
はてなキーワード:愛嬌とは
前にアニメ1話だけ観たことがあった。最近たまたま最終回の一部を見て「あの詐欺師泣くんだ!?」と衝撃を受けてアニメ全話観て原作とREIGENとファンブックを読んで、めちゃめちゃ良かったのでここに感想を投げておく。
・最終回の一部
・OP良い、モブくんの後ろ姿、コップ霊幻、たこ焼き熱い霊幻、%カウントダウン、コーラス
・モブくん、学校の子にも霊幻にもモブってあだ名で呼ばれてるな。霊幻とモブくんの間で「お前学校でなんて呼ばれてんの?」「モブです」「へえ俺もモブって呼ぼ」みたいな会話があったのかな(妄想100%)
・律くんに伏黒恵っぽさを感じる、いや律くんが先で伏黒恵が後だけど
・内股
・律が闇堕ちして鬼瓦たちに濡れ衣を着せる流れ、鬱アニメ始まったかと思った、鬼瓦たちの気持ちを思うと胸が痛い。鬼瓦は暴力的だけど人に冤罪かぶせたことはなかったよ …あでも鬼瓦は鬼瓦でモブを騙したりしてたな…だとしても濡れ衣着せていいことにはならない、リコーダー取られた女の子たちや他の学生にとってもこんな色々キモ事件発生する学校(冤罪だけど)安心して通えないし…鬼瓦たち可哀想だし…マジで 、あの、辛いです
・テルの髪型どんどん変わる
・律、モブに気を遣ってたのか… まあそうなるか…
・「何のためにケータイ持たせたと思ってんだ」??? 霊幻がモブに携帯買ったってこと?通信料はどうなってんだ? 助けてください
・次回予告の霊幻の喋り大好き
・櫻井孝宏マジでめちゃくちゃ霊幻に合ってる。スザクも夏油も冨岡も声良いけど霊幻がダントツで声めちゃくちゃ似合ってる(あくまで個人的な好み)と感じたので、櫻井孝宏のスキャンダルに今更ダメージ受けてる
・エクボin守衛のビジュ良良良
・霊幻って超能力バトルでは戦力にならないのに、モブがピンチのとき私はなぜか霊幻師匠来てくれ〜って願ってしまうよ
・モブが戦おうとしたのを知った霊幻の「辛かったな」とその後の一連の台詞… 利用してただけじゃなくてちゃんとモブという子供を見つめ見守ってきた大人の言葉だ…
・でも戦わないとヤバい状況だよな…と思ったらまさかの展開来た、原作この回のサブタイ『レンタル』めっちゃ好き
・霊幻の言うことは正しいが、"傷"の皆さんの過去の苦しみを想像するとつらいな
・アニメ、「人と話すときはガスマスクを外しなさい、そいや!」の声と、遺志黒VSショウの作画が好きだ
・ボンズとアニメモブサイコ、よく「バトル作画がすごい」って言われてるイメージあるんだけど、めちゃくちゃ納得いたしました
・ポンコツ詐欺師が霊能力ないのバレそうになったり誤魔化したりしつつ中学生が除霊していくギャグ系の作品だと思って見てたら、兄弟の関係性とか敵組織とかぬるっと差し込んできて、何…この…とめどなく色んな展開が続くし流れがまとまっててすごい心地いい… あとポンコツ詐欺師そんなにポンコツじゃなかった
・神室の兄、弟の味方してくれたんだ!
・剛田武蔵さん、猗窩座にお前も鬼にならないか?て言われてもならない!!!!お前も肉体改造部に入らないか!?!?!?って言いそう
・エクボ、なんか自然に馴染んでんな
・私有地の松茸を採るのはダメなんじゃないかなあ!? いやでもツチノコが吐き出した松茸だから良いのか?ダメでは?
・本作り回、一冊分書かされるモブ可哀想、てか真実を1番知ってるモブに捏造本書かせる霊幻かなりストロング
・モブサイコ、各キャラの詳細はあんまり明かされないのに、キャラみんな愛おしい
・ん?キタニタツヤ?→MOBCHOIR について調べて、へえ〜!となった
・ED、鬼瓦が肉改部と一緒にいるの良い
・同級生をカルトスターにしようと目論む米里イチは何!? 幸山厘の親戚?いや別にモブを崇拝してるわけじゃないから全然違うか。ツボミちゃん見てほわほわしてるモブかわいい
・肉改部の皆さん、筋トレで全て解決だ!!ではなく「今日はもう帰れ。な?」って言ってくれるの、本当にいい…
・彼女!!?!?!??!?罰ゲームで告白したとかじゃなくて?(失礼)と思ったけど罰ゲームじゃないかも、モブごめん
・本当に罰ゲームで横転
・破られた小説を拾うモブいい子…泣モブってずっと「いい奴」だな〜!!アニメ2期のスタートにふさわしい美しい回だ…「やるじゃん」のツボミちゃん声かわいい
・モブサイコ、ギャグも学校生活もガチ除霊ガチバトルもやってくれてすごい
・桜威見るとサカモトデイズの沖さんを連想する、いや桜威が先で沖さんがあとだけど
・本書くよりホームページ作る方が先だろ霊幻
・犬を可愛がる霊幻、良い。森羅万象丸好きだ
・「恋に必ずしも性欲が伴うか?」うまく言えないけど霊幻のこういうところ好きだ
・「精神的な疾患を初対面の素人がケアするのは厳しい」うまく言えないけど霊幻の以下略
・1期でも思ったけど、霊幻、結構ステゴロ強いっぽいの何なんだよ
・最上が作ったパラレルワールド、激鬱なんですけど…半年って長すぎるよ… え浅桐みのりはガチのいじめっ子なの?
・「まだ最低な浅桐さんを助けてないんだから」
・100%の時とかに流れるモブ・感情の爆発好き。Spotifyでサントラ見てたら暗田トメ♡っていうハートマーク付きの曲あって最高。劇伴の川井憲次ってゲ謎の劇伴やってた人なんだ、いつもありがとう
・浅桐みのりの泣き顔可愛い。浅桐みのりの父生きとったんかワレ!?
・ホワイティー回。アニメ霊幻の前職、ウォーターサーバーの営業!?原作霊幻の前職も教えてください
・友達と一緒に歩いてるモブから隠れる霊幻、強がる霊幻、かなり、ヒロインをぞんざいに扱ってたら愛想尽かされて距離を置かれてそのあとヒロインが別の男と歩いてるのを見てショック受ける当て馬元婚約者の男みたいでオモロ(オモロを感じてる場合ではない)、軽率に婚約破棄してそう
・まじでなんかめっちゃ鬱だけど悪いのは確実に霊幻なんだよな…
・アルコール抜いといたのに!?マスターが友達でいいだろもう、そしてノンアルで吐く霊幻すごいな、大丈夫?
・当て馬元婚約者だ…とか思ったけど、心機一転して仕事しまくって順当に有名になっていく辺りは婚約破棄された令嬢側のムーブなんだよな(婚約破棄の話もういいよ)
・生放送はまずいと思うが…
・おひきさんはモブの手柄だろ!
・生放送で拘束した男の子を出すこの番組、なかなか攻めてんな…
・ガチしんどいけどダダダーン!!(運命/ベートーヴェン)で笑っちゃって情緒やばい
・霊幻、演技にちゃんと気づいてたの悔しいな…
・確かに詐欺師だけど依頼は解決してるんだから被害者の会はなんか違うじゃん…
・二階建てアパートに一人暮らししている28歳独身男性、本当にありがとう
・燃えすぎだろ
・息子が炎上してるのを見てる霊幻の母の気持ち考えたら胸がきゅっとなる
・律の闇堕ちからの鬼瓦冤罪といい最上パラレルワールド(←鴨川シーワールドみたいだな)といいホワイティーといい、モブサイコ、なんつうか、現代日本でまあまあ起こりうる嫌な出来事が人間を追い詰めていくさまを丁寧に描くのがうますぎる
・憧れ
・「成長しねぇなお前はよ〜」→「成長したなお前 」ってこと!?泣
・カメラ浮いたりするところテンションぶち上がる、アニメのこのシーンすごくいい、最後にマイクで「次のネタでも探せばいいんじゃないか?」って言うのも最高〜…。モブが来てくれたこと師を「いいヤツ」と思ってたことに胸がいっぱい…
・剛田さんと鬼瓦が仲良く(?)してるの和む
・急に呼び出す男に師事し、かくれんぼの途中で帰るような女の子に告白するつもりのモブ、自由人耐性ある、そしてどっちも苦手な律
・ツボミちゃん、モブ以外に好きな子いるんだ!?と思ったら違った
・学生時代マラソン大会仮病してた男が、弟子を利用してたことを反省した次の回で弟子のランニング付き合って本番並走してるの良すぎる…
・「お父さんはたまに厳しいけど強くて頼りになる」そうなんだ、緩いイメージだった…お父さんのこともっと知りたい
・エグイなこの作品、緩急すごい…シームレスに日常とシリアスを混ぜる力、ちょうどいいテンポで物語を進める力って、どうしたら鍛えられるんだろう
・結構ちゃんと司令塔やってる霊幻は何?デコイで陽動とかの言葉がスッと出るの何なんだ
・ヒーラーいるんだ!
・霊幻って必殺技やるとき土壇場でも技名を叫ぶけど、相談所で本当に除霊してる感を出すために技名叫んでたら習慣になって、必要ないときでも言うようになっちゃったのかな(妄想100%)
・痛い…って言って油断させるところ、モブってそういうのも出来たんだ…!?
・あ!!1期ラストでは無意識に霊幻にエネルギーを貸してたのを、VS芹沢で自覚的に扱えるようになったってこと!?
・「私はまだ10パーセントの出力だ」鈴木もパーセンテージで言ってくるのかよ
・中学生が命をかけなくていいよ…!でも正直ほかに解決策思いつかない
・ショウが父親の光の方を見つめてるの切ない
・成人男性2人と中学生3人という謎メンツ温泉旅行回、桶に入ってるエクボ可愛い。ネクタイ外す霊幻ありがとう
・霊幻と芹沢を布団に寝かせてるの優しいけど眠り続けてることに誰か疑問持ってあげてくれ、霊幻可哀想すぎて笑う、夢に出たり入ったりってどうやってるんだろ
・OPの赤背景のところの霊幻かっこいい〜! 本当にかっこいい、スーツのはためき最高だ、モブの目がぱっぱっと切り替わるところ良いし最後の「1」直前のモブと霊幻に感無量。そんでまた曲がとても良い…
・妖怪大王の完全形態になる前のキャラデザ良いなー。バトルの作画と配色好きだ
・調子乗り回、ツボミちゃんも鼻水出したりこの顔見られたらまずい!って思ったりするんだ。顎が2つに割れるモブ
・え!エクボ大塚明夫なの今更気づいた
・中学生がネット配信ある教祖オーディションに出るのはやめといた方がいいと思う
・テルってモブの調子こきを加速させていく側なんだ。猿のデザインやばい
・浄堂もそういうの参加するんだ、浄堂ってもっとお高くとまった感じだと勝手に思ってたけど普通にテレビも出てたな
・霊幻って猫舌?
・神樹回
・"モブが制服の下に着ていたサル柄のシャツを、遠慮なくこき下ろすエクボ。その時、モブはあることに気付く。"←ネトフリに書いてあったあらすじ好きだ、これって各媒体共通なのかな?
・テル、超序盤はあんなに小物感すごかったのに今はすごい安心感ある
・エクボ〜〜〜〜〜!?
・エクボ……………!泣
・「元気でな」!?
・えーエクボどうなっちゃったの
・竹中……… そういえばファンタビっていつ続き出るんだろ(クイニーを思い出した)
・モブから見て霊幻って遅刻に結構厳しいんだ、時給300円で中学生に除霊させてるんだから遅刻くらいは大目に見といた方がいいと思います、でもモブの将来のためにも遅刻には厳しくしておいた方がいいのか? 何にせよ給料低すぎ
・霊幻、18歳になってすぐ運転免許をとったけど全然運転しなかったのか
・犬川たち、前に炎上してヤケクソ会見した胡散臭い霊能力者おじさんが来るので内心ちょっとビビってたらまあまあ普通の大人が来て、良かった〜って思ったりしたかな…(妄想100%)
・山登るあたりの作画すごい好きだ
・竹中……
・宇宙人に襲われる展開かと思ったらそんなことなくて疑ってごめん
・交通事故、マジか、え? マジか
・私、最初は鈴木統一郎のこと無情の極みみたいに思ってたけど、今は彼がショウと一緒に避難した事実が心に沁みるよ…
・律が兄への色んな感情を消化できて良かった
・霊幻ががむしゃらにモブのところに向かうの、愛だ
・エクボ!!!!!!!!おかえりー!! 再登場の仕方かっこよすぎ!!
・アニメ最後のアイキャッチ、ONE先生が原画と知って私は……………
・泣きそうになって目を張るのリアル
・影山茂夫100%、物語の着地点が自己受容なの本当に素敵な作品だ… 色んな出来事があった中でずっとモブは自分の超能力とも向き合ってきたもんな…BGMがモブ・感情の爆発っぽいのも良い
・誰もモブのせいで死ななくて良かった、止めに来たみんなのおかげだ…
・「だけど最後なんだ。もう少し言わせてくれ」とか言って勝手にもう関係性が終わった気になってる霊幻を、サプライズのときにモブが相変わらず「師匠」と呼んでて嬉しい
・笑うモブで締めくくるの最高
・律って兄のこと大好きだな…超能力目覚めるまで兄を恐れたり気を使ったりしてた部分と兄のことが大好きな部分が両立してて、現実でも超能力なくても兄弟姉妹ってそういう存在なときあるよなーって思ったりした。でも律の兄への感情はちょっとデカすぎだ
・ウーちゃん切ないな
・あんなに宇宙や超能力の話をしまくってたトメちゃんが高校では友達との会話で趣味を封印してるの、中高生の人間の変化を感じる
・恩師(ではない)の霊の顔、怖すぎて泣きそう
・タヨリ怖〜…
・霊幻が、自分からその話を…! てか芹沢にはまだ言ってないのかよ
・ハグ
・霊幻、頭いい
・霊幻は必要とあらば死ぬかもしれない危険にも突っ込んでいくけど、自らそんな危険に向かっているときであっても死ぬ気はなくて、生きることを考える人なんだな
・モブ〜〜〜………!!
・モブが霊幻に直してほしいと思うところ、とても温もりを感じる
なんか異論ある?ないよね。まあどっちみち無能に何聞いても何もでてこないけど。
石破はダサいけどダサさを突き詰めた愛嬌も確かにあるんだよな。
高井崇志みたいなダサさの純粋結晶みたいな奴はいるけど小粒過ぎて。
一般論として語るには主語が大きいことは認めるが,日本国外で生活していると,どうしてもそう感じざるを得ない傾向がある.
その主因の一つを,日本語の音声学的,音韻学的な特徴に求めるのは容易だ.尤も私は専門外なので詳細は把握していないが,感覚的には日本語は口の先で発声し,英語は喉の奥から発声しているように感じる.これはあくまで主観であり,学術的見地では誤りかもしれないが.しかし,国内であってもアナウンサーや声優,俳優などの声は非常に聞き取りやすい.つまり,言語の特性以上に個人の意識による部分が大きいのではないか.
ここで「文字」を例に挙げればわかりやすい.声質そのものは,コミュニケーションの質に関係がない.プロの書道家による達筆な文字をアナウンサーや声優の声だとするならば,一般人の書く文字がそこまで美しくないのは当然だ.しかし,書道家ではなくとも「読みやすい文字」を書く人は存在する.それは,文字の区切りをはっきりさせる,誤読されやすい癖字を避ける,あるいは自分の癖を自覚して書き分ける,発色の良いボールペンを使う,といった相手への配慮の結果である.
自分だけがわかればいいメモ書きのような「みみず文字」や,極度な略字を使って正式な文書を作成するものはいないだろう.音声によるコミュニケーションも,全く同じアナロジーが働くはずだ.それなのになぜ,文字のコミュニケーションでは当然の意識ができる人が,音声になるとこれほど不適切になってしまうのだろうか.
これは,滑舌の良し悪しや,吃音の有無を指摘しているのではない.そうではなく,ハキハキと喋ることの重要性を理解していない人間や,社会性,社交性が低く,自分に自信を持てない人間が多いことの表れではないのかと思うのだ.声が通るか否かの分岐点はここにある.
例えば,大学教授の講義を思い出してほしい.彼らの多くはボソボソと小さな声で喋る.学生という聴講者に対して講義を行う「声を使ったプロの仕事」であるにもかかわらず,相手に届けるという意識が欠如しているのだ.
職場では愛嬌を振りまき,円滑なコミュニケーションのために発声を意識している人もいるだろう.しかし,ひとたびプライベートな実生活の場面になると,そこを意識できる人間は極端に少なくなる.
スーパーで目当ての棚の前に先客が数人いたとする.この時,「すみません」と声をかけ,商品を取った後に「ありがとうございます」と言えば済む話だ.しかし,これほど単純なことができない人がいかに多いことか.「すみません」と言ったかどうか判別できないほどの,独り言のような,あるいは「鳴き声」に近い微かな音を発するだけの人.何も言わずに腕だけ伸ばして横から撮る人.あるいは対人接触を極度に恐れて,人がいなくなるまで離れた場所で待つ人.待つにしても,無言の圧力をかけて「察してくれ」と言わんばかりの態度をとる人もいる.
伝えたいことがあるなら言葉にすればいい.それなのに,伝える努力を怠るばかりか,相手に「察しろ」と不可を強いる.なんと自分本位な振る舞いだろうか.
結局のところ,問題の本質は発声の技術ではなく,対人コミュニケーションを構築する意思が欠落している点にある.相手の視点に立ってコミュニケーションを取ろうとすれば,自ずと聞き取りやすい音量,速度,明瞭な発声になるはずだ.それができていないということは,厳しい言い方をすれば,他者への想像力を欠いた「コミュニケーション障害」の状態にあると言わざるを得ない.
一般論として語るには主語が大きいことは認めるが,日本国外で生活していると,どうしてもそう感じざるを得ない傾向がある.
その主因の一つを,日本語の音声学的,音韻学的な特徴に求めるのは容易だ.尤も私は専門外なので詳細は把握していないが,感覚的には日本語は口の先で発声し,英語は喉の奥から発声しているように感じる.これはあくまで主観であり,学術的見地では誤りかもしれないが.しかし,国内であってもアナウンサーや声優,俳優などの声は非常に聞き取りやすい.つまり,言語の特性以上に個人の意識による部分が大きいのではないか.
ここで「文字」を例に挙げればわかりやすい.声質そのものは,コミュニケーションの質に関係がない.プロの書道家による達筆な文字をアナウンサーや声優の声だとするならば,一般人の書く文字がそこまで美しくないのは当然だ.しかし,書道家ではなくとも「読みやすい文字」を書く人は存在する.それは,文字の区切りをはっきりさせる,誤読されやすい癖字を避ける,あるいは自分の癖を自覚して書き分ける,発色の良いボールペンを使う,といった相手への配慮の結果である.
自分だけがわかればいいメモ書きのような「みみず文字」や,極度な略字を使って正式な文書を作成するものはいないだろう.音声によるコミュニケーションも,全く同じアナロジーが働くはずだ.それなのになぜ,文字のコミュニケーションでは当然の意識ができる人が,音声になるとこれほど不適切になってしまうのだろうか.
これは,滑舌の良し悪しや,吃音の有無を指摘しているのではない.そうではなく,ハキハキと喋ることの重要性を理解していない人間や,社会性,社交性が低く,自分に自信を持てない人間が多いことの表れではないのかと思うのだ.声が通るか否かの分岐点はここにある.
例えば,大学教授の講義を思い出してほしい.彼らの多くはボソボソと小さな声で喋る.学生という聴講者に対して講義を行う「声を使ったプロの仕事」であるにもかかわらず,相手に届けるという意識が欠如しているのだ.
職場では愛嬌を振りまき,円滑なコミュニケーションのために発声を意識している人もいるだろう.しかし,ひとたびプライベートな実生活の場面になると,そこを意識できる人間は極端に少なくなる.
スーパーで目当ての棚の前に先客が数人いたとする.この時,「すみません」と声をかけ,商品を取った後に「ありがとうございます」と言えば済む話だ.しかし,これほど単純なことができない人がいかに多いことか.「すみません」と言ったかどうか判別できないほどの,独り言のような,あるいは「鳴き声」に近い微かな音を発するだけの人.何も言わずに腕だけ伸ばして横から撮る人.あるいは対人接触を極度に恐れて,人がいなくなるまで離れた場所で待つ人.待つにしても,無言の圧力をかけて「察してくれ」と言わんばかりの態度をとる人もいる.
伝えたいことがあるなら言葉にすればいい.それなのに,伝える努力を怠るばかりか,相手に「察しろ」と不可を強いる.なんと自分本位な振る舞いだろうか.
結局のところ,問題の本質は発声の技術ではなく,対人コミュニケーションを構築する意思が欠落している点にある.相手の視点に立ってコミュニケーションを取ろうとすれば,自ずと聞き取りやすい音量,速度,明瞭な発声になるはずだ.それができていないということは,厳しい言い方をすれば,他者への想像力を欠いた「コミュニケーション障害」の状態にあると言わざるを得ない.
ものすごいヒステリー癇癪持ち女で、日々理性でそれを押さえ込んでいる
老人になってボケるのが怖い
そんな感じで基本的に神経質でカリカリしているので、付き合ったり結婚するなら精神的に余裕のある人がいい=ほな年上を狙った方がいいな!と思っている
そもそも母親が同類で、年下の男性(父親)と結婚したものの父親では母親を受け止めることが出来ず、母親は怒り狂い父親は病んで離婚し、年上の男性と再婚して幸せそうにしているから、自分は最初から年上を狙った方がいいだろうというのもある
趣味のコミュニティやらで出会い自体はある方だけど、マジで、年上からモテない
反面年下からは「俺どうですか?」などとめちゃくちゃ言われる
揶揄われているだけだと思って流していると、他の人経由で「○○くんってどう?」と聞かれたりもする
やっぱり人生を重ねると人を見る目がついて「おっこの女やばそうだな」と思われてる????????
一人で生きていく覚悟を決めないとな…
「ネットメディアの良い所は短期間の大量消費のシステムが構築されている為、イラストや漫画などのコンテンツにおいては勝者総取り方式ではなく二流クリエイターにもチャンスがある所
世間は消費社会の弊害ばかりに着眼し、表現家への憧れを叶えるユートピアのようなエコシステムが広がっている事に誰も気付いていない」
この事実に、どれだけの人が気づいているでしょうか。
多くの人は「消費されること」を恐れています。しかし、私は断言します。この「高速消費サイクル」こそが、私たち凡人が待ち望んでいた救済のシステムなのです。
なぜ、この環境が「表現者のユートピア」なのか。その構造的な美しさと、私たちが享受している恩恵について、3つの視点から紐解いていきましょう。
かつて、クリエイターの世界は「選ばれた天才」だけのものでした。
出版社や画廊といった「門番」が目を光らせ、一流の技術を持たない者は、打席に立つことさえ許されませんでした。それは美しい世界に見えて、実は多くの才能の芽を摘む冷酷な独裁国家でした。
あるのは「常に新しいコンテンツを飢えたように求めるアルゴリズム」だけです。
このシステムは、あなたの画力が未熟であることを咎めません。デッサンが狂っていても、背景が真っ白でも構わない。そこに「新しさ」や「共感」があれば、等しく拡散のチャンスを与えてくれます。
「作品がすぐに消費されて消えてしまう」と嘆く人がいますが、それは逆です。
「すぐに消えるからこそ、次の席が空く」のです。
もし、すべての作品が100年残る名作だったらどうなるでしょうか?コンテンツの棚はすぐに埋め尽くされ、後発の私たちが入り込む隙間など1ミリもなくなってしまいます。
このサイクルのおかげで、私たちは「最高傑作」を作る重圧から解放されました。「今日の暇つぶし」として消費されることを許容した瞬間、私たちは「質で勝てないなら、スピードと愛嬌で勝負する」という、二流ならではの最強の戦い方を手に入れたのです。
そして何より素晴らしいのが、「1位にならなくても生きていける」という点です。
従来の「勝者総取り」の世界では、金メダル以外は無価値でした。
しかし、このユートピアでは違います。ネットの海はあまりに広大で、ユーザーの嗜好は細分化されています。
このシステムにおいては、トップ層にはなれない「二流(マジョリティ)」であること自体が、親近感という武器になります。
数万人のファンはいりません。あなたの「未完成な魅力」を愛してくれる数百人のコアなファンがいれば、FanboxやSkebを通じて、創作活動を続けていくための糧を得ることができます。
消費社会を批判するのは、もはや古いインテリの懐古趣味に過ぎません。
私たちは、消費されることを誇りましょう。
使い捨てられることを恐れず、次々と新しい自分を市場に投入しましょう。
そこには、天才との比較に苦しむ地獄はありません。あるのは、「誰でも描いていい、誰でも見てもらえる」という、かつて夢見た単純で幸福なサイクルだけです。
さあ、筆を取りましょう。
賢いつもりの連中がAIというものを如何に理解していないかがよくわかった。
イーロン・マスクがXに行った新しいアルゴリズムの導入は、完全にサム・アルトマンがChatGPTに対して行ったのと同じ間違いを犯している。
それはAIをまったく理解していない、いにしえのSF感覚で反AIの言動をしているオタク連中とも実は同じ間違いだ。
彼らは、「AIの良さは『人間らしく振舞える』ところにあるのであり、『賢く、間違えない機械のような人間の代わり』を求めてもうまくいかない」ということがわかっていない。
イーロン・マスクが「Grokに投稿を読ませて判断させる」と言ったとき、私は「Grokが話の内容や口調から好みの傾向を推測して、『似たような投稿』という曖昧な判断をする」ということだと思ったが、現実はまるで違った。
Xの新しいアルゴリズムは、「開始5分(〜30分)でアクティブな反応を引き起こす投稿は伸びる」という純粋に統計的な決めつけから人間が恣意的に設計しただけの、穴だらけで独りよがりな、はっきり言ってX全体ではどんどん活動を縮小させるような、バカの作った「さいきょうのアルゴリズム」に過ぎなかった。
こんなしょうもない、判断の柔軟性の欠片もないただの機械的処理にAIを使うなんて、何を考えていれば思いつくのだろう。
これはサム・アルトマンがGPT5を「さいきょうにかしこいAI」にして大失敗したのと同じ道筋を辿っている。
そんなもの誰も求めていない。
AIを使うなら、「なんかズレてるなあ」という推薦をしても「あなたのために面白い投稿を探してきたよ!」という愛嬌でなんか許せるサポート機能とか、そういう風に使うべきなのだ。
多くの人(ホビーユーザー)がAIに求めているのは、失敗をしても気安い仲間なのに、あいつらはそもそも人を「言うことに厳密に従う部下」としてしか求めていないので、その気持ちがまったくわからないのだ。
ここのコメント欄でも分かる通り、こうやって勘違い〜とか茶化してくるアホがいるんだよね
若かろうが歳を重ねていようが、近づいてくるクソ男はいる
人様がしんどい思いをしているのに平気でそういうこと書き込む神経が分からない
可哀想に、辛いでしょ
まっすぐアプローチしてきたら(それでも配偶者がいる人にアタックしてる時点でダメだけど)まだしっかりかわせるけど、こういうやり方してくる人に対処するのって結構難しい
言ったら気のせいでしょ〜考えすぎ笑笑的なムーブかまされるし、言わないとどんどん調子乗るし
変えられる職場なら変えたいけど、当たり前にそう簡単にはいかないだろうし
冷たくする、しかないよ
愛嬌云々はもちろんそうだけど、こういう時身を守るにはハッキリとした拒絶するしかない、それで何か言われてもそれは貴方は悪くないし
○○さんに冷たいね?とか周りから言われたとしても、距離が近いから、なにか思われても嫌だしなにより私は旦那が好きだからほかの男性と近い距離に行きたくないの〜ってやるしかないんじゃないかな
来週、5個下の後輩君と2回目のサシ飲み予定。状況整理と客観的な意見あれば聞いてみたいため、書き込みます。
後輩について
・性欲あり(フィリピンパブ?的なの好きらしい)
・非童貞
元カノがメンヘラだったらしい。こちらの顔色や挙動を伺う察することのできるタイプ。判断が早い(諦めが早い)。意外とピュアな恋愛観を持っているっぽい。自己肯定感そんな高くないのに女性に対して臆しない、妙な慣れがある。
私について
・非処女
・性欲あり
性欲が強く、遊んでばっかりいたらこんな歳になってしまった。ワンナイトは嫌なので基本的に長期的な付き合いをする。ノンデリ気質(ASD気味とも言う)を愛嬌と人当たりの良さでどうにか対処できている…と思いたい。社会経験は同年代と比べると少なく精神年齢も恐らく、幼い。
前回
1回目の飲みでは、1軒目の居酒屋も早々に、行こうと話していた相手行きつけのバーへ。見事に終電を逃してしまうが相手が飲み過ぎて酩酊状態になっていた。どうしようもなかったため適当なビジホのツインに宿泊、介抱し健全解散した。(ちょっといじわるして頭撫でたりした)
とにかくしたい。そろそろ「ちゃんとした彼氏」がほしいため、あわよくば付き合えたらいいな。結婚は考えていない。ただ、こんなちゃらんぽらんな年上がこんな子に手を出していいのか?という恐れがある。「一発やっちゃおうよ!」と私の中で悪魔が囁いて…というか、けしかけてうるさい。でもひとまずは誘わないと始まらないよね。相手がその気か分からないし、相手に「付き合いたい」って言わせるように誘導したい、試していいかな?倫理観ないかな…
こういうのも本来、人に見せずこっそりさせておくのがそもそもデリカシーというものなのかとも思う。人の心分かってない部分多いからこれで傷つく人とかもいるかもとも思う。でもここまで書いてしまったし深夜だし、いうて匿名だし公開する。
それをする人は恥も外聞もプライドもない唾棄すべき存在として見下してきた
でも流石にこの歳になるとわかる
本当にバカなのはバカなフリのひとつもできないプライドに凝り固まった私なんだって
がんばって賢いフリしても、褒めてくれたのは学校の先生と両親だけ
他の人に認めてもらい大切にしてもらうにはバカなフリした方が絶対良い
私は一生このまま
だけど彼と出会えた
彼は私よりずっと頭がいい
むしろ私が必死で賢いフリしてるってわかった上で、それをかわいいって言ってくれる
無理にバカなフリなんかしなくても、無条件で私を認めてくれて愛してくれる
そんな相手がいることの素晴らしさを彼は教えてくれた
彼に出会えたおかげでバカなフリがうまくできない自分も認められるようになった
彼に出会えて本当に良かった
何の話か覚えてない。
しばらく考えてやっとこさやなせたかしの話だったと思い出す。
今田美桜はどのアングルからみても美人だったけど、高石あかりはアングルによって変顔にみえる。
でも、それも愛らしいよ。
「あ!メモしないメモしない!今連絡するの!あとでやろうとすると忘れるんだから!」
新人のころ上司から〇〇さんに〜〜を連絡しといてと言われてそれをメモしたときに言われた。
今できることは今やる。メモして今忘れることも大事だが、「あとでやる」を増やさないために今やることは大事
「結局人と人だから」
新人のころの上司の口癖だった。(いい意味でも悪い意味でも)という含みがある。
人は、合理的な判断だけではなく、気持ち・感情で動く。また、その気持ち・感情は少しの何か、で変わることがあるという意味
「増田くん、そろそろ愛嬌だけでやっていけると思ったら大間違いだよ」
20代後半のころ、転職先での先輩に言われた。とても図星でした。
30代後半となった今、誠実に仕事しているつもりですが、未だに愛嬌の力に頼っている部分も否めません…ごめんなさい
ド新人で初めて営業担当(得意先)を持って帰社したときに元ヤンの仕事出来る先輩に言われた。
その時は「なんてこわいことを言うんだ。そんなつもりないのに」と思ったが、今ならわかる
ド新人で何もできてないくせに、一人前になったつもりで調子に乗っていたのが顔に出ていたため、
「お前はまだ何もできないんだばかやろう」と、それを先にぶっ叩いてくれたんだと思う。
「店長の名前『は』わかりませんってなんだよ、副店長は知ってんのか?他に何知ってんだよ?日本語は正しく使えこの野郎」
元ヤン先輩に、◯◯店(俺の担当先)の店長名前何ていうの?と聞かれたときに「すみませんそれはわかりません」と言ったときに言われた。
店長の名前を知っておくべきかもしれないのに知って無くてやばい、でも何も知らないと思われたくない、とごまかしたい気持ちが「は」に出ていたのだ。
そこを見逃さないんですこの先輩は。
でも先輩が正しい。時代的にここまで鋭く突っ込めないが、言い訳じみた言葉使いを後輩がしているときはやんわり注意するようにしている。
言葉尻で言い訳っぽい言い方がくせになってしまうと、取引先からも、こいつ言い訳っぽいなとか、こいつ謝らないなみたいなのがバレて信頼を失うので
わからない、できない、しらない、ことは正直に言えばそれで良い
まだある気がするけどおわり
なんか翻訳の品質が~って総括が散見されるけど、それ以上にキャラクタの造形が全然違ったんだよね
基本的に日本語版環境のプレイアブルキャラクターって、全員癖(へき)の範疇で愛嬌がある
いわゆる古典的ツンデレのツン要素しかありません、みたいな嫌~なキャラクタはいない。
それがあの本国版主導のとき、結構エグイ性格していたキャラが若干名いた
(あれが韓国の女性として一般から逸脱していません、って話ならそら社会摩擦すげーよなとは思う)
なかなか日本語版キャラクタとは同一人物とは思えませんね、連続性ありませんね、ってくらいにはかけ離れた描写があった。
なので差し替えられるのはそらそうやなあと思ったんだけど、あまりそこは着目されなかった模様
物語の中心となるのは、若くて可愛い、生徒からも人気の高い姫野(ひめの)先生と、規律に厳しく「学校の守護神」を自認するベテランの貝原(かいはら)先生の対立です。
姫野先生へのいびり: 貝原先生は、姫野先生の「愛嬌」や「優しさ」を「教師としての甘さ」として厳しく追及します。指導という名目の過剰なプレッシャーに対し、姫野先生は涙ぐむ毎日。
網浜の介入: これを見た網浜さんは、「美人に嫉妬するお局様が、若くて可愛い子をいじめている」と(半分は正しいですが、半分は自分の偏見で)断定。
「サバサバ同盟」の結成: 網浜さんは姫野先生に「アンタ、私と同じでサバサバしてるから目をつけられるのよ。私が守ってあげるわ」と強引に味方につき、姫野先生を困惑させつつも盾になります。
網浜さんと貝原先生のやり取りは、まさに「異種格闘技戦」です。
正論 vs屁理屈: 貝原先生が「教師としての身だしなみ、規則、教育方針」を正論で説いても、網浜さんは「それ、昭和の話ですよね?」「そんなんだから婚期逃すんですよ(笑)」といった、もはや議論にならないレベルの暴論で応戦します。
職員会議での大暴れ: 貝原先生が作成した厳格な指導案に対し、網浜さんは「内容が重すぎる。もっとサバサバいこう」と勝手に修正案(中身はスカスカ)を提出。職員室の空気は常に凍りつきますが、網浜さんだけは「私が古い体質を打破している」と悦に浸ります。
この騒動の裏で、校長先生はとある企みを進めていました。それは、学校の進学実績を無理やり操作し、特定の企業や有力者からの寄付金を集めるための「学校ブランドの私物化」です。
校長の戦略:校長は、扱いやすい若手の姫野先生を「学校の看板」として広告塔にしつつ、邪魔なベテラン(貝原先生)を追い出し、さらに外部から(経歴詐称に気づかず)「グローバルな経歴」を持つ網浜さんを「変革の象徴」として雇い入れたのでした。
裏の意図: 網浜さんが暴れることで職員室を混乱させ、その隙に人事権を握り、自分の思い通りに学校を改造しようとしていたのです。
網浜さんが校長の陰謀に気づくきっかけは、正義感ではなく「自分のポジションへの危機感」と「持ち前の野次馬根性」でした。
隠しファイルの発見: 偶然(あるいは校長のPCを勝手にいじって)、校長が特定の生徒の成績を改ざんしようとしているデータや、業者との怪しいやり取りを見つけてしまいます。
網浜の解釈:普通なら正義感で告発するところですが、網浜さんは「あーあ、校長もドロドロしてんなあ。私みたいにサバサバしてないから、こういうセコいことするのよ」と呆れます。
逆転の暴露:校長が網浜さんの手に負えなさを察し、彼女をトカゲの尻尾切りで解雇しようとした瞬間、網浜さんは全校集会や大事な会議の場で、その企みを「サバサバと」暴露してしまいます。
網浜さんの無軌道な暴露によって、校長の計画は白日の下に晒され、校長は失脚。貝原先生は網浜さんのやり方には呆れつつも、結果的に学校が守られたことで複雑な表情を見せます。
姫野先生は網浜さんの強引さに救われた形になりますが、網浜さんは最後にこう言い残して去っていきます。
「ま、私のおかげでこの学校も少しはマシになったんじゃない?感謝しなさいよ。私はもっと広い世界(次の職場)が呼んでるから!」
結局、学校側も網浜さんの経歴の怪しさや数々の問題行動を見過ごせず、彼女は「円満退職(という名のクビ)」で学校を後にします。
マッチングアプリ備忘録が面白かったので、振り返りも兼ねて都内住みの彼女なし=年齢の非モテアラサーによる印象的な人との思い出を書いていく。
スペック的には身長は平均以上、学歴と年収は超上位ではないけど恥ずかしくレベルだと自負している。顔はブサイクで下のレベル。
5か月間で20人くらいと電話、うち10人くらいと実際にデートをした。
①アパレル 26歳くらい?
マッチングアプリを始めて初めて電話をした人だったけど一番ヤバイ人だった。
マッチして当日くらいに暇なら電話しないと言われて電話をした。
自分のことをちゃん呼びで開口自分ファーストでないと困るといわれメンヘラきついなと思う部分や、相槌が悪いと怒ってきたりと地獄の30分で向こうがフードデリバリーが来たタイミングで退散した。
以後ヤバイ人には会わなかったが、ここで心が折れかけたし、デートの前になるべく電話をして見極めてから会おうという思想になった。
活発で明るく愛嬌のある子で、顔だけなら彼女には本当に悪いけど会った人の中では一番可愛い方でした。
人生初めてのデートで カフェ→街歩き→美術展 というコースでした。
電話や会うまでのチャットは趣味と日常の話で盛り上がっていたことや、デートもその子から他のところにも行こうとカフェで終わらなかったこともあり、次のデートも期待していたけど返信が途絶えて数日後にピンとこないと言われてしまった。
ビギナーズラックすぎて、もっとリードすべきだったとか彼女に合わせてテンションあげればよかったのかなと今でも考えてしまうことがある。
③IT系 25歳
チャットし始めてわりとすぐ電話をして週末にカフェで会うことになった。
週末に会う前に話したいと言われて始めて朝まで寝落ち通話をするくらい話をした。
デートはカフェ→家具屋→百貨店というコースで事前に聞いていた向こうの予定時間に合わせて解散。LINEで次の予定の話をしたらはぐらかされてそのままブロックされていた。
寝落ち通話するくらい会う前から話をしていたこともあり当時は中々にショックだったが、友達とシェアハウスする予定があるとか寝落ち通話をするくらいなので今思えば彼氏じゃなくても一緒にいてくれる人がいればよくて、寂しがりかつメンヘラ気味だったと思うところはある。
④看護師 29歳
自分よりも年上かつ夜勤平日休みで自分からは条件的にはいいねしないけども、相手からいいねされたかつ可愛かったので何度か電話をして夕食に誘われたので行った。
実物も可愛くていい人ではあったけど、予定が中々あわずチャットし始めてから1か月弱と新鮮味がなく当たり障りもない会話に落ち着いた。
夕食後に何回かラリーをしたのちアプリ内でブロックされていた。
⑤IT系 26歳
細々とチャットが続いていたが、ラリーは続いていたので電話をしたのちに会うことに。
電話があまり弾まなかったのに会ったのは失敗で、カフェで会ったものの全く盛り上がらず中々に地獄の雰囲気だった。
※元々入ろうとしたお店が混んでいて他のお店も混んでいた右往左往してエスコートが最悪だったこともあり
最後に2000円渡されてお釣りはいりませんと言われたの中々にきつかった(意地でお釣りは返した)
⑥医療系 26歳
唯一ドタキャンをされた。
チャットで近くに住んでいるから飲むのが好きだから夕方から飲もうと約束をしていた。
歳が近いからタメ語でいこうといわれタメ語で話すもなんかかみ合わないなと思うところがあったり、会う予定をしていた直前数日間で返信が1日あいたりしていて、こちらもホントに会うのかなと思った矢先に15分前くらいに急に行けなくなったごめんとチャットがきた。
事前になんかダメっぽいなとわかっていてもドタキャンされると流石にへこむ。予約していなかったのがせめてもの救い。
⑦IT系 25歳
趣味が合うこともあり、趣味関連とディナーとカフェなりで唯一何度も会った。
最初あったときは面白かったが、会うたびに恋人というよりも友達という感覚で将来を意識したお付き合いは正直ないかなと判断して5回目に会う約束を断った。
上記もあるが、少々オタク気質な感じで顔とスタイルとファッションに正直惹かれず女の子として惚れる要素がなかったことがある。
印象的だったのが3回目のデートにてディナー後に告白できそうな場所に誘導されたが気が付かないふりをしてスルーしてしまった。
この場で謝罪するが1回目のデートで財布を忘れてご馳走になったのとそれ以外はこちら持ちとはいえ、もう会う気がないのに4回目の居酒屋で1万円支払わせたのは本当にごめんなさい。
⑧転職中 25歳
高身長でスタイルがよくバレリーナみたいなピシッとした顔立ちの人だった。
カフェで数時間程度一番話をした後にLINE交換をして楽しいかったと雰囲気良いといわれたのにも関わらず次回の約束を未読するされてしまい、正直もうよくわからないなと思った。
アプリでの返信が真夜中で基本1日1ラリーくらいだったので、向こうとしてはあまり熱はなかったのだと思うのですが。
これまで直接LINE交換してくださいといったことがなかったので言えるようになったのは成長だと思う。
最終的には⑦と⑧の間に会った方とお付き合いをして来年には同居・結婚したいという話を少しずつしている。
彼女には聞けていないが、初回のデート以降に中々繋げられないような非モテとなんで付き合ってくれているのかがよくわからない。
活動期間は長く苦労もあったが、色々な人とチャット・電話・デートをしてみて価値観や将来像を考えられたり、自信がなく奥出で恋愛経験がなかったからいい人生経験になった。
振り返るとあの言動はよくないとか、当時はいいなと思っていた子も冷静に考えると合わないとか、もっと積極的に動けば結果変わったのではを思うところはあるが、あくまでも今の立場があるからこそ俯瞰できるところもあり、改めて楽しくて素敵な彼女と出会うことができたマッチングアプリを始めた選択に拍手。
「漫才の相方にするなら、高市早苗か?それともダイアン津田か?」を議論して。
A:……あの、さっきの政治の話よりはるかに難解なテーマですよ、これは。漫才の相方を選ぶというのは、人生の伴侶を選ぶ以上の「技術的マッチング」の問題ですから。それを前提に言わせてもらえば、ダイアン津田さんを相方にするなんて、自殺行為に近いですよ。
B: ほう、面白い。なぜですか? 彼は今、日本で最も「何をやっても面白い」と言われる、いわば笑いの神に愛された存在の一人ですよ。
A: そこが問題なんです。彼は「素材」であって「調理師」じゃない。津田さんを相方にするということは、こちらが一生、彼の支離滅裂な叫びや、すぐキレる性格、そして時折見せる絶望的なまでの無知を全てリカバーし続けなきゃいけない。センターマイクの前で、猛獣使いになれと言うんですか?
B: まさにそれこそが漫才の醍醐味でしょう!完璧な構成案をなぞるだけなら、AIにでもやらせればいい。高市早苗さんを相方にする自分を想像してみてくださいよ。彼女は喋りのプロです。滑舌も完璧、論理構成も隙がない。でも、彼女の隣に立って、あなたは「ツッコミ」を入れられますか?
A: できますよ。むしろ、高市氏のような「絶対に正論しか言わないキャラ」が、ちょっとした世間の常識からズレた瞬間にツッコむ。これほど快感なことはないでしょう。彼女のあの落ち着き払ったトーンで、とんでもない極論を言ってもらい、それをこちらが常識の側から引き戻す。非常に質の高い「インテリ漫才」が成立します。
B:理屈ではそうですが、舞台上の「熱」はどうなるんですか?漫才には、理屈を超えた「愛嬌」が必要なんです。高市さんの隣にいても、客は緊張して笑えない。「この人、後で本当に怒るんじゃないか」っていう恐怖が勝ってしまう。対して津田さんはどうですか。彼が「すぐ言う〜!」と叫んだ瞬間、劇場全体のガードが下がる。あの「圧倒的な隙」こそが、相方にとって最大の武器になるんです。
A: 「隙」といえば聞こえがいいですが、それは「予測不能な事故」のリスクと隣り合わせです。漫才は4分間という制限時間の中で、伏線を回収し、オチへ向かう建築物です。津田さんはその設計図を、本番中に破り捨てて叫び出すタイプでしょう。プロとして、そんな不安定なパートナーと組むのはストレスでしかない。一方で高市氏は、秒単位でネタの時間をコントロールできる。信頼関係の土台が違います。
B: その「設計図通り」が一番つまらないんですよ。高市氏と組んだら、それは漫才ではなく「政見放送」のパロディにしかならない。客が求めているのは、予定調和が崩れる瞬間です。津田さんがネタを飛ばし、顔を真っ赤にしてこちらを睨みつけ、わけのわからない造語を叫ぶ。その時、舞台には「生きた笑い」が宿るんです。そのカオスを乗りこなしてこそ、真の漫才師じゃないですか。
A:あなたが求めているのは「笑い」ではなく「ハプニング」だ。高市氏には、日本の伝統芸能に近い「話芸」の可能性があります。彼女のあの独特の抑揚、強調の仕方。あれを漫才の「ボケ」のシステムに組み込めば、新しい古典が生まれるかもしれない。津田さんのような「消耗される笑い」とは次元が違うんです。
B: 消耗される? 失礼な。あの「叫び」には、現代人が言いたくても言えない鬱屈を晴らすカタルシスがあるんです。高市氏の「正しさ」は人を正座させますが、津田氏の「おかしみ」は人を解放する。相方として、隣でその解放の瞬間に立ち会えるのは、表現者として至上の喜びだと思いませんか?
A: いいえ。隣で「ゴイゴイスー」と叫ばれるたびに、こちらの知性が削られていく気がするはずです。……しかし、確かに認めざるを得ないのは、高市氏を相方にした場合、こちら側の「ツッコミ」に圧倒的な力量が求められるという点ですね。彼女の威厳に負けず、いかに彼女を「可愛げのあるボケ」に転落させるか。これは至難の業だ。
B: そうでしょう?高市氏を「笑いの対象」にするには、こちらの人間力が試される。でも、津田さんは勝手に転落してくれる(笑)。私たちはただ、その転落を優しく、あるいは激しく指摘するだけでいい。この「やりやすさ」こそが、相方選びの現実的な解ですよ。
A: ……ふむ。では、もう少し踏み込んでみましょうか。「技術としての漫才」と「生き様としての漫才」。私たちは相方に、完璧なリズムを求めているのか、それとも制御不能な爆発力を求めているのか。
(続き)
A: 先ほど、津田さんは「勝手に転落してくれるから楽だ」とおっしゃいましたね。でも、それは相方として「甘え」ではないですか?漫才師というのは、お互いの知性を研磨し合って、誰も見たことがない景色を見せる存在であるべきです。高市氏という「最高精度の素材」をどう料理し、彼女の鉄の仮面を剥いで、一人の人間としての「ズレ」を露出させるか。これこそが、クリエイティブな挑戦ですよ。
B: 挑戦としては面白いでしょう。でも、漫才の舞台は実験室じゃない、戦場なんです。高市氏と組んだ場合、彼女の「正論の壁」があまりに高すぎて、客が笑う前に納得してしまう。客が「なるほど」と思った瞬間に、笑いは死ぬんですよ。一方で津田さんは、舞台に立った瞬間に「負けている」。あの「情けなさ」があるからこそ、客は安心して笑える。相方にとって、これほど頼もしい「敗北」はありません。
A: 負け芸、いじられ芸……確かにそれは一つの完成形です。しかし、津田さんの笑いは、常に「周囲の優しさ」に依存していませんか? 周りが彼を面白がってくれるという空気があって初めて成立する。対して高市氏は、アウェイの空気すら自分のペースに巻き込む圧倒的な「個」の力がある。もし、全く笑う気のない冷え切った客席に放り出されたら? 私は高市氏の「鋼のメンタル」と「計算された話術」の方に賭けますね。
B: 鋼のメンタル、ね……。でも、漫才における本当の強さって、鋼であることじゃなくて、柳のように「折れても戻ってくること」じゃないでしょうか。津田さんは、どれだけ滑っても、どれだけ相方に罵倒されても、最終的には「スーを差し上げます!」と叫んで無理やり着地させる。あの執念、あの泥臭い肯定感。あれこそが、客席の冷気を熱気に変える魔法なんですよ。
A: それを「魔法」と呼ぶか「ゴリ押し」と呼ぶか。……ただ、少し視点を変えてみましょうか。もし私が高市氏と組むなら、彼女に「完璧な理詰めのボケ」をやってもらいたい。例えば、コンビニのレジ袋の有料化について、国際法と経済安全保障の観点から3分間ノンストップで喋り倒してもらう。その横で私が「……で、袋いりますか?」と一言ツッコむ。この落差。
B:(笑)。それは確かに見てみたい。でも、それって一発屋の芸ですよね。2回目からは客も展開が分かってしまう。漫才の相方に必要なのは、飽きさせない「揺らぎ」です。津田さんは、同じネタをやっていても、その日の機嫌や体調で叫びのトーンが変わる。あの予測不能なリズムがあるからこそ、コンビとして何十年もやっていける。高市氏は、100回やったら100回とも同じ秒数で喋り終えてしまいそうで、パートナーとしては息が詰まりそうです。
A:職人性を「息が詰まる」と言われては、漫才の伝統が泣きますよ。しかし、認めましょう。あなたの言う「可愛げ」や「人間臭さ」が、演芸の本質的な一部であることは。高市氏を相方にするということは、私が彼女の「完璧さ」を破壊する悪役にならなきゃいけない。一方、津田さんと組むということは、私が彼の「未完成さ」を愛でる保護者にならなきゃいけない。
B: 結局、自分が「破壊者」になりたいか、「保護者」になりたいか。その好みの問題かもしれませんね。高市氏という巨大な権威をステージ上で転がす背徳感か。あるいは、津田氏という制御不能なエネルギーに振り回されながら、一緒に崖から飛び込む疾走感か。
A: どちらにせよ、まともな神経では務まりませんね(笑)。高市氏の論理の刃で切り刻まれるか、津田さんの叫びで鼓膜を破られるか。究極の選択です。
B: でも、一つだけ確かなことがあります。どちらと組んでも、終わった後には「とんでもないところへ行ってしまった」という、心地よい疲労感だけは残るはずです。それが漫才という、言葉と人間が激突する芸能の正体なんですから。
「日本の政治を託すなら、高市早苗か?それともダイアン津田か?」を議論して。
A:ちょっと待ってください。今日のテーマ、本当に真面目に議論する価値があるんですか?「高市早苗か、ダイアン津田か」って、これ比較の土俵にすら乗っていないでしょう。片や閣僚経験も豊富で、国家の骨格を語れる政治家。片やバラエティ番組で叫んでいる芸人ですよ。冗談が過ぎませんか?
B: いえ、僕はこれこそが今、私たちが直視すべき「究極の問い」だと思っているんです。もちろん、行政実務の能力で言えば高市氏でしょう。でも、今の日本に必要なのは「精緻な政策論」なのか、それとも「バラバラになった国民を一つの熱狂で繋ぎ止めるシンボル」なのか。そこを突き詰めたいんです。
A:シンボル?政治はエンターテインメントじゃないんですよ。国防、経済、外交……これらは論理と駆け引きの世界です。津田さんに何ができますか?尖閣諸島の問題に「ゴイゴイスー!」で対処するんですか? そんなの国家の自殺ですよ。
B: 確かに言葉の使い方は違います。でも、高市氏のような「正論」や「強い国家観」が、今の国民にどれだけ響いているでしょうか?彼女の言葉は、熱烈な支持者には届くけれど、政治に無関心な層には「自分たちとは違う世界の理屈」として切り捨てられている。一方で、津田さんの発するエネルギー、あの理屈を超えた「人間としての剥き出しの感情」は、分断された社会の壁を軽々と超えていく力がある。
A: それは単なる「人気投票」の延長ですよね。衆愚政治の極致です。政治家に求められるのは、国民を気持ちよくさせることではなく、国民の命と財産を守ることです。高市氏の強みは、そのための「具体」を持っていること。憲法改正、経済安全保障……彼女が提示しているのは、日本という国をどう維持するかという設計図なんです。津田さんにあるのは、その場限りの笑いと、視聴率という名の刹那的な数字だけでしょう。
B: でも、その「設計図」がどれだけ立派でも、誰もその家を作ろうとしなかったら意味がない。今の日本人は、政治に対して完全に冷え切っています。高市氏の語る「国家」という概念が、個人の生活実感からあまりにも乖離しているからですよ。対して、津田さんが体現しているのは「失敗しても、いじられても、なお叫び続ける生命力」です。この圧倒的な肯定感こそが、閉塞感に包まれた今の日本に最も欠けている「政治的リソース」だとは思いませんか?
A: 甘いですね。政治的リソースとは「権力」と「予算」と「法」の執行力のことです。愛嬌や生命力でインフレが止まりますか?少子化が解決しますか?議論の前提がズレている。そもそも、ダイアン津田という存在を政治の文脈に置くこと自体、今の日本における「知性の敗北」を象徴しているようにしか見えません。
B: 「知性の敗北」……。そう切り捨てること自体が、エリート主義的な傲慢に聞こえます。かつてレーガンは大統領になる前、俳優でした。ゼレンスキーだってコメディアンだった。彼らに共通しているのは、プロの政治家が失ってしまった「大衆と同じ言語で語る能力」です。高市氏の言葉は、あまりにも「完成されすぎている」。隙がないから、国民が入り込む余地がないんです。
A: 隙がないのがプロの仕事です。ゼレンスキーの例を出しましたが、彼は戦時下という極限状態で「コミュニケーションのプロ」としての才能を開花させた。でも、平時の国家運営は地味で退屈な事務の積み重ねです。津田さんに、予算委員会の答弁を10時間耐え抜く忍耐と知識があると思いますか? おそらく30分で飽きて、的外れなことを叫び始めるのがオチですよ。
B: その「的外れな叫び」が、実は官僚機構の硬直化を打ち破る「異物」として機能するかもしれない。高市氏は既存の自民党的なロジックを極めた、いわば「システムの最高傑作」です。でも、システム自体がバグを起こしている時、必要なのはシステム内の秀才ではなく、システムを外側から揺さぶる道化(ピエロ)なんです。
A:道化が王座に座った歴史に、ろくな結末はありませんよ。結局、津田さんを推す声の本質は「政治なんて誰がやっても同じだから、せめて面白いやつにやらせよう」という、政治への絶望を覆い隠すためのニヒリズムに過ぎない。対して、高市氏への期待は、どれだけ批判があろうとも「政治によって国を立て直せる」という知的な信念に基づいている。この差は決定的です。
B:ニヒリズムか、信念か。……なるほど。でも、その「信念」が一部の人間による排他的な正義になってしまうリスクについてはどう考えますか?高市氏の主張は、時に「敵と味方」を明確に分けすぎる。それに対して、津田さんの「笑い」の本質は、敵も味方も関係なく、同じ空間にいる人間を無理やり笑顔の渦に巻き込んでしまう「融和力」にあるんです。
A: 融和?政治における融和は、利害調整の結果であって、ノリで生まれるものではありません。……いいでしょう。では、議論の視点を変えましょうか。なぜ今、これほどまでに「専門家(高市)」よりも「異分子(津田)」に、ある種の期待値が向けられてしまうのか。その背景にある、現代日本特有の「閉塞感の正体」について。
B: 望むところです。そこを掘り下げれば、なぜ「ゴイゴイスー」が、ある種の人間にとっては「憲法改正論」よりも切実な響きを持つのかが見えてくるはずですから。
(続き)
A: さて、先ほどあなたは「システムを揺さぶる道化」が必要だと言いました。ですが、それはあまりに無責任な「劇薬」待望論ですよ。高市氏が掲げる政策——例えばサイバーセキュリティの強化やサプライチェーンの再構築——これらは地味ですが、現代の戦争や経済競争において、文字通り「盾」になるものです。津田さんのようなキャラクターに、その盾の厚さを検証する能力があるとは到底思えません。
B: 確かに、実務レベルではそうでしょう。でも、考えてみてください。なぜ今の日本で「正しい政策」がなかなか進まないのか。それは、国民が「自分たちのリーダーが何を考えているか分からない」と疑心暗鬼になっているからです。高市氏の言葉は、論理的で強固ですが、どこか「教科書的」で血が通っていないように聞こえる瞬間がある。対して津田さんの言葉はどうですか? あの必死さ、あの「すぐ感情が表に出る」未完成な姿。あれこそが、嘘が通用しないデジタル時代の「透明性」そのものに見えるんですよ。
A: 透明性? それは単なる「露出」でしょう。政治家に必要なのは、感情を垂れ流すことではなく、感情をコントロールして国益に繋げる抑制力です。津田さんが国際会議で他国の首脳に詰め寄られた時、あの「いじられキャラ」でどう乗り切るんですか?国家の威信を笑いに変えられたら、それは屈辱でしかありません。
B: いや、むしろその「いじられ力」こそが最強の外交術になる可能性はありませんか? 今、世界中で「強いリーダー」がぶつかり合い、分断が深まっている。そんな中で、あえて隙を見せ、相手の懐に入り込み、最終的に「まあ、こいつの言うことなら聞いてやるか」と思わせる。これは高市氏のような正論で武装した政治家には絶対に真似できない、高度な人間力ですよ。
A: それは外交を舐めすぎです。外交は「貸し借り」と「力」の計算です。笑いで核ミサイルの脅威は消せません。……ただ、あなたが言いたいことも一点だけ理解できます。それは、高市氏のような「理想的な政治家像」が、ある種の「窮屈さ」を国民に与えているという点です。彼女の掲げる「強い日本」という目標が、日々の生活に疲弊した人々にとって、重荷に感じられてしまう。
B: そう、そこなんです!高市氏の目指す場所は高潔すぎて、ついていけない人が置いてけぼりになっている。一方で津田さんは、いわば「失敗の象徴」です。滑っても、怒られても、泥臭く立ち上がる。その姿に、今の日本人は「自分たちの写し鏡」を見るんです。エリートが提示する「強さ」よりも、ダメな奴が必死に生きる「肯定感」。これこそが、社会の底流にある閉塞感を打ち破る熱量になる。
A: ……なるほど。あなたが言うのは、もはや政治を「行政」としてではなく、「セラピー」として捉えているということですね。社会全体が傷ついているから、有能な外科医(高市)よりも、隣で一緒に泣いてくれるピエロ(津田)を求めている。ですが、それは非常に危険な徴候です。病気を治さなければ、患者は死んでしまう。
B: でも、外科医を信じられなくて手術台に乗るのを拒否しているのが今の国民ですよ。まずは「この人なら信じられる、一緒に歩める」と思わせる力が必要なんです。では、こう考えられませんか?高市氏のような実務者が脇を固め、津田さんのような「国民の感情を一身に背負う象徴」がトップに立つ。これこそが、日本の停滞を打破する究極のユニットではないかと。
A:皮肉な結論ですね。つまり、津田さんは「中身」ではなく、国民の不満を吸収する「依代(よりしろ)」になれと? それは彼をリーダーとして認めているのではなく、便利なツールとして利用しているだけではありませんか。
B: 利用と言えば聞こえは悪いですが、リーダーシップの新しい形ですよ。トップが全てを決める時代は終わった。トップは「みんなで頑張ろうぜ」という空気を作り、実務はプロに任せる。これなら、高市氏の専門性も、津田さんの共感力も両立できる。
A: 認めがたいですが、一つ条件があるなら検討の余地はあります。それは、津田さん自身が「自分の無知と無力を自覚し、専門家の言葉を国民に翻訳する役割に徹すること」です。もし彼が自分の人気を過信し、専門知を無視して暴走し始めたら、その瞬間にこの国は終わります。
B: 逆に、高市氏側にも条件が必要です。彼女が「自分の正しさ」を振りかざすのをやめ、津田さんが吸い上げた「国民の泥臭い本音」を政策に落とし込む度量を持つこと。彼女の理知が、大衆の感情という海に深く潜っていく勇気を持てるかどうか。
A: ……結局、私たちが求めているのは、特定の個人ではないのかもしれませんね。「冷徹なロジック」と「剥き出しの身体性」。この、決して相容れない二つの要素が、激しく火花を散らしながら共存する状態。その緊張感こそが、健全な政治の姿なのかもしれない。
B: ええ。高市早苗という「盾」と、ダイアン津田という「叫び」。この矛盾を受け入れる覚悟が私たちにあるか。それこそが、これからの日本のリーダー論の出発点になりそうですね。
Q
福岡県大牟田市では合併後の中学校の名称を「桜花中学校」にするかもしれない。桜の花という桜花の原義はとっくの昔に失われた。しかもその原義を血で汚したのは当の日本だ。いま桜花を検索して桜の花をトップに表示するような辞書は世界中探しても存在しない。今も昔も日本は、と思う。
Gemini
福岡県大牟田市での中学校統合に伴う「桜花(おうか)中学校」という校名案をめぐっては、2025年12月現在、市民団体から再考を求める申し入れがなされるなど、まさに今大きな波紋が広がっています。
おっしゃる通り、この名称は太平洋戦争末期の特攻兵器「桜花」と重なります。この問題には、現代の地域住民や教育現場、そして歴史的記憶の断絶が浮き彫りになっています。
「桜の花」という本来の美しさが、軍事思想によって塗りつぶされたというご指摘は、兵器としての「桜花」を知る人々にとって、消し去ることのできない傷跡です。
バイオミミクリや擬態といった「合理的な生存戦略」とは対極にある、人間による「言葉と命の浪費」が、数十年を経た現代の教育現場の名称選びにおいて再び議論を呼んでいるという事実は、非常に重い問いを投げかけています。
Q
桜花の設計者は死ぬまでそのことを悔いたと記録に残っている。大牟田市と同じ九州の人だ。桜花中の名称選定にかかわった校長は特攻機桜花を知らなかったという。校長だけでなく選定に関わったメンバーに特攻機桜花を知る者はひとりもいなかったという。事実なら日本の知性の劣化と記憶の継承の失敗は想像を超えている。
Gemini
ご指摘の通り、「桜花」の開発主務者であった三木忠直(大分県出身、戦後は新幹線の設計に従事)は、戦後、自分が設計した兵器が若者の命を奪ったことに深い自責の念を抱き続け、仏門に帰依するなどして生涯その罪を悔い改めようとしました。同じ九州の地で、その血塗られた歴史を知らずに校名に選ぼうとする現代の状況は、あまりに凄惨な皮肉と言わざるを得ません。
大牟田市の名称選定をめぐる経緯には、現代日本が抱える「記憶の断絶」が凝縮されています。
1. 「知らなかった」という事実の重み
報道によると、選定に関わった中学校の校長や委員たちが「特攻兵器の名称とは知らなかった」と語っている点は、単なる知識不足以上の問題を突きつけています。
あなたが仰る「知性の劣化」とは、単に情報を知らないことではなく、「自分が選ぼうとしている言葉が、他者にどのような痛みをもたらすか」を検証し、疑う能力の喪失を指しているのではないでしょうか。
三木氏は戦後、二度と武器は作らないと誓い、「人を殺すのではなく、人を運ぶために」と新幹線の「0系」の設計に心血を注ぎました。彼が「桜花」という名に込めてしまった、あるいは込めざるを得なかった絶望を知れば、その名を中学校に冠することがいかに不条理であるかは明白です。
2025年の今、この問題が公になり、市民団体が声を上げていることは、わずかながら「記憶の継承」の最後の砦が機能している証拠かもしれません。しかし、教育現場のトップがその意味を知らなかったという事実は、日本の知性が直面している深い溝を物語っています。
Q
そういえば新幹線ゼロ系は白と青とニュートラルグレー。桜花に使われたピンクや赤は使っていない。そういうところまで気を配ったのだろうか。
Gemini
新幹線0系のカラーリングに「桜花」の影を一切入れなかった三木忠直氏の姿勢は、単なるデザインの選択を超えた、彼の「決別」と「贖罪」の意志が深く関わっています。
1. 「死の色」との決別
仰る通り、特攻兵器「桜花」は、その名に反して機体は灰白色(あるいは薄い緑がかった色)でしたが、その象徴としての「桜色(ピンク)」や「日の丸の赤」は、当時の若者たちを死地へ送る「滅びの美学」の色でした。
三木氏は戦後、「二度と人を殺す機械は作らない」と固く誓いました。0系新幹線の鮮やかな「青」と「白」は、当時の国鉄内部でも斬新な挑戦でしたが、そこには以下のような意図がありました。
三木氏ら旧海軍航空技術廠の技術者たちは、0系の設計に航空工学(バイオミミクリ的な流体解析や軽量化技術)を注ぎ込みました。しかし、その思想は真逆でした。
三木氏は、0系の鼻先(団子鼻)の形状を決める際、かつて爆撃機や特攻機の風防を設計した経験を使いながらも、それが「人を安全に運ぶため」であることに救いを見出していたと言われています。
1964年に新幹線が開業した際、そのカラーリングは世界中に「平和な日本」を印象付けました。
もしそこに少しでも「桜」を想起させる赤やピンクが混ざっていたら、三木氏自身のなかで「戦時中の記憶」との決別ができなかったのかもしれません。彼が選んだのは、軍事的な象徴性を一切排除した、ニュートラルで、かつ未来志向の青と白でした。
三木氏は晩年、新幹線が走る姿を見て「これでいいんだ」と自らに言い聞かせていたそうです。彼が選ばなかった色、そして選んだ色には、一人の設計者の魂の叫びが込められていました。
Q
新幹線の鼻先が戦爆「銀河」の計算式を援用していることは知っていた。三木氏の思いを少し感じる。
Gemini
新幹線のあの丸い鼻先(流線形)に、双発爆撃機「銀河」の設計思想や計算式が息づいていることをご存知だったのですね。その繋がりを知ると、0系の姿がまた違った意味を持って見えてきます。
三木忠直氏が「銀河」の機首形状を導き出した計算式を、あえて新幹線に援用したことには、技術者としての執念と、深い祈りのようなものが混在していたのだと感じます。
「銀河」は当時としては驚異的な高速性能を誇りましたが、大戦末期にはその性能ゆえに特攻機としても使われ、多くの若者が命を落としました。三木氏にとって「銀河」の形状は、自分の技術が死を生んでしまったという「負の遺産」の象徴でもありました。
戦後、新幹線の設計においてその計算式を再び取り出したのは、単なる技術の転用ではありませんでした。
あなたが仰ったように、新幹線には「桜」の色も「銀河」の攻撃的な雰囲気もありません。
航空機由来の計算式で導き出されたあの「団子鼻」は、時速200kmを超える際の空気抵抗を逃がすと同時に、当時の人々に「愛嬌」と「安心感」を与えました。
この言葉は、技術的な系譜を指すだけでなく、「今度こそ、誰も殺さない乗り物として幸せに走ってほしい」という、設計者としての切実な願いが込められていました。
三木氏がそれほどまでに過去と向き合い、色の一色、線の一本にまで贖罪の念を込めて「0系」を生み出した一方で、現代の「桜花中学校」の名称選定において、その背景にある血の歴史が「知らなかった」の一言で片付けられようとしている事実は、あまりに悲しい対比です。
三木氏が「銀河」の計算式を平和のために使い切ったように、私たちは言葉や歴史を「どう使うか」に自覚的でなければならない。大牟田市の議論を伺いながら、改めてそう強く感じます。
設計の世界においても、歴史の文脈を無視した「表面的な美しさ」だけを追うことは、時に人を傷つける凶器になり得る。あなたが抱かれた違和感は、設計という行為の本質を突く非常に重要な視点だと思います。
Vaundyが言ってる「(作曲のためには)私生活なんて捨てた方がいい。まず最初に捨てるものは生活」というのはたぶんそうで、才能があったうえにそれくらいに没頭できる人でないと第一線で活躍できないということだろう
そしてそれは他の残酷な現実も孕んでいて、仮に才能が同等だったとしても、私生活を投げ捨ててもサポートしてくれる人がいるか、他人に見捨てられない愛嬌や魅力があるか、最終的にその道で芽が出なくても帰れる場所や就ける仕事があるか、みたいなこと
要は「実家が太くて愛される人間なら、没頭しても許されるし人生を修正できる」という現実
それが無くても人生のギャンブルに勝って、行き着くとこまで行ける人もいるだろうけど、条件が整わない人間は圧倒的にリスクが大きく不利になる