
はてなキーワード:情報商材とは
概ねその通り。というか「クリエイターが稼いでる」は平均値の罠で、現実は超歪んだ分布。
稼いでるのはクリエイターじゃなくて、正確には
この2つ。SNSで見えるのは上澄みだけで、しかもその上澄みは実際の生活じゃなくて、広告としての生活を演出してる。なぜなら、キラキラしてないと次の案件も次のフォロワーも来ないから。
さらに構造的に、クリエイター市場は供給過剰。参入障壁が低いから、才能以前に人数が多すぎる。結果として労働力の買い叩きが起きる。イラスト、動画編集、作曲、ライター、全部そう。
「好きなことで生きていく」
「才能があれば稼げる」
みたいな形で、労働市場の現実(競争・営業・運・資本)を隠してること。
「クリエイターで稼ぐ」は職業というより芸能界に近いギャンブルなんだよな。成功例だけが宣伝され、失敗者は統計から消える。
やっと辞めた。あんな場所、もう「社会の掃き溜め」以外の何物でもなかった。
タイムラインを開けば、底の浅い情報商材屋と、誰かを叩くためだけに研がれた言葉のナイフ、そして虚無を煮詰めたようなインプレゾンビの群れ。不快なのに指が勝手にスクロールを止めない。脳に直接、汚水を流し込まれているような感覚。あれは中毒というより、もはや呪いだった。
漫画『チ。』の中で、「誰もが文字を使えたらゴミで溢れ返る」という危惧があったが、未来はそれ以上に最悪だった。文字どころか、140文字の「叫び」と「虚飾」が世界を埋め尽くしてしまった。
自分が特別な人間だなんて思わない。でも、言葉を放つことの責任や、情報の重みを知らない連中が多すぎる。インターネットは自由の象徴だったはずなのに、いつの間にか「声の大きいバカ」と「それを利用する詐欺師」の独壇場になった。
この絶望はSNSだけじゃない。これからはAIが作った「カスアプリ」の時代が来る。
ちょっとプロンプトを叩けば、中身スカスカの、広告だけはやたら多いゴミみたいなアプリが数分で量産される。ストアを検索しても、AIが書いた「それっぽい説明文」と「嘘のレビュー」で塗り固められた無価値なアプリの山にぶち当たる。
文字がゴミになり、SNSがゴミになり、次はツールそのものがゴミになる。
手軽に何でも作れるようになった代償に、僕たちは「本物」を探すためだけに人生の貴重な時間を浪費させられるんだ。情報を出すこと、物を作ることの「重み」が消えた世界。その先はただのゴミ屋敷だ。
作っているものの傾向にもよるだろうが、自分のサークルはFANZAのフロア分け以降は売上が1/10くらいになったから景気のいい話は眉唾。
生成AIでエロ売ると儲かるぞ!と言って稼ごうとしているAI副業商材屋ばかりが増えている現状なので
これを見てやろうかなと思った人は止めないけど、やるなら情報商材は買わずに始めたほうがいいぞ。金がもったいないし情報もすぐ古くなるからな。
AIが受け入れられてるわけではない。
の根拠にはなってない。
むしろニーズのあるところを狙えば売れる(元増田によれば手描きを抑えて売り上げトップ)のであれば
それは「AIが受け入れられてる」と言って差し支えないのでは。
んん?
「情報商材を買うな!」はわかるが
「商材を買わずにAIイラスト集作って売れ」って言ってるみたいで
いいもの
・Qwen Family
・ClaudeOpus 4.5
よくないもの
・誰も使わないテンプレートに沿った結果を出力する謎の生成AIアプリ
・その更に上をいくアホさ加減のApple Intelligence
・そもそもの使い道がチャットと画像生成以外微妙なGeminiシリーズ
・PyTorchやJaxすらまともに書けない自称AIの専門家
・何も理解してないのに専門家の顔してるアクセンチュアのコンサル
・受諾開発しかやってないのに研究開発部門があるAIベンチャー
・API呼んでるだけなのにAI機能を内製してるって嘘つくベンチャー
・採点丸投げ講師
・Cursor/Claude Code丸投げ業務委託
・SDXL丸投げ絵師様
・SDXL丸投げ絵師様により心を痛めた本当の絵師様向けの陰謀論
初めにこのことを書かなければならないと思った。
なぜなら本書において三宅香帆は信じられない前提を置いている。
若者は、自分が面白いと思う物や好きと感じることが自分では分からないという前提だ。
だから初めに書く。
私は自分の好きなものや、自分の嫌いなものを確かに自分で判断することが出来る。
その上でこの本は面白くないと感じるし、筆者のことは嫌いだ。
私は23歳の男だ。地元の友人は結婚ないし婚約をしている中で、そろそろ若者としての賞味期限切れを感じつつあるが、若者という立場で文章を書く。
本書で述べられる考察とは何か。
それは既に存在している正解を探す行為であり、そこから与えられる「報われた」という感情が報酬となって流行を見せているという主張が展開された。
変な家、あなたの番です等で正解のある内容を考えることでほっとして安心できる。これが若者の思考であり令和でウケる要素があると書かれた。
そこには正解を当てたという「意味」があり、これがあるからこそ物語を楽しむ時間が無意味であることの恐怖を和らげることが出来る。
だからこそ答えがある場所に、成果が得られそうな場所に集まる。
そうして物語を楽しむという行為が報われるという行為に奪われていくという話だ。
この流れを聞いてどういった印象を受けるだろうか。
何が良いのかも判断が付かず、それらしいものに絡めとられていく様子が私には浮かんだ。
私はこの主張に否を突き付けたい。
確かに若者が好みそうなコンテンツ、作品が計算して作られることはあるだろう。
だがそこに乗っかるのはあくまで自分たちが楽しいから、自分たちが良いと感じるからのはずだ。
ネガティブな感情に追いやられ、そればかりしか楽しめなくなる集団が多数派かのような内容を押し付ける行為は認められない。
一読した部分では分からないことや読み取り難い部分があり、作品に再度触れながら仮説を立てたり根拠を探したりした。
が、それでいい。何故か?
答えを探し求める過程で作品世界への理解が深まり、これまでの自分では気が付かなかった領域が見えたからだ。
そうして感じ取った部分を基に、またもう一度その作品が好きになる。
時間をかけて丁寧に読み、初めに探していた部分とは違った側面がいくつも見えてくる。
この物語は、もしかしたらこういうことを描きたかったんじゃないか。
改めて考察を終えた後作品を振り返ると、それまでとは全く違う姿が見える時がある。
そんな瞬間が楽しくて、考察をする。
人が考察をするのってそういう部分を求めてるからなんじゃないのか?
コンテンツが語らなかった部分を積極的に読み取ろうとすることで、自分の中で新しい物が芽生える。
受動的な視聴とは違う。
自ら生み出す創作とも違う。
それでも自分の行動が挟まる(ように見える)余地があって、自分の手で何かが変わった体感が得られる。
この能動性に考察との共通項があるからこそ、二つが同時発生的に消費者の中で存在感を放つようになったのではないか。
そこには、コンテンツが溢れるようになった時代も関係しているのかもしれない。
ただそこにあるものを消費する営みに疲れ、一歩積極的な行動に価値を感じるようになった。
そんな背景がもしかしたらあるのかもしれない。
ここまで書いたことと、本書で主張されたことは、どちらが正しいのかは分からない。
著者に課せられたハードルはそんな低い物ではないはずだ。
根拠のない持論を重ねること。
何かの作品に対して向けるなら好きにすればいいが、現実に人間に向けるなら話は別だ。
「若者」達に向かって、生き方や接し方を説く。より上の世代に向けて「若者」との接し方を示す。
分析する力も、説得する力もまるで足りてない。
自身のツイートで若者を救いたいと言っていたが、別にあなたは必要とされてない。
彼女がこの本でやっているのは、勝手に問題意識を植え付けることだけ。
ネガティブな像を作り、最終的に自分の提示する方向性に誘導する。
高級感のある情報商材屋だ。イラストをアイコンにしたビジネスブルーバッジがよくやっている。
もっと根本的にだ。仮に考察の目的が正解当てゲームに主眼を置いた物だったとしよう。
ドラマの正解当てばかりに躍起になってるやつ、見たことあるか?
もっと言えば、そもそも考察でそんなに正解に辿り着いているか??
本書の嫌いな部分はこういう所だ。
自分の言いたいことのために、もっと当たり前のことをいくつも無視している。
娯楽に触れる上で最も嫌われるのは「つまらない」ことのはずだ。
報われるだとか、最適化だとか、くだらないことをごちゃごちゃ語るんじゃなくて、シンプルに面白くないことはしたくない。誰だって楽しいことが好きなはずだ。
失敗したくないだとか、何を言っているんだ。
寂しいならお友達が周りに沢山いるだろ。
他人をわざわざ付き合わせるな。
この本は一時が万事そんな調子だ。
根拠になっていない根拠に著者の妄想が乗っかり、あなたはそう思うのかもしれませんね以上に見どころがない話が続く。
さっき書いた考察という行為に対する私の主張も、別に特段の根拠がある訳ではない。
少なくとも私と私の周りにいる人間は物語を愛するために考察をする。
だったら本を書く前に、そんなことをしなくてよいと直接声をかけるべきではないか。
声をかけた結果の対話でもあれば、この本はもっとマシな内容になっただろう。
やけに人気そうな割に話すことが薄いなと思ったし、Kindle Unlimitedで読んだ『好きを言語化する技術』は途中で投げた。
読みづらい上にnoteで書けよみたいな話ばかりで。
正直批判する側に相当アレなやつが多いし、いちゃもんばかりつけられているように見えた(例えば飯田一史のやり方は気に喰わない)。
実際彼女の著書を最後まで読み切った訳ではないから、一冊しっかり読み切ろうと手に取ってみればこのザマだ。
全く言語化について考えたことがない人間には役立つ部分もあるからだ。
そういう悩みを抱えた人間。
これは対象が明確だ。
そういった人々にとって助けになる可能性はある。
noteやYoutubeで探せばもっと分かりやすく深い内容の物があると思うが、それでも本の価値は0ではない。
誰のことを書いている。
様々な作品に、自分の主張を通すために無理やりな解釈を加え続ける。
これでいいと本当に思ったのだろうか。
内容を磨きあげるためにベストを尽くしたのだろうか。
これでいいと思ったのなら、読者を舐めている。
彼女を擁護する者の中に、彼女と同様に「若者」を舐めている者がいないか。
最近三宅香帆の文章を添削するというnoteが話題になった(https://note.com/kyunkyun_p_d/n/n9cc45ed3d74b)。
私の立場を示すなら、必要な指摘と的外れな指摘が混在していると思っている。
確かに三宅香帆の文章は読みづらいと思うが、それはターゲット層の違いもある。
1-の章立てで指摘されてた表現群はちゃんと狙いがあるし、修正前の方が素晴らしい内容だと感じた。
一方で2-、3-の章での指摘な重要な物もある。
彼女の文章は、読み手がおかしな部分を見逃したり、言いたいことを察したりする必要がある部分がそれなりにある。
例えばこれだ。
https://x.com/tsurezure_lab/status/1989617763934244949?s=20
このツイートに載っている表は『考察する若者たち』の冒頭で出てくる。
この表を持って
『そう、ドラマや映画の「ただの感想」よりも「考察」のほうが、いまや人気なのです。』(Kindle 3ページ目から引用)と主張する。
いやそれは違和感ない??
ショートと通常の合計では考察動画の方が多いかもしれないが、じゃあ考察の方が人気なんですねとスッと飲み込むのはやや難しくないか。
別に大したことじゃないかもしれないが、パッと見で違和感ある主張を並べる理由もない。
一つ二つならまだしも全ての章で強引な主張に溢れている。
これ、本当に本を読まない人間向きの本か?
結構な人数が無意識に、本を読まない人間は論理的思考力に欠ける馬鹿だと考えてないか?
本を読まなくとも、論理展開のおかしさに気付ける人は少なくない。
そんな中で適当な内容ばかり書いてある本を目にすれば、むしろ価値がない物として認識される。
雑に作られた形の壊れた文章を、三宅さんはそういうライターだからで済ませるのは、三宅香帆を一番馬鹿にしてるだろ。
アティチュードばかり頭にあって、目の前の良し悪しについて考えることを放棄してないか?(これは彼女の属性だけで飛びついて批判してそうな側にも言える話ではあるが)
何年も書いてる人間がちゃんと考えれば、もっといい内容を書けるに違いない。
彼女周りの人間及びファンダムは、三宅香帆を過度に低く見積っているように見える。
人を舐めるな。
過去に発売された本達は、彼女の名前が残り続けるにふさわしい内容だったのか?
全くそうは思わない。
三宅香帆本人もだが、彼女を過剰に持ち上げようとする人々の方がより嫌悪感がある。
チェックする人間は何を考えているのか?
売り出したいものがあるなら、付け入る隙を減らすように粗は取り除いておくべきだ。
クオリティの低い物が注目を集めれば批判が集まるのは当たり前だ。
彼女に連なる様々な動きが、本を売り出すために仕掛けるプロジェクトだとするなら、シンプルに全ての能力の限界が近いとしか思えない。
本を出版する人間達は、もっと面白くて、真摯な発信が出来るはずだ。
どうしても自然に差し込む方法が思いつかなかったので、趣旨とは外れる部分を書く。
何故か後半は自分語りになってしまったので本当に読まなくていい。
野村克也、日本歴代二位の通算本塁打数を誇る名打者、かつ名捕手として野球の戦術戦略に様々な形を導入した人物でもある。
彼の特徴はと問われて何を答えるかは人それぞれだが、野球の実績以外にも目を見張る点がある。
正しい数字かは不明だが150冊以上の本が出版され、30冊以上が文庫化されているらしい。
通算150本塁打以上を記録した選手は歴代で180人しかいないし、シーズン30本以上打った選手は今年のプロ野球では2人しかいない。
文筆家としても名選手だったと言えるだろう。
強いて言うなら、楽天の監督を辞めた後の時期の本は面白いかもしれない。
大体のルーキーはストレートに魅力があってプロに入ってくるのに田中将大はスライダーにこそ価値があった。
そんな投手は稲尾和久以来だった、みたいな話はめっちゃ面白い。
逆に言えばそれ以外はあまり見どころがない。
ほとんどの本で話が使いまわされていて、見たことがあるからだ。
そんなに人間新しい話が書ける訳がない。
しかも現場から離れていった彼の野球理論は、今読めば正直古かったり間違っていたりすることも多い。
当時でも検証不能であったが故にまかり通っていたが、今から見ればそれはおかしいと言いたくなる話が沢山ある。
それでも本は売れた。それは詳しい内容以上に彼の人間性に惹かれ、言葉を読みたい。
私もその一人だ。内容の是非とは違う所に読む価値を感じていた。
翻って、三宅香帆はどうだ。
連載をこなし出版をこなし、メディア出演も大量も盛りだくさん。
今回の本を読んでとてもそうは思えなかった。
それでも彼女の本は売れる。それは三宅香帆という名前そのものにファンがいるからだ。
とても既視感を覚える。
ノムさんの本に、今はそんなことないなんて言い続けても野暮だろう。
しかしこの2人には大きな違いがある。
それは年齢だ。
現場で戦う人間は自分たちで新しいことを探すし、話しを聞いたとしても大真面目に捉え続けることは少なかったのではないか。
彼女は違う。今まさにど真ん中で社会に変化を与えようとする側だ。
だからこそ、本の内容が稚拙なのが気に入らない。これでいいとは言いたくない。
本から完全に離れた自分の主張を書くなら、寄り添うのはもういいと社会に対して思っている。
それは社会に余裕がある時の振る舞いだ。
今はそんなものは無い。
むしろ人は1人では生きていけない。
だけどいつか人は支えて、人を引っ張り上げる側に行かないといけない。
今の生活はクソだ。
だから今の社会はゴミだなんて話で終わらせようとするのはもっとクソだ。
でもいつまでも弱いままでいることは出来ない。
腹を括って、自分は強くなって自分は勝ちに行くんだと言い切らないといけない。
三宅香帆の本は優しい。
弱いことを肯定する成分が強い内容だ。
そういう部分が共感を呼んでいることも有ると思う。
でもそれはもう遅いと思う。嫌々ながらも諦めて頑張らないといけない。
ノムさんは、プロ野球選手になってから文字通り血の滲む努力を繰り返して成功したという。
それが答えだろう。
ノムさんも三宅香帆も、精神面でもメッセージが強く受け取られている。
金を残すのは三流、仕事を残すのは二流、人を残すのが一流。
考察する若者たちも、読者の感想は最終章への言及がとても多い。
2人とも人を感化しているし、読者は受け取ったメッセージを抱えて行動しようとしている。
じゃあ、本当に成果を出して、人生を動かしている人はどういう属性なんだろうか。
文系は理系より平均年収が低い。https://www.rieti.go.jp/jp/publications/nts/11j020.html
ネットではコンサルや総合商社のような勝ち組文系が溢れているのに、これはなぜか?
「平均年収を引き下げている大多数の文系=弱者文系」層が存在するためである。
文系領域では、そこそこの年収だが専門性を武器にしたキャリアアップが起きにくい職が大量に存在し、勝ち組とそれ以外が隔絶している傾向にある。
理系は「専門性を活かして別業界や格上企業へ移る」ルートが見えやすいが、文系では難しいケースも多い。
結果、生活はできるがキャリアに閉塞感を抱える層が厚く形成される。
今日のコンサルや総合商社で働く勝ち組は投資・数字・意思決定に触れる機会が多いため、情報商材やネットワークビジネスの標的にはなりにくい。
一方「弱者文系」層はそれらの知識に触れる機会が少なく、キャリアや将来の閉塞感を抱えがちで、かつそこそこの収入があるため標的になりやすい。
ネットで「文系は本社勤務で高収入だが、理系は院卒でも工場勤務で低年収である」といった言説を見かけるが、ここで言う文系は文系の平均ではない。
このような言説は概ね客である「弱者文系」へのリップサービスで、閲覧数稼ぎ・アフィリエイト誘導・情報商材誘導と親和性が高い「弱者文系向けコンテンツ」と見るのが自然だろう。
ここまで読んで不快だった人がいるなら、多分以下のどれかを踏んでいる。
・文系の専門性が評価されにくく、キャリアジャンプが難しい職は大量にある。
・文系職のキャリア閉塞感を打開できる「銀の弾丸」はほぼ幻想である。