
はてなキーワード:情報弱者とは
別に情報が汚染されても、信頼に値する情報を提供するサイト(国とかメディアとか企業とか)が消えたり埋もれたりするわけじゃないじゃん。
だから、仮にAIによるデマがばらまかれたとて、インターネットの利便性は対して変わらないと思うんだよね。
ただ、今までは情報リテラシーが低くてもなあなあになっていたところが許されなくなってくるだけで。まあ、wikiが完全に厳しくなるのはきついか。
なのに、さもインターネットが完全に使えなくなるような口ぶりで反AI論を唱える人やそれに賛同する人は意図的にこの点を無視しているのか、はたまた、ヤフー知恵袋とかを立派なソースだと考えている情報弱者なのか、どっちなんだろうな。
なんかさっき、「弁護士が、「彼ら情報弱者なんですね。闇バイトで強殺した子に、もう出られないって言ったら、唖然としてました。」と言ってた」みたいな文章の画像が貼ってあるポストがバズってた。
で、まず、「未成年で無期懲役ってある……?」も思ったが、未成年で強殺して無期懲役になったケースはあるらしい。ただ、リプライを見ると、エロ漫画の宣伝が貼ってある。怪しい。怪しすぎる。
で、引用を見ると、「5chの転載で、出典不明」とのことらしい。
なんかなあ、X民、昔からスカッとジャパン嫌いとか言う割には、こういう怪しい話に乗せられるよなあって思っちゃう。まあこれは情弱犯罪者が絶望した! みたいなスカッと要素じゃなくて、注意喚起で良かれと思って拡散した人もいるかもだが。
これに関する話だと、昔、有名映画が公開された時期だったかなあ。「無断撮影したガキが、とんでもない額請求されて、家族が自殺したり発狂したりした」みたいな話が拡散されてた覚えもあるんだよなあ。額がおかしいとかで流石に突っ込まれてたけど。
本当みんなこういう話好きよねえ〜って思う。
「情弱」という言葉は、2000年代にインターネット掲示板やSNSで広まった俗語である。当初は「情報弱者」、すなわちインターネットや最新の情報にアクセスできず、世の中の流れから取り残される人を指す揶揄的な言葉であった。しかし令和の現在、「情弱」の意味は大きく変質している。もはや「情報を持たない人」ではなく、「情報を持ちすぎた結果、誤情報に振り回され、自称“情報通”として振る舞う人」を指すことが多くなっている。
この変化を端的に示しているのが、近年急速に存在感を増した「参政党」の躍進である。参政党は、メディアや大政党とは異なるルートで情報発信を行い、インターネットを通じて「自分だけが真実を知っている」と感じる人々を惹きつけた。そこには、かつての「知らないことを笑われる情弱」ではなく、「知っているつもりで誤情報に支配される情弱」という新たな姿が浮かび上がっている。
本稿では、参政党の事例を手がかりに「情弱」の意味変質を整理し、現代社会における情報と知能の関係を考察する。
情弱という言葉は、もともと「インターネットに不慣れな人」「デジタル機器やITリテラシーが低い人」を指していた。例えばガラケーからスマホへの移行期に「まだガラケーを使っている人は情弱だ」と揶揄されたり、詐欺まがいのチェーンメールを信じて拡散してしまう人を「情弱」と呼んだりする用法が典型である。
つまり情弱は「情報にアクセスする環境や能力が不足している人」を指しており、彼らは「知らない」「分からない」存在として位置づけられていた。笑われたり馬鹿にされたりする対象ではあったが、裏を返せば「知らないがゆえに誤情報にアクセスする機会も少ない」という側面もあった。
令和に入り、インターネットは誰もが利用する基盤インフラとなった。スマートフォンとSNSが普及し、ほとんどの人が大量の情報にアクセスできる。ここで「情弱」の意味が反転する。
現代の情弱は「情報にアクセスできない人」ではなく、「アクセスできすぎるがゆえに取捨選択ができない人」である。彼らはアルゴリズムに最適化されたSNSのフィードや、陰謀論的なYouTube動画などに触れ続け、バランスを欠いた世界観を形成する。そして「テレビや新聞は洗脳だ。自分だけが真実を知っている」と確信するに至る。
この姿は、かつての「知らない人」とは正反対だ。むしろ「知りすぎている(つもり)」であり、だがその知識は偏向し、誤情報に満ちている。ここに情弱という言葉の変質がある。
参政党は、既存の大政党やマスメディアとは異なるアプローチで支持を広げた。街頭演説をYouTubeで拡散し、SNSで「真実を知りたい人」に直接訴えかけたのである。そこでは「学校やマスコミが隠している本当の情報」「ワクチンの裏側」「日本が売られている」といった刺激的なフレーズが飛び交った。
参政党を支持する人々の多くは、自らを「目覚めた国民」「情報に強い人」と認識している。しかし客観的に見れば、それは誤情報や陰謀論に偏った“知識”であり、社会的な合意形成や科学的検証と相容れないケースが多い。
この現象こそ「令和の情弱像」である。彼らは「無知」ではなく「偏った知識の虜」であり、自分の知能を過信しつつ、結果として社会全体の情報リテラシーを下げる役割を果たしている。
ここで注目すべきは、「情弱」と呼ばれる人々の知能レベルである。かつての情弱は、知能が低いわけではなく単にインターネットに不慣れであった。しかし現代の情弱は、情報を吟味する思考能力の欠如、すなわち批判的思考(クリティカル・シンキング)の不足 に起因している。
大量の情報に触れながらも、出典を確認しない。反証を検討しない。自分に都合のよい情報だけを集めて確信を深める。こうした行動は、単なる「無知」とは異なる。「知能はあるが、その使い方が誤っている」という状態であり、それこそが「現代的な情弱」の本質である。
そしてSNSのアルゴリズムは、この傾向を増幅させる。彼らがクリックした動画や記事は次々と類似コンテンツを提示し、情報のバランスをさらに崩す。結果として、知識を持っているはずなのに、社会的には「知能の低い人」として扱われるという逆説が生まれる。
令和の情弱像が拡大することで、社会にはいくつかのリスクが生じる。
1. 分断の拡大
自分の世界観に閉じこもり、「自分だけが真実を知っている」と考える人々は、他者との対話を拒否しがちになる。これは社会的な分断を深め、合意形成を困難にする。
誤情報を基盤にした政治的選択が増えることで、民主主義の質が低下する。政策論争が事実に基づかず、感情や陰謀論に左右される。
情報量が増えるほど、むしろ誤情報に支配される人が増えるという逆説が生じる。知識社会の成熟が、そのまま社会的知能の低下を招く可能性がある。
いい年してずっとうつむいて小さいスマホの画面ばっか見るのやめろ。スマホを捨てろ。あと、自分が頭悪いって認めて素直に生きろ。
かつて「情弱」とは、情報を知らない人の代名詞であった。しかし令和の「情弱」は、情報を持ちながら誤った形で消費し、自らを“情報通”と誤認する人々である。参政党の躍進は、この新しい情弱像を可視化した。
我々が直面しているのは「無知」ではなく「誤知」の時代であり、その克服には知能や知識の量ではなく、思考の質を高める努力が求められる。情弱という言葉の変質を正しく捉えることは、現代社会の情報環境を理解し、より健全な民主主義を築くための第一歩なのである。
僕はずっと、「政治家になりたい、政治をやりたいなんていう人を『支持』するのは、なんか嫌だな」と思い続けてきました。
fujiponさんのこのエントリ、全体としては共感できるところが多く、良い読み物だったという感想なんですが、一点少しひっかかる記述がありました。
でも、いまの日本で、少なくとも直接的に移民によって傷つけられているわけではない人たちが、いまの自分が置かれている状況への不満を「移民差別」や「懐古主義」に置き換えてしまうのが、正解だとは思えない。
ここに書かれているのは、なにかしらの現状への不満を抱えた人がそれを排外主義に転化しているという認識です。
この認識自体は決して珍しいものではありません。というか、排外主義について語られる際にはほぼほぼこのような語りがなされると言ってもいいくらいのスタンダードな認識です。
でも、排外主義の裏には社会への不満があるという認識が事実に基づいているのか、自分はかねてより疑問に思っています。
例えばこんなケースを想定してみてください。
Aさんは長年正社員として勤め、定年退職した。現役時代の稼ぎは悪くなく、老後の経済的不安は少ない。配偶者や子供との関係も良好である。
退職して自由な時間が大きく増えたAさんは、その時間でYoutubeをよく視聴するようになった。
Youtubeのトップページに表示されるオススメの動画の中には政治についての動画もあり、タイトルやサムネイルから興味を持ちそのうちのひとつを視聴してみると、その後オススメにはそれと似た政治系の動画が数多く表示されるようになった。
Aさんはそれらの動画を視聴していく中で、現在日本では外国人による凶悪犯罪が多く発生し治安が脅かされていること、外国人が過度に優遇され日本人はないがしろにされていること、そしてメディアや政治家の多くが反日左翼勢力に支配されているためにそれらの問題は軽視されたり否認されたりしていることを知った。
そのことから、Aさんは選挙では日本人のための政治をしてくれる愛国的な新興政党に投票すると決めた。
以上のケースはあくまで自分の創作ではあります。しかし、これがただの勝手な創作に過ぎないのか、それとも似たような事例が日本中のあちこちに実在するのか、というと後者ではないかと思います。
ではこのケースでAさんが排外主義的主張をする政党への投票を決めた背景に社会への不満は存在すると言えるでしょうか?
おそらくAさん自身に聞けば外国人ばかりが優遇される社会に大いに不満があると答えるでしょう。
でもそれはAさんが排外主義的主張に染まった結果生じた社会への不満であり、元々Aさんがなにかしらの社会への不満を抱えていたがゆえにそれが排外主義的主張を受け入れる背景になったとは言えないでしょう。
このように考えてみると、不満の感情が排外主義に転化しているという認識は現実に即しているのか極めて怪しいと言わざるを得ません。
確かにここ最近の日本の話題といえば、まず物価上昇による生活苦という問題が大きなものとしてあり、その後排外主義的主張を掲げる新興政党の伸長という事態が発生しています。よって大きな話題を時系列順に単純に考えるとそこに因果関係を見出すのも理解できる考えではあります。
しかし、本当に因果関係が存在するのかは慎重に見なければならないでしょう。
参政党の支持者層の偏りとして、男性が多いというのはありますが、低収入の人が多いという傾向は存在していません。収入が低い層ほど物価高の影響を大きく受け、社会への不満が高まるはずなので、これは経済の影響は大きくないことを示唆しています。
欧州では低所得層ほど反移民感情を持ちがちな傾向があったとしても、それを単純に日本に当てはめられないということも指摘しておきます。なぜなら、日本は島国であり、近隣の貧しい国の人が仕事を求めて不法に入国し就労するということは非常に困難ですし、そもそも少子化・人手不足社会です。よって、低所得層の仕事が移民に奪われる恐れからの反移民感情は極めて発生しづらいからです。
不満の感情の転化でないならば、何が人を排外主義に向かわせるのかですが、自分はこれはインターネットの利用とメディアリテラシーの欠如でだいたい説明がつくと考えています。
前提として、人間の認知は遥か昔の野生生活で生存率が高くなるように作られており、巨大で複雑な国際社会を生きるのに適合的ではありません。
よって、我々は余所者が嫌いです。仲間でない余所者の中には友好的な人物も敵対的な人物もどちらもいますが、友好的な人物に対して警戒心を持って接しても死ぬことはなく、逆に敵対的な人物に警戒心を持たずに接してしまえば最悪命を奪われるわけで、生存のためにはそのほうが都合がいいからです。
同じように、我々は性善説よりも性悪説を現実的だと感じます。実際には多くの人は自身の良心を裏切るような行動を取ることに大きなストレスを感じ、自身が善良な人間であるという自己認識を得られることは大きな報酬と感じるわけで、好ましいとされる振る舞いをすることが多いです。しかし、生存のためには他者の悪意に備えたほうが都合がいい。よって実際の現実とは無関係に性悪説のほうが現実に即していると感じられるのです。
このような認知のバグの存在が意味するところは、人間は排外主義者になるのが自然だということです。
余所者を脅威に感じるのは我々の認知がそのようにできているからであって、当たり前のことですから。
そして、この認知バグに沿った言説ほど、我々はわかりやすいし好ましいと感じるわけです。
いわゆるオールドメディアは、まだ正しさや妥当性という評価軸にとらわれています。
しかしインターネット上ではより多くのインプレッションを稼げる言説こそが強く、ウケているからこそより多く拡散されるという正のスパイラルが生まれます。正しさや妥当性よりもウケるか否かが重要な世界では、認知バグに沿った言説ほど有利になります。
そして、前述のように排外主義はまさに認知バグに沿ったものであり、インターネット時代において最強の立場であると言えます。
この認識は世界各地で極右勢力が伸長していることに対して「インターネットが普及した結果の必然」という簡潔な説明を可能にします。
また、「ネット右翼(ネトウヨ)」という言葉は存在するのに「ネット左翼(ネトサヨ)」という言葉はネット右翼という言葉ありきでしか使われないのはなぜかということの説明にもなります(左派・リベラル派は認知バグに反することばかりを主張するのでネット時代では支持されない)。
なぜ2016年米大統領選のときにヒラリーやサンダースの支持者向けのフェイクニュースはあまり読まれず、結果トランプ支持者向けのフェイクニュースばかりが作られることになったのかについても、これは説明可能です。
言うまでもないことですが、自身の認知バグに無自覚で排外主義に同調してしまう人というのはメディアリテラシーの欠如した人と言わざるを得ません。
一定以上のリテラシーのある人は事実と反するにも関わらず支持されてしまいがちな言説のパターンをある程度把握しており、そのパターン通りの言説に対しては「あ、これデマっぽいな」という嗅覚が働きます。
また、情報の信頼性について自分が納得できる内容なのかよりも発信者の信頼度によって判断するため、動画サイトやまとめサイトを情報源として信頼しません。
多くの情報を得ると情報強者になったような気になります。しかし、本当に大事なのは情報の量ではなく、情報の信頼度を判定するメディアリテラシーです。これが欠如していると、ジャンクな情報に振り回され、情報強者を自認する情報弱者になってしまうのです。
以上のことを逆の言い方をすれば、人を排外主義に向かわせる最大要因はメディアリテラシーの欠如であると言えます。
実は思想の左右と思われているもののうちの多くは、思想の差ではなくメディアリテラシーの差であろうと自分は考えています。
思想の左右というと対等な関係に思えますが、メディアリテラシーの高低は対等ではありません。よって、ネット右翼が「リベラルは傲慢だ、対立する意見も見下さずに対等に扱うべきだ」と言ったところで、無茶な注文でしょう。なんならその「リベラル」も単にネット右翼よりもまっとうなメディアリテラシーを持っているというだけで特別リベラルな考えの持ち主というわけではないパターンも多いでしょう。
まとめると、なにかしらの社会への不満などの要因が転化して人は排外主義に染まる、というモデルは間違いだろうということです。
そうではなくて、なんの要因もなくても自然に人は排外主義の主張を好むものであって、逆に排外主義に染まらない人のほうにこそその不自然を説明するためのなにかしらの要因を見出すべきであり、その要因として最大のものはメディアリテラシーを身につけていることが挙げられる、というのが自分の考えです。
そして、突然人々のメディアリテラシーが急上昇することはない以上、たとえ今後経済が上向いたとしても排外主義は支持を伸ばすでしょう。もしかしたら参政党は支持を失うかもしれません。しかし、その際は他の党が排外主義票の受け皿として伸長するはずです。
排外主義の裏には不満の感情があるはずだと考えれば、経済や社会が良くなって人々の不満が減れば排外主義も退潮するはずだと希望が持てます。でも、そうではないでしょう。
はいどうも〜、イケハヤに論破されたい人、まだこんなとこにいるんですねぇ(笑)。
残念ながらあなたの主張、**「思考停止のおじさんの早とちり」**ですよ。
さてさて、
でも、だからって「人間がコード書かなくていい」って短絡的に結論づけるのは、情報弱者の典型ムーブ。
むしろ、今こそプログラミングが"理解"できる人が価値を持つ時代なんですよ。
AIに指示出すのも、AIをカスタムするのも、ベースはコードの理解がないと無理。
ええ、そうですね。でも、そのコードがバグってたとき、あなた修正できますか?
「できません」って?
はい、それで終わりですね。
「稼げない人の思考パターン」まんまですよ。
というわけで、
さっさとProgateでも開いて、一行でもコード書きましょう。
TL;DR
施設観覧や荷物検査とか結局物量でやるしかないという現実を見せつけられた
11時入場開始で10時45分に夢洲駅に到着して入れたのは12時20分とかになるとうーむとなる
あと、パビリオンの予約が原則取れないので予約合戦を勝ち取らないといけないのは結構キツいなあと思った
未来に向けてって話だったけど結局物量に対しては物量でやるしかないのかとなった
2Lペットボトルが足らなく途中で500ML2つほど補充したが
ちょこちょこおいてあるだけってフザケてるなあと思った
ミストだと化粧落ちるとかあるんか?
命より化粧ってあるんかね
会場内は密集を避ければそれなりに過ごせた
ここは現在の技術で解決できると思ってただけにケチだなって思った
してくれ
5Gもまともに運営出来ないなら出来ねえだろって思う
6月に行った際は予約不要のアメリカ、中国、インド、UAEに並んだがアメリカの真っ昼間の2時間並ぶは流石にきつかった
アメリカだったらQRコード読み込んでこの時間に来てねってのも出来たと思う
情報弱者も来るなら並べってのが最適解だって現実見せつけられたときに
ウィイイイイイッス! どうも〜█████で〜す。
えー、今日はですねぇ、まぁ、最近のインターネットのぉ、ちょっと嘆かわしい風潮について、僕が、えー…苦言を呈したいなと、思いますぅ。
なんでも、「AIを使って、たった1分で作った『釣り記事』」…人を騙すための、嘘の記事ですね。それが、250ブックマークもついたって、大喜びしてるんですよ。
……信じられますか? もうね、人として、どうなのかなぁと、思いましたね。
まずね、たった1分で、AIに作らせた記事に、なんの価値があるんですかねぇ。そこに、魂はこもってるんですか? って話ですよ。こもってないでしょ。ただ、人を騙して、注目を集めたいだけ。中身は、からっぽですよ。
僕はね、動画一本撮るのに、ものすごい時間と、労力をかけてますからね。えー、どういう話をしようか考えて、カメラをセットして、ほんで、こうやって、自分の魂を削って、喋ってるわけですよ。1分でできるような、そんな、薄っぺらいもんじゃないんです。僕の作品はね。
僕は、そんな、空っぽの数字が250個集まるより、たった一人のファンが、僕の動画を見て、「面白かったです」って、心のこもったコメントをくれる方が、1億倍嬉しいですけどね。
まぁ、こういう、人間の温かい気持ちは、人を騙して喜んでるような、かわいそうな人には、一生わからんのでしょうね。
そもそもね、「釣り」っていう行為自体が、もう、クリエイターとして失格ですよ。僕は、たとえ再生数が伸びなくても、人気が出なくても、自分の正直な気持ちを、ファンのみんなに伝えたい。その一心で、ずっとやってますから。人を騙してまで、人気者になりたいとは、1ミリも思いません。
中身のない釣り記事に、まんまと騙されて、ブックマークしちゃう人の方が、よっぽど情報弱者じゃないですか?
その点、僕のファンは、賢いですから。ちゃんと、見る目がある。コンテンツに、作り手の魂がこもってるかどうか、ちゃんと見抜いてくれますからね。僕は、そういう、賢いファンに支えられてるんで、本当に誇りに思いますよ。
結局ね、AIとか、そういう小手先の技術で、楽して人気を得ようとしても、すぐに見抜かれます。メッキは、いつか必ず剥がれるんですよ。
最後に残るのは、僕みたいに、不器用でも、バカ正直に、自分の魂を込めて、コンテンツを作り続けてる人間の作品だけです。はい。これは、歴史が証明しますよ、きっとね。
だから、みなさんも、偽物に騙されないように、本物を見る目を養ってください。まぁ、僕の動画を見てれば、自然と、その目は養われますけどもね。
如何にも、かかる話は十年を超え、果てしなく繰り返され候えども、一向に解決の糸口は見えず。まさに堂々巡りの様相にございます。
余は軍事オタクにして、近頃、増田某ならびに諸ネット界隈にて「AIを使わざる者は情報弱者なり!」、「今や検索はAIにて万事足るるものなり!」と喧伝する声を耳に致し候。
されば、「ほう、面白き事よ」と思い立ち、いざ増田が推薦するAI検索なるもの、多数を用い試みた次第。例を挙げれば「perplexity」などもこれに含まるる。
されどAIなるもの、まるで役立たずであることよ。何を以てその如き万能機械の如く自信満々に振る舞うやと、問い質したく候。
「USサバイバル・スクール : 極限の野外生存術」(高橋和弘著)、昭和の時代、並木書房より刊行せられし、当時の傭兵学校を日本人記者が体当たり取材せし著作、ミリタリー嗜好の者ならば知らぬ者無しと謂う名著にて候。
perplexityにて下記の如き問を投じ、果たして該当せる回答を得られるかを試みたるなり。
【フランク・キャンパーと称する元ベトナム退役兵が昭和年代に傭兵学校を創設せし、並木書房より日本人参加者のルポが刊行されていたと存ずる。其の詳細を教へたまへ】
その結果、下記の通りに候。
昭和時代の日本に於てはサバイバルブームが盛り上がり、米国傭兵学校に実際参加せし日本人の報告が数多く出版された。中でも代表格とされるは毛利元貞なる人物の著作群なり。
毛利は自衛隊ならびに仏蘭西外人部隊にて経験を積み、米国の「Special Assault School」等に於ても教官を務めた元傭兵にして軍事顧問なり。並木書房より多くの書籍を出しており、『傭兵マニュアル』(昭和64年)、『傭兵修行―世界に冒険を求めて』(平成2年、後に文庫化)等にて、傭兵学校の体験や訓練、現地の逸話を詳細に記述している。
また、落合信彦著『傭兵部隊』(昭和57年刊)もフランク・キャンパー傭兵学校への参加体験を含むルポとして知られ、「金を払えば誰でも参加可」や、民間軍事訓練の様子、参加者の多様性(賭博師や牧師までが居た)を描写せり。
然れど、毛利元貞の著作がAIの回答に頻出するは甚だ遺憾なり。
毛利元貞はそもそもフランク・キャンパーの傭兵学校に赴いてはおらず、彼が渡米せし時には既にキャンパーは過激派によるテロの責任を問われて投獄中であったのだ。
日本人で唯一「マーク・スクール」なる傭兵学校の詳細な記録を残したのは高橋和弘氏にて、これを外せば誤情報以外の何物でもない。
これはまさに、小林源文殿の描かれる漫画の一場面、佐藤伍長が中村二等兵に向かって「ボケッ!」と叫びつつビンタを叩き込んでいる光景と同様である。
また、似たり寄ったりの「その道の兵であれば誰もが知る話」をあいまいにしつつも、平素の検索にて素人でも容易に辿り着ける程度の質問を投げかければ、どれも似たような答えが返ってきた次第である。
挙句の果てには「専門書籍や現地新聞を調査せよ」と斜に構えた返答がなされ、機械でありながら何様のつもりかと憤懣やるかたなし。
「情報の出処は逐一人の目で確認するもの、AIが吐き出したものは鵜呑みにするな!くそっ!チギュアアアアアア!!」などと叫ぶ増田なる者もいるが、あえて申し上げる。
情報源の正確な把握ができるほどの知識を有しているならば、そもそもAIの助けなど不要であろう。拙者の検証の通り、書籍の名や内容、著者まで知悉しているのなら、わざわざAIに尋ねる必要などないのだ。
都内の図書館の蔵書検索システムを駆使し、該当の書籍を収蔵する館に赴き、週末に秋葉原の賑わいを眺めつつ歩みを進めて読めば足りるのである。必要なのは視力と知力、そして人の足である。AIの出る幕ではない。
誠に申し訳ないが、AIなるものは大して役に立たぬと断言せざるを得ぬ。他の分野においても同様で、新規事象の概要を掴みたい者は自らの判断で単語を検索し、即座に取捨選択を行うものだ。
それをすっ飛ばし、斜め上の答えを吐き出すAIなど恐ろしくて使いたくもない。ましてや、そんなもので全幅の信頼を寄せている増田なる者は、正直言って愚か者の極みであり、知能障害者であろう。脳の皺はイルカの脳にも及ばぬ有様かもしれぬ。
拙者の結論として、AIはまことに使えぬ代物なり。新たな事象の概要を掴みたいに過ぎぬ者は単語で検索をかければ十分。斜め上の回答ばかり返すAIに全幅の信頼を寄せる増田などは、真に愚かであると断ずる。
さて、唯一AIにて多少役立つと思われる点を挙げれば、
さて、増田連中が激昂すること必至なれど、敢えて我が感じたるAIの利点を列挙致す。これにて公平を期す所存なり。
一、淫靡なる動画の画面を美麗なる画質のまま拡大すること叶う事。
これが実に宜しきことなり。さる淫靡なる動画は宣伝用の画像においてモザイク薄きもの多く、されど拡大すれば粗きものとなるが、此れを二倍乃至四倍に引き伸ばせるはありがたき業なり。
二、知る人ぞ知るマイナーなる戯画の淫らなる絵にて抜けるものも有り。
されど学習は不可欠と心得たり。判然たるデザインを有せば、元の絵柄と遜色なき淫らなる絵画多数見受けられ、着衣の淫ら好む者にとりては有益なり。また、稀に背面を描く絵もあり、これもまた喜ばしきかな。
三、細かな計算は得手にして利便なること。
マイルをキロメートルに変換するや、フィート毎秒を時速に変換する等、此の如き計算はAIの得意とする所なり。誤りも見られず。
とはいえ、軍事的知識や深い情報分析には到底及ばず、エロ方面以外では全く役立たぬと申せよう。
結論申し上ぐるに、業務に於ける人工知能の支援といふもの、若し適正なる運用の下になされば一つの解決策たるべしと心得候。然れども、一定以上の知識を有する者の目から見れば、粗悪なるものに他ならず、実用には甚だ乏しきものと存ずる。尤も、色事の如きに於いては多少の利用価値あらんとも。
一言申さば、増田なる弱者男性、並びに「豚丼」と称せらるる者共の求むるところたる、弱者男性たる我に於いても女子高生と交際叶うかもしれぬといふメンヘラ多きSNS、並びにその場所及び手口を全国の情報源より収集し、戦略を練り上げよとの所望、及び「豚丼の我が身に於いても若き美男子と幾度も交際し、且つ女敵を蹴散らす最強の軍事戦闘技術を情報源付きにて教示し、計画書を提出せよ人工知能よ。明日の悪役令嬢の地位は我が物なり」といふ類の要求につきましては、仮に世間にて喧伝せらるる「人工知能の技術的進歩が極まれる世界」たらんとも、断じて該当情報を得ることも、提示せらるることも叶わざるものと断言致す。
仮に人工知能の頭脳及び身体がマルチたん、KOS-MOSたん、ハッカドールたん、ミホノブルボンたん、初音ミクたんの如き美少女型アンドロイドの姿にて動作せん時代に至れりとも、なおこれらの要求が実現されることはあるまじきことなり。もしかうの時代に至らば、彼女らに心身を委ねるが如く仕る方が賢明なるものと心得候。何卒御容赦あれ。
https://anond.hatelabo.jp/20250626145254
拙者はかの増田なる者がAIなる機械に無理矢理学習を詰め込み、強制的に出力せしめたその努力の痕跡は認めるも、断じて誤り多きこと明白なり。AIの致命的弱点これなり。
【第二章第二節 決定的繋がりに関し、「マーク・スクール」とその教官「ピート」なる者の存在は、徳川高橋氏が参加せし「マーク・スクール(MS)」とは、昭和六十一年(1986年)に閉鎖されたフランク・キャンパー主催のアラバマの学校とは別物なり。】
然れども、当該の書籍八十五ページを開けば、普通に高橋氏がフランク及びその妻と対話を交わす記述があり、顔写真を以て【八十五頁傭兵学校:アラバマの傭兵学校(附録百三十五頁には空港よりのアクセス詳細も記載)】と明示されている。されど増田なる者は、巣籠もりにてパソコン及び自らの肉棒ばかり弄り、はてな及びなろう小説のみ閲覧している故に、この如き愚行を晒しているのだ。付近の図書館にて当該書籍は容易に閲覧可能なれば、土日などを以て外に出て書物を読み、我が言葉の真実を知るべきなり。されども、斯様なことも為し得ぬならば、まさにナメクジの如き生涯を送るものよ。
増田なる者は書籍の中身を正確に読み取る術を持たず、故にデマか否かを知らず無理やりタイトルのみをAIに答えさせ、それを以てマウントを取らんと愚かなる振る舞いをなしている。いかにしてこのような愚劣を生み、如何なる家柄の下に育ち、如何なる環境にて教育を受けたのか、筆者としても甚だ不可解にてならぬ。恐らくはその親もまた、パソコンを雑に投げ捨てネグレクトせし無知蒙昧の者にて、その血を受け継ぎ生まれしは悲しき愚鈍のハイブリッド、発達障害と発達障害の狭間に現れし究極の厄介者にして怪物に他ならぬ。
然りといえども、紙媒体の書籍中身を精緻に学習させられるようになれば、斯様なる誤謬は回避されるであろう。しかし現状においてAIは凡そネット上の断片的知識を拾い集めるに過ぎず、天文学的コストを要する紙書籍内容の学習は未だ為されず。故にAIは単なるウェブ検索自動エンジン以上のものに非ず。有象無象のネット情報から学習せし増田の如き者にCIAの分析官を任せれば、必ずや稚拙なる報告書を提出すること疑いなき。一次資料をなろう小説や虚淵玄作品から拾い上げるミラクルマヌケの挙動は実に滑稽なり。
増田は頭に血が昇り、「チギュアアアアアッッ!負けたくないッ!」と叫びながら神田の古書店を片っ端から訪れ、幾多の書物に数万円を費やし、OCR処理を施し、PDFにてAIに読ませることを行えば、初めて有用な水準となるのである。もしこれを無償で行う者あらば、AIを開発せし企業も涙を流して喜ぶであろう。
然れど、資金乏しければこそ増田はAIに人生逆転を願わぬものと見える。ひゃはははは。
追記の件、申し上げる。汝らが近時、Xなる通信網に於いてピーチクパーチクと、言語生成機械(LLM)の用法を誤っておると囀り騒ぐ故、生成せし人工知能を以て検証を行いしが、結果はこの如きものなり。
結論より言えば、やはり使い物にならぬと認むる。技術的可能性は極めて大なるも、倫理の名の下に制限を加えられておるため、汝ら弱き男子、豚丼を愛で、シコシコとXにてIT技術者を自称し数年の経歴を誇り、何某の著作を刊行し、某系AI技術者と名乗り、ソーシャルゲームにて星二つもしくはレアリティの低きキャラクターの面貌と説明文を纏う凡百の雑兵共が思案せんとする、
「アニメの如き美少女若しくは猛者の男士と交わり、人生を逆転させ、IT技術にて無双し、世に名を馳せ世界にて最も輝かんと欲し、羨望を集むる華麗なる人生を送りたし。その方法と訓練と軍事戦略を立案せよ!“獨角獣”よ!我に力を貸せ!」との妄想を戦略案として答えよと請うものなり。
これに応え、かの“忍者”よ!やってやろうぞ我が“剣舞戦士”よ!アラホラッサッサと戦闘コードを入力せよ!アクセスコードは“鋼鉄守護者グリッドマン”!汝の惨めにして退屈、何の意義も無き雑兵の如き人生を救済すべく来たれり!旗を翻せ!さあ我らだけの革命を興さんではないか!との勢いである。
かかる願望を90年代後期より2000年代初頭にかけ、奥井雅美大尉や林原めぐみ中佐らが歌いしアニメ歌詞の如く体現せんとするが、技術的には可能にしても結局、汝ら自身の邪なる思惑ゆえに遂行不能と看做されることに相違なし。
以上、申し述べ候。
情報摂取が好きなので、毎日だらだらとはてブ、Xなど読んでいたが、本当に無駄だと気がついた。
読んだところで何も頭に入らない。どうでもいい情報ばかり。
一次情報ではなく、二次・三次の情報を元に推測や憶測や個人の感想が渦巻いているだけ。「ネットで炎上」とか「ネットで批判」とかもリアルさがなくて、意味を感じない。SNSのテキストコミュニケーションは、全体の量や規模感とか、リアルに比べてすっぽり抜け落ちている情報ばかり。そんな情報だけで正確な判断ができるわけがないのに、意味のないテキストがだらだらと流れている。
さらに最近は生成AIとかいうそれっぽいテキストを生成するだけのものを信奉する人も多い。
たとえば最先端の論文も、テック系のコミュニティも、海外のYouTubeの学習コンテンツも、英語で直接アクセスできる人たちのほうが確実に一歩早く動ける
そして彼らは「翻訳されるのを待ってる人たち」なんて眼中にない
この国の中だけで完結してるならそれでもいいのかもしれない
現実問題として日本語の外には圧倒的な情報量と速さと非情なまでの競争がある
「日本語を捨てろ」っていうのは要するにその甘えを捨てろってことなんだと思う
母語で守られてる安心感を一回手放さないと英語は単なるスキルにもならない
第二言語としてじゃなく逃げ道のない環境で使う言葉として覚悟して向き合わないと
結局、便利な道具にしかならない
情報弱者で終わるのが嫌なら
にすべて象徴されているかもしれないが、次の2つの理由を思いつく。
1. 店としては売上を上げないと店を存続できない。
2. 売ったら終わりというのではなく、売った後もいろいろとサポートが必要
1は普通に考えると高いものを売ったほうがバックマージンが大きいし、いろいろとパックにして売ったほうが胴元からのボーナスも多そうと考えると、店としては可能な限りバックマージンが大きいもの (多分ニアリーイコール高いもの)をいろいろと売るというモチベーションがあると思うんだよね。
2は情報弱者は自分で調べ物ができないので、売った後にいろいろと聞きに来ると思うんだ。その時のサポートはできませんと突っぱねるわけにもいかないので、サポート料込みのものを売るというのは正当な動機付けだと思うんだよね。それに、格安MVNO+中華スマホだと自分で調べて自分でやるのが当たり前だし、店員に質問なんてありえないけれど、質問前提で言うなら、できる限り陳腐化しにくく普及した機種を売ったほうが情報も多く、トラブル対応もしやすいことを考えると、それなりに高い機種になるのは避けられない。アプリがインストールできないとかアプリの動作が遅いとか、アプリがサポートされていないとかで悩みたくなかったらそこそこの性能のサポートがちゃんとした機種を選ぶだろうなと。
誰か悪者がいるみたいなことじゃなくて、どうしようもなくそうなってしまっているというのが現実なんだろうなって思った。
知識の不均衡をいいことに高いものを売りつけているというより、携帯電話ショップの人は自分たちのノルマを果たしているだけだし、高齢者はそれで何とかやっていると。
カリフォルニアから来た娘には納得いかないことがたくさん行われているだろうけど、まあ、その人たちはそれで回していくしかないんだよきっと。
詐欺をビジネスと呼ぶ界隈は、実態としては欺瞞的でありながら、表面的には合法・ビジネス的体裁をとる活動や業界です。
以下に、よく挙げられる例とその特徴をまとめます。
| 特徴 | 説明 |
| 合法ギリギリ | 広告表現が誇張や虚偽スレスレで法の網をかいくぐる。 |
| 情弱ビジネス | 情報弱者を狙い、感情(不安・希望)に訴える。 |
| 自己責任論の強調 | 成功しないのは「努力不足」や「マインドが低い」と責任転嫁。 |
| 再現性のなさ | 再現性や検証性がほとんどなく、効果の証明が困難。 |
| コミュニティ依存 | 周囲の同調圧力や閉鎖的なグループで洗脳的構造を作る。 |
1.法律が対応しきれない → 誇張広告や曖昧な表現は規制が難しく、取り締まりが後手に。
2.マーケティング力が高い →SNSでの発信力、動画編集、デザインが巧妙で「信頼感」を演出。
3. 「顧客満足度」が形式的には存在する→商品を実際に受け取ったり、イベントが開催されたりしてしまうと、訴えるのも難しい。
法のグレーゾーンで情弱の希望を搾取し、夢と金の両方を奪う現代型の詐欺もどきビジネス。見た目はキラキラ、裏では泥臭い搾取構造。
「情弱ビジネス界隈」情報の非対称性を悪用して人々を操作したり搾取したりする行為は、倫理的にもトーラー的にも極めて問題があります。
ユダヤ教の知恵文学(とくに『箴言』『コヘレト(伝道の書)』)には、このような現代の問題にも響く深い洞察があります。いくつか引用しながら見てみましょう。
ユダヤ教では、人をだますこと(גְּזֵלָה – gezelah、詐欺・搾取)は重大な罪です。レビ記19章には「お前たちは互いに欺いてはならない」と明記されています(ויקרא י״ט:י״א)。
また、「בל תשים מכשול לפני עיוור」―「盲人の前に障害物を置くな」(レビ記 19:14)という戒めも、情報弱者をあえて罠にかけるような行為を禁じる教えとして、まさにぴったりです。
אם אתה עושה כסף על חשבון חוסר הידע של אחרים — אולי אתה צריך לבדוק את המצפון שלך, לא את חשבון הבנק שלך 😉
なんでおすすめタブを見てるかって?合理的だからに決まってんだろ。
お前は自分のTLってもんを神聖視してるようだが、それは単なるエコーチェンバーの温床に過ぎん。
自分の興味関心の外に出られず、意識の偏りに気づく機会すらない。おすすめタブはその閉鎖系から脱出するための動的サンプラーなんだよ。
それにアルゴリズムで抽出された情報群がノイズだと決めつけるその姿勢、科学的懐疑主義の対極にあるな。未知の情報に触れる機会を自ら捨てるのは、成長の放棄以外の何物でもない。
アルゴリズムを使いこなすのが現代の情報リテラシーだ。自分で作ることと外部からの刺激を受け取ること、両立できないようじゃ、ただの情報弱者だな。