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「性的少数者」を含む日記RSS

はてなキーワード:性的少数者とは

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2025-10-15

ジェンダー論」で括られるフェミニズム可哀想すぎる

たぶんだけど、「ジェンダー論」で語られるジェンダーは多層的で、

アイデンティティジェンダー解放・・・いわゆる性的少数者

社会的役割ジェンダー解放・・・女性フェミニズム

という層があり、②に①が入り込んでおかしくなったのではないか

女性性の解体意味しているのは女性役割、職、仕草から解放で、性的少数者の開放は性的指向(嗜好)の解放だったわけだ

問題は、女性別に(それは全く、男性男性としてのアイデンティティを必ずしも望まないように)アイデンティティ解放を望んでいるわけではない

Permalink |記事への反応(0) | 00:55

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2025-10-02

男への復讐としてのレズビアン

幼少期、いわゆるオタクとして育った私には、男たちの集団が常に攻撃的に映っていた。加害を厭わない彼らは、アニメ漫画に登場するような美しさとは無縁で、醜いばかりだった。

思春期になり、彼らから好意などそもそも欲しくないというルサンチマンが私の内に芽生えるのは、今思えば当然の中二病だった。異性愛を欲しないという姿勢は、どうしようもなく男に夢見てしまう私にとって、困難であるが故に格好良く感じられた。どうにかして男から好意を拒絶してやりたかった。(実際に好意を向けられることはほとんどなかったが。)

そんな私にとって、性的少数者というアイデンティティは、格好の盾ないし矛のように感じられた。しか無料だ。オタ活で金のない女学生が飛びつかない理由がなかった。

しかし、無性愛者(アセクシャルであることは私には難しすぎた。性愛的に寄る方を必要としないという気高さには、弱い私(性欲は強い)がどれだけ嘘を踏み固めたところで、手が届くとは思えなかった。

から私は「レズビアン」になることを選んだ。そして、必要以上にその自認を痛いほどに主張した。言葉でもツイートでも。それはまるで自分自身に鞭打つようだった。「お前はレズビアンだ」と強迫しなければ、私は同性愛者ではいられなかった。

「私、レズビアンなので。」

宣言した時に見せる男たちの曇った表情で、傷ついた私の精神が潤っていくさまを、心の裏側で確かに感じた。それは小さな復讐成功体験だった。その時の私は、ひどく勝ち誇った顔をしていたのだろう。

20代レズビアンとして恋愛を頑張ってみた。大して持ち合わせのない時間金もつぎ込んだ。しかし結局、誰のことも心から好きになれなかった。パートナーができることは何度もあったが、その彼女金銭心理的安心寄与しない分かると、人でなしの心がスッと冷めていくのがわかった。

彼女との破局正当化するために、いくつもの嘘を重ねた。その行為は、嫌いだった現実の男たちの醜い言い訳と重なった。

あれだけ認めたくなかった「レズビアンカップル破局率が高い」という統計に、私もいくらか貢献してしまっていた。

現在、30歳に差し掛かる私には何もない。残ったのは、「男嫌いの男体好き」という、抱えていくのには苦しすぎる醜い実態だけ。

今度はやっぱり、アセクシャルとして生きることを真剣に頑張ってみようと思う。

アセクシャルとして、誰も傷つけることなく生きることこそ、私のできる誠実さなのかもしれない。

Permalink |記事への反応(0) | 22:43

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2025-09-30

anond:20250930155925

ナチスによるトランスジェンダー迫害歴史とJ.K.ローリング発言

■ J.K.ローリング発言とその反響

ローリングは、ナチストランス医療関連の書籍を焼いたというSNS投稿を「フェバードリーム(熱にうなされた夢)」と表現し、事実確認を促した。

実際には、これは歴史的事実であり、容易に確認可能

■ マグヌス・ヒルシュフェルトと性科学研究所

1919年ベルリンに「性科学研究所」を設立トランスを含む性的少数者権利擁護に尽力。

MTF手術のプロトコル、図解、希少な書籍などを含む膨大な性に関する資料を所蔵。

トランスの人々に「トランスヴェスタイト証明書」を発行し、公的服装表現可能に。

ナチスによる弾圧と焼却

1933年ナチス権力掌握後、研究所を襲撃し、約2万冊の資料を焼却。

この焼却は、最初期かつ最大級ナチスによる焚書事件の一つ。

焼かれた資料には、トランス医療ジェンダー研究に関する貴重な記録が含まれていた。

自分が叩きたい物を叩く為に歴史修正する日本ネトウヨと同レベルじゃんこの人

Permalink |記事への反応(1) | 17:48

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2025-09-21

anond:20250921130031

じゃあこのサイトつるぺたの多さを見ろや

男性向け編】DLsiteジャンル国民投票結果発表DLsite -https://www.dlsite.com/modpub/lp/maniax/dlsite-nation-survey-result/

こういう言説こそキャンセルされるべきだと思う

もう既存価値観が強弱の価値観なんだという時代は終わった

男性が強く、女性が弱いという価値観は終わり

LGBTの人、性的少数者の人の方が明確に弱いんだから

Permalink |記事への反応(1) | 13:05

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2025-09-17

anond:20250917181945

性的少数者描写あったじゃん?

でもあの時代共産党社会党は「病気」とか「資本主義の生み出した退廃」とか好き放題言ってたんだよね

シンパ人権派弁護士とかもそんな調子

社会党福島みずほ当事者謝罪してたけど、共産党はそれすらせずに「主張を訂正しました」で終わり

救いがねえ…

Permalink |記事への反応(2) | 19:11

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2025-09-15

どこまでが思想の自由なのだろう

差別的発言を「思想の自由」みたいに擁護されているのをよく見るけど、どこまでがそこに当たるのかが気になってる。

例えば、「特定地域には水道を停止するべきだ」みたいなのはどうなのだろう。それだけならただの妄言から自由な気がする。その人が政治家になったら?少し怪しいかもしれない。その人がそれを実行する力を得たら?それはもう「思想」を超えている。それを実行した人がいて、その人がその実行者を支持する趣旨発言をしていたら?

それとともに気になるのは、暴動や反乱について。今の例で水道を停止された人が暴動を起こしてもおそらく責める人は殆どいない。じゃあ、実行可能人間が本気で「水道を停止するべきだ」と発言し出したら?この段階ではまだ自由だろうか?「水道を停止する」をスローガン選挙戦を戦ったら?

気になるのは、移民性的少数者女性はこうした観点から様々な「思想」や「発言」に向き合っているように思えることだ。例えばアメリカで反女性的な「思想」が強まった結果、単なる「思想」を超えて実際に中絶禁止が週によって可能になった。どの段顔での反対までが「自由侵害」だったのだろう?既成事実が起きるまでデモとかをしてはいけなかったのだろうか。

ゲイとかトランスジェンダーかについても、否定的意見は「思想の自由」と言われる。でも、もともと同性婚不可能日本はともかく、可能になっている国や州で同性婚を改めて禁じるという立場政治家が出てきたときトランスジェンダーの診察をする病院を閉鎖しようという人間が出たとき、どこまでが「思想」でどこからが実際の行為なんだろう。何には反対してよくて、何はダメなんだろう。どこまで行ったら暴動まで許容されるんだろう。

銃撃事件に関する意見とかを見ながら、色々考えさせられた。

Permalink |記事への反応(0) | 06:34

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2025-08-30

「われわれなりのロマンティック」の感想

アンケート用紙にあったwebアンケートこちらのQRコードを読み込み忘れたから代わりに感想をここに書こうと思う。

演劇は一応、年に2、3回くらい気になるのがあれば観るけど...みたいな感じで、とにかく期待してがっかりするのも嫌だし、傷つけられるのも嫌だから、警戒して警戒して観終わるまで警戒し続けるのが癖になっている。

ちなみにいいへんじの公演は初めて見た、そして恥ずかしながら出演者はじめ誰のことも存じ上げずただタイトルだけで気になってビビりながら予約してしまった。

自分クィアセクシュアリティジェンダーアイデンティティも明かさないけれど、少なくとも黙ってたら無いことにされがちな存在だ。自分自身でも自分が何者なのか油断したら自分輪郭も分からなくなりそうなくらい。

「われわれなりのロマンティック」を観て、驚いたことがある。自分想像したことのない、想像するという発想すら思い浮かばない「未来」みたいなのが「存在する」かもしれないということに気づいた。

自分のこの性的指向性自認人間未来に、こういうことが起きる可能性もある、その場合にはこんなことが起きる可能性もある、と、知らない未来みたいなのがなんか沢山出てきて本当に驚いた。

自分が「将来」を想像できていなかったことに初めて気がついた。

なんていうか、自分にも「将来」があるってことに、初めて気がついて本当にどうしよう、という気持ちが正直なところだ。そういえば「将来」になる前に死ぬか、もしくは永遠に将来が来ない生活を送るような感覚でいたな。

小中学生性的少数者当事者として物語(ロールモデルとか?)に触れられるように....」みたいな話を聞いたことはあったけど、自分は成人してから自分のことに気がついた人間から、それは大事なことだけど自分とは関係ない話、自分対象ではないことだと思っていた。

だけど、めっちゃ自分の話でもあったんだということに今回のことで気づき本当に驚いている。

もしかして一般的」とされる、シスヘテロ異性愛規範に当てはまれる人たちは、普段から将来像みたいなものを小さい頃から数えきれないほど、いろんなメディアで、テレビcmや教材のレベルで触れてきたのか??と思うと、まじかよ!いいな!!!!!おれも沢山ほしい!!!!!!知りたい!!!!!!!!

ほんでずっと自分が遠い話として見てきたいろんな物語はなんだったんだろう。友達とどっちのキャラがいい?みたいなのも、もしかして互いに違う感覚のまま話してたんかな、とか色々思い出した。

引っかからない点がないわけではなかった、グラウンドルールの1番に「何でも話していい」があるのに、「相手ジェンダーセクシュアリティを決めつけない」とかがないのは気になったし、あと開演前と終演後のBGMが割とガチャガチャしていてプレイリストを順番に流している感じも気になった。上演の中にある音楽と同じくらい大切に扱ってくれたらいいのにとちょっと思った。

そんなんもちょこちょこ思ったりもしたけど、でもとにかく、本当に、自分にとっては本当にびっくりする出来事で、とんでもないことを教えてくれたかありがとうという気持ちでいっぱいである。

自分登場人物全員をキャラクターと俳優の姿をしっかり認識して観終われたのは、書いた人が、つくった人たちが丁寧に向き合ったからだと思う。2人とか、3人だけじゃなくて、9人で書いてくれたから、9人の俳優がいてくれたか最後まで座って観ていられたし、助けられた。

最終公演まで、みんな元気に駆け抜けてほしい。

そして座席の数がゆるす限りできるだけ多くの人がこの公演を見て、分からなくても考え続けて生きていってくれたら、自分は多分どこかでほんの少し救われる。

もし自分みたいな人がいたら、演劇を観たことがない人でも、試しに、恐る恐るでいいから観に行ってみてほしい。東京三鷹ってとこでやってるよ。

https://wareroma.studio.site/

Permalink |記事への反応(1) | 16:09

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「われわれなりのロマンティック」の感想

アンケート用紙にあったwebアンケートこちらのQRコードを読み込み忘れたから代わりに感想をここに書こうと思う。

演劇は一応、年に2、3回くらい気になるのがあれば観るけど...みたいな感じで、とにかく期待してがっかりするのも嫌だし、傷つけられるのも嫌だから、警戒して警戒して観終わるまで警戒し続けるのが癖になっている。

ちなみにいいへんじの公演は初めて見た、そして恥ずかしながら出演者はじめ誰のことも存じ上げずただタイトルだけで気になってビビりながら予約してしまった。

自分クィアセクシュアリティジェンダーアイデンティティも明かさないけれど、少なくとも黙ってたら無いことにされがちな存在だ。自分自身でも自分が何者なのか油断したら自分輪郭も分からなくなりそうなくらい。

「われわれなりのロマンティック」を観て、驚いたことがある。自分想像したことのない、想像するという発想すら思い浮かばない「未来」みたいなのが「存在する」かもしれないということに気づいた。

自分のこの性的指向性自認人間未来に、こういうことが起きる可能性もある、その場合にはこんなことが起きる可能性もある、と、知らない未来みたいなのがなんか沢山出てきて本当に驚いた。

自分が「将来」を想像できていなかったことに初めて気がついた。

なんていうか、自分にも「将来」があるってことに、初めて気がついて本当にどうしよう、という気持ちが正直なところだ。そういえば「将来」になる前に死ぬか、もしくは永遠に将来が来ない生活を送るような感覚でいたな。

小中学生性的少数者当事者として物語(ロールモデルとか?)に触れられるように....」みたいな話を聞いたことはあったけど、自分は成人してから自分のことに気がついた人間から、それは大事なことだけど自分とは関係ない話、自分対象ではないことだと思っていた。

だけど、めっちゃ自分の話でもあったんだということに今回のことで気づき本当に驚いている。

もしかして一般的」とされる、シスヘテロ異性愛規範に当てはまれる人たちは、普段から将来像みたいなものを小さい頃から数えきれないほど、いろんなメディアで、テレビcmや教材のレベルで触れてきたのか??と思うと、まじかよ!いいな!!!!!おれも沢山ほしい!!!!!!知りたい!!!!!!!!

ほんでずっと自分が遠い話として見てきたいろんな物語はなんだったんだろう。友達とどっちのキャラがいい?みたいなのも、もしかして互いに違う感覚のまま話してたんかな、とか色々思い出した。

引っかからない点がないわけではなかった、グラウンドルールの1番に「何でも話していい」があるのに、「相手ジェンダーセクシュアリティを決めつけない」とかがないのは気になったし、あと開演前と終演後のBGMが割とガチャガチャしていてプレイリストを順番に流している感じも気になった。上演の中にある音楽と同じくらい大切に扱ってくれたらいいのにとちょっと思った。

そんなんもちょこちょこ思ったりもしたけど、でもとにかく、本当に、自分にとっては本当にびっくりする出来事で、とんでもないことを教えてくれたかありがとうという気持ちでいっぱいである。

自分登場人物全員をキャラクターと俳優の姿をしっかり認識して観終われたのは、書いた人が、つくった人たちが丁寧に向き合ったからだと思う。2人とか、3人だけじゃなくて、9人で書いてくれたから、9人の俳優がいてくれたか最後まで座って観ていられたし、助けられた。

最終公演まで、みんな元気に駆け抜けてほしい。

そして座席の数がゆるす限りできるだけ多くの人がこの公演を見て、分からなくても考え続けて生きていってくれたら、自分は多分どこかでほんの少し救われる。

もし自分みたいな人がいたら、演劇を観たことがない人でも、試しに、恐る恐るでいいから観に行ってみてほしい。東京三鷹ってとこでやってるよ。

https://wareroma.studio.site/

Permalink |記事への反応(0) | 16:09

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2025-08-02

腐女子の気が狂ってるのは必然

フェミニストBLには好意的なので自分欲求は通しつつ気に食わない表現には心置きなく文句がつけられる

性的少数者の言い分が通りやすくなるとBL槍玉にあげられかねない&持ち前の性嫌悪で反LGBT保守派シンクロする

ダブスタがどうとか言われても気にすることはない

腐女子であることをが正しさを担保するから

腐女子の気が狂ってるのは何も不思議ではなく自然なこと

Permalink |記事への反応(2) | 18:37

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2025-07-30

anond:20250730111808

ジャンルは終わらないって簡単に言ってるけど

同性愛性的少数者おもちゃにして性的消費するものが堂々と書店で売られている」って言われると反論難しいんじゃないか

炎上してからゾーニングはすべきと思う」みたいなこと言い出す腐女子も現れたけど、ゾーニングで済まなくなるほど火が回る可能性があるんじゃないのか。

火元のBL作家は男が妊娠する設定の本を出版ときながら、「子供を持つことがかなわない男性同性愛者の気持ちを踏みにじり性的消費するもの断じて許されない」みたいなマジレスに弁明する用意はあったんだろうか。

Permalink |記事への反応(1) | 12:06

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2025-07-27

腐女子はなぜあんなに思想が尖っているのか

表現燃やしてるやつと性的少数者差別してるやつの腐女子率は異常

理屈で言えば逆であるべきだろ

Permalink |記事への反応(2) | 21:35

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2025-07-09

リベラルなるものの敗北、参政批判参政党の勢いを助長する、じゃあどうすれば良いのだろうか?

私的には与党批判の受け皿にリベラル政党(立憲・共産など)が相応しく無いと判断された、長年そのように判断され続けている点が問題なのだと考えている。

外国人性的少数者などの”特定弱者”の味方であり、”普通の人たち”の政党では無いという評価で、ロールズ的なリベラル価値観という意味では正しい評価ではあり、マイルド生活苦に曝される人からはそりゃあ見向きもされん。

当たり前に日本人のために、有権者のための政策を考えてはいても、「外国人よりも日本人優遇します!」なんて言葉は口が裂けても言えないんだから

参政党人気は一石丸・玉木同様、過去発言等脇が甘すぎて一過性のモノだとは思うけど、一部のコア層はどうすれば良いのだろう。

批判すればするほどに、内での結束力が高まり、支持者たちが孤立化サイロ化していく。言っちゃあ悪いがカルト宗教のようなもので、フェスティンガーの脱洗脳過程洗脳過程酷似しているという話を思い出して、本当どうすれば良いんだろうとなってしまった。

Permalink |記事への反応(0) | 19:09

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2025-07-04

外国人ゲイポリコレ叩き棒にするのはやめろ

さも不法移民の受け入れが外国人全体の利益になるという政治的まやかしはやめろ。頑張って正規資格をとった大多数の外国人は、不法移民と同じに見られなくない。帰化人議員ほとんどが不法移民に反対しているが、彼らを排外主義と叩くのか?

性的少数者に雑にLGBTラベリングして、自派の主張に沿わないものを叩くのもやめろ。性的志向が違うだけでイデオロギー強制されるいわれはない。

マイノリティの代弁をするといいながら、敵対派を貶すための道具にするのはやめろ。マイノリティ左派に味方するべきと圧力をかけるな。敵対派の学歴信条社会的身分を貶すための方便に、都合の良い弱者を利用するのをやめろ。

Permalink |記事への反応(1) | 12:33

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2025-06-21

同性愛者やトランスジェンダーって理解を得られていいよね

俺みたいに、性自認は男で、好きなのは女だけど、自分男性的な肉体や欲求違和感を覚えていて、女性の肉体を志向してる名前もついてない性的少数者なんて世間に付け入る隙ないもん。

LGBTQ +の+ってなんだよ。もっとちゃんとした名前くれよ。

クロスドレッサーじゃ説明つかねーんだよ、こっちは。もっと少数者を理解してくれよ。

Permalink |記事への反応(1) | 16:46

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2025-06-17

【ChatGPT/DeepResearch】はてなブックマーク人気コメント思想的傾向2

https://anond.hatelabo.jp/20250617074316 の続き

20202024年:論調多様化と新旧勢力交錯

2020年代に入ると、はてなブックマークの人気コメント欄にも徐々に変化の兆しが現れてきました。リベラル派の根強い存在感は続いているものの、従来は埋もれがちだった保守右翼寄りの意見新世代の視点が目立つ場面も散見されるようになったのです。「リベラル一色」だった状況にやや揺らぎが生じ、思想的な多様化が進んできたとも言えます象徴なのは、国際情勢や安全保障をめぐる議論における変化です。2022年にはロシアによるウクライナ侵攻という大事件が起き、日本国内でも安全保障論議が活発化しました。はてなブックマーク上でも当初はロシア非難ウクライナを支持するコメント大勢を占めましたが(これは保守リベラルを問わず日本社会全体のコンセンサスでもありました)、次第にリベラル派内部の路線対立が表面化します。例えば「即時停戦・和平交渉を」というリベラル知識人声明に対し、ある人気コメントが「日本自称リベラル勢は(中国提案するような)領土放棄停戦呼応している感じですね。次は台湾有事から良い予行演習かも」と皮肉りました。これに対し別のユーザーが「“日本自称リベラル”って誰のこと?そんなの維新れいわ(※保守系と左派系の新興政党)くらいでしょ」と反論するなど、リベラル陣営内での意見の食い違いが可視化されたのです。従来、平和主義的な姿勢が強かったはてな左派ですが、ウクライナ戦争を機に「現実的安全保障」を訴える声にも一定の支持が集まるようになりました。これは従来なら埋もれていた保守タカ派寄りの意見(=ウクライナ支援しつつ自衛力強化を主張する立場)が、2020年代には一部ユーザー共感を得て表面化してきたことを示しています。 一方、国内政治社会問題については依然としてリベラル優位の構図が続いています2020年前後からジェンダー平等多様性をめぐる論争(いわゆる「ジェンダー論争」)が社会の大きなテーマとなりました。はてなでもフェミニズムLGBTQに関する話題が頻出し、その度に進歩的価値観擁護するコメントが多数のスターを集めています。例えば2021年東京五輪組織委員会森喜朗会長(当時)が「女性が多い会議時間がかかる」など女性蔑視発言をして辞任に追い込まれましたが、関連ニュースはてなブックマークでは「時代錯誤にも程がある」「森氏の発言五輪憲章に反する差別だ」等のコメントが軒並み支持されました(国内外批判報道を受けて森氏は辞任しました)。また2023年にはLGBT理解増進法を巡り与党内で紛糾がありましたが、この話題でも「性的少数者権利擁護は当然」「差別発言をする政治家は許せない」といったリベラルな主張が人気コメントの大半を占めました。ジェンダー関連では相変わらず**「はてなフェミ」とも呼ばれる勢力が健在で、例えば選択夫婦別姓話題では「誰も困らない制度なのだから実現すべき」という趣旨コメントが毎回スターを集めるのがお決まりになっています。実際、2025年1月匿名ダイアリー投稿された「夫婦別姓話題になると毎回『選択制なんだから選ぶも自由選択肢が増えるだけ』ってブコメスター集めてるけど本当か?」という問いかけにも、多くのブックマーカーが反応しました。注目コメントでは「9割方同意人民権利拡大として選択的別姓は望ましい制度」と、問いかけ主を支持しつつ制度導入を肯定する意見が示されています

このようにジェンダー平等を推進するリベラル姿勢**は2020年代でもはてな人気コメントの主流であり続けていますもっとも、2020年代には上記のようなリベラル優位の中にも一部保守右派コメントが目立つケースが出てきました。特に外交安全保障に絡むテーマや、一部のフェミニズム過熱への反発など、従来はてなでは埋もれがちだった声が表に出る場面が増えています。例を挙げると、2023年末に起きたM-1グランプリ漫才ネタ中国揶揄騒動があります女性自身の記事によれば、とある漫才師がネタ中で中国政府や中国人を揶揄する表現を用いたため物議を醸しました。このニュースに対するはてなブックマークの人気コメント欄では、「最低…中国人の部下がいるけど皆誠実で頑張っている。こんなネタが耳に入ったら遣る瀬無い。私は個人としてこのネタ表現自由を全力で否定する」という極めて厳しい批判コメントトップに立ちました。他にも「中国人の友達がいるが皆真面目で優秀だ。だからこういう揶揄ネタは本当に嫌いだ」といった声も上位に並び、差別表現への即座の拒絶反応を示しました。これらはいずれもリベラル価値観(反人種差別)に基づくコメントですが、その表現はかなり過激で、漫才という芸術表現に対して「自由否定する」とまで言い切る姿勢には賛否も分かれました。実際、この件を巡ってはてなユーザーのあり方自体批判するブログ記事も登場し、「漫才意図理解せず反応するはてな民は抽象思考が苦手だ」と揶揄されています

このように、依然リベラル派の声は強いものの、その語気の強さや過激さに対して異議を唱える向きも出てきており、コミュニティ内の世代間・思想ギャップが表面化していると言えるでしょう。さら2020年代には、経済雇用問題に関する議論でも興味深い現象が見られます。従来、雇用の流動化や規制緩和にはリベラル派でも賛否割れテーマでしたが、はてなでは基本的労働者寄りの視点が支持を得てきました。例えば2025年に入って注目を集めた派遣労働雇用慣習を巡る議論では、マレーシア在住の日本社長が「日本ダメにしたのは派遣労働だと叫ぶ人がいるが、それは短絡的。本当の問題日本の腐った雇用習慣だ」と指摘したことに対し、はてなブックマークでも活発なコメント議論が展開されました(togetter経由の話題)。このエントリーの人気コメント筆頭には、「違いますよ。従業員に金を支払わない経営者問題ですよ。雇用期間が限定される派遣は常時勤務の倍以上の給与義務付けるのがスタート…(中略)今やってる経営者実刑にして…」といった声が挙がりました。つまり、「派遣問題なのではなく、正社員派遣に関わらず労働者に正当な報酬を払わない企業側にこそ問題がある」という労働者擁護左派論点が強調され、これに多くのスターが付いたのです。他の注目コメントも「解雇規制緩和よりも同一労働同一賃金の方が重要では?」「労働市場の流動性を高める方策こそ優先」といった具合に、企業寄りの論理より労働者権利待遇向上を重視する意見が大半を占めていました。このケースは、2020年代に入ってもなお経済雇用分野ではリベラル左派的な視点弱者救済、公平な待遇要求)が共感を集めていることを示しています。 以上のように、**20202024年はてなブックマーク政治談議は、「基本的にはリベラル優位だが、一部テーマ論調多様化が進み、右派寄り意見や新しい視点も顔を出し始めた」**とまとめられます。依然としてリベラル派の牙城であることに変わりはありませんが、ユーザー層の世代交代や社会全体の論調変化を受け、人気コメントの傾向にも変化が生じています特に安全保障表現自由を巡る問題では、従来の左派コンセンサス疑問視するコメントが現れたり、逆に従来以上にリベラル色を強めたコメントが物議を醸すなど、新旧勢力がせめぎ合う局面も見られますもっとも、それらの意見対立自体が多くのユーザーの目に触れ活発に議論される点に、コミュニティ多様性拡大の兆しがうかがえますはてなブックマークは長らく「左寄り」と見做されてきましたが、2020年代半ばの現在、その人気コメント欄には従来にはない思想的なコントラストも生まれつつあると言えるでしょう。

はてなスターによる人気順位への影響と評価システムの変化

はてなブックマークの**「人気コメント順位は、ユーザーから付与されるスター(★)の数と質によって決定**されていますスターは他ユーザーから共感や支持を表す仕組みであり、この数が多いコメントほど「注目コメント」として上位に表示されやすくなりますしかし、スター機能にはコミュニティ思想的傾向を増幅する側面もありました。多数派ユーザーが支持するイデオロギーに沿ったコメントほどスターを集めやすくなるため、人気コメント欄特定思想に偏る要因となり得たのです。 実際これまで見てきたように、長年はてなではリベラルユーザーが多数を占めていたため、自然左派的なコメントほどスターが集まりやすく、「人気コメントリベラル寄り」という図式が生まれていました。例えば2010年頃の証言として、「妙に上から目線で断定口調のコメントスターを集めていて、自分もそれが感染して嫌な人間になりつつあるのを感じた」というユーザーの声があります。この「断定口調の人気コメント」が指すものの多くは、当時の多数派であるリベラル層の賛同を得やす論調権威対象皮肉交じりに断罪するようなコメント)でした。スターという評価経済が働くことで、ユーザーはより多くの支持を得られる表現無意識模倣し、結果的に似たような価値観文体コメントが増幅される現象が起きていたわけです。もっとも、運営側もこの問題認識し、評価アルゴリズム改善に取り組んできました。2021年6月には、はてなブックマークの人気コメント算出アルゴリズムが変更され、様々なコメントが表示されやすくなる施策が導入されていますさらに同年7月にはヤフー株式会社が開発した「建設コメント順位付けモデル」を組み込むことを発表し、攻撃的・不適切コメントが人気欄に露出しにくく、代わりに客観的根拠を示す建設的なコメント上位表示されやすくなるよう改良が加えられました。このモデル機械学習を用いてコメント内容を評価するもので、「新たな見識を提供しているか」「冷静で有益か」といった点にスコアを付ける仕組みです。はてなはこれを取り入れることで、単純なスター数の多少だけでなくコメントの質を考慮した順位付けを開始しました。 この変更の効果として、従来であれば過激表現ながら多数派の支持を集めたコメント(例えば「○○は○ねばいい」といった極端な意見)が上位に来ていた場面が抑制され、代わりに多少スター数は少なくても穏当で有意義コメントが表示されるケースが増えました。つまりスターによる多数決的な偏りをアルゴリズム補正し、より多角的意見が目に触れるよう工夫されてきたのです。この結果、思想的にも以前ほど一辺倒ではないコメント欄が実現しつつあります。実際2020年代半ばには、安全保障外交話題で以前なら埋もれていた少数派意見が注目コメントに現れるなど、多様化兆しが見られました(前述のウクライナ情勢に関する意見対立露出などもその一例です)。もっとも、スターのものの影響力が消えたわけではありません。現在でもやはり多くのユーザーからスターを集めるコメントは「注目コメント」として認識されやすく、コミュニティ多数派傾向を映す鏡であることに変わりありません。ただ、その多数派が時と共に入れ替わったり価値観シフトさせれば、人気コメントの傾向も変わっていきますはてなブックマークでは、スター機能ユーザー同士の共感ネットワーク可視化する役割果たしてきましたが、運営アルゴリズム調整によって極端な偏りは是正されつつあります。言い換えれば、スター経済はなお思想傾向に影響を及ぼすものの、その影響は以前より緩和され健全化しつつあると言えるでしょう。 以上を踏まえると、2005年から2025年にかけてのはてなブックマーク政治系人気コメント思想的傾向は、ユーザー層や社会情勢の変化とともにリベラル優勢の成立→固定化多様化への兆しという流れを辿ってきました。初期には玉石混交だったコメント欄も、やがてリベラルコミュニティによる独特の言論空間形成し、長らくそれが多数派として続きました。しか2020年代に入り、社会全体の右傾化左傾化議論の影響や評価アルゴリズム改善もあって、はてな内でも「右寄り」のスタンスが目立つ場面が出現するなど、緩やかながら変化が起きているのが現状です。もっとも、依然として人気コメントの多くはリベラル価値観に根ざしており、基本構図は維持されています。ただ、その表現スタイルや細部の論調時代とともに移り変わっており、今後もユーザーコミュニティの動向次第で人気コメント思想的傾向は変化し続けるでしょう。最後に、年代ごとの傾向を簡潔にまとめた表を示します。

年代(期間) 人気コメントの主な思想傾向 傾向に影響を与えた主な社会政治イベント

2005〜2009年コメント内容は玉石混交だが、徐々にリベラル志向が台頭

ネット右翼的言説は少数派で、反権力反体制の声が目立ち始める郵政民営化小泉改革)への評価、長期自民政権への批判2009年政権交代(民主党政権誕生)への期待

2010〜2014年リベラル/左派コメント圧倒的多数派となり定着

フェミニズム人権擁護論調が強まり保守派への批判が集中2011年東日本大震災原発事故脱原発論の高まり)、民主党政権の迷走と崩壊2012年第2次安倍政権発足(右傾化への反発)、ネット上のヘイトスピーチ問題顕在

2015〜2019年リベラル優位が続く一方、コメント傾向の内輪化・Permalink |記事への反応(1) | 07:47

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2025-06-16

ポリティカルにコレクトな話、その胡散臭さ

いわゆる人文系が展開するポリティカル・コレクト議論について、とりとめもない乱筆をしたためてみよう。

はっきり言って面白くないんですよ。だって結論ありきのポリティカルにコレクトな予定調和じゃないですか。「差別はやめましょう」とかいうあまり常識的で変わり映えもしない1フレーズを導き出すのに、色々理屈なり哲学者なりの議論を持ち出して正当化しようとすることの何が面白いんだかさっぱりわからない。

私自身は哲学を専攻していた者なのでまさに「人文系」なんだけれども、ジェンダー論やフェミニズムなどのポリティカル・コレクトネス系の議論(かなり雑な括りだが)は最近流行りなんだろうなあって思うところがあった。ある日暇なんでCiNiiで「マイノリティ」、「ジェンダー」、「クィア」的な語を検索したことがあったんだが、5年間の比較を見ると2015年2020年までと2021年2025年までとで論文数が大体1.2倍くらい増えているんですよ。雑に検索したまでで、その中にはいろいろノイズ的なものがある(一応そのノイズ的なものは各5年とも同数と想定することもできる)し、インターネットの普及でアクセシビリティの向上度合い(とはいえ2015年~ですぜ、2020年以降と大して変わらないだろ)、1.2倍というのが果たして誤差の範囲以上のものと言えるのかはわからないんだけれども、やはり流行りなんだなあと思った。(だれかこの辺の流行に関する社会学をやってくれないかなとは思っている。いつかやるか)

じゃあこの流行りが悪いことなのか、というとそれもまた違うんですけどね。哲学って抽象的な議論だったり理論構築ばっかりやってきたので、それを具体的な領域、例えば社会関係かに落とし込むこともまた必要なんですよ。最近哲学の諸領域社会化はその流れの中にあって、それ自体有意義ではあると思うんですね。いままで問題としてみてこなかったことや、問題だと思ってきたけれどもどうにか受け入れてきたことを改めて眺めて、それが実は問題だったり理論立てて誰かも考えていたんだなと理解し、ではどのように問題なのか、それをどのように解決するべきなのか、自分文脈で考えてみることってのは大事だ。その意義は否定するつもりはない。

その流行やよし、私は自分逆張り精神ゆえ、この流行予定調和的な議論はいささかの反感を覚えてしまうのだ。だからこそ最初に「結果ありきで面白くない」と書いたのだけれども。ポリティカルにコレクトな議論は、確かに結論的にはド正論故に批判反論しづらい。これが果たして完璧説得力がある”ということなのか、”センシティブゆえ事を荒立てたくない”という感情的忌避感なのか、ただいずれにせよ批判異論をぶち上げて(必然的に生々しくなる)議論しづらいというのはあるかもしれない。哲学なり学問なりの面白さは色々な見解が出てくることではなかったのだろうか。

一つ対抗しうるような見解を投げてみることにしよう。最近議論説得力を高めるためなのか、「当事者性」というワードをよく見る。早い話が黄金律で、「人が嫌がることはしないようにしましょう」ということなのだろう。障がい者だったり在日外国人だったり、あるいはLGBT等のいわゆる社会的弱者視点から社会分析するにあたり、現象学手法を用いるものだ。私自身は当事者性を重視したケーススタディだと思っており、わざわざ「現象学」を持ち出す必要はあるのかと思うのだがさておき、以下ケーススタディということにしよう。果たしてそういう議論を展開する人物のどれほどが「当事者」を真面目に記述することを試みたのだろうか。ケーススタディ当事者としての経験であることが最も望ましいのだが、それを論じるには別に当事者である必要はないのだ。結論ありきの議論では、得てして社会に不満を抱いているという前提が勝手に共有されているものだが、そういう不満がないという社会的弱者も当然いることだろうし、別の不満を抱いているという人物もあることだろう。もちろん社会的弱者議論では、そうした不満を抱いていない幸せ人物対象にするわけではないから、「お前は違うだろうな、少なくともあいつや私はそうだったが」と排除することはできる。しかし、議論から排除された人物も”当事者である性的少数者差別は未だに根強いという勝手な前提はあるが、当事者別にそんなことを感じたことはないということも往々にしてある。なんならそっとしておいてほしいと思っているだろうし、強引にでも差別されていると主張しないでほしいとすら思っている。同性愛者でも野獣先輩ミーム面白いと感じている人間はいる(倫理的に正しいかはさておくとしてだが)のだ。

という感じで、私はずっと「当事者はこう考えてきた」という欺瞞的な予定調和な言説に「お前は本当に聞いてきたのか?別の当事者は全く逆のことを言っているのだが」と投げてみたかったのだが、変にヒートアップさせると非常に面倒なので投げなかったタチである

それにしても、「少数にこそ話を聞いてみるべきだ」とか宣う人文系がいるが、そいつはその割にその少数が自説に都合が悪い存在だったらさっぱり無視してしまった、という話はよく見る。いわゆるダブルスタンダードなのだが、このような矛盾した態度を取るからには説明責任がある。一体何を根拠にそのような姿勢を取ったのだろうか?人文学一般に、そのような人間が抱く矛盾分析・整理して明確化するという役割があるはずなのだが、それを放棄してしまったのだ。「そいつらは問題を捉え損なっている」とか「そいつらは問題問題と思っておらず幸せそうに思われたから」などと言うならまだしも、無視はありえないだろう。無論、議論というのは会話である以上、納得させうる説明を作るのに時間必要ではあるしその場ですぐには出せないのだけれども、いつまで経っても説明をせず、すっかりみなかったことにするというのは人文学存在意義を自ら毀損してしまっている。

という、人文系人間による、人文系への愛憎相半ば(というか憎が多いか?)する話でした。

流行自体は悪いとは思わんのだけれども、いかんせんそればっかりなのは面白くないし、反論をするにも突きづらいセンシティブテーマだし、なにより人文系批判というのがかなり高まっているのでね、哲学をやっていた人間として一つ何か言っておこうかなどと思ったもので。

Permalink |記事への反応(0) | 03:48

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2025-06-06

anond:20250606135341

性的少数者権利を認めると女の権利譲渡しなきゃいけないのは現実から

それに折り合い付けるのはリベラリズムじゃ無理っしょ

Permalink |記事への反応(0) | 14:00

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2025-05-21

トランプ政権矛盾象徴「ベッセント財務長官

ベッセントトランプにひたすら忠誠を誓う他の部下とは決定的に異なる存在

そもそもトランプ陣営の主要献金者の一人であり、政府では部下の立場にいるが本質的にはスポンサーである

他の部下のように「気に入らねえ、クビだ」という訳にはいかない。

だいたい、あれだけDEIを嫌い、政府だけでなく民間企業から性的少数者排除しようとしている中で、ベッセントだけはゲイで夫までおり、養子をもらい、ピンク色の可愛い家に暮らしている。

ちなみに、トランプ関係者からはいままで事あるごとにアメリカディープステートに操られており、そのディープステートの首謀者はジョージ・ソロスだとの話をたびたび目にしていたが、

ベッセントはそのソロスに数十年仕え、ソロスファンド最高投資責任者にまでなった腹心だ。

そうなるとトランプも既にディープステートの手に落ちた事になると思うのだが、なぜかそこは信者から華麗にスルーされる。

Permalink |記事への反応(0) | 07:20

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2025-05-07

レズビアン自分

ツイッター(現X)のレズビアン自分史のハッシュタグに憧れて自分でも書いてみたものツイッターにはオタクしかなく出す勇気がなかったので匿名で供養

小学生

CP厨として小説をよく読んでいた。女女も男女も男男も全部好きであまりそこに区別がなかった。高学年にもなると周りの恋バナに巻き込まれ好きな人をしつこく聞かれることが多かったので毎回適当に流してたし恋愛感情はよく分かってなかった。何となく恋愛は男女でするものという認識一般的なんだと知り、男女の恋愛作品から逃げるようにしてBLにハマる。二次創作概念も小6ぐらいで知ってよく読むようになる。

中学

同性の友達を好きになる。元々その人のことをずっと尊敬していたのだが、ある日その人と恋人になっている夢を見てこれは恋愛感情かもしれないと自覚した。この頃、読んでいた小説の影響で思春期には友情以上恋愛未満の同性への憧れを抱くことがあるが、その感情大人になると共に無くなってみんな男女で付き合うようになる、と思い込むようになる。好きな人への感情恋愛感情に近しいものではあるが、いつかは消えるものなので人に言わず墓まで持っていこうと決める。

何度か自分性別違和感はないけれど社会的女性として見られることは嫌いという話を周りにしておりクラスメイトからレズビアンか聞かれたり、男性になれば?と言われたりするようになる。ちなみにレズビアンか聞かれた時は否定した。

いつか異性を好きになることがあるとしても、現時点でまともに異性を好きになれる気がしないか友達として共同生活できる人と結婚出来たらいいなと思っていた。

高校

中学で好きだった人とは違う高校に進学したが、たまたま中学で好きだった人と恋愛について話す機会に恵まれる。好きな人ににしっかりとした結婚願望があることを知って自分ではその幸せを叶えられないからとその人と付き合うことを諦める。

ズボン制服がある高校に進学し、ズボンにしようとするも家族から反対される。入学の時点では認められず、半年後にお年玉から半額出すという形で無理やり認めてもらったはず。夏服はスカート、冬服はズボンで暮らすように。家族からズボン型の制服を履くことに対して、ここは田舎から性的少数者に見られて良くないみたいな話をされ、まあ今のところそう思われても事実から問題ないなと心の中で思っていた。この頃には自分レズビアンとまではいかなくても中学の頃のあれは恋愛感情で、好きな人が同性であったこ自体肯定できるようになっていた。

二次創作で同じキャラでも受けと攻めの場合作品内で強調されやすキャラの要素が違うことに気づきBL異性愛規範の上で成り立ってるものだと知って受け付けなくなる。以降あまり恋愛作品自体を読まなくなる。

この頃高校内ではまだ導入当初で珍しかったズボン制服を履いていたことも影響していたのか、もしくは類は友を呼ぶのか、時々友達からカミングアウトされたり同性が好きなんだけど……という恋愛相談を受けたりするようになる。同性への恋愛感情って人に話してもいいんだと知る。カミングアウトしてくれた子には自分のことも話すようになり自分レズビアンなんだよね、という説明を少しずつ人にできるようになる。

大学(今)

未だに誰かと付き合った経験がある訳でもなく匿名しかこういう話をまだ出来ないが、いつか自分にずっと関わってくれている家族友達にもこういう話が出来たらいいなと思う。おしまい

Permalink |記事への反応(4) | 18:42

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2025-04-25

anond:20250425044306

現代社会において、マイノリティ権利保護は当然の前提として尊重されるべきですが、それと同時に他者権利安全と衝突したときに、無条件にマイノリティ擁護されるべきだという考え方には限界があります

ノイジーマイノリティNoisy Minority)」とは、社会的に少数であるにもかかわらず、過剰に可視化された言動を通じて、周囲に強い影響や不安を与える存在を指す言葉です。これは単に「声が大きい」という意味ではなく、社会的合意形成するうえで他者権利自由侵食しているかどうかという点が本質です。

1. 「個の自由」が「他者安全」を脅かすとき

たとえば、女性専用スペース(トイレ更衣室、温泉など)に、自己認識に基づくジェンダー理由に「女性」として立ち入る人物がいたとします。外見や行動が他の利用者にとって「脅威」や「不安」を喚起する場合、それは実際に何か行動をしたかどうかにかかわらず、「空間安全性」という感覚に影響を与えているのです。

このようなケースにおいて、女性が「怖い」「安心できない」と感じたとしても、それを口にすること自体が「差別」と断じられ、黙らされる風潮があります。こうした空気は、マイノリティ権利が“他者感覚”や“共有空間の秩序”を圧倒する形で正当化されてしまっているという歪みを示しています

2.問題行動を見て見ぬふりしてきた“聖域化”

さらに、性的少数者の一部が「自分たち社会的に抑圧されている」という立場免罪符にして、公共の場での配慮節度を欠いた言動をしていても、それに対して周囲が批判を加えると、「差別者」のレッテルを貼られる。この状況こそが、「ノイジーマイノリティ」と呼ばれる所以です。

声が大きいがゆえに、健全議論境界の再設定ができなくなる状態は、少数者の擁護ではなく、特権化です。

3.ノイジーマイノリティによって、本来守られるべき他の女性マイノリティが損なわれている

このような存在は、実は他の静かなマイノリティ立場をも危うくしているという点で非常に有害です。大多数の性的少数者は穏やかに配慮を持って社会適応しようとしているにもかかわらず、一部のラディカルな行動がメディアに取り上げられることで、全体が不当に評価されるようになってしまう。

これは、「マイノリティの中のマイノリティ」が他者に害を与えることで、本来マイノリティ人権運動が“わがまま”や“特権要求”として受け取られてしまうという、逆効果を生む構図です。

結論マイノリティを守ることと、ノイジーな振る舞いを許すことは別問題

本当に少数者の権利を守るのであれば、まず必要なのは節度共感」です。声を上げることは重要ですが、それが他者の恐怖や不安空間的な自由侵害しはじめたとき、それはもはや権利の主張ではなく、空間占有支配問題です。

したがって、「女性迷惑をかけるマイノリティノイジーマイノリティである」という主張は、単なる差別ではなく、「権利責任バランス」を問う警鐘なのです。

Permalink |記事への反応(0) | 08:18

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2025-04-19

小児性愛者って「ある意味」かわいそうだと思う

※まず最初に言っておくが、自分小児性愛者ではないし小児性愛気持ち悪いって感覚もなんとなくわかる。そして、子供健全な発達のために色んな規制必要性がある、ってのも十分わかる。

自分も以前まではなんとなく気持ち悪いわくらいにか考えてなかったんだけど、最近一周回ってかわいそうだと思うようになってきた。だって小児性愛って、「異性が好き」 「同性が好き」 「両性とも好きになる」と同じように、性的指向の1つに過ぎないわけだ。我々が生まれつき(先天的に、といった方が正しいか?)そうだったように、彼ら・彼女らもそうだったわけで、自分意思努力で変えられるような代物ではない。

そして、現在では、LGBTQという言葉人口膾炙して、そうした性的指向の方々の権利尊重しようというのが社会の潮流になっていることは誰もが認めるところだ。にもかかわらず、こと小児性愛という性的少数者カテゴリーに対する視線というのは、少なくとも日本社会においては前記の潮流とは全く真逆のように思える。

ただ、やはり未成年に関しては真意に基づく同意があるかは疑わしいし、判断能力が未成熟未成年者が食い物にされてしまうことを防止するっていう反対利益が大きいから、小児性愛社会的に許容することはできないと思う。

それも含めて、「ある意味」かわいそうだと感じてる。

Permalink |記事への反応(0) | 23:28

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2025-03-25

anond:20250325092640

より平等環境を構築するためにはどっちがマシか、どっちが差別被害者数を少なくできるかを選ぶと

日本女性差別についてのみクオーター制を主張する人の多さが問題を複雑にしている

性的少数者障害者、クオーター制採用するならまず明らかなマイノリティであるそちらからだろうね

優先順位が逆なのよ

Permalink |記事への反応(0) | 13:04

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2025-03-15

anond:20250314223242

怒って声を上げる人がいるからこそ変わったこともいっぱいある

第二波フェミニズムにおいてERA関連の運動でラディフェミ性的少数者パージしてTERFという忌々しい文化を作ったことも総括せず、

その後のラディフェミネットミサンドリストと合流して「女性のため」にフェミニスト、フェミニズム看板を使って差別行為をやっていても咎めず、

アイツらにも良いところはあったみたいな扱いしてる時点で

全く勉強が足りないし、認識を改めて欲しい


自分穏健派フェミニストを名乗ってるけど、他人に話すとき自分たちが社会的に正しいことをしているという建前がすごく大事だと痛感している。

フェミニストの印象で「ネットとかでトランス差別してる人でしょ?」「なんか何にでも噛み付いてて怖い」なんて今やありふれた感想だし、そういった人たちを野放しにしてる集団が「男女平等!」なんて言っても響かないよ。

フェミニストはまずは身内をまともにすることが求められてると思うよ。第6波フェミニズムがあるとすれば、女性差別主義者との戦いだと思ってるよ。

多分令和の子供達がまともな権利意識を身につけて大人になり、現代フェミニストが全員死んだ後でそれは達成されるんだろうと思ってるけど。

Permalink |記事への反応(3) | 08:45

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2025-02-27

anond:20250227094514

強者に成り替わろうとしてるってのは最初の内はそうだったかもしれないけど今はもう仲間内での地位争いが主流な気がする

リベラルの言う弱者ってのはリベラルポイントを稼げる奴の事でそうでない奴はどうでもいいってのは確実にあるな

から性的少数者外国人には言わないけどオタクには弁えろと言い続ける

Permalink |記事への反応(0) | 18:23

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anond:20250226115009

女性の性欲は制御可能(とされている、少なくとも女性たちの主張はそう)だから比較対象に上げるのは恣意的な気がする。

制御しづらい女性のPMSと制御できない男性の性欲の比較で合ってるんじゃないの?

男性の性欲がいか制御不能かは実際に男性ホルモン摂取してる性的少数者を見ればわかるけど、たぶん女は見ないふりするんだろうな。

Permalink |記事への反応(0) | 00:51

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