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はてなキーワード:愛知学院大学とは

2025-07-20

anond:20250720193818

愛知学院大学のところ、会津大学にしてほしかった

バランス的に

Permalink |記事への反応(1) | 19:40

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2024-11-19

anond:20241119210015

高学歴「ばっか」は嘘だな。

岡崎一明 小野田工業高校

井上嘉浩 日本文化大中退

新実智光 愛知学院大学法学部

横山真人 東海大学工学部応用物理学

飯田エリ子 文化女子大学短期大学部生活造形学科

林泰男 工学院大学工学部二部電気工学

北村浩一 名古屋市私立高校中退

高橋克也 横浜市工業高専

外崎清隆 青森県公立高卒

中村昇 拓殖短大中退

杉本繁郎 岡山商科大学商学部

石井久子 産能短大経営学

大内早苗 福島市和裁専門学校

大内利裕 鍼灸専門学校

鹿島とも子 高卒

岐部哲也 阿佐ヶ谷美術専門学校ビジュアルデザイン

越川真一 駒沢大学文学部

滝澤和義 専門学校中退

田下聖児 名城大

富田隆 日本大学理工学部建築学

永岡辰也 大正大学仏教学部中退

中田清秀 中卒

二ノ宮耕一 高卒

平田悟 八女高校

平田信 札幌商大

広末晃敏 佛教大学文学部仏教学科中退

松本剛 高卒

都沢和子 昭和女子大学短期大学部英米文学

松本麗華 文教大学人間科学部臨床心理学

山形明 高卒

山本まゆみ 実践女子短大

Permalink |記事への反応(1) | 21:30

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2024-05-10

愛知学院大学卒の人間疲れた

愛知に転勤してきて面倒くさいと思った人間がみんな愛知学院大学卒だった

愛知の人は愛知学院大学卒の人間のことどう思ってるだろう

Permalink |記事への反応(1) | 21:21

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2012-12-31

日常底」について

こんにちは。前の記事(http://anond.hatelabo.jp/20120720212651)に、エピクテートスの「日常底」について「あとで調べる」と書き、あとから少し調べたのに、そのまま忘れてたので、結果を報告します。

  • 仏教学関連の論文で「日常底」という語が用いられている例がある。

仏祖の言をこのように考え来り、その言葉の内奥に潜む仏祖のこころ(語り手と聞き手という二重の意味で)こそが第一義であるとするとき、いま一つの問題が残ることになる。それは、日常底の人間が未だ仏祖ではないということである。(岡島秀隆「禅仏教言語観」、『禅研究所紀要』第21号、愛知学院大学研究所1992年、108頁)

日常底の宗教とは、先の臨済の四料簡での四つの境涯に愛(アガペー)や慈悲の裏打ちをして各個が生き得るような宗教である。(花岡永子「仏教キリスト教との出会い: 根源的いのち経験から」、『宗教研究』77巻2号、日本宗教学会2003年、219頁)

即心即仏、非心非仏、不是物とか、その他、ふつう理解できないような数多くの言葉が、禅匠たちによっていわれて来た。それはわからないといえばわからないけれども、それほど明らかなものもないわけで、それは眼の前にはね返っているもの、それなくそれを離れては、日常の行動、人との対話、仕事実験無神論者唯物論者の論争さえもできないような、根本的なものなのである。そういった日常のものではあるが、それに気づいているか、ということになれば問題である。(鹿野治助「禅と倫理」、『講座 禅 第2巻 禅の実践筑摩書房1967年、185-186頁)

さて、しかしだからと言って、私には「日常底」という語の意味は分かりません。ご存知の方いましたら教えてください。以上、報告おわり。

Permalink |記事への反応(0) | 17:07

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