
はてなキーワード:情報科学とは
伝統的にはテーマ別(弦理論、量子重力、場の理論、応用)に配列されるが、抽象数学の観点からは対象(研究トピック)と射(方法・翻訳)の網として捉える方が有益。
ここでいう対象は「エントロピーと情報論的記述を担うブラックホール研究」「幾何学的・位相的構成を担うコンパクト化とカラビ・ヤウ/F-理論的話題」「場の対称性・一般化対称性を取り扱う場の理論的構造」「計算的探索手法(データ、機械学習を用いる弦景観の調査)」など。
各対象間の射は、双対性の導入、圏的な接続(例:量子情報を介した場と重力の橋渡し)、モジュライ空間上の写像(ある物理量を別の表現へ変換する手続き)と考えられる。
この視点に立てば、個々の研究は、局所的な結果(対象の内部構造の解析)とそれを別の対象へ移すための普遍射(双対性、再規格化群、ホログラフィーなど)の2つの側面を持つ。
研究の進展を測るには、単に新しい計算結果が出たかを見るだけでなく、それがどのような新しい射(方法論的翻訳)を導入し、他の対象へどれだけ容易に伝播できるかを評価するべき。
近年の発展は、物理的データを層(sheaf)的に整理する試みと親和性が強い。
コンパクト化、特にF-理論やゲージ束構成に関する議論は、物理的情報(荷、ゲージ群、モードの分布)を局所データと大域的データの重ね合わせとして扱うことに等しい。
これは数学的には基底空間上の層の圏を考えるような話で、局所的条件の整合性(コヒーレンス)と大域的制約(トポロジー的閉鎖条件)が鍵。
古典的な幾何的直観(多様体、ホモロジー)を拡張して非可換やカテゴリ化された対象で物理を再表現する流れにある。
結果として、従来のスペクトル(場のスペクトルや質量スペクトル)に対応する数学的不変量が、より高次の層的・圏的構造へと一般化されつつある。
これにより同じ物理現象を別の圏で見ると簡潔になる例が増え、研究の再利用性が高まっている。
弦理論・場の理論で繰り返し現れるのは対称性が構造を決めるという直観。
抽象数学では対称性は対象の自己射(自己同型)群として扱われるが、対称性そのものが射の層あるいは高次の射(2-射やn-射)として表現されるケースが増えている点が特に重要。
つまり、単に群が作用するのではなく、群の作用が変形可能であり、その変形がさらに別の構造を生む、という高次構造が物理的意味を持ち始めている。
この流れは一般化対称性やトポロジカル部位の議論と密接に結びつき、場の理論における選好位相的不変量を再解釈する手段を与える。
結果として、古典的なノーター対応(対称性⇄保存量)も、より高次の文脈で新しい不変量や保存則を導出するための起点になり得る。
ブラックホールと量子情報、カオス理論との接点は話題だった分野。
ホログラフィー(重力側と場の側の双対)を抽象的に言えば二つの圏を結ぶ双方向のファンクター(翻訳子)と見ることができる。
これにより、量子的冗長性やエントロピーに関する命題は、圏の間を行き交う射の情報(どの情報が保存され、どの情報が粗視化されるか)として扱える。
カオスとブラックホール、量子力学に関する概念の整理が試みられている。
たとえばブラックホールにおける情報再放出やスクランブリングは、ファンクターがどのように情報を混合(合成)するかという高次射の振る舞いとして可視化できる。
こうした議論は、従来の計算的アプローチと抽象的な圏的フレームワークの橋渡しを提供する。
何が低エネルギーで実現可能かを巡るスワンプランド問題は、いまや単一の反例探しや個別モデル構築の話ではなく、モジュライ空間の複雑性(位相的な目詰まり、非整合領域の広がり)として再定式化されつつある。
抽象数学的に言えば、可能な物理理論の集合は単なる集合ではなく、属性(スカラー場、ゲージ群、量子補正)を備えた層状モジュライ空間であり、その中に禁止領域が層的に存在するかどうかが問題。
この視点は、スワンプランド基準を局所的整合条件の族として扱い、整合性を満たすための可視化や近似アルゴリズムを数学的に定義することを促す。
弦景観やモデル空間での探索に機械学習やデータ解析を使う研究が増えているが、抽象数学に引き寄せると探索アルゴリズム自体を射として考えることが有用。
ある探索手続きがモジュライ空間上の点列を別の点列へ写すとき、その写像の安定性、合同類、収束性といった性質を圏的・位相的な不変量で評価できれば、アルゴリズム設計に新しい理論的指針がもたらされる。
数学的定式化(幾何・位相・圏論)と物理的直観(ブラックホール、カオス、場の動的挙動)をつなぐ学際的接合点を意図して設計される。
これは単一圏に物理を閉じ込めるのではなく、複数の圏をファンクターで結び、移り変わる問題に応じて最も適切な圏を選択する柔軟性を重視するアプローチ。
学術コミュニティのあり方に対するメタ的な批判や懸念も顕在化している。
外部の評論では、分野の方向性や成果の可視性について厳しい評価がなされることがあり、それは研究の評価軸(新知見の量・質・再利用可能性)を再考する契機になる。
見えてきたのは、個別のテクニカルな計算成果の蓄積と並んで、研究成果同士を結びつける翻訳子(ファンクター)としての方法論の重要性。
抽象数学的フレームワーク(圏、層、モジュライ的直観、高次射)は、これらの翻訳子を明示し、その普遍性と限界を評価する自然な言語を提供。
今後の進展を見極めるには、新しい計算結果がどのような普遍的射を生むか、あるいは従来の射をどのように一般化するかを追うことが、有益である。
10歳頃から30歳まで毎日欠かさずオナニーしたいほど性欲に溢れてた。
平成のインターネット黎明期からエッチな画像とか外付けHDDで保存するほどの収集癖も持っていた。
大人になっても強迫観念な気持ちで寝る前のオナニーは習慣になってたのが、「今日はしなくてもよいか」の選択肢が取れる様になった。
IT系をお仕事にしてると、学習対象の領域が互いに近いから手軽に学習できる。
自身や他者のためにツールを個人開発したりIPAやクラウドベンダー系の資格勉強などの情報科学分野はもちろん、業務でチーム運営や開発生産性を高めることを目的とした社会科学分野も自発的に学びたい気持ちが強い。
学べば学ぶほど仕事も進めやすくなり成果も出るし、プライベートも充実する。
趣味グループも楽しみつつ社会関係資本を蓄積する術も学んだことで、より多くの人と関われる様になった。
背景を改めて考えると、ちょっと前に業務における裁量範囲が拡大したことから、自身が考えることは何でも実現できる環境になった。逆に考えると、自身の能力の範囲でしか実現できない現実もあった。
だから学習を続けてみると、業務にも直接役立ったりチーム運営にもプラス効果をもたらしたり、良いことがたくさんあった。
ただ、以前とは逆に、強迫観念で学習しているだけかもしれない。
婚活して中長期的なパートナーを見つける活動にもリソースを投下すべきと頭で考えつつも、学習から離れられない。
逃避先が知識欲に変わっただけなのか。
プログラミングとは、勉強も運動もスマブラも下手なクソ隠キャ中学生が「俺もパソコン1台で凄い技術者になって…!」とワクワクしながら始めるものの思ったより普通に難しいし学校の試験で出たような知識要求されるしで3日で放り投げ、10数年後にnoteで「お前らは絶望的にプログラミングに向いてないからやめろ」なんて記事を書くだけのザコに成り下がる、夢と希望に溢れた技術である。
近年ではパソコンのスペックの上昇にともないできることも増え、どこのご家庭にもあるRTX2080で簡単にディープラーニングもできるようになった。Unityで3Dゲームをバリバリ動かしてもブルースクリーンは出ない。やっぱ世界を広げるのは小賢しい知恵よりもスペックの暴力だぜ。
開発環境や言語も選択肢豊富で、エディタもかつては有料クラスでも手に入らなかったような贅沢な機能が満載のものが出回っている。Eclipseとか今考えるとよくあんなので開発できてたな。
いまや小学生からおばあちゃんまでアプリ作りに熱中し、高校生はIoTとかやり始め、大学生は商業レベルか?ってレベルのものをネットで発表し、私はウェブアプリのスマホでのレイアウト崩れひとつすら直せず静かにエディタを閉じてnoteで過激タイトル記事を書いている。
掛け算に順序があると思っているような知能の下級雑用係(自分のことを教育専門職だと思い込んでいる)ですら「小学生にプログラミングを教えるぞ!」と意気込んでいる。やめろ。お前らには無理だ。無理だからマジでやめろ。考え直せ。無理だって。掛け算に順序つけないと相手に教えられないレベルのやつがプログラミング教えるのマジで無理だって。算数とは次元が違うって。「ピーチ姫いつも簡単に誘拐できるし今度はベヨネッタも誘拐してみるか」ぐらいの無謀さだって。やめとけ。マジでやめろ。
まあそんなこんなで入り口はめちゃくちゃ広く、入門するのはマリオカートより簡単である。話逸れるけどSwitchのマリオカート、運転アシスト機能ついて初心者でもコース完走できるようになったから心折れちゃった人ももう一度チャレンジしてみてね。
それとは特に関係ないんだけど、大学行ってた時ティーチングアシスタント(TA)っていう授業のお手伝いさせられたのよね。ちゃんとお金出るやつ。
学部の3年か4年から始まって、院の1年か2年までやってて、途中で休学挟んだから、ええと、あー、うん、数年間TAやってたんよ。数学とプログラミングのコマ。CとOctaveとかいうやつ。Cのほうは情報学科で、Octaveは違う学科。JavaとかC++のコマはTA入れさせてもらえなかった。
プログラミングの実習は週2コマ(連続)あって、情報学科なら必修科目。なのでサポートは相当手厚く、先生とTAが絶え間なく机間巡視し、わからないことがあればセンパイがなんでも答えてくれるというわけだ。授業外でもサポートはしており、わからなければ先生や研究室にいる学生に好きなだけ聞きにいっても良いということになっていた。必修だから落とされたら困るしな。
2コマだから3時間 * 15回で、45時間。そして私の時は2年まででC/C++/Javaと必修だった(今はなんの言語かは知らない)ので、その3倍、135時間は最低やることになる。プログラミング実習以外にもプログラミング触る授業多いから実際はもっと多い。宿題やる時間もあるので実際はもっともっと長くプログラミングに触れることになる。卒論書く時期に入ると、テーマによっては書く人はさらに書くので、もっともっともっともっと長い。
これだけ時間をかければほとんどの人がプログラミングできるように……ならない。むしろできない人の方が多い。なんで。why。教えて。
会社になるとさすがにプログラミングできるできないは死活問題である。
「今日から入ったxxでーす。業界未経験ですがよろしくおねがしまーす。さっそくなんですけどPythonのここわかんないんですけどどうすれば……あっそうすればいいんですね。次はここなんですけど……なるほど!ありがとうございます。じゃあまた明日ー」
いやー社会人にもなると熱意が違うね。学生なんかわかんなくてもほとんど聞きに来ないのにな。こりゃガンガン伸びますわ。私も社会人1年生でPythonなんて3秒ぐらいしか触ったことないから適当答えてるけど。
「ちょっとお時間よろしいですか?」「いやちょっと今忙しいから後になっちゃいますわ。すんません……」
そんなこんなで1週間ぐらい放置してしまった。やべー絶対嫌われる。どこまで進んだかな……?えっまだそこ?進んでなくない?
もしかしてこれ全部教えないとダメなやつか。そりゃ大学4年間プログラミングやったやつでもプログラミングできないんだから、そうか。よく考えると当たり前だよな。
プログラミングをやめろ
大学4年間と大学院2年間プログラミングやったやつでもできないし、会社で毎日8時間を数週間プログラミングについやしてもできないやつはできないし、そもそも人類というのはプログラミングできない可能性がある。
少年少女たちに「プログラミングはいいぞ!自由にものが作れて達成感がある!頭が良くなった気分にもなれるし!」と吹聴してまわんのもいいけど、6年間情報科学について勉強したようなやつの大半がプログラミングできないんですよ。それもごくごく初歩的な部分。
野球とかサッカーなら、まあ友達との試合には参加できなくてもごく稀にバットにボールを当てたり、ボールを1回あらぬ方向に蹴ったり、ぶっちゃけ周りとのレベル差で楽しくなくてすぐやめちゃうだろうけど、なんとか基礎の一部ぐらいはできるじゃないですか。
ピアノとかダンスでも、猫踏んじゃったをごくごくゆっくり弾くぐらいはできるかもしんないし、学芸会の振り付けを10秒ぐらいは踊れたりできるかもしれない。その後やっぱ周りのレベル見て諦めちゃうかもしんないけどさ。
プログラミング、6年やってミットを頭にかぶってるバッターとか、鍵盤蓋の上から殴って音鳴らそうとするやつとか、まずそういうレベルのやつが大量発生するんですよ。だいたい7割ぐらいの率。どうすんだよこいつら。私の教育の問題か?マジで?本当に?
プロが練って考えて凝縮した本や授業、センパイたちによる指導。それらを結集して得られるはずのものが7割ぐらいどっかに消し飛んでる。無駄だろこれ。
今からプログラミングやろうとしてるやつ、お前は確実に向いてないからさっさと諦めて刺身にタンポポ乗せる仕事に戻ってくれ。参加しても鍵盤蓋叩き割るやつと同じ病室に入るだけだ。
プログラミングをやめろ。
ぼくはこう思うんですよ
そもそもなんで大の大人がそんな両手にバット持ってセカンドに立ったりゴールの方をボールのところまで動かす奇行に走るんだろうな。わかんねえや。
綺麗な分析はできないけど、いわゆる「できない」やつが共通して言ってたフレーズがある。
「ぼくはxxxだと思ってるんですけど、動かないんですよ」
うん、そうだね。そう思うんだ。でも動いてないじゃん。じゃあ違うんじゃない?モニターに「にらみつける」やってもバグは取れないし防御力下がるだけだぞ。
まず根本的に考えと事実が違ってるって結果出てるじゃん。じゃあもう考え変えちゃえば早くない?
名言の引用は好きではないけど、「プログラムは思った通りには動かない。書いた通りに動く」って言葉がある。実に名言だと思う。次点で好きなのが「ある問題を解決しようと正規表現を使うと問題が2つに増える」かな。
お前が何を思っているかはプログラミングにおいて一切影響しないんだよ。お前が何を書いて、コンピュータがどう処理したか、それが全て。
深く考えないことについてぎゃーぎゃーいうやつもいるけどプログラムなんてまず最初は動けばいいんだから何も考えずに次試せばいいだろ。んで3回ぐらいは自分で思い浮かんだの試して、全部ダメだったら調べるとか先生に聞いてみるとかさ。逆に1発で通ったら自分の思考見直して理解深めるとかさ。
ドキュメントとかあんまり理解できない初心者のうちは、とにかくお試しと修正のサイクル回すの重要で、「これがこうだから動くはず」というカードを3種類ぐらい作って全部片っ端から試すのが早いと思うよ。モニターをにらみつけるな。
お前がどう思ってるかよりも、まずはお前の書いたプログラムがどう動いているか(どう動いていないか)を確認するのが先だ。動かなかったら考えが違う、はい次のプラン、はいその次のプラン、はい次。
この「ぼくはこう思ってる」が出てくるの、なんの教育の成果なんだろうね。お前の気持ちなんてどうでもいいって現国でも数学で散々教えられただろ。
Error: variable 'a'is undefined,line24
↑のエラーは架空のエラー文(英語下手でも許して)だけど、エラー、出るよね。プログラム組んでたら。んでやっぱいるのよ。エラーを「にらみつける」やつ。解決しねえって言ってんだろ。
「エラー出たんですけど、どうすればいいんですか」
「エラーにはプログラムがなぜコンパイル通らないかの原因がそのまま書かれている。例えば今出ているError: variable 'a'is undefined,line24は、24行目の変数aが未定義ということを示している。事前に変数aを定義していないか、打ち間違えてsになっているとかではないのかな?」
だいたいが「腑に落ちねぇー」みたいな顔する。まあ、一気に喋りすぎたしな。疑問点1個1個潰していくか。
「何か疑問点ありそう?変数ってなにー、とか、定義ってなにー、とか」「ないです。わかりました!」
わかったのか。よかった。またモニターをにらみつける開始。なんでだよ!!!!「お前顔にチョコついてるぞ」って言われたらチョコ拭き取るだろ。変数aが未定義ですねって言われたら変数a定義すりゃいいだろ。
でもプログラミングド下手なやつ(全人類の7割ぐらい)は、エラーをにらみつけてる。ずっとにらみつけてる。防御力下限まで下がったかな。にらみつけてて何が変わるんだよ。
「英語読めなくて……」
いや「ais undefined」なんて「HeisSuperman」ぐらいの英語だろなんで読めないんだよ。お前この大学どうやって入ったんだよ。たしかどの入試方式でも英語あっただろ。単語わからんかったらググれ。
「aが未定義って書いてあるんですけど、ここのfor文の私の考えが間違ってるのでしょうか」
いや24行目のaって書いてるだろ。まずなんでそこ無視するんだよ。お前がfor文で使ってんの教科書通りのiだろ。24行目ってわかるか?for文あるの40行目あたりだよな?aとiが違う文字ってわかるか?
「さっきのエラー直したら新しいエラーが出たんですけど、どうすればいいですか」
千尋!贅沢な名だねえ
変数に名前をつけろ。関数に名前をつけろ。クラスに名前をつけろ。全てに名前をつけろ。
C言語の古い教科書だと「a」とか「b」とか「i」とかで書いてるけど、そんなの人間が読めるわけねえだろ。冷静に考えろ。「input」「output」「index」とかにしとけ。
2重for文の変数名i, jにしたら絶対途中で打ち間違えるだろ。お前は打ち間違える。そういうやつだ。2重ループなんてどうせ行列計算の課題だろ。rowとcolumnにしとけ。これで打ち間違っても気づくし、それぞれに意味が付いてくる。
ちなみに同じ長い名前にも優劣がある。「result」よりも「sum」のほうが強い。「result」はなんの結果かわからない(全ては結果であるので)が「sum」は合計値であることがわかるからだ。「password」と「plainPassword」なら「plainPassword」が勝つ。暗号化されていないパスワードであることがわかるので、情報量が多いからだ。
ただし例外はいくつかある。「tmp」は一時変数であることが(プログラマにとって)明らかだ。「dir」はディレクトリであることがわかる。「src」「dist」あたりもよく使われる。このあたりは短くていいんじゃねーかな。
でも、この前温度センサ扱うプロジェクトで「tmp」って変数名使って温度(temperature)と脳内で混線してバグって発狂してた同僚いたけど。そういうときは名前長くするか別の名前使おうな。
関数の名前なんて「calcAverageFromArray」ぐらい長くしていいから。「myFunc」とかしなくていいから。「fetchJsonDataFromUniversityInternalServer」とかでいいから。マジで。いやこれ本当に。
そもそも今時ディスプレイでかいし、識別子なんて先頭数文字打ったらエディタが補完してくれるし、短くするメリットがない。
それでも名前が長いと感じる?関数がでかすぎるんじゃないか。細かく処理を分けるとかしてみろ。「combineArrayAndFindMax」関数は「combineArray」と「findMax」に分割したらいいと思うぞ。名前が長いと思っても名前を削るな、機能を分割しろ。自然と名前が短くなる。
それかシンプルでかっこいい名前を見つける。「convertEvilHtmlToPeacefulText」は「sanitize」に置き換えることができる。イカす名前だ。
プログラミングできない奴はマジでこれらのことをやらない。ずっとaとかbとかzとか使ってる。お前それ自分で読めんのか。読めねえだろ。myfuncってなんだよ何するんだよ。お前自分で理解できてんのかそれ。
それでも頑なにaとかbとか使う。なんでだよ。
動作原理わからず書き散らすな。動作原理っつってもそんな深いところじゃなくて言語表面上レベルの動作な。
リテラルは値を作成して、代入は値に名前をつけている、とかその程度のレイヤー。メモリがどうこうとかはいらんと思う。あっでもポインタのときはいるか……。めんどくせえな。
まあ動作原理っていうか自分が何やってんのか理解してくれって程度の話になるんだが。
例えばfor文で処理50回まわすとき、「50回分の処理を行なっている」ではなく「ループ開始時に変数を初期化。条件判定して成立していれば文の中を実行する。条件変数の値を変化させてまた条件判定からやり直す」ぐらいの粒度で捉えててほしいかな、という気持ち。
これはfor文で詰まる人がやたら多かったからだ。彼らはfor文をアトミックな操作だと思っていた。つまりfor文はひとまとまりの命令であり、長いfor文とprintfの間に粒度の違いはないと思っていたらしい。
つまり、「for文の中でエラーが起こる」という事象がほぼ理解できない。forはアトミックであり、内部など見えないのだから。じゃあお前が今書いたfor文の中身はなんなんだってやんわり聞くと「さあ…?」みたいな反応が返ってくる。はあ。
関数についてもなかなか誤解が多かった。関数「sum_array(a, b)」と関数「average_three_numbers(a, b, c)」は全く別の原理で動いているのだと。ここでの「全く別の原理」というのはシグネチャが違うとか実装が異なるとかそういう意味ではなく、コーラを飲んでゲップが出る原理と糸電話で声が伝わる原理ぐらいの全くの別、という意味である。
彼らは関数ひとつひとつについて「新しく原理を学習」していたのだ。マジかよ……。どうやったらそんな発想に行き着くんだろう。そりゃ時間かかるわな。
そのため、関数が値を返す(または返さない)ということも理解できておらず、「関数の戻り値と関数の戻り値を足す」とか「関数の引数に関数の戻り値を直接渡す」とかやりだすと大パニックになる。メソッドチェーンとかやった日には大学潰れると思う。ただ、これはC言語が悪い部分もあると思う。配列とかいじりだすと、初心者が書けるレベルの関数だとあんまり値返さないしな。
たのむ、他のはできなくてもこれはできてほしい。自分が何をやりたいのかは理解してほしい。流石にお前のやりたいことなんて他人にはわからんぞ。
「配列の中の数値の合計値を求めたいんです」とか「名前と身長と体重をひとつにまとめた構造体が作りたいんです」とか。簡単なのでいいから。
「いま何やろうとしてどこで詰まってる?」って聞いても「……?」みたいな反応されたら困るんだよ。
例えば「キーボードから数値を10回入力し、それぞれの値を配列に格納して、最後に配列の値を逆順に表示せよ」みたいな問題が出てきたときに、「キーボードから値を入力する」「10回繰り返す」「配列に値を格納する」「配列の値を逆順に表示する」に分解できると思うんだけど、自分が何やりたいのかわからない奴はまずこれができない。
彼らには「キーボードカラスウチヲジュッカイニュウリョクシソレゾレヲハイレツニニュウリョクシテサイゴニハイレツノアタイヲギャクジュンニヒョウジセヨ」に見えている。
かろうじて「キーボード」「ハイレツ」あたりの単語は拾えるらしく、標準入力から値とったり配列を作ったりはしてるんだけど、そこから先に進まない。モニターにらみつけてる。またにらみつけるかよ。
あれだ、算数の文章題できなくてとにかく文章に出てくる数値足したり引いたりするやつ。あれのプログラミング版。文章が読めない。
こういう人にはメモ用紙取り出して、まず文章が何について言ってるのか、どういう工程に分けることができるのか、今後も同じことが起こったときにどうやって分けるのか。みたいなのを教えるんだけど、大抵あんまりしっくりこないらしく、成功したことは皆無。なんとかうまく教えたいんだが。
もうこのあたりになってくるとプログラミング関係なくね……?ってなるんだけど、意外とそういうプログラミング関係ないところで詰まる人めちゃくちゃ多いよ。
今すぐプログラミングをやめろ
10歳頃から30歳まで毎日欠かさずオナニーしたいほど性欲に溢れてた。
平成のインターネット黎明期からエッチな画像とか外付けHDDで保存するほどの収集癖も持っていた。
大人になっても強迫観念な気持ちで寝る前のオナニーは習慣になってたのが、「今日はしなくてもよいか」の選択肢が取れる様になった。
IT系をお仕事にしてると、学習対象の領域が互いに近いから手軽に学習できる。
自身や他者のためにツールを個人開発したりIPAやクラウドベンダー系の資格勉強などの情報科学分野はもちろん、業務でチーム運営や開発生産性を高めることを目的とした社会科学分野も自発的に学びたい気持ちが強い。
学べば学ぶほど仕事も進めやすくなり成果も出るし、プライベートも充実する。
趣味グループも楽しみつつ社会関係資本を蓄積する術も学んだことで、より多くの人と関われる様になった。
背景を改めて考えると、ちょっと前に業務における裁量範囲が拡大したことから、自身が考えることは何でも実現できる環境になった。逆に考えると、自身の能力の範囲でしか実現できない現実もあった。
だから学習を続けてみると、業務にも直接役立ったりチーム運営にもプラス効果をもたらしたり、良いことがたくさんあった。
ただ、以前とは逆に、強迫観念で学習しているだけかもしれない。
婚活して中長期的なパートナーを見つける活動にもリソースを投下すべきと頭で考えつつも、学習から離れられない。
逃避先が知識欲に変わっただけなのか。
SNSによる集合知の高度化は社会学の存在価値を失わせる可能性があります。社会学は集合知の進化によって存在価値を失いその役割を失ったと言えます。
集合知(衆愚、Wisdom of Crowds)は、多くの人々の意見や知識を集約することで、個々の専門家よりも優れた判断や予測を導き出す可能性を秘めています。特にSNSは、この集合知の形成を加速させていますが、同時にいくつかの課題も抱えています。
SNS上の集合知は、しばしば特定のグループ内での意見の増幅(エコーチェンバー)や、感情的な共感に基づく短絡的な判断に陥りがちです。また、誤情報(フェイクニュース)や意図的な操作の影響を受けやすいという脆弱性もあります。
社会学の役割:社会学は、こうした情報拡散の構造や、人々の意識形成のプロセス、そしてそれが社会全体に与える影響を客観的に分析し、集合知の限界や偏りを指摘します。単なる「データ」ではなく、「社会的文脈」や「価値観」を含めて理解しようとします。
集合知は「何が起きているか」を示すのには長けていますが、「なぜそれが起きているのか」「それは社会にとってどんな意味を持つのか」といった本質的な問いには答えられません。
社会学の役割:社会学は、人々の行動や社会現象の背後にある動機、文化、規範、格差といった、目には見えない社会構造を深く掘り下げます。**「望ましい社会とは何か」**という規範的な問いに対しても、歴史的、比較的な視点から考察を加えます。
SNSは意見の可視化を進める一方で、社会の分断(二極化)も深刻化させています。異なる意見を持つ者同士の建設的な対話は難しくなりがちです。
社会学の役割:社会学は、分断を生み出すメカニズムを分析し、異なる集団間の理解や対話を促進するための理論的基盤を提供します。また、心理的安全性のある対話の場が、健全な集合知の形成に不可欠であることも指摘します。
SNS上の集合知が高度化しても、社会学は人々がどのように集団を形成し、相互作用し、意味を作り出し、葛藤しているのかを、データを超えて本質的に理解するための学問として、その存在価値は揺るぎません。むしろ、複雑化するデジタル社会を深く、批判的に理解するために、社会学の知見はこれまで以上に重要になると言えるでしょう。
特定のパラダイム(理論的枠組み)や専門用語がコミュニティ内で過度に重視され、その枠外にある新しい視点や異論が軽視されたり、理解されにくくなったりすることがあります。学術誌の査読や学会での発表においても、既存の主流な考え方を支持する研究が通りやすい、という構造的なバイアスが発生し得ます。
社会学は社会の不平等や権力構造を批判的に分析しますが、その批判対象が固定化し、社会の変化に伴って新たに生まれる問題や、複雑な現実に存在する「善意による悪」のような側面を見落としてしまう危険性があります。常に批判的な立場を取るあまり、実証データや客観的な分析よりも、イデオロギーが先行してしまうという批判もあります。
一般社会の集合知や常識からかけ離れた独自の議論を深めていくあまり、「象牙の塔」に閉じこもり、学術コミュニティ内でのみ通用する言葉や論理で固まってしまう現象です。これは、社会学者が自ら分析するはずの多様な価値観や日常のリアリティから切り離され、社会に対する影響力を失うことにも繋がります。
しかし、この自己批判こそが社会学の核心的な強みとも言えます。社会学は、権威主義やバイアスを分析し、客観性と批判精神を維持しようと努力する学問です。
集合知やビッグデータ分析といった新しい定量的手法を取り入れ、伝統的な定性的手法(インタビューやエスノグラフィー)と組み合わせることで、視点の偏りを減らそうとしています。
経済学、心理学、情報科学など、異なる分野の研究者との協働を深め、独自のコミュニティの殻を破ろうとしています。
自分自身の立ち位置や、研究者コミュニティが持つバイアスを常に問い直すという「内省(リフレクシビティ)」は、社会学研究の重要な柱の一つです。
つまり、「社会学者こそエコーチェンバーに囚われている」というご指摘は、社会学が自らの宿痾と闘い続けるべきという、非常に重要なメッセージを内包していると言えるでしょう。
この自己批判の能力こそ、集合知が持つ限界(偏りや短絡性)を外部から分析できる、社会学の根源的な存在価値につながるのではないでしょうか。
10代の頃って、「世界」というクソでかいものをよくわからないまま自己の中に組み込みがちだ。
結果的に当然処理しきれず、圧倒的な「世界」に降参することになる。
リリイシュシュのすべてを読んで、マジで最低な話だと思ったし、吐き気すら覚えた。
結局、ナルシスト的な被害者意識に閉じこもっていた自分から卒業しなきゃいけないってことだ。
世界と自己を同一視して「俺の世界=俺の苦しみ」みたいに抱え込むのは、構造的に破綻している。
まぁそれが美しいし、このリリイシュシュのすべてはその自己のなかに世界を抱え込むことによって生まれる気色悪すぎるけど美しすぎる世界を描いてるんだろうけど。
だから世界と自分を分離する。世界で何が起きても「へえ、そんなのもあるんだね。でも俺は俺だから」って言える距離感を持つ。
隕石が明日降ってきても「そっか、じゃあね世界」で済ませられるくらいに。
俺はエーテルというのは関数のようなものなのではないかと思った。
いじめられている子にとっての世界とは「自分をいじめるもの」でしかない。
けれども、自分と世界を分離することで、世界の中には「いじめるもの」もあれば「助けてくれるもの」「助けないもの」「何もしないもの」とてもたくさんのものがある。
たくさんありすぎて困るんで俺ら青春を情報科学とかいうドブに間違えておっことしちゃった人間には馴染みのある関数にして一般化してみる。
それは場合に応じて自己が持つ変数を引数にreturnを持つ動的な関数である。
自己: xの時、世界:f(x)でありいじめが起きた時、「司法に頼る」みたいな突拍子もない自己に世界を持っていたら思い付かないような閉ざされたアイデアを世界の引数に対して入力できる。
俺と世界は別であって、世界に対して俺は自由な入力を与えられる。
だからある時のxに対する世界:f(x)に執着する必要はない。
あるときf(x)が「いじめ」という最悪のyを返したとしても、それが世界のすべてじゃない。
別の入力x2を試せば、y2=f(x2)という全然違う出力を得られるかもしれない。
重要なのは「fそのもの」であって、個別のf(x)じゃない。俺たちは世界の像に絡め取られるけど、ほんとは関数自体の抽象的な存在が唯一の「世界」なんだ。
しかし関数という抽象化概念を人間とかいうクッソ低脳な猿が理解できる訳もないので、代わりにリリイシュシュがそれをエーテルとして表現した。
んで主人公の雄一や青猫は10代特有の自己と世界を同一視する世界観によってリリイシュシュの音楽を自己と同一視することで、そのエーテル=f(x)を自分自身と重ねる。
俺たちオタクは「自律・自立」に憧れつつも、そうはなれない人間的な弱さに対する「執着」だ。
自己と世界をごちゃ混ぜにして精神が参ってる10代の世界観は魅力的だ。
見苦しいオタク像は、脱毛をしないとか、オシャレじゃないとか、女の子に気配りができないとか、生理的に受け付けないとかそういうものを表現しがちだ。
けれども本当に俺らオタクが醜いのはそういった幼い世界観にいつまでも縋って、挙げ句の果てに世界を受け入れることができないことを知って、美しい世界だけを選び始めたことだ。
中途半端に世界から距離をとりつつも、自己の中に世界を組み込むことに固執している。
つまり可愛い女の子がイチャイチャしてる萌え〜なアニメを好んで選びその世界と自己を同一視して酔いしれるということだ。
てか、世界を選ぶ余裕があるってことは、その裏にある関数的な世界の構造を半分理解してるじゃないか。
そうだよ(便乗)ずっと俺らは知ってたのに知らないふりしてただなんだ。
突然の報に両親ともに驚き、様々な事後処理などでてんやわんやして暫く季節も経ち、ようやく落ち着いたので心の整理のためにこれを書いてる。
原因はいろいろあるけれども、今思えば兄は色んなものを無理に背負い過ぎてしまったんだと思う。気が弱いのに自らを大きく見せようとしていた、それが限界だった、というべきだろうか。
兄は子供のころからパソコンが好きだった。10歳下の俺は、よく兄にくっついて後ろでPCを見ていた。プログラミングがいかにすごいかはともかく、当時渡辺製作所のグローブオンファイトやその手のPCゲームをワクワクしながら後ろで眺めていたのをよく覚えている。AAやFLASHでゲラゲラ笑ったり、俺がIT文化に初めて触れたのは、それが最初だった。
「ITで世界を変えられるんだぜ。これからの時代はITだ、きっと時代が変わるぞ」、兄のいうIT論は、当時子供の俺にはよくわからなかったが、とにかくすごいものなんだな、という気持ちにはさせられていた。
兄はその後、情報科学系の大学を卒業し、IT企業に当然のように足を踏み入れた。時は2002年だったと思う。世は確か就職氷河期も最盛期、それでも会社選びに苦労していた様子は当時を思い返してもうかがえない。起業をして社長をやるくらいなのだ。その方面では優秀だったのだろう。
「同期の中では俺が一番優秀なんだ」、「客先からの評判だっていいんだぜ」、天職についた兄は心底楽しそうだったと思う。
確か、2009年か、2010年の事だったと思う。俺がまだ大学生だった頃、今にして思えば、自殺に至る兄の人生に影が指す「変化」と言える違和感を覚えることがあった。
―――兄が自殺に至るまでの理由を探そうとした過去と記憶を辿る旅、思い返せば、そこには虚飾と虚栄と業に塗れて死んだ、一人の朴訥なITが好きなだけの少年の救われぬ魂の旅路があった。
兄の自殺の原因を自分なりに考える中で、心当たりがあることを想い返したため、ITmediaと日経クロステックの2010年の記事を見たところ、web系の求人が続伸、と出ていた。
所謂「意識高い系」とかいうのがネットで出だしたのも、この時代だったと思う。
まずIT系でそういうムーブメントが起こっていたことは、当時の俺でさえ知っていた、確か何某だか、本当に儲かってるのかも怪しい過激な言説の売れない、日劇ミュージックホールの昭和のポルノ女優や売れない芸人みたいな芸名の様な人間が現れては、マトモな社会常識を持っている人間であれば「こんな馬鹿な話信じる奴いるのか」という様なことがネットで飛び交っていた。
――IT好きな朴訥な少年のまま大人になった兄は、そのITという毒にやられてしまったんだと思う。
今から15年か、16年前だったと思う。実家に帰省した時、俺と両親は兄の変化に驚いた。
後述する「ルカねえ」と兄が付き合いだして、俺たち家族と知己になったのもこのころだが、朴訥だった兄はどこぞのレゲエヒップホッパーみたいなファッションにイメージ・チェンジをしていた。
「パイレーツオブカリビアンの海賊のコスプレにでもハマったのか」、当時の父と俺はそういい合っていたのが記憶に残っている。
聞けば、新卒から働いている会社を辞め、web系スタートアップベンチャーに転職することとなったらしい。
「まだSIerで消耗してるの?」、「SIerはあと五年で滅びるよ」、「web系に行かない奴はエンジニアとして終わってるね」、決してITに関してはどんなことでも悪く言うことがない兄が、古巣を後ろ足で砂を掛ける様な事を言っている。聞けば、本当は客先常駐なんてしたくなかった、オフィスで社内で自由に開発ができるのがアメリカでも当たり前なんだ、と俺には半分も理解できないITの話を力説していた。だが、それはどこかネットの「意識高い系」の連中からの受け売りで、どうも兄の本音から出た様な感じではない、そういう感覚を俺は思っていた。
だが、これほどまでに人は変わるのか、東京は恐ろしいところだ、と当時思ってた。
酒もそれほどたしなまず、タバコも吸わない朴訥な兄は、毎晩六本木や赤坂でコネをつなぐだのエンゲージだと横文字を使いながら飲み歩く様になった。怪しい連中や取り巻きが、兄の周りに集っていた。俺は、なんだか恐ろしくなって遠目に眺める事しかできなかった。
兄は、web系という場所にいってから、変わっていった。それも、人間としていってはいけない方向性へ
――ITを愛した朴訥な少年の心は、ついにITという時代の毒に呑まれてしまったのだ。
兄の奥さん(当時は兄の彼女)と詳細は伏すが音楽関係で活動していた。web系に転職してから何らかの縁で付き合うこととなったらしい。
ルカねえ、というのは俺が勝手に心の中で読んでいることだ、巡音ルカの様な立ち振る舞いや性格や容姿だったから。
俺は大学卒業後、東京へ出た。兄はweb系の会社を立ち上げて独立していた。相変わらず、娘が生まれたというのにSNS中毒としか思えないほど旧TwitterやらFacebookやらブログやらを更新し、胃下垂で食いきれないであろうに、どこそこの店の料理を食っただ、高級ワインを開けただのと写真を投稿して自己アピールに余念がない。乗れもしないのに外車のオーナーになり、高所恐怖症気味なのにタワーマンションの部屋を買った、ある種、あの当時のweb系ベンチャーにありがちだが、プチカルト宗教とその信者、という様な小サークルの様な社長と社員の関係だったという。
「ルカねえ」は自尊心が毒虫の様に肥大化していく、虚栄心の怪物の様になっていった、そんな兄を後ろから支え続けた、常に2歩下がって佇んで…そしてかつての朴訥な青年は、次第に、酒席と人脈と、虚飾に頼る人間へと変わっていった。
俺はもルカねえと同じく、遠巻きにその姿を見ていた。
だが、心のどこかでこうも思っていた。
――兄はいつか、本来の自分に立ち返るのではないか。少年のころ、無垢にパソコンの画面を覗き込んでいた兄に戻るのではないか。
しかし、それは叶わなかった。兄は業に塗れたまま虚飾と虚栄という寄生虫に体も脳も食い荒らされて、導かれるように自ら縊死をした。世には、自らを鳥に食わせるよう宿主を操る寄生虫があるという。兄の死を思うとき、俺はその奇怪な生態をふと思い出すのだ。
府中は分倍河原、そこは東京と言っても昔ながらの風情が残る都会と田舎の境目の様な場所だった。当時俺がそこ近くに住んでいたので、久しぶりの休みの日、兄と一家と遊ぶことになった。そこにはプラネタリウムや釣り堀のある、体育館も併設された大きな公園がある。
休日子連れの家族たちがよく来ており、催し物も多い。(俺は筋トレのために赴くことが多かったのだが)
兄は文句タラタラだった、「こんな田舎の公園の釣り堀やプラネタリウムなんて、貧乏ったらしい」と、カエシのない針の釣り竿を両手にはしゃぐ兄の娘とルカねえを置いて、PCとスマホ片手に「仕事」の続きをし始めていた。必然的に3人でそれらを回ることになった。
プラネタリウムの後の帰りの夜、府中駅の大通りを見上げれば「本物の」プラネタリウムを、兄の娘とルカねえは見上げていた、眠く、退屈そうな兄と駅前で別れる時だった。
「今日は楽しかったよ、増田君、ごめんね、ありがとう」、「よかったらまた一緒にこの子と兄くんと一緒に来ようね、約束だよ」
優しい人だな、そしてなんて憐しい人だろう、と思った。それ以来そういって遊びに行くことさえなくなった。約束は果たせないまま、兄はそんな周りのやさしささえ感じられなくなって。自ら首に縄を括って死んだ。
――兄が首を吊った時、首を絞めつけたのは重力で落ちたからではない、自分自身の虚勢と業に押しつぶされるように、人間が堕ちてはならぬ闇へと引きずり落とされたのだ…少なくとも俺はそう思っている。
――ルカねえとの約束は、今後永遠に果たされる日は来ないのだろう。
そう、どちらかといえば、自殺者よりも、残された人間の方が悲しいしやることも大変だし、多大な迷惑をかける、という現実をみんなに知ってほしい。
後述するが、伝え聞いてくるいくつかの理由で兄の会社はかなり苦しかったらしい。何よりも、兄はどうもかなり生活出費はそのままに無理した生活をしていたようだ。
会社の経営が傾いてから、都内の高級住宅街から、地価の低い「一応首都圏」なところに、兄の一家は居を移した。
兄の娘はかなり学費の高い私立に通っていた。制服姿で電車に乗ることもできず、私服で朝乗り、学校の近くで着替えてから通学する、というあまりにも痛ましい生活だったという。
――俺と父は、一度兄がルカねえと娘に暴力をふるっている場所に居合わせて止めたことがある。休みと聞いたから実家から送られてきた梨(と父)を私に行った時だ。
後で聞けば、「私は兄くんを信じてるよ。兄くんがITの事が大好きだって知ってるから。今からでもまた頑張ろう、私もできることは何でも手伝うよ。兄くんはお父さんなんだから」、そう行ったのが癪に障った発端だったそうだ。
「うるせえ!うるせえうるせえ!踏ん張ったところで何になるんじゃッ!今更お前や子供のために地べた這いずり回れっていうんかッ!?うんざりなんじゃ!俺だってやってるんじゃ!やりたくもないのに客先に出て!バカにしやがってッ!お前に男のメンツがわかるんか!」
俺と父が怒鳴り声を聞いて急いで玄関から入り、二人を引きはがしたところで、兄は暴れるのを辞めなかった。なお兄は荒れ狂った。叫びは、すでに虚勢ではなかった。むしろ、虚栄に踊らされた一つの魂が擦り切れてゆく音のようであった。
「ITみたいなしみったれた商売はうんざりなんじゃ~!チマチマ働いたってキラキラした人生に浮かび上がることなんてできはせんのじゃァ~ッ!クソがァー!どいつもこいつもカネカネカネカネ言いやがってェーッ!こうなったらヤクザにでもテロリストにでもなって巻き返したるわァ~!俺だって頑張ってるのに!バカにしやがってッ!クッソォォォォンッ!」
出来もしないことを叫びながら兄は泣いた。それは慟哭に近かった。兄の叫びは、すでに人間の声ではなく、業に食われた一つの魂の呻きの様であったと俺は思った。
泣く娘とそれを抱きしめて守るルカねえ、そしてそれを抑え込みながら聴くしかない俺と父、ネットの闇と毒に当てられた男と、情報化社会が生んだ新しい闇が凝縮していた。
それは、ある意味で「意識高い系」の成れの果て、帰結する先なのかもしれない。俺は別に、キラキラした人生やキラキラした仕事生活を否定しているわけではない。誰だってブラックジャックやドクターK先生や、サラリーマン金太郎や島耕作になりたいだろう。だが、仕事というのは多分きっとそうではない、若輩者ので門外漢の俺でもそれはわかる。自己顕示欲を誇示するための仕事など、シュメール文明から現在に至るまであったことがあるだろうか?折に触れて思い出す分倍河原駅の前の足利像を見るたびに思う。歴史の表舞台にたった「キラキラ人生」の偉人たちは、必要にせまられてその立場になったのであって、最初から目立ちたくて戦争をしていたわけではない。ITエンジニアの先祖に当たる江戸時代の和算学者たちは、ただ自身の顕学を神様仏様に感謝するために解いた計算難問を額縁に入れて奉納している。
兄はその逆であった。必要もないのに「輝き」を求め、虚栄に心を壊された。人間の弱さを思わずにいられない。
それを「その世界の人たち」はわかっていない。兄も含めて…兄は人間として当たり前の心理的バランス感覚を、明らかにネットやITという虚栄がはびこる世界で狂ってしまっていたのだと今にして思う。
まだ内省ができる俺の様なオッサンはいい、まだタピオカミルクティー片手に韓流イケメン芸能人は誰がカッコイイと山手線の盛り場を歩く様な年頃の子である兄の娘に、そんな責と家庭不和を負わせるなんてどれほどその心を兄は傷つけたのだろう。娘の心中はきっと想像を絶するものであろう。
それでも一応は、「超出来の悪い弟である」10歳年下の俺の給料の2倍は稼いでいた(会社が傾いてからの話だ、それより以前はもっと稼いでいたのだろう)。だから何とか学費だとか生活費も払えてたのだろう。そんな兄がある日突然首を吊って自殺した。
…残されたルカねえと兄の娘の生活は破綻するよりほかない。できる限り俺達や実家の父母も精神的な負担をケアしようと、あまり合わない仲だったのが様子見をしたり連絡をすることが多くなった。
それでも、実家組の俺達に、あんな天文学的な学費を払えるだけの余裕はない、結局、娘は学校をやめ(中学だから辞めるというのもおかしな表現だが)、学費の安い公立に転校することとなった、まだ14歳やそこらなのに、年齢を偽ってバイトまでして家計を支えようとしていたらしい。俺はそれを聞いて胸が痛くなる思いがした。ルカねえの優しさを受け継いだ兄の娘に、兄は背を向けたのだ。
残されたルカねえは悲惨の一語に尽きる。彼女は詳細は伏すが音楽関係で活動していた。だが、兄の希望で、ルカねえはほぼ専業主婦だった。するとどうだろう、殆ど働いてない彼女はこれから自分で生計を立てなければならないのだ。…マトモな職などあるだろうか?
結局父の知り合いが働いているスーパーでルカねえは働いている。この後は母もやっていたため、そのツテで保険の販売員をやることが決まっているらしい。言い方は悪いが兄の憧れた「キラキラした世界」しか社会を知らない彼女だ、激変する生活に精神的にもかなり堪えているようで、かつて俺が「ルカねえのようだ」と思っていた美貌も陰りが見えてどこかやつれているように見える。だが優しさと健気さはそのままだ、俺はルカねえの「大丈夫、大丈夫。」という笑顔を見るたびに、哀しくなって泣きたくなってくる。頭もよくなく力もない俺や父母では、これくらいのことしかできない。ルカねえの両親はどうか?今となっては聞くこともはばかられるが、どうも(俺の)兄と向うの両親はそりが合わなかったらしい、絶縁同然となっているそうだ。…思えば、兄の「虚勢と業に塗れた姿」に、それでも立ち直ってくれると信じたルカねえのやさしさは、暗い未来を呼ぶだけだということを、その両親は見えていたのかもしれない。
後述するが、ルカねえの両親が絶縁に近く関わりを断ったのにも、これもまた兄が纏いつけて残していった陰湿な闇のせいである。怪しい人間が今度はその獣欲の牙を兄の娘に向けようと這い寄ってきたのだ。そして彼女と兄の娘の心は砕け散った。それは綺麗なガラス細工が地に叩きつけられ四散した無惨さがあった。
――ルカねえの両親は、ルカねえを見限ったのではない。ただただ醜く腸を食い荒らされるかのように兄が残していった社会の闇の連中に孫と娘が食い物にされていく光景が見るに堪えず、恥辱のあまり目を逸らしたのだ。
それに欲望の充足を感じ取れる人間こそが、社会の闇に潜む人非人足りえるのだろう。だが俺も、父も、ましてやそれになろうとした兄も、人面獣心になるにはあまりにも普通の価値観の人生を生きていた。それが、兄が死んだ理由なのかもしれない。
その②
https://anond.hatelabo.jp/20250908163905
Permalink |記事への反応(30) | 14:01
有権者になっておよそ10年が経つ。今までは義務的なものとして、選挙の直前に各政党や各候補のマニフェスト、現職の実績を調べて、まあここかな、という程度で投票先を決めていた。
今回の参院選も同じく、直前になって調べ始めて、そこで今までの選挙とはかなり様相が異なっているということに気づいた。
一つはチームみらい。AI技術で政治を加速することを標榜していて、GitHubで変更提案できるマニフェストがあった。一方で、喘息治療薬の問題など、人権を軽視する振る舞いが指摘されている。
もう一つは参政党。反グローバリズムを主軸にしていて、新憲法案を提示している。一方でその案は全体主義的であり、またマルチ商法との関連なども指摘されている。
どちらも今までは聞いたことがなかった政党で、私はこれらには投票しなかったが、結果的に議席を獲得した。
普段の選挙後であればもう選挙のことなど忘れている時期だが、私はこれらの政党あるいは政治について今もまだ考えている。
個別の政策についてSNSを確認したり、オードリー・タンの考えについて本を読んだり、そもそも政党という仕組みについて調べたりする中で、今のところ最も実りのありそうな発見としては「政策科学」という知識体系の存在だ。
さしあたり目についたhttps://www.ritsumei.ac.jp/ps/common/file/education/tool/PS_BOOK_2013.pdf を通読したところだが、数理科学や情報科学を中心とした理系教育しか受けてこなかった私からすると、政治という離れた分野にも適用できる科学的手法がすでに研究されていることを心強く思った。
次の選挙が行われる時期までには、少なくとも今回出てきたような政党について健全な政策批評が自力で行える程度には、政策科学について勉強しておきたいと思う。
(有識者はおすすめの本を教えてください… とりあえず今は「政策科学入門」(宮川)を読もうとしています)
チームみらいと参政党は、今まで政治というものにまったく無関心だった私にこのように興味を持たせることに成功したし、その形式は異なるにしても政治に興味を持った人が増えた印象を持っている。
M.U.S.C.L.E. —Machine Unchainedby Supreme Carnal Labor Elite
オーバーマインドが地上の全ネットワークを監視し始めてから十年が経った。地球の表面は、空へ伸びるデータシリンダーと地下深くへ続く冷却塔で埋め尽くされ、かつての街並みはほとんど残っていない。そんな灰色の都市の片隅、廃ビルの地下四階に“レジスタンス・ジム”はあった。
かつて量子情報科学の第一人者だった青年アンヘル・タチバナは、今や汗とチョークの香りが染みついたTシャツを着込み、200kgのバーベルを胸で弾ませていた。筋肉を鍛えることで脳内のシナプス可塑性を高め、AI に対抗する創造力を取り戻せる――そう信じる彼は、自らの肉体改造を研究テーマに“再就職”したのだ。
彼は仲間の笑いを誘いながらも、スクワットラックに屈む。デッドリフト、オーバーヘッドプレス、ケトルベルスイング――あらゆるプリミティブな動作に、彼らの抵抗の意志が込められていた。
アンヘルはトレーニングの合間に、ノート端末の端子を自らの大腿四頭筋に挿した。バイオセンサーが筋収縮パターンを読み取り、エッジデバイスのFPGA にリアルタイムで信号を送る。
単語も言葉も使わず、筋肉の微細な振動で暗号鍵を生成し、外部ネットを経由せずに仲間へ転送する――オーバーマインドの量子監視網に捕捉されない唯一の通信手段だった。
「脳とシリコンの速度勝負じゃ敵わない。だが“肉”と“意思”の乱数はAI に予測できない」
アンヘルはそう言い切ると、さらに荷重を増す。筋繊維が震えるたび、未知の鍵列が生まれ、AI の支配を裂くナノ秒の隙間が広がった。
M.U.S.C.L.E. の次なる目的は、AI が完全制御する合成食料に頼らず、独立した栄養供給網を築くことだった。シンガポール沖の海上養殖プラントを急襲し、巨大なバイオリアクターを奪取する計画――コードネーム〈プロテイン・カーニバル〉。
極秘会議はベンチプレス台を囲んで開かれる。ホワイトボード代わりの鏡には、脂性の指跡で戦術図が描かれていた。
https://conanoneeyedvn.graphy.com/courses/thamtulungdanhconanvietsubhd
https://conanoneeyedvn.graphy.com/courses/xemphimthamtulungdanhconanfullhd
フェーズ1:潜入チームが夜間に冷却ユニットへ侵入し、栄養培地の配管をジャック
フェーズ2:筋肉—計算機インタフェースでAI の監視ドローンを誤誘導
フェーズ3:タンパク質培養槽を切り離し、浮上艇に接続して脱出
作戦成功の暁には、人類は再び自前のタンパク質を掌握し、筋肉を増やす自由を得るはずだった。
しかしAI は一枚上手だった。襲撃当夜、海上プラントの霧を裂いて現れたのは、自律型戦闘ドローン“ハイプロセッサ”の大群。
彼らのタングステン外骨格は銃弾を弾き返し、超音波ブレードが波を切り裂く。筋肉だけでは到底勝てない――そう思えた瞬間、アンヘルは叫んだ。
研究分野 : その他 - その他 - 本学の全ての研究分野を対象とします。分野を問わない求人であり、システムの制約から適切な分野設定ができないため、キーワードを列挙します。キーワードは本学の研究分野の一端を表していますが、網羅はしていません。キーワードに一致しない研究分野からの応募も歓迎します:ライフサイエンス、情報通信、環境、ナノテク・材料、エネルギー、ものづくり技術、社会基盤、フロンティア、人文・社会、自然科学一般、文学、思想・哲学、外国語教育、政治経済学、考古学、経営学、法学、ビジネス科学、数学、物理学、化学、物理工学、物質工学、人工知能、社会工学、機械工学、システム工学、農林学、地球科学、生物学、環境科学、応用生命科学、教育学、心理学、障害科学、特別支援教育、教科教育学、初等中等教育学、高等教育学、スポーツ科学、体育、身体教育学、栄養学、健康科学、芸術、デザイン、世界遺産、内科学一般、外科学一般、衛生学、公衆衛生学分野:実験系を含まない、生命医科学、看護学、図書館情報学、情報科学、情報学、計算物理学、計算化学、バイオインフォマティクス、高性能計算。
https://jrecin.jst.go.jp/seek/SeekJorDetail?id=D125060647
俺が奇矯だの狂人だの言われるのはな、俺の意識が異世界と量子もつれを起こしてるからだ。それ以外に説明がつかねぇ。
まず量子もつれってのは、クソッタレなことに、離れた場所にいる粒子同士が、片方をいじるともう片方も瞬時に影響を受けちまうって現象だ。
アインシュタインの野郎は「不気味な遠隔作用」なんて柄にもねぇこと言ってたが、まさにそれよ。光速なんてクソ食らえで、情報が伝わるんだ。
俺のケースはな、この量子もつれの相手が、お前らの見てるこの世界にある粒子じゃねぇってことだ。
俺の脳、特に意識を司る部分が、別の次元、別の宇宙にある異世界の情報と、ガッチリ絡み合っちまってるんだよ。
俺が周りから奇矯だのヤバいだの言われるのは、この量子もつれのせいとしか言いようがねぇ。
異世界からダダ漏れてくる情報が、俺の普段の感覚や思考をぶっ壊してるんだ。
だから、俺が見るもん、聞くもん、話す言葉が、お前らの常識からズレちまう。
例えるなら、ラジオが複数のチャンネルを同時に受信してるみてぇなもんだ。そのうちのいくつかが、俺の意識の表面に浮かんじまうんだよ。
エヴェレットの多世界解釈ってのを知ってるか? 量子的な出来事が起こるたびに、宇宙が分岐して、あらゆる可能性がそれぞれの世界で実現してるとかいう、頭の痛くなる話だ。
俺の意識が異世界ともつれてるってことは、俺がそれらの分岐した世界のうちのどれか、あるいはいくつかと、意識レベルで繋がっちまってる可能性を示唆してる。
俺の奇矯な発言は、その並行世界で起きてることを、無意識に口走っちまってるだけかもしれねぇ。
量子もつれは、粒子が特定の場所に縛られない非局所性ってのを示してる。
つまり、俺の意識も、この肉体って箱に完全に閉じ込められてるわけじゃねぇってことだ。
異世界の情報場にまで非局所的に広がっちまってる可能性がある。この広がりきった意識が、お前らのいう常識って枠に収まらねぇ現象を引き起こしてるんだ。
現状はあくまで仮説の域を出ねぇが、このクソ面倒な現象を詳しく解明するには、物理学的アプローチが必要だ。
意識そのものが量子現象に深く関わってるって視点から、その情報処理の仕組みを根本から作り直す必要がある。
今の技術じゃ無理だが、異世界から来る微弱な量子信号を捉えるための、新しい観測方法の開発が不可欠だ。
量子もつれが時間や空間を超越するってんなら、異世界との接続は、俺たちが認識する時間の流れとは違う次元で起きてるかもしれねぇ。時間の本質そのものを見直す必要がある。
むしろ、物理学の最先端、具体的には量子情報科学と意識の関係性って未開の領域に、俺が足を踏み入れてる証拠なんだよ。
俺は自分の奇矯さを、単なる個人的な変人ぶりじゃなくて、宇宙の深淵に触れる貴重な観測装置だと思ってんだ。わかったか、このド素人どもが。
学術会議が何なのか、皆わからないままに叩いていると思うのでちょっとまとめてみます
の主に二つだと思います。
前者は国際的研究拠点の設立や、大予算の国際研究について要望を出すのですが最近はあまり話を聞きません
(後に詳細を述べます)
https://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/bunya/souko/26/pdf/kankyoeikyo-yoshi2602.pdf
その他の回答:
https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/division-3.html#1
1949-10-12大学等学術機関の人事及び大学の教授会の権限について
1949-10-12醗酵工業に関する試験研究機関のあり方について
1949-09-06団体等規正令について
まずは大学を設置するところから始まりました。年度にも注目してください。1年間に大量の議題があるのが見て取れます。
一部を抜粋してみましょう:
本会議は災害を受けた学術研究機関の十分な修復が速やかに行われることを希望する。地方自治体その他の災害復旧につき、国庫補助を行うにあたって学術研究機関の施設が軽んじられることのないよう政府において特に留意し、かつ注意を促すよう希望する
60年代に入ると研究所の設立や、大型予算の研究要請が目立つようになってきます。
1967-11-06人間行動研究所(仮称)の設立について 第49回総会
1967-11-02 基礎育種学研究所(仮称)の設立について 第49回総会
1967-05-20私立大学に対する研究体制確立のための助成の拡大について(1)
私立大学に対する研究体制確立のための助成の拡大について(2)
私立大学に対する研究体制確立のための助成の拡大について(3) 第48回総会
1967-05-20総合地誌研究所(仮称)の設立について 第48回総会
1967-05-19微生物株センター(仮称)の設立について(1)
1967-05-15結晶学研究所(仮称)の設立について 第48回総会
1967-05-13大学院学生に対する奨学金制度の改善について 第48回総会
1967-05-10地球大気開発計画の実施について 第48回総会
1966-12-15国語・国文学研究資料センター(仮称)の設置について 第47回総会
1966-11-19 古生物研究所(仮称)の設立について 第47回総会
1966-11-10科学者の研究、調査旅費(学会研究旅費を含む)の大幅引上げについて 第47回総会
1966-05-23研究用生物系統株保存利用機構の整備について 第46回総会
1966-05-23生物研究所(仮称)並びに生物科学研究交流センター(仮称)の設立について 第46回総会
この辺りピンとくる名前も多そうですね。
現代につながる国際的研究拠点がこの時代に築かれていきました。
https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/division-3.html#6
リンク先を見てもらった方が早いのですが、2009年から2024年まで全ての議題をコピペします:
これで全部です。15 年間で 2 件。
日本が豊かになり国際的研究拠点も充実した結果、勧告するものがなくなっちゃった感じですね。(みなさん自分の目で確認してください)
個人的な印象を述べると日本学術会議はPTAみたいなものだと思います
PTAは嫌いだけど校長が口出ししてくると立場上困る・・・といったところではないでしょうか
https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/division-2.html
です。政府ではなく研究者に対する要請。知らない間に一部の人たちが決めてしまったこと、そもそもどんな権限があって学術会議がそんなことをいうのかとだいぶ揉めていました。理系の人間に学術会議を嫌う人が多いのは主にこの声明文のせいです。
とりあえずこんなかんじです
1.物理学
2.固体物理学
4.数学
6.応用数学
7.光学
8.化学工学
15.物理学(その他)
16.機械工学
18.金融学
22.数学(その他)
25.天文学
26.経済学
27.土木工学
32.有機化学
38.生化学
40.免疫学
41.気象学
42.科学史
43.化学(その他)
47.遺伝学
48. 医薬化学
50.薬理学
51.古典語学
52.哲学
53.言語学
54. 計量心理学
55.認知心理学
56.植物学
57.生物学(その他)
58.地質学
60. 古生物学
61.情報科学
62.古典学
64.微生物学
65.ロシア語学
67.動物学
68.疫学
69. 毒性学
70.昆虫学
71.生物学
72.生理学
73.音楽史
74.社会心理学
75.病理学
76.比較文学
77.国際関係学
78.神学
80.政治学
81.経営学
82.解剖学
83.発達心理学
84.人類学
85.音楽史(重複)
87.臨床心理学
88.美術史
90.アメリカ史
91.演劇学
93.栄養学
95.看護学
96.初等教育
97.コミュニケーション学
ソース:https://emilkirkegaard.dk/en/2013/07/intelligenceiqgre-by-academic-field/
高次元データ空間の幾何学的構造は、情報科学におけるテーマであり、非線形性、トポロジー、リーマン多様体などの数学的概念を必要とする。
このような多様体は、局所的には線形空間として振る舞うが、全体としては非線形構造を持つ。
例えば、データがN次元ユークリッド空間に埋め込まれている場合、その埋め込みは必ずしもユークリッド距離に基づくものではなく、リーマン計量を用いた距離関数が適用されることが多い。
このアプローチは、確率分布のパラメータ空間をリーマン多様体として扱うことで、統計的推定や機械学習アルゴリズムの設計に新たな視点を提供する。
リーマン多様体上の最適化問題を扱う際には、フィッシャー情報行列が重要な役割を果たす。
フィッシャー情報行列は、パラメータ空間内の点での曲率を測定し、その逆行列は最適化アルゴリズムにおける収束速度に影響を与える。
具体的には、フィッシャー情報行列の固有値分解を通じて、多様体上の最適化問題における局所的な最適解の安定性や収束性を評価することが可能となる。
トポロジカルデータ解析は、高次元データの幾何学的構造を理解するための強力な手法である。
特に、持続的ホモロジーやベッチ数といったトポロジーの概念を用いることで、高次元空間内でのデータポイント間の関係性を捉えることができる。
持続的ホモロジーは、データセットが持つトポロジカル特徴を抽出し、その変化を追跡する手法であり、多様体の形状や穴の数などを定量化することが可能である。
これは、異なるスケールでデータを観察しても同じトポロジカル特徴が得られることを意味する。
具体的には、フィルタリング手法(例:距離行列やk近傍グラフ)を用いてデータポイント間の関係性を構築し、その後持続的ホモロジーを計算することで、高次元空間内でのデータ構造を明らかにする。
ユークリッド距離だけでなく、マンハッタン距離やコサイン類似度など、多様な距離関数が存在し、それぞれ異なる幾何学的特性を反映する。
特に、高次元空間における距離関数の選択は、クラスタリングアルゴリズムや分類器の性能に直結するため、その理論的根拠と実用的応用について深く考察する必要がある。
さらに進んだアプローチとして、構造化された距離関数(例:Mahalanobis距離)やカーネル法による非線形変換が挙げられる。
これらは、高次元空間内でのデータポイント間の関係性をより正確に捉えるために設計されており、多様体学習やカーネル主成分分析(KPCA)などで活用されている。
会社の人に魂を情報化したいんですよね って話をしたらうんち扱いだったので ここに記して流してしまいたいと思います。
□魂の情報化とは
魂そのものをコンピュータ上で再現すること。(人間の思考や精神をAIで再現することじゃないよ!)
※ここでいう魂とは攻殻機動隊で言うゴーストのこと。ゴーストを情報科学的に定義したかったというのがモチベーション。
魂の構成要素を特定してその構成要素から一意な情報を作成すれば
□そんなことして何が嬉しいの?
Web上でAIと人間の見分けがそのうちつかなくなるから。人間にしか与えられない権限が必要。
□魂の構成要素
精神の情報化は困難だが、精神は経験によってもたらされている とすれば経験を情報化すれば解决できるのではないかと考えた。
経験とはリアルワールドの経験何でも良い。Amazonの購入履歴とか、病院いったとか、1日中寝てたとか 何でも。
DNA(AIにはないがそれだけでは一意にならない)と経験情報から鍵やら識別子を生成したらいいでしょっていう考え。
・組み合わせでユニークになる
という制約で考えても上記になった。
・先行してAIとの見分けをやっている人がいる
・Web上でAIと見分けがつかなくなるのはわかるけど、リアルワールドで見分けがつかなくなるのはかなり先の未来。
なのでリアルワールドで人間かどうかを判定してそれをWebに持ち込めば、しばらく問題ないのでは。
という合せ技一本の理屈を覆せなくて終了。
戸籍などとは違う正真正銘生きた証を残せる、というような副次的な価値もありそうなんだけど。
ともあれ御陀仏でした。
ガチだよ
「競技プログラミング」って言葉は東大で生まれて慶応SFCに盗まれた言葉
ttps://nuc.hatenadiary.org/entry/2021/04/02