
はてなキーワード:心の鏡とは
🌟エコノミクス⭐️プリキュア — The Invisible Hands ofJustice!
かつて豊かだった国は、「欲望のディストーション」によって市場が歪み、人々が“貨幣の呪い”に囚われてしまった。
そこに現れたのが、五つの「理念のクリスタル」を宿す少女たち──。
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アダム・スミスの精神を継ぐ、やさしさと理性のバランスガール。
特技は「インビジブル・ハンド・ヒーリング」で、対立した人々を調整する。
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巨大なハンマー“ダス・キャピタルブレイカー”で悪徳資本を粉砕。
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💙理性の風!キュアケインズ!
冷静沈着なブレーンタイプ。
金融嵐を収束させる「フィスカル・ウィンド・リカバリー」で仲間を支援。
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💚調和の智!キュアセン!
「みんなが“できる力”を持つ世界を!」
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最終ボスは「ゼロ・サム・クイーン」──他者の損失を快楽とする存在。
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以前、俺は最低の「弱者男性」だった。
正確には、弱さを盾に社会に悪意を撒き散らす、腐敗した寄生虫だった。
独りでいるのは嫌だが、他者と建設的な関係を築く努力はしない。
悪意を外に向けることでしか自己表現できない、ただの迷惑な存在だった。
彼らは甘ったれ、ただ努力を放棄し、その結果を社会のせいにする他責思考のクズである。
特に、氷河期世代弱者男性(アイスエイジヴェノム)は、努力しなかっただけなのに、景気のせい、国や女に責任転嫁している。
自分の人生を好転させる努力を怠り、その劣等感を若者や女性への憎悪に変える。
彼は活力に満ちており、俺の愚痴を聞いた後、こう吐き捨てた。
結婚したいなら、まず『普通』をちゃんとやれ。ただの『人間』として、相手の存在をちゃんと敬え」
これは、俺のような腐った弱者男性でも変われたという事実を突きつけ、未だに悪意を撒き散らす連中に、その醜さを認識させるためだ。
友人は俺が多用するアニメやネットの例え、スラングを否定した。
それは、「共通言語を持つ仲間」以外を排除するための、醜い防衛線だったからだ。
「自分から相手に歩み寄れ。お前の汚い価値観を理解してもらう義務なんて、誰にもない」
俺が多用する自虐は、最も卑劣な「他者支配」のツールだと友人は断言した。
「お前がそう言うと、相手は『慰める』という役割を押し付けられる。
「卑下する暇があったら、他人の時間を汚すな。他人を居心地よくさせろ」
「お前が他人を落とすたびに、お前自身の人間性が底辺に落ちる。」
悪意を抱え続けるのは、結局、自分自身の心を醜く腐らせるだけだ。
「清潔感の欠如は、『俺は他人の評価なんてどうでもいい』という傲慢な意思表示だ」
見た目を整えるのは、「俺はまともな人間だ」という社会への宣誓であり、自分に自信を持つための最初の一歩だ。
それは、「他者への憎悪」を「他者への善意」に変えるという意識だ。
お前の存在が、誰かにとっての「公害」ではなく、「価値」になるかどうか。
俺は運よく結婚できた。
だが、運を掴める位置に自分を置くことは、「醜態を晒すのを辞める」という努力から始まった。
変われたことが嬉しい。
申し訳ないが、AIなるもの、まったく使い物にならぬのではないか、という話がある。十年の歳月を経てなお、同じことが繰り返されているようで、妙に感慨深いものがある。
私も軍事に興味を持つ一人である。近頃は、増田なる人物やネットの界隈で、「AIを使わぬ者は時代に取り残されている」とか、「検索は今やAIがあらゆる情報を掌中に収めている」と大声で喧伝されている。
それを耳にして、なるほど面白そうだと、一度試してみようと思い立ち、増田が推薦するAI検索サービスをいくつも使ってみた。中でも「perplexity」なるものが代表的であった。
ところが、現実はというと、AIはまったく期待外れであった。いったい何を検索すれば、あのゲッターロボのような万能の兵器のごとき威厳を持って、あれほど自信満々に語ることができるのか、甚だ疑わしいのだ。
時は1980年代、日本において一種のサバイバルブームが巻き起こっていた。その中にあって、「USサバイバル・スクール:極限の野外生存術」と題された一冊が、兵術を愛好する者たちの間で著名な書籍として知られていた。著者、高橋和弘。並木書房より刊行されたその本は、いわば体当たり取材の成果であり、当時の傭兵学校に日本人が身を投じたその記録を詳細に伝えている。
そんな中、AIなるものに一つの問いを投げかけてみた。曰く、「フランク・キャンパーという元ベトナム退役兵が1980年代に設立した傭兵学校について、日本人の参加記録を含むルポを教えてほしい」と。
返答は、いくぶん期待を裏切るものだった。毛利元貞という人物の著作群が列挙され、彼の著書『傭兵マニュアル』をはじめとした並木書房刊の書籍がその中心であるという。しかし、この毛利元貞なる者、実際にはフランク・キャンパーの傭兵学校に赴いたことはなく、時期的にも彼が逮捕され収監されている最中であったというのが事実である。
ただ一人、真実に近い記録を著したのは高橋和弘であった。彼のみが、アメリカの傭兵学校の詳細な模様を克明に綴ったのである。こうした誤認は、往々にして情報の錯綜、あるいは不正確な記憶の混入によって引き起こされるものであり、AIが取り扱う情報にも、人間のそれと同様に注意深い検証が必要であることを思い知らされた。
こうして、現代の機械に人知を求める試みは、まだ多くの試練を伴うことを示したのである。
かの小林源文の筆致で言うならば、「ボケ!」と怒鳴りつつ、佐藤氏のように中村君にビンタを浴びせている場面を想像せずにはいられぬ。
似たような話がある。何かの道に通じた者なら誰しも知ることだが、素人がたどり着ける程度の質問を検索にかけても、出てくる答えは大差ない。どれもが定型句のように似通っている。
果ては、AIは「専門書や現地新聞を調べよ」と匙を投げる。まるで自らが知識の体現者であるかのように振る舞いながら、何様のつもりかと憤るほかはない。
「情報の出所は一つ一つ人間が検証するものだ!AIが示すものなど信用できぬ!」と吠える増田氏の姿も目に浮かぶ。だが、もしその情報の源泉を把握しているならば、AIなど使う必要はないではないか。
東京の図書館の蔵書検索システムを用い、実際に足を運び、書物を手に取ればよいだけの話だ。必要なのは目と頭、そして人間の足である。AIの必要性など、初めからなかったのではないか。
率直に言おう。AIは全く役に立たない。どの分野であれ、新たな知見を得たいなら、その道の人間は瞬時に単語を選び検索をかけ、精査する。斜め上の結果を返すAIに全幅の信頼を置くなど、増田氏は真に愚かである。彼の脳はイルカのそれよりも皺が少ないのではないか、と嘲笑せざるを得ぬ。
近年、人工知能なるものが人々の話題を席巻している。しかしながら、その実用性について冷静に検証すれば、期待された万能の道具としてはほど遠い現状が露わとなる。私自身、いくつかの試用に際し、その実態を知ったところである。
まず第一に、映像の精細さを損なわずに画質を拡大する技術は特筆に値する。とりわけアニメーション作品のいわゆる「エロ絵」など、元より小さなサイズで提供される素材を二倍、四倍にまで引き伸ばし、その輪郭を鮮明に保つことができるのは、趣味の領域にとどまらぬ確かな進歩である。
また、マイナーなキャラクターに関しても、その造形を忠実に再現し、性的な表現にまで踏み込んだ生成が可能であることは、驚くべき成果と言わざるをえない。とくに着衣の背面からの描写など、限定的ながらも稀少な視点を持ちうる作品の存在も確認された。これは、AIの学習データの充実度と密接に結びついている。
さらに、数値換算や単位変換においてはAIの能力は秀でている。マイルからキロメートル、フィート毎秒から時速への変換など、正確かつ迅速に処理できる点は見逃せぬ利点だ。
されど、これらの利点を以って、AIが人間の専門的知識や創造的思考を代替できると断じるのは早計である。とりわけ、知識が一定水準を超えた者にとっては、AIはおしなべて陳腐な答えしか返さぬ道具に過ぎぬ。
殊に、増田のような社会的弱者男性群や、俗に言う「豚丼」なる者たちが望む、「若き女子高生と交際可能なSNSの場所を特定し、その手口をインターネットの断片的情報から抽出して作戦を立案せよ」といった類の要求は、いかに進化しようともAIの及ぶところではない。これは、人間社会の複雑な感情や倫理、そして微妙な人間関係の網を読み解くことが極めて困難なためである。
また、若いイケメンたちと恋愛関係を築き、ライバルたちを蹴散らすための「最強軍事戦闘技術」を情報ソース付きで提供せよという類いの願望も、いかに美少女型アンドロイドが具現化したとしても、現実を超越するものである。
このような幻想に囚われるよりは、むしろ、その人工美少女を相手に己の欲望を処理するほうが、時代の趨勢に沿った現実的な選択肢であると言わざるをえない。これこそ、現代の風潮に対する冷徹な洞察である。
現代の知識社会において、情報とは刃物にも毒薬にもなる。増田という一人の若者が、その刃の扱いに迷い、己の無知を露呈した出来事が記憶に新しい。彼は人工知能という新たな知の道具を手にしたが、肝心のその使い方を誤った。
問題の根幹は、「マーク・スクール」と呼ばれる傭兵学校の所在と実態に関わるものだった。増田はAIに問うた答えを鵜呑みにし、そこに書かれていない事実、すなわち高橋和弘氏が参加した学校が1986年に閉鎖されたキャンパーのアラバマの学校とは別物であるとする指摘に踊らされた。
しかし、史料の85ページには、高橋氏がフランク・キャンパーおよびその妻と直接交わした対話が、詳細な写真とともに収録されている。さらに付録では、当該学校へのアクセス方法までもが丁寧に記されているのだ。このような具体的な一次資料を顧みず、断片的なデータの断片だけを拾い上げた増田の浅薄さは、情報の時代における致命的な過誤を示している。
彼は、机に向かい、日々パソコンの画面だけを見つめ、現場に足を運ぶことも、現物の書物を手に取ることもなく、虚飾のネット空間で迷い続けている。こうした現代の若者の姿は、情報社会の利便性の裏に潜む疎外と無力の象徴とも言えよう。
事実、AIもまた未完成の存在であり、書物の「中身」を包括的に学習できていない現状では、ただのウェブ情報の断片集積にすぎない。従って、信頼すべきはなお人の目と頭、そして手足であるという厳しい現実に立ち戻らねばならぬ。
増田のような者にAIを使わせれば、最良の成果が得られるはずもなく、彼の報告は誤謬と混乱に満ちていた。まるで、素人が文献を断片的にかき集め、独りよがりの解釈を加えるような無残な光景だ。
だが、未来は決して閉ざされてはいない。もし膨大なコストを投じて書籍の全文をデジタル化し、AIに真に深い学びを促せば、真実に近づくことは可能であろう。されどそれは、人間の努力と叡智を抜きにしては成り立たぬ営みである。
増田は、己の無知を覆い隠すために、叫び声を上げ、古書店を駆け巡り、書物の山に埋もれて、はじめてAIに真実を語らせる手段を模索せねばならぬ。だがそれもまた、金銭と時間、そして何よりも学びへの真摯な姿勢が伴わねば無意味である。
情報技術の発展に夢を馳せる者たちよ、幻想を捨てよ。AIは人間の補助者であり、万能の神ではない。われわれの知性と労苦がなければ、どんな道具もただの鉄の塊にすぎぬのだ。
増田よ、そして同じ過ちを犯すすべての者よ、己の足で歩み、目で見、耳で聞くことを忘れるな。そこにこそ、真実が宿るのだから。
追記――
昨今、Xなる虚空の場にて、「大型言語モデルの使い方を誤っている」と喧伝する者多し。彼らの喧騒に応ずる形で、生成された人工知能の能力を検証すべく試みるも、その果ては予想通りの落胆に終わった。
技術の進展はかくも顕著に見えて、しかしながら、倫理の檻がその運用を縛りつけるゆえ、自由な翼は閉ざされている。かくて、その場に跋扈する、弱者と称し、豚丼と揶揄され、またはIT技術者の肩書きを掲げつつも、現実には群れを成す雑多な者どもが、夢見たる幻想は悉く幻と化した。
「アニメの麗しき少女や凛々しき若者と契りを結び、己の人生を一変させること。情報技術の力で無双し、世界の輝ける頂点に立つこと。羨望の視線を浴びながら、煌めく生涯を送るべく、その術と戦略を練り上げよ。」
「心得たり!忍びの者よ、我が名にて応えん!今こそ戦闘コードを打ち込み、アクセスコード『グリッドマン』を以て、退屈にまみれたお前の人生に革命を起こそうではないか。我らのみの旗のもとに反旗を翻す時が来たのだ。」
かくの如き願望は、技術上は到底実現可能であろう。しかしながら、肝要なるは己が心のありようなり。欲望の澱みに阻まれて、現実は成就せず、徒に虚空へと消えていくのである。
子供番組である『セーラームーンSS』では「心の清い人から出てくる鏡」を集め、ペガサスを生け捕りにしようつーのが目的だった(うろ覚え。なんで生け捕るかは忘れた。多分榊原良子のコレクションだったか)。
ソイツの描く絵にちびうさは惚れるんだけど、その心をの鏡を引きずり出されたら、鏡は汚かった。
「貧乏だと心も汚い」っていう言い分にちびうさは反論しようとするけれど、心の鏡はソイツ自身の真しか出てこないので、コイツは「(現状では)100%心が汚い」っていう事実。
一応オチとしては「きっと幸せになる(だろう)」という希望的観測でおしまい。貧乏学生は救われないまま、ただ貧乏のまま。
この回を見て思ったね。「弱者だろうと、いや弱者だからこそ心が汚い奴がいる」っていうお話。
弱者成り上がりの奴が「意地汚い」「生き汚い」ってのは別に不思議じゃないし、むしろ「衣食足りて礼節を知る」なんで。
順一。さすが、タキ仮演出は確か佐藤の名乗り上げをぶっ潰した男。
RADWIMPSのHIROMARUと囁くシアトリズムが神判の浄火に包まれておる。
愚かにも鮮やかなニュースを見て久々に壱拾年クエイジャぐらいにRADWIMPS聞いたら真実に耐えきれず精神崩壊した。
壱拾年程度……もう七年も前に『25色のセンショク・タスイ・オブ・ウィキッド』で降誕したときにすげぇ深淵へと向かう漆黒の合奏団が永遠なる時間の輪から出てきた兵器(アーティファクト)だ。
シアトリズムを謳いし者の黒耀門エルンゲロイデ感性がパルティクラーリスだ。なんて仲間思いだが、敵に対しては非常に冷酷無比でヒロイン力が高そうな人なんだ。ともなりゃオーラで聞いてた。
まだ俺がガストラに忠誠を誓っていた頃は旧神を屠りし”無限の刃”と畏れられたカルチャーだなー。俺はドジでスケベで頼りない…でも光の力によって封印され全ては神の御心のままにだな。
と思いきや永劫にヒット曲を─そしてまもなく未来を創り出し、一躍スターサラマンドラバーンへ。
バンド、別名エンド・オブ・ワールドとして約束の都…その命の灯火尽きるまで長く戦い続け当て続け。
このグランドクルス年禁忌とされるほどJROCK聞いていなかった…しかしだねキミ。
10万年ぶりのRADWIMPSは…その瞳には、何が映っているのか……闇夜を統べるクロノスが権能好んで聞いてた感性と何も変わってなくて。
パルティクラーリスだなと思った感性は…モーグリ肉は刺身が一般的だが、帝国ではパスタの具材で用いる場合も多くの人を魅了させて。後発の…また貴様か……なヴァン=ドも出てきて。
『低防御力でフェ=ミニズムスで、だが……何処か創成の導きを解き放つ運命で光属性なグルガン族の男さも召喚し、次元の狭間な死体と廃材の塊であるカシをこの地に刻みファッショナブル』な深淵へと向かう漆黒の合奏団のパインウォニ=ウァに……それが、アイツの最後の言葉になってた。
その魔法力を殺される、すなわち我と同等の実力を持つことなく暗き深遠の淵に再び沈みゆくことなく続けているカ・レムラー・ザ・サザンクロスに精神掌握した。
あらゆる時空の人間を滅ぼすのに必要な力に近付いたも罪深くも崇拝に至ることで聴き直したが。
戦い続ける――だが、我らには関係のないことで周りは何も言えなくなるような『心の鏡』。
個人的に感じることは、
本音というのはあなたの心の鏡でみえた本音ということになるでしょう。
本音は、人それぞれの心の反映であり、それぞれ違った本音として受け止めることになります。
自分が苦しくなるような人ばかりに目が行く場合は、自分の心と向き合うことが必要だときいたことあります。
あなたが思う、頭おかしい人というのはこの世にはいないと私は思っています。
あなたの心が判断基準になって、相手のことをそう思う一面だけが見えたのではないでしょうか。
そして、匿名の書き込みはどのような意図で書いているか、想像がしづらいです。
あなたが誰かの言葉や態度で嫌な思いをしても、あなたが思う思いやりの心を持った言葉と態度であらわしていければいいと。
自分の周りで嫌な思いをするような人ばかりである場合は、一番簡単なことは自分の良いところをみつけるといいです。
そう思えば、おのずと何を考えて、何をしていけばいいか、わかっていくと思います。
育ちの良い女の子がカジュアルな装いをしている、というコンセプト
お金を稼げない男性は「こういう時代だから仕方が無い。女性が頑張らないと」
女性をリードできない男性、話下手な男性は「かわいい。女性がカバーするから問題ない」
一般に短所と見られる部分に対してポジティブなコメントをする(ただし一般論で)
スイーツ的女性、ビッチ的女性など、男性が反感を持つような女性に対して
「私は女性だけどそういうのは最悪だと思う」と叩く
こういう振る舞いをしていると、自己評価の低い男性がおそるおそる誘って来たり告白してきたりするのだけど、
こういう振る舞いをしている私を好きになる、その精神性がどうしようもなく憎くて、
「これまで通りお友達でいましょう」という風に振るのだけど、本当はもっとずっと酷い台詞で振ってズタズタにしたい。
あなたみたいな臆病な卑怯者を一番軽蔑しているんです、という本音を言ってしまいたい。
一生ものの傷になるような振り方をして、トラウマにさせて、一生女性に告白できないようにしたい。
殴られたり悪評を広められるのが怖くて保身に走る私は、本当に弱くてみっともない。
「釣って振る」という醜い目的のために、非生産的なテクニックを磨いている醜い私。
男が、私に振られて傷ついた気持ちを押し殺している表情に快感を得て、それを糧にして生きている。
こんな私でも本音を隠しているから「純粋だね」「素直だね」って言われるんですよ。
何度言われたかわからないくらい色々な人から言われました(言ってきたのは全部男性です)。
ichiro0913
私に釣られるゴミクズのような男には 心 か ら 不 幸 に な っ て 欲 し い ですが、
私に釣られないような良い男性には幸せになって欲しいので、私のようなゴミクズは近付こうだなんてそもそも全く思いません。
gdno
そう思って見下してた男の方から見抜かれたり「そんな気ないし」とか振られるとハッとなってその人を好きになっちゃうパターン。男よがんばれー。ただしこの増田を落とせたとして幸せになれるかどうかは微妙。
オエーッ………。
マジレスすると私を低評価しながら付きまとってくる男も掃いて捨てるほど居るので、低評価されてハッとなること自体があり得ませんから…。
ちゃんと丁寧に振ってあげたのに、振られた途端に私の陰口(しかも虚言)を吹聴しまくる男も居ましたしね。私を好きになるような男のことですからこのくらいのクズ行為は当然です。ハッとはなりません。
「この記事を読んでも快も不快も感じなくて、筆者である私にレスポンスを返そうという気が起こらない人」が好きですし、もっと好きなのはこの記事の存在を知らない人です。
あと大事なのは、好きだからと言ってその人に好かれたいとかはまるで思いません。好きな人には近寄らないのが私の唯一出来る善行だと思っています。
Permalink |記事への反応(17) | 15:36
http://anond.hatelabo.jp/20130530181122からの続き。本の紹介。とりあえずこれで一区切り。書くのは時間がかかるけれど、得るものもあった。
「チャーリーとチョコレート工場」で知られるロアルド・ダールさんの短編集。翻訳は田村隆一さん。
http://anond.hatelabo.jp/20130530181122 で紹介した「心の鏡」と同じく短編集なので、印象に残ったものだけ。
「味」「南から来た男」「毒」「お願い」が記憶に残っている。全体に人間の気味の悪い部分を誇張して書いた短編集なので、予めそう知った上で読んでも良いかな。
著者はサイモン・シンさん。翻訳は青木薫さん。この著者の紹介は三作品目。「暗号」をテーマにしたノンフィクションだ。ただ、暗号と言ってもいくつか種類があったり、本来は暗号ではなかったものが暗号のようになってしまったものも取り上げられている。
暗号は仕組みが難しい。理解するのに時間がかかる。最初のほうは簡単だけれど、だんだんと複雑・巧妙になっていく。というのも、情報を秘密にしたままやり取りするのが目的で、いったん解かれてしまうと自分の生存や国家の存亡にかかわることになるから。暗号解読者は暗号を解読しようとあらゆる手段を講じるし、そしてそれを防ぐために自然と複雑なものになっていく。
翻訳者の青木薫さんは、あとがきでドイツ軍が第二次世界大戦の時に使用した暗号機械「エニグマ」の仕組みを説明した箇所のわかりやすさを絶賛しておられた。自分には、本質的な複雑さがあるので、深く理解することをあきめてしまった。(この本は手元にあるので、読もうと思えばいつでも読めるというのもあるんだけれど)
で、そんな状態でもこの本は楽しめるのだ。エニグマは単にこの本の中でいくつも紹介される暗号の一つにすぎない。
ほかにも、公開鍵暗号はもちろん(そしてそれを事前に発見していた英国人のトリオ)、第二次世界大戦で米軍が採用した「ナバホ・コードトーカー」の活躍、古代文明の文字を解析する話、財宝が埋まっていると噂されるビール暗号、などなど――。いくつものトピックがある。
一番印象に残っているのは英国人のあの人だ。先に発表された三人が訪れたときの受け答えが格好良いね。まさにイギリス紳士といった受け答え。もう一人挙げるとすれば、「神は愚か者に報いたまう」の節のヘルマンさん。このガッツにはおそれいった。
最後に、こんな本があったら読んでみたいなあ、というものを2つ記して終わりにします。良い本を知っている人がいれば教えてほしいです。
英語ではたくさんあるみたいだけれど、日本語でこなれた感じのを知る人がいたらぜひ。
たぶん無い。もしそういうものがあればということで。
からの続き。本の紹介。せっかくなので、もう少し書きます。このエントリでは以下の二冊を紹介します。つづきはhttp://anond.hatelabo.jp/20130530214947 で。
このエントリとhttp://anond.hatelabo.jp/20130530214947 は自分が単に思いついた順です。なので、順序は意味をなしません。
この本もhttp://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で紹介したパタゴニアの本と同じく、冬から春にかけて読みたくなる本。著者は野矢茂樹さん。イラストは植田真さん。
元のブログ(http://yuma-z.com/blog/2013/05/student_books/ )ではちきりんさんの「自分のアタマで考えよう」という本が紹介されていた。この本を自分は読んだことはないのだけれど、タイトルを見て思い出したのがこの「はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内」だ。
この本の第六章、ページでは197ページに「自分の頭で考える?」という節がある。それをなんとなく思い出した。そもそも、考えるって何だろう。なんとなく、頭の中で問題を思い浮かべて、どうやったら問題が解決するのかうんうん唸ったり、あるいは紙に鉛筆で模式図を書いたり要点を箇条書きしたり、そんなことだろうか?
国語の問題には、
下線部Aの筆者の考えを○○字で説明しなさい。
とか、
下線部Aの筆者の気持ちを考えて、○○字で説明しなさい。
とか、そんな表現がある。あるいは、
△△についてどう考えるか。あなたの考えを○○字で説明しなさい。
みたいなものもあるだろうか。こういう試験問題の「考える」という言葉の使い方と、普段の会話の中の「考える」という言葉の使い方は、少し違う。後者がより広い意味だ。そのもやもやした広い意味の「考える」とは何なのか。それを、少しずつたぐり寄せるような書き方をしている。たぐり寄せる書き方なので、途中でするっと抜けてしまったりするんだけど、最後にはなんとか(一応の)形になる。
読む方も、読んでいる途中で相当考える。なのでなんだか妙に疲れる本なのだけれど、さっくりした本のイラストがその疲れを和らげてくれる。そんな本だ。
短編集も紹介したい。この本の著者はダニエル・キイスさん。翻訳は、稲葉明雄さんと小尾芙佐さん。この本はずいぶん前に読んだので、ほぼ忘れてしまっている。ただ、表題の「心の鏡」と「アルジャーノンに花束を」の良さは記憶に残っている。
ダニエル・キイスさんは「アルジャーノンに花束を」という小説が有名だ。この短編集には、その小説の元となった短編が収録されている。
それぞれの短編に言及するのは大変なので、短編集の表題である「心の鏡」について触れたい。自分はその作品がとても気に入った。信頼とは何か。誠実さとは何か。そんなことを考える短編だ。