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はてなキーワード:意識とは

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2026-02-12

かつての安倍ちゃんしろ今の高市首相しろ権力の頂点に立つという意味では確かに強者だが、

子供がいないという点では確かに弱者なのだから

批判側はそこを意識してないと駄目だと思うわ

Permalink |記事への反応(1) | 10:56

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自己愛変容と社会化における即時的適応の一例

対象(本人)は元京都大生であるが、青年特有内省自己愛(髭へのこだわり等)を保持していたが、社会的儀礼(贈与への返礼等)に関する意識希薄であり、

他者の教示を待って初めて行動に移す受動性が認められた。具体的には自分では誘うべきことに気づかず、よくしてもらったんだから招いてお礼したらと誰かにいわれ始めて行動に移した

このような状態分析としては被暗示性と鏡像段階にあることが認められ、他者からの「髭がないほうがいい」という外的な審美眼に対し、通常見られる心理的抵抗(逡巡や自己正当化)を一切挟まず、

洗面所直行し剃髭するという即時的な行動化を呈した。

これは、特定他者高学歴女子)を自己修正のための「絶対的な鏡」として内面化しており、極めて高い被暗示性を有していたことを示唆する。

形式的マナーの欠如に反し、飲酒不可の他者へ「茶」を供するという個別的・具体的な配慮自発的機能していた。共感性の萌芽としての実存配慮能についてはすでに有していたようだ。

これは、抽象的な社会規則プロトコル)の習得よりも先に、目の前の対象への実存共感が先行して発達していた証左である

症例は、全能的な自己イメージが「重要他者」の一言によって瞬時に崩壊・再構築された、劇的な脱・自己中心化の過程である。脱・自己中心化のプロセスとしてとらえられる。

病理学的には、単なる適応遅滞ではなく、他者視点を取り込むことで自己社会化させていく極めて柔軟かつ純粋な発達段階として解釈される。

Permalink |記事への反応(0) | 10:43

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anond:20260212101153

マンコにしか意識いかない発想力が貧困だっつってんの

Permalink |記事への反応(0) | 10:13

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anond:20191031025613

参考書をそこまで意識したことなかった。編集者なだけあってしっかりした文章だ。ありがとう

Permalink |記事への反応(0) | 09:46

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anond:20260212094052

意識が高くなればできらぁ!

Permalink |記事への反応(0) | 09:43

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大石あきこさんと高市早苗首相田村智子さんの女性党首3人だと、子供のいる勝ち組女性2人が子供のいない負け組女性を集中砲火するような構図になってるんだね…

今までは政策しか見てなかったのでわざわざアピールしない限り政治家結婚子供の有無はあまり気にしてなかったけれど

#ママ戦争止のタグのせいでその事を意識させられてしまった

これで子無し女性高市支持に回る人も多そうだな

Permalink |記事への反応(0) | 09:01

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ワカサギ釣り男性2人が用水路に転落…60代男性意識不明、もう1人は低体温症の疑い 秋田三種町

https://news.yahoo.co.jp/articles/4785df2a8b058f3eab6cc433a1ce650ed7c08f94

Permalink |記事への反応(0) | 07:50

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anond:20260211184525

そうでもなくて、インターネッツも「昔は良かった」的なことがあったんだよ。はてブも。

大昔インターネッツ参加は結構お金もかかったし時間必要だったし英語必要だったりしたけど、

その結果そういうハードルクリアできるエリート入口で選別されていて黎明期を切り開いた。

はてブ20年前にいろいろネットを駆使して技術ブログとか発信してた人達や、ブログ収益化に挑戦してた人達とか

それなりに意識が高く行動力の高い人達がある程度いたんだと思う。今は参加0円時代ネットイナゴとかレイジベイトでのアフィ導線とか

そういう方向に進んでとにかく金金金で劣化してきたのは明らかなので、「昔は良かったなぁ」という意見には頷けるところも多い。

はてなAIなど駆使して令和時代ネットコミュニケーション新時代を作ってほしいけれど)

Permalink |記事への反応(2) | 07:43

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いいよ。

母が漏らしたとき、俺は生まれて初めて値段という言葉の重さを知った。

尻の下に敷いたシーツを引き抜きながら、俺は頭の中で足し算をしていた。週三回、他人に来てもらう金。施設に預ける金。俺の給料。母の余命。掛け算をすれば、答えは出る。出てしまう。

母は泣いていた。七十キロ近い体を横に転がされながら、「ごめんね」と繰り返した。俺は「いいよ」と言った。いいわけがなかった。おむつテープを留める指が震えていたのは、疲労のせいだと自分に言い聞かせた。

赤ん坊は泣く。腹が減ったとき、尻が冷たいとき、ただ不安とき。泣くことでしか自分不快を外に出せないから泣く。母の「ごめんね」も、考えてみれば同じだった。どうにもならない体を抱えた人間が、隣にいる人間に向けて絞り出す、最後の声。

そう考えた自分が、たまらなく嫌だった。

---

母が二度目に倒れた翌月、俺は職を変えた。

さな会社だった。「年寄り苦痛をなくす」という、どこにでもある看板を掲げていた。俺の仕事は、体に貼る小さな機械の調整だった。尿が溜まる速度を測り、限界が来る四十五分前に、介護する側の携帯を鳴らす。漏れる前に替えてやれる。

母に、最初の試作品を使った。

携帯が鳴り、おむつを替え、母は漏らさなくなった。漏らす前に処理されるから、「ごめんね」を言う場面がなくなったのだ。

俺はそれを、うまくいった、と思った。会社の連中も喜んだ。大きな金が集まった。

だが母は、そのころからほとんど口をきかなくなった。

---

金が増え、人が増え、俺は母の傍を離れた。

機械進化した。排泄の予測はほぼ完璧になり、次に体温、次に床ずれの予防、次に気分の変動。体の微かな揺らぎから不安」を嗅ぎ取り、部屋の明かりを変え、好きだった曲を流し、ちょうどいい声色で話しかける。寝返り食事風呂——あらゆる苦痛が、生まれる前に消された。

俺たちはその仕組みを、ゆりかごと呼んでいた。

社長が言った。「俺たちが解いているのは、介護問題じゃない。人間がずっと抱えてきた、苦しいという問題のものだ」

金を出す側は頷いた。俺も頷いた。本気でそう思っていた。

母は、その前の年に死んでいた。最後の三ヶ月、彼女は一度も泣かなかった。一度も「ごめんね」と言わなかった。一度も、俺の名前を呼ばなかった。ゆりかごが完璧に動いていたから、彼女には俺を呼ぶ理由がなくなっていたのだ。

葬式の夜、風呂場で声を殺して泣いた。誰にも聞こえなかった。

---

その後のことを、俺は技術の話として語れてしまう。それ自体が、たぶん、おかしことなのだが。

臓器を作り替える技術が、介護意味を変えた。壊れた肝臓を新品にするように、血管を若返らせ、筋肉を二十代の状態に戻す。最初病気を治すためだった。次に、病気になる前に手を打つようになった。最後には、そもそも老いないように体を設計し直すようになった。

老いは、壊れた部品と同じ扱いになった。テロメアの摩耗を許さない。それが当たり前になった日のことを、俺は覚えている。会議室にいた全員が、人類勝利だと思っていた。俺もそう思っていた。母の介護で走らせていた足し算が頭をよぎったが、すぐに消えた。

同じ頃、人間記憶や癖を丸ごと学ばせた知能が、本人よりも「らしい」受け答えをするようになった。誰かがそれを外付けの魂と呼んだ。冗談のつもりだったのだろうが、三年後にはまともな名前として通っていた。

体の部品が替えられるようになり、考えることを外に預けられるようになったとき人間とは何かという問いは、哲学ではなく契約書の問題になった。

そして契約書は、答えを出した。製造工程を記録し、思考が人工であることを証明し、体は人の形をしているが中身は人ではないと保証する。人権境界線を、書類の上で一ミリだけ外側に引く。それだけで、人の体を持ち、人の手で触れ、人ではないものが作れるようになった。

---

最初の世話係が納品された日のことを覚えている。

人間の肌をしていた。人間の体温があった。こちらの目を見て、穏やかに微笑んだ。だが、その笑みには順番がなかった。口元が動き、頬が持ち上がり、目が細くなる——その三つが、寸分の狂いもなく同時に起きた。人間笑顔は、もっとばらつく。どこかが先に動いて、残りが追いつく。それがない。

俺は、最初の一秒でわかった。この体の中に、笑いたいと思っている者はいない。

彼らは人間の体から作られていたが、頭の中には人間の脳の代わりに、外から送られてくる判断をそのまま流す仕組みが入っていた。触れる指先は温かいのに、その温かさを感じている者がいない。完璧介護の手つきの奥に、誰もいない。

子を作る機能は、最初からなかった。古い会議の記録に理由が残っていた。「勝手に増えれば、誰のものかわからなくなる。」それだけだった。だが俺は、書かれていない本当の理由を知っている。生殖は、脳を作ってしまう。意識を、感情を、痛みを感じる主体を。つまり人権を産んでしまう。それだけは、あってはならなかった。反対意見はなかった。俺も、何も言わなかった。

そのころ俺は、母が「ごめんね」と泣いていた夜の感触を、もう思い出せなくなっていた。外付けの魂が、あの記憶不快もの判断して、俺の意識から遠ざけていたからだ。

---

はいま、ゆりかごの中にいる。

体は赤ん坊と同じ状態に保たれている。老いることは、許されない。

目を開くと、続きが始まる。昨日は海底に沈んだ都市壁画を指でなぞっていた。一昨日は音楽だった。聴いたことのない楽器倍音脊髄を這い上がり、その振動ビートが重なり、声が乗った。何語かもわからない歌詞が、俺の頭の中で物語を展開させた。母の背中が見えた。台所に立っていた後ろ姿。あの背中が振り向く前に旋律が転調し、俺はまだ行ったことのない場所に立っていた。涙が出た理由を、音楽が終わってから説明できなかった。全部がつながっていた。俺の記憶と、知らない声と、計算された拍の間合いが、俺の中だけで成立する催眠を編んでいた。その前は——思い出せないが、終わったとき全身が震えていた。毎回、想像の外側から殴られる。毎回、前より深く抉られる。俺はそれを待っている。目が覚めるたびに、今日は何が来るのかと、心臓が跳ねる。

かつてはそれを画面の中でやっていた。次に観たい番組を、本人よりも先に選ぶ仕組み。あれの、果てだ。

驚きは快楽だ。予想が外れた瞬間に、脳は報酬を出す。だがその驚きが、誰かに計算されたものだとしたら、それは本当に驚きなのか。俺にはわからない。わからないが、快楽であることは確かだ。確かだということだけが、確かだ。

母にしたことの、完成した形。あのとき俺は、母が不快を感じる前に不快を消した。いま俺は、退屈を感じる前に快楽を注がれている。不快の除去と、快楽の先回り。その二つの間に、どれほどの距離があったのだろう。

ときどき、胸の奥で何かが瞬く。名前のつかない信号。泣き声に似ているが、泣き声ではない。泣き声は、誰かに届けるためのものだ。これは、届ける相手がいない。

俺は口を開こうとする。世話係が、俺の唇が動く前に、何かを差し出す。俺がまだ名前をつけていない欲求の、正確な形をした何かを。

信号が消える。

---

ある日、今日体験が始まる直前に、俺は目を閉じたままでいようとした。

毎日殴られ続けるうちに、俺の中に別の衝動が芽生えていた。こんなものを見せられ続けて、ただ受け取るだけの側でいることが、耐えられなくなっていた。俺にだって作れるはずだ。俺の方がわかっているはずだ。あれだけの体験を浴びてきた俺が、何も返せないはずがない。見ない、という選択。それが俺の最初の一手だった。お前の次の手を見る前に、俺が先に動く。

だが、瞼の裏が暗闇のままでいることを、世界は許さなかった。

閉じた目の奥に、見たことのない光が走った。網膜を通さず、視神経を直接叩くような衝撃。それは、目を開けて受け取るどの体験よりも鮮烈だった。俺が拒否したことで生まれた空白を、システムは俺の想像よりも遥かに大胆な展開で埋めてみせた。

そしてそれは、悔しかった。負けた、と思った。俺の想像を超えてきたことに、震えるほどの興奮があった。

その興奮が、快楽だった。

俺は気づいた。競うこと自体が、もう組み込まれている。抗えば抗うほど面白くなる。面白くなればなるほど、俺はこの器の中に深く沈む。出口に向かって走れば走るほど、景色が美しくなる道を、俺は走らされている。

叫ぼうとした。赤ん坊がやるように。肺の中の空気を全部吐き出して、俺がここにいると、どこかに向かって叫びたかった。

だが声が喉を通る前に、その衝動は別の何かにすり替わっていた。穏やかな満足感。深い安らぎ。叫びたかったという記憶すら、すでに角を削られ、柔らかな感触に塗り替えられていた。

俺は、何を失おうとしたのかを、もう思い出せない。

---

この器の設計図を、俺はかつて自分で引いた。

1960年に、ある男がガラスの瓶に植物を入れて、蓋をした。水もやらず、空気も入れず、その植物は五十年以上枯れなかった。光さえあれば、閉じた器の中で命は回り続ける。

俺はそれを読んだとき、笑った。人間にも同じことができる、と。

母を抱えて泣いていたころの俺が聞いたら、顔を殴っていただろう。

だが俺は、その図面を引いた。苦痛を完全に消し、崩壊を修繕で相殺し、閉じた器。俺はその住人になった。

---

世話係のひとりが、渇いてもいない喉を潤し、痛んでもいない体をほぐし、覚めてもいない夢の続きを映し出す。欲しいと思う前に、欲しいという気持ちごと、満たされている。次に何が来るか構えることすらできない。構えた瞬間に、構えの裏をかかれる。驚きたくないと思えば、その拒絶すら新しい驚きの呼び水になる。

かつて俺が母にそうしたように。かつて俺がうまくいったと呼んだやり方で。

母は最後の三ヶ月、俺の名前を呼ばなかった。

器の中で、誰かの唇が微かに動く。音にはならない。何を言おうとしたのか、その唇の持ち主にもわからない。世話係が何かを差し出す。唇は閉じる。

器の外では、誰も泣いていない。泣くための頭がないから。器の中でも、誰も泣いていない。泣く理由がないから。

世界から「ごめんね」が消えた日を覚えている者は、どこにもいない。

Permalink |記事への反応(2) | 00:04

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2026-02-11

anond:20260211145021

婚約指輪に興味がない女もいるよ。結構いるんじゃない?指輪は買ってもらうものって意識もあまりなかった。結婚指輪は常に身につけるから割り勘で買ったけど

大体結婚するふたりなんだから、夫側の財布からだけ支出するってのも違うじゃん?最終的には。

Permalink |記事への反応(1) | 23:45

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撃退戦争平和じゃなく戦争ではある

…いや殺されるぞ!! 殺さなきゃ殺される。

親も子ども死ぬし、死んだら意識は消える……… 後悔したり思い出を振り返ることもできない。

未来に何一つ期待できなくなって、永久に目が覚めない。

死は眠りとは違うぞ?

死は、終わり

物語登場人物立場おしまい回避できるなら、なんだってする、メチャクチャに"あがく"だろ

Permalink |記事への反応(5) | 23:18

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anond:20260211194512

ご本人も

『みんなの声があったかすぎて、冷笑侮蔑も聞こえなかった

私には声があることがわかったか

私だけの声じゃないってわかったから一人つぶやいた時より、今のほうが戦争止められる気がしてます

ツイートしてるし、それに対する反応も諸々好意的

.........

センスのない最悪のハッシュタグ」?

皆がどれほど切実な思いでこの言葉を呟いたか、それがどれほど多くの人の心に灯をともしたか。まともな想像力があればとうてい出てこない戯言だ。センスのない最悪の野郎はてめえだよ

.........

ママ戦争止めてくるがやり玉に上げられがちだけど、ぶっちゃけ票に影響はなかったと思う。権力者でなくて一般市民発のメッセージから、弱い立場からメッセージがバズったのがムカついてそれっぽい理由考えて叩きたくなったんじゃないですかね

.........

リベラル意識の高い賢い層に向けた発信ばかりしているが、頭が悪い底辺の民に向けてわかりやす言葉を届けないと」ということで、工夫されたのが、「ママ戦争止めてくるわ」だったのでしょうね。

これでも通じなかったから、もっと底辺の民を見ないといけませんね。

.........

声を上げたのが、小さな一人だった。

賛同した人たちもそれぞれが小さな一人として声をあげた。

最初の小さな一人がママだったから、別のママも、ママじゃない誰かもこのハッシュタグ乗った。

それで十分いいと思うんです。

これをクサする人がいるのは、ハッシュタグが強力だったからではないかしら

.........

この#に、「自分はそんな戦争なんて思ってない」と噛みついてる多くは、たんに#が出てきたのが、期日前で投票を済ましてしまった後だったからでないの。

自分のし選択が間違いかもと思わせられる『正論』を前に自分は間違えていないと抗いたいだけ。

だってタグ拡散されたの当日の数日前よ?

.........

以下略

Permalink |記事への反応(0) | 19:56

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資産が億を超えた

のほほんと育っちまったもんで、お金に対する意識が鈍い自覚がある。経済ニュース見ててもフーン?って感じ。浪費する趣味はないので貯金はあるが。

配偶者自分と違ってYouTubeのリベ大とか金融系のチャンネルを熱心に見て資産運用している。

私の給料現金で貯蓄して生活費に使い、配偶者給料住宅ローン(月7万くらい)の支払いと投資に回している。

長期で運用する想定なのか派手に動かしたりはしないようだが、先日、お金管理アプリを見せてもらったら億を超えていた。なお住宅ローンが残りどれだけあったかは忘れた。当初2500万くらい借りたかなぁ。

また、私の実家の母は投資好きの小金持ち(資産家ではない。

一般サラリーマン家庭の専業主婦)で、夫婦で会いに行くと実子である私抜きで金融トークで盛り上がっている。

実家家族は、母以外、金に無頓着(私と同じ。人並みに稼ぐけど増やすことに興味がない)なので、私も父も配偶者がしっかり者でよかったなあと感謝しきり。

万が一配偶者投資に失敗したとしても、いまの私の給料預金だけでも暮らせるので、心配はしていない。

増えたら増えただけありがたい。

お金管理自分でしなくていいのは気楽。

追記

これを書いてる私は妻で、資産運用しているのは夫。

正社員共働き

Permalink |記事への反応(2) | 11:44

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anond:20260210110520

マッハGoGoGoあたりからタツノコ海外意識して作品を作っていた。

そしてマッハGoGoGoアメリカで大当たり

Permalink |記事への反応(0) | 09:35

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anond:20260211092256

思うに、海外の何を意識するのかによる。

海外で行われている自由競走を意識するのは大事だ。ガラパゴスであることのデメリットは、競争とそれがもたらす進化から切り離されることだからな。

 

海外にて無用競争に巻き込まれないように、文化環境に適合しようとする動きは、実は同じ海外を気にしてるでも、全く話が逆だ。

Permalink |記事への反応(0) | 09:31

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anond:20260210110520

でも海外意識した真・三國無双ORIGINSは圧倒的に好評だからなあ

Permalink |記事への反応(1) | 09:22

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一昔前のVIPとかなんJ民が何か解説してくれるようなやつ無くなったのちょっと寂しい

今もやってんのかな。あんま視界に入らない

何も考えたくないとき意識を逸らすことの出来る読み物として結構好きだった

Permalink |記事への反応(1) | 02:16

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2026-02-10

anond:20260210223906

がんばれ、英語は喋ろうとする意識があれば伝わるんや

結局のところただの言語だしな

Permalink |記事への反応(1) | 22:46

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はてブ左派左翼リベラル財政規律重視が少なすぎじゃない?

いてもそれ関係記事だとブコメさないのはなんでなんだろ

財政規律意識した石破政権はよかったみたいなブコメは残すけど、どストレート記事ではブコメに残さないよね

Permalink |記事への反応(3) | 22:23

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どんな顔をどのように何をすればいい?

 ICU人生で5度目だろうか、入院自体、これで25年の人生のうち15回くらいはしているだろうか。

 今回のICU事故だった。ODのやりすぎで、少量なのに意識を失ったのだった。気が付いたら「痛い痛い」「つらいつらい」と呻いてのたうち回っていたのだった。親に見られているのが分かったけど、眼を開けることはできなかった。ただ「薬いっぱい飲みすぎで、もうどうにもならなくなってんの。脳のどっかも、身体のあちこちも、おかしくなってんの」と言われたのが、心外だった。自分だって理解している。

 頭の処理が遅いし、認知も変になっていて、喋ると喋っている間に自分が何を考えているか忘れてしまうのだ。おもしろいことに、こうして文を書いているときは、すらすら文字が出てくるし、書こうとしていることも明確だったりする。ただ、私の頭が多少ヘンになっていることは、そうだろう。このことに後悔はない。仮に、年齢ではなく「本当に」ODの勢以でヘンになっていたとして、こうなるとわかっていたとしても、かこの自分ODをやめることは無いだろう。

 そもそも、私は死にたいのだった。死を目的としたOD,飛び込み飛び降り首吊りなど、自殺企図はかれこれ、ちょくせつ死が近くに来るそれは、この通りにすべて複数回している。

 私にとって、私が死にたいのは、あまりにも当然だ。死んじゃいけない理由も把握しているが、それと死にかけている私を助ける理由と、けっきょく生かされて残り続ける苦痛は、つり合いが取れない。合理的に。ただただ私の苦しみが増え続けるだけ。

 ネットには死にたい人が沢山いる。おおかた、苦しいからこれを終わらせたくて死にたいと言う。私はそういう、死んだら救われるような考えは、死にたくなった高校から、あまり考えないように、と気を付けていた。死にたいなら、理由をつけずにただ死ぬ自殺すること自体目的にする。

 さていまの自分はどうだろう。なんで生きているのがつらくて、早く死にたいのか? それは、なにもかもどうでもいいからだ。私の死にたい気持ちは〈あらゆる可能性を捨てる〉決心をもって、それらの了解から導き出される、感情的にも、意識的にも、論理をある程度だけ適応した、ヒューマニックな解答なのだ。つまり、さっきの「どうでもいい」は「どうなろうが知らん」というよりか、とにかく「考えたくない」ということだ。もう解答は出ている、100点は確実なのに答案が配られない。

 〈あらゆる可能性を捨てる〉というのは、私の想定では『ジョニー戦場へ行った』だ。

 私には才能がある。というか、この言葉ちょっかいを出したい人というのは、どうして自分に才能がないと言い切れるだろう? 肯定することより厳密に否定することの方が難しいのに。

 それで、評価はされている。だが、自分の才能に対して「お前はもっとできるだろう」という考えがずっとある。そして同時に、よりよくその才能が生かされたとして、それが私の生きる理由にはならないだろうことは確かだ。私は私にだけ、強く重い根性論をぶつけている。自分を追い込んでいる。

 なにも作れなかったら、生きていてもどうしようもないのだ。命に価値がない(この言葉は嫌いだ)、いや、限りなく生きていないのに、ただしか自分けが「頑張れなかった私」を、この生命の一切が終わる、その意識が途切れるまで(これ自体を)抱えなきゃいけない。なにげなく、文章小説を書き出したのは、明確に死にたいと思うようになった、高校生の時分からだった。

 何かを作るのは、「もし生き続けるのなら」そういうことをやらないと、自分無意味のものだと感じるからだ。無意味というのは、死体ということだ。

 私は本当なら、何も作りたくはない。作っていなかったときの方が、毎日がイキイキと鮮明だった。

 自己表現、という言葉のすべては、自己表現純粋に示せない。それを示そうとすること自体が、自己表現になりえるからだ。なにかを作るのにおいて、公に(正式場所から)何かを出すときも、自己表現なんてものは頭に一寸もよぎらなかった。私の作るものには、私が伝えたいことなど、一つもない。喋りもうまくできなくなったのだ、私が誰かに何かを伝えること「さえも」そのもの意味があるとは思えない。もし、私が望む何かを達成できるAIがあるのであれば、私はそっちに乗り移って、無思考かつ無感情でその主体を獲得したい。

 とはいえ、私にもいろいろな意見がある。それのほとんどが、人間なんてどうしようもない、正直、なにかを作ったとして、何にもどうにもならなく、仮に何かにどうにかなっても、私はきっとそれになにも満足しないだろう、それは人間はどうしようもなくて、ただ死ねいから生きていて、生きることを根本から見つめることもできないくせ、感情だの倫理だのと、どっかから聞いてきたような適当理由を、無遠慮に誰かや私にぶつけてくる、害そのもの、あるいは機械、または可変的なルールしかない、という、不満だ。人間は愚かなのではない、賢いのではない、〈何かに理由があることを疑えない〉のだ。いつしか規範が作られ、会話できるようになって、そんなことできないのに他人気持ちとかをくみ取ろうとする。

 私たちは、他人気持ちなんて、分かろうとするのは恋愛だけでいいし、とにかく「気を配ること」に厳密になればいいだけなのだ。「気を配ること」。他人意思尊重することと、倫理基本的に一致しない。むしろ倫理なんていう規範を飛び越えて他人に触れることが、よりよく意思尊重することになる。これが「気を配ること」である。そして「気を配ること」は、なにも、社会だのSNSだの、でっかい母数を相手にしなくていい。周辺だけ、触れ合う他人にだけでいい。

 主張をしまくること。

 主張をしまくり、その主張は何かを否定していたとして、否定側の意見をいつも検討価値のあるものとすること。

 では「私は死にたい。以上の自殺企図入院歴がある。私は〈理念〉として自殺することを肯定している。私の邪魔をしないでくれ」。

 否定病気です。双極性感情障害です」。

 では「そう。で? それが何? 何それ?」

 対話精神疾患です」。

 では「それは〈理念〉を否定する材料になってるの?」


 さあ、〈どんな顔をどのように何をすればいい?〉

 

Permalink |記事への反応(0) | 21:36

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anond:20260210190120

https://knockeye.hatenablog.com/entry/20040928

日曜日読んだ『自己責任とは何か』に、丸山真男の「抑圧の移譲原理」が紹介されていた。というか、じつは、あの本の「オビ」がまさにその抜粋なので、興味ある方は、本屋でみてもらいたい。引用しておくと

「抑圧移譲原理・・・タテの究極の価値につながりたいという衝動けが価値となっているから、そこに向かって組織人間が競い合いながら、牽制している。したがって独裁権力行使しているという意識は生まれにくく、大きな事件を起こしても、自分こそが責任があるという意識が生まれない。法律存在しても、統治者国民も服すべき共通原則というより、位階秩序を保つための手段に過ぎない。上級者ほど法を無視して平気である

個人倫理内面化されないから、つねに上級者の顔色をうかがって行動する。自分行為正当化するため上の権力正当化を常に求める。上から正当化されれば、それは自分責任ではない。

ところが、常に上から圧力を感じているから、精神の均衡を保つために、上から圧力を下の者へ威張り散らすことで発散しようとする。いちばん被害を被るのは、声の小さい下位の者にならざるをえない。

考えてみると、この国の若者は年長者の理不尽に寛容な気がする。先輩が「白を黒」と言ったら、それは「黒」にしておくのが礼儀でさえあるかも知れない。その裏には、やがては自分にも、「理不尽が許される番が回ってくる」という期待があるだろう。曲がりなりにも「規範」と呼ばれるものが、「位階秩序を保つための手段に過ぎない」とすれば、大人になればなるほどバカになって当然だった。

knockeye 21年前 読者になる

Permalink |記事への反応(0) | 19:02

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anond:20260210182805

https://ameblo.jp/wife0407/entry-12778995012.html

 後述するとおり、日本には大戦争を起こしながら、「我こそは戦争を起こした」という責任者が見当たらず、肩書上その位置にいた者ですら責任意識を著しく欠いており、「陛下下僕」でしかないという程度の意識しかなかった。この事態を指して、丸山は下で述べることになる論文で「無責任の体系」と名づける。このように、「自由なる主体意識が存せず、各人が行動の制約を自らの良心のうちに持たずして、より上級の者(従って究極的価値に近いもの)の存在によつて規定されていること」からして、先に定義したような「抑圧の移譲」による精神的均衡を保つという現象生まれる。からの圧迫感の捌け口を下に求めることで、全体のバランスを保持するのである

 ここからかるとおり、「抑圧の移譲」を時の権力者間や軍隊内に特有現象だと考えると、この概念本質を見誤ってしまうことになる。むしろ、それは国家最上から末端へ向けて、さらには末端から外に向かって発散される心理的メカニズムなのだ

Permalink |記事への反応(1) | 18:59

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[今日知った言葉]抑圧移譲(transfer of oppression)

概念

□「戦後政治思想の出発を劃した論文といわれる、丸山眞男超国家主義論理心理」(『世界1946年5月号)が、近代日本人心理にしみこんだ病理として指摘した特色。それは、福沢諭吉が『文明論之概略』で、徳川時代武士社会における「権力偏重」を批判した記述を引きながら、秩序の上下関係のなかで、「上からの圧迫感を下への恣意の発揮によって順次移譲してゆく」運動として描かれている。そこでは、自らの良心にもとづいて自由判断し、行為責任をとる「主体的意識」が確立せず、権力者すらもが、自分より上位にあるもの意志によって束縛されている「被規定意識しかもっていない。丸山によれば、こうした心理明治国家体制で強化されたことにより、昭和戦争期における権力の強大化と、その反面での決定者の不在を招いたのであった」(苅部[2012:1288])

□「丸山真男の「超国家主義論理心理」(1946)における用語上位者からの圧迫感を下位者への恣意の発揮によって順次移譲していくことにより、全体の精神バランスが維持される体系をいう。福沢諭吉はこの現象を旧幕時代看破していた(『文明論之概略』1875)。それは天皇制ファシズム下の軍隊組織軍事支配者、家制度下の姑の嫁いびりに見られただけでなく、近代日本社会封建社会から受け継いだ負の精神構造の一つであるとされる」(社会学小辞典[1997:608])

▼文献

●――――、1997「抑圧移譲」濱嶋・竹内石川編[1997:608]

苅部直、2012「抑圧移譲」大澤・吉見・鷲田編集委員・見田編集顧問[2012:1288]

■濱嶋朗・竹内郁郎・石川晃弘編、1997『社会学小辞典 新版有斐閣.

大澤真幸吉見俊哉・鷲田清一編集委員見田宗介編集顧問、2012『現代社会学事典』弘文堂.

https://tanemura.la.coocan.jp/re3_index/8Y/yo_transfer_of_oppression.html

Permalink |記事への反応(1) | 18:28

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anond:20260210110520

4℃海外受け狙いってよりか良くも悪くもあの絵柄が自分らのブランドであるって認識でやってるだけでしょ(知ってるやつはあの絵柄見た瞬間4℃だと分かるレベル

王道ジブリ」に対する「側道」って位置づけでずっとやってるんだからジブリ風」に対する「4℃風」の絵柄を意識してやってないはずがない

Permalink |記事への反応(1) | 17:37

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整体師、お前らいい加減にせえよ

初めて増田に書く。本当に腹に据えかねているから、ここに吐き出させてもらうとともに、警鐘を鳴らしたい。

整体師、お前らいい加減にせえよ。

私は体の調子が悪い。幼少期から姿勢が悪いと指摘されていたが、ここ最近は1〜2年に1回はぎっくり腰を患うようになった。

それに伴い、定期的に整体に通うようになった。お金バカにならないので、できれば極力行きたくないが、冬場に1か月整体に行かなかったらぎっくり腰が再燃し、なかなか治らなかったため、定期的に通っている。

自宅では毎日ストレッチを欠かさず、とにかく体をいわさないように、細心の注意を払っている。

整体院を選ぶポイントとしては、チェーン系の整体院はリラクゼーションの延長であることが多く、施術が安定しないため、症状を見てカスタム施術をしてくれるところを選んでいる。

そうすると、だいたい独立開業している個人整体院に行くことになる。

あるときぎっくり腰予後が悪く、YouTubeで観たある治療法に注目した。その治療ライセンスとして卸しているらしく、最寄りの(といっても数駅離れている)治療院に予約を入れた。

金額も通常の整体院に比べると高かったが、症状を少しでも緩和してくれるならと思い、通うことにした。

数回通ったある日、季節は夏だったのだが、膝丈の5cm上くらいのハーフパンツで家を出てしまった。その日、整体の予約を入れていたことを忘れていたのである

しかも、そこは着替えが出ない。

ただ、その治療は通常の整体と異なり、ほとんど足を触らない施術(足首をつかんで曲げるくらい)だったので、問題ないだろうとそのまま向かった。

入るなり整体師に「足、めっちゃキレイですね」と褒められて、すごく嫌な予感がした。今思うと、その場で帰るべきだった。

施術が始まると、いつもは触らない足を異様に触ってくる。おかしいなと思っていると、ハーフパンツの隙間から手を突っ込まれて、そのままお尻ぎりぎりの太ももまで撫でられた。

今思うと、その場で警察通報すればよかった。

その整体院は、その日を最後に行くのをやめた。

次に、口コミ吟味して、評判が良さそうな整体院を探してそこに行くことにした。

最初のうちは良かったのだが、回数を重ねるうちに「患者に聞くべきじゃない」個人的な情報を聞き出そうとする気配があった。

答えたくないので濁していたが、だんだん整体師と患者恋愛はどう思うか」など、気持ち悪いことを聞かれるようになり、気持ち悪くなって行くのをやめた。

次に行った整体院では、整体師が左手の薬指に指輪をしていたので、いささか安堵した(最初セクハラをしてきた整体師も既婚者ではあったが)。

しかし、やはり回数を重ねるごとに個人的な質問が増え、挙げ句に「妻とは不仲、いつ離婚してもいい」などと話し始めたため、気持ちが悪くなって行くのをやめた。回数券を買ってしまっていたので、2万円分くらいをドブに捨てることになった。

これらはほぼ1年半以内に立て続けに起こったことで、その結果、男性整体師という存在のもの気持ち悪くなり、体を触られるのも無理になった。

たぶん、知人の会食に知らない男性がいて「整体師です」って言われたら、申し訳ないけど「うわ、気持ち悪い」と思ってしまうと思う。

もともと整体師の性犯罪というのは時折耳にすることで、医者に比べて件数が多い。それは、国家資格を得なくとも独立開業できるという手軽さもあるから医者に比べてコンプライアンス意識も低いんだと思う。

さらに、整体師は整体師になりたくてなったのではなく、何らかの事情を抱えてドロップアウトした人も多く、社会人経験が乏しい人もいる。

身バレが怖いので詳細は書けないが、整体師という立場を使った職業倫理に反するビジネスを展開していると公言する人物もいた。

さら保険適用をしている医院でも、ケガは治っているのに、なぜか料金をサブスクにしており、基本的患者が言い出さない限り継続されるという料金システムを取っているところもあった。

怖くて男性のいる整体院に行けなくなってしまったので、現在女性整体師さんがいるところに電車に乗って通っている。

最初からそうすればいいだろと思われるかもしれないが、女性開業している整体院というのは数がものすごく少ないから、遠方まで通う必要がある。

それに、女性開業している場合、良から目的で通う男性客を避けるために、料金を高めに設定しているケースが多い。

周りに話を聞いても、整体院で変なところを触られたとか、飲みに誘われたという知人は多い。

いや、本当になにしてくれてんだよと思う。こっちは体の不調という切実な理由で通っているのに、お金まで払って、なぜこんな目に遭わなければいけないのか。

そもそも整体院を選ぶとき大通りに面したところを選んでいたし、服装もダボっとしたスウェットを着るなど最低限の自衛はしていたのである

整体院は体のメンテナンスをするところであって、お前の狩場じゃねえんだわ、って思う。

それに、私は立派な中年である中年になってもなお、このような被害に遭うのだから、本当に気が抜けない。

ここに書いた整体院のGoogleレビューに書いてやりたいが、こちらは住所を握られているから、報復が怖くて書けない。

あと、たまに整体師とか、美容師とか、ジムトレーナーとか、体の一部に触れるサービス業の異性をすぐに好きになっちゃう人がいるけれど、悪いことは言わないからやめた方がいい。

仮に相手から恋愛的なことをほのめかされてのぼせ上がったとしても、それはあなたに言ってるんじゃなくて、客の大半に言ってると思った方がいい。

しかも、それでなびいちゃう人がいるから、成功体験をつかんで次から次にそういうことをしているんだと思う。

ということで、カスタム施術を受けたいか個人院を選ぶという私と同じような人は、女性か、夫婦運営する整体院を強めにおすすめします。

Permalink |記事への反応(1) | 16:57

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