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2025-09-21

TCGにおける「オリパ」のリスクに関する考察要望

TCGトレーディングカードゲーム)のことです。

3000円オリパを10口引いて平均400円のカードしか引けなかったのでおかわりを続け、最終的に100万円以上使って35万円分くらいのアドをゲットしました!という動画を見たんですね。

いやーちょっと…と思いまして、改めてオリパの抱えるリスクを整理しようと思った次第です。

本稿のベースになっているのは、2020年木曽崇さんがされていた話です。

もう5年前なんですね。

あれからオリパが下火になったかというとそんなことはなく、またぞろ危なそうなのが跋扈しているんだなあと。

最近TCGから離れているんですが、ゲームのものは好きなので、危ないことはやめて欲しいんですよね。

5年前にはTCG界隈にいなかった人も、どんな論点があり、どんなリスクがあるのかを知ってもらえたらと思います


景品表示法問題とか、詐欺的なショップ問題とか、通販の発送トラブルとか、色々あるのは理解していますが、ここでは個別のケースではなく、オリパという商品のものが抱える賭博罪リスクについて書いていきます


「オリパ」とは

「オリパ」とは「オリジナルパック」の略で、ショップシングル販売しているカードを封入して独自カードパックを作り、販売するという販売方式です。

購入するまで中身が分からない、いわゆる「ランダム販売」と呼ばれる販売方式でもあります


これは、TCGメーカー販売するカードパック(公式パック)とは異なる点があります

公式パックもランダム販売ではありますが、封入されているカードは全て同価値であるという建前があります

例えば1パック400円でカード10枚入っているとすれば、1枚あたりの価値は40円です。

封入されているカードは封入率に差があり、レアリティが定められている場合もありますが、メーカーはそれらに価格差を設けていません。

それぞれのカードに異なった価値が生まれるのはあくま二次流通中古市場)の場であり、メーカーは関知しません。

そのため、表向きはカード金銭価値の差がないとされています欺瞞的ではありますが)。


一方、オリパは販売店がカード価値を定め、それを前提に封入するカードや封入率を決めます

そのため、オリパに封入されているカードはそれぞれ価値が異なります

ここに問題の根幹があります


引いたパックによって得をした人と損をした人が出る可能性があり、それは刑法賭博罪に該当するのではないか、ということです。


賭博とは

賭博刑法で定められている罪で、主に賭博罪賭博開帳図利(とばくかいちょうとり)罪で構成されています

賭博を行った主体賭博罪(単純賭博罪とも言います)に問われ、賭博を行う場を提供して利益を得た主体賭博開帳図利罪に問われます

ここで言う賭博とは、「①偶然の勝ち負けにより②財物の③得喪を争うこと」が要件とされており、全てを満たすと賭博罪に問われるという形になります

オリパはランダム販売なので、偶然性を含んでいます

財物とはお金または金銭価値のあるものことなので、TCGカード財物に該当します。

これらはオリパの性質上、避けられないものです。

そのため、賭博罪にあたるかは「得喪を争う」に該当するかが争点となります


得喪を争う」とは

得喪を争う」は賭博罪の話をする時以外にあまり使わない言葉ですが、噛み砕くと「誰かが得をし、誰かが損をする」という意味です。

反対に言うと、「誰かが得をし、損をした人はいない」、「誰かが損をし、得をした人はいない」、「誰も得も損もしていない」というケースでは賭博罪は成立しません。


オリパに当てはめると、当たりカードを引いた人は間違いなく「得をした人」になります

これもオリパの性質上避けられないものです。

すると、残った要素の「損をした人」が出た時点で賭博罪が成立する可能性が高くなります

(ここで言う「可能性が高い」は、最終的に罪を認定するのは裁判所であり、私は裁判所ではないので「成立します」と断定はできないという意味です。)


オリパにおける「損をした」とはどういうことか

ここからが本題です。

オリパを購入して「損をした」とは、具体的にどんな状態を差すでしょうか。

この判断には、主観的ものではなく、客観的指標必要になります

この場合、外れカードを引いた、つまりオリパの購入価格を下回る価値カードしか手に入らなかった場合と言えるでしょう。

販売店はオリパを作る際、オリパの販売価格と封入するカードの総額を考慮して設計しているでしょうから、外れカードによるマイナス分が当たりカードプラス分に上乗せされていると解釈できます


外れカードを引いた人が損をし、そのぶん当たりカードを引いた人が得をした。

これはまさに得喪であり、オリパを購入することで得喪を争ったと言えるでしょう。


賭博罪回避するためには

それでは、反対に賭博罪に当たらないオリパを販売するための方法を考えてみます

先述の通り、オリパは構成要素のかなりの部分が賭博要件を満たしており、そもそも賭博的な販売形式であると言えます

事実上対策を取れるのは「損をした人」を作らないことくらいしかないわけです。

では、「損をした人」が出ないオリパとは何でしょうか。


答えは、木曽さんが示していた「福袋方式」になるでしょう。

「オリパに封入されているカード価値が、オリパの販売価格と同等または上回るようにする」

というものです。

少なくとも購入価格相当のカードが手に入れば、「損をした人」はいないという理屈です。

「必ずオリパの価格以上の販売価格カードが入っています」というような注釈が入っているオリパがあるのは、そのためです。


ここまでは木曽さんの解説をまとめたものです。

ここから先は私の見方になるのですが、個人的にはもう少しシビアに見た方が良いのではないかと考えています


カード価値とは

「封入されているカード価値」と言いますが、すると今度はカード価値とは何ぞやという問題が浮上します。

シングルカード店頭販売価格でしょうか。

オリパを購入する目的カードを入手することであれば、それで正しいと思います(そしてこれは木曽さんの当時の見解でもあります)。


一方、TCGカードの売買は投機的な性質を帯びていると言って良いと思います

売却益を狙ってオリパを買う人が出た場合販売価格ベース価値判断するのは果たして正しいのでしょうか。

一部の店舗では、そのお店が販売したオリパから排出されたカード買取を一律拒否しています

売却益を目的にした人が相当数おり、その行為賭博的な性質リスクを感じたということでしょう。

実際、

店舗お金を払ってオリパを買う>封入されていたカードをその店舗で売る>引いたカードによって手元のお金が増えたり減ったりする

という構図は、賭博以外の何者でもありません。

そしてオリパで排出されるカードは他のお店でも買取をしてもらえるのですから、同じ店舗での買取禁止したところで賭博的な性質は変わりません。

市場価格がある以上、オリパを購入した時点で、封入されているカード価値によって「偶然の結果により財物得喪を争う」は完了していると言えるからです。

二次流通が発展しており、中古市場がしっかり形成されているという点が仇になるわけです。


そう考えた時、極めて重要視点が生まれます

カード価値は、販売価格ではなく、買取価格なのではないか、ということです。

オリパを買ってカードを売るというサイクルで現金の増減を楽しんだ場合、そのサイクルにカード販売価格は出てきません。

出てくるのは買取価格です。

まり、オリパが投機的な目的で利用される場合カード価値買取価格であると言った方が実情を捉えているわけです。


もし買取価格基準カード価値判断するとなると、当然、販売価格の時よりもカード価値は下がります

よほど特殊なことが起こらない限り、買取価格販売価格を上回ることはないからです。

その場合販売価格ベースに「損をした人」はいないとしていた建前は崩壊し、「損をした人」は存在する、要するに賭博罪要件を満たす可能性があるということになります


自分あくまカードが欲しくてオリパを購入しているんだ、と主張する人もいると思います

実際オリパで引いたカードを売らないで使っているという人もいるでしょう。

問題はそこではなく、実態としてオリパが擬似的な賭博の仕組みとして機能しうるという点と、実際にそのように使う人がいるという点です。

賭博ではないという主張は、実態を伴わないと潜脱行為と受け取られかねないリスクを含むのです。


まだ議論余地はあるでしょうが、現状オリパの投機的な性質否定することは難しいと思われ、カード価値買取価格判断するのを荒唐無稽と断ずることはできないと思います


安全なオリパとは

ここまでくると、オリパの販売価格相当のカード保証するという福袋形式のオリパも安全とは言えないと考えられますあくま私見です)。

では封入されているカード買取価格がオリパの販売価格を下回らないようにすればいい、となりそうですが、事実上それは不可能です。

買取価格とはイコール仕入れ価格であり、そこに合わせてオリパの価格を設定すると、お店から見ると外れで利益ゼロ、当たりで赤字となります

オリパ販売商売である以上、この形式は取れません。

すると、安全なオリパというものほぼほぼ存在しないということになります


一応、理論上安全な方法としては100円相当のカードしか入っていない1000円オリパ(購入者全員が損をする)みたいなものもありますが、商品価値がないので検討するまでもないでしょう。


まとめ

考えれば考えるほどオリパは賭博的であり、賭博罪に問われる可能性を完全に潰すことはできないと思われます

これを書くにあたって少し調べたところ、賭博罪否定する説として以下のものを見かけました。



ただ、これらは両方とも二次流通中古市場)の存在無視した説です。

TCG業界二次流通市場がしっかりと形成されており、中古商品シングルカード)の市場価格存在し、だからこそオリパという商品が成立するのだということを考慮すると、実態に即していない理屈だと言わざるを得ません。

オリパを販売しているのはまさにその二次流通事業者であり、中古市場価格を元に商品開発をしているのであって、市場価格関係ありませんとは言えないのです。


なので、冒頭で書いた通り、ものすごく危ないと思うんですよね。

加えて言うと、オリパが賭博罪認定されるとショップ賭博開帳図利罪を問われる可能性が高く、そこで有罪になると古物商許可が取り消しになるためショップを続けることはできなくなります(某大手カードショップ社長ポーカー賭博騒動の時に早い段階で会社を離れたのも、会社古物商許可を守るためだったのではないかと思われます)。

そこまでのリスクを負って、どこかが摘発されるまでチキンレースを続けますか?

もう、オリパは全面的にやめませんか?

オンライン専業のオリパショップは逃げるだけだからいいでしょうがリアル店舗をやっている方々は逃げられません。

カードショップTCG業界を支える重要役割を担っているわけですから、変なリスクを取らないで欲しいのです。

Permalink |記事への反応(2) | 16:43

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2025-02-07

anond:20250207095117

ちんこ賭博罪に該当する賭博です。

まず前提として、賭博(偶然の勝敗によって、財物財産上利益得喪を2人以上の者が争う行為)は、「一時の娯楽に供するもの」を賭けた場合以外は賭博罪構成要件に該当します。

「一時の娯楽に供する物」とは、関係者が即時に娯楽のため費消する物(飲食物たばこなど)いい(大半昭和4・2・18新聞2970号9頁)、金銭はその性質上含まれない(大判大正13・2・9刑集3巻95頁)。

したがって、競馬競輪などは、賭博罪構成要件に該当します。ただこれらを正当化する法規定の存在によって違法性が阻却されています

 

これに対してパチンコは、違法性を阻却する法律がありません。風営法上の適法性刑法上の違法性阻却事由にならないという理解一般的です。→https://www.mc-law.jp/kigyohomu/21182/

そこで、提供する賞品を「一時の娯楽に供する物」に限っているという形で、構成要件該当性を回避します。パチンコ屋で、飲食物たばこが景品になっているのがそれです。

しか飲食物タバコでは射幸性が低くユーザーを引き込めない。

そこで、射幸性を高めるため、現金への換金をさせるために使われているのが「特殊景品」です。

 

しかし、特殊景品は換金以外の機能を持たないため「一時の娯楽に供する物」ではありません。

そのため、賞品に特殊景品を用意した時点で刑法185条ただし書の適用がなく、賭博罪構成要件に該当します。

なお、仮に風営法によって違法性が阻却されるという説に立ったとしても、特殊景品有価証券なので風営法23条1項1号の禁止行為違反しており、したがって違法性阻却の余地はありません。

Permalink |記事への反応(0) | 16:10

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2023-06-09

まともな日本人は株を買わない

なんか定期的に株を買わんやつはアホみたいな話出てくるけど、株を買わない人間は珍しくない。というか少し前まではまともな人間は株を買わないものだった。(自分は買う派だがこれは単に山崎元を信用しているに過ぎない)

証券会社がクソ

ここ10年くらいで便利でまともなネット証券が普及してくれたけど、昔の対面式証券は本当にクソだった。どれくらいクソだったかというと「ノムラ證券残酷物語」でもググって読んでみてほしい。はめ込みだのなんだの一般の客なんてゴミ扱いで、それで恐ろしいことにこの会社業界トップなんだわ。つまりはそういう業界。昔はヤクザとかお得意さんに損失補填なんてものあった。年配の人間なら身の回りみたらクソみたいな株だの投資信託など買わされている人を見かけるのはよくある。そら株なんか胡散臭いと思うのが普通

日常生活が損なわれる

株買うデメリット株価が気になるというのがある。これは個人差が大きいから正直人による。自分は気になる派だからつい見てしまう。まともなネット証券が増えたのはいいことだが、いつでも株価を見られてしまうというのは割とデメリット大きい。株価下がって○万円損したら、なんか今日一日タダ働きかよ、みたいな気分になってついつい散漫になるし、そのそも株価見るだけで集中切れるから仕事能力デバフかかる。出入りの若い業者雑談してたら、株の話になったので聞いてみたけど、やっぱり業者あんちゃんも気になるようで「実は作業中も隠れてこっそり見てるっス」とか言ってた。おいおい…(人のことは言えないが)。いくら長期的にはプラス可能性高いっていっても、含み損抱えてるとストレスフルだし、不況来たらもう毎日市況かぶ全力2階建見て、他人の損みて気分紛らわすしかないんだよなあ。

なんだかんだいってギャンブルなので、ヤバいのへ進む一歩になる

投資投機は違う」とかいうけどさ、投資ギャンブル性があるのは否定できないわけで、ギャンブル賭博定義を見ると

https://kurihama.hosp.go.jp/hospital/case/gamble_case.html

ギャンブルとは、あるものを賭けてより価値のあるものを手にいれる行為をいいます

勝つか負けるかはほとんど偶然に支配されています

https://keiji-pro.com/columns/184/

賭博罪を構成するには、以下の2つの要件があります

・偶然の勝敗により財物等の得喪(とくそう)を争うこと

財物財産上利益を賭けること(ただし、「一時の娯楽に供する物」を除く)

まあ株式購入なんていうのは法にには触れないがガッツリ賭博要素があるのは否定できない。やってはいけない、とまでは思わないが、ネットで株始めて、株式購入→信用取引FXCFDみたいに順調に?ギャンブル要素の強い方へ流れていく危険性って割と無視できないと思うからあんまり人には勧められるような話ではないとは思う。

だいたい「投資プラスサムで投機ゼロ/マイナスサム!」とかいうけどさ、証券会社手数料分はテラ銭取られるからマイナスぶんはあるし、無配ならゼロサムじゃん。経済成長率0.5%とかの状況で2%の手数料取る銀行証券会社国内投資信託なんてのは実質ゼロサムじゃなかろうか。

とにかく株はギャンブル要素がある以上、向き不向きがあるもの(好きすぎても嫌いすぎてもダメ)なので、そんなに文句なしに勧められるようなものではないと言いたい。

Permalink |記事への反応(2) | 01:47

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2017-11-24

anond:20171124083112

もちろん金銭以外でも偶然により財産を賭ければ賭博になりますが、ガチャ賭博になるかと言うと

賭博というのは2人以上の者で財物等の得喪を争う物と定義されているので、販売者側が争わないガチャは(少なくとも日本では)賭博には絶対ならないです

ガチャ賭博認定されてしまうと、くじ引き福袋、福引、トレーディングカード、当たり付きお菓子自販機なんかもグレーになりそうな

Permalink |記事への反応(1) | 10:29

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2017-05-06

働く人に必ず読んでほしいも

http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudouzenpan/roudouhou/

http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12600000-Seisakutoukatsukan/0000122726.pdf

厚生労働省サイトにあるハンドブックです

中学生くらいなら理解できると思います

退職日と年金関係で損しないようにみたいな記事をさっき見かけて

社会保険資格得喪失日の話までおさえるのは大変かもしれないけれど

労働者権利自分を守る術を知ってほしい

誰がが辛いと私も辛い

みんな幸せになれるように

Permalink |記事への反応(0) | 20:16

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2008-11-24

国籍法改正問題と憲法典の欠陥、そして憲法学の貧困【転載自由】

第三章 国民の権利及び義務

第十条日本国民たる要件は、法律でこれを定める。

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

  • 形式化すると、10条と14条は、次のような関係に立つ。

すべてのXについて、XはPされない(14条)。

Xたる要件はQである(10条)。

  • ここで14条は、X=Pの場合に「違憲」、X≠Pの場合に「合憲」という値を取る関数だと理解できる。そして10条は、Xの定義域を定めるものである。とすれば、Qをどのように定めるかについて、14条の規制が働かないのは自明のことである。14条は、10条(によって委任された国籍法)で定められた日本国民について、差別されないことを定めているのであって、日本国民の範囲をどのように定めるかは14条の関知するところではないのである。
  • およそ論理的であろうとする限り、以上の結論は不可避と思われる。しかしここで法律ギルドは軽々と論理を超越するのである。

憲法14条1項は,法の下の平等を定めており,この規定は,事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づくものでない限り,法的な差別的取扱いを禁止する趣旨であると解すべきことは,当裁判所判例とするところである<略>

憲法10条は,「日本国民たる要件は,法律でこれを定める。」と規定し,これを受けて,国籍法は,日本国籍得喪に関する要件を規定している<略>このようにして定められた日本国籍の取得に関する法律の要件によって生じた区別が,合理的理由のない差別的取扱いとなるときは,憲法14条1項違反の問題を生ずることはいうまでもない。

国籍法違憲判決全文】

http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/kokusekihouiekennzennbunn.htm

  • 最高裁判決が10条は全文引用しつつも14条の文言は全く引用していないことに注目されたい。恣意的な解釈をしていることが露見するのを恐れる姑息な心理が、表層か深層かは知らないが、判決文の起草者に働いたのだろう。
  • 判決の背景にあるのは、憲法上の権利享有主体に関する「性質説」と呼ばれるドグマである。このドグマによれば、法文に「国民は」と明記されている場合であっても、「事案の性質に応じて」憲法の権利規定は自在に拡張適用される。その結果、外国人にも参政権が認められ得るとか、国籍法の規定の定め方が平等原則違反であるとかいった、倒錯した結論が導かれるのである。
  • 国籍法を巡る議論や、いわゆる「外国人人権」を巡る議論の混乱の背景には、すべてこの「性質説」というドグマがある。
  • このようなドグマは法解釈としては極めて不自然なものである。憲法第三章は明確に「『国民の』権利及び義務」と定めている。しかも、このような解釈を前提とするなら、「日本国民」という範疇自体が無意味化する。権利享有主体としての機能を奪われた「日本国民概念に如何なる意味があろうか?
  • 性質説がドグマの名にふさわしいのは、それが超制定法的観点から主張されているためである。憲法典の規定を虚心に眺める限り、このような結論はおそよ導けない。
  • 性質説の解釈論としての不自然さは、自衛隊合憲論の不自然さに匹敵する。いずれも、憲法典の欠陥を糊塗するための法律ギルド屁理屈である。
  • 嘘も100遍唱えれば真実となり、屁理屈も50年唱えれば「自明の理」に昇華する。いまや法律ギルドの構成員は自らのドグマ恣意性を意識することすらない。

憲法第10条は「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」とありますが,そのことは,この「法律」が憲法第14条に反する差別的なものであってもよいということを意味していません。法律を作る国会議員が,そのような憲法論の基礎の部分を理解されていないようでは困ってしまいます。

【むしろ,自民党が心配】

http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2008/11/post-8c0c.html

  • 他方、「国民」を名宛人とした権利規定は「国民」にしか適用されないという、憲法典の文言に即した当然の解釈は、「文言説」というレッテルを張られ、排斥されている。
  • 「性質説」ドグマの「論拠」として持ち出されるのは、「自然権思想」とか「人権の前国家性」といった、一種の「信仰」である。
  • これらの信仰の当否をここで論じようとは思わない。信仰は証明も反証もできないからである。
  • しかし、わずかでも論理性への感覚を持っている人であるならば、「国籍の取得」を要求することの根拠として「人権の前国家性」を持ち出すことの倒錯には気づかずにいられないはずである。
  • 私は、性質説を破棄して文言説を採用せよと主張しているのではない。文言説には文言説の問題がある。
  • 権利規定の定義域を無限定国籍法委任している現行憲法典の下で文言説を採用すれば、国籍法の規定次第で如何様にでも憲法上の権利の適用範囲を限定できてしまう。これはこれで由々しき問題である。
  • つまり、憲法典には欠陥があるのだ。本来、国民と統治機構との権利関係を定める憲法において、誰が国民かは下位規範白紙委任してよい問題ではない。憲法典自身が規定しなければならない問題である。細部については法律に委ねるとしても、国籍の基本的要件は憲法典に明記されていなければならないのである。
  • これは当たり前すぎるくらい当たり前のことだ。
  • 現行憲法典は、かくも根本的な部分で穴だらけなのだ。
  • 法律ギルドの構成員は決して憲法典の欠陥を認めようとはしないだろう。聖典無謬性こそ自らの権威の源泉だからだ。あらゆる屁理屈を総動員して護教に努めようとするはずである。
  • しかし、私たち国民は騙されてはならない。誤った憲法を正すことは主権者の当然の権利であり、義務でさえある。私たちは、理解ある選良達とともに、欠陥憲法の改正にこそ努めるべきである。

Permalink |記事への反応(0) | 22:51

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