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はてなキーワード:後漢とは

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2025-06-13

ChatGPTに再現困難な奇跡発明発見ランキングにしてもらった

10位 黄リン発見錬金術が生んだ最初元素

17世紀ドイツ錬金術師ヘニッヒ・ブラントは大量の人尿を蒸発させる実験中に、夜光を放つ不思議物質を偶然取り出しました。これが元素リン(黄リン)」の発見です。ブラントは「賢者の石」を求めて尿に含まれる未知の物質を探していましたが、その過程で思いがけずリンに辿り着きました。当時は元素概念すら確立されておらず、尿から得られた発光物質は人々を驚かせました。その後、リンマッチ肥料、発煙弾など幅広く利用され、化学の発展に寄与しました。初めて人類人為的発見した新元素として、科学史に残る画期的発見です。

第9位 張衡の地動儀 –世界初地震計の謎

張衡が発明した地動儀の復元模型国立科学博物館の展示より)。内部の倒立振子が揺れ方向を検知し、龍の口から玉が落ちる仕組みになっていた。

から1900年前、後漢科学者・張衡(78–139年)は世界初地震計「候風地動儀」を考案しました。酒壺のような青銅製の容器の周囲に8匹の龍、その下に8匹の蛙を配置し、地震動の方向によって対応する龍の口から玉が落ちて蛙の口で受け止める仕掛けです。132年、この装置は都では揺れを感じない地震まで検知し、数日後に遠く離れた隴西の地震発生を的中させたと『後漢書』に記録されています。当時としては驚異的な精巧さであり、内部構造の詳細は文献から推測するしかなく、現代科学者再現を試みても完全には解明できていません。まさに古代中国科学技術の粋と言える発明です。

技術水準との乖離:2世紀に既に地震の方向検知装置を実現しており、同様の概念西洋で登場するのは1500年以上後。

第8位 X線発見 – “見えない光”との偶然の遭遇

19世紀末、ドイツ物理学者ヴィルヘルム・レントゲン真空放電管の実験中に未知の透過放射線に偶然気づきました。1895年11月8日暗室陰極線管に黒紙を巻いていたところ、2m離れた蛍光板がかすかに光る現象発見したのです。彼はこの正体不明の光線を「X線」と命名し、妻の手を写した世界初レントゲン写真撮影しました。X線は人体や物体を透過するため医学への応用(レントゲン診断)を飛躍的に進展させ、物理学にも原子放射能研究など新たな道を開きました。当時の常識では考えられなかった「見えない光」を発見たこ出来事は、まさに幸運洞察が生んだ科学革命でした。

第7位 ダマスカス鋼奇跡の名刀を生んだ失われた鍛造技術

古代インドで生まれ中世イスラム圏で広まった「ダマスカス鋼」は、波紋状の美しい木目模様と伝説的な切れ味で知られる名刀の材料です。炭素を多く含むるつぼから鍛造され、高硬度かつ靱性を両立したこの鋼は、当時の他の金属材料凌駕する性能を示しました。しかし18~19世紀までにその製法は途絶え、「失われた技術ロストテクノロジー)」の代表例となりました。現代材料科学者刀鍛冶が文献と顕微鏡分析を基に再現を試みていますが、完全に同じ構造性質の鋼を作ることは依然困難です。近年の研究では、ダマスカス鋼中に炭化物ナノ構造存在することが判明し、その卓越した性質の一端が解明されつつありますとはいえ中世の鍛冶職人が達成した奇跡の技を完全に再現するには、さらなる研究必要です。

第6位 ギリシア火薬中世を制した謎の焼夷兵器

東ローマビザティン)帝国7世紀以降に使用した秘密兵器ギリシア火薬」は、水上でも燃え続ける恐るべき焼夷剤でした。粘性のある可燃性液体に点火して敵船に噴射するこの兵器は、帝国海戦における切り札となり、数々の勝利をもたらしたと伝えられますしかし当時の技術水準で如何にこのような燃焼剤を製造できたのかは謎で、製法は厳重な軍事機密として一子相伝され、帝国の衰退とともに14世紀までに失われました。松脂・ナフサ(石油)、生石灰硫黄硝石などを混合したのではないかとも推測されていますが正確な配合は不明です。専門家は「水面でも燃焼を持続し消火困難な点で、現代ナパームに近い化合物だったのではないか」と推測しています。このようにギリシア火薬は史上初の化学兵器とも称され、その実態は今も歴史家化学者を惹きつけています

第5位 ギザの大ピラミッド古代エジプトの超絶建築技術

エジプトギザに聳えるクフ王の大ピラミッド紀元前2500年頃)は、古代世界七不思議に数えられる史上最大級の石造建造物です。230万個以上、重さ数十~数百トンの巨石ブロックを極めて精密に切り出し、隙間なく積み上げた構造は、現代でも驚異とされますピラミッドの各面はほぼ正確に東西南北を向き、高さ146mもの建造物を当時の人力と簡易な道具のみで築いたその技術力には謎が残ります。どうやって巨石を運搬・加工し、精巧に積み上げたのか、統一的な説は無いものの、直線傾斜路や螺旋状の内部スロープを用いた説、てこの原理や水を使った浮力輸送説など様々な仮説が提唱されています。近年の研究実験考古学により一部再現も試みられていますが、それでも「完全には解明されていない」のが実情です。大ピラミッド古代人の英知と膨大な労働力が生んだ奇跡モニュメントと言えるでしょう。

第4位 ジェンナー種痘法 – 偶然がもたらした世界初ワクチン

1796年英国人医師エドワード・ジェンナーは、牛痘にかかった乳しぼり娘が天然痘に罹らないことに着目し、8歳の少年に牛痘膿を接種してから天然痘ウイルスを植え付ける実験を行いました。結果、少年天然痘にかからず、世界で初めて予防接種種痘)が成功しました。この功績により天然痘ワクチンが開発・普及し、人類はついに致死的感染症であった天然痘制圧1980年には地球から根絶するに至ります。興味深いことに、後年の研究ジェンナーが用いた牛痘ウイルスは実は馬由来の近縁ウイルス(馬痘)だったことが判明しており、この成功は偶然の産物でもありました。当時はウイルス免疫も未知の時代で、民間伝承と大胆な実践からまれ種痘法は、医学史上もっと奇跡的な発見の一つです。

第3位 ペニシリン発見 – 偶然が救った「奇跡の薬」

1928年英国細菌学アレクサンダー・フレミング培養中のブドウ球菌寒天培地に偶然生えた青カビに気付きました。奇妙なことに、カビの周囲だけ細菌の発育が阻止されており、このカビ(Penicillium属)が細菌繁殖を抑える物質を産生していると推論しました。フレミングはこの物質を「ペニシリン」と名付け発表しますが、当初は抽出精製が困難で実用化には至りませんでした。その後、第二次大戦下の切迫した需要もあって、フローリーらのチームが生産性の高いカビ株を用い大量生産法を確立し、ペニシリンは遂に人類初の抗生物質として実用化されました。これは敗血症肺炎など多くの死病を治療可能にし、無数の命を救った医学革命です。「偶然からまれた最も重要発見」とも称される所以です。

第2位 黒色火薬火薬発明) – 錬丹術士が生んだ爆発の素

古代中国唐代において、不老不死の霊薬を求めていた道教の錬丹術士たちは、硝石木炭硫黄を調合中に思いがけず激しい燃焼・爆発を起こしました。これが世界初火薬黒色火薬)の発明とされています。錬丹術の文献『丹経』(孫思邈による7世紀頃の著作)には硫黄などを調合する記述があり、「手順を誤ると爆発する」と警告されています。この記述火薬誕生につながったと推定されています発明当初、中国では花火兵器火薬が用いられ、やがてモンゴルを経由してイスラム世界からヨーロッパへ伝播し、中世後期以降の戦争様相を一変させました。火薬の登場は兵器火器化を促し、城塞甲冑概念刷新するほど後世に絶大な影響を与えました。錬金術副産物とも言える偶然の発明が、人類歴史を大きく動かした例です。

第1位 アンティキティラ島機械2000年先を行く古代歯車天文計算機

ギリシャアンティキティラ島沈没船から発見された「アンティキティラ島機械」の主残存部品国立考古学博物館所蔵)。複雑な歯車が幾重にも組み合わさっている。

1901年地中海の難破船から発見された錆び付いた青銅塊は、後に古代ギリシアアナログ計算機であることが判明し、世界を驚かせました。紀元前後1~2世紀製作推定されるこの機械には、少なくとも37個の精巧歯車が組み込まれており、太陽や月の運行日食月食の周期、オリンピア競技の開催周期までも再現予測できる構造でした。解析によれば、ハンドルを回すことで内部の歯車列が天体位置演算し、文字盤に年月日や天文現象を表示したといいます。このような複雑な機械装置が再び歴史に現れるのは、それから実に千年以上後の中世後期であり、アンティキティラの機械は「古代オーパーツ時代錯誤的産物)」とも呼ばれます。当時知られていた天文知識を凝縮し、高度な金属加工技術実体化たこ機械存在は、古代人の科学技術水準に対する見方を一変させました。現代研究チームがX線断層撮影などで内部構造を解析し、復元モデル制作していますが、それでもなお解明されていない点が残るほどです。アンティキティラ島機械は、人類史上最も再現が難しい奇跡発明として堂々の第1位にふさわしいでしょう。

Permalink |記事への反応(0) | 23:18

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2025-04-01

anond:20250331211901

前漢西漢後漢東漢とも言うんだよな。

最近中国語でそう書かれてるの見て初めて知った。

Permalink |記事への反応(0) | 00:23

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2025-03-31

前漢後漢。前アメリカ・後アメリカ

戦後80年。

第二次大戦後から冷戦時代、そして現在まで

世界盟主としてのアメリカ合衆国という国は終わった。

もちろんアメリカという国自体は続いているが最早これまでとは同じではない。

今は歴史で言うなら前漢後漢の間に挟まっている「新」みたいな時代なんだと思う。

やがては後漢のごとく、前アメリカを引き継ぐような後アメリカ誕生することを期待するが無理かもしれない。

もう世界中がトランプうんざりしているのだがアメリカ国民はどうなんだろう?

3期目への道を切り開くんだろうか?

たとえ2期目で終えるとしてもあと4年弱。

いったいどうなるんだろう?

真剣に考えると不安しかない。

Permalink |記事への反応(9) | 21:19

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2025-03-10

anond:20250310125007

古いアクションなら言語関係ないの多いかもしれんがジャンルによっては日本語必須

その後漢字表示できる時期のものでも日本語しかなさそうだが覚えたり翻訳しながら遊んでるのだろうか

Permalink |記事への反応(0) | 13:09

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2025-01-09

anond:20250108180125

老子紀元前6世紀頃)は中国古代思想家であり、道家思想創始者とされています

一方、仏教中国に伝来したのは、後漢時代1世紀頃)のことです。したがって、老子時代には仏教はまだ中国に伝わっていませんでした。

仏教紀元前5世紀頃にインドで成立しましたが、中国に伝わるには数百年の時間を要しました。

中国への仏教の本格的な伝来は、西域現在中央アジア)を経由して行われたと考えられています

後漢時代仏典翻訳僧侶交流を通じて、仏教は徐々に中国文化に根付き始めました。

Permalink |記事への反応(0) | 15:13

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2024-10-29

anond:20241029093349

200年の三韓征伐のあと、後漢朝鮮半島帯方郡を作ったとき日本には邪馬台国が作られました

ところが職を失った征伐軍のモンゴル鮮卑らが蜂起して後漢を分裂させ、海を渡って邪馬台国制圧しました。これが古墳人と呼ばれており当初の古墳は彩色古墳でした

卑弥呼が没すると軍を挙げて近畿制圧しますが、このあたりが記録が殆ど無い空白の4世紀です

 

鮮卑中国で晋や北魏を建て、近畿では朝鮮族を起用して飛鳥京を建てます蘇我馬子です)

北魏が分裂すると、漢人を起用して随に統一しま

唐の時代になると日本朝鮮族平城京建設しましたが、鮮卑中国の晋書、日本記紀などの半偽書を書かせました

記紀では中国元号が始まる紀元前140年ぐらいに日本元号も始めて、古墳時代天皇いたことにしました

実際は初代神武から仲哀または15代応神までは、邪馬台国制圧した鮮卑軍団であり、鉱業技術がありました(木材防腐剤の朱砂を扱うためスサノオと呼ばれます

卑弥呼神功皇后天照大神)を妻にし、死後は新羅人と思われる大神比義を使って応神を祖とする八幡神宇佐神社)を創始したと見られています

 

のち、飛鳥奈良朝鮮族仏教化することで八幡神の侵攻を防ごうとしましたが、八幡神壬申の乱のころ近畿に入り込み、法隆寺に火を掛けたりしたので、おそrかう朝鮮族漢族古事記及び日本書紀は、邪馬台国戦争は伏せた状態で書かせられたと見られます

鮮卑族は軍人司法機関として睨みを効かせています

しか鮮卑族の争いや偽書はしばしば発見されています

漢字で言えば、卑弥呼の卑は鮮卑の卑、ナと読む字(那や奈、福岡の奴の国)はその徴税機構になります

Permalink |記事への反応(2) | 12:02

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2024-10-21

40年かけて自分にかかった呪いを解いている話

職場や友人などの "社会" と関わることがあると、何かにつけて不安を感じて生きてきた。

飲み会でも会議でも何でもそうだが、関わる前には上手くやれるか不安になり、関わった後には上手くやれたか不安になる。

上手くやらなければいけないので、人前でも過剰に緊張して心臓が飛び出しそうになる。当然上手くいかない。


とはいえ、生きていくためには社会と関わらなくてはならないので、ずっとこれを繰り返してきた。

自分でもこんなに不安を感じるのはおかしいと思い始め、遺伝的な要因やこれまでの経験によって自分が得てしまった呪いだと思うようになった。

そして、多くの時間をこの呪いを解くために使ってきた。


精神科カウンセリング効果を感じられなかった。適応障害不安障害などと診断されたが、治療には至らなかった。

有名カウンセラーの数万円もするカウンセリングも受けたが、効果は無かった。

自分どうしてこうなったのか、なぜ不安を感じるのか、物事についてどう考えどう捉えたら良いのか、毎日のようにインターネットで調べたりYouTube動画を見たりしていた。

思春期に悩み始めてから30年と少し、ここに書いていないことも含め色々な方法でこの呪いを解くことに取り組んできた。


前置きが長くなったが、最近になってようやく呪いが解けてきたように思えるので、何がきっかけだったのかを自分なりに考えてみた。


漢方薬

気になっていたが、費用が高いので今までは避けていた。

最初保険適用外の漢方薬局で、毎日飲む漢方薬を処方して貰った。月に大体2万くらい。

2ヶ月くらい飲んだけど効果を感じなかったし、続けるには高すぎるのでやめた。

その後漢方を処方してくれる医者にかかり、何種類か違う薬を試した後、比較的効いているような気がすると思えるものがありそれを続けている。

ただ、不安自体が消えるのではなく、不安を感じたときに冷静になり「不安を感じている」とメタ認知やすくなった気がする。


家事

家のことは全くやっていなかったが、諸事情によりやることになった。

特に皿洗いや風呂トイレ掃除が達成感を得られて、思ったより良い。

なぜかわからないが、社会と関わるときの自信にも繋がっているような気がする。


③加齢

結局これが一番効いているかもしれない。

40代になると自分人生何となく見えてくる。そして、人生の終わりを意識するようになった。

このままだと最後自分人生を振り返ったときに、不幸な不安が9割を占める人生になるのではないか

本当は小さな幸せが近くにあるのに、それを無視して、不安を感じることに一生懸命になっていないか

人生って、感じた幸せの総量が多いほうが良くないか

そのためには、どうでも良い他人のことで不安になり不幸を感じるより、日常的に近くの幸せを感じる方が良いのでは?

そんなことを考えるようになった。

そうなると、不安を感じたとき人生を損しているような気持ちになり、不安を感じる思考を止めるきっかけになった。


④これらの相乗効果

これらの相乗効果で、今までは "不安を感じているのが当たり前" だったのが徐々に "不安を感じていないのが当たり前" "幸せを感じているのが当たり前" になってきて、不安を感じたときに「何かがおかしい」とメタ認知やすくなったような気がする。

今までは不安状態が当たり前でその状態を疑いもしなかったため、メタ認知するのが大変だった。

これは結構大きな変化ではないかと思う。


以上、同じような悩みを抱えている人の参考になったら嬉しい。

Permalink |記事への反応(5) | 23:54

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2024-10-04

anond:20241004164806

周が衰えて諸侯が争ってたのが春秋時代

諸侯のうち晋って国が魏韓趙に分裂して以降が戦国時代

そのあと諸侯の一つ秦が中華統一

秦の始皇帝が死んだ後各地で反乱がおこって秦は滅び

項羽と劉邦の楚漢戦争が起こって勝った漢が中華統一

漢は途中で簒奪されて新って国になったけど再興(前漢後漢

後漢末期に黄巾の乱が起こって漢が滅んで三国時代になる

Permalink |記事への反応(1) | 17:02

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2024-09-22

anond:20240922005103

前漢なのか後漢なのか

Permalink |記事への反応(0) | 14:11

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2024-08-30

張遼があると何がいいのか」への答え、どれも答えになってなくね

どの答えも「それって徐晃で良くね」って言われたら反論できないし、そもそも後漢関係ないものも多い

Permalink |記事への反応(0) | 16:44

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2024-07-04

anond:20240704123811

昔は、娼婦とか賤業の女性でも、けっこう皇后になってたのにね。東ローマ帝国のテオドラとか、後漢の何皇后とか。

Permalink |記事への反応(0) | 12:59

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2024-06-12

光武帝「こう、ぶって!」

民衆「なら、う後漢といて!」

Permalink |記事への反応(0) | 21:47

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2024-05-06

anond:20240506091319

中国古典、猿の母子の悲しい故事が多い

猿拔母箭_百度百科

https://baike.baidu.com/item/%E7%8C%BF%E6%8B%94%E6%AF%8D%E7%AE%AD

後漢末の人、鄧芝は母猿を矢で射ち抜くと、そばの子猿が母猿から矢を抜いて傷口を舐めて木の葉で止血をしているのを見た。悲しくなって弓矢を捨て「もう狩りはしない!」と決意した。

 

猿母中箭_百度百科

https://baike.baidu.com/item/%E7%8C%BF%E6%AF%8D%E4%B8%AD%E7%AE%AD/4782455

僧侶は、鳥を狙った狩人が木の上の母子猿に矢を放つのを見た。矢は母猿の腹に当たった。母猿は近くの父猿を呼び、子猿を託すと矢を引き抜いて、木から落下し絶命した。狩人は弓を折り「もう狩りはしない!」と決意した。

【古今著聞集/母子猿】の元ネタ

Permalink |記事への反応(0) | 09:50

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2024-01-27

君、著しく読解力が足りてないんで、これ以上やり取りしてもこちらの徒労に終わりそうだけど。

例えば、後漢末の政治宦官外戚の専横ラリーで乱れに乱れたという状況で、腐敗を示す大小さまざま無数の出来事が起きたでしょ。そういう場合党錮の禁のようなインパクトのある事件は、歴史を伝える書物の中では大項目を立てて詳細に論じられる。その一方で、汚職がばれたけど大物はお咎めなし、小物はトカゲのしっぽ切りで投獄されましたみたいな事件は、そもそも書物記載されないか脚注にちょろっと乗る程度の扱いになるわけ。

で、ひるがえって今回の自民党裏金露呈の件は、ここ20年ほどの自民党の変質という大きな流れの中で起きた諸々の出来事の中で、どちらかと言えば些細な事の一つでしかないよねと、私は言ってんの。

なんかよくわからないけどキックバック記載ロッキード事件やらリクルート事件本来なら並び称されるべき事案だと言いたいんですかね

anond:20240127075532

Permalink |記事への反応(1) | 08:16

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2024-01-19

グミ蜀漢が好き。

グミという言葉後漢も好き。

Permalink |記事への反応(0) | 16:29

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2024-01-18

三国志の各勢力ピー

後漢・・・光武帝時代

・・・樊城攻防戦で于禁とホウ徳が関羽の足止めする所まで

・・・黄忠夏侯淵ぬっころして漢中を奪った直後、関羽北上直前

・・・呂蒙が都督として荊州を奪還した直後、関羽処刑前後

・・・司馬炎誕生まで

以降はどの勢力も衰退期

Permalink |記事への反応(0) | 20:39

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2024-01-15

世界遺産シルクロード展に行き、疲れた

福岡アジア美術館世界遺産シルクロード展に行ってきた

月曜日だったので人も少なく、わりとゆったり見れた

入口にドーンと今回の展示の関係者として池田大作言葉が飾ってあった

最初は意外に思ったが、長年シルクロード文化には興味を持っていたみたいなことが書いてあり、シルクロード仏教伝来の道でもあるし、仏教由来の宗教家としては関係性が深いものなのかと納得した

また最近亡くなった宗教家コネマネーのおかげの展示なのかと思うと複雑な気持ちになったが、シルクロード神秘から新興宗教までと幅広い展示なんだなと思うことにした

展示の一歩目から金持ちの好事家のおっさんコレクションを見に来たみたいな気持ちにもなり興がそがれたが、もともと古来の名品なんて好事家のおっさんの蔵リレーみたいなところありそうだし、そんなもんなんだろう

展示内容としてはもともとのシルクロード地域的な広さ、飾られた品の制作年代の広さ、関係する文化圏の多さも相まって、出土品や名品を見ながらなんとなくの歴史を追うだけでも大分理解が難しく、これ予習してから来るべきだったなと反省した

ただ、紀元前2世紀から唐代(8世紀くらい)までのシルクロード(6500kmくらいあるらしい。日本国土は3500kmだそう)関連品なので、もうこれより広いカテゴリの展示ってあるのかなとも思った

序盤で頭がついていかなくなったので、キラキラデザインを楽しむ方向で見ることにした

老齢の御夫婦トルコ石で飾られた金の器を見て「見てみ、金ぴかやー」と言っていて、みんなそんなレベルなのかもしれんとなんか安心した

デザインとして気になったものとしては後漢時代の『車馬儀仗隊』

青銅製の杖持った人と馬と荷車のフィギュアセットみたいな感じ

三列くらいに並んでいて、一番後ろの二頭の馬が荷車を引いていたんだけど、明らかに左右で荷車のクオリティが違っていた

向かって左の荷車は板も薄く、引き縄も細く、板同士の溶接部分も最低限で繊細に作られているのに対し、右の荷車は板も太いし、縄も太く反り方も少なく、溶接部もぼってりと盛られていた

そっか設計図とかきっちりしたものがあるわけでもないし、一個ずつがハンドメイドからよく見たら大分見た目が変わるんだなと思った

ただ左の荷車はその細い設計のせいか、荷車の後ろの板部分と馬のしっぽ辺りを釣り糸で結び強度アップしており、大量生産をするなら右の荷車を元に設計図を起こす方がいいのだろう

あとは『妙法蓮華経化城喩品 断簡』の文字が細いところと太いところのギャップが激しく、全体的に平体みたいにつぶれていて、あんまり見ない感じの書体だなと思った

こういう古書由来のフォントってあるのだろうかと思いつつ、漢字だけだし、日本だとあんまりフォントに起こしても使えねえなと思って見ていた

なんか最後日中友好の証として送られてきたらしいラクダはく製が二頭飾られていて、本当に何を見に来たのかわからん気持ちになった

わりと情報量につかれた後、川端通商店街を歩き、櫛田神社に行った

お参りをした後、振り返るといつの間にか拝殿への列に中国人韓国人らしき観光客20人くらい並んでいた

もう頭が疲れていて、アジア―!くらいしか思わんかった

Permalink |記事への反応(0) | 23:33

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2023-10-27

憑虚御風(ひょうきょぎょふう): 世俗を超越したような広々とした気持ちや気分のこと。

宋代の蘇軾が流罪中に赤壁レッドクリフ)を訪れ、「憑虚御風」と書いた(『赤壁賦』)。江戸時代の貝原好古はこれを辞典に収録した(『諺草』)。

すなわち、赤壁後漢末に、孫権劉備連合軍が、曹操軍船を破った古戦場である

Permalink |記事への反応(0) | 15:17

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2023-05-01

anond:20230501012955

血筋持ちなら後漢を建てた光武帝・劉秀

Permalink |記事への反応(0) | 01:46

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2023-03-29

三國志馬超史実演義全然違ってた

演義では正義を口にして後漢王朝のために頑張ってたけどそれを知った曹操の強い逆恨みから父親一族を無残に殺害されてしまった悲劇の名将だったけど

正史では暴れん坊将軍涼州で大暴れして後漢王朝迷惑を掛けた極悪人だったためにケジメとして父親一族処刑されてしまったとあった

まり演義正史では順序が逆転してるんだね

馬超さん良い人だと思ったのにそうじゃなかった辛いです

Permalink |記事への反応(1) | 17:20

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2021-12-25

子どもアルプス一万尺を歌っている時に

パパは脳内で「殷周東春秋戦国前漢後漢…」って歌っている。君もあと10数年したらこの歌を知るかもしれないし、知らない未来の方がいい気もするよ。

Permalink |記事への反応(0) | 22:17

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2021-09-19

1世紀、前漢後漢あいだの20年ほど、新という国があり、亀貨が使われていた。そのころ淡路島日本初の鉄器工場ができた。赤色塗料あり、赤眉軍あり、薩摩隼人は顔を赤塗りしていた。そして2世紀、魏から卑弥呼と呼ばれた天照大神は亀の甲羅政策を占ったといわれている。

 

ただそんな原始的な国が諸国進出するだろうか。そこで推測してみる。

天照大神は、亀貨が戦火焼失に耐えるか試していた。天岩戸に籠ったのは鉱物を探すためだった。魏の帯方郡赤色塗料(丹)貿易をし、帯方郡が滅びれば百済人や新羅人鉱山開発をさせた。出雲にも銅や銀があるのを知り、大国主命を送り込んだ。

 

神という字は、示し申すと書くが、舞台のような四隅突出型古墳は、貿易港の伊都国、出雲のいずれにもある。

赤色鉱物産地の丹生神社は北は群馬まで、天照を祭る神社は、秋田にまであるお金が入ってくるから祭るんだろう?

Permalink |記事への反応(0) | 14:23

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2021-09-04

魂に欠陥を持って産まれてきた

 チョウやガは適切な葉を選び、卵を産む。間違った葉に落されるとふ化した幼虫は正しい葉まで移動するか、死ぬしかない。人間の魂だってそうだ。適切な場所に適切な状態で産み落されて初めて正しい生を歩める。オレの魂は今世は欠陥を持って産み落とされた。体や心の不調は医学の発展で治せるが、魂の欠陥ばかりは人の力では治せない。オレの魂には片割れが居る。魂が誕生してからオレの魂はその片割れと常に一緒だった。共に輪廻を繰り返した。前世インディアンのショーニー族、前前世ベンガルの王、前前前世アイルランド戦士、その前はパルティア貴族、その前はアテネ市民、その前はパラオ先住民、その前はエジプト貴族、その前はアッカド役人、その前は縄文人、人になる前はステラーカイギュウだったり、アデリーペンギンだったり、オオハクチョウだったり、スラウェシメガネザルだったり、タイリクオオカミだったこともあった。

 のろけ話になるので余り詳細は話せないが、どうやらオレと片割れはずっと一緒だったらしい。魂の片割れは鍵と鍵穴なんてものじゃない。体の右半身と左半身だ。二つで一つ。こういう例は魂全体の割合で見ればごくごく少数派なんだが、歴史上の人物では例が少なくない。ダーウィンジョージ六世、大正天皇J・S・ミルフォードとその妻は魂の片割れだったらしい。二つの魂は基本的にずっと一緒。ずっと一緒に輪廻し共に人生を歩む。基本的輪廻の周期は誤差はあれど、500年ほど。つまり死んでから500年後ぐらいに再び産まれる。面白い例が二つある。劉秀・スレイマン一世と唐の太宗・ジャハーンギルだ。劉秀の妻は陰麗華。美人で慎ましく、賢妃の典型例とされる。彼女は劉秀を支え続け、二人の絆が後漢繁栄平和を築いた。もちろん二人は魂の片割れ関係にあるのだが、この二人が偉業を成し遂げたのは、一世だけではない、この二人は来来来世でも偉人に産まれたのだ。スレイマン一世とロクセラーナだ。ロクセラーナは美貌と知性を兼ね備えたウクライナ人奴隷としてスレイマンに売られた。スルタンはロクセラーナを気に入り、事実上の一夫一妻関係を築いた。その気になれば妻を何人もめとれたというのに。この二人は魂の片割れであったことは確かだ。劉秀夫妻の来来来世である証拠に劉秀の没年は57年。スレイマンの生年は1494年。ひくと1437年。ざっと1500年ほどだ。歴史上に名だたる名君二人に産まれたこの魂は最も偉大な魂と言えよう。もう一つの例は唐の太宗こと李世民だ。その妻長孫皇后は陰麗華皇后と並ぶ賢妃だ。太宗を支え、唐の繁栄に貢献した。この二人もまた魂の片割れある。二人の来来世はムガル帝国皇帝皇后だ。ムガル帝国4代目皇帝ジャハーンギルかんしゃく持ち、アル中、病弱ととんでもないろくでなしだった。しかし、そこに美貌と知性の妻ヌールジャハーンが加わることでその治世は酷いものとならずに済んだ。彼女は夫を支え、かんしゃく持ちやアル中改善させた。それでいながら夫を立てることも決して忘れなかった。太宗の没年は649、ジャハーンギルの生年は1627年。引くと978年。やはりこの二人は同じ魂だ。劉秀の次に偉大な魂かも知れない。このように魂の片割れ同士は共に輪廻することで凄まじいパワーを生み出し、当人に多大な幸福を与えるのだ。

 しかし、片割れ同士が離れると絶望的な苦痛に繋がる。当たり前だ。自分の体の半分がないようなものなのだから。オレと片割れはずっと一緒で幸せすぎたのでばちが当たったのだ。しかし、それも酷いもんだ。片割れと離ればなれになるだけでなく、魂に欠陥を持って産み落とされた。まさに間違った場所に産み落とされた卵だ。無論、それは不幸な人生。強い欠乏と苦痛が伴う人生しかし、希望はある。この人生希望はないが、死後に希望がある。少なくとも霊界で片割れに再開できる。来世はきっと一緒に輪廻できる。そしたら、今とは似ても似つかない幸福人生が歩める。今は辛抱だ。片割れだって、今どこかで苦しんでいるのだ。自殺したっていいが、自分だけ逃げるのは卑怯だ。それに楽しみはとっておくもんだ。今苦しめば、霊界や来世での喜びはそれだけ大きくなる。

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2021-08-15

緩募】うんちっぽい後漢

ブリュッセル

ブリュンヒルデ

ブリューナク

ブリュ(ビスクドール)

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2021-08-08

ヴィシュヌ中国で美周郎と呼ばれていた

ヴィシュ郎は中国後漢末期に活躍したヴィシュヌのアヴァターラである

赤壁で大勝して曹操中国統一を阻止したことが、後に三国間の均衡を保つ要因となったのである

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