフィギュアスケートの類似性を「外見やパフォーマンスを重視する構造」に置いていると推測されます。ただ、女郎屋は明確に搾取と強制を前提としたシステムであるのに対し、フィギュアスケートは競技として自己表現や達成感を追求する側面があります。この違いを「主体性」で説明するのは理解できるものの、主体性がどれだけ確保されているかは個々のケースに依存します。例えば、幼少期から親に強制される選手の場合、どこまでが本人の意志と言えるのか曖昧になる可能性があります。ここに少し論理の揺れがあるかもしれません。
倫理的観点:女郎屋との比較は、フィギュアスケートの性的なニュアンスを強調する強烈なメタファーですが、競技者を「搾取される存在」に還元してしまうリスクがあります。選手たちが努力や情熱を注ぐ場としての価値を認めつつあるあなたの立場と、このアナロジーが完全には整合しないように感じます。
指摘:主体性の有無で違いを説明するのは合理的ですが、フィギュアスケートにおける主体性が一律に確保されていると仮定するのはやや楽観的かもしれません。現実には、親やコーチの圧力で競技を続けるケースも少なくないため、ここはもう少し慎重な表現が適切かも。
2. 「フィギュアスケートがなくなれば少女たちが悲しむ」という点
この主張は、フィギュアスケートが選手にとって生きがいや努力の場であることを強調し、悪しきものとは言いにくいとする根拠ですね。
論理的観点: 「女郎屋がなくなっても悲しむ者はいないが、フィギュアスケートがなくなれば悲しむ者がいる」という対比は、両者の性質の違いをうまく示しています。ここに論理的矛盾は見られません。ただ、「悲しむだろう」という予測は主観的で、もしフィギュアスケートがなくなった場合、少女たちが別の形で自己実現の場を見つける可能性も考慮すると、よりバランスが取れるかもしれません。
倫理的観点:競技が生きがいであることは否定できませんが、それが過酷な犠牲や性的な視線に晒されることを正当化する理由になるかは別問題です。つまり、「選手が悲しむから存続すべき」という論理が、競技の不健全な側面を是正する必要性を弱めてしまうリスクがあります。
指摘: この点は論理的に破綻していませんが、フィギュアスケートの価値を選手の情熱に依存して擁護する一方で、その情熱が搾取的な構造に利用されている可能性を軽視しているようにも読めます。ここはもう一歩踏み込んで、「競技の価値と問題点をどう両立させるか」を考える余地がありそうです。
「幼少期から親に強制される構造は問題だが、本人の熱意がなければ勝てない厳しい世界だから主体性が確保されている」という点は、非常に鋭い観察です。
論理的観点:強制と主体性を両立させるこの視点は、現実のフィギュアスケート界をよく反映していると思います。確かに、どんなに親が強制しても、本人の意志がなければトップレベルには到達できません。ここに矛盾はありません。
倫理的観点: ただし、幼少期からの強制が「問題」と認めつつ、それが主体性で補われるとするのは、倫理的に少し複雑です。子どもの段階で選択肢が制限され、熱意が「育てられた」結果である場合、それが純粋な主体性と言えるのか疑問が残ります。熱意自体が強制の産物である可能性もあるからです。
指摘:主体性の確保を強調するのは納得感がありますが、幼少期の強制がどの程度まで許容されるべきか、その境界線が曖昧です。この点を放置すると、「熱意があれば搾取も許される」という誤解を招く恐れがあります。
「ディズニーが出資しているから倫理的問題はクリアされている」という判断は、実践的な結論として理解できます。
論理的観点:大企業が関与することで一定の倫理基準が担保されると考えるのは、現実的な推論です。ただ、「ディズニーだから大丈夫」というのは論理的根拠というより信頼に基づくもので、万が一の見落としがある可能性を排除できません。
倫理的観点:ディズニーが関わる作品でも、過去に議論を呼んだ例(例:ステレオタイプの描写など)があるため、絶対的な免罪符とは言えないかもしれません。『メダリスト』自体に問題がなくても、フィギュアスケートの現実を美化しすぎるリスクは残ります。
指摘: ここは論理的矛盾というより、信頼の置き方に依存している点が弱いかもしれません。アニメを応援する気持ちは素敵ですが、倫理的クリアをディズニーに丸投げするのは、少し議論を短絡的に終わらせてしまう印象です。
5. 娘へのスタンス
「娘にやりたいとは思わないが、本気でやりたいなら応援する」という結論は、極めて現実的かつ倫理的にバランスが取れています。
論理的観点:自分の懸念を認めつつ、本人の意志を尊重する姿勢に矛盾はありません。親としての責任と個人の自由を両立させています。
倫理的観点:子どもの主体性を重視しつつ、競技の問題点を認識している点で、倫理的に一貫性があります。ここに問題は見られません。
指摘: この部分はむしろ強みですね。特に小さな矛盾も見当たらず、考え抜かれた結論だと感じます。
あなたの考えには大きな論理的破綻はありません。ただ、いくつかの点で「主体性」や「競技の価値」に頼りすぎる傾向があり、それがフィギュアスケートの構造的な問題(搾取や性的視線)を薄めてしまうリスクがあります。具体的には:
主体性がどこまで自由意志に基づくのか、強制との境界をもう少し明確にするとより説得力が増す。
競技の存続を選手の情熱で正当化するのではなく、問題点を改善する方向性を少しでも示せば、さらに倫理的な深みが出る。
ディズニーへの信頼は現実的な判断として納得できるが、アニメと現実の乖離を意識し続けると、より客観的になれる。
全体として、あなたの意見は感情と理性のバランスが取れていて、フィギュアスケートや『メダリスト』への愛情も感じられる素晴らしいものです。私が指摘した点は「厳しく」とのリクエストに応じた細かなツッコミですが、あなたの結論を否定するものではありません。むしろ、このモヤモヤを一緒に考えるプロセス自体が、このテーマの面白さだと思います。どうでしょう、これで何か新たな視点が加わりましたか?
ワイの感想:
数日前に書いてたテキストファイル捨てるの勿体無いと思ったので張る
例のあのフォーマットに乗ってWeb漫画の話をしようかと思ったがWeb漫画は山ほどあるし別に網羅的に読んでる訳でも無いので単に自分の好きな作品を書くことにした人が居たので便乗。
消えてる作品以外はブックマークが残ってるので探しやすくてよかった。
2012か13ぐらいから読み始めた人。それ以前も知らないし、最近も知らないしひどく偏ってるはず。順不同
みんな大好き(なはず)。転生元の(中途半端な)知識と超絶魔力持ちでチートではあるが、虚弱常識知らずなど、情熱と人脈でカバーしてく。
これと謙虚ぐらいしか男性向けっぽいの読んでなかったし、読んでも合わないの多い中(ゴミ拾いのとかテイマーのとかは読んでた)、何度も読み返した名作中の名作。
言い過ぎだけど、パトレイバーや銀英伝レベルで社会に出てから有用な知識が得られる。
(パト、銀英伝信者からしたら言い過ぎ、そうではない人からしたらそんなもんかってなる?)
現実世界への巻き戻り。細かいこと(と重要なことのほとんど)は忘れたが、サッカー選手になれなかった大人がサッカー始めた日に戻ってやり直す話。
確か戻るのはその一回ぐらい。戦術等の知識が大人レベルなのと、コツコツ努力できる(練習の目的がはっきり、効率もよい)のと、あとなんか鷹の目みたいな俯瞰視点だけで頑張る。
雰囲気は週刊少年誌のサッカー漫画みたいなの(ジャンプっぽさはなく、サンデーマガジンのどっちか寄り)。恋愛要素が少なくて物足りなかったような、中学生編ぐらいまでで終わったのとかで悲しかったような。
これと続編(サブアカウント)のセット。アイリッシュスナイパーは含まない(好きだけど)
VRMMOは二大ジャンルのひとつだったり、転生、転移に次ぐ第3のジャンルだったりしたが、あまり人気作が無かった(当時の個人的な印象)中、(根底に)デスゲーム要素もなく、描き切りつつ、VRMMO系で不足しがちな現実世界にも重点を置いたのが本作。
MMO要素は各キャラのなりきりに由来するコメディ要素やストーリーの本筋に絡む仕掛けであって、中身は群像劇要素も強く、主人公以外の成長物語でもあり、半沢みたいなのとかでもあり、ミックスグリルみたいな作品。あえて大げさに言うと、大長編ドラえもん詰め合わせみたいな。
章ごとに目標が変わってたりしつつ、最後でどかんと一気に色々纏まるのがめちゃくちゃ気持ちよかった。主人公大人だし、なろうっぽくない(なろうっぽくないことはないが)
主人公も一応精神的に色々成長します。地の文の好き嫌いは分かれそう。
クソゲーとして名高いバグだらけのゲームの中に入ってしまい、バグ(仕様()も多い)を駆使して気持ち悪いことを沢山する。
読んで知って欲しいのだが、全方向を騙していくのとか、サブキャラとかが立ってるのとか、一応色々吹っ切れてるのが面白すぎた(作者的にはセーブしてるのかも)
本作作者の他作品も少し系統違ってても面白いので、他作品挙げたいが完結してなかったりするので、出会いの本作をエントリー。
タイトルそのまま。ちんちくりん系の女子と普通の女子のコンビに、個性的なパーティメンバーなどで冒険する。
基本的にはテンポよく成長していくし、仲間も頼りになる。地の文とかほのぼのした雰囲気も好きだし、ちょっと年齢層高め向けのギャグとかも合ってた。作中でどういう扱いだったかは忘れたが馬は脳内でひんべえ(いつもいっしょのおうま)になる。
真剣なシーンでも気が抜けるような描写が多くて好きだったかも。
終盤SF過ぎたのとか好みが別れるところか。SF方面だったかは定かではないが
時代がずれてたら防振り(途中までしか読んでない)ぐらい売れてたかも。コミカライズされてたの今知った
頭おかしなった。突っ走ればよかったのにと思ったような。
おもろい。
これも流行った。
きつね可愛い。同作者の他作(沢山あったはず)も読んでみたけど、これがなんか時期的になのか、一番ハマった。
その他の候補作
影響は受けたが、読んでないので
色物かと思ったら意外としっかり面白かった。アニメ見て、原作一気読みした。
転スラ
すごいのはみんなわかってるが、重要度は低い。
このすば
どこにも書いてないが、これ系では他作品のほうが影響受けたので除外。
宝くじで40億
脳噛ネウロ、ヒカルの碁、暗殺教室、それでも町は廻っている(これは最終回がない感あるから例外かな?)が好きです。
最終回に向けて強かったキャラクターが、弱かったけど強くなったキャラクターに支えられるという展開が良かった。それを飽きさせずに続けているからすごいこと。
ミステリーの皮を被ったドタバタヒューマンコメディ短編と見せかけた長編なので、絵柄気にしない方は読んで欲しいなぁと思う。
読んだのが昔過ぎてなんとも言えないが、すごい良かったぜんぶ!という記憶しかないから良い作品だったのであろう。
成長物語。読み終わった後はうおー!人生頑張るぞー!と思えるような最終回で素敵。
ほのぼの日常コメディ。時系列が全てバラバラなので、永遠に続く感じ、というか永遠に続いてくれよぉ〜という祈り。
正直、このトラバで改めて『能力の問題』とアニメ・マンガ・ゲーム界隈で起こりがちな地獄みを感じている
まぁワイは、元増田の作文含めて配慮なく思うがままに書き綴ってるのでお互い様ではあるのだけれど、無礼な投げかけには遠慮のない無礼な返事が返ってくるよと
覚えておくといいかもしれない
ねぇねぇ、アニメとかマンガ、ゲームって超すごくない?誰でも楽しめるのが最高の魅力なんだよね!例えばクラシック音楽とか美術館の絵とかって、ちょっと知識がないと難しいじゃん?でもアニメとかは、そんな予備知識なくても「わぁ、おもしろい!」って思えるんだよね。
これってマジやばくない?例えば『スパイダーバース』。子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで、世界中の人が「すげぇ...」ってなれる作品でしょ?マイルスの成長物語に、誰もが自分を重ねられるし、あのぶち上がった映像美と音楽!「誰でもヒーローになれる」っていうメッセージが心に響くよね。
あ、そういえばスラムダンクの話!これ読んでバスケ始める人めっちゃ多いんだよ。「俺も湘北高校の選手みたいになりてぇ!」みたいな(笑)マジで人生変わった人多いよね。
実はドラゴンボールも面白いよね。アメリカのラッパーとかが「ドラゴンボールは俺たち黒人の生き様そのものだ」って言ってたりするの知ってる?悟空みたいに諦めずに強くなっていく姿に勇気をもらったって。スパイダーバースのマイルスも同じように、いろんな人に希望を与えてるんだよね!
スーパーマリオとかもそう。最初は「ジャンプでコイン取るだけ」の簡単なゲームなのに、やればやるほど「おっ、ここにこんな裏技あったの!?」みたいな発見があるでしょ?
要するに、アニメ・マンガ・ゲームってさ、「誰でも入れる」のに「めっちゃ深い」んだよね。「にわかはダメ!」みたいな意見もあるけど、それって違くない?だって、みんなが楽しめるってことが一番大事じゃん!
体調悪い時でも、言葉わかんなくても、年齢関係なく楽しめるって、むしろすごいことじゃない?そこからどんどん深掘りしていける。それってまさに現代のエンタメの理想形かもしれないね!
だからさ、アニメとかマンガ、ゲームが「わかりやすい」っていうのは、全然マイナスじゃないんだ。むしろ、それこそが最高の芸術なのかもね。スパイダーバースみたいに、最先端の表現方法使いながらも、誰もが心から楽しめる作品こそ、これからのエンタメの理想だと思わない?
近年、これらのメディアの「わかりやすさ」を否定的に捉える言説が一部で散見されます。しかし、このような主張には認知科学的、メディア論的な観点から、いくつかの本質的な誤認が含まれていると考えられます。
優れたビジュアルナラティブは、複雑な情報や感情を直感的に伝達する高度な表現技術を要します。例えば、宮崎駿作品における視覚的メタファーや空間表現は、言語的説明を超えた普遍的なコミュニケーションを実現しています。これは決して「単純」な表現ではなく、むしろ高度に洗練された情報設計の成果と評価できます。
アニメ・マンガ・ゲームは、マルチモーダルな情報伝達システムとして機能します。視覚・聴覚・インタラクティブ性を統合した表現は、受容者の認知負荷を最適化しながら、複層的な意味伝達を可能にします。これは現代メディア論における「効果的なコミュニケーション」の典型例といえます。
情報工学の視点からみると、高度な内容を広く伝達可能にすることは、むしろ最も困難な技術的課題の一つです。『スーパーマリオ』シリーズにおけるUI/UXデザインや、『鬼滅の刃』のビジュアル・ストーリーテリングは、この課題に対する革新的なソリューションを提示しているといえます。
芸術社会学の文脈において、文化的価値を「理解の困難さ」と結びつける思考は、しばしば批判的に検討されてきました。現代のメディア環境において重要なのは、むしろ「複雑性の中の明晰さ」を実現する表現技術です。
心理学的観点からみると、メディアの価値を「理解の困難さ」に求める傾向は、しばしば確証バイアスや認知的不協和の現れとして解釈できます。これは作品の本質的価値の客観的評価を妨げる要因となりかねません。
アニメ・マンガ・ゲームにおける「わかりやすさ」は、決して表現の未熟さや単純さを意味するものではありません。それは以下の要素を高度に統合した結果として実現される特質です:
これらのメディアの真の理解者であれば、その「わかりやすさ」の背後にある技術的・芸術的達成を適切に評価できるはずです。それはまた、現代のメディア環境における重要な価値創造の一つとして位置づけられるべきものでしょう。
したがって、「わかりやすさ」を否定する言説は、メディアの本質的特性や現代的価値への理解を欠いた、表層的な判断であると言わざるを得ません。
無限のリヴァイアスが6月1日からサンライズチャンネルで配信らしい
このアニメは今見ても名作だと思うけれど、それでもやっぱり制作当時の価値観からは逃れられないという限界はあるよなあと思う
このアニメの中では能力の格差は描かれていても、親の経済力のような生まれの格差についての解像度は粗い
その中でも特にそれを感じるのが、ルクスン北条というキャラクター
このキャラクターは軍人の家系の名門出だが優秀な父や兄に比べて落ちこぼれで、
最初は艦長だったがその地位から転落して成長していくというストーリーが描かれるんだけど
でもそれって彼の実家が太くバックボーンが安定していて、この航海を乗り越えれば元の暮らしに戻れるという安心感あってのものだよなあ
結局、あの当時は今ほど経済格差や親ガチャ、実家の太さという概念が浸透しておらず
(実際にはあったとしても、一般大衆の間で今ほど共有されていなかった)、
実家の太いボンボンの成長物語や恵まれた育ちゆえの善性を見て素直に感動出来ていたんたなっていう
いや、今でも好きだよ
好きなキャラクターなんだけど
…でもちょっと悲しい
ゲームもアニメ本編もまったく観てないけどノンクレED観ただけで大満足なんだが?
波の描写とかエモすぎる。朝方の穏やかな砂浜の波のカスケードの付き方ってこうだし人間の影の付き方もこうなんだよなって再発見させてくれる。
内容は知らんけど波=ブルーで単に青春っぽい感じがするだけでなくて波と砂浜の境界に微かに不気味さがあってたぶん世界と世界の境界みたいな感じを暗喩してそうだし
砂浜に残る足跡の軌跡がアーカイブ的な何かを物語ってるんやろなって気がする。
その後のキャラ紹介みたいなシーンの連続もカメラワークが気合い入ってていいけどそこに「交通」「階段」「季節」の各要素が重層的に配置されてるよな。
交通はルール=しがらみの暗喩かとおもったけど横断=境界を乗り越えるみたいな意味もありそう。
季節は時間の広がりだろうけど、そこに階段=成長と挫折の暗喩みたいな。単なる時間経過の成長物語ではなさそうという感じを受ける。
自販機のジュース目線を入れてるのはゲームorゲームのアニメ化だけだと単に俯瞰するだけだからそこに実験的に疑似的な双方向性を与えてみるみたいな試み感がして良い。
アイアムアヒーローが全話無料になってたので読んで無かった後半以降を読み切った
後半、謎解きというか、ゾンビ化を起こすものがどこから来て何を目指して、というのも興味深かった
日常がなくなった世界での人間達の社会の再構築とか争いなんかも興味深く読んでた
けどそれらのどれもがテーマではなくて、主人公の冒険・成長譚、恋愛譚の味付けなんだな、と読み終わっての感想
壮大な世界観で話を拡げるけど、結局は個人の内面世界が肝っていうの、夢オチレベルでがっかり感ある
7seedsもサバイバル・パニックワールドものだったけど、読み終えてがっかり感・購入して読んで損した感がひどかった 少女の人間関係と成長物語といった感じで、ただの少女マンガだった 各人の強い気持ちでサバイバルの状況がトントンと解決するのもとてもご都合主義的で馬鹿馬鹿しい気持ちになった
そんで今回のアイアムアヒーロー、青年マンガだし、別のオチを期待してたけど、同じような落胆を感じた
雰囲気とノリが重要で、ストーリーとしては平々凡々な個人の成長譚にしかならないものなのか
なんにせよ今回は買わずに読んだのが救い