
はてなキーワード:念の為とは
だが週末、熊本でなにかあるのか知らんがホテル満室で追い出されたので旅に出る。(泊まれるが法外に高い)
どっちがいいかChatGPTに聞いたら「どっちもいいよ!」みたいなふざけた回答しやがった。
おまえはいつもそうだよ。二択で質問してるのに玉虫色の回答で責任を回避しようとしやがる。
どっちか選べと指示したら「鹿児島」だと答えたので鹿児島に決定、はい責任はChatGPTな。
途中吉野家で朝食をとる。「牛すき鍋定食肉二倍盛り」。朝なのでビールは無し。バス旅でおしっこ危険。
俺は吉野家では「並牛」「牛鮭定食」「牛すき鍋定食肉二倍盛り」しか頼まない。
人生初吉野家から40年間これを貫いている。あと吉野家以外の牛丼屋はパチモノでありクソである。
キン肉マン問題や嫌なら食うな問題などどうでも良い。牛丼は吉野家である。異論は認めない。
吉野家下通店のドアは手動である、なぜ自動ドアにしないのか謎。理解不能。これだけは吉野家を許せない。
熊本の大衆は育ちが悪く品性が低めなので開けたドアを閉めない。ドアをきっちり閉めたら負けだと思っている。
熊本にはそこらじゅうに「あとぜき」の張り紙がある。熊本弁で「開けた扉を閉めろ」という意味だが、
そんな張り紙をあちこちで見かけるほど奴らはことごとく閉めない。
まして吉野家の手動ドアなど完全に閉まることはまずない。閉めろと念入りに張り紙はしているが誰も閉めない。
徒歩、桜町バスターミナルに着くと20分後出発の便がある、鹿児島行きバス路線があるのは知っているが時刻表までは調べていない。
チケットを購入。
旅慣れている俺はファミマで颯爽とお茶とチョコとワッフルを購入。
バスに乗る。
熊本のバスはクソ遅い。市内慢性的渋滞なのに市内から高速道路までのアクセス道路が無い。首都高的な、バイパス的な道路がなく
桜町バスターミナルから熊本ICにたどり着くだけで一時間かかる。新幹線ならもう鹿児島に着いている。
だがバスなら4200円で鹿児島まで行ける、新幹線だと7700円
バス一択である、金は無いが時間はたっぷりある。そもそも急ぎの旅ではない。バスの車窓も含め旅なのだ。
それにしても遅い、市内でいちいちバス停に止まり乗客を乗せる。高速バスなのにぜんぜん高速じゃない。
ようやく高速道路に入り山中をひたすら走り、無駄に鹿児島空港に立ち寄り、3時間半で鹿児島中央駅に到着。14時くらいだったと記憶している。
鹿児島は20年ぶり。今の駅ビルに建て替わる直前の鹿児島中央駅(当時西鹿児島駅)にしか来たことがなく現在の立派な駅ビルには薩摩藩の貫禄を感じた。観覧車もあるし。
駅前をふらついていると市内観光循環バスを見つけた。230円でぐるっと一周できる。80分乗って230円。どう考えてもお得。乗るしか無い。これで主要観光地全部行ったことになる。
乗ってから数分で気付いたが、そういえばこれ20年前も乗ったわ。見覚えあるわ。行動パターンが20年変わってない俺。
西郷どんの洞窟ショボっとか思いつつ、20年前も見たわ、みたいな。
俺は日本全国、世界各地行っているのでたいていのモノは初見でも感動も無いが、二度見であるからさらに新鮮みもまったくない。
16時。アホらしくなり途中天文館で降り(ほぼ一周してる)、銀だこで腹ごしらえ。
安定の銀だこ、どこで食ってもハズレはない。
鹿児島に来たからと言うて嬉しそうに黒豚だの地鶏など食わない。どうせまずい。よくて値段相応
高度に資本主義が発展し、かつ食品の保存、輸送が極限まで進化した我が国。
朝に豊洲で仕入れた魚が午後には那覇空港に到着し空港の中の寿司屋で提供されるのだ。
美味い魚や肉や野菜は大資本が狩り尽くし、一般市場にはそのお溢れしか回ってこない。
地元だから新鮮で高品質で安い、なんて幻想にすぎない。もうそんな時代ではない。
美味いもの食いたきゃ金を出さなければならないし、品質は都会も田舎も変わらない。
ハイボールとたこ焼き、最高であり、庶民の幸福であり、食いながら宿を探す。
宿は取っていない、取れなきゃ満喫でもいいのだ。この時間になるとホテルは空室よりもマシと捨て値で部屋を売り出す。
案の定、東横イン7000円を見つける。予約し銀だこお会計しチェックインに向かう。徒歩5分
ちなみに銀だこのスタッフはみな可愛かった。鹿児島は女子のレベルが高いように思う。熊本には悪いが熊本はアレだ。
熊本は男は扉を閉めない、女はヘチャ。ではいいとこ無しのようだが、俺は熊本が大好きだ。なんなら引っ越ししてもいいと思っている。
息子が友達と離れたくないと拒絶したので断念したが、でもキミクラスで浮いててボッチって嘆いてなかったっけ?まぁいい。
ともかくホテルにチェックイン、暇つぶしにテレビを見る、スマートテレビはネトフリにも対応、颯爽とログインして「斉木楠雄のΨ難」の続きを観る。鹿児島まで来てなにやってんだと思うだろうが、いいのだ。こういうのでいいのだ。
21時。小腹が空いた。週末の鹿児島の繁華街、どんなものかパトロールに出発。
グッと来る店がまったくない、Bar、キャバクラ、居酒屋、なんでもいいから1軒くらいと思ったが、無い。
仕方がないので客がそこそこ入ってるラーメン屋に入ったが、ぜんぜん美味くない。な?だろ?
ホテルに戻り寝る。
朝、さてどこに行くか、ノープラン。アホらしいので即戻りでもいい気がしてきたが、せっかくだし、桜島に行く。
フェリーに乗る。チケットは無く桜島の下船時に支払うという合理的オペレーションはグッドである。そして安い。250円だったか。
金額を確かめようと念の為にググったら検索要約に130円と出てきた。どっからそんな値段が出てきたのか。これだからAIは。
古い値段なのか、小児運賃を誤判定しているのか、意味わからん。
それにしても桜島は偽物である。おまえ島を名乗っているが島じゃねぇじゃん、繋がってんじゃん、現状ただの半島であり錦江湾のノドチンコである。桜半島に改名しなさい。島じゃないんだから。
無論、ただの地名であるという言い訳もありましょう、例えば島原は島でも無いし原っぱでも無い、島が付く地名などゴマンとあり、地名と実態は別物であり、安田さんが安いわけでも田んぼなわけでもない、それらの一種であるという言い訳だろうが、俺は許さない。
とか思いながら桜半島を眺めていると船は出発した。デッキではアホみたいにうどんを食うてるアホがいる。クソ高いのに美味いわけが無い。
テレビでタレントがうまいうまいと言うてるのを見て自分も食いたくなったのだろう、美味いわけが無い。
船は15分で到着。元船乗りの俺としてはこの手のフェリーの操舵技術には感服する。
自動車のCMなどでキツキツ駐車スペースにスピンで滑りながらピタリと止める、みたいな演出あるじゃん。
ともかく桜半島に到着。
降りる、250円払う。Suicaで払おうとしたが使用する人はほとんどいないのだろう、都度タッチ端末を起動しているのか知らんが応答がすこぶる遅い。
なんぞ?
なんか人がたくさん走ってきた。マラソン大会してやがる。うっざ、さっきのはスタートの合図
この手の観光地にはたいていレンタル自転車があるもので、案の定あったので借りに行ったら今日はマラソンだからダメだと。ふぁっく
わざわざ活火山の真下でマラソン大会やってんの。3000人集まってんの、アホかと。
徒歩で海岸沿いに向かう
ビジターセンターなる観光施設があったので入る、土産屋があり溶岩石が売っていた。300円。
マイクラにハマってる息子が最近やたらと溶岩溶岩とうるさいので買っていこうと思ったが、
ここってそこらの石全部溶岩じゃねぇの?
海岸沿いに恐らくかつて溶岩だったのではなかろうか的な石ころを拾ってカバンに詰めた。300円儲かった。
なぁに子供にはわかるまい。ただの石でもいいのだ。
かつこの行為が厳密には法律違反ではなかろうとかいう懸念もあるが、俺の中では違法性は阻却されると判断している。
鹿児島に戻る。
ちなみに船の出発ジングルが長渕剛であった。俺は長渕が嫌いである。
人格、品格というのはその人がアイデンティティ確立において誰もが何かしら持つ劣等感をどのように消化するか、が大きく作用する。
彼は音楽に関しては天才である。体系的音楽教育を受けずギター一本で多くの人の記憶に残る名曲を生み出してきた才能は凄いのであり、俺も若い頃、まだ自分でピアノを弾いていた頃には彼の曲をいくつか弾いた。コード進行はシンプルであり、奇抜な音楽要素を取り入れるわけではなく、しかし優しく強いメロディーは誰の頭にも残る。
が、彼は自己プロデュース能力やタレント性、カリスマを宗教にしてしまった。
アホを信者に搾取することは悪いことではない。宗教屋はみなやってる、それで救われるやつもいる。
が、彼は劣等感の克服を歪んだ形で完結させ、歪な宗教に昇華させた。俺はそれを嫌悪するのだ。
ワンテイクというYoutubeのチャンネルにも出ているが、説法がながぇのよ、普通のアーティストは「行きます」程度の一言で演奏開始するのだが、彼は人生口上を長々と30分近く喋ってから演奏に入る。うぜぇぇぇぇ、のであり、嫌いだ。
さて、俺は帰りのフェリーの甲板で涼んでいた。外気温19度、日差しもあり普通に暑い。散々歩かされたので汗ばんでいる。
が、近くに高校生の修学旅行のグループ行動らしき集団がいて、「さーむーい」「マジありえなーい」みたいな私弱いアピールして女子の真横でTシャツであり、俺がおかしいのか、JKがブっているのか、みたいな絵面であり、俺はJKたちに笑われていた。
鹿児島中央駅まで戻り指宿まで行く、まだ時間はある、片道1時間ちょい。指宿で降りずにそのまま乗り続けるとJR路線最西端の西大山駅まで行けるらしく、かなり魅惑的であり、てかそのまま枕崎まで行きたいが、アホではないので帰りをシミュレーションすると無理ゲーであることがわかり諦めて指宿で降りる。
というか、鹿児島県は上白石萌音様を生み育てた聖域であり、指宿はかの大漫画家川原泉先生を生み出した伝説の地である。
堪能せねばならない。
指宿駅前に食堂だか居酒屋だか料理屋みたいなのがあり、2500円の定食を食う。きっと川原泉先生もここで飯を食われたに違いないと考えると美味さは倍増する。実際美味かった。だが、どうやらその日は指宿で全国かつお祭りとやらが開催されているようで(店にポスターが貼ってた)、車で10分ほどの会場でなんかやってるらしい。13時半なのでまだ間に合う。俺が計画的に行動し、事前リサーチしていれば間違いなくそれをターゲットにしていただろう、カツオは俺の好きな魚ランキング10位内には入るほど好きだ。残念
地ビールがあったので飲む、美味い、おかわりしてしまった。これが間違いだと気づくのは30分後である。
14時半、帰路、鉄路かバスか。どちらもアリのようだ。来るときJRだったので時間かかるが景色の良さそうなバスもよかろうとバスで帰ることにした。ちなみにJRはクソであり、せっかく海岸沿いを走っているのに藪で景観が台無しである。
JRが軌道外の雑草を放置しているため車窓は最悪のコンディション。
言い訳をすると乗車直前にトイレには行ってる、アホでは無いのだ。
あと1時間ちょい我慢は「むり」との決断を下し、途中「観音崎展望所」バス停で途中下車。
道の駅だからトイレくらいあるだろう、あった、おしっこした。セーフ。間に合った。次のバスを検索すると絶望しか無かった。2時間後。
最寄り駅まで徒歩20分。20分くらいは歩くが、列車が来るのは1時間後。ふぁっく。ド田舎死ね。
結局小一時間海岸で桜半島を眺めながら佇むことになった。気候が良いのが救い、桜半島はきれいだった。
ようやく時間が来たので生見駅から列車に乗る。「ぬくみ」と読むらしい、勉強になった、残り人生で活かせる機会は無いだろうが。
生見駅での乗客は俺一人だが、枕崎や指宿から乗ってきたのであろう観光客で空席ゼロ。外人だらけ。
ちなみに生見駅の側には「この付近で大便した奴はぶっ殺す 家主」的な看板があちこちにありどんな治安だよと思った。
本来の目論見では鹿児島中央から4400円でバスで熊本まで戻る予定だったが、この時間だともはや新幹線ワープしかない。
指宿在来線から新幹線に乗り換えようとしたのだが、改札内に新幹線切符売り場は無いらしい、一度改札を出てから買い直しだとか。
都会育ちの俺は新幹線とは5分に一本走っているものという常識がありそのような感覚だったが、時刻表を見ると絶望しかなかった
はぁぁぁぁぁ?
よんじゅうよんぷん?待ち?なんで接続列車にしないの?その前が3分間隔出発で次が44分の空白ってなんなの?
なんでばらけないの?アホなの?
が、良い、許す。俺はちょっと機嫌が良い。
実は指宿からの帰路に衝撃的な出会いがあった。途中でJK3人組が乗ってきたのだが、その一人が俺の初恋の人にそっくりだったのだ。
瓜二つというて良い、とはいえ初恋の人に最後に合ったのは35年前なので記憶が定かではなく写真も持っていないので相当補正がかかっているかもしれんが、顔立ち、スタイル、雰囲気がそっくりだった。俺が余命一ヶ月とかならアレでソレしてしまったかもしれない。だが俺はあと50年生きる予定なのでそんな事で刑務所には入りたくない。
コーヒーを飲む。そういえば出張に電動鼻毛カッターを持ってくるのを忘れた(バックのどこを探してもない、入れたはずなのに)ので隣のヨドバシで買うか思案、だが、よくよく考えてみると鼻毛カッターを使うのは1週間から10日に一度である。
出張はあと2週間だから使っても1回、もしくはせいぜい2回であり、自宅に戻れば前のがある、別にそれで困ってない。
パナソニック製で10年前に購入したものだが、電池式なのでバッテリーヘタリもない。そもそも毎日使うものでもない。
そしてこの歳で新しい電動鼻毛カッターを購入したとしてあと何回使うだろうか。鼻毛がどうでもよくなるのが80歳くらいだとして、週一使うとして残りざっと1400回である。
あ、けっこうあるな、新しいの買ってもいいかな、人生最後の電動鼻毛カッター、いやいやいや、今のやつで人生最後まで走り切れるのでは。
とか考えてたら30分が過ぎ、ホームに向かう、新幹線ホームに喫煙所があると思いきやなかった。大都会熊本駅にはあるんだけどね。
新幹線発車。
車内アナウンスで「座席に荷物置くな」と言うているのにお隣の中年女性はガン無視。
俺は三列シートの真ん中にふんぞり返って座っている。なぁに乗車率3割も無い。
ちなみに三列シートは真ん中だけちょっと幅が広いのだ。
18分のインターバルがあるのでのんびり新幹線ホームの喫煙ルームでタバコを吸う。
吸い終わり、ん?豊肥本線ってこの時間そんなに間引き運転だったっけ。調べると
18:43発があった。余裕で乗り換え間に合うじゃん。ジョルダンふぁっく
なんやかやホテル到着、急いで帰ったのは理由がある、荷物が届く。
スーツケースを宅配便で送っている。ホテルというかウィクリーが預かってくれないので近所のコンビニからPermalink |記事への反応(0) | 16:52
高市総理「働いて×5」流行語大賞受賞が左派界隈で大きく炎上する傍ら、もう1つの炎上が起きていた。エッホエッホ構文でパクツイ犯が勝手に表彰されたというものだ。
どう炎上していたかは後で解説するとして、初めに結論を書くと授賞式で表彰された「うお座」氏は紛れもなくエッホエッホ構文の創始者である。炎上は完全な冤罪だ。
事実として、エッホエッホ構文は彼の3つのネタツイから始まった。
エッホエッホ
エッホエッホ
エッホエッホ
エッホエッホ
【なぜ?】
エッホエッホ
あの子に嫌いって伝えなきゃ
エッホエッホ
1つ目と3つ目はうお座氏のサブ垢@selfsatisfac、2つ目の投稿は本垢の@zlatanera17から投稿されている。どうも、クセのあるネタはサブ垢から、万人受けする本命のネタは本垢から投稿するという運用のようだ。
ネットミームには、人々の中で伝播する中で徐々に形を変えていったものと、原型がほぼそのまま流通するものと2種類ある。エッホエッホ構文は後者だ。エッホエッホ構文のほぼ全ての要素がうお座氏のツイートに詰められている。
まず、最初の「たかみなの具合が悪いから〜」の段階で、「エッホエッホ (任意の内容伝える) エッホエッホ」という構造となっている。
流行語大賞の選評でも、
と述べられているように、これこそがエッホエッホ構文のコアの独創性である。
次に、本垢から投稿されたうお座氏の最も拡散されたエッホエッホ投稿では、「可愛らしい子供がお母さんに頑張って何かを伝えようとしている」というエッホエッホ構文のイメージが確立している。
エッホエッホ構文に詳しくない人向けに例をあげると、うお座氏の後にエッホエッホ構文で最もバズったツイートの1つである霜田氏のツイートも、このイメージを継承するものだ。
エッホエッホ
エッホエッホ
最後に3つ目の「あの子に嫌いって伝えなきゃ」で「伝えなきゃ」というフレーズを使用している。エッホエッホ構文は現在では、「伝えないと」ではなく「伝えなきゃ」という形を取るものが主流だと思われるが、これもうお座氏が初である。
エッホエッホ構文を使用したネット大喜利は、うお座氏のこの3つのツイートがバズったことで始まった。
日本時間2025年2月24日21時までの「エッホエッホ」検索結果
うお座の最初のツイートは2月24日4時7分、3つ目のツイートは15時42分投稿のものだが、
うお座氏以外でエッホエッホ構文を使い始めたのは、24日16時58分のツイートが初で、それまではうお座氏以外にエッホエッホ構文使いは存在しない。
誰もが参加できるエッホエッホ構文ネット大喜利が自然発生したのは、うお座氏が3つの巧みなネタツイをそれぞれバズらせることで構文としての汎用性を立証したからこそなのだ。
エッホエッホ構文の生みの親がうお座氏であるという明白な事実があるにもかかわらず、ネット民は別のツイッタラー「はじめ」氏をエッホエッホの「始祖」と崇め、うお座氏らを「パクツイで受賞」「ミームの横取り」「お前らが受け取るべきじゃないって伝えなきゃ」などと中傷している。
しかし「はじめ」氏がエッホエッホの「始祖」だというのは、デマである。
端的に、初出でもなければ拡散もされていないからである。彼はエッホエッホのブームが一通り落ち着いた2025年6月に「てかエッホエッホってほぼおれ発祥やったよな」とツイートしたことで、この構文の起源だという認識を獲得した。しかし丁寧に検証すれば、これは不当な「あれ俺」主張であるとみなさざるを得ない。
運動するか
えっほっえっほっ
このツイートが真の起源であると誤って信じられた理由について、1つ1つ解体していこう。
これは誤った推論である。なぜならばこのツイートは2025年6月に投稿者が「あれ俺」主張するまではほぼ知られていなかったからだ。
現に、うお座氏のオリジナルのエッホエッホ構文ツイートが投稿された2月24日までの、はじめ氏のツイートの公開リツイート数を取得するとわずか1件しかリツイートされていない。
念の為、はじめ氏が2022年に投稿した類似内容のツイートについてもリツイート数を取得すると、9件である。身内にはウケたのかなという程度の数字だ。
検索する限り、うお座氏とはじめ氏の間にリプライ/RTなどの交流は確認できないので、合計10RTしかないツイートに依拠したと考えるべき理由は何も存在しない。
2021年10月に画像を日本で画像を話題にしたのははじめ氏ではなく、およそ4万RTを記録した最多情報局(@tyomateee)の投稿である。アカウント名でわかる通り、これは転載系のアフィアカウントであり、この元ネタは英語圏で同じく4万RTを記録したRosi@rosiyesrosiの投稿だろう。
なんにしろ、はじめ氏は、海外でバズった投稿の画像を転載して日本でバズった投稿をさらに転載して投稿しただけであり、発掘の功はまったく存在しない。
あの写真を見て「えっほえっほ」と形容したくなるのは日本人にはある程度普遍的な感覚らしく、2021年10月だけで少なくとも4人が同じ投稿をしている。はじめ氏は3番目だ。
仮に、「えっほえっほ」という文字列に何らかの尊重されるべき新規性を見出すのであれば、中でも最古と考えられるジロ助🐶🐾氏の投稿を称えるべきであろう。
とはいえ、こういうある程度誰でも思いつく発想を個人に紐づけてしまうのは望ましくない。新規性はないと考えるのが常識的な結論だろう。ちなみに、2025年2月でも写真に対する「えっほえっほ」という反応はうお座氏の前に2件発見できる。
流行語大賞表彰者に対する異議の声は、パクツイデマが発生する前から大きかった。理由はおそらくTikTok文化への反感である。
表彰写真には「うじたまい」と「うお座」の2人が並んでいた。両方白系の服で陽の雰囲気を漂わせており、ぺことりゅうちぇるのようなコンビを思わせるところである。
そして「エッホエッホの歌」の作者うじたまい氏は、TikTok/YouTube文化の人間である。ゆえに、X民側のはずのうお座氏もまとめてTikTok民の仲間か何かだと思われてしまったのだ。
「Xで生まれたミームなのにTikTok勢が表彰されやがって」これが、初期の異議の背景にあった感情である。
また、うじたまい氏が一部Twitter民から「ミームを終わらせた人」と敵視されていたことも、反感感情を燃え上がらせた。
しかし、うじたまい氏が「ミームを終わらせた人」だという評価は妥当なのだろうか。動画文化圏には土地勘がないので、本稿ではうじたまい氏の表彰が適切だったか本格的に検証するのは範囲外とするが、明らかな事実として「エッホエッホの歌」でミームは終わっていない。むしろ、ミームとしてのピークは「エッホエッホの歌」の後に来ている。
Googleトレンドを確認しよう。人気度の動向では2つの山がある。まずひとつ目の山はエッホエッホ構文が生まれた2月末、人気度47である。ここから徐々に人気度は下がるが3月第3週に反転、4月初旬の人気度は100、エッホエッホミームの人気度のピークである。
うじたまい氏の「エッホエッホの歌」は3月1日TikTokとYouTubeに投稿され、YouTubeでは1,459万回再生されている。私としてもなにがおもしろいのか全くわからないネタでありTwitter民が冷めたと感じるのは理解できるのだが、再生数は正義だ。
ミームのピークがこの後4月に来ることを考えると、Twitterよりさらに活力のあるTikTok/YouTubeにミームを移植したという功績は大きい可能性が高いのではと思う(なお動画化の初出については調査していないので、より適切な人選がある可能性については留保する)。
そんなこんなで表彰の人選に対して疑問の声が集まる中、「エッホエッホは火付け役はうお座でミーム終わらせたのがうじたまいで始祖この人だよね 」と、はじめ氏のツイートが紹介されたのである。これがパクツイデマの発端であるが、ここまでは火付け役としてうお座氏の功を認めており、パクツイまでは認定していない。
本格的にうお座氏にパクツイの冤罪が着せられるようになったのは、有力ネタツイッタラー「理解のある蟹くん」氏の投稿がきっかけである。
理解のある蟹くん氏は、はじめ氏に対し「流行語大賞おめでとうございます 」と皮肉げに祝福し、続けて、証拠としてあるスクショを掲げて、うお座氏を「親父気をつけろ 奴は他人のツイートを盗む」と誹謗した。
つまり、ネタツイッタラーのうお座はパクツイ常習犯であり、エッホエッホもその一部だと言わんとしたのである。
しかし、理解のある蟹くん氏のスクショを見てみると、これはうお座氏の素行の悪さの立証には到底なっていないと思われる。スクショの内容を文字化すると以下のとおりである。
1.5月26日、理解のある蟹くん氏が、「ANA機内騒動、ドア開けようとする御奈新日ヶ万出」というGrok自動生成ニュースのスクショをコメントなしでUPする。66リツイートされる。
2.6月9日、うお座氏が「これ何だったんだ」というコメント付きで同じスクショをあげる。コラでなく実際に見たとも主張する。1,271リツイートされる。
検討しよう。まず、そもそもコラでなければうお座氏のツイートになにも問題はないので、これは理解のある蟹くんの作成したコラであったのだろう。が、コラであるという注記はどこにもない。Grok自動生成見出しに誤りが多いことはよく知られた事実であるので、これを見た人は本物のスクショであると誤認したとしてもある程度やむを得ない。
そして、うお座氏/理解のある蟹くん氏ともにネタツイッタラーであり、他人がUPした画像を転載しておもしろいコメントをつける芸で人気を集めている。当然、日々ネタツイ芸に使える画像を大量に集めていることだろう。おそらく、うお座氏の画像ストックの中に理解のある蟹くん氏のコラが混ざっていて、後日ネタツイを考えているときに記憶違いでコラを実際に見たものと誤解してしまったのではないか。ネタツイッタラーにありがちなミスだろう。
なんにせよ、理解のある蟹くん氏がこれをパクツイだと感じたならば、この件に限ってクレームをつければいいのであり、デマに乗っかってこれ幸いと競合ネタツイッタラーを貶めようとする行為に正当性はない。ネタツイッタラーの倫理として、ライバルにはデマではなくネタを以って勝利すべきだ。
一度、パクツイと思い込んでしまえば、中傷は止まらない。中傷ツイートのなかには数万規模でいいねを集めたものも複数存在した。
例えば、“空也上人像”コスプレで有名なクリエイター、中埜氏は2人の写真を晒し上げ、以下のようにツイートした。
パクツイ犯として、一生風当たり強く生きてほしいですね。
願うことなら、「デマに真に受け、人の顔をデジタルタトゥーにしようとした人」として、一生風当たり強く生きてほしいものである。
またライブドアニュースの投稿には一時「初出は『うお座』氏ではありません」というコミュニティノートが付いた。少数の人間の地道なデマ訂正の努力もあり、このコミュニティノートは現在消えているが、「集合知」に依存するコミュニティノートの脆弱性が露わになったと言えるだろう。
このような記事を作るとおそらく、「ネットミームの初出がなにかなんてどうだっていい」「初出なんて明らかにするなみんなのものだ」のような反応があるだろう。それはそれでいいと思う。一貫性をもたせることができるならの話だが。
実際は、言葉に反して多くの人は初出をそれなりに尊重している。尊重しているからこそパクツイなる言葉で人を責めようとするのだ。すべてが匿名であった2ちゃんねるの時代と違い、ツイッター時代のネットミームはそこそこ高い精度で初出を辿ることができる。ネットミームに対する倫理は当然に変化している。自分に都合よく、あるときはパクツイあるときはみんなのものと、倫理のつまみ食いをするのはいけない。
多くの人がデマに騙された理由としては、ネットは自分の庭であり流行語大賞なんかにはわかるはずがないという驕りもあるだろう。思い出すのはだいしゅきホールド三国陣事件の顛末である。医学博士号を持つ科学者で、ネットでは科学啓蒙者としても活動していた高山理図先生は、だいしゅきホールドの起源を僭称した友人である三国陣氏を信じ庇ってしまったことで、今もなおネット空間で中傷を受けている。しかし今回の事件で起源僭称者を祭り上げ庇ったのは誰だったのか、ネット民多数派ではないのか。三国陣事件を風化させないという題目掲げながら、起源僭称者を称える倒錯に至る宿痾を一度考え直すべきではないだろうか。
はてな匿名ダイアリーには、記載できるURL数に制限があるのでいくつかのURLを省略した。大方は以下から確認できるはずである。
エッホエッホとは (エッホエッホとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
【デマ】新語・流行語大賞はパクツイ犯を表彰した?【エッホエッホ】 - posfie
Permalink |記事への反応(15) | 23:04
おじさんになると謝罪できないんか?
んなわけないよなあ……
(数日前)
おじさん「おめえ誰に口聞いてんだゴラァ」
筆者「えっ、すみません」
筆者「…というわけで、あの人に怒られたんですけど、なにか俺が悪いことしましたかねえ?」
筆者「まあ、本人には悪気ないと思うんで俺は聞き流しときますね」
(後日)
おじさん「あいつの口の聞き方が嫌で怒っちゃったんですよお、おれは悪くないです。なんで俺が悪者にされるんですか?(泣)」
筆者「えっ?」
おじさん「怒られた〜、痛いよお痛いよお、えーんえーん、みんな助けて〜」
おじさんたち「筆者くん、何したんだ!」
筆者「……」
こういうことがまれによくある。
めんどくせえ。
当たり屋みたいなおじさん。
こっちはトラブルにならないように丸く収めようと動いてるのに、わーわーわーわー喚き散らして問題を大きくする。
なんで怒っちゃってごめんねできないの? パワハラ訴訟されるのそんなに怖いの?
念の為に書いておくと、敬語で明るく話してて、仕事もちゃんとやってる。こちらのコミュニケーションエラーの可能性はほぼない(はず)。
「全て退役してます」
「巨大な大砲は時代遅れです、そんなことも知らないんですか?」
いや普通に文脈から軍艦のこと、あるいは「戦争する船」ってわかるよね。
むしろここで「軍艦」ではなくあえて「戦艦」を使ったのはさすが高市なのだ。
日本にも海上保安庁があり、これは自衛隊ではない。国交省に属している。
国ごとに法的な建て付けが違うが基本的には「軍」ではない、創設の歴史や目的からして違う。
アメリカは法執行機関、徴税のための沿岸警備が発展した歴史があり。
中国はかなり特殊で半分軍、半分法執行機関、どちらとも言い逃れできる曖昧な組織にしている。
では、中国海軍ではなく中国の沿岸警備隊(中国海警局)が台湾に出張ってきたらどう解釈するのか。
(念の為に繰り返すが、どの国も「海軍」と「沿岸警備隊」は全く別の組織です、目的が違う)
軍艦だと限定してしまったら想定から外れる。沿岸警備隊の船は軍艦ではない。
「軍」というのは国際法で縛りがある、軍縮条約やらの船数、排水量、モロモロにカウントされる。
だから各国、「軍隊ではない」と言い訳で沿岸警備隊を別組織にしている。
アメリカも中国も有事には軍に組み込めるようにしているが。国際法ハックなの。
ちなみに我が国もこの国際法ハックを活用してあり、海上保安庁の巡視船は沿岸警備の枠を超えてエグデカい。
中国もほぼ軍艦じゃんって巡視船を運用しているが、日本のはそれよりデカくて高性能。
戦争の定石でまずは偽装民間船と沿岸警備隊にやらせんの、いきなり軍艦(軍の船)は出さんの。
「軍艦じゃないもーん、戦争する気じゃないもーん」という体でちょっかいを出すの。
セオリーなの。
信じられない?
現在進行系で中国とフィリピンがやってる、中国が持ち出してるのが沿岸警備隊(China Coast Guard)です。セオリー通りです。
これにフィリピンが「軍」で応戦しちゃうと「法執行機関の活動」を「軍で応戦」された、という扱いで国際法的にはフィリピンが不利になる。
過剰反応であり戦争をふっかけたのはフィリピン側と解釈される。
この辺の扱いは非常にセンシティブなの。
政治の世界では言葉の緻密さが求められるから高市はあえて「軍艦」とは言わなかったのだ(俺の想像)
問題は、琉球の独自性自体は歴史的事実であって、琉球の歴史的権利を尊重するべきであるということ自体は正論だということなんだよな。
琉球王国は、どう考えても軍事的にムリヤリ併合されたわけで、沖縄県が日本領であることが歴史的不正義と言われればそれはそう(ちなみに、アメリカはハワイ王国の滅亡に関してクリントン政権のときに謝罪している。日本も琉球王国を滅ぼしたことを謝罪すべき)(もちろん中国によるチベット侵攻も不正義なので、中国はチベット併合を謝罪して正統なパンチェン・ラマ11世の居場所を明らかにし、ダライ・ラマ14世の後継者問題にはノータッチであるべきだ)。
琉球人は国際的な先住民族の定義にきれいに当てはまるにもかかわらず、日本は琉球人を先住民族とは認めていない。これは間違っているので、琉球人を先住民族として認定しなければならない。
また、沖縄語をはじめとした琉球諸語が日本語とはまったく異なる言語であり(確かに同じ日琉語族ではあるが、同じ語族であることは同じ言語であることを意味しない。個人的には琉球語が九州語の内系統であり日琉祖語から直接分岐した系統ではないという説に魅力を感じるが、しかし、比較言語学的な分岐の年代と言語としての独自性は別の話だ。日本語と琉球諸語との違いは、デンマーク語とスウェーデン語の違いよりも明らかに大きい)、保護・尊重されるべきであったにもかかわらず黙殺・抑圧されてきたこともまた事実だ。
さらに、日本の戦争指導によって、沖縄戦という地獄が現出し、多くの文化財が失われ、多くの琉球人が強制的に自決を強いられたり殺されたりしたというのは、本土の日本人が忘れてはいけない琉球への負債だろう(余談だが、ウクライナ戦争とかでとんでもないことを言う沖縄の左翼がいるのも、こういう歴史的経緯からはまあしゃーないと思う。防衛戦争の名目でご先祖様を自国軍に殺されたんだから、そりゃ、防衛戦争は悪! 防衛側の軍はさっさと降伏しろ! っていう発想の人が一定数出てきちゃうのは仕方ないよ……)(賛同しているわけではない、念の為)。
もちろん、現在の琉球の人びとが日本国民としてのアイデンティティを抱いているのは事実だし、沖縄県内の選挙で琉球独立派は泡沫候補としての票しか得られていないし、彼らが中国への併合に同意する日が来るとは思えないので、政治的な帰属の問題としては現状維持でまったく問題ないだろう。だがそれは、日本が琉球の民に行ってきたことが免罪されるということを意味しない。日本は中国の横槍を粛々と無視して、正面から琉球問題と向き合うべきだ。つまり、琉球に対して日本が行ってきた不正義を認識し、是正のための方策を探るべきだ。
まず、以下がよく出てくるコピペです。
140 風吹けば名無し@無断転載禁止 2016/08/16(火) 16:25:43.17ID:poQv6DxE0
153 風吹けば名無し@無断転載禁止 2016/08/16(火) 16:27:17.74ID:4KDA9ZB3a
>140
168 風吹けば名無し@無断転載禁止 2016/08/16(火) 16:30:02.84ID:poQv6DxE0
>153
まずこの名言が出てくる最古のスレは2016年09月25日のこのスレです。
https://kako.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1474772519/
そしてイッチは次のように返しています。
0035 風吹けば名無し@無断転載禁止 2016/09/25(日)12:05:44.80ID:Lo3TNO8Va
いやワイは他のスレに貼られてたのそのまま持ってきただけやで
かころぐβによるとこれが5ちゃん(当時の2ちゃん)最古の関連スレであることは間違いないようです。
このアフィを調べてみたところ、なんまめというアフィが紹介していた2016年09月09日の記事がありました。
https://nanmame.livedoor.blog/archives/10460883.html
https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1473328284/25
この2016年9月8日のレスがこの名言の初出として見て間違いないようです。
念の為、おーぷん2ch内も過去ログ検索しましたが、このスレが最古でした。
趣味欄には必ず一番に「料理」と書いていたが、ここ数年の出来事や事件を通じて料理への情熱を失い、ほぼ完全に興味をなくした。
料理は家庭における私のタスクなのでこれからも続けはするが、あくまでいち家事タスクへと成り下がった。
その過程を、書き記したい。
そもそもなぜ私が料理に興味を持ったかと言うと、きっかけは私が小学生のときに母親が買ってきた、辻調か出したお菓子図鑑だった。
母親自身はその図鑑の写真にしか用がなかったらしくすぐに使わなくなったが、私はその図鑑に夢中になった。
美しいお菓子の写真は眺めるだけで楽しく、またレシピを隅から隅まで読んで、それを実際に作っているのを想像するだけで楽しかった。
子供のころにも実際に何度か作ってみたが出来上がったものは散々だった。それでも達成感があった。
大学進学を機に上京した際もその図鑑は引越先に持っていった(ちなみに今も手元にある)。
その図鑑に載っているものも何種類か作ったし、お菓子作りの本を中心にたくさんレシピ本を買い揃えて、たくさん作ってみた。
大学4年生になり、部活も引退して単位もほぼ取り終わってからは、毎日のようにお菓子を作っていた。
内定先があまり納得の行く会社ではなかったこともあり、このとき内定を蹴ってどこかのケーキ屋に見習い菓子職人として働こうかと本気で考えもした。
しかし、ネットで菓子職人のブラックな労働環境を知り、断念した。
社会人になってからも、学生のころよりは時間が取れないこともあったけれども、お菓子作りをはじめとした料理は、私の癒しであり、私の心のオアシスであり続けた。
イタリア料理とか、インド料理とか、はたまたロシア料理とか、世界中の料理を自分で作って食べることで、まるで旅行しているような気分になれて楽しかった。使ったことのない調味料を使って食べたことのない料理を作って食べる。これは一種の冒険だ、そう思った。わくわくした。
友達がいないこともあり、休日は家にこもって、一人暮らしの狭いキッチンでひたすら料理やお菓子を作っていた。
…そんな感じで、私は料理が本当に大好きで、趣味は?と聞かれたら「料理」と一番に答えていた。
が、ここ数年で冒頭にも述べたとおり料理への熱意がなくなった。
1.ライフスタイルの変化
一人暮らしのときは週末にまとめて1週間分の料理を作って冷凍しておくということができたが、それが難しくなった。一人暮らしのときにはカレー5食分を作れば5日もったのに今は1~2日でなくなる。
そう、料理したいからするのではなくしなければならないからするのだ。それが毎日。
そうなってくると、料理というのは趣味というよりは日々のタスクという様相を帯びてくる。
2. 他にやりたいこと・やらなければならないことが増えた
確かに私も就業中なので時間が取れないときもあるが、全く取れないわけではないので、結婚して子供ができてもなお、しばらく休日などには凝った料理やお菓子を作ることもあった。
しかしだんだん、料理以外にやりたいこと・やらなければいけないことが出てきた。
やりたいことについては具体的に何かは言及しないけれども、このやりたいこと=新た趣味により時間を割きたい場面が増えた。
やらなければいけないことというのは、私の仕事に関連する資格の勉強である。
私の年齢も30代半ばに差しかかり、もし今後転職しなければならないとなったときに大丈夫なのか?うまくゆくのか?という不安がある。
当方女だが、女で小さい子持ちというのは、転職においてデバフとなり得るだろう。
資格によって自分のスキルを証明しておくべきではという危機感がある。
となると資格の勉強にも時間を割きたいから、必然的に料理に割ける時間は減る。
また子持ちなので、当然家事だけでなく育児にもだいぶ時間を取られる。
個人的にはこれが一番強烈だった。
そこは専業主婦あがりっぽい推定50代程度のおばさんが個人でやっている料理教室なのだが、そのおばさんは毎回私を馬鹿にする発言をする人だった。
私がなにか料理について質問したら「なにそれ、衝撃の発言なんだけどwww」とか言っていた。
それでも、私が大好きな料理のためだと思ってしばらくは我慢して大体月1~2回くらいのペースで通っていたが、上記の1,2の背景もあって料理に時間も熱意も割けなくなってきたこともあって、だんだん「なんでわざわざ時間と金をかけて不快な気持ちになりに行っているんだろう…?」と思うようになっていった。
最後のレッスン中は、嫌だという気持ちが受講中も態度に出過ぎてしまったと思う。
最終的には、このおばさんが私に対して、私の子育て方法についてもっとこうすべきと言った上で、私の目の前で「私たちの若い頃はー」と、他のおばあさん受講生と談笑を始めたことが引き金となり、その教室は辞めるに至るのだが、
後日、このおばさんから、スーパーで1万円以上買ったときのレシートみたいな長文LINEがきた。
LINEの内容としては、上から下まで100%、私への悪口、説教だった。
私が自身がやった何かに怒っていることは大体察しがついているようだったが、「私は悪くない」と言っていた。
もうこれが、本当に無理だった。今でもトラウマだ。
外であのおばさんと同世代以上とみられるおばさんに出くわすと怖くなった。
あのおばさんから習った料理は、たとえ他の人が考案したレシピでも全部作れなくなった。
料理中にあの女の嘲笑と、悪意100%の長文LINEがフラッシュバックするようになった。
それまであんなに料理が大好きだったのに…。それまでは、実生活でクソなことがあっても料理で癒されたのに。
それが機能しなくなってきて、むしろ料理することで苦痛を感じるようになった。
そのこと自体が、私にはショックだった。
念の為言っておくと、あのおばさんはマジでやばい奴だと今も思ってはいるが、基本的には私が引き際を誤って我慢して通い続けて不遜な態度をとってしまったこと、その結果、あのやばい奴を焚き付けてしまったことが一番よくなかったと反省している。
やばい奴からはできるだけ早く逃げるべきだと身を以て痛感した一件だった。
3の事件により心に大ダメージを受け、料理で苦痛を覚えるようになってきた私だったが、まだなお、あのおばさんから習っていない料理だったらそこまでトラウマは蘇らなかったので、あのおばさんから習っていない料理を中心に再び色々チャレンジしてみよう!と思ったりもした。
規則的に運動を始め、専用のアプリで毎日の食事の記録をつけ始めた。
すると、私が作るお菓子とか手間のかかる煮込み系の洋食なんかは、まあ当然だけれども脂質がとんでもなく高いとのこと。
で、「じゃあこの1週間で何が一番脂質も少なかったの?」と聞くと…、鍋だった。
鍋。
スーパーの鍋の素買って、そのパッケージに書いてある材料を切って煮ただけの食べ物。これが一番ヘルシー。そしてこれが今一番家族に求められている…。
それに楽だし、子供も喜んで食べるし、野菜もたんぱく質も自分含め家族全員摂れるし、これでいいじゃん…。というか、これがいいじゃん。
そうなってくると、もう自分が作りたい凝ったお菓子とか洋食とか、全く作る気にならなくなった。
そして、鍋みたいな材料切って煮るだけの簡単な料理の方が、苦痛を感じないことにも気づいた。
最近の私は、料理中に(例えば3の事件を思い出すなどして)不快な気持ちになってイライラしてきたら、心のなかで「たかが料理」とつぶやくようにしている。
そのまま、上機嫌で食卓にありつける。
この呪文を唱えると、料理によって生じる不快感は減るけども、同時に私の料理に対するもはや残り火のような熱意、好奇心…。
そういった気持ち、私がそれまで料理に燃えていたときの原動力とも言える情熱もまた、すーっと消えてゆくのだ。
そして、今仮に「趣味は何ですか?」と聞かれたら、料理とは答えないなあと思った瞬間、ああ、もう私にとって料理は趣味じゃなくなったんだな…と思った。
3の事件直後は料理が苦痛になってきたこと自体にショックを受けていた私だったが、今はもうショックはなくて、「ああ、そうか」と、平常心で料理が趣味ではなくなったことを受け入れていた。
でも、料理が大好きだった期間がとても長かったので、私にとって料理が完全に趣味ではなくなったこと、完全にいちタスクとなったことについては驚きがあった。
だからここで今までの経緯を振り返ることで、私の料理に対する情熱を供養したい。
(余談だが、土井善晴氏は「家庭料理なんて適当でいいんだよ」的な趣旨の発信でメシを食っている人というのが私の認識なのだが、上記の経験を経て、これって確かに料理という家事タスクに負担を感じる主婦(主夫)を救うかもしれんけど、一方で家庭料理の質やスキル向上には寄与せずに、むしろその質を全体的に底下げることにつながりかねないのでは?と思ったりした。
…まあ、家庭料理にもう誰もそこまでクオリティ求めてないよ、今や共働きの時代だし、と言えばそれまでなのだが。)
Permalink |記事への反応(29) | 13:04
関係っていうか質が低い。
職場で同僚の悪口連呼するとか、忙しいときほど喫煙所で愚痴ってるとか、高卒学歴コンプで経験年数自慢ばっかするとか、なんかもう全てがしょーもない人がたくさんいる。
デブも多いし、なんかクセー奴も多いし、当然くせーデブも多いし、くせーデブの人に他人に対してはアイツマジくせーと言ってる意味分からん化物もいる。
本当にどうなってるんだとなる。
中身の見えないガチャで当たりを狙うならある程度低い所に照準を合わせたい。
確かに俺の周りの公務員はレベルが低いのだが、学生時代16年のクラスメートがどんなだったか振り返っていくと「まあこれが平均なんかもな」って感じはある。
手に職はない。
職に職があるのが公務員だ。
その職を捨てた先にあるのは無だ。
ヤバイ。
多分だけど、最低賃金の職場でほぼ昇給無しで人生を終えるのでは?
FIRE出来る土壌が整った状況で「念の為に簡単な仕事を」ぐらいの気持ちじゃないと無理だわ。
はー詰んだわー。
この記事
https://www.yomiuri.co.jp/national/20251023-OYT1T50201/
本店住所を5棟のどれかに置いている法人を調べたらかなり怪しかった、経営ビザを悪用している可能性が高いというニュースだ。
報じているのも読売だし共同調査者の阪南大の松村嘉久教授も人文地理学と観光の研究者で変な人ではないだろうから信用して大丈夫そうだ。
「特定の建物に登記されている法人登記簿を全部見ればいい」と思うじゃない?
2.本店住所
(3.法人番号)
を書く必要がある。故に商号屋号が分らないと登記簿は見れないのである。
「本店住所から商号屋号を検索する」方法というのも存在しない。登記所で「無い」と言われる。
因みにタダで登記簿を閲覧する方法は無い。昔はあって登記所(法務局)で登記簿の束を閲覧してメモも取れたが電子化で出来なくなった。だから一件当たり600円が掛かる。登記官押印無しで証明力が無いオンラインPDFだと300円強くらいだが、やはり金が掛かる。
だから同一住所の法人登記を調べるには、何らかの方法で対象群をピックアップしてから総当たりするしかない。「何らかの方法」が謎だし凄い金額が掛かってしまう。
これは結構問題で、起業したりオフィス移転でどこかにオフィスを借りたとする。もしそこで以前に詐欺業者が操業していた場合、被害者からの連絡が来てしまうのだ。前の会社が夜逃げしていた場合も同じ。
だから念の為に入居前に調べたくても方法が無いし、入居後にそういう連絡に悩まされても、前の会社が登記と違う商号を使っていたら調べようがない。
Switch2のチルっと焚き火ソンを買ったのですよ。
焚き火をするゲームって何よ?って話だけど、落ちてる薪を拾ってナタで割って焚き火に放り込んで火を大きくするのを楽しむゲームなのです。
多分まだこのゲームの話が分からんよね。説明を聞くだけだとあまりにも虚無にしか思えないでしょう。火が大きくなって何になるの?って。
でも、そこがこのゲームの真髄なのです。
いや、火が大きくなることじゃなくて、虚無であることが、ね。虚無であることが真髄。
なんでそんな話になるんだってことですけど、遊びって所詮遊びじゃないですか。遊ぶことで学びがあったり人間的に成長したりするんだったら、それは遊びかもしれないけれど他の何かも混ざった遊びみたいな何かなんだと思うのですよ。
でもチルっと焚き火ソンはそんなことない。このゲームを遊ぶことで学びだとか成長だとか一切ない。遊んでる間は楽しい気がするのだけれど、終わってみると全く何も残っていない。虚無。
そこにあるのは火が大きくなったらなんか楽しいねというプリミティブな楽しみだけで、そのほかは何もない。だからこそ、このゲームは純粋な遊びなのです。
皆さんもぜひ、Switch2で遊べるとてもとても純粋な遊びを、虚無を、体感していただきたい。
ゲームのシナリオに感動したとかゲームが上手くなることで成長したとか、そういうのが一切ない世界を他の人にも体感してもらいたい。
そんな朝のご機嫌さんをよそに
私はうーんと唸っていたの。
うーん、
書いていた文章が消えてしまったショックを隠しきれないさまを表す英単語がぴったりなものがあったの「Texomna」。
えーんしくしく。
書きかけの文章が消えたってこと悲しいわ。
でもまあ、
これと同じものを思い出して同じように再現して書けなかったら、
その程度の内容のものだったのねって10年早いんだよ!って言ってたアキラだって明らかに諦めがつくものよ感じよ。
そんなTexomnaな気持ちになっていて鰯気な気持ちになっているわけには行かないわ。
原因はおおよそわかっているの。
パソコンで書いたものの保存先をダイレクトにクラウド的なドライブへ保存していたの。
それをちゃんと保存されたかもどうか確認していたのかどうかもわからないうちに、
ネット回線が切り替わって保存していたのかわからないうちにパソコンも閉じちゃって
いつもさ、
最悪再開したときからその文章が生き返る的なことが起こるかと思ったけれど起こらなくてぴえん。
保存先を直接クラウドへするのじゃなくて、
クラウドサービスと使った文章ツールで書いておいた方がまだ救いがあったかもしれないという希望的なことを思い出して、
書いたものを保存しつつ、
コピペしてコピーアンドペーストをクラウド文章書くツールへコピペしておいてコピーアンドペーストを華麗な超絶技巧テクニックで披露しておけば、
そっちに保存できていたかもしれないの。
あーあ。
消えちゃった文章もう一回思い出して書くわ。
デジタルクラウドに全体的にプクプクとまるまると太った美味間違いなしの太鼓判を押された美味しいサンマのように
全幅の信頼を寄せては返す波のように怪しさを時には疑ったほうがいいと思いつつも手元にデータを残しつつもいいかも知れないことを現に実感したところよ。
RADWIMPSの野田洋次郎さんなら全全全幅!つっていってたことをドラマの『舟を編む』であって言っていたあのセリフ「念念念校」ってのは私忘れないから!
そんなこともあってか、
これはまさかこれが原因じゃないことは分かっているんだけど、
ちょうど買い替えて新しく届いた無線LANのWi-Fiの親機が届いたの!
わーい!って
やっと私の家も無線LANレッツ回線ing!って嘘をぶちかましたところで
往年使っていた古い無線LANの機械をどの機種にしていいのか超慎重に考えて新調したのね。
新しい機械のインターネッツの速度は古いものに比べてなんか10倍ぐらい早いの!
256倍ぐらいの気持ちは高鳴っているわ。
NIKKEだって65535倍快適な大量な大容量のアップデートのデータ受信に手をこまねいていたんだけど、
この速さ奈良勝る!って三都物語ってレヴェルな速さを手に入れたの!
無線なんて繋がっていたら何でも一緒でしょ?って
あたかも2番じゃダメなんですか論法に則ってしまいそうでずーっとその古い無線のネットワーク機器で暮らせるかと思っていたけれど、
その政治家の人に二番煎じのお茶を飲んでも満足してもらえるのかしらと今突然にふと疑問に思ったわ。
そんで、
えいや!って勢いで買ってみたら、
超快適すぎて笑っちゃったわ。
古いものだったら今すぐ新しいものに取り替えるべきだってことをべきべきに学んだときでもある私の新シーズンの幕開けよ!
なんかそれを祝してくれるのかわからないけれど、
スプラトゥーン3!
Sクラス昇格でーす!
久しぶりの昇格戦勝利での昇格に仔山羊の上で小躍りを踊りつつな様を一言で表している英単語の「Caprinkle」ようだわ。
すごくない!
久しぶりに昇格戦、
2連敗からの劇的3連勝!
3連勝なるかのクライマックスのときは手に汗握るコントローラーよ。
昇格戦で緊張で2連敗から逆転3連勝するときにコントローラーを汗かいた手で滑って操作ミスしないようにしっかりと握りしめるこの思いを一言で表している様の英単語「Clutchure」の気持ちでしっかり握りしめたコントローラーで勝利を勝ち取ったのよ!
すごくない?
3連勝!
ここ緊張一番!
これから秋口にかけて絶対に蚊が出てくっから液体電子蚊取り線香は大活躍して欲しいの!
つーか活躍して欲しいというか、
絶対に秋を快適に過ごす快適グッズの1つとして取り上げられるの間違いないはずだから常備して装備してそして電源を入れて使って欲しいの!
気をつけて!
ちなみに、この時のブキは得意の「オーバーフロッシャー」ねギアは相手インク影響軽減の安全靴多めね!
なんか相手チームのインクにハマって動けないうちにキルされることが多かったので、
赤い安全靴を履いてみたの!
赤い靴履いてたら〜コケた曾祖父さんに連れられていった歌とは正反対!
うわー!
効果テキメンね!
一番得意のブキの熟練度星5つをもぎ取った「セブンファイブオーライダー」ではないのがちょっと残念だけど。
私もまだそこまで到達できてないので。
頑張りたいところよ!
でも本当に、
クラウド保存したつもりだったけど、
あたかも雲のように消えてしまった私の文章は本当にどこにいったのかしらね。
うふふ。
お休みモードなのでゆっくり近くのカフェーで書きながらってところよ。
つっても
いつもの地元みかんの花咲く丘公園前駅の駅前商店街の喫茶店でモーニング!
今日は何かしら?
そうまた鯖か鮭かーって思ってたけど、
おお!と思わず心のなかでレアフィッシュ出た!ってガッツポーズ!
レアっていっても焼き加減のことじゃなくて出現頻度が珍しく希少だって意味の方のレアね。
しっかり香ばしくこんがり焼けたアジの開きの朝食は今日もいいあっかも!って期待しちゃうわ!
でもたまには果物系も、
良い休日を。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
一応念の為に知人の話…としておく
ぶっちゃけた話 都内は女子ピー生と安くエッチなことができる天国のような状態になっている。
昔のP活風俗で働く女の子はホストのためだった。ホストクラブは(確認してない悪徳店も多数あると思うが)未成年禁止で身分証明書の確認も行われるので
基本的に大学生以上が通っている。なので一昔前の体売る若い子の大半はホストクラブの担当のために働く子が大多数だった。AV女優も。
しかしここ数年で一気に体売る女性の層が入れ替わった。未成○が拡大しているのである。
それもトー横界隈みたいな荒んだ子ではなく、大人しくて真面目そうな子である…。
今の日本の都内は裏では未成○の真面目そうな子がP活しまくりのとんでもない事が起きている。その理由はなんなのか。
その理由はメンズ地下アイドルの特典会。メンズ地下アイドルのライブは誰でも見に行ける。そこに未○年が行ってハマり担当のためにP活。
詳しくは知らないが今どきはチェキ会どころではなく、30〜50万払ったら土日に浅草デートという特典会があるらしい。みんなそのために戦っている。
おそらく特典会のトップオタは毎日活動できるP女子の大学生や風俗嬢で、その下に時々しか活動できない女子○生みたいな構図だと思われる。
そして昔と違うのは体を売る子の容姿。昔はちょっとアレな子が売るイメージだったがメンズ地下アイドルに貢ぐために頑張る子は
アイドルみたいな可愛い子が多いのである。馬鹿みたいに体を売る子の質が上がっている。
可愛い子がライブ見に行く→自分は可愛いので頑張れば本気で付き合えそう→P活開始→その流れで上位オタの過激派ほどアイドルみたいな可愛い未○年が増える
という日本全体からみたら地獄みたいな状況になっているが…俺が言いたいのは
プライドを捨ててP活するほうが真面目に生きるより満たされる逆転現象が起きている。正直今真面目に生きるのはかなり勿体ない。
メンズ地下アイドルもいつ規制されるかわからない。ダメ人間になるほうが得なのである。
会い方教えてくださいというコメントが沢山きたら続きも書く。
>自分の発言が自分だけの幸福感の自然な発露でなく「世間の風潮に負けないために!」が動機なのを自覚しろと言ってる
なるほど!自覚しているよ!(なんならそれが主旨ですらある)
そのうえで、
「子無し=社会規範や幸せに反した生き方だとされていること(不幸、不完全、フリーライドみたいなブコメ)」に反論があって、
・現状の社会規範は、個人の幸せの形を否定するための正論になるのか?
と思っていることを示したかった感じだよ。
もし言いたいことが
「本当は子無しで不幸なのに、逆張りで幸せぶってる!本当に幸せならわざわざ描かないはず!」ということなのだとしたら、ちょっともうこれ以上の齟齬の水合わせは難しいかもね。
「子どもを産まないのは社会保障にタダ乗りしてる」って言う人、けっこういるよね。
でもそれっておかしくない?
それって同性愛の人とか、子どもを産めない女性とか、障害を持ってる人とかを否定するのと同じじゃん。
過剰な出生主義というか。
別にそういう気遣いを人質にしたいわけじゃなくて、言いたいのは「人間社会ってそもそも損得のバランスが公平じゃない」ってこと。
(もちろん子育てってめちゃくちゃ大変で難しくて重要なタスクだなって分かってる。社会負担が大きいなと思う気持ちは察するし、本当に尊敬する。)
結局、社会って「得」と「損」が入り混じってできてるんだと思う。だから「お互いさま」じゃん?
それに、子供を持つことや働くことを一切しない人だって、社会にはたくさんいるよ。
そう言う人が生きていけるのは素晴らしいことだと思う。
(博愛的なことが言いたいわけじゃなくて、障害があっても人生を全うできる社会の仕組みはシンプルにすごいと思う。大変なことは多いと思うけど。)
なのに、「子どもがいて幸せ」って言うのは許されるのに、「子どもがいなくて幸せ」って言うと叩かれるの、めっちゃ不思議。
なんで「子どもがいる幸せ」は美談になるのに、「子どもがいない幸せ」は自己正当化とかフリーライドとか言われちゃうの?
子持ちが写真をアップする時に、いちいち「子持ち"も"幸せですよ〜」なんて配慮と共に書く必要はないのに、子無しは配慮とか罪悪感を暗に示すことを求められるのは、なんか嫌な社会だな。
どっちもその人にとっての素直な幸せじゃん。
もちろん少子化の問題とかはある。(私が肯定する社会保障こそ、「世代交代」で維持されるものだからね)
でもそれって、個人の生き方や幸せの形を否定するための正論になるのか?すごく疑問に思う。
https://anond.hatelabo.jp/20250926225859
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私は元増田ではありません。
この両方が実現してこそ、多様な人々が幸せに生きられる社会だと思う。
「なぜいちいち子無しの幸せを主張するのか(そうすることでなぜ子持ちに攻撃するのか)」という議論になっていて、相互理解の難しさを感じた。
マイノリティがマイノリティであることを主張すると、なぜそれがオーソリティへの批判だと受け止められるのか。
相対化は人を不安にさせることは明白なので仕方ないにしても、
そろそろソレを恐れずに多様化を受け入れる社会にならないと、それこそ少子化による社会問題(社会福祉循環の破綻)は防げなくなるのでは?
最後に、
この増田を読んで傷付く人を無くしたいので言っておくと、子育てしてる人はすごいし、大変な中で子供たちに愛を向けるのは本当に尊いことだと思う。
昨日店を出てその日のうちに思いを吐き出したくて書きました。二十代前半の彼女できたことない大学生が初めて風俗に行った日記です。
時間ができたので風俗に行こうと突然思い立つ。これまでもいつか行こうと思っていたが、なぜかこの日決心がつく。
まずどこに行くかだ。YouTubeで風俗レビュー系の動画はよく見るのでオナクラが安いという知識はあった。金もないし、緊張でイけるかどうか、勃つかどうかすら不安だったので、安いとこがいいなと思ったからだ。
事前に体を洗ってレッツゴー!
とりあえず店の周辺に来た店の通りに入ることなくウロウロ。店の前はおろか、人通りの多い道からほんの一歩進むとそういう店がずらっと並んでいるのに圧倒され、普段はウキウキで通るのにいざ行くと決心すると、途端に敷居が高く、とても大きくみえてくる。
コンビニでお茶を買いカラカラの喉を潤し、いざ一つ中の道に入る。キャッチいっぱいだ!怖い。独特の空気に圧倒され心臓バクバク汗ダラダラのままとりあえず一通り見てキャッチをガン無視して大通りに出る。無理かも。
ちょっと通りから離れたところでスマホイジイジ。その店の様子を伺う。こんなにビビってて本当にちんこは勃つのかと不安になりながらしかしこのままノコノコ帰るのモヤモヤが残るので、ウダウダ。しかし決心がつかず。
5分くらいして、店に出入りがある。
(誰か出てきた! 仲間だ!誰か入った仲間だ!よし!行こう!!)
店「予約されてますか?」
自「してません」
店「こちらでお待ちください」
12番の番号札をもらう。(まあまあ使用感があるな。ファミレスのメニュー表の倍汚い感じ)
待機所へ入る。四人いる。待つ。三人くる。みんな普通の人だな。えらいが椅子ギコギコ鳴るな。
店員に呼ばれる。
店「初めてですか?」
自「初めてです。」
店「人気コースはこれです。」
自「じゃあそれで」
(待合室ではこれにしようと決めてたけど、一番人気のコースだから選びましたみたいな感じになってホッとする。自分の性癖を見ず知らずの人に開陳するのは恥ずかしいから。)
自「こういうとこ初めてなんで人気の子がいいと思うけどどうですかね?」
店「当店全ての女の子が人気なのでどの子を選んでもどうちゃらこうちゃら」
(壁に貼ってた人気そうな子と他の子の違いなんて写真だけじゃ分からんかったし、ランキングはあるけど、そんなに突出して差があるわけでもないのかな。よくわからんがフリーでまあええか)
自「じゃフリーで」
待機所で先に呼ばれてた人と一緒に階段を登る。
トイレは大丈夫かと聞かれるが念の為に行けばいいものを何故か断る。階段を登った後「やっぱ行きます」と言う、店員がもう女の子呼んでますよと言われ感じがして結局行かず。
(こうやって何度も微妙な尿意をほっておいて夜にトイレにベットから起きることから何も学ばない。ただでさえ緊張してるのに何故か少しでも万全の体制で挑もうとしない、準備という言葉を知らないカス。)
部屋に入る。広い。明るい。風呂場が半分のスペースを占める部屋に驚く。
ここでするんだもう逃げられないぞと思うと更に緊張してきた。
スマホで時間を潰す。エロ動画を見ても一向に勃つ気配がなく、リラックスするために適当にTwitterを見るも、何も入ってこない。全て目が滑る。尿意を気にしながら無意味な時間を過ごす。
コンコン。扉が開く
来た!!全然ブスじゃない。可愛い。よかった。フリーでも良かったんだ。あれでもなんか化粧が好みでないような。いや、化粧のケの字もわからないけど。だが、さっき道でもっと可愛い子いたなとか、ケバい感じがしてこの店でもっといい子いたんだろうなという思いもあった。
女「よろしく。〇〇です。」
自「初めてで緊張する」
女「えーそうなんだ」
女「シャワー浴びた?」
自「事前にシャワー浴びてきたから、浴びてないです。浴びた方が良かった?」
自「そうなんだ」
女「服脱いでー」
自「はい」
この時は本当にそうなんだとしか思ってなかったが、普通に考えれば汗かいた男は余程の物好きでもない限り避けたいのだが店に来る前には洗うのに直前で洗わないと言う、真逆のことをしてる。バカ。緊張の中、この熱い日に歩き回って汗かいているのに。
風俗で家で洗ってきたから大丈夫とシャワーが必ず必要なのに入りたがらないヤバ客みたいな話は知っていた。だが自分は店から入れと言われなければ入らない。少し考えたらわかることをしない指示待ち人間のカス
脱ぎ終わると初めて生で見る女の上裸に興奮した。しかし胸は大きいとは言えず、おっぱいよりお腹の方が大きい。デブではないがお世辞にもスタイルがいいと言えずがっかり。
ローション大丈夫な人?と聞かれ、はいと答える。(あっ、こんなにすぐにプレイに入るんだ。もうちょっと会話するもんだと思ってたけど、なんで話しかければいいかわかんないしありがたいな。と呑気なことを思う。)
緊張し、皮の余りまくったシナシナのチンコをローションまみれの手で触られるとあら不思議。緊張のキの字もなく一瞬で勃ち上がる。緊張で血流が良くなったのかなと思うほど少し余裕すら感じた。
そして、おっぱいを触っていいか聞き、触れる。揉む。あまり大きくないので揉むと言うより、手で覆うと言う感じだった。
(おお!おぉーー。すごいぞ!へぇーー。おお?うーん。なるほどねぇ。そっかぁ。そうなのか。そうかそうか、つまりそういうことなんだね。おっぱいって、)
約10年の付き合いの右手恋人がセックスという言葉も知らない頃から憧れた「おっぱいを触る」と言う偉業を成し遂げているにも関わらず、求めてた幸せを掴んでるはずなのに、なぜか右手は自分のチンコを求めていた。
思ったより、手コキが気持ちよくなかったのだ。ボッキした時の興奮は初めて触られたことによる興奮で気持ちいいからではなかったからなのかもしれない。
気持ちよかった手コキが、ただ勃起を維持するための手コキへと変わる。イけるのかという不安を感じる。こうなるとどんどん雑念が出てくる。
(無言気まずいな。部屋明るいな。いつもはこんな明るい中シコってないよ。あと何分あるのかな。爪がすごい長いな。違うよ、気持ちいとこはそこじゃないよ。あれ思ったよりおっぱいっていいもんじゃないぞ。)
最後のこれが一番ショックだった。
なんかおっぱいなら特別な感触があるかと思ってたけど、ただの脂肪だった。
太った男の乳を揉むのと変わらないんだろうなと思うくらい楽しくない。おっぱいを揉んでいるという情報を食って心を慰めてるだけだった。
本当に悲しい。こんなことなら眺めてるだけでよかったのに。上下に振動してる胸部を見て、その中には夢と希望に満ち溢れているだろうなと妄想してたままでいた方が良かった。おっぱいではなくただの脂肪だった。
ああ、デンジくんやっとわかったよ。
一生わかりたくなかったけど。
君もこんな気持ちだったんだね。
でも君はこの絶望ををマキマさんが振り払ってくれてたね。
僕のマキマさんはどこにいますか?
あれ、そういえば結局マキマさんのおっぱい揉めたんだっけ?
きみはおっぱいに変わる目標をマキマさんから教えてもらったけど結局それはなんだったの?ねえ、僕のマキマさんはどこにいますか?
なんていう店で働いてますか?
三万あれば足りるんでしょうか?
きもいね
それとも、まだ本当にいいおっぱいに出会ってないだけなんでしょうか。
「このおっぱいに比べたらあの時のおっぱいはカスや」と言えるような日は来るのでしょうか。
そんなこんなでこれまでにないほど意識をチンコに集中させながら、体勢を変え、電気を暗くし、足を絡めてもらったが、一向に良くなる気配はない。足は綺麗だった。この辺りでで機械のように一定のペースで上下運動を繰り返すだけの女に(こいつに俺のチンコは任せられない)と心が折れ、チンコも折れた。
自分でシコりますと言い目を閉じ申し訳程度におっぱいを触りながら。終了のタイマーが鳴る。
射精できずに終了した。
ローションをシャワーで落とし、拭いて無言の時間。「何歳?」と聞かれ、答える。「何歳?」と聞き返し、答えてもらう。「そう」とだけいうと、そんなに変わらなくない?とどこか非難のこもった返答が返ってくる。俺の反応が何かその年齢に対して不満であるように伝わっていたのだろうか。わからない。コミュニケーションは三択で示されるゲームしな習ってないから。もう何も分からない。いや、初めから何もわかってない。違う、いやそうなんだけど、イけなかったショックと悲しさと金が無駄になった後悔で不機嫌が滲み出てたんだだろう。ただでさえ愛想がないのに。
「部屋暗くすると眠くなるね」と当たり前のことを言われ。そら退屈で苦痛で時間が過ぎるのを待ち遠しく思って眠たくもなるだろう。いやだよなこんな客は。
女の子がドアを開け一緒に出る。階段のとこまで一緒に行く。ありがとうバイバイと手を振ってくれたので自分もありがとうと返し、手を振った。手を振るなんてしばらくやってないし、階段を降りながらでさよならも上手く言えなかったと思うと何から何まで上手く行かないなと思った。廊下のライトが逆光で顔が見れなかったのが唯一の救いだった。申し訳なかったから。
店の外にでた。風俗に行ったという興奮と、風俗がこんなもんだったという無念が打ち消しあい、次こそは!という熱い気持ちと少しのモヤモヤが残った。
こうして昨日のことを思い返すと反省点は下記のようになるのかなと思う。
・前日にシコったこと。
その日行くぞと思ってからじゃ遅い。行く前から風俗は始まってるんだ。前日にシコってもどんな体調でも自慰行為はするので、まあいいかと思ってた。なるべくリラックスできるよう万全の体調で挑むべき。貯めるのは大事なんだろうな。
・よく調べずに勢いだけで行ったこと。
直前にシャワーを浴びなかったこともそうだが、二人でいいプレイを作るということも分からず受け身でお客様気分でいたこと。もっとこたらからいい空気にしようとしなかった。気まずい空気の中射精できるほど肝が座ってないのに。
・初めてで、できれば上手い人がいいなと思っていたにも関わらず、新人に当たることも考慮せず千円ケチってフリーにしたこと。
・どんなオナニーをしているかという自己分析が足りなかったこと。
普段から乳首を触らないとイけないのにオプションでつけなかったのか。(これに関してはシャワーを浴びずに挑んだので逆につけなくて良かったと言える。申し訳ないからね)
女の子には申し訳ない気持ちがあったが欲を言うならもう少し、緩急をつけて触って欲しかった。爪が長いのも怖かった。
店員も初めてと言ったのに新人の子をつけるなんてと思ったが、そう言うのは自分で指名してやるもんだよな。八つ当たりだよな。
相手の女の子には本当申し訳ない気持ちでいっぱいだったし、ほとんど自分が悪いので次は万全の状態で挑みたい。
反省点が間違ってたり、他にもマナーや、やるべきことがあったら教えて欲しい。あとどんな店に行けばいいのかも。やっぱりソープなの?セックスには興味ないと言えば嘘になるかど、自分のやりたいこととしては、おっぱい触って射精したい。普段の自慰行為も結構強く握ってるんだと方だと思うんだけど少しの刺激でいけるようにすべきなのかな。
60mg/dayって、たしかに量は多いっちゃ多いんだけど、大量っていうと普通はステロイドパルスの500〜1000mgを想像しちゃうんだけどな。
私だって医者じゃなくて患者だけど、念の為にあなたの紹介してる論文に載ってる海外の突発性難聴の治療ガイドラインまで読んで
「SS(Systemic Steroids)」(全身性ステロイド)って初耳だけど何ぞ? と思って調べて、要は局所的に使うステロイドと区別するための用語が「全身性ステロイド」だってことまで理解したよ。
つまり内服や点滴などで体内全体にステロイドが行き渡るような治療全般を指すのね。
その突発性難聴の治療ガイドラインには「治療のファーストチョイスはSSで、1日の最大量は60mg/dayまで」「60mgより多い量のステロイドを点滴で投与した場合(おそらくステロイドパルスのこと)と比べて予後は変わらなかった」
と書いてあったよ。
ステロイドは用量依存性(つまり量が増えれば増えるほど)で副作用のリスクが増す。
だから予後が変わらないんだったら同じSSでもステロイドパルス(500〜1000mg/day)より60mg/day(※この量だと通常は錠剤での投与になる)にするべきだ、というようなことが書かれてたよ。
よかったのかな。
特発性大腿骨頭壊死症。
大腿骨の付け根が壊死して、そのうち激しい痛みと歩行ができなくなる病気らしい。
原因と治療法がないために難病とされていて、人工関節に置き換える手術などが必要らしい。
もともとヘルニアがあって、足の痛みはそのせいだと整形外科の先生に言われたのが20年近く前。
その時は股関節のことなんてろくに調べてもらえず、ヘルニアの手術をしようと紹介状を書いてもらったのに大病院の大先生に門前払いされてしまったことが原因で病院嫌いになり、それ以降は自己流の保存治療を続けていた。
ぎっくり腰の症状が出ている中、やっとの思いで病院にたどり着き、待合室で予約時間から2時間以上待たされた挙げ句、ろくに話も聞いてもらえないで5分で追い出されたときの惨めな気持ちが分かるだろうか。
手術にリスクがあることくらい100万回調べた上での覚悟を持って望んだのに、ろくに人の話も聞かないで「今はそんな状況じゃない」とだけ言われた。
予想すらしてなかった一言に何も言い返せず診察室をあとにした。
紹介状を書いてくれた整形外科の先生が太鼓判を押す名医から言われたのだからそれが正しいのだろう。
何度も自分を納得させようとしたが、腰に痛みが走るたびにその時のことを思い出して奥歯を噛み締めた。
そんな事もあって、それからの20年間はちょっとした痛みなら耐えることが当たり前になっていた。
あまりにも痛みを表に出さないので、知人からすっかり腰痛は良くなったものだと勘違いされたこともある。
そんなわけ無いだろ。毎日痛みと戦って、自分に今できることだけ必死にやってるだけだ。
医者が当てにならない以上、そうやって自らを奮い立たせる以外にできることはなかった。
だから、足の痛みも、自分の努力が足りないのだと、筋トレやウォーキングの頻度を増やすことで解決しようとしていた。
ところが、それとは反するかのように、足は毎日少しずつ痛みを増していった。
1年前は痛みなく歩けたのが2万歩だったのが、段々と数千歩でかばうような歩き方になって、今はひどいときは寝起きから片足を引きずるような状態だ。
これではあまりにも日常に支障があると思い、とうとう観念して整形外科に行ってみることにした。
勢いのある若い先生も、最初は人の足をアチラコチラと動かしながら「臀部のストレッチ不足ですね!」なんて決めつけてたものの、念の為撮ったレントゲン写真を観て空気が変わったのを感じた。
一言目は「ここではこれ以上診断できないので、大きな病院の紹介状を書きますね」だった。
さっきまでの自信と勢いはどうした。
左足の大腿骨に比べて、右足大腿骨の付け根部分(骨頭というらしい)が明らかにまだらに透けているのがわかった。
「写真を見る限りこの部分が壊死をしていることで痛みが生じています。恐らく、というか間違いないと思いますが、これは難病に指定されている病気です。」
正直、この人は何を言っているのだろうと思った。
足の痛みはヘルニアが原因で、そのヘルニアは手術するような状況じゃないと門前払いされて、その後ずっと耐え続けてきていよいよ耐えられない痛みになってきたのだから治療すべきはヘルニアだろう。
ストレッチや筋トレなどどうしたら痛みがなくなるか問いかけてみても、医者は「今ここでできることはもうないです」ときっぱりと答えた。
どこの病院に紹介状を書いたらよいか問われたので、ひとまず調べてから改めてお願いしたいといい、その日の診断は終わった。
それで今増田を書いている。
やはりまだ現実を受け入れられていない。
信じようとした医療に見捨てられてそこからは根性論だけで痛みに耐えてきた。
はてなに長寿のために何万歩歩けという記事が上がってくるたびに、そんなものは歩くことができた人間が語るだけの生存バイアスだと苛立った。
その反面、痛みごときで死んでたまるかと意地になって歩き続けてきたことが、むしろ自分の肉体を使用期限を短くしているだけだった。
この20年近く、ある意味生きる原動力になっていたような憤りはどこに向かえばよいのだろう。
ありきたりな言葉で言えば、なぜ自分がこんな目に合わないといけないのだろう。
整形外科の医者が言うには、恐らく人工関節に置き換える手術になるだろうとのことだった。
今まで腰痛以外に大きな病気もしてこなかったので、手術という響きにもそこそこの抵抗感がある。
しかし、やはりそれ以上に、ここまで痛みに負けないぞと自分を奮い立たせて努力し続けてきたことが徒労だった事実に心が折れそうになっている。
頭の中で雑音が響くたびに、「よかった?なにがよかった?今まで散々痛みに耐えてきて良くなると信じて頑張ってきて、その全てが無意味だったのに?」とまた別の雑音が脳をかき乱した。
紹介状を書いてもらったとして、これでまた誤診だったり門前払いにあったりしたら、自分の心は耐えられるのだろうか。
逆に思っていた以上に深刻な状況を言い渡されたらどうすればいいのか。
仕事が手につかず2日かけてちょっとずつ書き足しつつ増田を書いたが結局何が言いたいでもない自分語りにしかならなかった。
この虚無感とどうやって向き合えばよいのだろう。
なんかごめん。みんなあったかいよ。
確かに20年前に見つかったからってその時の症状で手術するかと言われたらしなかったと思う。
20年前の痛みと自分の中では連続しているつもりだけど、別の要因だった可能性だって当然ある。
腰痛は相変わらず生活を制限してて、でもあのときの若さで手術するほどじゃないっていうのは医者の言う通りなのだと思うのだけど、せめてもう少し寄り添ってほしかったと思うよ。
その時のみじめさが思い出されてこれから大きな病院に行くのが不安でしかなかった。
自分はこれほどつらいのに、あの時はその道のプロからそんなものは大した痛みじゃないって言われたんだよ。
それで頑張って痛みに耐えてきたら、今度は難病ですって言われて、はいそうですかってすぐに納得できるほど人間ができてればよかったのかな。
ちらしの裏に書いた愚痴にこんだけ寄り添ってもらえただけでも運がいいのだと思う。
珍しい病気だけに身バレしたくないけど誰かの希望になるようなことがあれば書いてみようと思うよ。ありがとう。
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