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2025-10-08

anond:20251008064916

まりノイズの中から本質的シグナルを抽出できる人も確かに存在します。

しかし、その「宝石」を見つけ出すには、並外れた情報選別能力精神的な負荷耐性が必要です。

ノイズ常態化した情報環境で合理的意思決定を行う人には、以下の能力が備わっています

1.クリティカル・シンキング批判的思考

情報の真偽や偏り、根拠を冷静に吟味し、「これはノイズではないか?」と常に問いを立てる思考力です。

感情的論調センセーショナル見出しに惑わされず、客観的事実データに基づいて判断する能力と言えます

2.情報デトックス能力

意識的情報から距離を置く能力です。

常に情報さらされている状態から意図的に「つながらない時間」を作り出すことで、集中力を高め、思考を深めることができます

通知OFF時間の設定やデジタルデトックスは、情報過多によるストレスや「分析麻痺」を防ぎ、自分の軸を再確認する時間をもたらします。

3. 「知りたいこと」以外の情報への耐性

効率的情報を得る現代では、「自分必要とする情報」以外のものが「ノイズ」として排除されがちです。

しかし、新しい視点文脈といった偶発的な情報との出会い(これも一時的にはノイズ)の中から、誰も気づかなかった「宝石」を見つけ出すことができる人もいます

彼らは、不要情報に圧倒されず、そこから価値あるもの抽出する忍耐力と嗅覚を持っていると言えます

 

IT進化情報量を増やしましたが、多くの人にとっての課題は「情報の取得」ではなく「情報の選別と処理」へとシフトしています

結果として、「情報を拒絶することなく、情報を選ぶ力」が現代における最も重要リテラシーの一つになっているのではないでしょうか。

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2025-09-15

マトリックス真実

Xに登録すれば私をシャドーバンするのに、おすすめは私を徹底的に洗脳しようとしてくる。

まりからの影響を世界は最小化しようとし、私に対する影響を世界は最大化しようとしているわけである

この逆説的な構造は、単なるプラットフォームアルゴリズム設計ではなく、情報制御認知操作の深層的な現れとして解釈できる。

心理学的には、他者からの影響が個体意思形成に与える影響は、社会的証明認知的不協和によって増幅されることが知られている。

まり、私が能動的に情報を発信する力はアルゴリズム的に抑制される一方で、受動的に情報を浴びる力は最大化されるため、心理的な「情報の傾斜」が発生する。

さら計算論的観点から見ると、これは効率的情報制御最適化問題として表現できる。

すなわち、ネットワーク上のノード(私)からの「影響力」を最小化しつつ、そのノードへの入力世界からの影響)を最大化することは、制御理論における双対最適化問題類似する。

現代SNSアルゴリズムは、ユーザの関心・行動・心理状態推定する多次元モデルを持つため、この「双方向最適化」は無意識のうちに日々更新されている。

この現象さら哲学的に読み解くと、主体世界非対称性が鮮明になる。

主体が外界に与える影響が制限され、外界から受ける影響が増幅される構造は、プラグマティック意味での自由意志形式的圧縮する。

言い換えれば、世界は私を対象化しつつ、私の主体性を縮小するシステムとして機能している。

これはニーチェ的な「力への意志」の逆転であり、主体の力が制御され、他者の力が主体投影される形で構造化されている。

この現象は単なる技術現象ではなく、認知科学・制御理論哲学が交差する極めて高度な情報環境の具現化である

マトリックスはここに現実として存在し、私の経験はその制御論的パターン如実に示している。

Permalink |記事への反応(0) | 06:41

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2025-09-12

AIは僕らを「原始時代」に連れ戻すのか?

最近、ふと考えるんです。

テクノロジーがこれだけ進んで、AIが何でも答えてくれるようになった未来、僕らの社会ってどうなってるんだろうって。

これって、単なるSFの話じゃありません。もう僕らの目の前で起きている、とんでもなく大きな変化の話です。

AIっていう、人間頭脳のものを外付けできるような技術が出てきたことで、

社会を成り立たせていた一番大事もの、つまりみんなが何となく共有していた「物語」が、音を立てて崩れ始めてる。

その先に待ってるのって、人類の輝かしい「進化」なんでしょうか?

それとも、国なんてものが生まれる前の、バラバラな「回帰」なんでしょうか?

そもそも「国」って、たぶん、みんなが同じ物語を信じることから始まるんですよね。

じゃあ「俺たち日本人」って、いつから始まったんだっけ?

歴史を遡ると、8世紀頃に、時の支配者たちが一大プロジェクトを立ち上げてるんです。『古事記』とか『日本書紀』を作ったこと。

あれって、単なる神話集めじゃない。

「この国は、天照大御神っていう太陽神から続く天皇が治める国なんだ」っていう壮大な物語を、国民の心にインストールする、国家的なOS開発だったわけです。

三種の神器」っていうアイコンも設定して、他の豪族とは格が違うんだよ、と。

このOSインストールされたことで、列島に住む人々は初めて「俺たち、同じ神様天皇をいただく一つのチームなんだ」っていう意識、つまり日本人」の原型を持つようになった。

そのOSが、庶民レベルまで完全に浸透したのが、江戸時代っていう、超巨大な培養器の中でした。

幕府は、身分制度とか参勤交代で、社会ガチャガチャ動かないようにガッチリ固定する。

そして、外国からの影響をシャットアウトした「鎖国」っていう培養器の中で、浮世絵歌舞伎、お相撲といった、超ドメスティック文化が花開く。

この時代、人々はみんな同じような文化に触れ、同じような価値観を共有してた。

日本人らしさ」っていう、僕らの文化DNAが完成したのが、この江戸時代だったのかもしれません。

でも、その当たり前だった「みんなで見る物語」が、いつの間にか壊れ始めてた。

敵は黒船じゃなく、僕らのポケットに入ってるスマホです。

2000年代インターネットが登場して、僕らはいつでもどこでも情報アクセスできるようになりました。

でもその裏で、僕らの頭の中にはヤバい変化が起きてました。

複雑な問題にあった時、じっくり「どっちが正しいんだろう」と判断するんじゃなくて、手っ取り早く「正解を検索する」というクセがついちゃったんです。

昔は、図書館で本を何冊も比べたり、人に聞いたり、頭を抱えて悩んだりっていう、思考の「摩擦」がありました。

でも、検索エンジンはその面倒なプロセスを全部すっ飛ばして、「答えはこれだよ」って教えてくれる。便利ですよね。

でもそのせいで、僕らの思考筋肉は、確実に衰えていきました。それに、昔はみんなで見てた「お茶の間劇場」も終わっちゃった。

昔は、家族みんなで同じテレビ番組を見て、次の日には学校会社でその話題で盛り上がりましたよね。

良くも悪も、日本中が同じ物語を共有する「お茶の間劇場」があったんです。

でもSNSは、僕ら一人ひとりに「あなただけの快適な世界フィルターバブル)」を用意してくれました。

もう、嫌いな意見や、自分と違う価値観に触れる必要はありません。

その結果、僕らは共通話題を失い、「共有される物語」が生まれる土壌そのものが、なくなっていったんです。

そして、そこにAIがやってきた。これは、社会の分断を決定的なものにする、究極のテクノロジーかもしれません。

AIは、考える人にとっては自分の知性を何倍にも拡張してくれる最強の「翼」になる一方で、考えるのをやめた人にとっては思考筋肉を完全に退化させる快適な「車椅子」にもなる。

この技術は、人類の間に「知的格差」という、とんでもない溝を生み出そうとしています

まるで、あなただけの「マトリックス」へようこそ、とでも言うように、AIあなた以上にあなたのことを理解し、あなたが一番心地よいと感じる「神話」=あなただけの現実を生成してくれます

あなたは、自分の正しさが毎日証明され続ける快適な仮想現実マトリックス)の中で、気持ちよく生きていける。

でもその代償として、違う現実を生きる他人対話する能力を失います。じゃあ、そのマトリックス設計するのは誰か?

それは、AIを使いこなし、大衆が信じ込む「神話」をデザインできる、新しい時代支配者層です。

こうして分断された社会では、かつての「右翼」「左翼」なんていう古い分け方を超えた、新しい「部族トライブ)」が生まれています

参政党やれい新選組、あるいは様々な陰謀論。彼らが熱狂的な支持を集めるのは、イデオロギーがどうこうというより、「腐敗した世界を正すのは我々だ」という、シンプルで強力な物語提供しているからです。

その物語エンジンは、いつだって「俺たちは悪くない。悪いのは特定あいつらだ」という他責主義です。

で、ここからが本題なんです。AIという究極のテクノロジーは、皮肉なことに、僕らを国家が生まれる前の「部族」の時代に連れ戻そうとしている。

ただし、その部族は血や土地ではなく、情報思想でつながる、全く新しいものです。

この螺旋階段の先にあるのは、過酷情報環境に適応した、新しい人類の「進化」の姿なんでしょうか。

それとも、共通現実を失い、協力する能力をなくした、ただの「退化」なんでしょうか。

この記事に、その答えはありません。

ただ、そのとんでもなく重大な問いを、未来を生きる僕ら自身に突きつけて、終わりとしたいと思います

あなたはどう、思いますか?

Permalink |記事への反応(0) | 15:35

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2025-09-03

参政党の躍進が示す新しい「情弱」像

はじめに

情弱」という言葉は、2000年代インターネット掲示板SNSで広まった俗語である。当初は「情報弱者」、すなわちインターネットや最新の情報アクセスできず、世の中の流れから取り残される人を指す揶揄的な言葉であった。しかし令和の現在、「情弱」の意味は大きく変質している。もはや「情報を持たない人」ではなく、「情報を持ちすぎた結果、誤情報に振り回され、自称情報通”として振る舞う人」を指すことが多くなっている。

この変化を端的に示しているのが、近年急速に存在感を増した「参政党」の躍進である参政党は、メディアや大政党とは異なるルート情報発信を行い、インターネットを通じて「自分けが真実を知っている」と感じる人々を惹きつけた。そこには、かつての「知らないことを笑われる情弱」ではなく、「知っているつもりで誤情報支配される情弱」という新たな姿が浮かび上がっている。

本稿では、参政党の事例を手がかりに「情弱」の意味変質を整理し、現代社会における情報と知能の関係考察する。

1.情弱という言葉の原型

情弱という言葉は、もともと「インターネットに不慣れな人」「デジタル機器ITリテラシーが低い人」を指していた。例えばガラケーからスマホへの移行期に「まだガラケーを使っている人は情弱だ」と揶揄されたり、詐欺まがいのチェーンメールを信じて拡散してしまう人を「情弱」と呼んだりする用法典型である

まり情弱は「情報アクセスする環境能力が不足している人」を指しており、彼らは「知らない」「分からない」存在として位置づけられていた。笑われたり馬鹿にされたりする対象ではあったが、裏を返せば「知らないがゆえに誤情報アクセスする機会も少ない」という側面もあった。

2.情弱像の反転

令和に入り、インターネットは誰もが利用する基盤インフラとなった。スマートフォンSNSが普及し、ほとんどの人が大量の情報アクセスできる。ここで「情弱」の意味が反転する。

現代情弱は「情報アクセスできない人」ではなく、「アクセスできすぎるがゆえに取捨選択ができない人」である。彼らはアルゴリズム最適化されたSNSフィードや、陰謀論的なYouTube動画などに触れ続け、バランスを欠いた世界観形成する。そして「テレビ新聞洗脳だ。自分けが真実を知っている」と確信するに至る。

この姿は、かつての「知らない人」とは正反対だ。むしろ「知りすぎている(つもり)」であり、だがその知識偏向し、誤情報に満ちている。ここに情弱という言葉の変質がある。

3.参政党躍進にみる「令和の情弱

参政党は、既存の大政党マスメディアとは異なるアプローチで支持を広げた。街頭演説YouTube拡散し、SNSで「真実を知りたい人」に直接訴えかけたのである。そこでは「学校マスコミが隠している本当の情報」「ワクチンの裏側」「日本が売られている」といった刺激的なフレーズが飛び交った。

参政党を支持する人々の多くは、自らを「目覚めた国民」「情報に強い人」と認識している。しか客観的に見れば、それは誤情報陰謀論に偏った“知識”であり、社会的合意形成科学検証と相容れないケースが多い。

この現象こそ「令和の情弱像」である。彼らは「無知」ではなく「偏った知識の虜」であり、自分の知能を過信しつつ、結果として社会全体の情報リテラシーを下げる役割果たしている。

4.情弱の知能レベルとその構造

ここで注目すべきは、「情弱」と呼ばれる人々の知能レベルである。かつての情弱は、知能が低いわけではなく単にインターネットに不慣れであった。しか現代情弱は、情報吟味する思考能力の欠如、すなわち批判的思考クリティカル・シンキング)の不足 に起因している。

大量の情報に触れながらも、出典を確認しない。反証検討しない。自分に都合のよい情報だけを集めて確信を深める。こうした行動は、単なる「無知」とは異なる。「知能はあるが、その使い方が誤っている」という状態であり、それこそが「現代的な情弱」の本質である

そしてSNSアルゴリズムは、この傾向を増幅させる。彼らがクリックした動画記事は次々と類似コンテンツ提示し、情報バランスさらに崩す。結果として、知識を持っているはずなのに、社会的には「知能の低い人」として扱われるという逆説が生まれる。

5.情弱像の社会的帰結

令和の情弱像が拡大することで、社会はいくつかのリスクが生じる。

1. 分断の拡大

自分世界観に閉じこもり、「自分けが真実を知っている」と考える人々は、他者との対話拒否しがちになる。これは社会的な分断を深め、合意形成を困難にする。

2.民主主義劣化

誤情報を基盤にした政治的選択が増えることで、民主主義の質が低下する。政策論争事実に基づかず、感情陰謀論に左右される。

3.知識社会逆転現象

情報量が増えるほど、むしろ誤情報支配される人が増えるという逆説が生じる。知識社会成熟が、そのまま社会的知能の低下を招く可能性がある。

6. 新しい情弱への対処

いい年してずっとうつむいて小さいスマホの画面ばっか見るのやめろ。スマホを捨てろ。あと、自分が頭悪いって認めて素直に生きろ。

おわりに

かつて「情弱」とは、情報を知らない人の代名詞であった。しかし令和の「情弱」は、情報を持ちながら誤った形で消費し、自らを“情報通”と誤認する人々である参政党の躍進は、この新しい情弱像を可視化した。

我々が直面しているのは「無知」ではなく「誤知」の時代であり、その克服には知能や知識の量ではなく、思考の質を高める努力が求められる。情弱という言葉の変質を正しく捉えることは、現代社会情報環境理解し、より健全民主主義を築くための第一歩なのである

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2025-07-31

俺の考えた最強の政策

スマートガバメント規制行政合理化

1規制総量の抑制と透明化
2行政手続効率

リーファイナンス財政資源最適化

1補助金健全
2税制特例の整理
3予算配分のインセンティブ

オープンソサエティ情報環境と透明化)

1競争健全性の確保
2政策過程の透明化

フェアシェア(税・社会保障制度改革

1シンプルで公平な課税
2資産移転の促進
3 再分配と生活保障

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2025-07-18

日本放送における政治的中立性と情報信頼性に関する考察

レポートは、日本放送における政治的中立性という長年の課題に焦点を当て、その具体的な実態資金源と権力関係性、そしてデジタル時代情報環境の変化がもたらす影響について、多角的考察したものである特に電波公共財産であるという日本特殊放送構造と、それに起因する固有の課題について深く掘り下げるとともに、諸外国の事例やブロックチェーン概念を交え、情報信頼性確保に向けた論点提示する。

放送法における政治的中立性の現状と課題

日本放送法第4条は放送事業者に「政治的に公平であること」を義務付けている。この「公平」の解釈は長年議論の的となっており、現状では量的公平(ある候補者に報じた時間を他の候補者にも同程度割く手法)が広く採用されている。

メリット:
デメリット:

「公平」の多様な解釈

量的公平の他にも、「公平」には以下のような解釈存在する。

資金源が放送政治的中立性に与える影響

日本放送は、受信料運営されるNHK日本放送協会)と、広告料で運営される民間放送に大別され、それぞれ異なる構造課題を抱えている。

民間放送広告主・企業献金の影響

民間放送広告収入依存するため、以下のような形で政治的中立性が脅かされる懸念がある。

NHK政治との関係

NHK受信料運営されるため広告からの直接の影響を受けない一方で、政治との根深関係性が指摘される。

透明性確保と国民監視国内外の取り組みとブロックチェーン示唆

ガバナンスの強化や透明性の確保は、国民監視が伴って初めて実効性を発揮する。日本政治資金問題が示すように、監視の目がなければ問題放置されうる。

外国における取り組み

他国では、政治資金の透明性確保やメディア独立性確保のために様々な制度アプローチが試みられている。

政治資金の透明性:
メディアガバナンス独立性:
ブロックチェーン概念から示唆

ブロックチェーン概念は、情報の透明性と改ざん困難性という点で、政治資金メディア報道における情報信頼性確保の可能性を秘めている。

モチベーション非対称性」という本質的課題

最大の課題は、「フェイクを流すことで利益を得ようとするモチベーション」が、「正しい情報環境を守ろうとするモチベーション」よりも往々にして高いという点であるセンセーショナルフェイクニュースは速く拡散する(ベロシティが高い)のに対し、事実確認や訂正は時間と労力がかかる(ベロシティが低い)。このモチベーション非対称性が、健全情報環境の維持を困難にしている。

結論

日本放送における政治的中立性確保は、放送法の解釈資金源、そして政治との構造的な関係性という複数レイヤー課題を抱えている。諸外国の取り組みやブロックチェーンのような技術解決策は参考になるものの、それらはあくまツールに過ぎない。

最終的に、健全情報環境民主主義を維持するためには、国民一人ひとりのメディアリテラシーの向上、そして政治メディアに対して不透明な部分を批判的に検証し、声を上げていく「不断努力による監視」が不可欠である技術人間努力が組み合わさって初めて、情報信頼性担保される社会が実現されるだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 22:48

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2025-07-04

一般論」という地雷

日頃からモヤっとしていたもの言語化たかった。

匿名場所で吐き出したかっただけなのであまり整えていない。

もしこの先を読もうとしてくれる人がいたら、配慮できず申し訳ない。

 

一般論という地雷

一般論」のようなものを書くときが一番気を遣う。なぜなら、一般論は「それに当てはまらない人」すべてから、強い反発を受ける可能性を常にはらんでいるかである

 

このような現象は、今日ネット空間においてはすでに常識の域に達している。特にSNSコメント欄といった即時的な反応が促される場では、発言の一部だけが切り取られ、発信者意図とは異なる文脈拡散されることも少なくない。そうして「私は違う」「そんなのは偏見だ」といった反応が真っ先に表面化する。そこでは、「一部の人にとって事実であること」が、「すべての人に当てはまらいから間違っている」と見なされてしまう。こうした言説空間では、冷静な議論はしばしば感情応酬へとすり替わり、対話の地平は閉ざされてしまう。

 

言葉が歪められる時代の背景

このような反応が広がる背景には、いくつかの社会的技術的要因が複合的に存在している。第一に、現代社会においては、SNSを中心とした短文型のコミュニケーションが主流となったことで、複雑な文脈や前提条件を丁寧に伝えることが難しくなっている。限られた文字数の中では、言葉の含意や立場の違い、推論の過程などをすべて明示することは困難である。その結果、受け手側は自分の都合や経験に照らして、発言意味解釈するようになってしまう。

 

加えて、即座に反応しなければ「遅れている」と感じさせられる風潮も、言葉の受け取り方に浅薄さを加える一因となっている。深く考えるよりも、反射的に「いいね」や「怒り」を表明することのほうが求められる空気の中では、言葉の精密な意味論理性は後回しにされがちである

 

社会構造心理がもたらす“過敏な受け手”の誕生

さらに言えば、現代における情報環境の変化によって、「共通の前提」が失われつつあることも無視できない。かつては学校教育テレビといった、ある程度共有された価値観情報源存在していた。だが現在では、誰もが自分に合ったメディアだけを選び、異なる前提のもとで世界理解するようになっている。結果として、同じ言葉でもその受け止め方に大きなズレが生まれ、誤解や摩擦の温床となっている。

 

また、「私は傷ついた」という表明が道徳的に優位に立つ場面が増えたことも、言葉のやりとりを過敏化させる要因の一つである。「被害者」として名乗りを上げることで、発言者を「加害者」として位置づける構図は、実際の言葉意図とは関係なく、感情的な正当性を発揮することがある。とりわけSNSにおいては、こうした感情の発露が共感賛同を集める手段としても機能しており、結果として冷静な言語理解が後退する傾向にある。

 

日本社会には、「揚げ足取り」を一種の娯楽として消費する文化も根強く存在している。文脈無視して表現の一部を切り取り、そこに「失言」や「差別」を読み取る行為は、しばしば「バズ」として拡散される。その延長線上では、発言者は発言のものを避けるようになり、「誤解されないこと」や「無難であること」が最優先されるようになる。

 

さらに、近年指摘されている若年層の「読解力」の低下も深刻である国際学調査などでは、日本学生の「文脈把握力」や「推論能力」が低下傾向にあるという報告がなされており(2022年調査では読解力に回復の傾向が見られるという結果はある)、それが「言葉意図を正しく読み取る」という基本的リテラシー障害となっている。加えて、ポリティカル・コレクトネスへの過剰な配慮や、道徳的潔癖主義によって「誰も傷つかない言葉」ばかりが優遇される風潮も、発言自由を静かに蝕んでいる。

 

「私は違う」から始まる反発と議論の停止

このような空気の中で、「最近の若者は〜」という言い回しを使おうものなら、たとえ文脈社会的傾向の分析であっても、「若者全体を一括りにしている」という批判が即座に返ってくる。「誰もがそうだと言っているわけではない」という前提が共有されないまま、「自分には当てはまらいか無効である」とする反応が横行している。

 

このことは、言葉意味が「辞書的な定義」ではなく、「自分がどう感じたか」によって決定されつつあることを示している。すなわち、意味のものよりも、「その言葉自分立場に合っているか」「不快感を覚えたか」が優先される。そして、こうした傾向が加速すると、発言者の意図とはかけ離れた解釈が生まれ議論感情応酬へと変質する。

 

たとえ統計事実に基づいた分析であっても、「私は違う」と感じた受け手によって攻撃対象になる。その結果、誰もが「叩かれないための言葉選び」をするようになり、言論空間ますます萎縮していく。

 

言葉を歪めずに受け取る力こそ、現代の最重要リテラシーである

私たちは今、意味よりも「印象」が重視され、論理よりも「感情」が優先される言語空間の中に生きている。そこで言葉は、もはや伝達の道具というより、誤解や攻撃の引き金として機能しがちである。発信者と受信者あいだに共通の前提が欠けたまま、断片的な言葉拡散され、真意とは異なる文脈で消費される。そしてその結果として、言論は萎縮し、対話可能性が奪われていく。

 

このような状況において必要なのは、「傷つけない言葉」でも「反論されない表現」でもない。むしろ必要なのは、「誤解される前提を踏まえたうえで、正しく伝える努力」であり、そして「相手言葉の背後にある意図文脈を受け取ろうとする想像力である

 

言葉本質は、他者との理解可能にする架け橋にある。だが、もしその架け橋を、各自自分立場からのみ眺め、相手の地形を見ようとしなければ、橋はつながらない。今求められているのは、自分の「正しさ」を証明するために言葉を使うことではなく、異なる価値観の中にある他者と、最低限の共通基盤を模索する態度である

 

歪曲されにくい表現とは

とはいえ、こうした現状を嘆くだけでは建設とはいえない。発信者の側にも、「歪曲されにくい伝え方」への工夫が求められている。言葉は常に誤解のリスクを伴うからこそ、意図をできるだけ正確に伝えるための技術必要とされる。

 

まず重要なのは、「全体」と「一部」とを明確に区別する姿勢である。たとえば「人は○○する」といった言い回し一般化の度が過ぎる印象を与えがちであるが、「一部の人には○○する傾向が見られる」と述べることで、誤解の余地を大幅に減らすことができる。

 

また、「主観」と「事実」を明確に分ける工夫も有効である。「○○できる人は素晴らしい」と断定するのではなく、「私は○○できる人に尊敬の念を抱いている」と表現すれば、個人価値観として多少受け取られやすくなる。

 

さらに、評価的な言葉を使う際には、その裏側を補足することが重要だ。「○○できることは魅力の一つだと思いますが、それがすべてではありません」といった言い回しを用いれば、他を否定しているという印象を与えずにすむ。

 

加えて、あらかじめ「例外存在」を認めておくことも有効手段である。「もちろん例外もありますが、全体的には〜」と一文を添えるだけで、多くの批判を未然に防ぐことが可能となる。

 

他にも、「構造的な話」と「個人の話」とを明確に切り分ける、「自分立場視点」を明示する、さらには「断定を避け、開かれた言い回しで結ぶ」といった工夫もまた、誤解されにくい文章表現一助となるだろう。

 

もっとも、どれだけ言葉を尽くし、慎重に表現を選んだとしても、意図的に曲解したり、感情的に反応する人が存在するのもまた現実である。誤解を完全に防ぐことはできない以上、伝え手は「伝える努力」を重ねると同時に、すべての反応に過剰に萎縮しすぎない心構えも求められる。

 

誤解を防ぐ知性が、言葉自由を取り戻す

結局のところ、言葉もつ本来の力を活かすためには、「発信の技術」と「受信の姿勢」の双方が不可欠である。「誤解されるリスクゼロにする言葉」など存在しないが、それを減らす工夫はできるし、誤解を恐れずに語るための勇気責任感もまた、育てていくことができる。

 

そして何より、「自分がどう感じたか」ではなく、「相手が何を伝えたかったのか」を想像する力。これこそが、複雑で断片化した社会における対話の礎であり、今後ますます求められる現代的な知性の一つである

 

言葉自由とは、好き勝手に語ることではない。「伝えようとする意志」と「受け取ろうとする努力」が出会場所にこそ、その自由は育まれる。だからこそ、私たちは互いに知性と誠意をもって、言葉に向き合っていく必要があるのだ。

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2025-05-03

アテンションエコノミー情弱ビジネスノイズシグナルと合理性、などを総合すると経済物理に行き着くと思う

1.アテンションエコノミー
2.情弱ビジネス情報格差商法
3.ノイズシグナル:情報理論との架橋

合理性エネルギー最適化問題

人間合理性は「完全情報下の最適選択」ではなく、計算コスト情報ノイズエントロピーを含めた「局所的最小エネルギー解」としての合理性

この観点から選択とは熱的拡散過程に似ており、集団としての経済行動は「エントロピー増大の法則」に従って分布する。

アテンション情報の偏り、感情的反応、バイアス、すべてがランダムウォーク的な非線形ダイナミクスであり、経済物理学が極めて有効機能する領域

なぜ経済物理に行き着くのか

人間が複雑な情報環境の中で不完全な知識を持ち、限られた注意資源のもとで選択をする。 それは統計力学が得意とする「不確実な粒子の集団挙動」を彷彿とさせる。

まり経済はもはや「合理的個人の集積」ではなく、「エネルギー情報相互作用による秩序形成の場」と見るのが自然

ここに、複雑系科学経済物理が台頭する理由があります

Permalink |記事への反応(0) | 07:15

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2025-04-30

anond:20250430124345

この視点は、エリート層が経済情報環境をどう捉えているかについての冷徹分析として興味深いです。要点を整理すると以下のようになります

1. 「馬鹿」=非合理的な行動主体

経済において非合理的消費者(例:流行に踊らされる、広告に煽られて無駄遣いする)が存在することで、経済フロー(消費活動市場活性化)が生まれている。

2. 「シグナルだけ」=真実情報に基づく行動

仮にすべての人が合理的判断だけをし始めたら、無駄な消費が減り、経済活動が縮小・硬直化するリスクがある。つまり、「馬鹿さ」は経済潤滑油であり、ノイズフローを生む。

3.エリート情報独占構造

一部の知的エリート層は、この構造理解した上で「真実情報」を囲い込み、一般大衆にはノイズ広告、バズ、ミームなど)を与えて踊らせることで、フロー供給源として維持する。

 

この種の構造は、情報経済ポストモダン資本主義社会における「情報の非対称性」と深く関係しています。また、行動経済学的にも支持される部分があり、完全合理性が必ずしも全体最適をもたらすとは限らないという含意も含まれています

ただし、この構造には倫理的問題もあります情報の非対称性を前提にした支配構造が続く限り、格差や不平等構造的に温存されるため、社会的緊張や反動を生む可能性も無視できません。

この視点に対して、あなた自身はどう感じますか?

Permalink |記事への反応(0) | 12:45

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2025-02-24

増山議員分析

オールドメディア批判者の危うさ

検証の甘さと自己矛盾

オールドメディア批判する際、時としてその批判が十分な裏付け検証を伴わない場合がある。結果として、批判自身情報の正確性を確認せず、一方的見解に陥る危険性があり、場合によっては自身が誤った情報拡散することにつながる。

偏った視点と極端な二元論

オールドメディアに対する批判が過度に感情的または単純化された視点に基づいていると、複雑な問題を白黒で判断する傾向が強まる。このため、情報多様性ニュアンスが失われ、対立を深めたり、極端な立場に引き込まれリスクが生じる。

メディアリテラシーの不足

批判する側が十分なメディアリテラシーを持たない場合オールドメディア問題点を理解するどころか、信頼性の低い代替情報源に依存することになりかねない。これにより、全体としての情報環境がより混乱し、どの情報を信じるべきかの判断が難しくなる。

建設議論の阻害

一方的批判は、オールドメディアに対する改善要求健全議論の場を阻害する場合がある。批判ばかりが強調されると、問題点の本質解決策を議論する余地が狭まり、結果として情報環境全体の質の向上につながりにくくなる恐れがある。

このように、オールドメディア批判する人々には、自らの情報源や見解裏付けを十分に行い、偏りのないバランスの取れた視点を持つことが求められる。批判感情的な反発や単純化された論調に終始すると、誤情報拡散対立の激化を招き、健全情報環境を損なうリスクがあるため、注意が必要である

Permalink |記事への反応(0) | 21:35

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2025-02-08

民主主義終焉 情報環境の変化がもたらす未来

民主主義は長年にわたり、多くの国で採用されてきた政治体制ですが、近年その存続が危ぶまれています

その背景には、スマートフォンSNSの急速な普及があります

民主主義が成立する条件とは?

民主主義機能するためには、いくつかの重要な前提があります

知識経験を持つ人々が政策決定に関与する
市民公共利益考慮し、合理的判断を行う
健全情報環境責任ある報道が確保されている

しかし、近年これらの前提が崩れつつあります

スマートフォンSNSがもたらした変化

専門家一般市民境界曖昧

かつては、政治社会問題についての議論専門家が主導し、一般市民はその知見を基に意思決定を行う構造がありました。

しかし、スマートフォンSNSの普及により、誰でも自由に発信し、多くの人が政治的な意見を持つようになりました。

その結果、知識経験の有無に関係なく、あらゆる意見が同等の価値を持つようになり、専門家見解が軽視される傾向が生じています

感情的情報拡散議論の困難化

SNSアルゴリズムは、感情を刺激するコンテンツを優先的に拡散させる傾向があります

冷静で論理的議論よりも、扇動的感情的発言の方が多くの人の関心を引くため、公共議論の質が低下しやすくなります

結果として、社会全体が合理的政策決定よりも、短絡的で感情的意思決定をしやす環境になっています

フェイクニュース情報環境悪化

SNSの登場により、信頼性の低い情報が容易に拡散するようになりました。

従来のマスメディア一定審査を経た情報提供していましたが、SNSでは事実確認が不十分な情報が瞬時に広まり市民が誤った情報に基づいて判断を下すリスクが高まっています

衆愚政治」のリスク

大衆知識層が情報発信の場において対等に扱われるようになったことで、民主主義の根幹が揺らいでいます

民主主義の基本原則は「多数決」にありますが、多数決において「数の多い意見」が必ずしも合理的とは限らない状況が生まれています

感情的意見が支持を集めると、長期的な国家戦略よりも短期的な人気取り政策が優先されるようになります

これは、古代ギリシャの「衆愚政治」の再来とも言えるでしょう。

民主主義崩壊に向かうのか

この状況を打開し、民主主義を維持するためには、以下の対策必要です。

フェイクニュースを防ぐためのメディアリテラシーの向上
選挙制度見直し(例:一定教育要件を設けるなど)
公共議論の質を向上させるための環境整備

しかし、これらの対策が実現する可能性は低いと言わざるを得ません。

フェイクニュース拡散を抑える仕組みは、言論の自由対立し、多くの国で実施が困難です。

また、選挙制度改革既存政治システム対立し、強い抵抗を受けるでしょう。

さらに、社会全体で理性的議論を重視する文化を育むには、長い時間必要ですが、現代スピード感のある情報社会ではむしろ逆方向へ進んでいるように見えます

おわりに

スマートフォンSNSの影響により、民主主義ルールは大きく変化しています

しかし、社会はすでに「衆愚政治」の段階に入りつつあり、民主主義本来の形で機能し続けることは難しくなってきています

かつて、古代アテネ衆愚政治によって内部から瓦解し、ローマ共和国ポピュリズム権力の集中によって帝政へと移行しました。

現代民主主義例外ではなく、私たちはいずれ、それに代わる新しい政治体制誕生を目の当たりにすることになるかもしれません。

Permalink |記事への反応(0) | 07:45

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2025-01-13

この文章はAIを使って生成された可能性が高いと言えます。

以下の観点から分析と指摘を行います

1. 過剰に詳細な描写

文中の状況描写が非常に具体的であり、特に情景や心理描写が過剰なほど詳しい点が見受けられます。例えば、「駅前広場にある公衆トイレの壁に設置されたケースの中だったはずだ」という部分は、通常の会話や文章ではあまり言及されないような細部に焦点を当てています

また、心理的な葛藤内省描写冗長で、個人日記エッセイにしては「読者への説明」を強く意識しているように感じられます

2.構造的な整合性

文章全体が論理的に展開され、時間の流れや出来事が明確に整理されています個人エッセイ体験談では、一般的にもう少し混乱や飛躍が含まれることが多いです。

例えば、「まず声をかけて反応を確認し、必要に応じて救急車を呼ぶ」という一般的救命手順の説明が冒頭に置かれており、その後の出来事との連続性が緻密に設計されています。これはAIモデルが得意とする「テンプレート的な文章構築」の特徴と言えます

3.ニュートラルトー

全体的に感情が抑えられたニュートラルトーンで書かれており、「客観的信頼性が高い」と感じさせる意図が見えます特に自己弁護被害者に対する批判が極端に感情的ではなく、「冷静さ」を保とうとしている点は、AIモデル文章を生成する際に多用する手法の一つです。

4. 汎用的テーマの取り上げ方

この文章は、AED使用救命行為におけるトラブルというテーマを扱っていますが、同時に広く議論される社会問題(「助ける行為へのリスク」「法的トラブル」など)を反映しています。このようなテーマAIが事前学習データから容易に取り出し、適切に組み合わせて生成することが可能です。

5. 一貫した文体

文体が一貫しており、どの段落も異なる表現視点ではなく、統一された書き方になっています。これもAIが生成する文章典型的な特徴であり、人間文章では多くの場合感情や状況によって文体が変化します。

具体的なAI生成の可能性を示す部分

以下は、AI生成の痕跡が感じられる具体的な箇所です:

全体をAI生成らしく感じさせるポイントのまとめ

このような特徴が合わさることで、文章全体がAIが生成した可能性を示唆しています

AIによるフィクション事実を装って流布されることには以下の問題点があります

こうした問題が重なると、情報環境が混乱し、冷静な議論意思決定が困難になる恐れがあります

Permalink |記事への反応(0) | 20:44

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2024-12-10

正しい民主主義

意思決定権利有権者にあり、意思決定の結果は絶対的に正しいものである

この世に絶対に正しい真なるものがないと思ったら大間違いだ。意思決定絶対的に正しいものなのである

私はこれをメディア報道問題に触発されて考えた。

例えば斎藤知事の再選について、アンチの方が言うのが、SNSにはデマも多く、斎藤信者and支持者はそのデマ情報に影響されて投票行動をしたという「アンチ型の紋切型の固定観念」だ。

だが、例えばアンチテレビメディアに影響を受けた人物だとすれば、これもまたテレビの発するデマ(偏向・『偏情』報道)を信用していたがために、アンチ行動に走っている者だという事になる。

何が言いたいかといえば、どちらも共通点自分では意思決定をしたと思い込んでいるが(何かある否認すべき)メディア情報に乗せられている典型的人物像だという事だ。

だが、この主張自体問題点があって、それはそれがどちらであるにせよ主張者の想像上の話でしかないという事だ。メディアに現れた結果に対する解釈しかない。

しかし、実際の民意はそんな所で動くのでは無い。メディア情報事実だろうがフェイクだろうが、その情報を元に判断をするのは有権者である情報の信ぴょう性を判定する訳でも、与えられた情報により何かを選択する訳でもなく、有権者自身がそうした情報環境の中で意思決定をする。

何が正しいか考えた結果が常に意思決定の答えである。それなら間違える事はあるだろうか?無い。無いと断じて言おう。ここに信を置かないことが間違いで不信の始まりである。それにそのプロセスは永続的に展開するのだ。

から、間違いなんてものもなく、正しいものがあるなんて事もない。存在するのは常に疑問と肯定だ。

この基本状態をまず徹底的に民主主義者の腹の底まで沁みつけること。

会話はそれからよくやく成り立つ。

この成人たちの政治的意思決定方法現在民主主義形式を用いている(他の方法でも構わないが、これは神の用意した器みたいなもので変えられず、変えることに意味がない公式的なもの自然の変動により変化する。)とすれば。

そう、目的方法千差万別に依らず原理的に一つであり、同じなのだ

それは意思決定である。究極根底的、そして普遍的意思決定プロセス自体目的であり、常に意思決定は下される。意思決定永劫回帰人類的な目的であって、社会的な各制度はその都度の決定の方便たるに過ぎない。

から、何にせよ肯定であるはずの意思決定の結果を、その意思決定性の時点から否定すると反発が生まれる。それは人格否定と同等だからだ。

それを前述の考えは犯している。もしメディアが反感を生んでいるとすれば、そのような態度を取ってはいやしないだろうか。

特定の方向に何かを引っ張ろうとしたり誘導したりするような事は役割とも違えば、健全世論形成寄与する目的に適った事でもないのだと思う。

Permalink |記事への反応(0) | 04:28

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2024-11-14

兵庫県知事選挙がどんな結果でもも県民を責めないで欲しい

もうしんどい

兵庫県民。選挙権を得てまだ数年。今までの選挙は行けるだけ行っている(正直、うっかり忘れはある すまない でも政治に興味を持つようにしています

兵庫県知事選にもちゃんといくつもり。選挙演説も通りすがったらちょっぴり聞いてみたりした。できる範囲でではあるけど、情報収集もしている。

ももしんどい。全ての視点から意見情報が、すべて同時に入ってくる。


斎藤知事パワハラ告発で降ろされて。

陰謀論じみた斉藤知事擁護論サクラ使ってそうな元知事密着動画?が流れてきて。

かと思ったら演説大盛況な画像が流れてきて。

気付いたら「斉藤知事ははめられている」「利権にとって邪魔から落とされたんだ」みたいな擁護意見陰謀論では収まらいくらいに増えていて。

かと思えばやっぱり斉藤知事パワハラで人を死に追い込んだんだからみたいな話が流れてきて。

そしたら兵庫県市長何人かの連名で斉藤知事不支持宣言みたいなのが出て。

それにもまた擁護批判があって。



ちゃん選挙に挑もうと思っていろんな意見を見ようとした結果、どの意見絶妙に信頼できないまま、挙げ句の果てには兵庫県民ではなさそうな人間による「斉藤知事批判/擁護意見、間に受けるバカいんの?」みたいな冷笑すら流れてくる。



何これ?

今回事情事情から政策と同じくらい各人の過去言動にフィーチャーせざるを得ないのはまあ仕方ないとして、もう兵庫県民を超えた紅白合戦みたいになってて、メディアスクープばかりで

誰も信頼できないまま情報けが増えていく

野次馬総動員ですでに斉藤vs稲村みたいな構図でキャッキャしてんのもおかしいし

もう疲れた



どうせインターネットのお前らはさ

結局誰が知事になってもカスみたいな政策とか、裏の黒い交流関係とか、その他諸々知事やってるうちに出た粗を見て

「こいつ選んだ兵庫県民アホすぎwww

って言うんじゃん


こっちがどんな情報環境で生きてるかも知らない結果論でさ

どのメディアイマイチ信頼できない現代日本

全ての視点意見平等温度で流れてくる環境

うどん馬鹿げた情報も当価値に見えてくるんです

そんな環境の渦中で自分なりの答えを決めたこともないやつが「兵庫県民は冷静に考えて、投票してほしい」なんて言わないでくれ



兵庫県民 頑張ろうね 私は選挙率がクソ低いこの日本で票を投じたというだけで価値があると思うし、お前がお前なりの理由で投じた票を、どんな理由があっても馬鹿にしないよ


それ以外の人間 兵庫県民じゃなくてよかったね

もうお願いだから外野の分際でどっちが正解だとかなんだとか言わず黙っててくれないか

日本メディアがよほど信頼を取り戻さない限り、私たちにはもう信じられる情報なんてどこにもないんだよ

うちの県政を、県民意見を、おもちゃにも晒しものにもしないでくれ

Permalink |記事への反応(5) | 23:18

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2024-08-04

東浩紀

東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀特別存在であった。これは今の若い人には分からいであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からいかである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別にインターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀堀江貴文ホリエモン)、西村博之ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのであるファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。

私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたもの網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信ほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレ古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。

1 批評空間

東浩紀は71年5月9日まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介時代区分だと、虚構時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。

東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親金沢出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼新左翼左翼よりバカ!」【真実幻想と】)。

東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。

筑駒筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブ高井麻巳子福井県実家訪問したことであろうか。秋元康結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代うる星やつらファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。

もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。

東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月であるソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫ノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。

東は、教養課程では、佐藤誠三郎ゼミ所属していた。佐藤村上泰亮公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文グロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤ゼミ所属していたこから学部時代に読んだのだろう。

東は94年3月東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科を卒業し、同4月東京大学大学総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文バフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである私たち世代は三読くらいしたものである博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。

郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッター清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。

東の若いころの友達阿部和重がいる。阿部ゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイ寄稿している。川上早稲田文学市川真人によって見出されたらしく、市川渡辺直己の直弟子である市川鼎談現代日本批評」にも参加している。

東は、翻訳家小鷹信光の娘で、作家ほしおさなえ1964年まれ)と結婚した。7歳年上である不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー東浩紀批評家が中小企業経営するということ」アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。

そして娘の汐音ちゃん生まれる。汐音ちゃん2005年6月6日まれであるウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれ時間まで書かれている。名前クラナドの「汐」と胎児聴診器心音ちゃんから取ったらしい。ツイッターアイコンに汐音ちゃん写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End ofthe World - 73 Questions We MustAnswer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。

96年、コロンビア大学大学入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試残酷なのは、それが受験生合格不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生家族に対し「おまえの未来合格不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。

2 ゼロ年代

東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である

東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だからサブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。

「いま批評場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。

動ポモ10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモフェミニストには評判が悪いようである北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモ英訳されている(Otaku:Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客哲学」が3つと動ポモが圧倒的である2024年8月3日閲覧)。動ポモ海外論文でもよく引用されているらしい。

次の主著であるゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。

この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラ告発されたこともあるが、不発に終わったようである結婚して子供もできて幸せらしい。

その頃は2ちゃんねるネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃん俎上に載せている。北田は「広告都市東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーション接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析古典ではある。

東は宮台真司大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本ジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。

宮台や大澤や北田はいずれもルーマンであるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者馬場靖雄2021年逝去)は批評空間に連載されていた頃から存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文正義門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマン社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。

佐々木敦ニッポン思想」(2009年)によると、ゼロ年代思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義日本現代思想ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダンとは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。

佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代思想土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。

北田によると、東の「情報技術公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。

佐々木ニッポン思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝ストリート思想」が出ている。文化左翼歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代佐々木命名から勢いが増していき、今や大学メディア大企業裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会包摂」(2021年教育Permalink |記事への反応(13) | 17:44

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2024-07-17

95年生まれネット環境オタク文化資本

俺は95年生まれだが、中学時代前後自分ネット環境を振り返ると、まだまだ制約が多かったように思う。

これは大いに個人差があると思うが、俺の場合、高2で自分パソコンを貰えるまでネットは親と共用だった。

学校友達の影響で中2でオタク文化に触れるようになったものの、そのような環境では厳しいものがあった。

ちなみに自分の部屋にテレビもなく深夜アニメは共用のレコーダーで録画するしかなかった(結構恥ずかしかった)。

制約された環境のなかで何を見ていたかというと、アニメ公式サイトや2chまとめサイトyoutubeエロサイトだ。

2chまとめはアニメ系の「今日もやられやく」、youtube東方の音MADおもしろフラッシュ系(スネ夫探偵事務所とか)。エロサイト外人ヌードサイトや「裏アゲサゲ」とか見てたかな。親のいない昼間~夕方にかけてこっそり見るのが楽しみだった。

本家2chは怖いイメージがあったから近寄らなかったし、ニコニコ登録必要だったから見なかった。エロサイトも深くは入り込まなかった。そんなだから割れゲーム改造もやらなかった。親のパソコンということもあって、割と無難な感じのサイトしか見てなかったと思う。

俺は兄貴もいなかったし学校友達も少なかったから同世代オタクと比べて知識は乏しかったはずだ。

のちに自分ネット環境を手に入れて、同世代オタクたちの姿が見えてくると、自分との情報環境の差にびっくりする。

中学生、早けりゃ小学生から2chに書き込んだり、ニコニコ動画上げたり生主やったり、割れや改造をしたりと、明らかに文化資本の差を感じた。

こういう奴らは上に兄弟がいたり、子供のころからパソコン携帯を買い与えられていたのだろう。

今でこそ、ネットは万人が当たり前のように使っているが、俺の時代ではまだ居間学校しか使えない連中もいたのだ。

豊かな情報環境にいる今の小中学生たちは昔よりもオタク文化資本豊富だと思う。

ただ、俺は制約の多かった環境不自由をしたから今の若い奴らが羨ましく思う一方で、ネットリアル境界が取り払われ、常にネット世界に身を置いていなければならない「逃げ場のない」社会人格形成期を過ごさずに済んでよかったとも思う。

俺よりもう2,3個下になると小中学生ネットに触れるのが当たり前の世代だろうから、95年生まれの子時代インターネット世界を覆う過渡期だったんじゃないか

自分経験からしかないが、そう思う。     

Permalink |記事への反応(1) | 08:29

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2024-06-17

https://anond.hatelabo.jp/20240614205200タグ付けソースつづき

文字数制限かなんかで途中で切れる……

2003年 (第8巻)11月 特集食の安全安心環境
2003年 (第8巻) 4月 特集学術の再点検  ―ジェンダー視点から(2)ジェンダー
2003年 (第8巻) 1月 特集日本計画 Japan Perspective社会
2003年 (第8巻) 5月 特集地域生活安全保障社会
2003年 (第8巻) 6月 特集:ITによる科学能力開発国際会議情報
2004年 (第9巻) 2月 特集こころ科学する医療人間
2004年 (第9巻) 5月 特集:持続可能社会のための科学技術に関する国際会議2003 -エネルギーと持続可能社会のための科学エネルギー
2004年 (第9巻) 1月 ●学術会議は考える学術教育
2004年 (第9巻) 3月 ●「日本学術会議法の一部を改正する法律案」について学術教育
2004年 (第9巻) 6月 ●日本学術会議法の改正によせて学術教育
2004年 (第9巻) 8月 特集科学する心を育てる学術教育
2004年 (第9巻)10月 特集科学ジャーナリズムの進展のために学術教育
2004年 (第9巻)12月 特集日本学術会議第143回総会について学術教育
2004年 (第9巻)特集:第4回アジア学術会議(SCA)学術教育
2004年 (第9巻) 特集日本学術会議主催公開講演会学術教育
2004年 (第9巻) 科学技術への理解共感を醸成するために学術教育
2004年 (第9巻) 特集日本学術会議第142回総会 新生日本学術会議の在り方学術教育
2004年 (第9巻) 特集科学技術政策の在り方学術教育
2004年 (第9巻) 特集:高度専門職教育日本社会学術教育
2004年 (第9巻) 特集科学責任所在学術教育
2004年 (第9巻) 9月 特集日本学術会議から農林水産大臣への答申  地球環境人間生活にかかわる水産業及び漁村多面的機能の内容及び評価について環境
2004年 (第9巻)11月 特集都市生活環境を考える環境
2004年 (第9巻) 4月 特集学術の再点検 -ジェンダー視点から(その3)-ジェンダー
2004年 (第9巻) 7月 特集人口減少社会パースペクティブ社会
2004年 (第9巻) 特集科学国境歴史政治・国際
2005年 (第10巻) 5月 特集国境を越える生殖医療と法医療人間
2005年 (第10巻) 1月 ●学術会議は考える学術教育
2005年 (第10巻) 6月 特集日本学術会議第144回総会について学術教育
2005年 (第10巻) 7月 特集:今、教養教育を考える学術教育
2005年 (第10巻) 8月 特集21世紀学術における横断型基幹科学技術役割学術教育
2005年 (第10巻)10月 特集日本学術会議第145回総会学術教育
2005年 (第10巻)11月 特集日本学術会議20始動学術教育
2005年 (第10巻)12月 特集:第146回日本学術会議総会 日本学術会議新体制スタート学術教育
2005年 (第10巻) 特集:第19期の活動を振り返って学術教育
2005年 (第10巻) 特集新日本学術会議における人文・社会科学系の活動について学術教育
2005年 (第10巻) 2月 特集大陸棚画定を考える環境
2005年 (第10巻) 特集自然災害災害
2005年 (第10巻) 4月 特集:どこまで進んだ男女共同参画ジェンダー
2005年 (第10巻) 特集犯罪科学する社会
2005年 (第10巻) 特集:事例を中心に見る統計科学現代価値情報
2005年 (第10巻) 特集学術研究個人情報情報
2005年 (第10巻) 9月 特集人間宇宙物理
2005年 (第10巻) 3月 特集:持続可能社会のための科学技術に関する国際会議2004 ―アジアの巨大都市地球の持続可能性―歴史政治・国際
2005年 (第10巻) 特集:第5回アジア学術会議(SCA)歴史政治・国際
2006年 (第11巻) 5月 特集ライフスタイル健康医療人間
2006年 (第11巻) 6月 特集:終末期医療 ─医療倫理・法の現段階─医療人間
2006年 (第11巻) 8月 特集臨床医学研究の発展のために医療人間
2006年 (第11巻)10月 特集スポーツ科学医療人間
2006年 (第11巻)12月 特集科学技術イノベーション学術学術教育
2006年 (第11巻) 1月 特別座談会科学コミュニティーとしての新たなミッションを考える学術教育
2006年 (第11巻) 2月 特集新世代が変える日本学術会議学術教育
2006年 (第11巻) 4月 特集日本学術会議第147回臨時総会学術教育
2006年 (第11巻)11月 特集日本学術会議新体制 ─日本学術会議第149回総会─学術教育
2006年 (第11巻) 特集座談会:「科学上のミスコンダクト」学術教育
2006年 (第11巻) 特集 シンポジウム:「技術者の倫理社会システム学術教育
2006年 (第11巻) 特集新世代が変える日本学術会議(続編)学術教育
2006年 (第11巻) 特集日本学術会議改革ヘの軌跡と課題学術教育
2006年 (第11巻) 特集日本学術会議第148回総会学術教育
2006年 (第11巻) 9月 特集海洋生物学の新たな時代環境
2006年 (第11巻) 特集環境教育環境
2006年 (第11巻) 3月 特集男女共同参画の一層の推進に向けてジェンダー
2006年 (第11巻) 特集ジェンダー学と生物学対話ジェンダー
2006年 (第11巻) 7月 特集公共性ルネッサンス ─21世紀市民社会を考える─社会
2006年 (第11巻) 特集統計から見た日本経済格差社会
2007年 (第12巻) 5月 特集医療崩壊させないために医療人間
2007年 (第12巻)12月 特集保健医療と個人情報保護医療人間
2007年 (第12巻) 特集社会福祉教育近未来医療人間
2007年 (第12巻) 特別講演:寄生動物国民及び政策感染症ミレニアム開発目標 / ロバート・メイ卿医療人間
2007年 (第12巻) 特集化学今日から明日へ化学生物
2007年 (第12巻) 1月 特集科学者の行動規範学術教育
2007年 (第12巻) 2月 特集博物館が危ない!美術館が危ない!学術教育
2007年 (第12巻) 9月 特集:第7回アジア学術会議学術教育
2007年 (第12巻) 特集:学協会機能強化のための調査学術教育
2007年 (第12巻) 特集日本学術会議第150回総会学術教育
2007年 (第12巻) 7月 特集:脱温暖化社会へのチャレンジ環境
2007年 (第12巻) 特集子どもを元気にする環境とは ─政策の現状と評価こども
2007年 (第12巻)11月 特集自然災害軽減に向けてパラダイムの変換を災害
2007年 (第12巻) 6月 特集地域研究最前線 ─知の創成─社会
2007年 (第12巻) 8月 特集:法的制度としての私と公をめぐって社会
2007年 (第12巻) 特集21世紀における生活科学役割社会
2007年 (第12巻) 4月 特集:人文社会科学役割責任人文
2007年 (第12巻) 特集物理学の今日から明日へ物理
2007年 (第12巻) 3月 特集歴史としての戦後思想としての戦後歴史政治・国際
2007年 (第12巻)10月 特集中国東アジア科学技術と持続的社会歴史政治・国際
2007年 (第12巻) 特集政治学の今日から明日へ歴史政治・国際
2008年 (第13巻) 1月 特集シンポジウム医療システムのゆくえ医療人間
2008年 (第13巻) 8月 特集生殖補助医療のいま ─社会合意を求めて─医療人間
2008年 (第13巻)12月 特集:信頼に支えられた医療の実現 ─医療崩壊させないために─医療人間
2008年 (第13巻) 特集:医工学先端研究と教育創造的結合医療人間
2008年 (第13巻) 特集生物科学今日から明日へ化学生物
2008年 (第13巻) 7月 特集科学コミュニケーションメディア学術教育
2008年 (第13巻) 9月 特集:若手研究者の育成学術教育
2008年 (第13巻)10月 特集高校における地理歴史教育改革学術教育
2008年 (第13巻)11月 日本学術会議第21期スタート -第154回総会開催-学術教育
2008年 (第13巻) 6月 特集瀬戸内海浅海を考える ~浅海その生物生産環境とその保全防災環境
2008年 (第13巻) 特集:脱温暖化森林木材役割環境
2008年 (第13巻) 特集環境学のミッション環境
2008年 (第13巻) 特集総合工学役割展望工学
2008年 (第13巻) 特集明日社会共通資産 ―建設系分野からの重点研究課題提案工学
2008年 (第13巻) 4月 特集人口ジェンダー  ―少子化対策可能か―ジェンダー
2008年 (第13巻) 3月 特集:わが国の自殺の現状と対策社会
2008年 (第13巻) 特集リスクPermalink |記事への反応(0) | 10:30

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2024-06-14

https://anond.hatelabo.jp/20240614204953勝手タグ付けソースだよ

1996年 (第1巻) 5月 特集:脳の科学こころ問題医療人間
1996年 (第1巻)11月 特集高齢者介護医療人間
1996年 (第1巻) 4月 (創刊号) 特集戦略研究と高度研究体制学術教育
1996年 (第1巻) 6月 特集:第3回アジア学術会議学術教育
1996年 (第1巻) 8月 特集日本国際賞受賞記念講演会から学術教育
1996年 (第1巻) 9月 特集:若手研究学術教育
1996年 (第1巻)12月 特集:第124回日本学術会議総会学術教育
1996年 (第1巻) 7月 特集地球環境問題を考える環境
1996年 (第1巻) 特集:転換期にある工業産業工学
1996年 (第1巻)10月 特集女性科学研究ジェンダー
1997年 (第2巻) 2月 特集パラダイムの転換学術教育
1997年 (第2巻) 3月 特集大学改革任期制学術教育
1997年 (第2巻) 6月 特集伝統と新しい地平 ―第4回アジア学術会議学術教育
1997年 (第2巻) 7月 特集:第125回日本学術会議総会学術教育
1997年 (第2巻) 8月 特集:第16期から17期へ学術教育
1997年 (第2巻) 9月 特集:第17期の発足 ―第126回日本学術会議総会学術教育
1997年 (第2巻)10月 特集:高度研究体制確立を目指して学術教育
1997年 (第2巻)11月 特集地域における学術活性化を目指して学術教育
1997年 (第2巻)12月 特集:第127回日本学術会議総会学術教育
1997年 (第2巻) 特集:2国間学術交流レイシア派遣団報告学術教育
1997年 (第2巻) 4月 特集地球食料問題を考える環境
1997年 (第2巻) 1月 特集平和共生歴史政治・国際
1997年 (第2巻) 5月 特集グローバリゼーション産業空洞化歴史政治・国際
1998年 (第3巻) 3月 特集クローン羊"ドリー":遺伝子科学のはかり知れないインパクト    化学生物
1998年 (第3巻) 特集クローン羊"ドリー":バイオテクノロジー最先端で今、何が、どうなっているか    化学生物
1998年 (第3巻) 2月 特集二国間学術交流スイス及びスウェーデン派遣団報告学術教育
1998年 (第3巻) 6月 特集21世紀科学への視点 ―第128回日本学術会議総会学術教育
1998年 (第3巻) 7月 特集アジアにおける学術の直面する課題 ―第5回アジア学術会議学術教育
1998年 (第3巻)12月 特集:新たなる研究理念を求めて ―第129回日本学術会議総会学術教育
1998年 (第3巻) 1月 特集地球未来 ~人間の存続環境
1998年 (第3巻) 5月 特集地球惑星宇宙科学の現状環境
1998年 (第3巻)11月 特集食品研究の新領域をさぐる ―食とからだの科学を中心に環境
1998年 (第3巻) 4月 特集ジェンダー   ―社会的文化的性別」と現代ジェンダー
1998年 (第3巻) 8月 特集日本経済課題展望日本ビックバンに向けて社会
1998年 (第3巻) 9月 特集行政改革課題展望社会
1998年 (第3巻)10月 特集ライフスタイルの転換と新しい倫理 ―21世紀社会に向けて社会
1999年 (第4巻) 4月 特集生殖医療とその社会的受容医療人間
1999年 (第4巻) 1月 特集21世紀に向けた学術の新たな改革学術教育
1999年 (第4巻) 3月 特集国民の期待に応えて ―科学最前線から学術教育
1999年 (第4巻) 6月 特集:IGBPの研究成果の統合に向けて ―第130回日本学術会議総会学術教育
1999年 (第4巻)10月 特集日本学術会議創立50周年学術教育
1999年 (第4巻)12月 特集:わが国の大学等における研究環境改善について(勧告) -第131回日本学術会議総会学術教育
1999年 (第4巻) 2月 特集ごみを考える環境
1999年 (第4巻) 8月 特集海洋環境
1999年 (第4巻)11月 特集科学技術社会社会
1999年 (第4巻) 特集少子化問題社会
1999年 (第4巻) 5月 特集学会インターネット情報
1999年 (第4巻) 9月 特集学術からみた「美しさ」について人文
1999年 (第4巻) 7月 特集人口環境 ―持続的発展に不可欠なアジア役割 ― 第6回アジア学術会議歴史政治・国際
1999年 (第4巻) 特集科学技術の発展と新たな平和問題歴史政治・国際
2000年 (第5巻) 1月 特集学術研究の国際ネットワーク学術教育
2000年 (第5巻) 3月 特集:第7回アジア学術会議学術教育
2000年 (第5巻) 4月 特集世界科学会議21世紀のための科学学術教育
2000年 (第5巻) 7月 特集:第17期を締めくくる成果 ―第132回日本学術会議総会学術教育
2000年 (第5巻) 8月 特集:第17から第18期へ学術教育
2000年 (第5巻) 9月 特集:第18期始まる学術教育
2000年 (第5巻)10月 特集俯瞰研究プロジェクトへのアプローチ学術教育
2000年 (第5巻)11月 特集研究業績評価 ―実態問題学術教育
2000年 (第5巻)12月 特集:第18期活動計画の全容学術教育
2000年 (第5巻) 特集各部抱負学術教育
2000年 (第5巻) 特集:第8回アジア学術会議学術教育
2000年 (第5巻) 特集世界科学アカデミー会議学術教育
2000年 (第5巻) 2月 特集安全災害
2000年 (第5巻) 6月 特集男女共同参画社会における日本学術ジェンダー
2000年 (第5巻) 5月 特集司法改革課題展望社会
2001年 (第6巻) 2月 特集21世紀とヒトゲノム医療人間
2001年 (第6巻) 4月 特集21世紀と新エネルギーエネルギー
2001年 (第6巻) 1月 特集21世紀科学役割を問う学術教育
2001年 (第6巻) 3月 特集21世紀科学アカデミーデザインする学術教育
2001年 (第6巻) 5月 特集学術活動のための次世代育成学術教育
2001年 (第6巻) 6月 特集:「科学技術」の概念を人文・社会科学へと拡張学術教育
2001年 (第6巻) 7月 特集大衆化された大学での教育はいかにあるべきか学術教育
2001年 (第6巻)11月 特集日本学術会議改革に向けて学術教育
2001年 (第6巻) 特集:常置委員会の目指すもの学術教育
2001年 (第6巻) 特集日本社会の変容と教育の将来学術教育
2001年 (第6巻) 特集:第1回アジア学術会議学術教育
2001年 (第6巻) 特集特別委員会活動経過学術教育
2001年 (第6巻) 8月 特集遺伝子組換え食品をめぐる最近の動向環境
2001年 (第6巻)10月 特集:食から見た21世紀課題環境
2001年 (第6巻) 9月 特集10代は変わったか!こども
2001年 (第6巻)12月 特集データベースの新たな保護権利制度導入反対への初の声明情報
2001年 (第6巻) 特集21世紀IT社会情報
2002年 (第7巻) 5月 特集医療最先端医療人間
2002年 (第7巻) 8月 特集ナノテクノロジー化学生物
2002年 (第7巻) 9月 特集動物実験化学生物
2002年 (第7巻) 1月 特集新世紀の日本学術会議学術教育
2002年 (第7巻) 3月 特集科学技術新世学術教育
2002年 (第7巻) 6月 特集:新しい日本学術会議に向けて!学術教育
2002年 (第7巻) 7月 特集ノーベル賞100周年記念国際フォーラム創造性とは何か」学術教育
2002年 (第7巻)11月 特集:変革をめざす国立大学 ―学長たちは考える学術教育
2002年 (第7巻)12月 特集日本学術会議の今後の方向に向けて!学術教育
2002年 (第7巻) 特集:「大学の自立」と「学術経営」のあり方を探る学術教育
2002年 (第7巻) 特集:第2回アジア学術会議(SCA)学術教育
2002年 (第7巻) 特集学術科学研究の成果と社会学術教育
2002年 (第7巻) 4月 特集学術の再点検  ―ジェンダー視点から(1)ジェンダー
2002年 (第7巻) 2月 特集創造性と日本社会社会
2002年 (第7巻)10月 特集:「身体障害者との共生社会」の構築に向けて社会
2002年 (第7巻) 特集日本計画社会
2002年 (第7巻) 特集グローバル化時代対応する高等教育課題歴史政治・国際
2003年 (第8巻) 2月 特集研究教育現場から見た国立大学改革学術教育
2003年 (第8巻) 3月 特集科学社会 ―いま科学者とジャーナリストが問われている―学術教育
2003年 (第8巻) 7月 特集私立大学さらなる発展学術教育
2003年 (第8巻) 8月 特集:第18期から第19期へ学術教育
2003年 (第8巻) 9月 特集:第19期始まる学術教育
2003年 (第8巻)10月 特集:新しい学術の体系学術教育
2003年 (第8巻)12月 特集:第19期活動計画学術教育
2003年 (第8巻) 特集活動計画各部抱負学術教育
2003年 (第8巻) 特集:第3回アジア学術会議(SCA)学術教育

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2023-12-16

岸政彦氏の「社会学における大風呂敷を広げた預言者批判について

人生を変える社会学──『岩波講座社会学刊行にあたって

https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7681


なんだか絶賛的な評価が多いみたいようだが、社会学門外漢だけに、個人的にはモヤモヤが残った。

前回は上野千鶴子吉見俊哉大澤真幸などが全体の監修者で、巻数も26あったと記憶しています。各巻のタイトルも凝ったものが多かった。執筆者社会学プロパーだけでなく、竹田青嗣などの周辺領域の方が入っていました。文体や内容も派手で、自由で、雑多で、それほど社会学とは関係のないものもたくさんありました。もちろんそれだけではなく、当時の最先端社会学的な議論をしている論文もたくさんあって、たとえば落合恵美子が実証的な観点から上野千鶴子を強く批判する論文なども収録されていたのですが。

 そのころから比べると、社会学も大きく変わりました。どちらかといえば、より地味な、地道な、実証的なスタイル調査研究をおこなう社会学が求められるようになったのです。今回の『岩波講座社会学』では、そうした社会学者が中心となって執筆します。特定対象特定問題に、特定理論特定方法を携えて実直に調査研究を続けるような、そんな社会学者たちはこれまでたくさんいたし、いまもたくさんいます。いま、この社会にとってほんとうに必要なのは、「職人的」な社会学者なのです。

要するに、この講座のシリーズ全体でおこなうのは、社会学のものの再定義です。もっといえば、これは「本来社会学」へと立ち戻ろうとする試みです。社会学者は、大風呂敷を広げた預言者であってはならない。私はすでに、2018年有斐閣から出版された『社会学はどこから来てどこへ行くのか』という対談集で、そのような趣旨のことを述べています



まずここで説明されるべきは、「地味な、地道な、実証的なスタイル調査研究をおこなう社会学が求められるようになった」理由であり、そしてかつてはそうしたもの忌避(あるいは小馬鹿に)されていた理由である。例えば、社会学という学問の発展の結果なのか、社会経済的環境の変化や取り組むべき新たな社会問題の登場の影響なのか、社会科学研究全体のトレンドの変化の影響なのかが、きちんと説明されるべきである。上の文章はそうした説明が一切なく、以前の社会学は中身がからっぽだったが、自分たちが「地味な、地道な、実証的な」もの改善したという、それこそ中身が空っぽなことを言っているだけに過ぎない。


社会学者は、大風呂敷を広げた預言者であってはならない」というのも、別に社会学に限ったことではない。具体的には見田宗介宮台真司のことを言っているだろうが、30年以上前には「大風呂敷を広げた預言者」は、哲学者浅田彰など、社会学以外にも数多く存在していた。現在だと斎藤幸平や成田悠輔の名前が「現代預言者」として思い浮かぶが、彼らは経済学者である社会学者で思い浮かぶ名前はもういない(古市は軽薄ではあるが預言者的では全くない)。


そもそも、「地味な、地道な、実証的な」をくどいほど強調している点で、おそらくはSNS上の社会学バッシングを気にして怯えるばかりの、自分たちの中身のなさを暴露している感じがする。本当に「地味な、地道な、実証的な」人は、そんなことは口が裂けても言わない。ネット上の悪口など意に介さず、自分研究にコツコツと取り組むだけだ。「大風呂敷を広げた預言者」についても、そうした人がなぜ必要とされるのかの現代的な状況について丁寧に分析説明するだろう。

そして後半は、紙の本との出会い大事だというノスタルジック感情論に終始している。もちろん世代的に共感できなくはないが、30年前から情報環境の劇的な変化と今回のシリーズ編集方針との関係について、社会学者として何か分析的な議論があるべきだろう。


かいところだが、「巻数も26あったと記憶しています」って、なんですぐ調べないのだろうか。「地味な、地道な、実証的なスタイル」な人は、そういうところから絶対に手間暇を惜しまない。そもそも、岸氏はネット上の発言しか知らないのだが、それらを読む限り、経済政策論にも安易に口を挟んだりなど、「地味な、地道な、実証的なスタイル」の人には全く見えない。

Permalink |記事への反応(0) | 11:49

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2023-11-19

anond:20231118235759

アフリカもふつーにケニアとか中心に発展してるぞ。

フランス語ニュース見てるが、ナイジェリア女子児童とかが普通にプログラミング教育受けてる。

情報環境日本の子供と大して変わらんよ。いや、英語フランス語がわかる分情報は上かもな。

まあトイレとかは水道がないから大変そうだけど。

そういう意味では、水なんだろうな一番目に見える発展のネックは。

Permalink |記事への反応(0) | 00:01

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2023-07-12

5chへの大規模スクリプト爆撃、大学ネットワーク踏み台にしている疑惑

0431番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です (ワッチョイ bf0d-WYaM)

2023/07/12(水) 13:29:03.08ID:7BxJkS630

7月10日スクリプト攻撃した2つのIPスレのうちホストac.jpco.jpレスを調べた2

(A)来いよスクリプト匿名性なんか捨ててかかってこい greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1688914767/ 2023/07/10 05:42

(B)【朗報スクリプト、遂に本気を超えてとんでもない速度で埋め始める greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1688909898/ 2023/07/10 05:46

133.3.201.92nat-uge.kuins.kyoto-u.ac.jp京都大学情報環境機構 (A)179と(B)862

150.59.26.24 graphene.ee.tokushima-u.ac.jp徳島大学 (A)649

165.93.124.84 dhcp124-84.lab124.tuat.ac.jp東京農工大学 (B)781

192.244.254.254 emu.kobe-kosen.ac.jp神戸高専 (B)785

202.251.0.22.0.251.202.ctie.co.jp株式会社建設技術研究所 (A)609

どこかのすごいハッカー組織日本中にDDoS用の踏み台を作ってるのでは?

https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1689132544/431

ここ2年ほど?定期的に5chに大規模なスクリプト爆撃が仕掛けられてグロ画像意味不明文字列が大量に投稿されるなどの被害が発生している

そのスクリプトIP強制表示のスレに(誤って?)書き込んだ際に強制表示されたIPアドレスを有志が調査

そのうちのいくつかが大学IPアドレスである疑惑が浮上している

Permalink |記事への反応(1) | 17:46

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2022-05-17

anond:20220517002759

おっさんだけど、今の若者音楽は桁違いの情報環境で育っただけあって下敷きにしてる作品が膨大だなって思うわ。「うっせえわ」みたいな若さ溢れる痛い音楽はいつの時代も同じだなとも思う。

Permalink |記事への反応(1) | 00:31

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2021-07-05

TVCMの無駄

ヤバくない?この前実家帰ったときに夕食どきに民放チャンネルがついてたんだけど、ちょいちょいTVCM入ってたけど、頻度も長さも半端じゃなくてビックリした。

こちとらYouTube広告挟まるのが嫌でアドブロック入れてたり、今は金払って会員になってスッキリしたってなってるところに、TVCMをあの量見せられたらスパムっぷりにイライラしてしまった。テレビって改めてひでー情報環境だなって。

Permalink |記事への反応(2) | 17:00

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2020-11-15

anond:20201113190603

サンプルの量じゃない 定義づける1点との結びつきの距離

例)男性は右利きが多く 女性左利きが多い:あくまで例なので適当に出しただけの題

男女100000億万人のデータを集計して多いのがわかりました

男女 - 利き手 (これが真なら統計データとしてもそうかと思うが こんなアホな直結する人はいないと思う

男女 - 生活環境 - 生育環境 - 情報環境 - 交友関係 - 趣味趣向での文化体験 - 信仰 - 直接接触する機材 - 場面の遭遇率 - その他もろもろ - 利き手

だと男女と利き手だけ統計したところでなんの意味もない


これを目にあざかやに

男女 - 交友関係 - 利き手

としたところでアホさはかわらないだろう

ただ局面的におもしろかったり 納得したり話題になったりすることはあるしそういうネタが多いのもたしかだろう

ただネットで全世界平等に平均としてみたいな領域原文ママがくるからそれはでかすぎと発言する人間にも出会


特定利き手特定性別についてより多くの可能性を獲得したい場合においてそのビッグデータは使いようがあるかもしれない

だが「利き手」の話をするときには何の意味ももたない

しか話し手の多くはその利き手話をする局面利き手話をしようとする人間必要なのは利き手」の話題であって男女や統計や傾向またそれらに含まれる背景情報全体がかかわってくることなど気が付かないだろう)

なにが原因で「利き手」が発生するのか そしてその条件が男女の差で特定の1点ないしは数点にあるとするなら

特定の事例の数量を男女差ではかる 利き手ではかるという方法において現状の把握と過去データの積み重ねで現状をしったり可能性をはかったり計画をたてたりできる


1)「その話でなにがいいたい 現状を知ったり可能性をはかったり計画をしたいのはなにか」について

2)どの点を境界としておくか

3)その点を分岐させるに関係する要素と 分岐必要とする環境について

これについて聞いた人が 話してる人に対して「そうじゃない場合もあるんじゃないの?」という余地がないものまたはできるかぎり少ないものは「主語がでかくならない」になる

たとえば

例)台所にいる蟻ってめっちゃウザくね?

台所にアリの巣観察セットを置いている人で蟻に感情移入している人間については反論余地を残すが「面倒をみないといけない(可愛がっている)」を含めていたと言い換えることで余地をなくすこともできるが)

はだいぶ広い範囲まで出しても「主語がでかい」とは言われにくくなる

ただし地球環境について全生物を通して考える人がそれを聞いたら「主語でかすぎ 蟻を全否定するようなことは言わないでほしい」となる可能性はないとは言えない

例)男性は右利きが多く 女性左利きが多い:あくまで例なので適当に出しただけの題

これについてネット上で男女時間地域年齢その他関係なくばらまけば そうはおもっていない人類から「そうじゃないだろ」「実際そうじゃない」「そうだと決めつけるのは”主語が大きすぎ”」だといわれるが

仮に女性だけに人気のブランドのバッグがあったとして自動改札を出るときIC定期券使用していて収納ケースごしにタッチする使い方をしている人が多くいる環境において

「あのカバン左利きにはやさしくないよね ”女性左利き多い”っていうのに」という不満を言うときには 主語がでかすぎ問題は提起されない

関連性については一目して一貫性がありそれにふさわしく(それ以上の理由定期券以外の事例については言及しない) またぶっちゃけお前の話などどうでもいい からである

左利き自分か 自分のもってるカバンがそのブランドか それらについて価値観言及が話ししている相手に直接関与しないか を踏まえてさえいれば問題が発生するどころか気にする話など含まない文章

わざわざ挙げられた話題について 大きく判断基準自分でもってる個人が 自分のおもってる境界線の引き方を みさかいない相手にむけてすると

話す相手と場面によってはなんでもでかすぎになるだろう

Permalink |記事への反応(0) | 14:25

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2020-02-12

知識格差は拡大し続ける

一言で言えばデジタル・ディバイドの話で、結論タイトルどおりだ。

でも気付いてしまった。

この格差は、去年よりも今年、今年よりも来年、より広がるんだな。

俺らが今後生きそうな数十年の間、ずっと拡大し続ける。

勘違いしがちな点はきっとここだ。

こう考えていないだろうか?

 ITにより、個人の保持する知識量・情報量は増え続けている

  →だからみんな賢くなっている

  →接する機会によって”情弱”と"情強"に分かれてく

でもこうではないか

 ITにより、個人の保持する知識量・情報量は増え続けている

  →だからみんな賢くなっている

  →でも情報処理量、情報の組み合わせ効用は人によって違う

  →みんな賢くなっているが、格差グラデーションは広がる

  →情弱情強の2通りではなく、時間が進む限り、指数関数的に延々と拡大する(!)

時間青天井に言っている理由は、情報が氾濫して、まだ50年も経ってない→世代を経てないから。

同級生と比べる発想で具体的に考えると。

ぐんぐん育つやつと、不勉強なやつ。

どちらも伸びていくのだが、伸び方が違う。学生を終えても死ぬまで伸び方が違う。

そんな二人の間の、IT情報環境における、50-80年くらい掛けて広がる格差

それが差の最大値。

ITの以降の最初世代がまだ生きているし、どこまで広がるかはこれから

さらに、"デジタルネイティブ"と言われた世代寿命を迎える頃に、ほんとの開きがハッキリする。

個人に差が開く理屈は、何千年前からずっとそうだったんだろうな。

でも、IT情報環境下では、人類初の局面だよな。

タイトル程度にさらっと思ってたが、、、具体的に想像していなかった。

そもそもデジタル・ディバイドとはこういう意味なのかもしれんが、

俺はわかってなかったから、半端ねえなと震えている。

Permalink |記事への反応(0) | 19:42

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