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はてなキーワード:懺悔とは

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2025-12-15

anond:20251215132339

すげえ分かる

なんというか、一定懺悔室を必要とする人っているよなって最近とても思う

別に誰に聞いて欲しいわけでもない、

まあできればカウンセラーかに傾聴してもらったり、すべての状況を客観視してるもう一人の自分みたいなのがいたら、

そういう人に話せばいいのかも知れない。そういうわけにもいかんのが現状なんだけど。

個人信条により、信じる全能の神がいて、

神に話を聞いてもらって赦されたい、みたいな感情はみんな持ってる気がするんだよなあ。

ChatGPT相手ペラペラ音声入力するのも違うっていうか。

そういう静謐空間が欲しい。

Permalink |記事への反応(1) | 13:31

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2025-12-12

anond:20251211105224

私も私生活個人的関係で、流石にそれは人道的にというか、普通に人としてどうよ?と思わされることが多々ある人生ではあったが、

流石にネットで名指しはしない、というか、暗に名指しをしたりして揉めた、その件で私がBANされたりもあったので、

こうして懺悔したつもりになってなにか救われましたか

人の振り見て我が振り直せとは思わんのか?

庵野だってバカじゃないし全部わかったうえでやってるんだよん

Permalink |記事への反応(0) | 11:05

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2025-12-10

割とPixivでもランキングに載ったりすることのある絵描きです、懺悔しま

実はイラスト描く時に、まずはStable Diffusion使って叩き台になるキャラ原案を出してます

そしてその原案になるAI絵を基にして三面図を作り、汚い部分やあやふやな部分は自分ブラッシュアップしてから

今度はそのキャラ自分で描いてます

絵そのものは1から自分で描いてるからAI証拠は一切残りませんが、原案AIです

どういう風なデザインがいいのかをうまく考えられず、AI絵という原案でズルしてます


AIを嫌う人達にバレたら確実に燃やされ、絵描きとして殺されるかもしれないので、ここで懺悔しま

私が誰かと分かっても、燃やしたりしないでください

Permalink |記事への反応(0) | 12:37

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2025-12-04

とかくこの世は生きにくい、しかし「ネガティブ」だと余計生きにくい

生きにくくさせているのは自分脳みそ思想

自分がこの世界を「生きにくい」と思わせているだけ

ネガティブは時に保身だが、ネガティブ自分の心と人を遠ざける

なんでも失敗もミスポジティブにとらえるようにすると

なんと、この世は少しはわたしの味方をしてくれていたんだと気づく

捉え方ひとつ自分

この世を好きになるか嫌いになるかって本当に言葉一つで変わる

この世界に生まれ意味懺悔で産み落とされ

良い行いをすることによって(献金天国にいけるよ!なんて

現世を犠牲にしてまで、自分は罪深い人間だと思わなくていい。

宗教を信じなくてもいい。自分の考え方を変えるだけ。

あくまでも精神モチベの話なので

物価高はこの件では関係ありません

Permalink |記事への反応(1) | 09:31

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2025-12-01

X(旧Twitter)にもの凄くギスギスを感じる

自分はXでいわゆる趣味アカを持っているのだが、本当に何年か前からスギスを感じるようになったなと思う。

界隈の中での煽り煽られは日常茶飯事、こんなポストにすら批判が付くのかよともはや呆れるレベルで止まない誹謗中傷陰謀論をマジな顔で語っていそうな“ホンモノ”など…。この嫌な空気感を作り出しているであろう原因を考えたら枚挙にいとまがない。

じゃあ辞めれば良いじゃんと言われたら本当に正論でぐうの音も出ないのだが、悔しいことに世間様のニュースなど情報収集をするためのツールとしてこの上なく便利な物ということで体に馴染んでしまっている。

複数メリットのために少量の猛毒を甘んじて体に入れているといった感覚に近い。

今、Xに感じるギスギスについて自分経験則主観ベースで考えてみる。

現在28歳の自分インターネット歴について。

中学生の頃(確か当時2011〜2012?とか)に初めてTwitterアカウントというものを作った。

現在リアル世界の繋がりを色濃く感じやすく、謂わゆる陽キャの利用率が高いSNSと言えばInstagramだと思う。

ただ、当時はInstagram若者向けの主要SNSとして普及する前だったはずなので、当時の若者たちにとってTwitterとは実名で謂わゆるリア垢を運営する場所だったのかなと思う。

実際、自分の周りでも実名Twitterアカウントを持っている同級生などが結構いた。

(自分陽キャ側じゃないのでアカウント名も実名にせず、クラスのごく一部の人間をフォローするだけにとどめていたが。そしてすぐ辞めたはずだし。)

反面、陽キャたちのリア垢運営が主要フィールドとも一概には言えず、当時からアニメアイコン面白おかしネタツイートをするみたいな風潮は全然あったと記憶している。

自分主観で言うと当時のTwitterは「健全(?)なリア垢運営をしている若者たちと、今みたいに半匿名アカウントを動かしているもののギスギスした空気を纏わず面白おかしいことばかり言っていた人たち」で主に構成されていたのではないのかなと感じる。

その後高校生になり、同級生からの勧めで自分もようやく実名アカウントを作って中高の同級生たちとの交流ツールとして使用していた。

それと同時にこの時期にInstagramが今のようなSNS運用を始め、若者たちがこぞってそちらに吸収されていったような記憶

自分高校生大学生をやっていた2013〜2018辺りは(これももちろん主観だが)当時の若者たちのリア垢的コミュニティ場所が段々とTwitterからInstagram移住していったという感覚

そしてこの若者リア垢移住期に、いまいちインターネット慣れしていないおじさんおばさん世代Twitterというものを見つけ、介入してきていたのかなとも感じる。

松本人志なんかは2013年5月Twitterに参入しているらしい。別に松本のことをインターネット慣れしていない痛いおじさんと言うつもりはないのだが。

また、実は自分中高生大学生前半の頃くらいまで2chにも手を出していた。だいぶ終わり散らかしている若者この上ない。

正直に懺悔すると、当時のなんJなどで今だったら考えられないくらい平気で贔屓のプロ野球チームの選手に対する罵詈雑言などを書いていた気もする。

もちろん当時だろうと今だろうとそんなこと道徳的な話で言ったら許される訳ないのだが、当時は2chという「自ら覗きに行かなければ見えようがない場所」にそういったギスギ空気形成されていたというだけまだマシなのかもしれない。

繰り返すが過去自分言動正当化するつもりは無い。やってたことがだいぶ気持ち悪いのには変わりない。

最近、ふと思い出してなんJを覗きに行ってみたところ、書き込みスレ全然無くてすっかり焼け野原と化していた。

しかしたらどこか別の板がまだたくさん人がいるのかもしれないが、それでも自分学生時代の頃ほど2ch(今は5ch?)という文化のものに対する活発さは感じられない。

話を本題に戻すと、ここ最近Xに対して感じるギスギスとした嫌な空気はいつぞやの2ch空気と似ているなと感じる。

これって、「当時だったら2chに流れ着いていたであろう層」が2chの廃れとX(旧Twitter)の陽キャ成分の薄まりにより、Xに流れ着いているから起きている現象なのでは?と思った。

加えて、近年になってインターネットを色濃く覚えてしまったおじおばが流入し、良くないタイプ陰謀論などに洗脳されて声高々に叫んでいるという状況も追加で。

陽キャ成分が他のツール流出していったことと今までインターネットの負の部分であるスギスの受け皿になっていた場所の廃れ、そしてネット慣れしていない年齢層の流入という色んな要素が絡まり合って現在のXというカオス魑魅魍魎空間が出来上がったのかなと感じた。

そういえば結構前にInstagramを見たところ、(詳細は忘れたが)有名なアカウントのコメント欄匿名で異常な数の誹謗中傷が書かれていてちょっとドン引きした。

しかしたら自分が知らないだけで、もうInstagramも良くない層に見つかって既に流入を許しているのかもしれない。

インターネットというのは歴史を繰り返す場所になりつつあるのかもしれない。

Permalink |記事への反応(0) | 22:27

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ハプバー単女、オーナーガチ説教される

酔っ払いはついにハプバーオーナーガチタイマンをはりました(カウンターで)

「ハプバーは心の処方箋

見た目いかついオーナー

「ハプバーは長年沼ってはダメ

そんなの知っています・・・

私もアラフォーの域に達しているし

この行為は極限40歳までが終わりだと思っている

その数年の淡い浅はかな瞬間で一瞬でも快楽を得たい人間刹那

私がここに来た本来意味仮面をはがした

というかこの話を一番にハプバーで持ち出したくなかった

ハプバーでは出したくなった心の闇の提示だった。

そうしたら

「そういう人は、実は大勢いる」

何故かその言葉で少し救われた

家庭環境や複雑な幼少期により

ねじ曲がった性欲の解消のはけ口としては有効な唯一の砦がハプバーだとしたら・・・

そのオーナーの含蓄のある言葉に私は涙を禁じ得なかった

私の行為は罪であるのはわかっている。

海と毒薬戸田懺悔可愛いほどの悪事なのはわかる。

けど、そういうのを差し置いてでも

私は

いつでも死ね環境の「生」において

「性」を欲しているこそ

後悔したくないき方をしたい=ハプバーだったのか

いつでも「死」の覚悟はしているし

なんならすぐにでも「4の世界に連れていってもかまわない」

それが明日ならば、私は抑圧されて生きてきた衝動を開放してから死にたい

後悔はしたくない

から私は「性欲」に貪欲に生きたい

闇落ちした人間にはかかわらないほうがいいのに

私はそんネガティブ目的でハプバーにいっているわけではない

私は心を笑顔にして

明るく、ある意味「その死んだ事実を見ないようにして」振舞っていたのに・・・・・

Permalink |記事への反応(0) | 00:06

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2025-11-30

果てしなきスカーレット ネタバレ感想

話題になってたので観てきました。

・予習としてハムレットダンテ神曲のあらすじを頭に入れて挑む。物語下地にはなっているのだろうけど、個人的には知らなくても問題なかったな。

ハムレットから換骨奪胎ぶりが面白いとの評判だったが、個人的にはそもそも悲劇を描こうとしてないしハムレット派生作品として見るもんではないなと思った。単純明快勧善懲悪作品に思った。細田守らしい子供向けを意識する。ハムレットとしては、王様が意地悪に叔父に殺されて復讐心燃えるハムレット、毒で殺すつもりが毒で死ぬ叔父、まぁ様々イベントは似たことが起きる。が、知ってても知らなくてもどうでもよく思う。レアティーズいないし。

神曲への解像度は私は低い。世界文学的ものごっつい大事作品で、地獄から煉獄天国への長い旅を、様々な著名キャラ出会い別れながら進む神聖なる喜劇、的な理解あんまり知らない。スカーレットでは舞台としては準えてるけど、下地として何か作用しているようには感じなかった。棺桶のシーンとかは関係してそうに思ったけど、それは神曲を知ってないといけないかと言われるとそうは思わなかった。それともそれは重要なシーンを無理解に進んでしまった私の不甲斐なさかもしれない。

時をかける少女宣伝に持ち出されたのは、まさに時をかけていたから、かな?安直だけど。


・一つ一つのシーンの絵作りは前評判通り、どれも美しく素晴らしい。

特にスカーレットが可愛すぎる。表情ひとつひとつが愛おしい。

・シーン一つ一つが夢の中って感じ。私は村上春樹世界の終わりとか、海辺のカフカとか好きなので、こういうの好きぃ…ってなった。

現代に生きる私を写像した先のスカーレット写像する世界ってのは、ナーロッパ的な中世であって、銃が存在し、僧がおり、アフリカとか南米とか、色んな文化が表層的に混じり合う。作中では、過去未来も生も死も混じり合う世界とわかりやすく何度も表現される。細田守最高だぜ。こういうファンタジー大衆を入門させてくれてありがとうだぜ。私はこういうのが好きだ。

・服飾考証しっかりしてるとの事前情報通り、私はよく知らんけど多分しっかりしていたと思われて、その解像度のおかげで、地獄の狂い具合が鮮明で面白い。混じり合って混沌としている。

産業革命以降の武力が作中に存在しないのは、それが我々にとっての現実の脅威だからだと思う。この作品ファンタジーなんだ。力強い線引きを感じた。

渋谷ダンスシーン、きたきたぁ!!ってなった。幾原的な心象風景かと思ったら丁寧に前段から渋谷という箱の舞台を歪にチラ見せしたりしてて、思ったより浮いてはいなかったかな。いや画としてはバチクソ浮いてたけど。まぁ意図はかなり明快に伝わった……と思ってる。でも現代の子どもがこの渋谷や踊りを自分ごととして捉えられるかというと疑問よなぁ。現実描写できない制約の中でのスカーレット心象の箱庭、非現実の作中での現実としての非現実としては面白い画だった。私→スカーレット→聖→スカーレット渋谷クール

・宿の主人、てのが登場人物紹介にいたが、作画として特徴的だなと思ったが映画の中では短いシーンだった。でも重要役割だったんかなぁ。

スカーレットの成長を見守るおじさんの気分になった。私も歳をとったなぁ。

・聖、なぜお前は矢を放った……?抑止力はその装置を発動させてしまったら終わりだ。それはお前の思想矛盾しないのか。観終えた後、ダンテでいうと七つの大罪のシーン中だと振り返ってみるが、結びつけるには苦悩する。いやこんなん結びつけなくてええかってなった。……いやでもまじで意味わからん。知りたい。

雑魚雑魚悪役にレアティーズかい名前が付けられてるのも何か関係あるんか……?

ハムレットにおけるクローディアスの懺悔は本物の神への懺悔現代日本では神への信仰が薄く、物語でもあまりに薄情。

天罰は全てを解決する。…ってそれでええんかいな。

最後キスと涙が商業的すぎて泣けなくて泣いた。しかし世の中の大衆はそれが好きなのだろう。届ける先のニーズに応えようとする様はえらい。これを描くには時間が足りない。

・争いよりも友好を、憎しみよりも愛を。これはもっともっと丁寧に描いてほしい。もう1時間割いていい。3時間でいい。…でも忠実に2時間に収めて偉いなぁ。細田守はすごい大衆作家だ。


文学的作品として観たら不評の嵐になるのはなんとなく感じるが、私は素養がないのでその辺はノータッチで。

芝居も映像はやっぱ最高のクオリティだ。映画館で観て良かった。地上波でも家でも観たくない。

価値観も好きだ。物語の壮大さも好きだ。でも、ラストだけはちょいと心残りだなぁ。

オマツリ男爵もだけど、細田さんはラストへの拘りや興味があまりない……?

作家メタれば、前半の苦悩や憤怒の感情はきっと描きたいものであったとは思う。

でも作品として本来目指す描きたいものは、それなりに人間の根源的なもの思春期の頃に精一杯みんなが考えて悩んでほしいことで、大人になっても向き合って向き合って考えていきたいことだとは思う。

その勧善懲悪は良いが、憎しみへの向き合い方としての成功例としてこのように描くにはご都合が良すぎるように思った。特に聖の矢とクローディアスへの天罰

現実でいうと、例えば中共オラオラしてるのを武力を持ってやめろやめろと脅すまではいいけど実際に刃を抜いたら戦争なっちまうやん、対話で友好を目指そうぜっていう作品にしたいのにさ、殺しちまったらそれは勝てば官軍ストーリーやん。現実では為政者落雷で都合よく命を落とすわけないやん。殴ってきた相手を殴り返してはい終わりになるわけないやん。スカーレットが殺してなくても、殺す味方が代わりに殺してくれたありがとーは、私は、同罪だと思う。目を逸らすな。私はそれは嫌いだ。

利己的な活動と、利他的活動バランス攻撃性と社会性のバランス自己家畜化した我々が、より家畜化できる先を目指したいんだ。攻撃すんなと説くだけでは、攻撃的な人間独裁的に得をするゲームバランスは崩れない。我々は山上を生まないですむ社会にしなければならない。そういう思想のもとで、細田守は何をどう伝えたかったのだろう?だから、聖が矢をもって暴力を振るったことへの解説をまじで教えてほしい。教えて!!

Permalink |記事への反応(0) | 12:42

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2025-11-24

【秘宝】サナヌード要求される

誠意=懺悔ヌード

Permalink |記事への反応(0) | 20:03

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anond:20251124143910

キリスト教免罪符無効化しないとダメだ、と言ってプロテスタントが生まれたがユダ懺悔すらしてない。

懺悔が悔い改めの証明にはなるとも限らないが、許される道がなければ人が動員できない。

倫理なき資本主義は、逸脱を許さな共産主義を怖がり彼らを懐柔しようとする。

一方、共産主義資本主義批判するが、資本主義成立過程批判することはない。

通貨発行権の発生と武力による独占。証券市場による通貨価値の水増し。共産主義はもはやドル人気を盛るために維持されているだけだ。

ドル主義ドール主義なのさ。

Permalink |記事への反応(0) | 15:21

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2025-11-23

細田守は『ハムレット』を一行も読んでいない。

『果てしなきスカーレット』を観た。

細田守云々を抜きにしても激クソにつまらない映画であり、業界人がかろうじて擁護している映像美的な部分も近年の人気作品指輪とゲースロとマッドマックスアナ雪とエルデンリング)の寄せ集めでしかなく陳腐まりなかったのだが、それは俺個人の感想で、別に他人が褒めようが貶そうがどうでもよい。はっきりいって細田守と見れば何でも叩こうとする今のネット環境のほうが異常だ。むしろ、今細田作品擁護しようとするほうが勇気ある人間だと言っていいだろう。

そう思い、SNSでは感想を控えてきた。


が、そのSNSで見てしまったのである

「『果てしなきスカーレット』がわからないやつはシェイクスピアという古典がわからないやつだ」とほざいているスカ褒めポストを。



はあああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜????????????



おまえ、『ハムレット』観たことある? 誰の訳でもいいから、読んだことある??????

筋とかキャラクター、知ってる?????


もし知ってたら、「『果てしなきスカーレット』を理解できないやつは『ハムレット』を知らない」なんて、口が裂けてもいえねえぞ。


『果てしなきスカーレット』を『ハムレットベース物語として観た場合基本的には「『ハムレット』を読んだことのない人間イメージで作った」という結論に至るのが自然だ。


前提として、ある古典を、それも何百年も前の物語に則って何かを作ろうとする場合原典より、より濃く、深く、複雑に作ろうとするだろう。最低でも、原典の味をそのままにしておこうと考えるはずだ。

それをあろうことか、細田守は鍋に大量の水をぶちこんで薄めてしまった。

たとえば、敵役たるクローディアス。『スカーレット』でも『ハムレット』でも主人公が付け狙う憎き叔父だ。

スカーレットの終盤(ネタバレ?知るか)、クローディアスは後悔をにじませながら天上の存在祈りを捧げる。

始めは俺も「おや」と思った。

というのもこれは『ハムレット』にもあるシーンだからだ。クローディアスが前王殺害懺悔する(しているように見える)場面。

それまでシンプルな悪役だった『スカーレット』のクローディアスにも事情があって、実は複雑なキャラクターの持ち主だった……とひねるのは、展開的にも今の世界を描くというテーマ的にも効果的ではないかもしかして、多少は脚本がうまくなったのか、細田守


だが、その期待は十秒後に裏切られるクローディアスの懺悔は偽の懺悔だったのだ。彼はどこまでも単純な悪でしかなかった。


この調子で、一事が万事原典キャラクターたちが改悪されていく。

ローゼンクランツとギルデンスターンは多少しょうがないとはいえ母親のガートルードはひどい。『スカーレット』ではマクベス夫人的な要素を持った「悪女」として描かれるが、その背景となる物語動機ほとんど描かれないので、ただの淫奔な毒親しか見えない。『ハムレット』では、わけのわからん息子と現在の夫とのあいだで板挟みになって苦しむかわいそうな人だったのに。

しかし、一番かわいそうなのはレアティーズだろう。ハムレット恋人オフィーリアの兄にしてハムレットの良き友人。しかし、ハムレットが原因でオフィーリアが死んでしまたこから仲違いし、最終的には殺し合うことになるという、ハムレットもっとも激アツなキャラのひとりだ。

このレアティーズが『スカーレット』では「クローディアス率いる悪の組織幹部C」くらいのポジションになり、特に深堀りも見せ場もないまま、小悪党として惨めに退場していく。

ハムレット』を一行でも読んだことある人間なら、まずこんな扱いは思いつかないはずだ。


とはいえ細田守が『ハムレット』を読んでいないとは思わない。タイトル釣りだ。

読んでいる証拠は、両作にとって重要なくだりである「父王の亡霊が語りかけるシーン」にある。

ハムレット』では冒頭に死んだ父王が現れ、ハムレットに「復讐せよ」と語りかける。これがそもそも悲劇の始まりなのだが、『スカーレット』では父王の亡霊を逆にラストに置き、「復讐」や憎悪とは正反対優しい言葉をかけてスカーレット復讐呪縛から解き放つ。つまり、父の言葉が『ハムレット』では呪縛、『スカーレット』では解放になるわけだ。

巧い反転だとは思う。そもそも物語と話運びがカスでなかったならば。

ハムレット』にはこういう嘆きがある。「この世の関節が外れてしまった」。弟が兄を殺し、その妻を奪い、正統な後継者である兄の息子から王位簒奪する。狂った世界である。こういう狂った世界を正すには自分が狂うしかない、というのは『ハムレット』のひとつの読みだ。

スカーレット』で描かれる現代世界鏡像としての作品世界も「関節が外れてしまった」世界といえる。だから、『ハムレット』をベースにするのはある意味で正解ではあった。だが、狂い方に失敗してしまった。狂えなかったのだ。だって細田守って世界とかたぶんどうなっていいって思ってる人だもん。常に「個人」と「自分」を描いてきたことは、これまでの作品証明している。

ファンの中には「これまでの得意分野を捨てて新しい領域に挑戦したこと評価すべき」との声もあるが、ファンタジーも古典もなめくさった扱いしかできないのに、なにを評価しろというのだろう? 人には向き不向き、そして心を込められるかどうかがある。

『竜とそばかすの姫』は駄作だったかもしれないが、少なくとも細田守の魂が幾分かは込もっていた。だが、『スカーレット』は? これこそ、虚無以外の何物でもない。


おそらく、『ハムレット』の「生きるべきか死ぬべきか」という名台詞に「生きること」という作品テーマ見出したのだろう。別に間違っているとまではいわないが、安易にすぎる。全体的に、安易にすぎるのだ。序盤で、坊主頭の聖を始めてみたスカーレットが「僧侶か? なら寺に行け!」というセリフがある。素でよくわからないギャグだろう。これは『ハムレット』でハムレットオフィーリアにかける「尼寺へ行け!」という有名なセリフオマージュだ。

なるほど。だから

からない。俺にはなぜここで「尼寺へ行け!」の引用が出てくるのかまったく説明できない。意味脈絡もない。

スカーレット』の問題は、『ハムレット』にかぎらずあらゆる要素がすべてそのような安易さの織物で出来ていることだ。どこかで聞いたようなセリフ、どこかで見たような展開。すべてが軽い。


からSNSの民よ。

俺の前のもう二度と「古典がわからないやつは『スカーレット』がわからない」などと言ってくれるな。お前も『バケモノの子』で『白鯨』がどんな扱いされてたか、観ただろ? ああいうやつだぞ? 細田守っていうのは。お前たちはどうせ『スカーレット』を映画館で一度っきりしか観ないのだろう。SNSマウントを取る目的で観て、明日にはもうきれいさっぱり忘れるのだろう。

だが、俺は今日も観る。初日と土曜で一回ずつ観て、また今日も観る。なぜって?


細田守ファンからだ。

Permalink |記事への反応(19) | 04:14

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2025-11-21

中国人性欲ヤバい早苗懺悔ヌードで案外丸く収まるんじゃない?

Permalink |記事への反応(1) | 10:22

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2025-11-07

anond:20251107132144

出来るひとが出来ない人に例を示さないと始まらないだろ

宗教で言う懺悔みたいなもんだよ

悪い事してたけど悔い改めたってみんなの前で言ったらめちゃくちゃ褒められる文化があるけどそれをやるんだよ

例えば、お前は自分絶対差別もしないし差別意識も持ってこないっていう超人じゃなければ、自分差別意識と向き合ってどう向き合ってるのか、あるいはどう克服したの話すことが出来るだろ?

それをやって褒められる

それを聞いて自分もそうかも

そういう環境を作ろうよって話な

ちなみに俺は出来ないけど

Permalink |記事への反応(1) | 13:25

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2025-11-05

anond:20251105105010

辛いラーメン食べると良いぞ。

辛い痛みで失敗を懺悔するんだ。

ごめんなさいごめんなさいと思いながら辛さに耐えることで罪を償える。

美味いし罪を償えるし一石二鳥だ。

これを懺悔ラーメンという。

Permalink |記事への反応(0) | 11:26

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2025-10-05

懺悔

今まで俺、人との会話の中で自分いかに有能であるかどうか、ってことを示そうと躍起になってたんだよ。このスタンスでどんだけ人と接してても何か違うなってずっと思ってた。

で、最近気づいた。俺は有能の証明をすることで人から尊敬を得たかったんじゃなくて、人からリスペクトされたかったんだと。それも、有能だからすごい、というリスペクトではなく、ただ人として尊重されたいっていう意味リスペクトね。

今までの人生自分が有能でないと尊重されないものだと思い込んで、有能ささえ証明してしまえばこちのもの、と言わんばかりに人に傲慢に接してきた。「人として」みたいなところを内心では目指してたのに、ずっとずれてたんだな。

今後どうしよう。自分のズレに気づけたのはいいけど、知識ひけらかし癖と人に対する傲慢な態度ってどう矯正していけばいいんだ。人と上手く話せない辺り、これ以外にも認知の歪み多そうだしな……。

Permalink |記事への反応(1) | 16:16

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2025-10-04

知らないうちに性加害者になっていたあの頃の話

私は性加害者です。十数年前、そうと知らずアセクシャル男性性交渉に及びました。

彼は私の恋人であり、夫でした。とても優しく、聡明で、愛らしく、尊敬できる人物でした。

私は彼と恋人夫婦からできること…キスや、セックス子供を作る、そういうことを望み、それをしたいと伝えました。交際期間と夫婦であった期間を含めると十年、そのあいだでそれが叶ったのは二回、いずれも殆どマグロの彼に奉仕して慣らしてない穴に(私はゴムを着けてと言っているのに)ゴムなしで突っ込まれ勝手に出されて終わったものですが……つまり私は少なくとも二回は彼を強姦したのです。

夫婦生活スキンシップが極端に少なく、寝室は別、せっかく結婚できたのにとても孤独でした。

ある日、リビングで眠っている彼の身体に触った時、まるでレイプされかけたように彼は叫び、私の手を払い、寝室に逃げこみました。

私はショックで家を出て、彼に酷いことをしたお詫びとその日は戻らない事を伝えました。

そして、彼が落ち着いてから、このような状態ではとてもじゃないが夫婦関係を続けることが二人の為にはならない、離婚をしたいと告げました。

そして、彼は自分アセクシャルであることをカミングアウトし、アセクシャルであるが私の事は手離したく無いため結婚した。手元に置いて置くためにセックスもした。と告げました。

彼を理解しようとアセクシャルについて調べれば調べるほど、私が彼に要求した事は非道であり、醜い行為だったのだと思い知らされました。

性欲を持たない彼は綺麗で、性欲をもつ私はなんて醜いんだろう。

そんな生活を続けていたうちに自律神経を壊し、私は働けなくなりました。「そろそろ三十歳だし、今のうちに子供を作ってしまえば?」と上司は言いました。

「実際に帰って療養したら」と彼は私を実家に返しました。その間に、他の女性を連れ込んで居たのですが……

そのまま彼から連絡らしい連絡もなく、義両親から彼の欄が埋められた離婚届が送られてきました。

私は性暴力加害者であり病人なので、有責になるため慰謝料請求しないだけましだと思え。と言われました。

今でも、性的同意や性暴力性的DVの話が出るたびに加害者である自分がとても醜く、非道人間だと感じます

アセクシャルの方が性行為に対して「虫が嫌いなのにゴキブリを食わされるようなもの」と語っていました。そうです、私はゴキブリなのです。そしてゴキブリを食わせた当事者なのです。

レイプ犯です、変態です。犯罪者です。

ずっと孤独に惨めに幸福なんて感じないように生きる事でしか償えないのでしょう。

最近自分と同年代の人が立て続けに亡くなり、私もそろそろ余命が見えてきたので死ぬ前の懺悔でした。

まれ変わったらアセクシャルになりたいです。

Permalink |記事への反応(1) | 23:28

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必要の無い仕事を俺なりに考えてみた

コンビニスーパー個人雑貨店使え

郵便配達ゴミみたいな宣伝用の封筒ほとんどもはや無用

宅配スーパー個人雑貨店で受けとれ

ウーバー→食いに行け

地方議員ジジイババアボランティアしろ

通勤リモートワークで働け

小池百合子恫喝脱税学歴詐称!さとうさおりにかわれ

質の悪い外食→家で作れ

ニュースデマばかり、不要

新聞配達不要

NHK不要

精神科医患者なおらない、不要

美容整形外科→何百万使うんだよ。二重整形以上は我慢しろ。楽して稼ぐな。懺悔小児科しろ

コメダ→これは必要

ますだ→男女嫌悪デマばかり、不要

キャバクラ→つまらない、無駄

自民、立憲、国民議員→とっととやめろ

派遣会社奴隷屋?きえろ

みんなも無用仕事教えてくれ

https://anond.hatelabo.jp/20251003180319

Permalink |記事への反応(1) | 09:36

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2025-09-17

ザンギエフへの懺悔、なんだけどね、

昨日は眠いから仕事中に寝ました

もうしはげない

Permalink |記事への反応(1) | 04:49

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2025-09-13

anond:20250913012507

夫と自分は状況が似ているな。すまんな。ちょうどいいので懺悔するよ。

毎日が締め切りで毎日8月31日状態なんだよ。

子供と一緒にいても上の空で思考に没頭してしまうんだよ。

Permalink |記事への反応(0) | 01:31

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2025-09-09

少年の日の思い出

少年のころ住んでいた家の近所の高台にレンガ作りの小さな教会があった。

神父(牧師?)のお爺さんと、綺麗なシスターのお姉さんが三人いた。

日が沈んだ頃、教会の裏庭で讃美歌を歌う慣わしのようで、毎日シスターたちの三重唱が響き渡っていた。

その教会にはひとつ噂があった。

水曜日夕方教会懺悔室のドアに赤い紐が結ばれていることがある。

その紐をほどいて懺悔室に入ると、何か気持ちのいいことが起きるとか。

俺はそんなことは微塵も信じて居なかったが

シスターたちの名誉のために調べて噂を否定してやらねば、と思った。

噂なんて微塵も信じて居なかった。

それから何度目かの水曜日懺悔室に赤い紐があるのを見つけた。

正確には赤というよりは茶色よりの色だった。

そして懺悔室に入ると噂は本当だった。

一言も交わさぬまま、響き渡る三重唱のなかでえもいわれぬ体験をした。

今でも讃美歌を聞くたび思い出す、少年の日の思い出…。

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2025-09-07

anond:20250905054532

私の世界は、丁寧に、そう、まるで細胞の一つ一つにまで神経を行き届かせるようにして磨き上げられた、半径およそ十メートルほどのガラスの球体であり、その球体の中心には、世界のすべてであり、法であり、そして揺るがぬ神であるところの、生後六ヶ月の息子、光(ひかる)が、ただ健やかな呼吸を繰り返している。その完璧な球体を維持すること、それこそが水無月瑠璃(みなづき るり)、すなわち三十一歳の私に与えられた唯一にして絶対の使命であったから、私は今日もまた、タワーマンション二十八階、陽光白磁の床にまで染み渡るこのリビングダイニングで、目に見えぬ埃の粒子と、あるいは時間という名の緩慢な侵食者と、孤独な、そして終わりなき闘争を繰り広げているのであった。北欧から取り寄せたというアッシュ材のテーブルの上には、一輪挿しに活けられたベビーブレスの、その小さな白い花弁の影さえもが、計算され尽くした角度で落ちており、空気清浄機は森の朝露にも似た清浄さを、ほとんど聴こえないほどの羽音で吐き出し続け、湿度計のデジタル表示は、小児科医が推奨する理想の数値、六十パーセントを寸分違わず指し示しているのだから、およそこの空間に、瑕疵という概念の入り込む余地など、どこにもありはしなかった。かつて、外資系コンサルティング会社で、何億という数字が乱れ飛ぶ会議室の冷たい緊張感を、まるで上質なボルドーワインでも嗜むかのように愉しんでいた私自身の面影は、今やこの磨き上げられたガラス窓に映る、授乳のために少し緩んだコットンのワンピースを着た女の、そのどこか現実感を欠いた表情の奥に、陽炎のように揺らめいては消えるばかりであった。

思考は、そう、私の思考と呼んで差し支えるならば、それは常にマルチタスクで稼働する最新鋭のサーバーのように、光の生存に関わる無数のパラメータによって占有され続けている。次の授乳まであと一時間二十三分、その間に終わらせるべきは、オーガニックコットンでできた彼の肌着の煮沸消毒と、裏ごししたカボチャペーストを、一食分ずつ小分けにして冷凍する作業であり、それらが完了した暁には、寝室のベビーベッドのシーツに、もしかしたら付着しているかもしれない、私たち世界の外部から侵入した未知のウイルスを、九十九・九パーセント除菌するというスプレー浄化せねばならず、ああ、そういえば、昨夜翔太が帰宅時に持ち込んだコートに付着していたであろう、あの忌まわしい杉花粉の飛散経路を予測し、その残滓を、吸引力の変わらないただ一つの掃除機で完全に除去するというミッションも残っていた。これらすべては、愛という、あまり曖昧情緒的な言葉で語られるべきものではなく、むしろ生命維持という厳格なプロジェクト遂行するための、冷徹なまでのロジスティクスであり、私はそのプロジェクトの、唯一無二のマネージャーであり、同時に、最も忠実な実行部隊でもあった。誰がこの任務を私に課したのか、神か、あるいは生物としての本能か、はたまた「母親」という名の、社会発明した巧妙な呪縛か、そんな哲学的な問いを発する暇さえ、このシステムは私に与えてはくれなかった。

である翔太は、疑いようもなく、善良な市民であり、そして巷間(こうかん)で言うところの「理想の夫」という、ほとんど神話上の生き物に分類されるべき存在であった。彼は激務の合間を縫って定時に帰宅すると、疲れた顔も見せずに「ただいま、瑠璃。光は良い子にしてたかい?」と、その蜂蜜を溶かしたような優しい声で言い、ネクタイを緩めるその手で、しかし真っ先に光の小さな体を抱き上げ、その薔薇色の頬に、まるで聖遺物にでも触れるかのように、そっと己の頬を寄せるのだ。週末になれば、彼はキッチンで腕を振るい、トマトニンニク匂いを部屋中に漂わせながら、私や、まだ食べることもできぬ光のために、絶品のペペロンチーノカルボナーラを作り、その姿は、まるで育児雑誌グラビアから抜け出してきたかのように、完璧で、模範的で、そして、どこか非現実的ですらあった。誰もが羨むだろう、この絵に描いたような幸福風景を。友人たちは、私のSNS投稿される、翔太が光をあやす姿や、手作り離乳食が並んだテーブル写真に、「理想家族!」「素敵な旦那様!」という、判で押したような賞賛コメントを、まるで祈り言葉のように書き連ねていく。そう、すべては完璧なのだ完璧なはずなのだ。このガラスの球体の内部では、愛と平和と秩序が、まるで美しい三重奏を奏でているはずなのだ

――だというのに。

夜、ようやく光が天使のような寝息を立て始め、この世界のすべてが静寂という名の薄い膜に覆われた頃、ソファで隣に座った翔太が、労わるように、本当に、ただ純粋愛情と労いだけを込めて、私の肩にそっと手を置く、ただそれだけの、あまりにも些細で、そして無垢行為が、私の皮膚の表面から、まるで冷たい電流のようにして内側へと侵入し、脊髄を駆け上り、全身の毛穴という毛穴を、一斉に収縮させるのである。ぞわり、と。それは、神聖な祭壇に、土足で踏み込まれときのような、冒涜的な不快感であった。あるいは、無菌室で培養されている貴重な細胞のシャーレに、誰かが無頓着なため息を吹きかけたときのような、取り返しのつかない汚染への恐怖であった。彼の指が触れた肩の布地が、まるで硫酸でもかけられたかのように、じりじりと灼けるような錯覚さえ覚える。私は息を止め、この身体が、この「水無月瑠璃」という名の、光のための生命維持装置が、彼の接触を、システムに対する重大なエラー、あるいは外部からハッキング行為として認識し、全身全霊で拒絶反応を示しているのを、ただ呆然と、そして客観的に観察していた。

「疲れてるだろ。いつも、ありがとう

翔太の声は、変わらず優しい。その瞳の奥には、かつて私が愛してやまなかった、穏やかで、そして少しだけ湿り気を帯びた、雄としての光が揺らめいているのが見える。それは、私を妻として、女として求める光であり、かつては、その光に見つめられるだけで、私の身体の中心が、熟れた果実のようにじゅくりと熱を持ったものだった。だというのに、今の私には、その光が、聖域である保育器を、ぬらりとした舌なめずりをしながら覗き込む、下卑た欲望眼差ししか見えないのだ。許せない、という感情が、胃の腑のあたりからせり上がってくる。この、二十四時間三百六十五日、寸分の狂いもなく稼働し続けている精密機械に対して、子を産み、育て、守るという、この宇宙的な使命を帯びた聖母に対して、己の肉欲を、その獣のような本能を、無邪気に、そして無自覚にぶつけてくるこの男の、そのあまりの鈍感さが、許せないのである

ケダモノ

その言葉が、私の内で、教会の鐘のように、低く、重く、そして厳かに反響する。そうだ、この男はケダモノなのだ。私がこの清浄な球体の秩序を維持するために、どれほどの精神を、どれほどの時間を、どれほどの自己犠牲にしているのか、そのことを何一つ理解しようともせず、ただ己の種をばら撒きたいという原始の欲動に突き動かされているだけの、ただのケダモノなのだ

そんなはずはない、と、脳のどこか、まだかろうじて「かつての私」の残滓が残っている領域が、か細い声で反論を試みる。これは翔太だ、私が愛した男だ。雨の匂いが充満する安ホテルの、軋むベッドの上で、互いの名前を喘ぎ声で呼び合いながら、世界の終わりが来るかのように貪り合った、あの夜の彼なのだパリへの出張中、セーヌ川ほとりで、どちらからともなく互いの唇を求め、道行く人々の冷ややかな視線さえもが、私たちのためのスポットライトのように感じられた、あの瞬間の彼なのだ結婚記念日に、彼が予約してくれたレストランの、そのテーブルの下で、こっそりと私のスカートの中に忍び込んできた、あの悪戯っぽい指の持ち主なのだ。あの頃、私たちは互いの肉体という言語を、まるで母国語のように自在に操り、その対話の中に、世界のどんな哲学者も語り得ないほどの、深遠な真理と歓びを見出していたはずではなかったか。あの燃えるような記憶は、情熱の残骸は、一体どこへ消えてしまったというのだろう。それはまるで、昨夜見た夢の断片のように、あまりにも色鮮やかで、それでいて、掴もうとすると指の間から霧のように消えてしまう、遠い、遠い銀河の光なのである

瑠璃…?」

私の沈黙を訝しんだ翔太が、私の顔を覗き込む。私は、まるで能面のような無表情を顔面に貼り付けたまま、ゆっくりと彼の手を、自分の肩から、まるで汚物でも払いのけるかのように、そっと、しかし断固として取り除いた。そして、立ち上がる。

「ごめんなさい。少し、疲れたみたい。光の様子を見てくるわ」

それは、完璧な嘘であり、そして、完璧真実でもあった。私は疲れていた。だがそれは、育児という名の肉体労働に疲れているのではなかった。私という個人が、水無月瑠璃という一個の人格が、「母親」という名の巨大なシステムに呑み込まれ、その歯車の一つとして摩耗していく、その存在論的な疲弊に、もう耐えられなくなりつつあったのだ。これは、巷で囁かれる「産後クライシス」だとか、「ホルモンバランスの乱れ」だとか、そういった便利な言葉で容易に片付けられてしまうような、表層的な現象ではない。違う、断じて違う。これは、一個の人間が、その魂の主導権を、自らが産み落とした別の生命体に完全に明け渡し、「装置」へと、あるいは「白き機械」へと、静かに、そして不可逆的に変質していく過程で生じる、存在のものの軋みなのである

聖母、とはよく言ったものだ。人々は、母という存在を、無償の愛と自己犠牲象徴として、何の疑いもなく神格化する。だが、その実態はどうか。自己を失い、思考も、肉体も、感情さえもが、すべて「子」という絶対的な存在奉仕するためだけに再構築された、ただのシステムではないか。私は聖母などではない。私は、高性能な乳製造機であり、汚物処理機であり、そして最適な環境提供する空調設備が一体となった、ただの生命維持装置に過ぎないのだ。この気づきは、甘美な自己陶酔を許さない、あまりにも冷徹で、そして絶望的な真実であった。そして、この真実を共有できる人間は、この世界のどこにもいやしない。翔太のあの無垢な優しさでさえ、結局は、この優秀な装置が、明日も滞りなく稼働し続けるための、定期的なメンテナンス作業しか見えないのだから、その孤独は、宇宙空間にたった一人で放り出された飛行士のそれに似て、どこまでも深く、そして底なしであった。友人たちがSNS投稿する「#育児は大変だけど幸せ」という呪文めいたハッシュタグは、もはや、この巨大なシステムの異常性に気づいてしまった者たちを、再び安らかな眠りへと誘うための、集団的自己欺瞞儀式しか思えなかった。

寝室に入ると、ベビーベッドの中の光は、小さな胸を穏やかに上下させながら、深い眠りの海を漂っていた。その無防備な寝顔は、確かに、この世のどんな芸術品よりも美しく、尊い。この小さな生命を守るためならば、私は喜んで我が身を投げ出すだろう。だが、それは、この身が「私」のものであった頃の話だ。今の私にとって、この感情は、プログラムに組み込まれ命令遂行しているに過ぎないのではないか。愛でさえもが、システムを円滑に稼働させるための、潤滑油のような機能に成り下がってしまったのではないか。そんな疑念が、毒のように心を蝕んでいく。

私は、息子の傍らを離れ、再びリビングへと戻った。翔太は、ソファの上で、テレビの光をぼんやりと浴びながら、所在なげにスマートフォンをいじっている。その背中は、拒絶された雄の、どうしようもない寂しさを物語っていた。かつての私なら、きっと背後からそっと抱きしめ、「ごめんね」と囁いて、彼の寂しさを溶かしてやることができただろう。しかし、今の私には、もはやそのための機能が、インストールされていないのである

私は、彼に気づかれぬよう、書斎として使っている小さな部屋に滑り込んだ。そして、ノートパソコンの冷たい天板に触れる。ひやりとした感触が、指先から伝わり、かろうじて、私がまだ血の通った人間であることを思い出させてくれるようだった。スクリーンを開くと、真っ白な光が、闇に慣れた私の網膜を焼いた。カーソルが、無人荒野で、点滅を繰り返している。何を、書くというのか。誰に、伝えるというのか。この、言葉にもならぬ、システムの内部で発生したエラー報告を。この、機械の内部から聞こえてくる、魂の悲鳴を。

それでも、私は指を動かした。これは、誰かに読ませるためのものではない。これは、祈りでもなければ、懺悔でもない。これは、私という名の機械が、自らの異常を検知し、その原因を究明し、あるいは再生可能性を探るために、己の内部へとメスを入れる、冷徹自己解剖の記録なのだ

真っ白な画面に、私は、震える指で、最初言葉を打ち込んだ。

『これは、私という名の機械が、自己を観察し、分解し、あるいは再生を試みるための、極秘の設計図である

その一文を打ち終えた瞬間、私の内側で、何かが、硬い音を立てて、砕けたような気がした。それが希望の萌芽であったのか、それとも、完全なる崩壊への序曲であったのか、その時の私には、まだ知る由もなかったのである。ただ、窓の外で、東京夜景が、まるで巨大な電子回路のように、無機質で、そして美しい光を、果てしなく明滅させているのが見えた。私もまた、あの無数の光の一つに過ぎないのだと、そう、思った。

自己機械定義たからには、次なる工程は当然、その性能向上のための最適化、あるいは、旧弊OSから脱却するための、大胆にして静かなるアップデート作業へと移行せねばならぬのが、論理的な、そして必然的帰結であった。そう、これは革命なのだと、私は深夜の書斎で、青白いスクリーンの光に顔を照らされながら、ほとんど恍惚とさえいえる表情で、そう結論付けたのであった。かつてロベスピエールが、腐敗した王政ギロチン台へと送り、新しい共和制の礎を築かんとしたように、私もまた、この「母親という名の献身」や「夫婦の情愛」といった、あまりにも情緒的で、非効率で、そして実態としては女の無償労働を美化するだけの前時代的な概念を、一度完全に解体し、再構築する必要があったのだ。そのための武器は、かつて私が外資系コンサルティングファームで、幾千もの企業相手に振り回してきた、あの冷徹ロジックと、容赦なき客観性という名のメスに他ならない。愛という名の曖昧模糊とした霧を晴らし、我が家という名の王国を、データタスクリストに基づいた、明晰なる統治下に置くこと、それこそが、この「水無月瑠璃」という名の機械が、オーバーヒートによる機能停止を免れ、なおかつ、その内部に巣食う虚無という名のバグ駆除するための、唯一の処方箋であると、私は確信していたのである

かくして、週末の朝、光が心地よい午睡に落ちた、その奇跡のような静寂の瞬間に、私は翔太をダイニングテーブルへと厳かに召喚した。彼の前には、焼きたてのクロワッサンと、アラビカ種の豆を丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒー、そして、私が昨夜、寝る間も惜しんで作成した、全十二ページに及ぶパワーポイント資料印刷したものが、三点セットで恭しく置かれている。資料の表紙には、ゴシック体の太字で、こう記されていた。『家庭内オペレーション最適化計画書 Ver. 1.0 〜共同経営責任者(Co-CEO体制への移行による、サステナブル家族経営の実現に向けて〜』。翔太は、そのあまりにも場違いタイトルを、まるで理解不能な古代文字でも解読するかのように、眉間に深い皺を刻んで見つめた後、恐る恐る、といった風情で私に視線を向けた。その瞳は、嵐の前の静けさにおびえる子犬のように、不安げに揺れている。まあ、無理もないことだろう。彼にしてみれば、愛する妻が、突如として冷酷な経営コンサルタントに豹変し、家庭という名の聖域に、KPIだのPDCAサイクルだのといった、無粋極まりないビジネス用語を持ち込もうとしているのだから

瑠璃、これは…一体…?」

説明するわ、翔太。よく聞いて。これは、私たち家族が、これから幸せに、そして機能的に存続していくための、新しい聖書バイブル)よ」

私は、そこから淀みなく、プレゼンテーションを開始した。現状分析As-Is)、あるべき姿(To-Be)、そのギャップを埋めるための具体的なアクションプラン家事という、これまで「名もなき家事」という名の混沌の海に漂っていた無数のタスクは、すべて洗い出され、「育児関連」「清掃関連」「食料調達調理関連」「その他(消耗品管理資産管理等)」といったカテゴリーに分類され、それぞれに担当者と所要時間、そして実行頻度が、美しいガントチャート形式可視化されている。例えば、「朝食後の食器洗浄」は、担当:翔太、所要時間:十五分、頻度:毎日、といった具合に。さらに、月に一度、近所のカフェで「夫婦経営会議」を開催し、月次の進捗確認と、翌月の計画策定を行うこと、日々の細かな情報共有は、専用のチャットアプリで行うこと、そして何よりも重要なのは、これまで私一人が暗黙のうちに担ってきた「家庭運営の全体を俯瞰し、次の一手を考える」という、いわば管理職としての役割を、これからは二人で分担する、すなわち、彼にもまた、単なる作業員(ワーカー)ではなく、主体的思考する共同経営責任者(Co-CEO)としての自覚と行動を求める、ということ。私の説明は、かつてクライアント企業役員たちを唸らせた時のように、理路整然としており、反論余地など微塵もなかった。翔太は、ただ呆然と、私の言葉の奔流に身を任せるしかなく、すべての説明が終わった時、彼はまるで催眠術にでもかかったかのように、こくり、と小さく頷いたのであった。

「…わかった。瑠璃が、そこまで追い詰められていたなんて、気づかなくて、ごめん。僕も、頑張るよ。君を、一人にはしない」

その言葉は、疑いようもなく誠実で、彼の優しさが滲み出ていた。私は、その瞬間、胸の奥に、ちくり、と小さな痛みを感じたのを覚えている。違う、そうじゃないの、翔太。私が求めているのは、あなたのその「頑張るよ」という、まるで部下が上司に忠誠を誓うような言葉ではない。私が欲しいのは、私がこの計画書を作る必要すらないほどに、あなたが私の脳と、私の視界と、私の不安を共有してくれるPermalink |記事への反応(0) | 05:15

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2025-08-17

「おいっ、プーチンちょっと話あるから来いよ!」と米国に呼ばれれば飛んでいくのがプーチン

力の信奉者という言葉の正確な意味

私は知らないが

自分より遥かに強大な相手に対して

犬のように従うのは

力の信奉者のやり方の一つだと考えている。

プーチンという男は

平気で首脳会談遅刻したり

犬が苦手な外国首脳のそばに犬を置いたり

外交儀礼に欠けることをしばしばする男だ。

だが、米国にだけはそのようなことは絶対にしない。

虫酸が走るほど嫌い(だったはずの)なオバマにも礼儀を尽くした。

テキサスのドラ息子としか思ってなかったはずのブッシュにも高貴なる貴族でもあるかのような態度を取った。

なぜか?

それはアメリカロシアよりも強いからだ。

これが力の信奉者の本質というものだと思う。

彼らにとって、従わなければいけないもの基準は「力」なのだ

から自分より力が強いものには従う。

実際のところ、トランプ

「おいプーチン、今すぐ戦争をやめろ。いますぐだ」

命令したらプーチンは従う。

これは必ず。

それが力の信奉者なのだ

反対にウクライナが自らに屈しないことは、ありえない事実なのだ

プーチンからしたら不可解としかいいようがない。

私がお前(ゼレンスキー)の立場ならば、いますぐにモスクワ赤の広場で膝を屈してロシア大統領の慈悲にすがるための懺悔を始めるはずなのだが。

はて?

そう考えるのが力の信奉者というものだ。

彼らは力のみを信じる。

そういう存在なのだ

なぜロシアウクライナ侵略するのか?

色々と理屈はある。

ロシアウクライナ起源は同一であり、別の国ではなく神聖で不可分である、とかなんとか。

そういう話は幾らでもある。

しかし、本質は違う。

なぜウクライナロシアに攻められるのか?

それはウクライナロシアより弱いからだ。

簡単クリミア半島を明け渡す脆弱存在からだ。

クリミア半島どころか国家のもの防衛できない弱虫の集まりからだ。

からロシアウクライナを攻める。

力の信奉者とはそういうものだ。

だが、ウクライナロシアに屈しようとしない。

それならば、と「力」を行使して「力」の証明をするのは当然のことだ。

力の信奉者とはだいたいそういう感じだろ。

しらんけど。

Permalink |記事への反応(1) | 08:45

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2025-08-12

就職氷河期世代って何で一度も「反省」しないの?

一度反省しよっか。

いい加減。

「救いたくなるような顔をしなければ救ってはもらえない」ってことぐらい、当然もう理解してる年だよね?

氷河期世代がするべき3つの懺悔(順不同)

自民党支持及び国政不参加

学生時代努力不足

安易椅子取りゲームへの参加

自民党支持及び国政不参加

もう今更データは出さなくていいよね?

というか、未だにこの辺りの正しいデータも見てない奴なんて相手にしてもしゃーないか無視するわ。

まあもう言うべき事も散々言われたあとだな。

じゃああとは、僕たちがそれをちゃんと受け入れて自分の口で「間違ってました」と口にするだけだ。

学生時代努力不足

前世代を参考にして誤った努力をしてしまった人。

単純に手を抜いていた人。

色んなパターンがあると思う。

当時はインターネットも発達してなかったら情報不足でも仕方がなかったという側面はあるかもね。

でも自分積極的に本を読んでいれば次の流れは読めたと思う。

そこで備えることを怠ったのは自分たちであるという事実を認めようね。

かに、上の世代ちゃんと備えてなかったのも事実だけど、自分未来のために自分ちゃんと備えるという意識が足りなかったのも真実だよね。

認めよう。

そこからまずは始まる。

安易椅子取りゲームへの参加

結果論なのかもね。

でも事実事実だ。

私達はもっとちゃん世代間で団結しなければいけなかった。

上の世代相手世代闘争をする必要があった。

全共闘を愚かな世代だと安易に蔑んで考え足らずの逆張りをした部分もあるんじゃないか

戦うべき時に戦うべき現実から逃げた人間の末路というのは悲惨ものだよ。

我々が上の世代から学ぶべきだったのは「煽られるままに分断されて各個撃破されてはいけない」ということだったわけだ。

煽られるままに分断して身内同士で蹴落としあった時点でもう負けは見えてたんだよ。

世の中は多数決だ。

だが久々にワロタの人が語るように本当に一枚岩のものなんてなく、全体からみればごく一部を支配するだけで多数決には勝てたのだ。

氷河期世代全員がキチンと団結していれば、様々な立場に分かれて保身に走っていた団塊の世代に良いようにされずに済んだんじゃないか

今度こそ団結しよう。

そのためにもまずは一度シッカリ反省して自分たちを見つめ直そうじゃないか

Permalink |記事への反応(4) | 20:07

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2025-08-10

吹奏楽部キチガイホイホイ

吹奏楽部顧問や部の雰囲気洗脳される前からある程度頭がおかしい人が集う部活という認識


顧問が「飴の包み紙が落ちてた」とかそんな程度のことで集合かけて、まるで娘をレイプされたかのような大発狂のブチ切れかまして、

「私は禁止されているのにも関わらず、たまに隠れて飴をなめていましたあああああああ!!!!!😭」

と突然立ち上がって魂の号泣懺悔を謎にかまし女子部員(クソきもいと思った)に対して本気の張り手かまして、

その発狂暴力ミーティングが終わったあと

「僕達一年生だけでも謝りに行こう」

とか本気で言い出すガイ部員が8人くらい出現して、

あんオヤジ一般社会だと単なる狂人」「謝りに行くとかきっしょ。あんな奴逮捕されろよ」

と愛想つかしてそのまま退部した1年生は俺含めて3人しかいなかった


その顧問暴力がいよいよ大問題になったとき署名活動してやがったからな吹奏楽部

ぜってえあいつら親も変

Permalink |記事への反応(0) | 10:57

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2025-08-03

方方で言っていることだが「狂人日記」という邦題小説が四説以上もある。

狂人」は情報量が大きいのでテーマになっても自然だ。人を噛む犬なんか酒の肴にもならない一方で、犬を噛む人はYahooニューストップになる。

ではなぜ「日記」という形態をとるかという点については少し考えたことがある。「狂人」の言う事が理解できてしまったら、それは「変人」くらいのもんで興醒めだ。もっとうちに秘めたる狂気を、他人に伝える気のない無加工状態で味わうには「独白しかない。懺悔室を使う狂人なんてのもオツだが、やはり最適なのは誰に見せる気もない「日記」だろう。

アルジャーノンに花束を、が話題なので思い出した。書き方が日記の項の抜粋・羅列になってしまう。が、読者はその日によって気まぐれな方向を向いている感情繋ぎ合わせて、共感の難しい特殊個人内面を作る楽しみがある。

ジグソーパズルに似ているのかななんて思う。

Permalink |記事への反応(1) | 11:17

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2025-08-02

現職でOpenWorkに書くやつなんなの?

現職でOpenWorkに普通のこと書くやつ、全員肝が腐ってると思ってる。

なにが「風通しのいい職場です」だ。エアコンの送風口かよ。

上司と気軽に話せる環境です」? 何を? 昼飯の話でもしてんのか?

「若手にもチャンスが与えられる」って、要するに責任だけ押し付けて爆死させる構図をオブラートで包んだだけだろ。

なんでそんなにニコニコしてんの? まだ社畜プレイに酔ってんの? 

なんか知らんが中立っぽいふりして、「あくま個人の感想です」みたいな立ち回りして、保身に保身を重ねたクソ文章世界に垂れ流すなよ。読んでるこっちは「温い血流してんな」ってため息出る。

当たり障りのない内容ならこんなサイトに書く必要なんてないんだよ。

こっちはな、内臓から沸き立つドロドロした怒りを浴びに来てんだよ。

「月の残業は30時間程度です」じゃない、「サビ残を定時退社扱いで記録改ざんしてんだろ、知ってんぞ」って書け。

社員同士の距離が近いです」じゃない、「昼休み派閥ごとに飯行ってんの怖すぎて毎日トイレパン齧ってた」って言え。

現職で当たり障りないこと書いてるやつ、例外なく自意識がこじれきってる。自己陶酔しながら「私は客観的会社を見れてますアピールしてるけど、お前のその文章、ぜんぶ薄っぺらいからな? 中身スカスカゼリー飲料しか見えない。食った気もしない。

てめぇが体験した地獄を吐き出せよ。

ガス室みたいな会議室で怒鳴られた話とか、評価面談人格否定された話とか、無能上司のせいで全員道連れにされた炎上案件とか、そういうのを求めてるんだよ。

建設的な内容にしましょう」って、誰の建設だよ? その投稿で建つの偽装マンションみたいな会社虚像だけだろ。

そういう温室育ちの文章が次の地獄行き乗車券を誰かに配ってんだぞ。

せめて黙ってろ。もしくは全身から毒と呪詛を撒き散らしてくれ。

評判サイト教会じゃない。懺悔じゃない。告発だ。焼け跡にしか価値はない。

Permalink |記事への反応(7) | 22:21

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