
はてなキーワード:恋愛漫画とは
近頃、とにかく死にたい。
毎年10月から11月はこういう感じになるので、季節のせいであることは分かっている。12月になる頃にはだいたいなんかなんとかなってるから大丈夫。
でも年々ひどくなっている気もする。それに、毎年ウワーッとはなるにせよ、そもそもなんでこういう死にたい感情に襲われるかがよく分からなかったので、何か直接的な原因がないものか、人生についてちょっと考えてみた。
元々社会福祉とか一次産業とかインフラとか配送業とかに憧れがあった。誰かの生活を支える、縁の下の力持ちってかっこいい。でも増田は危機管理能力がない。忘れ物は多いし、ケアレスミスも死ぬほどするし、どんなに我慢しようとしたって余計な改善をしようとして結局改悪してしまう。保守運転とか一番苦手な分野だ。トラックどころか自分の体一つだって乗りこなせない。事故を起こさないため、誰かを殺さないため、そういう職業にはつかないほうがいいと思って生きている。
だから人から金を搾取することだけを考えているカスみたいなサービスの下請けで、自分一人を養えるだけの端金をもらって、犯罪を起こしてないからそれでいいのだと必死に言い聞かせている。上手く出来なくてもカスの弊社が困るだけだから、いくらミスしても罪悪感はない。
だがこれは直接死にたい原因ではない。やっとることはカスのサービス形態ではあるが、ある程度転職にも使えそうな汎用的な職能の成長は出来るし、上司や同僚は増田の手助けや活躍を褒めてくれるし、そういった点でやりがい的なものがないわけでもない。業務自体はそこそこ向いてると思えるし、人間関係は良好と言って良いだろう。金額面も、自分一人を養えるくらいの金額は稼げているし、それによって欲しいものを我慢したり、望んだ生活を手放さなければならないほどではない。元々欲は薄い方だ。少ないながら貯金もしているし、いざとなれば親や友人を頼れば金がなくても多少の間はなんとかなる。労働自体は憎むほど忌み嫌ってるわけではないから、生涯現役でも全然構わない。
金銭や将来の不安、職場の人間関係の悪化などがあって死にたいわけではない。
友人関係も悪いわけではない。
確かにたびたび「人間じゃない」とか「常識的な気遣いが足りない」とか「普通考えれば分かることがどうして出来ないのか」とか言われたりもするが、それでも根気強く付き合いを続けてくれる友人ばかりだ。何も言わずに去られるより全然マシなので、そういう耳に痛い言葉も言ってくれるだけでありがたい。一度も傷つけたことのない、あるいは傷つけられたことのない友人は確かにいないのだが、それでもみんな大事な友人だ。
そういう大事な友人にご迷惑をおかけすることで罪悪感で潰れそうになることはあるが、例えば無茶な振り回し方をしてきたり、金銭を貸せとやたらたかって返さなかったり、そういうガチのトラブルに発展するような友人諸兄ではないし、増田もそういうことをしないよう、礼節を忘れないように重々気をつけている。それでもたまにうっかり日々の会話で地雷を踏んで怒らせることはあるものの、友人同士が「それは言い過ぎ」とか「お互い様」とか仲裁してくれるので、増田自身の尊厳も守ってもらえていると思う。友人とボロカスの喧嘩をして死にたい夜もないことはないが、それは大抵一時的なものだし、直近はそういう感じで険悪になってる相手はいない。
父も母も理屈で話せば分かる人であるし、親戚一同もなんだかんだ元気に暮らしている。不謹慎なニュースを見て爆笑する叔父や、身の回りの世話を全部してあげないと心配で夜も眠れない叔母、とにかくプライドが高く他人を見下したり注目を集めたりしないと気がすまない従兄弟、信仰の押し付けはないものの新興宗教にどっぷり献金している祖父母など、アクが強くはあるが、こちらに実害はないので可愛い範囲で収まるものだ。肉親に怒鳴ったり、暴力を振るったり、金銭トラブルを持ち込んだり、結婚を強要したりする人はいない。
まあ、両親に恨みがないと言えば嘘になる。幼稚園の頃に甘えようとすり寄ったら「は?鬱陶しい、ひっつくな」と引き剥がされたり、小学生の頃いじめられていた時に増田の言い分を一切聞かず「あなたにも悪いところがなかったかよく考えてみよう?」と3時間近く諭してきたり、愛着の面では問題があったのは確かだ。しかしそれは増田に対して愛情がなかったというよりは、それが彼らの愛着の限界なのだ。飼っているウサギすら、部屋の中で凍死しかけていることに気づかなかった両親である。それを思えば、衣食住を保障してくれたのは事実だし、危険なことは叱ってくれた。大学まで学費も出してくれたし、両親の行きたいところにではあるが旅行にもそこそこ連れて行ってもらっていた。彼らにしてはだいぶ努力していたのだろうと今なら分かる。
だから半年に一度程度は顔を見せに帰省しているし、それがめちゃくちゃ苦痛というわけでもない。全ては過去のことであり、無、凪、平熱、そういった単語がふさわしい関係性だ。これもまた、直接の原因ではない。
増田はXジェンダー、リスロマンティック、アセクシャルと三拍子揃った人間だ。その上、それでもどうしても起こる性欲の発散方法は「対象年齢・性別を問わないリョナ創作」と来た。絶対に世に出してはいけない、リアルの人間に向けるなんて以ての外という嗜好をしている。
幸いなことに、告白されたことも、したいと思うほど惹かれた人も人生にいない。誰かを傷つけてしまうくらいならそれでいいと思っている。「恋愛を理解できないのは正常ではない」と思って恋愛小説や恋愛漫画を読んでは、イーッ!分からん!と一人で暴れていたこともあるが、それは「普通の人生を送ること」に固執していたからであって、もう普通じゃなくていいやと開き直った今は、一人で生きていく覚悟がとっくに出来ている。
だから恋愛ができなくて人生つまんなくて死にたいというわけでもない。
趣味はある。
増田は創作が好きだ。物語を書くのが好きだ。随筆も、批判も、絵も、彫刻も、歌も、踊りも、とにかく何かを表現することが好きだ。それは自分の中にある感情や思考を(作品に限らずこういった文章などでも)表し、発散することで一時的な沈静が見込めるからだ。だから誰かのために書いてるわけじゃなく、褒められるために書いているわけでもなく、ただひたすら自分の衝動を、犯罪ではない範囲で発散できることに喜びを感じている。
また、他人のそういう一面を見るのも好きだ。孤独ではない、と、他のどんな娯楽よりも、どんな脳内物質の分泌よりも、最も確かに感じられるし、癒されるからだ。みんな苦しくて孤独なのだと実感できるからだ。そしてそれらを十全に納得のいくまで突き詰めようと、他人の創作物をしゃぶりつくしたり、自分の表現を究めたりしようと思うと、百年に満たない短い人生を食いつぶすには、十分すぎるくらい時間がかかる。
これも死にたい原因ではない。むしろ趣味のことを考えれば、死んでいる場合ではないのだ。
これと言ったトラウマもない。
いや、ないことはない。小学校の頃は確かに治安が悪かったし、その中で最も低いカースト層にいたのは確かだ。靴箱に砂を詰め込まれたこともあったし、掃除の時はちりとりに集めたゴミを引き出しにそのまま流し込まれたこともあった。濡れた雑巾を頭に投げつけられたこともあった。ドッジボールで執拗にボールをぶつけられることもあった。体育の二人一組ではいつもハブられていたし、仕方なしに増田を組まざるを得なかったやつは、増田の触れたところを校庭の土でこすって払った。まるで土のほうが汚くないとでも言いたげに。
クラスメイト全員敵だからいるわけがないのに、脅迫的に好きな人を聞き出され、最もいじめてきた回数が少ない人の名前をあげたら、翌日からそいつがいじめられ始めて、他人を好いてはいけないと思い知ったこともあった。給食着やテーブルクロスを、本当は持ち回り当番なのに毎週持ち帰らされて、親に「じゃんけんで負けた」「牛乳こぼした責任で」と嘘をついた。もちろんああいう感じの親なので「あんたはどうしてそうなんだろうね」と気づかれもしなかった。
「視界に入るな」「半径2メートルに近づくな」「菌が伝染るから(学級文庫・机・プリント・日誌・配膳皿などに)触るな」あるいはもっと直球に「死ね」も全部日常的に言われていた。学級崩壊でまともに授業が受けられなくて教育機会を損失して、その頃に本来学ぶべきだった分野は今でもちょっと苦手意識がある。毎年劇をやるはずの発表会では制御不能と判断されて、ペットボトルでお米を育ててみましたといううっすい内容を、誰がどこを喋るかまで一言一句ガッチガチに固められて発表させられた。自主性なんて言葉は死んでいた。若い新卒の教師は毎日授業で泣いていて、その頃にはとっくに泣き疲れて感情に蓋をしていた増田は、その涙を「煽るだけなのに」と冷ややかな目で見ていた。
カースト中の下だった傍観者クラスメイトと大学で再会して、一緒に「小学校の思い出」とかいうクソみたいなグループワークの授業を受けざるを得なかった時、給食の班机で菌が伝染るからとやられていたみたいに1cmあけて机を組まれた瞬間、増田の心にヒビが入り、割れ目が出来て人格が四つに分かれしまい、今も元に戻らなかったりしている。そういう意味では、たしかにトラウマと呼んでもいいのかもしれない。
それでも直接的な殴る蹴るという暴力は振るわれなかったからマシな方だったと信じている。記憶があり、はっきりと思い出せて、これだけの内容を泣かずに書けるようになっただけかなり寛解してきている。それに、当時の自分だって箒で殴り返すなどそこそこやり返したり、いじめっ子と同質になって増田よりもっとカーストの低い支援学級の子に対して、自分にされたことをそのままやり返すみたいにしていじめたりだってしていた。当時飼っていたハムスターも憂さ晴らしに虐待していた。弱いものがさらに弱いものを叩き、ブルースは加速していた。そういう感じでなんだかんだ適応して元気にやっていた。
それらへの後悔に苦しみながら、同時にその延長で今も友人にライン超えの発言をしたり、逆に踏み越えてはいけないラインを踏み越えられてもその場では分からなかったり、自覚がないままキレ返してしまい制御不能に陥ったり、暴力や脅迫や支配を伴わない合意の上での性行為では興奮できなかったり、記憶は共有しているものの人格が割れてしまい解離性同一性障害まで秒読み状態だったりと、後遺症は色濃く残っている。
けれど、でも犯罪をしないで済むくらいの範囲で誤魔化しきれているし、それ以上を望んだりもしない。だからこれもまた、今の増田をむしばんでいる死にたさの原因ではない。その時期はとっくに乗り越えてあり、過去は過去、今は今として整理がついていて、そういう自分のあり方を受け入れている。
人生を構成するだいたい全部に、人並みの不満や後悔はあれど、満足していないわけでもない。人間関係にも金銭にも将来にも不安はない。上を見ればきりはないが、下を見てもきりがない。自分の人生は自分のものであり、それ以上でもそれ以下でもない。
私は私だ。
なのに何故こんなにも死にたいのか。
胸を打つこの衝動は何か。
線路に飛び込め、七階から落ちろ、溺れて死ね、とにかく死ね、そう囁き続ける声が内側に蔓延るのか。
思春期という言葉を藁のように握りしめて、この衝動的な嵐が、年齢を経れば終わってくれると、ただ若さ故なのだと、そう信じてしがみついてきたのに、どうしてアラサーになってもまだ衰える気配がないのか。
この衝動こそが死にたさの原因であり、結果だ。
この自己こそが死にたさの真の原因ではないのか。
本当はやりたい仕事を諦めて現状に甘んじている?
友人と上手く付き合うことが出来ない?
両親の愛着が足りなかった?
趣味が実質逃避になっている?
過去に嫌なことがあって未だに引きずっている?
全ては結果に過ぎない。
最初に存在しているこの「自己」こそが引き起こした、必然の結果に過ぎない。
死にたいのは、嫌なことがあったのが原因じゃない。
嫌なことを引き起こすような自分に全ての原因があるということから、いよいよ目を逸らせなくなってしまったからだ。
増田はずっと、衝動、癇癪、叫びのような化け物を心に飼って、共に生きてきた。
こいつを野放しにしたら、とてもじゃないが人間社会では生きていけない、というかまず肉体が耐えきれなくて崩壊するような、触れるもの全てを敵と認識する、爆発的なエネルギーだけがひたすら渦巻いている、自壊を厭わない衝動の化け物。
その化け物を飼い慣らすことだけが、増田の今の全てを形作っている。
仕事や友人の選び方、楽しめる趣味、思考、行動、言葉、その全部全部が、この化け物を静かに眠らせておくことだけに全力を注ぐように構成されている。
そしてそれが漏れ出てしまった瞬間、必ずトラブルが起こる。嫌なことは全てそうやって起きている。
そう、気がついてしまった。
両親、友人、そして過去の思い出は、一般的な社会に溶け込める人間たちが、その化け物を目の前にした時の、ごくありふれた正常な反応に過ぎない。
全ては結果なのだ。
思えば最初から、物心ついた時にはもう、そいつと一緒に生きていた。
その場の思いつきで突拍子もないことをして、危険を危険だと分かっていながら飛び込まずにはいられない、じっとしてはいられないという性質を、持て余していた。
両親が増田のことを「あんたのことはよく分からない」と困惑して言った日のことをよく覚えている。
友人が「増田は人間じゃなくて増田という生き物なんだね」としみじみ言った日のことも。
増田をいじめて泣かせたクラスメイトが「だってあの子が最初に嫌なことをしてきたんだもん」と言ったことも。
先生が「どうしてそんなことしたの?」と泣いている増田を問い詰めたことも。
「泣いていたら分かんないよ。先生悪くないよね?なんで先生のこと怒るの?」と寄り添いのかけらもない態度をとったことも。
そして増田はただ、嫌がらせをしようとすら思ってもいなくて、そうすることしか出来なかった、それ以外のやりようがあるなんて考えつきもしなかっただけなのだと、説明出来なかったことも。
よく覚えている。
それらは全部、増田がおかしかっただけで、みんなはただ、当たり前に困っていただけだ。
ただ、それだけだった。
よく分からないものは愛せない、未知は排斥する、ああ、そうだろうとも。それにしたって、みんなの方にだってもう少し上手くやりようがあるようにも感じるけれど、でも、人間は完璧じゃない。上手く出来ないことだってあるし、それを責めたってどうにもならなくて、仕方がない。
だからみんな、距離を取る。うん、まったくもって正しい。あなたが自分を守るために、増田に人生を破壊されないために、必要な距離だろうとも。
でも、増田だって、こんなのと一緒に生きていくのはもううんざりなんだ。
私は私と一緒に生きていくのが疲れた。
みんなみたいに、そっと距離を取ることができない。
ずっと近くにいる。
ずっと隣にいる。
剥がしようもなく側にいる。
趣味だって、ただそうすれば抱えた癇癪がマシになるからやっているに過ぎない。こいつから逃れられないから、仕方なく好きにさせてやってもいい場所を作っているに過ぎない。
本当は絵や文章なんか書かなくても気分が晴れるならそれが一番楽なはずだ。誰も傷つけずに、安心して一人で好きなだけ打ち込めるというだけの、苦しみから逃れるために必要なだけの、ただの麻酔だ。
「文章を書いたり、絵を描いたりで努力できるのはすごいね」と褒めてもらえることもあるけれど、違うんだよ。それをやらないとあなたに危害を加えてしまいそうだから仕方なくやっているだけなんだ。全然立派でも何ともない。犯罪者予備軍が犯罪をしないためにギャンブルや酒に溺れているのと一緒なんだ、これは。
厄介な人をあしらう術に長けた者たちだけが、周りに残っているのがその証左だ。
衝動性を逃がす以外のモチベーションはないから、創作で食っていこうとしてもクオリティにムラがあって仕事にならないのがその証左だ。
自分は化け物だ。
人間じゃない。
人間になんかなれっこない。
必死に身につけた人間性の全てが、衝動の化け物が眠る上に構築してあるというただ一点を理由に、崩れていく。
その眠る化け物が少し身じろぎするだけで、目覚めるまでもなく、増田の積み上げた全てを崩壊させる。
増田は自らの意思で人生を選択したのではなく、選択できる範囲の中で選ばされるしか出来なかった。
好きなもの一つ、「自分」の意志では決められない。化け物を起こさないようにごくごく慎重に、刺激しないものだけを選んでいる。
全部全部こいつのせいなんだよ。
化け物を一番殺したいのは増田なんだよ。
私の人生を全部めちゃくちゃにしてきて我慢ばっかりさせるような化け物を、一番憎んでいるのは私自身なんだよ。
両親を困らせたくなかった。
いじめられたくなかった。
恋愛が怖いと思いたくなかった。
友達を傷つけるようなことなんて、今だって一個も言いたくない。
なのに全部できない。
全部全部、壊すのは増田だ。
私なんだよ。
死にたい。
もう、こいつと一緒に生きていくことに疲れてしまった。
何もかも破壊して、めちゃくちゃにして終わらせたいという衝動が、朝も昼も夜もずっとずっと苛む。
増田にできるのは、この化け物を思い通りにさせず、誰をも傷つけることなく、自らの死以外の罪をこの肉体に起こさせないことだけなのではないか、という気分になってくる。
それよりも、慰めてくれた誰かに牙を剥きたくない。
恩を仇で返したくない。
そんな気持ちのほうが、ずっとずっと大きく膨らんでいってしまう。
それは誰かを不幸にするから。
愛されないまま死んで忘れられることだけが、増田にできる唯一の社会貢献だ。
せめてそれだけはさせてほしい。
許してほしい。
ごめんなさい。
生まれてごめんなさい。
俺的傑作の定義=描かれていたキャラの考え方やセリフが自分の中に残っていて、自分を形作る一部になっている作品
『21エモン』:藤子F不二雄の最高傑作。相対的価値観。意外とカネの話ばかりするところ。木星編は最高。
『スローニン』:吉田聡の最高傑作。どのエピソードもいいが「スクラムトライ」は何度でも泣ける。「どうしてそんなにいつも強くなきゃいけないんですか?」
『グリーンヒル』:古谷実の最高傑作。宇宙人を追って屋根を走る彼を見て「私は彼が好きだ」のシーン。あれ以上の恋愛漫画は存在しない。
『レベルE』:冨樫義博の最高傑作。彼が生み出したキャラの中で一番狂っているのが王子。あれを超えるキャラクターは前にも後にもいない。
『花田少年史』:一色まことの最高傑作。泣かせにきてる作品だがきっちり泣かされる。5巻は番外編なので実質4巻まで。
『プラネテス』:幸村誠の最高傑作。宇宙を日常として描き、それを成立させる画力。2話目が出色。ハチマキはわりとどうでもいい。
『度胸星』:山田芳裕の最高傑作ではない。残念だよね。これが連載続けられない世界。『望郷太郎』は納得のラストを迎えてほしい。
『呪文よ世界を覆せ』:最近ではこれ。短歌×芸人って、界隈ではありそう感のあるテーマだが、中身は全然違う。さすが認知症の著書が多い著者。
今更かよと思われるかも知れないけど、最近好きなのは「僕の心のヤバイやつ」「幼馴染とはラブコメにならない」「負けヒロインが多すぎる!」「百瀬アキラの初恋破綻中。」「クソ女に幸あれ」「ねずみの初恋」です。(ねずみは毛色違うけど恋愛漫画だと思っている)
読んでて思ったけど、島耕作みたいな中年を主人公とした漫画を除いて、恋愛漫画または恋愛がサブプロットになってる漫画で主人公とヒロイン(男も含む)が作中でSEXまで漕ぎ着けた作品って少ない気がしてる。
良くあるのは急に年月が経って、結婚して子供がいるパターン。例えば「からかい上手の高木さん」とか。
もし、主人公とヒロインが作中でSEXまで漕ぎ着けた恋愛漫画を知ってる人がいたら、読んでみたいので教えくれたら嬉しいです。
可愛い女の子を描く恋愛漫画を描いてる人がBL漫画を描いてることがあるのがどうしても理解できない。
女の子(男好みのおねーさんとは違う)が描きたくてその道行ったんじゃねーのか。
俺がお前ならぜったい女の子しか描かないってふうにしか想像できないのはアスペの白黒思考のせいか?
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またテンプレワンパタなNANA叩きかと思ったけど、NANAのファン層とカレカノのファン層が相容れない感じはなんかわかってちょいウケた
NANAって神格化されすぎてるけど登場人物みんな恋愛に生きてるおバカでこれを"エモい"と思って読めるの凄いなと毎回思うhttps://t.co/jwNIVMEg1R—もも (@Kdrama_loved2)June 11, 2025
彼氏彼女の事情を読みましょう人類pic.twitter.com/Cz3BI30g5b—もも (@Kdrama_loved2)June 11, 2025
それでも世界は美しいも読みましょうpic.twitter.com/pHWUgrP3cV—もも (@Kdrama_loved2)June 11, 2025
こんなこと言われたら作者も続き書けないよね、みたいなこと言われて横転
"恋愛に生きてるおバカ"に共感できる人もいるけど、私は共感できなかった"恋愛経験がないおバカ"なだけなので、作者のこと批判してるとは思われたくない
恋愛漫画は好きだけど、恋愛一色の漫画が苦手なんです😾—もも (@Kdrama_loved2)June 11, 2025
nanaを大人になってから読むと共感できなくて〰️とか言われるけど、普通に中学生の時に読みました、そして尚共感できませんでした‼️
多分中学生には早すぎるし、大学生だと幼稚すぎるしnanaの適正年齢って高校生⁉️—もも (@Kdrama_loved2)June 11, 2025
nanaを大人になってから読むと共感できなくて〰️とか言われるけど、普通に中学生の時に読みました、そして尚共感できませんでした‼️
多分中学生には早すぎるし、大学生だと幼稚すぎるしnanaの適正年齢って高校生⁉️
恋愛漫画に恋愛脳っていって共感できないなら、少年漫画に共感できるのか❓みたいな的はずれなこと言ってくる人多くてびっくり
少年漫画は共感じゃなくて感情移入でしょうが‼️ファンタジーな設定でも心理描写上手かったら全然感情移入できるし、それは少女漫画にも言えることだと思うけど❓ ttps://twitter.com/Kdrama_loved2/status/1933021833231806918
人間は(良い方でも悪い方でも)変化を嫌う生物であるのと、相手がいつまでもそのままだと思い込む主観でしか見れない且つ逃避癖のある人は自分が変化をしない&相手の変化に気付かないのであっという間に恋愛ホルモンの3年が過ぎ、瞬間でマイナス査定し始め、俗に言う「夢から醒めた」状態になる長続きのコツで有名なのがパートナーの新しいところを見つけ再度恋をし、それを繰り返す。これに適しているのがお見合い結婚。
恋愛結婚は、敢えて悪い言い方をするなら散々恋愛して出涸らしになったあと一緒になるのと、結婚そのものに夢を見て夢のまま結婚をし現実に直面して離婚のパターンがある。
恋愛漫画、ドラマなどは「夢を売る」コンテンツなのでドラマティックなのが当たり前だけど現実にはドラマはない、と思っておいた方がいい。
Xにもよくいる「自分は共感力が高い、と言いながら異性には共感できない人」は自己を見誤っている=夢見がちなため要注意。
このタイプは他者に対して同列という概念がなく「上か下かでしか見れない」ため、恋愛ホルモン期間内はパートナーを(自分より上位だから)好き好き♡だが、期間外になるととたんに下位として認識するため離婚率が高い。
剥き身の人間の心をぶつけあってダイスロール判定やって勝ち負けを決めてこうってやり方が気持ち悪い。
ホビーや異能力によってバトルを行う漫画はそんな品の悪いやり方で人間に序列を付けたりはしない。
たとえばこれがホビーモノだったら気持ちとはミニ四駆やベイブレードに載せることでぶつけあう間接的なモノだし、バトル漫画においてもスタンドや呪術の相性に勝敗は左右される。
気持ちや心が勝敗を決める重要なファクター、OSRポイントに深く関わる要素であるのは間違いないが、バトルで負けたから心が劣っているものとして描かれることはない。
たとえばワンパンマンの無免ライダーなんかは最高の気持ちを持ちながらも本体性能の脆弱さにより勝利を掴めないキャラクターの代表例だ。
言ってしまえばバトル漫画とは「心の有り様は勝敗に強く影響するが、勝敗がそのまま心の優劣を示すわけではない」という世界観によって描かれているのである。
一方で恋愛モノは全く違う。
気持ちや心そのものを直接ぶつけ合ってしまっているので、そこで出てきた結果に対して「能力や機体の性能が」という言い訳は通用しない。
ストレートに「このキャラクターが人間として劣っているからこの結果になったのだ」と突きつけてくる。
この傾向は恋愛モノにおけるキャラクタービジュアルにも出てきている。
恋愛モノにおいては外観の美醜と内面の美醜は比例傾向にあり、ごく一部に「あえて逆張りしたキャラクター」が存在する。
特に悪役令嬢なんかは外見が綺麗なはずなのに内面は腐敗しているというギャップにより悲しい過去や真なる邪悪であることを匂わせるとっかかりとしてさえいるのだ。
つまり、基本的に恋愛モノ漫画においては「心は素晴らしいけど外見が足りてないから恋愛ダイスロールに失敗した」は存在しないのである。
なぜなら、心のスペックが十二分であれば外見はそれに比例してパワーアップするはずだからである。
これらにより「心の有り様は勝敗だけでなく存在の優劣そのものを決める絶対的なファクター」であるという世界観を描き出しているのが恋愛モノなのだ。
当然、このような世界に無免ライダーのような「正しく清らかな心を持ちながらも本体性能の多寡により望む結果を得られなかった勇者」などは存在しようがないわけである。
バトル漫画は「気落ちだけでは勝利できない」という現実世界の残酷さを描いてこそいるが、それは同時に「敗北者の心が常に間違っていたわけではない」を描いてもいるのだ。
「気持ちこそが全てを決定する」という世界観は一見すると正しいものが報われる公正な世界だが、その世界の中で結果を出せないものは「気持ちそのものが間違っていた」というレッテルを貼られてしまうのだ。
ハチクロのラストシーンが何故あんなにも救われるのかと言えば、恋愛漫画というジャンルが持つその基本的な文脈に対する逆張り、「恋愛で負けはしたけど気持ちは正しかったモノ」を描いたからなのである。
つまり、恋愛漫画とはもしもその世界で誰かが敗北したときに「そうです。お前が間違っていたから負けたのです。お前の人生は無意味でした。でもお前のせいです。あ~あ」を叩きつけるような世界の物語なのだ。