
はてなキーワード:意匠とは
しかし下流工程からは、部屋の間取りが歪なせいでフローリングが張りにくいだの、加工が大変だの言ってきやがる
あのですね、客の要望に応えないハウスメーカーで家建てようと思います?
百歩譲って、こうした方が加工や作業が楽なんだけど、どうにかならない?みたいな言い方だとこっちも考えようがある
海原雄山もびっくりの、この図面を引いたのは誰だあ!!って殴りこんで来て文句しか言わない
そうですね、じゃあどうしたらいいですか?って聞いたら、それを考えるのが建築士の仕事だろ!!って言われてからはもう下流工程の意見を聞いていない
因習村のルールじゃなくて法的な解決の話をしてほしいなあと常々思っている
ファッションのパクリの話なんて商標、意匠、不正競争でおしまいの話で著作権なんかなーんも関係ないのに著作の話をする馬鹿がいる
コスプレの話とかキャラクタの話とかも認める認めないがとても微妙な話だし
アニメや漫画の作品とその立体物の権利の話も実は慣習的に支払うことになっていて誰も決着がつくような判断もされてないし裁判になっても判断を極力避けて通ってるとかある
(その意味でキャラのユニフォームに絵を入れておくのは著作権の射程をつかってコスプレ衣装とか立体物とかを撃てる面白い手で調査兵団の背中とかよくできてるなーと思う)
しかしなあ
めっちゃ微妙なことで当事者たちでないとなんも手が打てなかったり、外野が騒ぐとよけい権利者側に問題が出たりするとかあるのにもう正義が自分側にあるような口調で騒ぐの何なの
増田さんは自覚しているだろうがおそらくすごく仕事ができる。「ここは力を入れたほうがいいところ」「ここは力を抜いてもOK」が本能的にわかっていて、仕事の優先順位をミスらない、それでいてインプットの時間も惜しまないスーパー人間だ。あと現場もやったことある身からすると、現場に来てくれる設計の人ってそれだけで好き。だいたい来もしないで偉そうなこと言う人たちばかりだから…
一方鬱の人(以下Uさんとする)はおそらく凡人。何から何まで全力で1-10を順番通りにやる人。こういう生真面目な人って、本当は意匠設計に向いてない。構造設計や積算に向いてる。でも、本人は意匠がやりたいんだよね。夫も同じ業界みたいだしなんか勘違いしてるところがあるんじゃなかろうか。やだね。でもいるよこういう人。自分も鬱上がりの上司にサンドバッグにされたからめっちゃ気持ちわかる。しんどいよね。
本来なら転職をお勧めする。神頼みは不毛だからおやめなさいな。せっかく築いた信頼を失うのはもったいないと思うだろうけど、建築は意外なところでつながっているからやめても0にならない。増田さんのがんばりはいつか意外なところで増田さんを助けてくれるはず。しっかりポートフォリオを作ろう。「Uさんは頑張れるそうなんで、一年間引継ぎ頑張りました。あとはよろしくです」でいいと思う。だいたい増田さんがこんなひーひー言ってるの見て見ぬふりしてる会社なんてあんまりいいもんじゃないよ。1on1を月一とかで普通マネージャーがヒアリングすべき案件だよ。
ただ、それじゃなんだか腹の虫がおさまらないなら、一度しっかりとした依頼を上長にしてみてもいいと思う。
・Uさん増田さんそれぞれの売上
・Uさんが別部署に要った場合、増田さんと新人で稼げるおおよその売上
を予測で出そう。
あくまで冷静に、Uさんの人格否定は行わず、会社全体の利益として話すんだよ。
こういった人事配置が行われない場合、自分は転職を希望していますとまで言っていいと思う。それでも「増田さんががんばって!」というアンサーなら、やめていいと思う。
自分は建築の意匠設計に携わっているが、設計担当は自分ひとり。営業6人が持ってくる案件をさばくのに限界を感じ、1年前の春に上司へ人員補充を求めた。
2週間後、上司複数人に呼び出されて告げられたのはこうだった。
「別部署で休職していた社員が復帰する。建築系の資格もあるし、将来的に君の助けになるはずだ。病み上がりで配慮は必要だが、ちょうど人員補充を希望していたことだし、受け入れてほしい」
建築業界外出身の自分にとっては願ってもない話に思え、喜んで引き受けた。
「具体的な配慮とあできること・できないことは本人の意思を尊重し任せればよい」と聞いていたため、彼女に直接確認したところ、「全部できる」と答えた。
頼もしいと思い、すぐに出張同行をお願いした。意匠設計という仕事の特性上、実際の場所を見ることが一番の勉強になるし、実際を見ないとわからないことがほとんどであるため。
ところが1週間後、彼女が通うリワークセンターの先生が会社に来訪し、苦情を伝えられた。
「復帰してすぐなのに出張に行かされて辛い」「打ち合わせに参加させられた。ひどい」など彼女からの苦情があったそうだ。
「〇〇さんは、すごく人に気をつかうタイプなので、できないこともできると言ってしまう。そこはあなたが表情をみて本当に任せてよいか判断してほしい」
「わからないことがあると不安なので、わかるまで丁寧に説明してあげてください」
「出張・残業はダメです。彼女はリハビリ期間なので会社に出社するだけで素晴らしいのです」
「今の仕事は楽しいらしいので、このまま社会復帰できるように支えてあげてください」
と、ひたすら要望を突き付けて「理解とご配慮お願いします」と帰っていった。こちらからも出張は行ってくれないと困るとも要望したが配慮してくださいと一点張りだった。
席に戻ると当の本人は「そういう事ですので…すみませんがよろしくお願いします」と言ってのけた。
正直ここで、聞いていた話とだいぶ違うなと思った。
私は人手が足りないから人員補充を申請したのに、なぜ介護士みたいな役割が増えているんだ?
でも、自分も業界外出身で1年目は周りに多く迷惑をかけた自覚がある。ここで見限れば、1年目の私に無能だと怒鳴り続けた元上司と同じになってしまうと感じ、なんとか環境を整えようと努力した。
デザインの仕事をしているものとして、軽々しくこの言葉を使いたくないが、壊滅的にセンスがなかった。
でも、有名な著作タイトルにもあるように、センスというのは知識と経験から培われるものだと自分のポリシーに従い、自分の感覚でやっていることをなるべく言語・数値化して、なぜ自分はこういう設計にしているのか、彼女に毎回説明した。彼女は現場を見れないからすべて自分の言葉や写真で伝える必要があった。
数値化できることは資料にもしたが、彼女には全然足りなかったらしく「チャートをつくれ」や「フォーマットをつくれ」や「もっと丁寧に説明しろ」と要求は絶えなかった。
さらには業務上気にしなくてもよい、内部の建築構造の細かいところまで彼女は本当に気にした。それがはっきりしないと手を動かすことすらできなかった。仕事の担当領域や段階があるので、現時点で不明な情報があってもとりあえず想定で作るという判断が業務上必要なのだが、彼女に「そこは気にしなくてもよい」と伝えてもいつも釈然としない顔をしていた。自分が彼女よりも10近く年下のせいもあり、言葉に説得力がなかったのかもしれない。挙句には同じ建築業に従事する夫に電話をかけて「夫はこういっているんですけど?」と詰められたりした。
そんなに細かいことが気になるなら自分で現場をみにいった方が、いろいろ勉強になると再三伝えても、それは無理だと一点張り。でも、自分はわからないことがあると不安になるから、わかるように!もっと!丁寧に!説明してほしいと要望は止まらない。しかし、そんな要望真に受けていたら仕事がもっと回らなくなるから、納得していない表情をしていたとしても「じゃ。そういうことで」と話を切り上げて自分の仕事に戻ったりしていた。
さらに「短納期は無理」「前部署関連の仕事は無理」など、業務制約が次々に出てきて合計7項目に及んだ。
だったらと、彼女が納得しながらできるであろう「細かいことが決まっている」仕事だけを頼もうと思い、ちょうどよい業務がないときは勉強期間として、ファイルの整理のお願いをしていたのだが、しばらくすると上司に呼ばれ
「彼女が最近、仕事を任されないと落ち込んでいる。隣で忙しそうにされると何か手伝いたいのに、仕事を任されないのがつらい。私はやる気があるのに…」と相談を受けたとの話だった。
やる気があるなら出張に行けよと思った。
連休の度に「旅行(またはライブ/登山)に行ったんですよ~」みたいな話してくるのも一体どういう神経しているんだろうと驚いたし、それに対して「じゃあ、出張も行けますね!」みたいな返しができず「良かったですね~」と寄り添わなきゃいけないのもかなり苦痛だった。プライベートの旅行と出張じゃ疲弊する場所が違うのはわかるが、人に気を使って疲れる設定はどこに行ったのだろう?
それでも「回復のためには重要なステップ」とされる以上、彼女が気持ちよく働ける業務量になるように、他のチームの人にちょうど良い仕事はないか相談したりした。彼女に仕事を任され場任せるほどこちらの負担が大きくなるので、自分が回るのかも考えながら仕事量を調整した。
でも、やはり資料を修正を依頼するたびに「センスなくてすみません」とまるで謝罪している形を装った不満表明をうけたり、こちらが何か良い案を言うまで、自分の意見は一切言わずに答えを待つ態度だったり、何度仕事をしても減らない質問量に辟易するたびに、精神はすり減っていたようで、だんだんと無意識に彼女との会話を避けるようになった。彼女からは毎日面談の時間が欲しいと言われていたが、業務量的にも精神的にも回らなかったので断った。
段々と限界を感じていたある日、普段は営業担当から仕事が来るが、管理職直々の案件が来た。正直彼女向きではない案件だとは思っていたが、自分が対応する時間がないことや、営業担当が管理職だったこともあり、彼女に直接営業とやり取りをお願いして、案を考えるようにと伝えていたのだが、どうやら営業管理職とのやり取りがうまくいかなかったらしく、ほかの管理職に泣きながら抗議の電話を入れたらしい。
そこでようやく、上層部の人間に、彼女の扱いの難しさを実感してもらえた。
彼女が泣き出したことは当然、職場の事件としていろいろな話合いがされているが、その間その管理職と彼女への不平不満を話せるのがうれしくて仕方がなかった。
一度不満を理解してもらえると、これまで見ないようにしてきた1年間の不満が言語化され噴出し、今はもう彼女のことが生理的に無理になっている。(明日彼女はリモートワークなので)明後日以降はまた顔を合わせなければいけないが、今まで通りに接する自信がない。
きっと明日以降、様々な事情聴取が行われ、きっと自分も「彼女の事情を配慮して、もっと丁寧に指導してあげるべきだった」と注意されるだろうが、自分にはもう、彼女のフォローは無理である。
かつては自分もこんな時があった。まだ仕事が良く分かっていない段階で「無能」と角印を押すのは浅はかだし、元上司と同じところに落ちてしまうのが嫌で、何とか笑顔とやさしさを取り繕いながら、1年間何とかやってきた。
でも、1年目の自分はやったほうが良いと言われたことは何でもやってたし、どこにでも出張に行ったり、扱う製品をずっと触ってどういう構造と特性なのか理解する努力はした。彼女の姿勢とこの仕事はかみ合わないんじゃないかという不満は、心を麻痺させて気づかないようにしていた。
飲み会など(彼女参加)で「仕事の振り分けはどうしてるの?」と聞かれたときは、本当は7つの条件すべて答え、これをクリアしたものです。と答えたかったが「几帳面なので丁寧さが求められる仕事を任せています」と答え、「じゃあ(自分)さんは大雑把な仕事をしているんだ~!」みたいに言われても彼女が自信を持てるように我慢した。
彼女はこの1年で自信をつけてきたみたいだが、自分から見ると全然仕事の役になってくれていない。彼女のためを思って、1段1段細かいステップを用意してきたが、これが後何年続くのかと考えただけで気が遠くなる。
そういう自分の厚意も、彼女にとっては全然足りないらしく、忙しいのはわかるがもっと丁寧にフォローしてほしい。と今回もとてもお怒りなさっているらしい。
明日からの仕事がとても億劫だ。彼女の後始末に追われ明日締め切りのものでまだ手を付けれていない仕事がある。正直、彼女の事件の話をしている時間なんてない。
この際、自分の査定は下がって良いし、もう前の上司と同じだと詰られてもよい。とにかく楽になりたい。彼女がいなくなることで仕事量的にも気持ち的にもとても気が楽だ。
この記事は、クルマのニュースに乗った、「ホンダ斬新スポーツセダンとSUV」「新世代Hロゴ採用と巨大ディスプレイ」「中国のイエシリーズが話題」「反響多数」といった主張を、一次的事実関係に照らして検証し、どこが誤解を招くのかを指摘するものである。対象記事の出典は以下である。
https://kuruma-news.jp/photo/949010
実際の時系列と「名称」「販売」「展示」を切り分けると、対象記事の印象操作が見えてくる。
「イエ」はシリーズ呼称である一方、量販時の実車は「Honda S7(東風ホンダ)」「Honda P7(広汽ホンダ)」名義で販売されている。S7は2025/03/06に中国で発売、報道価格は259,900元から。P7は2025/04/15〜16頃に199,900〜249,900元で発売。量販フェーズでは「イエ」バッジを前面に出さず、Honda S7とP7として展開されている。対象記事はこの名称運用の違いを十分に説明していない。
GTは2025/04/23の上海ショーで「世界初公開」されたコンセプトが起点である。これを「5月に登場」などと書けば、読者は市販投入と誤解しかねない。公開と発売は異なる位相であり、「登場」という語で両者を曖昧化するのは典型的な見出しトリックである。
「話題」と「売れている」は別事象である。P7の月次は2025/05に98台、06に248台、07に263台、08に158台程度。S7は2025/05で22台程度の立ち上がりにとどまる。これで「反響多数」を強打しても、販売実績の裏づけは弱い。対象記事は、数字で裏づけを示さず印象だけを拡張している。
記事は「巨大ディスプレイ」を大見出し化しているが、注目のポイントは「遠焦点」含むシアター的体験のコンセプト性であり、実装の範囲、法規や市場別仕様、量販モデルでの採否は段階が異なる。そこを説明しないまま期待感だけを煽るのは不親切である。
新ロゴ採用それ自体は事実だが、ロゴ変更と商品力は別物である。意匠の刷新を技術や市場競争力の代理指標のように扱うのは、読者の理解を混乱させる。
対象記事は写真スライドを多用し、テキストを断片化している。見出しの「登場」や「反響多数」といった煽り語をページ送りに散らすことで、読者に「もう市販されて大人気」のような連想を起こさせる作りだ。写真カタログ式は視覚的には楽だが、時系列やモデル別の整理が崩れ、誤読を誘発しやすい。
中国市場は2024〜2025年にかけて価格競争と新陳代謝が極端に速い。日系JVはブランド再定義の只中にあり、立ち上がりの数字が厳しいのは広く報じられている。ここを削り、見出し語の「反響多数」で上書きすれば、読者は現実のハードモードを認識できない。市場背景を外した結果、記事は単なる話題寄せの販促的文言に堕している。
対象記事は、見出し語と写真スライドで「公開」と「市販」「話題」と「販売」を意図的に曖昧化し、読者に過大な期待を抱かせる作りである。シリーズ呼称と実車名義の違い、GTの段階、量販の現実を素通りして「反響多数」を繰り返すのは、情報提供として不誠実だ。読者は、見出しの快楽よりも、名称、時系列、数字という地味な事実の積み上げを優先すべきである。
この記事は、クルマのニュースに乗った、「ホンダ斬新スポーツセダンとSUV」「新世代Hロゴ採用と巨大ディスプレイ」「中国のイエシリーズが話題」「反響多数」といった主張を、一次的事実関係に照らして検証し、どこが誤解を招くのかを指摘するものである。対象記事の出典は以下である。
https://kuruma-news.jp/photo/949010
実際の時系列と「名称」「販売」「展示」を切り分けると、対象記事の印象操作が見えてくる。
「イエ」はシリーズ呼称である一方、量販時の実車は「Honda S7(東風ホンダ)」「Honda P7(広汽ホンダ)」名義で販売されている。S7は2025/03/06に中国で発売、報道価格は259,900元から。P7は2025/04/15〜16頃に199,900〜249,900元で発売。量販フェーズでは「イエ」バッジを前面に出さず、Honda S7とP7として展開されている。対象記事はこの名称運用の違いを十分に説明していない。
GTは2025/04/23の上海ショーで「世界初公開」されたコンセプトが起点である。これを「5月に登場」などと書けば、読者は市販投入と誤解しかねない。公開と発売は異なる位相であり、「登場」という語で両者を曖昧化するのは典型的な見出しトリックである。
「話題」と「売れている」は別事象である。P7の月次は2025/05に98台、06に248台、07に263台、08に158台程度。S7は2025/05で22台程度の立ち上がりにとどまる。これで「反響多数」を強打しても、販売実績の裏づけは弱い。対象記事は、数字で裏づけを示さず印象だけを拡張している。
記事は「巨大ディスプレイ」を大見出し化しているが、注目のポイントは「遠焦点」含むシアター的体験のコンセプト性であり、実装の範囲、法規や市場別仕様、量販モデルでの採否は段階が異なる。そこを説明しないまま期待感だけを煽るのは不親切である。
新ロゴ採用それ自体は事実だが、ロゴ変更と商品力は別物である。意匠の刷新を技術や市場競争力の代理指標のように扱うのは、読者の理解を混乱させる。
対象記事は写真スライドを多用し、テキストを断片化している。見出しの「登場」や「反響多数」といった煽り語をページ送りに散らすことで、読者に「もう市販されて大人気」のような連想を起こさせる作りだ。写真カタログ式は視覚的には楽だが、時系列やモデル別の整理が崩れ、誤読を誘発しやすい。
中国市場は2024〜2025年にかけて価格競争と新陳代謝が極端に速い。日系JVはブランド再定義の只中にあり、立ち上がりの数字が厳しいのは広く報じられている。ここを削り、見出し語の「反響多数」で上書きすれば、読者は現実のハードモードを認識できない。市場背景を外した結果、記事は単なる話題寄せの販促的文言に堕している。
対象記事は、見出し語と写真スライドで「公開」と「市販」「話題」と「販売」を意図的に曖昧化し、読者に過大な期待を抱かせる作りである。シリーズ呼称と実車名義の違い、GTの段階、量販の現実を素通りして「反響多数」を繰り返すのは、情報提供として不誠実だ。読者は、見出しの快楽よりも、名称、時系列、数字という地味な事実の積み上げを優先すべきである。
ロマン優光氏(以下ロマン氏)が書いた「椎名林檎とノンポリとサブカルと」という文章を読んだ。フェアじゃないので、まず最初に言っておくが、オレは椎名林檎のファンだ。ほぼ同世代であるということを割り引いても、椎名林檎の登場は鮮烈だった。それ以来、約四半世紀のあいだ東京事変の活動も含めて椎名林檎の楽曲を聴き続けてきた。
ロマン氏の文章は「ファンが旭日旗を思わせるミニフラッグを振っている様子が物議をかもしている」ということに端を発し、椎名林檎が特定の政治的志向を持たないことに触れ、むしろその「無自覚性は時として害悪なのである」としている。オレの意見はまったく逆なので、そのことについて書いてみようと思う。
ロマン氏がいみじくも指摘するように、椎名林檎に特定の政治志向はみられない。ましてや差別意識といったものもない。差別が存在していない状況は何よりではないかと思うのだが、しかし話はそこでおわらない。なぜかロマン氏は、特定の思想の指向を持たないからといって、ほぼ死語になっている「ノンポリ」と単語を使って椎名林檎の思想信条をあげつい始めるわけだ。この人の表現に際しての単語の選択基準の鈍感さにまず驚いてしまうわけだが、それは置いておいて、そもそも魔女がいないのを知っているくせに、無理やり魔女を探してどうしようというのだ。
椎名林檎のライブで無邪気に旗を振っているファンに差別意識なんかないのは明白だし、ロマン氏自身もそのことを認めている。しかし、ロマン氏はその無自覚性が罪悪であるとうわけだ。ちゃんと旭日旗にまつわる歴史を勉強して、軽々しく扱わないようにというわけだ。その理屈は、まさに鬼滅の刃の主人公の耳飾りに旭日旗と似たデザインが描かれているので、差別的だといっているのと同じだ。言うまでもなく、旭日旗が悪いのではなく、悪いのはそこにある差別意識そのものだ。しかし、差別意識がないにも関わらず、表層的な意匠の共通性だけを根拠に、ロマン氏は「無自覚」な差別意識を見つけてしまう。
ロマン氏の言葉を本人に返すようだが、本人の主観を別にすれば、ロマン氏は批評ということにちゃんと取り組んだことのない人なのではないか。アウトサイダーアートを引き合いにだすまでもなく、むしろそうした既存の文脈と関係ないところから出てきた作品が人々に深い感銘を与えることがある。あるどころか、規定概念にどっぷりつかっているオレたちの凝り固まった感性を揺り動かすには、ロマン氏のような、既存の問題意識をお勉強しただけの、ありふれたつまらない感性から生み出された表現ではなく、その外側からの表現こそが必要だということがわかるだろう。
>横尾忠則やその影響を受けた丸尾末広、さらにその引用といったものに触発されてとかで、文脈を踏まえて支持しているとか、文脈を踏まえた上で異化しようとしている感じではない。
批評の文脈で言えば、ロシアフォルマリズムが提唱した「異化」こそが、こうした文脈にとらわれた言辞から自由になるべきだという主張であったことをロマン氏はしらないのであろうか。オレは教養主義は好まないが、ちょっと調べれば、ロシアフォルマリズムの提唱者のシクロフスキーが「石」といえば誰もが思い浮かべてしまう固定観念の「石」のイメージから観客を解放させるために「異化」という概念を提出したことが分かる。むしろロマン氏が示すような既存の文脈に回収され、解釈されてしまうような脆弱な表現ではないことこそが、椎名林檎の表現が「異化」に成功していることのなによりの証明になっているのではないか。
>「歌舞伎町の女王」は現実の歌舞伎町とは関係ない、想像上の歌舞伎町の歌であり、想像上の古い盛り場のイメージを歌舞伎町に持ち込んだものだ
だからこそ「歌舞伎町の女王」は素晴らしいのだ。そもそも表現というものは記録作品じゃない。「歌舞伎町の女王」が現実の歌舞伎町に近いかどうかは作品の価値とはまったく関係ないのだ。むしろ現実の歌舞伎町と関係のないところで、だれが聞いても歌舞伎町としか思えない音像を作り出す、椎名林檎の圧倒的な力量を理解できないのであれば、批評の真似事などやめたほうがいいだろう。椎名林檎は、昭和任侠ものの姐さんのような巻き舌で、ゴスロリと大正ロマンを重ねあわせたようなファッションを身にまとい、寺山修司や桑田佳祐を思い出させる和語まじりの歌詞で、架空の歌舞伎町を作り上げた。古臭い盛場のインチキ臭さは、歌舞伎町に多くの人が持っているイメージと、極めて効果的にに重なっていて、作品のリアリティを高めている。これはロマン氏がたかをくくっているのとは真逆で、非常に高度でクリエイティブな達成だと言っていい。
無邪気に旭日旗を模した旗を振る椎名林檎のファンに差別意識などかけらもない。すこし真面目に言えば、不幸にも過剰な政治的意味を担わされてきたシンボルを、風化させ単なる意匠に戻してあげることこそが、差別を解除する最も有効な手法だし、オレのかんがえではそれが唯一の方法なのだ。
ロマン氏が見ているものは、あなたたちこそが懸命に努力して到達しないといけない理想の状態なのだ。しかし残念ながら、ロマン氏はそのことに気がつけない。そこにオレは、思想の怠惰を感じる。歴史的文脈をお勉強して、意識が高くなれば、差別がなくなると考える、あまりに粗雑で乱暴な理屈と、その底にひそむ傲慢な選民意識にうんざりする。
ロマン氏の思想には、差別が無効化された社会とはどういう状態なのかといったビジョンがない。歴史背景を勉強して、差別は良く無いと言っていれば差別がなくなるという、ある意味では最も批評性から遠い貧弱な思想からは、オレたちが目指すべき社会のイメージを受け取ることはできない。ゲイ差別を最も効果的に無効化したのは、ロマン氏のような痩せ細った思想ではなく、マツコデラックスだろう。オレは北海道の田舎に生まれたので、アイヌ差別を身近に体験してきたが、もっともアイヌ差別の無効化に貢献したのはいくつも作られたアイヌ博物館ではなく、ゴールンデンカムイだと思う。旭日旗に背負わされた過剰な政治的な意味を無効化したのは、鬼滅の刃であり、椎名林檎の表現なのだ。
ロマン氏自身はリベラルな考えを持っていると自認していると思うが、オレの目からは旭日旗を振り回すことで真剣に大日本帝国の復活を夢見ている老人とまったく同じに見える。そこにあるのは、この先二度と復活することはない、現実的には完全に無効なお題目をとなえつづける残念な思想の姿である。
というか痛バッグってどこが尖ってるの?
みんな似たり寄ったりの発想の意匠じゃん。
本質的にはファッション雑誌の真似してお洒落ぶる文化と変わらないように見える。
オタクってそんなんだったっけ?
他人と張り合う、他人からレアなグッズ持ってると賞賛される、そんな他人の価値観の中で生きていくような存在だっただろうか、オタクは。
まして自作だから安く済ませたんだろ公式を愛してないんだろと叩く、そしてそれをいちいち気にするような存在だったか、オタクは。
愛してるのは公式でも作者でもなくキャラそのものって価値観の人もいる。作者すらキャラを蔑ろにするような扱いは許せん、公式厨めっていっちゃうようなのもオタクには普通にあるあるな価値観だったはず。
たかが版権などというこの世界の法でたまたま自分の愛するキャラに関連して既得権益を持っているだけの公式などという厚かましい存在にくれてやる金は一円もねえ。
オタクって言うのはその名の通り同好の士に対してすらその二人称にお宅を使うほど人との距離感がわからない社会性もないことが容易に推測できるような存在のことを指していたんだよ。
そんなやつが他人の目や炎上を気にするなんてちゃんちゃらおかしいしそんな能力そもそもないでしょ、いい意味で。
アニメとかが一般にも受け入れられるようになったって言われるけど、オタク趣味とされていたはずの趣味をしている人たちが愛の表現と称してみんな横並びなような振る舞いをしたり同調圧力に屈したりということが起こっているのは、その「一般の感覚」っていうのが今までの趣味の文化を塗りつぶしていってるって感じに見えるね。
自分からすれば推し活などとのたまう人たちを旧来のオタクと同じ括りに入れて分析するのは不毛に思えるよ。
オタク趣味が浸透したんじゃなくて一般人でも受け入れられる形にその楽しみ方が魔改造されフレームワークとして広まっただけで今までのオタクで今までの楽しみ方を続けているオタクはますます迫害対象になってるんだろうなってのが現実。
浸透したとか受け入れられたとかいうのは多分広告代理店とかの意図的な詭弁だね。
-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20250814005033# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaJ8SpgAKCRBwMdsubs4+SIPYAQC8EGwze/Ygiq3XPDZX4sokg12mN5CqllRp9YtvHIkuJwEAja4i0KQq6UDEMsltWm9UWMzRFH9i7h6tBSh7BGFe9ww==/p69-----ENDPGP SIGNATURE-----
時々見るニップレスで、革製でバッテンの形してて、中央にリングがついてて、鋲の意匠があしらってあるヤツあるやん。
あれって何をイメージしてるん?
中央のリングはピアスなんだろうか。ニップレスを貫通したピアスなんか?ピアスで身体に固定しているんか?
鋲は何だろうか。まさかアレで固定しているワケではないだろうし。
元ネタ的な何かとかイメージとかあるなら誰か教えてクレメンス。
なるほどなー
ニップレスの他にも、ボンデージタイプの水着とかでも乳首部分にリングがついてるヤツあるやん
アレの意味がどうもわからなくて聞いてみたんだが、やっぱりただの飾りなんか
引っ張っても意味ないし(貼り付いてるニップレスなら多少意味ある?)
拘束するにしても簡単に逃げられそうだし
まあ理解に苦しむところだが、七宝焼の美しい表面処理に似た意匠を持つガジェットには心当たりがある。
中華の有線インイヤーモニターだな。レジン筐体のものは美しいフェイスプレートを持っているものが無数にある。
たとえば、Kinera Celest Relentlessなんかがそれっぽさがあるな。
https://el-snow.hatenablog.com/entry/2024/05/19/154409
ただこれらは耳につけるか、ケーブルのイヤーフック部分で耳にぶらさがっているもので、胸ポケットに雑に押し込むようなものではない。
胸に入れているとしたら、FIIO BTR17のようなBluetoothアンプだな。
https://av.watch.impress.co.jp/docs/topic/special/1645005.html
こういうのだ。
思い返してみれば、この手のポータブルアンプに、七宝焼のような金属表面に釉薬で装飾を施す加工がされている機種は見た覚えがない。
一昔前は、スマホ背面にキラキラした模様ガラスを採用する機種も多かったが、最近はガラス背面でも比較的シンプルで、ガラスではなくレザー調になっているものが増えているな。
原神がついに!ついに! テイワット大陸の真の支配者と目されてきた、「天理」の4つの影――
死、生、時、空の執政4人分の名前とビジュアルと声優をショートアニメ「神の限界」を通して情報解禁してきた!
直近では5年間の分厚すぎるシナリオの蓄積を積み重ねてやっとテイワットの歴史の重要地点と宇宙観が垣間見える、ダイン任務やスカーク伝説の神展開があったばかり。
原神熱が過去最高に盛り上がっていたところに、ダメ押しとばかりに弩級の情報公開ムービーが来たのは予想外の喜びですわ。ちょっと冬夜の戯劇(ファトゥス全員公開ムービー)の時と同じくらい興奮してるかも。
ちなみに普通の開発規模のオンラインゲームの1年分を原神は2ヶ月くらいで開発する、おそらく1000人規模の開発だから、初期から触れてきた内容の濃さを思うともう何十年も付き合っている感覚だ。
ここからはネタバレだが、特に、時の執政イスタロトの声優が村瀬歩だったことの衝撃が一番大きい。
偶然の配役ではないと見られ、ウェンティと同じ声優を、日本語版のみならず他言語版(英語と中国語は確認済み)でも貫いていることから、意図的な配役だろう。
初期のクエストからずっと、風の神と時の神の関連は仄めかされていて、それが回収された形になる。詳細は不明だが。
時の神を含む4つの影はいずれも女神の姿で、風神はモンド建国期の人間を由来としてショタの姿をしているが、同一性の表現をするために男女ボイスどっちも行ける声優を使うよう当初から計算されていたということ…。どえらいことやでホンマ(何)
死の執政ロノヴァは、姿と無加工の声が見られたのは初めてで、ロリではないが目の大きいロリ顔で、インテークのある白髪な感じは崩壊3rdのセルマ様に似てる。
ドレスは黒と赤の禍々しいサキュバスっぽいもので、ナタで上空から覗いていたときのような目の意匠がそこかしこにあり、能力を使うときには手首にも目が開く。
個人的に気になったのが、背負ってる羽根っぽいものが、稲妻にあった千手百目神像のそれとほぼ同じことだ。前髪の流れ方や垂れてる髪の長さも同じ。
これまであの像はイスタロトではないかと考察されていたが、顔と羽だけを見るとロノヴァに見える。首元の意匠はイスタロトっぽさはあるし、フードを被るところはナベリウスっぽい。4つの影のキメラなのだろうか?あるいはパネース?
生の執政ナベリウスは、最近の魔神任務「背理」で近況が明かされていたが、レインドットに呑み込まれたあとも意識は消えず二重人格のように表に出てくる形になったようだ。
ビジュアルは頭の後ろにDNA螺旋状の円環オブジェクトを浮かせている聖女といった感じだが、服が左右で白と黒に分かれ意匠がまったく違う。
おそらくこれは呑み込まれたあとのビジュアルで、白い側が本来のナベリウス、黒い側がレインドットなのだろう。2人が言い合うときの構図からそう思った。
で、このナベリウスだけ目がオッドアイになっている。4執政の他の3人はすべて黄色い目になっている。
だが、よく見ると、白いドレス側の半身、本来のナベリウスであったほうは青い目なのだ。呑み込んだレインドット側の黒い半身は、黄色い目。
ここから考えられるのは、4つの影はすでに全員呑み込まれていて、権能を乗っ取られ、4執政を演じているのではないか?ということ。
声優の一致やゲーム内クエスト文の仄めかしだけではなく、ウェンティの命ノ星座が冒頭のイラスト調イスタロトと一致した構図になっていることも含めると、状況証拠的に風神と時神が融合している可能性は極めて高い。
前述の目の色理論からすると、すでに完全に呑み込まれていて、バルバトスが自身をイスタロトと思い込んでいるか演じていて、元のイスタロトの意識は(ナベのように共存していないので)どこかを彷徨っている可能性すらある。
ウェンティは自身の素性を、平凡な千風の元素精霊のように言っていたが、これも疑わしくなってきた。これが嘘ではないとするなら、イスタロトを呑み込んだのはウェンティではなくバルバトスで、ウェンティ≠バルバトスなのかもしれない。
呑み込み成りすますことで生まれる風神の空席をごまかすために、バルバトスが適当な精霊を捕まえてきて、影武者として振る舞わせているのが眷属ウェンティとも考えられる。
ウェンティ本人は、放任主義だから長い事眠ってたことがあるという自認になっているが、その間に入れ替わりが起こったのかもしれない。
それにしては全部知ってる風なそぶりが多いから、バルバトス=ウェンティの可能性も残るが、眷属として認識を共有できるのであれば辻褄は合うだろう。
ともかく、そのように考えていくと、4執政は、天理に反目する4つの勢力によってすでに落ちているという考えが真実味を増してくる。
4つの勢力という部分は当てずっぽうだが、バルバトスが魔女会とバトった経緯からすでに魔女会側に落ちているとしたら、4執政の全員が1勢力、つまり魔女会の手に落ちた可能性もなくはない。
アルベドも、魔女が生の執政を呑み込んだという一大事を平然と話していたので、前代未聞の所業ではない、つまり前例を知っていたのだろう。
いずれにせよ、時の執政が落ちているとすれば、天理をも欺く形で歴史も記憶も改ざんされているということ。
直近のことで融合した記憶があるナベリウスを除く3人も、実は呑み込まれ乗っ取られているが自覚がない、という理屈が通る。
「裏切るなんて論外だ」「例外は」という話をしているロノヴァがどこか居心地の悪そうな仕草をしているのは、無意識に自分がそれを言える言える立場ではない可能性を感じ取っているせいかもしれない。
俗世の七執政も天空の四執政もすべて悪魔ネームになっているのも、この大陸がすでに魔の手に落ちていることの示唆なのかもしれない。
ロノヴァと、今回名前が明らかになった空の執政アスモダイ(考察勢は当ててたね)=物語の冒頭で双子を引き離した元「謎の神」、この2名は何者によって呑み込まれているのかは謎だが。
ロノヴァの話し方だと、アスモダイは黒王あたりを主として鞍替えしたことで黄色い目になったのかもしれない。あるいは月関連の誰か。キアナ(=月)顔だし。
ちなみに、サービス当初から天理の調停者ことアスモダイとパイモンを同一視する風潮があり、ロノヴァが「誰かを愛してしまった場合」の誰かを、パイモンが旅人を愛していることとつなげて正体アスモダイだという考察もあるが
個人的にはパイモンは冠を持っていることからグゥオパァー化した天理パネースにほかならないのではと考えている。
パイモンは空間に引っ込んだり出てきたりする部分もあるが、時間を操作することもでき、システム的にHPが0になった旅人をサルベージすることもできる。生/死/時/空すべてに通じる操作権限があると見える。
テイワット人が明らかに異質な浮遊生物であるパイモンに疑問を抱かないのも、歴史操作による認識改変を無自覚にやっているせいかもしれない。
天空の島と繋がっているというメリュジーヌの言もあるし、食いしん坊で特にスライムなど元素を旺盛に取り込もうとするところもできるのも、万能性に通じる状態への復元過程と見ることができる。今のところおバカキャラだが、それも「理」の対極だろう。
最後、ピエロが「神を殺す」ことに言及していたが、こうなってくるともはや、その神とは、俗世の七執政どころか、すでに呑まれている4つの光る影ですらなく、隠れている「天理」そのものを指していることは明らかだろう。
最近、スタレの方も、オンパロスの命運が宇宙の存亡に繋がっていることが分かってめちゃくちゃ面白いな!!!と感じていたんだが。
やっぱり原神もめちゃくちゃ面白い……こういう年月をかけてじわじわと長大で壮大な話を各自の手で解き明かしていく物語体験は、本当によくできた運営型ゲームでしか表現できないと思う。
レインドットを担当されていた田中敦子さんは、去年、闘病生活の末に亡くなられたのだけど、原神公式はこう伝えている。
「※レインドットにつきまして、これまで演じてくださった田中敦子さん、ありがとうございました。
なお、過去バージョンの内容については、キャスト変更にともなう声の差し替え予定はありません。」
https://x.com/Genshin_7/status/1942797519844696445
これは本当に粋で素敵なはからいだ。
通常だと、演者の病気や引退等の本人都合や、諸般の事情(たとえば中国本土の過激派ネトウヨ反日ヘイターに目をつけられるような事案が起きて声優の安全を守らないといけない時)で、声優をやむをえず交代する場合は、
原則として過去のボイスも含めてすべて新声優で差し替えるのが通例なのだが、亡くなった声優さんの仕事の痕跡を残してくれるのはオタクの心理に寄り添ってくれていて、こういうトコ本当に信頼できる。有り難いことだ。