
はてなキーワード:成功者とは
「子持ち」「金持ち」「趣味人」「成功者」といった事柄の価値が下がってきてるように思う。
代わりに「生活を普通に丁寧にやっているか」の優先度が上がってきたと言うか。
子供を沢山育てていたとしてもいつもイライラしている人は「毒親」として扱われる。
金持ちだったとしても仕事人間で早死した人は「人生を間違えた人」として扱われる。
趣味人であっても風呂や食生活が終わっていて臭い人は「界隈の恥」として切り捨てられる。
あらゆる分野において「まず、生活が丁寧であるかが大前提だ」という風に価値観が切り替わっている。
俺が若い頃、まあつまりは「平成≒新しい」という世界観だった頃は、「生活をサクっと切り上げて他にエネルギーを回すのが立派な人だ」という風潮があった。
睡眠時間を削って頑張って子育てする人はその結果としてガミガミしてようが「国家繁栄の功労者」みたいな感じだった。
24時間戦うサラリーマン、年中無休の経営者、5時間睡眠の受験生、食費を切り詰めるオタク、そういった人々が「自己犠牲のもとに結果を出す立派な人達」として持ち上げられていた。
だが今は違う(ギュッ)。
今はもう全部が違う。
睡眠時間を削って働く人はたとえ総理大臣だろうが「悪い見本だ」と批判されるし、エナドリを飲みまくるe-スポーツ選手は「不健康アピールでスポンサードリンクのネガキャンやめろ」と叩かれる。
そういう時代なんだ。
「健康」であること、ひいては「生活が丁寧」であることの価値が物凄く高まっている。
ストレス社会の行き着いた先なのか、様々な消費啓蒙合戦の果てにこの時代が来たのか、世の中が清潔で健康になるにつれそうじゃない人間の排除が始まったのか、理由は複合的だろう。
とにもかくにも現代においては「まず生活を丁寧にやりましょう。全てはそこからです」という感じになっているわけだ。
社会のポリコレ化が言動に対してではなく「生活様式」自体にまで口を出すようになった感じだろうか。
俺はソレを批判する気はない。
別に悪いことじゃないと思う。
睡眠不足や栄養不足でイラついてオラついている被害者意識ムンムンの連中が「でも結果は出してますからね」でパワハラしまくる社会と比べたらまだ窮屈じゃない。
結果だけは出しているという肩書をぶら下げてパワハラを振りまく連中の顔色を伺うよりは、7時間寝て栄養のあるものを食べて清潔な部屋と体で過ごすように心がける方がよっぽど建設的じゃないか。
平成は遠くになった。
令和の価値観に合わせていこう。
平成においては「結果を出せているか」が最重要だったが、令和では「生活が丁寧で健康的か」が最重要なんだ。
そしてまた30年後にはルールが変わる。
変わるんだろうな。
これまでの成功者、人生における勝ち組は「金持ち」だったと思う。
なぜならこれまでの「金」は「信用」の裏返しだったが、
犯罪で得た「金」は「信用」の裏返しじゃないということに、
現に、今、日本人の何%が給料が振り込まれた後、給料日に現金を全額下ろしに行っているだろうか。
PayPayをはじめとするQR決済や、Suicaをはじめとする交通系ICなど、スマートで便利な世の中で、スマート人間の行動はすべて記録されている。
Amazonの購買履歴や、LINEギフトの履歴をたどれば、どれだけ「他人に対して」お金を使ったかがわかる。
これからの時代は「他人に対してどれだけ貢献できたか」が人間の真価になっていく。
信用のスコア次第でその人が使える「金額(与信枠)」が変わっていく。
なぜなら日本円の価値が下がっているのではなく、貨幣という意味での金そのものの価値が下がっているから。
現にコンビニ一つ取ったってそうだ。
ローソンのアプリでは、dポイントやPontaポイントで格安で商品と交換できる。
ファミマのアプリでは、無料で商品をサンプリングしたりしている。
同じ100円のものを何円で買うかは人によってもう違うのだ。
気づいた人から行動し始めている。
現金のない人はキャンペーンに乗っかってどんどん節約・ポイ活しよう。
未来は明るい。
自分のために使うのも、巡り巡って他人のためになる。(税という仕組みがあるから)
自己破産は望ましくないけど、
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第5章は、タタルスキーが広告コピーライターとしてのスキルを活かし、初めて“消費者だけでなく政治・社会”に影響を与える可能性 を感じる章です。
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広告代理店での仕事は順調に進み、タタルスキーは次第に自信をつける。
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“売上が落ちている高級飲料” がある。
• タタルスキーはコピーだけでなく、広告キャンペーン全体を企画することに
具体的には:
• 「消費者に“自分が成功者であるかのような錯覚”を与える」
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• タタルスキーは初めて、自分のコピーが個人の購買だけでなく、社会全体に影響を与える可能性を知る
これが後に、タタルスキーが国家プロジェクトに関わる伏線になる。
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• 人々は「物語」を信じることで行動する
•広告は商品を神格化する手段であり、現代の“新しい宗教”のようだ
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代理店での仕事に慣れてくると、タタルスキーは金銭的な快感を覚える。
•社会的地位が少しずつ上がる
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3.未来の予感
•広告技術は個人消費だけでなく、政治や社会操作にも応用できる
•自分の才能が“国家レベルのイメージ戦略”で試される日が来るかもしれない
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◆ 7. 第5章の象徴的整理
項目 内容
主要イベント タタルスキーが広告の現実操作力に気づき、政治的応用の可能性を意識する
物語的役割 タタルスキーが“個人消費から社会・政治操作へ”視野を広げる章
⸻
第5章は、
広告の魔術的力を自覚しつつ、政治や権力に接続する兆候を掴む重要な章
です。
うちにも二人ほど、障碍児がいるんだけど、たぶん論点が違うな。
https://note.com/iyaiyaiiya/n/n7440ea79e0fb
この人は、子供が非大卒になるってあたりからもうしんどいんだよ。
冷静に考えるとね、別に障害者の人生が物質的にどれだけ不幸かっていうと、たいしたことないんだ。
この人の気になって、子供が将来済むまだ見ぬグループホームが、私が住むタワマンよりどれだけ不便だろうかと考えてみる。
そりゃどんなホームでも高級タワマンに比べて不便はあるだろうけど、都心へのアクセスとか自室が狭いとか、その程度の文句しかないだろう。
自室が狭くたって、世話してくれる人がいるならむしろ快適だろう。
障害年金で困窮した我が子が着るであろうユニクロのダウンが、親の私が着るモンクレールのダウンにどれだけ劣るのか?
生まれたばかりの子供が、本人になんの罪もないのに無慈悲に命を奪われたりすれば、それは不幸だ。
ただ、腹いっぱい食べて、暖かい布団でたっぷり寝て、好きなことをして過ごす。
こんな日々がずっと続くなら、それは幸せなはずなんだ。
ただな、そうはいっても、この人はまだそうは割り切れないはずだ。
割り切れない理由は、子供じゃなくて、これを認めることは自分の人生の否定だから。
河原で石を積んだり、土手を散歩するだけで幸せなら、なんのために人生の成功者になったんだって話だからね。
※ 【追記】続編みたいなもの なぜ私が ~「生理的に無理」と「清潔感がない」の正体を完全に言語化した、『メスの2段階選別論』を提唱する~ を投稿したかの話。
https://note.com/j_yam/n/ne0a0874a29e0
ここから本文↓
これまで世の中で語られてきた「清潔感が大事」だの「なぜ風俗でメンタルが病むのか」だの「熟年離婚」だのといったバラバラの事象が、ひとつの仮説ですべて説明がついたので書き留めておく。
名付けて『メスの2段階選別論』だ。
倫理的な是非は一旦置いておく。あくまで「我々ヒトという動物がどう設計されているか」という仕様書の話だと思って読んでほしい。
結論から言うと、女が男を見る目には、明確に異なる2つのフィルタリングシステムが存在する。
重要なのは、この2つは「判定基準」も「目的」も全く別物だということだ。
判定基準: 「コイツに力ずくでレイプされて妊娠させられた時、産み育てる価値が(ギリギリ)あるか?」
ここが最大のポイントだ。
女の脳内にはバックグラウンドで常に「最悪の事態(強制性交)」のリスク計算プログラムが走っている。
目の前にいるオスが、自分を襲ってきたと仮定する。その時、遺伝子的に「完全に不良債権(ハイリスク・ノーリターン)」になる相手に対し、脳は警報を鳴らす。
そして「清潔感」とは、風呂に入っているかどうかではない。肌の質感や挙動から読み取る「遺伝的なエラーのなさ」や「病原体リスクの不在」を示すシグナルだ。
つまり、第1段階で弾かれるというのは、「お前の遺伝子を身体に入れるくらいなら死んだほうがマシ」という生物学的拒絶に他ならない。
第1段階をクリアした中の、ごく一部の特異点(強烈なオス)だけがここに入る。
これは第1段階の完全上位互換だ。
誤解なきよう言っておくが、もちろん「閾値の設定ファイル(好み)」には個体差がある。
「筋肉質なら第1段階クリア」という個体もいれば、「細身でないと第1段階で足切り」という個体もいる。いわゆる「好み」や「フェチ」だ。
しかし、重要なのは「どんな値が設定されているか」という表面的な違いではない。
「第1段階(足切り)」と「第2段階(渇望)」という『2層構造の判定ロジック』自体は、すべての女性に標準実装されているOSの仕様であるという点だ。ここを履き違えてはいけない。
人類のペアの大多数(夫婦)は、「第2段階(本能的渇望)にはいないが、第1段階(生理的許容)はクリアしている」というグレーゾーンで成立している。
第2段階のオスなんて滅多にいない。だから女は現実的な適応戦略(妥協)として、「まあ、万が一妊娠しても育てられる(社会的地位や経済力があるから)」という相手と契約を結ぶ。これが結婚だ。
ここには「理性」はあるが、本能的な「種の渇望」はない。
だから、結婚して子供を作った後にセックスレスになるのは仕様通りの挙動なんだよ。最初から「遺伝子が欲しくてたまらない相手」ではなかったんだから。
この理論を使うと、水商売や風俗で女性のメンタルが崩壊する理由もロジカルに説明できる。
第1段階(防衛本能)が「コイツは危険(レイプされたら割に合わない)」と判定している相手が、閉鎖空間で接近してくる。
脳が「危険な相手が近くにいるぞ!」と非常ベルを鳴らし続けているのに、理性で笑顔を作る。この乖離が脳を焼く。
第1段階すらクリアしていない(=遺伝子を入れたら破産する)相手に対し、あろうことか最もリスクの高い「性的関係」を受け入れる。
これは生物学的に見れば「自殺」に等しい。本能が「絶対に拒絶しろ」と叫んでいる相手を受け入れる行為は、魂を削るなんて生易しいもんじゃなく、脳の回路を物理的に破壊しにいってるようなものだ。
すると、バックグラウンドで走っていた「第1段階(レイプ対策セキュリティ)」が用済みになって解除される。
だから、若い頃なら「生理的に無理」だった弱者男性ともフラットに会話できるし、距離感もバグる。あれはセキュリティソフトをアンインストールした状態なんだ。
金や地位のある男は、女の「第1段階(社会的地位による許容)」をクリアしやすい。
ここで厄介なのが、稀に「金や地位=第2段階(本能的な魅力)」として判定してくれる女性個体が存在することだ。
成功者は、過去にそういった女性とマッチングして「いい思い」をした経験(成功体験)を持っていることが多い。
これが彼らに致命的な「過学習」を引き起こす。
「俺のアプローチ(金・権力)は、女を濡らす(第2段階)のだ」と誤った学習をしてしまうわけだ。
その成功体験をユニバーサルな真理だと勘違いし、第1段階で止まっている(理性で付き合っているだけの)部下や他の女性にも同じアプローチを仕掛ける。
結果、相手の女性からは「生理的にはギリOKなだけだったのに、勘違いしてきてキモい」と判定され、セクハラとして通報される。
これは単なるスケベ心ではなく、「過去のデータセットに偏りがあったせいでAIが誤動作した」という悲劇なのだ。
■結論
こう考えると、世の中の理不尽な男女関係のほとんどに説明がつく。
男たちは「清潔感」という言葉に騙されてはいけない。あれは「俺の遺伝子を受け入れる覚悟があるか」という、遥かに重い問いかけなんだ。
そして、大多数の夫婦は「本能的な渇望」がないまま、理性という糸で繋がっているに過ぎない。
この「本能によるフィルタリング」はずーっとずーっと昔の、我々のご先祖様がサルやってたころのそれと思われるので
それ以前に、本当に女性の第一段階を突破したかどうかは、女性本人の無意識領域にしかわからないのだから。
Permalink |記事への反応(38) | 19:22
多くのビジネス書が提示する「ノウハウ」や「必勝法」の本質は、学術的な理論ではなく、著者が特定の条件のもとで達成した個人的な成功体験を、あたかも万人向けの普遍的な法則であるかのようにパッケージングし直したものだ。
ビジネス書を著す多くの人物は、強い自己顕示欲と自己承認欲求を持っている。執筆活動は、彼らの自己の成功を「社会的な法則」として世に認めさせ、自身の権威性とブランド力を高めるための手段だ。
ビジネス書が書かれる真の目的は、読者に有益な知識を与えること以上に、以下の経済的・自己満足的な動機に集約される。
成功体験を絶対視するビジネス書は、人間関係を「指導者(上)」と「未熟な部下(下)」という垂直的な構造として描く。管理職は「教える立場にある自分は正しい」という上から目線を無条件で内面化する。
ビジネス書に傾倒する管理職にとって、部下は目標達成のための「人的資源(ヒューマン・リソース)」と見なされる。
この「資源」という捉え方が、「育成」という名のもとで、部下の尊厳を否定する失礼な態度を正当化する。資源は最大限効率的に加工(育成)されるべきであるため、「結果のためだ」「お前を育てるためだ」という大義名分のもと、人権を無視した侮辱的な言動が「マネジメント」として許容されてしまうのだ。
ビジネス書を盲信し、そのノウハウを「絶対解」として現場に適用しようとする管理職は、著者の自己顕示欲と独善的な思考を組織内で再生産しているに過ぎない。彼らは、書籍のノウハウを実行しない部下を「失敗」や「抵抗勢力」と見なし、指導の名のもとに自らのメソッドを強制する[[パワハラ]]を生み出す。
彼らが実践する「パワハラのノウハウ」は、特定のメソッドや厳しい規律、成果至上主義を絶対化するビジネス書という形態を通じて、広く社会に流通している。
ビジネス書が流通させているのは、単なる精神論ではない。それは、「部下の気持ちを完全に無視し、かつ反撃を喰らわない」ための、非常に具体的なパワハラ技術だ。
上司が求める「正解」は、論理ではなく上司の個人的な動機や前提に基づいている。上司は具体的なフィードバックを一切与えず、「違うな」「考えろ」を繰り返し、部下は正解に当たるまでリテイク地獄を強いられる。部下は上司の独善性に気づき、深い憎しみを抱える。
「感情論」を排し、「目標達成」や「数字」といった客観的な論理(書籍で学んだフレームワーク)で部下を追い詰める。これにより、指導の体裁を完璧に保ち、部下からの反論を封じ込める。
人目の多い場所で集中的に指導を行うことで、部下に対する見せしめや組織的な圧力として機能させる。また、「指導」という名目のもと、部下が逃げられない状況で長時間拘束する。これにより、組織のルールを守りつつ部下の精神的逃げ場を完全に奪い、逃れられない状況で追い詰める技術だ。
書籍の「成功は個人の努力」という論理を応用し、部下の失敗を「ノウハウの実行不足」「当人の意識の低さ」に帰結させる。これにより、上司の指導の責任を完全に免除する。
結論として、ビジネス書は「成功者の自伝」という体裁を取りながら、実際には「自己顕示欲を満たすための指導法」を権威付けし、組織における上から目線の構造を固定化し、パワハラを再生産・流通させる主要な経路となっているのだ。
あなたの周りに、あなたの尊厳を傷つける上司がいるなら、まず彼の机の上をチェックしろ。
パワハラの根源は、彼らの自己顕示欲が凝縮されたビジネス書にある。
有名な漫画家が持っていた本棚が本ごとあり、漫画家本人がなんか書いたラベルを本棚に貼ってある
床に寝ている昔の友人に、見ろよ、これ、凄くね?みたいに言うが、
なんか、俺を敵みたいな目で見るので、別の場所へ行く
ギターのエフェクターだか、サンプラーだか、カセットレコーダーみたいなのがうず高く積み上げられてる
場面が変わって、障害者施設っぽい、他にも通所している利用者がいる
ミーティングみたいなのが始まるみたいなのだが、俺だけ椅子がない
どうしよう、と思ってると、なぜか丸椅子を2つ重ねたものが目の前にあったので、
なんでここに持ってきちゃったんだろう、帰りどうしよう、みたいに思って気が気でない
なんか楽器とか運べそうなクルマを持ってる人に交渉しようとしたことだけは覚えてる…
場所が変わって、知らない楽器店、女性店員が3人いて、椅子に座って談笑してる
なんか、今ある楽器を売れば、新しい楽器の予算になる、買わないと、みたいな気分になる
なぜか障害者施設に持ってきてたギターがそこにあり、それをむき出しで持って帰ることにするものの、
女性店員はなぜかエレベーターの扉の前で談笑していて、言うと面倒そうにどいてくれた
夢占いとかウソで、基本的に普段の自分の行いとか、考えてることが反映されてるだけなんだろうなあ…😟
多分、記憶を整理するというか、脳の中の配線を繋ぎ変えるときに、
そのプラグを外したり付けたりすることで刺激される周辺部位とかあったりして、
夢を見るときに視覚野が活動しているというのは分かっているはず…😟
しかし、ここまで音楽のこと、音のことを、寝ても覚めても感がるようになるとは思わなかった
楽器がなくても、外にいても、ふと何かフレーズとかを思い出し、アレってそういうことなのかな…、みたいなことばかり考えてるし、
結局、音楽に逃げてる、逃げ場になってる、
子供の頃から最近までの自分は、絵とか、自分のためのプログラミングとかに逃げてたのに、
色々やらないといけないこと、雑用をほっぽって音楽に逃げるようになってしまった…😟
絵やプログラミングの話でもそうだが、やはり、正直悔しい
この年齢になって、やっと自分が大成しなかった理由というか、何か物を作るときはこうするべきだった、みたいなのが見えてきた気がする
自分なりに100点の結果が出せるまで、他人に見せようとか、公にしようと思わない
テストとか、何かの試合とかは制限時間があるわけで、嫌でも結果を他人に提出しなければいけないわけだけど、
自分の趣味となってしまうと、ある種そこに甘えもあるだろうし、
満足するまで公開しない、いつまでたっても完成しない、同じものをずっとこねくり回して、そのうちに嫌になってしまう…😟
デジタルで絵を描いても、延々とアンドゥを繰り返してみたり、納得しない一本の線が描けない、みたいになって、そこで破綻してしまう
まあ、そういうのは自覚がありはしたが、そういう自分の欠点をどう克服するべきかというか、
具体的な技術、方法論みたいなものも、今更になって見えてきた気がする
この年齢になって、改めて成功者のことを調べるに、天才は基本的に早熟である
もちろん、人生の後半戦、老人になってから急に才覚を現す人もいなくはないが、基本的に早熟、幼少期から何かが違う子供だったはずである
幼少期の彼らが理解したであろうことを、この年齢になった、しかも弱者男性の私が、何か気付いたぐらいでは遅いのである
人生、何周回遅れなんだ…😟
ここから成功するとか、そもそも、私は成功できなかったことより、悔しいことがあって、
例えば、音楽を40代で始めて、60で死んだら、音楽が楽しめた時間は20年である
一方、早熟な天才が5歳で音楽を始めて、60で死んだら55年楽しんだことになる
しかし、そもそも自分は音楽に強い興味ほどはなかった、どちらかというと幼少期に親に強制されたり、
なんとなく苦手意識があった、よくわからん、どうやったらあんなアドリブが弾けるんだ、
ド田舎で本を買っても、よく理解できなかった、いっぱいレコードやCDを買う金はなかった、
住宅街にはファミコン持ってるスネ夫、レコードやCDをいっぱい持ってるスネ夫、色々なスネ夫がいた、
おまえ、この曲知らないの?みたいにみんなにバカにされたりした記憶が今もある…😟
この時期になって、やっとカードが揃った感じがある
というか、人生いつもそうだった気がする
私はマージャンもカードゲームも駄目なのだけど、スヌーピーの配られたカードでというのはなんとなく分かる
みんなは運良くカードが揃っているので、どんどん技を繰り出してくるが、自分はカードがいつまでも揃わない
カードがずっと揃わないので、段々やる気がなくなっていく
それこそ、俺が死ぬ間際、棺桶に入る前の瞬間になって、そこで世界的成功者になったりしたら、何の意味があるんだ?
そう考えると、そういうコントロール不可能なことは、やっぱりほっといた方がいいんだよ、という自分の人生の指針に戻る気がする
人生のコントロールは不能だけど、揃ってるカードで、小さくて、誰にも認められなくても、落書きしてるだけでも楽しい!
みたいなそういう時間の方が、少なくとも自分にとっては人生のメインだったのではないだろうか…😟
https://x.com/kurtz652/status/1989872628560269507
なぜビジネスでやってる動画の人気に反して、SNS石丸を妄信的に信じている人たちはフォロー数が100以下のカスばかりなのか
比較的大手の稲中ものという人物ですら5000フォロワー以下のゴミばかり。
これは本質が石丸支持ではなく石丸や立花を介してルサンチマンを発現したいからだ。
まともな人は、石丸や立花自身は全く信用していない。都合が悪くなったら切り捨ててよいものなのだ。
本当のバカにして最底辺のカスだけが本気で石丸や立花を信じている
現代のインターネット上で、特定の人物(石丸伸二氏や逮捕された立花氏など)を支持し、他人を攻撃したり引き摺り下ろしたりする行為を通して「権力体験」を味わう人々をニーチェ哲学の視点から解釈すると、「ルサンチマン(Ressentiment)」と「奴隷道徳(Sklavenmoral)」の概念が中心になります。
ルサンチマンとは、フランス語で「恨み、怨念、復讐心」を意味し、ニーチェはこれを道徳の根源の一つと見なしました。
根源的な感情:自分の力の弱さや無力感からくる不満や屈辱感を、外部の強者や成功者に対する否定的な感情として溜め込むことです。
力の裏返し:現実の世界で自分の力を発揮したり、望む地位や影響力を得たりできない人々が、その鬱積した感情を「攻撃」という形で発散させ、一時的な「権力」や「優越感」を得ようとしている状態です。
ネットでの増幅:インターネット匿名掲示板やSNSでは、集団的な攻撃によって個人の責任が薄れ、また、相手を簡単に貶めることができるため、ルサンチマンを最も手軽かつ安全に発散できる場として機能しています。
ルサンチマンが根源となり、「善悪」の価値基準を逆転させるのが奴隷道徳です。
価値の否定:奴隷道徳は、「強者」や「主人」が持つ「力強さ」「大胆さ」「自己肯定」といった価値を「悪」として否定することから始まります。
自己の正当化: そして、「弱者」自身の持つ「謙虚さ」「従順」「弱さ」といった性質を「善」として祭り上げます。
ネット社会での適用:ネットでの攻撃の場合、攻撃対象となる「強者」(権威者、成功者、既存の体制)の欠点や過失を徹底的に暴き出し、「正義」の名のもとに集団で引き摺り下ろす行為が「善」であると正当化されます。
彼らの目的は、より良い社会の創造ではなく、既存の強者を無力化し、その没落を見ることで、自分たちの立場が相対的に上がったかのような錯覚(権力体験)を得ることにある、と解釈できます。
この現象は、ニーチェが説く生の根源的な衝動としての「力への意志」が、創造的な方向ではなく、破壊的な方向へと歪んで発現している例とも言えます。
本来、力への意志は「自己克服」「自己創造」に向けられるべきものです。しかし、現実世界でこの創造的な力を発揮できない人々は、他者を破壊し、引き摺り下ろすという消極的で容易な手段を選び、そこから「力を行使した」という一時的な満足を得ている、と解釈されます。
これさ
https://dot.asahi.com/articles/-/269221
こういう話よくあるけどさ
「普通という名の幻想」に対して「君は普通だよ?」っていうの、解決になってないと思うんだよね
たとえば「結婚するのが普通」だと思っている人が「普通になれない」と嘆いていたとして
「結婚できるのは特別なことで普通じゃない」という事実を突きつけたとして、その人の「結婚したい」は消えないと思うんだよね
本当はモノがほしいのに「お金がほしい」っていうような感じ
その人のいうところの普通=理想像・期待像であって、理想と現実(期待と結果)の差に悩んでるわけだ
じゃあその理想はどこから来たのか?と言えば、テレビやインターネットや、周囲の人、漫画やら雑誌やらだろう
もう遅いかもしれないが、本当なら理想像何か知らないほうがよかったし、周りの人の達成度は低い方がいい
まあそれができなくなっているのが今の世の中なんだけど(キラキラSNSを見て鬱になる現象)
残された方法として「実はその理想像は理想じゃなかった」という酸っぱい葡萄理論があるんだけど
これをやりすぎると今度は中国の寝そべり族のように、すべてを察して諦めてしまう人が増えるので難しい
成功者たちの不幸や「そんな良いもんじゃないよ」と現実を知らせるのは、溜飲は下がるが夢も失うので諸刃の剣だと思う
最も良いのは、せめてそれを人に話せる環境や繋がりがあったり、夢中になれる趣味があれば良いんだけど
趣味の一環として配信したりしなかったりしていて思ったんだけど
趣味の一環だけど他人が絡んでくるからどうしても色々やってみたくなっちゃうんだよね
でも配信って配信する人間と、それを見る人間が居るわけで見る人間に依存するような目標って立てても良いことないんだなって思った
弱小でも同じゲームやってると常連さんが出来たり、いろんな人が入り混じって小さいコミュニティみたいなのができるんだよね
それでコミュニティを大きくしたいとか考えだすとドツボにハマるんだろうなって感じした。
もちろん1%の大成功者が居て、その下に成功者が居て、その下に普通の人が居て・・・みたいなピラミッド構造なんだろうけど上を見やすいから
「頑張ったら俺(私)も有名配信者とまで行かなくても少しぐらい・・・」って夢を見るんだよね。そこに年齢とか関係ない
報われないとか普通なんだよね。数字を目標にするなっていうのはそういうことなんだろうなって実際にやってみて思った
毎日配信とか誰も興味ないのよ。だってお店が休業日以外で営業しているのは普通なんだから
決まった時間にやるのも普通なのよ。だってお店は決まった営業時間で運営してるんだから
退屈・飽きた・忙しいみたいな理由で来ないのも普通なのよ。だって他に優先するものがあるんだから
自分はそこまで承認欲求が強くないから、第一に「自分がゲームやってる横でワチャワチャしててほしい」っていうのが理想で始めたから今は割と満足してる
ただ来ない回はマジで誰も来ないんだよね。人が来やすい・来づらいタイミングとか関係なく、来るときは来るし居ない時は居ない
厳密に言えば裏画面とか横で垂れ流してる人は居るみたいなんだけど、コメントは一切来ないとか割と普通にある。たまにご新規のコメント来て「わあ~」って雑談するとかあるけど1時間もないんじゃないかな
そういうアクティブな視聴者を望めない時はスパッと配信終わることにしてる。BOTなのか肉入りなのか知らないけど、数字が動いてる時は一応垂れ流してる人向けに締めの挨拶は欠かさない
でもこれが原因で辞めてる人が多そうなんだよね
人来ない、コメント来ない、じゃあ配信付けずにやってても同じジャンで活動終了のパターン
もしくは開き直って本当の意味で垂れ流し配信をする人も居るけど、こういうタイプも気づいたら居なくなってる
自分みたいに「企画ヤダ、営業活動ヤダ、定期配信ヤダ」の人間に常連が居ついてくれるだけ有難いと思うんだよね。還元する気とかはないけど
何年も続いてる人達(コメントに困らない程度の配信者)はある程度人が確保できてるからダラダラ続けられるんだよね
もちろん5年後になったら全員消えてるかもしれないけど、少なくとも今年中に消えるって人はそう多くないと思う
そこに至るまでに色々あるんだろうけど、もしかしたら運が良くて質の良い視聴者が来てくれたのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない
継続は力だから結果が出なくてもやろう!とか言えるのはガチの狂人か圧倒的な適性を持ったやべー人間だけで、それでも金を稼げない、人が集まらない可能性があるよね
お笑い芸人なんかもそうだけど継続しても芽が出るのが20年後でもおかしくない世界だよね。錦鯉?の二人とかキャリアすごいって話だし
だから結局のところ、趣味の一環で配信をしている自分みたいな人間は負担にならない程度に細々とやっていく方が楽しめると思うんだよね
欲を言えば自分がどんなゲームを配信していてもコメントが付いてるとめっちゃ嬉しいけど、まあよく知らない野郎の音声が乗っているよく知らないゲームの配信を見つけ出す人もそう多くないよねって感じ
だからある程度コメントが欲しいならゲームと配信内容は選ぶべきだし、自分は選ばれし人間でそんなことないって思うなら極端に振り切るのもいいんじゃないかなって思う
でも9割ぐらいの人間は配信するなら自分と同じスタンスの方が適度な満足感を得られることを保証するね
Twitchとか見てるとよく「〇〇までに▲▲する」みたいな人居るけど、9割ぐらい未達成で終わりじゃない?無謀な挑戦にしか見えないから「やっぱりね」で終わっちゃうんだよね
他の配信者と繋がるためにやってる配信とか、あれも一種の配信スタイルだなって最近思い始めた。ああいうの嫌いだから絶対に視聴しないけど有名配信者の模倣がしたいならアリだと思う
「この界隈に貢献するためにやってます」みたいな配信は大体がそういう建前で、本音はそれを踏み台に注目されて営利活動がしたいだけ。企画も何もしない
若い子が多いから分からないのかもしれないけど、明け透けなやつって配信からもそういう思想が透けて見えるんだよね。話してる時に営業の奴らの狙いが透けて見えるのと同じ
どういうところがコメントに困らない程度に人が集まってるかっていえば大体は至って普通に遊んでる人のところに集まってる
普通にやるだけじゃ人が集まらないのは真理なんだろうけど、奇を衒っても明け透けで人が離れていくのもまた真理だなって体験してみて思った
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E4%BB%B6%E8%82%AF%E5%AE%9A
もし P ならば、Qである。
Qである。
したがって Pである。
簡単な例
成功者「本を読めば読むほど成功する。私を見れば分かるだろう」
イケメン「女を口説くにはやっぱ上手い下ネタだよね。俺はこれで何人も落としてきた」
天才「やっぱり学生の時に限界まで苦労したほうが人間成長できる。私なんてほとんど寝ずに勉強した」
モデル「ちゃんと運動すればご飯なんていくら食べても太らないよ。見なよ私のプロポーションを」
何でいちいち騙されるんだろう
成功者の話は何の参考にもならない。
ピラミッドの上澄みでキラキラ輝きながら活躍しているクリエイターの話なんざ、マジで何の参考にもならない。
俺の目はギラついてる。
でもそれは野心ではなく、給料日までどう生きるかとか、借金の事とか、能力が低いのに年齢的に他の仕事もできずに今の業界にしがみついていくしかない絶望とか、幸せな家庭を築く同級生への嫉妬とか、そういうドス黒いものだ。
とあるライブ配信で今活躍している映像クリエイターたちの話を聞いていたが、良い大学を出ただの、いい会社に就職しただの、海外で生活してただの。おそらくいい家庭に生まれて親に金銭的な援助など受けながらクリエイティブの道を進んでいったんだろう。
スタートが違いすぎてほんと何の参考にもならない。
そして応援されながら晴れて独立。案件の話で出てくる名前はどれも聞いたことのある有名人。デモリールも芸能人や大企業案件ばかり。
俺は零細企業で営業職や事務所を経て、未経験の編集マンとして映像業界に入った。他の仕事は全く向いていなかったが、唯一映像編集だけがなんとか仕事としてこなせたという理由で。
美大卒や広告代理店出身者みてーに横のつながりもなけりゃクリエイティブ仲間すらいない。本心では労働なんかしたくなくてダラダラ生きていたいのに、ギリギリ社会の一員として何とか生きていく術がこれしかなかっただけの人間だから、向上心なんて物もない。
何歳までこの仕事が続けられるかとか、金がないとか、只でさえそういう不安で常にいっぱいなのに、AIに仕事を奪われるという恐怖が目前に迫っている。
こんな底辺の人間がどう生き残っていけるか、みたいな救済の話は誰もしない。それどころか、そんな人種はあたかも居ないかのように、誰もそういう底辺の話には触れない。触れようともしない。
てめえらはスーパーの半額弁当を買えて喜んだ経験はあるか?意外なところから小銭が出てきて嬉しかったことは?タバコが無くなったと思ったらまだ箱の中に一本だけ残ってたってだけで良い気分になれるか?給料日にウキウキしながら高めのカップ麺を買う気持ちがわかるか?
嫉妬とか怒りとか憎しみとか恨みとかやるせ無さとか、そう言うものがドロドロに混ざった燃料を原動力に俺は動いている。
お前らはなにが原動力なんだと疑問に思う。
俺らみてーな底辺みてどう思うんだ?
視界に入らねーのか?
クソが。
僕の分まで頑張ってね、応援してるよ📣
世間的には良くないとか金で女を買うのは虚しいみたいな風潮あるけど
しかも自分を高く売らないのでびっくりする安さで金の心配がない
なんで結婚したり美人と付き合ったりしても満足できなくて別れたり不倫したり不満がでるのかわかったわ
成功者だろうがなんだろうが所詮一人のある程度年齢いった女性としか性的なことできない縛りができるからなんだ
「なんで俺成功者で美人と結婚したのにこの美人一人としかセックスできないんだ?むしろ真面目に生きなきゃいけないプレッシャーで生きづらいんですけど」
ってことになるんだな
ムチムチの子でおっぱいちゅーちゅーしながらお尻さわって赤ちゃんみたいな状態でずっと抱き合うプレイしてる
こういった発散が無いからストレスが爆発してある程度地位とか名誉ある人が盗撮とか痴漢とかしちゃうんだろうな
こういう本当の欲望を解消する発散があるの最高だわ