
はてなキーワード:懐メロとは
https://mimizun.com/log/2ch/801/1071310682/
鈴木ヒロミツとはっぴいえんどって同レベルのビジュアル扱いなの?
423 :風と木の名無しさん:05/02/28 22:45:45ID:e5cQaQ5K
喪っプス萌えはさすがにいないだろう
414 :風と木の名無しさん:05/02/16 01:22:28ID:h2yILIGH
マニアックな組み合わせ書いていい?
背皮ヒロしと
山グチフジおだと
どっちが受け?
415 :風と木の名無しさん:05/02/21 18:56:41ID:30NXGP6X
私もフヂヲ受に一票
多気K3も捨てがたい所だけど、一匹狼なの?
426 :風と木の名無しさん:05/03/04 00:47:05ID:Jp4+N8es
基本は添付萌えだけど
背皮さん受けもいいかも
不治おタンがおさえきれず
押し倒してきまずくなったりとか
アニメキャラによるカバーソングの傑作を知りたくなった の続きです。
オマイラから教わったカバーソング系アニソンを一通り聞いたので、感謝を伝えるためにキーボードを叩いている(訳者注:筆を執るの現代語訳だろう)。
カバーソングを聞きながら「お前らもやろうと思えば人の役に立てるのに何故日頃あんなにツンツン ケンツン ツンケンドンしているのか」と考えているとき、ふと「ありがとう」ってちゃんとお前らに伝えられてくれる奴らが少なかったせいではないかと閃いた。
書き忘れや聞けてない曲もあるだろうけどそこはごめん。俺の個人的な注意力や検索力の限界だ。
まさにこういうコンセプトについて話をしていたので多くの人から言及があり安心した。どちらもキャラの声を維持したままでカラオケ歌いしている所で評価が高い。どちらも聞いていてて「この子歌上手いんだなあ・・・そういえば俺は今どの立場で聞いてるんだ」とふとモヤモヤ出来て楽しい。
監督なりプロデューサーなりの趣味で選んだアーティストを作品全部巻き込んでカバーさせるというパワースタイルが実現する「あの曲もこの曲もあるじゃん」の豪華さよ。「ニューヨークでジョンが倒れた時も」の作品の精神性と深く関係がありそう且つ実際にはそんなでもなさそうなラインとか凄くモヤモヤする。
ブルーハーツの世紀末感溢れる歌を2015年にガールズバンド風に歌わせるという発想がいいんだよね。つうか作品の空気が年齢詐称してる感バリバリっていうか、深夜アニメ黎明期世紀末の不安定さ・見切り発車感・退廃感・ヤケクソがまざっててそれがまあ毎週のブルーハーツと合ってたんだなあ。サントラ単品で聞いても楽しめるので俺個人としてもコレはおすすめしたい。月の爆撃機が特に好きだ。
こういうのの走りって感じがある。そもそも自前で持ってる主題歌自体が女の子に歌わせる恋愛ソングとしてかなり強いと思う。定期的にカバーもされとるしなあ。
最近のアニメ詳しくないから見逃してたわ。クオリティ凄いなあこれ。キャラの息遣い自体を歌い方にミックスしてきてるのか?演技っていうかもうイタコの状態じゃん。
カバーソング使うことの強みに作品コンセプトを伝えやすくなるってのがあると思ってて、これとかまさに「この作品はこういう空気感です」ってのが分かる。あとはキャラ声でこの歌唱力なんだってことを作中ネタをバラさずに伝える機会が増やせるのもいいんだろうな。
シャフトの悪ノリ全開。元の曲が悪ノリしてるから相性がいい。パート分けさせてたり「カラオケっぽいキャラ声」なのが面白い。悪ノリなのにいい仕事してたらそれは強いよ。
素直にかわいい。ノスタルジーで優しく怪しい空気とキャラの相性がいいなあ。
全然知らんかった奴。この伸びで完全にコエンマってもう反則だろ。二次会あるあるの「伊達に長生きしてないやたら上手いオッサンいるよな」のパターンとして解釈一致感があるのもいいね。
ハマリ曲の代表みたいな奴。本当にもうピッタリなんだよね。声優じゃなくてキャラで歌わせることの意味もあるっていうか。放課後カラオケボックスで実際あのメンバーに聞かせて欲しさがある。歌も・・・歌えるんだ的な。
上手い。ぷにるの声でめっちゃ上手い。マジで上手い以外の感想がない。原曲自体の可愛さ無関係に全部可愛くなる。
何故忘れていたのか。カラオケしてますの演技が凄い奴。それが愛でしょうとCHA-LA HEAD-CHA-LAで歌い方違いすぎるのがマジでこなたなのよね。こういう奴なんだよ本当。
「転生前のこのキャラがこの曲歌いそう」×「転生後のこのキャラが抱えてる文脈と歌詞の相関性が高い」→脳内で二つの時間軸が同時に走って交じる。なんて言ったもんかな、昔何となく刺さった歌詞と似たような状況が訪れて、ふと答え合わせを受けるような瞬間、そういうのって俺らの人生でも実際あるよなっていうリアルな手触りを伴った感情移入が湧き上がる感覚?文脈乗せてくるよなあ。
原曲が垣間見せた様々な文脈がバンドのスタイルにふっとばされ純粋な「陽」の歌に。こういう組み合わせ方面白いよな。
このコンセプトでこの選曲が何もおかしくないって所で独特の位置にあるよね。今語られている懐メロも数十年後には同じ扱いだろうけどな。時代の流れは残酷やな。
原作補完として面白すぎる。孤高を失った男が馴れ合いに没していきながらもそれを自分でネタにしつつ、それを周囲が受けいれていく中で絆が深まっていくという光景の人間味が味わい深すぎるんだよな。
そんなのあったなあ。作品のテーマであるスポ根・夢・情熱が詰め込まれた歌詞がどのキャラクターの口から歌われても違和感全くないのが作品の一貫性を感じた記憶。最後には全員が同じ方向を向いたステージ・作品だったなあって気分をダメ押しするすごい合唱。
ここまでやれと誰が言ったんだろうか。こういうコンセプトのカバー繰り返してたらいつかはこういうの出てくるよなって感じ。マジで「カラオケの廊下でふと聞いてしまった」なんだわ。ある意味で不特定多数の恥部を閉じ込めている割にはドアの防音が弱い中で、ドリンクバーやトイレで普通に何度も廊下を通るようになってるんだからなんか謎の施設だよなカラオケボックスって。
「選びそう」や「歌いそう」の一つ上に「このグループ内で定番になってそう」があることを知った。四万十川の鮎を故郷の味やと言いながら食べる姿を覗き見ることでしか得られない栄養がある。
言及してなかったので追記。歌い方のちょっと無理してる感とかカラオケすぎる。サントラのフル版だと小芝居消えるけど歌い方は普通に演技しっぱなしのままフィナーレ突入するからまた違った面白さがあるな。
こないだ後輩とカラオケに行ったんだけど、秘蔵の"無難カラオケ曲リスト"の中からB'z、ミスチル、ポルノ、スピッツなどを歌ったところ、サビだけ「おお〜知ってる曲だ」みたいな反応で、あとはうまく乗り切れてない感じだった。で、帰り際に「増田さんって結構懐メロとか歌うんすね!」って言われた。
まあ確かに90〜00年代だから懐メロかとは思いつつ、でも俺も別にB'zミスチルど真ん中世代じゃないけどカラオケの定番曲として履修しただけだしなぁ……。
B'zミスチルポルノスピッツ(あとサザン)なら、父親世代から年下まで広くカバーできると思ってたけど、もしかして通用するのは俺らの世代がギリなのか……?
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
1 週間(6 / 1 〜 6 / 8)のオープンチャットは「食・イベント・ガジェット」の三大雑談軸を中心に、住まい・健康・社会時事がスパイス的に混ざる構成。
参加者はリンクや実体験を交えてフラットに意見交換し、ローカルグルメの熱量とガジェットの“詰まり”相談が特に盛り上がったのが特徴でした。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
先日、地域の吹奏楽祭に足を運んだ。いくつかのバンドが出演していたのだが、その中に大学生合同バンドがあった。彼らが演奏したのは…まさかの「ディスコ・キッド」。
「おいおい、1977年の曲だぞ?」と思わずツッコミたくなった。今の大学生なんて、まだ影も形もない時代の曲だ。もちろん、MCは「世代を超えて人気の曲です!」なんて言っていたけれど、正直なところ、本当にそこまでの曲か?
それだけじゃない。以前見かけた高校の定期演奏会のチラシには、ピンク・レディーの名前が踊っていたし、YouTubeを漁れば高校生が「学園天国」を元気に演奏している動画がゴロゴロ出てくる。
いや、懐メロが悪いわけじゃない。往年の名曲を演奏するのは、それはそれで楽しい。でも、これだけ昔の曲ばかりが定番として残り続けているのは、さすがに不思議じゃないか?
吹奏楽の世界、新しい時代の曲がどれほど生まれているのか?なぜここまで過去のレパートリーに頼り続けているのか?
もちろん、吹奏楽というジャンル自体がクラシック音楽と同じく「伝統を重んじる文化」だからというのもあるだろう。でも、それにしても新陳代謝が遅すぎる。新曲は毎年発表されているはずなのに、なぜか演奏されるのはいつもの顔ぶれ。
せっかく若い世代が演奏するのだから、もっと今の時代に合った音楽にも挑戦してほしい。そうでなければ、吹奏楽は「過去の遺産」にすがるだけの世界になってしまうのでは?
俺がまだ幼かった頃、周りの大人たちはよく「近頃の技術はすごいなあ」とか「昔とはえらい違いだ」と口々に言っていた。けれど、そんな大人たちを尻目に、さらに先を行っていた人がいる。それが俺の祖母——通称“コンピューターおばあちゃん”だ。これは、俺が子どもの頃に祖母と過ごした日々や、彼女が残してくれた大切なものについての回想録。今は亡き祖母への想いを、ここに綴りたいと思う。
1.祖母と呼ぶより“コンピューターおばあちゃん”
俺がまだ物心ついたばかりの幼稚園児だった頃、祖母はすでにパソコンを自在に使いこなし、テレビやラジオで流れる新しいテクノロジーのニュースには目を輝かせていた。家には分厚い辞書や百科事典が何冊も並んでいたが、さらに机の上には最新のパソコン雑誌や科学雑誌、果てはプログラミング関連の本まで置いてあった。幼い俺が「あれ何?」「これどうして?」と尋ねると、祖母はまるで電子辞書のように即座に教えてくれた。当時の俺にとって、難しい用語も祖母の解説にかかれば、スッと頭に入ってくるから不思議でならなかった。
「コンピューターおばあちゃん」は、子ども向けの音楽番組「みんなのうた」で流れていた歌のタイトルそのままだったが、俺にとってはその呼び名そのものが祖母の姿を表していた。機械に強く、知識に溢れ、しかも子ども相手にやさしく噛み砕いて教えてくれる姿は、歌のイメージそのものだったのだ。たとえば、俺の住んでいる町が他のどの町より暑かった日に、「なんでこんなに暑いの?」と尋ねると、「それはね、地球の自転と公転、それに加えてこの町の地形が影響していてね……」と、クーラーの効いた部屋でわかりやすく教えてくれる。さらにパソコンを立ち上げ、天気予報の画面を見せながら「この等圧線と高気圧の動きがね……」と続けるのだ。幼稚園児の俺でも妙に納得してしまったのを覚えている。
祖母の知識の幅はとにかく広かった。歴史、地理、科学、文学、芸術、果てはゲームまで。どんなジャンルの話題を振っても、少なくともある程度は知っている。まるでいくつもの「電子図書館」が頭の中に入っているようだった。まさに子ども番組で言われる“コンピューターのように何でも知っているおばあちゃん”であり、俺はいつしか自然と彼女をそう呼ぶようになった。
人間誰しも得手不得手はあるはずだが、祖母は「知らないものを知らないままにしておくほうが、私には合わないんだよ」と微笑んでいた。だから気になることがあれば何でも調べ、またはパソコンを使って検索する。俺が「ゲームセンターで見た変な機械、あれは何?」と聞けば、それがどんな仕組みの機械なのか、どのメーカーが作っているのかまで丁寧に教えてくれる。さらには「いつか一緒にゲームセンター行って、じっくり観察してみようか」と、学びの場として遊びに誘ってくれた。その姿勢にはいつも驚かされたし、また「大人ってこんなに遊び心があっていいのか」と思ったものだ。
大人になった今になって思えば、あれはただの“学問”に留まらない、祖母の生き方そのものだったのだろう。常に新しいことを取り入れ、面白がり、わからないことを探求する。その姿勢が、彼女の若々しさを保ち、俺たち孫の世代とも自然につながっていられる原動力だったに違いない。
祖母はよく鼻歌を歌っていた。その中にはもちろん「コンピューターおばあちゃん」を思わせるフレーズもあれば、ほかの子ども向けの曲や懐メロもあった。俺が小学校に上がる頃には、祖母自作の“歌詞の抜粋ノート”が存在し、そこには祖母が好きな歌の一節が手書きで書き写されていた。日付や一言コメントも付いていて、当時の祖母の心境や季節の移ろいが見えるようだった。
ある日、そのノートを見ていた俺は、ふと「この歌詞の意味はどういうこと?」と尋ねた。すると祖母は、歌詞が持つ文脈や背景、そして作詞者の想いや時代性まで話してくれた。まさに“人間コンピューター”の面目躍如である。だが、祖母は決して「理屈」や「知識」だけを語る人ではなかった。必ず、そこに自分の感想や教訓を加える。「このフレーズはね、人生におけるこんな出来事を思い出すなあ……だから〇〇なときには、こんな気持ちでいるといいのかもしれないね」といった具合に、子ども心にもスッと染み込む言葉をかけてくれた。
彼女の持つ叡智の素晴らしさは、学校の成績を上げるためだけの“お勉強”とは違っていた。生活や人生を楽しむための“レシピ”がそこにはあった。たとえば、落ち込んだ日は「お腹から笑うといいよ」と言って、祖母自身がゲラゲラ笑っておどけてみせる。心配事がある日は「眠る前に紙に書き出すといい。それで一旦置いて寝ちゃうんだ」と、実践的なアドバイスをくれる。どれも祖母自身が実際にやってきたことなのだろう。まるで一冊の辞典のように、そして誰よりも暖かい人生の先輩としての言葉をくれた。
祖母はパソコンを扱うだけでなく、インターネットの世界にもかなり明るかった。俺が小学校高学年になる頃には、オンラインで海外の博物館の映像や、世界のニュースを一緒に見たりもした。そこで初めて知ったのは、インターネットが単なる機械的な情報交換の場ではなく、人間同士の交流を広げるための“窓”でもあるということだった。祖母はまさにその窓を巧みに開き閉めしながら、遠い世界を俺の前に見せてくれたのだ。
「パソコンの画面を通して見る世界は、ただの映像じゃなくて、“人”がいるところなんだよ」と祖母は言った。「画面の向こうにも誰かがいて、きっと同じように息をして、ご飯を食べて、笑ったり泣いたりしている。そこに興味をもてば、お友達になれるかもしれないし、いろんな考え方を学べるかもしれないね」。まだ子どもだった俺にとって、それは驚くほどスケールの大きい話に感じられたが、祖母は「一歩ずつでいいの」と笑った。実際、海外の子どもたちが作ったというWEBサイトを一緒に覗いて、俺が英語がわからなくても、祖母はサクサクと辞書を引きながら一緒に解読してくれた。その過程がとても楽しかったのを覚えている。
そんな祖母の探求心に刺激を受け、俺自身ももっと世の中を知りたいと自然に思うようになった。中学生になってからは、祖母と一緒にインターネットでさまざまな情報を探したり、調べ学習の資料をまとめたりするのが習慣になっていた。夏休みの自由研究でも、祖母が遠慮なくアイデアをどんどん出してくれるから、いつもクラスでも評判の出来になったっけ。まさに“コンピューターおばあちゃん”との共同作業。あの頃の夏休みは特別に充実していた気がする。
5. “悩み”も解析? コンピューター越しの優しさ
祖母は機械だけでなく、人間の心にもとても敏感だった。そんな祖母に“悩み”を打ち明けると、まるでコンピュータの検索をかけるように、じっくりとヒントを探してくれた。といっても機械的な冷たいやり方ではなく、温かく、しかもときにユーモアを交えながら、俺が自分で答えに気づくまで導いてくれるのだ。
高校生になると、友達関係や部活、将来の進路……いろいろな悩みが増え、俺の心は常にモヤモヤしていた。祖母はそんなとき、まず俺の話を黙って聞き、「なるほどねぇ」と目を細めながらうなずく。そして「ここにデータがあるとしたら、どんなふうに整理する?」と、まるでコンピューターのフォルダ分けをイメージさせるような問いかけをするのだ。「まずは心配事をカテゴリごとに分類してみよう。友達とのことは友達フォルダ、将来のことは将来フォルダ、と。そこから、もっと細かくファイルに分割して、どれくらいの優先度があるか考えてみるんだよ」と。
そんなふうに、一見堅苦しそうな“整理術”を教わるうちに、俺自身の頭の中もすっきりしてきて、不思議と問題が大きく見えなくなっていった。「つまり人生って、ひとつの巨大なデータベースみたいなものかもしれないね」と祖母は微笑む。「たくさんの情報がごちゃごちゃに入っているときは、まずはちゃんと仕分けて検索しやすいようにすればいい。大事なのは、どうタグ付けするか、そしてどのデータが今の自分にとって本当に必要かを見極めること」。それは小難しそうな言葉だけれど、祖母の口から語られると、なぜかすんなりと腹落ちした。まるで大きなやさしい手で、俺の悩みを丸ごと包んでくれているようだった。
6. そして別れの日
俺が大学に進学してしばらくすると、祖母は少しずつ身体の不調を訴えるようになった。ただ、それでも祖母の知的好奇心は衰えず、入院先でもタブレット端末を使いこなし、看護師さんたちと仲良くなっていた。担当のお医者さんが口にする専門用語もほぼ理解できるし、わからないことはすぐに調べる。周りの家族が心配そうに「無理しないで」と言っても、「何もしないでボーッとしてるより、私にはこっちのほうがずっと元気が出るんだよ」と笑っていた。
そんな祖母の容態が急変したのは、俺が大学四年生の夏だった。夜遅くに病院から連絡を受けて駆けつけると、祖母はベッドの上で小さく息をしていた。もう思うようには口がきけない状態だったが、俺を見て微かに笑ってくれたように見えた。その笑顔はまさにいつもの“コンピューターおばあちゃん”の面影で、俺は涙が止まらなかった。
祖母はそのまま、静かに旅立った。最後まで、頭の中にはきっといろんな知識や、俺たち家族への思いが溢れていたのだろう。「みんなのうた」で聴いた“コンピューターおばあちゃん”は、まさに祖母そのものだった。お別れは悲しかったが、祖母が教えてくれたことは俺の胸に深く根を下ろしていると実感した瞬間でもあった。
葬儀が終わり、祖母の遺品を整理していると、昔家族で撮った写真やノート、そして祖母のパソコンが出てきた。パソコンの中には、家族の写真データや日記のようなファイル、さらには雑多なフォルダに分けられた学習ノートのデジタル版が保存されていた。そこには祖母自身が調べてまとめた、さまざまなジャンルの知識や観察メモがあって、見ているだけで祖母と会話しているような気持ちになった。
そのファイルの一つに「大切な人たちへ」とタイトルがつけられたテキストがあった。開いてみると、そこには「私が得たものは、すべてあんたたちに残していくから、どうか自分の好きなように使ってほしい。知らないことに心おどらせるのは、本当に素敵なことだよ。これからもずっと、学びを楽しんでね」というような内容が書かれていた。文章を読み終えたとき、俺は思わず涙が零れ落ちた。そこにはいつも笑顔で知識を授けてくれた、あの祖母の姿が確かにあった。
さらにパソコンのデスクトップには、「コンピューターおばあちゃん」に関する記事や、祖母なりに歌詞をアレンジして書き溜めたノートもあった。そこには、あの歌がもたらす夢や希望について、彼女が感じ取ったことがびっしり綴られていた。「なんでも知っていて、なんでも教えてくれるおばあちゃん、それは私の理想じゃなくて、私自身の生き方そのものだ」と。祖母にとって「コンピューターおばあちゃん」はまさに人生の象徴だったのだろう。
8. 受け継がれる“好奇心”と“優しさ”
祖母を失って寂しい気持ちは今でも消えない。それでも、祖母が残してくれた“調べること”“学ぶこと”“遊ぶように知識を楽しむこと”は、今の俺の人生を豊かにし続けている。職場でも「どうしてそんなにいろんなことを知っているの?」と聞かれることがあるが、俺は胸の中で「祖母の血かもしれないな」と思っている。実際、祖母から学んだ“分からないものは楽しみながら調べる”という姿勢が、仕事でも役立っていると感じるのだ。
そして何より大きいのは、祖母の“人を思いやる優しさ”を忘れないようにしていること。どんなに新しい技術や情報を知っていても、そこに相手への気遣いがなければ独りよがりになってしまう。祖母が俺に常に教えてくれたのは「相手の立場や気持ちを想像しながら、一緒に探求していく喜び」だった。だから今、俺が後輩に教えるときや、友達と話をするときには、決して上から目線や押し付けにならないように気をつける。そして「もしよかったら一緒にやってみよう?」と声をかける。その方がずっと楽しいし、きっと祖母も喜んでくれるに違いない。
もう祖母の肉声を聞くことはできない。あの独特の優しい笑い声も、パソコンに向かう姿勢も、そばに座っていたときの温もりも、すべて思い出の中にしか存在しない。それでも、祖母が残してくれた言葉やファイル、そして一緒に過ごした時間の記憶は、今でも俺を支えてくれる。人生において何か新しいことに挑戦するとき、あるいは壁にぶつかったとき、「そういえば、おばあちゃんはこんなとき何て言ってたっけ?」と心の中で問いかける。すると不思議なことに、祖母の声がスッと降りてきて、「それを調べてみるのは面白そうだね」と背中を押してくれる気がする。
歌には「どんなことでも教えてくれる不思議なおばあちゃん」が登場するけれど、俺にとっての祖母はまさに“完璧なおばあちゃん”だった。彼女のように何でも知っていて、優しくて、そしていつだって俺の好奇心を歓迎してくれる存在がいたからこそ、今の俺がいる。そして祖母のような生き方を少しでも真似できるなら、それは最大の感謝の表し方かもしれないと思う。
祖母がいなくなっても、その“コンピューターおばあちゃん”の精神は俺の中で生き続けている。何かを調べたり、新しいものに触れたりするとき、祖母の姿が脳裏に浮かぶのだ。俺はこれからも、祖母が示してくれた「好奇心と優しさ」を糧に、歩んでいきたい。それが“俺の祖母はコンピューターおばあちゃんだった”と胸を張って言える、何よりも大きな証なのだから。
33歳で550万稼いで彼女3人もいたことある人間のどこが平凡なのかと怒り心頭です
これといってなし!
強いて言うなら5chとYouTube鑑賞と女子アナに関する情報収集や画像収集
5chはスレ立てもする
基本休日は横になって過ごして何をするでもない日々を送っている
マッチングアプリで「休日はカフェ巡りや旅行、フットサルをします」とかみんな書いてるけど(利用したことがないから想像だけど)あれ嘘でしょ?
本当はみんなも部屋で横になってるだけでしょ?
そのおかげと無趣味で交友関係もないので年収450万で資産3000万近くまで増やした(相続とかじゃないよ)
この点だけは平凡ではないと思う
結婚はしたい気持ちはあるけど、今の自分の人生とあまりにも乖離した存在すぎて具体的なイメージがつかない
なのでまずは交際を経験して、会話とか食事とか、欲を言えばキスとかセックスなんかもしちゃったりして
なのでどうしたらいいでしょうか?
マッチングアプリなんかはプロフィールに書くことがなにもないし、自分の写真なんかもないから始められない
Permalink |記事への反応(21) | 19:33