
はてなキーワード:慈善団体とは
男とのデートで「次ナシなら割り勘、アリなら奢られる」ってやつ、マジで理解できん。
なんでこっちがつまんなかった男のために財布開かなきゃいけないの???
お前誰?私は慈善団体じゃない。
アラサー女で彼氏いるけど、それでもこれだけは昔からずっと謎。
「次ないな」って思った男にまで金払うとか普通に罰ゲームだろ。
楽しくもねえし、帰ったら疲れだけ残ってんのに、さらに赤字まで背負うとか意味不明。
金払った瞬間に『今日の時間ぜんぶドブ』って認識が確定して泣きたくなるんだよ。
わかる??あの虚無。
でもまあ、向こうが奢ってくれるって言うなら普通に奢られとく。
あっちがどう思おうが知らん。メシモクに見えたら?勝手に思っててください。
こっちはもう関わらんのだからどうでもいい。
逆に「また会いたいな」って思う男なら、普通に自分から金出そうとするし、
でもだいたいの男はそこで察して、こっちが少なめ払うようにしてくれた。
それで十分。
「奢られたら次につなげる」とかクソみたいな恋愛攻略論いらんのよ。
割り勘でも「また会いませんか?」って言えば普通に通る。
要するに私は「楽しくもない時間」に金使うのがほんっとうに嫌い。
なんか世の中には次ない男にも律儀に金払う女がいっぱいいるみたいだけど、
私は無理。
毎年12/31ギリギリにに駆け込みでふるさと納税をするんだけど、美味しいものとか何が得かなと考えると、何を選べばいいかわからなくなって、微妙なストレスだったんだけど、欲しいものを2-3個だけ選んで、残りを自治体や慈善団体や研究機関を選べば、一口あたりの金額も少額だし、気になったところに好きなだけどんどん寄付できるので心理的負担もなくなり良いと知って、ここ数年続けてる。
時々こんなことがあったよみたいなお知らせが来るんだけど、その度にほんのちょっとでも誰かの役に立ったかなと思ってほっこりしたりする。
この前は、児童養護施設で作ったというかわいいメモ帳が送られてきた。
本当は高畑は被害者とは速攻和解できてたしもっと素早く復帰できるはずだったんだよ
そうしてれば「なんだこんなに早いってことはハニトラだったんだな」とみんな受け入れるのも早かったはずだ
それが今に至るまで謹慎する羽目になったのは渥美陽子の働きかけが大きい
高畑の弁護士である渥美陽子は、和解直後に被害者を中傷する怪文書をマスコミ各社に送って高畑をかばう報道をするよう呼びかけた
しかしどこもそれには乗らず、高畑とその弁護士がやばいと報じたり被害者の方にコンタクトを取ったりして、被害者は遺憾の意を表明して結果的に高畑の早期復帰は潰れた
親が金持ちなレイプ犯が金の力で事件をもみ消して早期復帰なんて渥美陽子は許せなかった、だからわざと高畑が反感買うように動いた
暇空茜の件でもそうだ
駒崎弘樹のフローレンスなど慈善団体に多額の寄付を行う村上財団で理事を務める渥美陽子は善なる人であり、そういったNPOを中傷して潰そうとする暇空とは相容れない人種だ
普通なら弁護士は暴走する依頼人を引き留め諭し法的な知識を授け守り導くはずだが、渥美陽子にその様子はなく暇空の破滅的態度は悪化の一路
刑事告訴を複数され執行猶予つかずに実刑つきそうなほどにまでなった暇空の現状は、渥美陽子が仕組んだものだろう
神原元よ、堂々と正義を唱え明らかな悪を倒すのも一つの道だが、正義にはこういう道もあるのだ
悪の内部に入り込み、増長させ撹乱し内側から崩壊させるという手法だ
農業アイドルの件もそうだ、地方芸能事務所社長はパワハラで少女を自殺に追い込んだ疑惑を持たれ裁判では勝てたが、別のアイドルにもパワハラを告発され結局事務所は潰れた
渥美陽子あるところ、全ての悪は滅んでいく
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まず、両方の行為、親を支えることと、慈善を行うことはトーラーが強く奨励する善行です。
トーラーは「父と母を敬え」出エジプト記20:12と命じています。
この「敬う」は、親に食べ物や衣服を与え、必要を支えることを含みます(キドゥシン 31b)。
ですから、収入を用いて親を支えるのは非常に重要なミツヴァです。
同時に、トーラーは「貧しい人を見捨ててはならない」申命記 15:7–11とも命じています。
ラビたちは「世界は三つの柱によって立つ、トーラー、礼拝、そして慈善によって」(アヴォット 1:2)と教えています。
ラビ・ヨセフ・カロは『シュルハン・アルーフ, ヨレ・デア 251』でこう定めています:
「自分の父母を支えることは、他の貧者よりも優先する。」
つまり、親が経済的に必要としているなら、まずは親を支えるのがユダヤ的に正しい順序です。
しかし、もし親が十分に生活できているなら、その上でツェダカーに一部を分け与えるのがより完全な道です。
これがハラハーとムサールの両方に沿った行動です。
| 行為 | トーラー上の価値 | 優先順位 |
| 親を支える | 出20:12, 申5:16 | 最優先(必要があるなら) |
| 慈善を行う | 申15:7–11,詩編112 | 親が十分であれば次に行う |
つまり、「すべて親に与える」か「一部を慈善に回す」かは、親の経済的状態によります。
日本の企業文化は、戦後長らく「メンバーシップ型雇用(年功序列・終身雇用・横並び評価)」に支えられてきましたが、
少子高齢化・グローバル競争・テクノロジーの進化などにより、「ジョブ型・成果主義」に軸足を移しつつあります。
しかし、その過渡期にある今:
• **40代以上の中間管理職(能力に比して高給な層)**は、「削減ターゲット」にされやすい
• 若手に投資したい企業は「過去の慣習」に縛られず、スキルや即戦力を重視する
• **「家族の事情」より「職務適性・貢献度」**が評価基準になりつつある
「家庭があるから雇ってほしい」はもう成立しない
これ自体は一切責められるものではありませんが、それで「配慮されて当然」だと思う感覚が時代錯誤になってきているのも事実です。
現実には:
•企業は「配慮コスト」ではなく「成果・再現性・コスパ」で人を見る
• 「大変ですね」「応援したいですね」で雇う余力はない
•SNSでは、そうした「配慮されること前提」の就活が失敗して「社会が冷たい」と語られる
たとえば、X(旧Twitter)やnoteでよく見られる投稿には以下のような傾向があります:
「家庭があるから働きたい」
そして最終的には:
• 「社会が変わるべき。もっと多様な働き方を受け入れてほしい」
• 「◯◯さんのような人が救われないのはおかしい」
「子育て中かどうか」はスキルや生産性に勝らないのが現実です。
ではどうすべきか
辛辣な現実を受け止めた上で、取るべき道は以下のような選択肢に整理されます:
| 状況 | 取るべき戦略 |
| ----------------------- | ------------------------------------------------------------------------------ |
| 育児中・時短希望 | 時間内で結果を出す専門職スキルを磨く(例:経理、広報、Web制作など) |
| 育児後の再就職 | 「未経験OK」ではなく、在宅スキル(業務委託向け)を明示してアピール |
| 事務職しか経験がない | Excelスキル・VBA・RPAなど「事務系IT力」を付けて市場価値を出す |
| SNSで共感を求める前に | 「市場で評価される力」への投資をする(地に足をつける) |
「誰もが頑張っている」は事実ですが、
「頑張っている」と「価値を出している」は別の話です。
実力主義とは、「努力の有無」ではなく「出した成果・再現性」に報いる仕組みです。
Switch2狂騒曲と「転売ヤー」という資本主義社会の「凡庸な悪」について
https://fujipon.hatenablog.com/entry/2025/05/20/170123
この記事(+引用してる本)は割とイッチの疑問を的確に言語化してるから読んでみ
引用の引用になっちゃうけど、アラン・クルーガーって教授が考えたことがおもろい
クルーガーは、価格メカニズムと行動経済学的な考え方の両方をうまく達成する方法を提案する。それは、コンサートチケットのうち一定数を主催者が直接ネットオークションで売ることにして、その時成立した価格が定価以上であれば、定価との差額を慈善団体に寄付するというものである。この方法は、どうしてもコンサートに行きたい人はオークションで市場価格を払えば、必ず実現できる。寄付を受ける慈善団体にも便益がある。価格が高くなったとしても、それが寄付に回るのであれば、フェアな価格設定だと認識するだろうし、正規のチケットであるので、購入者は安心して買うことができる。オークション価格があるので、転売業者の価格がそれより高くなりすぎるということはなくなる。私には、とてもいい提案だと思える。チャリティ・コンサートということであれば、チケットが高額になっても誰も文句は言わないはずだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/AST582F1RT58UHBI00TM.html
tamtam3寄付という名目で、資産を自分の息が掛かった「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」へ移してるだけだし、これってアメリカの税制を突いた税金逃れじゃない?と言われても「そうだねーーそうかもねーーー」としか。
sekiryo自分の慈善団体に引き継がせてその団体を子供が継承すれば相続税がかからない米の有名な節税相続対策では?その全資産からすると僅かながらでも慈善団体としての活動はしているのでそれで助かって寄付依存の社会。
ビルゲイツは今後20年で全財産の99%を財団に寄付して、その資金を全て使って2045年に財団を閉鎖する と言っている。
財団には自分の子どもも関わってないから間接的に利益も得ていない。
aox 本当に全財産を寄付したら45年以降に会った時にはご飯奢りますし、服も着ていなかったら買ってあげます。多分しないでしょけど
ガーディアンにもノーディベートはアカンっていわれてるのに今頃やってる無能
https://www.theguardian.com/society/2025/apr/30/stonewall-policy-of-no-debate-on-trans-rights-was-a
残念ながら、この繊細な問題についての健全で双方向的な議論を妨げることに大きく寄与したのは、ストーンウォールが2015年に下した「議論を行わない」という方針の採用でした——オンライン上でも、公的な場でも、放送メディアにおいてもです。この方針は、今や同団体にとって、評判面でも財政面でも大きな打撃となり、以降、多数の職員が解雇される事態となりました。
この遺憾な事態から、慈善団体やすべての社会正義の擁護者が学ぶべき核心的な教訓は、「説得」ではなく「命令」によって行うキャンペーンは、ほとんどの場合うまくいかないということです。
自分の仕事をして、ブルシットジョブではないかと思ったことはないだろうか。
例えばプログラマーにありがちなのは、自社開発のサービスでエンジニアリングリソースを「必ず」使わなければならないが、サービスとしてはすでに十分な機能を持っている、というケースである。
長続きしているWebサービスが次々といらない機能を追加していくのは、そういうわけである。この場合、プログラマーは自分の仕事を「ブルシットジョブ」のように感じてしまう。
幸いにも、ブルシットジョブをしていても世界に貢献する方法はある。
EAは21世紀の社会的運動であり、利益を公平に計算し、最大の善を提供するために原因を優先することを提唱している。選ばれた慈善団体に寄付をしたり、プラスの影響を最大化する目的でキャリアを選んだりするなど、この運動が提唱する様々なアプローチに従っている。
しかし、EAの難しい哲学を援用する必要などまったくない。以下の原則さえわかれば、誰でも社会に貢献できる。
2. できるだけ社会問題の解決に対して効果の高い慈善団体を選ぶ。
ブルシットジョブのほうが、エッセンシャルワーカーよりも収入が高い、といった傾向があるようだ。
エッセンシャルワークをしているなら、直接社会に貢献しているので、わざわざ収入を慈善団体に送る必要もないだろう。
一方、ブルシットジョブをしている場合は、仕事そのものでは社会に貢献することができない。
確かに、いくらブルシットだからといって、犯罪をやるのは問題がある。
法的に問題のない仕事をしているのにブルシットジョブだと感じるのであれば、寄付をするのは理にかなっているだろう。
なぜなら、寄付を装った詐欺、といったものも存在するためである。
以下のような記事は、まず手っ取り早く参考になるだろう。
私は「善を成すには力が必要だ」と主張する者を見たが、この者は寄付がどう機能するのかについてよく理解していないのだろう。
一人あたりの寄付額が少なくとも、寄付者全員を合わせればとてつもない額になる。
「お前のような弱者には善を成すことはできない」などと言う者の嫉妬には揺さぶられないようにしよう。
これこそ安倍晋三が日本に残した最も邪悪なレガシーだと思うのよね。盗っ人というと強盗が思い浮かぶがそれはこの話には関係ない。
どれだけ悪事を働こうがそのために人が死のうがひたすら白を切り続けてポストにしがみつく。それが成功してしまったがために後の政治家たちにもそうした振る舞いが伝播していく。羞恥心とか、品格とかいったものがまるでない、下劣というか、人間性の部分で愚かというか、そうした人間が増えていく……のかねえ。
世の中これからどうなっていくのかね。まあ自分のやれることやるしかないよね。
で、やれることって何かっていうと、まあ、人にやさしくしましょうってことになるのかね。ごく身近で簡単なところで言えば。簡単っつってもケースバイケースだったりもするけれども。
少し前バズった漫画に、主人公のお姉ちゃんが統合失調気味なのか、妄想に取りつかれて自作の陰謀論唱えるようになっちゃって、主人公がどうにかしようとあれこれ画策した結果、陰謀論を一緒に広めて大衆を扇動していくっていうあらすじの話あったじゃないですか。
うろ覚えだけどなんとなく記憶に残ってるのは、居場所のない人、孤独な人、蔑ろにされてきた人、そうした人達の心の隙間を陰謀論は埋めることができるって主人公がモノローグで語ってたところで、まあ陰謀論に限らず昔から、人の性として当然だが、ひどい扱い受ければ心が歪むし、心が歪めばひどいこともするよな。狂うよな。おかしいこともするよな。陰謀論がどうのこのという話がしたいというよりかは心の隙間とかそっちの話がしたいわけで。もっと根っこのほうの、ありふれた負の部分というか。
で、そういった人たちを救うだとか、何らかの慈善団体に入って活動するだとか、それはすごく立派なことだが、こういう言い方すると活動してる人達に対するある種の差別みたいな感じになっちゃって良くないんだけど、そうした積極的なことをするパワーだとか勇気だとか覚悟だとかいったもののない人にとって何ができるかっつったらだからつまり、心の隙間をほんのちょっとでも埋めてやるってことだわな。
無理にやることはないけれども、家族とか、職場の人間とか、学校の人間とか、コンビニ店員とか、顔を合わせる人、目のあった人、袖振りあった人なんかに対して、大事にするっていうと仰々しいが、あいさつしたり、ちょっとしたことで礼を言ったり、ちょっとした用事なんか手伝ったり付き合ったり、心に余裕があればな、無理にとは言わんし、しんどいときは無理なものは無理だし、相手とか状況にもよっちゃ難しいが、できればやれることはやったほうがいいわな。余裕なんかねえよなんて人もいっぱいいるだろうが、まあ余裕があったり、気が向いたりすればな。
適当に書いてたら長くなったな。まあいいか。自分の周りの顔合わせた人間を尊重するとか存在に敬意を払うっていうと仰々しいが、なんとなくでもやさしくしてあげれば、その影響ってものは微々たるものだろうけども、多少なり心の隙間を埋めてやれるのは確かなんじゃなかろうか。それで人を変えるだとか変えてやろうだとか気張らんでも。
サステナビリティって言葉が最近よく使われるが、いい世の中を、世の中っていうと大きすぎるイメージだが、手の届くところから、いい関係をサステインしていきたいわな。小さい世界でも狭い世界でもそれも一種の世界平和というか。