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はてなキーワード:情報量とは

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2025-12-11

統合失調症だけ“外側”から説明されるのおかしくない?

世の中のメンクリサイトや本を読むと、精神疾患説明ってだいたいこんな感じで書かれている。

うつ病

「何をしても楽しくない」「体が重い」「朝起きられない」「自分を責めてしまう」

パニック障害

「急に死ぬかと思うほどの不安」「心臓バクバクする」「息苦しい」

どれも本人の体感から始まっている。

ところが統合失調症になると、説明が急にこう変わる。

• 「まとまりのない思考・会話」

• 「奇妙な言動

• 「不自然な表情」

……いきなり“外側から見た変な人”のリストになる。

これ、本当に良くないと思っている。

少なくとも、私はこの説明文だけ読んでいたら病識には絶対たどり着かなかった。

「まとまりがない」どころか、むしろ世界をまとめすぎている

Twitter で「統合失調症の“まとまりのない行動”の典型例」として流れてきた動画がある。

エレベーターの前で、誰もいないのに外を何度も覗き、身を隠したり出たりしている人の映像だった。

それについて「思考のまとまりがない」と説明されていたのだけど、

私にはどう見てもエレベーターの外に“いるはずの誰か”を本気で警戒して、

何度も確認したり、隠れたりしている人にしか見えなかった。

• 周りから見れば「意味不明な動き」

• 本人の内側では

「そこに敵がいる」「監視されている」っていう一本筋の通ったストーリーがある

から本当は、統合失調症って「まとまりがない病気」じゃなくて、

この世の雑多でバラバラ出来事を、無理やり“一本の意味のある物語”に

まとめすぎてしま病気なのでは、と私は感じている。

普通の脳は、世界の9割9分を「どうでもいいノイズ」として捨てている。たまたま聞こえた音、

たまたま目に入った広告誰かの咳払い、ニュースの一文。

全部忘れていく。

でも統合失調症の陽性モードに入ると、

• 捨てるはずの雑音にまで意味をつけ始める

たまたま見た文字数字が、メッセージに見えてくる

機械音や自然音が「自分に向けられた合図」に思えてくる

世界が「ただの雑多な世界」ではなく、全部が自分関係のあるサインで埋め尽くされている世界に変わる。

から見ると「話が飛んでいる」「行動が支離滅裂」に見えるけれど、本人の中ではむしろ過剰に筋の通った世界になっている。

私の世界が変わったとき感覚

統合失調症の症状としてよく挙げられるのは「幻聴(誰かの声)」だ。

でも私の場合典型的な「声」はあまりなくて、

• やたら鮮明な自然音や機械音が聞こえたり

世界が急に覚醒剤を打ったみたいにキラキラし始めたり

• 壁のシミや模様がぐるぐる動き出したり

そういう形で世界が変わっていった。

覚醒剤様症状」と勝手に呼んでいるが、本当にそんな感じだった。

実際に打ったことはないけど、知識ベースでいうと、

多幸感で満ち溢れる

• すべてが鮮明で、美しく、意味ありげに見える

そういうモードが、家の中を歩いているだけで突然オンになる。

さらにひどくなると、作為体験(させられ体験)が重なってくる。

• 首が勝手に振れる

• 手が勝手に変なポーズを取る

• そのポーズで「丸・バツ祈り」みたいに妄想上の相手と会話が進んでいく

• 外壁に腕を擦り付ける、自傷行為になる

• 防御もせずに後ろ向きに倒れて、実際に脳出血まで起こした

このへんの詳細は別で書いたけれど、とにかく体がマリオネット化した。

そのときの私は、「世界中が諜報している」「自分思考漏れている」みたいなストーリーを、本気で本気で信じていた。

今振り返れば完全に病気の症状なのだけど、そのときの内側では、

世界バラバラどころか、あまりにも鮮明で、意味だらけで、一本の物語として完璧に“まとまりすぎていた”。

まるで情報量の多い映画のように。

メンクリサイト説明からは、絶対にたどり着けなかった

こういう体験をしたあとで、一般向けの統合失調症説明文を読むと、だいたいこう書いてある。

• まとまりのない会話

• 奇妙な行動

• 誰かに操られていると思う

いや違うんだよ、と思う。

• 「操られている“と思う”」じゃなくて、実際に体が勝手に動くレベルまでいったりする

• 「まとまりがない」のではなく、本人の中では過剰に筋の通った世界になっている

• その結果だけ切り取るから、「よく分からない変な人」の説明になってしま

私は母親統合失調症なので、一般の人よりは多少知識があるつもりだった。それでも、

作為体験がここまで体感であること

覚醒剤様の身体症状が出ること

世界キラキラしはじめること

なんて、どこにもちゃんと書いていなかった。

から、世に数多あるメンクリサイト説明文だけ読んでいたら、私は病識にたどり着けなかったと思う。

「私はここまでぐちゃぐちゃじゃないし、まとまりもあるし、声も聞こえないし」

で、終わっていたはずだ。

実際には、

作為体験犯罪行為まで行ったり

自傷脳出血を起こしたり

道路に“くいっと”飛び出してしまったり

かなり危険なところまで行ってから、ようやく「これはさすがに現実じゃない」「病気だ」と気づいた。

もっと早く、「中身の感覚から書かれた説明出会っていれば、と思う。

どう書いてあれば、私はもっと早く気づけたか

理想統合失調症説明は、こんなふうに始まってほしいと思う。

些細な音や出来事が、自分に向けられた“サイン”に感じられる

ニュース看板広告SNS文字が、「自分への暗号」に見え始める

世界が急にキラキラ輝き出し、全部が意味だらけになる

・頭の中のストーリー勝手に組み上がり、なんでも自分関係づけてしま

自分の体が、自分意思ではない何かに動かされているように感じることがある

そのうえで、こうした「中身の変化」が続くと、外から見たときには

・話が飛んでいてまとまりがない

・奇妙な行動に見える

といった姿として現れます

説明するならまだ分かる。

でも現状は、「外から見た変な行動」だけが症状として切り出されていることが多い。

それでは、当事者が「自分のことだ」と気づきようがない。

統合失調症を「変な人のラベル」で終わらせないために

統合失調症は、もちろん怖い病気だ。

自分のケースだけ見ても、

作為体験を通じて犯罪行為自傷につながりかねない

現実妄想区別する力が一時的に完全に吹き飛ぶ

家族や周囲を巻き込んで、大きな迷惑をかけてしま

からこそ、「変な人の特徴一覧」ではなく、

当事者の内側で、世界がどう変わっていくのか

もっと丁寧に説明してほしいと思う。

統合失調症は、「まとまりがなくなる病気」ではない。

しろ、雑多でバラバラ世界を、ぜんぶ自分関係のある“一本の物語”にまとめすぎてしま病気表現した方が、当事者体感には近い。

私自身、

作為体験

覚醒剤様症状や世界キラキラについての記録

を書き始めたのは、

教科書どおりじゃない統合失調症」でも、「これは病気のせいだ」と気づいていいんだよ

ということを残しておきたかたからだ。

というのも、私自身が「自分統合失調症だ」と気がつけたのは、

世界のすべてが自分に結びついて感じられる関係念慮と、

教科書にあるようなぼんやりしたものではなくはっきり見える幻覚について書かれた体験談を、

ネットで読んだことがあったからだ。

なので、こういう話が、誰かの「違和感」や「もしかして」に届いて、もう少し早い段階で治療につながるきっかけになればいいなと思っている。

Permalink |記事への反応(2) | 18:19

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2025-12-10

anond:20251210173339

理解してないよな

グラボに描画機能があって、グラボRAM積んでるのは

そこに出力する描画情報を置いてるからなのな

PCのメインのRAMから切り離したんだよ

テクスチャ4Kになるとサイズデカくなるが、それが「性能」を要求するのは

その情報グラボを介して描画されるから

まりは、グラボRAM上に絵として展開されるからなんだよ

そして、情報量が多くなれば、演算するためのCPUGPU)の性能も求められる

これを「分子()」にしたところで、情報密度が変わらないなら、同じ要件グラボが居るんだ

分子()を使えば、モニタに出力する情報RAMに展開しなくてよくなるとか思ってるのか?

Permalink |記事への反応(1) | 17:41

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2025-12-09

anond:20251204174231

育児スキルには明確な個人差がある。

タスク管理段取り情報整理、感情コントロールなど、多くのスキル必要になるが、

現実には誰でも親になれるため、育児スキルレベルと親になるハードルが一致していない。

就業起業には一定能力が求められるのに、育児だけはその制約が存在しない。

人口の約13.6%を占める境界知能(IQ70〜85)の人々は、平均より認知理力が低く、

説明抽象的すぎると理解しにくい」

手続き段取りが複雑だと負荷が高くなる」

情報量が多すぎると混乱しやすい」

といった特徴がある。

育児は、抽象性・段取り情報量・マルチタスク必要なので、こいつらが母親になっても、まともに育児はできない。

加えて、行政サービス教育プログラムは、前提として一定情報理力要求するものが多く、こいつらには使いこなせない。

で、育児がうまくいかないと、ストレスがたまり問題の原因を正確に把握することが難しくなる。

ストレスが高まり続けると、解決必要分析よりも、感情的反応が前面に出やすくなる。

で、SNS旦那たたきをし始める。

Permalink |記事への反応(0) | 13:45

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2025-12-07

サブカル文明レベルランキング

10位:ガンダム宇宙世紀

文明レベル:Type 0.8〜0.9

理由

地球圏のスペースコロニー(数十億人規模)

ミノフスキー粒子による新エネルギー体系

地球文明を「惑星級のピーク」まで進めた存在

→「現実地球0.73」→「ガンダム0.9」の対比が映える

第9位:エヴァンゲリオン

文明レベル:Type 1.0(惑星突破

理由

S2機関=ほぼ永久機関惑星スケールエネルギー制御

人類補完=情報意識の「惑星統合

科学文明宗教的概念の混合だが惑星エネルギー操作 は満たす

第8位:BLAME!(超構造体/ネットスフィア

文明レベル:Type2.0恒星級)

理由

建設者が暴走木星軌道まで建築物で充満=ダイソン殻と同等

重力子放射線射出装置恒星エネルギー兵器携帯可能

第7位:スター・ウォーズ銀河帝国

文明レベル:Type 2.3〜2.5

理由

銀河規模の航路支配

ハイパードライブで広範囲移動

デス・スター恒星エネルギーを瞬間出力

※ Type III に達してはいない(“銀河エネルギー管理”まではしてない)

第6位:トップをねらえ!

文明レベル:Type 3.0(銀河級)

理由

木星圧縮爆弾恒星質量エネルギー操作

ブラックホール兵器銀河中心殴り込み艦隊

時空の歪曲を戦術レベル使用

✔ Type III の定義銀河エネルギー利用)に最も合致

第5位:伝説巨神イデオン(イデ)

文明レベル:Type 3.5〜4.0(宇宙リセット級)

理由

イデ=宇宙規模の意志集合体

因果地平”の向こう側 →宇宙再生成を行う

エネルギー無限に近似 → TypeIVの入り口

✔ “宇宙ごとリセット”は明確にType III超え

(ただし多元宇宙までは行かないので「Type4入口」)

第4位:ドラゴンボール超(全王)

文明レベル:Type 4.0(マルチバース統治

理由

12宇宙統合管理

指パッチン”で任意宇宙消滅宇宙エネルギーの上位制御

ただし“多元宇宙自在創造”までは到達しない

神格化した“宇宙管理者”としてType 4が最適

第3位:魔法少女まどか☆マギカ円環の理

文明レベル:Type 4.5(概念宇宙管理

理由

物理法則を書き換えて新宇宙を構築

エントロピー問題を“概念レベル演算”で解決

個体ではなく概念のもの宇宙制御

✔ 「宇宙のものルール変更」はSSSランク演出

第2位:天元突破グレンラガン

文明レベル:Type 5.0(多元宇宙創造破壊級)

理由

銀河手裏剣にする物理法則無視

認識したこと現実になる”=存在論への干渉

螺旋力:情報量・生命活動のものエネルギー

✔ 多元宇宙スーパーストリングス構造)に干渉=Type 5以上

→ ただし“創造主体”ではなく“干渉破壊”が中心 → Type5に確定

第1位:ドラえもん22世紀科学

文明レベル:Type ∞(測定不能

理由:最強を保証するための精密化

もしもボックス → 並行宇宙創造

タイムマシン因果律の自由操作

ソノウソホント → 設定を書き換える=メタ構造編集

✔ カルダシェフスケールの“エネルギー文明”という枠を完全に逸脱

✔ “物語ルールまで支配” = 神を超えた存在

Permalink |記事への反応(0) | 23:08

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2025-12-04

anond:20251204090734

全体を短くするのは結果で

目的イントロの短縮

予感や余韻みたいな情報量の薄い部分がカットされて結果として短くなっているというのはとっくに定説としていわれてる

その点トッポはスゲーよな中までチョコぎっしり

Permalink |記事への反応(0) | 12:22

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2025-11-27

良い本の条件

世の中には良い本も悪い本もある。

たまに「良いも悪いもなく個々人がどう受け取るかが違うだけだ」と言う者もいるが全くの間違いだ。良いものは良く、悪いものは悪い。

では何が良い本なのか。

それは「主張がただ一つだけある」ことだ。

名著は一本筋が通っていて読者の人生を変える力を持つ。

逆に様々な主張が盛り込んである本は一見読み応えがあるように見えるが、ほぼ何も残らない。『プリンシプル オブプログラミング』がいい例だ。プログラミングが上達したいならこんな本を読むべきではない。

リチャード・ドーキンス の『利己的な遺伝子』が素晴らしいのはこの点から明らかだ。

内容は「個体でも群れでもなく遺伝子主体として振る舞う」に尽きる。どの章を読んでも結局その一点に戻ってくる。

動物性質数理モデルが次々示されてもばらける感じがなく、むしろ主張の輪郭が次第に研ぎ澄まされていく。

読み終えたあとに視界が切り替わったような感覚が残る。

スティーブン・ピンカーの『暴力人類史』も同様だ。

分厚くて統計エピソードも大量に出てくるが、読んだあとに残る印象は驚くほど明瞭。

人類は長期的に見れば暴力を減らしてきたという一本の流れが全体を貫いている。

膨大なデータがばらつかず、すべてがその主張の補強として働いていて、読み手を迷わせない。長い歴史の線がまっすぐ伸びるような感触がある。

主張が一つの本は読者の意識がぶれない。寄り道があってもそれが本筋を太くする役割を果たす。

反対に、あれもこれも語ろうとすると薄く広がってどこにも焦点が合わない。

情報量が多いほど説得力が上がるわけではなく、核がひとつ定まっているかどうかで本の価値は劇的に変わる。

本の良さを測るにはただこう聞けばいい。

「本書の主張は何か?」と。

Permalink |記事への反応(0) | 18:33

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AI漫画限界(今時点の)

キャラがどこを見ているかからない

・絵の情報量が多すぎる(漫画における良さが出ていない、CG黎明期みたい)

・結局コンテが面白くないと面白くない

・出力者に画力がない → 出力された絵が良いかどうかの判定ができない

  

ちょっとAI漫画はまだ早い気がする

漫画の絵って絵画とも違って、説明である必要があってかなり難しいんだよね

 

うまく行くケースとしては「描けるけど筆が遅すぎる」みたいなタイプ漫画家かなあ?

あとはアニメのコンテ描けるくらいに見る力はある人

 

てかやっぱ一番恩恵あるのアニメーターなのでは(作画監督のみでいけるみたいな)

Permalink |記事への反応(0) | 17:14

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2025-11-26

ゲームユーザーは全員障害者

ファミコンの頃はブームで健常者もプレイたから難しいゲーム沢山出たけど、今はダメだねー。

情報量が多すぎたり複数タスクをこなす作りにするとユーザーが処理しきれなくてすぐクソゲー砲撃たれる。

Permalink |記事への反応(2) | 11:48

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2025-11-25

バクマン』は漫画を変えてしまった…

AI漫画驚き屋のノリを見ててなんか違和感があると思っていたら、なんか漫画というものを全部バクマンのノリで(頭でっかちに)理解してる感じがあり、まあそういう世代かと思う。

そもそもAI漫画の出る前からツイッターでよくわからない自称編集者根拠のないアドバイス拡散されていたり、『漫画』というものに対する認識はだいぶ歪んでいた。

 

もはや『バクマン』後と言っても10年以上経ってしまっているので、誰もその前なんか覚えてないかも知れない。

でも『バクマン』が漫画広告代理店みたいなノリで語りだす前は、漫画もっとエモーショナルものだった。

漫画の中心は「キャラ」だった。漫画の「キャラ」は「キャラクター」とは違うんだという評論があった。

それは絵とセリフが生み出す不思議マリアージュで、設定や理屈ではなかった。ひとつの表情、ひとつ漫符ニュアンスが「キャラ」を変えた。

 

漫画ストーリーというのは『感情』の密度だった。

人情を感じさせる関係性や、ハラハラと次回への展開を期待させるヒキだった。

設定や細かい背景なんかは、小説でやれと言われた。

漫画は絵があるところがメリットなんだから文字数にあらわれるような「情報量」を求める読者は誰一人いなかった。

美味しんぼみたいな情報漫画でさえ、大事なのは面白いポイントだけ」を要約してセリフにまとめることだった。

小説エッセイから抜き出して来たような、文章語セリフを読みたい読者は一人もいなかった。

 

今や、そんな漫画は皆無である。ほんとうに、完全になくなったと言って良い。

みんなセリフ無駄に長い。口語の歯切れの良さはなく、修飾が多くて突っ込まれないように書くネット投稿みたいだ。

口に出して読もうとするととにかく一息が長いので、アニメになると声優がずっと喋ってて演出余地もない。

絵はデジタルで綺麗になったが、すべてコピペみたいな均一な顔で、一コマコマ感情を込めて描いたことが感じられる表情なんか皆無。

 

感情的になっている」表現ですら、教科書どおりの記号を並べましたみたいな、場面場面の微妙ニュアンスの違いなんか一切感じられない、みんな同じ顔。

そして同じコマ割り。

 

バクマン漫画頭でっかちものにし、受験勉強ゲームしかやってこなかったような文化的感受性ゼロサラリーマンがそれをマニュアルにしてしまった。

もはや「ここにこの絵が欲しかたから」だけで理屈なく漫画を描ける漫画家志望者もどこにもいない。それを評価する市場もない。

AIには、いやそれ以前に、デジタルトレスコピペで全てを描く世代漫画には、資料がないものを「ここにこの絵が必要だ」と感じて悩む感性すらない。

それはもう、バクマン以前に長年培われてきた日本漫画文化ではないのだ。でも、誰もそれに気づいてない。

Permalink |記事への反応(3) | 18:35

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インターネットで何か調べ物をする時はウィキペディアではなく

一番最初ピクシブ百科事典で調べるようにしている。

その次にニコニコ大百科アニオタwikiを使う。

この3つを駆使すれば、大体調べたいものカバーできる。

そして一番最後ウィキペディアで調べて、終わらせる。

なぜこのような回りくどい方法を取るかと言うと、ウィキペディアがいい意味でも悪い意味でも「つまらない」から

ウィキペディア記事は、教科書に載っている優等生的な、通り一辺倒で形式は整っているものの、心がこもっていないように感じる。

それに対してpixivニコニコは、書いている人間個性がすごく出ていたり、ネタ的な要素も絡めるので読んでいて面白い

ウィキペディアでは「独自研究」の記載御法度らしいが、これらはそのような制約が無いのがいい。

もちろんウィキペディアの方が情報量が圧倒的に多いのだが、人は情報量の多さだけを求めているわけではないからね。

Permalink |記事への反応(1) | 18:31

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anond:20251124031735

この増田とは関係ないけど、人気ブコメ

>清潔感情報量の少なさ、といつか増田で読んで納得してる

っていうのもそれに同調しているブコメ意味わからんな。勝手に納得してるけど、それ裏切られたら「話と違う!」ってなるんだろうか

Permalink |記事への反応(1) | 18:25

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2025-11-23

anond:20251122110758

感情表現があっさい割に事実関係は十分な情報量がやたらきれいに整理されて理路整然と記述されてんだよな

それ踏まえてプロンプトを考えてみてくれ

Permalink |記事への反応(0) | 13:21

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2025-11-22

[感想]映画 エブエブ(エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス

好きなvtuberと嫌いなvtuberりょうほうとも 見てたから興味わいたからみた

今週アパホテル泊まったら部屋のテレビで見れたからさ

2時間半くらいあるからめちゃ長い

最初の15分くらい?はいわゆる悪い意味での邦画あるあるみたいな日常シーンの連続

すげーストレスたまってイライラするけどそのあとは怒涛の展開って感じだった

考えるな感じろって感じの映像だけど、マルチバースとかシュタゲとかマトリックスとかメタという概念とか事前知識ないとイミフだろうなとも思った

そこはだいたい予備知識はすでにあったからすっと入ってきた

世界線みたいな説明樹形図みたいな感じで視覚にわかやすいシーンが何度も出てきたし

世界巻き込んだ壮大な家族ゲンカって感じかな

つい最近似たような構図みたなと思ったらテイルズオブベルセリアだった

夫がジョンレノンジャッキーチェンだかの顔に見えるな、あれこれ年取ったジャッキーか?と思ったら違った

インディジョーンズに出てたアジア人の子役らしい

へー

主役のおばさん女優も見ててきついなと思ってたのに、よくみると浅野温子ぽいんだなと感想がかわった

この勢いと画面の情報量小説マンガだと無理だなー映画というか映像ならではだなと思った

うそう、あとかなり序盤から思ったのはONEバグエゴそっくりだなと感じた部分があった

というのは、別の世界線自分能力インストール?するために、くだらない儀式みたいなことをやるんだよね

ケツにアナルプラグを差すとか、リップクリーム?を食べるとか。

特定の振る舞いをすることがキーになるってのがバグエゴっぽいなと。

ぐぐってみたらバグエゴ1話ブコメでも指摘してる人いた

いやーそれにしても超久しぶりに映画みたわ・・・

映画見るってやっぱ贅沢な時間の使い方だなあと思った

それしかできなくなるから

いや厳密には違うか

これが、ながら見ができないタイプ映画だったっていうだけか

出張は大変だったけどこれをタダで見れたってだけでなんかよかったなと思えた

Permalink |記事への反応(0) | 22:48

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anond:20251122033834

自分は話すときにしゃべってることと書いてるときに書いてることの違いがいまだによくわからないんだよね。

でも確かに違いはある。それは話に対して「修飾関係どうなってるの?」的な質問が来ることはないから。

修飾関係に迷いようがないような言葉の組み立て方を無意識にしてるんだろうか?

いや発想を逆にすべきで、文章では意図的に一文に込める情報量を増やそうとしている感があるが、それが考えられる修飾関係の組み合わせの増大につながるのだろうか。

意見事実を分け、意見だけを読むのではなく、その理由となる事実客観的に述べられているか、どれぐらい一般的にあてはまることなのか、事実が互いに対立しているときには公平に書かれているのか、事実意見からみてもっともらしく引き出されて納得のいくものだろうかと考えて読むことが、本物の読みの力をつけていくためには大切だからです。」

って文章があったんだけど、結局この文章にしても本物の読みの力をつけていくために大切なこととして主張していることの解釈には

事実意見を分けること、と、意見だけを~考えて読む、までの二つ

理由となる客観的事実~考えて読む、までの一つ

と修飾関係解釈の仕方から少なくともこの二通りの解釈は出来てしまうんだよね

意見事実を分け」の部分が(意見だけを)読むに係っていると解釈するかどうかで変わってしまう。

こういうような言い方を話すときには同じ内容でもしないってことなんだろうか?対話としてはどうやって伝えてるんだろうか?

今はAIレコーダーで手軽に書き起こしし放題だしいろんな会話録音して、その一連の話を文としたとき普通文章と比べて平均とかの視点でどの程度修飾関係解釈余地が少なくなってるか一文一文検討するって研究もできそうで面白いね。

dorawiiより

-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20251122181347# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaSF+zAAKCRBwMdsubs4+SCeLAQCYEflbR4lR1wDK41kHjhazdFGtl2E3qAfTu5HhEcigtwD/XEC8wRCIWKWjLu09JE8QCAyBsObcKnGUUspx8459gwU==M3Tv-----ENDPGP SIGNATURE-----

Permalink |記事への反応(0) | 18:13

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2025-11-18

イーロンの一存で全てが決まるXに、公共情報の発信を委ねてはいけない

X(旧Twitter)の障害は、一度ログインできるようになったものの、外部URL投稿しようとすると依然としてInternal server errorエラーコード500)が発生するなど、完全に復旧したとは言えない不安定状態が続いている。

だが、問題は単なる技術的な不安定さではない。

Xは今、イーロン・マスクという一人のオーナーの一存で全ての方針仕様が決定され、規約までもが簡単に空文化するような、極めて中央集権的で不安定プラットフォームになってしまった。

このような場所に、企業政治家公共団体、そして医師のような、社会的重要情報発信をするアカウント依存し続けるのは、あまりにもリスキーおかしいのではないだろうか。

その危険性を多くの人が認識しているにもかかわらず、日本メディアの現状には違和感がある。ラジオをつければ、パーソナリティが「Xのアカウントをお持ちの方はぜひ」と延々とアナウンスを続けている。これは、不安定問題山積のプラットフォームを、メディア積極的に推奨し、その存在を無条件に肯定し続けていることに他ならない。

もちろん、Xが持つ匿名性との相性や情報量は依然として圧倒的だ。しかし、Xの度重なる障害や、ヘイトスピーチデマが野放しになっている現状は自明事実である

MetaのThreadsは、Twitterの混乱に対する期待感もあって、リリースわずか5日で1億アカウント突破した。これは、ユーザーが新しいプラットフォームを求めている証拠だ。

技術的にも倫理的にも破綻し、重要情報デマに埋もれてしまう前に、日本の「公共」的な情報源こそ、ThreadsやBlueskyといった別のSNSアカウントを開設し、ユーザーの逃げ道と、安心して情報を得られる場所を確保してほしい。

問題だらけのXに、いつまでも日本大事情報インフラを委ねてはいけない。

Permalink |記事への反応(5) | 23:36

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死に損ないの総括

8歳。

保育園の時から好きだった女の子がいた。おしとやかで、可愛らしくて、いつもニコニコいかけてくれていた。小学校に入ると髪を切り、男に混じってドッジボール野球をするようになった。絶望した。自分の好きだった彼女という概念がこの世から消滅した気がした。同時に「おしとやかで、可愛らしくて」という「属性」でしか彼女を見ていなかった自身の浅ましさにも気づいて絶望した。人は変わる。その変化が自分にとって好ましいかどうかなど関係なくエントロピーは増大し、覆水は盆に返らない。彼女も、自分も、家族も、世界のあらゆるものはいずれ形を変え、崩れていく流動的な現象に過ぎないのではないかと考えた。それは諸行無常絶望、固定された幸福など存在しないという悟りだった。

留守番中、台所包丁を腹に突き立てようとした。 刃先が腹に触れる感触がしたところに家族帰宅した。当時は首吊り飛び降りも知らなかった。ただ、腹を切ればこの流転する世界から一抜けできると信じていた。

15歳。

生きるのが少し上手くなったふりをしながら、内側から壊れていった時期だった。そこそこ勉強ができた。ただ、通える範囲進学校と呼べるものはなく、地元高校に進んだ。当然のように期末テストでは学年1位、模試では県1位を取り続けた。数字の上では順風満帆で友人もいたが、「友人」はいなかった。 周りを見下していたわけではないと思いたい。ただ、見ている景色解像度が違いすぎたのだろう。自分が100の情報を処理して言葉を選んでいる間に、周囲は3くらいの情報量で会話を成立させている。それは親に対しても同じだった。部活で負った怪我トドメになった。唯一身体性だけで繋がれていた世界すら断たれた。精神バランスは音を立てて崩れた。ネットで稼いだ小遣いで、カフェインの錠剤を大量に買い込んだ。錠剤をコーヒーで流し込み、あるいは砕いて鼻から吸った。当然、睡眠リズムは狂う。脳だけが異常に加速し、身体は鉛のように重い。そのちぐはぐな状態で、脳は刺激と情報を求めてネットの海へとのめり込んだ。

死ぬ勇気も生きる気力もなかった。空白を埋めるように過食に走った。深夜、家族に隠れてスナック菓子アイスクリームを貪った。嘔吐恐怖症だから吐けない。けれど太って自己管理ができていないとバレるのはプライドが許さない。異常な距離を歩き、街の端から端まで自転車疾走した。食べた分のカロリー呪いのように消費した。食欲はさらに歪んでいった。パスタ乾麺をそのまま齧り、茹でる前の素麺を貪り、生の米を噛み砕いた。すり減った奥歯は戻ってこなかった。

そうして思考ノイズ限界に達したある日、どこかのビルから飛び降りたらしい。「らしい」というのは、この時の記憶が欠落しているからだ。何階から飛んだのかも覚えていない。結果的に無傷(ぱっと見は)で誰にも見つからなかったこから推測するに、おそらく2・3階程度だったのだろう。五体満足で生還した。しかし全身の打撲と擦り傷の痛みは長く続いたし、右膝の違和感は今も消えない。思い返すと飛び降りを決意させたと思われる決定的な出来事があったのだが、ここには書けないし書かない。

21歳。

もう書くのも面倒くさい。当時のことはほとんど覚えていない。前後数ヶ月の記憶が綺麗に抜け落ちている。気づいたときにはパソコンの充電コードで首を吊っていた。目が覚めたとき首にはまだコードが絡みついていた。死ぬ気だったのか、発作的なものだったのか、それすらも分からない。ただ、目が覚めてしまったという事実けがあった。

27歳。

命を投げ捨てるのは簡単なことだ。こんな簡単なことに3回失敗したのはこの世界から死ぬことを許されていないからだ。そう言い聞かせることで撤退戦のような人生を生きている。周期的に考えれば、そろそろ4回目の波が来てもおかしくない。8歳、15歳、21歳。これは「次」が来たときに同じ轍を踏まないための、あるいは衝動に飲み込まれないための、未来自分へ向けた戒めだ。

Permalink |記事への反応(0) | 22:33

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anond:20251118130243

それが「刺激そのもの」なのか、「ただの引き金」なのか


「刺激そのものである場合、人は慣れる

ゲキシコのAVも先走りが出たエロ漫画も慣れてしま


でも「ただの引き金」の場合、人は慣れない

逆に刷り込みにより増幅されるまである

引き金と言うのは、「対魔忍」とか「姫騎士」とか「戦巫女」とか


引き金というのは、脳内イメージ投影する

このイメージはどんな創作よりも強力で

約束をした相手が死んでしまうがそれを知らずに楽しみにする子供」というシチュで泣ける人は、描写の巧い下手とかではなく泣けるのだ

それはそのシチュを脳が補完してくれるから

AVはパッケージ吟味してる時が一番興奮するって人もいるだろう


私は、「真摯人間の行動に周りが真摯に応える」というシチュが涙腺に来るのだ

なろうレベル情報量でも、勝手に作中の人物像が補完されていって

その「自分想像した」心根が激情掻き立てる


慣れてしまうのは、それを外部刺激として処理して終わっているのだ

それを自分の中で整理や俯瞰し、再構成してないのだ

それを本質的自分の中に取り込んでないのだ


マンションの両側に扉がある長くて暗い廊下が怖い人は、自分の中に「怖さ」を取り込んでいる

いろいろと想像してしま

でも、怖くない人はそうではない

究極的には我が事とは考えていない

Permalink |記事への反応(1) | 15:27

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考えを変えるには何が必要

人生原則」などという時、本人にはしっかりした根拠があるように思っているが、実際に見てみるとその基盤が危ういということがある。

例えば私の知人は「お金の余裕は心の余裕」という原則をお守りのように主張し続けていたが、それを見ると、もっとこう「知足」みたいな内面を充足させる方法だってありうるようにも思えてしまうわけだ。

私の人生原則の一つに、「睡眠薬ストックを確保しておけ」というものがある。これは、私が特殊タイプ統合失調症を患っており、錯乱する時は睡眠トラブルを抱えているケースがほとんどであるためである

しかし、物事一般化するとおかしなことになりかねない。「備えあれば憂いなし」という格言があるが「日本終了に備えろ!」と主張する都市伝説Youtuberの言うことを聞くべきとも思わない。

そうすると、極端な原則というのは脆弱になりうるという話だ。もし睡眠不足で錯乱したら、睡眠薬致死量飲んでしまうことも考えられるという話で、ストックを持つにしても適量というものがある。

では「中庸」は原則となりうるかというと、そうでもない。やはり「極端に避けるべきこと」というのは存在する。

非合法な薬物には一切手を出してはならないし、他人に対する暴力もいけないし、あるいは何が善であるかがわかるならそれを追求すべきだろう。

中庸とは「一方の側が善でもう一方の側が悪である」とは言えない事象適用可能概念である。MBTIのテストをするとき、「内向的か外向的か」などと問われるが、どちらの側面もバランス良く持っていて良いのである

自分はこういう人間だ」とか「自分はこういうもの原則にしている」というのは、つまるところ遺伝環境などの諸々の条件において生きやすいと感じた行動傾向ではないだろうか。

しか人間人生が高々100年しかないなら、個人経験もつ情報量限定的であり、単なる思い込みと言っていい。

その思い込みが変われば、人生が変わることは間違いない。もちろん、それを望むかどうかが問題である

Permalink |記事への反応(2) | 03:16

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anond:20251118012133

1. 導入:言い訳がましく、独りよがりな前提設定

コロナ禍で電子書籍漫画を読む習慣が自分に付いたから」という動機は、単なる自己正当化言い訳に過ぎません。なぜ、その動機付けが読書リスト評価必須なのか理解に苦しみます

「ここに書いてないけど楽しんだ漫画も沢山ある筈だけど、一旦置いておく」という断り書きは、リスト網羅性に対する責任放棄です。大量に挙げたところで「もっとある」と言われては、提示された情報価値が薄れます

「とりあえず頭に浮かんだタイトルを片っ端から書いてみる」という姿勢は、構成論理的な並びを放棄した怠惰の表れです。これだけ大量の情報提示するなら、もう少し読者に対する配慮整理整頓)があってもよいでしょう。

2. 内容:情報が浅く、感想定型文的

過剰な情報量による疲労: 70以上のタイトルを羅列した結果、一つ一つのコメントが短く、表面的な感想に終始しています。「面白い」「名作」「熱い」といった形容詞に頼りすぎており、読者に新しい洞察を与えるレベルに達していません。

例:「これも面白い」「面白かった」「めちゃ面白い」など、具体的な深掘りのない感想が多すぎます

ネタバレ回避の失敗と中途半端配慮: 導入で「ネタバレ注意」としながらも、多くの作品感想が「〜編が面白い」というあらすじの列挙や、既に広く知られた事実の繰り返しに留まっています特に核心に迫るような鋭い考察は見られません。

アプリ用法」の記述無意味さ:

「全話無料公開してた時読んだ」「サンデーうぇぶりは〜が全話無課金で読める」といった情報は、**日記を読んだ時点では無効になっている可能性が高く、持続的な情報価値がありません。**これは作品評価ではなく、単なる「当時の自分の行動記録」であり、読者にとってはノイズです。

偏った知識的外れ比較:

キン肉マン』『彼岸島』『タフ』などの「ネタ要素がある面白さ」を共通項とするのは、広く知られたネットスラング的な評価であり、独自考察とは言えません。

ボルト』を『ドラゴンボール』や『ジョジョ』の影響と見るのは、画風や台詞回しというよりも、少年漫画表現の変遷を深く見ていない浅い感想です。

3.読書傾向:偏りが激しく、視野が狭い

ジャンルの偏りが激しすぎる: バトル、スポーツギャンブルといった「熱血」「劇画」系のジャンルに極端に偏っており、知的探求心や感性の幅が非常に狭いことを露呈しています日常系SFハードもの)、純文学系、ミステリートリック重視)、本格歴史ものアート系など、多様なジャンルへの興味が見られません。

「人を選ぶ」作品への過剰な言及: 「人を選ぶ」「クセがある」という言葉を多用していますが、これは逆に自分の好みが極めてニッチであることの告白であり、大衆的な視点客観的評価能力に欠けていることを示唆しています

「一気読み」依存危険性: 連載中の作品より完結作を好むという姿勢は、新しいトレンドや未知の才能を発掘するアンテナを持っていないことを意味します。電子書籍の「後追い」という受動的な読書依存しており、能動的な読書家とは言えません。


4. まとめ

全体として、この日記は「電子書籍を大量に読んだという事実の自慢」に終始しており、個々の作品に対する深い洞察や、読者に新しい発見提供する価値に乏しい、情報過多で中身の薄い読書ログであると言わざるを得ません。

以上です。

Permalink |記事への反応(0) | 02:18

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2025-11-15

[おすすめYoutubeチャンネ]ゆっくりしたい人へ

https://www.youtube.com/@yukkuri3d

 

大事解説系のチャンネルなんだけど

3Dを使ったクオリティの高い解説ビックリする

また、情報量が非常に多く詳細であるため、知っていた事故でも印象がかなり変わる

メーデーとか好きな人にはかなりおすすめ

最新の洞爺沈没事故解説は1時間40分にも及ぶ大作となっている

 

自分が知ったのは割と最近なんだけど

これ投稿者趣味でやってるんだろうか?一個あたりのコストが明らかにいから数ヶ月に一本ペースになってる

何かしらのプロかと思ったが独学っぽい

Permalink |記事への反応(0) | 14:01

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2025-11-14

東京は俺には無理だ。

5年ほど、東京に住んでいたことがある。今は地方都市在住で、過去には完全な田舎暮らしたこともある。

10年ぶりに東京へ行って、色んな人にあって話をした。人の流れをみたり、隣のビルで働く人の姿をみて、その仕事想像したり、近くにいる人の会話に耳をそばだてたり。そして、情報量の多さに圧倒された。

そういえば、上京してすぐの時もそうだったな。慣れるまで、だいぶ時間もかかったが。


日々、いろんな匿名ダイアリー記事をみながら、それぞれの人の境遇に思いを馳せる。

愛されたい。という言葉きこえてくるのを感じる。自分は本当に生きたいのか?すら曖昧なまま。

自分の声を耳を澄まして聞く前に、SNSから他人の声が響いてくる。


東京は常に監視された公共空間にいるんだなということを目の当たりにした。


建前の世界。みんなが利害を背負っていて、何かから身を守っているようにも感じた。

そう、あれは昔の京都本音を喋らず、誰も傷つけないように喋る人たちの世界だ。



匿名ダイアリーの向こう側を想像するときに、発信者東京近辺なのか、そうでないのかをすぐ考えてしまう。

都心部公共空間には、もう人が人らしく本音を言える世界はもう残っていないのかもしれない。

しかしたら昭和新橋秋葉原ガード下には残っていたのかもしれない。


世界はとても意地汚くて、でもその中で笑えています。は、ベルセルク魔女セリフだったか


キレイに整頓された都会に、意地汚さが現れることはない。

実態が、個々の生きたいという思いの積み重ねだったりすると良いだろうが、

漂白化された上っ面だけの仕組みの上でできたカタチのようにも見える。都心ビル個性がないように。

田舎が良いとは思わない。全員が本音だけで話せば良いとも思わない。

でも、人が多すぎるからこそ、一人でいると孤独を感じるのだろう。

自然の中の孤独と、都会の中の孤独なら、どっちを選ぶ?


自然の中の孤独は人ではないものとの戦いだから、人同士で連帯できるように感じてしまう。


久々の東京で、少しの居心地の悪さを感じたので、書いてみた。

東京で生き抜いている人は、本当にすごいと思うし、この中で子どもを育てるのは無理だって思う。

休まることのない公共空間で戦い続けつつ、子どもも育てるんだから郊外なら少しはマシなんだろうね。

東京しか知らずに生きづらいなら、出ていくと良いと思うという、おっさんっぽい説教しかできない。


昔語りにはなってしまうが、自分若者時代には、ママチャリかつ、所持金ほぼ0スタート日本一周している人を複数人は見かけた。


旅の最中で、ウチで働くかい?と誘ってくれた人もいた。一時期は、食いっぱぐれたときの最終手段として、その人の名刺をずっと持っていた。



世界は広い。

私は、私が築いている世界の一部を頑張って守っていくし、まだどこにも居場所がないと思っているひとは、旅に出てほしい。

Permalink |記事への反応(1) | 13:15

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2025-11-12

抽象数学とかER=EPRとか

まず、空間のある部分(局所領域)ごとに、そこに属する観測可能量(観測子)の集合を対応づける。

それぞれの領域対応する観測子の集合は、演算の仕方まで含んだ代数として扱われる。

領域が大きくなれば、それに対応する代数も大きくなる。つまり物理的に中に含まれ関係がそのまま代数包含関係として表現される。

こうして領域代数という対応が、ひとつ写像ネット)として与えられる。

状態というのは、物理的には観測の結果の確率を与えるものだが、数学的には代数上の関数線形汎関数)として扱える。

その状態からヒルベルト空間上の具体的な表現自動的構成される(これをGNS構成と呼ぶ)。

この構成によって、真空状態も場の励起状態も、すべて代数の上の構造として理解できるようになる。

量子もつれは、単に状態が絡み合っているというより、代数空間的にどう分かれているかによって生じる。

もし全体の代数が、2つの部分の代数にきれいに分割できるなら(テンソル分解できるなら)、その間にはエンタングルメント存在しない。

ところが、量子場の理論では、この分割が厳密には不可能

これを数学的にはtype III 因子と呼ばれる特殊代数性質として表現

このタイプ代数には、有限のトレース(総確率)を定義する手段がなく、通常の密度行列エントロピー定義できない。

まりエンタングルメントは有限次元的な量ではなく、構造的なものになる。

完全に分けられないとはいえ、少し余裕をもって領域をずらすと、間に人工的な区切りを挿入して、ほぼ独立領域として扱うことができる。

これがsplit propertyと呼ばれる条件。

この操作を使うと、本来無限次元的で扱いにくいtype IIIの代数を、有限次元的な近似(type I 因子)として扱うことができ、有限のエントロピーを再導入する道が開ける。

Tomita–Takesaki理論によれば、状態代数ペアから自動的にモジュラー流と呼ばれる変換群(時間のような流れ)が定義される。

まり時間概念代数構造の内部から再構成できるということ。

もしこのモジュラー流が、何らかの幾何的な変換(たとえば空間特定方向への動き)と一致するなら、代数構造幾何学的空間への橋渡しが可能になる。

ER=EPRとは、エンタングルメントEPR)とワームホールER)が同じものの異なる表現であるという仮説。

これを代数言葉で言い直すには、次のような条件が必要になる。

1. 二つの領域対応する代数を取り、それらが互いに干渉しない(可換)こと。

2.真空状態がそれら両方に対して適切な生成力(cyclic)と識別力(separating)を持つこと。

3. 全体の代数がそれら二つにきれいに分解できない(非因子化)こと。

4. それぞれのモジュラー流がある種の対応関係を持ち、共通時間フローを生み出すこと。

5. 相対エントロピー情報量の差)が有限な形で評価可能であること。

これらが満たされれば、代数的なレベルで二つの領域が量子的に橋渡しされていると言える。

まりワームホール的な構造幾何を使わず代数表現できる。

これをより高い抽象度で見ると、領域代数という対応自体ひとつファンクター(写像一般化)とみなせる。

このとき状態はそのファンクターに付随する自然な変換(自然変換)として理解され、split property や type III などの性質は圏の中での可分性や因子性として扱える。

ER=EPR は、この圏の中で2つの対象領域)の間に存在する特別自然同型(対応)の存在を主張する命題

まり境界上の代数構造から、内部の幾何バルク)を再構成するための条件を圏論的に書き下した形がここでの目的

まとめ

Permalink |記事への反応(0) | 21:58

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anond:20251112131844

黒人キャラも出ただけでブスブス叩いてる

これはエレナキンバリーのことだろ?

 

あれは実際ブスだからブスって言われてるだけだよ

特にキンバリーなんか完全にわざとやってるじゃん

 

エレナだってスト3エレナは人気キャラだったけどそれは可愛かったからだ

黒人に対して寛容だったからじゃねえ

 

 

スト6はなんかしらんけど各人種のエグみみたいなもの写実的に描こうとしてて

春麗も元はもっとアジア人的なキツさのある顔だったのがだいぶ抗議されてマイルドになった。

ジュリ笑顔日本アニメだったら悪意でしか描かないような形の表情が勝利ポーズとかで見られる。

 

俺はあの路線は好きだけどさじ加減が難しいしスト6は市場に対して大分加減を間違えたとしか言いようがない。

作品作ってんじゃなくて商品なんだからさ。

 

それが、追加キャラでは単純に下手になっててスタッフ一定してないと感じる。

舞の顔の作りは単純に情報量が少なくてつまんない。

エレナも同じで、顔にも全体のプロポーションにも3にあった颯爽とした可憐さみたいなもんがなくなってる。

  

  

お前の話に戻ると

こういう複雑な話を「黒人嫌いだ!」とか雑に斬る奴の話は聞く価値がない

お前は物事解像度の低い自分の目ん玉でも人に受けるような話をひねりだすために

やすっちいポリコレプライドを売り渡したただのカス

 

各ゲーオタがカスなのはその通りだが

お前は社会底辺を更に踏むことで人気者になろうとしたカス以下のゴミ

Permalink |記事への反応(1) | 13:28

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2025-11-11

アニメ版グノーシアに言いたいことを全部言う日

テレビアニメ『グノーシア』は、原作ゲームより情報量を減らして分かりやすくしたつもりで逆に作品世界観に納得するために必要情報が足りていないという話がしたい。

タイトル原作ゲームを夢中になってプレイしたファンである者として、アニメ版には納得できない点が多く無限文句を言いたくなってしまうため、今日ここに考えをまとめて終わらせたいと思う。

当方原作厨と罵って議論を終了させたいならそれで結構だが、原作と違うからダメ!という感情論ではなく、SF的要素を備えた当該作品舞台設定に対して前提条件を一つ変更することで起きる影響までが正しく考慮されておらず、それに伴って劇中で開示されるべき情報が受け取り手まで共有されていないためアニメ単体として作品論理的に成立していない、という批判が本投稿本質である

==== 

グノーシア検知に関する"技術的な限界"について

合わせて、作品舞台である宇宙船人狼ゲームにおける「夜」にするための舞台装置である空間転移」の設定について。

原作では『船が空間転移をすればその度にグノーシアが人間を一人消すリスクを伴うが、空間転移完了時にしか船内のグノーシア反応を検知できないため、議論コールドスリープ(以下、CS)→空間転移をセットで繰り返して、最終的にグノーシアの排除を目指す』(※そのために船の航路は、可能な限り多くの空間転移を繰り返してたどり着くことのできる目的地が設定される)という理屈説明されていたところ、

アニメ版ではCS完了後にあらためて船内のグノーシア反応が検知されるかどうかという判定が行われており、それはつまり空間転移の実行時ではない、乗員が活動可能環境下で、常時「船内のグノーシア反応」を検知できる…ということになっている。(※その判定を更新されるのが「CS完了後」のタイミングでなければならない必然性存在するのだろうか? )

原作世界観では「空間転移完了時の船内のグノーシア反応」が船側の、グノーシアの所在を絞り込むことのできる技術的な限界であるという定義をとるのは自然だ。(検出の必須条件となる「空間転移」という現象が及ぶ対象は「船全体」であるため、それが検出範囲限界認識できる)

しかアニメ版世界観では「グノーシア反応」を検知できる範囲が「船内全域」にしか及ばない点の不自然さを指摘できる。

・「緊急事態のため船の機能制限されている」という説明原作でも存在しており、アニメ内でも描写されたが、すでに提示されたような技術存在する条件下で、グノーシア対策規定というものがLeViのシステムに組み込まれるほど一般化・周知されていることにも鑑みれば、緊急時制限されることのない隔離された機能として、船にグノーシアを特定するための装置(グノーシア反応を検知できる範囲を「船内全域」よりも狭く絞り込めるような設備)が実装された上で運用されていてしかるべきだ。

・また、そのような設備がやはり技術的に不可能であるか、現状の『D.Q.O』には存在しなかったという限定的な条件を仮定しても、この環境において「船内」に含まれない範囲、すなわち「船外」は存在している。

原作ゲームを未プレイであるアニメ勢の感想に挙げられていた、"乗員一人ずつに宇宙服を着用させて「船外」に出し、その都度「船内」をスクリーニングすることによって誰がグノーシアかを判別することはできないのか?"という指摘が生まれたことは、要領を得ない突飛な発想のようでいて、じつは当然のことである

(※アニメ内で描写のあったテザー無しのEVA作業宇宙服で離れた後に再度帰艦できるような距離範囲を「船内」「船外」とは判別することができない検知方法である、という可能性はある)

LeViの判断合理性に欠けている

また、アニメ版の設定において、船内のグノーシア反応が確実に残っていると分かった状況で空間転移を実行する理由とは?(※原作においては複数のグノーシア反応が認められた場合にこの状況が発生することはある)

そういった状況下で、例えば議論が紛糾した末にCS判断の誤りが判明した後、投票結果に異論があった者の暴動を招く危険性や、確実に誰か一人が消されると分かったまま空間転移を実行される乗員の心理的負荷等をLeViが考慮しない理由は?

(※アニメ版での表現では投票を行う際の手続き原作比較してかなり厳重であり、毎回「拒否権はありません」との警告と承認があることから結果に異議を唱えたい者の暴動対策は取られている可能性。)

・以上の疑問点が解消できるような状況を説明されない限り、アニメ版舞台装置論理的に納得できる情報が不足していると言える。

・我々の世界にはまだ確立されていない技術である「星間航行船の空間転移」というものがどのような事象であるかは原作でも詳細な説明はなく、その情報が不足しているために判断がつかないことであるが、原作での「グノーシア対策規定としてなるべく多く空間転移を行う」という船の挙動を、前提の異なったアニメ版世界にそのまま適用されていることは、全く合理的判断であるように見えない。

エンジニア権限」の設定について

原作では「調査対象者の空間転移時の次元波を解析してグノーシアかどうかを判断できる」ため、空間転移時のグノーシアの活動による犠牲者が出るという危険を冒してでも空間転移が明けないと調査結果が出ないという設定に対し、

アニメ版では「時間がかかるた調査結果がわかるのは空間転移後」という表現がされており、つまりアニメ版におけるエンジニアは船が空間転移を行うことでグノーシアに襲撃の機会を与えずとも"時間をかければ"グノーシアを特定することが技術的に可能ということだ。

(※「時間がかかる」と曖昧表現された部分の実態は気が遠くなるほどの膨大な時間必要とするもので、空間転移によって乗員の体感時間にしてそれを大幅に短縮するような効果がある可能性。相対性理論…?)

判断材料が欠如しているということ

・以上の前提に基づいて判断すれば、アニメ版世界ではなぜ"なるべく空間転移をせずに時間を稼ぐこと"がグノーシア対策規定の基本になっていないのか、どうしても空間転移が実行されなければならない理由があるのであればその情報が開示されなければ、乗員としてもこの状況に納得できる判断材料に欠けている。

論理的思考の持ち主であるラキオが、その点を指摘しないのは不自然

・『アニメ作品』に対する個人的な所感として、"そうなってないのは何か理由があるんだろうな"と考察することも可能であるが、この物語舞台設定の状況が、こういった前提条件の世界観の中で最も一般的な、大多数の人間が納得できる合理的判断として成立しているもの理解するために"整合性のつく要因を勝手に推測するしかない"のでは、あまりにも粗末である

原作の設定にもなんとなく推測するしかない要素はある、エンジニア次元波を云々も小難しいこと言ってSFっぽくしてるだけ、とかいえばそうなんだけど、論点がズレるのでそれは置いといて。

本当にわかやすくなっているのか?

わかりやすテレビアニメ『グノーシア』をつくるためにはそのように舞台上の様々な制約を読み手に共有させるSF的要素は"ノイズ"であり、

SFらしく小難しい舞台装置論理的整合性を減らしてでも、あえて原作では排除されていた「人狼」の表現を再度劇中に持ち込むことが作品をわかりやすくするために必要判断だったんだ、と言う主張がある。

実際、アニメ版制作方針としてそうなのだろうと思うし、いまさらそのような制作方針の根幹について、今後のアニメ展開で改訂される可能性は皆無と言える。

・"なら僕はもう……何も言えません……"と言うしかないのだが、アニメ版が本当にわかやすくなっているのかというと、それは甚だ疑問である

だって粗探しをしていてこんな結論になった訳ではない。"原作とは違うんだな"と思ったから、検証を進めていただけだ。

そして、上述のような疑問や指摘が浮かび、ついぞ解消しそうにもない。

理解しようと思ったのに、全然からなかった。ましてや整合性のとれる理由は劇中で明かされておらず、各自推測しなければいけないとなれば、アニメ版初見である視聴者にとっては"理解しがたい前提で、納得できないまま物語を押し進められている"という印象を抱くのも無理はないのだ。

・実際にアニメ勢で"この作品、設定ガバいな"といった感想が出された実例観測した。

アニメ本編の情報だけで判断したらそらそうなるわ、という話だ。

個人的に、この作品が好きだったのは"一人用の対COM人狼ゲームシミュレーター"から発展させて「人狼」の要素を抜いてSF世界観物語を再構築しているという部分であったために、アニメ版において世界観がこうも変更されている点について"好きなもの否定されて悲しい…"という感情になっているのだと思われる。

アニメ版だけの論理性に欠いた表現のためアニメから触れた新規原作ごと作品価値が誤解されるのも遺憾であるが、もはやしかたない。

OK原作ゲーム『グノーシア』はSF人狼SF濃いめ、テレビアニメ『グノーシア』はSF人狼SF抜き、別ジャンルの別作品としてそれぞれのファンである我々は住み分けていこうじゃないか

もうアニメ版の視聴は諦めて、大人しく退場しようと思います

みすみすアニオリの改悪を許すなんて歯がゆいことだ。ああ歯がゆい

本当に、君達にはガッカリだ!

Permalink |記事への反応(1) | 21:54

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映画】呪界を見た

寝るまで100分しかなかったのでその時間ちょっと余裕をもって見られる日本語のものを探した結果見てしまった。

6点(100点満点中)

 

まず「呪界」というタイトルを見て、「結界」に対しての「呪界」なのかな?と思ってみたら開始3秒で「あ、樹海と呪界をかけてるのか」と気付いてしまうくらい鈍感なコンディションで見たことはあらかじめ言っておきたい。

 

この映画はいわゆるモキュメンタリーに属すると思うんだけど、

1.樹海行方不明になる主人公たちの担当教授へのインタビュー

2.唯一生還した女性へのインタビュー

3.発見されたビデオカメラ映像

4.普通俳優を使った映像(再現VTR?)

の四つで構成されている。

3と4はシームレスに繋がれていてカメラ映像劣化しており途切れ途切れだったのでその間を再現VTRで埋める構成になっている。ちなみに再現VTR9.5でカメラ映像が0.5くらいの割合カメラ映像薄すぎるだろ。どうやってVTR再現したんだよ。

ツッコミが始まってしまうのだが、これを筆頭に問題が多い、というか意図は何なの?と問いたい部分が多すぎる映画だった。

 

1.カメラワークの謎

冒頭で担当教授へのインタビューが終わった後、樹海へ向かうまでの再現VTRが始まるんだけど最初俺はこの映像自体が実際の映像(のてい)だと思って見てたのね。後々、ビデオ映像ほとんどが復元できなかったという話が出てきて、実際のカメラ映像が使われるので再現VTRだってわかるんだけど。

なんでそう思ったかっていうと、再現VTRなのにめちゃくちゃカメラワークがヘタクソなのよ。家庭用ハンディカムでお父さんが撮ったみたいな感じ。常になんかグラグラフラフラしてるし登場人物にめちゃめちゃ接写してみたり話してるところに別の演者が通りがかって背中が画面の7割を覆っちゃった状態でも回し続けたり、なんか遠い枝の隙間から撮ってみたり。これが「誰かの視線」だったらわかるんだけど、それにしては不自然ショットが多い。

これが実際の映像ですのパートならいい。もちろん不自然ショットは悪いんだけど、素人が撮ったなぁって演出は実際に素人が撮ったんだでいい。でも再現VTRパートでそれを採用する意図は何なの?

なんか意味があるのかなと思って見てたけど別に何もなかった。ただカメラがヘタクソなだけだった。

普通俳優を使ったホラー映画として見るにしても没入感を削いでるんじゃねぇかな、知らんけど。

 

2.インタビューの謎

まず開始数秒で思ったのが「担当教授の喋り方演技すぎるなぁ」ってこと。なんかねぇ、無駄に情感たっぷりに間を取って喋るのよ。ツイキャスのイケボ配信者みたいな喋り方ずっとしてて集中できんわ~って思いながら見てた。

で、唯一生還した女のインタビューも「怖かった」「今も怖い」「当時のことはなんかよくわからん」くらいの情報量しかない。いや、もしかしたらリアルインタビューしたらそういう感じなんかもしれんけど、これってモキュメンタリーインタビューパートの中に何らかのヒントがあってほしいじゃん。ない。

登場人物再現映像では仮名で、インタビューパートでは本名なので音抜きで表現されるんだけど、何か所か環境音は入ってるのに声だけ音抜かれてるところあって処理が雑だなぁと思いましたまる

あとインタビュアーの声が入らずにテロップで表示されるんだけどあれってインタビュアーの声のパートを切って編集で繋いでるんだよね、普通はね。でもこの作品だと映像一切切らずにテロップに対して被写体が返答してるのでどういう仕組みやこれ?ってなっちゃった

 

3.登場人物の謎

ホラー映画登場人物コロナワクチンで5Gと共にバカ感情的で不合理な行動をとるようなプログラム政府によってインストールされているので、そういった行動には目を瞑るとして。

樹海でやる研究内容が「樹海自殺しようとしてる人を探してインタビューしてみよう」ってイカレすぎたものなんだけど、実際には主人公の女は樹海行方不明になったと思われる父親を捜す目的カムフラージュするに偽の研究内容をでっち上げてる。素直に父親を捜したいって言った方が同情引けるし、これを隠してることで話がどんどんややこしくなる。

なんか一人でフラフラ徘徊して遭難の原因を作るし、自殺者の遺留品と思われるものをみんなが止める中いきなり漁りだして周囲をドン引きさせて不信感を抱かせてギスギスさせるし。このパーティーおかしなことになるの、大体こいつが全部悪い。

 

4.行方不明の謎

途中で自殺志願者と思われる男を発見するんだけどその後、そいつがなんか追いかけてくる展開になる。男交じりの大学生で、そもそも5対1なんだから反撃しようって流れになると思うんだがそうはならずに、みんなでワタワタと逃げ惑ってる間に散り散りになって最終的に主人公が一人になって闇の中から腕を掴まれてギャー終わり、になるんだけど。

いかけてきた男はどうやら主人公父親ぽいんだけどでもそいつ1年前に死んでるの確認されてるんだよなぁってことがエンディング直前に急にテロップで明かされるのはどうなんだってはいったん置いといて、主人公父親に連れていかれましたとして。

他のみんなどこ行ったん?

一人は帰ってきたけど。

もしかして暗い中樹海で走り回ったか遭難しちゃってて、今もあの樹海をさまよっているのです。たぶん。ってことなん?それはそれで「樹海怖い~夜の樹海を移動するのはやめよう~」としては正しいけど。

 

つまるところ全編通して「なんでそうしているのか」という意図が全く不明

しかしたら監督も「俺は何撮ってるんやろなぁ」と思いながら撮ってたのかもしれない。呪われていたのは実は監督でしたとかいメタオチであることを期待して3点足しといたので実質3点。

ホラー映画舐めんな。

Permalink |記事への反応(0) | 09:18

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