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「慶應義塾」を含む日記RSS

はてなキーワード:慶應義塾とは

次の25件>

2025-08-21

大学群 桶川シーサイド

お茶の水女子大

慶應義塾

学習院

早稲田大

芝浦工大

埼玉

東京大

Permalink |記事への反応(0) | 10:09

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2025-08-11

吉田茂の経歴って今だったらめっちゃ叩かれてるよな

1894年日本中入学中退(16歳)

1895年高等商業入学中退17歳

1896年正則尋常中学入学卒業東京物理学入学中退慶應義塾入学中退(18歳)

1897年学習院高等科入学(19歳)

1901年学習院高等科卒業学習院大学入学23歳)

1904年学習院大学卒業東京帝大入学(26歳)

1906年東京大卒業(28歳)

ていうか現代に生まれたらこの堪え性のない経歴と年齢の時点でロクな仕事に就けないはず

あと幼少時に引き継いだ親の遺産でこういうムーブしてるのが選挙ときいかにもウケ悪い

Permalink |記事への反応(0) | 16:05

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2025-07-12

「〇〇強」「〇〇弱」はどこまでの範囲を指すのか?

最近、少し話題になった「〇〇強」「〇〇弱」の話。

「一時間強と一時間弱についての解釈」について正解と間違えの図を描いたら確かに間違えているヒトはいると気付く、扇風機の強弱で勘違いするのかも - Togetter [トゥギャッター]

「5分弱煮るはどういう意味か?」というアンケートの結果を受けて白ごはん.comでは今後「5分弱」「大さじ1弱」といった表現は使わないことにした - Togetter [トゥギャッター]

「5分弱」が「5分よりわずかに少ない」と理解していたとしても、じゃあ実際には何分なんだよ、と多くの人が思っていることだろう。

4分50秒くらいなのか、4分30秒はどうなのか、あるいは4分10秒などでも「5分弱」と言えるのか。

誤用誤用だとは言っても、我々はそもそも「正用」とされる意味すらも把握できていない。

辞書を引くと、たとえば大辞泉は、

じゃく【弱】

[接尾]数量を表す語に付いて、実際はその数よりも少し少ないことを表す。数の端数を切り上げたときに用いる。

とし、日本国語大辞典は、

じゃく【弱】

〘 接尾語 〙 ある数の端数を切り上げたとき、示す数よりは少し、不足があることをいうために、数字のあとに付けて用いる。⇔強。

としている。

どちらも「端数を切り上げたとき」と書いてある。

まり「〇〇強」「〇〇弱」を使うときには、前提として端数の切り捨て・切り上げがあるのだ。

小数丸めとき、端数を切り捨てたのか、それとも切り上げたのか、それを示すために、切り捨てたときは「強」を付け、切り上げたときは「弱」を付ける。

というのが「〇〇強」「〇〇弱」のもともとの使われ方である

先に計算があって初めて「〇〇強」「〇〇弱」が成り立つのである

いきなり「〇〇強」という答えだけを提示されても元となった計算はわからない。

「4分1秒」を「分」に丸めとき四捨五入して切り捨てたのであれば「4分強」だが、切り上げたのなら「5分弱」になる。

1000円弱って何円くらいだと思う?」などと質問されたら「有効数字は何桁ですか?四捨五入ですか?」と聞き返さなければならない。

よって「〇〇強」「〇〇弱」を範囲として捉えるのがそもそも誤りなのである

もちろん「1時間強」などと言うとき無意識に「四捨五入して分を切り捨てている」のだろうから、そういう意味では間違いではない。

だが、それを「1時間よりちょっと長い時間を表すのに1時間強と言うんだ」というような理解をしているのは原義に悖る。

バーチャルのじゃロリおじさんが示した図などは誤った解釈典型と言えるのではないか



追記明治時代にどう使われていたか調査も行ったが、おおむね辞書のとおりだったので当初は省略していた。何かの参考になるかもしれないので公開しておく。

明治17年田中矢徳『算術教科書』にはこう書かれている。

少数ノ略値を要スルトキ末位ノ数若シ五ニ満タザルトキハ棄テテ用ヒズ之ヲ強ト云フ

又末位ノ数若シ五ニ満ルトキハ進メテ上位ノ一トナス之ヲ弱ト云フ

まり四捨五入」の話である

四捨五入したとき、端数を切り捨てたのか、それとも切り上げたのか、それを示すために、切り捨てたときは「強」を付け、切り上げたときは「弱」を付ける、ということである

もうひとつ明治21年の『数学講義録』、この講師は前述の田中矢徳である

数の末に強と弱との文字を添へて、末位の数に過不足あることを示します、この強と申は末位の数のさきになほ微小なる数が付き添へりと申意にて、三分二厘一毛五糸…を三分二厘強と申たぐひなり、この弱と申は末位の数に不足ありと申意にて右の奇零を三分二厘二毛弱と申たぐひなり、扨てこの切り上ぐると切り捨つるとは、何程の数が界ジャと申たしかなる定則のあるわけにもあらず、ホンの算者の意まかせなれど、本邦には四捨五入と申古き習慣あれば、私の教科書は大抵これにならひて、四までは切り捨て五にみちたるときは切り上ぐることといたしました

とりあえず、切り上げ切り捨ての端数を示すのに「強」「弱」を使うのが本義であって、四捨五入限定するような書き方をしていたのは田中矢徳のオリジナル、ということだろうか?

また亜剌伯(アラビア)記数式にてしるしたる数には強を加号+にて示し、弱を減号−にて示します、たとへば五厘強を .05+ かやうにしるし、また五厘弱を .05- かやうにしるす類ひなり

「+」「−」の訳語として「強」「弱」を充てたということなのだろうか、それとも数字に「強」「弱」を付ける書き方はもとからあったのだろうか、この記述ではよくわからない。

ちょっと脱線するが、この田中徳さん慶應義塾同人社とあわせて「三大義塾」と称された「攻玉塾」というところの出身らしい。

「攻玉塾」は明治六大教育家の一人・近藤真琴設立したもので、田中矢徳・鈴木長利・竹貫登代多・浅越金次郎などの数学者・教育者を輩出したという。

なるほど、この頃の数学教科書の著者を見ると、彼らの名前散見される。

ともあれ、田中矢徳ばかりでは偏ってしまうので、攻玉塾生以外の説明も見たい。

明治19年、遠藤利貞『高科算術書』。

四捨セシ数ヲ強ト謂フ

五入セシ数ヲ弱ト謂フ


明治25年、薗村宗太郎算術講義要略』。

既ニ夥多ノ小数位ヲ得テ尚除外セザルトキハ(中略)最下位ノ右に(+)号ヲ記シ以テ尚残数アルコトヲ示スヘシ

若シ其次ニ得ヘキ数5若クハ5ヨリ大ナルトキハ末位ニ一ヲ加ヘ(−)ノ符号ヲ記スヘシ

是レ此小数ハ稍々多キニ過クルヲ示ス所以ナリ

而シテ末位ノ右ニ(+)ヲ記ストキハ読テ強ト云ヒ(−)号ヲ記ストキハ読テ弱ト云フ


明治27年『活用練習実業珠算』。商工協会とあるだけで著者はわからない。

無限小数の除法に於て末位の小数四以下なるときは其四を払ひ唯捨てて何々強と呼ひ末位の小数五以上なるときは其五以下を払ひ上位に一を加へ何々弱と呼ふへし之れを四捨五入の法と云ふ


概ね、田中矢徳の説明に準じて、四捨五入したときの端数を示すのに使われていた、ということでよさそうだ。

当時の計算実例も挙げる。

明治13年の『岐阜県会議日誌』の学校の補助費のくだりである

今一万五百園ヲ生徒数(五万三千四百三拾八人)ニ除スレハ一人ニ十銭弱ナリ

又四千五百円ヲ校数(六百六十四校)ニ除スレハ一校六円七十七銭強ニ当ル

10500円を53438人で割るのだから0.196...円、つまり19.6...銭を切り上げて「20銭弱」。

4500円を664校で割るのだから6.777...円、四捨五入ではないが、端数を切り捨てて「6円77銭強」というわけである

なお、ひとつ混乱する事実提示する。

明治29年『帝国辞典』の「弱」の説明

五以下の数をいふ、五以上を強といふに対せり、即ち、十一円五十銭以下を十二円じやくといふが如し。

それは何か違くね?

これは編者が数学用語を誤解しているの?

それとも元々はこの意味だったのを数学用語転用したということなの?

なんもわからんね。

Permalink |記事への反応(5) | 16:00

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2025-06-10

大学群 2月はチョコOK

に 新潟

GOD 神戸

つ 筑波

わ 早稲田大

ち 千葉大

よこ 横浜国立大

O お茶の水女子大

K 慶應義塾

Permalink |記事への反応(0) | 08:49

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2025-06-04

三菱企業戦前から東大一橋慶應義塾が強いと言われてきましたが

三菱重工業では伝統的に三菱長崎造船所下関造船所の関係で九大(九州帝國大學)工学部も強い(三菱重工業第10社長は九大工卒の増田信行)ですし、京大(京都帝國大學)も三菱系には全般的に強いです。

三菱銀行三菱信託東京海上火災保険明治生命保険三菱系の金融会社では伝統的に東大一橋慶應義塾が強く特に三菱銀行では三菱合資會社社長三菱財閥四代目の岩崎小弥太(岩崎弥之助の長男)に厚く信頼されていた加藤武男(吉田茂内閣経済最高顧問)の影響で慶應義塾東大と並ぶ学閥が強いことで有名でした。

戦後三菱銀行でも加藤武男(慶大理財)、千金良宗三郎(慶大理財)、宇佐美洵(慶大経済佐藤栄作内閣池田勇人内閣からの引き継ぎ人事として戦後初の民間銀行出身者として第21代日銀総裁就任)の3名が慶大卒業生小笠原光雄(東京帝大法)、中谷一雄(東京帝大法)、田実渉(東京帝大経済)、中村俊男(東京帝大法)、山田春(東京帝大法)、伊夫伎一雄(東京帝大経済)、若井恒雄(東京帝大法)の東大卒業生7名に次ぐ頭取を輩出しています

三菱商事は伝統的に圧倒的に東大(東京帝國大學)が強く慶應出身社長水産畑の第5代社長三村庸平(慶大経済)社長だけですし、一橋出身社長機械畑のブンチンこと第4代社長の田部文一郎社長(東商大)と戦後の混乱期の田中完社長(東京高等商業卒業三菱合資會社出身)の二人だけです。

戦後東大出の三菱商事社長服部一郎(東京帝大法)、高垣勝次郎(東京帝大法)、荘清彦(東京帝大経済)、藤野忠次郎(東京帝大法)、近藤健男(東大工)、小島順彦(東大工)、小林健(東大法)、中西勝也(東大教養)の8名となります。因みに高垣勝次郎氏のご子息の高垣佑氏は東大経済学部卒業後、東京銀行(戦前横浜正金銀行)に入行し、上記の若井恒雄頭取時代三菱銀行合併して東京三菱銀行の初代頭取就任します。

三菱商事の社長には東大一橋慶大以外には三菱岩崎小弥太と縁が深い旧制成蹊高等学校からハーヴァード大学政治学部を卒業した第8代社長槇原稔大漢和辞典編纂者の漢学者諸橋轍次氏の御曹司である上智大学経済学部を卒業した第7代社長諸橋晋六早稲田大学理工学部卒業した第9代社長佐々木幹夫京都大学経済学部を卒業した第12社長の垣内威彦等もいてアメリカハーヴァード大学カソリックイエズス会経営上智大学卒業社長もいる様に東大卒業者と慶大卒業者に昭和時代にはほぼ頭取卒業大学限定されていた三菱銀行に比べると結構外国大学早慶以外の私大バラエティに富んでいます

三井系は戦前三井銀行財界三田閥の慶應義塾出身者の中上川彦次郎(福澤諭吉の甥)や池田成彬(中上川彦次郎の女婿)の強い影響力でかなり強い慶應閥の銀行でした。

戦後三井銀行(戦前には第一銀行合併して帝國銀行)及び三井グループドンと言われた佐藤喜一郎戦前三井銀行では慶應義塾大学に次ぐ学閥だった東京帝國大學経済学部卒業生でした。佐藤喜一郎旧制横浜一中(現在の県立希望ヶ丘高校)、旧制一高、東京帝國大學経済学部卒業エリートで当時の池田成彬と並ぶ三井銀行の実力者だった東京英和学校(後の青山学院)出の米山梅吉の紹介で三井銀行に入行します。

戦後三井銀行でも慶大出身社長(頭取)は柳満珠雄(慶大理財)や板倉譲治(慶大経済)や神谷健一(慶大経済)と東大出身佐藤喜一郎(東京帝大経済)、田中久兵衛(東京帝大経済)、関正彦(東京帝大経済)、末松謙一(東大経済)の4名に次ぐ3名を輩出しています

三井銀行では戦前池田成彬と並ぶ実力者だった米山梅吉(後の三井信託社長)が青山学院前身東京英和学校出身者であったので其の米山梅吉の強い引きで三井銀行に入行した青山学院高等科卒業万代順四郎も慶應出や東大出との出世競争に打ち勝って三井銀行頭取戦前に務めています。※銀行では戦後頭取と呼ばずに社長呼称しています

しかしながら三井財閥の持株會社だった三井合名會社と並ぶ中核企業だった三井物産は鈍翁・益田孝三田偏重学閥排除目的から意識的一橋高等商業学校東京高等商業学校東京商科大学三井物産の幹部社員候補として意識的に重点的に優先採用して来たので戦前から戦後のある時期までは三井物産は完全な一橋如水会が最大の学閥となる総合商社でした。

戦後三井物産でも名物社長と言われた三井物産再統合立役者新関八洲太郎や『ハヤブサの達』こと水上達三、『根アカ経営論』の八尋俊邦等は皆、一橋東京高等商業学校東京商科大学卒業生です。

戦後三井物産の東大出の社長池田芳蔵(東京帝大経済)、江尻宏一郎(東京帝大法)、槍田松榮(東大工)、安永竜夫(東大工)の4名で京大出の社長熊谷直彦(京大法)と上島重ニ(京大経済)の2名で慶應出の社長は今の堀健一(慶大経済)の1名だけです。

一橋(3)と東大(4)と京大(2)と慶大(1)以外の三井物産の社長学歴長崎高等商業学校(長崎大学経済学部)卒業の若杉末雪と東京外国大学外国語学部ポルトガル語学科卒業清水慎次郎と横浜国立大学経営学部卒業飯島彰己となります

住友系は戦前財閥持株会社だった住友合資會社が戦前には今の東大東京帝國大學や今の京大京都帝國大學や今の一橋大の東京商科大学や今の神戸大の神戸商業大学旧帝大と旧商大グループ意識的幹部社員として優先採用してきたので今でも東大京大一橋大や神戸大が人脈的に強い傾向があります

文系戦後派の阪大も今ではかなり強いです。

戦後住友銀行頭取野田哲造(東京帝大法)、鈴木剛(京都帝大経済)、堀田庄三(京都帝大経済)、浅井孝二(神戸高商)、伊部恭之助(東京帝大経済)、磯田一郎(京都帝大法)、小松康(東京帝大経済)、巽外夫(京都帝大法)、森川敏雄(東大法)、西川善文(阪大法)となります

戦後住友銀行頭取学歴京大4名、東大4名、阪大1名、神戸大1 名となります

三菱財閥三井財閥銀行商社に多く見られた一橋慶應義塾出身者は住友銀行頭取では皆無となります

文系戦後派の阪大住友系には強く西川善文元三住友銀行頭取(後にゆうちょ銀行社長)の様な個性的人材を輩出しています

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2025-05-31

大学群 ワッパーJR系統

早稲田大

筑波

上智

理科大

慶應義塾

東大

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2025-05-25

大学群 加藤=K=ZRW(かとうけいじろう

東京科学

東京

慶應義塾

上智

東京理科大

早稲田大

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2025-05-22

大学群 理系SHOW

東京理科大

慶應義塾

昭和医科大

早稲田大

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2025-05-17

大学群 TOKYO創業 SMASHHIT

東京大

早稲田大

慶應義塾

上智

明治

青学大

サイエンス東京

法政

一橋

東京理科大

Permalink |記事への反応(0) | 15:00

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2025-03-14

慶應義塾大学法学部入試問題に張り巡らされた美しい罠について

受験世界史の難問とかを扱っているブログで、今年の慶應義塾大学法学部入試問題分析されていた個人的面白い趣向だと思ったので、ブログ主さんの褌を借りて、自分なりの解答法を書いてみたい。

13.慶應義塾大 法学部(8つめ)

種別>難問

問題>2 1990年代安全保障理事会によって設立された国際刑事法廷においては,様々な国や武装勢力指導者戦争犯罪などにより訴追されており,2006年に死去した (43)(44) もその一人である

16.カラジッチ   18.金正日   29.ティトー   43.ピノチェト

49.ポル=ポト   52.ミロシェヴィッチ

(編註:関係のある選択肢のみ抜粋

この問題には2つの解答ルートがある。第1に「安全保障理事会によって設立された国際刑事法廷においては、様々な国や武装勢力指導者戦争犯罪などにより訴追」、第2に「2006年に死去」である

第1のルート、「安全保障理事会によって設立された国際刑事法廷においては、様々な国や武装勢力指導者戦争犯罪などにより訴追」から辿ってみよう(なお、全員の死亡の年代を正確には知らないことは前提とする)。

まず、彼らの行いに対する裁判が行われたことがないので金正日ティトーを除外する。厳密にはどっかで無意味欠席裁判がなされているかもしれないが、少なくとも当事者には何ら影響を及ぼしていないので無視してよい。

この問題鬼畜たる所以は、残り4人の行いは訴追されたことがあるという点である

この4人の中では、最初ピノチェトを除外することができる。彼は独裁政権下でのスペイン国籍者への弾圧理由スペイン当局から逮捕状が出されており、1998年イギリスで拘束された。チリ独裁者スペイン逮捕状に基づきイギリス逮捕される」というおもしろ事案であるため、国際刑事司法に興味がある学生なら聞き覚えはあるだろう。しかし老齢のため裁判に出廷できないと判断され2000年に釈放される。そして帰国後に母国チリ告発され、同年のうちに訴追されるが、ここでも老齢ゆえに裁判は開かれなかった。つまりかに彼は「訴追された」に該当するのだが、ここまでの記述からわかるように彼は徹頭徹尾各国の国内法に基づいて拘束・訴追されたので、「国際法廷」には当てはまらないのだ。ピノチェトスペインで拘束されたという話を知っている受験生ならば容易に消去できるはずである

次にポル・ポトを除外できる。なるほどポル・ポト派の裁判国連支援を受けてカンボジアで開かれ、ジェノサイド罪に問われて終身刑を科せられた者もいる。しかし、問題文で「安全保障理事会によって設立された国際刑事法廷とあることに注目したい。クメール・ルージュ圧政から解放されたカンボジアは、国連法廷開設のための支援要請した。これを受け、国連総会の承認の下、外国人判事も加えた国内法廷として2006年カンボジア特別法廷が開廷される。そう、ポル・ポト派に対する裁判は「国連総会が支援した国内法廷」であって「国連安保理が設立した国際法廷」ではないので、問題文の要求を満たさなであるカンボジア特別法廷に興味を持つ受験生であればこの選択肢は容易に消去できるはずだ。また、そもそも論としてポル・ポト本人は既に死んでいたので訴追の対象にならなかったのを知っていれば、消去はより容易であろう。

そして2人が残る。国連安保理決議に基づいて設立された旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷ICTY)に訴追された2人のセルビア人カラジッチとミロシェヴィッチであるしかしこの2人を「安全保障理事会によって設立された国際刑事法廷においては、様々な国や武装勢力指導者戦争犯罪などにより訴追」から絞り込むことはできないので、ここで詰みとなる。

続いて第2のルート、「2006年に死去」から辿ってみよう(なお、法廷の詳細を知らないことは前提とする)。

真っ先に除外できるのはティトーである彼の死後にユーゴスラヴィア解体が起きるということは、彼は1991年以前に死んでいることがわかるのでこれが一番楽だ(実際に1980年没)。ユーゴスラヴィア解体の要因のひとつとして、圧倒的カリスマを誇ったティトーが死んだということがしばしば挙げられるので、ユーゴスラヴィアについて一通り学習した受験生なら余裕で消せるだろう。

次に、意外かもしれないがカラジッチを消去できる。彼は(詳細はよく知らないとしても)法廷で裁かれて終身刑判決が出ているが、それは2019年ことなのだ。したがって大学入試の6年前から国際ニュースをチェックしている意欲的な受験生であれば2006年没ではないことが容易にわかる。中学1年の時点から世界情勢を学んでおくようにという慶應義塾大学法学部の熱いメッセージであり、受験諸君真摯に受け止めてほしい。

さて、次は金正日を消すことができる。ニュースを見ていれば、金正恩権力を握って10年以上(えっ、もうそんなに!?)経っているけれども、流石に20年は経っていないと推測できるが……いや、金正日って2011年に死んでるわけで、2006年に死んだわけではないという確信を得るのはけっこう難しい。これが仮に2019年2024年なら「あいつが死んだのは去年だろ」とか言えるけど、14年前に死んだのであって19年前ではないと確信するのは我々大人でも難しいのに受験生には酷ではないかしかしこれは21世紀に入ってから出来事であるので、最近出来事は1年単位時系列を頭に入れておくのが当然だという慶應義塾大学法学部の緻密な思考力を見せつけているのだと思うことにしよう。

最大の難問はポル・ポトだろう。彼は1998年に没しているが、1925年まれなので2006年に死んでいてもまったく不思議ではない。しかも悪いことに、彼の政敵や仲間たちは実際に長生きしているのだ。ノロドム・シハヌーク国王は彼よりも年長だが2012年に没しているし、ポル・ポトに次ぐナンバー2だったヌオン・チア2019年に没している。そして民主カンプチア首相を努めたキュー・サムファンに至っては現時点で存命である。これでは彼が2006年に死んだのではないことを確かめるのは難しい。しかし、上述したようにカンボジア特別法廷の開設は2006年であることと、ポル・ポトは既に亡くなっていたので訴追されなかったことを知っていれば、彼の死は2005年以前である蓋然性が高くなるので、かろうじて除外することができる。

そして、ここでもまた2人が残る。2006年に死去したチリ独裁者ピノチェトセルビア独裁者ミロシェヴィッチであるしかしこの2人は「2006年に死去」という文面からはまったく区別できないので、ここで詰みとなる。

2つのルートのいずれから登攀しようとしても答えを絞りきれなかったので、激烈な難しさであるしか双方を探索すれば、いずれのルートでも候補に上がっているのはミロシェヴィッチしかいないので、彼が答えだということがわかる

出題者の張り巡らせた緻密な伏線には感嘆せざるを得ない。本問は没年から探索しようとしても国際法廷の知識がないと解けないし、国際法から解こうとすると没年がわからないと解けないということで、精巧に罠が仕掛けられている。国際法廷と没年、両方のマリアージュで初めて解ける良く練られた良問と評価してよいだろう(なお高校世界史範囲は考えないものとする)。

国際刑事司法についての興味関心があれば、ポル・ポト裁判前に死んだことやピノチェトスペインから訴追されたこと、ミロシェヴィッチ獄死したことカラジッチが長年にわたる逃亡生活のすえに拘束されて裁判にかけられたことなどは有名であるため、慶應義塾大学法学部は国際刑事司法に詳しい受験生を求めているのだと推察できる。おそらくこれらの話は法学部教授にとってはよく知られていることなのであろう。たとえば大屋雄裕氏(元名古屋大学教授、現慶應義塾大学法学部教授)の法哲学に関する論説でもカラジチの名前は出てくるし、彼の著書『自由とは何か』(ちくま新書2007年。良書なのでオススメ)ではポル・ポトの事蹟にも触れられているので、きっと法学部教員はこういったものを事前に読んでおけと言いたいのだろう。なんと志の高い大学だろうか!

……いや、無理だろ。

Permalink |記事への反応(13) | 20:20

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2025-03-02

anond:20250301182938

アイドル芸人でも出来れば一橋大以上、最低でも慶應義塾大ぐらいは出てたらいいなって思う。

セクゾM-1だんだん理想に近付いてきてくれて、嬉しい。

Permalink |記事への反応(0) | 01:37

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2024-09-30

高校学歴至上主義

終わったことですけど、今回の自民党総裁戦。

これまで、帝大卒はたくさんいたけど、東大卒総理鳩山だけ。一方で1925年以降生まれ早稲田総理は6人(海部福田康夫、小渕、森、野田、岸田)、慶應は二人(橋龍小泉である

東大卒官僚として国を率いるもので、総理大臣になんかならない、という意識があったかもしれない。

そんな中、今回総裁選に出ていた候補は、上川加藤茂木、林、小林と半数以上が東大卒しかもそのうち4人がハーバード留学している超学歴エリートだった。なんか意外じゃない?私は意外。

ところで東大組(とか医学部組)はわかる通り、本当に重要学歴マウンティング情報出身高校に隠れている。なんか実は同じ高校組でつるんでたりすんのよ。そこでこの5人(+断念した斉藤健)の出身高校を見なければならない。偏差値こちら合格確実ライン掲載のない高校は?とした。たとえば雙葉学園系は高校募集がないと思う。あとは、数字がある高校より偏差値が高いということはない。

東大出身総裁選候補出身高校
候補出身高校偏差値第一投票
林芳正下関西高校?65
小林鷹之開成6960
茂木敏充足利高校?47
上川陽子静岡雙葉高等学校?40
加藤勝信都立大泉?22
斎藤健筑駒72--

みんないろんなところから東大に行っているのである。必ずしも県下最上位高と言うわけでもないよ。中学入試至上主義誤謬がよくわかる表だ。

これまでは、偉い政治家学歴の相関はかなり悪かったと思うが、このように相関が出てきているところ、それでもなお有名中高出身者は少ないのである。小中はみんなのびのびと学び、スポーツし、楽器を奏で、プログラミングをした方がいいね

ところで高校視点では、推薦人集められなかった斎藤サンが最高学歴であった。とはいえ高校入学である筑駒(もしくは灘)の中学入学組がわが国の学歴の頂点であることは論を俟たないため、このグループ総裁候補の出現が望まれる。もしくは中学入試なんて役立たねえよ、って社会に向けて発信してほしい。笑。

おまけ、東大以外出身の人
候補出身高校偏差値第一投票
高市早苗畝傍高校52181
石破茂鳥取西高校?154
小泉進次郎関東学院六浦高校?136
河野太郎慶應義塾高6430
野田聖子田園調布雙葉高校中退?--

どう見てもこちらの方が大物揃いで、得票数も桁がちがう。よ〜するに、東大卒が5人いたけど、上3人は非東大、っていう総裁選だったわけです。唯一有名校の河野さんはボロボロだったし。

大学まで見たって、やっぱり学歴なんかじゃない、と言うことか。やっぱり本当の学歴エリート総理大臣なんて目指さないのか。それとも、東大卒なら小物でも総裁選出馬までいけるという意味なのか。皆さんはどう思いますか。

終わりに

今回は人数が多かったおかげで、学歴厨にはおもろい総裁選でございました。統計見るにはサンプル数が多いに限る。私が学歴至上主義かどうかは皆さんにお任せします。

私としては、このデータ開陳することで、小1から塾とかいう狂った親御さんが少なくなることを期待する次第。

Permalink |記事への反応(3) | 20:20

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2024-06-28

大学群 京大神塾(けいおおしんじゅく)

京都

大阪

神戸

慶應義塾

Permalink |記事への反応(0) | 22:36

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2024-03-15

大学群 應工早東農法(おうこうそうとうのうほう) 洋京教橋(ようきょうきょうきょうきょう)

慶應義塾

東工大

早稲田大

東京大

東京農工大

法政


東京海洋大学

京都大学

立教大学

一橋大学

Permalink |記事への反応(0) | 06:51

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2024-01-11

「地下のナマズが暴れると地震が起きる」説はいつごろ廃れたのか、について調べていた

おおよその流れは掴めてきたので一旦ここにまとめる

結論から言うと、明治元年1868年)ごろから急速に地震信仰は失われたと思われる

天保元年ごろ(1830年ごろ)

高野長英蘭学者

『泰西地震説』を執筆

オランダ辞典をもとに、地震がなぜ起きるかを科学的に説明した内容を翻訳した

安政元年(1854年

安政の大地震

鯰絵が大流行した

しかし「鯰絵が流行した=民衆地震の原因を鯰だと信じていた」と等号で結んでいいのか?という点はちょっと怪しいと思っているのだが……

というのも江戸時代末期の時点で、江戸の町民はお化け妖怪実在をどうやらあまり信じていなかったように資料を見ていると思えてくる

お化け妖怪実在を信じない人が地下の大鯰を信じるというのは不自然に思える……という感覚21世紀に生きる人間感覚だろうか

『泰西地震説』が世に出ておおよそ20年後出来事

『泰西地震説』は学者が読むような専門書で、一般民衆にはあまりまれなかったのだろうか?

江戸時代にもいくらかは民衆が読むような蘭学書が流通していたようなのだが、地震の原因を科学的に解説するようなものはなかったのだろうか?

当時は陰陽五行思想を信じる人が多かったはずなのだが、この思想では地震をどのように説明している?

ここは特に追加調査必要

鯰絵について語られた本でKindleで買えるものが無いため、追加調査図書館本屋資料を入手してからになる

明治元年1868年

小幡篤次郎、後の慶應義塾長、『学問のすゝめ』を福澤諭吉と共著した人物

天変地異』を執筆

小学校教科書にもなった本

雷、地震彗星、虹といった自然現象に科学解説を行った本

地震原理について、『泰西地震説』で解説された内容とだいたい同じ説明がされている

こういう本をわざわざ出版する必要があったということは、これに書かれた知識は当時広く知られていなかった……とみることができるか

明治元年でいきなりこんな教科書を出すとは正直驚きを感じる

西欧に追いつこうという強い意欲が見える気がする

明治初期の就学率は今と比べると低くはあるが、この本によって一部の若者に対して啓蒙が行われた

これによって明治に生きた若者地震鯰を迷信と見なすようになったのであろう

明治に書かれたエッセイ新聞記事を探したい

「私の父は地震鯰のような俗説を信じていてやれやれだ」みたいな記述がこの時代にもし存在すれば嬉しいのだが……

また、教科書ではなく大人が読むような啓蒙本はどのようなものがあったのだろうか?

追加調査必要

民俗学方面からばかり攻めていたが、明治維新に関する読み物を探すのもありか?

明治13年(1880年

横浜地震

M5.5程度で揺れはそこまで大きくなかったようだ

この地震体験したジョン・ミルンというイギリス人地震研究に関心を持ち日本地震学会を創設した

明治24年(1891年

濃尾地震

安政の大地震以来の巨大地震という言及が当時の新聞にある

科学者が地震調査のため派遣された、のような記事新聞に載っている

大正12年1923年

関東大震災

このときいくらかは鯰絵が描かれたようだ

ただ「鯰絵が描かれた=民衆地震の原因を鯰だと信じていた」にはならないだろう

大正15年(1926年

井上江花、新聞記者

『江花叢書』第1巻

当時のエッセイ的な読み物

関東大震災に対する四方山話からの流れで「地震と大鯰」という題が名付けられた項がある

一部引用する

鯰説の根拠は物識りに聴かなければ確かとしたことは分らぬけれども、志那傅來であることだけは疑ひもない。大地の下には大鯰が生棲して、平生は辛抱強くじつとして動かぬけれども、どうかした拍子に其の尾鰭を動かすと大地が震動するのであると云ふので、我邦では正直に之れを信じ、

「正直に之れを信じ」という表現から、今は信じる人はいないというニュアンスを読み取る

1926年時点で安政の大地震はおおよそ70年前くらいか

「おじいちゃん子どもの頃は地震の原因は鯰だと思っていてね」と語る人がいてもおかしくない年数だ

科学とか西欧合理主義流行った結果、地震信仰のような俗説が廃れたんだろうなあ

ひと段落したら明治大正を生き延びた俗説で何か面白いものがないか調べてみたい

あと、柳田國男著作をまだどれも読んでいない

先に読んだ方が民俗学視点が備わって調査の全体の見通しがたつかもしれない

日記

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明治時代より前の時期の日本において、「なぜ地震は起きるのか?」のような原理の解明を目指した学者がどうにも見つからない

あるいは調べ方が悪いのか……

幕末日本人は地震ナマズを信じていなかった、ではいつ頃まで信じられていたのか?

あるいは最初からモノの喩えだと認識していたのか?

もしそうだとすると「地震の原因がナマズというのは俗説だ。本当はこのようなメカニズムだ」という探求が行われていてもいいではないか

そういった研究痕跡を見つけることができない

見つけることができない以上、ナマズ説を信じていたのかもしれないと消極的にだが認識せざるをえない

儒教においては「陰だか陽だかの気が地面から噴き出る時に地面が揺れる」のような説明がされているらしい

日本儒学者はそれを信じていた?だとすると江戸民衆のその説をどの程度認知していた?

あるいは「ナマズが原因ってことはないだろうけど、本当の原因が何かと聞かれると分からんなあ。詳しいことは学者先生に聞いてくれ」というスタンスが大多数か

日本人の宇宙観を調べた時にも思ったが、当時の天文方観測と暦の作成にばかり注力していて「なぜ?」という問いを立てない

調べることだらけだ、学生の頃に日本史や世界史選択しておけばよかった

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施政者が失政すると地震が起きる」みたいな思想もある

また、火山雷雨地震の3つセットを司る龍神がいるという信仰もある

ナマズじゃなくても結局別の信仰になってしま

ナマズが俗説ってそういうこと?

まり俗説でない主流の説は鹿島神だとか龍神に原因を求める?

この観点でも調査

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本屋に行ったが鯰絵関係の本が一冊もなく購入できなかった

しかし『陰陽五行日本民俗』という本を購入

陰陽五行について何も知らないに等しいので勉強しなければ

しか本来本業に関する勉強をして給料を増やす努力をすべきなのだろうが、仕事関係ない本ばかり買って読んでしま

悲しいね

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トラバブコメにあまり反応しないようにしているのだが(そこそこの確率不毛なので)、今回は必要を感じた

鯰絵はアマビエブームと近いものを感じるという意見には強く同感

ただ、いろんな本や資料に「昔の日本人は本気で地下にいるナマズ地震の原因だと信じていました」と書かれているんだよな……

これに強い疑いを抱く

しかし、アマチュアの私が思いつくようなことをプロ研究家が思いついていないわけがない……

なにか根拠があるはずと信じる

あと、この日記以外に書いている場所はない

清書の予定は……調査がひと段落したときにあるいはありえるかもしれない

追加調査資料入手待ちとか頓挫とか色々な理由でできていないことが多い

追加調査の結果を追記しようとすると買った本の内容丸写しみたいになりかねず、倫理的にどうなの?という気分を拭えず自分の中だけで調べた結果を味わうこともそこそこある

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先行研究

記録表現にみる中世日本の地震認識

ナマズ地震が紐づけられる以前の地震認識

断層沿いに立地する神社とその周辺環境に関する研究

近世地震認識記述がある!これをベースに調べるのが最善か

江戸時代の宗教観と芸能の盛行

幕末明治海外の人から見た日本人の宗教観記載がある

神や仏に敬虔祈りを捧げない一方で迷信深い、この点は現代日本と地続きに感じる

この庶民信仰の深部に最も接近した欧米人は、明治来日したアメリカ女性教育者アリスベーコンであろう。彼女は「村を見おろしている岩の頂上は天狗が作った」。「天狗はもうこの森から去って今はいない」。さきほど「山の神様の使いである大きな黒蛇が、いましがた、ここを通った」と説明する陽気な老女に接し、「神秘不可思議事物に対する彼女のかたい信念は、かしこい人々はとっくに脱ぎすてているものだけれど」、「すべての自然が深遠な神秘に包まれている文化のありかたへの共感私たちの心に湧きあがらせてくれた」と表した。

考えてみれば迷信深いお婆さんは昔は迷信深い若き女性だったかもしれないわけで、幕末だとその考えがスタンダードだった可能性があるわけだ

この引用箇所は別の文献から孫引きになるのでこういうことするのは本当はよくないのだが……

該当箇所は『逝きし世の面影』という本から引用……kindleあるじゃないか、買います

これを書いた渡辺京二という方の著作はすべて読んでもいいかもしれない

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現代を生きる信心深いキリスト教徒にとって「神は実在する」と「妖精/人魚/ドラゴン実在しない」の考えは矛盾なく両立するのではないか

(「実在」という言葉定義をしっかり言語化しないととまずい気配を感じる……)

同様に幕末江戸町民にとっても「神/仏/龍神/大鯰は実在する」と「妖怪/お化け実在しない」の考えは矛盾なく両立する可能性がある

ここらへんは本当に現代日本パラダイムに考えが支配された人間にとって想像しにくい領域

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2023-12-28

役不足」と「役者不足」の誤用について調べてみた

はじめに

一般に「役不足」と「役者不足」の誤用については以下のように説明されると思う。

役不足」とは「能力に対して役が不足している・地位が低すぎる」という意味だが、逆に捉えて「役に対して能力が不足している・地位が高すぎる」と誤用されることが多い。「役に対して能力が不足している」ときは「役者不足」と言うべきである

こうした言説について少し検証してみたい。

役不足

まずは「役不足」の辞書的な定義を見てみよう。

精選版日本国語大辞典

やく‐ぶそく【役不足】〘名〙 (形動)

① 振り当てられた役に対して不満を抱くこと。与えられた役目に満足しないこと。

滑稽本・八笑人(1820‐49)四「くじ次第にして、役不足(ヤクブソク)をいひっこなしだよ」

② その人の力量に対して、役目が不相応に軽いこと。軽い役目のため実力を十分に発揮できないこと。

※文科大学挿話(1926)〈川端康成〉一「人間の才能は役不足時代に衰へてしまひ易いものなんだ」

③ (誤って、役に対して自分能力が足りないの意と解したもの)役割を果たす力がないこと。荷が重いこと。

※続一等サラリーマン(1952)〈源氏鶏太〉「続・三等重役」の撮影現場を見て「僕は社長の息子なんてのは役不足だね。やっぱり、会社給仕の方が、いちばんピッタリだよ」

能力に対して役が不足している」は② の用法だ。ところが何故か① の用法と分かれている。日本国語大辞典は、古い順に語義を並べているので、つまり本来用法は①で、あとから②の用法が生まれた、ということだ。いったい役不足① と役不足② は何が違うのか。

結論を言うと、役不足①における「不足」とは単に「不満」の意味しかない。

ふ‐そく【不足】〘名〙

① (形動) (━する) たりないこと。欠けていること。また、そのさまやその箇所。不完全。不十分。欠点

② (形動) (━する) 満足でないこと。不平に思うこと。また、そのさま。不満足。不満。不平。

まり役不足」は不足①ではなく不足②の用法だということである。「もっと良い役をやりたい」というだけでなく「自分はこの役には向いていない」とか「こんな重い役はやりたくない」とかそういう不満もひっくるめて「役不足」なのである

たとえば明治22年加須屋寿賀蔵『花嫁』という小説

里吉は何を考へたるか、今更遅八刻(おそまき)の役不足

「アノ若 イゝヱ貢さん 妾(わたし)は萬の何テ、人にないから ヤッパリお岸にでもして貰へば好(よか)った、色気のある…」

これは『伊勢音頭恋寝刃』という演目をやる役者が「自分には万野の役は向いていないからお岸の役のほうがよかった」と文句を言っている場面である。万野は悪役だが重要登場人物であり、お岸と比べて端役だということはないので、これはただ向き不向きの話でしかないことがわかる。

明治23年の右田寅彦『垂氷の月』。

「何時までもお心易く交際(つきあっ)て妹を一人拵へたと思召して下さいましよ」

「イヤイヤ夫(それ)は不承知だ妹なぞと思ふのは些と此方で役不足からマア其気で交際(つきあ)ひませう」

女性が「これからは兄妹のように付き合いましょう」と申し出るが、男性はそれを断り「あなたが妹だなんてこっちは役不足だ」と言う場面。このあと「そうですよね私ごときが妹などと迷惑ですよね」「いや妹ではなく妻だと思っているのだ」という少女漫画ばりの展開になるが。この「役不足」を現代的に解釈するとやや不自然で、ここは「兄のような立場には不満がある」とだけ理解すべきだろう。

明治40年の『慶應義塾學報』。

此創立五十年紀念理財学会に於て私は非常にむづかしい役目を言い付かつたので、少々困つて居る所でありますが、併し今更役不足を言つた所が追付かぬ、其役目は慶應義塾に於ける経済学研究の変遷に就ての講演をせよと云ふ、余程これはむづかしい事である

「非常に難しい役目」に対して「役不足」だと言っているので、現在解釈では誤用だと思われるだろうが、これも「役不足」を「役目に対する不満」と言い換えればすんなり意味が通る。

実は日本国語大辞典誤用例として挙げられていた以下のセリフも、

「僕は社長の息子なんてのは役不足だね。やっぱり、会社給仕の方が、いちばんピッタリだよ」

これは「社長の息子役には向いていないから演じたくない」という俳優の不満なので、本来の「役不足」の意味からすれば正しいのである

参考:https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihongonokenkyu/5/3/5_KJ00006039255/_pdf/-char/ja

ちなみに、現在誤用だとされている役不足③の用法、すなわち「役に対して能力が不足している・地位が高すぎる」という用例は、いつごろから現れはじめたのだろうか。なかなか判断が難しいところだが、たとえば明治36年の月露行客『三百年後の東京』。

お話の男は貴郎に似ているやうじやありませんか、ホホホホ」

「爾(そう)だと結構ですが情けないことには私はその男に似てはいません誠に意久地なしで、併し貴嬢が能くそ婦人に似ていますよ」

「いいえ、妾こそ其役には適当(はまり)ませんが、貴郎はその役割に不足はありませんよ」

「ぢや拙者には荷が勝ていますが、無理に其役を務めたなら、貴嬢はその情婦の役を努めて下さいますか」

「妾しにその婦人の扮(いでたち)が出来ますものなら、真似て見ても可(いい)のですが……」

と口籠た、勝田ますます胸跳り、恍惚として我にもあらで、

「本統ですか、貴嬢それは、私の役不足を許して下さいますか、若(もし)もそれが真実であつたなら、私は此の世に他の望みがありません」

これは「役に不満がある」でもなし「役が軽すぎる」でもなし「役に対して能力が不足している」と解釈しなければ読めないのではないか

役者不足

現在のところ「役者不足」は「役者としての能力が不足している」と説明されることが多い。一方で、「役者不足」という言葉が多くの辞書に載っていないことを根拠として「役者不足などという言葉はない」あるいは「役不足誤用説明するために新しく生み出された言葉である」とされることも多い。

もちろん、単純に「芝居に出る役者の人数が不足している」という意味での「役者不足」の用例が存在するのは当たり前である。それ以外の、熟語としての「役者不足」の用法を探してみたい。

たとえば昭和6年六大学野球全集』。

これ等のチームが一枚看板たる以上の投手に配するに、力ある捕手をとらへ、しかして二三の力強き打者を加へたならばさういつまでも呉下の阿蒙たるべきものでないと思ふが、如何せん役者不足の憾みがある。

あるいは昭和9年『隣人之友』。

白井喬二といふ男は一時直木あたりが黒幕大菩薩峠の向うを張らせようとヤツキとなつて、身振りこはいろべたべたとすり寄つて見たものだが、そのうち黒幕の直木が舞台へ踊り出してしまつたので、ここもと少しテレた形だが、役者不足でこんどはヨタものどもが白井あたりを担ぎ出すの幕となる

これらのように、「役不足」よりは用例は少ないが、「役者不足」が「人材不足」「戦力不足」のような意味で使われることはあったようだ。

しか昭和12年『キネマ週報』。

妹尾「僕は凡て役者不足のやうな感じがさせられたんです。溝口監督メガフォン執って此のシナリオを用ひたら、まだまだいい映画が出来る筈だと思ひます。」

これはどう捉えるべきだろう。「実力のある役者が出演していない」という意味なのか「出演した役者能力が足りていない」という意味なのか。

昭和19年海音寺潮五郎『父祖の道』。

次には、久光公では役者不足である。かかる思い切った大経綸は、先君のやうなその力量手腕が天下にみとめられている人にしてはじめてできることで、久光公では荷がかちすぎる。

これは明らかに能力不足」の意味である

同じく昭和19年藤森成吉『太陽の子』。

対手がおひさでは風流話には役者不足だつたが、持ちまへの自然さとおほらかさで彼女は補つてくれた。

男が風景の素晴らしさを妻に語っている場面で、これも「能力不足」のほうか。

昭和24年1949年)『新日本経済』。

豪華舞台に淋しい役者不足

これは「財界人めぐり」と題したコラムタイトルだが、戦後財閥解体公職追放大人物がいなくなったことを嘆くものなので、「人材不足」の用例である

と、こうして見ていくと「役者不足」という熟語昭和初期から使われていたようであり、そして当時から人材不足」と「能力不足」で用法が並立していたようでもある。

まとめ

役不足

本来は「役に不満がある」という意味

・それが次第に「役が足りていない」と解釈されて「能力に対して地位が低すぎる」という意味限定されるようになった

・それがさらに「役に対して能力が足りていない」という意味でも使われるようになった(明治末?)

役者不足

本来は「役者の人数が足りていない」という意味

・転じて「人材が足りていない」という意味で使われるようになった(昭和初期?)

さらに「能力が足りていない」という意味でも使われるようになった(昭和初期?)

・ただし「役不足」と比べると用例はかなり少ない

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2023-10-31

現代人は「親が背が高いか子供も背が高い、親が白人ハーフから鼻が高い」とか身体的な遺伝は認めているのに、「親が高(低)知能だから子供も高(低)知能」って話になると急に認めない人が増えると聞く

とはいえギリ健発達とかと東大入るような家系の奴は

教育抜きにしても幼児期からモノが違うと思うし

周り見てりゃそれ体感的にも分かるだろうに





追記:

「知能については後天的要因の影響の割合が大きい」とか断言調に嘘ばら撒くブコメとか

知能の定義がとかろくに調べもせずに言うブコメが多いので追記したい。

日本だと

東大附属中高の双生児研究とか

慶應安藤寿康教室慶應義塾双生児研究プロジェクト首都圏ふたごプロジェクトが有名だけど

安藤らのプロジェクトでは

18年間総数1万組の双生児ペアに関して知能・学力性格精神疾患発達障害などを調査して

神経質、外向性、開拓性、同調性、勤勉性といった性格については30〜50%が遺伝要因

知能については70%以上、学力は50〜60%程度が遺伝要因であるとしている。

ちなみに知能検査としては京大NX知能検査

知能を構成している因子を知識技能思考判断・意欲・関心・態度等の基礎能力として

文章完成

日常記憶

折り紙パンチ

符号交換

・図形分割

・乱文構成

・ソシオグラム

単語完成

マトリックス

・重合板

類似反対語

上記項目を測定し算出している。



また、総計1455万8903人の双生児対象とした1958年から2012年までの各国多施設での2748件の研究メタ分析した報告でも、「パーソナリティ性格)」「能力」「社会行動」「精神疾患」における遺伝率は49%以上とされている。

Tinca J C Polderman, Beben Benyamin, Christiaan A de Leeuw, Patrick F Sullivanet.al (2015) Meta-analysis of the heritability ofhuman traits basedon fifty years of twin studies,Nature Genetics


また、養子が盛んに行われるキリスト教国家研究室で

養子になった子と養い親、産みの両親のそれぞれのIQ相関関係比較した養子研究法という調査も行われている。

この結果も養子が幼いうちは、ある程度の養い親とのIQ関係性が見られるが

中学生高校生になると、養い親とのIQ関係はまったくなくなり

逆に養子と本当の親の相関関係は、養子が幼少の頃こそ関係性は低いが、成長するに伴って関係性が高くなる。

という幼少期は子ども環境によってIQは変化するが、成長していくにつれて遺伝による影響が大きくなってくるという再現性のある結果が得られている。

ここまでをベースラインとして

定義問題とか、ふんわりした環境因子論に逃げないで

科学的にこの問題に向き合っていかないといけないと思う。

Permalink |記事への反応(28) | 08:39

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2023-10-27

東京起業慶應義塾

本のタイトルだけ思いついた

内容は知らん

出版関係者、このタイトルで本作っていいぞ

もし作るなら名刺だけくれや

Permalink |記事への反応(0) | 15:19

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2023-09-13

令和義塾

平成義塾

昭和義塾

大正義

明治義塾

慶應義塾

慶長義塾

元亀義塾

明徳義塾

嘉暦義塾

文治義塾

延暦義塾

和銅義塾

Permalink |記事への反応(0) | 08:51

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2023-08-24

子供は欲しいけど

自分の子供には幸せになって欲しい

からこそ子供を持たないって選択肢になる

脇役にもなれるかわからない、自分人生主人公にすらなれない人生を歩ませて惨めな思いをさせたくない

本当は家庭を築きたかった

俺って本当に皆婚世代負の遺産だな〜

仕事帰り、休日に一人で美味しい物食べてる時、一人で観光地歩いてる

ふとした時に惨めさで泣きたくなる

慶應義塾甲子園優勝してから特にこの惨めさが強くなってる

今年いっぱいが潮時かもしれない

Permalink |記事への反応(1) | 23:21

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2023-08-23

仙台育英偏差値41慶應義塾偏差値76

勉強もできないうえに、野球も弱いってどういうこと?

Permalink |記事への反応(1) | 23:19

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コンプレックス早慶戦

第105回全国高等学校野球選手権記念大会は、慶應義塾が8-2で仙台育英を破り、107年ぶり2度目の優勝で幕を閉じた。

TVで見ていたが、俺としてはどちらが勝っても良かったものの、もう少し僅差だったらより良かったという感想だ。

ネットでは、試合中も試合後も、慶応義塾応援についてあれこれ言われている。

慶応得点後、肩を組んで揺れる人々がアルプス最上段まで映されていたこから、想いを持って声援を送る関係者が、きっと、仙台育英よりも多かったのだろう。

から仙台育英必要以上に威圧して、プレーに影響を及ぼしたみたいなことがつぶやかれている。

しかし、例えば、美爆音などと呼ばれる学校応援もあるし、大声援自体は他校でもみられる

(「美爆音」という言い方はキモいと思うが、その学校応援甲子園で耳にした際は、明らかに音が2,3段階ぐらい大きく、感動した)。

結局のところ、頭も良くて、さわやかイケメン選手も中にはいて、それでいて慶応な上に、甲子園で優勝できるほど野球うまいという、勉強からきしでスポーツに全振りして今日慶応の姿を見るまではそこそこな青春だったと思っていた人や、青春謳歌できなかった人や、学歴コンプレックスにさいなまれる人に至る割と広範囲に対して、ほとんど完璧文武両道を見せつけたことへの妬みが「応援批判」に込められているのだと、俺の中で勝手解釈している。

男子校女子がいないという、ネットが優しくなってくれそうな要素も全く効果を発揮していない。

本題はここからなのだが、これがもし、早稲田付属校だったらどうだったのだろうか。

107年ぶりに対抗するためには、甲子園初出場で初優勝したという想定で進める。

調べていないけれど、早稲田実業以外の早稲田付属校で、甲子園出場経験のない学校あるよね?

そこは、坊主強制で、慶応並に頭も良いし、今日慶応に負けないぐらいの大声援。

8-2で仙台育英を破り初優勝。

さて、ネットはどうだろうか。

全く根拠はないのだけれど、慶応の方が色々言われてたんじゃないかと俺は思ってしまう。

こう思ってしまうのは、なぜなのだろう。

慶応慶応ボーイ感、早稲田は泥臭いスマートでカッコいいのは慶応みたいな刷り込みなのだろうか。

あくまで俺の中では、慶応早稲田も同じぐらいの「頭の良い学校である

しかし、なぜか世間は、慶応によりコンプレックスを感じてしまうのではないか想像してしまう。

甲子園決勝で、早稲田付属校VS慶応付属校の早慶戦が行われたら、とんでもないことになりそう。

見てみたいね

Permalink |記事への反応(4) | 23:17

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2023-08-01

私は千葉県酒々井町で生まれ育ち、千葉県佐倉高等学校卒業代ゼミから一橋大学商学部に入るまでは安穏と過ごしていた。在学中ストックホルム商科大学留学し、ローベン島離宮で行われたパーティーで知り合った貴族達と関わるうちに彼らの有色人種虐殺計画を知った。一橋大学商学部卒業後に神戸大学医学部医学科と医学研究科にてストックホルム貴族達の陰謀を暴くため研究に打ち込むも怯えた教授から医局と学会追放サナトリウムにて亥鼻工作員たちから拘束される屈辱を受けた。

現在ストックホルム貴族達との決戦を決意しリクスダーゲンに向け、私をベルナドッテ王朝に代わるスウェーデン国王に推戴するよう働きかけている。

こんな私にも休息は必要である

数日前に諸事情があり東京へ赴いた。ストックホルム貴族達による有色人種虐殺計画に対し、国王陛下行政府がどのように対応しようとしているのか、或いはしていないのかを確認するためであったが、結果的にペールエリック・ヘーグベリ大使閣下にお会いすることは叶わなかった。急に伺ったこちらにも非礼はあるが非常に残念である

せっかく東京まで来たのにこのまま帰るのはあまりもつまらない。六本木蔦屋にて東京医学社と慶應義塾出版会の雑誌書籍を数冊買い込むと、そのままタクシーに乗ってしばらく東京を流し、面影橋のあたりで降りた。

かつて日本女子大学女性交際していた学生時代雑司ヶ谷早稲田高田のあたりをよく散策したものである

しばらく神田川沿い、目白通りをふらついてからリーガロイヤルホテル東京に向かいガーデンラウンジで買い込んだ雑誌を読むことに。

アメリカンクラブハウスサンドイッチとアイスコーヒーを注文し、その後フルーツケーキと2杯目のアイスコーヒーを注文した。

束の間の休息を終えた私は東京駅に向かい、再び闘争日常へと帰還したのである

Permalink |記事への反応(1) | 15:38

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2023-05-28

慶應義塾大学ブランドが地に落ちてしまったと思う

最近思うが、社会人になってしばらくしてから何らかのやらかしをするのは慶応大卒が多いように思う。あまりいい噂を聞かない。

慶応大卒や在学中の普通の人には本当に申し訳ないが、そう思う。もちろん自分慶応大卒の素晴らしい人たちもたくさん知っているので、全員が全員そうだというわけではない。一部のおかしな奴らが出張ってきているのだろう。

しかし、今までうっすらと感じていたのが最近顕在化し表層意識に上がってきて、確信レベルになった。

完全に偏見であるため統計をとったわけではないが、昔感じていた「慶応」という雰囲気はもはやなく、GMARCHどころか日東駒専あたりに感じている。話の内容のレベルも低く、幼稚である

そのため「慶応卒です」と言われても「学力が高いのだろう」とは全く思えない。そうではなく「頭がいいと思い込んで驕り高ぶっているけれど、そんなにでもない」というふうに見えて、まず嫌なイメージを受ける。

まり学力日大レベルだけれど、プライド慶応」というような印象を受ける。そのため、日東駒専比較するのはかえって日東駒専に失礼かもしれない。

少し調べたが、慶応大の受験科目はかなり偏っている。まあ別に大学もそうで、慶応大も昔からそうだと思うが、「英語ができる」という点でかなり通過できることが多い。

参考情報として、記事最後入試情報を転記しておく。見たい人だけ見てほしい。

論考

入試情報を見ると、どの学部でも合格最低点が60%付近であるが、これはどこの大学でもそうであるから特にこれ以降言及しない。

慶応大学は、基本的英語科目がかなりの位置を占めている。もともとは福澤先生が漢学ののち蘭学蘭学から英語に切り替えて学び、海外で学ばれたあとに慶應義塾を創設された流れから英語が尊ばれているというのは理解できる。

そして世界リードするような存在を鍛え上げるというような精神でこれまでやってきた大学なのだと思う。

しかしながら、しっかりと英語ができるような人材はもういきなり海外に行ってしまうような時代になった。「なった」というより、とっくの昔にそうなっていた。国内経済学部MBAを目指しにいくというよりも、すぐにでも海外MBAを取りたいのだ。その海外MBAにも影が差しいるかもしれないがそれは今回の話ではない。

慶応というのは頭がよい」というブランド確立されていたため、こうした受験科目等を見ると、そのブランドを手っ取り早く手に入れるにはかなり穴場になっているように思う。そして「私立最高峰」のようなプライドがあるためなのか、非常に嫌な人間が多い大学だなと考えている。「俺/私は、頭が非常に良い」と驕る雰囲気を感じるのだ。自信があるというよりも、人を見下す態度が凄まじいのである。他の私立大学国公立大学卒にはあまり無い共通性である

これは、以前であれば問題は無かったのかもしれない。そのプライドに見合った学力努力精神があるため、多少のわんぱくは許容されていた。しかし、その驕りはそのままに、学力精神けが落ちてきているのではないか

驕り高ぶっている人を見ると「慶応っぽいな」と思う。そしてそれが当たっていることが多い。

まり、「英語はある程度できるんだけれども、海外留学できるほどではなく、他の科目はよくわからない。でも人からはすごいね承認されたい」という人には「慶応」というブランドは魅力的なものに映るらしいのだ。特にの子どもたちの親よりも少し上の世代祖父母世代にとってはそうだ。少子化もあるのかもしれない。

慶応というブランドを作り上げてきた人たちが少なくなってしまい、ブランドへのフリーライダーの数が閾値を越えてしまったのかもしれない。ブランドが食い尽くされたように思う。

随分前からジョークとして「おれ、ケーオー!」などのように少し小馬鹿にされてネタとして使われることがあったが、徐々に「おれ、ケーオー!」しか無いのではないか、と思うようになってきた。

見ていてこちらの方が恥ずかしくなる。

今はまだいいのかもしれないが、そのうち「慶応か……慶応英語ができるだけで無知なんだよな……プライドは高いし……」とされて、他の私立大学にその座をドンドン奪われるのではないかと思う。

「1万円札だけが好きな人が行く大学」のようになっているようで、福沢諭吉先生が好きな自分としては残念な気持ちだ。

もちろん、自分のことをルサンチマン学歴コンプレックス保持者だと笑ってもよい。そういうところも、慶応っぽいのだし。

慶応大学2023年入試情報

https://passnavi.obunsha.co.jp/univ/2370/subject

https://www.keio.ac.jp/ja/admissions/docs/tokuten2023.pdf

文学部

合格最低点: 205(58.5%)

経済学部(A方式)

合格最低点: 248(59.0%)

経済学部(B方式)

合格最低点: 266(63.3%)

法学部

合格最低点: 247(61.7%)

商学部(A方式)

合格最低点: 237(59.2%)

商学部(B方式)

合格最低点: 278(69.5%)

医学部

省略

理工学部

合格最低点: 290(58%)

総合政策学部

合格最低点: 257(64.2%)

環境情報学

合格最低点: 246(61.5%)

看護医療学部

合格最低点: 294(58.8%)

薬学部

合格最低点: 169(48.2%)

Permalink |記事への反応(32) | 20:08

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2023-04-23

[増田朝礼] そのろっぴゃくよんじゅういち

フランーッス

 

日曜作業お疲れ様です。

本日世界図書著作権デー、国際マルコーニデー、国際マヌルネコの日、日本においては子ども読書の日慶應義塾創立記念日地ビールの日、しじみの日となっております

本を読むのは大事ですね、読むだけではなくそれをちゃん理解するのも本を読む上で必要ではあります

それでも読み流していたら「どこかで聞いたことがあるな」という認識を持つことが、ちょっとくらいは出てくると思います

ちょっとくらいは認識しておくことで、自分生活の豊かさに直結していくのかもしれません。

 

ということで本日は【読書いか】でいきたいと思います

読書いか読書ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

Permalink |記事への反応(0) | 15:37

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