
はてなキーワード:徒競走とは
もうシーズンが終わった頃だろうか。娘の運動会に行くわけなんだが、運動会を見ていて、ふと気づいたことがある。
これって、ウマ娘と同じじゃね?
個性を出しながら同級生と走る徒競走はまさしくレース。ほんの一瞬で終わるので、見逃せない。
低学年は低学年らしいかわいいダンスだし、上級生は名曲に乗って全員が揃ったダンスを踊るのは、ウイニングライブである。
ちなみに去年の2年生のダンスは、「しかのこのこのここしんたんたん」で、今年の3年生の徒競走は、もちろん「ウマ娘」メドレーだった。
学年の担任団の誰かがオタクに違いない。なお、2年生のこしんたんたんはめっちゃかわいかった。
年1回しか見れないし、一人につき10回も見れないウイニングライブだぞ。とありがたく楽しんできた。
子供推し活に必要な金額は、22年で平均1,800万らしいので、月額7万円のサブスクと考えると、どうだろう?ちと高いか。
ウイニングライブ1公演あたり180万は高いな。まぁ他にも楽しみなイベントはたくさんあるんだけどね。
もうシーズンが終わった頃だろうか。娘の運動会に行くわけなんだが、運動会を見ていて、ふと気づいたことがある。
これって、ウマ娘と同じじゃね?
個性を出しながら同級生と走る徒競走はまさしくレース。ほんの一瞬で終わるので、見逃せない。
低学年は低学年らしいかわいいダンスだし、上級生は名曲に乗って全員が揃ったダンスを踊るのは、ウイニングライブである。
ちなみに去年の2年生のダンスは、「しかのこのこのここしんたんたん」で、今年の3年生の徒競走は、もちろん「ウマ娘」メドレーだった。
学年の担任団の誰かがオタクに違いない。なお、2年生のこしんたんたんはめっちゃかわいかった。
年1回しか見れないし、一人につき10回も見れないウイニングライブだぞ。とありがたく楽しんできた。
子供推し活に必要な金額は、22年で平均1,800万らしいので、月額7万円のサブスクと考えると、どうだろう?ちと高いか。
ウイニングライブ1公演あたり180万は高いな。まぁ他にも楽しみなイベントはたくさんあるんだけどね。
高校で碌に勉強しなかったから中高一貫から浪人してまで私文のカスなんだが、最近親が俺と会話する際に我々の育て方が悪かったという謝罪をしてくる。
確かに俺の親は酷いもんだった。
幼稚園の徒競走で一位じゃなかったら両方から死ぬほど怒られたし、3歳からのピアノの練習では横でずっとキレて殴ってくるもんだから、俺は泣いて全く上手くならずまた殴ってきた。
祖母と一緒に、俺に聴こえる所で俺の友人やその親に罵詈雑言を浴びせかけ、何も分かってない俺がそれを幼稚園で復唱しようもんなら、お前はどうしようもないクズの嫌われ者でお前なんかと友達になろうとするやつはいないって丁寧に教えてくれた。
小学校入る前に分数の掛け算やらされてよく分からないままに、間違えると五時間ぐらい母親は泣き喚いてキレ散らかして俺を殴るし、その癖私は俺からみたおばあちゃんにもっと酷いことされたって自慢しながら泣く俺と妹に悲劇のヒロインぶってんじゃねぇって言いながら殴ってきた。
インフルが喘息かで病院に行ったら待合室で泣くまできれられたし、小学校二年生の頃に、入院がつらかったって家で母親に自慢したら、お前なんかよりよっぽど辛い境遇のやつが周りには入院してたのにわざわざそんな事を親に自慢するなんてお前はなんて気色の悪い野郎なんだって死ぬほど怒られた。
もう何が原因だったかも忘れたけど、俺と妹に包丁突きつけてどっちかがどっちかを刺し殺したら許してやるって選択の余地をくれた。
あと、子供の夢を叶えようと俺の軽口の代わりに翌朝の朝ごはんが全部お菓子になって、泣いて食べれない俺の代わりに口に詰め込んでくれた。
小学校に入ったら、工作の授業のレースに使うためのまつぼっくり集めなんかに専業主婦で大変忙しい母親を駆り出したから、その上でおれが友達の葉っぱかなんかとそのまつぼっくりを交換してその上おれが工作のセンスがまるでなく貧相なリースを作ったもんだから、私はお前の友達の奴隷なんだなって言ってきた。
当然いじめられた俺が相談しようものなら、相手の家と校長にキレ散らかして電話をかけて無事俺はキチガイの息子になった。
テストで百点取らなかったら怒るのは序の口で、演奏会やお遊戯会で何の役にもなれなかったらそんな事で怒られた。
後普通に不仲で、旅行先でちょっと体調悪くなったからって子供おいて喧嘩するぐらいで止めずに勝手に帰ったりお前のせいでせっかく面倒くさいのにこんな事してやってるのが無駄になったとか公衆の面前で叫んだりするのはやりすぎだと思う。
サピックスに入ってからは、テストの点が悪かったら当然キレるし、俺が勉強出来なかったら俺なんかよりよっぽど勉強ができた山本丈(偽名)の家庭教師になってそいつを受からせてお前を落としてやるって言った。多分そうなってたら丈は志望校落ちてたのでお互いに良かった。
小6の秋にマジで一回俺を脅すためにサピックス退会して、入会金払い直したのはマジでバカだったと思う。
あと、何かにつけて俺の大事なものを破壊する癖があって、ジョウト地方での俺の冒険はケチャップと醤油漬けになったし、お気に入りのコップは粉々にしようとしたけど高いやつだったから惜しかったのか洗面台に隠してあった。おじいちゃんに買ってもらったゴーオンジャーのロボットは母親が地面に叩きつけるからパーツが欠けたり折れたりしてダメージ感が増してかっこよくなった。後、スヌーピーの毛布的な大事にしてた布に挟み入れたり妹のイルカのぬいぐるみバラしたのはマジで許してない。
中学に入っても碌に分かりゃしない馬鹿のくせに昔とった杵で俺と妹に英語教えようとして邪魔しまくってた。
でも、俺がある程度でかくなって俺のこと殴って殴り返されたら負けるようになってからは相変わらずヒスッたりキレたりするけど俺のこと殴らなくなったね。だからといって子供の前で笑いながら、熱したフライパンで殴れば言うこと聞かせられるとか言うもんじゃないよ。
だから、俺が高校で部活に馴染めなかったり友達いなかったり数学がマジで出来なかったりその癖無駄に本ばっか読んでたから無駄な知識があるとか言いながらその読書も中途半端でゲームとか寝たりで中高無駄にして文化祭とかにコンプレックスがあって、その癖浪人失敗して、私文なんかに入って高校の元友達には馬鹿にされて、大学だと周りはみんな俺より人生上手だからなんか浮いてサークルも怖くて入れなくて文化祭も参加せず、バイトも怖くてバイト先で全く打ち解けられてないのは俺が怠惰で無能なせいであってマジで親が悪いわけじゃねぇんだ。どうしよ
もうシーズンが終わった頃だろうか。娘の運動会に行くわけなんだが、運動会を見ていて、ふと気づいたことがある。
これって、ウマ娘と同じじゃね?
個性を出しながら同級生と走る徒競走はまさしくレース。ほんの一瞬で終わるので、見逃せない。
低学年は低学年らしいかわいいダンスだし、上級生は名曲に乗って全員が揃ったダンスを踊るのは、ウイニングライブである。
ちなみに去年の2年生のダンスは、「しかのこのこのここしんたんたん」で、今年の3年生の徒競走は、もちろん「ウマ娘」メドレーだった。
学年の担任団の誰かがオタクに違いない。なお、2年生のこしんたんたんはめっちゃかわいかった。
年1回しか見れないし、一人につき10回も見れないウイニングライブだぞ。とありがたく楽しんできた。
子供推し活に必要な金額は、22年で平均1,800万らしいので、月額7万円のサブスクと考えると、どうだろう?ちと高いか。
ウイニングライブ1公演あたり180万は高いな。まぁ他にも楽しみなイベントはたくさんあるんだけどね。
流産4日目。遠足のため早起きしてお弁当を作り登山。歩くにつれ出血量が増え、何度かナプキンを変えたけど、手持ちの枚数が足りなくなってきた。血だけでなく、紐状のものや肉片も出て…この状態で徒競走は無理と思い、パパを呼んだけど「嫌だ」と代わってくれず、無理して走った結果、途中離脱。→
→離れたところでスマホいじってて、写真も撮ってくれてなかった。離れてるから「お願い交代して」と言いに行くのも断られて同じ距離戻るのも辛かった。
お姉ちゃんの面倒も見ず、代わりに保育園の先生が相手してくれてた。卒園生のお世話は保育士の仕事じゃないのに。→
→保護者役を押し付け合う形になってしまい、子どもは傷ついて無言で指チュッパチュッパ。最後の親子遠足やぞ😢「無理なら休めば良かったのに」と言われたけど、保護者が2人いる計算では無理じゃなかったのよ。え?一つも手伝わないの?って計算違いがあっただけ。
こんな血が出ると思わなかった。痛みがないから無理しちゃった。初期で流れたことは伝えたけど、グロい話なので詳しい説明はしなかった。体型にコンプレックスがあって人前に出るのが恥ずかしかったようです。お弁当タイムでシート敷いてってお願いしたらそれも嫌だって言うから帰った。
バカが馬鹿面寄せ合ってIQがどうのと囀ってる光景は不快なものだ。お前らは一貫して気遣いいただいてる側の当事者だろうが。
ところで馬鹿というのは生得的な知能の劣後という現象それ自体ではなく、鈍い頭のものが生きていく上で身につけた戦略である。
「自分は馬鹿なので隅っこで大根の尻尾かじらせてもらえたら十分です、いじめないでください」というのも一つの戦略だが、たいがいのバカはバカなのをいいことに常習的に小さな無法をはたらいて生きている。「バカだからルールとかよくわからないもん」「バカだから嘘がバレても恥ずかしくないもん」そういうのが「バカという戦略」「バカを逆手に取った生き方」のスタンダードだ。
知能の高いマジメ君がケツにうんこはさんでるバカに出し抜かれる、あるいは誰も得しないかたちで共倒れを強いられるのは珍しいことではない。
実社会は徒競走でなくバトルロイヤルなのだ。つまり頭の良し悪しは足の速さみたいに純粋にそれだけ抽出して比較しうるものではない。少なくとも基本的な「賢さ」と多対多での立ち回りにおける「ずる賢さ」は分けて観察せねばならない。
昔から、競うのが苦手だった。
徒競走やスポーツはもちろん嫌いだ。多分負ける側だったからだと思う。
競技性のあるものではなく、芸術や料理でも競うのが嫌いだった。小学生の時、とても上手く焼けたホットケーキを、同級生の妬みだか悪戯心だかわからない理由で笑いながらぐちゃぐちゃにされたとき、とてもショックだった。私は「お前よりうまく焼けるんだ」と言いたいんじゃなくて、みんなでうまく焼けたホットケーキを分けあって食べたかっただけなのに。
絵も描きたかった。別に絵が上手くなりたいのではなく、真っ白な紙に自分の世界を創造したかった。だが私の母親は私に絵を習わせようとした。子供というのは親の顔をよく見ているもので、失望したような顔が恐ろしくて、自分でもできそうな武道(有段者になる試験が簡単で、受験などで有利になる)をやった。
10年間その武道をやっていて、一度も楽しいと思わなかった。団体戦では、さっさと負けて帰りたいから、「がんばれー」と言いつつ、相手を必死で傷つける部員を冷めた目で見ていた。自分の試合は、ほとんど全部引き分けにしていた。
高校に行くとき、私の友達はお世辞にも頭がいいとは言えず、私以外みんな偏差値の低い、いわゆる底辺校と呼ばれる学校に行った。私もそこに行きたかった。親(特に母親)は許してくれなかった。ここで学力の高い高校に入るだけで今後すべての人生が有利になると言われた。ピンと来なかった。
私はいつも一人で、別の高校から帰ってくる友人達を待っていた。羨ましかった。私は自分の通う高校では友達は一人もできなかった。学校へは登校したりしなかったりが続いた。
大学受験は、自分が入れそうな所に入った。幸い、割と学力はあったので、なかなか良い大学に入れた。親も安心というか、誇りに思う、みたいな顔をしていたが、別に努力したわけでもないから嬉しくもなかった。文句を言われないから面倒臭くなくてよかったと思っただけだった。必要な単位を取って、適当に卒業した。
就活で内定した会社では、入社前の研修などで有望だと言われた。自分は言われたことをやっただけで、よく分からなかった。でも、働き始めてして一ヶ月で辞めた。何故かは分からない。ブラック企業でもない。唐突に涙が止まらず眠れなくなった。
私は社会に出て早々にドロップアウトした。これまで「人生で有利になる選択」を取り続けて、そのアドバンテージを全て無駄にした。とにかく働かなくてはならないから、清掃、工事、派遣、どれも続かなかった。夜遅く家に帰ると、親は見たこともない剣幕で喧嘩をしていた。扉の前で耳をすませて聞いていると、母親は「なんであんな風な、あんな仕事しか就けなくなっちゃったんだ」と言っていた。
「なんであんな風に」?
耳を疑った。どういうことだ?理解できなかった。私はあなたが望んだからそうしたのだ。幼い子供にとって親は神に等しい。その神が示した道を示した通りに歩いて、最後に行き着く先が失敗作扱いなのか?
私は絶望した。私は母親に心底落胆した。私を愛するが故に私に過保護気味になってしまったのではなく、彼女は私を通じて自己を投影し自己実現をしようとした、ただの哀れで賢くない女だった。
母親に落胆した、と書いたのは、父親はその母親の発言に対してこれまでにないほど怒ったからだ。彼は「なんでもいい、今くらいあの子の好きにやらせてあげろ、私たちはそれをずっと見守ってあげるだけだろう。それをお前は否定したんだ、たくさん考えて選んだあの子の選択を」と、母親に怒っていた。
私は昔から父親のことを好きでも嫌いでもない、なんというか父親だからそこにいる、くらいの感覚でしか捉えたことがなかったが、彼が私のことで怒ってくれることに、少し嬉しさを覚えた。
私は家を出た。格安のアパートで、必要最低限の家具と食事で暮らした。仕事を転々としつつも、安い給料で、酷く疲れもしない、定時に帰れる仕事に就けた。家に帰れば用意されている夕食も、温かい風呂もない。「おかえり」という声もない。暗く、冷たいフローリングと狭くじめじめした台所があるだけ。
だが、この生活の、なんと心地のいいことか!私は、遅すぎる自由を得た。家に帰り、ほとんど出来なかったゲームをたくさんやった!絵をたくさん描いた!炭酸もたくさん飲んだ!擦り切れたパジャマのままコンビニに行き、エアコンはつけっぱなしで、アイスをたくさん食べて、休みの日は昼まで寝た!
やっと、ここで私は気付いた。ああ、あの時なぜあの友人たちと同じ学校に行かなかったんだろう。なぜあの時思い切り絵を描きたいから、それだけやらせてくれと言えなかったんだろう。なぜ本当にやりたいことをやらなかったんだろうと。私が他人に選ばされてきた(もしくは私が選ぶべきだと思ってしまった)正解は、尽く私という人格にとっての不正解だったのだと。
きっと気付かないうちに、私は色々な大切なこと、大切なものを落っことしてきたのだと思う。でも実は、私は全然大した人間じゃなく、世界の中の虫けらのような存在で、私が「正解」を選んでエリートとして社会的地位を得ていたとしても、私が道端で野垂れ死んでいても、それは変わらない。でも、だからこそ私は私のやりたいことをやればいいのだ、という、どうしようもなく単純で、大切なことを思い出すことが出来た(私の父親はこのことに疾うの昔に気づいていたのだろう)。
私は他者に勝とうが負けようがどうでもよかったのだ。何なら、他人はどうでもよくて、私は私の好きな人、好きなものを好けばよかっただけなのだ。
今は、遅すぎるスタートを切ったものの、少しずつ絵を描いて、楽しみながら上手くなっている。SNSで絵を描いている人とも友達になれた。大したことではないが、確かな喜びと幸せを、久し振りに感じている。
この競争社会の渦で、競い合い奪い合う、より優れたものこそ価値を見出されることが間違いとは言わない。その競争の中でより上を目指すというゲームを楽しめる人間はそうすればいいと思う。だが、競争に参加する以上、少数の勝者と多数の敗者が生まれる。その多数の敗者は競争に参加しないもの(したくてもできないもの)や、より自分より劣る存在の危機感を煽ったり、殊更に貶したりする。
しかし彼らの中にも、およそ競争に向いているとは言い難いパーソナリティを持った人間が少なからずいる。そうした人達に、「もう降りてもよい」という救いがあるということを、提示するだけなら何もバチは当たらないのではと思う。
彼らに植え付けられた「勝て」「負けるな」という価値観は容易に取り除けるものではない。私のように「降りてしまったら意外と楽だった」というパターンと違い、意識的に競争を降りるのには、競争に参加することと同じぐらい勇気のいることだと思う。「降りたくても降りられない」という人もいるのだろう。だが、それすらも競争社会の作り上げた思い込みに過ぎないのではと感じる。なぜなら競争に参加している者はほぼ全員がそう思っているからだ。
だから、一気に降りる必要はないと思う。少しずつ、競争というゲームから「私はたまに顔出すくらいでいいや」って感じで、フェードアウトするような降り方でもいいんじゃないかと思う。
これが競えなかった私の、私なりの答えだった。
このとりとめのない私の回顧録を最後まで読んでくれた人がいるなら、それだけで私は嬉しいです。
私はあなたが、他者を傷つけない限り、あなたの生き方、人生の捉え方を決して否定しません。あなたはどうやって生きていますか?あなたの幸せはなんですか?
もしよかったら、ここに書いていってくれたら、それも嬉しいです。
どうかあなたが、あなた自身を愛して人生を生きていられるよう、心から願っています。
さようなら、またどこかで会いましょう。
数年前に土木建設業を引退した。ほぼ一人親方だった。一応は、人を雇っていた時期もある。
弟子が二人だけいた。今は独立して両方とも23区内で働いている。
この業界は、雇用というよりは元請け下請け関係がメインである。工事や業務になると、必ずといっていいほど施工体系図が出来上がる。
タイトルのことだが、数年前にあった暇空さん関係のニュースで言うと「公金チューチュー」に関係する。正当な目的での。
私は、地元のために働いた経験が長い。本業の土木(主に河川と林業)で稼ぎつつ、休日には地域社会のために働いてきた。災害発生後の維持修繕工事を茶菓子程度で請け負ったこともある。
だが、その中で「これはちょっと?」と考えざるを得ないこともあった。相応の年月が経ったし、私も増田を利用して長い。そろそろ一筆、したためてみたいと思った次第である。
主に2つある。1つは公共工事のことで、もうひとつは自治体が運営するイベントでのことだ。
推敲は何度もしたけれども、増田の日記は書き慣れてない。ご容赦を。
(以下本題)
それこそ未成年の頃から林業に携わってきた。両親が小さい土木会社をやってたから、小学生から間伐や林地測量の手伝いをしていた。中学に入っても、工業高校に入っても、それはずっと続いた。
そんな日々を過ごして、下積みを経て独り立ちできてからの自分は、まあその……地元では『それなり』くらいの地位の事業者になれた。具体的には、サブゼネコン(竹中工務店などから仕事をもらう地元土建会社)からの下請けで現場を任せてもらえるくらいである。
そして、親父が亡くなった頃だった。ちょうど東京都が山や森林を守ったりして、住民の憩いの場として生涯学習の場にする動きが始まったのだ。その流れで、うちの会社にも森林整備系の業務が地元自治体から流れてくるようになった。
いわゆる随意契約で、うちの会社が地元密着型かつ使いやすい(≒言うことを聞いてくれる)ということで、仕事をもらえるようになった。「言うことを聞いてくれる」と書いたが、こちとら地元のために地方自治体(役場)を利用しているだけである。
さて、土木・建設・林業系の仕事は、自治体発注だと地元企業優先が基本である。あなたが住んでいる市区町村が田舎であれば、絶対に近い確率でそうである。
ある秋の終わり頃だった。倒木の解体・処分業務を地元自治体から請けたのだ。里山の奥の方にある「昔は限界集落じゃなかったんだろうな」という集落や林道があって、その付近には森林浴にバッチリな雰囲気の自然公園があった。
その自然公園に、はるか山の上から松の大木が転がり落ちてきて、その途中にあった小径木も巻き込んで、公園内にドカンと横倒しに鎮座していた。それらの樹木をバラバラに玉切りしてから処分するというのが自治体から依頼された仕事だった。
「自治体から依頼された仕事」とは言ったが、実際のところは、素人の自治体職員にいきなり現地に呼ばれて、「この樹木に対処してもらえませんか?工法はお任せで」と言われたから、それなりのやり方を提案して見積書を提出したのである。
それから二週間ほど経って、仕事を終えた自分は、完了報告書類を自治体の発注窓口に持っていったのだ。写真帳も添えて。それで、完了検査を受けるつもりだった。見たところ一般事務の職場からの発注だったので、現地確認はナシで写真帳だけで検査になると思っていた。
「今回、当初契約よりも〇十万円少ない額で請求します。切った樹木は、そちらの追加注文で、ごみとして処分できない(※1)と契約締結後に聞いたので、玉切りして現場の隅に重ねてあります。あとは重機リース料ですけど、うちの近所にある会社が一日リースで借り受けたユニックを、うちで最後だけ使わせてもらったので請求しません(※2)」
※1 都のルール?で切った樹木はごみ処理できないらしかった。よく覚えてない
そしたら、あの日の窓口でのやり取りを思い返す限り、その職員(発注者)はこう言ったのだ。
「実は、今回は特殊なパターンの仕事で。東京都の全額補助金なんです。最後に一円たりとも残してはいけない、返してはいけないという都からの指導なので。当初の○○○万円で請求をお願いします」
「変更契約しなくてよい?」
だってさ。
「本当にいいのか、後でどうなっても知らんぞ」と感じたのだが、当時は子どもがいて、正直お金がほしかった。その○十万円は、全額自分の利益になった。都民の税金なんだが、ありがたくうちの子の大学進学費用に使わせてもらったよ。
これが公金チューチュー?の1件目である。自分から吸いに行ったわけじゃないけどな。いわゆる棚ぼたである。なお、これは誰にも迷惑がかからないと思ったから話してる。十年以上も前のことなので。証拠だってとっくに雲散霧消している。
一般市町レベルだとこんなもんだが、契約相手が東京都になるとこうはいかない。
都の場合は、話の相手がほぼ必ず林業技師になってしまう。それか、専門分野の知見のある事務職員。彼らは知識をもったうえで、伐採業務の価格決定を標準歩掛(ぶがけ)でやってくる。
標準歩掛というのは……IT業界でいったら人月計算みたいなものだ。はてなブログで、偉そうな感じのメルカリとかスマートHRとかマイクロソフトとかのIT技術者が、フィボナッチとか何とかで、科学的アプローチで工期の見積りとかしてるだろ?
標準歩掛は、それに近い。要するところ、Aという植生の地形で、Bという仕事を、C人でD時間かけて行って、一日あたり単価はE円(※単価は非公表)、みたいな国が定めた標準マニュアルがあるのだが……たとえ随意契約でも、それをベースに価格や納期の交渉をしてくる。
こっちが「それは違うのでは。あなた達は実際に現地を見ましたか?」と言っても、「これが公共工事のルールですから」だってよ。頑として譲らない。「今回そんなに作業員は出せない。赤字になるかも。上司を出して」と伝えても「協議済みのことです!」とか言うのだ。本当にそうなの?
こっちは大学も出てないし、学生時代に専門的な林業土木の勉強をしていない。専門資格は持ってるけど、相当昔に取得したものだし。試験も難しくなかった。高卒でも勉強すれば余裕だった。
小さい会社の場合は、公共工事でも標準歩掛による積算ではなくて、実際に地形を読んでの見積り作業をその都度行うのがキホンである。それで十分通用する。どうしても専門知識や機材や測量図面が必要になったら、地元にも一応、東大の院まで出てる人がやってる個人会社があるので付き合いで依頼する。
それでも意地や矜持がある。相手が都だからって、引けないこともある。
一度だけだが、林業系の指名競争入札で、入札前にうちの地元じゃない会社が現地確認(下見)に来ていたことがあった。東京23区の街中にある測量設計専門会社だった。
この案件も、先に挙げた森林活動を盛り上げる感じで都がやっている事業の一環である。知らない会社が現地確認に来て山林に入っていたということは……地元じゃない会社がその測量会社に依頼して、自分たちが入札に入るための準備をしているということである。
その時分に、うちの地元会社が協力しあって、ようやく見つけたよ。その工事の入札に札を入れそうな工事会社を。
やはり街中にある会社だった。皇居からそこまで離れてないところにある業界中堅どころである。うちの百倍以上は規模がある。
それで結局、迷いはしたのだが……声をかけたんだ。地元の会社7社くらいで。要するところ、「あの仕事はうちの地元だから、毎年この類の森づくりの仕事はうちの地域の会社が取っていて……」と、懇切丁寧に、その会社にまで出向いて説明をした。
決死の覚悟だったよ。こんな勝負に出たことはない。まさに血の誓いだった。昔のゲームに、七栄養っていう7人のキャラクターが出てくるのだが。まさにあのレベルの、問答無用の一体感だった。
そしたら、その会社は「今回は引く」と言ってくれたよ。その後、入札システムからのお知らせで、都からその入札案件が公示された通知があった。「これが……あの現地確認のやつか!」と思った。ビビッときたよ。業務場所はまさにあの、測量会社が下見に来ていた山林である。
うちの会社も、予定価格に近いところを見繕って札を入れた。数週間が経って、結果が来たのだが……いい方に予想が当たってくれた。例のあの工事会社は、予定価格とはやや遠いところで札を入れていた。「お前らに言われたくらいで入札辞退はしないけど、今後を考えて一応は配慮した」というメッセージだと感じた。
仕事の方は、地元企業で入札案件を取った会社が、入札に参加したほかの地元会社に下請けを出して、例年同様に地元に貢献するかたちで仕事を終えることができた。
談合なのか?と言われれば、形式上はそうなのかもしれない。でも、街中にある会社がこの案件を取っていたら、地元住民の意見を聞かずに、都が発注した業務を仕様書どおりに粛々と進めたに違いないのだ。地元企業が取ったからこそ、地域に寄り沿った施工ができた。
談合は如何なる場合でもダメだって、それは国や都が言っているだけだ。
談合は、フツーはダメだと思う。そう思ってる。うちらが払った税金が民間企業に不当に持っていかれるのは我慢ならない。けど、それが必要な場面というのは、昔も今も今後も、ずっと存在し続ける。それだけのことだ。
今はどうなっているのだろうか。
うちの会社の方は跡継ぎがいなくて、自分自身も持病がひどくなったので引退した。今だと、趣味レベルで地元住民から仕事を請けることならある。
情報はそこまで入ってこないけど、都もそのあたりは【わかってる】んだと思う。そうじゃなかったら、道路維持管理の業務とか、いつも特定の企業群(メンツ)が順々に請けているなんてありえない。談合にならないように、都が入札の指名をうまいこと調整しているのだ。
「また入札情報をアップしたよ。メンツは大体わかっているよね? いつものように、ルールに従って契約相手を決めますよ。業者間でいろいろあるかもしれないけど、都は責任をもちません。自己責任でやってください」
都のスタンス、いや、どの自治体もそういうスタンスで入札のお知らせを送っている。
いっそ、入札とかするんじゃなくて、信用できる会社があるんだったら、民間企業みたいに堂々と特定の会社だけ指名すりゃあいいのに。そしたら、談合なんて不正は起きようがない。と、半分老人の立場で思ったことを述べてみた。これで1つは終わりだ。
うちの地元では、もう何十年も昔から続いているイベントがある。ありていに言うとウォーキングであり、実態は何でもアリの徒競走である。中高生のスポーツクラブの子はトレイルランをするし、ご老人だと健康志向の長距離散歩となる。
うちの地元には、初心者でも歩きやすい登山道がある。そのウォーキング大会では、目印になる公共施設からスタートして、山々を登って降りて、平らな道を突き進んで……を繰り返して、最遠で十数キロ以上も離れた先のゴールをめざす。
イベント中は、子ども、若者、老人、家族連れなど多くの人で賑わっている。辺鄙な地域とはいえ、東京に住んでいてよかったと思うのはこれである。
遠く離れた田舎の方だと、素敵な山麓はあるのだろうが、こういう催しを開いても参加者が来ないのだろう。ここは腐っても東京である。人がたくさん来てくれる。
自分が住んでいる地域の町内会の一部組が、その自治体が開催するウォーキング大会のスタッフの役割を務めていた。
大会の運営事務局は自治体担当部署なのだが、うちの町内会の組が、ウォーキング大会の休憩地点で料理を振舞うのである。地元料理をベースに、毎年メニューが違っていて、うどんの年もあればそばの年もあるし、芋煮の年だってあった。
とにかく、腹を空かせたウォーキング大会の参加者に昼ご飯を振舞うのだ。そのために自治体から現金をもらって、その年に相応しい料理を作る。お金はもらっているものの、割に合わないのでボランティア活動だと思っていた。
しかし、ある年のこと。考えさせられることがあった。
ウォーキング大会が終わると、自治体からもらったお金で何を買ったのか報告する必要がある。自分はこういう作業はニガテなんで、町内会でそういうのに詳しい人に会計報告をやってもらう。自分がその組の一応代表なので、自治体とのやり取りは全部自分がやっている。
会計報告を終えた後、自治体の担当部署から電話がかかってきた。どちらかと言うと苦情だった。電話と合わせて、ご丁寧にメールまで送ってきた。
【メールの内容】
・芋煮の準備や提供中、あなた達がお酒を飲んでいたのを職員が見ている
・何十年も続いているようだが、今後は自粛願いたい
・公文書公開請求があると、あなた達の個人情報が特定される危険がある。ご了承を
・毎年、渡したお金の余りを通帳に入れているのか?
・あれは参加者が払ったお金の一部である。できれば返していただきたい
うん、まあ……違和感はあったよ。
それこそ、子どもの頃からウォーキング大会のスタッフをやってるけど、親父やお袋やその地元仲間は、料理の準備中も、提供中も、片付けた後も、お酒を飲みながらご機嫌な感じでやっていた。自分らもそうなっただけだ。
あのビールやおつまみを、自治体からもらったお金で買ってるのは知ってたよ。若い頃からずっとだから、感覚がマヒしてたのかもしれない。
それじゃなくて、今いきなりその場面(参加者に振舞う食材購入費で酒を買っている)がやってきたなら、おかしいって思うことができたのかもしれないな。
うちから具体的にどんな内容を返したかは言わないけど、あの時の自分はすごく怒っていたよ。自分ら町内会がバカにされてる気分だった。人件費は無償で、公共行事のお手伝いをしたのに。せっかく、一生懸命にウォーキング大会の参加者に地元料理を振舞ったというのに。
たかだか、自治体職員から渡されたお金でビールを買ったくらいで、それは町内会のスタッフを鼓舞する目的だったのに、「余計なことしやがって」と思っていた。実際、あの時は自治体の担当部署に乗り込んでいったよ。町内会長も一緒に連れて。当時の自分は40代で若かった。まだ青臭いところがあった。
自治体との話し合いの場では、相手方の幹部職員も交えて懇々と話を進めていった。逐一結果は書かないが、その後も参加費でお酒を買うのは黙認してもらえることになった。ただし、町内会の通帳に入れていたお金の一部を返還することになった。
長々と書いた。今読み返してみたけど、日本語ヘッタクソだなあと、いい年になった今でも思う。
公金をどう扱うかって、難しい問題だと思う。増田利用者でも、地元町内会(自治会)で役員をしてる人はいるだろう。自分が住んでる市区町村からお金をもらうこともあるのでは? どんな使い方がいいのか、迷うこともあるんじゃないかと思う。
そういう人向けに書いたとかではないけど、この体験談がどなたかの思考のきっかけになったのなら幸いである。
Permalink |記事への反応(11) | 18:09
大学祭、
大学祭に行ったんだ、
良い所も勿論沢山ある、
でも問題点かく、オレ
なぜ???!
誰が始めた?かなし
何弾いてっか、わかんねーソロにも
形骸化してるのにも皆様気づいてるだろに
意味ないし 生温い
とりあえず拍手しとくか…ではだめ
弾く側、何のモチベーションにもなんないでしょ
ぃますぐやめたほうがいい
生音の話ね
PAへただな!と思っていたら、いやいやいやそうじゃない
Fd 2人くらい
Bj3人くらい
Md2人くらい
Db2人くらい
こんくらい
ひどい
なにをしてる?練習
拍手もそだけどさ、バンド練で人のできないとこ指摘することとかないでしょ改善点とか言い合わないでしょ 生ぬるいねええ わっかんねーかぞもそも
MC えむしい
いい加減さ、、、、ただ時間の長くなるら持ち回りせいとかさ、、知らん知らんなエピソードトークとさ、、やめよや
悪しき風習な つまんないや
じぇーポップの
いいねえ
笑っちゃうねえ
えれべ持ち替える意味かんがえた?、
ああそりゃブルーグラスカバーぢゃなくて、ブルーグラスの楽器でただなぞってるだけでしょう
すごいです」ねえ かっこいいですねええ😎
あとジェーポッっぷに限らず、国内の人のカバーやるなら元曲の紹介とか作曲したバンドの紹介とかしなよちゃんと
まーーあコロナ禍あったしね
その3年分、そのまま引き算した感じの技量
いちばんうまいM2の(音量出せてる唯一の)数人が、コロナ禍前のふつうの3年生くらいだもん
しゃーなしゃーなし、しゃーなし
よーくやってます🙌
彼氏との旅行で、ホテルに露天風呂があって入ってきた。一応言っておくとオペ済み。
長い間、露天風呂や温泉や銭湯には行けなかった。家族で旅行に行っても一人だけ部屋で過ごし、友達と旅行に行っても一人だけカフェで待ったりしていた。「カフェでのんびりしてるのも楽しいから気にしないで」とか言ってたけど、寂しかった。約二十年、そんな風だった。
思えば、水泳もそんな感じだな。運動音痴で球技も徒競走も下手だったからスポーツに参加できないことに不満はほとんどなかったけど(健康は損なわれたかも)、小学校時代唯一まともに出来たスポーツが水泳で、それも中学から水着になれなくなってやらなくなった。こちらも約二十年ぶりにプールに行ってみたら、全く泳げなくなってて驚いた。
風呂やプールに入れないこと自体は大した問題じゃない。別にそれで死ぬわけでもないし。ただ、思い出はその分失われた。トランスジェンダーじゃなかったらあったはずの旅行の思い出、トランスジェンダーじゃなかったらあったはずの青春の思い出が、全部ではないにしても失われた。女友達何人かとのとの女子旅なんかも、楽しいことはいっぱいあったけど、なんだろう。風呂自体がどうこうというより、風呂に一緒に行けないことや、それを周りが気遣ってることのせいで、雰囲気が明るくなりきらないんだよね。トランスジェンダーであることにも自分の外見にも不満はないけど、思い出が減ること、お金がかかること(手術を受けるだけで約二百万で、定期的な通院もあり、裁判所での手続きにも費用がかかる)、就職が大変なことかには不満がある。というか、無料で周りの人を納得させられる体が手に入って、無料で体が勝手にホルモンを出してくれるシスジェンダーたちが羨ましい。シスジェンダーであることを理由に就職できないこともないだろうし。
トランスジェンダーでも、FtMなんかは結構未オペで温泉行ったりしてるよね。ホルモン続けてると見た目もただの小さいおっさんでしかなくなったりするし、股間をタオルで隠してたら普通にバレずに入れるとか。FtM中年、まじでわかんないからね。言われてびっくりしたことが何度かある。まあ向こうも向こうの悩みがあると思うからどっちがいいとかじゃないんだろうけど、でもその辺は羨ましい。
でもそんなこともうどうでもよくて、久しぶりに満喫した露天風呂はとにかく気持ちよかった。もう周りから変な目で見られることもない外見だけど、他の利用客がいたらこちらが怖くなってしまうから、早朝の誰もいない時間に行った。実際には早起きのおばあちゃんが一人いたけど。海を眺めながらのんびりお風呂に浸かって、最高だった。生きててよかったなって思った。また水泳も習ったりしたいな。小学校の頃はクロールとかそこそこ得意だったんだよ。ジムとかも行ってみたい。