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フィンランド、ミスや国会議員つり目投稿 くり返されるアジア人差別:朝日新聞
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASTDF7S1CTDFUHBI005M.html
見苦しいけどかわいそう
Helfard
本人の釈明と謝罪を全面から否定して背後から撃ちまくるの面白い。
何か彼女に恨みがあったんだろうか? 何が何でもここで社会的に終わらせるという強い意志を感じる。
2025/12/14
興味ないんだろうけど。
本人の釈明の内容知ってるか?
「友人とレストランで食事していた際、ひどい頭痛と目の痛みでこめかみを揉むような仕草をしていたところを撮られたもの」
だぜ?
わかる?
徹底して舐めてるし処分に不服なの。
だから彼女の擁護をする議員たちが「背後から撃ちまく」っているというのは全く当たらない。
(まあ確かに「頭痛と目の痛みでとった仕草だ」という釈明ははなから嘘だと決めつけてるぽいけど、
どーせそれは誰一人信じてねえからなw)
でね、
俺がここに書いた程度のことはちょいと調べりゃすぐわかる程度のこと。
気になる映画の評判と上映時間調べるぐらいの時間で掴めるポイント。
つまりこのHelfardという奴は「右派議員をなんとか揶揄したい」ということが最優先で
実際にどういうことがあったか、このミスがどんな釈明や謝罪をしたか、は調べる気すらないわけ。
それで「当人が謝罪してるのに右派が背中を撃った!うきょきょきょ!www」って言いたがって喜んでるわけ。
この人が気にしてるのはアジア人の人権じゃなくてウヨサヨの党派性だけだよね。
こういう人が「差別問題に特別な興味がある振り」をする目的やメリットはなんだろう?
って考えてみるといいよね。よくいる人だけど。
kazoo_keeper2
あっ俺俺!それ俺!
何が気になるんでちゅか?
いやいやいや
で実際クソな訳じゃんポリコレって。
くされリベラルが礼賛してきたポリコレ先進国でもこんなもんだよ。
俺達が前からず――っと言ってるように、ポリコレカスどもは別に差別心をなくしてるわけじゃない。
「クロンボやホモやデブや薄黒い移民は賞賛しなきゃいけないけどアジア人はOK。」
この無理して攻撃を我慢するリストを更新していくのが”アップデート”だから、
だから知能がまともな人間ほど「あ、こんなのは道徳でも何でもないな」「これただの馬鹿向けの膏薬だな」って気付くから
で、国内リベラルがそんなもんを無条件に礼賛して日本に移植しようとしてきた理由は
「欧米様が仰ってる」「北欧様が仰ってる」「白人様が仰ってる」だけだったわけじゃん。
なんかさあ
「完全にお前等のことだろ」って問題点をそのまま敵に言い返すみたいな
オウム返しですらない何かが増えてきたよな。
所作として知能低いと思う。
「ポリコレやポリコレ信徒のぼくちんを笑ってる奴等は欧米コンプレックスでちゅ!」って喚きだすとか。
自分がいま言われたらいやなことを先に叫べば勝ちみたいなゲームなのか?
現実を見ろよ。
この件についてどんだけ礼儀正しい丁重な質問を貰ってもスルー、
ごく少数の右派議員だけがどうこうみたいなことではないの、これは。
【悲報】フィンランド人権大使 @PehrmanKatja さん、アジア人差別の質問に対してブロックで応戦
https://x.com/InsHatanCountry/status/1999773738729177179
この程度なんだよ。
わかった?
収入が入ったらその月に使う分や貯金に回す分を分ける。先にやる。わかってるんだ!
でも、あるじゃない。
「書籍代を毎月5000円に決めればいいんですよ。もう50年分使いました」みたいなやつ。
完全にこれ。分けたお金がそこにあるっていう記憶が残っている限り、手を付けてしまう。投資とか定期で解約しにくくしてもダメ。解約して使ってしまう。わかってるんだ!意志が弱い。意思の力ではなく仕組みに頼る方がいいってことは。「お金を分けて、どこかによけてある」という記憶ごと消して欲しい。
何度も挫折してるけど今回も一応書いてみる。次の収入が入ったら、まず貯金に回す分をよける。旦那に借りてるお金を返す分も旦那の口座に振り込む。そこから二ヶ月分に分ける。カードの返済と使える現金を計算する。とにかくこれをやること。
そうか。この「仕組み」を起動するところで「意思」の力が必要になる。そこが手動である限り、やはり「意思の力」なんだよな。私はこれが弱い。面倒くさいに飲まれる。ADHDなのかどうなのか、検査してるけど今の病院は発達障害に強くないので、検査した心理士や医師の返答も歯切れが悪い。
人工知能(AI)の急速な進化は、私たち人間に突きつけられた実存的な問いである。「計算能力において機械が人間を凌駕したとき、人間に残される価値とは何か」。この問いに対し、多くの議論は「創造性」や「直感」といった曖昧な領域に逃げ場を求めてきた。しかし、マックス・ベネット著『知性の未来』と、それを翻訳・解説した脳科学者・恩蔵絢子氏の洞察は、より生物学的かつ哲学的な深淵へと私たちを導く。
彼らが提示する結論は、逆説的である。「AI時代に人間が持つ最大の能力は、感情になる」。そして、「本当に頭が良い人とは、他者に興味を持てる人である」。
一見すると、これは道徳的なスローガンのように響くかもしれない。しかし、認知科学、進化生物学、現象学の知見を総動員してこの命題を解剖するとき、そこには「知性」という現象の構造的な転回が見えてくる。本稿では、二重過程理論、ユクスキュルの環世界、身体性認知、社会脳仮説、そして間主観性という5つの視座を補助線とし、AIが決して到達し得ない「知性」の本質と、これからの時代に求められる「知的な生き方」について論じる。
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まず、私たちが「知性」と呼んできたものの正体を、ダニエル・カーネマンらが提唱した「二重過程理論」の枠組みで再考する必要がある。
伝統的な知能観において、知性とは「システム2(遅い思考、論理、計算)」の能力を指していた。複雑な数式を解き、論理的な推論を行い、未来を正確に予測する力である。現在のAI、特に大規模言語モデル(LLM)は、このシステム2の機能を極限まで外部化・高速化した存在と言える。彼らは感情を持たず、疲労を知らず、膨大なデータから論理的整合性を出力する。
しかし、ベネット氏が描く脳の進化史(5つのブレイクスルー)は、この「システム2至上主義」を根底から覆す。進化の歴史において、論理や言語といったシステム2の機能は、常にシステム1(速い思考、感情、直感)の要請によって開発されてきたからだ。
初期の生物(線虫など)は、「快・不快」という原始的なシステム1のみで生きていた。進化の過程で「予測」が必要になったとき(魚類)、予測誤差としての「失望」や「安堵」という感情が生まれた。さらに複雑なシミュレーション(マウス)が可能になったとき、反事実を嘆く「後悔」という感情が生まれた。
ここで重要なのは、「論理が感情を抑制するために進化した」のではなく、「感情をより細やかに処理し、生存確率を高めるために論理が進化した」という事実である。システム2は、システム1というエンジンの出力を最大化するためのトランスミッションに過ぎない。
AIの限界はここにある。AIには「エンジン(生存への渇望、快・不快、感情)」がない。あるのは精巧なトランスミッション(計算能力)だけだ。エンジンを持たない車が自律的にどこへも行けないように、感情という基盤を持たないAIは、自ら「問い」を発することも、「意味」を見出すこともできない。人間の知性の本質は、論理そのものではなく、論理を駆動し続ける「感情の熱量」にあるのだ。
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なぜAIには感情が宿らないのか。その答えは「身体」の欠如にある。「身体性認知(EmbodiedCognition)」の視点は、知性が脳という密室の出来事ではなく、環境と相互作用する身体の中に宿ることを教えてくれる。
記事の中で恩蔵氏は、老いによる身体の変化を「老年でしか味わえない内的な経験」として肯定的に捉えている。これは非常に重要な示唆を含んでいる。
生物にとっての「意味(Sense)」は、身体的な脆弱性から生まれる。身体があるからこそ、空腹は「苦痛」となり、食事は「快」となる。皮膚があるからこそ、他者との接触は「温もり」となる。死ぬ定めの身体があるからこそ、時間は「有限」となり、焦燥や希望が生まれる。
AIが扱う情報は、どこまで行っても「記号」である。AIにとって「痛み」という単語は、辞書的な定義や統計的な関連語の集合体に過ぎない。しかし人間にとっての「痛み」は、回避すべき切実なリアリティである。この「切実さ(Stakes)」こそが、世界に色を塗り、価値判断の基準を作る。
身体性認知の視点に立てば、加齢による能力の低下は、単なる「劣化」ではない。それは身体というインターフェースの変化に伴う、世界との関わり方の「再構築」である。
若い頃の強靭な身体で見えていた世界と、老いて動きが緩慢になった身体で見える世界は異なる。その変化を受け入れ、新たな身体感覚を通じて世界を再解釈することは、高度な知性の営みである。AIは「劣化」しない代わりに、「成熟」もしない。身体の変化を通じて世界モデルを更新し続けるプロセスこそ、人間特有の知的な冒険なのである。
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身体を持った生物は、それぞれの感覚器官が切り取った主観的な世界、すなわち「環世界(Umwelt)」の中に生きている。ユクスキュルが提唱したこの概念は、知性の進化を「孤独からの脱出劇」として描き出す。
ダニにとっての世界は「酪酸の匂い」と「温度」だけで構成されているように、すべての生物は自分の環世界というシャボン玉の中に閉じ込められている。本来、他者の環世界を知ることは不可能である。私はあなたの痛みそのものを感じることはできないし、あなたが見ている「赤」が私と同じ「赤」である保証もない。
この「絶対的な孤独」こそが、生物としての初期設定である。しかし、ベネット氏が指摘する第4、第5のブレイクスルー(メンタライジング、発話)において、人間はこの壁に挑み始めた。
「他者に興味を持つ」とは、自分の環世界という安全地帯から身を乗り出し、他者の環世界を覗き込もうとする無謀な試みである。「あの人は今、何を考えているのか?」「なぜ悲しい顔をしているのか?」。これは、自分の感覚データ(システム1)だけでは完結しない。高度な推論と想像力(システム2)を総動員して、見えない他者の内面をシミュレーションしなければならない。
恩蔵氏が「他者に興味を持つことは難しい」と述べるのは、これが認知的に極めて高コストな作業だからだ。自分の環世界(自分の話、自分の関心)に浸っている方が楽なのだ。しかし、あえてそのコストを支払い、他者の世界へ「越境」しようとする意志。それこそが、人間を人間たらしめている知性の正体である。AIには環世界がないため、そもそも「他者の世界」という概念自体が存在しない。
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なぜ人間は、これほどまでにコストのかかる「他者理解」という能力を発達させたのか。ロビン・ダンバーの「社会脳仮説」は、それが「集団での生存」に不可欠だったからだと説明する。
自然界の脅威(猛獣や寒さ)に対処するだけなら、これほど巨大な脳は必要なかったかもしれない。しかし、人間にとって最大の環境要因は「他の人間」であった。誰が味方で、誰が裏切り者か。誰と協力すればより多くの食料が得られるか。
他者の心は、天候や物理法則よりも遥かに複雑で、予測不可能な「変数」である。この変数を読み解くために、脳は巨大化し、知性は進化した。記事にある「会話の70%は噂話」という事実は、私たちが情報の交換以上に、人間関係のメンテナンス(社会的グルーミング)に知能のリソースを割いていることを示している。
この文脈において、「頭が良い」という定義は劇的に変化する。それはIQテストのスコアが高いことでも、計算が速いことでもない。
真に知的な個体とは、「他者の意図を正確に読み取り、共感し、信頼関係を構築して、集団としてのパフォーマンスを最大化できる個体」である。
「他者に興味を持てる人」が頭が良いとされる理由は、単なる優しさではない。他者への関心は、複雑な社会マトリックスの中で生き残るための、最も強力なセンサーであり、武器だからだ。自分の殻に閉じこもることは、社会的動物としては「死」に等しい。他者への好奇心は、生命力そのものの発露と言える。
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そして、知性の進化の到達点は、個人の脳内にも、個別の身体にも留まらない。「間主観性(Intersubjectivity)」の領域、すなわち「私とあなたの間」に生まれる知性である。
記事の中で触れられている「指差し」は、人間特有の驚くべき行動である。チンパンジーは報酬を得るために手を伸ばすが、人間の幼児は「見て!あそこに犬がいるよ!」と、ただ注意を共有するためだけに指を差す。
これは、「私が見ている世界を、あなたにも見てほしい」という強烈な欲求の表れである。ここで初めて、孤立していた二つの環世界が接続される。
言葉、文化、ルール、そして愛。これらはすべて、物理的な実体ではなく、私たちが共有することで初めて存在する「間主観的」な現実である。
AIは「客観的なデータ」を処理することはできる。しかし、「あなたと私の間だけで通じる冗談」や「阿吽の呼吸」、「信頼」といった、主観と主観の間で紡がれる現実を作り出すことはできない。
恩蔵氏が翻訳を通じて感じた「人間の宝」とは、この「心の共有」の可能性そのものであろう。私たちは、他者の心に触れることで、自分一人では決して到達できない豊かな世界(拡張された環世界)を生きることができる。知性とは、個人の所有物ではなく、関係性の中に宿る現象なのだ。
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以上の分析から、AI時代における「知的な生き方」の輪郭が浮かび上がる。それは、AIに対抗して計算能力を磨くことでも、AIに仕事を奪われないように効率化を目指すことでもない。むしろ、AIが捨て去ったもの、あるいは持ち得ないものを、徹底的に深める生き方である。
AIは効率と最適化の権化である。対して、人間の知性の源泉は「感情」や「身体」といった、一見非効率なノイズの中にある。
知的な生き方とは、効率を追求するあまり、感情の揺らぎや身体の実感を切り捨てないことだ。迷い、後悔し、喜び、痛むこと。これらの「ノイズ」こそが、世界に意味を与え、独自の価値判断を生み出す土壌となる。
「本当に頭が良い人」になるためには、意識的に「他者への旅」に出る必要がある。
SNSのアルゴリズムは、私たちが心地よいと感じる情報だけを見せ、環世界をより狭く、強固なものにしてしまう(フィルターバブル)。知的な態度は、その快適な殻を破ることから始まる。
自分とは異なる意見、異なる背景、異なる身体性を持つ他者に対し、「なぜそう感じるのか?」と問いかけること。自分の正しさを一旦脇に置き、相手の環世界に身を浸すこと。この「認知的負荷」をあえて引き受ける勇気を持つことだ。
AIは「答え」を出すことにおいては人間を凌駕する。しかし、「問い」を立てることはできない。問いは、「こうありたい」「これはおかしい」という、身体的な違和感や理想(感情)から生まれるからだ。
また、AIはデータを羅列できるが、「物語」を生きることはできない。私たちは、他者との関わりの中で、それぞれの人生という物語を紡いでいる。
これからの知性とは、正解のない世界で、他者と共に悩み、対話し、新しい「納得解(間主観的な合意)」を形成していくプロセスそのものを指すようになるだろう。
マックス・ベネットと恩蔵絢子が示したのは、冷徹な計算機としての脳ではなく、熱を帯び、他者を求め、身体を通じて世界と震え合う臓器としての脳であった。
AI時代において、私たちは「賢さ」の定義を、ColdIntelligence(処理能力)から WarmIntelligence(共感と接続の能力) へとシフトさせなければならない。
老いて記憶力が衰えようとも、計算が遅くなろうとも、目の前の人の手の震えに気づき、その心に思いを馳せることができるなら、その人は最高に「知的」である。
他者の心という、宇宙で最も複雑で、不可解で、魅力的な謎に挑み続けること。その終わりのない探求こそが、機械には決して模倣できない、人間の知性の最後の聖域となるだろう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/be7a5812ddaf607d08bb52f0663554ab39a9389c
第9位:エヴァンゲリオン
→科学文明と宗教的概念の混合だが惑星エネルギー操作 は満たす
※ Type III に達してはいない(“銀河のエネルギー管理”まではしてない)
第6位:トップをねらえ!
✔ Type III の定義(銀河のエネルギー利用)に最も合致
第5位:伝説巨神イデオン(イデ)
第4位:ドラゴンボール超(全王)
第3位:魔法少女まどか☆マギカ(円環の理)
第2位:天元突破グレンラガン
✔ 多元宇宙(スーパーストリングス構造)に干渉=Type 5以上
→ ただし“創造が主体”ではなく“干渉・破壊”が中心 → Type5に確定
地元の駅伝で活躍するスター。はいはい、ああいうのは便利に崇められる。努力・才能・環境・遺伝子、全部がキレイに整列した、まるで最適化アルゴリズムが吐き出したローカル・マキシマムの自己放尿。
決定論的な人生を恵まれた初期条件で滑走しているだけだ。そこには選択も責任もない。要するに自己放尿を自己陶酔と勘違いしているだけの存在だ。
俺が尊敬するのは、前世で何をやらかしたのか知らんが、現世で愚者の初期条件を強制され、負債だらけの状態からスタートしたにもかかわらず、
「このクソ仕様の宇宙に、俺の自由意志をねじ込んでやる」と、苦悩し、狂い、計算外の行動を積み重ね、ついには決定論そのものを破壊する奴だ。
こういう存在は、一般にスターとは呼ばれない。むしろ周囲からは、無駄なあがきをする愚か者として扱われる。
だが、俺から見れば逆だ。
最初から勝てるレースで勝って何が偉い?そもそも勝つためのコースレイアウトが人生の設計段階で提供されている自己放尿ではないか。そこには自由など欠片もない。
それに比べ、愚者は違う。愚者の人生は、あらゆる局面が想定外で構成されている。
期待値が常に負の方向へ働き、行動を起こせばほぼ確定で損をする。
まるで宇宙の方から「お前はここに這いつくばっていろ」と決めつけられているような人生だ。
その状態でなお、「それでも俺は選ぶ」と言える奴。それが本当に自由を掴んだ人間だ。
決定論の中に自由意志を生成するというのは、因果律と自己保存欲という二大巨塔に同時反抗する行為である。
つまり因果と欲望のダブル放尿をぶちかますという、極めて非合理・非効率で、しかし人間的本質に最も近い行為なのだ。
理性だけで動くなら負け確定の選択をしない。感情だけで動くなら長期的な構造の破壊には至らない。
そのどちらでもない第三の行動。それは統計では説明できず、因果では予測できず、効用関数では表現できない。
そんな行動を繰り返すことで、愚者は宇宙のスクリプトを書き換えるという暴挙に到達する。
スターは人生というゲームのチュートリアルを美しく自己放尿する存在にすぎない。
だが愚者は、ゲームそのもののルールを破壊し、新しいルールを生成する。
宇宙の仕様バグを、自分の意志で強行突破する狂った修正パッチみたいな人間だ。
決定論的世界で敗者として生まれ、それでもなお自由を捻り出し、最後には運命そのものにNOを突きつける、そういう奴こそ本物の人間だ。
まだ読んでない人は下記リンクを読んでくれ。https://x.com/exxjr3/status/1995013366033912124?s=12&t=qHSb8VYQ1aO4ys5MYp1lhw
文章が陶酔しすぎてて気持ち悪く読みづらいのはさておき、29歳、既婚、妊娠中、中受経験済みの増田的には「そんなに親が消耗してまで、子供を消耗させてまで中学受験はしなきゃいけないものだったのか?」という点が気がかりで仕方がない。
中学受験の末、第一志望に受かった増田は、6年間通った都内の某中堅私立女子校のことが今でも時折口に出すくらいには大嫌いだ。
そこでできた友達は好きだけれど、それだけ。
良妻賢母(笑)に好かれる学校らしいが、ペットボトル持ち込み禁止や文化祭でのクラスTシャツ禁止など、しょうもない校則を上げればキリがないくらい。教員たちもその学校を卒業して職に就くような母校愛(笑)に溢れた筋金入りしかおらず、革新もなければ保守らしい一貫性だってない、なんとも中途半端で腑抜けた学校だった。そんなんだから自分たちが卒業した数年後には定員割れを起こし、当時偏差値的には横並びだった学校に易々と差をつけられてあっという間に落ちぶれた。当時はそこそこだった進学実績だっていまや見る影もない。
まあ、自分の母校に対する恨みつらみは「選んだ学校が悪かっただけじゃね?」というのもあるので言うならばサブの理由だ。メインの理由はここからだ。
中学受験の闇は、「15歳の少年少女が、自分の意思で道を選べない」ことにあると思う。
このブログでも論じられているように、大学受験は金銭面以外は個人の頑張り、個人の意思による部分が大きい。中学受験は親の意志による部分が大きい。
じゃあ、高校受験は?
高校受験は大学受験ほどとは言わずとも、子供が子供の意思で選べる部分があると思っている。
中受で受けた学校を辞めたらいいじゃん?それはそう。だが、その選択を取れる子供は意外と少ない。自分の学校が完全中高一貫校だったのもあるかもしれないが、その選択をしたのは学年全体のわずか0.数パーセント程度だ。
子供は親が思うより、親に気を遣っている。自分に期待してくれたことも、お金をかけてくれたこともわかっている。いじめられた、不登校になったなどの理由ではなく、ただぼんやりとこの学校嫌だと思っている生徒の中で、勇敢にもその選択肢を取れるのは一体何人くらいいるのだろうか。
少なくとも増田は、高校受験がしたかった。制服が可愛いとか、学食がきれいとか、何かしらの理由をつけても自分が選んだ学校に行きたかった。親に行かされたこの学校よりも、その方が頑張れるし、幸せだと思ったからだ。
もちろん、自分の意志とは関係なく、『中学受験をした方がいい』人は存在するだろう。例えば学区域が荒れているとか、本人が周りに流されやすくて公立に入れると簡単に落ちぶれそうだから、とかが例だ。親に言わせてみれば私は後者だったのだろうが、それは親が子供の進路を決めていい免罪符にはならないし、12歳の今は親の傀儡になれるとしても、15歳、18歳、さらに歳を重ねた子供が親の作り出した素晴らしい環境に感謝できるとは限らない。
このブログでも、親は子供が子供であることを認識している。認識しているのだ。実際に子が怒られた回数は食事の回数と同じくらいと言っている。増田は子に同情してしまう。もちろん、自分の意思で受験をした層もゼロとは言わないが、少年はそうではなかったのではないかと思えてしまう。熱意を持った親に、熱意で返さないといけない重圧。自分が不出来なせいで親が落ち込むところなんて見たくないに決まっている。友達と遊ぶ方が何倍も楽しいのに、親に手を引かれ学園祭に連れていかれ感想を聞かれ、何となく興味を示さないといけないような気持ちになる不快感。そして子供という生き物は健気にも、親に期待をかけられると「うん、僕も頑張ってこの学校行くよ!」と空気を読むのだ。彼の気持ちを代弁できてるとは思わないが、自分が経験した子側の気持ちを重ねてしまうのだ。
子供をしなくてもいい苦労にぶち込んでおいて、合格が取れないことに被害者ヅラして消耗する親。子はこのプレッシャーの中でよく頑張ったと思う。増田は産まれてくる子にそんな思いは絶対にさせたくない。
数回受けてようやく合格できるような学校では、彼はきっと苦労するだろう。2回目で受かった増田でも、地頭の悪さと学校への反発心が重なって勉強では非常に苦労をしたが、高2の秋に入った東〇ハイスクールで叩き直されてなんとか現役でそこそこの大学に進学し、今もそこそこの会社で正社員として働けている。つくづく中学受験なんて自分の人生に必要がなかったなと思う。親がどれだけ悲しそうな顔をしても、これだけは増田の中で揺るぎない事実なのだ。
俺への私信らしいので、返事を書く。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4779603455660839585/comment/differential
まず、あなたとあなたの母親との事情については、俺が全く同じ経験をしているわけでは当然ないのだが、共感できる部分が多々あった。
俺も父や母の望むように生きることができない子どもだった。その癖に勉強だけはできるから割と明確に厄介者扱いされていた。それが故に親の手で人生を大きく変えられたという経験が、覚えているだけで2つある。
1つは志望していた大学の受験票を出してもらえなかった時(奨学金もらえる成績だったから学費の問題ではなかった)、もう1つは母と(早逝した父の代わりを自称していた)兄が相手を気に入らないから…という理由で婚約を破談にされた時だ。
ちなみに、今は別の相手と結婚し、娘と息子がいる。子どもたちは2人とも、療育に通っている。下の子はASDの可能性が大きいと言われている。
俺のバックグラウンドは、こんな感じだ。
さて、俺はあなたの「愛しているという言葉が嘘に見える」という言説を品がないと断じたが、悪者だと書いた覚えはない。
品がないという理由について言うと、いくつか挙げられるが、究極的には、horaixという人が書いていた「後からこうやってクドクド言い訳する位なら最初から他人の人生100字で軽々に断じるんじゃねえよ」というのに尽きる。
言葉100字でなくとも、たかだかnoteの記事ひとつで得た情報にもとづいて相手の内心に土足で踏み込んで疑義を唱える行為は、あなたの私信を読んだ上でも「品がない」行為だと感じる。
というよりも、そのような行為をした上、返す刀で自分の書きっぷりは自分の事情から「事情があるのだから仕方ないこと」というような弁解をする点は、より一層「品がない」行為だと感じる。
公開の場に情報を発信する時、自身の困難な過去は、第三者へ冷徹・冷酷な言動を投げつける免罪符にはならない。
そうではなく、自身の困難な過去は、同じような困難さの最中にある相手が前を向き、より建設的な未来へと歩くための後押しをする道具として活用せねばならない。
俺はそう考える。
それを踏まえ、次に最も重要な点、なぜ俺はわざわざ「品がない」というコメントを書いたか?をこれから述べる。
直接的には、元々の記事を書いた人が万が一はてぶを見た時に、★を集めていたあなたのコメントを「正しい見方」だと思ってしまう可能性を下げたかったからだ。
「親が自分の固定観念を崩そうともがいている間、子供はずっと自尊心を傷つけられ続ける」
では、あなたが思う(元記時を書いた)親が取るべき行動は何なのか?
死ぬことか?それとも固定観念との戦いを放棄して、子供に自分の固定観念を押し付けることか?
違うだろう。
あなたが「意志の強さがあればそれも真実になるのかも。頑張って」と書いた言葉が本心なら、あなたもきっと「違う」と思うのではないだろうか。
親が取るべき行動は、なるべく早く、自分の固定観念を克服することだ。
そのために、固定観念との戦いを続けることだ。
さて、その時に。
「すごいな。愛してるの言葉が嘘に見える。」
という言葉を投げつけることは、固定観念との戦いのモチベーションを上げる方向に作用するだろうか?下げる方向に作用するだろうか?
固定観念と戦っている自分の「愛してるの言葉が嘘」ならば、自分の愛は嘘であり、所詮嘘であるならば自分の固定観念と戦ってもしょうがない…という発想の呼び水になったりしないだろうか?
そのような危惧から、★を集めていたあなたのコメントを「正しい見方」だと思ってしまう可能性を下げたかった…というわけである。
differentialです。
この使い方が良くないのは知ってるが、下品でバカなので良くない方法も使う。しかたがない…
まぁ、私が悪くて下品でバカなのは、誰よりも私が一番よく知っていることなのでしょうがないけれど、私のブコメも悪くて下品な私なりの思いがあってのことなので、それを記します。
頑張ってほしい、と〆た。
元のnoteの方は、楽に今のハイクラスな社会的立場を得ているように書いているが、当然本人の強い意志や努力などがあってのことだと思うので、その強い意志で乗り越えられると思ってそう書いた、まぁこんな場末で描いたところで伝わらないと思うけどね。
意志の強さは、人に努力を継続させ成功させやすくする良い要素ではあるが、その良い要素はスイッチの入り方を間違えると思い込みの強さや独善さなどに現れてしまうことがよくある。にんげんだからね。noteでの文章冒頭3/4ぐらいはその思いの強さと思いこみの激しさで突っ走っている。なので、読んだ私は、(あーマイナスのスイッチ入っちゃった優等生さんなのかなー、大変だよなー頑張れー)と思ったのでそう書いています。
頑張れよとは思うものの、ここから先は自分の体験ベースになってしまうが、親子分離ができないタイプの人っぽく見えたので、危ういなとも思ったのだ。子供が定型発達か非定型か、ということ以前の話。
「親」を、極めて雑に2つに分類すると、「自分の子供は自分の分身である」が前提になっている人と、「自分と子供は遺伝子は近いが別の個体である」が前提になっている人がいる。
そして親が前者(親子非分離)で、子が気質的に親と異なるタイプの場合、結構しんどいことがある。
自分の体験なので下品な私ならではの私怨の強い話になってしまうが、私の母は母子分離ができない母だった。
私の母が母子分離できない人、「娘は自分と同じであるはず」が前提に立つ人だった。逆に父は後者で、母のそういう性質を常に心配してくれていたので、私は父や周りの大人たちの助けもあってまぁ思春期過ぎたら辛くはなくなったんですが、それまでは自分はとにかく「お母さんと違うから私はダメな子なんだなー」とずっと思っていた。
例えばこういう感じ。
(誇れるほど運動神経良くはないが悪くはなかったし、子供の頃も野山を駆け回りたいタイプだったのにピアノを習わされたりしていた。いやピアノも楽しかったけどさ)
(不真面目だし、下品だし笑、しっかりはしていない。父や母の妹にも「あの子はそういうタイプじゃないでしょう?」と言われても聞く耳がない)
(残念ながら下品なだけあって奥手じゃなかったし、結婚した後も働いているし、とてもとても残念だけど子供は出来なかった)
(これを言われたころは高校生。生活指導がほぼ無い緩い学校だったので授業さぼりもペナルティも特にない。進路どうするという話で、頑張れば行けるかもしれない大学を言ったらこう言われた。がんばって家から通える学費も安い国立大に行こうと言ってるのになーと悲しい気持ちになった。悲しいしなんか腹立ったからすごく勉強して大学は無事受かった楽しかったので結果的にはよかった。
母は、一事が万事、娘が、自分が想像する人生(母と同じ人生)を歩いていないと良いにしろ悪いにしろアラートが鳴るようで、想定内のGood News(学年で50番台の成績だった)には喜び、想定外のGood News(学年で3番になった)にはどう喜んでいいのか・・・という顔になる。学年で一桁順位の成績取ってお母さんにドン引きされたのは、今では笑い話だが当時は自己肯定感がゴリゴリ削られたもんだ。
結婚したい相手を紹介した時も不服そうだったし(夫はまだ大学院生だったので)私が結婚後も仕事を続けるのも不服そう。子供が出来ないけど積極的な不妊治療は多分しないよと言った時は娘の私よりも傷ついた顔をしていた(母がとにかくしつこく「子どもはどうするの?」と聞いてきたので答えた)。
母は「私の娘は、私と同じように、学校ではあまり目立たないけど真面目で適齢期になったら見合いで結婚して夫と婿に働いてもらって孫が出来たら毎日娘と孫と一緒に過ごせるわ」と思っていたらしく、それを叶えてくれなかった娘である私に、死ぬ間際までこんなことを言っていた。彼女は死ぬ間際まで、娘がどういう性格で、どういう風に幸福でいるのか、どういう風に幸福になりたいと思っているのかを、想像することがなかったんだと思う。
noteの人が私の母と同じとは思わないが、あの人が想像する「ありえた子供の未来」が親と同じルートばかりだったのが、私の琴線に触れたのだと思う。
だって、定型発達だったとしたって、あの人が何度も検索したような「親と同じ人生を歩める」とは全然限らないし、「親と同じ人生が歩みたいか」どうかも分からない。
母は、私が30代ぐらいまでは「あなたに幸せになってもらいたいから言ってるのよ」と小言を言っていたが、私に子が出来ないと分かったあたりから「あなたは私を幸せにしてくれない」と言うようになった。こちらも大人になって受け流せるようになってはいたが。それと私が何らかの傷がつかないかということは別で、大人になってもまだ自分が母の考える「愛する娘の幸せな人生」に、時にからめとられてしまうことに苦しんでいたんですよね。
母は老いて口が緩まっていたのだろうとも思うが、例えばnoteの人が、仕事やら子供の療育やら日常やらに挟まって疲弊した時に、私の母のように反転する可能性があるかもしれないじゃん。
母が死んで、私は泣いたけれどそれ以上に「これで解放されるなぁ」と思った。今でもたまに苦しくなるが「もう死んでいるんだから」と思って落ち着いたりしている。
ということを言いたかったわけです。
再三言っているように私はたいして質の良くない人間な自覚はあるが、そういう人間の内面にこういうものが入っていることを、私と同じぐらいには直截なあなたにお伝えしたかったのでした。親が自分の固定観念を崩そうともがいているあいだ、子供はずっと自尊心を傷つけられ続ける。
邪悪な私は、noteの人のお子さんがどういうタイプの自閉症状なのかが分からないが、周囲の感覚に鈍い方向であれば幸いかもなぁ…と思う程度には、「私と同じ人生が幸せな人生」を当たり前に信じる母に自尊心を削られ続けてきたのです。
あなたのコメにも★がたくさんついているが、わたしにもそれなりに多くの★が付いている。その程度には、こういうタイプの親がいて子供はそれに削られることがある、ということを、上品なあなたにも知ってほしいと思いました。
Permalink |記事への反応(13) | 09:41
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