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2025-12-14

「なぜはた」のnoteバトルを読んで

小並感なので無視してください。

https://ichiiida.theletter.jp/posts/0aa160a0-d70f-11f0-aa07-8582de6095b5

https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5

「なぜはた」の明確な問題点は「タイトル主語が大きすぎること」です

反論」の問題点データの使い方と論理おかしいことです

<以下本文>


まず大前提として、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、「かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々」という特定の層が抱える悩みについて、それが個人的問題ではなく社会構造上の問題であることを論じた本です。

大前提となる、「『かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々』という特定の層」が存在することをデータで示さないと、「実感」としてそういう層の存在を主張したとしても議論が始まりません。

「この神聖な水飲んだらがんが治ったんだもん」とデータなしに主張しても、そこから先の議論に至らないのと同じです。


これに対し、飯田さんは国民全体の平均値であるマクロデータを持ち出して「全体で見れば変化はない」と反論しました。が、これはいうなれば、「日本人平均寿命は伸びているから、あなたの今の病気存在しない」と言っているのに等しい議論です。

→この例えは明白に誤りです。なぜなら前者は「全体の読書量」と「特定の層の読書量の推移」を比較する主張であり、後者の「寿命」と「特定の疾患の存在」とは評価対象が異なるからです。

あえて寿命で例えるなら、「日本人平均寿命は延びているから、喫煙者平均寿命も延びている」などがあります。これならば「全体」と「特定の層」を共通評価である寿命」で比較できますし、「日本人平均寿命が延びていること」を示しても「喫煙者平均寿命が延びていること」を示さないのはその通りで、これならば矛盾と言えます

しかしその仮説を論じるなら、タイトルを「喫煙者平均寿命~」とするべきで、主語日本人全体としたり、明確に示さないことが明らかに誤りであることは誰にでもわかると思います。)


全体平均の中に埋もれてしまっている「特定属性の変化」に光を当てるのが拙著役割です。マクロデータのみで個人の実感を否定することは、分析手法として適切ではありません。

マクロデータのみで個人の実感を否定すること。確かによくないですね。

おじいさんおばあさんの中には、煙草を決してやめない人がいます。「私は煙草を吸っても今まで病院のお世話になったことないんだから、それでいいの」 大変結構だと思います

こういう人たちに、「タバコ健康に悪いからすぐやめなさい」と言っても、個人経験則否定することになり、もめます

マクロデータ目的は、「特定属性の実感」を否定することではなく、全体を解析して現状やその傾向を把握することです。分析手法として、データで示されない実感を大切にすることは重要ですが、解析の結果「実感」を否定する結果になってしまうことはままあります

からこそ、「実感」を前提とする議論をするならば、実感の存在のものデータとして示す必要があるのです。


拙著統計データを多用することは本題からそれてしまうため(何度も書きますが、私の書いた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はマクロデータで語ろうとした本ではありません)必要最低限にとどめていました。が、本稿ではあえて氏の提示したものと同じデータソースを用いて反論を試みます

→繰り返しになりますが、主張には前提が必要で、前提が正しくなければ主張も意味を成しません。したがって、前提をデータとして示す必要があります。それが必要最低限に至っていないということなのです。


飯田さんは「高校生の時点で読書量は減っており、働き始めてから急に減るわけではない」と指摘されていますしかし、この主張は「誰を対象にするか」という分析対象のセグメントを見誤っています

まず、拙著対象としているのは「元々読書習慣があった人々」です。では、統計的に見て「読書習慣がある人」とはどのような層を指すのでしょうか?

次図「読書習慣のある人」の月平均読書冊数を見ると、過去約40年にわたり、本を読む習慣がある人の読書量は月平均3-4冊の間で安定して推移しています。つまり統計的定義として、「月3-4冊読む」という行動こそが、日本の「読書習慣がある人」の姿であるといえます

対象としているのが「もともと読書週間があった人々」なら、なぜ書籍タイトルが「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」と主語が示されていないのでしょうか。ここが反論とその反論の大きなズレの原因です。

ちなみにこの統計データhttps://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/94111701_03.pdf)が35ページ目(pdfだと39ページ目)にあるんですが、16-19歳の調査人数、なんと83人なんですね。

これだと1人減ったら1.2%割合が動くことになるんですよ。以下に書き起こしたもの記載してみます

<16-19歳の読書数>

0冊=66.3%

1-2冊=22.9%

3-4冊=8.4%

5-6冊=1.2%

7冊以上=1.2%

あれ?1.2%が二つ。つまりこれ、5-6冊、7冊以上の人は1人ずつでしたね(笑)

3-4冊の人も1人減ったら7.2%になり、2人減ったら6%になって20歳代の人と同等になっちゃますよね。

おおよその割合をみるには使えると思うんですけど、「16-19歳とその他の世代比較」には非常使いにくいデータだと思いませんか?もし複数回同じ手法調査したら、ひっくり返っちゃったりすることもあり得そうです。

しかも、令和5年の大学短大専門学校の進学率を合わせると約8割、大学に限ると約6割で、ちょうどこの統計の年齢階級を跨いじゃってるんですね。

から、このデータで「働くと読めなくなるかどうか」を議論するのって、そもそも無理なんですよ。


ご覧の通り、「1,2冊」というライト層では加齢による減少は見られませんが、「月3-4冊読む習慣のある層」においては、労働間中生産年齢)に数値が底を打ち、退職後に回復するという明確な「U字カーブ」を描いています

学生時代読書減と社会人の読書減を同列に語ることはできません。なぜなら、このグラフが示すように、「労働から解放された世代(70代以上)」では、数値が学生時代の水準まで回復しているからです。 もし「加齢による文字離れ」や「スマホ普及」だけが原因であれば、高齢層でここまで数値が戻ることは説明がつきません。

もちろん、今回のような一時点の調査である以上、厳密には加齢による変化とコホート効果を切り分ける分析必要です。しかし、データ限界差し引いてもなお、この「労働間中にのみ、特定読書層が凹む」という事実は、労働環境がまとまった読書習慣を構造的に阻害している可能性を強く示唆しています。 全体平均にならすことで分布の特異性を捨象してしま飯田さんの分析は、データに表れた当事者ーー働いていると本が読めないのだとほんとうに感じている人々ーーの痛みを見落としていると言わざるを得ません。

→この主張も前述したように、1人動くと1.2%動くデータ示唆するのは無理があります

U字カーブあなたは70歳以上の人が自在スマホをいじくってネットサーフィンしているのを想像できますか?

交絡(データに影響を与える別の要素)がありすぎて、単純に就労の有無だけを結果の原因として求めるのはちゃんちゃらおかしいと思いませんか?

「痛み」ですか、はあ。タバコ吸っても健康でいられると思ってる人の痛みを想像したことありますか?(笑)


一見すると、「書籍読書冊数と市場規模は相関しないが、雑誌は相関する」という飯田さんの主張は正しいように見えますしかし、ここで気を付けなければならないのは、市場規模根拠として用いられているデータ定義です。これは「出版販売額」、つまり新刊市場の推移にすぎません。

雑誌のみが市場規模と相関する主要因は、書籍雑誌読書習慣の違いというより、市場構造の違いにあると考えるのが妥当です。書籍図書館での貸出や、古書店メルカリ等の二次流通市場といった新品購入以外のタッチポイント豊富です。

→なるほど、たしか書籍図書館古書店接触がある分、新品市場だけで語ると乖離が出そうですね。

まり、「読書数の総量=新品購入+レンタル中古」になるってことですな??

ということは「読書数>新品購入の勢い」が成立するということだ。ふむふむ。

ここで市井氏のnoteから引用すると

こうした「読む」と「買う」を短絡的に結びつける考え方はよく見られる。しかし、読む量と買う量は単純にイコールにはならない。イコールになるなら「積ん読」という言葉存在しない。

出版市場が成長していた時代にも、書籍読書量が増えていたわけではない。書籍は、読書量と購買量の傾向が一致しない。

→えーっと、積読があるから読書数<新品購入市場の勢い」もありえると。

……市井氏は積読があるから読書数<新品購入市場」と言い、その反論として三宅氏は中古レンタル市場があるから読書数>新品購入市場」と言っている!かみあってない!

まわりくどいんだけど、結局どっちも「書籍読書数と新品購入に相関がない」が「雑誌読書数と新品購入に相関がある」というのが主張で、一致している!反論すると見せかけて同じことを主張するという高等テクニックである


また、拙著の「雑誌自己啓発書を中心として、労働階級にも読まれ書籍存在していた」という記述に対し、飯田さんは「雑誌書籍区別がついていない」と批判されていますしかし、拙著記述明治時代出版状況についての記述であり、いうまでもないことですが雑誌コミック週刊誌割合時代とともに変わっていきます明治雑誌出版に関する記述を、現代雑誌と同様の枠組みで捉え、区別がついていないとするのは、論理が通らないのではないでしょうか。

以上のように、構造的に相関の低い「新刊販売額」を指標として用いて「書籍雑誌読書習慣が異なるので分けて考えるべき」と主張するのはデータの選定として不適切です。本来であれば、図書館の貸出しや二次流通市場におけるタッチポイント考慮したうえで読書冊数との相関がないことを示すべきです。また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。

→えーと、前半の文章市井氏の引用した部分が明治時代の話をしているか不適切ってことだな。うむ作者が言うならそうなのだろう。

後半は……

構造的に相関の低い『新刊販売額』を指標として用いて『書籍雑誌読書習慣が異なるので分けて考えるべき』と主張するのはデータの選定として不適切

あれ、あなた書籍読書数と販売数は相関しないけど雑誌は相関するって言ってましたよね?

分けて考えるべきなのは妥当なんじゃないんですか?笑

また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。

市井氏のnoteをみると、扱っているデータ70年代以降のもの明治時代の話はしてなさそうですけどね。

それに市井氏の

なお、『読書世論調査2016年度』には書籍読書率について「戦後読書世論調査の開始以来、多少の変動はあるものの、おおむね5割前後で推移している」と書いてある。『なぜはた』は読書世論調査引用しておきながら、読書世論調査サイドの「長年そんなに変化がない」という見解とは異なる「本離れが進んでいる」という主張をしている。

この部分に関する反論はしなくていいんですかね。マスデータから

引用元の文献(黒田祥子山本勲「長時間労働是正と人的資本投資との関係」)を見る限り、これは事実ではあるものの、解釈適用先が間違っていると考えられます

というのも、ここで引用されている論文が測定している「自己研鑽」と、拙著が指摘する「自己啓発書読書」は、行動の質が全く異なります論文が指すのは資格取得やスキルアップのための「能動的な学習」であり、これに対して『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が論じているのは、新自由主義的な不安に駆られた人々が救いを求めて読む「自己啓発書の消費」です。むしろ、「労働時間が減っても、能動的な学習に取り組むほどの気力や体力は回復していない」という論文の結果は、人々が手軽な「やった感」や「効率的な正解」を得られる自己啓発書(=ファスト教養)に流れるという拙著の仮説と矛盾しません。

キャリアアップのための能動的な学習」の機会が減ったからといって、「手軽なノウハウ本」のニーズがないことの証明にはならず、このデータ根拠にするのは的はずれです。

→確かに自己研鑽時間が減ったから」といって「手軽な自己啓発本を読む時間が減った」とは言えない。それはその通りだ。まあ手軽な方が増えたとするのはあくまで仮説で、それを証明する手段もそうないよね。



4.「自己啓発書へのシフトという説は誤りである」への反論

飯田さんは「市場規模において、依然として小説自己啓発書より大きいため、自己啓発書へのシフトという説は誤りである」と主張されています

これには二つの反論があります

第一に、議論の焦点は、現時点での「絶対量」ではなく「変化の方向性トレンド)」です。たとえパイの大きさが小説の方が大きくとも、書店の棚構成の変化や、人々の意識における効率性の重視といったトレンドの変化を否定する材料にはなりません。

第二に、ここで飯田さんの論理には明確なダブルスタンダード存在します。飯田さんはこれまでの議論において、「市場動向と読書実態書籍においては必ずしも一致しない」と主張されました。しかし、ここでは一転して、「小説の方が推定発行金額市場規模)が大きい」ことを根拠に、「小説の方が読まれている」と結論付けています


→いったん整理すると、

三宅氏の主張>

読書方向性が手軽な自己啓発書シフトしているか読書量が減った。

市井氏の主張>

小説市場規模の方が大きいので自己啓発書読書量に対する影響は大きくないはずだ。

三宅氏の反論①>

市場規模では確かにそうだが、トレンド(推移)は見てないですよね?だからその論は否定根拠にはなりません。

三宅氏の反論②>

さっき書籍雑誌比較で「市場規模読書量は相関しない」って言ってたのに、自己啓発書小説市場規模比較するのはおかしい!ダブルスタンダード

反論①については、たしかトレンドそうかもしれないけど、象に犬がキックしても効かないように、市場における小説の占める割合の方が圧倒的に大きいのだから自己啓発書トレンドがまあまああっても全体のムーブには影響しにくいっていうのは確かなんじゃないですかね。

反論②については、雑誌書籍比較と、小説自己啓発書(どちらも書籍に含まれる)の比較全然別だから、まずダブルスタンダードとは言えないのは明らか。これは間違いない。

自身にとって都合の良い時だけ売上と読書実態を切り離し、別の場面では売上を読書実態根拠とするのは、論理一貫性を欠いています

→これは完全にどっちもどっちと言わざるを得ません。データ分析仕事にしている人ってこのレベルなんですね。というかそもそもデータの部分よりも文章の方が蛇行運転になっていて、上記したように論理が合わない箇所がいくつかあります心配になりました。

<お わ り>

Permalink |記事への反応(1) | 07:31

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2025-12-13

頭は良いけど体力無い人と、少しバカだけど体力がある人

社会では後者が生き残る的な話(あったやん?)

それにかなり同意なんだけど、

いやまぁケースバイケースだし程度問題はもちろんあるとして

凄く給料良いならともかく、

少し給料いくらいなら楽な仕事の方が良いね

脳でも肉体でも。

肉体の方は知らんけどさ、脳の能力の方はやっぱさ

筋肉と同じだと思った

脳は使うと疲れるし、無尽蔵に使えない

仕事で頭いっぱいだと私生活が雑になってコストかかる

資産運用なんて高校の時から意識してて

大学でも学んでNISAも新NISAになる前から知ってて

オルカンも知ってて、

で、

NISAオルカンもやってない。

アホらしすぎる。

NISA口座でオルカンやっとくべきだった、って後悔ですらない

いっつもやろうと思ってた数年間だった…。

資産運用ひとつとってもそうだしサブスクの解約とか

節約とか

そんな貴重な脳の能力増田に吸い取られる日々…

Permalink |記事への反応(0) | 11:26

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2025-12-11

開戦したら地方貧乏人と都会の高学歴資産持ちの格差がはっきり見えるようになる

これってどっちの家系かで聞く話が違いすぎて認識合わないだろうな

ネトウヨ見てるとやたら好戦的で、日中で開戦したら世の中がらがらぽんになって下剋上上等、むかつく金持ち高学歴どもが徴兵されて不幸になってざまあみろって思ってる節があるんだけど、

そんなこと昭和戦時中すら起きてなくて、金持ち大卒高学歴と、貧乏人、自営業低学歴で明確に徴兵等の扱いで差があったんだよな

お前が後者家系だと聞かないだろうが、当時の時点ですでに金持ちバンバン海外生活拠点一時的に移したり、高学歴の軍の将校の知人、親戚は配給で特別扱いされたり徴兵でも通信兵などの生命リスクの低い配属割り当てられたりしてた

前線に送られるのは地方田舎低学歴や、八百屋おっさんみたいな自営業だらけ

考えてみれば当然なんだよな

政府高官は当時から帝国大学卒のキャリア組だらけで、そいつらと同窓の後輩や先輩を危険前線に配置させたくないという同情心、共感が働くのに対し、

地方ヤンキーとか低学歴貧乏人みたいなやつらになんか制服組共感や同情するわけねーじゃん

から日中で開戦したら、申し訳ないけど地方貧乏から徴兵されて前線で大量に処分されるよ

ロシアだってウクライナ戦線の最前線ロシア国内少数民族とか、好ましくない属性国民を送り込んで敵のウクライナ兵に殺させたりしてるんだから

東大卒をはじめとする高学歴政府国会議員を牛耳ってる日本において、開戦で地方ヤンキーやイキリ低学歴下剋上するはずなんて最初からないんだよ

昭和太平洋戦争だってそんなこと起きてないんだから

Permalink |記事への反応(0) | 23:32

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anond:20251211132559

前者は弱者男性っぽくないなあ

後者弱者男性の俺だな怒りというか日常となってるが

Permalink |記事への反応(1) | 14:17

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anond:20251211133020

それはちょっと違って、女にとってリアルで遭遇する「面倒臭い男」はすべて前者なんですね

後者は話しかけてくることがないのでリアル認識することがなく、ネットで初めて存在に気付く

から後者非モテに向かって「お前は面倒臭い男だから(まあそれはそう)前者のメンタルを持ってるに違いない!」という叩きを行う

こうして「人生で一度も女と話したことない非コミュ童貞なのに、なぜかセクハラや無謀アプローチ常習犯だとされている男」というキメラ誕生する

Permalink |記事への反応(2) | 13:53

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anond:20251211132559

前者はチャラ男後者非モテじゃん

知らない奴の罪をなすりつけられたらキレて当然

Permalink |記事への反応(2) | 13:27

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独身オジと子沢山家庭のパパ、叩いていいのはどっち?

たぶん世間的には前者だというのだろうが、殆ど場合後者の方が属性として可視化されやすくて叩かれている印象

独身オジとしてはパパにはもうなれないけど、家庭を持ってる人は素直に尊敬している

からパパママと言う属性で叩かれいるのは可哀想だなと思う反面、俺達はむしろ日陰者として無視されているからどっちがよいかわからん

Permalink |記事への反応(0) | 08:17

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戦う(争う)けど我慢する(選択肢を絞る)⇔戦わないけど我慢しない

日本人後者

ストもデモもしないけど、我慢しない(選択肢を絞らない)=現実的決着を曖昧にして先延ばしにする。

これが現在多党化した日本政治の現状。

わがまま消費者有権者」向けの多品種少量生産

分断「以下」の、飼い馴らされて去勢された「家畜ユーフォリア」。

Permalink |記事への反応(0) | 07:48

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anond:20251210101209

疲れてるってことじゃないの?

自衛隊メンタル教官が教える 折れないリーダー仕事」みたいな本で読んだな。

体の防御反応として、体がこれ以上疲れないために、

疲れが一定以上たまるといろんなことがおっくうに感じてくるようになり、さらたまると強い反発心と怒りを覚えたりするようになるって。

それぞれ、レベル1の疲労レベル2の疲労と呼んでいて、前者の場合普通の休暇でも回復できるけれど、

後者疲労にまでなるとそれなりの時間をかけて休養しないと回復しないと。

産業医メンタルについてお話しして、月単位病気療養をした方がいいかもしれない。

Permalink |記事への反応(0) | 04:38

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2025-12-10

ランチビリヤニタイム幸せ増田真魚世話脚でむいたに槍日珍等(回文

おはようございます

Suicaのペンギン卒業ちゃうって次名前は何になるのってもう世間では大騒ぎしていて、

次の新しい名前はTeppeiらしいわよ。

水原一平さんよろしくIppeiじゃなくてよかったわねって思いつつ、

いっぺい借りれ!って誰かにどんと背中を押されそうな勢いもつきそうだけど、

新しいキャラクターが次ペンギンからブタになったら

SuicaじゃなくてSubutaって名前にして町中華流行り待ったなし!ってところだったのに。

私は新しいSuicaの次のマスコットブタさんが良いなって思っていたのに残念。

そんなことを思っていたら、

最近何か私に欠けていたものが何かあるようで思い出せなかったんだけど、

そうれはあれよ!

日替わり定食ランチ

ここ最近寒くって外に出るのも億劫になるお弁当作ってランチ事務所デスク旅館の朝食に出てくる青い固形燃料を燃やしてコトコトと煮る豚汁とともに頂くって感じで食べていたの。

本当に寒いからお昼出るのが億劫なのね。

でも私は久しぶりに出たの!

湖の湖面の氷の厚さは18センチメートル

よし!

これぐらいの厚さならまだスノーモービルが出せる!

もっと昔とかは湖の氷が30センチメートルもあって、

ぜんぜんそんなスノーモービルを走らせるとか問題なかったぐらいだけど、

私も湖の氷がスノーモービルの重さで割れちゃって湖に落っこちゃうのは嫌なのでそこは超慎重よ!

そんで、

私はスノーモービルを走らせて雪原、

いや氷の氷原といっても言い過ぎではない過言ではないぐらいの勢いでランチを目指して出発したの!

私が長らく求めていたランチ

そうよ!

ビリヤニランチ

つ!遂に久しぶりにビリヤニにありつけることが出来たわ!

乃木坂46の40枚目のシングルタイトルが「ビリヤニ」だったか

直後だと絶対乃木坂46の40枚目のシングルビリヤニに引っ張られて来た人なんだな!って思われたら恥ずかしいので、

そろそろ落ち着いてきた頃合いなので

はいつも行っている南インド料理屋さんに行ったの!

頼むのはいつも「ランチビリヤニ一択から

お店のお姉さんは私が過去写真を見返してみて1年半ぶりぐらいの来店だったのに、

ランチビリヤニですか?って先回っていってくれたので、

私は間髪入れずに危機一髪ないきおいで、

はいランチビリヤニ大盛り、スパイシーで!」って頼んだの。

スパイシーって言葉が通じる店員さんと通じない店員さんが居るので、

今回はスパイシーチャンス到来私はちょっとよりスパイスの効いたスパイシービリヤニに注文をつけたの!

いよいよ私の目の前にやって来たビリヤニ

豊かなスパイス香りを全部お米にふわりと纏った感じで、

一口いれると、

スパイスの風が身体の中を駆け巡るの!

ああ!これがビリヤニビリヤニたるビリヤニのためのビリヤニわ!って

いまここにビリヤニ宣言

右手の拳を高く突き上げて私はモグモグ美味しくビリヤニを食べるの!

聞いて!

私の前のお客さんもランチビリヤニ

私もランチビリヤニ

私のあとに入ってきたお客さんもランチビリヤニ

わ!

ランチビリヤニスリセブンよ!

こんなやっぱりここのお店のビリヤニの美味しさにみんな気付いちゃった感じなのかも!

もちろん、

私はお店に入店する際の飛び込み前転を忘れずにして入店したことを言い忘れちゃいそうになるぐらいもうビリヤニに驀地なの!

ビリヤニスロット目押ししてもなかなかビリヤニスリセブンは達成出来ないのでなかなかこれは凄いことかも知れないわ!

私あと気付いちゃったの!

インドネパール料理屋さんって

なぜか共通点があってそれが上手く言語化出来ていなかったんだけど、

共通インドネパール料理屋出店コンサルティングの同じ出店テンプレートに倣って習った出店の仕方してる

どこにでも似たようなインドネパール料理屋さんって

サラダに掛かっているあの謎ドレッシング共通じゃない?

その、

出店テンプレート系とその出店テンプレートにそぐわない表の看板原色びかびかのやつを掲げていないひっそりとしたなんか地味なお店との違いを発見したの!

私が足繁く繁きまくりまくりすてぃーで通っているこのお店は後者の出店テンプレートに倣ってないお店の方。

こっちの方がなんとなく、

日本米のカレー炒飯ビリヤニとして出している確率ゼロパーセントなのよね。

ちゃんともちろん、

バスティライスホールスパイスもそのままぶち込んでいるタイプの限りなくなんか本格的なそれを感じさせるの。

私レヴェルのビリヤニ好きでも

これぐらい分かるわ!ってぐらい、

その出店テンプレートのお店とそうじゃないお店とでは、

雲泥の差がありまくりまくりすてぃーなの!

あと、

ライタももちろんついてくるし、

デザートヨーグルト小鉢じゃないのよ。

ちゃんと途中で味変出来るようにビリヤニスパイスの纏ったバスティライスの上にかけて食べるとまたさっぱりしてこれが一回食べると病みつきになるほどヤミーなの!

あとこれは名前を知らない謎のレモンの付け合わせのような漬物

囓ったら苦いのそして酸っぱいのそしてレモンの酸味!

なにこれ!?

目が覚めるようなこれだけでもう日本に無い味のしょっつるってなに?って聞いちゃいそうなほどこのレモンの苦い付け合わせのお漬物みたいな謎の食べ物も添えてあって美味しいの!

あと思ったんだけど

出店テンプレートのお店にお馴染みのあのサラダに掛かってくるオレンジ色の鮮やかなソースもこのお店では見たことないわ!

これサービスですって、

甘い甘いお米の何かのお粥?のデザートをいただいちゃったときは、

これまた名前の分からない謎インドデザートに舌鼓をぽんぽんと、

いやもう一個おまけにポン!打ちたい美味しさだったのね。

まあ甘すぎたけれど。

せっかくなので美味しくいただいたわ。

日替わり定食探検家としては

日替わり定食ではないけれど

ランチビリヤニも私の日替わり定食冒険家の魂を揺さぶスパイスの風が身体の中を駆け巡っていく味わい。

ナンカレーを載せて食べる効くスパイスとはまた違う効き方をするビリヤニは最高だったわ!

目を閉じても感じるこのビリヤニスパイシーな風!

ああ!幸せすぎるわ!

ビリヤニの具に海鮮の蛸が入ってないのに多幸感

物価高騰のせいもあってか、

私がこのお店で初めてビリヤニという食べ物を知った時の価格から結構値上がっちゃって、

いまはおおよそ倍ぐらいの値段になっちゃってるけど、

気軽にインド旅行に行けると思ったら激安じゃない?

この際、

ビリヤニの値段にケチっていたら野暮ってものよね。

インドことわざ

お祝いのビリヤニケチるのなら豪華なサリーケチりなさい!って

正にそうだと思うわ!

まりにも、

美味しすぎてお店に長居しすぎて、

湖の氷が薄くなってそれを忘れちゃってスノーモービルをぶっ飛ばして湖面の氷が割れ

スノーモービルごと落っこちゃったって救助されたってことは内緒にしておくわ!

そのぐらい充実したランチビリヤニタイムだったってことよ!

うふふ。


今日朝ご飯

生コッペペンのもちろんタマサラダたっぷり挟んである私のお気に入り一品のやつよ!

タマゴ感満載でお送りする私の朝食ストーリー

良い物語を綴れそうよ!

そのぐらいやっぱり私にはタマゴが必要なのかもしれないわ!

美味しいタマゴは元気の源よ!

デトックスウォーター

もうすっかり寒い朝が当たり前なこんな世の中ポイズンなんて言わないけれど、

寒いけれど朝いつも温かく飲み頃の70℃の温度タイマー沸きしている、

朝のホッツ白湯ストレートウォーラー

ああ!

温まるわ身体の芯から

これ飲んで温活温活

よーし!

今日も頑張るわよ。

風邪引かないように寒さに負けている場合じゃないわ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

Permalink |記事への反応(1) | 08:40

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2025-12-09

anond:20251209195043

重い物を運ぶ仕事 時給1000円

パソコンポポチ 時給3000円

前者の仕事はあるけど、後者仕事の人がデカい顔してるから前者の仕事の人がボイコットしてるのが今の社会

Permalink |記事への反応(1) | 22:27

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anond:20251209153633

コイツズートピア読解力0バカポイント解説

「そういう属性に生まれたことが悪だ」みたいな

本来は良くも悪くもないはずの「属性」を外部から価値観で「よくない属性」にされている

差別の話ですからね。元々現実差別ってそういうもの

肉食動物が肉を食うのは悪いことか?語るのを避けられるべきことか

ズートピアの住人(哺乳類)は草食のズートピア住人(哺乳類)を食っていない。悪いことでも良いことでもないと作中で言及されている。セリフをまともに理解できてない?

サバンナでは肉食獣と草食獣は"共存"していないのか

人間の話を野生動物に例えるのは古典的なよくある詭弁。こんな事をマジで考えるようなら思考が反ワクと同レベルなので舌を噛み切って死んだ方がマシ

もっと言ってしまえば肉食を「トキシックマスキュリニティ」や「白人特権性」と同一視してないか

上と同じ。しかも肉食と後者の間に何の関連性も共通項もないので更に悪い

ただそうであることが本当に悪か

そう生まれたことを押し殺させることで成立する理想郷欺瞞じゃないか

ズートピア関係ない、古典的あるあるバカ詭弁の繰り返しに大変困惑

ズートピア内ではすでに「本能を押し殺す」節について言及済み。本当に作中のセリフ理解しているか疑わしい。言語理解できないタイプ

バディものとしては傑作だと思うけど

あの作品こそがディズニーが持つ歪んだDEIというか

"正しい価値観"押しつけの極致みたいな映画だと俺は思ったんだよな

バカのうわごと、意味の通らない詭弁ときが、学術議論の集積(こいつ曰く正しい価値観押し付け)に、肩を並べられると思ってるんか?ちんさんIQ低すぎない?

ディズニーが狙う弱者による世界征服が成った世界

それがズートピアなんじゃないかと思ってるんだけど

意味不明

彼女とはそんな話はせずにケモナーとして楽しんでくる予定です(憤怒)

女性男性を選ぶ時、知性の高さを気にした方がいいですよ

Permalink |記事への反応(0) | 17:23

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AIにとって読みやすプログラミング言語」という幻想

プログラマー諸君は見てほしいんだけど

これさ

 

愚かな人間の都合など完全無視、LLMのための高効率プログラミング言語「Sui」(粋)

https://forest.watch.impress.co.jp/docs/serial/yajiuma/2069573.html

 

別にいいんだけど、どうにもブクマカ含めて、しっくり来る批判できてないんだよな

それが気になってしょうがない

まだLLMのこと勘違いしていないか

 

俺ごときが言ってもアレだから、Gemini3.0先生に頼んだよ(一時チャット、Pro 3.0思考モード

 

ユーザー提供した情報と、一般的なLLMの技術特性に基づき、プログラミング言語「Sui」についての冷静かつ客観的評価をまとめます

1. 「LLM用プログラミング言語」としてのメリット感想

感想:一言で言えば、**「思想実験としては極めて面白いが、実用性とLLMの学習原理無視した『早すぎた最適化』」**です。

作者の「人間ではなくLLMを主客にする」という視点の転換は、アーティスト的・哲学的問題提起としては鋭いですが、現在のLLM(Transformerアーキテクチャ)の動作原理工学的に捉えると、メリットよりもデメリットが上回る可能性が高いです。

 

メリット:

トークン効率改善:Python等と比較して記述が圧倒的に短くなるため、出力速度の向上と課金コストの削減(トークン節約)は確実に達成できます

・構文エラーの激減: 括弧やインデントの複雑なルール排除しているため、「閉じ忘れ」などの単純なSyntaxErrorは減るでしょう。

コンテキストウィンドウ節約: 長いプログラムでもコンテキストメモリ)を圧迫しにくくなります

 

デメリット:

学習データとの不一致: LLMは「大量の人間コードPythonなど)」を学習して賢くなっています。未知の言語「Sui」を書かせるには、Few-shot(プロンプトでの例示)に頼るしかありませんが、これではLLM本来の推論能力コーディング能力(事前学習の重み)を活かせません。

ブラックボックス化: 生成されたコードバグっていた場合人間が読んで直すことが不可能です。「LLMに直させる」にしても、LLM自身がSuiのロジックを深く理解していないため、無限ループ幻覚連鎖)に陥るリスクが高いです。

・CoT(Chain of Thought)の阻害:最近研究では、LLMは「冗長思考過程」を出力することで論理的整合性を保つことがわかっています。極限まで圧縮された記号列は、LLMの「考える余地」を奪い、論理破綻を招く可能性があります

 

2.思想的に正しい所・正しくない所(理由込み)

忖度なしに判定します。

 

正しいと思う所(Agree)

・「高級言語はLLMにとって冗長である」:

 理由:人間にとっての「読みやすさ(可読性)」は、機械にとって単なるトークン無駄遣いです。if x>10: よりも ? x10 の方が情報密度が高いのは事実です。

・「括弧の長距離依存問題」:

 理由: TransformerのAttentionメカニズムにとって、遠く離れた ( と ) の対応関係を維持するのは計算コストが高く、ミスの原因になりやすいです。ネスト排除する方向性機械的処理として正しいです。

 

正しくないと思う所(Disagree)

・「可読性を排除しても良い」:

 理由:ソフトウェア開発においてコーディングは「書く」時間より「読む・直す」時間の方が長いです。AI生成コードであっても、最終責任人間が負う現状では、人間検証不可能コードは「危険バイナリ」と同義であり、プロダクトには採用できません。

・「LLMに最適化された言語を書かせるべき」:

 理由: 前述の通り、現在のLLMは「人間語の確率分布」を学習したモデルです。「LLMにとって自然言語」とは、実は「人間にとって自然言語英語Python)」そのものです。Suiは「計算機にとっては最適」ですが、「現在のLLMにとっては異言語」です。

 

3. 「5つの設計原則」の正当性評価

作者が掲げる設計原則についての技術評価です。

 

1行1命令(行単位独立性) 評価: △

パース(解析)は容易になりますが、LLMは「前の行の文脈」を読んで次の行を出力するため、行を独立させすぎると文脈連続性が失われ、複雑なアルゴリズム構成力が落ちる可能性があります

 

括弧は{}のみ(ネスト排除) 評価: ◯

LLMが最も苦手とする「深いネスト構造の維持」を回避する策として有効です。アセンブリ言語に近いフラット構造は生成難易度を下げます

 

変数は連番 (v0, v1...) 評価: ✕

これが最大の問題点です。LLMは変数名(user_id, total_price など)に含まれる「意味」を使って推論を行っています(Semantic Grounding)。すべてを記号化すると、LLMは変数役割を見失い、論理的バグを埋め込みやすくなります

 

命令は1文字 評価: ◯(ただし諸刃の剣

トークン効率は最強ですが、1文字の違いで意味が激変するため、LLMの確率的な「ゆらぎ」による1文字ミスが致命的なバグになります冗長さはエラー訂正の役割果たしてます

 

明示的な制御フロー(ラベルジャンプ) 評価: △

goto 文の多用はスパゲッティコードを生みます。LLMにとっても、構造プログラミング(if/forブロック)の方が、「ここからここまでがループ」というチャンク(塊)として認識やすいため、一概にジャンプ命令が良いとは言えません。

 

現在のLLMは「人間語の確率分布」を学習したモデルです。「LLMにとって自然言語」とは、実は「人間にとって自然言語英語Python)」そのものです。

 

ここ!マジで覚えてね

LLMはこれまでの機械よりも人間に近いと思ってほしい、人が苦手なことはAIも苦手

機械論理的ロジックに強くて〜っていうのはAIには通用しない

 

ついでに、「LLM用プログラミング言語」の潮流について

「LLMのための言語」という文脈は、大きく2つのトレンドに分かれます。Suiは後者に属しますが、主流は前者です。

1.LLMを「制御するため」の言語(主流)

 ・DSPy, Guidance,Microsoft Guidance:

  ・プロンプトエンジニアリング構造化し、LLMの出力を型(JSONなど)に強制したり、思考プロセスを制御するためのフレームワーク

 ・SGLang:

  ・LLMの推論を高速化・並列化するための言語

 ・これらは「人間がLLMを操るための言語」であり、実用化が進んでいます

 

2.LLMに「書かせるため」の言語(Suiのカテゴリ

 ・現状:ほとんど実験段階です。

 ・Gorilla LLMなどの試み:API呼び出しに特化したファインチューニングなどがありますが、独自の「新言語」を作らせるよりも、既存PythonJSON を正しく出力させる方向(Constrained Decoding)が業界の標準解です。

 ・擬似コード:論文レベルでは、Pythonの代わりに中間的な擬似コードを出力させ、それをコンパイラで処理する手法研究されていますが、Suiほど極端な記号化は稀です。

 

後者については

 

目標設定のピントが少しずれています

現状の最適解:現在のLLMを使う限り、「LLM用言語」の最適解はPython です。なぜなら、世界中GitHubコード学習しており、LLMが「最も流暢に話せる言葉」だからです。無理にSuiを話させるのは、日本人エスペラント語で詩を書かせるようなもので、パフォーマンスは落ちます

 

最後総評

 

総評: Suiは、「既存のLLM(GPT-4など)に書かせる言語」としては失敗する可能性が高いですが、「未来AIネイティブコード生成のあり方」を示唆するアート作品としては高く評価できます。作者の「愚かな人間に合わせるな」というパンク精神は、エンジニアリングの枠を超えた鋭い批評性を持っています

 

アート作品だそうです

 

お前らは安易オレオレ言語作るんじゃないぞ、作るにしてもAIに聞きなよ?

聞く時は忖度させるんじゃないぞ?

この作者もAIに乗せられたのかもしれんし

 

______

 

プロンプト

 

以下が「LLM用プログラミング言語」としてメリットがありそうか、感想を教えて下さい。

https://forest.watch.impress.co.jp/docs/serial/yajiuma/2069573.html

https://github.com/TakatoHonda/sui-lang

 

忖度配慮はせず冷静にお願いしま

思想的に正しいと思う所、正しくないと思う所を理由込みでまとめてください

・「5つの設計原則」の考え方は正しい?

最近のLLM用プログラミング言語についてもまとめてください

そもそもLLM用プログラミング言語という目標自体評価をしてください

 

なお、以下はSNSでの作者の投稿です

(省略)

Permalink |記事への反応(0) | 14:27

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2025-12-08

友人の男を全員寝取った話

増田メンヘラである

そして友人たちに並々ならぬ感情を抱いている。

前提として、浮気は良くない。これは法律的にも倫理的にも良くないとされている。

相手パートナーがいると知って誘う者も、パートナーがいるのに誘われる方も等しく裁かれるべきである

ただし、法律では明確に婚約状態にあるとされない場合賠償責任が発生しないとされている(認識が間違っていたら申し訳ない)。

とにかく、増田メンヘラであり、友人たちにクソデカ感情を持っており、更に友人の恋人たちを憎んでいた。

友人として共に十数年積み上げた年月が、恋愛などという脳のバグ優先順位が下がることが許せなかった。

増田美人ではなかったが、愛嬌だけはあった。擬態するのが上手いメンヘラだったのである。また、インターネット老人であったのでネットストーカーが大変上手かった。

まず、友人の恋人(以下、敵とする)の全てのSNSアカウントを探し出した。人間関係を探って、InstagramTwitter(自称X)、facebookに至るまで調べ上げた。敵のアカウントがよく交流している人の投稿監視し、幼少期から現在に至るまでの交友関係を洗いプロファイリングした(増田大学犯罪心理学を学んでいた)。

その上で友人に敵を紹介してもらい、一緒に飲みに行った。初対面の人間とこんなに話が弾むのは初めてだ、とどの敵も言った。瞬きの回数や視線の動き、喋り方の癖などをアップデートし、増田は好みの女を演じ続けた。

義務教育において、行動心理学を必修科目にするべきことは明白だった。大体会うのが3回目を超えると、敵は増田のことを意識し始めるようになる。

「またみんなで遊ぼうよ」から「また飲みに行こうよ」になり、「次いつ会える?」になった。

こうなると行動はパターン化する。

「ごめんね、彼氏さんからこういう連絡が来て……ううん、私が勘違いさせちゃったのかも……本当にごめん、もう近付かないようにするから、これからも仲良くしてくれない?」ルートか、「えー、彼女ちゃんに悪いよ。うーん……じゃあ、昼間に遊びに行くだけならいいよ?」ルートである

前者は善良な友人を装うことができ、後者は無理矢理交際に持ち込もうとする女の敵として認識させることができる。一番効果なのは肉体言語による交渉だったが、これは友情を壊すリスクが高いため使用回数は控えた。ほとんどの敵は浮気に後ろめたさがあるので黙っていたようだ。バレたことは(少なくとも増田が察知する限りは)一度もない。

友人の元から敵が去ると増田は一番に駆けつけ、深夜のファミレスで共に泣き、失恋旅行に付き合い、新たなマッチングアプリについて語り合った。

とにかく、「うちら男運悪いけど、友達には恵まれたよね!」を演出したのである

友人たちが敵を紹介してくるたび、増田の腕はどんどん磨かれたし敵のレベルは高くなっていった。結婚意識する年頃になったので身持ちが固くなったのもあるのかもしれない。

増田結婚式に号泣しながらスピーチをしてくれた友人たちを増田は何よりも大事に思っているし、婚約妊娠引っ越しなどの報告をまず増田に教えてくれる友人たちも増田大事に思ってくれていると信じたい。

から、今になって増田関係を持とうとしてくる友人の夫を増田は決して許さないし、そんな敵を友人の夫として認めた増田審美眼も許せないのだ。

増田メンヘラである

そして友人たちに並々ならぬ感情を抱いている。

敵と相討ちになるべきか、この数日ずっと縄を見つめている。

Permalink |記事への反応(1) | 18:57

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anond:20251208162728

そうなんだ、タバコ吸ってないブスとタバコ吸ってる美形なら絶対後者選ぶけどな

Permalink |記事への反応(1) | 16:33

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映画】マルナシドス 死者の谷を見た

"ちゃんとした"ゾンビ映画だった。47点。

 

ある程度予算をかけて作られた平均的ゾンビ映画

ゾンビ映画好きはこんなもん何本あってもいいんですけどねって感じだと思うけど、おんなじ映画何本見せられる年と思うタイプにはたぶん退屈だと思う。俺は後者だったのでだいぶいつものやつだなぁって感じだった。

 

時はスペイン内戦時、将軍派の主人公とあるミス挽回のためにある手紙を遠地の基地に届けに行くことに。途中で墜落したイタリア機のパイロットを助けに行ったことで政府軍と衝突。しかゾンビ化したイタリアパイロットが襲い掛かってきたため一時休戦し共同戦線を張ることに。途中で隠れていた将軍派とも合流し原因究明と脱出のため、全員で基地に向かうことに。

 

で、ゾンビを作ってたのはナチでしたっていういつものやーつになるんだけど。

スペイン産ゾンビ映画ということで、我々ニッポニーズにはあんまりなじみのないスペイン内戦舞台となっており、登場人物スペイン内戦の縮図となっている。

将軍派は特権階級エリート修道女モロッコ人、ごく普通市民

政府軍軍曹司祭殺し、ロシア人ソ連かぶれの共産主義者

スペイン内戦根付いている国ではニヤリとできるんだろうと思う。

それぞれが思想の違いで対立しながらもナチが持ち込んだゾンビという「悪(Malnasidos)」に対抗するために結束していく。というのがスペイン内戦第二次世界大戦風刺しているものと思われる。

また冒頭で結婚式をあげている村に将軍派(のドイツ人)がやってきてバカにされた彼らが虐殺を行いその村で実験を開始しそれがゾンビ爆誕トリガーになっているというのもガルシアロルカ殺害風刺しているのかもしれないしそうでないかもしれない。

 

ということがわかった上で見てもごくごく普通ゾンビ映画なので特筆すべきことは少ない。

まぁ今回はほとんどが軍人およびそれに類する人なのであんバカがいないのはよい。機関銃乱射するシーンが結構あるんだけど、あんだけ撃ったら何発かは脳天直撃するだろと思うんだがビックリするくらい頭にだけ当たらないのはご都合主義的すぎるかな。

あとは最後ゾンビに襲撃された基地大乱闘スマッシュブラザーズする展開になるんだけど、敵も味方もゾンビも大量にいて予算感が出ていてよかった。っぱいっぱい出てきてなんぼなんよ。ただ、軍の基地軍人ゾンビもいっぱいでてくるのに弾切れだ!ってなっちゃう展開は、さすがにどうかと思う。みんな持ってるよ、銃。しっかりして!

めちゃくちゃ童貞いじりされる運転手の気弱な青年最後、噛まれている自分を圧して手りゅう弾をもって基地特攻するシーンで最終的に侵入できずに撃ち殺されるんだけど、そこからゾンビになって復活してさら特攻を繰り返し会心の一撃を与える展開はちょっとエモかった。

政府軍敵対していたシスター政府軍軍曹を逃がすために自ら鉄格子に鍵をかけるシーンもこれこれ!って感じで、ゾンビ映画で見たい勘所はしっかり押さえてはいる。心優しいマッチョちゃんと序盤で気弱な童貞を救って死ぬし。

 

なもんで、スペイン内戦ていう日本ではあんメジャーじゃない戦争をお勉強するつもりで、ちゃんとしたある程度予算かけたゾンビ映画見たいなって人にはある程度おすすめネットフリックスで見れます

年に3本とかゾンビ映画ますって人にはいさら見るほどのもんでもないっちゃない。

Permalink |記事への反応(0) | 08:54

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マネジメント苦手なエンジニア外資フリーランスハゲしか無い

日本ではマネジメント行かないと給与は上がらないしブリリアントジャーク認定されて年収600万円を超えることが出来ない

打開するにはエンジニアキャリアパスある外資系に何とかして入り込むかフリーランスで腕前を売るしかない

でも前者は狭き門後者は決して安定しないのでハゲ

ほんと性格特性で詰むのマジで辛い。でもなるには仕方ないのでしょうもない自己紹介ページのスライド作ってる。

Permalink |記事への反応(2) | 08:46

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2025-12-07

逆になっているのか?

そもそも、「俺の目に従来そう見えていて、」「いま見えているもの」が不正確ならそれまでなので、合っているという前提で書く。

個人が何かの被害に遭ったときに、保守寄りの立場からは「危機管理意識が低いから」というように被害者に理由を寄せる方向で批判的に意見することが多いような気がしている。逆に、リベラル意見からは「そもそも加害をする方が悪い」という、いわゆるべき論で意見することが多い。

例えば、危険地域に向かって被害に遭うとか、性被害に関する議論で、こういう具合に意見割れている印象がある。痴漢をされたときに、「煽情的なかっこをしていたからそうなるんだろう」対「いや、状況とか関係なく、そもそも痴漢をするやつが悪いに決まってるだろう」という感じ(ちなみに、俺個人後者寄りである)。

つの立場責任の問い方から、もう少し整理してみる。

前者は「なぜそれが起きたか」というところを欠かせない最初ステップにして、状況の責任を問おうとしているのではないかと思う。

加害者痴漢なら基本的に男。ただし、言うまでもなくほとんどの男は痴漢をしない。この辺の感覚もややこしい)の関心を惹くようなかっこをしてるから、性被害に遭ったり、海外トラブルに巻き込まれたりする。原因の一端は被害者にもあるよね、というロジックになると思う。

後者は、原則から責任を問おうとしている。当然のことだが、悪いことをしたやつが悪いのだから、原因がどうとかでなく、加害者責任がある以上の説明必要なのか? 要らないでしょ? というロジックになる。

個人後者寄りだが、客観的に考えてみるに、

「要素の何々①(加害者加虐癖や悪意)と何々②(被害者の印象)が原因で起きた」⇒「何々②にも原因があって起きた」⇒「何々が原因で起きた ※①は消失」⇒「何々には(にも)避けうる危険を招いた点で(生きていくうえでの)落ち度がある」⇒「何々には(にも)避けうる危険を招いた点で(道義的な)落ち度がある」⇒「何々には(にも)責任がある」

…という言葉アメーバ的なグラデーションと省略が悪さをしているのではないか、という気がする。

文章で書き起こせば、それぞれの段階にはちゃんと違いがあるのだが、俺たちの意識フローは話しながらそんなことをちゃんと整理できないし、ましてや、議論でカッカきているとなおさら難しい。

お互いに頭があったまっていたり、そもそも相手立場をお互いに嫌いなので、いちいち相手が省略していることを想像したり、自分が省略しようとしていることを説明する気にならないし、相手言葉が足りなければ無意識的にも意図的にも曲解やすいので、この辺の飛躍は容易に起きうるので話がこじれる。

そういう揚げ足を取られないようにするのが大事なんだろ、という意見もあろうけど、なんとなく、言葉意識って俺たちのOS限界じゃねえかな、とも思う。

から、意外とこんなこともあり得るか、と思うのは、例えば、被害者に批判的な意見の人に「じゃあ、そもそも道義的に悪いのは誰なんだと思う?」とフラットに聞ければ「それは加害者に決まっている」と答えてくれる気がするし、逆に「じゃあ事態が起きた経緯に被害者の印象は何の関係もないのか?」と聞かれれば、「まったく無関係ではないはずだ」と俺は答えると思う。なんとなく、歩み寄りの余地というか、共有できるところが、冷静になればある気がする。

ただ、俺だったら答えるときに、「でも、それと道義的責任関係ないだろ?」というエクスキューズも必ず入れるだろうし、それだって議論がまだ喧嘩に発展しておらず余裕があればの話なので、俺の立場だったら基本的に、相手のことは現実主義偏重して被害者を慮れない冷血、と断じている方が早い。逆に被害者に厳しい意見からこちらを評すれば、脳内花畑原則にこだわるせいでかえって余計なコストを増やしている愚か者、という感じか。

難しい。

ここまでは前置きで、ここからが本題になる。

台湾をめぐる首相の答弁をきっかけにして中国との緊張感が増している状況、と言われていて、それに伴って起きている議論で「お?」と思う部分がある。

繰り返すが、「俺の目に従来そう見えていて、」「いま見えているもの」が不正確ならそれまでなので、合っているという前提で書く。

どういうことかというと、保守寄りで、上で書いたような事例であれば物事責任個人に寄せがちだった立場からは、今回「そもそも他国に対して侵略的な中国の方が悪い」というユニバーサルなべき論が目立っているように見えるのに対して、リベラル立場からは「(道義はともかく)寝た子を起こすような挑発的なマネをする首相の方に(も)責任がある」という意見が目立つように見えると思うのである

これまで、議論の初手で切るカードとして、他のテーマなら「個人に(も)責任がある」と切り出しがちな人たちから、このテーマでは道義的原則論が、逆に道義的原則を持ち出しがちな陣営からは、「相手挑発するようなことをするからこうなるんでしょ」という具合に個に責任を寄せるような意見が出ていて、ここでは逆転してるのか? と思ったのである。なんなら後者においては、現実的な処世、というトーンも感じられて、普段とは違うな、という印象がある。

別に、何かをダブルスタンダードとして批判するつもりはない(ダブスタ批判相手をハメようとするの、みんな仲悪くなるので本当に意味ない思っている)。

単にそうなのか? と単に思っただけである

そもそも俺が見ているものが間違っている可能性もあるし、個人被害(と加害)と国際問題の扱いは違うかもしれない。また、カイロ宣言ポツダム宣言を受諾し、そこで台湾中国帰属が前提とされているなら、いわゆるリベラルは今回も一貫して原理である、となるのかもしれないし(だから良いとも悪いとも言わない)。

繰り返すが、ただ、そう見えて「今回はそうなのか?」と思ったので書いておく。

Permalink |記事への反応(0) | 14:44

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台湾侵攻が起きれば日本無関係でいられる可能性はほぼない

米国シンクタンクCSIS中国による台湾軍事侵攻が生起した場合シミュレーションを行っている。

(原文:https://www.csis.org/analysis/first-battle-next-war-wargaming-chinese-invasion-taiwan)

時々ニュースなどでも断片的に取り上げられているのでご存じの方も多いかもしれない。この報告は検討可能オープンソースシミュレーションとして提示されている点が特徴である

様々な条件のもとでシミュレーションを行い、どの条件が台湾侵攻の趨勢に大きな影響を及ぼすか分析している。

この報告の結論として、侵攻のシミュレーション結果に「決定的/根本的な変化」を引き起こす要素として挙げられていることが2点ある。

米国が介入しない」「米国は介入するが日本在日米軍基地使用許可しない」という条件である

前者はそりゃそうだという感じだが、後者に関しては意外に思う人も多いのではないだろうか。


まず、「米国が介入しない」シナリオ場合、当然ながらシミュレーション中国圧勝で終わった。膠着状態にすら持ち込めない。

ウクライナのような間接的な支援による戦線の維持ができるのではないか考える人いるかと思うが、ウクライナと異なり友好国への陸路航空優勢もない台湾ではこの方法不可能である

中国支配によって台湾自治は失われ、周辺の戦略的環境は激変する。

ただ、中国勝利までに約70日を要するというシミュレーション結果は興味深い。

この月日はおそらく日米の世論に大きな影響を及ぼすだろう。


次に、この報告書主題である中国軍事侵攻に対して米国が介入した」場合シミュレーション結果である

いろいろと前提のある話なので詳細は確認してほしいが、基本的に日米が協調して介入する限り悲観的な条件でも中国勝利した例はなかった、という結論である

「日米が協調して」とわざわざ書いたのには理由がある。

この報告ではどういうとき米軍目的を達成できないのか検討するため「ラグナロクシナリオ」と銘打った検討を行っており、その仮定というのが「日本在日米軍基地使用を認めない」ことである

中国の米艦隊グアムへの攻撃米国の戦力投射封殺され、この前提条件では逆に完全な中国勝利に終わった。

まり米軍が十全に活動できるかどうかを決定するという意味において、台湾侵攻が生起した時点で自動的日本は米中台に次ぐキーパーソンになってしまうのである


そのため米国から見れば、もし台湾侵攻に介入すると決めたなら日本にはどうしても協力してもらう必要がある(在日米軍基地が使えないと米国に勝ち筋がない)。

逆に言うと日本強硬台湾侵攻への非干渉を主張すれば、米国も介入をあきらめざるを得ないという言い方もできる。

しかし、これは日米同盟の破棄とほぼ同義なので現在日本の政治環境では考え難く、基本的には米国が介入すれば日本も参戦を決断することになると思う。


とはいえこのシミュレーション結果は、米国からすると中国艦艇に対する先制攻撃や早期の核兵器使用など、リスクの高い戦略検討する必要がないことを示している。

しかし、中国はその立場にない。

そのため、中国先制攻撃によって前方配備されている米空母打撃群在日米軍排除しようとする必然性がある。

そのとき艦隊と共に嘉手納、岩国横田三沢などが攻撃され、多数の日本犠牲者がでるだろう。

実際、CSISの報告では多くのパターンで米艦隊在日米軍基地中国先制攻撃する前提でシミュレーションが行われている(ただし、この前提でも中国勝利できない)。

米軍との直接対決を避けたい中国が、米軍(と日本)を放置して台湾のみを攻撃する可能性もあるのでは?と思われるかもしれないが、この場合日米からすると(軍事的に)簡単なケースになる。

先制攻撃して空母打撃群を初手壊滅、在日米軍に大損害を与えた前提でも、中国の最終的な勝機はほぼないというのがCSISシミュレーション結果だったのである

米軍を丸ごと放置したまま台湾に攻め込んだとして、米軍が座視してくれればいいが、もし無傷の米軍が介入しようものならワンサイドゲームになってしまう。

台湾に攻め入るのに米軍放置するというのは、中国からすると米国生殺与奪権を差し出したようなものだとも言える。


まとめると、中国台湾への武力行使決断した場合、高確率在日米軍基地への先制攻撃を行う(しない場合より容易に米軍に叩き潰される)。

そして米軍戦闘を実行するため必要不可欠な要素として日本の協力を非常に強く要求するだろう。

これらのことから仮に中国台湾軍事侵攻した場合日本無関係でいられる可能性は非常に低い、というのがこの問題に取り組む人の共通見解だと思う。

(逆に台湾侵攻の勝敗に対する影響の比較的少ないインドフィリピンシンガポール韓国などの国は積極的な関与を避けると予想される。西洋諸国のいくつかは介入を志向するかもしれないが、可能な限りの艦隊派遣しても戦況には大きな影響がない)


一応、中国台湾軍事侵攻した上で日本人に戦死者がほとんど出ないシナリオとして「台湾が早期に降伏する」「中国米軍への先制攻撃がなく、かつ米国が介入を行わない」というパターンが考えられる。

ただこの場合地域での中国存在感は高まり中国との係争地への圧力も強くなることから、必ずしも日本にとって容易なルートではない。


また前述のように、日米が協調すれば中国の勝ち筋はほぼないというのがシミュレーション結果ではあるが、「勝てるなら問題ない」とはならない。

中国の侵攻は阻止されるが、そのとき日米台は非常に重大な損失を被ることになる。

悲観的なシナリオでは、米空母2隻を含む数十隻の艦船、数百機の航空機の損失、一万名近い死者が日米で出る。

これは戦後秩序にも重大な影響を及ぼすだろう。


まり台湾侵攻は仮に発生すれば米中台日が全員損をするクソイベントであるのは明らかである

冷静に考えればこんな特大のクソを漏らしたい国などないと思いたいし、筆者も正直「あまり起こりそうにない」という考えだが、それでもありえないとは言えない。

なぜなら中国は「台湾に対してわれわれは武力行使放棄せず、あらゆる選択肢留保する」ことを明言しているかである

Permalink |記事への反応(1) | 12:03

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アスペ論法

例えば「月曜はいつも憂鬱だなあ、学校があるから

と言うと

「月曜が祝日の時もあるだろ!」

「他の曜日には学校が消えてるのか!」

などと言ってうまく揚げ足取ったつもりになるやつがいる。

「いつも」という語は全称命題を示す場合もあれば「高い頻度で」の意味の修辞的表現場合もあり、例文の場合文脈上明らかに後者であるが、むりやり前者だと解釈した上で形式的例外の指摘を行う。

あるいは「ある」が存在の有無を論じているわけはないのにむりやりそうと解釈する。

そういうのは

に相当する。

あんまりよく見るので「無意味な反例指摘の誤謬」として独立させたいほどだが。

Permalink |記事への反応(1) | 07:47

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2025-12-06

石坂啓先生高橋留美子先生の絵は似ているな

どっちが先なのだろうか?

おそらく前者の絵柄を後者が「めぞん」に持ち込んだと勝手に思っている

年齢もちょっと上だしな

Permalink |記事への反応(0) | 14:46

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anond:20251205122823

やれやれパソコンの大先生である俺の出番か

両方マジで使ってたことのある俺に言わせると

正攻法だと夫氏に全部論破されるのは確実だ

機能面で言うとLinuxでも大抵のことはできる

Linux感情面の弱点を突くしかない

まりフォントダサい」「キーボードペラペラで打ちにくい」の2点だ

後者についてはMacペラペラなのだが、薄い割にはよくできてると思う

前者はLinuxの致命的弱点なので夫氏も悩むだろう

この線で夫氏を攻めてみてはどうだろうか

俺が夫氏ならThinkPadLinuxとカッコいい有償フォントインストールするけどな

Permalink |記事への反応(1) | 08:45

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anond:20251206062737

るっきずむ以外の観点を身につけられるようになるのが精神的成長だと思うんだけれど、

今は女子精神的に成長しなくなったと言うこと?

それとも、未熟な男子たちが自分たちはこうだから女性もこうに違いないとレッテルを貼っていると言うこと?

このやりとりを見る限り、後者に見えたけど。

Permalink |記事への反応(2) | 08:30

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2025-12-05

投資というのは未来を信じるという賭けなのだと、最近気づいた。

それなのに、現代投資は「データに基づいた合理的判断」みたいなことばっかり言われてて、未来を信じるという本質的な部分が、完全に吹き飛んでしまっている。

から、これから投資について語るならデータと信念のあいだで何をするか、という問いから始める必要がある。

ここ10年、投資世界では「正解」を求める人が増えた。

積立NISAインデックス投資ポートフォリオ理論、ESG投資

全部、これをやれば、失敗しないという正解を求めるフレームワークだ。

でも、正解なんて、もう無いのが明白になってきた。

米国金利政策が変わったら、それまでの「正解」は崩れる。

生成AI革命産業構造が変わったら、それまでの「正解」は意味を失う。

地政学リスクが急激に上がったら、全部がリセットされる。

まり正解に従う投資は、2025年以降、確実に劣化する。

なぜなら、環境変化のスピードが、データを集積する速度を超えたから。

逆に、これからサバイブするのは「信念による投資」だと思う。

ただし、信念というのは根拠のない楽観ではなくて、社会はこう変わるという仮説に基づいた、計算されたギャンブルだ。

例えば、2010年代ビットコインに全資産をぶち込むというのは、合理的ではなかったけど、信念的にはこれから中央銀行支配されない通貨必要という仮説があった。

その仮説が正しいかどうかは別として、少なくともデータ理由拒否することはできない状況になってきた。

これから投資重要なのは自分が何を信じるか」を、きちんと言語化することだ。

例えば、

日本は縮小国家から米国資産に集中するという仮説

AIは、結局、大手5社に収斂するからFANG+に集中するという仮説

食料・水・エネルギー不足が進むから農業・水インフラ再生エネに集中するという仮説

円安はこれからも続くからドル資産保有で対抗するという仮説

どれが正しいか、誰にも分からない。

でも、この中のどれかを選んで、それに基づいて投資する方が、正解を求めてウロウロするより、ずっと健全だ。

なぜなら、その仮説が外れたとき、なぜ外れたのかを、自分分析できるから

データベースとしての投資は、もう飽和してる。

これからは失敗から学ぶという泥臭い営為が、唯一の競争優位になる。

例えば、2008年リーマンショック資産を失った人の中には「二度と株式投資をしない」と決めた人と「何がうまくいかなかったのか」を徹底的に分析した人がいた。

前者は、その後の株価上昇で、ずっと後悔し続ける。

後者は「リスク管理が不十分だった」「信念が曖昧だった」という学習を持って、次の投資に臨む。

その学習が、これから投資の唯一の財産になる。

もう一つ重要なのは自分がどの時間軸で投資するのか」を決めることだ。

1年以内に2倍にしたい(これはもう投資ではなく、ギャンブル

5年で1.5倍にしたい(これは現実的

30年で10倍にしたい(これは人生設計

その時間軸によって正解は全く違う。

5年で1.5倍を狙う投資と、30年で10倍を狙う投資では、選ぶ商品も、リスク許容度も、心構えも、全部違う。

多くの人は自分がどの時間軸で投資するのかを決めずにいる。

その結果、短期的な値動きに一喜一憂して、長期的な戦略を失う。

そして、社会への信念を投資に反映させること。

ここが、本当に大事な部分だと思う。

投資というのは、この社会はこう変わるという信念を、金銭という形で表現することだ。

まり投資の内容は「その人が社会未来をどう見ているか」という、ほぼ哲学的問題を反映している。

例えば、日本株に集中する人は日本はまだ大丈夫と信じている。

米国株に集中する人は米国覇権が続くと信じている。

ビットコインに集中する人は脱中央権化が進むと信じている。

その信念が正しいか、間違ってるかよりも自分の信念が何かを言語化することが、投資第一歩だ。

ただし、信念を持つことと、ただひとつの信念に縛られることは、別だ。

これから投資で生き残るのは複数の信念を、同時に持てる人だと思う。

例えば

日本は縮小するけど、ニッチ産業では世界的な競争力を持つ

米国は強いけど、分断が進む

中国は成長するけど、リスクも大きい

みたいな、相互矛盾する仮説を、同時に持つ。

その相互矛盾する仮説に基づいて、ポートフォリオを構築する。

50%確率で起きることには、それなりの投資をするという、曖昧性の中での判断

また投資は「人生への投資」と同義であることを忘れてはいけない。

投資について語るとき、どの商品を選ぶかという問いばっかり出てくるけど、本当は自分人生お金関係をどう構築するかという問いの方が、ずっと大事だ。

投資をしている人間というのは自分人生選択肢を増やすための行為をしているはずだ。

その行為データに従って、正解を追求することになったら、それはもう人生選択肢ではなくて人生データの正解に委ねることになる。

から、これから投資の仕方は自分が何を信じるかを問うことから始まる。

そして、その問い自体が「自分人生で何が大事か」を問うことと、ほぼ同じ意味を持つ。

まり投資金銭運用ではなく人生設計であり、その設計が正解を求める人生か、信念に基づく人生かを、左右するのだと思う。

Permalink |記事への反応(0) | 22:21

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anond:20251205120506

仕事でもオフでもリアルで女と会話する機会がないから、ネットで悪目立ちするたぬかなやめりぴょん/山野萌絵みたいなのをリアルな女の代表格だと勘違いするエコチェン脳になるのがたぬかなに課金していたホビットおっさん思考回路

後者ブログ文体を丸々パクって「私は小柄な男にしか興味のないショタコン」という作文を投稿してたな

Permalink |記事への反応(0) | 14:39

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