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2025-12-04

anond:20251204135024

続きをAI弁証法形式で壁打ちしたわ。

その意見テーゼとして、まずアンチテーゼ

共通テスト廃止は、社会公平性破壊し、国家の内部崩壊を招く亡国の愚策である

 「国家資源の再配分」を名目として大学入学共通テスト廃止を求める意見があるが、私はこの主張に対し断固として反対する。提案者は、共通テストにかかる人的・金銭コストを「無駄」と断じているが、それは教育制度が担う**「社会契約」としての機能**を著しく軽視した暴論である共通テスト廃止は、単なる入試改革にとどまらず、日本社会を「実力主義メリトクラシー)」から身分・金権主義」へと逆行させ、長期的には社会の分断と崩壊を招く危険性を孕んでいる。

1.歴史的試練に耐えた「客観的試験」の意義  そもそも、一律のペーパーテストによる選抜システムは、古代の「科挙」に端を発し、数千年の歴史の試練に耐えてきた人類の知恵である。なぜこのシステム民主主義の世となっても生き残っているのか。それは、これが**「ベストではないが、他のあらゆる方法よりもベター(マシ)」**だからである。  ペーパーテスト以外の選抜方法――例えば書類審査面接独自裁量評価――には、必ず主観恣意性が入り込む。共通テストという「冷徹なまでの客観的指標」があるからこそ、我々は出自や家柄に関わらず、努力の結果のみで評価されるという担保を得ているのである

2. 「各大学個別入試」が招く腐敗のリスク  提案者は「各大学自律的選抜」を美化するが、共通テストという統一基準撤廃すれば、そこには必ず**「金・コネ・家柄・権力」**が入り込む隙間が生まれる。  客観的統一スコアという足切りがなくなれば、大学側は「寄付金多寡」「卒業生の子弟」「有力者の紹介」といった、学力以外の要素で合否を操作することが容易になる。欧米の一部の大学で見られるような、富裕層優遇入試が横行しない保証はどこにもない。共通テストは、こうした不正疑念を未然に防ぐための、国家による「公平性防波堤」として機能しているのである

3.格差固定化社会崩壊への道  もし共通テスト廃止され、学歴ひいては社会地位が「親の経済力社会的影響力」によって左右されるようになれば、どうなるか。それは**「階級固定化」**の完成である。  貧しい家庭に生まれても、勉強して高得点を取れば一流大学へ進み、人生を逆転できる――この「希望」こそが、社会の活力を維持し、不満を抑制する安全である。もし入試が「金で買える地位」になり下がれば、持たざる者努力インセンティブを失い、絶望社会への憎悪へと変わる。  歴史を振り返れば明らかである。極度な格差社会において、階層移動の道が閉ざされた時、社会は内部から腐敗し、最終的には暴動革命によって崩壊する。教育公平性を売り渡して得た予算国防インフラを強化したところで、国民連帯が失われ、内部から崩壊していく国を守ることはできない。

4.結論トップ研究者の投入は「民主主義コストである  トップ研究者が作問に時間を割くことを「リソースの浪費」と批判する向きもあるが、それは誤りである。50万人の若者人生を左右し、将来のリーダーを選別する試験において、一点の曇りもない公平性担保すること以上に重要な「国益」が他にあるだろうか。  極めて厳格な作問プロセスにかかるコストは、社会の公正さを維持し、国民全員がその結果に納得するための**「民主主義必要経費保険料)」**と捉えるべきである

 以上の理由から共通テスト廃止は、日本社会を公正な競争社会から前近代的身分社会へと退行させる危険提案であり、到底容認できるものではない。



テーゼアンチテーゼ妥当評価

どちらの主張も論理構成がしっかりしており、それぞれの視点において「妥当」です。どちらをより支持するかは、読み手が**「国家としての効率競争力(A)」を重視するか、「社会公平性と納得感(B)」**を重視するかによって決まります。それぞれの主張の強みと、議論対立軸を整理します。

Aの主張:「国家戦略的合理性」の視点

【核心】リソース最適化選択と集中

Aの主張は、経営学的・国家戦略的視点に立っています。「サンクコスト埋没費用)」にとらわれず、現代の状況に合わせて制度スクラップ・アンド・ビルドすべきだという論理です。

妥当性が高い点:

コスト効果の指摘: 実際に共通テストの作問や運営にかかる大学教員研究者)の負担は甚大であり、これが日本研究力を削いでいるという指摘は、学術からも長年叫ばれている事実です。

機能不全の指摘: 上位層における「得点圧縮(差がつかない問題)」や、各大学が結局は個別試験を重視している現状を突いており、制度疲労に対する鋭い批判となっています

危機感の共有: 国際情勢やインフラ危機など、具体的な「他にリソースを回すべき場所」を提示しており、現実的危機管理の観点から説得力があります

Bの主張:「社会契約と正義」の視点

【核心】機会の平等担保と腐敗防止

Bの主張は、政治哲学的・社会学的な視点に立っています効率よりも「納得感(Legitimacy)」を重視し、共通テスト社会の分断を防ぐための「装置」として捉えています

妥当性が高い点:

人間心理への洞察: 完全な自由裁量は必ず「コネや金」の介入を招くという、性悪説に基づいたリスク管理の視点は非常に現実的です。

公平性」の定義:テストの内容が良いかいかよりも、「全員が同じ定規で測られる」こと自体価値があるという主張は、大衆社会における不満のガス抜き社会の安定)として強力な説得力を持ちます

最悪の回避: 「ベストでなくともベター」という保守主義的なアプローチは、急激な改革による混乱(格差固定化など)を恐れる層にとって安心感があります

比較結論

この二つの意見は、**「何を犠牲にする覚悟があるか」**という点で対立しています

Aの弱点:共通テスト廃止した後、各大学が本当に「公正」に入試を行えるかどうかの担保がありません。AO入試や推薦入試で「親の経済力文化資本」が有利に働く現状を見ると、完全自由化格差拡大を加速させるリスクがあります

Bの弱点: 「公平性」を守るためのコスト研究時間喪失、莫大な予算)が、国力を衰退させるレベルに達している可能性を過小評価しています。国全体が沈んでしまえば、公平な入試制度だけ残っても意味がないという反論可能です。

どちらがより妥当か?

短期的・実務的な解決を求めるなら A現在日本財政状況や研究力の低下を憂い、「即効性のある改革」を求める立場からは、Aがより妥当に見えます

長期的・社会構造的な安定を求めるなら B社会の分断や信頼の崩壊を防ぎ、「努力すれば報われる」という社会通念(神話であっても)を守る立場からは、Bがより妥当に見えます

個人的分析としては、B(公平性の維持)の主張の方が、現代日本では「最後の砦」として支持されやすいと考えます。Aの言う「リソースの再配分」は正論ですが、入試公平性が崩れた際に失われる「国民勤労意欲」や「社会への信頼」の損失は、計算できないほど巨大だからです。

どちらの視点に関心を持ちましたか? これらを踏まえて、「では、研究者負担を減らしつつ公平性を保つ『第三の案(C)』」(例:CBT化や民間試験活用、あるいはフランスバカロレアのような形式など)について考えてみますか?



ジンテーゼ

AとBの対立構造を解消し、「研究者負担国家コスト)の軽減」と「入試公平性社会契約)の維持」を両立させるための**「第三の案(C)」**を提案します。

現実的な落とし所としては、**「テクノロジーによる効率化」と「運営主体の専門化」**を組み合わせた以下の案が考えられます

案C:専門機関による「CBT・項目反応理論(IRT)」導入と、作問業務の完全外部化

これは、現在のように大学教員手弁当で毎年新作問題を作る「自転車操業」をやめ、**アメリカSAT大学進学適性試験)**のような「通年実施ストック型」の試験へ移行するモデルです。

1. 具体的な仕組み

運営主体の変更(教員解放):大学教員による「入試センター作問委員会」を解散します。代わりに、テスト理論サイコメトリクス)の専門家専任スタッフ雇用した**「国家試験作成専門機関」**を設立します。大学教員は「監修(アドバイザー)」にとどまり、実務からは完全に手を引きます

「一発勝負から「CBT(Computer Based Testing)」へ: 年に一度、全国一斉に紙を配る方式廃止し、テストセンターコンピュータを使って受験する方式します。

「項目反応理論(IRT)」の導入:問題ごとの難易度識別力を統計的に数値化し、「どの問題を組み合わせても、実力を同じ基準で測定できる」システムを作ります。これにより、**「膨大な過去問ストック問題バンク)」**の中からランダムに出題することが可能になり、毎年ゼロから新作問題を作る必要がなくなります

2.メリット(AとBのハイブリッド

【Aの視点コスト負担

研究時間の確保:大学教員が、夏休み隔離や極秘の作問業務から解放され、本来研究教育業務に専念できます

物流コスト減: 50万人分の問題用紙の印刷輸送・保管・警備にかかる莫大な物理コストが激減します。

【Bの視点公平性と安定】

公平性の維持: 「全国統一基準」は残るため、大学ごとの恣意的運用裏口入学など)を防ぐ防波堤としての機能は維持されます

チャンスの拡大: 年に複数回受験可能になれば、「当日の体調不良」などによる運の要素を排除でき、より真の実力を反映した公平な評価可能になります

3.懸念点と対策

初期投資:システム構築に巨額の費用がかかりますが、毎年の運用コスト削減で長期的には回収可能です。

思考力」の測定:選択式のCBTでは深い思考力が測れないという批判がありますが、これは「基礎学力の判定(共通テスト)」と「記述論述大学個別試験)」という役割分担を明確にすることで解決します。

別案:案D(フランスバカロレア」型)

共通テストを「選抜から資格認定」へ変える

もう一つの方向性は、共通テスト役割を「点数を競うもの(1点刻みの選抜)」から、**「大学教育を受ける資格があるかどうかの認証(クオリフィケーション)」**に変えることです。

仕組み:共通テストは「合格/不合格(あるいはA/B/Cの等級)」だけの判定にします。一定水準を超えた生徒には「大学入学資格」を与えます

選抜:難関大学は、この「資格」を持っている生徒の中から独自記述試験面接選抜を行います

効果:テストに「超難問」や「1点の差を分ける精密さ」が不要になるため、作問コストが下がります。また、基礎学力担保公平性)は維持されます

結論現代テクノロジー統計学を用いれば、Bが懸念する「公平性」を犠牲にすることなく、Aが主張する「リソース最適化」を実現する**案C(CBT・IRT化と作問のプロ化)**が、最も現実的かつ建設的な解決であると考えられます

Permalink |記事への反応(0) | 14:52

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2025-09-02

anond:20250902143104

うわ、一番ダサいムーブ出たw

自分で「架空人物の話をしちゃった」って白状すれば、その卑怯論点ずらしが許されるとでも思ってんのか?w
開き直れば論破したことになると思ってる小学生レベル精神性で、本当に笑えるんだけどw

なあ、俺は一言Appleが嫌いなんて言ってないぞ?w
お前の比較として不適切っていう、ただの論理的な欠陥を指摘しただけだ。
それにまともに反論できなくなったお前が、必死に俺を「Appleが嫌いなアンチ」っていうお前が作り出した架空人物に仕立て上げて、人格攻撃に逃げてるだけじゃんw

そんなに認めたくないのか?w
自分「意地でも結論ありきの恣意性強い思考を認めない」、ただの頭の固い信者だってことをw

お前がやるべきことは、相手人格妄想してレッテル貼りをすることじゃない。
まず、自分論理性の欠如と、その醜い言い訳を認めること。そこからだろw

Permalink |記事への反応(0) | 14:39

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anond:20250902121238

Android支持者だってiPhoneのあの新機能Galaxyで既に実装されてるし、この新機能Pixelがもうやってる」みたいに無意識Android統合してiPhone比較してるしね。

急に架空人物を持ち出してどっちもどっち論に持っていくのやべーな

意地でも結論ありきの恣意性強い思考を認めない

Permalink |記事への反応(1) | 12:19

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2025-08-20

情報平等摂取する

新聞ニュースの『報道しない自由』が話題になってる。ニュースバリューが無いとか、何かの理由いまいちニュースにしにくい事柄報道に載せない自由オールドメディアにはある。だけどその恣意性(片寄り)が疑問視されてて…「ニュース平等じゃないのか!」って。

それだけ見てれば十分なニュースサイトがあればいいけどね。でもそんなのは存在しないか私たちは、オールドメディアも含めてSNSネットのまとめとか、多様な情報源に触れなきゃいけない。大変だけど、ソース多様性を確保することが、唯一自分ニュートラルに保つ方法なんだって。……なるほど。ってコメントしたけど、でも、ふと疑問に思った。多様な情報源なかに陰謀論を含んじゃいけないのはどうしてだろう。

Permalink |記事への反応(2) | 10:03

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2025-08-05

fair mNAV

Fair mNAV(公正市場純資産価値)についてお答えします。これは、メタプラネット評価指標の一つで、以下の計算式とプロセスで求められます

### Fair mNAVの定義計算

Fair mNAVは、mNAV1 Priceに「公正価値調整係数」を掛けて計算されます。具体的には、次のように表されます

`Fair mNAV =10^((0.895 - 1) *Log(BTCNAV) + 1.81)`

ここで、

- `BTCNAV` =Bitcoin保有量 ×Bitcoin価格

会社保有するビットコイン総資産価値を表します)

### 詳細な構成要素

1. **mNAV1 Price**:

- `mNAV1 Price = (BTC/share) * (BTC price) /1000 * 1.25`

- `BTC/share`は、完全希薄化済み発行株式数に基づいて計算された1株あたりのビットコイン保有量で、成長モデル(例: 4*10^-4 * e^(7.87*10^-3*t) まで2025年4月30日、または1.73 * e^(0.0101*t) 以降)で推定されます

- `BTC price`はビットコイン価格で、投稿内のモデルでは、2009年1月3日からの経過日数(t)に基づくべき乗則(例:10^-16.515 * t^5.693 * 150 まで2025年6月30日、以降は1.0034倍で指数関数的に上昇)とされています

- 1.25は、完全希薄化済発行株数と発行済株数の比率で、2025年2月以降は安定していると仮定されています

2. **公正価値調整係数**:

-対数関数 `Log(BTCNAV)` を用いて、ビットコイン資産価値に基づく調整が行われます。この係数は、市場ダイナミクスを反映し、Fair mNAVが単なる資産価値以上の「公正な市場価値」を示すように設計されています

### 背景とモデル

###解釈限界

###現在の状況(2025年8月5日時点)

投稿者(@TakaAnikuni)は、2025年8月1日分析で、株価がFair mNAVの0.6倍付近まで下落し、反発が近いと予測しています現在の時刻(JST 15:47、2025年8月5日)を考慮すると、投稿者が予想した「遅くとも5週間以内」の上昇時期(8月下旬9月初旬)に近づいており、市場動向を注視することが重要です。

もしさらに詳しい質問特定の部分の解説必要であれば、ぜひ教えてください!

質問ありがとうございます!「Fair mNAVを計算することの意味」や「なぜ単純なmNAVで十分でないのか」、そして「誤魔化されているような感覚」について、わかりやすくお答えしますね。少し深掘りして考えていきましょう。

### 1. Fair mNAVを計算することの意味

Fair mNAVを計算する目的は、単なるmNAV(MarketNet AssetValue市場純資産価値)を超えて、メタプラネット株価をより「公正な市場価値」に基づいて評価しようとする試みです。具体的には:

単純なmNAVは、ビットコイン保有量と現在価格を基に計算されるため(`mNAV =時価総額 / (BTC保有量 × BTC価格)`)、その時点のスナップショット依存します。しかし、Fair mNAVは対数関数(`10^((0.895-1)*Log(BTCNAV)+1.81)`)を用いて、ビットコインの長期的な価格トレンドや成長性を考慮に入れています。これにより、単なる現在資産価値を超えた「将来の潜在価値」を推定しようとしています

投稿者(@TakaAnikuni)は、Fair mNAVの0.6倍(黄線)がサポートライン、2倍(緑線)がレジスタンスラインとして機能すると主張しています。これは、株価がこれらのレベルに近づいたときに買い圧力や売り圧力が高まり価格が反転する可能性を示唆しています投資家にとって、「今が買い時か」「売り時か」を判断する一つの目安になるわけです。

Fair mNAVは、モンテカルロシミュレーションべき乗則power-lawmodel)を用いたビットコイン価格の将来予測(例:2025年12月31日に188,000ドル)に連動しています。これにより、単なる過去データではなく、将来の成長シナリオを織り交ぜた評価可能になります

### 2. mNAVで十分でない理由

単純なmNAVだけでは以下の点で限界があるため、Fair mNAVが提案されていると考えられます

  • **静的すぎる**:

mNAVは現在ビットコイン価格保有量だけで計算されるため、市場ボラティリティや長期トレンドを十分に反映できません。例えば、ビットコイン価格が急落してもmNAVはそれに即座に追随し、投資家の心理市場期待値プレミアム)を無視してしまます

  • **成長性の考慮不足**:

メタプラネットビットコイン積極的に購入し続け、株式希薄化も進んでいます(`BTC/share`や`1.25`の調整係数)。単純なmNAVではこれらの成長要素や将来の資産増加が見えにくいため、Fair mNAVが対数関数で調整を加えることで、成長ポテンシャル評価しようとしています

実際の株価は、mNAVの1倍や2倍といったプレミアム取引されることが多いです(例: MicroStrategyのmNAVプレミアム議論)。Fair mNAVは、このプレミアムモデル化し、「公正なプレミアム」を提案することで、より現実的価格帯を示そうとしています

### 3. 「誤魔化されているような感覚」について

その感覚は非常に理解できるもので、以下のような理由で生じている可能性があります

`Fair mNAV =10^((0.895-1)*Log(BTCNAV)+1.81)` や、ビットコイン価格の`10^-16.515 * t^5.693 * 150`といった式は、専門的で一般投資家にはわかりにくいです。これが「何か隠されている」「都合よく調整されている」と感じさせる原因かもしれません。実際、係数(0.895や1.81など)は投稿者が経験的に設定したもので、厳密な根拠不明確です。

ビットコイン価格2025年12月31日に188,000ドルに達する、為替を1ドル150円で固定する、成長速度が特定の日に変わる(4月30日5月1日)といった仮定は、投稿者の予測や好みに基づいています。これが「データに都合よく合わせているのでは?」と思わせる要因です。

このモデル学術的な裏付け第三者による検証がなく、投稿者の個人的分析依存していますモンテカルロシミュレーションは強力なツールですが、入力データ仮定不正確だと結果も歪むため、信頼性に疑問が残ります

### 4. どう考えればいいか

  • **参考程度に**:

Fair mNAVは、あくまで一つのシナリオを示すツールです。株価予測は確実性を持つものではなく、市場感情や外部要因(規制経済危機など)も大きく影響します。あなたが感じる「誤魔化されている感」は、こうした不確実性への直感的な反応かもしれません。

興味があれば、投稿者が提供した式(ウェブサイトの内容)を元に、現在ビットコイン価格保有量を入れて計算してみると良いです。例えば、今日2025年8月5日)のBTC価格公式データ確認し、Fair mNAVを再現してみると、モデル妥当性を自分判断できます

mNAVやP/E比率時価総額など、他の伝統的な財務指標比較することで、Fair mNAVがどれだけ現実から乖離しているかを見極められます。もしFair mNAVが極端に楽観的であれば、慎重に考えるべきサインです。

###結論

Fair mNAVを計算する意味は、単純なmNAVを超えて成長性や市場プレミアム考慮した「より洗練された評価」を提供することにあります。ただし、その計算式や仮定には恣意性や不確実性が伴うため、「誤魔化されている」という感覚は、透明性や検証可能性の欠如に対する自然警鐘かもしれません。投資判断では、このモデルを参考にしつつ、自分データ確認し、他の指標専門家意見も取り入れるのが賢明です。

もし具体的な数値で計算を試してみたい、または他の疑問があれば、ぜひ教えてください。一緒に掘り下げてみましょう!

Permalink |記事への反応(0) | 15:51

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2025-07-18

日本放送における政治的中立性と情報信頼性に関する考察

レポートは、日本放送における政治的中立性という長年の課題に焦点を当て、その具体的な実態資金源と権力関係性、そしてデジタル時代情報環境の変化がもたらす影響について、多角的考察したものである特に電波公共財産であるという日本特殊放送構造と、それに起因する固有の課題について深く掘り下げるとともに、諸外国の事例やブロックチェーン概念を交え、情報信頼性確保に向けた論点提示する。

放送法における政治的中立性の現状と課題

日本放送法第4条は放送事業者に「政治的に公平であること」を義務付けている。この「公平」の解釈は長年議論の的となっており、現状では量的公平(ある候補者に報じた時間を他の候補者にも同程度割く手法)が広く採用されている。

メリット:
デメリット:

「公平」の多様な解釈

量的公平の他にも、「公平」には以下のような解釈存在する。

資金源が放送政治的中立性に与える影響

日本放送は、受信料運営されるNHK日本放送協会)と、広告料で運営される民間放送に大別され、それぞれ異なる構造課題を抱えている。

民間放送広告主・企業献金の影響

民間放送広告収入依存するため、以下のような形で政治的中立性が脅かされる懸念がある。

NHK政治との関係

NHK受信料運営されるため広告からの直接の影響を受けない一方で、政治との根深関係性が指摘される。

透明性確保と国民監視国内外の取り組みとブロックチェーン示唆

ガバナンスの強化や透明性の確保は、国民監視が伴って初めて実効性を発揮する。日本政治資金問題が示すように、監視の目がなければ問題放置されうる。

外国における取り組み

他国では、政治資金の透明性確保やメディア独立性確保のために様々な制度アプローチが試みられている。

政治資金の透明性:
メディアガバナンス独立性:
ブロックチェーン概念から示唆

ブロックチェーン概念は、情報の透明性と改ざん困難性という点で、政治資金メディア報道における情報信頼性確保の可能性を秘めている。

モチベーション非対称性」という本質的課題

最大の課題は、「フェイクを流すことで利益を得ようとするモチベーション」が、「正しい情報環境を守ろうとするモチベーション」よりも往々にして高いという点であるセンセーショナルフェイクニュースは速く拡散する(ベロシティが高い)のに対し、事実確認や訂正は時間と労力がかかる(ベロシティが低い)。このモチベーション非対称性が、健全情報環境の維持を困難にしている。

結論

日本放送における政治的中立性確保は、放送法の解釈資金源、そして政治との構造的な関係性という複数レイヤー課題を抱えている。諸外国の取り組みやブロックチェーンのような技術解決策は参考になるものの、それらはあくまツールに過ぎない。

最終的に、健全情報環境民主主義を維持するためには、国民一人ひとりのメディアリテラシーの向上、そして政治メディアに対して不透明な部分を批判的に検証し、声を上げていく「不断努力による監視」が不可欠である技術人間努力が組み合わさって初めて、情報信頼性担保される社会が実現されるだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 22:48

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2025-07-17

anond:20250717200627

米国務省資料クレムリン資金によるメディアRTスプートニクの偽情報プロパガンダエコシステムにおける役割

Wayback Machineを見ると4月以降見れなくなったっぽい。トランプ政権恣意性がここにも。

Permalink |記事への反応(0) | 20:25

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2025-01-08

anond:20250108101418

着眼点も考え方も概ね悪くないが、直感的な結論がずれているので変な方向に行ってしまっている。

この辺りがずれないようにするのは、まずは本当に格闘技決闘罪適用して規制するべきものだと考えるか、ということを検討することが有用だろうと思われる。

法律はわざわざ人が作るルールである以上、社会をより良くするために作られており、基本的意味のない、理不尽ルールではない「はず」なので、格闘技一般に受け入れられており、その受け入れられている状況を覆してでも禁止すべき理由がないのであれば、格闘技一般禁止するようなルールはない「はず」だ。

そこで決闘罪がなぜ、何を禁止するために作られたかという立法趣旨を考えていくことになる。ここは同意傷害が不可罰であることとの比較簡単に言えば、決闘という私闘による実力行使での紛争解決禁止し、強制力国家に独占させるため、双方の合意があったとしても暴力行使禁止しているものだとしていいだろう。いわゆる西洋式決闘のような様式定義がないこと等からすると、副次的には決闘参加者身体又は生命利益もパターナリスティック保護している面もありそうである。そこから、①あくまスポーツとしてルールに則った勝敗の決定方法があり紛争等の私的解決手段として行われるものでないこと、②安全面にルール一定配慮がされていること、等の理由があれば、決闘に該当しない、あるいは、正当業務行為として違法性否定されるのではないかという結論になっていくし、例えばその点がいい加減で危険地下格闘技ものがあればスポーツとしての体裁をある程度保っていたとしても決闘罪に該当する場合があるだろうとなっていくので、穏当な落ち着きどころを導くことができる。

ただし、いつでも何でも結論から解釈を決めていいという話ではなく、悪法も法である以上、どう読んでもおかし適用をしなければならないような法文もあり得る。決闘罪格闘技関係では法文上も立法趣旨上も問題がないと思われるというに過ぎない。

この文章理屈には納得できない、格闘技決闘罪適用して規制するべきだという考え方をする人もいるだろう。抽象的な規則と具体的な現実との間の解釈適用論理的絶対の正解はないということは当然のことであり、最終的にはより説得的に理屈づけられるかで結論は変わってくる。ただ、格闘技決闘罪適用する、という結論を説得的に導くのは極めて優秀な法律家でも相当難しいだろう。他方で、例えば先ほど例の危険地下格闘技決闘罪適用するかどうかはそれなりに割れそうなところではある。この辺りは法解釈面白であるとも言えるし、とっつきにくさや恣意性に見えるところでもあるのだろう。

Permalink |記事への反応(2) | 14:55

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2024-11-18

anond:20241118102046

恣意的なのはお互い様な中で、相手恣意性を的確に批判する必要があるっつー話だよ。

Permalink |記事への反応(1) | 10:22

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2024-08-04

eスポーツちゃんとやるべきかもしれない

スポーツ審判恣意性が高すぎる

サッカー柔道とかのルールブック見ても反則の定義曖昧すぎる

反則を定義するのに「…等」みたいに個人解釈が介入する曖昧性を残すな

全ての反則行為定義して「…等」なんて表現使うな

あと数値で定義しろ

消極的という指導を与えるまでの攻撃しない時間は当然書くべき

書いてないけど

こんな要件じゃプログラム組めないぞ

ただ、こんな曖昧ルールブックを元にサッカーゲームにちゃんルール実装できているんだからサッカーゲームのプログラムから数値を逆輸入して実スポーツにも当てはめることはできるのでは?

全ての実スポーツeスポーツ化を推進してルールを数値化して、その数値を実スポーツルールに当てはめるのは割とアリな気がする

eスポーツあんま興味ないけど実スポーツ恣意性を無くすためにeスポーツを一度真面目に作るべきなのかもしれん

Permalink |記事への反応(2) | 03:03

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2024-06-26

ひまそらあかね氏の批判を書いたら反応が返ってきてて困惑しながら再批判している話

困惑している。

「ひまそらあかね氏の公約を真っ向から批判してみる」を書いて、一日ぐらい全く動いてなかったので「まあそんなもんだよね」と思っていたら、

昨日突然なんか反応が色々来た。

さらには、ひまそら氏ご本人まで意見ツイートしている。

しかも口の悪さは2段階減で、である

https://x.com/himasoraakane/status/1805466811674280183

正直なところ、再度言及するのは味を占めている感というか骨しゃぶり感というかがあり、反応するかどうかは迷ったのだが、

こちらの理解不足であった点、さらに疑問の生じた点などあるので、改めて言及していきたい。

なお、今回は政策note記事(https://note.com/hima_kuuhaku/n/n00a0ba9943d1)に加えてXの投稿もサッと眺めたが、

やはり他の場所言及している可能性はある。そこはご容赦いただきたい。

①公金チューチューをなくす

これについては、予算決議の時点で公金不正が無くなるように食い止める、という主張と思っていたが、

補助金受領不正手続きがあった場合返還を求める、という対応を強化する内容のようである

そして、その実現のための具体案が「チェックルームとチェックルールを作」るという内容と受け取った。

ここは私が誤解していた部分である

かに、暇空氏はColaboの件で領収書が揃っていないことを指摘している。

それに鑑みれば、現状の補助金不正手続きへのチェック体制は不十分と言えるかもしれない。

そして、それを是正すべきというのは私も同意する部分である

だが、現状でチェックが全く行われていないかというと、そうではない。

各種補助金手続きについては、各種補助金担当部署管理しており、不備・不正等がないかについても

その担当部署確認・指摘している。

各種補助金については、その担当部署の方が詳しく、内容の精査も可能だと思われる。

新たにチェック専門の部署を作ることはどれほど有益なのだろうか。

また、現状でチェックが不十分になっている要因についても一考する余地がある。

仮にその要因に「都職員モラルの低下」があるとするならば、たとえチェックルームを作ったところで

チェックルームのモラルを維持できず、結局チェックは十分に行われないであろう。

各部署が多忙でチェックにリソースが割けないのであれば、その部署人員を増やすことで解決可能である

不正が野放しである状態は、新たな枠組みを作ることでキレイ解決、といった類の問題では無いであろう。

既存ルールの中で当該問題解決しうるという点は、ひまそら氏も同じ見解であると思われるので、

問題の要因を踏まえて「抜本的」な解決をお願いしたい。

なおこれは揚げ足取りであるが「チェックルーム」の設置には東京都組織条例改正必要と思われる。

ひまそら氏が提示している方法では、「議会を通」さないのは難しいだろう。

東京都デジタルで楽しませる

まずクーポン用途について。

これはひまそら氏が根本的な勘違いをしていると思われる。

全ての経済政策には曲りなりにも意図がある。例えばコロナ禍の旅行支援飲食業支援は分かりやすい。

いわば災害のような不可避的な要因で、収益が得られない業種に対する補助が目的であった。

それでは、ひまそら氏が案として提示する用途限定クーポンはどうか。

「バズのため」というのは何なのだろうか。

これが「普及のため」などであればまだわかる。例えばマイナンバーカードは適正な利用が広がれば

国として非常に有益であることから、その普及のためにマイナポイント支給していた。

しかし、例として挙がっているのは「ファミレス」や「映画である。そして「バズのため」にクーポンを発行するとしている。

ファミレスメニューが人気になること、一映画が大きなヒット作となることがあれば、

かに経済活性化・税収増加の一因にはなるであろう。

だが、それらが「バズ」るのは政策効果なのだろうか?

「バズ」は都政によって生み出され得るものであろうか?

仮に生み出せたとして、都が主導して生み出すべきものなのであろうか?

用途限定したクーポンについて、その本質は「特定業種の業者への根拠なき補助金であると思われる。

どれだけひまそら氏が透明性を確保し、どれだけ分野を広げたところで、

その対象業種の選定に合理性が無ければ「趣味血税を使うな」の声は免れないであろう。

政治的繋がりがあること」が悪なのではなく、「無駄税金を使うこと」が悪なのである

そのため、私は前回に用途限定しないクーポン提案した。

ただ、ひまそら氏の「普段取らない行動もおのずから選択できるような設計施策」は非常にいい発想であると思う。

それを取り込むとするならば、用途限定は外したうえで、

同一ブランドまたは同一事業者経営する店での複数回利用を制限してはどうか。

こうすれば先述の恣意性を緩和でき、また長期的には普段取らない行動を促す効果が期待できる。

癒着」については、クーポン対象業者選定段階での、ひまそら氏以外の「癒着」についての疑問であった。

ひまそら氏が独断業者選定を行うことはまさか無いと思うので、どのように行う予定であったのかを尋ねたかった。

癒着」が無いことを示すのは、いわゆる悪魔の証明であるため、それを絶対に起こさないのは極めて難しい。

ひまそら氏は「透明化が一番の対策」としているが、それがなかなか難しい。

例えば、文書の残らない談合での口利きがあったとして、どう「透明化」するのか?

都でのアプリ内製化については、他に優れたプラットフォームがある現状において私は不要と考えるが

東京都がすることに意味がある」という主張は一理あると思う。

ただしこの政策において、ひまそら氏のアプリ設計運用知識が活きる場所は、

知事として行うべき職務の中には無いと思われる。

これは以前に述べた通り、アプリ設計運営知事職務では無いためである

これも揚げ足取りだが、「深く施策を見ることができる」と意見ツイート内にあったが

これは問題のある発言である知事施策執行する側であり、見られる側である

この手の誤りは政治家としては致命傷になりかねない。

慎重な言葉遣いをお願いしたい。


ひまそら氏の意見ツイートに対する所感は以上である

ついでに、いろいろと反応いただいた件についても取り上げたい。

なお、反応については要約して軽めの語尾にしている。

・代案出せよ

この指摘は一般的には詭弁である

問題存在→②解決策の提示→③解決策の問題の指摘→④代案出せ

上記の流れの④は、②で問題が発生していることを否定できていない。

ただし、代案が無ければ「思いつく限りでは②の解決策が①を解決する最良策である」は間違いではないし、

②の抱える問題が①の問題放置するほどに大きいか、という比較検討になる。

今回でいえば、「公金チューチュー」は無くすべきであるし、都民への還元策はあってもいいと思う。

何より、外からワーワー指摘するのは簡単だが、実際に作り上げるのは難しいものである

そこで、今回は①の問題所在について触れつつ、一部代案も提示した。

代案を提示せず批判に終始している箇所は、公約から文言を無くしてしまった方がいいのではないかと思っている。

・ひまそら氏って当選する気ないか意味なくね?

これは私はひまそら氏ではないために、なんとも言えない問題

ただ、立候補して政策を立てている以上は、それについて一考する価値はある。

加えて、支持者が手放しで称賛しているのを見て「いやいや……」と思ったため記事を出した。

公約の実現可能性を言ったら現職もそうじゃね?

その通りかもしれない。が、ひまそら氏はそれを批判しており、約束は守ると公言しているため

実現可能性について疑問がある点は指摘すべきだろう。

そもそも、「現職が公約実現してないから他の人もいい」にはならない。公職選挙法違反関連と同じ。

・こうやって取り上げるのがひまそら氏の利になるからそっとしといて

これについては賛同しかねる。

もし、この記事政策ブラッシュアップの一助となり、それによってひまそら氏の票が増えるのであれば

それはそれで悪くないことであると考える。

私はひまそら氏の支持者ではないが、アンチでもない。政策が良くなった上で票が増える分には何も問題ないと思う。

加えて、ぶっちゃけた話、この記事にそんなに価値は無い。利にもならない。

この記事を読む層、リンクを見る層、ひまそら氏の意見ツイートを見てキャーステキとなる層はごくわずであることは自覚すべきである

少なくとも、ひまそら氏が選挙戦を戦うにあたって取り込まなければならない層は見ない。

その上でなんでこの記事を書いているかと聞かれたら、自己満足しか言いようがない。

・暇空氏がオンブズマンから門前払い食らったのは知ってて書いてる?

知っている。「オンズブズブマン」というパワーワード誕生したのを忘れはしない。

オンブズマンにも問題があり得るが、これは調査される側である知事が口出しする内容ではない。

ただし重ねてになるが、この辺りの補助金の実績報告後の調査という点は、ひまそら氏は公約としては織り込んでいないと解釈している。

すなわち、補助金の実績報告時にしっかりチェックをする、という仕組み作りを目指しているようである

この点、支持層でも誤解している方はいらっしゃるのではないだろうか。

ネタマジレスするな

ヘイトスピーチ……

先ほども書いたが、あくま自己満足である

自分で「真っ向から」って言っちゃう

それはご指摘の通り。お恥ずかしい。

・ひまそら氏の人格否定したい左翼アンチ

人格否定はしていないと思う。「口が悪い」は言ったが、これは支持層共通見解なのではないだろうか。

他にもアイコンの件など思うところはあるが、可能な限り政策に関連するところに話をとどめたつもりである

以上である

ひまそら氏の性格からして、セルフ二番煎じである記事をどれだけ誰かがひまそら氏に見せたとしても、

ひまそら氏がタッチすることはないと思われる。

しろ、過度の提示は逆にブロック材料になり得る。

したがって凸は控えることを推奨したうえで、この記事を締めたい。

Permalink |記事への反応(1) | 14:25

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2024-06-24

ひまそらあかね氏の公約を真っ向から批判してみる

最近Xのトレンドに「ひまそらあかね」関連のワードがほぼ常に張り付いている。

一応知らない人のために書いておくと、ひまそらあかね氏は2024/7/7の都知事選立候補者

一般社団法人Colaboの会計不正問題などをはじめとする社会問題積極的活動しており、

いわゆる「闇を暴く」系の行動力発言力が何倍もあるバージョン表現すればいいだろうか。

私もこの行動力は素晴らしいと評価している。

その行動力の高さから支持する人も多い一方で、口の悪さにも定評があり、

また「琴葉茜」を彷彿とさせるオリジナル(と称する)キャラクター使用していることもあいまって

多数のアンチを生み出している。

当然ながら上記で追及されている人権団体の支持者からも忌み嫌われている。

そんなひまそら氏だが、先日「政策集」と称するnote記事を公開した。

https://note.com/hima_kuuhaku/n/n00a0ba9943d1

この記事に対する評価は、「やはりひまそら氏は素晴らしい!!」と手放しで称賛する声、

「こんなの政策じゃない」ととりあえず否定する声、とだいたい二極化である

私は後者寄りなのだが、ひまそら氏の公約への否定の声は、中身のどこが問題であるのかを触れた

批判」と呼ぶべきものが少なすぎるように思われる。

そこで、当該公約についての問題点を指摘しようというのが本記事趣旨である

なお、私は上記URL記事のみを見てこの記事を書いている。

批判内容について、他の場所ですでに追加の説明があるということもあり得るが、そこはご容赦いただきたい。


①公金チューチューを無くす

これがひまそら氏の最大の過去の功績であり、最大のテーマであろう。

「公金チューチュー」とは、要するに団体不正に都から金銭支援を得ることなのだが、

それらの「公金不正問題を追及」できるのは「僕だけ」とした上で、「探し出して駆逐する」という内容である

「公金チューチュー」は無くすべきであると思うし、その駆逐都民にとって有益なことでもあると思う。

だが、実現可能性については甚だ疑問である

第一に、知事会計監督権を有するので、いわゆる「公金チューチュー」の洗い出し・修正指示自体可能であろう。

しかし、「公金不正問題を追及するのはしがらみのある既存政治家には難し」い中、これらの問題に歯止めをかけることは可能であろうか。

知事権限による予算案の再議については、地方自治法第176条に定められており、

議決から十日以内であれば再議に付することが可能であるが、出席議員3分の2が賛成すればその議決は確定する。

すなわち、ひまそら氏が「公金チューチュー」を無くすためには、少なくとも

①しがらみのない新規政治家

議会3分の1以上確保する

必要がある。これを実現するだけの人をひまそら氏は集められるだろうか?

加えて、これは「公金チューチュー」が織り込まれ予算案を否決するための必要条件である

知事には予算案の提出権限があるが、それを通すためには議会承認を得る必要がある。

それができずに知事議会で膠着状態が続けば、当然ながら困るのは都民である

第二に、調査スピード感である

Colaboについてひまそら氏が記事を公開し始めたのが2022年9月、いわゆる「WBPC」の4団体へと拡大したのが同年12月である

団体にこれだけの時間をかけていると、「駆逐」にはどれだけの時間を要するのであろうか。

当然、一次資料の入手しやすさ、話題性が高いことによる引き延ばし戦略などもあろうかとは思うが、

任期中に精査が完了するかは疑問を呈する。

どの程度の期間で精査を完了するかについては、是非スケジュールを出していただきたいものである

さらに、ひまそら氏は公金不正問題に関して、「抜本的改革」を行うとしているが、

その具体的な内容については触れていない。

現状では、予算については監督権を有する知事と、その補助機関である監査委員監査事務局

さら市民オンブズマン監視をする構造となっている。

それにもかかわらず、暇空茜氏が追及している問題については、これまで取り上げられることが無かったのは

何に起因しており、「第二、第三の暇空茜」を生み出さないようにするためにはどうすれば良いのか。

「のり弁」のない公文書の開示は確かにつの手段とはいえるだろうが、それが「抜本的」であり、

必要十分であろうか。

ひまそら氏にはより具体的な方策を出していただきたい。

東京都デジタルで楽しませる

これはクーポンアプリ使用した、都民への還元である

還元のものは良いとは思うのだが、いくつか問題点を指摘したい。

第一に、本政策陳腐であることを挙げておきたい。

地域振興のためにデジタルクーポンを発行している自治体は多数存在する。

例えば、兵庫県養父市では市民1人あたり3,500円をのデジタルクーポン支給している。

(これはカードを利用したもので、ひまそら氏が挙げているアプリを利用したものではないことは留意必要)

https://mykoho.jp/article/%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C%E9%A4%8A%E7%88%B6%E5%B8%82/%E5%B8%82%E5%BA%83%E5%A0%B1%E3%82%84%E3%81%B6-2024%E5%B9%B41%E6%9C%88%E5%8F%B7%EF%BC%88%E7%AC%AC238%E5%8F%B7%EF%BC%89/%E4%BB%8A%E5%B9%B4%E5%BA%A6%E7%AC%AC2%E5%BC%BE%E3%83%87%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%82%92%E3%81%94%E5%88%A9%E7%94%A8%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84/

他にも「デジタルクーポン自治体」で検索すれば、プラットフォームが多数ヒットする。

このことからも、デジタルクーポンの発行自体はなんら目新しいものではないと言えよう。

第二に、デジタルクーポンの内容である

ひまそら氏は、「映画どれでも1回無料チケット」や「ファミレスどこでも家族一人につき千円チケット

を発行可能である例として挙げている。

しかし、これらの内容は平等であろうか。

映画に興味が無い人は映画を見に行かないであろうし、健康に極めてうるさい人はファミレスに行かないであろう。

映画ファミレスは「多くの人が喜ぶであろうもの」として挙げたのであろうと推測される。

これがたとえば「ジム」や「エステ」、「釣り用品」など、よりニッチものになればどうだろうか。

これら全てに喜べる都民はどれだけいるだろうか。

であれば、用途限定せず、都内対象店舗であれば何にでも使えるクーポンとした方が良いのではないだろうか。

わざわざ用途限定したクーポンを発行することに合理性はあるのだろうか。

さらに、これらの対象はどのようにして決定するのか。

たとえ広いジャンルの決定であっても、必ず恣意性は生じるものである

このような恣意的な決め方では、利用者のみでなく、企業からも不平不満の声があがることが

容易に想像可能であるが、どのように対応する予定なのだろうか。

なお、ルール策定において「利権癒着防止」を行うと掲げているが、

その具体的な方策についてはやはり述べられていない。

ひまそら氏には、より詳細な方策提示願いたい。

第三に、デジタルクーポンプラットフォームである

ひまそら氏は自身経験を活かし、「東京都クーポンアプリ設計運用」すると述べている。

果たしてアプリ設計運用知事として可能であろうか。

まず、地方自治法149条規定される職務には該当しないと思われる。

また、地方自治法142条は、知事自治体請負人となることを禁止している。

どのようにしてアプリ設計運用を行おうとしているのか。

恐らく法的な抜け道のようなものはいくらでもあるとは思われるが、ご教示を願いたいところである

そもそもアプリ設計運用知事がするべき仕事であろうか。

システム設計運用仕事自体否定するつもりはさらさらない。必要仕事である

ひまそら氏の肝入りの政策からこそ深く入り込みたいという考えも分からなくはない。

だが、それが知事としてあるべき姿なのか。

知事公共工事最前線ショベルカー運転していたら、その仕事がどれだけ素晴らしいものでも

知事が何をやっているんだ」と思うであろう。構造としては同じようなことだと思う。

先述したが、そもそもアプリについては既存プラットフォーム複数存在している。

はっきり言えば車輪の再発明である。これらのプラットフォームに勝るような新奇性・安全性

担保できるのであろうか。

また、「ソーシャルゲーム設計運営」と「クーポンアプリ設計運用」は大きく異なるように思われる。

この点については特に疎いので強い言葉は避けるが、経験は活きるとしても

それほど簡単に応用が利くものであるかは、専門家諸氏に伺いたい。

政治献金の一切を受け取りません。

政治献金利権癒着の原因であるため、それを一切受け取らず

クリーン政治を実現する、という主張のようである

これについては、正直な感想は「ご自由に」である

献金を受け取らないのはもちろん自由である

ただし、掲げる政策としては弱いように感じられる。

かに政策によれば、ひまそら氏は「癒着」しようがない。

しかし、これによって「癒着」が無くなるかといえば話は別である

他の都議会議員献金を受け取っていれば「癒着」が生まれ可能性はある。

この可能性をどのように消すのか。「公金チューチュー」の項でも述べたが、

知事権限可能な具体的方法をぜひ提示していただきたい。

また、ひまそら氏は裁判のためにカンパを募っているが、これは紛れもなく献金である

もちろん政治活動のための献金ではないため政治献金とは言えないが、

知事としてカンパに申し込んだ人に利する行為をすれば、紛れもない「癒着」といえよう。

ひまそら氏には、カンパに申し込んだ方々に利する行為は決してしない、と明言をお願いしたい。

なお、上記カンパ募集をしているひまそら氏が、自己財源で政治活動を行えるのかは

疑問の残るところではあるが、批判すべき内容ではないだろう。

からの指摘事項は以上である

最後に、この記事を通して伝えたいことは3点である

一点目は、ひまそら氏を否定する方々へ。

気に入らない候補者からといって、頭ごなしに否定するべきではない。

からひまそら氏の支持者からバカにされるんだ。

「何が問題と考えるか」を明示した上で批判すべきである

それができないなら黙っておいた方がいい。

ヘタな否定よりは無関心の方がダメージは大きい。

二点目は、ひまそら氏を支持する方々へ。

さすがに盲目的に肯定しすぎではないか。私が批判した内容は一回でも頭に浮かんだのか。

この記事の内容を見て、じっくり考えてみてほしい。

私も的外れ批判をしているかもしれないので、もしもそうであれば指摘してほしいし、

真っ当だと思えば支持者として批判してほしい。

それができず、「小池蓮舫石丸陣営の仕込んだサゲ記事だ!」というのであれば、もう何も言うまい

宗教にハマりこんだ人間をどうにかする趣味はない。

三点目はひまそらあかね氏へ。

支持層以外に政策公約は見せたのだろうか。

政策策定にあたって恐らくリーガルチェックはかけているとは思うが、

いささか知事職務についての認識が浅いように思われる。

記事での批判については、YouTubeやらXやらnoteやらでぶっ叩いていただいても構わないので、

疑問を解決する方向なり、方針修正する方向なりで動いていただけると幸甚である

普段の口の悪さを2段階ぐらい下げていただけるとよりありがたい。

その上で、これまで否定こそあれ、批判が少なかったことには警戒心を抱いていただきたい。

あなた政策支持層以外に見られていない。

今の支持者だけでは選挙に勝てないのは明白なのだから、より支持層を広げなければならないが

その下地ができていない。政策を見てくれてさえいないのだから

私は支持者ではない(そもそも都民ですらない)が、本気で当選しようという気があるのであれば、

からでも選挙戦略を大幅に見直すべきだと考える。

この声が届くことを祈り、本記事の締めとしたい。

Permalink |記事への反応(15) | 14:38

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2024-03-02

anond:20240302180023

顔を見て、かっこいいとかかわいいとかその容姿を魅力に思う気持ちと、性器を見てエロいと思う気持ちって、言葉が違うだけで大差ないのではないかと思ってる。

言葉の違いが認識を変えさせてるという哲学の話じゃないが、なぜ座頭相撲とか公唱制度やってた国がここまでエロという概念をこしらえてそこに忌むべきものとしていろんなのを突っ込んで公然と言えない空気にしたかというと、

どうにもアメリカあたりの策略を感じてしまう。

公然水着の女やグラビアアイドルを見ていいなと思うことはよくて、海外ヌーディストビーチを裸体鑑賞目的で行ったら変態と思われることには、どうにも恣意性を感じるというか。

でこまん事件みたく性器ひっさげて表現解放を主張するのは過激派的だとしても、刑法175条の緩和を謳うならエロ漫画テイスト性器が見える構図の裸体に性器部分だけモザイクかけたパネル貼った街宣車選挙活動するぐらいのことはあってもいいんじゃないか。

もちろんこれすら「良識」ある人間としては抵抗を感じてなかなかするのが正しいことと思えない部分があるが、この良識感覚自体なにか誰かの都合で、サブリミナルナッジ理論そのほか無意識作用する社会的手法意図的に使われた刷り込みに感じる。

Permalink |記事への反応(1) | 18:11

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2024-02-17

anond:20240216233624

ありがとう。こういうこと↓を考えていてすでにほかのトラバでも一度書いた通り

から合致しているとはどういうこと?そりゃ常識的には「わかる」から変なこと言ってる自覚は大いにあるけど、突き詰めればそういうことになると思う。

推論規則の「一覧表」があるとして、あるマスの記号とあるマスの記号列の関係それ自体を厳密に記述することは可能なのか?

「書き換えられる」というような関係ならば、それを「書き換える」という概念をまだ持たない宇宙人などに、感覚によった対面のレクチャーではなく、「記号列」で伝えることは可能なのか?

また、その一覧表を作った本人がそに一覧表に基づいてある記号列を演算規則に基づいて書き換えたつもりになってたが、上記に書いた「常識的」という意味で、間違った規則適用をすることもあるだろう。酔っぱらっててぬとねの区別もつかなくなってるみたいな状態だったりとかで。

推論規則を作った定義者すら、その一覧表をできないとき、その一覧表は推論規則を示したものとしての「意味(解釈ではない)」を持つのだろうか?

誰も空を見るものがいなくなったとき空は青いのかの話じゃないけど、誰もそれが推論規則の表である認識しなくなったら、それは本当に推論規則なのだろうか?ただの「絵」でしかなくなっていないか

あとは、概念が「数学実在」なるものとしてあって、数学はその実在的な概念発見したものだというなら、推論規則なり定義というのはそうした実体を指示する記号に相当する。

これはアメリカというような「固有名詞」が、アメリカと呼ばれる国であるあれを指すという単なる約束に基づいてるのに比べれば、うえで言うような記号は、実体のもの記号を並べる順番や位置という関係性によって表現しようとしていることと、指示する約束という恣意性を兼ね備えているんだよね。その表現実体を指示するにあたって本当に一意で「約束」を抜きにしても厳密なのか、情報の羅列として実体を一つに絞ってるのかって話になる。

Permalink |記事への反応(0) | 13:11

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2024-02-11

インターネットはなぜ良い場所にならないのか

関連性を定量化する試みは、道徳的政治的優先順位を暗黙裡または明示的に仮定しており、客観科学などではない

Google崇拝厨はこの手の議論をあまり理解してない気はする

しかしこのような政治的偏向が確実に存在している検索エンジンの方が、SNS検索するよりもはるかに(偏向度合いについては)マシである可能性がある

かにGoogle自分たちのやっていることを「政治だ」と正直に言わずに、客観科学であるようなフリをし続けるだろう

しかSNSでは「いいね」「シェア」という拡散のための仕組みが組み込まれており、情報中立的に扱うのと逆を行っている

「人気なもの価値がある」という前提では、政治的偏向がどこまでも悪化するだろう

検索してもなかなか出てこない情報の中に、検閲されたものがたくさん存在する

しかもただ検閲されているだけではなく、事実として信頼できる情報である場合がある

結局、調査エネルギーを費やさずに、ダラダラと本能に従ってネットサーフィンするのでは洗脳されるだけなのだ

SNSにも良い点はあり、シャドーバンの仕組みさえ存在しなければ、すべてのポスト検索できるということだ

イーロンマスクTwitterを買収する前までは、私は登録するだけでシャドーバン対象にされていた

SNSの悪い点は、ロシアンファイアーホースと呼ばれるように、複数情報源を捏造して大量投稿し、特定情報を信じさせようとする点である

こうなると、Xでポスト検索しても、似通った意見ざっと目につくようになり、ユニーク意見事実封殺されるかもしれない

コミュニティノートも、事実がなんであるかを判別するためのヒントとして機能する可能性はあるが、どのポストノートをつけるか、誰がコミュニティノートに参加できるかという点に恣意性がある

要するに、私には「インターネットを良い場所に保ちたい」という願望があるが、インターネットサイエンス諜報機関が何をしているのかについての歴史もっと学んでおく必要がある

Permalink |記事への反応(0) | 14:16

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2024-01-09

anond:20240108235945

続き

苦情処理委員勧告

2022年4月県民からの申立を受けて、2023年8月30日苦情処理委員が県教委へ提出したもの

県民の申立についてと、これを受けて苦情処理委員調査に基づいて県教委へ勧告した内容が記されている。

平成13年勧告

勧告書には、平成13年度(2001年度)に同様の勧告があった経緯についても記載されている。

これに対する当時の県教委の報告書における「今後の方向性」は以下のものであった。

教育委員会としては、 将来にわたって共学化を進めていくという立場に立ちながらも、 本県の数少ない別学校は、 多くの県民の強い支持があること、 各学校主体性尊重する必要があることなから、 早期に共学化を実現するという結論には至らなかった。

女子差別撤廃条約とは

女子差別撤廃条約

https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/josi/index.html

女子差別撤廃条約は、男女の完全な平等の達成に貢献することを目的として、女子に対するあらゆる差別撤廃することを基本理念としています。具体的には、「女子に対する差別」を定義し、締約国に対し、政治的及び公的活動、並びに経済的及び社会的活動における差別撤廃のために適当措置をとることを求めています

条約は、1979年の第34回国連総会において採択され、1981年に発効しました。日本1985年に締結しました。

条約全文

https://www.gender.go.jp/international/int_kaigi/int_teppai/joyaku.html

勧告根拠としている箇所は以下。

10

締約国は,教育の分野において,女子に対して男子平等権利を確保することを目的として,特に,男女の平等を基礎として次のことを確保することを目的として,女子に対する差別撤廃するためのすべての適当措置をとる。

(c) すべての段階及びあらゆる形態教育における男女の役割についての定型化された概念撤廃を,この目的の達成を助長する男女共学その他の種類の教育奨励することにより,また,特に,教材用図書及び指導計画改訂すること並びに指導方法を調整することにより行うこと。

内容についての所感

勧告要旨の1点目について、確かに条文では男女共学奨励しているが、その目的は「教育の分野において,女子に対して男子平等権利を確保すること」とある

半世紀前の世界女子教育機会が限られていた時代の条文であり、県内外に共学別学さまざまな選択肢がある現代埼玉県において、この条文を根拠目的が達成されてないと主張するのは無理があるように思う。

勧告要旨の2点目について、管理職教職員の男女格差是正必要だが、共学化に結びつける論拠には乏しい。

男女別学との因果関係はあるかもしれないが、この目的で共学化を主張するのは論理が飛躍している。

他にも勧告の詳細では他県の状況などを列挙しているが、いずれも共学化の主張を補強するに足るものではないように思う。

市民団体「共学ネットさいたま」(清水はるみ代表

埼玉県高校の共学化を推進する団体

埼玉県男女共同参画推進センター主催するイベントに毎年出場しているらしい。

紹介文を見るに20年以上の歴史があるようだ。

第21回With Youさいたまフェスティバル出展参加団体紹介

https://www.pref.saitama.lg.jp/withyou/event/report/r4/21th_fes_dantai02.html#kyougaku

代表者氏名清水はるみ 会員数100人所在地活動拠点)鶴ヶ島市

2001年9月私たちは「埼玉県内のすべての公立高校男女共学に」をめざして、「共学ネットさいたま」を設立しました。

2000年3月に「埼玉県男女共同参画推進条例」が施行され、「男女混合名簿使用」と「別学校の共学化」を求める市民からの苦情申し立てがなされたのを契機に、共学化の運動を推進していく市民運動母体として、様々な活動に取り組んできました。


前述の平成13年勧告が契機だという。

WebサイトSNSアカウントなどは存在しないようで、どういう論拠をもって共学化を推進しているのかはわからなかった。

10月12日に提出したという要望書も見つからず、公開されていないと思われる。

団体名・代表者名で検索すると、ジェンダー平等の各種活動への賛同者として登場しており、苦情処理委員への申立者と同じ論拠で共学化を推進しているように見受けられる。

他に共学化推進の活動をする団体情報は見当たらなかった。

浦和高校同窓会意見書

12月1日大野知事日吉教育長に提出されたもの

7項目に渡って勧告書の問題を指摘し、主にダイバーシティ観点から別学の意義を主張している。

5番目の項目では勧告書の矛盾恣意性を指摘している。

女子別学を肯定するのか否定するのか、文脈が判然としない記述である

勧告書の共学化勧告は、私学にも向けられる内容であり、少なくとも触れられて然るべきである

しかし、本勧告書はこの点に目をつぶる。私立の別学までは関知しないという姿勢だろうが、首尾一貫しない主張に見える。

7番目の項目は簡潔に一文のみで、勧告書の無茶な主張を一蹴している。

最後に、埼玉県高校管理職教職員格差等については、県教育行政問題であり、今回の共学化とは趣旨を異にするものである

内容についての所感

勧告書の問題点を指摘し、別学の意義を理路整然と説明しており、おおむね納得できる内容に思える。

ただ部分的には根拠に疑問があり、特に6番目の項目はやや感情が先走っているようにも見受けられた。

別学出身者とりわけ男子は、社会に出ると、定型化された男女の役割という概念から抜け出せず、社会生活に支障を来す、あるいは四囲に悪影響を与える等、問題が生じるとでもいうのであろうか。もちろん、そのような調査結果などはなく、そのような実情にもないというのが一般人感覚であろう。

今日においてこそ、高校教育における別学の有用性が認められ、再評価されるべきである。別学の存在意義は誠に大きいものといわなければならない。

オンライン署名

12月20日に開始。発起人は浦和高校関係者在校生卒業生とそれらの保護者)有志とあり、県内の別学・共学の高校がずらりと参画メンバーに名を連ねている。

この署名趣旨は以下の2点のようだ。

現在1月8日)時点で1万5千を超える賛同者が集まっている。

Change.orgサイト内とX上で賛同者のコメントを見ることができるが、対象の別学在校生卒業生以外にも、共学出身者や県外出身者など広い層から賛同を得ているようだ。

内容についての所感

特に2点目の情報公開については強く賛同するところだ。

賛同者のコメントの多くは当事者および社会への影響を懸念するものであり、理知的ものであるように見える。

特に関係者以外からコメントは実感のこもった真摯ものが多く感じた。

一方で首を傾げるコメントもそこそこ見られるのが気になった。

勧告書の内容や経緯を誤認しているもの卒業生個人的な思い出のみを根拠感情的に反対を叫んでいるものなど。

中には何故かLGBTQやフェミニストを敵視・蔑視対立を露わにするものもあり、ナンバースクール出身品位矜持もないものかと残念に感じた。

そもそも議論の出発点や経緯が共有されてないようにも思えるので、署名説明勧告書と意見書リンクでもあればいいのにと感じた(今回私がこの記事を書くことになった動機)。

全体所感

勧告書の主張は根拠に乏しく、到底賛同を得られるものでないように思える。

しか勧告書が提出され議論俎上に載せられた以上、正しく議論が行われるべきである

浦和高校同窓会の提出した意見書、およびオンライン署名活動は意義あるものだと思う。

署名が受け入れられて議論が公になり、理性的で公正な判断がなされることを願うばかりだ。

また今回の運動は他県の共学化にも影響することとなりうるので、特に他県別学校関係者にも注視してもらいたいと思う。

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2023-11-18

anond:20231118113503

警察告発して行政捜査を入れる方がまだ健全だと思うんだよね

警察報道規制無視して取材過熱になる可能性も考えられるが、そういうことかもしくは「逮捕されたしもう嫌やみんなで死のう」という可能性も指して「告発先が警察だとしても一家心中してるはずなので、週刊誌告発しても変わらない」が真である理由足るかは微妙

“「加害者世間が忘れるまで無限謝罪」の「世間が忘れるまで」に残る恣意性並びに「被害者に対する好奇の目や投げかけられる言葉」の残虐性”と、司法手続きで決まる量刑賠償を見比べたときに、前者が当事者たちをとても脅かしているんじゃないか

Permalink |記事への反応(0) | 11:53

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2023-11-14

ボーカロイド音楽論」(ぱてゼミ)は何故あまり批判されないのか

追記そもそも「何故もっと批判されるべきなのか」については、【最後に】の後に追記した(2023/11/15)。

【背景】

 東京大学東京芸術大学では、鮎川ぱて氏(以後、ぱて講師)による「ボーカロイド音楽論」という講義が開講されている。東京大学の方の講義はぱて講師による著書『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』においてその過去の内容が公開されている。このダイアリーの筆者(以後、「筆者」)は「ボーカロイド音楽論」の元受講生であり、書籍を購入し一読した。同講義Twitter(現X)での実況が推奨されておりTwitter上で一つの活発な動きを毎年見せているが、「ぱてゼミ 批判」「ボーカロイド音楽論 批判」などと検索しても同講義に対する明確な批判ツイートはヒットしない(Twitter検索システムが悪いという可能性は保留する)。書籍についても、これに批判的な書評Amazonレビューやブックメーターにわずかに存在するのみである講義内容全体のレビューはそれらに譲るとして、本ダイアリーは、この「批判の少なさ」の原因について仮説を立てることを目的とする。

 本ダイアリーは直接の筆者の特定を避けるため匿名形式をとっている。内容について「そんなの当たり前じゃん」「その仮説は的外れだ」と思う読者もいるかもしれないが、このように書き残さなければ何も始まらないということでご容赦願いたい。また、筆者は全ての年度や東京芸術大学講義を聴講したわけではないこと、このダイアリーの内容は主に『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』の初版第一刷(以下、書籍)に基づいていることを断っておく。

【本論】

まず結論として、 「ボーカロイド音楽論」に対する批判の少なさの原因として、筆者は次の4点を提唱する。

1.媒体:現地で行う音声形式講義では記録に基づく批判が困難であるという点。

2.受け手資質講義対象となる学生や読者のほとんどはその議題についての非専門家であり、しか批判に割くだけのリソースを持っていないという点。

3. 内容:この講義の内容が批判を先んじて封じてしまうように作られている点。

4.コミュニティ:この講義ボーカロイド音楽が好きな東大生のうち一部を迎え入れるコミュニティ形成する役割を同時に担っており、コミュニティ批判との相性が悪いという点。

以下、これらの点を順に見ていく。

1.媒体

 書籍が発売される前、「ボーカロイド音楽論」(以下、この講義)は大学の構内の教室で開講されているのみであった(初回の何回かこそニコニコ動画配信されたが)。そこではぱて講師の口頭でのみ内容が話され、レジュメは一枚も配られることなく、板書も最低限であった。言われたこと全てを紙に書きとるのはほとんど誰にもできないだろう。従って口頭の講義に基づく批判は、言った言わないの水掛け論になってしまやすい。現に筆者がこのようなダイアリーを書くことができるのも書籍が発売され、何を書いてあり何を書いていないかを把握し見直すことが可能になったかである

2.受け手資質

 この講義は主として東京大学教養学部学生に対して開講されたものである。その多くはこの講義で取り扱った多くの思想概念の(多くとも)全てについて専門家であるというわけではない。またぱて講師自身もそれら全ての専門家でないことは講義中に明言している(85ページ脚注5など)。従ってぱて講師によるそれらの援用が妥当でない可能性は常にあるが、そのような観点から検討をすることは学生にとって難しいだろう(勿論専門家のみがそれらを扱うべきだという立場をとることは避けなければならないが)。さらに言えば、進振りのための勉強で忙しい学生にはわざわざこの講義批判するためだけに捧げる時間も体力も残っていないということ(そしてこの講義のもの大学が門を閉める時間まで延長していることもそれらのリソースを奪う一端となっていること)を指摘しなければならない。これは書籍の読者の多くについても同じである

3. 内容

 ここでは書籍でぱて講師が用いた概念の内容が批判を先んじて封じる性質を持つことと、ぱて講師が「論じるべき内容を論じなかった」ことが批判すべき点を覆い隠す機能を持っていることを指摘する。

 まず、ぱて講師はテマティスム(テーマ批評)に則ってボカロ曲評論するとしている。ぱて講師の言うテマティスムとは、以下に抜粋する通りである

「テマティスムは、作家メッセージをその意図の通りに読み取るということではありません。そうではなくて、むしろ作家作品の細部から作家自身も気づいていなかったかもしれないテーマ抽出し、作品価値を読み替えていく。それがテーマ批評という手法です。」(40ページ14行目-41ページ1行目)

さらに、この講義の鍵となる概念の一つとして「アンチ・セクシュアル」をぱて講師提唱している。以下に書籍抜粋を示す。

「本講義の当面のキーワードは『アンチ・セクシュアル』です。性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱う感性が、ボカロシーンには多く見られ、そして支持されました。なにに比してかというと、いわゆるふつうのJポップに比してです。Jポップのチャートを見れば瞭然でしょう。ラブソングばかりです。」(42ページ8-12行目)

「『アンチ』といっても、それは必ずしも単純な否定のことだけを指しません。性愛を疑ってみたり、気持ち悪いもののように言ってみたり、ときにそれは、米津玄師において見られたように、アンビヴァレントな愛憎を差し向けるというかたちをとることもあるでしょう。」(43ページ2-4行目)

 つまるところ、「テマティスムを用いれば、性や愛をめぐる通念を自明とせずに扱う感性(単なる否定に限らない)をボーカロイド音楽から読み取ることができ、そのような音楽がシーンの人気を博した。一方で「いわゆるふつうのJポップ」からはそのような読み取り方のできない曲が人気を博している。」という主張をぱて講師はしているということになる。この主張に当たって用いた「テマティスム」と「アンチ・セクシュアル」の二つの概念は、この主張に対する批判として想定される「作者はそこまで考えていないと思う」型の主張や「この曲は性や愛めぐる通念を否定しているとまでは言い切れない」型の主張を先んじて封じる機能を持つ。このため、読者がすぐに思いつく形での批判ができず、ぱて講師の主張に対する批判が少ないことに寄与していると考えられる。

 もう一つ批判封じに寄与しているのは、「論じるべきところを論じていない」ということである。「いわゆるふつうのJポップ」についての記述に注目すると、ここでぱて講師が行わなければならないのは、

①「いわゆるふつうのJポップ」を「『アンチ・セクシュアル』な感性を持たないJポップ」以外の形で定義すること

個別楽曲評論を通じて「いわゆるふつうのJポップ」に該当する曲に「アンチ・セクシュアル」な感性が備わっていないことを論じること

③それが「Jポップのチャート」に非常に多く見られることを指摘すること

であるしか書籍の中で「いわゆるふつうのJポップ」についての言及があるのはここのみで、上記3つ全てを行っていない(ぱて講師言葉を借りれば、「瞭然」という「感覚思考俎上に載せ」ていない)。それもそのはず、「テマティスム」と「アンチ・セクシュアルな感性」を用いた読解だけではこのようなことは到底不可能からである。「テマティスム」は確かに「作者の意図」に縛られない自由評論の基礎であるが、それは同時に評論者次第でどうとでも言えてしまうことを意味する。同じ曲が違う評論家によって「アンチ・セクシュアル」であったりそうでなかったりする。もし「そうは言ってもこじつけってものがあるでしょ」と思うのであればそれは「良い評論」の基準として「テマティスム」以外の何かを想定していることになる。さらに言えば、「アンチ・セクシュアル」という概念の幅も広い。同じ言葉賞賛にも皮肉にもなる世界で、「性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱」っているかどうかを「テマティスム」のみで確定させるのは不可能だ。つまるところ、ぱて講師が「いわゆるふつうのJポップ」を論じないことは「テマティスム」の持つ脆弱性、あるいは、「何でも言えてしまうが故に何も言うことができない」性を(本人の意図とは無関係に)覆い隠し、批判を予防することに寄与していると言える。

4.コミュニティ

現地での講義に付随する活動として、コンピレーションアルバム作成ちょっとした食事会など、ボーカロイド文化が好きな東大生のためのコミュニティ積極的提供する姿勢をぱて講師は見せている。それ自体マイノリティたる若者鼓舞するという目的からすれば妥当であるが、評論の面ではこれが裏目に出ている。余程肝が据わっていない限り人間は、自分を匿ってくれるコミュニティの発起人の言うことに盾突いたその先を恐れる。発起人自身が何とも思っていなくても、同じコミュニティの仲間から邪険に扱われるかもしれない。仲間が何とも思っていなくても、内なる自分が責め立てる...。こうなれば講義批判するのは難しい(批判したとて有耶無耶に言いくるめられるだけだ、という疑念もあろうが)。「肝を据わらせろ」という主張はマッチョイズムなのでしないが、しかコミュニティ形成するとはそういうことなである

最後に】

 「ボーカロイド音楽論」の講義書籍化されたことは、この講義自身にとって、そしてボカロシーンにとっての大きな一歩であると筆者は考える。内容の巧拙政治的立場はともかく、書籍化されたことによってこの講義は「亡くなったボカロPを悼み、内輪でボカロ曲をべた褒めする会」になってしま未来を脱して、元受講者やボカロ関係者を含む全ての人の衆目に晒され、批判され、検討され、洗練され、時に新たな論を生み出していくことができるようになった。後は実際にそうしていくだけである。筆者よりもっと優れた批判をできる人は多くいるはずなので、後は彼らに託してこのダイアリーの締めとする。

追記:何故もっと批判されるべきなのか】

 強い言葉で言えば、

「『ボーカロイド音楽論』などと大層な看板を出しながら、その実著名な学者の業績を形だけ借り"正しい"思想を添えた類推だらけの持論を『教養』と称し、[『教養』]と[『教養』を並べ立てた個別楽曲評論]を弱い脈絡の下で繋げただけの、部分を詳細に語っただけで全体を語った気になっている、評論と呼ぶべきなのかもわからないものが、まともに批判されずに学生の間や世の中に広まることが許せないから」

である(「まともに批判されずに学生の間や世の中に広まる」という心配杞憂であってほしいが)。

 筆者がこの講義書籍の内容が批判されるべきであると考えている理由は3つあり、これらを以下に簡潔に説明することで追記とする(注あり)。

1.タイトル詐欺:「ボーカロイド音楽論」を名乗りながら、その大部分は個別作品の読解に費やされている上、それらを踏まえて「ボーカロイド音楽とはなにか」をまとめて論じている内容が存在しないこと。

2. 「思考俎上」に載せる「感覚」の選び方の恣意性:本論で述べたように、思考必要なぱて講師感覚があるにも拘わらずそれを思考した形跡が存在しない箇所が見られること。

3. 「思考」の粗雑さ:「感覚」を正当化する目的しか思考」が用いられていないこと。「思考」に用いた「教養」の内容もそれぞれの分野を専攻した読者から見れば的外れものになっていること(注1)。「類推」や「テーマ批評」などのいくらでもこじつけることが可能手法を用いているのに、何故その手法を用いるべきなのか、その手法限界はどこにあるのか、といった説明がされていないこと。

注1:少なくとも一つの例として、筆者が専攻していた生物学に関連した部分を挙げる。リチャード・ドーキンス書籍利己的な遺伝子』に言及した後、「しかしこれらのような個体利他行動も、種や遺伝子主語にすると、自らを温存するための利他行動にすぎない。」(54ページ8-9行目)と段落を結び、その後「性はこのように、種の都合のための機能主義的なプログラムであるという言い方もできるわけです。」(54ページ18-19行目)と主張している。結論から言えば、この言い方はできない。生物学を学んだことがある人物なら絶対にこのような主張はしない。進化の結果としてある個体Aが(同種とは限らない)他個体Bに利他行動をする形質を獲得する条件はあくまで「それが後に個体A自身生存繁殖に有利となる可能性が十分高い」あるいは「個体Aと個体Bで利他行動に関連する遺伝子を共有している」であり、そこに「種」の概念は一切関係しないかである。(遺伝子自然選択対象となり得るのに対して)「種」という概念は観察者が生物を分類する際の線引きのツールであって、自然選択対象として観察可能ものではない以上、「性は種の都合のためのプログラムである」ということを(観察によって)事実として得ることもできない。つまり「種」を全体と見立て個体」を部分と見立てるような類推は成立しない。百歩譲って「利他行動に関連する(種を問わず)同じ遺伝子を持つ全ての個体」を全体とみなす形で類推を成立させるとしても、それは「類推を成立させるためだけに拵えた全体」であることを指摘しておく。

Permalink |記事への反応(4) | 13:24

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2023-11-08

anond:20231107213225

全然ちげえよアホ。

恣意性がある」というごく一部の共通点だけで、それ以外の差異を全無視すんな。

個人が金稼ぎのためにありもしないでまかせを流布して社会全体に余計な負担押し付けることと、言語が数百年数千年に及ぶ時間と無数のコミュニケーションを通じてある様式収束していくことのどこが同じなんだよ。

大人しくソシュール入門でも読んでお母さんに話聞いてもらってろ。

Permalink |記事への反応(0) | 14:18

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anond:20231107213225

恣意性恣意的を一緒に使うな

言葉の話してんのかマナーの話してんのかちっともわかんねえ

Permalink |記事への反応(0) | 11:53

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2023-11-07

anond:20231107181946

推薦のほうがむしろ恣意性高いだろ。しか選挙洗礼受けてない有権者コントロール外で行われる恣意的行為

Permalink |記事への反応(0) | 21:35

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マナー講師嫌悪する奴ら

正直言って俺も胡散臭いと思っているし、信用もしていない。

大方の意見ネット民と同じだと思っていい。

しか提言するべきことがある。

重要なのはマナー講師を何故胡散臭いと感じるかだ。

理由簡単マナー講師の奨めるマナーというもの一般的ではないように感じるため。

まり恣意的なんだよ。

マナー講師独自マナーを作ってそれを流布しようとしている。

けどそれって、あなたルールですよね?というわけだ。

だが少し待ってほしい。

恣意的ものというのは果たしてマナー講師マナーだけだろうか?

本題に入ろう。

ここから言語の話だ。

日本人であれば当然「てにをは」のことは知っているだろう。

掻い摘んでいえば助詞の使い方についてであり、文法規則のことだ。

例えば、次のような文章があるとしよう。

1.私は増田が好きである

2.私は増田は好きである

一般的に正しいのは1。

では2はどうだろうか?

違和感を覚える?そうだろうね。

でも、2が間違っているわけではない。

それはただ読み難いというだけに過ぎない。

しか試験で2のように書けば×をもらうだろう。

そもそも我々が「は」を「が」と同様にしない理由はあるのだろうか。

はっきり言おう。

そんなものはない。

そこに必然性はなく、あるのは恣意性のみだ。

馬鹿を言うな。そんなことを是としてしまえば世が混乱する。

ええ、その通り。だからこそ世の中のルールというのはおおよそが恣意的である

にもかかわらず、恣意性であることに気づいていない人が大半なのは悲しいことだ。

しかしこれは悪いことではない。寧ろ必要なことであり通念がなければ社会は成立しない。

要するに、社会というのは洗脳されなければ成立しない。

からこそ必然性のない恣意性を我々は教育として受け入れ、それを是として正しいと認識する。

緩やかな洗脳必要悪。それは洗脳と呼べばそうであろうし、常識と呼べば好まれる。

からこそマナー講師糾弾するというのは同時に、自分洗脳に対する嫌悪でもあるはずなのだ

世はSNS全盛期。

人々は情報に踊らされ、偏った情報洗脳されている人々を笑う。

洗脳されている奴らを洗脳されていることに気づいていない奴らが笑う。

人生喜劇である

巷でたまに聞くこの言葉意味は、そういう意味なんだよ。



追記

拙い文章ながらブクマコメントいただきありがとうございます

初めての増田投稿のためドキドキしながらも嬉しいです。

そしてコメントにおいて何点か気になるものがあったため追記しました。

君は自分が思ってるほど頭良くないし作文も上手くない。もってまわった言い回しを全部切って文量を半分にすると頭良くなるし作文も上手くなる。騙されたと思ってやってみな。

まず、これは頭が「良い」や「悪い」の話ではありません。

そのため本文の内容を理解できたのであれば感想として「頭が良い」「頭が悪い」といったものは出てきません。

何故なら本文が示す意味準拠するものを問うからであり、意味理解したなら「そもそも頭が良いとは何か?」といった感想になるはずです。

まり「分かりやす文章を書けた方が”頭が良い”のならば、その分かりやすさはどの程度の知能を基準とするのか?」という問題です。

本題と言いつつ本題ではない部分だけど、文法的に通じることと同じ意味として通じることを混同している。愛の告白をする時に「僕は君は好きだ」なんて言ったら十中八九「じゃあ誰が嫌いなの?」って返されるよ。

あえて混同させています

その上で「じゃあ、どうしてそれを”混同”と呼び、差異を認めるのか?」といった話です。

ただ例として出した文章が分かり難いといったことは否めず、それは完全にこちら側のミスと言えるでしょう。

すみません…。

格助詞「が」と副助詞「は」は同じではないよ。

問題は、それら「が」と「は」が同じではないとして、では何故同じではないのか?という話です。


本文を書くきっかけは、部下と言語についての話をしたことでした。

私は言語学や記号論を学んでおり、当時はそれらが時代の潮流に乗り、栄えた時代でもありました。

部下は著名な大学を出ており、専攻は文学と聞いていました。

そこで私がジェラール・ジュネットマリー=ロール・ライアンを持ち出して話をしたところ、ポカンとした表情を見せられ、

じゃあロラン・バルトについてはどう思うのかと聞きました。

すると彼は「それってガンダムキャラクターですか?」と笑って尋ね、私は愕然とし、構造主義としての思想はもはや廃れてしまったのか?

憂慮する思いを抱きつつ、多少の啓蒙目的で本文を書き記した次第なのです。

Permalink |記事への反応(11) | 21:32

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anond:20231107175529

「より適任者」なるもの判断基準恣意性が警戒されるべきときに、形式基準を導入するのは合理的だろ。

Permalink |記事への反応(1) | 18:19

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2023-09-05

「犬も猫も同じ」と言われて、どういう状況を想定するのが正しいのだろうか。

動物が好きで、特に犬が好きだけど、猫も好き。犬も猫も同じ」と言うなら、「確かに同じだ」と思うかもしれない。

一方、キャットフードを犬に食べさせて「犬も猫も同じ」と言っていたら、犬の健康問題があるし、虐待にもなりうる。

一般に、「AもBも同じ」という言葉には、そういう恣意性が必ず残る。


「犬と猫は違う」と言われて、どういう状況を想定するのが正しいのだろうか。

キャットフードを犬に食べさせてはいけない」と説教する時に言う、「犬と猫は違う」という言葉は、慈愛のこもった意味を持つだろう。

一方、「犬は人間相棒だけど、猫は害獣だ。猫はいくらでも虐待していい」と言い放つ人間の言う「犬と猫は違う」という言葉は、決して許してはならない差別言葉だ。

一般に、「AとBは違う」という言葉には、そういう恣意性が必ず残る。


「AもBも同じ」とか、「AとBは違う」とかい言葉を使う時は、そうした難しさに気をつけて使って欲しい。

Permalink |記事への反応(0) | 00:25

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2023-08-24

anond:20230818202459

放送禁止用語」って単語

放送局思考停止事なかれ主義と、結局差別的かどうか気にするのは相手の(団体の)大きさ次第という恣意性体現した言葉として

そのリストとともに後世までしっかりと残すべきだな

Permalink |記事への反応(0) | 14:53

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